4「批評と臨床」再掲 ( 苹 )
2011/07/19 (Tue) 05:05:04
 ぼちぼち、旧板に書いた稿の転載を始める。
 先ずは結果的に最後のシリーズ物となった「批評と臨床」から。~同じツリーにはNHKでドラマ化された漫画「とめはねっ!」のネタや、「俺の妹が書家になりたいわけがない」といったシリーズ物も含まれていたが、そちらを後回しとする理由は、もうじき青森県教員採用試験の第一次が実施されるから。どれも長文ゆえ、或いは分割投稿となるかも知れない。内容が散漫となった点についてはご容赦を願いたい。
 出来立てホヤホヤの此処=新しい天バカ板を閲覧する人は少ないらしい。余計な話に惑わされずに済む…と云えばそれまでだが、中には書き込みを真に受けた人が居てもおかしくあるまい。そうした人々の、就中「青森県のを受験する教員志望者」達に向けて一言。暗黒面に堕ちた「ダース・苹だぁ」は受験しません(キッパリ)。変な人に掻き回されずに済むので、該当するジェダイの方々(?)は安心して受験して下さい。
 当節試験事情の偵察がてら、言いたい放題の悪役モードで書教育不要論を展開する(させる?)手もあるにはあったけど、今回それはやらない。国語教育を道連れにするのはまだ先の話になる。もっとじっくり調べ上げてから、そのうち一切のタブー無しに根こそぎ揺さぶってやる。当面の敵は特別支援学校ではない。高等学校と義務教育である。~今や苹には斯くの如く空耳が聴こえる。「狂え英霊尊! 切り捨て英霊尊!」(↓)。
http://www.youtube.com/watch?v=TNEUM4F80WE
 …扨て。
 教育界批判を展開する上で屡々、高校書道教員採用試験を実施しない風潮が全国的にある事を取り上げた。しかし必ずしもその事が問題なのではない。もし関係者の誰かが「とにかく実施すればいいんだろ、いい加減に黙れ」と思っているなら大間違いである。それを明瞭に示す点で最重要投稿となったのが下記No.7081稿である。
 以下、グーグルのキャッシュに残っていた記録をサルベージする(ワープロの草稿執筆用ファイルには投稿番号や日時を記録していない)。これは高校統廃合に関する説明会の質疑応答時間に突き付ける予定だったが、シャイな性格の苹は緊張の余り、読み上げる事が出来なかった。仮に発表できたとしても御覧の通りの分量ゆえ、そのまま読み上げたら途中で必ずや「要点を掻い摘んで手短に」などの注意があった事だろう。また統廃合計画は学校数を減らすのが大前提であるから、「第三の道」を持ち出したところでまともに検討されるとは思えなかった。説明会は「説明し、納得して貰う」ために実施される。余計な意見は必要ない。それと同じメンタリティは、原発事故後の企業側対応にも窺われた通りである。

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7081 発表されなかった予定稿 苹@泥酔 2008/04/23 02:16

 年末十四日のグランドデザイン会議説明会に集まった総勢十六名の一人で御座います。その際の発言が取り留めのないものでしたので、本日はざっと纏めたものを朗読します。名前は年末に申し上げた通りです。HNは草冠に平らと書く「苹」と申します。「西尾幹二のインターネット日録」などの保守系サイトに出入りして居ります。

 では本題に入ります。
 昨日の「東奥日報」を見ました。予想通りの展開で、県教委の皆様方はさぞ御負担を感じて居られるだろう事、お察し申し上げます。正直、あれでは効果が薄いと思います。大雑把に云って、学校側の潜在願望に応えていない。昔増やした高校を振り出しに戻すだけでは将来性が感じられない。かと云ってそのまま残せば少人数教育への移行が避けられず、その分だけ県財政が悪化する。逆に云えば、財政負担がどうにかなれば少人数教育でも構わないと見る事は可能な筈です。今日はそうした視点から二つ提案します。
 今「学校側の潜在願望に応えていない」と申し上げました。細かい具体例はネット上で書きましたから省略しますが、兎に角どこの進学校も、受験に役立たない事は教えたくない。にもかかわらず高校である以上は、せめて教えたふりくらいはしなければならない。ならばいっそ、高校でなくなればよいではないか。正々堂々と予備校もしくは専門学校に改組すればよいではないか。高校のままだから角が立つ。名目は高校のままでも中身を変えれば不具合はないと考えた学校が未履修に踏み切る。それが私の見た高校側の意思、潜在願望であります。
 高校の体裁を残すにしろ、可能であれば県立予備校への改組を検討するにしろ、そこには将来性が必要です。ならば最も有望なのはどこか。私は差し当たり、生徒のほぼ全員が大学進学を目的とする三つの高校を民間資本に委ねるか、もしくは県立予備校に改組して、高等学校卒業程度認定試験を経由する方式にしてはいかがかと考えます。教育の多様性は部活動に任せる。どうせ必要なのは最終学歴ですから、結果的には大学を取り巻く方々が出身校の質をランク付けしてくれるでしょう。受験に必要ない科目の人件費、教材費、設備費も丸ごと削減できます。どうしても本来の高卒でありたい人は別の高校に入りますから、それはそれで二番手校の学力底上げが期待できます。また仮に高校のまま民営化するなら、例えば山田高校の様な東京資本の傘下にある私立高校との経営統合を打診したり、或いは有名予備校が高校を抱える形での資本協力や人材交流が期待できるのではないかとも思って居ります。
 これが第一点。「高校教育の分離分割」「高校教育からの撤退」です。

 次に、「教員採用試験の廃止」を提案します。
 そのための実験が既に済んでいる事は皆様御承知かと思います。わざわざ採用試験を実施する必要がない訳ですね。因みに、青森県教育庁県立学校課課長の肩書きで頂戴した2001年10月26日付の電子メールにはこう書いてありました。
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>書道専門の教諭がいない場合でも、他の書道免許所持者が担当しており、学校として不具合がないことから、書道専門の教員を採用して欲しいとの要望はほとんどありません。そのようなことから、書道の試験についても昭和55年度以降実施していないものです。
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 そんな訳で、或る先生から伺ったところによると、具体的には県教委の方がベテランの先生に「誰か紹介してちょ」と電話する仕組みになっているそうです。そこで紹介して貰った人が次の先生になる。この仕組みが実に面白い。
 何年か前、下北の或る高校で書道担当の先生が死にました。そこで人材を補充した。無免許の人を補充したそうです。この点は臨時免許を出せば済む話ですからどうでもいい。「東奥日報」2000年11月10日付に「県教委はここ数年、公立小中高校合わせて一年当たり約百人に交付している」との記事が出た通りであります。一つ興味深いのは、確かその高校では岩手大学書道科を出た先生が国語を担当して居た筈なんですね。学校では国語担当でも、高教研では毎年書道部会に出ていた人です。その先生でなく無免許の民間人に担当させた点が面白い。そこには地域の事情が絡んでいたのかも知れません。大抵の人は書道と云えば流派を思い浮かべるでしょうから、地域に密着した流派の方が、大学で専門の勉強をした人の学習指導要領準拠指導より信頼できるという事なのかも知れません。
 これと同じ理屈が受験教育にも通用します。大都市の場合、学校より塾や予備校の方が信頼できるのは、書道教員より書道家の方が信頼できるのと同じ構図です。因みに東京都の書道教員は「既に20年以上採用がなく、都立、国立に各1名のみ専任教員がいるだけで、110名以上が非常勤講師」だそうですが、最近では他の教科も含めて興味深い動きが見られます。
 「毎日新聞」2007年2月17日付によると、愛知県の場合「90年度には4000人前後だった臨時教職員が、06年度には約1万人と倍増」したそうです。就中興味深いのは、非常勤教員なら「1人の正規教員の人件費で3人は雇える」点であります。「全国約110万人の公立小中高校の教師のうち、少なくとも13・8%にあたる約15万人が教員免許を持ちながら、正規採用されていない臨時教員」となっているそうです。
 また「東京新聞」2007年8月24日付には、こんな事が書いてありました。
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> 大手学習塾などを運営する栄光グループの「エデュケーショナルネットワーク」(東京都中央区)には約一万六千人が登録。首都圏の私立高校を中心に約四百四十校が会員となっている。「必要に応じて、派遣を受けることで人件費を流動化させるとともに、大量退職時代に入り、幅広いルートで優秀な人材を確保したいという事情が学校側にはある」と担当者は説明する。
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 かてて加えて教育再生会議第三次報告を見ると、こんな記述が目に留まります。
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> ・教育委員会や学校は、教育内容の充実に向け、現役、OBを含む社会人等の外部人材に協力を求める事項を明確にし、一定の費用負担を含め、こうした人材を積極的に受け入れる仕組みを構築する。企業もこれに積極的に協力する。
> ・体育、芸術など人材を得にくい地域においては、これらの教員を教育委員会に配置し、複数の学校に派遣する。
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 「企業もこれに積極的に協力する」と書いてあります。「複数の学校に派遣する」とも書いてあります。こうした流れを読むと、自治体がわざわざ自前で教員採用しなくともよい筈です。人材派遣会社か予備校に「紹介してちょ」と電話すればいい。

 本県では2002年に面白い動きがありました。二十三年ぶりに教員採用試験が実施された話です。これのどこが面白いかと云うと、現職の先生方は受験していないんですね。今更試験を実施してどうするつもりでしょうか。誰が新任の先生を指導するのでしょうか。それまで試験自体が実施されなかった訳ですから、現職の先生方は専門のペーパーテストも実技も完全免除です。他の科目で受験し採用された先生が、本来の採用科目とは無関係な科目を担当する形になっている。しかも少なからぬ先生がどこかの社中に属している。喩えるなら、学校の先生が予備校で研鑽を積む様なものです。形式的には学校の先生でも、専門の立場は民間側、すなわち塾や予備校の類の先生です。
 そうした古株の先生方が、専門の試験で採用された初任者を指導する形になる。採用履歴を重視するなら、例えば国語の先生が芸術の先生を指導しても構わない。専門性を重視するなら、民間の先生が学校の先生を指導しても構わない。平たく云えば味噌も糞も一緒で、教員採用試験と教員免許が共食いしている訳ですから、今更専門の採用試験を実施しても手遅れです。
 そこにはもう一つの効果がありました。どうでもいい科目の受験機会を剥奪すれば、そのまま教科差別慣行を維持できる。仮に従来の教科差別をやめるつもりなら先ず、定年間際であろうが委細構わず、古株の先生方に専門の採用試験を受験して貰ってからにしてはどうですか。出来る筈がないでしょう。実質的には予備校や専門学校が高校教育を偽装している形ですから、どうしたって無理が生じます。早急に高校教育から進学専門教育を掬い上げ独立させないと、高校進学率ほぼ100%という異常事態は余計な歪みを抱えたまま、競争効率面でも経済効率面でも十把一絡げに疲弊し続ける事になります。
 後は本格的に人材派遣システムを導入するしかない筈です。管理職は正規雇用、一般教員は非正規雇用という構図を確立し、自ら壊した教員採用システムの後始末をするしかないでしょう。
 因みにドイツの場合は、アビトゥーアという高校卒業試験がそのまま大学入学資格試験となり、これに失敗すると無資格になるそうです。そして大学では博士号を取らない限り、高校のアビトゥーアの資格で終わる。つまり「大学を出た」という印がない。あちらは十歳の段階で高等学校、実業学校、基幹学校の三つに分かれるそうですが、これを本県に当て嵌めるなら、所謂御三家が高等学校、工業高校や商業高校などが実業学校、大学進学者の殆ど居ない普通高校が基幹学校に相当するかと思われます。本県が国際化を目指す場合、こうした事が参考になるなら幸甚と存じます。
 以上、宜敷ご検討下さい。
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8補記~特別支援学校(学級)関連 ( 苹@泥酔 )
2012/04/28 (Sat) 03:11:23
 昨年(2011)、青森県では久々に芸術科書道の教員採用試験が実施された。ただし募集対象は高等学校でなく、特別支援学校の高等部である。その件に少しばかり触れたのが一連の「批評と臨床」稿。
 高校枠と混同すれば2002年以来ゆえ九年ぶりとなるが、特別支援学校の枠組では何十年ぶりの実施か不明である。苹が教員採用試験に注目し始めたのは、記憶が正しければ平成元年の「書道美術新聞」記事が契機なので、見落としがなければ少なくとも二十数年間は採用がなかった事になるだろう。よって高校枠で通算する場合、次回の実施は恒例の二桁突入で、どのみち「十数年ぶり」という事になる(2012年の高校芸術科目は音楽のみ実施↓)。
http://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/25kyousai-jissigaiyou.html
 2002年の前は、県教育庁からの電子メール返信によると「昭和55年度以降実施していない」との事だから、「年」の誤記なら1980年、「年度」そのままの意味なら1979年の試験実施となる。
 青森県の教員募集方法は2009年に少し変わった。ネット上では四月上旬に概要、下旬の連休突入前に具体的な採用予定が発表される二段階方式となった。その事に戸惑った記録が、こちら(↓)の「【再掲】投稿日時不明稿(其一)」にある。
http://imoshiori.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8005106
 そうした経緯を踏まえた上で、ふと目に留まった新聞記事を全文転載する。以下は「東奥日報」2012年4月26日(木)の社説。
http://www.toonippo.co.jp/shasetsu/sha2012/sha20120426.html
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> 担任教員の専門性向上を/特別支援学級
> 特別支援学級に在籍する子どもが増えている。県内公立小、中学校の特別支援学級の在籍者数は小学校961人、中学校490人(2011年5月時点)。07年と比べると、小学校で200人以上、中学校で150人以上も増えている。
> 在籍者が増えているのに教育環境が追いついていない。教員の専門性の確保など、県内の校長の間からも要望が出ているだけに教育環境の充実を急ぐべきだ。
> 特別支援学級は、障害が比較的軽い子どものために、学校に設けられる少人数の学級だ。障害の種別ごと(知的障害、肢体不自由、自閉症・情緒障害など)に学級が設けられており、全体に占める人数としては、知的障害の子どもが最も多い。しかし、特別支援学級の子どもが増えている一番大きな理由は、自閉症・情緒障害の子どもの数が大幅に増加しているということにある。
> 自閉症・情緒障害学級には、障害のために集団での行動や学習活動などにおいて支障があるという問題を抱えている子どもたちが在籍している。学力を育てつつ、社会性を育てるために、子どもたちの障害の状況をよく知り、適切な指導を行うことが重要だ。
> 在籍する子どもが増え、多様化する中で、特別支援学級の担任は専門性を身に付けていることが欠かせない。現実はどうか。
> 専門性、つまり、特別支援教育への理念と教育技術を身に付ける土台として「特別支援学校免許状」があるものの、現行制度では小、中学校の教員免許状を持っていれば、特別支援学級の担任になることができる。「特別支援学校免許状」の有無は問われない。
> 県教委は「特別支援学校免許状を持っている先生が、県内の公立小、中学校にどれくらいいるかは把握していない」としている。文部科学省の資料によれば、全国の特別支援学級担任の特別支援学校免許状取得率は約3割にすぎない。
> 特別支援学校免許状の取得率を高めることが必要だ。免許取得のための認定講習なども行われてはいる。とはいえ、現職の先生が取得するのは容易ではないという声もあるだけに、国、県教委は、免許の取得をさらに促す施策を進める必要があるのではないか。
> 教員の専門性を、継続的に生かすことが重要だ。だが、現状は必ずしもそうではない。赴任した学校に特別支援学級があるとは限らないということ、特別支援学級の担任を決める際は校内人事や先生本人の希望などが影響するからである。
> 「県教委としても、教員配置の際には『この方が適任なのでは』という人事上の配慮もしてはいるが、どの先生が特別支援学級の担任になるかは所持している免許や能力、経験などを見て、最終的に校長が決める」(県教委教職員課)。
> 専門性と経験を身に付けている先生がいる一方、初めて特別支援学級を担任する先生もいる。研修なども行われてはいるが、教員の格差を埋めるための取り組みを充実させるべきだ。
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8邪魔にならないように合いの手! ( ミッドナイト・蘭 )
2011/07/23 (Sat) 06:26:53
ガンガン、行きましょう^^
丁寧な前説で読み易くなっております!
8【再掲】批評と臨床(其九) ( 苹@泥酔 )
2011/07/19 (Tue) 23:45:03
7967 批評と臨床(其九) 苹@泥酔 2011/06/23 20:11

(続ける)

 キルドンム様の指摘にある通り、明治初期は「実用的な教材が組み込まれ」、「その最たるものは書簡文」で、「これが国定化前後から様子が違ってきて、藝術化、精神化へと傾斜してゆく」。つまり現代のみならず戦前とも根本的に教育思想が違う。そこを見落とすと戦前イメージが単純に括られ、学校教育における習字が書道に変貌していった理由自体ひどく曖昧になってしまいかねない。と云うのも、当時は国語そのものが成立途上にあり、言文一致思想による「文語からの脱却」と並行して、早くから英語国語化論なども取り沙汰されてきた。日本語の効率的運用が急がれてきたのには富国強兵上の必要もあり、そうした諸々の意味で国語自体が流動的だった。
 また主に書写教育では所謂「ノメクタ」教科書以降、教材の系統性だの要素別学習だのといった論点が重視されるが、大抵そうした場所では行書先習論など蒸し返される事はない。楷書と平仮名を繋ぐ水脈から行書が排除されると、筆脈は楷書に居場所を失い、漢字は平仮名に来歴を失う。にもかかわらず行書はさも難しい書き方であるかの様に扱われ、それより難しく見えてもよい筈の草書を更に草略した平仮名がさも簡単そうに刷り込まれる。…あれは小学校に入る前だったか、朧なる記憶がある。吾輩は「あ」と書いた。縦線を左に曲げた後、ぐるりと書きながら鏡文字となった事に気付く。模倣に理由は要らない。幼児は理由を考えるべきではないかの様に、可愛らしい子供だった私は平仮名を稽古した。しかしそこに原型たる「安」の面影はない。「安」の書写体(ワ冠を「女」第一画が貫く形)もまた然り。楷書からの書写体排斥が楷書を活字体に屈服せしめ、諸々の筆脈示導システムを漢字からも筆順からも遠ざけていった。
 難しいとか簡単だとか、そんなイメージを誰が決めるのか。読めないものは難しく見える。ただそれだけの事ではないのか。小学生の頃から漢字と仮名の狭間に「排除の論理」を刷り込んでいないか。そのつもりはなくとも事実そうなっているとしたら、たちの悪さでは不埒至極と云ってよかろう。そこでは無自覚の常識教育(…洗脳?)が過去の文化を当然のごとく滅ぼしていく。しかも後になるにつれて、規律指導=躾がいっそう自覚的に強化されていく。無自覚が自覚に変わる時、その衝撃はワーグナーによる舞台神聖祭典劇の第二幕でパルジファルが悟る、あの一瞬と同じくらい劇的となるだろう(↓の動画では2:03以降、ただし英語字幕)。自覚は麻薬患者のフラッシュバックにも似た形で、今度は本格的に漢字と仮名を分かち始める。生徒は既に「虜の主体性」を己がものとして自覚しているにもかかわらず、そうした方向へと「過去に無自覚な教員」や周囲の環境が引き続き仕向けていく。この追い打ちと対比が戦前から延々と繰り返されてきたからには、もう後戻りなど出来る訳がない。敗戦に乗ずるかの様な形で戦前と戦後は連続する。漢字制限も仮名遣い変更も戦後の占領政策による強制ではなく、どれもお膳立ては戦前に概ね済まされていた。
http://www.youtube.com/watch?v=OUu0WU9BZMM
 『WiLL』2011.7号P.282で、渡部昇一先生は小学六年の習字「貼書き」でビリになった事についてこう書いている。「しかし、父は家に帰っても叱りもせず、愚痴も言わずに、ぽつりと「これからの世の中は筆の字の時代でもあるまいからな」と、自らを慰めるように言った。何しろ昭和十八(一九四三)年のはじめで、ガダルカナルから日本軍が「転進」しはじめる頃だった」と。~この時点で、明治十二年の教育令制定から数えるところ六十年以上が経過。その間に書教育は変貌を遂げていった。日高秩父の書いた国定第一期「尋常小學國語書キ方手本」は明治三十七年以降、第三期の所謂「ノメクタ」教科書(第一学年用)は大正七年以降に用いられた。かてて加えて当時の数十年間、巷間では漢字廃止論やローマ字化論、先に述べた英語国語化論などが民間から政府までのあらゆるレベルで蠢いていた。
 総ての国民が活字モダニズムの真っ直中に居た(印刷機を使う新聞社にとって漢字制限は好都合)。モダニズムと機械には密接な関係がある。軍事的には第一次大戦で登場した戦車。それをデザインした機械式腕時計のカルティエ「タンク」。軍艦は大艦巨砲主義から空母の時代へ向かう。戦争交響曲ならショスタコーヴィチ。機械主義と呼ばれた音楽にはプロコフィエフの交響曲二番などがあった。機械が機械を作るさまを映画で描写すればチャップリンが思い当たるし、その気になれば枚挙に遑ない。こうした文脈で「ノメクタ」以降の習字・書写教科書を見ると、指導法自体が機械的原理を要請するのは自然の流れであって、それに付いて来られなかったのは「時代遅れ」の書家達の方…とは言い過ぎだろうか。ただしそこに書写書道教育原理はあるが、実用があるとは考えにくい(アナクロニズムがモダニズムを使いこなすなんて?)。
 アナクロニズムの側が自ら視野をモダニズムの領分まで拡張した所まではよい。アナクロニズムが実用を保守できなかったのは、モダニズムに実用の場を奪われ「ニーズがなくなった」所為ではないのか。…近代化の辺境では廃仏毀釈、国語の辺境では書教育衰退。私には、どちらも似通った経路を辿ったかの様に見えてくる。どちらも百年以上の歴史を経た結果、今では葬式仏教と芸術書道に至っている。前者に残されたのは「葬式という名の実用」だった。ならば後者はどうか。まさか実用書道ではあるまい。~芸術がパフォーマンスを取り込む流れについてなら先日、興味深いNHK番組があった。BSプレミアム「旅のチカラ」の「十九歳 書の心を知る」(2011.6.14放送)。ドラマ「とめはねっ!」で主演した朝倉あきが、西安交通大学の一年生達と書道パフォーマンスを紹介した。老人達が水で道端に書く「地書」や席書との対比に、番組を見るこちらは心痛と云うか羞(おっと、以下自粛…汗)

 またまた閑話休題。(内心、脱線したつもりはないけれど…)
 今更「実用性を取り戻せ」と叫んでも所詮、アナクロニズム丸出しの妄言と嘲笑されるのが落ちだろう。大抵は「書く事」しか見ていない上、「読まれる」対象の方は共食いが前提となっている。先ず活字・楷書・現代仮名が他の書体や変体仮名を食ろうた後、次は食った側が食われる側に回った。すなわち、嘗て活字は書字の模倣だった。それが今では、書字が活字を模倣する様に予め仕組まれている。活字そっくりに書けば書写体の入り込む余地はないし、活字をヘタクソに書けば「味わい深き書道となる」(皮肉)。どうして学校は九成宮醴泉銘みたいなヘタクソな字を倣わせるのか。レタリングの様なウマイ字をやらせればいいのに。多くの人が内心そんなふうに感じているのではないか。そうとでも考えない限り、「書ける人を育てるのではなく、読める人を育てる」てな具合に道を踏み外した苹が反省(自己批判?)を深めるのは難しい。
 「卵が先か、鶏が先か。」~この問いは難しい。しかし「書くのが先か、読むのが先か」なら、教育上は「読むのが先」と相場が決まっているだろう。少なくとも国語教育、漢字の書き取り学習では大概そうなっている。ただし国語教育には重大な欠陥がある。「読む」対象は文章であって、文字は置いてきぼりを食らう傾向にあるからだ。ややこしい文字など誰も読みたくないし、不都合な事は教えたくない。例えば活字の形が「鬱」なら、黙ってその通り読み書きすればよい。書けないなら交ぜ書きで充分。誰も「書写体で書け」とは指導しない。そこでは「書字が活字を模倣する」(関連稿はこちら↓)。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_p_468.html
 戦後、同一の文字意識に属する字体群のバラバラ殺字事件が起こった。その一つが新字体の制定で、これにより字体に新旧意識を持ち込む壮大な国民洗脳が実現した。新字体(モダン)と旧字体(アナクロ)を別物と捉えると、相対的には書写体の立ち位置までもが変化する様に、過剰な整理整頓指向の延長上に波及効果が連鎖すると、より広範囲に文字意識の群体的同一性が損なわれていく。この出来事が活字の規範性強化に役立つのは云うまでもない。当時、最初の障碍は既に克服されていた(明治三十三年の変体仮名廃絶)。
 文章だけが「読む」対象ではない。文字を読み、字画を読むタイプの読み方もある。中には、音声を必要としない読み方もある。もし漢字が音声を必要とするならば、元からある音声と新たに接続された音声との混交文字として、先ず音訓分析が優先される事になるだろう。しかしそれでは「読み方は分からないが、字面で意味は分かる」タイプの読み方が論外となってしまう。~こうした音声優先主義の言語観は西洋から入ってきた。そこに無理矢理「日本語を準拠させようとする」研究者や教育者も登場した。すると必然的に、副次的な意味で「字面を読む」タイプの読み方はアナクロニズムへと追いやられていく。大学では「分相応に」なら研究してもよいが、義務教育や中等教育には相応しくないものとして、ぞんざいに扱われていく。
 …「其一」末尾で先日、こう書いた(↓)。
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> 学校で研究するのではなく、学校を研究するには、時として学校が邪魔になる。学校で学校を研究する場合、時として学校の邪魔になる。その辺が難しい。学校の邪魔にならない場合に限り、学校で学校を研究できる。学校は研究者を飼育するからだ。そもそも学校で研究が許されているとは限らない。研究してもよい事と、研究してはいけない事。その境界を見定めないと、学校という組織に自分を同化するのは難しい。
> 「想定外」という言葉がある。最近よく聞く常套句だが、遣い方によっては「想定内」との間に危険な断層を生じさせてしまう。割れ目にはエロティシズムが垣間見える事もある。期待される恍惚感が絶望的なまでに唆される時、そこでは絶望そのものが甘美となるだろう。つまり「想定外」と「想定内」との間に境界はなく、甘美な何かへ向かう点では共に軌を一にする。排除されるべきは断層の方であって、そこを埋める事によってのみ、言葉もまた無事に埋め立てられるだろう。断層が埋葬されるのか、断層に埋葬されるのか、共に対象を見定めるのは難しい。
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 この「断層」について、キルドンム様との遣り取りを契機に再認識させられたものがある。書教育側から見れば若干の疑念は残るが、ともかく日本人は(曲がりなりにも)国語を大切にしてきた事を。国語に依拠する事でたとい書字文化が滅び行くとしても、活字文化に憑依した国語はしぶとく生き続ける。その証拠が古文・漢文指導における記述様式の捏造。あれを活字に置き換える事で変体仮名は円滑に一掃され、現代国語との接続が却って容易になるのだから。平たく云えば、古典を現代国語の書記様式へと「翻訳」する事により、現代国語が古典を馴致できる様になる。硬筆だの毛筆だのといったマテリアルの差異は(この場合)どうでもいい。それより活字マテリアルを隠れ蓑にした上での、円滑な接続から弾き飛ばされた書字マテリアルの方が、逆に翻訳を要請するタイプの「学術化」に席巻されつつ高等教育側に占有されていく。その場は小さな学術社会。小さな社会が大きな社会を支配できる構造にある時、そうした学術社会は所謂「有識者」達の黒幕であるかの様に振る舞う事ができる筈だが、どのみち胡散臭さと後進的印象は否めまい。それを象徴するのが所謂「白髯長鬚」ではなかろうか…との不安がキルドンム様との遣り取りに過ぎった。書字そのものを想定外とする言語・文学研究が、それとなく活字論文の世界に瀰漫しているのではないか。活字というバイアスに導かれない限り即座には読めなくなってしまった、そんな他者世界が翻訳的属性をグローバルに自己化する…つまり、過去の日本語=古典は既に日本人の言語ではなくなってしまったのではないか。ここでの日本語と外国語は、いったん国語に翻訳してからでないと理解できない点で言語認識上の迂回性を共有する。

 そう考えると、多くの日本人が英語を駆使できない理由に或る可能性が浮かび上がってくるだろう。「(日本語で考えるのでなく)英語で考える」上では音声の優位性が窺われるが、その様な特徴を日本語古典はもはや必要としていない。実用されない死語集積体は専ら「読まれるため」だけにあり、そうした特徴が反面、同じ「他者の言語」たる外国語に反映していくとしたら。
 言文一致を目論む前の日本語は、文語の共通語性がありのまま実用を担っていた。片や音声言語は方言優位。それらを統合するのが言文一致思想に基づく国語であって、文字言語と音声言語の双方に企てられた変化には相応の破壊的インパクトがある。前者の古文は死語化/古典語化に向かい、後者の方言は撲滅へと向かった。かつ前者は字面の姿を変えつつも国語の中に取り込まれ、後者は細々と地元民の間で引き継がれていった。もし、文字言語と音声言語のバイリンガル状態を克服するための思想が言文一致だとしたら、そこでの国語は或る意味「世界の中心」をなす共通語を目指した事になりはしないか。日本人は元々バイリンガル状態に慣れていた。東北弁の人士が九州弁を理解するよりは難しかろうが、ポルトガル語や中国語を学ぶのと大差なき水準で英語を「実用的に」学ぶニーズもそこそこあった。目的は通商と外交。勿論そのための語学力を国民全員が必要とする訳ではない。
 総ての国民が外国語を必要とするケースは日本が植民地化された場合であり、時には支配層たる外人の言葉を理解できるか否かが生死を分かつ。この意味で語学力は或る種の防衛力となる。モダンどころではない死活問題を強調すればするほど、アナクロどころではない無用の長物に冷淡となるのは~例えば(やや時代は下がるが)英語国語化論で有名な初代文部大臣の森有礼あたりにしてみれば、極めて主体的なリアリティの下で切実と映った事だろう。しかしそれは政治家の見方、庶民にも通用するとは限らない。明治初期の教育を振り返ると、世間の実情(行草変体仮名交じり書記慣行)にそぐわない学問的な「楷書先習」は傍迷惑この上ないものだった模様。況んや英語学習をや。それを小学校からおっぱじめたのでは、学ぶ方がたまらない。表向きは義務教育なのに、就学率は低かった。因みに英語が本格的な実学意識の範疇に入ったのは占領期以降。国語(活字優位)と古典的文語(書字優位)との乖離状況が全国規模で浸透した後の話と云って差し支えあるまい。文語は既に国語へと吸収されていた。ところが日本は復興を遂げ占領時代から脱した。実学英語はビジネス英語の領分となる一方、学校英語は受験英語へと傾倒していく。
 断層への自覚を阻む、「英語の分裂」と「国語の分裂」。~一方では実用と教育が乖離し、一方では実用と古典が乖離する。前者には一見アナクロもモダンもないが、後者となるとそうはいかない。歴史認識や文字認識それ自体、文化障壁となる可能性が前々から潜勢している。そこに余計なイデオロギー抜きの批評を差し挟まない限り、臨床状況の抜本的復旧は見込めないのではないかと思う。ただし復旧が改善と云えるか否かとなると、国語教育理念における見解の相違に揺さぶられがちではある。外野に追いやられた書教育側から見れば相変わらずの堂々巡り。そこのところが難しい。

(了)
 …となる予定がすっとこどっこい。この後たぶん補稿が続く。
8【再掲】批評と臨床(其八) ( 苹@泥酔 )
2011/07/19 (Tue) 23:41:47
7966 批評と臨床(其八) 苹@泥酔 2011/06/20 23:25

(続ける)

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> うっ…(汗)。奥様には申し訳なく思ってます。こんなのでも少しくらいは、原発問題に絡む深層心理分析に役立てば、とは思ってるんですけどねぇ………。
>
> 念のため、先ずは「日本習字」の書きぶりについて。~子供向けの手本に限って云えば好ましい部類だと思います。ひたすら平凡で、字面の印象は教科書体活字的。そこから歴史的接点に向かえば文句なしですが、そうならないのは重要な起爆剤となる筈の小楷に入る前に皆「やめてしまう」ため…なんじゃないかと疑ってます。つまり、それを云ったら(「日本習字」に限らず)何処も同じなんですね。義務教育では最も実用的な筈の小楷を教えず、すぐさま硬筆に行ってしまう。半紙清書の左端に名前を書かせて「やった事にする」。それが戦後書教育の一大特徴ではないかと勘繰ってます。
> 抑も実用無視の「大きくのびのび」メンタリティーが悪い。あんなものは表向きの基礎、ごまかし、建前に過ぎない。「授業のノートは総て大きくのびのび書け」なんて指導してみい。学力低下が目に見えているじゃないか。どんなに手本が優れていても、応用にウソがあると「優れ方」が却って毒になる。ところが昔のは全部が応用で、下手でも一癖あっても真っ当に字の役割を果たしている。そこが安心して見ていられる。読めなくても「読める人には読める字」だと推認できる所に安心がある。読む読まないは関係なく、対象認識の前提が予めそこにある。
> 一方、小学生向きのお手本は優れたものほど「ノッペラボー」になりがちで、書く側も教える側も余計な癖をなくそうとする。証拠隠滅するかのごとき態度で書かれた手本を見せようものなら、誰だって「証拠を見つけろ」と指導するより「とにかく真似ておけ」と匙を投げる方が開き直りやすいではないか。証拠は見えないままで、見えないものは身に付かず、果ては「どの教科書を使っても同じ」となる。教科書の解説や構成はあれこれ工夫するのに、手本の字は工夫のしようがない。真面目または単純な生徒ほど「癖字はよくない」と洗脳される。歴史的根拠に由来する癖字も、歴史的根拠の欠如に由来する癖字も、共に(生理的に!)受け付けなくなる。そうなる前兆は戦前、遅くとも大正時代には既に顕在化していた(差し当たっては片鱗が窺えそうな、旧稿からの転載を含む天バカ板の記事を参照されたし↓)。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_tree?base=6785&range=1
> 『WiLL』2011.7号によると、渡部先生が小学六年の習字でビリになったのは昭和十八年との事。その頃どんな習字教育がなされていたか振り返ると、明治に比べれば実用とは程遠い代物。…こちとら競書雑誌で小学生の頃から大正時代の「尋常小學書キ方手本」(乙種)に慣れ親しんできた時代錯誤者でやんす。月例手本とは別の頁にほぼ毎月連載されていた。だからレベルの高さも低さもよく分かる。月例手本(昭和戦後)よりレベルは高いが、幕末や明治よりは圧倒的に低い。教え方も学び方も変わった。昭和初期と云えば鈴木翠軒揮毫の甲種教科書が有名だが、線の顫えの数まで一々数えて指導したエピソードが残っているくらいだから、既に教育自体が末期的だった。当時の書道は芸術扱いされようと背伸びし、もはや実用書道の時代ではなかった。
> そんな観察などを義務教育末期の趣味としていた苹にとって、高校入学直後と教育実習とでは感覚に殆ど差がない。実用書道と芸術書道の狭間で置いてきぼりにされた教育書道の残滓がどの程度まで高校書道に反映しているか、学ぶ立場で観察を楽しんだ。高校書教育に限界があるのはすぐに分かる。最初は楷書古典だが、古典学習する前の基礎は諦めねばならない。仮名は初めから平安時代の古筆。基礎となる実用書道の仮名は完全無視で、明治維新以後に壊滅的な打撃を受けた影響が如実に残る。(以下略)
>
> …で、(奥様からのレスを読んで)急遽ここから話を端折る事になるんですけど、とどのつまりは原発そのものが「戦後」の転向、すなわち「平和利用」の文脈で制度化された点が問題なのね。見立て換えるなら、嘗て日本が真っ当な国際化(植民地化に非ず)を目指す上での迎合的国語改革に及ぶ過程で、どことなく似通った面を私は双方の狭間に感じ取っている訳でんな。今や少なからぬ日本人は、自然エネルギーに日本回帰と国際化の両方を幻想しているのではないか。言葉でものを考える、その仕方を「国際人」に牛耳られている可能性に我々は盲目となって…と云うより、寧ろ自ら放棄しているのではないか。
> ここで語っている事は或る意味、言葉の奴隷論でもあるのです。そこに菅政権の根本的な見込み違いがあったのではないか。言葉は日本精神の領土である。そこを牛耳られた状況に抗おうとしたのなら、菅政権は最も皮肉な意味で愛国的だった事になりはしないか。そうした側面への踏み込みがなされぬまま、単純な愚劣政権としての扱いから愛国心がルサンチマンに変化していくとしたら。
>【2011/06/09 00:12】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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>>奥様に
> どんどん支離滅裂になっていくようで本当にすみません。勿論、苹さんのせいではなく、小生が無理やり詰め込もうとしていた結果で…。何とか結げますので、もうしばらくのご容赦を。
>
> 確かに明治の頃からの書写教科書が数はそう多くないながらも展示してあった。書者はよく覚えていないが巌谷一六とか比田井天来(もしくは岐阜ゆかりの人)とかがあったような気がする。その鈴木翠軒というのも。ただ、昭和二、三十年代ごろのを意図的かは知らぬが、目立つように置いていた。小楷の件はどうだろう。自分の記憶では「かん なおと ろくさい」(あっ、これは平仮名か)ばかりでなく、ちゃんとしたものも少しはやっていた筈なのだが。
> 「ノッペラボー」か…。先に書いた唐隷(本当は八分と呼ぶべきかも)に感じたのがまさにそれだった。実用から遊離すればそうなってゆくのか。
> 高校の時、学校図書館にあった明治以来の教科書の復刻本をめくっていると、尋常学校書写の教科書がそれこそ今(昭和五十年代末)の高校以上の水準だったのに一嘆したことがある。ことに行楷の『三字経』には狂喜して早速書き写したのだったが、あれは誰の書だったのか。明日にでもまた職場で確認するつもりなり。
> 手本で思いだしたが、一時期の大陸では毛沢東崇拝のあまり、毛の書蹟を手本として習う人が続出したという。あれって初学者にはどうなのでしょうね。少なくとも小生はこれまた心理的不安に襲われること観峰師の比にあらず。
> 毛というと(強引に話題転換)、チベットの奥地には今なお彼を文殊菩薩の化身と信じ、ダライラマと共に肖像を仏壇を祀っている家があるという(王力雄『天葬』。この本の話はいずれ「竹林」でする計画)。これは善悪いずれをも問わず、強大なパワーを発するものを「神」として崇拝するというチベットの神仏観に由来するとのことであるが、してみると福井の高速増殖炉に「ふげん」「もんじゅ」の名をつけたのは極めて適切なことだったことになる。いったいどこのアイディアマンが考えたのかは知らないが、少なくともその人は「仏力」を解き放つことの恐ろしさを無意識にでも感じていたのであろうか。
>【2011/06/10 00:13】 URL | キルドンム #m7FpRJaE [ 編集]
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>>「かん なおと ろくさい」
> うっ…。こんなAA(↓)をウッカリ思い出しちまった…(orz)。
http://guegue.blog73.fc2.com/blog-entry-1992.html
> 冗談はともかく、懐かしい話題が色々と出てくるなあ。「我日本一稱和」で始まるのは大橋順蔵(幕末)の「本朝三字経」か。例えば埼玉県で使われた明治九年三月刊の『下等小學七級六級科習字本』がそれで、筆者は高斎単山(当時は各県で教科書発行)。他に見た事あるのは村田海石の書で、どっちも巻菱湖の門流、すなわち後の国定手本時代で云うところの乙種系でした。出てくるのは神武から秀吉まで。あんなの昔やってたんだなあ。先ず下等小学校八級に入学して半年に一級ずつ上がり、下等小学一級の後は上等小学八級、そこの一級を終えたら小学校卒業で、優秀なら飛び級もアリ(明治五年の学制施行から十二年の教育令制定まで)。そんな世代が日露戦争で活躍したんだろ。同じ六歳でも、学んだ教材からして「かんなおと」や私とは大違い(苦笑)。
> 唐隷は時代性の印象が強烈でした。強いて似通った漢碑を挙げるなら乙瑛碑か。…そう云や顔眞卿の多宝塔碑の題額が唐隷で、本文の楷書に通じるクドさが初唐とは大違い(欧陽詢の九成宮醴泉銘の場合は篆額)。元代は骸骨みたいな隷書が流行り、清代に考証学・金石学絡みの篆隷ルネサンスがくる。実用から乖離と云っても色々で、ただの学力低下とは別の衒学的篆隷に~あれは属するのでしょう。尤も、細かい事を云えばここ半世紀の書法解釈では中鋒が主流の様ですが明治時代は露鋒含みや篆筆の応用が多く、あたしゃ高校時代その違いの書き分けを面白がってました。また毛沢東の書と云えば狂草くらいしか思い当たりませんが、かなりの達筆である事は認めるにしても初学者向きとは思えません。
>(以下、ふと思った事。)
> 先日『WiLL』の西尾先生稿を読み、「天使のような侵略」って表現に着目しました。薄々そこに感じていた既視感の正体が判明。あれは「日録」中の文言でした(↓)。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=788
>「西洋文化は調和と進歩、文明と破壊の二つをもつ双面神だったので、進歩と破壊だけが入ってきたのではない。背後にある調和と文明も同時に入ってきた。」
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=789
>「私はたったいま「進歩と破壊だけでなく調和と文明をもたらした」と言ったのであって、「破壊だけでなく進歩をもたらした」と言ったのではない。「進歩」と「破壊」は私の文脈では同義語なのである。」
>【2011/06/10 22:51】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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> 「かん なおと ろくさい」よりも「一ねん 六くみ かんなおと」の方が良かったかと、投稿直後に思いましたが後の祭り。
> 『日本教科書大系』であの後確認したところ、村田海石の書でした。『本朝三字経』(こちらは小楷)も同じ。他の頁をみると…。長三洲のもいくらかある。この前目睹したのはこれだったかな。
> 確かに、当時は実用的な教材が組み込まれていますね。その最たるものは書簡文。これが国定化前後から様子が違ってきて、藝術化、精神化へと傾斜してゆくというのがよくわかりました。
> ついでに今の子供たちはどんなものかともう一度棚に近寄り、某社刊の小学校書写を一年生用から開いてみると…、ああ、これは…。一貫して硬筆中心か。ようやく三年生になって毛筆が出てきたかと思うと、一瞬だけですぐに消える。四年以上も硬毛併用になって六年に至る。小生の頃は、三、四年の間に毛筆に完全移行していた筈なのですが、記憶違いかも。いずれにせよ、「かん なおと ろくさい」の世代の場合も毛筆ではなく、フェルトペンとあいなることに。それはともかく、いつから毛筆を使い始めたにせよ、管さんも今は職務上毛筆を使うことがある筈だが、どんな書風でしたかね。花押は…。
>【2011/06/11 22:48】 URL | キルドンム #m7FpRJaE [ 編集]
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> いまどき花押なんて使う政治家いるのかなあ。訪中した小泉首相が揮毫するシーンをテレビで見た時は「世が世なら国辱物か」と思ったけれど、そんな気分は民主党の誰かが書いた色紙の「交代政権」または「政交権代」(と読めた)で吹っ飛んじまいました。国交回復時に署名する田中角栄の方が遙かに達筆に見えた。ただし中国側は例の手首をクイッと擡げた把筆で、日本側は例の「仮名も書ける」やつ。撥鐙法だか鵞頭法だか知らぬが、どうせ漢字で署名するのなら相手国の伝統と互角に渡り合う気概を把筆で示す余裕(教養?協調性?)くらいは欲しい。仕草ひとつで印象が変わる事に、田舎者の苹は少しだけ敏感(僻みっぽい?)なのかも。あたしゃテーブルマナーなんて知らないもんね。
> 「専門家」が社会的人間の権化だとするならば、「専門」は差し詰め裸の人間の営みか。その蓄積が四方八方で悪食すると怪物が生まれる。そこが素人と異なる…専門家と玄人が違う様に。怪物たる玄人に教養の実践を見た時の感動は凄まじく、そこんとこが専門家と一線を画す特徴になるのかな、と(ここで画工と文人の違いを想起)。専門家になりたくてなる訳ではあるまい。ならざるを得なくなる様な、何か宿命的な限界が専門そのものを呪縛してしまう。かてて加えて、この宿命を制度化する上で教育が一役買っている。ファウストとワーグナーを最も公平に見つめてきたのが実はメフィストフェレスだったのではないかと思うと、天使の様な誘惑に誰が抗えようか。
> そんなふうに妄想していくと、星条旗のメフィスト・ワルツに乗って踊る自分の姿から逃れたくなる気持ちも分からぬではない。鏡の向こうでは海を隔てて中国や朝鮮半島が微笑む一方、陸続の鏡を覗けばドイツとフランスが微笑み返す。(…と云っても、最初に微笑んだメフィストは日本のフクシマに宿ってたりして。)
> …唐突ですが今、久しぶりにリップス『いまなぜ金復活なのか』(徳間書店)P.228「フランスの罠にはめられたドイツマルク」近辺を読み返してます。無関係なら、それはそれ。
>(…と書いた数時間後「日録」拝読。)
> まさか追悼文に十年前の菅直人ネタが出てくるとは。~ちと気になって画像検索したら上記色紙の人は岡田克也。角栄は思ったほどでなく、また小泉も思ったほど下手でなかった。そんでもって…菅直人の書いた色紙は本文が小さく署名が大きかった。なんてこった。
>【2011/06/13 00:56】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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 なお「本朝三字経」については、高斎単山の図版を「つくる会」東京支部板に載せた(↓)。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_r_718.html

