7266 余談の余談の続きの蛇足 苹@泥酔 2008/08/22 02:44
毒を食らわば何とやら、勢いで書かなきゃ書けなくなる。前稿(No.7264)は「これで一区切り」のつもりで書いたものの、書き忘れた事があったのを思い出したので「今度こそ最後」のつもりでまたまた追記(二度ある事は三…いや、なるべくなら避けたい)。
「何でもあり」と「道一筋」はどう違うか。~今夜のネタはNo.7257とNo.7262の敷衍。
様々な書風でしょっちゅう書き分けてるのは書道教員くらいのもので、大抵の書家は普通「自分の(属する社中の)書風」で書く。つまり異常なのは(世間的に見りゃ)書道教員の方なのだぁ。その上「どの書風でも書家並みの水準で書ける人」となると滅多に居ないし、現に私自身「出会った事は一度もない」(ここには「そもそも日展審査員クラスと出会う機会自体がない」って事情も絡むんだけど)。殆どの書家は一つの書風を極めようとするだけで手一杯。そして書道教員は「広く浅く」と「狭く深く」との間で常に板挟みとなる宿命にある。
巷間には書道教員と書家を混同する人が少なくない。教育上「異常な宿命」の下にある書道教員が社中で活躍する…そんな姿を見れば混同するのも無理はない。と云うより「混同せざるを得ない」のかも知れない。例えば或る政治家が自民党と公明党と民主党と共産党と社民党に属していたらどうか。誰だって異常者か八方美人と思うだろう。池田大作と靖国神社と中国共産党に参拝する神経を想像できるか。出した例が不適切なのは分かっているが、不適切な捉え方には不適切な喩えが相応しい(かもよ?)。
某先生が十数年前の正月、社中展を見に来た高校の同僚らしき人と何か喋っていた。その人は「先生だか書家だか分からんな」と言う。某先生は即座に「先生だよ」と応えていた。…私はこの遣り取りに潜む矛盾の恐ろしさがずっと気になっていた。書家にも書道教員にも「骨になる書風」が必要なのは分かる。骨抜きの「何でもあり」では困る。書家として振る舞う場所では教員としての抽斗そのものを隠すが、この抽斗なくして書家としての厚みは語れない。そうした経験があるからこそ、二足草鞋の教員は隠されたものに対して敏感となるのだろう。彼らは見えないものを見ようとする。しかしそれでもなお、展覧会では書家として振る舞わねばならない。書家として振る舞う場所にあって「先生だよ」と応える事の矛盾が、今度は逆に「骨を包み隠す」事になる。
教員である事の皮肉が骨を包んで初めて皮肉骨適均する…と仮定するなら、剥き出しの骨を基準に教員の質を測るがごとき生体実験は残酷と云うより他なかろう。多分そこに書道教員採用試験を実施する意味がある。
展覧会の実績は骨格標本の展示と大差あるまい。死者の骨格標本だけで評価するならまだどうにか割り切れる。書道教員を廃絶して、書教育を書家に丸投げすればよいのだから。これならわざわざ学校で書道を教える必要はない。バウチャー制か何かを導入して、生徒を学校から書塾に追い出せばよいのだ。するとそこでは学習指導要領の方が矛盾の一切合切を抱えて自爆する。書家に指導要領への準拠義務を課す方が異常となる。
ここから逆に書道教員の在り方を剔出すると、その生々しき血肉は常に腐敗と隣り合わせになるだろう。生者の肉塊と死者の標本を天秤に掛ける場合、確かに後者は安定している。…この手の安定性は生者達の世界から孤立する。そして生者達は死者の復活を望まない。にもかかわらず指導要領上、死者はゾンビとなって復活する事になる。生者としての復活が否定されたら死者はゾンビになるしかないし、復活そのものを否定するなら学校の書道カリキュラム自体を葬るしかない。ここではナチス然とした「文化の最終解決」が問われているのではなかろうか(「反日実験人格」でない方の苹が学校と県教委を敵視するかの様に振る舞うのは、そうした事情あるがゆえである)。
(更に余談)
鑑賞眼を重視するなら書道教員には優れた作品を書く実力が求められるし、具体的指標としては「日展入選」レベルの経歴があらまほしきもの(青森なら毎年数名入選、ただし通常は全員が高齢リピーターだから県教委は事実上正規採用不可能w)。…見る人が見れば技能水準は一目で分かる。しかしそんな鑑賞眼の持ち主が教員採用担当者の中にどれだけ居るかは心許ないし、下手をすると特定流派に偏った人材選別がなされる結果、コネ採用の最も不穏当な部分を治外法権の状態に置く事となる。