(続く)
8【再掲】批評と臨床(其七) ( 苹@泥酔 )
2011/07/19 (Tue) 23:38:26
7965 批評と臨床(其七) 苹@泥酔 2011/06/17 19:33

(続ける)

 どの時代も、アナクロニズムからの脱却を目指す進歩的教育には相応の大義名分がある。例えば戦前の悪しき歴史を振り払い、自分がさも進歩的であるかの様に新憲法や平和、民主主義、或いは共産主義などを賛美すればどうなるか。過去の亡霊が自分の中で甦る間もなく、有り余る教育的熱情がこれから始まる日常を広島・長崎のごとく「残らず焼き払ってくれる」だろう。すると現にそうなった。彼らが賛美したものは既に戦前からあったものばかりであるにもかかわらず、総ては戦後から始まったかのごとく振る舞う事で皆が忙殺されていった。…それは美徳である。多忙になればなるほど、仕事は美徳らしさを周囲に振りまいていく。だから他者と同様、教員にも可能な限り多忙である事が要求される。いったん立ち止まり、考え、何かを振り返ろうものなら忽ち、周囲には怠けている様に見え始めるらしい。既に出ている「結論」としての教育内容を疑ってはならない。専ら忠実に生徒へ叩き込むのが教員の仕事である。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-06-04/2006060401_04_0.html
 そんなふうに極端な覚悟を仮構すると、たとい間違っていると思える事でも平然とやってのける胆力が必要になる。例えば数年前は予算不足のため、生活保護申請を受け付けない方針の「北九州方式」が忠実に実践され、遂には餓死者が出るに至った(↑)。こうした例は公務員に限った事ではない。要するに「無い袖は振れぬ」状態では何も出来ない。しかし時には敢えてそれと似通った環境を整える事で、実害なきまま「選択と集中」を達成できるケースがある。その一つが前述した全国規模の教育偽装、未履修問題だった。履修させなかった学校が悪いのではなく、それを問題視した文部科学省が悪い。百歩譲って履修させたとしても、内容スカスカの消化授業に徹すれば生徒は勉強せずに済む。そうした授業を下支えする理論的支柱の一つが、これまで余り語られてこなかった潜在意識としてのアナクロニズム批判と云えよう。…そんな角度から纏め直すつもりでいたところ、こちら天バカ板では懐かしき常連の一人、キルドンム様から反応があった。
 氏は苹と違って正真正銘の研究者であり、中国哲学を専門とする。大学で教える傍ら教科書編集に携わるなどの多忙な日々を送っているらしい。著書も数冊あるそうな。そんな碩学と遣り取りできるのはネット掲示板あっての事。書き込みがある度、いつも有難く思っている。

 以下に一連の遣り取りを抄録する(「其三」附録のリンク参照)。~本来は原発ネタの筈なのに、書き手が二人ともアレなもんだから(?)、いったん脱線すると少なくとも苹の側では途端に面白くなっちまって、書きたい事が蛆虫の様に湧いてくる(汗)。すると困るのがブログ主たるセレブ奥様。こんな読者に付き纏われるブログは幸なのか不幸なのか、抑もの張本人たる苹は相も変わらず、とんと判断がつかぬ有様(orz)。蛹はやがて蝶となり、蛆はすぐさま蠅になる…。(ここで十数年前のお気に入りを一句。~蠅は我が友、叩いてくれろと呻き声…)
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> 正直に言おう。かなり動揺している。ことによると明日、長年にわたる「信念」が覆るかも知れないと思うと…。期待でわくわくする。
> 幼い時から豊田有恒氏の著作を読んでいたからか、それとも情緒的に原発反対を叫ぶ連中への反発からか、三里島(三里塚にあらず)を経ても苦艾(苦界)を閲しても、揺らぐことのなかった筈であった。無論、原子力が代替エネルギーとしては極めて不完全であること、結局(現在の技術水準では)国外に依存せねばならぬ点、火力と大差がないことは承知していた。それなのに…。一昨年など、敦賀湾を挟んで望見しながら夫婦して「原発万歳、関電に栄光あれ」を叫んでいたのである。
> 冷静になると知識と思考とがそぐわない状態になっていたことがわかる。明日の論議の行方次第では、ふたたび「信念」を取り戻し、安きに置くこととなるか、それとも自己存在の危機に臨むこととなるか、いずれにせよ覚悟はできている。
> うさねこさんがハイデガーに言及しておられたが、こちらも『WiLL』を読んで同じ聯想を。また色々とご示教を乞いたいと思うが、平泉先生ならどう考えるか、保田與重郎(あの義仲寺の墓銘の件、被葬者の自筆のような気がしてならないのだが確認できず)なら…と妄想は尽くることなし。
> 二週間前、帰省の帰途久方ぶりに觀峯館に寄る。錢慧安とかいう仕女画専門の画家の特展をやっていたが(そちらはともかく)常設の碑や条幅を看ているうちにかなり不安定になりつつあった心理が常態に戻ってゆくのを感じることができた。この過程どうも説明しづらい。苹さんにならうまく解説してもらえるだろうか。
>【2011/06/04 00:40】 URL | キルドンム #m7FpRJaE [ 編集]
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> 「觀峯館」って…もしや「日本習字」の原田観峰とかいう書家のアレかしら。よく知らないけど、色々それなりに蒐集してたみたいネ。因みに私の場合は、この名前を聞くと心理状態が思いっきり不安定になります(懊悩)。正直、あれは理解できない。どの辺から来ているか想像はつくけれど、それにしては異様な気配を感じる。
> ヌメッとした質感に和様を見ようとすると肝腎の御家流が抜けてるのが鼻につく(かと云って勘亭流の安定感もない)。蛇行する線に~例えば空海の崔子玉座右銘をこじつけると困った事になる(むしろ益田池碑に近い?)。まして武田双雲と比較しようものなら書家の百人が百人、みな一様に頭を抱え込む筈。この過程、確かに説明しづらい。それを仮に「自己存在の危機」と表現するなら、キルドンム様の御覧になった常設展示が私の不安を直撃するものでなかった事を切に祈りたくなるのでやんす。
> 或いは完全に解釈の方向ズレてるかも知れないけど、…こんな具合で如何?
>【2011/06/05 00:35】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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> 追記…。たとい観峰老師の書に胡散臭さを感じるとしても、小学校レベルでは習字の質が極めて高いがゆえに、落差すなわち「書道との断絶」が衝撃的なんです。それを癒してくれるのが良質な蒐集品だったりした日にゃ、アンビバレントな感情はいっそう裏切りの度を深くする。確かに優れている面は大きいんだけど、その「優れ方」自身の力(そこに寄せられる信頼)あるがゆえに後が続かなくなる。学びを享受する側は、このまま信頼し続けたい。ところが中学、高校へと進むにつれて、学びの対象が学び自体を裏切っていく。
> ムリヤリこじつけると、原発の優秀さは小学校レベルの基本(事実であれ理念であれ)でしかない。そこから先が、進めば進むほどおかしくなっていく。しかも「先に見えるもの」は、後ろ向きに振り返ればまともだから厄介だ(高度な歴史の中に基礎・基本が内包されてある)。ところが更に振り返った途端、基本は歴史を裏切ってまで過剰に前を向いてしまう。
> 私が前稿で御家流に喩えたものは、もしかしたら開国前と戦前を混同させるモダニズムの罠だったのかも知れません。日本文化は大事だから大いに初学して欲しい。そこから先は進歩を阻むので学んで欲しくない。その絶妙な両立が成し遂げられるなら、教育上これほど好都合なものはない。他方、「臭いものに蓋」へと向かうべく仕立てられた御家流は、敬遠されながらも「和」の幻想を抱えたまま持続し、やがて鰻屋の煙で飯を食う様な「つましさ」の下で自己抑制の規範となっていく。
>【2011/06/05 18:51】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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>>キルドンムさま
>私もきっと原発を目にしていたら、そう心の中で思ったかもしれません。
>
>>苹@泥酔さま
>お習字は小学生どまりでいいってことですね。
>そういえば、思い出せば、基本が出来ていないのに、応用って感じ。。。
>【2011/06/05 21:08】 URL | 奥様 #- [ 編集]
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> 拝復。
>>お習字は小学生どまりでいいってこと
> …うーん、どうかしら。お習字と云っても今と昔では中身が違うし。昔のは要するに実用書式で、具体的には往来物や女今川などが習字の「初歩」にあたる筈。ところが今は実用を前提しない手本準拠型。そんな鸚鵡返し作法を学問や仕事に持ち込めば、例えば東京電力側の模範的作文に瑕疵のありよう筈もない。事故に際し本気でああ言ったのだろうと思ってます(言い逃れでも何でもない、純粋無垢の想定外)。この手の「近代的な学び方」を日本人は明治以降やり過ぎた(渡部昇一先生が『WiLL』新連載で描写した様に)。
> 基礎基本に目が釘付けになると、その先に目を向ける余裕がなくなる。過度の準拠競争で「基礎は難しい」と逃げ腰になった挙句、基礎範囲のつましき狭隘化に向かっても己が近視眼には気付かない(教材が過度に平易となっても競争自体は相対評価のまま)。想定内の基礎はより厳密に硬直化する一方、想定外の応用は基礎からますます遠離る。そうした「硬直化」が同時に高品質(模範的)でもある姿を、「日本習字」等々へと遺伝した「優れた指導」に垣間見ている訳です。
>【2011/06/07 00:48】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]
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> 週末、色々ドタバタしていましたが、まずは「觀峯館」のことについて報告。常設の方だけど、実のところ蒐集主自身の作品は、そんなに多くなかったのね。ただ入口近くにその生涯を展示したパネルと、竹枕に行草を書いたのがいくつか、それに一昨年の大河よろしく「愛」と大書しているのが置いてあったのみ。確かに苹さんのご指摘の通り、何やらぬめっとした薄気味悪さは感じていた。パネルの年表も突っ込みどころに満ち満ちていたし、何より蒐集主の風貌が如何にも胡散くさく…。
> 張大千の例もそうですが、藝術家、それも白髯長鬚の輩には何やら得体の知れぬいかがわしさを覚えますな。いかがわしいからそういう姿をとるのか、それともその姿をとることによりいかがわしさが倍加するのかはともかく、かつて大学生の時分に書いていた未完の習作(書の方ではなく、小説)に「例の考古学者」こと「礼野大三郎」なる白髯長鬚の怪人物を造形したことがあったが(実は小生の堂号の隠されたネタ元であったりもする)、すでにあの頃からキルドンムの怪しい物好きは片鱗を見せていたということになる。…白髯長鬚か。いや、今の口髭は実用目的なのでそれとは違いますが、(放射能をものともせず)七十くらいまで無事生きのびることができたなら、また考えてみないこともない(汗)。
> 閑話休題。そういうわけで蒐集主の書には確かに本能的に危険性を感じていたが、ごく僅かな量だし旧蔵者に対する礼儀もあり一瞥するだけでそのまま先に進んでしまう。どうも五家荘のあそこは蒐集品が中心で、当人の作品の大部分は京都にある別の美術館にある模様(実家を出発する前、小生たちが觀峯館に寄るつもりだと聞いた母親から『それは京都にあるのか』と尋ねられた。何やら無駄に知られているらしい)。そちらの世界のことはよく知らないのだけど、原田観峰とか「日本習字」とかってあまり評判がよくないのかな。ある程度は想像もつくが是非とも業界の内輪の話が伺いたし。
> そういうわけで誰が持ち主だったかは一応視野の外におく。思い返してみると熱河の避暑山荘や三希堂を復元してあるのはまだしも、庭にトンガだかサモアだかの石像があったりするなど実に変な博物館ではあった。何故出身地でもない五家荘にあれが建てられたのかも(一応、門人の一人の郷里だったからだというが)、裏でドロドロしたものがあったのでは。
> 常設(?)では、書の歴史をなぞるようにして碑拓や明清代の書画(前回、独身時代に行った時には阮元や最近、尖閣がらみでも名が語られるようになった銭泳の書があった)の展示が中心。「心理の安定」云々と言ったのはそちらを看てのことです。もっとも唐玄宗の「紀泰山銘」を原寸で壁に貼ってその大きさがわかるようにしたのがありましたが、それを観た時、漢隷とのあまりの違いに愕然となったりはしましたが。
> そういえば昭和三十年代の暮らしのコーナーとか、明治以来の書写教科書の展覧もありました。遺憾ながらそっちの方の知識が乏しいので、苹さんにうまく誘導してもらえないと説明も困難です。
>【2011/06/08 00:11】 URL | キルドンム #m7FpRJaE [ 編集]
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>>苹さん
>>キルドンムさん
>この話には全然ついていけません。
>って、 苹さんの話にも最初からついていけてませんが、比喩というか、あてはめて考えるあのやり方はいつもとても面白いと思っていますが、、、
>
>お二人の世界でどうぞ・・・・
>【2011/06/08 22:29】 URL | 奥様 #- [ 編集]
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(続く)
8【再掲】批評と臨床(其六) ( 苹@泥酔 )
2011/07/19 (Tue) 23:34:31
7964 批評と臨床(其六) 苹@泥酔 2011/06/14 01:36

(続ける)

 こうした場面では「役に立つか、立たないか」といった判断に、特定利益と絡みやすい「誰の」「何の」といった指標が優先的に絡み付く。例えば競泳水着とは別の領分でムタンガやビキニがファッションの一種となるだろうし、機能的な筈のスクール水着は今やフェティシズムの、すなわち「萌え」の対象となった観がある。…指標は時代と共に変化する。クオーツ革命以後の機械式時計が時代を遡り、所有者は庶民から富裕層へと逆戻りした様に。1960~70年代に普及した庶民向け機械式は先細りし、今では相対的にも実質的にも機械式と云えば高級品か「純然たる趣味の領分」をイメージするのが普通だろう。そんな具合に棲み分けが進む結果、いづれにしろ「空気を読む」方向での判断が前提となり、やがて判断自体が印象を制約していく。学校の印象にもそれぞれランクがある様に。試験の採点者や教員各々とて、学問上の良心にのみ縛られる訳ではない。その事がよく理解できるからこそ、学問との不整合を一方的に糾弾するのは自ずと躊躇われてくる。そもそも学問がしたくて学校に通う生徒は殆ど居ない筈。ならば生徒や保護者達のニーズに合わせた(媚びた?)内容の授業を歪曲する慣行にも「やむを得ない」面はあろう。教諭であれ講師であれ、現場の実態を知り、慣れてくると自然、いつの間にか「自分の判断を現場に合わせる」様になる。するとそれまで当たり前と思えていた筈の事に、却って新鮮味を覚えたりもする。
 昨年、松村茂樹『「書」を考える』(二玄社)が出版された。帯には大きく“書は学問とつながっている”と書かれてあった。それが宣伝文句になる事に苹はたじろいだ。おそらく現場では誰も本気で信じていないスローガン(?)の「書は芸術である」なら巷間いくらでも溢れているのに、「書は学問」などとよく赤面せずに言ってのけるものだと逆に感心した。そこに私自身、判断の揺らぎがある。試験段階から持論を曲げずに不合格となったり、仮に現場に入り込めたとしてもクビになっては元も子もない上、そもそもどんな教員が求められているかも分からないとあらば、気弱にならない方がおかしい。しかし或いは、それでいいのかも知れない。かと云って、過剰に開き直るとどうなるか(戯画化してみた一例↓)。
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 …書をかいてよいのは書家だけである。書が読めてよいのも書家だけである。書を観てよいのが書家である。ただ書家だけが、書を独占できる。書けもしない奴が四の五の云っても、書家の耳目には届かない。うまいやつは、黙って書くものだ。書家でないやつは、何も云わず、ただ楽しんでいればよい。「書道を楽しむ」…そう、NHKの教養番組にありそうなフレーズが、ひたすら外に、こだまする。やがてむなしく消えていき、後には何も残らない。…それは本当に聞こえたのだろうか。否。はじめから音などあるわけがない。それは幻聴だ。「書道を楽しめ」という遠吠えだ。作品は黙して語らない。だからこそ、うまいやつだけが、書を語る事ができる。うまければうまいほど、その言葉は大きい。そして、その言葉は、書家でないやつには聞こえない。書家は常に孤高であれ。
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 以上の言葉が、どう読めるだろうか。傲慢かも知れない。馬鹿げているかも知れない。納得する者が居るとしたら逆に驚きたくなる。その驚きが書をおびやかすのだろうが、大抵はなんとも思わないのではなかろうか。そうした世界が書の安全地帯である。誰にも振り向かれず、たまには振り向くふりをしてくれる人に出会い、そのくせ本気で振り向かれたら困る。とどのつまり、振り向かれる事に慣れていない。書く事だけで精一杯なのに、それ以外の仕事までしていたら身が保たない。しかし中には変人も居る。色々な事に手を染める(或いは北大路魯山人の様に?)。一部は趣味人とか知識人と呼ばれる事もあるらしいが、下手をすると傍目には「書家でなくなる」ので按配が難しい。
 かてて加えて、国際的視点を巻き込めばこうなる(↓)。~セレブ奥様ブログへのコメント抄録。
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> 以下愚痴。~ネット検索中に偶々、へんなものを見た(↓)。
http://www.transcri.be/text/Japanesethesisfinal.pdf
> 指導教官がNHK教育の高校書道番組を監修した東京学芸大学教授である点を差し引いて控え目に云うが、この外人の感想文はひどい。外人の目に映る書字文化は所詮こうなってしまうのだろうか。判断基準はあくまで西洋文化の側にあり、「字は読み書きできるのが当たり前」という視点がスッポリ抜けている。
> 尤も、今の日本人なら「俺達だって読めないんだから、昔の人も大方は読める訳がない」と言い出すのかも知れないな。それを真に受けた外人が本気で確信し始める。…たぶん連中は知らないのだろう。日本の中学校では国語科書写の授業が義務づけられているが、実際は殆ど実施されていないか、もしくは極度に低レベルの歪曲教育が常態化している事を。そしてそれを多くの人が当たり前と思って居る事を。既に書字の歴史が断絶しているのは認めざるを得ないとしても、さりとて取り返しがつかぬほどではない。半世紀前、贔屓目に見ても三十年くらい前まで、それなりに書道人口は多かった。四十年前の田舎なら確実に、猫も杓子も「お習字と算盤くらいは」と習わせた。その前の世代が珍しく書道ネタに触れている。『WiLL』2011.7号P.281辺りに記述がある渡部昇一「書物ある人生」新連載。
(以下略)
>【2011/06/01 00:32】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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 …先夜、奇妙な夢を見た。なんとなく気になって書き留めたのは三月末頃だろうか。
 その学校では、教育実習生(?)が無給で用務員をする。この実習生、どう見ても若者ではない。それもその筈、教員採用試験受験機会と同様に教員免許更新機会を政策的に奪われた人々が、実習名目で用務員化する訳だ。そこでの人事評価次第で、うまく行けば免許更新機会が与えられる。もちろん依然として採用試験はない。この用務員は通常の用務員と同じ仕事をするのではなく、教員を補助して授業に関連する雑務を引き受ける。云わば教員の負担軽減のために新設された制度における「実習生」であって、教員から命じられた通り行事や授業の準備はするが授業はしない。また無給である点は、教育実習生とボランティアの中間的存在と云えるかも知れない。
 主に、定年退職後も学校教育に関わりたい「元」先生がボランティア参加する。既に教員ではないから免許も試験も必要ない。しかしそればかりでは高齢化が目立つから、いくつかの教科・科目では予め採用試験そのものを事実上廃止し、「いつか受験できる」余地に期待する相対的若年層を含めて一括りにする。ただし授業するのは正規の教員で、そちらには免許更新機会が予め保証される。~念を押すが、これは戦後書教育の実績を踏まえた夢想モデルであって、現実の話ではない。
 例えば或る日、その県では国語の教員採用試験が実施されなくなったとする。毎年、それなりの数の定年退職者が出る。その分を英語や歴史や数学などの先生が穴埋めする。よって彼らは本来の科目の教員である一方、正規の国語教員でもある。彼らには充分な国語力があるので、現場として不都合はない。教員養成する大学側も、副免許としての国語に対応すべくカリキュラムを組むので支障はない。それが差し当たり十年ほど続くのである。
 …大体そんな夢だった。ここでは試験を実施したりしなかったりする不安定さが、或る種の「裂け目」を時間のズレに内化する。


●批評的アナクロニズムと臨床的モダニズム
 学校は教育的臨床現場である、との趣旨を「其一」で書いた。仮に臨床の側がモダニズムの立場を採るならば、その評価もまた同じモダニズムの基準でなされねばならない。生徒相手の場合は成績評価や成績評定などと呼ばれ、教員相手の場合は一般に勤務評定と呼ばれるらしい。基準次第で学習指導要領や教科書などの解釈は変わり、その解釈にどれくらい合致しているかを~つまり差異を評価する上で基準は反復して適用される。それに対して批評の立場は時に基準そのものを疑う。その意味で批評は臨床にとって禁忌となりやすい。基準に好意的な批評は準拠システムの発展や強化に役立つが、そうでない批評に於ては話が逆となる。
 古典は元々、その古さゆえにアナクロニズムを内包する。
 これまで観察してきたところ、臨床的アナクロニズムを批評的モダニズムの立場から変質させようとするのが学問の立場であり、またそうあるがゆえに、例えば書道は学問ではないらしい。学問にアナクロニズムを持ち込もうとする例…と云えば、ここ十年余りの騒動、すなわち「つくる会」の歴史教科書問題と似通った構造が思い浮かぶ。そこでは臨床的モダニズムを批評的アナクロニズムが脅かすかのごとき振る舞いと映るのか、モダニズムを保守する姿勢の良心的側面が前提されがちとなる。アナクロニズムが学問であってはならないかの様で居て、かつ学問は進歩への一本道であるかの様な。例えば歴史学なら、無限に延びる一本道を連想しやすかろう。滅びて貰っては困るから平和主義になるのは理解できるが、「生存するために滅ぼす」タイプの歴史では「滅ぼす」側面ばかりが強調され、「生存するため」の部分はいつの間にか切り離され、別の文脈に整理し直されるケースが少なくない。つまり「既に滅びた歴史」が生存を前提する必要はない。滅びは常に過去であり、現在でも未来でもない。これから起こる滅びは想定外。起こった後になって初めて「過去の文脈」と整合する仕組みになっている訳だ。
 こうした歴史意識を仮構するならば、そこにモダニズムが関与する意味を「いったん進歩的に」振り返ってみなければなるまい。歴史を反省材料と位置付ける場合、過去は未来と姦通してはならない筈だからだ。歴史を学ぶという事は歴史を反省する事であり、悪しき歴史から揚々たる未来に邁進すべく、「古い上着よ、さようなら」の姿勢を堅持せねばならぬ。「昔は良かった」式の感傷は必要ない。未来志向も感傷も、共に暑苦しいのはよく分かる。だから両方を排除したくなる。その後に何が残ろうと(残らなかろうと)我々は現代人かつ未来人、過去よりは進歩していると信じ込む事でモダニズムは宗教の様に無謬となっていく。
 …てな事をあれこれゴチャゴチャ考えていると、(前記引用と前後して)件のブログに鬱憤晴らし紛いの書き込みをしたくなる。
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> 当方このところ、批評的アナクロニズムと臨床的モダニズムを仮構してます。~昔の教育を臨床的アナクロニズムと見なした知識人が、批評的モダニズムの立場から説得し、現場を臨床的モダニズムへと変えていく。やがてモダニズムが古びてくると、モダニズム自体がアナクロニズムとなっていく(それが臨床現場を支配している)。すると臨床的モダニズムを臨床的アナクロニズムと見なした知識人が、批評的ポストモダニズムもしくは批評的アナクロニズム(?)の立場から説得し、現場を臨床的ポストモダニズムもしくは臨床的アナクロニズム(?)へと変えていく。…畢竟、中身は変わらない。ただ印象が変わるだけで、それが言葉に定着すると些かスローガンめいてくる。
> 進歩的な側から見れば時代錯誤的でも、伝統的かつ保守的な側から見ればそうでない。また進歩的な流れを保守する側から見れば、これまでの進歩的姿勢が伝統同様の時代錯誤と映る場合もあるだろう。いづれにせよ論争するのは三者三様の知識人で、一般人への影響は不透明。そして学校の場合、必ずしも学問が事を落着させるとは限らない。有り体に云えば試験や教科書、授業(臨床)などを牛耳った側が勝つ。そこでは「批評と臨床」が「傾向と対策」と交叉する。
> ともすれば放射能汚染云々も「試験に出るミリシーベルト単位の数値は1か20か」てな話に収斂しそう。或る先生は国際基準なら1だと云い、また或る先生にとっては政府基準なら20もアリって事になる(国際基準が東京裁判史観なら日本は侵略国ゆえ忽ち「ややこしさ倍増」となっちまう様に?)。チェルノブイリとフクシマの単純比較ですら判断材料が不足しているのに、軍事面での核事故隠蔽まで念頭に置いたらきりがない。そこでも中身は大して変わらない。印象を操作する場がどんなふうに用意されているか、国内外の両面で観察しないと「裂け目」は相変わらず見えぬまま過ぎ去っていくのでしょう…。
> 「日録」の方は賑わってますなあ。あたしゃ『WiLL』を買うのは『正論』が出てからにする予定。つまり残すところ三日ほど。それまではコメント欄で妄想を膨らませまっす。
>【2011/05/31 06:53】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]
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 話はここから、若干ややこしくなっていった。

(続く)
8【再掲】批評と臨床(其五) ( 苹@泥酔 )
2011/07/19 (Tue) 23:26:01
7957 批評と臨床(其五) 苹@泥酔 2011/05/18 00:32

(続ける)

 あらためて高校家庭科教員採用における調理師免許の一件を振り返ると、或る意味では筋が通っている様に見えぬでもない。馬鹿正直に勉強したい奴は青森から出て行けばよい。たぶん教員の誰もが無意識に思っているだろう通り、そもそも高校教育自体が必要ないからである。むしろ邪魔で、すぐにでも廃止したいくらいではなかろうか。他方、高校と高校教育は別物とも解釈できる。ゆえに(青森に限らず)多くの高校が教育内容を高校教育に偽装(予備校化と専門学校化)した結果、先年いったん表沙汰になったのが全国規模の未履修問題であると見る事もできる。その後は衆知の通り、日教組に代表されるらしき教育界が民主党支援に回るなどして、遂に政権転覆(政権交代)が実現した。
 かてて加えて想像を逞しうするなら、こんなシナリオだって考えられなくはなかろう(セレブ奥様ブログでの旧稿抄録↓)。
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> 苹の見方では、教育界の民主党支持は「高校教育からの離脱」が動機。他方、初手から離脱してるのが朝鮮学校。つまり朝鮮学校は高校の先輩格。これまでは高校教育から内々に離脱(=予備校化)しても構わなかった筈なのに、いきなりの未履修問題で教育界を激怒させたのが自民党政権だった。
> 高校には一条校特権があるけど朝鮮学校にはない。そこで今回、先ずはバラマキ攻略から事を始める。朝鮮学校レベルの「逸脱」ぶりでも高校並みのバラマキ支給が可能なら、高校側の「逸脱」だって平等に容認されるべきだろう。日教組も北教組も、この点では見解が一致してるんじゃなかろーか。保護者は子供を出来るだけ上等な大学に入れたい。そうした心理を味方につけて、高校の予備校化(=逸脱)を推進する。文部科学省の支配に楔を打ち込み、大学との間接的癒着関係をいっそう強化しつつ経営安定をはかる。そうでなくても統廃合圧力がキツイ時代なんだから、ここは本気になって取り組まにゃーならん正念場ってこった。
> たぶん図星だろうとは思うんだけど、産経かどこかで裏を取ってくれないかなあ。その結果次第で、こちらは更に熟考するつもりなの。
>【2010/03/16 06:23】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]
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 その後は話の流れを承けて、こう追記した(抄録↓)。
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> その手の話とは別に、前稿で書いた予備校化云々には、「学校が予備校化」と「予備校が学校化」の二面あります。例えば反日予備校が学校化する場合、朝鮮学校を一条校化する方向に行くでしょう。そして反日学校を予備校化する場合は、一条校を非一条校化する手が考えられるでしょう。
> ステロタイプの印象を「北教組=反日」と見なす場合、その構成員の属する学校は概ね、程度に差のある反日学校と云えるでしょう。仮にこれを人事異動でジュースみたいに濃縮(?)して、学校を丸ごと北教組100%にすればどうなるか。濃縮果汁の原液は濃過ぎて飲めない(なんか素っ頓狂な喩えになっとるな…汗)。問題は薄め方です。従来の仕方では、薄めれば「果汁20%」てな具合になる。でも市販の100%ジュースはそうでない。教員加糖液で薄めるからパーセンテージが落ちる。ならば民間水で薄めればよいではないか。なにしろ水(民間人)は果汁(公務員)ではないのだから。
> この方式は部分的ながら、既に実用段階にあります。~非常勤講師を非公務員と見る場合、都立高校では書道担当教員122名中の内訳が公務員2名で非公務員120名。それを学校全体でやると、校長と教頭が公務員で他の全員が非常勤講師でも構わない事になるでしょう。ただし教員免許は相変わらず必要ですが。
> 尤も、それなりの手はある筈。意図的に無免許の人(塾や予備校の先生が望ましい)を集めて、全員に臨時免許を交付すればよい。…法律を整備して朝鮮学校の先生にも臨時免許を出す一方、北教組の先生が朝鮮学校に出向・研修する。事実上の「北海道立朝鮮学校高校」が出現し、既存の朝鮮学校では相対的な存在意義が薄まる。嘗て大学教育学部に「ゼロ免」課程が出来た様に、高校にも「ゼロ卒」課程を設ける。すると「卒業証書」授与課程(学校教育課程準拠)と「修了証書」授与課程(非準拠)とが共立し、やがて非準拠課程に特化した学校(?)が出現する。
> …例えばこうしたシナリオを妄想する場合、どの段階で反日教員を非公務員化すればよいのか。~とどのつまり、苹はそこんとこに興味があるんですね(汗)。悪い冗談と云えばそれまでなんだろうけど、だからと云って、頭から非現実的な話と決め付ける訳にもいかない。(玉石混淆の思考実験が諸々あって初めて、選択的かつ具体的なディフェンスが可能になる筈ですから。)
>【2010/03/17 21:18】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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 ここで云う「卒業証書」授与課程(学校教育課程準拠)は本来の高等学校を意味し、「修了証書」授与課程(非準拠)の方は「高校という形」を隠れ蓑とした公立予備校をイメージしている。大学進学を目的とする場合その方が明らかに効率的だし、現に管理職・教員・生徒の一部は「非受験科目は必要ない」と確信していた。つまり未履修問題が露見するのは時間の問題だったのである。自民党政権下の文部科学省は、教育界の逆鱗に触れた。
 ところで、いったん特別支援学校の枠組みで採用した教員を高校に勤務させる手口はどの程度までなら可能だろうか。~人事上、その辺の手練手管も少なからず気にかかる。高校から特別支援学校への転任を希望したらしき教員なら、嘗て勤務した高校に一人いたと記憶する。その先生は職員公舎で苹の隣に住み、裏庭で犬を飼っていた。
 …都会では、裏庭のある二階建てなど想像できないかも知れない。ただし便所は水洗でなく、汲み取り式の田舎である。苹にとって部屋は狭い。実家では七室に分散配置してある書物を総て官舎に持ち込む訳にはいかないから、必要に応じて勤務を早めに切り上げ六時か七時に出発。日付が変わる頃には戻れる様に往復、カーステレオでバッハのマタイやワーグナーの楽劇などを堪能した。他人を乗せた事は殆どなく、いつも助手席には数段に積み重ねたカセットテープの山が鎮座していた。

 閑話休題(汗)。
 今年の試験内訳をざっと見るところ、高校側の実施科目は以下の様に大別できよう。
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【普通科目(受験科目)】国語、公民、地理歴史、数学、物理、化学、生物、英語
【普通科目(非受験科目)】保健体育
【専門科目(職業科目)】商業、農業(作物・園芸・農業経済)、工業(電気・電子)、工業(土木)、工業(機械・電子機械)、水産(情報通信)、水産(水産工学)、看護
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 それに対して特別支援学校の高等部は「国語、数学、音楽、美術、書道、保健体育、家庭、英語」と、就中「芸術科目の揃い踏み」が極めて異常。高校のを確認するついでにボンヤリ見てきた過去二十数年来、少なくとも書道で実施された記憶はない。控え目に云っても「前代未聞」ではなかろうか。~昨年の内訳がまだネット上から削除されていないので、念のため高校と高等部のを参照すると下記の通り。
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【普通科目(受験科目)】国語、公民、地理歴史、数学、物理、化学、生物、地学、英語
【普通科目(非受験科目)】美術、保健体育、家庭
【専門科目(職業科目)】商業、農業(作物・園芸・農業経済)、工業(電気・電子)、工業(土木)、工業(機械・電子機械)、水産(水産食品)、水産(海洋生産)、水産(水産工学)、看護
【特別支援学校高等部】国語、数学、音楽、美術、保健体育、家庭、英語
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 高校家庭科は芸術や体育と同様、センター試験の受験科目ではない。しかし非受験科目の中では最も職業科目に近い。
 今春は日本テレビ系列で、実話がモデルのドラマ「高校生レストラン」が始まった(本稿を綴っている時点で第二回までの放送を終えた)。それによるとレストランは部活動の延長で、町役場主導の「村おこし」とタイアップした形らしい。主人公の元料理人は多分、調理科の臨時講師を兼ねているのだろう(それにしては授業場面がない…ただし部活レストランの指導場面てんこ盛り)。
 あれこれ書き過ぎると差し障りがあるかも知れないが~苹は普通科でも商業科でも食物調理科でも、いつもの意図的マンネリ授業で昔の仮名が読める様にゴチャゴチャやらかした。普通科では某クラスが仮名読解テストで珍しく平均八十点を突破した(担任の先生に感謝)。…書道絡みの話はともかく、その高校では今、食物調理科が熱心と聞く。昔はそうでもなかったと記憶するが、多分それなりの刺激~モデル事例が色々あったのだろう。
 前に何度か、昔の料理を扱うテレビ番組を見かけた事がある。その時チラリと映った江戸時代の料理本(木版印刷の草書変体仮名交じり表記)の字が読めるだけでも相応の違いはある筈…と苹は想像した。「読める字を書かせるのではなく、読める人を育てる」方に興味があった。癌で入院した大学教授(書道担当)を見舞った際、私は初めてハッキリそう言い切った。この方針は生涯変わるまい。隠居後の今はネット上、別の形で試みたりしている。
・当時の図版の再利用、他(↓)
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_pr_333.html
・巻菱湖「假名字源」を中心に(↓)
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_pr_359.html
 特別支援学校の場合、こうした教育史的視野を念頭に置いた基礎認識が聾学校以外でも通用するか否かは不透明である。尤も、それを云ったら聾学校の音楽教育、盲学校の美術教育も同様ではあるのだろうが。いづれにしろ勝手が違う事に変わりはない。それより採用の枠組み自体が或る種のブラックボックスと化す可能性の方が高いかも知れない。
 今年の教員採用試験を「異変」と受け止める側にとっては、相応の覚悟と対策あらずんば固より迂闊に手出しは出来まい。やるなら敢えて、採点者を手玉に取るくらいの気概や余裕がないと。相手に通じなかったなら、こちらから教育界を見限ればよかろう。県内の教育慣行に媚びる「確信犯的」覚悟があるなら話は別だが、屈辱に呑み込まれる卑屈さを重ねて甘受する道理はあるまい。しかしながら採点者は、専門の如何を問わず「百戦錬磨の強者」でござる。事は理屈(批評)でなく服従(臨床)の問題なのに、まだ採用されていない身に太刀打ちできる訳がない。
 「採点者達が持つ常識」への服従と共鳴。~それが何を意味するかを突き詰めると、畢竟「就職先の常識が大学教育の内容を支配しなければならない」という構図に行き着くだろう。不服従は海水浴でムタンガを着用するのと同じくらい荒唐無稽である。言い換えるなら、傍目に映る書道は存在そのものがムタンガ同然である。(ちょいと画像検索すれば、ムタンガは今の水泳競技に役立たない事が一目で分かる筈。)

(続く…次回投稿では最終章「批評的アナクロニズムと臨床的モダニズム」を予定)
8【再掲】批評と臨床(其四) ( 苹@泥酔 )
2011/07/19 (Tue) 23:23:14
7956 批評と臨床(其四) 苹@泥酔 2011/05/13 20:03

(続ける)

●特別支援学校の話
 青森県教育委員会のサイトで受験資格の項目を見ると、「特別支援学校受験者については、小・中・高各相当の校種・教科(科目)の普通免許状を有する者(特別支援学校教諭免許状の有無を問いません。)」と書いてある。~なぜ、特別支援学校教諭免許がなくとも構わないのだろうか。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_pr_490.html
 ふと連想したのが昨年の高校家庭科教員採用試験騒動(記事画像参照↑)。受験資格にいきなり調理師免許が加わり、未取得者は事実上の「門前払い」となった。大学では教員免許を取得できるが調理師免許は想定外らしい。つまり新卒者は受験できず、新たに調理師免許を取得して次の機会を待つ事になるのだろう。また記事によると「県内の高校家庭科は、10年度採用で6年ぶりに募集があり」云々。ところが後日の記事では「調理師資格を持った教員が今回補充できた場合、当面は調理師免許を課さない従来の条件に戻したい」との見解が示され事態は混迷。
 言い換えるなら、今後は「調理師免許状の有無を問いません」の状態になるという事か。昨年は「有無を問う」当たり年だった。有無を問わないなら要項に書く必要はあるまい。それが書いてある場合(特別支援学校の様に)、これをどう解釈したらよいのやら。もしや募集そのものが「形だけ」なのではないか。民間では既に偽装請負などのノウハウが蓄積されつつある。
 例えば、こうだ。合格者以外の受験者は臨時講師になったりするだろう。つまり試験は人寄せパンダみたいなもので、本気で採用したい訳ではない(後に市教育長となった管理職によると「教育に芸術は必要ない」そうだ)。ところが採用されたい人は居る。青森では書道の場合、普通なら国語で受験すればよい。高校では皆がそうしてきた(だから試験の実施間隔が二十年以上でも、書道担当教員の多くは教諭になれる)。ところが書道の試験を実施するとなると、青森基準で考えれば既に採用予定者が決まっているか、ただの罠か、それ以外は考えにくい。~罠の場合、次の試験で必要な免許を増やせば受験させずに済むし人件費も抑制できる。
 或いは、口封じと飼い殺しを目的とする可能性もある。養護学校で普通高校レベルの授業は可能か。盲学校で書道の授業は可能か。聾学校に行くとは限らない。青森の常識では芸術科書道に「幼児のお習字レベル」が求められ、かつ国語との接続は予め否定されている。徹底して授業レベルを下げれば戦前クオリティへの接近が阻止できる(それが占領以来の伝統である)。視覚を必要としない書教育ともなれば事は重大。誰か先行研究の例を御存知ないだろうか。その程度は覚悟して置かなければ、青森の教員は務まらない。
 苹には未知の領域だが、少しずつ考えてみる…。

 盲学校。~全盲か、もしくは著しく視力が低いのだろう。
 文字としての認知に支障をきたす一方、身体運動としての可能性は残されている。高校の教科書とは別世界の指導になるだろう。生徒はどうだか知らないが、こちらは点字が読み書きできない。つまり共に読み書きできない文字を抱えている。ならば点字システムと漢字/仮名システムとの差異分析くらいはして置く方がよさそうではある。
http://www.yoihari.net/tenji/kanji.htm
 点字は「書くもの」ではない。…で、取り敢えず調べてみると驚き桃の木。点字から漢字へのアプローチも儘ならない(↑)。はっきり云ってチンプンカンプン。こんなのを白紙状態から学び始めるとなると、従来の書道絡みの研究をする暇がなくなる。仕事が研究を殺すだろう。ならば新たな仕事を研究するか。それが出来るほどの覚悟はあるか。
 相手が中途失明なら、漢字イメージの記憶に期待の余地がある。しかしどのみち、生徒は自分の書字結果を識別できないだろう。ならば結果でなく書字過程を重視する事になるのだろうか。それも結局は記憶に封じ込まれた視覚イメージの領分で、こちらが彼らの空間把握方法を知らないと空回りに終わる筈。そこで更に調べてみると…(↓)。
http://www.edu.city.yokohama.jp/sch/ss/yokomou/eyes/eye/hokou/nerai/index.html
 座標としての身体を起点とした上での、所謂「心的地図」の優位性が書道では重要となるだろう。ここでは「書く」行為に伴う書字順序(筆順記憶)と位置関係(行為記憶)共々が音楽的に消えていき、痕跡としては「見える」他者にしか残らない。そこに鍵がありそうではある。例えば、盲目オルガニストのヘルムート・ヴァルヒャは如何様にしてバッハの楽曲を覚えたのか。…想像するところ正面に数段の鍵盤があり、足下にはペダル鍵盤がある。その位置は決まっている。ならば演奏行為自体にさほど支障はなかろう。あたしゃ楽器は弾けないが、耳にする音と鍵盤との対応関係が範列的に把握されている事に変わりはあるまい。しかし書道に鍵盤はなく、むしろ記憶の中で空間は作り出される。沈黙の鍵盤(空間動作の蓄積自体)を、時には触覚で把握する事になるだろう。
 身体は空間と繋がっている。空間の中で動く身体そのものが記憶となる。ところが身体は別の道具で空間から分かたれている。その道具が毛筆で、云わば義肢の様な役割を果たすだろう。義肢の先に無数の指がある。自分の手には五本の指があるが、義肢の指は数百本。それが縺れ、ばらけ、纏まる。…私ならどうするだろうか。先ず、彼女の手を握る(「彼」とするよりは想像しやすかろう…汗)。互いに指を絡ませ、感じあい、指先に集中する。指が紙に触れ、その感覚をモデルに筆鋒を想像する。類似関係(メタファー)にある指の感触の気持ちよさは、この際おそらく性的な隣接関係(メトニミー)とならざるを得まい。それが空間で「書かれる」時、空間と筆は包含関係(シネクドキ)で結ばれる。
 …どう見ても危険である(苦笑)。教師と生徒が「触りっこ」するんだぜ。考えてもみい。巷間なぜ童貞喪失を「筆おろし」と呼ぶのかを。行為が危険なのではなく、感覚が危険なのである。一本の玉茎、五本の指、数百本の筆毛。こんな事は考えたくないかも知れない。教育者としては当然そう思ってよい筈。しかし相手は目が見えない。どうやって世界を感じるのか。どうやって感じさせたらよいのか。~ところが実際は感じさせた途端、教員は退職に追い込まれるだろう。そうなるくらいなら、初めから生徒に理解させない方がよい。つまり教育には不可避の不作為が前提される。それを苹は、罠と云っているのである。
 自分でもあれこれ考えながら書いてるうち、こんな話になっちまった事に驚いている。そんな話になる筈ではなかった。もっと品よく纏めたかった。でも仕方がない。さっさと次の話題に移ろう。

 …養護学校。所謂「精薄」。
 まだ碌に調べてない。実は調べたくもないし、考えたくもない。感情や感覚に正直なのは凡そ想像がつくものの、その点に踏み込むと苹の場合ややこしい事になりそう。よって保留。精神薄弱と精神病は違うのが、勝手の違う原因の一つである。精神分裂や病跡学の本なら手元に数十冊ある分だけ、こちらとしては却って混同しそうになるのを恐れる。

 聾学校。~これも今は込み入った話に関わりたくない。盲学校について少し考えただけで、充分「余計なお世話」となっちまった様な気がするからだ。ゆえに今回は念のため旧稿群から(No.7658と7659参照↓)、聾文化に少しだけ言及した二つを引用・抄録するに留める。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_tree?base=6785&range=1
 聾者に推察される「音声を必要としない」領分については、漢字文化が日本語/仮名文化に移行する際のフレキシビリティと絡めて考える余地があると思って居る。この場合は漢字文化の方が聾者となりゆく「予定者」であり、嘗ての大陸発音が日本との間で乖離するにつれて、聾的性格は比例増大した…と見ている。
 以下、引用開始。~なお、続きを書けるか否かは未定。それだけ当方、青森県教育界への不信は根強い。
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>142 「解放」待ちのインテルメッツォ 苹 2004/04/12 02:05
>  先日、西尾先生から「ふときずいたのは、かって唯一の共通語は文語だったことです。口語は互いに通じなかった。関係があるのでは?」との御助言を頂戴しました。今夜はこれを酒の肴に、言いたい放題やらかそう(「おちょくり板」向きの書き込みで恐縮…)。
> あれはどれくらい前になるだろう?~連続ドラマ「国語元年」の初回放送を見た時の印象が残っていたためか、その後しばらくして国語国字問題に興味を持ちました。先般のBSでの再放送もただ懐かしいだけでなく、面白いものは面白いと感じました。
> 初回放送の頃の私は確か、吉幾三が「テレビもねぇ、ラズオもねぇ…」と喚くのを聴いて居りました。「ラジオ」や「ラヂオ」ではなく、「ラズオ」か「ラヅオ」に近い発音だったと記憶しています。実際の発音に近い表記は難しく、ゲーテとかギョエテの例もさる事ながら、七年くらい前の高校英語教科書に出てきた指揮者のMitropoulosなんかは「ミタラパラス」と発音されていた様子。生地ギリシャではどんな発音になるのやら。日本のレコード雑誌では「ミトロプーロス」と表記している旨、話題を英語の先生に振ってみましたが、あまりピンと来なかった様です。
> 夢は枯野をかけ廻る。~昔、鮮魚市場に行ったら「筋子」がありました。そればかりでなく「すずこ」もあった(笑)。どうやら「筋子」は「スジコ」「スズコ」の両方で通じる様です。これには大いに感心させられました。二つの音声を一つの漢語で取り纏めるとは、なんと見事な翻訳システムだろう。方言のままの姿を包摂しながら共通語の体系に収束させる上で、漢語だらけの和文はさぞ役に立った事だろう…と。
> 当初は戸惑った「すなそば」だって、文字に起こせば「支那そば」となる。或る校長は定年退職の挨拶で、「コレカラハ、チチイヂリデモシマス」と云ったそうな。「土いじり」の単なる訛りが、色に狂って「乳いじり」するみたいに聞こえる。何年経っても忘年会の酒の肴になる。
> …ところで、文字言語には別の効用もありそうです。音声言語もまた然り。嘗て、盲人ヴァルヒャは努力して立派なオルガニストになったとか。今は日本人の盲人ピアニストも活躍中。
> これらの事例と同様に、実質的な「聾」的性格を惹起する音声言語の鏡像的差異は、間断なく~今も昔も地方も中央も飛び越えながら、文字言語を反復的・創造的・免疫的・補完的に「共通語」化し続けると思うのです…。音声言語が必ずしも文字言語を必要としない様に、文字言語だって必ずしも音声言語を必要としない。そこに私は、ロミオとジュリエットの間に生じた「憧れ」と似通った横断への動機・契機を感じ取っています。
> 具体的には~戦中・戦後のケースで云うなら、山本有三あたりが提唱したルビ廃止への動きが影響しているのかも?
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>155 二題 苹 2004/04/13 02:38
>  先ず、前稿で書いた「聾」的性格について補足します。~下記引用は『ろう文化』(青土社)P.219~220。対談「ろう演劇と言葉」(米内山明宏・多木浩二)から。
>--------------------------------------------------------------------------------
>米内山 私としては、手話が言語として確立されたものであるのか、あるいはその途中であるのかどうか、それは問題ではないと思うのです。ろう者にとっては自分の持つコミュニケーションの方法は様々ですから、つまり日本語と比較するということは考えていません。勿論、「日本語と比べて手話はまだまだ確立していない、これから沢山作らなければならない」と比較する人もいれば、「手話は言語としてきちんと成り立っている」と考える人もいます。
> 日本語と同じように、手話も次々に移り変わってきています。ろう者の手話は、手で現す語彙の問題ではなく、顔の表情・目・顎の動き方・身体全てが言葉になるわけで、そういうことに皆気がついていない。手話は「手だけで表す言葉」と考えられ、手に集中しているようです。それで語彙数を計算してみれば少ない、ということに行き着くのですが、そうではなく、手の動きは一つであっても、顔や身体の微妙な動きによって言葉の意味に違いがあるわけです。ですから、手話として確立されたものかどうか、私としてはまだ意識していません。
> 日本語、そして声の歴史は非常に長いものです。それは十分にわかっていますが、正直言って、私は声の世界が理解できません。例えば、聴こえる人は「良い」と言ったときに、その声をそのまま「良い」という言葉で活字にする。それを見ても、どういう意味なのか理解しがたいところがいくつもあります。聴こえたことによってわかる言葉が沢山あるはずです。ろう者にとっては興味のない、というよりは、かけ離れた世界のように見えるのです。でも、それを知らなければいけないし、日本にいる以上は、日本語を理解しなければならない。とは言っても、ろう者として使う日本語ではないものは、自分の中で自然と省いていく場合もあります。ろう者としては、口話は借り物で、口話を借りて覚え、また、日本語を漢字から借りて表現する、というように、借り物の言語のような感じです。それで確立するかどうかは、今後右往左往していく中で決定づけられていくのではないかと思いますが、言語としての確立は非常に難しいですね。
>--------------------------------------------------------------------------------
> …対談全体を読んだ印象では、口頭で行われたかの様な書きぶりに見えます。校正段階で目を通しているでしょうから、「良い」の箇所は多分その意味の通りなのでしょう。しかし~(「手話」抜きの)口頭での印象ならば尚更、他に「宵」「酔い」などの選択肢が言表作用の背後に隠れていても決しておかしくはなかった筈。そう捉えるなら、ここでの活字表現はもはや正確な口話の転写に留まる事ができず、却って口話表現の歪曲をも含意する結果になってしまう筈。
> 閑話休題。
> 視覚障害~いわゆる「盲」の側の場合、嘗ては「検校」の様な制度が要請されたりした模様。聴覚障害の場合は日本史上どうだったのか、どなたか教えていただけるなら幸甚です。
(以下略)
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8【再掲】批評と臨床(其三) ( 苹@泥酔 )
2011/07/19 (Tue) 23:19:43
7954 批評と臨床(其三) 苹@泥酔 2011/05/08 05:24

(続ける)

 何を以て伝統と見なすかは難しい。例えば阿国の踊りは伝承されていないが、後の歌舞伎は伝統文化の扱いを受けている。元の踊りは既に途絶えた。にもかかわらず伝統は後になればなるほど培われていくためか、その間の蓄積に伝統の在り方が内蔵されているのかも知れない。ならば起源にさしたる意味はない。ところが遠く隔てた後の世から起源をあれこれ考証し、それをさも真実であるかの様に信じ込む向きが少なくない。真実など誰も分からない。ただし人の一生に於てのみ、隠れた来歴としての真実はどうにか忖度し得るらしい。それらの集合が社会の文化的背景となる。言い換えるなら、たとい捏造された文化であっても、それが蔓延した時代にとっては、捏造されたものこそが真実である事を敢えて認めねばなるまい。しかし、だからと云って捏造を正当化する理由にはなるまい。捏造が捏造である理由が那辺にあるかを検証する所に学問は宿る。
 楷書がくずれて行書、更にくずれて草書となった。~これが嘗ての常識だった。考証が進むにつれてそうでなかった事が明らかになったのは百年ほど前であり、それ以前の常識を覆した時点で常識は破壊された事になる。ならば百数十年前の常識を顧慮する上で「今の常識」は要らない。それが私の見た「西尾幹二」の基本姿勢であった。氏から学んだのではなく、氏の姿勢と合致したのである。だから私の守備範囲でない学問については必ずしも氏を支持する必要はないし、また軽々に支持してはならない。畑違いの「つくる会」会員にならなかった理由がそこにある。学ぶ事と信じる事の間に違和感を感じたら、納得できるまで違和感の原因を考えねばならぬ。これを哲学と云う。苹にとって書道は哲学である。
 …さて。
 言葉を書いているのに、言葉で説明できない。言い換えるなら、言葉を書いているのに言葉で書けない。そこから言葉が抜け落ちて、ただ文字だけが残る。字を書いているのに字で書けなくなると、字を強引に征服する態度の方が「不言実行」の幻想と重なり始める。するとひたすら「書く」という行為が稽古の中から浮かび上がり、何も考えず無心で書くかの様な心地が感じられてくる(カンフー映画に曰く…「考えるな、感じるんだ!」)。
 そんな筈がないではないか。考えるから無心になるのが本当ではないか。書く言葉の内容に集中すると、「字形、呼吸、リズムはどうするか」など一々気にして居られなくなる。書字体験の蓄積が逆に作為を受け付けなくなり、却って「お里が出る」羽目になる。無心の中に「お里」があり、ひょっこり迂闊に顔を出す。だから抑も無心をコントロールできる訳がない。「無心で書く」のが何か重要な事に思えてくるのは、無心で書こうとしない逆説的態度が「作品」の作為に反映しているからだろう。ゆえに書を「作品」と呼ぶのは冒涜である。他方、嘗て日下部鳴鶴は「書は神術である」と云ったそうだが、どう解釈しようと~或いは冒涜と見なそうと、それが正しいとは限らない。今は「作品」という囚われの時代である。芸術を名乗る事への囚われから、「作品」は作者/筆者/著者を精神分裂状態へと誘い始める。
 こうした歴史的「手遅れ」の状態を予め自覚した上で、数多ある過去の立場に向かうか、未来志向の現実に巻き込まれるか、それ以外かの態度を決めるくらいは、たぶん許されてよい。~ところで当初、「つくる会」の歴史教科書は東京都の特別支援学校で採用された。真逆(「マギャク」でなく「まさか」と読む)とは思うが、青森ではどうだろうか。青森市では翠軒系の三人、その前は八戸市や下北などで数人が退職もしくは急逝しているのに、高校書道教員採用試験は2002年に一度あっただけ(約二十年ぶり)。その次が今回の2011年、ただし高校ではなく特別支援学校の高等部。そこに何か、異様な気配を感じる。ただの思い違いであればよいのだが、それにしては聾、盲、精神薄弱などの幅が余りにも大きい。もし赴任先が盲学校だったなら、どんなふうに書道を教えるのだろうか。それを含めて苹は今、様々な可能性に思いを馳せ始めている。

(続く)


(附録)
 先日、「其一」の自稿引用箇所で原船「むつ」などに触れた。わざわざ出す必要はないのだろうが~以下、その後に書いた関連近稿を転載して置く。ただし長くなる。この手のネタに興味がない人は読み飛ばしていただきたい。書道ネタとは全く関係がない(単に苹の発想パターンと関係があるだけ)。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1104.html
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> 名にし負う歴史認識のエクソシスト西尾幹二先生は(?)、必ずしも原発を否定していない…と私は読んでます。でなければ抑も、こんな事を書く訳がない(↓)。
>--------------------------------------------------------------------------------
>> 問題の第二は、今後、わが国の原発からの撤退とエネルギー政策の抜本的立て直しは避け難く、原発を外国に売る産業政策ももう終わりである。原発は東電という企業の中でも厄介者扱いされ、一種の「鬼っ子」になるだろう。それでいて電力の3分の1を賄う原発を今すぐに止めるわけにいかず、熱意が冷めた中で、残された全国48基の原子炉を維持管理しなくてはならない。そうでなくても電力会社に危険防止の意志が乏しいことはすでに見た通りだ。国全体が「鬼っ子」に冷たくなれば、企業は安全のための予算をさらに渋って、人材配置にも熱意を失うだろう。私はこのような事態が招く再度の原発事故を最も恐れている。日本という国そのものが、完全に世界から見放される日である。
>> 手に負えぬ48個の「火の玉」をいやいやながら抱きかかえ、しかも上手に「火」を消していく責任は企業にではなく、国家の政治指導者の仕事でなくてはならない。
>>産経新聞20113.30「正論欄」より
>--------------------------------------------------------------------------------
> 原発は生まれながらにして悪魔的かも知れない。それを「鬼っ子」に育てるのが誰か、先生は総て承知の上で書いている。鬼は否定から生まれ、なおかつ鬼子の親は鬼である。そんな親の身になってみれば、俺の鬼子がこんなに可愛いわけがない。だからと云って、鬼は鬼子を殺せるのか。鬼が鬼である事を自己証明するとしたら、それは所謂「このような事態が招く再度の原発事故」となって現れる。つまり西尾先生が危惧しているのは、「親の責任」を放棄するヒステリーに席巻される事なのではないかと。原発事故の当事者たる日本のみならず、その時は世界中が「鬼だらけ」になる?…否、そうはなるまい。日本だけが鬼として取り残されるかも知れない。そうした事態を先生は「完全に世界から見放される日」と表現している。どのみち日本が原子力を、アフターケアなき「現金な態度で」手放す事など世界が許す筈もない。
> 既に結論は出ている。生産性を失った場合の原発は、それ自体が日本の新たな負債となるのだ。先生は一見、原発に反対しているかの様に見えるかも知れない。本当に反対の立場を採ったとしても、それはそれで仕方がない。なぜならそれは、日本が新たな負債を抱えたという問題意識を直視する事に他ならないからである。後は生産性を犠牲にする覚悟を日本が持てるかどうか。…私は持てないと思う。ずるずる原発を再稼働するしかなかろう。そこが夢見る左翼と根本的に異なる。悲劇の受容に裏付けられた運命の自覚であり、この点で原発からの撤退を内包した推進が現実的には苦み走ってくる。安易な原発撤退は別の意味で日本人を鬼とし、そこから先は石油が再び鬼退治の道具となっていくだろう。
>【2011/05/03 18:05】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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> 一つ書き忘れてました。内容は前稿と似たり寄ったりですが、表現の照らす向きが違う。それは「しんがり」への眼差しという事です。負け戦で撤退する時、どれほど重要な意味を持っていたか。生きていれば次の戦で勝つ可能性もあるでしょう。そのための「しんがり」をただの犠牲、人柱として戦場に取り残す鬼畜ぶりが今も昔もある。むしろ今の方がひどいかも。軍勢の仲間意識なき人柱は、ともすれば敵に見えてきたりする。後方から迫る敵を阻んでいたら、味方の筈の自軍が前から攻めてきた…そんな立場の「しんがり」が討ち死にした直後、一体どんな戦闘が展開されるのやら。
> 原発から撤退する時、どんな形で「しんがり」は出現するのだろうか。給料を払いたくないから見殺しにするのであれば、そこでは「しんがり=鬼っ子」の構図が予定される事にならないか。軍勢には代替エネルギーで戦を始める手が残っている。ところが鬼っ子は死にきれない。怨霊、すなわち敵となって化けて出る。そう仕向けるのが誰なのか、西尾先生は原発反対派の中に見据えていながらも、自分が別の立場から反対派にならざるを得ないとしたら。~要は軍勢と「しんがり」の両方を天秤に掛ける形が、代替エネルギーと原発との間で既に出来上がっている。
> 平たく云えば二元論。そんなお膳立てにホイホイ乗せられる先生ではない。にもかかわらず傍目には、原発反対派を十把一絡げに取り纏められそうな気がせぬでもない。その方が好都合。反対自体が賛成派に利用され、警戒心が無関心へと従来通り吸い込まれていく。そこにも既に「しんがり」達は存在している。撤退するにしろ推進するにしろ、「しんがり」達の沈黙はエーテルのごとくしてそこにある。
> 私の名はメーテル…(おっと、いつもの妄想がぶり返してきやがった…ここらで擱筆。)
>【2011/05/04 05:04】 | # [ 編集]
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> 私の名はメーテル…宇宙を旅する女(冗談)…そう云や軍用衛星や宇宙探査機に、原子炉や原子力電池のがありましたなあ。カナダに墜ちた時は核燃料50kgくらい積んでたらしい。同じ原発だからって、チェルノブイリばっか引き合いに出されるのは迷惑だ(推定10tばらまき)。まして広島を持ち出すくらいなら、いっそカナダと福島を比べりゃいいのに。
> 見方を原発に限定するのは、世界中どこでも「都合の悪い事は隠したいから」じゃないのかしら。原子力潜水艦だって何度も事故を起こしてるじゃないか。それも原子力衛星も共にソ連のだった。どの国だって軍事情報は秘匿したいだろう。それを棚上げしてるくせに、どの面さげたのが「日本政府は情報を隠すから信用できない」と言ってるんだか。
> 民主党政権を庇う気はないが、政権打倒にネタを使い回す気もない。しかし情報秘匿への正しい認識(?)を阻むのが過度の平和主義だったりする点にも目配りはして置きたい。とは云え「まともなスパイ防止法ひとつない国だ、情報流出への対応が遅れたソニーに文句つけるな」って理屈が通用しない様に、原発情報をどこまで公開してよいか戸惑う場合とは、判断の迅速性に共通の問題が見られるのも事実。そこが自衛隊と違うらしい。
> スパイ防止法なき国とソニー、指導力なき政府と東京電力。どちらも並べて考えるのが躊躇われるのに、躊躇いの原因が別の感覚障碍を引き出してしまう。躊躇わずに並べればよいのか、並べる組み合わせを間違えているのか。…私の名はメーテル…妄想を旅する女…(冗談)
>【2011/05/06 19:18】 URL | 苹@ネカマ #SFo5/nok [ 編集]
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> 追記。検索し直したところ記事発見。元ネタは此処(↓)。
http://blog.goo.ne.jp/reym1234/e/7daa40518078314cf9e71f067c0e34f3
>--------------------------------------------------------------------------------
>>むつ政経文科新聞 第5号 昭和53年(1978年)2月25日発行
>>「ニュース」:原子炉衛星が墜落  人口密集地なら大惨事
>>1月24日、ソ連の原子炉衛星がカナダに墜落した。同じ日にベルギーで原子力発電所の事故があったが、原子炉衛星の大ニュースのため新聞での取り扱いも小さく、見落とされた方も多いであろう。
>>この原子炉衛星は、1カ月も前から墜落が予測されていて、大気圏に突入する際の角度によって日本に墜落する可能性もあった。しかし日・米・ソ・カナダなどの各政府は、いずれも「国民がパニック状態に陥ることを恐れて」事前に公表しなかった。わが国政府では国会の追及に答弁して、「対策の立てようもないので非常体制も取らなかった」ことを認めた。
>>ソ連では回収班の派遣を申し入れたが、カナダに拒否された。墜落と同時に米軍機がカナダに出動し大規模な捜索が開始された。カーター大統領は「人口密集地帯に墜落していれば、放射能汚染で住民に重大な影響が出たであろう」と異例の談話を発表し、米国防省では、「汚染地域を500年から1000年間、鉛で覆う必要があろう」と述べた。
>>26日にはカナダ国防相が「原子炉衛星とみられる強い放射能を検出した」と発表したが、翌27日にカナダ軍参謀長が「放射能探知は計測ミス」と訂正し、28日以降は報道管制が敷かれて、アメリカ、カナダ両国の首脳部の狼狽ぶりを軍部が押さえつけた形になった。その後次々と原子炉衛星の残骸が発見されて、「極めて危険な水準の放射能」を検出したものの無事に回収されたとして、この事件は闇に葬られようとしている。しかしこの事件勃発当時の各国首脳部の慌て振りと、軍部とCIAに操られた鮮やかな幕切れに、世界の人々は何とも割り切れぬ思いを抱いた。
>>ソ連の人工衛星は1970年にも爆発を起こして、テキサス州に金属片を降らせている。米国も過去2回、原子炉衛星の墜落を経験している。これらの事故は今回の事故があったために明らかになったことであり、その被害の程度は不明である。米国の消費者運動を推進しているラルフ・ネーダーのグループは「人口密集地に墜落した場合、40人が死亡、500人が負傷、500億円の損外と恐るべきパニック状態が出現したであろう」と語った。
>>墜落したソ連の人工衛星には60kgのウランが積まれていた。原子力船むつには2770kgのウランが積まれている。
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>【2011/05/07 02:05】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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8【再掲】批評と臨床(其二) ( 苹@泥酔 )
2011/07/19 (Tue) 23:16:04
7952 批評と臨床(其二) 苹@泥酔 2011/05/05 19:03

(続ける)

 いま私は、「割れ目にはエロティシズムが垣間見える事もある」云々と書いた。この「割れ目」、ひいては断層の見え方を、ここから先は「裂け目」という言葉と共に読み替える事とする。~以下は檜垣立哉『ドゥルーズ入門』(ちくま新書)P.195の記述。引用文中の略号「LS」は『意味の論理学』原著を指す。
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> そして第三に重要な点は、こうした「裂け目」を、ドゥルーズは「死の本能」=「タナトス」と表現していることである。これは遺伝されるものが、「裂け目」である以上、それが示す無というあり方を考えれば妥当であるだろう。またこれは『意味の論理学』の表層論における、脳のスクリーンにおいて(『差異と反復』での「第三の時間」を受けながら)「裂け目」が内化されることと内容的に重なってもいる。しかし、生命であることを示すのに、死の本能をもちだすのは、これもきわめて精神分析的な色彩を帯びた展開である。死の本能とは、「他の本能と並ぶ本能のひとつではなく、その周りにあらゆる本能が群がる裂け目自身」(LS 378)なのである。他の本能が「よく話し」「雑音」を立てるのに対して、死の本能は「沈黙」している。
> 死の本能が生命そのもののことであり、それこそが、個体から個体に繋がれる「裂け目」であること、それは、生命とは死するものであるという記述としてはよく理解できる。しかしそこでの死が、たんなる空虚なイメージのみで捉えられてしまうと、それと生殖質としての遺伝の意味が、あるいはそれが自然史に繋がることの内実が、よく語られえないともいえる。
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 上記引用を敢えて拙稿にこじつける必要はない。とは云え前稿末尾に連ねた部分~これから何を書き始めるか全く定まらぬ時点で最初に書いた二つの段落~で、私は「期待される恍惚感が絶望的なまでに唆される時、そこでは絶望そのものが甘美となるだろう」とも書いた。絶望と希望の間に境界はなく、むしろ連続する流れの位相変化であり、そこに断層を見出す事で横断性が推認されたり否認されたりする。例えば一元論と共立可能な二元論を、敢えて素直な二元論へと整理する事により、共立不可能な領分が「元からそう在った」かのごとく浮かび上がる。
 或いは曲解含みかも知れない。~「漢字と仮名」と書くだけで二元論の振る舞いが想起できる様に。漢字を漢字として書いたものと、仮名を漢字の姿で書いたもの。どちらも見た目は漢字であろうが、機能は明らかに異なる。仮名の機能が漢字の姿に遺伝し、漢字の姿が仮名の痕跡・来歴となって遺伝し、仮名として書かれた姿から漢字への遡行がなされなくなった段階で機能優位の断層がリアルな既成事実となりながら、漢字と仮名の双方に「裂け目」を内包するよう「国語の論理が」押しつける。そして他方ではヴァーチャルとアクチュアル、リアルとポッシブルがそれぞれ対となって結び付く。
(註。~この辺のややこしい話は、差し当たりズーラビクヴィリ『ドゥルーズ・ひとつの出来事の哲学』(河出書房新社)巻末の「訳語対照リスト」を参照した方がよいかも知れない。訳者は小沢秋広で、こう書いてある。「actuel―virtuelとreel―possibleの連関と区別は、ドゥルーズ哲学の中心要素のひとつだが、これは日本語に限らず、通常の言語が行う区別との交錯からも、これまでのところ満足に訳し分けられていない。またドゥルーズの著作において、actualisation、effectuation、realisationは対象や文脈によって使い分けられているが、論理的には同じグループに属する語群である。ズーラビクヴィリは、realisationを避けeffectuationで一貫させている。」)
 ドゥルーズのジャルゴン(?)は見方や考え方を刺激してくれるが、フランス人の思考を忠実になぞれるほど苹に理解力がある訳ではない。もし齟齬・誤解・曲解があるとしたら、そこにこそ日本人たる苹の思考との差異がある事になり、むしろ解釈の手懸かりとしては望ましいと云えるだろう。


●「手遅れ」の自覚
 先日、セレブ奥様ブログ(↓)でこう書いた。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1100.html
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> 追記。~その後、検索してみました。
http://big5.ce.cn/kjwh/scpm/tzjb/zhgsh/zgshgd/200910/12/t20091012_20179471.shtml
http://tc.wangchao.net.cn/baike/detail_2026728.html
> これらの雅印と比べれば、真贋はよりハッキリするでしょう。よく見えませんが、私は奥様の画像を真蹟と見ました。出来は良い方と思います。上記サイトのは上の字がより小さく、下の字(対聯)がより大きい。奥様のはその中間で、かなり書きやすい大きさです。
> あたしゃ芸術系の人前で書いた事はないけれど、教育系の書風で書く半切二行や三行が実は一番ラクでして…(汗)。と云うのは、芸術臭くしなくて済むからです(悪く云えばルーティン、マンネリ)。昔は皆そんなのをやってきました。本来は実用ですから。それが今では、いかにも義務教育らしい幼稚なのばかりやらされ、中間がスッポリ抜けたまま、高校でいきなり芸術書道をやらされる。(だんだん愚痴になってきたな…ま、いいか。)
> なにしろ本来の勉強をさせる時間が想定されてませんもの。例えば最初は半紙に二字から六字で楷行草や仮名。だんだん三行、四行と増えていき、手紙文(草書や変体仮名交じり)や履歴書をやる頃には半切二行程度のや古典臨書(高校の「書道Ⅰ」レベル)が始まっている。別に初めから芸術書道と並行しても構いませんが、楷書から行書単元に入る段階では予め書写体に慣れていた方がよい。それが行書の基礎に繋がるからで、逆向きに見れば嘗ての行書先習論となる。
> こうした基礎があるのとないのとでは、真贋に関係なく質を大きく左右する。つまり良質な贋作というのもある訳で、「基礎が疎か」ってぇのは即ち「贋作をつくる能力すらなくなる」事を意味する。かてて加えて郵便局員は草書が読め、銀行員は印鑑を判別できた。そのレベルから奥様の画像を見た次第。骨董の厳密なレベルではありません。
> されど(失礼ながら)粛親王レベルなら、そもそも贋作をつくる動機にならないのでは、と。…片や、贋作が得意な支那人側から見ればどうなるか。上のサイトの解説参照(娘がどんな扱いになっているか)。
>【2011/04/23 21:02】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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 私は書教育に今、「手遅れの自覚」が必要だと思って居る。…そんなの、云われなくても誰だって分かっているだろう。だから開き直る。そこに苹はモダニズムを垣間見る。過去への追憶と訣別、もしくは過去への追憶との訣別。そこから先に近代、ひいては未来が開かれていく様な気がした。
 今世紀に入った頃、巷では「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書検定合格が話題になった。大方は危険視したらしい。軍国主義への回帰、戦前や戦争の正当化、天皇制賛美、マルクス主義への敵視。ざっと見た印象は大体そんなところか。苹のごときノンポリにとっては初耳の「マルクス主義」をどうのこうの云われてもねぇ…。残念な事に、私が超克すべき対象はモダニズム以降の方だったらしい。それより前の歴史が重要だった。そうした意味で当時の名誉会長「西尾幹二」の著作は大いに魅力的と映った。私にとっての「西尾幹二」は、最初=九十年代後半に読んだ『教育と自由』(新潮選書)の著者であって、当時の印象それ以上でも以下でもない。やがて「つくる会」が出来て、従前とは比較にならぬくらい西尾先生は有名になった模様(…と素人目には映る)。
 そんな西尾本を後々あれこれ読んでみると、歴史への視線は苹の興味範囲を遙かに遡っている。それが却ってマズかった。意識内で「モダニズム」へと至るべき言葉が「マルクス主義」とすり替えられ、つい先日まで違和感が燻り続けた。苹の中では言葉の上で意識されていなかったモダニズムに対して批判的と映った「ポストモダニズム」を、どうして保守派の方々は論難するのだろうか。そこが理解できぬまま今世紀最初の十年が過ぎていった。私が読んだドゥルーズは、必ずしも国家を否定していない。ひたすら独創的に分析している。そこに戸惑いがあった。もしかしたら日本の保守派とは、明治以降のモダニズム推進派(伝統否定派?)を指すのではなかろうかと。ならば保守派は伝統派の敵となり得る。尤もこれは、仮に苹が伝統派であるならば、の話だが。にもかかわらず苹は、(彼らに限らず敵対する立場にも)伝統を保守する態度に何かを期待しているのである。

(続く)


(補記)
 以下、前掲「2011/04/23 21:02」稿と通底する印象を持った産経記事を引用する。…ただし苹の夢想する指導に望ましき効果があるとは限らない。現代国語優位のモダニズム教育にとって歴史への回帰は不要かつ有害であり、書字を活字に翻訳した上で古典意識を根底から歪曲する方が指導の整合性は保たれる。(それを私は青森県の高校教員時代に学んだのである。)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110430/edc11043007460001-n1.htm
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>【解答乱麻】
>TOSS代表・向山洋一 効果のある指導、ない指導
>2011.4.30 07:44 (1/2ページ)
>TOSS代表・向山洋一 
> 教師の指導には、効果があるものとないものがある。効果のない指導をいくらやっても駄目である。
> 例えば、跳び箱がとべない子への指導だ。「手をもっと前について」「思い切ってジャンプして」などと指導するが、すべて効果はない。
> 私は跳び箱がとべない子を3分ぐらいでとばせられる。20年ほど前、ほとんどのテレビで実演した。誰でもできる方法だ。これを知らない教師は、不勉強といっていいだろう。
> 人気テレビ番組で、「立ち幅跳び」でたった5センチしか跳べない主婦が一日で激変した。それまで、何年も家族で応援したのに、練習したのにどうやっても5センチだった。
> TOSS体育授業研究会の根本正雄先生が2時間教えて激変したのである。2倍、5倍増えたのではない。何と29倍。1メートル43センチをとんでしまったのだ。テレビを見ていた人も多いと思うがこれが指導力である。
> 指導は、粗く言って3段階である。
> 第一は、やり方を教えること。教えられる側は「分かった」となる。
> 第二は、やり方を身につけること。「できる」という状態になる。
> 第三は、やり方が十分に身につくこと、習熟である。「大丈夫」となる。
> 大切なのは、第一と第二のステップだ。「やり方」が分かり、「できる」となることだ。力量のある教師は、そこを大切にする。力量のない教師はそこをおろそかにする。
> 「教えて、ほめる」が力のある教師、「教えないで、叱る」のが駄目な教師である。
> 「計算」や「漢字」を教えるのに、毎日「ドリル」や「プリント」をやらせて、点検する教師がいる。
> 親は「勉強している」と思うが、この方法では、学力はつかない。
> 第一と第二のステップがないからである。ソロバンの指の使い方を教えないで、毎日、宿題に練習させているようなものだ。
> 同様に百マス計算も効果がない。
> 第一と第二のステップがないからだ。「教えないで、ストップウオッチでおどしている」のである。
> 百マス計算をとり入れた全国の1千校ほどを調査したが、ほとんどなくなっている。効果がなく、算数の授業時間がつぶれ、発達障害の子供たちが反乱したからである。
> 計算も漢字も、授業の中で、できるようになる。毎回、5分ほどでいいのだ。ほとんどの子が満点をとる。私は「ドリル」の害を見て、授業中にやる「漢字スキル」「計算スキル」を発明した(商標は私が持っている)。この教材は、授業中使うのだが、全国に燎原(りょうげん)の火のように広がった。宿題なし、“のこ勉(居残り)”なしで、算数市販テスト平均90点以上が続出しているからだ。
> ここで、漢字指導に悩む母親のためにアドバイスをしよう。
> 1年間でおよそ150の新しい漢字を習う。毎日1文字マスターすればよい。この時、簡単な方法がいい。1日1回、食事前の2分間でよい。教科書の中の新出漢字を毎回2文字出題する。答えは空中に指で書かせる。その時、筆順も言わせる。
> 「山」なら「イチ、ニーイ、サン」となる。できなければ、テーブルの上で練習させて、できたら食事にする。1日2分間の指導で、苦手な漢字を克服した親子が、何千人もいる。
>                   ◇
>【プロフィル】向山洋一
> むこうやま・よういち 30年以上の教員経験。代表を務める「TOSS」(教育技術法則化運動)は全国の教員約1万人が参加。
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8【再掲】批評と臨床(其一) ( 苹@泥酔 )
2011/07/19 (Tue) 23:12:34
7951 批評と臨床(其一) 苹@泥酔 2011/04/28 19:12

 彼らは、何を考えているのやら。
 青森県で今年、書道の教員採用試験が実施されるらしい。ただし高等学校ではない。特別支援学校の高等部だそうである。これは想定外(苦笑)だった。意表を衝かれたと云うべきか。今や「青森県の高校教育を信頼していない」状態にある苹の研究テーマは、そうあるがゆえの「如何にして信頼するか」である。そのための方法を一から自前で考え続け、いつかは苹の屍を越えて教育現場に突撃するだろう人々の役に立つレベルに到達する事を願いつつ、書教育周辺の描写対象を(ネット上で表現可能な限り)構築していく事である。それも些か不都合な事に、大抵は死人の視線で書きたがっている。苹は死人であり、隠居であり、廃人であり、精神病者である(自称)。そんな厄介者をわざわざ墓から叩き起こしたがる物好きが居るとは思っていないが、正直またまた「揺れる想い」を脳味噌いっぱいに感じている。…数日前から「批評と臨床」を連載テーマにしようかと思っていた矢先だからだろうか。それを躊躇していたのは、同じタイトルの本が哲学者ドゥルーズにあり、もう何年も前に買ってあるのに未読のまま(自嘲)だからである。「ドゥルーズを読む前に書く」というアプローチで構わないか否か。そうするつもりである分だけ余計に、ともすれば今後「未読である事」に囚われる面が出てくるのをおそれる。
 批評と臨床。~苹の担当は批評の側になるのだろう。臨床に相当するのは学校で云えば授業等々だが、今や臨床の対象は(生徒であるよりはむしろ)患者たる苹自身であり、離人症や分裂症への興味に導かれた上での批評へ向かう段階にあると自己診断している。やり過ぎて「後戻りできない」面も部分的には感じている。あと何年くらい生きられるだろうか。もう授業に全力を注ぐ時間はない予感がする。先のNo.7934稿の無意識、すなわち船だの水だの死だの岩手だの長野だの、投稿翌日から始まった出来事への予感と解釈できぬではない焦りよりも強く、時間のなさを感じている。(あの稿はもう一日くらい寝かせてから出したかったが、三月十日に出したのはセレブ奥様ブログのコメント欄に僅かな痕跡が残る通り、本当に「焦っていたから」である。)
 …こんな調子で書いても仕方がない。続きは後回しとする。(聾文化や左手について旧稿で触れた記憶あり。)
 先ずは本稿タイトルを思い付く前に書いた内容から(↓)。…次稿は、これから書く。


●【No.7934補記】ただの連想。
 何気なく読んでいたところ、或る記述に目が留まった。~先ずは全文引用(↓)。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110416/edc11041608100003-n1.htm
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>【第9回産経志塾】
>作家・佐藤優氏 困難を克服できる日本人
>2011.4.16 08:09 (1/3ページ)
>第9回産経志塾 講師として作家の佐藤優・元外務省主任分析官が招かれた=26日、東京本社 (寺河内美奈撮影)
> ギリシャ人は2つの時間があると考えた。「クロノス」は時系列な時の流れ、「カイロス」はある出来事によって歴史や人生の意味が変わる瞬間。2011年3月11日は、私たち日本人のカイロスとなった。
> 新しい日本を作りつつある今、このカイロスと対峙(たいじ)して根源的に、命とは何か、日本は存在する意義があるのか、日本人とは何かを考える必要がある。日本人は、国家の危機を団結して乗り越えてきた。
> 日本が終戦後、基礎にした欧米的な近代主義には「合理主義」「生命至上主義」「個人主義」の原理がある。これらの原理では解決できないことに直面している。近代主義を超克しなくてはならない。日本人はこれを乗り越える力をもっている。今、震災の現場では、わが国のために命を差し出す人たちがいる。
> こういう時には文学の力を借りる必要がある。小説「塩狩峠」(三浦綾子著)は、暴走列車を自らを犠牲にして止めた鉄道職員の物語。考えてからではなく、体が自然と列車の前に動いた。思想即実践、実践即思想。この中に、私が考える大和魂、日本精神がある。
> 明治天皇の有名な歌に「敷島の大和心の雄々(をを)しさは 事ある時ぞあらはれにける」がある。16日の天皇陛下のビデオメッセージでも、この「雄々しさ」という言葉を使われた。天皇の言葉に人々は大和魂が揺さぶられた。日本の根源的な力を信じることが大事なのだ。
> メメントモリ(死を思え)という言葉がある。戦前の学者、田邊元氏の「死の哲学」を読むといい。原発事故が起きた。電気なしでは生活できない時代は、常に死のリスクを伴っていることを認識しないといけない。
> 戦前のエリート教育を記したものには「統帥綱領」「総帥参考」がある。こういった豊かな遺産から学び、新しい本物のエリートになってほしい。必要なのは擬古文が読めること、国際情勢の分析ができるよう数学ができること、そして英語だ。
> 今、政治に力はない。ただし政治家は、民主的な手続きで選ばれている。彼らのだらしなさには、私たち日本人のだらしなさが反映している。勉強は自分のためではなく、国家のためで民族のためだという危機意識があれば学力はのびる。地域、商業活動、研究所、役所…どの集団にも指導的な役割がある。その指導者に自覚的になっていってほしい。
>                   ◇
> ≪Q&A≫
> Q 日本の大学は、エリートとして通用する人間を育てられるか
> A 神学部のある総合大学がほとんどないのが問題だが、日本の大学教育は死んではいないと思う。基本的な哲学書を読めば急速に教養レベルがあがる。
> Q 独自の外交ルートを作れたのはなぜか
> A 仕事の上で友達を作るコツは簡単。約束を守るに尽きる。
> Q 学生は今、何をやるべきか
> A まず、きちんと寝て健康を維持する。中高生は学校の勉強をなめず基礎を固めておき、復興のために役立つ人間になること。
> Q 国をよくするために何をすればいいか
> A 税金から給料をもらう「臣」か、自分で稼ぐ「民」かで変わるが重要なのは能力と適性。一生懸命仕事をすることで社会が強くなり、それが国家を強くする。自分の居場所で、一人一人が社会に貢献していくのが大事だ。
>                   ◇ 
> ≪塾生コメント≫
> ▼明法中学、千葉陵平さん(14)「日本人の根幹をなす精神の強さと奥深さを、『塩狩峠』の話を例に教わり、感動した。何をするにも、まず勉強しなくてはならないことが分かった」
> ▼慶応大学、佐藤まい香さん(20)「日本という国にプライドを持つこと、戦前の歴史、書物を学ぶことが非常に大事だと実感。思想は、さまざまな事象に大きな影響を与える。積極的に学んでいかねばならないと痛感した」
> ▼自営業、小山貴之さん(27)「内部事情の話を聞くことができてうれしかった。『大和魂で、絶対に日本を復興させなければ』という信念で、これからの人生を歩んでいかなければと思った」
> ▼会社員、形見健太郎さん(28)「『東日本大震災において、われわれ日本人は限界を超克できることを証明した』という話にとても勇気づけられた」
>                   ◇
>【プロフィル】佐藤優
> さとう・まさる 昭和35年、東京都渋谷区生まれ。51歳。同志社大学大学院神学研究科修了。60年、外務省にノンキャリアの専門職員として入省。ロシア語を研修で選び、同年5月に欧亜局ソビエト連邦課に配属。62年、モスクワ国立大学言語学部に留学。63年から平成7年、ロシアの日本大使館に勤務、10年には国際情報局分析第1課主任分析官。また、東京大学教養学部の非常勤講師(ユーラシア地域変動論)も務めた。主な著書に「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」(新潮社刊)、「国家の自縛」(産経新聞出版刊)などがある。
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 目を引いたのは、「近代主義を超克しなくてはならない」との記述。初めはボンヤリと読み流していた。暫くすると「必要なのは擬古文が読めること、国際情勢の分析ができるよう数学ができること、そして英語だ」と書いてある。なぜ擬古文なのか。~文脈上は「統帥綱領」「総帥参考」といった書物を指す。多分それらが擬古文で書いてあるのだろう。普通に読めば、書字時代から活字時代に移った後の「古文を擬した」書物という事になる(「古文」そのものまで遡るとは限らない)。
 ここでの近代主義は終戦後に導入された。それを超克するには「文学の力を借りる必要がある」らしいのだが、そこから話は戦前へと舞い戻る。また「戦前」が近代に含まれる場合、近代は戦前と戦後に区画される事になる。どうやら苹は、「近代主義」という語彙が指し示す内容の幅に引っ掛かったらしい。~言い換えるならモダニズム。辞書を見ると対置されるのが伝統主義(トラディショナリズム)だそうな。あたしゃてっきり古典主義(クラシスム)かと思ってた。こちらはロマン主義と対置するらしいが、昔『書道講座』(二玄社)で西川寧が「クラシスム」を云々していたからだろうか、しっくり来ない面はある。またモダニズムの後にはポストモダニズムと呼ばれる区分もあり、ややこしいと云えばややこしい。なおかつ歴史で近代と云えば、後に続くのは現代。そんなあれこれが「近代主義」を迷わせる。
 昔から「英語が重要だ」と学校でさんざっぱら教えられてきた。苦手な身としては「たかが言語の一つじゃないか、ドイツ語やら何やらはどうした」と思いたくもなる。現に私は英語圏の文化を余り好きになれない。音楽は大抵ドイツかイタリア。テレビで初めて見たビゼーの歌劇《カルメン》はフランス語でなく小澤征爾の振る日本語上演だったと記憶する。差し詰めハバネラの歌詞はこうだ。「恋は気儘なの、掟なんかありゃしない、私を嫌うなら、愛してあげるわ」…すると続けて兄さんがた、「愛して!」と合唱する。続けてカルメン、「私を嫌いな男は好き、好かれた男はご用心」と歌う。ベートーヴェンの第九でも異様なFM体験をした。これも指揮は小澤だったかな。歌詞は全部、中国語に翻訳されていた(仰天)。
 言い訳にゃならぬが、ともかく外国語は会話や読書の対象にならないのが実情でござる。なにしろ様々な邦訳がある。こちとら青森の田舎者だ。会話するにも相手がいない上、喋る内容が相応の語学力を要求するとなると挨拶程度では済まない。「邦訳で『ファウスト』を読んだが、ホムンクルスがよく分からない」なんて話を(ドイツ人でなく)アメリカ人と交わすのかい。それとも三沢基地近辺にのこのこ出かけて行って、「小学生の頃に原爆や水爆の作り方を読んだけど、ウラン235を使う広島型とプルトニウム239を使う長崎型では使い勝手に違いはあるの?」なんて話でもするのかい。今なら…そうだな。「潜水艦や空母は原子力を使ってるけど、事故や攻撃でダメージがあった場合、原発とはどんな閉鎖方法の違いがあるの?」とでも問いますかね。…そう云や先日、こんなの(↓)を行きつけのブログに書いたっけ。前半略。
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>(余談)
> 「日録」読んで思い出した。日本に原潜はないけど、原船「むつ」なら昔あったんだよなあ(…あの船は今?)。真逆、あちこちに原子力発電船を浮かべたら津波対策になる…なんて事はないよね。電力の無線送信なんて技術はないだろうし(これが文字通りのデムパ発言!)、送電ケーブルの緊急切断と即時出航なんて芸当も現実的とは思えないし。まかり間違えば漁船みたいに津波上陸して破滅的危機の同時多発と相成っちまう。…米の原子力空母ならどうするんだろか(次の地震に伴う津波が横須賀寄港中の空母を襲い、ビル群を破壊しながら原子炉爆発?)。
>【2011/04/16 06:35】 | # [ 編集]
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 …閑話休題(汗)。
 どんな返事があるにしろ、外国語のそれを聞き取れるほどの耳は持ち合わせていない。ならば筆談か。漢文ならどうにかなるかも知れないが自信はない。数学も正直よくワカラン。例えば禰津和彦『書道心理学入門』(木耳社)で興味を持って、岩下豊彦『SD法によるイメージの測定』(川島書店)を買った所まではいいけれど、中身が数学だらけでチンプンカンプン、早々にお蔵入りとなった。因みに禰津氏は約二十年前の出版当時、東京都立狛江高等学校の校長(定年退職間際?)。時は現代、それだけ書道教員への要求水準は高いのだぁ。ぼちぼち各地で教員採用試験の実施要項が出揃う頃だが、かてて加えて「敢えてレベルの低い授業、もしくは歪曲教育をする」胆力、忍耐力までもが要求される。
 「メメントモリ(死を思え)という言葉がある。」~この言葉を、書教育にも適用してみたい。