流派とは大概そういうものなのだろう。嘗ては地域に密着した稽古事の代表格で、その名残が今も根強く定着している。幕末・明治もそうだった。しかし当時は門流の分化がさほど進んでおらず、こちらの田舎では教科書自由出版制時代の系統と国定手本時代の系統がそのまま地域密着の門流と重なっていた。そうした準‐未分化時代の地域定着傾向を書流分化時代が承け継ぎ、文検全盛期には流派側の師匠が教員を兼ね、敗戦後は書教育そのものが占領政策で廃止に至る。つまり地域文化としての流儀書道は残ったが、学校教育の書道は壊滅した訳だ。県教委は書教育復活後の正規教員採用試験実施を自粛し、その影響が半世紀以上を経た現在も残っている。ここ数十年は大学の教員養成システムを経た人材が、地域密着型流儀書道により鋳直される形となっている(見方次第では「教員教育の歪曲」となるあれこれを背後で支援してきたのが「畑違いの職場管理職達」…この手の話は昨今の教育委員会不要論の下部レイヤーに相当するのかも)。
「これではいけない」との問題意識があったかどうか定かでないが、ともかく大学側は国語教育の傍系で流派の先生を講師に招き入れた。流派が大学教育を牛耳れば一切合切が解決する。流派による大学教育側の自己限定が地域の特徴を他の地域から切り離した後、やがて大学側が共通一次やセンター試験に寄生する形で全国規模の公平な入試選抜を偽装する様になる(この件については若干の情報を十数年前に得ているので、いつか支援板で詳しく書いてみたい)。
てな訳で、今回はこれにて打ち止めの予定。(折を見て、支援板へのリンクも予定。)
7317 あけおめ、ことよろ。 苹@泥酔 2009/01/02 01:11
ミーの本来なら爽やかな筈の元日の朝は、(何度もショックを受けたんでよく覚えてないけど)あれは日テレ系列の番組だったかな、ピチピチ女子高生がいっぱい出たよ♪(それにしても…書道部の印象は普通ネクラでオタっぽいブス寸前が多い筈なのに、なぜ美女ばっか出てるんだ?)
差し当たり暴言陳謝(平伏)。…とどのつまりは全国各地の書き初めネタだが、多くの人がイメージするだろう中身とは全然趣向が違う。ここ数年あちこちで盛り上がりつつある「パフォーマンス書道」ってやつで、「躍り食い」ならぬ「躍り書き」がちょいとばかりセクシー(?)だったりするもんだから、二日酔いの私に一発かますにはそれこそ充分だった訳だ。
そこで取り敢えず感動まんまの記念カキコ。年始の挨拶を兼ねて、セレブ奥様んとこに書いたのを転載してみる。書いた場所が場所だから結局は西尾ネタと絡めたオチになるんだけど、時系列上では前稿(No.7301)で転載したのを書いてる途中の挿話にあたる。…ま、要はありきたりの正月ネタって事でござんす。
なお、連ねるツリーは前稿の後でなく、夏に書いた書道ネタの方にしとくわ。
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今度こそ非表示余談(駄文の連続でセレブ奥様、ウンザリしてたらゴメン…汗)。
禅林墨蹟を見ると、起筆の際には時折飛沫がある。中には豪勢なのもあって、大抵は大字ばっか。それらの影響あっての事か、昨今は書道パフォーマンスでバカでかい筆を用いる傾向が流行りらしい(機会あらば只今発売中の季刊『墨』195号P.132を参照されたし)。昨昼も一昨夜もBS日テレで「キズナのチカラ」第16回(↓)を流してたと思ったら、昨夜は駄目押しに「NHKよ、オマエもか」(笑)の体となっていた。こっちの再放送は来週土曜午前だそうな。番組名は「ヒミツのちからんど」(↓)。柿沼氏の模範揮毫は「力」第二画の中鋒が本格派の面目躍如。
http://www.bs4.jp/entame/kizuna/oa/thisweek/index.html
http://www.nhk.or.jp/chikaland/yotei/index.html
ところで~産経サイトの教育欄に、見方次第では稍やトンチンカンと映る記事がある(↓)。「精神の変質」に横書きが絡む云々。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/081113/edc0811130803000-n2.htm
分からぬではないが、それと似通ったレベルで云うなら飛沫もまた同工の筈。…大字を書く時、勢いよく起筆すると飛沫が生じる。つまり筆を「外から内に持ち込む」メカニズムに於てのみ飛沫が語られがちとなる。これは非常によくない。黒船指向、受け身の指向が、飛沫に籠められた魂の戦慄きを根本から牛耳っている。
禅林はさにあらず。例外はあるが、抽象的に云うと抑も飛沫は筆の「しくじり」と相似たり。それを丸ごと受容するから、却って「全体が内から発する」。外から持ち込むのではない。内側からの発露に飛沫が伴う。その点を根本的に誤解させる教育が書道界でも跋扈している(それと似通った歪曲事例は自衛隊や政界の周縁でもある模様)。