 学校で研究するのではなく、学校を研究するには、時として学校が邪魔になる。学校で学校を研究する場合、時として学校の邪魔になる。その辺が難しい。学校の邪魔にならない場合に限り、学校で学校を研究できる。学校は研究者を飼育するからだ。そもそも学校で研究が許されているとは限らない。研究してもよい事と、研究してはいけない事。その境界を見定めないと、学校という組織に自分を同化するのは難しい。
 「想定外」という言葉がある。最近よく聞く常套句だが、遣い方によっては「想定内」との間に危険な断層を生じさせてしまう。割れ目にはエロティシズムが垣間見える事もある。期待される恍惚感が絶望的なまでに唆される時、そこでは絶望そのものが甘美となるだろう。つまり「想定外」と「想定内」との間に境界はなく、甘美な何かへ向かう点では共に軌を一にする。排除されるべきは断層の方であって、そこを埋める事によってのみ、言葉もまた無事に埋め立てられるだろう。断層が埋葬されるのか、断層に埋葬されるのか、共に対象を見定めるのは難しい。

(以下未執筆~続く)
4旧稿発掘~「女臣復活」以降 ( 苹@泥酔 )
2012/03/24 (Sat) 21:36:29
 「天バカ」旧板の全滅直後にグーグルのキャッシュで掻き集めた稿は残り少ない。うち一つの頁を見ると、各稿が下記の順番で並んでいる。

7325 女臣復活 苹@泥酔 2009/03/05 02:22
7326 追記 苹@泥酔 2009/03/11 23:10
7327 以下蛇足 苹 2009/03/18 07:36
7330 「竹行」余談 苹 2009/03/23 07:35
7331 【朝令】前稿訂正【暮改】 苹@泥酔 2009/03/23 22:04
7339 四月になった。 苹@泥酔 2009/04/02 22:51
7346 女色清玩 苹@泥酔 2009/04/05 20:34
7350 Re:女色清玩 ミッドナイト・蘭 2009/04/06 23:02
7456 女色清玩(補記) 苹@泥酔 2009/05/10 22:06
7459 ともすればネット中毒… 苹@泥酔 2009/05/12 22:15
7472 Re:ともすればネット中毒… キルドンム 2009/05/17 11:33
7478 訂正&余談二題 苹@泥酔 2009/05/19 02:32
7332 【回想】その夜はクリスマス・イヴ…【奥様】 苹@泥酔 2009/03/24 23:37
7636 【奴隷&ユダヤ】セレブ奥様ブログから転載(其一) 苹@泥酔 2009/09/24 22:05
7637 【奴隷&ユダヤ】セレブ奥様ブログから転載(其二) 苹@泥酔 2009/09/24 22:10

 これらと前後する書道絡みの稿を再掲しようと思ったものの、残念ながら草稿用ファイルには投稿番号も投稿日時も記録していない(ただしタイトルと本文は投稿順に保存してある)。どのツリーにどれを連ねたかの記憶も曖昧である。上記稿の投稿日時から雑駁に推定するより他はない。
 …地元紙の2012.3.23夕刊に、青森県の教職員人事異動名簿が載った。一人は苹の存じ寄り。昔それなりの因縁があった。まだ名字が変わっていないのは所謂「行き遅れ」「売れ残り」だからだろうか。それにしては何やら別の憶測をしたくなる人事、結婚か出産予定への配慮であれば喜ばしい(一家の長女だから、婿取りした可能性もある)。大学時代は苹の友人から「子宮のある男」と評されていた。~そんな訳で、私事ながら何もかもが懐かしく、さほど関連がある訳でもないのに、先ずは上記稿から幾つか再掲してみたくなった次第。
 その余勢でこれから着手する予定の投稿日時不明稿、当面の範囲はどの程度に絞ればよいかしら。思い返すと大量で、愛用ワープロソフト「一太郎」の文書スタイルをいじらぬままなら既に千頁単位となっている。…まあ、差し当たっては適当にやっとこう。

 それにしても面妖なのは、青森県に限った事ではないのだろうが~教育界が開国以降、書道に「通常の文字言語機能を必要としないコミュニケーション」を強いてきたらしい事と、それを今なお更に極端な方向へと変質させたがっているらしい事。表立って感じられるのは恰も「言語の優劣」を問うかのごとき趨勢で、背景には英語信仰の影響が相変わらず燻っていると見て間違いあるまい。
 こうなるまでには、いくつかの段階があった。開国前は長崎の出島を窓口とする諸言語、すなわちオランダ語(その前はポルトガル語)と支那語と朝鮮語が目立ち、ロシア語、英語、フランス語との接触は暫く後になる模様。開国前後の期間に英語の重要性が認知される様になるが、この時点ではフランス語やドイツ語などのヨーロッパ諸語を圧倒するほどではなかったらしい(ただし英語はイギリスとアメリカに重合する)。そもそも鎖国時代、清国の半分程度しかオランダとは交易しておらず、開国後に支那文化がいっそう流入してくるのは自然な流れであった。尤も支那朝鮮とは遙か昔からの腐れ縁ゆえ特に珍しくもなく、また日本の教養人自身が漢文を駆使してきた事もあって、支那語は日本式に読み書きすれば母語と大差なかった。それに比べ欧米文化は当然ながら目新しく、廃仏毀釈に見られる様な文化面の自己否定とは表裏一体の関係となっていく。
 教育史上では早い時期から、英語教育の導入が進められてきた。初代文部大臣の森有礼は英語国語化論者でもあり、その旨の書簡をホイットニーに送ったのが明治5年(1872年)。他方、現代日本語(共通語)への流れを示す語彙としての「国語」が最初に用いられたのは明治18年(1885年)で、正式に国語が小学校の科目となったのは明治33年(1900年)。その過程で日本語破壊(国語への再構成)が企てられ、漢字からの草略体排除や変体仮名の廃絶が予めプログラムされた。従って戦前も戦後も事実上、総ての学校教員には暗黙の日本語破壊義務が課せられている事になる。すると相対的に、戦中を除き一貫しているのは「国語に対する英語教育の優位性」という事にもなり、その歴史は御覧の通り「国語の成立より古い」。
 敗戦後、この傾向はいっそう露骨になった。第二次大戦勃発前から(開国前の)日本語破壊は既定路線だった上、占領期の教育政策が「日本語に対する英語の優位性」を植え付けた。~余談になるが、英文学者の会津八一が平仮名専用の和歌を詠んだのは、この辺の事情とも若干の関連があるらしい。行草変体仮名交じりで表記された江戸時代の書物が読めなくなりつつある風潮(中野三敏の表現を借りるなら「和本リテラシー」の崩壊)を、八一の親戚筋は早くから危惧していた模様。
 閑話休題。~ざっと纏めれば大体こうなる。それを踏まえて旧稿再掲を開始する。
8【再掲】投稿日時不明稿(其六) ( 苹@泥酔 )
2012/04/20 (Fri) 01:00:19
「其一」補遺
 ふと気になったので、芳澤勝弘ネタに戻る。先ずは下記サイトを御覧あれ。
http://iriz.hanazono.ac.jp/frame/yoshi_f01.html
 先日、No.7327やNo.7330で竹島ネタを書いた。そこでは誤読の問題を扱ったが、上記論文を読むと芳澤氏も同様の瑕疵が紛れ込みやすい事を自戒しているらしい。そこで苹も横から便乗(?)、芳澤論文の読後雑感を軽率かつ雑駁に書き散らしてみる。

 「第1回」。~とどのつまりは、「鷄噪鴉鳴」の「鷄」が「鵲」の誤読、という訳である。画像を添えてあるのが有難い。確かにどう見ても偏は「昔」である(懐素の自叙帖などを思い出した)。
 ただし旁は画像が汚くて判読しにくい。総合的に見れば「鳥」しか考えられないのだろうが(私もそうだ)、個別(=部首ごと)に見れば元々「鳥」と「烏」は判別しにくいし、更に分解すれば上部の普通は「ク」型になる箇所が「ソ」型になっている点、やや気に懸かる。ならば下部はどうだろうか。クルッと巻くのは「寺」などの字にも普通に見られる。かてて加えて「等」の書写体(楷書~特に写経で頻出)や草書は草冠と同じ形に書くから、「昔等」の組み合わせも考えられぬではない。しかしそんな字はない。だから私は消極的かつ経験的な意味で「鵲」だろうと推測する訳だ。
 そんな態度じゃ、中には「苹の言い分など信用できない」と思う人も出てくるだろう。無理もない。私自身、必ずしも私の判断を信用している訳ではないのだから。それを補強するために学問が要る。判断の根拠が字から文へ、そして古典へと拡張されるのである。~たぶん専門家も素人も同じだろう。典拠が見つかると嬉しくなる。自分の判断を確信する様になる。しかしその判断自体は詐欺被害者のそれと同質であり、「古典に騙された学者」となる可能性に常に脅かされている。すると芳澤先生は「文から字」に戻って初めて、「字に騙された文」から逃れられた事になる。そうしたプロセスを予め度外視するのが活字世界なのだぁ。ここでは活字への盲信が歴史や文化の歪曲に繋がる。片や読者は本質的に、先ず「騙される立場」から理解の一歩を踏み出す事になる。
 「第3回」の「祥鱗」。~「鱗」を「麟」に読み替えるのは問題がある。しかし敢えて善意で読むとすれば、これも或いは「活字に騙された」口だったのかも知れない。そもそも研究者とて「原本を見る」機会は殆どないのだから、活字化された先行研究に依拠するのは或る意味「当然」である。そこには権威も絡む。先行研究が同時代の先輩・同輩によるものばかりとは限らない。例えば三百年前の研究者が五百年前の文献を研究した場合、どちらも「今」の立場から見れば、研究対象自体が古典的権威を有する事になる。
 「第4回」の「了」はどうだろうか。画像を見ると疑問が出てくる。上部の点画が離れて見えるのは何故なのか。「了」でなく「兮」の書写体ではないのか。そうした疑問を解決する武器が学問である。しかし私には蘊蓄がない。芳澤先生が「兮」でない理由を講釈してくれたら有難いのだが、…まさか『WiLL』編集者が此処を見て、本人に「こんな感想ありますた」と連絡する事はないよねぇ。今ちょっぴり「瀬尾はやまるな」と茶化したのを後悔してる(とウソ丸出しで書いてみよう)。
 しかしどのみち、あの字を「事」と読むのには無理がある。「事」の草書はクルリと巻き込むのが普通だし、丁寧に書けば上部には「る」と同様の段差が付く。段差は丁寧に書くのに巻き込みは省略するってぇのは、書き手の立場からしてみると余りに不自然なのだぁ。てな訳で結局は「了」か「兮」のどちらかなのだろう。いづれにしろ芳澤説には説得力がある。
 「第6回」の誤読指摘。~もしかして「拗」は欠画か何かなのかしら。「幼」は偏旁がズレて上下の構成に近付くから、末画を書かなかったとしたら何か理由がある筈なんだけどなー。あと、「与」の末画を烈火で書く形は初めて見た。「焉」と書き分けている点から見ると、別字である可能性は大きいのだろう。次の字はどう見ても「象」。「衆」には見えない。…と書いてふと思い出したのだが、昔「大衆食堂」の看板で見かけた「衆」の誤字(下半分が「豕」)はいつ頃から書かれる様になったのだろう?

 「第25回」のは芳澤先生の指摘する通り「伴」…てな具合に、ゴチャゴチャ書くと畢竟こうなる。「字はそれ自体が場所」であり、しかも部首のクラスターが草略により「いっそう字らしくなる」。この感覚を大学進学以前に履修して置かないと、後で苦労するのは研究者自身だろう。一般人とて同じ事、民度が高くないと石鼓文が発見された時みたいなエピソードと相成る(めんどくさいから一々調べてないけど、あれは農民が石臼として使用してたんだっけ?)。
 私が書道に学問の基礎を見るのは、教員としての在り方をパフォーマンスや展覧会入賞の欲望に収斂させていないからである。基礎指導への誇りを確信するがゆえであって、その逆ではない。だからこそ学者連中には文句の一つも云いたくなる。学問は基礎を舐めてはいけない。どこにでも瑕疵はある。同じ事が基礎指導する側にも云える。
 芳澤先生はその先の領分で研究成果を纏めた。「基礎指導は任せた、ガンガレ教員諸君」と云いたそうな気配も『WiLL』インタビュー記事からは伝わってくる。そこには編集者の手柄もあろう。紹介されない研究者は、狭い世界に埋もれゆくだけなのだから。



援交天皇
 今日、初めて知った。宮台真司『援交から天皇へ』(朝日新聞社)って本があるそうな。刺激的なタイトルが気になったので取り敢えず転用。ただし括弧を入れて二十字分では長過ぎるから、思い切って短縮した。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=860
 西尾先生の新刊を目当てに書店へ行ったら未入荷だった。八日には店頭に並ぶと「日録」(↑)に書いてあるのを見て、「そろそろかな」と思ったのが甘かった。しかし手ブラで帰るのもアレだ。そこで偶々目に留まった佐々木敦『ニッポンの思想』(講談社現代新書)を買ってきた。…上記宮台本が参考文献欄に載っている。道理でパラパラ捲ると天皇問題(?)がそこかしこに顔を出す訳だ。P.219の小見出しは「福田・大塚・宮台の「天皇論」」で、その後P.222の「「かわいい」天皇」、P.224の「あえて天皇主義者」と続く。それによると「もっとも面倒くさいのが宮台真司」だそうで、「心情的には自分も天皇主義者」でありながら、「しかし、これが「天皇制」ということになると、話は一気にややこしくなります」だそうな。
 どれもややこしそうなのが却って面白い。論理の狭間に沈黙が感じられない。ただ陛下の沈黙だけが俎上に空中浮遊する。あたしゃ不覚にもオウムの教祖と比較したくなっちまったが、システムに目を向ければそうした方向からアプローチする誘惑に駆られる事もあるのだろう。因みにP.259の小見出しは「小林よしのりと「J回帰」」。「小林は「オウム」による暗殺計画のターゲットになっていたこともあり」云々と書いてあり、これにも苹はビックリした。ほんまかいな。
 宗教と云えば、「幸福の科学」ってのもあったなあ。…昔、行きつけの名曲喫茶(酒場?)のマスターが信者なので、付き合いで一年ばかり入会してみた事があった。地域の集会にも一度だけ参加してみた。あれは確かフライデー騒動(だったかな?)の前である。その頃テレビで教祖を見て仰天。大集会で「私は大川隆法であって大川隆法ではない。エル・カンターレである!」と宣言していた。ファッションは奇抜だった。本も何冊か買ってみた(ただし文庫本だけど)。その中の一冊で初めて谷口雅春って名前を知った。色々な人の霊言集があり、どこが「科学」なのか分からなかった。最近は政治にも関心があるらしい。セレブ奥様のブログを見ると田母神氏も巻き込まれてる様で更にビックリ。あそこは国体についてどう思ってるのかしら。かれこれ二十年近く新刊を読んでいない。私はとっくに浦島太郎である。気が向いたら先ず、当時の文庫本から読み直してみようかしら。

 …話の方向を変える。
 浅田彰ブームと絡むから当然と云えば当然ではあるが、件の本はドゥルーズの話題が多い。その中でビビビと来たのが以下の記述だった(P.319~320)。
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> 規律訓練型社会はイデオロギーの統一を必要とする。環境管理型社会はイデオロギーの統一を必要としない。これは言い換えれば、後者の社会では、特定のイデオロギーと秩序維持の目的が切り離されているということである。
> したがって、ポストモダンの社会は厄介な二面性を帯びることになる。それは一方では、近代的な「大きな物語」の強制を放棄し、多様な価値観を歓迎する寛容な社会である(多文化主義)。ところが他方では、そのような多様性を安全に楽しむために、たえず個人認証と相互監視を必要とする強力な管理社会でもある(セキュリティ化=排除社会)。このどちらに注目するかによって、ポストモダンの捉えかたはまったく変わってしまう。
> たとえば日本では、いまから二〇年ほど前、ポストモダンの社会構造を特徴づけるものとして「リゾーム」という言葉が流行したことがあった。リゾームとはフランス語で「根茎」を意味し、現在なら「ネットワーク」とでも呼ばれるような、無数の結節点が多方向に連結している複雑な構造を指している。このイメージは誤りではないが、本論の枠組みからすれば、ポストモダン社会の多様性の水準にのみ注目した一面的な見方だったということになる。問題は、その消費の多様性を支えているシステム、レッシグの言う「アーキテクチャ」なのだ。 「情報自由論」(『情報環境論集 東浩紀コレクションS』)
> ドゥルーズ=ガタリが言っていた「脱コード化」された「社会(国家)」、すなわち「リゾーム」は、ある意味では実現されました。しかしそこには、カオスと紙一重である「リゾーム=ネットワーク=多様性」を円滑に問題なく維持するための機構=アーキテクチャが必要なのだ、ということです。でないと、それはあっという間に無秩序と混沌に陥ってしまう。
> 前にも述べたように、浅田彰は「スキゾ・カルチャーの到来」(『逃走論』)の末尾で、「電子の密室の中に蹲るナルシス」と「スキゾ・キッズ」、「ソフトな管理」と「スキゾ的逃走」とを対置し、後者に期待を寄せましたが、「ゼロ年代ニッポン」は、あきらかに「ナルシス=オタク」と「ソフトな管理=アーキテクチャ」の方に軍配を上げました。そしてそれは、「スキゾ」と「逃走」にもともと潜んでいた、まぎれもない非現実性を露わにすることでもあったのです。
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 ここで云う「円滑に問題なく維持するための機構=アーキテクチャ」に相当するものが、私という一読者の中では国体と重なり合う。…むしろ仮に、こう言い換えてみてはどうか。皇室は「見えないリゾーム」(被祭祀者)を取り巻くエーテル的顕現、かつ自己限定の起源であると。皇室は天皇ではない。天皇を包括するエーテル的システムの単位であり、天皇は「後から生まれる」のであると。従って天皇に固定的実在はない。その証拠に、天皇は永遠の生命を持つ非人間的存在ではない。それどころか、システムを仮構した途端に非実在性が「天皇として」そこに宿る(即位)。ここでは「生まれる事」自体が天皇の影であり、影を見て母体を見ないのでは結局「影に踊らされる」事になろう。もちろん皇室も天皇に踊らされる。だからこそ天皇は或る意味「皇室の障壁」としての自己限定を機能させる事になる。つまり「皇室あってこその天皇」は皇室を排除できよう筈もなく、それ自体が一つの秩序を理念的に象徴する。皇室という現実なくして天皇という理念は生まれる事さえ出来ず、そうした自己限定のシステムが日本のネットワークを包括的かつ倫理的に呪縛する。
 そうした印象に囚われつつ、P.329~330の記述を引用してみる。
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> その前に言っておかなくてはならないことは、けれどもしかし、こうした事態は、「ポストモダン」が胚胎した、あの「八〇年代」にこそ源があるのだということです。「ポストモダン」は、「大きな物語」の失効により「小さな物語」が散乱し、氾濫するさまを、希望に満ちたポジティヴな像として描き出しました。しかしそれ以降、多様化と多元化と複数化と相対化が、ひたすらどこまでも進み、どうしようもなくなっていった。「九〇年代」は、かつての「理念=理論=理想」の位置に「リアル」を代入することで、その悪しき「リゾーム化」(!)を押し止めようとしたけれど、「ポストモダン」は、その「リアル」さえも相対化してしまう。じゃあもういっそ、このどこまでも続く相対化(ポストモダン)を丸ごと認めるしかないではないか、ということです。
> もちろん、このような考え方は、浅田や柄谷が警鐘を鳴らしていた「最悪の現状肯定」に陥りかねないものですし、何よりも、ひとの生死にかかわるような倫理的な判断の根拠を阻喪させる危険性があります。実際、最近の東浩紀に対しては、そのような批判もあります。しかし筆者は、この点では東浩紀も揺れているのだと思います。それはまず、「ポストモダン」の徹底化は不可避的に底が抜けてしまう。しかしちゃんと考えれば考えるほど、明らかにそうならざるを得ないことがわかるし、いずれにせよそれは自分個人の力で変えられることではない、ということです。しかし、たとえば「情報自由論」の最終回には、こう書かれていました。
>
> 正義とは計算不可能なものである。生活のあらゆる場面がデータ化され、解析され、リスク管理の資源としてシステムへとフィードバックされる環境管理型社会において、この言葉ほど、わかりやすく、そして実行が難しいものがほかにあるだろうか。 「情報自由論」(『情報環境論集 東浩紀コレクションS』)
>
> この「計算不可能なもの」こそが「ポストモダン」への最後の対抗物です。しかしそれは「実行が難しい」と東浩紀は言う。このことにかんして、筆者はいま、東浩紀と話してみたい気がしています。
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 さあ。よく分からぬが、ともかく「正義」が出てきた。計算は不可能かも知れないが、信仰は可能である。信仰者でなくとも信仰文化には予め巻き込まれている。その事が日本人の切羽詰まった土俵際に立ち現れるだろう。逃走はどこまで行っても逃走であり、その先に安住の地があるとは限らない。その事は他ならぬ朝鮮半島が何よりも雄弁に物語っているのではないか。「八〇年代」に誘惑される以前の逃走が根拠を見出した時、逃走への誘惑は果たして在日逃走者達の何を何処に救出できたのだろうか。正義は何処にでもある。問題は在処だ。
 …と書いてはみたものの、私に「信者」の自覚はない。生まれながらにして包まれている事なら分かるが。要するに「環境」なんだ。そうでなきゃ、本稿に「援交天皇」なんてタイトルを付ける訳がない。たぶん省き過ぎた。しかし敬意がない訳ではない。私にとっては、国体と伝統文化との区別がひどく付けにくい。だから尚更、皇室とか天皇は遠い。きっとそれで構わないのだろう。あたしゃ「ただ包まれているだけ」で充分。

 …話は前後する。
 ドゥルーズの国家観について。~前々から思っていた事だが、以下の文章をどう読めばよいのだろうか。ドゥルーズ+ガタリ『千のプラトー』(河出書房新社)P.520。
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>われわれはここでもまた文字通り世界的規模の公理系の実現モデル問題を見出すのだ。中心の国家群における原則的実現モデルとしての同形性、官僚社会主義国家によって課された異形性、第三世界の国家群の組織された多形性。ここでもまた、民衆運動がこうした内在性の場に侵入することはあらかじめ失敗する運命にあるとか、もう一方の極に民主主義国家、社会民主主義国家、社会主義国家などの「良い」国家があるとか、反対にすべての国家は同じもので等質であると想定するのは馬鹿気たことだ。
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 「馬鹿気たこと」…日本での左翼的議論は破綻を予言されていたのではないのか。彼ら左翼の想定が、上記のどれから逃れられていたと云うのか。
 話のついでに、もう一つ。以下は檜垣立哉『ドゥルーズ 解けない問いを生きる』(NHK出版)P.122。
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>浅田の本は(『逃走論』筑摩書房、も含めて)八十年代に流行した、ポストモダニストとしてのドゥルーズのイメージを決定づけた書物である。この本でのドゥルーズのとりあげ方は、典型的に一面的である。そもそも哲学史のなかのドゥルーズの位置づけを踏まえていない。参照しているテクストはほとんどが、ガタリとの共闘以降の、ポストモダン的実践の色彩が強い時期のものでしかない。現代思想のなかでのドゥルーズの切り分け方も、クリアさが売りのこの本にしてはあまりピンとこない。マルクス主義壊滅後のサヨクの論理を救うためにドゥルーズの破天荒さを動員してやれという意図は性急である。
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 今、たぶん私はドゥルーズの国家観を見直している。それについて一つだけ、何年か前にこんなのを書いた事があった(↓)。上記転載二例も以下のも、単に旧稿草稿ファイルから発掘しただけの話である。いつ、どこに書いたかは記憶が既に薄らいでいる。もしかしたら、五年くらい前の稿かも知れない。
 取り敢えず、以下は当時の投稿全文。余計な箇所は敢えて省かずに置く(荒い書きぶりでゴメン…)。
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>>家族・国家・ポストモダン
> 私の書き癖だと限りなく100%に近い確率(爆)で「雑談スレ」化していく筈ですので、打ち止めにする前にいったん開き直った上で、これまでの流れに絡む事をあれこれ。
>
> ゆっくり二代目板を覗こうと思ったら、上の「過去録3」から目当てのリンクが消えている(汗)。~あの時、西尾先生の書き込みには腰を抜かさんばかりに驚きました。そこで私は防衛機制の「逃避」そのままに反応。
> 「こんな筈はない、何かの間違いだ。もしそうでないのなら、何か裏がある。きっとあれは定期考査の様なものに違いない(トラウマ再現?)。落第しない様に精一杯の事をしなければ。恐縮とかなんとかの社交辞令なんか書いてる場合じゃないぞ。」
> あれが却って先生の気分を害した可能性なきにしもあらず。しかしそれはそれとして、「日録」本文からあれこれ勝手に読み取っては(自分の書き込みにこじつけては)喜んだりする事も。~最近は遠藤先生のブログでも、同じ妄想をして喜んだりしてます。
> よくよく思い出すと、あたしゃ昔からそんな癖があったんだな。勝手にぐだぐだ考えて、偶々それと似通った事が書いてある本を見つけると自分の事みたいに喜ぶ。ドゥルーズやチョムスキーの本の場合もそうだった。全体の方向はかなり違っていても、発想の一部が似通っていると嬉しい。むしろ圧倒的に深化した中身となっているから勉強にもなるし、違和感を感じたら疑問の泉としても役立つ。
> 例えば~どうして西尾先生はポストモダンを警戒するのだろうか。左翼に利用されているからだろうか。ならばドゥルーズの本を読み直してみよう…となる。その時に見つけたのは、『千のプラトー』邦訳279~280頁の下記の部分。
>==============
>(略)われわれは系統関係には疫病を、遺伝には伝染を、有性生殖、つまり性的生産には伝染によって増加する群生を対置する。人間の集団でも、動物の集団でも、とにかく集団というものは伝染と疫病によって、また戦場の土煙と破局によって増殖する。これは、再生産されることがなく、しかも一回ごとに再開され、そのつど拡張していく性的結合から生まれ、それ自体としては生殖能力をもたない雑種に似ている。自然に反しての融即、自然に反しての婚礼こそ、あらゆる界を横断する真の大自然である。疫病による、あるいは伝染による伝播は、遺伝による系統関係とはいかなる関係ももたない。たとえ二つの主題が混ざりあい、たがいに相手を必要としあうとしても、両者にはいかなる関係もないのだ。吸血鬼は系統的に発生するのではなく、伝染していくのである。ここに認められる違いは、伝染や疫病が完全に異質な複数の項を動員するという点にある。たとえば一人の人間、一匹の動物と一個の細菌、一個のウイルス、一個の分子、一個の微生物など、たがいに異質な要素を動員するのだ。トリュフのように、一本の樹木と一匹の蠅と一頭の豚が組み合わさる場合もそうだ。発生的でも構造的でもない組み合わせ、界と界のあいだ、そして反自然の融即。ところが大自然というものは、こうして自己に反する形をとるしかないのである。これは系統的生産や遺伝的再生産とはかけはなれたあり方だ。なにしろ系統的生産や遺伝的再生産がとりあげる差異には、同一種内における性の二元性と、世代を重ねるうちにあらわれてくる些細な変化しかないのだ。逆にわれわれの立場からすると、共生する項に等しい数の性があるし、伝染の過程に介入する要素に等しい数の差異がある。われわれは知っている、一人の男性と一人の女性のあいだを数多くのものがよぎるということを。そしてこれらのものは別の世界から風に乗って到来し、根の周囲でリゾームをなすということを。これを理解するには生産のタームで考えていては駄目で、ただひたすら生成変化のタームで考えなければならないのだ。宇宙は系統的に機能するのではない。私たちとしては次の点だけを強調しておこう。つまり、すべての動物は群れであり、すべての群れは伝染によって形成され、発達し、変化していくのだということ。
> こうして、たがいに異質な複数の項からなり、伝染によって連動する複数の多様体は、一定のアレンジメントに組み込まれる。そして人間が動物への生成変化をとげる場は、まさにここにある。またそうであればこそ、われわれの心の奥底にうごめく暗いアレンジメントを、家族制度や国家機構のような組織体と混同してはならないのだ。そのようなアレンジメントの実例として、狩猟集団や戦闘集団、秘密結社や犯罪結社など、さまざまな団体をあげることができるだろう。生成変化はこの種の団体に帰属するのだ。ここに家族タイプに属する系統の体制を求めてはならないし、国家、あるいは前国家タイプに属する分類・帰属の様態や、宗教タイプに属する系統的制度を求めることもできない。見かけはどうであれ、また混同の余地はあっても、ここには神話の起源もなければ、神話を適用する余地もない。これはコント〔奇譚〕であり、生成変化の物語と言表なのである。となれば、群れが最も低い水準にあって、それがやがて家族的・国家的社会に席を明けわたすのだ、と主張する空想的な進化論の視点から集団を階層的に把握するのは愚劣だということにもなるだろう。たとえそれが動物の集団でも、決して階層的に把握してはならないのである。それどころか、ここには質的な違いがある。群れの起源は家族や国家の起源とは似ても似つかない。家族や国家とは異なる内容の形式や表現の形式を動員しつつ、家族や国家をひそかに突き動かし、外からおびやかし続けるところにこそ、群れの起源が求められるからである。(略)
>==============
> …どの部分から、家族や国家への否定的感覚が汲み取れるのだろうか。「われわれの心の奥底にうごめく暗いアレンジメントを、家族制度や国家機構のような組織体と混同してはならないのだ」と、はっきり書いてあるではないか。「群れの起源は家族や国家の起源とは似ても似つかない」とも書いてある。そして「外からおびやかし続ける」群れを今、私は中国の内なる脅威として感じ取っている。
> 左翼はテロリストを哲学的に支持しているのではないか…と疑いたくなる。しかし私とて、「ドゥルーズの分厚い著作から一部分を切り取って拡大解釈しただけではないか」と云われれば返す言葉に詰まる。私はその筋の専門家ではないのだし、その分だけ反論に時間がかかる。私は「相手の神を叩く」より、敵方の「神への冒涜」を糾弾する方が適切だろうと思うのだが、諸先生方や閲覧中の皆様はどんなふうに感じるだろうか。
> 因みに私は二年半前、某板にこう書いた。~「ジェンフリ連中は生徒集団をどこに導こうと云うのか。狩猟集団か、戦闘集団か、秘密結社か、犯罪結社か。それとも「学校マンセー!」の教育結社か。」
>
> ううう…また脱線した(泣)。興奮すると、私はすぐ横道に逸れる(特に泥酔中は)。
> 私は何を書こうとしたんだろう?…そうだ、思い出した。私は「時々敵前逃亡」の件を「桃板への誘い」と受け止めたため、あんなふうに書きました。あきんど様に反省されると、却って恐縮しちまいます。
> これだけが書きたかったのに、私の贅肉は既に「病膏肓~」の域へ達している模様。…それはそうと、贅肉っていいな。たとい相手が貧乳でも、たらふく食わせて太らせれば、ふかふかして(以下、自粛)
>
>
>(余談)
> 四十五分の記者会見、拝聴しました。ISDN環境のせいか画面が出ない。しかしその分、ダウンロード時間が短縮したから嬉しくない事もない。~なにやらNo.1043以降で賑わってる様だけど、私の場合は遠藤先生のブログを見て委細氷解(さまよえるオランダ人記者も現場に居たのね…)。
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(2012.4.20補記)
 投稿日時に関する関連雑記は、こちら(↓)に少しだけ書いてある。
http://imoshiori.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8025418
 その中で触れた「家族・国家・ポストモダン」稿の直前稿「追憶~リトルネロ」(どちらも2005.5頃の初出)を、以下に念のため全文再掲して置く。
 唐突に「あきんど様」や「貧乳」などの話題が出たのを、此処の読者は怪訝に思った筈。御一読いただければ、話の流れは概ね忖度できるのではないかと思う。ただし書道ネタではないし、内容は支離滅裂。むしろ話の流れを少しは「まとも」らしく軌道修正しようとしたのが「家族・国家・ポストモダン」稿だった…とも云える。
 当時、掲示板の住人は二桁に達していた。遣り取りは時に猥雑で、はぐらかすかの様な書きぶりを意図的に工夫して近視眼的論争に陥るのを避けようとした記憶がある。なにしろ「西尾幹二のインターネット日録」付属の感想掲示板であるから、前年秋に起きた「空白の十分間」騒動の余韻が気にならぬでもない。そうした意味では、こちら「天バカ」旧板の気安さをあちらに持ち込んだ嫌いもある。
 苹は相変わらずの調子だったが、やがて他の方々の書き込みは減っていった。暫くして日録感想板は消滅、本丸の「日録」も休載期間に入った。セレブ奥様ブログに当時の記録が垣間見える(↓)。そこに出てくる「オピニオン板」というのが歴代「日録感想板」の最終ヴァージョンだった。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-324.html#comment
 苹は電子メールを使わないので、アドレス必須の「日録」コメント欄には一度も書いた事がない(セレブ奥様による転載を除く)。その後にくる「日録」休載宣言はこちら(↓)。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=495
 大体そんな流れになる。~ぼちぼち、追加再掲と参ろう。

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>追憶~リトルネロ
> あきんど様がどこからか引っ張り出してきた閣下のコメントって、勝手応援板(閣下単独管理?)が創設された頃のNo.48と似てますねぇ…。元の文言とは少し違うけど、別の箇所でも似た様な事を書いてたのかな。
> 苹はうっとり思い出す。~あの頃は旧管理団時代の後期じゃった(ここで爺むさい咳ひとつ)。日録感想板はやや敷居が高いためか、傍系に応援板新設。やがて管理団の再編と相成り、応援板がそのまま二代目の感想板に移行。「日録」のブログ化に伴い(だったっけ?)再々編された今のオピニオン板は応援板の直系…と捉えてますから、私の書き込みには先代板の頃の癖が頻繁に出てきます(一稿に複数の話題が併存)。
> 因みに~私が長谷川様を閣下と呼ぶのは、ご本人が旧管理団時代の某板で大昔の渾名を紹介してたから(本当は四字より二字の方が入力しやすいから)。その頃は「日録」系列に複数の板があって、別の見方をするなら旧管理人系の各板が「日録」系の役割を兼ねていた模様。
> 「日録」創設の前、支援板に閣下が乗り込んできた時はビックリしました(この時、初めて桃板の存在を知った)。その頃に一度だけ挨拶投稿してみた事がありますけど、無沙汰が続くとなかなか投稿しにくくなるのよね…。
>
> …で、ちと気になるのは「時々敵前逃亡」の件ですが、うーん…記憶に御座いません(苦笑)。はて面妖な。どれの事だろう。支援板に山形板…どれも勝敗云々の領分とは別物でしたけど、それらとは別の「気が付かなかった」話題のどれか…かな?
> 核心がスッポリ抜けていて、そこを言語化するために別の表現形態を採る…てな場合はあり得るかも。例えばNo.881に出てきた「天皇制度そのものの説明」の場合は、因果律のブラックボックスを想像や解釈で補う事の危険に通じていく様な気がしてます。説明できるとしたら、その手の方法はどのみち、現在から過去or現在に向かって遡行or沈潜していくしかなくなる筈(論理が論理を囲い込み、そして追い詰める)。また~それほど重大ではなさそうな事でも、核心として予見可能な位置=場所を保持する事の方が、持続的な生命力に身を委ねるにはむしろ好都合なのかも知れませんし。核心それ自体にとっては終末を喚び込まずに済む利点がある上、ひたすら周縁で循環する事で「空虚な中心」が生かされる、という事もあるでしょう。
> むしろ筆に喩える方がいいのかな。我々は筆で書くのか、それとも腕で書くのか、脳で書くのか。~脳の中に筆を見る場合、脳の中には筆の占める領野が実在する筈。それを端から見るために血流変化などを磁気的手法で数値化し、画像に変換したりして新たに「脳内領野に持ち込む」。これ自体は筆に伴う反復とも変奏とも云えるでしょうが、どっちにしたって脳そのものに触れたと云えるかどうか、そこにもまた別の判断が伴いますよね。頭をカチ割って外科的に触れたとしても、それを以て「触れた」と云ってよいものかどうか。そもそも「触れる」とはどういう事なのか。実際には触れていなくとも、核心を感ずるだけでそこそこ触れた様な気がする事は意外に多い筈(もちろん勘違いも多い…汗)。
> もう一つ、今度は実例で。
> …中学時代、運動会か何かでフォークダンスしました。私はふとした弾みで、なんと!相手の女の子の乳房に触れてしまったのです。…私は本当に触れたのだろうか。確かに指先は当たった。相手も両腕を胸にあてて、ハンサムな私の目を見ながらニコッと微笑んだ(いけしゃあしゃあ)。しかし私は膨らみを感じなかった(失礼…)。私が思い描く乳房とは別物なのに、しかし確かに触れた気がしないでもない。乳房の多様性には触れたのだろうから、その後の私が仮に貧乳マニアになったとしてもおかしくない(喩えが変態っぽい?)。…触れ方にも色々あるだろう。指先タッチに鷲掴み、もみもみ、痴漢さんが得意そうな手甲すりすり、乳首の(以下、自粛)。
> とにかく、「たぶん貧乳マニアではない」私が真正のマニア世界から隔絶されているだろう事なら想像できる。しかしそこには距離があるだけに過ぎず、距離を隔てて触れる何かがあるだろう事もそこそこ想像できる。…はっきりフェティシズムと書いとくか。しかし実際に女体アタックしてみたところで、フェティッシュな世界が消えてなくなる訳でもない。なにしろ女は海。好きな女の腕の中でも、違う女の夢を見ないとは限らない。そこで私は自分に向かって、「私の中でお眠りなさい」と言い聞かせる。斯くの如く、私そのものがフェティッシュに重合するとなれば、どんな場面で離人症スレスレの破瓜的症状が発現しようと決して不自然ではない筈(私は私の青い鳥?)。
>
> 妄想妄言ちょいなちょいな。…あ、こりゃこりゃ(汗)。
> そんな精神状態で、仮に~私が桃板に乱入したらどうなるか。乳房と筆と天皇制を結びつけるのは、不可能ではなさそうだが無理がある。その手の感覚を場当たり的に持ち込んで、却って混乱したらどうしよう(その前に退場処分でござる)。
> 確かに私は混乱の真っ最中。先日ふと書いてみた「軍事的民間」がイラクの具体的事件の形で頭を掻き乱した今、「そんな狭い在り方じゃないやい!」との思いが噴き出しつつある(テレビでは「軍事の民営化」などと表現する人も居る模様)。私は私で便衣兵やら何やらのケースを想像しては、そんなふうに援用する事の是非と演繹結果を勝手に恐れてみる。就中、ついつい警戒してしまうのが論理の不可逆性。合法性と脱法性の等価交換を、土俗性への配慮にかこつけて試みればどうなるか。
> 政府機能の弱体化に比例して中国民衆の伝統的戦法(?)が表面化したと捉えるなら、日本軍が戦った相手は途中から軍隊と民兵とに分裂する。向こうの政権とは終戦の手続きを経た様だが、民兵との間には開戦も終戦もなさそうに見える。そこにはもう中国という国はなく、ただ反日感情を共有する「軍事的民間」がくっついたり離れたりするだけ。尻馬に乗るのに国益もへったくれもなく、「個人」に限りなく近い徒党の戦いには戦中も戦後もない。それが国際的に通用しないなら、後は通用する体裁を捏造するだけの事。国や党はそのための方便に過ぎず、分はあくまで一方的に被害者(?)の側で独占される。そして~逆恨み、いちゃもん、讒言、テロ等々の総てが国家抜きで成り立つなら、それを「伝統文化」に結びつけて靖国問題と絡める事も或る程度は可能な筈。例えば「中国側の歴史的・伝統的な戦争観を尊重せずに、専ら個人相手の賠償(もちろん二重の歪曲あり)を拒絶してばかりいる日本が、自国の伝統的な見方を楯に靖国参拝を続けるのはおかしい」とか。
> すぐに切り返せる人は沢山いるのでしょうが、私の脳味噌はしょっちゅう空回りするからなあ。せめてこれくらいは論破可能にして置かないと、No.896の要旨をそのまま投稿するのも憚られるし。~とにかく今は、自身にカウンター・インテリジェンスへの感度が不足している分だけ余計に脳内の余裕を確保せねば。融通の効かない理由の最たるものは、事実に関する圧倒的な知識不足。これが私の最大の弱点の一つでやんす。
> とどのつまり…留学生様の件はかなり気になってます。
>
>
>(余談)
http://dokuhen.exblog.jp/
> 福田先生の「備忘録」ブログで、こんな記述発見。
>==============
>10日に「つくる会」の申し入れで外国特派員協会で記者会見が行はれ、そこで海外の特派員を中心に配布された。会見の内容が下記のHPで動画によつて見られるので(約45分)、是非ご覧頂きたい。「つくる会」がいかにまともな会であるかお分かり頂けよう。
http://www.videonews.com/
>==============
> ううう…涎たらたら。まだ見てないけど、どんな具合かしら。
--------------------------------------------------------------------------------
8【再掲】投稿日時不明稿(其五) ( 苹 )
2012/04/14 (Sat) 07:37:25
場所の喪失
 …例えば、派遣切りで住居を失うとする。その場所には他の誰かが入居するか、もしくは空き家となるか、場合によっては更地となる。…派遣切りでホームレスとなった人がどこかに棲み着く。するとその場所が住処となる。見方次第では墓地もまた住処と云えよう。到る処に青山ありて、…いや、東京の青山墓地を指している訳ではない。
 人が場所を失うのか、場所が人を失うのか。文化は人に宿るのか、それとも場所に宿るのか。こう書くと屁理屈の様に見えぬでもないが、例えば~人を失った場所に誰かが訪れて文学が生まれるならば、その場所は文化の触媒となるのだろう。
 私はそんな場所が大嫌いだ。太宰治の生家は「生家であって斜陽館ではない」。しかし生家はいつしか「斜陽館」となった。そこにどんな生活があると云うのか。何が想像できるのか。何かを想像するかも知れない我々と、嘗て何かを体験したらしき太宰との間を、「触媒としての場所」が取り持ったところで我々から文学が生まれる事は稀だろう。畢竟そこに太宰はなく、専ら太宰の影が太宰の役目を代行する。その影の代表格が所謂「作品」だとするならば、作品が太宰を必要とするかどうかも些か怪しくなってくる。しかし確かに作品は「作者を必要とした」のだろう。それが太宰でなくても構わなかったなら、太宰某(筆名)は津島某(本名)でなくてもよかった事になる。にもかかわらず太宰が太宰である様に…かどうか定かでないが、ともかく~例えば或る政治家は、先年『美しい国へ』てなタイトルの本を書いたらしい。
 二つの場所がある。~これはあくまで仮定の話だが、私が今ネットカフェで書いているとしたらどうだろうか。私の打鍵内容はどこかの場所に保存され、複製され、掲示板という場所を画面上に纏いながら、あるがままに表示される。…私に自宅があるとする。私の場所は自宅かも知れないし、ネットカフェかも知れない。場所が必ずしも喪失される訳ではない。ただ移動するだけなのだろう。ところが喪失感を覚える時、確かに何かが失われている。もしかしたら、或いは場所が場所であり続けようとするかのごとき感覚に於て、「私は場所になりたい」という事を意味する「だけ」なのかも知れない。そこには恐らく「場所への不安」がある。この場所がいつまで続くか、先の見えない不安。魂の場所を土足で踏みにじられる不安。自分で自分に嘘を吐かねばならぬ不安。

 教員は学校のために嘘を吐く。…きっと「いじめ」はない筈だ。あってはならない事だから、ない事にしてしまえ。一部を除けば生徒もそれを望んでいる(たぶん)。見つからない様に苛める生徒と、苛めの場所を見つけたくない教員との間で、互いの利害が一致する。しかしエスカレートしては困るから見つけねばならない。そこが授業と大きく違う。
 表向き、授業は公平であらねばならない。…「横並び」と言い換えてみようか。ここでは「誰の」横並びかが重要になる。勉強するのは生徒だが、教えるのは教員である。そして教員は教え方を勉強する。つまり勉強の横並び状態が教員と生徒の間で調和する訳だから、そこに過度の競争があっては困る。だからこそ競争は予め「仕組まれねばならない」。指導の上限と下限の間を無限に拡げ、恰も上限などないかのごとくそれを遠ざける。上限の先を目指すのは進学してからでも遅くない。よって事実上、全国どこでも「先送りと盥回し」が教員の義務となる。
 「それは違う!」と思う教員が殆どだろう。きっと当事者の誰もが認めたくない筈だ。逸脱する教員が現場に居残る事は許されないから、たといそれが事実であろうと、存在しない筈のものを「さも存在するかの様に」仮構されても傍迷惑なだけだろう。「大学の授業を高校で」の例で云うなら、大学の授業は大学でやればよいと思うのが普通である様に。…これはこれで一理ある。地に足のついた近視眼的な理屈が、次々と埋もれゆく現実の束を、「今」から成る「現実の集積体」にひれ伏すかの様に、ひたすら自己言及的な納得の下で凌駕する。
 昔なら寺子屋で学んでいた筈の内容を、今は大学で学ぶ事になっている。だから高校以下では寺子屋よりも下の教育レベルを保たねばならない。その代わり「現代に適した」他の内容を学ぶ。そうした仕組みを保守するためだろうか、科目によっては正規教員を裏口採用したり、非正規教員以外を採用しない方針が維持されてきた。


 先日、『WiLL』2009.9号を見て驚いた。以前No.7437で触れた芳澤勝弘氏へのインタビュー記事が載っている(P.150~157)。周辺取材を済ませた後であれこれ問うている様だけど、あの記事は誰が担当したのかしら。ちょいとばかり問い合わせてみたくなるものの、編集部ブログの更新は相変わらず…ない。
【雑詠】滝川に 更新せかるる編集の 瀬尾はやまるな 問はじとぞ思ふ
【解釈】「さっさとブログを更新しろ」と急かす様な事を書いてはみたけれど、その窓口に居るらしき『WiLL』編集部の瀬尾様は、なにも「はやまる」事はない。だって私は問い詰めようなんて思ってないのだから。…それより、五ヶ月前に頂戴した返信(↓)によると瀬尾様は「ただの酔っぱらい」だそうだから、いっそ滝川を飲み干す勢いで明日の仕事の活力としてくれぇ。それからでも遅くはない(たぶん?)。
http://monthly-will.cocolog-nifty.com/log/2009/01/post-3124.html
 …閑話休題(汗)。
 芳澤氏は白隠の研究者として知られているらしい。P.155の「図3」の下半分は自・天・在・神と、無だか世だか判読に戸惑う字とで構成されているから、文字を抜きにしては語れないのも当然と云えば当然なのだろう。P.157には草書や教育の話が出てくるけど、芳澤先生が満足しそうな授業をすれば学校をクビになるご時世だからなあ。
 その箇所で氏はこう書いていた。
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>芳澤 そろばんはともかく、十歳くらいの子供にいきなり続け字を教える。今だったらまず楷書から始めるわけで、草書なんて習字以外では誰も習わん。しかも、家業に役立つ実践的な教材だ。宿屋の倅には宿賃の受取書をやはり草書で書いて与えています。振り返って、現在の教育はどうでしょう。小学生に英語必修化なんてしてどうなるんだか。
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 …そう云や青森では、鬼柳恵照って古文書研究者が「東奥日報」H12.6.23夕刊11面「あすなろ交差点」欄で「古文書解読に思う」と題する下記の提言をしてたけど、そもそも筆文字自体が国語教育の活字中心主義と真っ向から対立してるんじゃ無理筋ってもんだろ。~以下全文転載。
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> 新聞やテレビに、今から何年前の古文書が発見された―というニュースが時々流れる。古文書といえば、筆で書かれた“面倒”な昔の書き物というイメージが一般的だろう。
> 私たちの先祖が書き残したものに違いないが、正直言って一見して読む手掛かりすらない。古文書を見ただけで、そっぽを向く人が多い。自分自身も以前そうだったからよく分かる。
> 古文書は大別すると、中世文書と近世文書に分けられる。私がここで取り上げるのは、後者の近世文書である。近世文書は江戸時代以降に書かれた文書・手紙などのことだ。県内の旧家を訪ねるとよく見せられる。
> これらの古文書を読みほぐして、今の人たちに分かるような活字に書き直す仕事を古文書解読という。骨の折れる仕事なので、なかなかこの道に入る人がいない。寂しい限りだ。
> ことし、私たちの県文化財保護協会は「みちのく双書第143集目」として「朧月(ろうげつ)集」を発刊した。これは津軽藩の武士の生活規範を書いたもので、貴重な資料だと思っている。この解読にはだいぶ苦労したが、それなりの収穫はあった。四月から新たに県立図書館から「本藩事実集」という資料の解読を頼まれ、いま目を三角にして頑張っている。解読の仕事は、新しい事柄の発見につながるので、毎日が楽しい。
> 私がこの道に入るきっかけは、昭和三十八年に県立図書館で開かれた「第一回近世古文書解読講習会」だった。当時の先生方は小笠原二郎、貝森格正、板谷八郎の三氏だったが、皆故人となった。しかし、この講習会はいまなお、その灯を絶やすことなく続いている。「文化立県」を掲げ推進している本県にとって誇れる事業と思っている。
> 私は日ごろ古文書解読に当たり、三つのことを心掛けている。一つ目は、どんな忙しい時でも十五分は手元にある古文書を読むこと。目が一日でも古文書から離れると、なかなか前のペースに戻れないからだ。
> 二つ目は、古文書に向かったら早くその書体に慣れること。人それぞれ書き方が違うからだ。慣れようと思っても、古文書の方で受け付けてくれない時も数多くある。とりわけ手紙文の解読に苦労する。
> 三つ目は、難解な箇所に当たったら絶対投げ出すことなく粘り通すことだ。こんな時は一服入れて気分転換を図る。テレビを見たり散歩したりして“間”をとると、大抵見えてくる。
> 最近、古文書解読に熱心な人たちの高齢化が進み、この仕事に打ち込む人がめっきり減った。減った原因がもう一つある。それは若者の活字離れからくる古文書解読への抵抗感と無関心からである。正直いって見向きもされないのが現実だ。県内の図書館、資料館、旧家などには多くの古文書が日の目を見ることなく眠っている。解読を急がなければならないが、現状ではどうにもならない。
> そこで、古文書解読人口を増やすための方策を私なりに考えて提案したい。まず、高校のクラブ活動などに古文書解読の時間を設け、若いうちから解読に興味を持つ人材を育てる。次に県内の大学などが率先して解読講習会を開き、啓発の先頭に立つ。その一方で、各市町村の教育委員会が行っている生涯教育の分野で、積極的に古文書解読を取り上げてもらう。
> 古文書解読人口の増加は、郷土史の新たな発見につながることはいうまでもない。それ以上に“ふるさとおこし”に大きな力になると信じている。
>(おにやなぎ・よしてる=県文化財保護協会事務局長、平内町)
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 あれからどれくらい経つだろうか。或る先生が、学校をクビになった私に古文書解読の話を持ち込んできた。…よりにもよって消息(手紙文)かよ。あたしゃ半分も読めなかったわい。かの先生は筋金入りの書道畑で、日展入選や読売新聞社賞などの他、学校では高総文やら何やらで名実ともに指導的役割を果たしてきた人である。その先生に読めないものが私に読めるなどと思うのは買い被りも甚だしい。当時の私は書教育における基礎指導の抜本的改善に全力を尽くしていたので、あの手の応用方面は専門外である。慌てて古文書の字典を買ってきたくらいだから推して知るべし。
 そもそも書道字典と古文書解読字典の間には「基礎と応用」の深い溝がある。書道は能動的前提の下、基礎と規範性へ収束していく流れが先立つ(そこから芸術表現へと拡張していく)。つまり書道の前提には「学びの場」としての「今」があり、「過去を今に引き寄せる」解釈学的心理の働きが、逆に「書く行為」自体を基礎の渦から過去へと引き戻そうとする形になる(それとてどのみち「今」の領分にある訳だが)。ところが古文書解読の方は受動的かつ歴史的で、その文書が書かれた当時の状況に関する知識がないと正直お手上げに近い。そこに「今」はない。大袈裟に云うと、そこには「今」から隔絶された一種の絶望だけがある。~芳澤先生の言を借りるなら下記の通り(前掲『WiLL』P.154)。
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> 白隠の絵には必ず言葉がありますが、そこに描かれた元は何か。室町時代にできた謡曲や狂言歌謡、江戸時代の流行り歌、民謡や仕事歌だったりする。さらに江戸時代の民俗にも通じていないと分からんこともある。仏教学や禅学だけでなく、こういう分野に総合的に関心を持たないと、理解できないんです。
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 白隠の画賛は、その「書きぶり」だけを見るなら、巷間の古文書一般と比べれば読みやすい口かも知れない。書き手が知識人であればあるほど、相対的に基礎・規範からの「過度の逸脱」はなくなる。例えばP.152にある「図1」の場合、知識なしに自力で読めるのは八割程度だったが、その後P.151を読めば「残り二割の何処で躓いたか」がよく分かる。しかし図版が小さかったりボケていたりするとお手上げになる。先年の年金問題でも、紙台帳の解読に同様の苦労があったのではなかろうか。それを以て「だから手書きはダメなんだ」と早合点されても困るが。活字の場合とて同じ事。スキャナで取り込んで縮小印刷すると、時折ボケて読めない字が出てくる。

 久々に森安彦『古文書を読もう』(講談社選書メチエ)を引っ張り出してきた。書道~習字の領分に属するのは第一章で、他の章は総て応用の領分である。基礎と応用を比べれば、明らかに基礎は量的にも質的にも圧倒されている。2001年のNHK「趣味悠々」が放送された当時、この事に私は不安を感じた(「あとがき」参照)。基礎は煎じ詰めれば内省的もしくは哲学的にならざるを得ない。基礎教育の徹底が問題なのではない。基礎それ自体の深化を、どれだけ平易に指導できるかが問題なのだ。~ここで云う「深化」とは、通常の学問的意味のみならず、「追放された文化」の場所が脳内からも二重に追放された状態を含意する。
 嘗て書字は日常の識字環境そのものであった。そうした環境=場所が失われて久しい。先ず「読み」の場所が活字に奪われ、ワープロの普及後は「書く」場所が変化した。若手を中心に、多くの人が紙からキーボードに移民していった。斯く云う私も実は移民した口(爆)。だからこそ~学校をよして以来、その行く末をいっそう悲観する様になったのかも知れない。
 私は今、「読み」の場所から書いている。その前提には「嘗て書いた」場所がある。私の失った場所は今も脳内に生きている。しかしそれは既に表現の場所ではない。私の疑う「表現の場所」は或る意味で矛盾だらけだが、その矛盾を日本文化の包括的な場から包み直そうとする事に矛盾はあるまい。


(備忘録)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090728-OYT1T00597.htm
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>>小学英語、外国人の指導助手巡る問題山積
> 2011年度から必修化される小学5、6年生の英語の授業について、文部科学省が全国の公立小学校約2万1000校などを対象に調査を実施したところ、昨年度に小学校で実施された英語授業のうち7割近くで外国語指導助手(ALT)が活用されていたことがわかった。
> 生の英語を学ぶ機会が定着してきたことが浮き彫りになった形だが、一方では、簡単に授業を投げ出してしまうALTもいるなど、“質”の問題が浮かび上がっている。
> 「また辞めるのか」。7月中旬、埼玉県内の市教育委員会の担当者は、業者から米国人ALTが交代するとの電話連絡を受け、頭を抱えた。4月以降、辞めるのは3人目。1人目は「通勤時間が長い」と小学校に現れず、2人目と3人目は「一身上の都合」などを理由に、1学期の授業だけで、学校から消えた。2学期からは4人目が来る。担当者は「継続性が大事なのにこんなに交代するなんて。児童たちにも説明ができない」と困惑する。
> 「人件費を切りつめるから辞めてしまうんだろう」と、埼玉県内のある学校長はうち明ける。この学校のALT派遣を請け負った業者は、入札で、昨年の業者に比べてALT1人あたり31万円も安く落札した。
> 文部科学省によると、ALTを活用した小学校の授業のうち、国が仲介する「JETプログラム」によるものが25%で、残りは民間業者への委託など。
> この市の場合、40余りの小中学校にALT約20人を派遣する民間業者と契約を結んだが、校長は「風邪で半日休み、給与とボーナスを両方カットされたALTもいた。なりふり構わぬ業者が増えれば、教育の質は保てなくなる」と危機感を募らせた。
> 関係者によると、業者の新規参入が目立つようになったのは、小学校英語の必修化が打ち出された06年ごろから。かつてはJETプログラムで採用したALTを自治体が直接雇用するのが主流だった。
> しかし、自治体側はALTが住むアパートを契約したり、交代要員を確保したりしなければならない。民間業者に委託すれば、こうした手続きは不要になるため、業者を活用する自治体が徐々に増えてきた。
> 民間ALTを雇用する場合は、学校側が人事管理をする必要がない「業務委託(請負)」にするケースが多い。この場合、教師がALTに直接指示すると、労働局から違法な「偽装請負」だと指導される可能性もあるため、「目の前のALTに指示してもらうため電話してくる先生もいる」(英語教育関連会社)。偽装請負について、文科省は05年に注意喚起の通知を出したが、契約方法は各自治体に一任。業者の実態についても把握しておらず、「質まで判断しようがない」と説明している。
>(2009年7月28日14時54分 読売新聞)
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場所の喪失(其二)
 いつも後になってから余計な事を付け足したくなる苹であった(平たく云うと、単なる推敲不足…汗)。~先ずは前稿、No.7611末尾のリンク不備(↓)を訂正。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090728-OYT1T00597.htm
 …で、後々それと絡めて以下蛇足。

 月本洋『日本語は論理的である』(講談社選書メチエ)が面白い。以下はP.197~198。
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> すでに述べたように、日本語の文法(論理)と英語の文法(論理)の差は、母音を左脳と右脳のどちらで聴くかに依存している可能性が大きい。したがって、日本人の大半が母音脳でなくなれば、日本人は母音を右脳で聴き、擬人の比喩(主体の論理)を多用するであろう。
> そのときの日本語では、無生物主語が多用され、「電車が止まったので、私は遅刻した」が変な文で、「電車が止まったことが、私を遅刻せしめた」が自然な文になっているかもしれない。
> また、人称代名詞が多用され、愛の告白の場面で、男が「愛しているよ」とささやいたら、女から「誰が誰を愛しているの? 私わかんない」と言われるかもしれない。
> さらに、場所の論理が廃れるので、「は」がなくなっていて、「象は鼻が長い」は古語で、「象の鼻が長い」が自然な日本語になっているかもしれない。
> このように、将来の日本語は、現在の日本語とは非常に違うものになるであろう。それは、現在の日本語が廃れるということである。
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 既に国民の多くが幕末頃の日本語を読めなくなるほど、皆で寄ってたかって国語をいじり回してきたのに、今更「廃れる」も何も…(と絶句してみる)。しかし考えようによっては好都合かも知れない。上記引用は第六章「小学校英語教育は廃止すべきである」の一部だが、いっそ脳機能レベルで日本語をも「英語化」してしまえば、精神の植民地化作業は飛躍的発展を遂げるのかも。第五章「学校文法が自虐的言語観を生んでいる」に書かれてある諸問題を英語優位に誘導するには、学校文法を死守する教育界の態度をいっそうエスカレートさせる必要がありそうに思えてくる。
 しかし事はそう簡単でない。前稿末尾(備忘録)に転載した産経記事とて、ALTの雇用環境ばかりが原因ではあるまい。子供の言語認知システム自体を文字通りの意味で洗脳しないと、逆に国語(日本語)の方が英語教育を滅ぼす結果になるかも知れない。それだけ日本語はしぶとく、最盛期の日本軍よりも遙かに強い(喩えるなら老若男女、終始一貫して「国民皆兵」って所か)。そうした最前線で戦うALT達は事実上、言語文化面における日本征服の使命を日本の公的教育組織から委託されている。にもかかわらず待遇の不備が目立つのでは、ソリャ仕事を投げ出したくもなるだろう。
 あたしゃ彼らALTに同情するね。「周りは総て平和面の敵ばかり」との自覚を持たずにヘラヘラ委託してくる。そのくせ自国の伝統と文化には「歪んだ敵愾心」を燃やす。その結果、意欲満々で来日しても生徒に英語を定着させられない上、彼ら自身も過去の日本文化を本格的に学ぶ機会が得られない。収入に比例した「無駄な時間」がただ漫然と過ぎ、ともすれば日本の教育界が率先垂範して外国人労働者(しかも教員!)を堕落させる構図へと向かう。
 …いっそ教員採用試験で脳機能検査を必修にすればどうか。きっと大半の英語教員が不合格になり、不足分を外国人教員で埋めないと授業そのものが成り立たなくなる。小学校での英語教育どころではない。そこまでやる覚悟があるのなら文句は云うまい。P.202には親切な記述もある(↓)。
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> なお、左右脳に関しては本書の説明だけでは疑問をお持ちの方が多かろう。左右脳に関する脳波とMEGによる実験は、現在、私の研究室で実施しているので、自ら被験者になられたい方は、ぜひ申し出ていただきたい。そして、ご自身の脳で左右差を確かめていただきたい。連絡先は以下のとおりである。
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 これは素晴らしい。~以下、別の話題で恐縮。もし漢字と仮名の認知研究への応用が可能なら、東京電機大学工学部まで足を運べる高齢の書家や古文書研究者には、ダメモトで御協力をお願いしたい(苹の夢想趣旨についてはNo.7498後半を参照されたし↓)。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=7498&range=1
 高齢の書家について調べる場合は、萱原書房(美術新聞社)の都道府県別・年齢別データベースが役立ちそう。~こうした情報が誰かの研究の参考になるなら幸甚。

 ところで。
 この本には西田幾多郎の話題(「場所の論理」)も出てくる。「日本語の論理は命題論理、英語の論理は述語の部分」との小見出しに始まるP.126以降は実に新鮮だった。そして月本氏は西田的「場所の論理」を「容器の論理」、すなわち命題論理と同等に見る。また「日本語の論理は空間の論理であり、日本語の論理の中心的役割を果たす「は」は容器の論理であるから、日本語の論理の基本は容器の論理である」と見る(それに対して英語の論理は主体の論理)。
 旧稿No.7498で私はこう書いた。
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> 猥雑な過去に比べれば、二分法を基準とする現実は相対的な「純潔」の基点となり得る。つまり科学的発想の都合が歴史への遡り方を恣意的に設計するのだ。文部省との共犯関係を一つの伝統として保守し、我々が学んだ「設計後の国語」を母語とする。~ワーグナーの楽劇《パルジファル》第一幕に「ここでは時間が空間となる」との歌詞があったが、その逆に「ここでは空間が時間となる」。今の脳内空間が時間を設計し、過去の読み方をも征服するのである。それが科学的には正しい。科学の対象に過去を据えるのは、タイムマシンでも発明されない限り無理があるからだ。
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 月本氏が「空間の論理」に着目したのを、私は単なる偶然とは思わない。そして空間が「今」という時間に凍り付こうとするのも、「今」の時制が未来と過去を恐れるかの様に振る舞うのも、日本語の自己破壊衝動と無縁ではないと思う。
 日本人が漢字を破壊してから千年以上が経つ。今では、あられもない姿で漢字との縁を断ち切ったかの様な「平仮名」を振り撒くまでになっている。漢字と仮名の断絶が顕著になったのは明治以降だから、既に自己化されていた筈の漢字の破壊歴もまた千年単位になる訳だ。しかし勿論それだけでは済まない。漢字の草書が平仮名に承け継がれる段階でそれぞれの機能分割は概ね完成されたが、活字が漢字から草略機能を奪った段階で、仮名は更に草略意識をも自ら失っていった。
 …草略意識とは何だろうか。部首それぞれが主に楷書(書写体)と対応する場所をほぼ忠実に保ちながら、文字としての場所のみを保とうとするかの様に、草略という変容を遂げる。月本氏はP.54以降でチョムスキーの生成文法理論を紹介するが、私にとって文法観は今のところ関心の範囲外。それより私には表層構造・深層構造といった階層性の方が興味深く思えた。文が字に集約された状況を想像してみればよい。偏旁冠脚などに分割可能なそれぞれの場所的変数が何らかの意味論的来歴を関数的に秘めていて、その「メタファー関数」が自ら変数となる事により、品詞横断的な独自の表意文字・表語文字として「あくまで内的に」変形生成するとしたら。私の書体観は概ねそうした領分にある。そこから漢字本来の意味を奪う余地が平仮名を生む土壌となったと仮定すれば、それぞれに内包される部首はもはや意味論的意味に束縛されない。つまり意味破壊により音声的機能が表層構造上で仮名の在り方を定め、相対的に漢字的意味は深層構造下へと埋葬されていく。にもかかわらず草略原理自体は漢字と仮名を繋ぐ絆となって、意味とも音声とも異なる視覚上の「単なる判別式」としてバラバラに機能する。これを純然たる視覚上の「空間の論理」に見立てるなら、例えば欧文単語の綴りを分解するレベルとの比較に於て、また別の掘り下げ方が可能になってくるだろう。
 その下準備をする上でも、月本氏の研究成果は個人的に有難い。なにより必要なのは脳機能面での痕跡保存。遅きに過ぎた数十年分(+寿命)を今の時点で後の世代から捕捉できるかどうか心許ないが、もし犠牲を厭わないなら、切羽詰まった挙句「活字から隔絶された日本人モルモット」を数十年計画で育て上げる事も不可能ではないだろう(…と、ここまで書いちまうと流石にマッド・サイエンティストの誹りは免れなくなるか…orz)。


(またまた備忘録)
http://sankei.jp.msn.com/life/education/090803/edc0908032308009-n1.htm
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>>教員免許更新制、早くも暗雲? 定員割れ講習が続出 (1/2ページ)
>2009.8.3 23:07
>  教員の指導力向上を目的に今年度から始まった「教員免許更新制」の先行きが、早くも危ぶまれている。免許更新のための講習を実施する大学側が「定員割れ」を理由に、次々と講習中止を決めたからだ。
> 定員割れは専門性が高い講習で特に深刻で、「学問」重視の大学側と「現場対応」重視の教員側のニーズとのズレに、講習内容の見直しを求める声が出ている。
> 文部科学省によると、教員免許更新講習を実施するのは計510大学。このうち通信制を除くと、最新の教育政策などを学ぶ「必修領域」の実施は315大学901講習、教科ごとの指導法などを学ぶ「選択領域」の実施は496大学8540講習にのぼる。
> だが、文科省の5月末時点のまとめでは、定員に対する申込者数は必修領域が約6割、選択領域が約4割で、大幅な定員割れ。39大学が申込者がゼロや10人以下だったとして、選択領域の228講習を中止した。
> 横浜国立大(横浜市)では、当初は申込者が1人でも講習を実施する意向だったが、経済情勢から方針を転換。104講習のうち約1割の申込者5人以下の講習については、別の授業に振り替えてもらうなどして中止する。今後もこうした大学が増える見込みだ。
> 中止が決定した講習で目立ったのは「素粒子物理学の発展」(弘前大)や「社会科に関する学問の歴史」(群馬大)など、専門性が高かったり特定教科に特化したもので、申込者はゼロ~数人。これに対し、カウンセリングや発達障害など、教員が教育現場で対応を迫られている講習は、定員の9割を占めるほどの好調ぶりだという。
> 「部活や生徒指導で多忙な中で受ける講習は、現場ですぐに実践できるものでなければ意味がない」と都内の教員関係者。
> こうした教員ニーズに、岩手県教育委員会がいち早く対応。同県教委は昨年秋、岩手大(盛岡市)など5大学を中心に構成する更新講習協議会を離脱し、「小中学校や高校など学校種別、年代別にカリキュラムを提供すべきだ」として、現職校長らを講師に迎えた県独自の更新講習「授業力向上研修」を設置した。受講は無料、交通費も公費負担という。
> この影響をもろに受けたのが岩手大で、定員1000人に対し、申込者はわずか52人。同大の講習の大半は人気が低いとされる「教科に特化した内容」だが、教育学部の遠藤孝夫教授は「長期的にみて役に立つ内容も更新講習には必要」として、実践偏重の流れに異議を唱える。
> 教員の指導力について詳しい都留文科大の宗内敦名誉教授は「指導力の定義をめぐり、教員と大学側で大きな違いが出ている」と指摘。その上で「授業科目に力を入れずに、付け焼き刃でカウンセリングなどを学んでも指導力向上にはつながらない。教員側の意識改革を行いながら再度、講習内容の見直しが必要かもしれない」と話している。
>     ◇
> 教員免許更新制 教員免許法の改正により、10年ごとの免許更新を義務づけた制度。対象者は大学などで計30時間(5日間)以上の講習を受ける。認定試験で60点未満の場合は不合格で、2年以内に再講習、再試験で合格しないと免許が失効する。同制度は民主党が抜本的な見直しを主張、自民党は着実な実施で教員の質向上を図るとしている。
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8【再掲】投稿日時不明稿(其四) ( 苹@泥酔 )
2012/04/06 (Fri) 19:47:16
漢字と仮名の相互呪縛
 先ずは新東京支部板から。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_r_123.html
 冒頭の「東京書籍」教科書図版にあるのは唐の李紳の「憫農」五絶。「全唐詩」での題は「古風」で、校注に「一作憫農」とあるそうな。「鋤禾日當午、汗滴禾下土、誰知盤中餐、粒粒皆辛苦」。二首連作の第二首らしいが、因みに第一首は「春種一粒粟、秋収萬顆子、四海無閑田、農夫猶餓死」との事。
 上記投稿は桜子様による八魔稿転載。音読すれば「ハマコー天才」と紛らわしくなるが、こんなのは字面を見ればすぐに分かる。…李紳詩の場合とて同じ事、訓読せずとも字面で大体の意味は分かる。ただし日本語の中に溶け込んでいる筈の漢字に違和感があるとそうもいかぬのだろうが。
 現代的に「種(う)える」と読むのはともかく、「猶」で漢文の再読文字を想起すると些か読みがブレてくる。常用漢字にない「顆」も、さほど難しくはなかろう(熟語の「顆粒」で見慣れてるし)。ハンコを「一顆、二顆」と数えるのは書道畑の基礎知識。…ふと「一個、二個」は「ケ」と同様「顆」の宛字ではと思い付くが、こんなの一々調べるのはめんどくさいし、どーでもいい。一々調べなくとも草書が当てずっぽうで読めるのと同じこった(たぶん)。
 ただ、この「どうでもよい」ほどに当たり前となっている筈の領分が足元から消えていくと、そのプロセス自体(パソコンの自動更新みたいなものか)もまた当たり前の様に意識の外で振る舞うので、どのみち「気付いた時は手遅れ」となりやすい。…そう云や何年か前のテレビCMに、「鏑木」って字を見て「読めねーよ」と若者がボヤくのがあったっけ。あれと同じ感覚で子供の名前をつけると何が読めて何が読めないのか、だんだん基準が分からなくなってくる。しかも名前は一生もの、呪いの様に我が身を蝕む。常套句の蓄積から成る国語上の市民権を顧みれば、殊更なるも宜なるべけんや。

 …と、そんな事を考えていたら、ふと目に留まったのが下記の産経記事。
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/090713/asi0907132317002-n1.htm
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>>マレーシア、英語での理数科授業廃止へ 理解できず学力低下
>2009.7.13 23:16
>  【シンガポール=宮野弘之】多民族国家マレーシアの小中学校で行われてきた英語による理科と数学の授業が2012年以降、マレー語や中国語、タミル語の各言語での授業に戻されることになった。生徒が授業を理解できず、理数科ばかりか他の教科でも学力が低下。3月には首都クアラルンプールで制度の廃止を求めるデモが行われるなど不満が高まっていた。
> 英語力向上で国際的に活躍できる人材を育成するため、マハティール元首相が2003年に導入した制度だが、十分な準備がないまま始めた結果、6年で廃止に追い込まれた。
> ムヒディン・ヤシン副首相兼教育相は8日、「制度が完全な失敗だったとは言いたくないが、期待した成果を上げることができなかった」と述べた。
> 地元メディアによると、制度の導入はしたものの、常に理数科を英語で教えられる教師の数が不足し、特に地方では、理数科の教師が英語の辞書を引きながら教える状況だったという。この結果、理数科の成績が軒並み下落。さらに英語や他の教科でも導入前を下回る結果になったという。
> この制度について、マハティール元首相は「科学や数学はマレーシアが起源ではない。専門用語はマレー語になく、英語から移植するしかない。それなら最初から英語で学ぶほうがよい」と強調。これに対し、マレー系の学者や教師らは、政府方針は教育の質の低下だけでなく、専門用語のマレー語への移植を妨げ、マレー語を傍流に追いやると主張した。
> 今回の政府の新方針をめぐっては、都市部の住民らを中心に反対論も出ている。与党の若手議員からは、小学校での英語による授業は止めても中学では従来通り行うか、選択制の導入を求める意見も出ている。これに対し、政府は英語教育そのものは充実させるとして、英語教師を1万4000人増やしたり、小学校で英文学の授業を取り入れたりする方針を説明、理解を求めている。
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 なによりビビビと来たのが「科学や数学はマレーシアが起源ではない」云々の箇所。こんなのを持ち出されると、明治時代の英語国語化論や小渕政権時代の英語第二公用語化論を連想せざるを得なくなる。いつの間にか忘れてしまいそうになるが、日本語にも同じ危機があったのだ。そして今もある。
 仮に「漢字は日本が起源ではない」と云われたなら、それはその通り。ならば「平仮名は日本が起源ではない」はどうか。やはり私は条件付きで「その通り」と云うだろう。あれは支那の草書の転用だからである。しかし他方では「表音機能の昇華は日本人の独創」とする立場でもあるから、どう応えたところで矛盾はない。その「矛盾を矛盾で包む合理性」が日本文化を表徴する「和」の一環にあるなら、或いは世界に誇っていいのかも知れない。そうした在り方が別の切り口(日本文化とは無媒介?)を経由した哲学方面で認められたのは、私の知る範囲では1960年代以降のフランス現代哲学に於てである。それ以前に構築された西田幾多郎の哲学が海外でどう評価されたか、私は全く知らない。もちろん言語学方面ではソシュールが日本の仮名に言及していた様ではある(『一般言語学講義』)。しかし多分、それと哲学との血縁は所謂「いとこ婚」よりも希薄ではあろう。まして仮名造形上の来歴をなす漢字草書との絡みでは、あたしゃ先行研究事例を全く知らないのでござんす(汗)。この辺の事情については専門家からの助言が欲しい。
 日本における漢字文化の弱体化は「仮名文化の孤立」と一体である。仮名から来歴を喪失せしめ、漢字と対立する機能面の特徴ばかりを強調すれば、漢字と仮名の「和」そのものが必然的に意識から遠退いていく。やがて二重の歪曲教育が言語文化を西洋優位の方向に誘い、果ては過剰な対立を促し始める。つまり「己が影法師に呪われる」。その最も愚かしい在り方が「仮名の過大評価」。日本文化としての仮名を狂信的に信奉し、さも「悪魔の文字」であるかの様な漢字を廃絶すれば、漢字に来歴を持つ仮名自身からも歴史を奪わねばならぬ羽目になる。とどのつまりは一種の自殺行為で、そこには対立軸も「和」も存在しない。完全な「空虚の母」が先ず捏造され、次いで「空虚の父」が母から生まれるかのごとく歪曲される。すると仮名文字論者が近親相姦の怪物に見えてくる。それを「和合」と形容するならブラック・ジョークも甚だしい。
 そもそも仮名は漢字との距離と絆を同時に共有して初めて成立した。仮名表記の行き過ぎ(平安時代)を和漢混淆表記が押し戻した頃は既に、仮名の草書性と草書の漢字性が共立可能な理解に根差していた。つまり起源より事実を重んじ、なおかつ起源を事実から守ってきたからこそ、そこに「永遠の今」がある。ところが明治の活字表記時代に入ると、漢字は楷書/活字の背後に草書性を喪失し、仮名は来歴理解システムの土壌たる草書を喪失していった。
 以下の私見がどう受け止められるか分からぬが、その結果を私は漢語の増加に見る。すると漢字と仮名のバランスが崩れた。やはり仮名はそこそこ多い方が読みやすい。ならば文章中に出てくる仮名の割合を増やすにはどうしたらよいか。一つは漢字制限。一つは漢語の一部を仮名表記する「交ぜ書き」。…だんだん日本語表記システムが「起源を失ってもバランスは失わなかった」かの様に見えてくる。そうした揺らぎの隙間に入り込んで同時進行したのが各種の「毒」だった(英語国語化論、仮名化論、ローマ字化論など)。
 日本はマレーシアの轍を踏んではならぬ。我々はともすれば、仮名の発想で英語を捉えがちになるのだが(と書いてはみたものの…私だけ?)、仮名の背後に漢字がある様に、欧文アルファベットの背後には歴史的蓄積としての「綴り」がある。その綴りがどれだけ彼の国々自身を呪縛し続けてきた事か。文字に呪われない文化は文字文化圏に存在しない。だからこそ我々は海外の水準に劣らぬ仕方で、我々自身の歴史から「呪い」を引き受ける覚悟が必要になるのだろう。それが嫌なら無文字文化の時代に戻るか、もしくはシニカルな奴隷となる他なかろう。



【No.7591補記】そしてマレーシア
(余談)
 窓外の壁がつまらんので、取り敢えず駅弁を食う。トンネルを抜けると、底は蒸しウニだった。…てな妄想をするウニの日は今「海の日」だそうな。爽やかに輝ける朝、ふとテレビのチャンネルをひねると「嫁の春が始まる」。何事かと思えば「シーザー!シーザー!」と連呼、そして最後は「ヅラ」。まさか春の陽気に誘われた嫁が「カエサルは禿頭でカツラを常用していた」と妄想する歌ではあるまい。どうやら苹の聞き間違いらしい。それにしてもNHKの朝ドラで英語の歌詞ってぇのは、こちとら何故か調子が狂っていけねぇ。
 勝手な好みで他人の国語をどうこう云っても仕方がないが、さりとてフランス語は鼻がムズムズするし、中国語は耳と胃袋が繋がって「吐いたらスッキリしそう」(なんのこっちゃ)。…とは云え、余所の人が聞けば我が津軽弁だって負けず劣らず、さぞ奇妙に聞こえるんだろーな。例えば何ヶ月か前、2chの裁判記録ネタで話題になってた「うんでもいでまるど」とか(意味は勝手にググってくれ)。
 …あれは苹が学校をクビになる前日だったかな。或る英語の先生が、おねーちゃんの居る店に連れてってくれた。その先生は一杯ひっかけた後、おねーちゃん同伴でどこかに出て行ったが、私はそのまま店内で飲み続けた。こっちの相手の女の子はマレーシアから来たそうな。あたしゃそもそも英語が苦手なので、差し当たっては片言の日本語を味わう方に専念した。しかしながら…やはり酒は独りで飲む方が楽しい(と云ってもあたしゃビール専門なんだけど)。

(本題)
 しかるに、例の記事(↓)。
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/090713/asi0907132317002-n1.htm
 「多民族国家マレーシアの小中学校で行われてきた英語による理科と数学の授業が2012年以降、マレー語や中国語、タミル語の各言語での授業に戻されることになった」「専門用語はマレー語になく、英語から移植するしかない。それなら最初から英語で学ぶほうがよい」~これについて、もう少しゴチャゴチャ考えてみたい。
 日本は開国前から既に「手遅れ」だった。方言は色々あれど、全国津々浦々に文語が行き渡っていたので、本格的に「多言語化」するには他国から侵略=植民地化して貰うのが早道。しかし倒幕目的のために売国という手段を選択する藩はなかったし、国外情報が様々なルートから入ってきていたので、外国側に都合良く騙すのも難しい(No.7327で挙げた例など)。おまけに識字率は世界最高レベル。…黒船は武力に頼ってみた。ところが幕府側も倒幕側も実質は武家の連立政権だから、結局は双方とも武装の近代化に踏み切っちまった。のみならず「これは演習に非ず」。双方が明治政府の確立まで多くの実戦経験を積み重ねた結果、それ自体が対外的には最も効果的な演習となった…とも云えよう。
 そこで~これから日本を滅ぼすにはどうしたらよいか、ちょいと思考実験してみる(だって一応、今は「反日実験人格」署名で書いてるんだもんw)。

 自民党側から出た「一千万人移民」が実現するかどうか不明の今、頼りになりそうなのは誰か。…誰でも思い付くのは「既に居る」人々。しかしどのみち難しい事に変わりはない。普通「多民族国家」には何らかの拮抗状態がないと。しかし日本にはそれがない。その事をよく分かっているくせに、一部の人々は表向き「在日はどうなのか」といった意味の事をゴチャゴチャ言い募るが、それを日本語でやらかすとなると明らかに間が抜けている。もっと素直になれ。朝鮮語で云え。中国語で喚け。英語でまくし立てろ。そして日本人と対立しろ。日本人を敵に回せ。それが出来るか。出来ないだろ。だからこそ彼らは「よく分かっている」のだ。アメリカやフランスの様に暴動を起こしたり、コソボの様に内戦へと発展しない限り、歴史的に見て「日本には多民族国家たる資格がない」事も。
 こう書くといかにも物騒だろう。しかし正直に書けばそうなる。暴動も内紛も経験した事のない多民族国家があるかどうか私は知らない。あったら教えて欲しい。もし彼ら在日外国人が暴動や内戦を否定する根拠に「平和主義」を掲げるのなら、その根拠は何なのか。…まさか憲法九条ではなかろうな。あれは外国との戦争の話であって、内戦の話ではない筈。~ついでにもう一つ書いて置こう。憲法で軍事面の平和主義を掲げている多民族国家は世界にどれくらいあるのかいな。
 内戦を対外戦争へと読み替える見方を下準備する場合、かのNHKで放送された「日台戦争」は大いに啓発的もしくは示唆的だった(或いは親切とも云う)。しかしそれだけでは材料が足りない。同様の例を世界各地で再発見し(比較的穏便らしきチェコスロヴァキアなどの例を含む)、世界地図を一挙に再構成し直すくらいの心構えがないと。
 でも所詮、こんなのは「歴史修正」型の手口でしかない。表向き平和と云えば平和だが、裏を返せば民主党に民団が関与するのと大差なき一種の陰謀に他ならないし、正面から原始的に挑む暴動や内戦に比べればむしろ「平和の暗部」を体現しているとも云える。…もっとハッキリ書こうか。平和は常に絶対善の偽装工作を内包する点で、「甘言」「調略」の類とも云える。しかし実のところ、それと似通った手口に我々は既に「慣れっこ」となっており、今や従来それを要領よく駆使してきた官公庁や政府機関と外敵(?)との区別もつかなくなっているのではないか。なればこそ、そうした日常を覗き見る我々自身の隣人的メンタリティを利用すれば、政・官・財・敵による共同管理体制への委任手続きが民主主義によりいっそう保障される様に仕組む事もまた可能になる。
 私は「平和」を静的均衡状態と思っているが、そもそもそうした言い換えの作法自体が謬見を内包しているのかも知れない。…逆に言い換えてみよう。「均衡とは平和の一相である」と。その中には休戦状態も含まれる。ゆえに敵対関係や戦争状態は、それが軍事面で動的でない限り広義の「平和」たり得る(朝鮮半島も米ソ冷戦もその一例)。
 沖縄とて今後どうなるか分からない。「内戦の危険」から「対外戦争の否定」に逃れられるのであれば、例えば沖縄独立宣言は憲法九条を逆手に取る事が出来る様になる筈。