具体的に云うと、起筆の際に筆鋒が屈曲して弾力を蓄える。それが次の送筆に移る時、しくじると筆尖が余りの送筆の動きに耐えきれず跳ね返る。…地震メカニズムの説明図を見ると、プレートに引きずり込まれた岩盤が跳ね返るだろう。あれと同様に筆尖が元に戻り、その際に飛沫が「内から飛ぶ」。外から持ち込まれる時に飛ぶのではない。次の送筆動作に移るからこそ、筆尖が「逃れようとして」外へと飛ぶ。そこには先ず魂プレートの求心的作用がある。これを欠いた書は根本的な筆力を欠く。飛沫に囚われて筆の方向を失うと、却って精神の変質を招く羽目になる。
その点、西尾先生の筆力には魂プレートを体現するかの様な強靱な戦慄きが感じられる。それが読者を自然に保守の渦へと巻き込むのだろう。禅林墨蹟の最も肯定的な「しくじり」には西尾先生の代表作と同様、淡々とした伝統と素心が一見相反したまま同居しているかの様に思える。たといそれが福田先生とは別の帰結に至るとしても、飛沫に惑わされて動きを見失う様では「読者として」の沽券に関わる(なんのこっちゃ…汗)。
次回コメントは、『WiLL』新年号の拝読後とする予定。
2008.11.17 (00:58) / / [EDIT]
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7318 あお、こよ。(更に略^_^;) ミッドナイト・蘭@職場 2009/01/02 07:49
男性 会社員 A型 東京都
> ミーの本来なら爽やかな筈の元日の朝は
ミーに笑いました。
私は大晦日仕事納めで、本日仕事初めです(^_^;
まっ、まあ、「甘噛み!天才バカ板」のほうで<ナカデミー賞>を発表しているのでお読み下さい(o^_^o)
7584 石原都知事は非正規雇用九割を黙認? 苹@泥酔 2009/07/04 02:12
●二つの記事から
「学校で何を学ぶのか」が揺らいでいる。歴史と伝統を継承し発展させる…などと云えば聞こえはよいのだろうが、現実味は乏しい。そこで先ずは朝日の記事から(↓)。
http://www.asahi.com/national/update/0623/TKY200906220340.html
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>>仕事直結の授業中心、「新大学」創設へ 中教審の報告案2009年6月23日3時0分
> 中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)は22日、会議を開き、職業教育に絞った「新しい大学」を創設する方針を打ち出した。教養や研究を重視する今の大学・短大とは別の高等教育機関(新学校種)。実務の知識や経験、資格を持つ教員が職業に直結する教育を担う。実現すれば、高校卒業後の学校制度が大幅に変わることになる。
> これまでの議論では、新大学の名称は「専門大学」「職業大学」などが考えられている。報告案によると、新たな教育課程は、実験や実習など仕事に直結する授業に重点を置き、割合として4~5割を例示している。このほか関連する企業での一定期間のインターンシップを義務づけ、教育課程の編成でも企業などと連携する。修業年限を2~3年または4年以上を考えている。
> 中教審での議論は、就職しても早期に仕事をやめる若者が増えていることや、かつてと仕事内容や雇用構造が大きく変わったことから始まった。この過程で、一般(教養)教育や研究に多くの時間を割く、これまでの大学と目的が異なる新たな高等教育機関の設立が具体化してきた。
> 今後の議論を踏まえて方針が了承されると、文科省が制度設計の作業に入る。設置基準などの仕組みができれば、新大学への移行を希望する専修学校(専門課程)などが集まるとみられる。
> ただ、現状の専修学校の制度は、私学助成対象とならない代わりに設置基準が緩く、自由な運営や教育ができる。また新大学が、地域の大学や短大などと競合する場合もあり、反発が出る可能性もある。22日の会議でも「現行の大学にも多様性があり、議論は尽くされていない」との反対意見が出た。中教審は今夏をめどに報告をまとめる方針だ。(編集委員・山上浩二郎)
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「大学」という呼称には奇妙な魅力を感じる。学問の頂点に権威を垣間見たり、受験競争を勝ち抜いてきたプライドが社会的地位と連動したり。それは「資格」以上の何かとなって、自らを枠組みもろとも差別化する。私の様に、例えば専門学校と専修学校の違いに鈍感なら尚更、この「大学」というイメージはいっそう超俗的に聳え立つのだ。大学と大学院の違いなんかどうでもよい。
この超俗的イメージが大学から抜け落ちつつある。これを教育の劣化と結びつける向きも多い。修業に予め超俗を前提し、そこから還俗して初めて立派な社会人と云えるかのごとく見るならば、「ブランドとしての大学」と「大学のブランド」の相互補完関係により守られてきたものが大学以外の教育を吸い寄せるのは或る意味「自然な成り行き」なのだろう。
ここでは「超俗」と「還俗」、二つのキーワードを提示して置く。中教審の議論は、専修学校と大学の地位がそれぞれ教育目的から乖離していくかのごとき有様と関わる。それを今一度の「大学化」により引き戻そうとしているかの様に見えるからだ。
次に産経記事(↓)。
http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/090624/imp0906240843001-n1.htm
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>>【断層】大月隆寛 大学最前線の現実
>2009.6.24 08:43
> 大学もやっと世間並み、のようです。中身じゃなく、このところの淘汰(とうた)再編の顛末(てんまつ)です。
> 上から下まで、少子化に伴う構造的な経営危機が平等に襲来、「ゆとり教育」の弊害による「学士力」の低下、ロースクール以下考えなしの大学院改革から、特亜限定かのごとき大盤振る舞いな留学生政策に至るまで、文科省のやることなすこと全て裏目の自爆の連鎖、そしてここにきて、おそらくは業を煮やした財務省じきじきの大々的な経費削減の大号令…とまあ、どっちを向いても斜陽業界には断末魔の兆候だらけ。もっともらしい批判や提言は一層花盛りで、船頭多くして何とやら、ますます事態は混迷を深め、最前線は各個に孤立、補給もないまま枯れてゆくところまで、ああ、見事に昨今のニッポン社会、「戦後」の清算過程の縮図です。
> 地方の大学に身を置く余録で、それら大本営発、上から目線なもの言いとは別の風景も日々目の当たりに。学費を払えなくなる学生が静かに増え続け、奨学金を親が生活費として流用する例も珍しくない。高卒での就職が難しい分、商工業系の高校、急増したフリースクールや通信制高校からも進学希望者は当面微増の一方、これまで何とか維持されていた「大学」への期待に翳(かげ)りがありあり。いまや三年の今ごろから「就活」で、学生らしい期間はほぼ二年、かつての教養課程程度。「初年次教育の充実」てな能書きと共に「ゆとり教育」の尻ぬぐいまで全部現場にまわしていただくかたじけなさ。「豊かさ」のなれの果て、大学進学率50%超えの現実とは果たしてどのようなものか、つぶさに見聞させていただいている昨今であります。(札幌国際大学教授)
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仙人なら霞を食って生きていけるかも知れないが、そんな超俗・脱俗の心境にはなれそうにない。…わざと曲解するなら、多分そんなものは要らない。仮に超俗を「世間知らず」、脱俗を「引き籠もり」と言い換えるなら、大学生がニートや犯罪者になるのは必ずしも不自然ではなかろう。世間はそんなに甘くない。大卒や院卒の肩書きで食っていけるなら誰も苦労しない。或いは大学もまた、変人を淘汰する段階に来ているのかも知れない。…いや、それよりは解釈の変更により「変人の再生産」に取り組む方が話は早いのかも(例えば「マルクス主義者は時代遅れの変人」とか)。大学は変人を生産しつつ、変人の生きにくい場所へと生まれ変わる。
ちょいとばかり視線をずらして、仮に「超俗の目的は還俗」としてみよう。オウム信者の大学生が超俗に魅入られたのなら、真面目な信者ほど還俗へのアンチテーゼを抱え込む事になるだろう。「学生を取られてなるものか、いっそ大学が開き直れば~」との思いが潜んでいるかどうか定かでないが、ともかく大学が超俗への指向をかなぐり捨てれば「超俗の共犯関係」(?)を背負わずとも済む。するとやがて教育産業は下から上へと浸透し、更なる経営努力が重視されるに至って、学問は「精神の海外」に向かっていっそう超脱していくだろう。或る俗世間から別の俗世間へと超脱していくプロセスを遊牧的と形容するなら、そうした在り方の典型は私の場合、なにやら移民の様な在り方と重なって見えてくる。場所から場所への移民ではない。場所が同一でも「精神の移民」は可能である。
例えば移民国家アメリカでは、これまで何度も国内移民を繰り返してきた。見方を変えれば奴隷貿易も西部開拓も移民だろうし、第一次世界大戦で労働力不足が起きた時は農村部の黒人が都市部に移民した。近年では台風被害の甚だしき黒人都市で人口流出が起きた様だが、これも大袈裟に云えば移民。~ここでは「移民」の概念を集団的視点から個人的視点に変換しないと多様性が量的にも質的にも宙に浮き、概念自体が言葉から逃走・分散してしまう。そうした意味では所謂「頭脳流出」もまた、或る「移民」の形と捉えるべきだろう。ここでは「移民」状の群れが貨幣の様に流通し、なおかつ場所の中身を両替する。