 これが文化面の話となると、様相は一変するだろう。生存を前提した「文化への軍事介入」は不自然、もしくは不可能に近い筈だからである(その代わり政治介入が可能)。すると「平和」の意味も自ずと変わってくる。「文化面の平和」と「軍事面の平和」を同一視する戦略が闘争状態を妨げないのは「水が低きに流れる」様なものだからであり、同じ「平和」の範疇でありながら、ここでは各々の位相が初手から異なってくる。
 …借問しよう。「文化と軍事の均衡は可能か」と。例えば戦争画や戦争音楽は政治的利用が可能だが、ここでの政治は両者を取り持つ触媒でしかない(触媒により変質はするものの、主役は主役のまま留まるがゆえに暫くは免罪/赦免されにくい)。~巷間では軍事への政治介入を「文民統制」と呼ぶらしい。ならば文化面ではどうなのか。非難の意を籠めた語彙ならいくつか思い当たるが、肯定的な語彙となるとなかなか難しい。そこに罠がある。肯定を否定のために利用する観点ならいくらでもあるのに、肯定を肯定そのままに生かす視点はグローバリズムの延長上に転嫁され、結局は否定へと逢着してしまう。言い換えるなら、否定「それ自身」が粘菌の様に生存しようとする。
 そうした否定を無数の複製で懐柔し、肯定せざるを得なくする手口が生まれた事は知っている(ベンヤミンの複製芸術論は結構ナイーブかも?)。それを別の否定で包む経済戦略が同時に胚胎した事も聞いている。…だからこそ却って、文化は平和そのものと似ている。平和に籠絡された文化がおしなべて去勢状態に向かう理由も、大体その辺にあるのではなかろうか。これをマンネリズムと呼んだり、(肯定的ニュアンスを籠めて)マニエリスムと呼んだりする事は出来ようが、ともかく去勢自体が持つ圧倒的な自己抑制の機能は必ずしも否定されるべきではなかろう。抑制行為は平和と同じくらい怠惰な自己を肯定し得るのだから、それ自体は常に競争の対岸にある(経済面の典型的事例は「談合」)。抑制はいつも「相手あっての事」であり、慮りを相互利益のためのスタビライザーとして機能させるシステム自身が或る一線を越えて拡張・複製すれば、「官製談合」のごとく受け止められる結果となろう(諸々の社中を糾合する展覧会システムもその一例と云えよう)。
 ただし、その「相手」が自己と他者のどちら側に組み込まれるかによって当面の勝敗は決まるのだろう。自己の中に他者を見出さない限り、いつしか自己は自己の敵となる。~新陳代謝と云えば身も蓋もないが、それだけ我々は教育と伝統文化の「影」から我々自身の免疫的猛毒性を「それと知らぬまま」受益しているのではないか。こうした地平を含意するなら、「呪い」とは受益の果てに現出する「或る愛の形」と云えるのかも知れない(仏教的に言い換えるなら「即説呪曰」云々?)。



【またまた補記】「過剰」の自主的反逆
 No.7591で仮名の話を書き、No.7601ではマニエリスムに言及した。そんな折、ふと吸い寄せられる様に買い込んだ新刊に偶々別のヒントが見つかると、ただの気の所為なのは分かっていても、なにやら不思議な気分にならぬでもない。~てな訳で以下、今野真二『振仮名の歴史』(集英社新書)P.101の記述。
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> また図2をみるとわかるように、ほとんどすべての漢字に振仮名が付けられ、場合によては左振仮名も付けられるというこの版面は、「過剰さ」あるいは振仮名への「執着」を感じさせるものであり、ここにみられる振仮名がすべて必要不可欠=必要最低限ではなく、そもそも「余剰」を含んだものとみえる。
> 美術史ではルネサンスからバロックへの移行期に生まれた、極度に技巧的、作為的な様式を「マニエリスム(manierisme)」とよぶことがある。ラファエロやミケランジェロといった巨匠たちの「マニエラ(maniera=手法)」を模倣しているという否定的な傾きをもったよび名として一八世紀に使われるようになったものであるが、二〇世紀初頭になると、作品のもつ幻想性などが積極的な評価をうけるようになる。
> 一九世紀に生きた馬琴の、これらの過剰なまでの振仮名の使用は、振仮名を「表現」の技巧、「方法(maniere=マニエール)」として追究した結果ともいえ、「振仮名のマニエリスム」といえるかもしれない。となれば、やはりこうした振仮名の「あり方」をすっきりとした機能性からばかり説明しようとしない方がよいことになる。
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 No.7601で「否定を無数の複製で懐柔し、肯定せざるを得なくする手口」云々と書いた。無理矢理それと絡めて喋々と。

(愚痴)
 たまに気になっては居るのだが、どうして漢字を多用すると時折「読みにくい」との文句が来るのかしら(何度かあった)。難解な語彙はさほど使ってないし、そうした意味で「漢語の過剰」に踏み入ってる自覚はない。韜晦だの吝嗇だのは意味が思い出せなくなるし、態々を「わざわざ」と読む事だって普段は忘れている。
 私が漢字を多用するのは字数の節約が目的だが、大抵は仮名や漢字が続けば読みにくかろうと「多分そうだ」「たぶん正しい」てな具合に使い分けたりしている。つまり「たぶんそうだ」「多分正しい」式に書く時は別の意図がある時なのだぁ。中には書きたくても書けない言い回しもある。例えば「~すること自体」と書きたい時、私は「こと」を「事」と書きたいので「~事それ自体」てな具合に無駄な神経を遣ったりする。見方次第では意識過剰かも知れない。
 仮名表記は「仮名の過剰」そのものである。しかし「漢字の過剰」もちと困る。それは分かる。好みの問題と云えばそれまでだが(好みの問題といえば其れ迄だが)、而し無闇に文体を變ずるのも何やら別人を演じて居る樣な氣がして心地亂るゝ耳。しかしこうして読んでいると、頭の中で見えないルビがゴソゴソ蠢いてこないか。私の脳味噌は既に虫食い状態である。字面と音が喧嘩する。たぶん日本語で書いているからなのだろう。漢文なら音が読めなくとも字面で読める。しかし古文か、それに近い近代日本語となるとルビがないと困る。
 …書道展を見て気付かないか。どうして誰も、振り仮名のある作品を書かないのだろう。あたしゃ一度も見た事がない。そのくせ筆文字調の昔の本には筆文字調の振り仮名がある。江戸時代の印刷物と肉筆の差も、その辺の事がともすれば気に懸かる。ならばどっちが過剰なのか。肉筆が「表現の過剰」に向かいがちだと仮定すれば、印刷物の版下は「表現の抑制」を「振り仮名の過剰」で補っているかの様に見えてこないか。
 ここで云う「表現の抑制」とは、平たく云えば「読みやすさ」の事である。今は誰もが「読めない」「読みにくい」と思うだろうから、当時の「読みやすさ」に思いを致す機会など殆どないのでは。筆文字の共時的範疇に「読みやすい字」と「読みにくい字」があるなんて、少なくとも私の周囲の教員達は一度も発想…とまでは云えないにしても、口にした事がなかった。彼らが口を開くとすれば大抵は通時的差異が前提である。「昔風に書かず今風に書け」式の発想である(年賀状に書いた草書の「元旦」を「うんこ」と読む神経なのw)。しかしそんな論理はアカデミックな書道展に通用しない。
 そこで書家達は「調和体」「漢字仮名交じり書」というジャンルを生み出した。そんなものは千年以上前からあったのに、敢えて「仮名の書」から切り離さねばならなかった。理由は単純、「昔の字が読めなくなったから」である。調和体と「読める書」は教育上も芸術表現上も常にセット販売となった。しかもカテゴリー全体が活字時代と重なる。「読める書」は「活字に媚びる書表現」を前提せざるを得ない。その反対に「読めなくて結構」と開き直ったのが前衛書のジャンル。就中「墨象」と呼ばれるジャンルは初めから「字を書かない」ので、むしろハッキリしていて或る意味「清々しくさえある」。これらの区分は敗戦後四半世紀も経たぬうちに概ね確立された。ただし高校教育上で「伝統に対する現代表記の優位」が本格的に確立したのは、確か平成元年度版の学習指導要領以降だった筈(私に云わせれば、伝統表現としての漢字と仮名が可読性を「漢字仮名交じり書」に明け渡した歴史的大事件w)。
 これで「読める書」の位置付けを古典の本来的な在り方から隔離する口実が確定した。「日の丸」の白は骨の色で、赤は血の色だそうだが、昔の漢字と仮名にもそれと似通った事が云える。筆文字の漢字は中国人の字で、筆文字の仮名は未開人の字である。そうした印象が2chを見ると窺える。例えば「漢字は共産中国の文化だから使うのをやめろ」式の冗談は、それが冗談に見えるからこそ恐ろしい。冗談や道化には、深刻な本音が垣間見えるからこそ逆に面白い。

(追記)
 同書P.80に、「『平家物語』はいろいろな書き方がされている」って項目がある。
 あたしゃNo.7591で「仮名表記の行き過ぎ(平安時代)を和漢混淆表記が押し戻した頃は既に、仮名の草書性と草書の漢字性が共立可能な理解に根差していた」と書いたが、それと読み合わせるとまた別の感慨がある。~以下はP.83の記述。ただし「通夜」以降に続出する振り仮名は入れると煩雑になるので転載省略(汗)。
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> 本文は三本ともほぼ同じであるが、国立国会図書館蔵本には漢字が三〇字(一六パーセント)、平仮名一五二字、龍谷大学蔵本には漢字が五〇字(二九パーセント)平仮名一二四字、斯道文庫蔵本には漢字が六三字(四七パーセント)、片仮名七一字が使われている。そして「漢字片仮名交じり」の書き方をとっている斯道文庫蔵本のみに振仮名が付けられているのは偶然ではないであろう。「漢字片仮名交じり」という書き方をとる文献は、漢文を訓読した「漢文訓読文」からの「流れ」に連なるものとして原則的には位置づけられるであろうから、そこには振仮名が付けられることがあってもいわば当然ということになる。斯道文庫蔵本には、「通夜」「私語」「終日」「白地」「震」「左右」「周章」「誘引」「安平」「早晩」「終夜」「記念」「戦」「冥途」など、さまざまな振仮名がみられる。「終日」「終夜」は「ヒネモス」「ヨモスカラ」の一部を振仮名として付けたものと思われる。
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 面白い本だったので、興味がある人には推薦しときますぅ。



【しつこく補記】西田幾多郎と鈴木大拙
 先夜、西田幾多郎の痕跡を読み直す機会があった。そこで二冊ばかり引っ張り出してみたところ、毎度の通り鈴木大拙に言及してある箇所が目に留まる。~以下は小坂国継『西田幾多郎の思想』(講談社学術文庫)P.280~281の記述。
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> この即非の論理は、要するに、肯定は否定であり、否定は肯定であるということをあらわしている。しかし、肯定は否定であり、否定は肯定であるというのは明らかに矛盾である。けれども、事物のこのような矛盾的自己同一性の主張が即非の論理の眼目で、『金剛経』には、上記のほか、例えば「微塵は微塵でないから微塵である」とか、「実相は非相であるから実相である」といった多くの類似した表現が見られる。では、このような矛盾的自己同一性の主張はいったい何を意味しているのであろうか。またそれはいったいどのような立場ないし観点からいわれるのであろうか。
> 形式論理学では、AはつねにAである。また、AはAであるかぎり非Aではありえない。AがAであるとともに非Aでもあるというのは矛盾である、といわれる。要するに、それはAの自己同一性を表示している。ところで、形式論理学におけるこの同一の原理と即非の論理とを比較してみると、両者は「AはAである」と主張する点では一致している。すなわち、Aは自己同一的にAである。しかし、同一の原理は端的に「AはAである」ということを陳述するのに対して、即非の論理は、一度Aを否定して、その後にこれを肯定する。「AがAであるのは、AがAでないからである」というのである。これは、一見すると、論理の否定のようにも思われるであろう。けれども、即非の論理も、結局、AはAであるといっているのであって、AはAでないと主張しているわけではない。ただAの直接的な自己同一性を否定して、Aは自己否定的に自己同一であるといっているだけである。すなわち、Aは直接的ないし自同的にAであるというのではなく、むしろAは自己否定を媒介してはじめてAである、あるいはAは自己を否定することによって真のAとなるというのである。そこで、このような同一性を、伝統的論理学における形式的自己同一性に対して即非的自己同一性と呼んでおこう。
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 …読み進めるうちに頭が混乱してくるかも知れない。私の場合は論理学も哲学も宗教も不得手(=専門外)だから、多分それ相応に誤解くらいはあるのだろう。しかしどんなに誤解があろうと、直観的に別の連想が忽ちその座を占める。「A」に仮名や草書などを代入してしまう。「仮名は仮名でないがゆえに仮名である」…このところ執拗に書き続けてきた事である。
 例えば「ふ」は仮名か草書か。仮名と漢字の形式的理解を前提する以前に、先ず目の前に「ふ」という文字がある。檜垣立哉『西田幾多郎の生命哲学』(講談社現代新書)P.206にある西田自身の言葉によれば、「絶対矛盾的自己同一の世界に於て、我々に対して与えられるものと云えば、課題として与えられるものでなければならない。我々は此世界に於て或物を形成すべく課せられて居るのである。そこに我々の生命があるのである」(9-180)と云うがごとく(ちと引用に無理があるかも?…汗)。歴史的痕跡として与えられた課題が「我々の課題」としての生命を得る際に、その課題は「課題でない状態」から「課題である状態」へと向かって読まれるかの様に。ここでの「ふ」は「一」であると同時に「多」であり、しかも同時に両者ではない状態へと大抵は向かう事になる(中には「同時に両者」となる過剰表現もある)。
 こうした表記の「一即多」をガキの頃から当たり前の様に見てきた日本人が、文字群の要求する流れに「一」を見てきた(=読んできた)。その一方で「多」はむしろ「一」なるを組み込むべく、諸々の過剰を統合的に内包しようとする。~そこでは「多即一」に至る「過剰を取り込んだ姿」が、常に「一」の背後に控えていた。つまり読み方が選択される前から、「読み」の可能性は常に過剰の中にあった。どんなに杜撰な理解であろうとも、そんな体験に裏付けられた「読み」が読者の日常を支えていた事に変わりはない。特殊が特殊であるのは、特殊が特殊でないからである。
 日本人にとって書字表現が特殊なのは、本家の支那とは異なる言語芸術にそれを組み込んだからである。支那に仮名はない。ゆえに支那側から見て特殊となるが、翻って日本人にとっては明らかに「特殊ではない」。その事が日本人の日常に深く長く浸透していた以上、私の読み方が誤読であろうとなかろうと、少なくとも「それらを呑み込む余地がある」分だけ余計に「読者側の潜在的な共感の裾野」は当たり前の様に広大だった。より踏み込んで云うなら、西田的理解が文章となる以前から「水面下の理解」は予め国民に共有されていた(自覚の有無はともかく)。そして勿論、未来の著者自身にとっても予め「そうだった」のだろう(揮毫する際の西田幾多郎は「寸心」の雅号を用い、素養をハッキリと示している)。
 たかが書道、されど書道。~こうして国語が置き去りにしてきた領分に着目するのは、そこに途方もない歴史的な沃野がまざまざと垣間見えるからである。それゆえ私にとっては必然的に、「嘗ての書道は今の書道でないから書道である」事を表現するための下準備=基礎が、逆に現代国語教育の「基礎」を免疫的に浸蝕する事になるのである。
 西田幾多郎は昭和二十年六月六日午後に容態急変、翌日早朝逝去。享年七十五歳。


(余談)
 冒頭で「先夜、西田幾多郎の痕跡を読み直す機会があった」と書いた。以下は種明かし。
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> 田母神講演に興味のある方々に宛てて、別の角度からネタ投下(西田幾多郎ネタ↓)。~下記ブログ主の山崎行太郎氏は先年、パーティーか何かで西尾先生から「ブログ見てますよ」と云われて恐縮した話を書いてた人でやんす。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20090722
> 核保有の話とは無関係だから、そっちを期待する向き(広島系?)にはそぐわないんだろうけど、他の内容を受け止める上では大いに参考となる筈です。青空文庫で読む場合はこちらを参照(↓)。上記の毒蛇ブログ記事で興味を持った人は必見。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000182/files/3217_16430.html
> 言い回しが難しくて取っつきにくいと感じる人には、取り敢えず二冊推薦して置きます。「世界新秩序の原理」に言及してるのは小坂国継『西田幾多郎の思想』(講談社学術文庫)。現代哲学の言い回しを交えた「左翼にも分かりやすい書き方」で踏み込むなら檜垣立哉『西田幾多郎の生命哲学』(講談社現代新書)。どちらも「西田哲学との距離」への自覚があるせいか、単なる「虎の巻」とはなっておりません。
> 山崎氏の危惧と田母神氏の主張を受け止めるのは他ならぬ聴衆自身。広島講演まで残すところ半月を切った。ここは井戸端会議と美容院で培った地獄耳の正念場、根掘り葉掘り存分に聴いてこい!(…と応援してみる。)
【2009/07/24 22:20】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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 セレブ奥様のブログにこう書いたところ、奥様の反応は「はいな~」であった。…軽くツッコミを入れてみようか。「先日は奥様の方で田母神講演を主催したばっかなのに、また聴きに行くつもりなの?」とでも。
 …何故こんな事を書くのか。平たく云えば「八つ当たり」(汗)。今日は書店に『WiLL』2009.9号を買いに行ったのに、目当ての場所に薪のごとく平積みしてあったのは総て八月号だった(沢山あるから「あっ、新刊だぁ!」とワクワクしてたの…orz)。
 帰路の車中で繰り返し聴いた曲は《ブリュンヒルデの自己犠牲》。クナッパーツブッシュ指揮の北ドイツ放送soで、クリスタ・ルートヴィヒの歌ってるやつ(1963.3.24録音)。激遅の愛聴盤でござんす。
8【再掲】投稿日時不明稿(其三) ( 苹 )
2012/04/01 (Sun) 19:21:52
学問的基礎と教育的基礎
 名字にも色々ある。子供時代の友人は神(じん)君だし、近所の医者は王子(おうじ)。でも中学の美術の授業で写生に出かけた時、岸壁で一緒に海を描いたのは神君でなかったかも。~暫し観察して気付いた。僕達の真ん前に何かが見える。二人でヒソヒソ「沈んでるのは車かな?」…てな訳で、写生の授業は即刻中止となった。世に申します、「一寸先は闇」「明日は我が身」と。(↑半分くらいウソかも知れんぞ?)
 話は変わっていつもの事だが、当方このところ「アンタ何様のつもり?」と云われそうな事ばかり書いている。でも正直に実名で応えれば、「あたしゃ神様だよ」とか「僕は王子様」と云うごとく、「テメエおちょくってんのか?」と逆に怒りを誘う事になるかも(もし有名人と同姓同名だったら…ほんまかいなw)。受け止め方は人それぞれ。その辺の事はとっくに諦めておる。今夜も馬鹿正直に、数日がかりで思った事をそのまま書こう。即席反日ツンデレ右翼とでもなんとでも思うがよい(自暴自棄)。

(以下本題)
 …すっかり忘れていた。そう云や昔は(今もか?)書道を分けて考えてたんだっけ。西川寧編『書道講座』(二玄社)の冒頭にこう書いてある。「“書”の効用は特殊なものであるだけによく、実用の書・教育の書・芸術の書などとわけて説明する人があります。この分類は、実はたわいのない子供だましですがわけて見ればそうもいえるのでしょう。」
 これを読んだ誰かが、上手い文章だと褒めていたそうな。どの本に書いてあったか忘れたが、「子供だまし」と腐した直後「わけて見ればそうもいえる」とズッコケた箇所が気に入ったらしい。西川寧は慶大の文学博士で学がある。書道界で初めて文化勲章を貰った。
 義務教育の国語科書写は教育書道、高校の芸術科書道は芸術書道って事になるらしい。実用書道は手紙文や熨斗袋などの書き方。…で、今は三つとも変質しつつある模様。就中、実用書道は国語に直結する。今じゃ草書や変体仮名交じりの手紙など書こうものなら「読めないものを書くな!」と怒られるのがオチだろう。筆文字でない場合も大差ない。候文は草書と同じくらい失礼となる。昔なら「読めないのは学がないから」で即「恥ずかしい」となった様だが、今は全くの逆。「勉強しないから読めない。勉強しなくてよいのは、読めなくてよいからだ。だから読めないのが当たり前なのに、敢えて読めないものを突き付けるのはどういう料簡だ。恥を知れ。」
 この理屈は学校教育でも立派に通用する。「書けないのが当たり前」だから「書かせなくともよい」。国語科書写を拡大解釈すれば自ずとそうなる。そして芸術書道の方はパフォーマンスに侵蝕されつつある。歌って踊れる書道部が華麗に挑む、北朝鮮の出来損ないみたいなマスゲーム…と形容したいところだが、それなりに基礎の勉強はしているらしいから「ご苦労様です」としか云えない。よくやるなあ。一通り読め、漢字と仮名の構造的連環を理解し、歴史的事情に通じ、その上で書くのが基礎の在り方だろうと私は思っているが、そこにパフォーマンスまで加えたら身が保たないだろうに。

 ここらで口直しに、今井凌雪『書を志す人へⅠ』(二玄社)P.14~15を引用する。
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> 高校の教科書を見よう。東洋独自の芸術を理解するためにはあまりにも貧弱ではないか。私が昭和二十年代に編集していた当時は今よりまだ少しはページ数があった。他の教科のものと比べたわけではないが、その後世間の条件がよくなっていながらページ数が減っているのはどうしたわけか。私は教育の場でそれほど必要としないからだと思う。お役所は民意を反映するところだ。皆が必要とすれば教科書のページは増えるはずだ。それではなぜそんなに必要でないのか。書くことが中心となっているからだ。書くための手本なら、それほどのページがいらない。教育の現場の経験は私は持たないが、現在は少し熱心な学生生徒は創作とか展覧会に走って教師もそのように指導する。書を鑑賞し、書を通じて文化を考える方向へ進むことはまれである。また、書を文化としてとらえるには教科書があまりに貧弱だし、その貧弱さは現場の指導方向の反映、といった形で悪循環している。書くことのみによる指導からは受け手が生まれないのは道理である。このことは学校教育の場のみではなく書壇全体の傾向だと思う。受け手のない書壇は技術競争の場となって、古来、書に深い関係を持っていた分野とも縁を切り、自ら世間を狭くしてしまった。
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 「教育の現場の経験は私は持たないが」と書いてあるが、雪心会を主宰する著者は筑波大の教授だったから、大学生に教えた経験なら山ほどある。察するところ、多分「大学は初等・中等教育に口出しできない」って事なのだろう(苹の曲解かも?)。因みに、この文章が書かれたのは昭和五十一年二月である。
 …さあ、これを読んでしまった貴方は今この瞬間に呪われた(爆)。特に教職の方々。こんなのを真に受けたら教職追放になるぞ。そもそも「書くことが中心となっている」のは、書く事が基礎とされているからなのだぁ。従って基礎指導を重視すれば他の勉強をする暇がなくなる。まさにその事を教員の誰もが色々な意味で心配している。~あたしゃ嘗て「書く事」以外の基礎を重視したところ、或る音楽教諭がこう云った。「それは書道でなく書道学だろ」と。そしてこうも云った。「宿題は出すな」「授業時間内に出来る事だけをやれ」「生徒は専門家になる訳じゃないのだから」。
 今井教授は上記引用部分に続けてこう書いた。「絵画にしても音楽にしても、それぞれ専門の学校があって、専門家を世に送るとともにその受け手養成に力を注いできた。われわれが今その面にどれだけ力を割いているかをよく反省したいと思う。」
 専門家が懸命に書く練習をせにゃならぬのはよく分かるが、専門家になる訳ではない生徒に「書く事」以外の勉強をさせるのが「書道でなく書道学」ってのはどういう意味なのか、いくら考えてもうまい具合に納得できない。代わりに何をさせればよいのか。それでもなお「書く事」に執着するのであれば、それは公式を教えずに「問題→解法→答え」の具体例を繰り返し「写経」させる様なものだ。…あ、これじゃ「数学でなく数道」になっちまうから、あれは「数学」のままでもいいんだっけ(汗)。音楽だって書道と同様「音学」じゃないもんな。音楽の自習監督をした時、その先生が出した自習課題は教科書に載ってる楽譜の「写経」だった。たぶん生徒達は楽譜が読める訳ではないのだろう。
 もはや専門家が高校教育に従事する時代ではない。高校偽装の旗印を掲げて予備校化と専門学校化を推進する時代である。芸術科目は「ゆとり科目」であり、「ゆとり教育」の否定は「ゆとり科目」の否定へと繋がる。つまり芸術科教員採用試験の全廃には根拠があるのだ(たぶん)。かの先生は書道のみならず音楽や美術の採試までもが廃止状態になって、さぞ「我が事の様に」喜んでいる事だろう。
 今井教授が云うのは学問的基礎の話であって、教育的基礎とは相容れない。学問の専門家を教育現場は必要としない。~ここからは一つの命題が引き出される。大学教官には学問研究と学生教育の両方が求められているらしい。彼らは学問的基礎と教育的基礎の背反を如何にして克服しているのだろうか。私はこの分裂分析的命題に興味がある。だからドゥルーズやガタリの本を読み始めたのだ。かの音楽教諭は嘗て目撃した筈である。某校職員室の隣にある休憩室で、私が昼休みにドゥルーズ『意味の論理学』(法政大学出版局)を開いていたのを。

 国語教育でも、大抵は学問的基礎より教育的基礎を重視する。…と書けば、云われた方は「そんなバカな」と思うかも知れない。先ずは柳父章『近代日本語の思想』(法政大学出版局)P.66~67を引用する。
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> 日本語には、かつて「文」がなかったということは、今日の日本語を書く人々には、分かり難くなっているにちがいない。人々は、小学校以来の教育で、日本語の「文」というものを教え込まれてしまっているからだ。そして、たとえば文庫本の日本の古典などを見ると、そこに書いてある昔の「文」には、今の自分たちが知っているような、「。」の切れ目がキチンと打ってある。何だ、昔から「文」の切れ目はハッキリしてたんだ、と思うかも知れない。しかし、そういう「。」などは、現代の本をつくる人が、現代の日本人が読みやすいようにと、付け加えたのである。私は、日本の近代初期前後の文章で、「。」がどのように使われていたかを調べようとして、ずいぶん困ったことがあった。と言うのは、かなり古い文献を探しても、そこにはすでに、後世の人が、懇切丁寧に、後世風の理解で「文」の終わりに「。」を打って印刷してあったからだった。
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 ここでの「文」は、英語で云うならsentenceの翻訳語。昔ながらの「文」とは意味が違う。ちょうど「芸術」が翻訳語であるのと同じ事情なのだろう。佐藤道信『〈日本美術〉誕生』(講談社選書メチエ)P.38によれば、昔ながらの「芸術」には農業や数学や武芸などの意味も含まれていたそうな。
 また小松英雄『日本語書記史原論』(笠間書院)の立場は、仮名文について「句読点を必要としない書記様式」或いは「句読点を積極的に排除する書記文体」ではないかと見る。~以下、同書P.72から引用。
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> 現今の校訂者がテクストに句読点を加えるのは、仮名文の書記様式が不完全であるという認識に基づくようにみえる。必ずしもそのように明確には認識していないにしても、もとのテクストと等価の内容を、読みやすい形に改めて提供しているつもりであろう。換言するなら、そういう操作によって失われるものについての認識が欠如している。
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 テクストに対する思い込みが「失われるもの」への認識を欠落せしむるとしたら、その原因は恐らく嘗ての書字システムが印字システムに完全移行した所為だろう。活字の本に慣れてしまって、書字は書道か歴史学(古文書解読)の領分だろうと初めから無意識に切り離してかかる。
 決定的な違いは連綿の有無。~所謂「きりしたん版」の頃の金属活字印刷には連綿活字が多用され、句読点がなくとも読みやすさは写本同様に保持されていた。やがて連綿がバラバラに解体されるに及んで、嘗ては校注の領分だった朱筆(念のため…そればかりではない)の句読点が活字へと組み込まれる。すると本文と校注の混淆が起こった。漢文であれ和文であれ、今や句読点を校注含みの学術作法と思う人は殆ど居ない筈。そうした「進歩的」な思い込みが教育的基礎に組み込まれ、遂には「教育的基礎による学問的基礎の支配」が「活字による書字の淘汰」を根拠づけるに至る。
 なお、写本と古活字と整版の関係については中野三敏監修『江戸の出版』(ぺりかん社)P.42辺りが興味深い。「印刷してでき上がったものを指すのではなくて、いわば板木の方を本と考える」視点などが新鮮に映る。
 板木の字=版下を書いたのは、今で云う筆耕職人。そもそも読まれるために書かれるのだから、読みやすくない訳がない。そして「読みやすく書く」方法を学習するのが当時の習字の必須条件だった(ただし書道は明治の開国以後、支那の影響に席巻されていく)。そんな共時的感覚を廃した上で活字中心主義の国語教育を行えばどうなるか。そこに教育的基礎の正体が潜んでいるのではないか。件の音楽教諭でなくとも、誰だって「専門家にする訳じゃないのだから」と思うだろう。古文も漢文も所詮は準‐外国語の受験科目(ただし「国語」の枠内で保護観察中)に過ぎず、日常生活とは概ね関係ない。
 或る英語教諭に至っては、国語教員採用試験経由の書道担当教員を指して「中国に出て行け」とまで云った。草書と平仮名の区別がつかないなら、それも致し方あるまい(だって「悪魔の文字」の係累なんだもんw)。彼らにとっての日本語とは教育国語の事であり、それ以前の共通日本語~所謂「国語百年」以前の文字言語は、中国語の亜種同然に識別されるのである。学問的には正しくなくとも、教育的にはそれで充分に正しい。なにしろ「国語」の歴史はアメリカ建国史より遙かに短いのだから。
 主権回復後の公的占領教育は現在、英語教員を中心とする教員集団が担っているかの様に見える。そして国語教員には事実上、伝統国語の歪曲義務が課せられている。~私の赴任以前に或る留学事業で渡米した生徒の一人は、こちらの地元紙に何年か前、興味深い寄稿をした。それを読んで私は唖然とした。日本と違って自由なキャンパス・ライフだった事などが並べ立ててあった。…宗主国万歳!



消費行動としての学問と教育
 前稿で少しだけ、「板木を本と考える」視点に触れた。レコードやCDより原盤を重視する姿勢と似て、そこには歴史的前提がありそうではある。本は板木があれば余所からでも出版できるし、CDはマスタリング次第で音が変わる。どちらも数十年の長期販売が前提で、今の「すぐに絶版・廃盤になる」環境とは異なる。
 例えばテスタメント社が1955年デッカ録音のワーグナー《指環》全曲(カイルベルト指揮バイロイト)を市販したのは2006年だった。それまで原盤がお蔵入りしていた理由には、権利関係の複雑さやレコード会社の販売戦略が絡むらしい。
 当時EMIはフルトヴェングラー指揮で54年にスタジオ録音を開始、《ワルキューレ》だけが完成した(死去により計画頓挫)。片やデッカはショルティ指揮で全曲録音(58~65年)。カイルベルトのがお蔵入りになったのは、EMIが51年以後の七年間、バイロイトの《指環》録音の権利を占有し、また主要歌手の何人かを専属契約で縛っていた事によるそうな(『レコ芸』2006.4号参照)。
 そんなカイルベルト盤も国内ではすぐ廃盤となってしまった。日本語解説が不要なら輸入盤を買えばよいが、書物の場合そうはいかない。古書店や中古レコード店を利用する手もあるが、それでは出版社に買い手の気持ちが届かない様な気がして、若干の抵抗を覚える。~昔レンタル業が貸レコード店と呼ばれていた頃、著作権問題があれこれ取り沙汰された。その前は貸本屋の時代があった。最近はグーグルが書物をネット公開するとやらで問題になった。そして中国ではパクリの伝統が(以下略)
 本は単なる消費の対象になってしまったかの様に見える。もしかしたら大学だって、学問を消費しているのではないか。学校は教育を消費しているのではないか。こう書くと唐突に見えるかも知れないが、どちらも本を消費する場ではある。塾は学校の穴を消費し、学校は塾の成果を消費する。~学問の穴は誰が消費するのだろうか。それ以前に、穴から流出する筈の何かを生産するのは誰なのか(捏造・歪曲を含む)。

 こちらでは時折、地元のテレビに某印刷会社のCMが流れる。台詞は「印刷のなかった時代…」だったかな。すると画面に江戸時代の印刷物が映る。どうやら草書や仮名連綿は印刷物らしく見えないらしい。或いは印刷技術を近代西洋文化の象徴とでも思っているのか、とにかく明治の開国イメージが濃厚に感じられるCMだった。日本に西洋から活版印刷技術が伝わったのは江戸時代になる前だが、その後も「板木を本と考える」木版印刷ばかりが続いたせいか、明治の開国と繋げたくなる感覚は分かる。
 ここにも「消費対象としての情報印刷」が垣間見える。活版はいったんバラしてしまえばそれでオシマイなのに対して、板木は「それ自体としての蓄蔵」が可能な情報集積体である。ところが活版信仰の度が過ぎると蓄蔵対象は印刷物自体へと移り、原板/原版の方は顧みられなくなる。それと同じ事が録音・録画にもあった。テープを使い回す都合上、オリジナルの残っていない作品が相当数あると聞く。複製の反復により失われるものへの感覚を支那人や日本人は千年以上前から研ぎ澄ませてきた筈なのに、いつの間にか巷間から吹き飛んでしまったらしい。その後デジタル複製技術の登場で揺り戻しの動きはあった。それもいつしか「最新デジタル技術を駆使した複製があるから、もう原本は要らない」「邪魔なものは処分してしまえ」と相成った。年金問題やら何やらで公文書保存の意義が見直されたところで、廃棄されたものは元に戻らない。中国では公文書や私文書の偽造技術が洗練され、複製とは別の消費市場が発達(?)しつつあるらしい。
 保存には場所が必要となる。そして消費には流通が必要である。同じ場所に長々と居座って貰っては困る。つまり流通する事によって場所の性質が消費される。そこでは場所が関数的意味に置き換わる。昨日は物品Aのあった場所が今日は物品Bに入れ替わろうと、場所自体は変わらない。一つの場所が多数の活字の組み替えにより無数の書物に対応可能となる。その組み合わせのデータが当初の場所に保存された時代、まさに板木は本そのものであった。その役目が複製としての書物に移行した時、書物は過去の本となって別のリアリティを獲得する。原稿・原版は「本」の座から駆逐され、ともすれば印刷物の方がオリジナルより優位な存在となっていく。
 それらは必然的に「大衆による消費実績の優位性」を抱え込むだろう。こうなると「消費されない佇まい」が果たして文化と云えるのか、判断の基準が自ずと揺らいでくるに違いない。現に私がそうなっている。美術館に出向いてオリジナルを鑑賞するよりも、複製を手元に置く方に利便を感じるのだから。この感覚が持つ意味は大きく、そして歴史的でもある。

 嘗て支那では拓本技術が発達した。これも印刷物の一つと云える。複製としての碑版がオリジナルとなる瞬間を古人は体験してきた。オリジナルとしての役目を終えた原蹟が失われる事もあった。原蹟が失われて模本が残る例もあれば、原蹟と模本の両方が失われて拓本・法帖が残る例もある。極端な場合は拓本の価値を高めるため、わざと原石を毀損する例もあったそうな。ここまでくると、コピーのみならずオリジナルまでもが消費対象となっていく。そこから先は翻刻と考証の世界。それぞれに相応の距離がある。この距離を判別不能なレベルまで縮めようと多くの人々が努力してきた。
 そうした歴史的文脈で複製と消費の関係を捉えねばなるまい。さもなくば、結果としての「判別不能」が古くて新しい動機となって復活し、今度は文化の佇む「場所」達の方が集団自殺を企てざるを得なくなる。つまり場所が文化を追い出すのだ。なにしろ代わりの文化はいくらでもある。美術館の展示替えもそうした例の一つと云えよう。保存機能を持たない美術館なら巷間に山ほどある。
 そうした場所が教育に利用される機会は多い。差し当たって鑑賞の機会は与えられるが、大抵は「その時だけ」となり、後から見る機会は殆どない。中には展示の終了後に作品が廃棄されるケースもある(万博のパビリオンなど)。今の時代なら写真、録画、録音は残るかも知れない。撮影禁止、録音禁止でないなら多分そうなる。…これが危ない。保存意識が手軽かつ希薄になれば、それだけ散佚や忘却へと向かいやすくなるからだ。後は複製可能な記憶が何らかの形で残ればそれでよい。
 近年は学問の場に成果主義が導入されつつある。商売の役に立たない学問はもはや必要ないかの様に。そして教育の場でも、受験教育の役に立たない科目は淘汰に向かいつつある。その最も古い例が実用国語と書字との関わりに垣間見える。 書字自体は複製手段でもあるから、江戸時代を通して印刷技術とうまく共存してきた訳だが、書字を読めなくする教育が始まって以来、何かが根本的な断絶に向かい始めた。
 くだらぬ話も審議されているらしい。「しんにょう」が一点だの二点だの、どうでもよいではないか。「草略すれば皆同じ」だと乱暴に過ぎるなら、「一点之繞を分解すれば二点之繞になる」とでも云って置こう。「障害」を「障碍」に戻すのは筋が通っている(中には変な理由を挙げる人も居る様だが無視)。「鬱」が馴染まないのは当たり前。そもそも手書きでは「爵」と似た形の書写体で書くのが普通なのに、わざわざ「鬱」なんて形を持ち出すから「コリャ難しい」となる(千字文で「宮殿盤鬱」を習えば、もれなく「好爵自縻」が付いてくる)。書字二千年の歴史的蓄積を、なにゆえ学者・専門家は顧慮しないのか。活字にならない歴史を活字で消費し、書写体教育を百年で根絶やしにするつもりなら、専門家の横暴と云わざるを得ない。
 もしテストで書写体を誤答とするなら、教員も学者・専門家と同罪になるだろう。長野県の小・中・高校では実際に書写許容字体を誤答扱いしていると聞く(「漢字テストのふしぎ」で検索してみそ)。
http://tvf2008.jp/movie2/vote2007.php?itemid=134

 『WiLL』2009.7号P.83に、こんな発言があった(中山成彬)。
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>中山 本当なら親が「先生は日教組に入ってるんですか」と聞けるくらいだといいんですが、不幸なことに今、学校の成績が絶対評価になっていて、先生の裁量で成績が決まってしまうんです。以前は「上位五%が『5』」などと決まっていたのですが、今はそうではない。「この子は出来ないなりに頑張ったから『5』」「あの子は勉強は出来るけど授業に集中していないから『3』」など、先生の主観が入りますから、内申書を気にする親としては子供を人質にとられているようなものです。
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 青森県では必ずしもそうでなく、例えば以前勤務した某公立高校の場合は、昔ながらの相対評価と絶対評価を組み合わせている。なぜそう出来るのかを某教科主任に訊ねたところ、「絶対評価したものを相対評価するのだから、絶対評価は取り入れられている事になる」のだそうな。~これらを学び観察した結果、教員には下記の三大義務が課せられていると見るのが妥当だろう。
・歪曲教育の義務  ・基礎指導放棄の義務  ・成績改竄の義務
 相対評価にも負けず劣らず問題がある。先ず「非ゆとり科目」のレベルを高く設定し、「ゆとり科目」のレベルを低くする様にそれとなく強要する。例えば音楽の授業で楽譜を読める様にしてはならないし、書道の授業で平仮名を読める様にしてはならない。
 或る校長は嘗て、こんなふうに圧力をかけた。「オマエ読めるか、読めないだろ、読めないものは教えちゃいけない。」~これが英語科出身校長の占領政策護持姿勢である。主権回復後も占領時代の方針を承け継ぐ使命感に溢れている。そうした在り方が今も続いている。彼らは日本語の歴史を分断しろと云っているのみならず、そのレベルを「平仮名すら読めない程度に留めろ」と望んでいるのだ。要するに教育を植民地化の道具にし続けている訳である。因みに、これは平成に入ってからの一例である。
 すると相対評価が威力を発揮する。例えば受験科目の成績が100~40点で、非受験科目の成績が40~0点だとする。その両方を平等に、例えば五段階評価する訳だ。だから受験科目の100点と非受験科目の40点は同じ「評定5」になる。学校では普通、こんなふうに成績を改竄する。内規でそう決められているから、逆らえば勤務評定が下がる。まともに授業すれば皆の成績が上がってしまうから、受験機会のない科目の教員はいつも生徒の成績を下げようと「必死もしくは無意識に」努力する事になる。
 必死になる人は正体に気付いた上で職業的義務を果たす。気の弱い場合は良心の呵責に耐えきれなくなって精神を病んだりするだろう。他方、無意識に仕事をこなす人は真剣に取り組む。これが最強。馬車馬のごとく働く「理想的な教員」と云えよう。どちらのタイプも青森では殆どが国語教員として採用された人々であり、国語と言語芸術を視覚芸術から切り離す事で、活字優先主義の進歩的国語教育に適応し、かつ書教育と調和している。その証拠に青森市の某高校書道教員は十数年前、中学国語で書写指導しない慣行について「当たり前だろ」と現状認識していた。
 寺脇研氏が夢見た絶対評価なら、生徒全員が「評定5」でも構わない筈である。ところが相対評価に絶対評価を組み込むと、「この子は出来ない様に頑張ったから5」「あの子は出来てしまったから3」といった具合の「絶対評価を相対評価が包み隠す」手札も教員洗脳の状況次第では可能になり、その分だけ管理職の指導力も増す。

 教育による日本の植民地化作業は今も続いている。そこでは競争と「ゆとり」の両方が有効な手段となった…と書いてはみたものの、これでよいのだろうか。単なる泣き言、愚痴でしかないのでは。指導方法など所詮は一長一短、逆手に取ればどうにでもなる。
 植民地化とは縁遠い方面でも競争は進化しているらしい。先夜テレビを見ていたら、興味深い指摘があった(NHKの「クローズアップ現代」?)。算数の「百枡計算」で競争がエスカレートした結果、生徒達はいっそう効率的な方法で解く様になったそうな。…先ず0だか1の位から横に解いていく。次は2の位、3の位といった順番。生徒にとっての目的は競争だから効率的である。一々頭の中で計算していては競争に勝てない。取り組みの方法が悪いとは云わないが、取り組む態度は悪く(?)なっていったらしい。目的に応じて手段は変わり、手段に応じて目的は変わる。
 そうした限界を口にすれば、「泣き言を云うな」とウンザリする人が必ず出てくる。それでお仕舞い。限界に目をつむってイケイケドンドン、遮二無二「仕事しろ」で押し通す。このメンタリティの正体は何なのか、そこまで踏み込まないと本稿は中途半端になる。
 …と、そうこうしているうちに前稿を書いてから十日が過ぎた。何かが蟠っていて続きが書けない。書けたのは下記の脱線ネタが精々。てな訳で取り敢えず強制終了(爆)。