●公教育再生と公務員改革
都議選が始まる時節、これもまた産経(↓)。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/090622/edc0906220256000-n1.htm
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>>【主張】教員確保策 こんな競争は歓迎したい
>2009.6.22 02:56
> 東京都教育委員会が、教員採用試験にあたって地方の教委と提携を進めるなど、意欲的な試みを進めている。授業が面白い、指導力のある先生が増えることは公教育再生のカギで、全国規模での工夫を歓迎したい。
> 東京や大阪など大都市圏はいま「団塊の世代」教員の退職期にあたり、新規採用数が増え、人材確保が大きな課題となっている。小学校教員を例にとると、昨年の競争率は東京で2・5倍など、首都圏は軒並み3倍を切り、質の確保に懸念がでているという。
> 一方、地方では東北、九州などで10倍を超える県は珍しくない。団塊の世代の退職者が少なく、民間企業も限られていることもあって、教職は狭き門だ。
> 教員採用試験は都道府県などで別々に行われている。都教委などは地方で試験会場を設け、優秀な学生の獲得に懸命だ。
> 都教委の新たな採用策は、地方の教委と協定を結んで試験問題を一部共通化し、地元の1次試験に漏れた学生でも、都教委の2次試験を受けられるようにするものだ。来年夏の採用試験から導入を目指しているという。
> 地方の高倍率の1次試験で、わずかな点差で落とされた学生の中には、教員として十分な資質をもつ学生も少なくない。人材確保策として有効といえる。
> 「教員争奪戦」という言葉も生まれている。大都市圏への人材の一極集中を危惧(きぐ)する意見もあろうが、都教委は採用後に東京で一定期間経験を積んだ後、地元に帰れる制度も検討するという。実現すれば人材交流など、教員の育成面でメリットは大きいはずだ。
> 良い先生を増やす方法は、採用だけにとどまらない。教員養成も大学だけに任せず、教職を目指す若者を対象に、自治体独自の実践的な「師範塾」などを開いて育成する教委もある。
> また優秀な教員を特別に「スーパー教師」などに認定し、待遇面も含め評価する制度を導入する教委もでてきている。教職につく魅力を高める努力が必要である。
> 大分の教員採用汚職事件が発覚して1年がたつ。各教委は試験の透明化を進めたが、力のある教員の育成にはまだ改善の余地が大きい。今年度から教員免許更新制も始まった。10年ごとに講習を受け指導力向上を図るねらいだ。国も各教委も、競い合って優秀な教員を育ててもらいたい。
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この手の競争は観点次第で変わる。霞を食って生きる仙人教員が求められている(?)なら尚更そうだろう。嘗てそこにあった超俗の場は既に古びている。その典型が「古びているがゆえに追い出される」としたらどうか。
東京都教育委員会の管轄…と捉えて構わないなら、都立高校の教員分布には興味深いデータが見られる。なんと、芸術科書道担当の臨時講師が一人も居ないのである。その代わり専任教諭が一名、兼任教諭が一名、非常勤講師が百二十名。これが都立高校全部を調べた結果だそうな(後述)。
すると産経記事への見方が変わってくるだろう。一方には非常勤講師で間に合っている科目があり、一方には極端な人材不足に陥っている科目があるらしい。…この落差、余りにも極端ではないか。都立高校全部を合わせても書道教諭は二名で足りる(?)のに、猫も杓子も都会では教員不足だと騒ぎ立てる。そこにはどんな魂胆があるのだろうか。もしかしたら正規教員は、どの科目でも不足して居ないのではないか。むしろ教諭のポストが過剰なのではないか。教諭を減らして非常勤講師で間に合わせればよいではないか。しかしその非常勤講師が足りない(?)から教諭のポストを餌にする。表向きそう見えてもおかしくなかろう。
実際、現場で不足しているのは教諭でなく講師の方らしい。偶々録画してあったNHK「クローズアップ現代」No.2655も、タイトルは「教育に穴が空く~“非正規”教員依存のひずみ~」だった(ただし番組内容は広島の事例)。通常は教員採用試験で正規採用された合格者が教諭になる。また不合格者にも実務への門戸は開かれており、講師採用の希望を出せば相応の人数が現場に入っていく。つまり~便宜上ハローワーク風の語彙を用いると、就職希望者数が求人数を下回らない限り量的な影響はない。
すると残るは規定量の範囲内での質的区分。これをテストの評定に見立て、仮に教諭を評定5、臨時講師を4、非常勤講師を3としてみよう。相対的に「評定5」のポストが増え過ぎた分を4や3の頭数から移す場合、その分が減れば人材不足に見えるのは当たり前だし、教員の質の低下を憂慮したくなるのも分からぬではない。他の不合格者(評定で云えば2や1に相当)を頭数に入れないから「人材不足に見える」面もあろう。そして実質的には5の仕事を4もこなす。かてて加えて財政不足。この辺の事情は教員以外の公務員でも似たり寄ったりである。ならば「教員が足りない」は「公務員が足りない」キャンペーンのモデルケースともなり得る筈。現在は公務員社会にも教員社会にも、人材派遣業を含めた或る種の「垂れ流し」システムが入り込んでいる(No.7164中のリンクやNo.7410中の朝日記事を参照)。
記事の方には「教員争奪戦」云々と書いてあるが、「公務員争奪戦」てぇのはあり得るのか。例えば夕張が全国から優秀な公務員を掻き集めるとする。給料が安く割に合わない。地元からの雇用は減り、土着民と余所者との軋轢も生じる。なんなら正規の公務員採用人数を減らして、その分を「派遣切り」の救済に回してみるか。これなら受験資格も緩和できるし、民主党あたりなら「正規の公務員でないのだから日本国籍でなくても構わない」「先ず現場に親しむ事が肝腎」などと言い出してもおかしくなさそう(なにしろ「日本は日本人だけのものではない」だもんね)。
日本人の英語教諭を減らしてネイティヴの英語指導助手(ALT)を増やす様に、全方位的に非常勤の専門家(?)を現場投入すればどうなるか。常勤では学校や官公庁が乗っ取られかねない。そこで例えば学校では、担任や校内分掌を任せないために総て非常勤講師とし、校務分掌に関与する常勤の臨時講師を絶滅する。とどのつまりは「学校運営に携わる正規雇用者」と「下請けの非正規雇用者」との二極分化方針とする訳だ(官僚に喩えるならキャリア組とノンキャリア組)。
たぶん都教委は、私の想像以上に物事をシビアに捉えているのだろう。犠牲になるのは専門家=請負職を中心とするインテリ底辺層であり、総合職(官僚?)が専門分野を支配する構造は何ら変わらない。ゆえに私は疑問を呈する。「石原都知事は非正規雇用九割を黙認?」と。
●拾遺
前々から何度も書いている事だが、こちら青森では「教育に芸術は必要ない」と明言した管理職が居た(後に弘前市教育長となった)。東京にもそれと似通ったメンタリティがあるのかも知れない。国語の枠組みで書写・書道の実技試験等々を実施する手もありそうではあるが、芸術科書道と国語科書写では縄張りが違うので、高校では自ずと教員採用試験そのものが実施されなくなるのだろう。現場は現場で非正規の講師を雇うしかない。青森の場合は暗に国語経由の裏口採用方式を奨励しているが、東京では教諭になるための門戸を開かないのが都教委の方針、現場の常識、伝統である。長崎や鳥取も四十年近く実施していなかったが、どうやら鳥取は改心(?)したらしい。
かれこれ七、八年くらい経つだろうか。天来書院サイトの付属掲示板で話題にしてみた事がある。すると斯界ではそこそこ名の知られている筒井茂徳氏が実名投稿、東京都でも採用試験を実施した事があるそうな。当時の私は2001年刊の『墨』148号(芸術新聞社)P.195を見て驚いていた。神戸大学の魚住和晃教授が「東京都が戦後一貫して高等学校の教員採用試験において、「書道」に門戸を開かなかった」云々と書いていたので真に受けた訳だが、筒井先生がそう云うからには何かあるのだろうと思わぬでもなし。~本人に迷惑がかかるかも知れないので念のため書いて置く。筒井氏と掲示板上で遣り取りしたのは、後にも先にもこの一度だけだった。
そんな経緯があるものだから、「書道美術新聞」917号(2009.6.15付)3面全文を転載せずには居られない(↓)。記事左隣には都道府県別の一覧表がある。
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> 今夏に実施される全国の公立高校における「書道」教員採用試験(平成二十二年度採用)が、近年では稀な規模の一五府県で実施されることが話題を呼んでいるが、一方で「なぜ一五府県だけなのか」「他の都道府県はどうなっているのか」とする素朴な疑問の声も改めて高まる気配だ。
> そこで、現代の「書道教育」の主戦場ともいうべき全国の高校書道教育現場における講座開設状況や担当教員の専任化率等について、公・私立の二回に分けて全高書研(全日本高等学校書道教育研究会)調査部の実態調査資料と、美術新聞社の独自取材をもとにレポートする。
> まず、公立高校(全日制、定時制、通信制、単位制)の合計数は現在、全国で四、六〇五校。ピーク時は五、五〇〇校を超えるといわれたことからすると、近年の市町村合併や少子化の影響でこの二〇年前後の間に約一、〇〇〇校減った勘定。このうち「書道」の開講数は三、三一八校で、「書道開講率」は七二・一%となっている