(以下余談~と云うより愚痴)
 以前、定期考査の出題が難し過ぎると咎められた事があった。そんな印象があってもおかしくない。詰め込み型に見える出題を工夫したのだから。…ただし沢山のヒントを盛り込んだ。或る大問の文章題がそのまま別の大問のヒントとなる様にしたり、誤答となる筈の選択肢が別の問題のヒントとなる様にしたり。出題要素の組み合わせに細かい改変操作を繰り返し、有機的連関を考査問題全体の中に隠した。記憶していればすぐに解ける。記憶していなくとも、印象が残っていればパズルは解ける。得点の低い生徒には何度でも再テストを繰り返す。その都度、問題を作り直す。そうしたパズル自体を読解のためのシークェンス発見プログラムとし、分かってみれば「なんだ、こんな簡単な事だったのか」と思う様に仕組む。その落差をどれだけ効果的に組めるかが、私にとっては当面の課題だった。落差が大き過ぎても小さ過ぎてもいけない。常に隙間があらねばならぬ。さもなくば暴走する(今にして思えば百枡計算の様に)。そこに免疫的自己破壊と補完的自己言及の余地を、可能な限り思考過程のバランスに配慮しながら盛り込まねばならぬ(たぶん)。
 懐かしく思い出すのは「思考ノート」方式(文通みたいなもんだ)。互いに問題を盛り込み合う「対話の反復」は私の勉強になった。教科の範囲から逸脱した問題を元の路線に出題し直す一方、逸脱の方向に即した書物をあれこれ調べたり。余裕は全く持てなかったが、それなりに楽しかった。しかし担当クラスの人数が人数なだけに、一人あたり月に一度の遣り取りが関の山だった。…あれは悔やまれる。シニフィアンとシニフィエを紹介した時、ウッカリ取り違えて書いて後から訂正するなどの杜撰さも目立った(orz)。
8【再掲】投稿日時不明稿(其二) ( 苹@泥酔 )
2012/03/31 (Sat) 20:49:09
妄想の編集工学(?)
>「私はその場で敢えてこう言った」
 キルドンム様と同じ疑問を私も持ちましたが、複数の座談会があった場合は話が別になりますし、仮にアレだった場合は…先ず西尾先生の「日録」から痕跡を探してみようかと。するとそこには編集の問題が書かれてある(↓)。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=822
 「火花散る五時間半の大激論!」と銘打つからには、「それだけの時間をかけたのに、交わされた会話って、たったアレだけなの?」と思うのが自然ではないかと。~例えば若し逐一「朝生」の発言を活字に起こしたとしたら、一体どれだけの分量になるんだろうか。てな事を考えると、雑誌ではそれなりに端折った部分があるのだろうとついつい忖度したくなっちまう。
 そこで苹は妄想する。~きっと西尾先生と同様に、八木先生の所にも端折った叩き台が編集部から送られてきたんだろーなと。そこに手を入れて全体の辻褄を合わせ、かつ発言者各位の了承を取る。…もしかしたら、そこには別の配慮があったかも知れない。西尾先生辺りは言論界の重鎮クラスだから、編集者が「なるべくなら余計な手間を取らせず、一度の校で済ませたい」と思ったとしても不思議ではなさそう。その辺を基準として、若手(?)には二度か三度の校(辻褄合わせ)をそれとなく要請する意図があったのかも知れない。すると成り行きの不自然さに勘付いた西尾先生が、上記リンクのごとく自前のブログ(日録)で不満をぶちまける。どうして校正の機会が一回だけなのかと。(あくまで苹の妄想でござんす…)
 こんな妄想を書くと編集部への侮辱になるかも(汗)。でも所詮、私は部外者だから現場の事は何も知らないのよね…(と開き直る)。編集者という驚異的な存在を私は恐れているし、その事は昨今のNHK問題(例の「JAPANデビュー」)とも通底する。~部外者とは云え私も同じ日本人の端くれ。別の畑に見立てて「明日は我が身」と思えばこそ、そんな忖度も心情ではそこそこ可能になってくるんだろうし。
 しかしながらそれはそれとして、仮に図星だったと仮定する。『諸君!』校正の過程で当該箇所が省かれた事が分かり、その後に『正論』の締切が来たとしたら。省かれた部分をどこかで披瀝したい。そこで肝腎(?)の部分を『正論』誌上で補足しようと考える。西尾先生が「日録」でやっているのと同じ事を、『正論』のコラム欄で書き綴る。(これもまた所詮は苹の妄想…)
 こうした疑問=視点に私が触れなかった理由は上記の通り。いっそ八木先生もブログを駆使すればいいのになあ。(西尾先生のに比べりゃ、藤岡先生や新田先生や松浦先生のネットの使い方も…私に云わせれば「宝の持ち腐れ」でがんす。)

 あと、諭吉ネタの方。すっかり忘れてたけど(汗)…バレンタインデーの夜に書いた「チョコより猿股くれ(来月ズロースで返す)」稿が下敷きかしら。その何稿か前に出してたネタの続きではあります。
 覚えて居ていただいて恐縮です。東京国立博物館「福澤諭吉展」絡みのあのネタは、「書道美術新聞」2009.2.1付908号5面の掲載写真を見て書いたものです。当時ネットで検索しても画像が見つからなかった時に出典を書いときゃよかったんだろうけど…(汗)。米南宮のは数があり過ぎて大変そうだなあ。群玉堂帖はともかく、肉筆となれば有名なのから各地の雑多なアレコレまで…(跋文まで含めればお手上げでやんす)。



【補記】伝統喪失者の立場から
 学べば学ぶほど、逆に伝統を失う事がある。…と云うより、純潔が失われる。ならば学ばない方がよいのかと云えばさにあらず。むろん学んだ方がよいに決まっているが、学ぶ中身次第で逆効果になる事もある。その辺が難しい。相性の問題と云えばそれまでだが、憧れが絡むと未練が残るから話はだんだん拗れていく。
 …何を想像しても構わないが、男女のそれが最も分かりやすいのかな。例えば閨房のテクニックを学ぼうと複数の(以下自粛)とか、未練たっぷりのストーカーにDV(以下自粛)…おっとヤバイ、やっぱ書道ネタにしよう(汗)。

 昔、或る流派の展覧会を見たとする。通っていた書塾とは全く異なる書風の。~塾では専ら昇段試験の課題ばかり練習していた。半紙や条幅の課題が複数あり、多くは師匠の手本だが、中には半紙を横に使った黄庭経(王羲之)の臨書課題などもあった。他方、高校の授業は古典臨書や創作が主で、先生の手本が主になるのは部活。その先生の属する社中の展覧会を見た訳である。
 いくつか学んでみると、書風それぞれ特徴的なテクニックがある事に気付く。普通はその特徴に気付かぬまま、自然に特徴が自明なものであるかのごとくして身に付く。…特徴に気付くと、その特徴が気になり始める。いつしか不自然となりゆく時期も早まる。だから或いは「気付かぬ様に学ばせる」方が重要なのかも知れない。門人の多くは大抵そんなふうに学んでいる。言い換えるなら、閉ざされているがゆえの純潔が保たれている。だから彼らは自然な書きぶりを維持できるのではなかろうか。にもかかわらず、いつしか書風は上達すればするほど不自然な姿になっていく(これを習気と云う)。感じた通りにそのまま書くと、書風以前の根源的規範が書風の特徴に脅かされていく。
 純潔を保ったまま不自然を克服するのは難しい。純潔を失い、なおかつ不自然を克服するのも難しい。純潔を取り戻そうとする姿勢がないとまずいのかも知れない。しかし何が純潔で何が不純なのかが分かりにくい。…不要なものを捨てていくのが大事、と説く人も居る。よく分かる。ただし捨てられるものならば。捨てる神と拾う神の両方にならねばならぬ時もある。屁理屈に見えるなら羨ましい。そこには未練がない。
 仮に~わざわざそうなろうとしなくても「朕は伝統なり」と云える究極の存在に何かを見る~仮託するとしよう。そうした在り方と似通った「別の形」を我々が言葉の中に共有していると見るなら、言葉から離れようとする伝統的営為が文字には予め含まれている事になるのだろう。…書を学ぶと、書風が多様であればあるほど文字から言葉が離れていくが、そこには元々「文字に言葉が宿る」という矛盾がある。この矛盾を無視すると「読めなくていいよ」式の指導が成り立つ。すると矛盾を捨てる事により文字が捨てられ、そこにまた新たな矛盾が生まれる。流動する矛盾が生命力の顕現であるかの様に見え、そこに矛盾の正統性(?)が胚胎する。
(「矛盾」絡みの参考旧稿No.7266を含むツリー↓)
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_tree?base=7240&range=1

 キルドンム様のを読んで以来、何かが気になるので再三『正論』六月号の八木秀次「両陛下の保守主義」を読み直した(しつこい?…orz)。この中で先生曰く、「保守主義とは、我々の肉体も精神も文化も国家も、何もかもが歴史の所産だと自覚する精神の姿勢ではないか」と(P.44)。
 …自覚と自存が矛盾するかの様に見えてくる。従って~なればこそ「保守」と「保守主義」は矛盾しない事になるのではなかろうか。まさにその事が問題なのかも知れない。「保守主義などという思想は存在しない」と仮定するなら、保守主義の在処たる究極は「空虚であってよい」事になるからだ。その究極を仰ぎ見る側が当の「空虚」を護持すべくして「保守主義」を自覚的に捉えると、方法論としての「保守主義」が在り方としての「保守」から引き剥がされる。その上で「両陛下の保守主義」を仰ぎ見るなら、そこでは彼岸の究極こそが清浄なる自存に相応しい(西尾先生が京都に視線を向ける理由もこの辺にありそう?)。しかしながら、「保守主義」から見た倫理は余りに遠く、「保守」から見た倫理は余りに近い。ゆえに倫理的立場それぞれの間では矛盾を免れぬものの、それぞれの立場が向かいゆく場所はどのみち矛盾せずに済むのだろう(ただし~私の想像通りならば、神聖不可侵と純潔はそれぞれ違う概念として結ばれる筈)。
 純潔の喪失と、純潔の獲得。~そこでは「どちらを意識するか」の八木的問題意識が提示されたかの様に思われた。もし純潔が倫理を遠ざけるとしたら、距離への意識が純潔自体を誘惑し始めるだろう。ところが左翼はいつも初手から純潔なる倫理で語りかけてきて、傍目にゃまるで距離感がない。時には肉感的ですらあるから現実味はあるのだろう。だからそれを空想的と嗤う気にはなれないし、現実味の起点に立ち返れば肉感と伝統との密接な関わりが垣間見えてきそうでもある分、むしろ肉感の喪失を「ほれ見た事か」と嗤う左翼の方が気になる。そうした人々には喪失への未練や恐怖が感じられない。訣別や総括の名目で、割り切れないものを強引に断ち切ろうとする野獣的感覚が私には却って空恐ろしくもある。
 …ところで、今は総括を口にする左翼って居るのかしら。仮に~空気に包まれた事を以て(たとえ便宜的であるにしろ)総括と見なすなら、彼らにとって敗北主義とは何なのだろうか(…そんな四字熟語をどこかで見た気がするものの、あたしゃ勉強不足で意味がよく分からないのでやんす)。



【補記】右翼根性と純潔
 「表へ出ろ、その薄汚い右翼根性を叩き直してやる!」といきなり云われたらどう思うだろうか。「俺って右翼に見えるか?」と戸惑う人が多いに違いない。そもそも私自身「右翼とは何か」がよく分からないし、それ以上に「保守とは何か」も~前稿で書いた様にややこしくなってくる。例えば所謂「内紛」を仮に「不純右翼交遊」の問題と見なすなら、「不純(or純潔)でない右翼って居るのか?」てな発問だって可能にはなるだろう。…2chを見ると、いつ頃からか「つくる会は左翼」との宣伝が繰り返される様になった(↓)。冒頭の言葉を大江健三郎に浴びせかける場合と同様、私はちぐはぐな感覚に襲われる。
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1239978181/
 これが「その薄汚い左翼根性を~」ならどうか。形容詞と名詞との繋がりに違和感を覚えないなら、「正常な感覚には或る種の麻痺が伴う」って事になりそうではある。で…その2chだが、読んでみると畢竟「優れた中国の文化を、劣った日本が学んだ」とする見方が気に食わないらしい。劣ったものを学ぶ必要があるとは考えにくい。優れた点、便利な点があるから学ぶのが普通だろう。…ふと撃論ムック『世界を愛した日本』P.191~192(西尾幹二)の記述を思い出す(↓)。
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> 明治に初めて中国に接触を開始した日本人は全くそれまで中国に住む人間を知らず、長期間にわたって文化国家、すなわち儒教の国、道徳の国と崇め奉っていたこの国の国民は初めて中国の民衆に触れたらあまりの酷さ、賭博、女衒、すり、かっぱらい、そんなのにばかりに出会って、それで初めて「チャンコロ」という言葉が生まれたそうです。
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 麗しき島国から大陸に出かけて行ったら「不純になった」、と見る事は可能だろう。つまり「汚れちまったかなしみに」自己を見つめ直したら自虐的になった、と。これならそれなりに共感できる点はある。自閉的な思考に深く沈潜して初めて見えてくるものが確かにあるからだ。日本人にとっては中国文化が昔からそうだった。「中国人にとっての中国文化」の事ではない。それくらい誰でも分かる。多分、「つくる会は左翼」と貶し続ける人々は別のものを恐れているのだろう。そうでなければ理屈が合わない。見方次第で意味も効果もガラリと変わる。自閉左翼の近親憎悪か、ただの破壊工作に見えてしまう。

 ところで。
 ぬらりひょん…じゃなくてノムヒョン怪死の夜、こう書いた(↓)。
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 キムタクの新番組が脳科学ネタらしいので、ダラダラ見ながら取り敢えず書き始める…。脱稿するのはいつになるだろか。先ずは番組視聴優先、それと忘れぬうちに漢字と仮名について書く予定である事もメモ…(あと研究者の山鳥重、笹沼澄子等々)。
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 両先生を含む方々の研究によると、漢字と仮名の認知には脳機能上の違いが色々あるらしい。~でも前々から思ってた。被験者は所詮、現代人だろ。これにより認知機能上の特徴がだんだん分かってくる訳だ。ただ、そこから得られる知見が過去の人間にもそのまま当て嵌まるとは限らないんじゃなかろうか。(…此処を見てる人の友達の友達に、その筋の人が居ればいいなあ。)
 そもそも被験ネタがただの二分法じゃろ。変体仮名や真名の扱いはどうなるのか。蕎麦屋の暖簾は読めるのか。青森の田舎にある「不老ふ死温泉」の「ふ」は漢字と仮名のどっちで識別されるのか。文盲の人ならどんなふうに認知するのか。古文書研究者と書家と一般人とでは何らかの差異が見られるのか。特に興味深いのは後期高齢者。「後期」だからもうじき死ぬぞ(苦笑)。と云っても所詮は二十世紀人だから、明治33年(小学校令)以後に見られる国語教育改変の影響まで遡ろうとしてもとっくに手遅れなんだろーが…。それでもどうにか足掻ける余地があるとすれば、例えばNHKの協力を仰いで「百歳バンザイ」の(以下略)
 気儘な素人の言いたい放題、人の気も知らないで…と思う人も中には居るだろう。至極ご尤も。どっちみち縦割り社会だもんね。書道界とコラボした例なんて、あたしゃアフォーダンス研究の佐々木正人先生くらいしか知らんわい。それに明治時代ならともかく、今の研究者は大多数が英語脳とのチャンポンでしょ。薄められた国語で濃密な過去を発想するには限界がある筈。だからこうして気付いた事を書いてるのよね。それを余計なお世話と思うなら、私はその人を大いに尊敬できるだろう(既に気付いて何かしている筈なのだから~単に私がそれを知らないだけ)。
 猥雑な過去に比べれば、二分法を基準とする現実は相対的な「純潔」の基点となり得る。つまり科学的発想の都合が歴史への遡り方を恣意的に設計するのだ。文部省との共犯関係を一つの伝統として保守し、我々が学んだ「設計後の国語」を母語とする。~ワーグナーの楽劇《パルジファル》第一幕に「ここでは時間が空間となる」との歌詞があったが、その逆に「ここでは空間が時間となる」。今の脳内空間が時間を設計し、過去の読み方をも征服するのである。それが科学的には正しい。科学の対象に過去を据えるのは、タイムマシンでも発明されない限り無理があるからだ。
 そこで試しに開き直ってみるとしよう。~歴史の破壊工作は科学的根拠に於て生産的である。なぜならそれが、「現在を過去から守る」事になるからだ。工作が成功すれば、我々人類(?)は現在のみならず「未来をも守る」事になる。現在が未来を設計する特権を握り、斯くして未来は現在の奴隷となる。そうした流れへの反逆者を我々(?)は「修正主義の歴史家」と呼んでみよう。正しい歴史に近付こうとする者を科学的知性は許さない。過去の科学は現在により修正される。言い換えるなら現在の科学は、過去の見方を審判する立場にある(そして未来が現在を審判する)。
 一言で云えばサディズムとマゾヒズムの科学的宥和…「ここでは科学が新たな宗教となる。」~そんな科学がまともに存続できるとは思えない。私はあらゆる点で、我々の内なる脅威は「純潔中毒の克服」との闘いだと思っている(念のため~純潔と純潔中毒は別物)。



学問に対する教育の優位
 南京大右翼…じゃなくて、嘗て南京大虐殺と呼ばれる事件があった。中国の教科書か何かでは南京大屠殺と呼ぶらしい。たぶん事実なのだろう。細かい事は知らないが、「そう教えろ」とのマニュアル(教科書・参考書・指導書など)があり、また指導方法の研究が全国規模で行われているのであれば、それらに依拠した教育的実践を通して身に付けた指導技術を捨てるのは教育者として耐え難い。そもそも職業的教育者としての良心に反する。
 こう書くと、「何をバカな事を」と思う人がいるだろう。前稿も相当ふざけた書きぶりになったが、今回は別の切り口で行く。つまり私は大真面目にふざけているのである。~そう云や昔、「あなた作る人、ぼく食べる人」(だったかな?)とか云うテレビCMがあったっけ。一部では「男尊女卑だぁ」と問題視されたらしいが、これが「あなた調べる人、ぼく教える人」の場合ならどうなるのかしら。
 例えば巷間には、なにやら「マルクス主義」ってぇのがあるらしい。中身はよく知らないが、語句だけは覚えている。それを正しく答案に書き込めば得点が貰える訳だ。そのシステムは常に無謬であらねばならず、正誤判断の根拠となるバイブルに相当するものを学校では教科書と称する。…教科書の採択は聖書の採択と類似する事になろう。つまり採択者はシステム上の「正しさ」を採択するのであって、それがマルクス教だろうがキリスト教だろうが、学問的には「あっしにゃ関わり合いのない事でござんす」であらねばならぬ。さもないと後で何かあった際に「大返し」できなくなる(敗戦後の教訓?)。
 どんな文脈だったか忘れたが、以前おちょくり板でこの「あっしにゃ~」てな言い回しを使ったところ、主の荒間様が不快感を示した事がある。実に興味深い反応だった。私はますます「そこに何かヒントがある」と思う様になり、更なる向学心が湧いてきた(荒間様に感謝)。人が不愉快と思う事物には、根源的に心を揺さぶるための鍵がある。

 教科書はバイブルではない。絶対の真理ではないからだ。しかし絶対の規範としての振る舞い方はそれに依拠せねばなるまい。ばかげた例を挙げるなら、木偏や禾偏の縦画をハネれば不正解になる様なものだろう。文部省が手引きで許容範囲を示したところで、必ずしもそれに依拠する必要はない。許容範囲が学問的な正しさの幅を持っているからどうだと云うのか。許容範囲の名目で教育を破壊するつもりか。それと同じ事が教科書採択にも云えよう。
 或る教科書が採択されたからと云って、現場がそれに準拠する必要はない。準拠してよいのは、新しい教科書の内容がそれまで使っていた教科書と矛盾しない場合のみである。しかしどのみち矛盾は避けられない。ならばどう解決するのか。…ここでは矛盾自体が一種の許容範囲と化すのだ。つまり現場では、そうした副次的な許容範囲の枠内で指導内容を選択する事が可能になる。
 そこで~この際『日本人の歴史教科書』を参照してみよう。自由社の市販本P.192に「二つの全体主義」とある。共産主義とファシズムを「どちらも全体主義の一種」と説明してある。…こんな表現、現場の誰が認めるだろうか。そもそも試験の採点基準が全体主義的だろがぁ。ならば全体主義のエッセンス自体は充分に咀嚼された形で「事実と無関係に」肯定されねばならぬ。ゆえに~例えば「つくる会」の自由社教科書を採択した地域の場合、ファシズムと共産主義は共に肯定されねばならぬ事になるのだろうが、ファシズムにはホロコーストの障壁があり、肯定するのはひどく難しい。すると相対的には共産主義が際立つ。全体主義を脱構築する上で、共産主義を善玉と解釈する手札が突破口になり得る。しかしそんな付け焼き刃では手緩い。もっと本気で「二つの全体主義」史観を滅ぼさねばならぬ。学校から全体主義を追放するには、全体主義そのものを分裂状態に置かねばならぬ。そうして初めて、教育を学問から守る事が可能になるのである。
 …そう。私は今「反日実験人格」の署名で書いている。昔から支援板で試みてきた様に。学校の無謬性を盲信する立場にリアリティを求め、穢れていようがどうであろうが「様々な保守の形」を保守思想から保守する姿勢がないと、私はきっと保守思想に呑み込まれてしまうだろう。

(以下余談)
 上記の続きを書くつもりで居たところ生理現象が。~今夜の便所道楽に持ち込んだのは倉島長正『日本語から日本が見える』(東京新聞出版局)。暫し読み進めるとP.199の「点が恣意的に加わった俗字」の話が目に留まり、「升」字には点が打ってある。これでふと昔の事を思い出した。
 「升」の場合、補画は草略に由来するのだろうと私は思っている。つまり他の字と区別するために補画した草書を逆に楷書化した口だろうと(No.7330参照)。~そもそも草書を楷書化するケースは珍しくもなんともない。新字体には「学・会・帰・図・昼・当」などの例がワンサカあるし、中国の簡体字もその口が多い(例えば「書」の簡体字には草書由来の「点」が付いている)。だからどのみち教育漢字の指導は、草書を遠ざけた時点でたちどころに歪曲教育へと変質せざるを得なくなる。学問的には従来通り篆文・古文との関係ばかりが重視される一方、生きた文字の歴史は生活意識から断ち切られてしまう。云うなれば「文字史における精神的焚書」。現代史を文献学や考古学の視点で取捨選択する様なものだ(例えば南京大虐殺の史料ばかり重視して、生活との因果関係を初めから切り捨てる様なものだ)。
 それはともかく~思い出したのは、新任早々の学校行事で「式次第」を書いた時の事。当時の私には転勤するたびキャラを変える趣味(?)があり、今度はどの書風にするか、そちらに気を取られていたのだろう。どちらかと云えば御無沙汰の書風で書いているうち、或る字にウッカリ補画を付けちまった(正しくは「字のバランスを取った」)。すると教務部の古株国語教諭からクレームが来た。すぐに書き直したから、どうと云う事はない。
 今度の高校は県内有数の伝統校だし、あたしゃ「テストじゃあるまいし、掲示物での補画くらいどうって事はないだろう」と思っていた。現に各クラスに掲示してある校訓の字は旧字体の書写体で書いてある。…あのクレームが内心どんな意味だったのか疑問は残る。伝統校だからと云って必ずしも伝統教育を重視している訳ではないので、あの時に問い詰めて居れば~もしかしたら「伝統の名目を借りて伝統を破壊する」漢字教育システムの内部事情まで到達できたかも知れない(タブーに属するなら無理だけど)。
 これも別の意味で「学問に対する教育の優位」の話ではある。



教育に対する学問の優位
 前稿に引き続き、「反日実験人格」署名にて。

 「学問に対する教育の優位」ばかりではバランスが取れないので、「それと同時に」教育よりも学問の方を優先する。つまり学問研究の成果を教育現場に反映させていく。そうする事で古い教育から新しい教育へと転回していく。これを全国規模で実施するためなのだろう、文部省~後の文部科学省は繰り返し学習指導要領を改訂してきた。細部の調整は教科書の側で行うが、指導方法の大枠は指導要領の方で定める。中でも「大返し」に相当したのが敗戦後の教育改革や所謂「ゆとり教育」の導入だったが、教育基本法改正や「ゆとり教育」の見直しもまた同様の「大返し」ではある。
 教育学も学問の内。嘗ては詰め込み教育を反省した結果、国を挙げて「ゆとり教育」へと転回した。…見方次第では「ゆとり教育の名目で教育が破壊された」事になる。しかし本当にそうか。ここでも「許容範囲」化の流れ、すなわち「ゆとり教育を実施してもよい」と「実施しなければならない」との鬩ぎ合いに呑み込まれた面がなかったか。
 私には殆どの現場が、前々からあった「ゆとり科目」と「非ゆとり科目」の潜在的共存状態に顕在的格差を持ち込む事で解決したかの様に見える。「非ゆとり科目」の大半を受験科目が占める場合、その学力が低下すれば進学率も落ちるのが自然だろう。しかし実際はそうなっていない。ならば学力低下の主因は「非ゆとり科目」に帰せられるのではなく、両方の科目で「ゆとり教科書」を使った事にあったと考えるのが順当だろう。もし教科書が従来のままならどうなっていたか。実際以上に「非ゆとり科目」が「ゆとり科目」を淘汰する形で事は進んだ筈。つまり「ゆとり教科書」は「ゆとり教育」に延命作用を齎した。そしてその分だけ「未履修問題の発覚が遅れた」。
 あれは本当に「未履修」の問題だったのか。「単位の振り替え」の曲解ではないのか。発覚するまでは誰も困らなかったし、むしろこのまま学校教育の~高校教育の予備校化・専門学校化が円滑に軟着陸すれば「塾に行かずともどうにかなる」事を、誰もが内心では期待していたのではないか(…と書けば、それだけなら単なる「学問的基礎に対する教育的基礎の優位」の話になってしまうのだろうが)。
 ここでは学問が教育を隠蔽した。「教育が学問より優位となる構造」を学問がその都度包み続けるうち、ゆとりある格差教育がじわじわと波及して行った。

 「非ゆとり科目」と「ゆとり科目」を峻別する基準は受験システムが握る。高校受験や大学受験の中身が変われば基準も変わる。そうこうしているうち、受験システムの頂点をなす「大学」に向かって一切合切が収斂して行った。大学の数は増え、進学率は上がり、学力は低下した。この構造が「ゆとり教育」の転換後にどうなっていくか。
 小泉政権時代に「大学バブルの崩壊」があったと見るなら、その処理を任されたのが安倍政権以後。…学校教育における「不良債権」状の因子には何が相応しいだろうか。既に合併の動き(統廃合や一貫教育)は全国規模で進んでいるが、それだけでは済みそうにない。本格的に「ゆとり教育」を廃止するつもりなら、「ゆとり科目」の淘汰へと進むのが順当ではないのか。(そもそも進学塾・予備校に「ゆとり科目」など存在しないのでは?)
 ちと乱暴ではあろうが、大店法をめぐる一連の動きに見立ててみよう。~仮に「受験に役立たない科目」を中小小売店に見立てるなら、大型小売店に相当するのは何になるだろうか。受験科目、主要科目、特進クラス…候補は意識によりけり。色々あってややこしい。
 例えば、或る高校に普通科と商業科と家政科があるとする。そこの目玉は何だろうか。進学校なら大抵は普通科。地域密着型なら商業科と就職率との関係や、家政科による産品開発などが今は重要かも知れない。だから一概にどうとは云えない。しかしそれらを包む門の入口は概ね共通の試験で統御されている(共通一次試験や公立高校入試)。法律が参入の門前に立ちはだかるのと同様、学校の門前には受験科目がある。そして受験科目が非受験科目の参入を逆に防ぐ。要は、門のどちら側から見た時に、何の参入が防がれるか。ここでは参入障壁の内容(傾向)に応じて対策の仕方が変わる。その対策の仕方を教えるのが最も効率的だろう。大型小売店と中小小売店の共存状態に、私は学校と塾の共存状態を幻視する。
 試験を「学問の化石」に喩えるなら、立派な化石が出来るまでには相応の年月がかかるし、化石となるために必要な環境条件も満たされねばならぬ。化石になるのを妨げる環境条件は要らない。そうしたニーズを水面下の解釈(許容の幅)で取り込もうと努力してきた結果が未履修問題だったのだろう。
 発覚当時、某進学校の校長経験者がテレビのインタビューで答えていたのを見た。私の目には、何がいけないのか理解に苦しんでいる様子と映った。

 未履修が駄目なら、別の手を模索せねばなるまい。青森県の場合、事実上「ゆとり科目」の高校教員採用試験廃止に踏み切りつつあるのは人件費削減努力の一環だろう。今は芸術科目の試験全面廃止状態を七年継続して実績を積んでいる最中だが、いづれ他の科目でも同様の手口を使わねばなるまい。
 因みに高校書道の場合、「書道美術新聞」916号(2009.6.1付)によると「今年は実に一五府県で採用試験が実施されることが判明」「去年も「一三府県」でニュースになったのは、それまでの五年間の平均が七・二府県だったから」だそうな。こうした府県では、青森県や東京都の様な「講師に丸投げか、他科教諭に盥回し」の方針を断固保守する意志が崩れつつあるのかも。今後は地方分権による地方格差の拡大が急務となる筈。
 これは「教える側」の話で、基本は不要科目における経費と人材の節減(不要科目自体を節減すれば高校のままでは居られなくなる)。それに対して「教わる側」の方は金蔓…じゃなくて収入源だから、これが減ると困った事になる。入試で優秀な生徒を集めたいのは分かる。しかしそれが各科毎の縦割りでは、倍率との絡みもあって「他科なら入学できた生徒」が漏れてしまう事になる。
 そこで…と書くと「趣旨が違う!」とのクレームが舞い込みそうだが、ともかく青森県では下記の方針を打ち出した。
http://www.daily-tohoku.co.jp/news/2009/06/04/new0906041101.htm
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>>三本木高など7校9学科改編 10年度から(2009/06/04)
> 青森県教委は3日、2010年度から改編される県立高校の学科を発表した。対象は7校9学科。県南では三本木高校の理数科が普通科に、三沢商業高校の流通経済科が商業科に転換し、09年度に募集停止する。三本木農業高校の農業土木科は廃止され、環境土木科を新設。一方、三沢商業高校など3校は10年度入試から、学科別ではなく学年全体で生徒を募集し、入学後に学科選択できる「くくり募集」を初導入する。
> 教職員課によると、三本木高校の理数科(1学級)は廃止となり、普通科が5学級から6学級に増加。10年度に三本木高校付属中学校の1期生が同高校に進学するのに合わせ、学校全体で理数教育を充実させる。
> 三沢商業高校の流通経済科(1学級)の廃止は、志望倍率の低迷が一因。転換先の商業科が3学級から4学級となる。商業科に流通経済科と同様のコースを設置し対応する。
> 三本木農業高校の農業土木科は環境土木科に変わり、環境保全なども授業に取り入れ学習の幅を広げる。
> 青森西高校と弘前中央高校の人文科は廃止され、普通科に転換。青森商業高校の会計科も廃止となり、商業科に転換となる。五所川原農林高校は、林業科が森林科学科、農業土木科が環境土木科、食品化学科が食品科学科に変わる。廃止が決まった学科は09年度に募集停止するが、現在の在学生は卒業まで当該学科で学習する。
> くくり募集は、専門分野のある高校で、入学後に生徒の関心や適性に応じ学科選択ができるよう導入を決めた。今回は三沢商業高校、青森商業高校、黒石商業高校(商業科と情報処理科)の3校が対象。1年次に商業の基本的な学習をした後、1年次後半―2年次に学科を選択する。今後、工業系や農業系高校についても検討する方針。
> 学科の改編は、県教委が昨年8月に公表した県立高校教育改革第3次実施計画の一環。同日開かれた県教委の定例会で承認された。同課は「基本的な学習を重視し、その中でより選択の幅がある学科になるようにした」としている。
>【写真説明】
>2010年度から改編される青森県立高校の学科
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 私は試験を「学問の化石」に喩えた。試験こそが学問の顕在的な像、すなわち実数である。虚数は要らない。そして「括り募集」には実数を洗練する効果が期待できる。

 とは云え、未履修問題には昔から或る「教育への熱情」が関与している。熱烈な善意の前では、どんな悪も霞んでしまうのだ。それらは愛に似ている。盲目の愛。…そう、愛のテーマなのだ。生徒のためなら泥を被る。成績の改竄でも何でもする。必要とあらば平気で嘘をも教える。それくらいの覚悟がなくてどうするのか。教育への愛が足りないなら、そんな教員は必要ない。
 「そもそも「愛」とは、イデオロギーではありません。教える事、学ぶ事を正当化する人工のイデオロギーが先にあって、それに抗するため、後発的に自覚する様になった生存本能です。本来、友愛主義などという思想は存在しない、あるのは愛という「生き方」である…」と書けば、吐き気がしたり激怒したりする人が続出するかも知れない(『諸君!』最終号P.200参照)。
 …私は今、盲目性について書いている。愛の偽物が愛を騙る時、愛しているつもりの本人はその事に気付かない。すると遣り場のない熱情が、納得するため自他を相互に「説得し、高め合い、組織する」。付いていけない人は心の病に罹るなどして、果ては教職を去っていく。最後に残るのがどんな人物か分からなくとも、その属する器への信頼は毀損すべきでないのだろう。~実数が属する器と、虚数が属する器とは違う。器それぞれに期待された役割があり、そこから漏れた数の性質は本来、別の器に属する筈なのだから。
 どちらの器も、今では罅割れた骨董品。進学校から進学塾に漏れた数を進学校がポンプで汲み上げるさまを想像してみるがよい。漏れたり汲み上げたりする対象にならないのが、ここでは虚数にも似た罅それ自体なのかも知れない。
 この罅は嘘を濾過する。濾過する必要がなくなれば罅は要らなくなる。熱情の暴走を隠蔽するためにのみ必要とされているのが罅であるとしたら、罅が嘘塗れの悪を吸着し尽くすのを待っている誰かが、たぶん最も罅を必要としているのだろう。ゆえに学問は罅の権化となりつつ、風見鶏の様に教育を呪わねばならぬ羽目に陥るのである。
8【再掲】投稿日時不明稿(其一) ( 苹@泥酔 )
2012/03/30 (Fri) 23:08:28
【教採】情報公開から情報管理へ【異変】
http://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/education/kyousai.html
 例によって、教員採用試験募集要項発表の季節となった。…ネット上では青森県に異変あり。どうやら今年は募集科目の隠蔽に踏み切ったらしい(2009.4.15現在)。
 平たく云えば「先ず願書を取り寄せろ、話はそれからだ」ってこった。取り寄せてみたら「自分の受ける科目の募集がない」…なんて事態が容易に予想できる。今年は一体どれくらいの部数を準備するつもりだろうか。まさか印刷業者に大量発注するための苦肉の策ではなかろうな(なにしろ未曾有の大不況だもんなー)。そうでないならこれはこれで、「もう願書が残ってません、来年はもっと早めに取り寄せてね」でチョン。これから色々と忙しくなるぞー(苦笑)。
 …で、いつもの妄想。
 担当職員が多忙となっては困る。にもかかわらず敢行するからには、電話やメールの利用に別の目的を含ませる…くらいの事があっても不自然ではなかろう。
 今の当該世代は、殆どが携帯メールを使いたがる筈。受験希望者はメールで問い合わせ、担当者は予め準備した返信フォームを送信する。これで身元管理が容易になる。アドレス等々をデータベース化すれば採用候補者名簿の予備情報としていつでも活用できるし、携帯電話を用いた出席管理や諸連絡などに対応できる人材かどうかの事前選別にも役立つからだ。~メール利用者を仮にA評価とするなら、電話の問い合わせはB評価。民間企業に学ぶなら、それくらい当然だろう。(これはあくまで妄想である。実際そうなるかどうかは、情報公開されていないなら分かる訳がない…とは思うがコネ経由の情報流出があれば話は別。)

 …更に想像を逞しくしてみよう。
 そこに予めブラックリストがあったとする。生活保護なら北九州方式の門前払いが有名だが、差詰めこちらはその教育版ってところか。受験して欲しくない人には初めから願書を渡さず、受験させない様に仕組む。これなら新手の面白さは評価できる。~例えば例年通り、書道教員の採用予定はないとする。しかし採用予定のない科目の受験機会を剥奪してきた証拠が文書に残るのはマズイ。そこで文書には取り敢えず全科目を載せてみる。
 しかし今はネット時代。どんな情報が出回るか知れたものではないから、それなりの防波堤が必要となるのであった(ここは講談みたいに読んでちょ)。…考えられる手札がいくつかあるとする。例えば試験実施科目の受験者には願書を渡すけど、実施偽装科目の受験者には「もう品切れです」てなふうに門前払いするってぇのはどうだい。…いやこれではすぐバレる。ならば他にどんな手札が考えられるかしら。やはり願書記載内容の架空水増しは困るじゃろ。やはり正直に書く方がよい。でもブラックリスト方式なら使える。そこでまたまた書道の例で想像してみよう。
 地域には地域の事情がある。土着の流派があるし、それを優遇してきた歴史もある。普通に(?)やってたら偶々「一部の大学を優遇する結果になった」ケースもないではない。全体として見れば青森県なら弘前大学がその口だが、この手の学閥化傾向は規模が大きければ大きいほど「学閥となりにくい」面もある。肝腎なのは凝集力なのだぁ。なるべく規模は小さく、その代わり「鉄の結束を」。
 これならブラックリスト方式が有効に機能する。そもそも受験者数が少ないから監視しやすいし、大学との癒着構造も維持できる。~大分県の場合は贈収賄すなわちカネが絡んだからバレたし、カポネの場合もカネ(脱税)が口実になって捕まった。変な所から露見するのが一番コワイ。事はなるべく慎重に。
 一部の科目で「教員採用試験を実施してはいけない慣行になっている」のには、それなりの理由がある。…復習しよう。青森の常識では国語教員採用試験(実技なし)で人材を一括りにする。その中から書道側に人材を「適正配置」する訳だが、この段階は既に正規の採用試験を通過した後だから、後は内部の判断でどうにでもなる。今更まともに試験を実施しても手遅れなのは前にも述べた(↓)。国語教員採用試験の枠組みで書道の設問と実技を設ける手も考えられぬではないが、これだと国語科と芸術科の縦割り構造がネックとなるから多分「初めから無理」だろう。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=7081&range=1

 …てな訳で、お手並みを拝見するのが楽しみである。もしかしたら抜本的かつ画期的な変更も…いや、流石にそれはないか(苦笑)。
 これまで青森県は色々な事を試してきた。例えば全教科で英語の会話能力を課してみたり。ただし参考程度に留めていた筈だから実効性は皆目不明。その他、驚いたのは日本史と世界史を採用試験段階で統合した事だった。歴史観を共有させる狙いでもあったのだろうか。よく分からぬ措置だった。
 教育系の保守団体にはこの辺を組織的に監視していただきたいところだが、残念ながら分裂後の「つくる会」は自由社版の教科書採択にこれから傾注する段階ゆえ、当面は余力など期待できそうにない。もちろん育鵬社も従来の扶桑社版で採択戦に入るのだろうが、そちらの方は専門部署としての組織が出来上がっている様だから、私としては「改善の会」や「再生機構」の方で御配慮を願いたいところ。就中、一部の指導的立場にある先生方には三重や広島などで培った経験があるらしい。これには自ずと期待が膨らむ。


(今夜のBGM)
マーラー/交響曲《大地の歌》第六楽章「告別」より
http://midi-orchestra.xii.jp/mp3data/Daichi6_323.mp3



前稿補記
 あれからつらつら考えた(「妄想した」とも云う)。…風土の観点ではどうだろうか。田舎の感覚が都会と違うのは大分の事件からも窺える通りで、謝礼と賄賂の区別はそれなりに難しい。それと同様に、全国で一括りにされた所謂「未履修問題」も、都会と田舎、上層部と現場ではそれぞれ捉え方が異なる。
 …そこに「犯意」らしきものがあるとする。しかしそれは必ずしも犯意ではない。むしろ私情である。「公」に「私」を持ち込む事は通常「よくない」とされる。言い換えるなら、地域の事情が「公」の側に位置した時、それに反する思いは総て私情である。つまり「公的慣行に犯意(A)が潜む」とする私情が犯意(B)を構成するのだから、犯意Aは犯意Bの補集合となり、二重の犯意が私情の中に溶解する。後はそれを丸ごと「公」から遠ざければよい。従って「公」が二つの犯意のどちらか一方を救済すれば、逆にもう一方の犯意はいっそう意識的に「私情ゆえの犯罪性」を増すため、結局どちらに転んでも犯意の露見は犯罪性と無縁では居られない。
 …両方を免れる方法がある。それは「初めから疑わない」事だ。すると一々調査するまでもなく、例えば「イジメはありません」「不正はありません」などの判断が「公」への信頼自体を公準化する。「お上に逆らうのか」「もっと謙虚になれ」などの指導には大体、そんな意識が隠れていそうではある。

 私は前稿であれこれ疑った。電話やメールによる問い合わせの援用可能性も、或いは一蹴するのが正しい判断かも知れないし、或いはメールより電話の方が好印象となるかも知れない。メールは顔の見えない一方通行となりやすいが、電話による肉声交換では応対の礼儀正しさ、コミュニケーション能力といった要素が印象を左右する。
 前稿で書いた私の見方には、下記報道の影響があるのかも。しかし~いづれにしろ県教委サイトに続報が載らない場合、「先ず問い合わせろ、話はそれからだ」となる事に変わりはない。(続報を出さずに4.15の更新情報を書き換えたら、「あっ、改竄だ!」って言っちゃうぞw)
http://www.mutusinpou.co.jp/news/2009/04/6064.html
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>ニュース2009/4/4 土曜日
>>県内の学校裏サイト784件 弘大パトロール隊報告
> あおもり生活指導実践研究所(代表・大谷良光弘前大学教育学部教授)に所属する学生を中心とした学校裏サイトパトロール隊(本間史祥隊長)は3日、同大学でこれまでの活動の成果を報告した。同隊は県内でも特に弘前市内中学校の学校非公式サイト(裏サイト)などによる誹(ひ)謗(ぼう)中傷、ネットいじめの監視・探索活動を弘前市教育委員会や学校と連携しながら行っている。その結果、本県では784の裏サイトが発見され、弘前地区では中学校146サイト、高校327サイトあることが分かった。
> 同隊は弘前市教育委員会、弘前市中学校校長会、弘前地区中学校生徒指導連絡協議会から依頼され、2008年12月に結成。同大学教育学部などの学生ボランティア26人が所属し、監視・探索活動は七グループに分かれ、毎日最低1時間行っているという。
> 学校裏サイトは全国や広域ブロック、特定地域、特定学校、掲示板などそれぞれで展開され、全国的な傾向としては学校裏サイトから手軽なプロフに移行しつつあるという。
> 全国Webカウンセリング協議会の協力の下、3月末現在の本県では784サイト(学校内のクラス別、部活別なども含む)を発見。そのうち毎日あるいは一週間に数回使用されているのは75サイトで、全体の約1割に当たる。
> 学校裏サイトでは、わいせつ情報の発信や実名を挙げた誹謗中傷、自殺予告、ネットいじめ、暴力誘発情報の発信、個人情報の流出などが氾(はん)濫(らん)しており、このため保護者や子供たちへのネット、携帯電話に関するリスク教育が急務とされる。
> 中学教師としての経験を持つ大谷代表は「隊員の多くは教師を目指しているので、彼ら自身の教育力向上にもつながり、通信会社や教育現場、行政もかかわっていかなければと強く感じている」と今後の展望を語った。
> 教育学部4年の本間隊長は「根気よくサイトを見つけては、削除要請している。将来的に誹謗中傷が減り情報交換を目的とする、本来のサイトの姿に戻ってほしい」と話した。
> 弘前市教委は「今後はパトロール隊員と生徒指導担当者の情報交換の場を設けるほか、隊員が講師となって行う、先生方やPTAを対象にした携帯電話のリスク教育、生徒に対する授業形式の学習会につなげたい」と訴えた。
>【写真説明】携帯電話やパソコンを駆使し、監視・探索活動を行う学校裏サイトパトロール隊の隊員ら
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 もしかして、此処や支援板も裏サイト扱いされてたりなんかして?(爆)