> この「書道」開講数は、校数の減少ほどには減っていないとされるが、都道府県別に開講状況を見ていくと、まず規模的には全国最小ながら全国唯一、一〇〇%を保っているのが鳥取で、次いで新潟、熊本、鹿児島、大分、富山、和歌山などが九〇%以上の開講率となっている。一方、開講率が低いのは長崎、愛媛、群馬、宮城で、いずれも三〇%台という状況。
> 次に「書道」の担当教員を見てみると、専任教員は全国合計で八八七名に留まっており、この「充足率」は、わずかに一九・三%という低い数値となっている。この専任教員数の推移を見ると、平成十六年度の一、〇五一名から、十八年度一、〇一一名、二十年度八八七名と、漸減傾向に歯止めがかからない状況となっている。
> なお、都道府県別では、最も専任教員数が多いのが埼玉で、開講一九八校に対し専任一一三名、「専任化率」は五七・一%。これに大阪の四二%が続き、以下、千葉、長野、和歌山、熊本となっている。これに対し「専任化率」が低い筆頭は東京で、専任教員数はわずかに一名(〇・四%)。次いで島根の一・八%から、岐阜、長崎、沖縄、山口、石川などの順となっている。
> 特に東京は、二六二校もの都立高校を擁しながら専任教員と兼任教員が驚きの各一名というのは、まさに異常事態というほかないだろう。ほぼ全面的に非常勤講師で充当しているという現状は、芸術教科を「軽視」した人事としかいいようがないと思う。石原都知事に対して、声を揃えて公開質問状でも出してはどうだろうか。
> それにしても、こうした状況を打開するために、「書道」教員の「専任化率」の全国平均一九・三%を、仮に一〇ポイント引き上げるとすれば四六一人の新規採用が必要となり、仮に全国で埼玉の「専任化率」の水準を実現するには一、七四二人の新規採用が必要となる計算で、現状とのギャップは余りにも大きいといわねばならない。
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●全国高校書道/開講状況・担当教員数(公立編)【20年度調査】
…都…∥……………公立高校………………|…………………………公立高校………………………………|採試
…道…∥………………書道…………………|…………………………書道担当………………………………|…実
…府…∥……………開講状況………………|……………………………教員数………………………………|…施
…県…∥学校数…|開講数…|…開講率…|専任…|専任率…|兼任…|臨時…|非常勤…|…計……|…回
………∥………計|…………|…………%|………|………%|………|………|…………|…………|…数
北海道∥…三一六|…一九五|…六一.七|…四七|一四.九|…五四|……四|……四九|…一五四|…〇
青森県∥……八一|……五一|…六三.〇|……六|…七.四|……三|……二|……一五|……二六|…一
岩手県∥……八二|……六一|…七四.四|…一七|二〇.七|…一一|……〇|……三三|……六一|…九
宮城県∥……八九|……三五|…三九.三|……四|…四.五|…一三|……二|……一〇|……二九|…〇
秋田県∥……六三|……二六|…四一.三|……六|…九.五|……七|……五|………九|……二七|…〇
山形県∥……七〇|……五〇|…七一.四|…一三|一八.六|……二|……三|……一一|……二九|…二
福島県∥……七九|……三七|…四六.八|…一四|一七.七|……二|……四|……一七|……三七|…〇
茨城県∥…一〇九|……五三|…四八.六|…一八|一六.五|……八|……八|……一九|……五三|…二
栃木県∥……七四|……四二|…五六.八|…一二|一六.二|……四|……二|……三〇|……四八|…一
群馬県∥……九六|……三七|…三八.五|……八|…八.三|……五|……二|……二四|……三九|…〇
埼玉県∥…一九八|…一三八|…六九.七|一一三|五七.一|…一一|……四|……五九|…一八七|…八
千葉県∥…一八〇|…一四九|…八二.八|…七二|四〇.〇|…二二|……二|………五|…一〇一|…四
東京都∥…二六二|…二二二|…八四.七|……一|…〇.四|……一|……〇|…一二〇|…一二二|…〇
神奈川∥…一八四|…一三〇|…七〇.七|…一七|…九.二|……八|……四|……五七|……八六|…〇
新潟県∥……九七|……九四|…九六.九|…二六|二六.八|……四|……〇|……四三|……七三|…三
富山県∥……四八|……四四|…九一.七|……五|一〇.四|……四|……一|……二二|……三二|一〇
石川県∥……七六|……五五|…七二.四|……六|…七.九|…一二|……一|……二七|……四六|…〇
福井県∥……四一|……三三|…八〇.五|…一〇|二四.四|……四|……〇|……一七|……三一|…六
山梨県∥……四二|……三七|…八八.一|……七|一六.七|……一|……〇|……二八|……三六|…三
長野県∥…一〇六|……八四|…七九.二|…四二|三九.六|…二六|……九|……一四|……九一|…一
岐阜県∥……九四|……六三|…六七.〇|……五|…五.三|……六|……四|……五一|……六六|…一
静岡県∥…一二八|…一一一|…八六.七|…二一|一六.四|……五|……六|……五一|……八三|…一
愛知県∥…二〇三|…一六八|…八二.八|…一二|…五.九|……〇|……一|……九七|…一一〇|…〇
三重県∥……九一|……七三|…八〇.二|…二〇|二二.〇|……八|……三|……二九|……六〇|…〇
滋賀県∥…………|…………|……………|………|…………|………|………|…………|…………|……
京都府∥……七二|……五三|…七三.六|…一三|一八.一|……九|……二|……一八|……四二|…〇
大阪府∥…一八一|…一六〇|…八八.四|…七六|四二.〇|……一|…一四|…一〇五|…一九六|…三
兵庫県∥…一八六|…一六二|…八七.一|…四二|二二.六|…一一|……九|…一一九|…一八一|…〇
奈良県∥……三九|……三〇|…七六.九|…一七|四三.六|……〇|……五|……一三|……三五|…〇
和歌山∥……五二|……四七|…九〇.四|…一八|三四.六|……〇|……五|……二一|……四四|…五
鳥取県∥……二八|……二八|一〇〇.〇|……四|一四.三|……一|……三|……一三|……二一|…八
島根県∥……五六|……三四|…六〇.七|……一|…一.八|……一|……二|……三三|……三七|…三
岡山県∥……九二|……六二|…六七.四|…一九|二〇.七|……六|……二|……一七|……四四|…三
広島県∥…一四六|…一一三|…七七.四|…二四|一六.四|……八|……〇|……三〇|……六二|…二
山口県∥……九三|……六四|…六八.八|……六|…六.五|……五|……〇|……一六|……二七|…一
徳島県∥……六二|……四二|…六七.七|…一四|二二.六|…二八|……一|………七|……五〇|…一
香川県∥……五一|……三六|…七〇.六|…一三|二五.五|……六|……三|……一一|……三三|…二
愛媛県∥……六九|……二六|…三七.七|…一四|二〇.三|……五|……〇|………七|……二六|…四
高知県∥……五八|……四三|…七四.一|…一四|二四.一|……六|……一|……一八|……三九|…五
福岡県∥…一九四|…一一九|…六一.三|…三八|一九.六|……七|……〇|……四六|……九一|…〇
佐賀県∥……四四|……三二|…七二.七|…一一|二五.〇|……〇|……七|……一二|……三〇|…五
長崎県∥……七二|……二六|…三六.一|……四|…五.六|……一|……一|……二〇|……二六|…一
熊本県∥……五〇|……四七|…九四.〇|…一七|三四.〇|…一三|……七|……二一|……五八|…三
大分県∥……五一|……四七|…九二.二|…一二|二三.五|……四|……五|………九|……三〇|…二
宮崎県∥……四九|……二九|…五九.二|…一一|二二.四|……〇|……三|………四|……一八|…四
鹿児島∥……八二|……七六|…九二.七|…一三|一五.九|……〇|……八|………三|……二四|…三
沖縄県∥……六九|……五四|…七八.三|……四|…五.八|……一|…一一|……二一|……三七|…一
…計…∥四六〇五|三三一八|…七二.一|八八七|一九.三|三三四|一五六|一四〇一|二七七八|……
※採試実施回数は過去10年間の合計回数
(情報源/『書道美術新聞』平成21年6月15日付)
前に何度か支援板で、高校教員採用試験の実施状況などの一覧表を同紙から引用した事がある(↓)。以下、参考まで。
http://f35.aaa.livedoor.jp/~masa/c-board358sp2c/c-board358sp2c/c-board.cgi?cmd=one;no=2078;id=
http://f35.aaa.livedoor.jp/~masa/c-board358sp2c/c-board358sp2c/c-board.cgi?cmd=one;no=2980;id=
http://f35.aaa.livedoor.jp/~masa/c-board358sp2c/c-board358sp2c/c-board.cgi?cmd=one;no=3179;id=
同紙の発行元は萱原書房(美術新聞社)。数年ぶりに覗いてみたらサイトをリニューアルしていた(講読してみたい人は各自勝手に検索してくれぇ)。…次号には「私立編」が載る予定らしい。こちら青森の様な公立校中心の田舎と違って、たぶん都会の方々にとっては興味深い記事となるのだろう。