(今夜のBGM)
モーツァルト/歌劇《フィガロの結婚》より
http://www.youtube.com/watch?v=meXGk8rB4to



【教採ネタ】その後。
 青森の試験実施科目が発表された(2009.4.27)。これで前々稿の疑惑は大半が解消に向かうのだろうが、試験を実施しない科目は相変わらずある。~高校芸術科書道の場合は約二十年に一度のペースでサンプリング採用される(輸入肉のサンプル検査などを連想してちょ)。つまりその間は採用者も被採用者も、共々まるで申し合わせた様な「正規試験逃れ」が常態化しているので、わざわざまともに試験選抜しなくとも教員のレベルが維持できている事は既に証明済みと云える。その成果を県教委も認めているのだろう。青森県では新たな採用方式を今年も継続実施する。
 それは「正規ルートでは採用しない」という採用方式である。…ふざけている様に見えるかも知れないが本気も本気、大真面目で私はそう捉えている。今は総ての高校芸術科目(音楽・美術・書道)で実施されており、今夏実施分(「不実施の実施」って意味…紛らわしくてゴメン)を含めれば七年連続になる。つまり七年継続という実績がある。
 試験不実施を「或る採用の形」と捉えるのには理由がある。
・欠員が出たからと云って、採用試験を実施する必要はない。
・採用試験を実施したからと云って、優秀な教員が選抜されるとは限らない。
・教員の代わりはいくらでも居る。
 これが現場の一般的な見方である。証言してくれた先生方の名前は控えてあるし、特に管理職の証言は信憑性が高い。また教育再生会議の報告には教員採用試験以外の採用方式提言が含まれていると解釈できるので、具体的には公立校でも教職の派遣労働化が進む事になるだろう。現に教員のみならず公務員一般の非正規雇用も激増してるそうな(↓)。
http://www.asahi.com/politics/update/0225/TKY200902250293.html
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>>自治体の非常勤50万人 公務員も「非正規」頼み2009年2月25日22時15分
> 鳩山総務相は25日の衆院予算委員会で、自治体の常勤職員が減る一方、臨時・非常勤職員が約50万人に達していることについて、「人数を減らす意味では行政改革の大きな成果だが、非常勤職員の活用に頼っていった傾向は否定できない」と述べた。
> 三位一体改革や行政改革で職員の採用が抑制されたことに伴い、増大する業務を人件費の低い臨時・非常勤職員でしのぐ自治体が増えている。社民党の菅野哲雄氏は、臨時・非常勤職員を「官製ワーキングプア」と指摘し、「なぜ自治体で臨時・非常勤が増えているのか。なぜ劣悪な労働条件のまま放置されているのか」とただしたが、鳩山氏から具体的な答弁はなかった。
> 総務省によると、08年4月時点の常勤の地方公務員は約290万人で、95年に比べて38万人減った。逆に非常勤職員は05年から3年で4万人増えている。
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 そうした流れを念頭に置けば、公立高校教育からの実質的撤退(教育偽装など)を含めた「官から民へ」の流れは、それが政治スローガン化する前から深く静かに生きている。…前に聞き取り調査した現場感覚を敷衍すると、どうやら教員配置の法的制限に根拠があるらしい。つまり「教員を必要以上に補充してはならない」、すなわち「必要を満たしてはならない」、従って「慢性的な教員不足状態にしなければならない」となる。~似通った解釈は他にもある。例えば様々な公文書に頻出する表現の「××することができる」は「××しなくてもよい」の意味になる。そうした許容範囲を現場に徹底するには予め「××してはならない」と読み替えねばならない。つまり「許容の徹底」は「管理の徹底」と同義の部分を抱えつつ支配関係の法的根拠と化す。だから規制緩和の様な「許容の徹底」方式は官にとっても民にとっても、伝言ゲーム化を免れるのは等しくひどく難しい。

 他方、都会には教員が足りないとやら。慢性的高倍率の田舎なら「教員の代わりはいくらでも居る」のになあ。
 以下は支援板に転載する予定だった産経記事。取り敢えずこちらで出して置く。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/090317/edc0903171915006-n1.htm
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>>【解答乱麻】前全日教連委員長・三好祐司 実力ある臨時採用の先生 (1/2ページ)
>2009.3.17 19:09
>三好祐司・元全日本教職員連合会会長 学校現場の教員が極端に不足している。こう言うと読者の皆さんは教員採用試験の倍率は大都市を除いて高いはずであり、どうしてかと思われることだろう。
> 確かに地方では急激な少子化のため、学校の統廃合や学級減が進み、教員の新規採用数が増えず、採用試験はかなりの高倍率になっている。では、教員が不足しているとはどういうことか。それは、臨時教員になる先生がいないのである。
> 欠員ができても補充する先生がいない。そのため教員免許を持っている人の登録を呼び掛けたり、新聞広告で募集したりと、さまざまな方法で確保しようとするが人手不足は解消されていない。友人の勤務校では、約2カ月間、病休の先生の代替が見つからないという事態に困り果てていた。
> こんな事態が続けば迷惑を被るのは子供たちである。どんなに立派な学力向上プランを作っても教える先生を確保できないのでは学力以前の問題であろう。教育政策に優先順位をつけるのならば、まずは教員の確保、それも優秀な教員の確保が最優先事項である。
> 毎年、採用試験を受験する教員志望者のかなりの数がアルバイトなどをしながら合格を目指している。しかし、臨時採用を引き受けると優秀であれば学級担任を任せられ、部活動指導も任せられる。本採用の先生がいるにも関わらずである。採用試験の前日まで、学校の仕事にかかりっきりになり、試験勉強をする間もない。これを嫌って試験までは臨時採用の口をすべて断る人もいる。
> 何だこれはと言いたい。人手不足で困っている学校に行き、教育活動に全力で尽くし実績を上げている人が採用試験で不合格となる。合格点に達しないという理由で不合格となり、何年も臨時採用を続けているうちに年齢制限にかかって教育界を去っていく。
> その一方で試験を最優先させ、困っている学校や子供たちを見捨てる人が教育の世界に紛れ込んでくる。
> 本採用の先生が尻込みするほどのクラスを担任させられ、立派に子供たちを教育している臨時採用の人たちをなぜ優先的に採用しないのだろうか。採用試験でよい点を取る人が子供や保護者から信頼と尊敬を受ける先生なのだろうか。
> 大分県の教員採用試験にまつわる汚職事件に懲りて試験の客観性のみを追求するとしたら、点数至上主義に陥る。たとえ採用試験の中で模擬授業や面接をするとは言っても、所詮(しよせん)模擬授業である。現実の学校現場での実力を的確に判定することはできないだろう。
> 教育困難校に臨時採用として赴任して、本採用の先生がいるにも関わらず、担任として立派に勤めあげた先生ならば、それだけで採用決定だ。
> 臨時採用の教員不足は教員採用の抜本的見直しを問いかけている。採用した人を初任者研修制度で立派な教員に育てる努力も大切だが、全国の教育現場に埋もれているすでに実力のある立派な臨時採用の先生たちを採用する方が時間もお金も節約できるはずである。
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(今夜のBGM)
桜子ビジョン(o ̄∇ ̄)o
http://www.youtube.com/watch?v=SOesCWoKJzU
 …誰だ、「変態ストーカーの妄想もいい加減にしとけ」と呆れてるのは?(元ネタ2ch)



新刊二冊を買ってきた。
桜子ビジョン(o ̄∇ ̄)o
http://www.youtube.com/watch?v=SOesCWoKJzU
 …誰だ、「変態ストーカーの妄想もいい加減にしとけ」と呆れてるのは?(元ネタ2ch)

 …と前稿末に書いたからだろうか(↑)。
 以下は『諸君!』最終号P.242から。松本健一と村田晃嗣の発言。
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> 松本 歴史認識とは闘いです。やはり、世界史を見通す哲学、ビジョンを持たなければ日本は生き残れません。
> 村田 先日、元アメリカ運輸長官のノーマン・ミネタが来日したとき、おもしろいことをいっていた。なぜ、日本にビジョンがないのかと問われて、「そもそも日本語にはビジョンに相当する言葉がない」、と(笑)。
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 次は同P.236から。西尾幹二と宮崎哲弥と田久保忠衛の発言。
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> 西尾 それはわかりますが、そうしたアメリカの脈絡なき挙動の裏にいったいなにがあるのか。
> 私は、アメリカは一種の「闇の宗教」をかかえているとみています。
> 宮崎 や、闇の宗教!?
> 田久保 おいおい、そりゃ社会科学じゃないでしょう。西尾さん、いい加減にしてくださいよ(苦笑)。
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 飛ばし飛ばし、ざっと半分ほど読んでみた。なぜか余計な事が印象に残る(苦笑)。これから通して座談会記事全文をじっくり読み込む予定。遠藤浩一、八木秀次といった先生方も出ている。横一列に並んだ記念写真(?)の感想を一言で云うと、「遠藤先生って巨人族だったんだなあ…(ボソッ)」。

 その後『正論』六月号P.44を見ると、八木先生が「ある雑誌の座談会」に言及している。「伝統芸能や伝統工芸」の中には書道も含まれているのだろうか。~幕末から明治にかけての、例えば少年時代の高田竹山が巻菱湖の孫弟子んとこで書生をしてた頃なんかは、夜に漢学塾に通ったり版下の仕事をしたりしていた模様。やがて近代的な一望監視式の学校システムが日本で整備され、ほぼ時を同じうして日本初の「国語」も生まれた。
 開国後、日本の書法愛好者は前にも増して支那に憧れた。後の重鎮達は楊守敬の持ち込んだ文物を学んだり、清国に漫遊したりした。仮名書道の方面では古筆学習熱が高まり、他方では幕末期の「陋習」継承が下火になる。やがて流派と呼ばれたものが廃れて「社中」に承け継がれる一方、社中に流派を見る人は相変わらず多く「今でも殆ど区別が付かない」(苦笑)。…それはそれとして、劇的に変わった面を挙げると
・文字言語の共通語性を司る国語自体の排除
・漢学・国学等々、学際的領分の排除
・稽古から展覧会への向日的変容
 …といった具合か。この傾向は明治時代からあったが、敗戦後にいっそう極端となった。その口実となったのが「芸術」。専ら西洋芸術中心に構築され、その文脈の中に辺境土着民文化としての書表現が組み込まれた。土着民の伝統は土着民意識の枠内で存続するが、土着民文化の構造自体は西洋文化の支配下にある。
 今では書道を視覚芸術とするか、もしくは芸術扱いしない人が殆どだろう。言語芸術への視線はもはや国民のものではない。それが戦後日本人の伝統である。中学校の国語科書写で習う事になっている行書ですら、国民全員が読み書きできるとは誰も信じちゃ居まい。現に先年の未履修問題では、文部科学省も都道府県教委も手出しできなかった(国語側の単位に守られているから指導を強要できない)。
 国民文化から脱落した文化は「ただの趣味」でしかない。今や義務教育段階も含めて「チョンマゲ趣味のサークル活動」と似たり寄ったりなのに、それでもヌケヌケと「形は現代風だが心に伝統が生きることもある」と云えるなら、「保守言論人は日本の文化を体現していない」との自画像はまさしく八木先生自身に降りかかるのではないか。
 そもそも体現には限界がある。例えば床の間のある家に住んだ事がないとか、歌舞伎や能や民謡に触れた事が殆どないとか、先祖代々の古文書が家蔵されてないとか。そうした多くの人々を除いた残りの人々が保守言論人の相手なら、これは一体どういう事になるのやら。広報活動の面貌を持つ保守言論誌の「相手=読者の減少に比例した衰退」を黙って優しく見守ろうとでも云うのか。そうではあるまい。
 あれが特定の言論人を想定した言説なら分からぬでもない。しかし引き合いに出された側は逆に放り出される。~八木先生は言論人に対し、市井の伝統的リーダーに対して本来の保守姿勢を質すのが本筋であるかの様に書き綴る。でも…これって意地悪く見れば「リーダー達への丸投げ」だろ。弟子が師匠を変える可能性、学習意欲の底力、素朴な好奇心の内在的かつ伝統的な萌芽、直接的な訴求力といったものを、初めから見ようとしていないのではないかと疑わしく思えてくる。
 教育再生機構は一体、誰を相手にしているのだろうか。『諸君!』P.219における八木先生の「結局、なにを目指すべきかといえば国の中枢にいる政治家、官僚の意識をいかに変えるかということです。かれらをどう取りこみ、動かしていくか、それに尽きるのです」てな発言は、上意下達の伝統から見れば確かに間違いではない。その事は認めるし、私の想像通りなら賛同だって出来る。仮にこれを「教員も官僚の一翼」と見なせば、それなりに有効ではあるだろう。ここでは政治家と官僚が国民を教導し啓蒙するのだ。すると構造上、その黒幕が言論人って事になる。
 ところで~言論誌の衰退をインターネットが補う可能性について、教育再生機構を担う先生達はどうお考えなのだろうか。仮に八木先生のを中央側もしくは中央&地方側から見た「再幕府化」の論理と見なすなら、これはこれでそれなりに興味深くある。
 なお、地方側から見た「再幕府化」に関する拙稿は支援板を参照されたし(↓)。
http://f35.aaa.livedoor.jp/~masa/c-board358sp2c/c-board358sp2c/c-board.cgi?cmd=one;no=3154;id=



伝統に悩殺されそう(汗)
>>>八木先生が「ある雑誌の座談会」に言及している。「伝統芸能や伝統工芸」の中には書道も含まれているのだろうか。
>それは、しおりさん自身が聞いてみてください。
 …と云うか、要はそれが書道含みであろうとなかろうと、構造的な側面に興味がある訳でやんす(汗)。んでもって、そのためのモデルに使えそうな程度の予備知識を持ってるのが偶々「書道ネタ」だったって事で。
 上記の書き方をしたのは、私自身そう見なしてよいのか疑ってるからでござんす。書道が工芸でないのは誰でも分かる。では芸能と云えるのか。…高校教育の場合、芸術科になる前は芸能科だった。しかし芸術扱いされてない理由もよく分かる。明治時代を境目に、芸術という言葉が西洋芸術を指す様になったからだ。ならば書道は芸術でない。漢字や仮名を母語とする国は欧米に存在しないし、無理矢理カリグラフィーとかカリグラムとか呼ばれる領分と対照させたところで、差異があり過ぎるのは分かり切っている。美術のクッションを経由しないと芸術扱いするのは難しい。…そう云や、三月に届いた「出版ダイジェスト」(二玄社特集号)で研究者がボヤいてたっけ。曰く、「白隠の禅画は基本的に画賛である。つまり、絵と言葉がセットになっているのであり、この賛文の解釈が十分になされねばならない」(芳澤勝弘・花園大学教授)。

 …と書き始めたらゴチャゴチャ余計な話を続けたくなる(汗)。試しに書道の学習様式を三つに分けてみましょ。
・通信講座型  ・展覧会型  ・検定型
 以下敷衍。~ナントカ型と云っても言葉通りの意味ばかりではなく、むしろ私はその中で用いられる教材やカリキュラムの扱いに注目してます。そしてそこには段級位が絡む。
 段級位の扱いには色々なパターンがある模様。にもかかわらず一般的なのは、…例えば先生が手本を配る。生徒はそれを臨書する。そこそこ練習して清書する。問題はその先で、「清書をどう扱うか」によってタイプが構造的に分かれる。
 通信講座型と検定型は段級位別に課題のレベルが異なり、それぞれの段階に応じた技能を習得したと見なされる場合に昇段・昇級する。ところが競書の場合は同じ課題を皆が書き、その枠内でナントカ賞が授与されるか、もしくは段級位が上がる。その発表は通常「競書展」の形で行われ、競書誌・雑誌に載る場合は「誌上展」、会場展示の場合は一般的意味での展覧会形式となる。
 通信講座型は社中それぞれが主催し、特定書風の枠組みで技能の向上をはかる。他方、検定型は書風・流派を問わないので散漫になりがちだが、漢字検定と同様これまで「文部省認定」の箔が付いてきた書写検定の場合、技能より知識の占める割合が多い。~大体そんな傾向で分けてみた。呼称には難があるものの、取り敢えず今はこれで行く(汗)。
 検定型に顕著な特徴は「手本がない」点にある。例えば「草書で××と書け」と出題された場合、受検者は予め草書の形を記憶していなければならないし、それなりに上手く書けなければいけない。よって通信講座型や展覧会型から見れば「内容が高度」と映るかも知れないが、本来は「手本あり」の場合も検定型と同様の前提知識が期待されるため、表向きは「大差ない」。その辺は清書する時点で身に付いている筈だが、怠けても清書らしきものは提出できるので、はなから水準低下の防止策は無きに等しい。だから通信講座型&展覧会型と検定型とでは内実が自ずから乖離し、その結果こうして「分けて考える事になる」(苦笑)。

 前稿で「リーダー達への丸投げ」と書いたのには、こうした具体的実践事情が絡みます。どれも一長一短で、短所をリーダー側から補うだけでは限界がある。通信講座型は一つの書風に通じていればどうにかなるが、反面「視野は狭くなりやすい」。また検定型は多くの書風に通じていないと採点に不公平が生じやすいし、悪くすると「内紛の種になる」(トップの内紛に興味あらば『近代日本の書』(芸術新聞社)P.124の中西慶爾「書壇百年史話〈戦前編〉」など参照されたし)。そして展覧会型はカリキュラム自体ごちゃ混ぜの技能競争になりやすく、ともすれば裏取引やら実弾やら(おっと、以下自粛…汗)。
 右や左のリーダー達はそれぞれ自前の伝統を保守しているから、或いは丸投げするのが最良の選択なのかも知れない(徹底するなら西尾先生の様に?)。すると逆に言論人の方がリーダー達から遠離る。言論人という枠内リーダー同士で遠離るのは構わないが、枠外リーダーを引き合いに出されても困ってしまう。結局「どうすりゃいいのよ」って事になり、悪くすると却って現場が混乱する。「素人が口を出すな」となったら最後、言論人の方が伝統の敵になる。その意味でなら、八木先生が「保守言論人が自分は日本文化を体現しているなどと思うのは大きな勘違いだ」と云いたくなるのは私なりに理解できるが、「なら口を出すな」への突破口にもなり得るだけに事は一層ややこしい。
 この辺を逆手に取られないかと危惧している。右には右、左には左の伝統があり、どちらにも自分の属する社会や組織への愛がある。社会への愛と文化への愛が偏執的に「くんづほぐれつ」なら尚更の事。そんな空気の中で言論人が愛憎の絆で三角関係の頂点を結ぶなら、「ラメ~っ!」「私のために争わないで~っ!」と伝統自らカマトトぶるかのごとき様相はさぞ見苦しかろう。愛しているなら愛していると云ってくれ(爆)。どのみち皆々それらを体現しているのだろうから、「忍び泣く愛」と「むしゃぶりつく愛」の狭間に敢えて「他人との協調や謙虚さ」を持ち込むかの様に見えてしまう私には、一切合切が悩ましく思えてくる。
 もし、伝統が実のところ「性悪女のごときふてぶてしさ」を内蔵していたとしたら。ここでは保守言論人が伝統に悩殺されている(片や~畏くも御皇室は伝統を内々××させ給ふ?)…と書けば不穏当に過ぎるかしら。

>私は、八木先生とは親しくないのですが、親しく連絡できる中枢の方もいますぜ^^
 前稿と上記の感想を連絡したら…怒るかな。それとも或いは戸惑ったりしてくれるのかな。~学校基準で云うと、指導可能な伝統は初手から限られているし「競争もない」。そこには予め「お手々繋いで徒競走」状の左翼的現実が待ち構えている。私が強調したいのは対象が何であれ「今度こそ伝統文化教育は戦後書教育の轍を踏むな」って事ですから、そこんとこ宜敷どうぞ(平伏)。
8投稿日時不明稿について ( 苹 )
2012/03/30 (Fri) 20:49:20
女色清玩
【教採】情報公開から情報管理へ【異変】
前稿補記
【教採ネタ】その後。
新刊二冊を買ってきた。
伝統に悩殺されそう(汗)
妄想の編集工学(?)
女色清玩(補記)
ともすればネット中毒…
訂正&余談二題
コンビニ右翼(…と今、思いついた)
【補記】伝統喪失者の立場から
【補記】右翼根性と純潔
緊急右翼警報発令
学問に対する教育の優位
教育に対する学問の優位
学問的基礎と教育的基礎
消費行動としての学問と教育
おちょくり塾が閲覧できない
あらまあ
あらまあ(其二)
男は魅せる体。女は惑わせる体。
【ふっかつの】桜色に染まれ【じゅもん】
石原都知事は非正規雇用九割を黙認?
班単位授業の思い出
7587 No.7586の続き 苹 2009/07/11 07:23
No.7586の続き(改稿)
7590 なぜ桜子様は自稿を消す? 苹@泥酔 2009/07/12 19:11
漢字と仮名の相互呪縛
【No.7588補記】「夢奠帖」全文
「夢奠」ネタの続き
【No.7591補記】そしてマレーシア
【またまた補記】「過剰」の自主的反逆
【しつこく補記】西田幾多郎と鈴木大拙
7609 【明晩削除稿】東京支部板について 苹@泥酔 2009/07/28 00:08
場所の喪失
場所の喪失(其二)
「其一」補遺
援交天皇
「教育右翼」達の逆襲
恥を忍んで(其一)

 草稿用ファイルの当該箇所は、こんな順番(↑)で延々と続く。いくつかは既に再掲済み。例外的に投稿番号と日時を記録してある稿は、少し間を置いてから削除したものばかりである。旧板投稿時は所属ツリー毎(テーマ毎)に分散させた。全体の投稿日時順(投稿番号順)に通覧すれば上記の通りとなる。
 稿中のリンクは旧板の仕様に合わせて、嘗ての常連閲覧者だった桜子様から教わった通り「<a href=http:」云々をアドレスの前後に付加した。そうしないとリンクの下線が出なくなる(余所にジャンプできない)ためだったが、今度は反対にそれらを一々削除してからの再掲となる。差し当たっては「【教採】情報公開から情報管理へ【異変】」稿から「援交天皇」稿(相当ふざけたタイトル?)までの範囲から抜き出す。
 一つ註釈。「【No.7591補記】そしてマレーシア」稿の冒頭冗談部分はNHK朝ドラ「つばさ」オープニング曲の空耳ネタ。ドラマ自体は朝っぱらからサンバのダンサーが踊りまくるなど、とにかく異常にテンションが高かった。以下参考。
http://blog.goo.ne.jp/gootest32/e/77b66c5a31606eed8c10e4b646f4edbe
http://japan.techinsight.jp/2009/05/tubasa-hidekienngei.html

(余談)
 以下は検索中に見つけた、興味深いサイト。
http://xiaodong.hatenablog.com/entry/2012/02/10/235715
http://www.icer.kyushu-u.ac.jp/hyakushuunen_01
 二つ目の中野三敏講演動画は必見。閲覧に約二時間を要するが、かなり勉強になるのは確実である。各地の教育関係者には是非、この先生を高教研書道部会か何かの機会に招聘して欲しいと思った。ただし国語科(書写)絡みの場合は昨今、大方は小学生が相手らしいとは云え~テレビで有名な武田双雲氏や紫舟氏を招きたがる素人担当者が少なくない模様。見識を疑われても仕方あるまいが、学校教育百年の伝統文化歪曲方針に反するとあらば、これはこれで致し方ない面もあるのだろう。
8【再掲】投稿日時判明稿(其二) ( 苹@泥酔 )
2012/03/26 (Mon) 21:04:26
7339 四月になった。 苹@泥酔 2009/04/02 22:51

 巷間では「高木ブー仰天再婚!」のネタがエイプリル・フールっぽくて妙に魅惑的だが、なにしろ相手の熟女がウソ臭いくらいに大活躍してるらしいもんだから、ここまで来ると話が余りにも出来過ぎている。…そして海外では八戸の「美人過ぎる議員」が目下「世界ランク四位」との事。それはそれで構わない。しかし2chでこんなカキコ(↓)を見ると、つい本気で血迷って「辻元清美の方が美人だ!」と喚き散らしたくなる。
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1238635018/
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>20 :名無しさん@九周年:2009/04/02(木) 10:28:31 ID:M6Ffxlad0
>>中国外交部の姜瑜報道官(44)が56位に付ける。
>あの怖そうな教育ママみたいな人か??
>罵倒されたり踏みつけてもらいたいってノリっすか??
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 教育ママも出っ歯も趣味次第ではある。かてて加えて好みの変化は予測不能。~因みに私の場合は鈴木ヒロミツと山田花子を足して割った様な美人だった。当時そんなタイプが好みだった訳ではないが、…戦わなくちゃ、現実と。(なんのこっちゃ…orz)

 …閑話休題、以下本題。
 今日、円満字二郎『漢和辞典に訊け!』(ちくま新書)を買ってきた。差し当たり第三章のみ読了。先ずはP.118以降の「筆順は絶対的か?」に文句を。
 そこには「実際、書道の流派によって、筆順はいろいろな違いがあったらしい」と書いてある(P.119)。この表現では誤解を招きやすい。ともすれば流派が筆順の差異を仕切っているかの様に見えてしまう。
 確かに流派それぞれ書きやすい筆順を択ぶ傾向は認められるが、だからと云って書きにくい筆順で書かない訳ではない。しかも流派に筆順の差異が顕在化しやすいのは殆どが草略体だし、場合によっては時代毎に筆順が変わる傾向もなくはない。~例えば「風」の草書。普通は一画目を先に書くが、昭和戦後期は明末清初の王鐸の影響が濃厚になったせいか、戦前と比べれば二画目を先に書く例がいくらか増えた。また江戸後期の唐様は文徴明や董其昌の影響が強かったため、御家流との間で「流派毎の差異」がいっそう明瞭に意識された可能性もある。
 字形や筆順は可読性の範囲内で適度の横断的な幅を持っている。そうした意味では「字形の要請する筆順」が先で、それが独自の纏まり(書風と組織)を持つと、後から「流派」と認識される様になる。決して「流派が先にある」のではない。

 次はP.120以降の「「政」の「正」は正しくない?」について。
 「正」は我々の感覚だと五画だが、康煕字典では四画の扱いになっている。五画感覚の筆順で云うところの四画目と五画目を纏めて数えているのは明白だが、その根拠に異論を提示したい。
 著者は「比」や「衣」の折り返しを例示するが、そこには異体字の視点が欠けている。頻出する「正」の異体字は一・四・五・二・三の筆順で、四画目と五画目に相当する箇所は多くの場合「浮鵞」と形容される形(「元」の末画)で書かれる。年賀状に行書や草書で書かれる「賀正」を想起されたし。それと同じ筆順が楷書や隷書にも通用する。~そこから一画目を除けば「山」の草書。中央の縦画が筆順変化に応じて「点」に変わるのは「正」の異体字と同じ原理による。
 以上、雑感のみ。

(追記)
 …今、BS日テレで「財部ビジネス研究所」って番組を放送中。再放送は4/5(日)9:00だそうな。この初めんとこを見て思い出したから書いて置く。記帳する時に筆が出てきて困るのは、書き慣れた人も同じである(ただし筆ペンを除く)。…なぜか。筆の状態が最悪だからである!
 この際だから喚き散らして置く。パーティーや展覧会などの受付を見れば文化程度が分かる。穂先が固まって、なおかつ腰砕けの筆を置いているなら、どんなに受付嬢が美人でも所詮は鈍感な連中と思ってよい。本人にその気はなくとも、来賓側にしてみれば「わざと俺を困らせているのか?」としか思えないからだ。
 受付の人には水とティッシュを隠し持たせよ。来賓の使用後に間が空く場合は、後の人のために湿らせた紙で穂先を拭き取らせよ。これだけでかなり印象が違う。秀吉が草履を懐で温めるのとは違い、「尻に敷いた」と誤解される様な事は絶対にない。心得のある人なら必ずや心配りに感心するだろう。
 そんなふうに思うのは、単に「私が田舎者だから」だろうか。都会のには出た事がない。既に実践されているならご放念を。まだなら保守的実践の身近な第一歩を。



7346 女色清玩 苹@泥酔 2009/04/05 20:34

 女体は美しい。なんでだろう。(いきなり何の話だ?)
 丸みを帯びた輪郭も蠱惑的だが、なにしろ若い娘の肌ときたら…そう、下手な形容をひり出すよりは、長恨歌でも引用する方が好ましかろう。ただ、お肌の衰えはどうにもならない訳でんな(ほら、いつもの毒気が出てきやがった)。それでも老女には老女の魅力があろう。セレブ奥様の古巣(桃太郎掲示板)の常連女史は嘗て「腐りかけがおいしい」と云っていた。…体の線は見事に崩れ、たるんだ肌はシミだらけ。とても正視できそうにない筈なのに、シャキッと伸びた背筋からはメラメラと得体の知れぬ何かがたちのぼる。そは鶴の一声か、蛇に睨まれた蛙に同情できぬでもない。
 女が美しいなんて誰が云った?…恐いから男は男に引き籠もる。それでも時には女装したり、鏡を見て微笑んだりするのだから始末が悪い(毎朝の髭剃りがてら)。女には美しくあって欲しい。たといどんなに崩れても。(なんか余計な事を書き過ぎた気がするな…)
 …おんな。おんな。おんな。

 …おんなで(女手)。
 たまには黄文雄『日本語と漢字文明』(ワック)を開く。どの本を読んでもそうだが、やはり何か引っ掛かる。「黄先生もそうだったか」と訳もなく落胆するのだ。仮名の一部が女手と呼ばれた事に異議があるのではない。ただなんとなく、「女が使った文字だから女手」とする見方が気に食わない。女の様に美しいとは思うが、そして事実「女性が多用した」とは思うが、それは女性の美意識が同じ属性へと傾倒していった結果論であって、とどのつまり「統計的印象の域を出ない話」なのではないかと疑いたくもなる訳だ。
 だって!「おとこもすなる日記といふものををむなもしてみむとてするなり」なんだもん!…これって一種の女装だろ。前々からそう思ってた。でも言い出せずに居た。中学生の頃からずーっとそうだった。女装趣味をカミングアウトするのが恥ずかしいのと似通った心情なのかも知れない。男は男手に引き籠もる。漢字を仮名化して何が悪い。…なら現代平仮名を漢字に戻してみるか。「於止己毛寸奈留日記止以不毛乃遠遠武奈毛之天美武止天寸留奈利」。
 漢字と仮名がお互い引き剥がされた事に文句がある。昔はもっと親密な関係だった筈なのだ。まぐわう姿の愛おしさに、内面の背離を宿命と見る。一つになれない男と女が、だからこそ狂った様に抱擁を繰り返す。まぐわいの仮名に女の恍惚があり、恍惚の深奥に男が崩れ落ちる。…ううう、なんてこっぱずかしい文章なんだ!(orz)
 そもそも誰が「女が使ったから女手」なんて言い出したのか。私は明治以後の文献しか読んだ事がない。それ以前のは殆どが「お手本」で、大抵は書字が活字に翻訳されている。そんな環境にどっぷり漬かっているせいか、王羲之の女装姿みたいな漢字(草書)の羅列で仮名を語る滑稽さを妄想するたび、違和感がいっそう掻き立てられるのだぁ。だから活字は読みやすい。思考停止したまま「女が使ったから女手」で事は済む。~おまいら、誰か文句あるかい。

 もし、これを読んでいるなら広義の学生諸君。片っ端から国語や書道や歴史関係の先生を捕まえて、この疑問をぶつけてみやがれ。なるべくなら知識豊富な大学教官が望ましい。例えば加地伸行先生の様な大御所クラスの。
 もしも私が女学生なら、質問する前に太腿を見せて「ねぇ先生、私と仮名の共通点を感じて♪」と悩殺モードで脳髄直撃するんだけどな~(これは冗談…襲われても責任は持てないよ)。
(支援板への関連投稿↓)
http://f35.aaa.livedoor.jp/~masa/c-board358sp2c/c-board358sp2c/c-board.cgi?cmd=one;no=4417;id=



7456 女色清玩(補記) 苹@泥酔 2009/05/10 22:06

 「女体は美しい。なんでだろう。(いきなり何の話だ?)」
 …てな書き出しから始まるNo.7346(↓)を読み直したら、そこそこ注意深く書いたつもりなのに~肝腎の部分がピンと来ない読み方も出来る事に今更ながら気が付いた。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=7346&range=1

 「女が使った文字だから女手」…仮名の話である。それに対して男手はどうだ。どちらも仮名の話なのに、いつの間にか仮名と漢字の区別へと脳内変換していた経験はないか。現に普通の辞書ではそうなっているし(例えば『広辞苑』)、見方次第では驚くべき事に、たぶん書道関係者しか読まない(?)『書写・書道用語辞典』(第一法規)でもそうなっている。これでは間違うのも無理はない。
 ならば「いや、オマエの方が間違ってるんだろw」と云いたくなる人も居るに違いない。しかしながら藤原鶴来『和漢書道史』(二玄社)を見ると、そこには「仮名を、男手(真名、万葉仮名の楷書・行書体)・そう(万葉仮名の草書体)・女手(平仮名)・片仮名に、分類する称呼もある」と書いてある(P.195)。私は新版の方を参照したが、初版は1927年だから概ね戦前本と見なしてよい。
 現代人に親切な書き方をすると、「漢字=楷書(活字?)」と短絡するのが習い性の「ガチガチの石頭」野郎に媚びざるを得なくなる。~戦前は誰もが平気で草書や変体仮名を使っていた。そうした民間の国語文化が二十世紀に入ると徐々に遠離り、やがて漢字と仮名の区別自体が意識の奥深くで決定的な変質を遂げる。つまり「漢字を仮名として用いる」という基本的な意識が失われ、その部分が「仮名は日本人の発明」へとすり替わるのだ。表層の表現に含意されているものが深層で失われた結果、文の読み方がガラリと変わる。
 仮名(としての用法)は日本人の発明だが、仮名(の字形~すなわち草書)は支那人の発明。それを更に日本人が加工・洗練し、いっそう便利な記述様式へと変えていった。そうしたプロセスを丸ごと端折ると、草書抜きの漢字概念が仮名概念との区画を後からじわじわ示導する。

 …横溝正史が昭和二十二年に発表した探偵小説『獄門島』の場合、金田一耕助が島を訪れるのは昭和二十一年九月下旬。探偵は発句屏風の三句中、一句だけ読めなかった。これが事件解決の遅れる最大原因になる。「年齢は三十四、五」だから大正ヒトケタ世代。達筆な字がスラスラ読めたなら味もそっけもなくなる。
 記述には稍や遠慮らしきものが見られる。木版刷りの地紙は「妙にひねくれた書体」で、事件の鍵となる俳句は「難解千万なこと地紙の俳諧書以上」とくる。つまり江戸時代との断絶が書字表現の前提にあり、なおかつ探偵が子供時代に学んだ筈の「尋常小學書キ方手本」(国定甲種か乙種)からも遠く離れた「読みにくい字」であらねばならない。なにしろ探偵は変体仮名の「可那」が読めるのだ。他の二句は漢字(たぶん草書)も含め、総てどうにか読みこなしている。
 それが昭和五十年代の映画(市川崑監督)では「全く読めないキャラ」に変わる。金田一自身の字も筆脈なき悪筆そのもの。「観客に媚びた」結果なのかしら。…BSデジタルでは何度かテレビドラマ版の再放送があった。これを見た時は余りの事に驚いた。屏風の俳句が仮名書家の洗練された字で、明らかに「読みやすい」(爆)。読みやすく書かれた字すら読めないとは、一体どんな神経なんだ(苦笑)。杜撰な時代考証は時代劇の寺子屋シーンに匹敵する(江戸時代の寺子屋が現代の小学校レベルで描写される)。「筆文字は読めない字」という刷り込みを終戦直後の日本人像(戦前教育を受けた世代!)と重ねた上で、同じ文盲感覚を現代人と共有させる事により「戦後史の連続性」を無意識の領分でそれとなく徹底するかの様な。…狡猾な手口ってぇのは、こんなものなんだろーな(orz)。

 ところで、私がNo.7346で書いた要点は「容姿の譬喩」だった。…衣服を荒々しくひん剥くと、そこに「うら若き女体」が現れる(てな情景を想像してちょ)。ただし戦後世代の様にグラマラスである必要はない(どちらかと云えば十代半ばのロリ系か…汗)。なんなら実際に首筋から背中、肩、乳房、腰のくびれ、太腿から足首に至るまで舐め回す様に見るがよい。おまいら仮名連綿そっくりの艶めかしさを感じないか?…例えば由美かおる。
 これが楷書となると難しい。小錦や三島由紀夫や三輪明宏みたいなのは古今なんぼでも居るが、由美かおるは居ない(和様の行書ならまだしも)。…ここはやはり仮名の独擅場だろ。百歩譲れば藤原定家も悪くない。喩えて云うなら、惚れ惚れする様な老熟の山田五十鈴…(これ以上書くと婆フェチ疑惑を持たれそうな気がするから自粛)。



(2012.3.26補記)
 …三年ぶりに読み返したところ、遅れ馳せながら欠陥に気付いた(汗)。
 No.7339「四月になった。」稿でウッカリ「そこから一画目を除けば「山」の草書」と書いたが、「正」から一画目を差し引いた形は「止」。なぜ間違えちまったんだろう?…頭の中であれこれ渦巻くと時々やらかすのは昔からの悪い癖で、たぶん当時は「止」と「山」の区別の仕方まで話を進めるつもりだったのを、他のネタについて色々と考えてるうち「これまたウッカリ」忘れちまったのだろう。通常「山」の末画は次字への連綿方向(右上→左下)に実画化するが、「浮鵞」と対比した場合に「点」が軽量となる「止」と比べ、「山」末画は重みを増した「点」の形で処理される事がある。なお、異体字の具体例については差し当たり、各家の三体千字文で「形端表正」と「容止若思」を比較していただきたい。
 次稿からは、投稿日時不明稿に着手する。
8【再掲】投稿日時判明稿(其一) ( 苹@泥酔 )
2012/03/25 (Sun) 20:51:11
7327 以下蛇足 苹 2009/03/18 07:36

 奥様ブログに書いた2009.02.18 (00:39)の非表示稿で、坂本龍馬やペリーに軽く触れて置いた(そこでの前提は国と幕府との意味論的な揺らぎと重合ね)。~あれから一月が経った昨日、奇しくも入手したのが小美濃清明『坂本龍馬と竹島開拓』(新人物往来社)。出版社名を見た刹那「もしや珍説の類か?」と疑ったが、読み始めた印象は今のところ悪くない。
 吉田松陰の久坂玄瑞宛書状がP.39に載っている。以下は大意(P.40)。
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> 竹島に英国が駐留しているとの情報、はなはだ信じられません。興膳昌蔵が近いうちに福原まで来るそうです。北前船がその付近を往復していますが、何事もなく無事です。また英国がすでに根拠地としていても問題はありません。やはり開墾を名目として交易をして、外国人の情報を聞くこともいいと思います。英国がすでに根拠地としていれば、なかなか手離さないと思います。
> そうであれば、いつ長州へ攻め寄せて来るか予測できません。海外渡航禁止の陋習を破るにはこれに代る妙案はありません。黒竜、蝦夷は長州よりは遠く、それよりも竹島、朝鮮、北京あたりの事こそ長州に近いので緊急のことと思われます。
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 ここでの竹島は鬱陵島の事で、英国の進出は誤報。坂本龍馬や興膳昌蔵などの竹島開墾計画は開拓意識に基づくもので、国境意識も当然ながら今とは別物。そこに侵略やら植民地やらの感覚はないし、旅ゆけば国境くらい誰もが越えている(日本の中に国境意識があるのは当然)。
 当時の教育ネタに目が向くのは苹のいつものお約束。『高知藩教育沿革取調』によると、例えば島崎七内塾の学習年限は「大略ハ、九歳ヨリ十四、五歳ニ至ル」だそうな(P.128)。また七内塾における教育内容は『日本教育史資料』に「習字、平仮名、君臣歌を了ヘ、数字ヨリ書簡、短文、草書ヲ以八字若干ヲ授。一枚二字、一日十五冊。一冊四回清書。六日目ヲ期トス」とあり、「二年目ニ至リ唐詩五絶十字草書ヲ以授」云々、「三年以上ニ至リ唐詩五七絶行草ヲ以一首ヅツ、一枚六字十冊」「且生徒ノ力ニ応シ楷篆隷など交換ヲ以何ヲ行云々分チカタシ、又俗文ニ及一枚三行十五字」云々と続くそうな(P.135~136)。常用文の草書は誰でもそこそこ読み書きできた。この点では明らかに現代人の分が悪い。識字能力を活字と書字に分けて捉えるなら、後者の視点では現代日本人の多くが事実上の文盲となるからである。

 龍馬とか竹島とか、学校で学ぶ様な歴史には当方…実のところ余り興味がない(汗)。よって目当ては教育史方面の記述となる。
 今、成り行きで続きをダラダラ書いている。奥様ブログで先日「非表示やめれ」の気配を感じたが、そうすると何も書けなくなりそうな気がする。ただの奥様宛ならともかく、西尾先生宛の底意を含むとなれば尚更の事。必ずや手紙のごとき文体を意識せざるを得なくなるだろうし、失礼な表現や気軽な表現も自粛せねばならぬ様な気がしてくるに違いない。ここでは自分が敵になる。
 私の記憶が確かなら、あちらで非表示コメントを連発し始めた契機は此処=天バカ板への投稿にあった筈。「こんなの書きますた」とあちらに書いたら「転載してちょ」と相成った。以後ズルズルと非表示の連発、それをいくつか纏めてこちらに公開。つまり当初は「天バカ板→奥様ブログ」の流れだった。それが逆流した形となる。
 しかるに此方、久々の天バカ初出。~昨日、近所の書店行ったんです。そしたら(以下略)よーしパパ後で奥様ブログに転載しちゃうぞー(大盛つゆだく)

 そろそろ旧稿本題に合流する。
 『諸君!』2009.4号P.90上段右端に、「史実は時代によって大きく動くんですよ」とある(西尾発言)。~こちらは書道ヲタの苹だから、上記新獲本をネタにする視点もいつも通りで変わり映えがしない。
 その小美濃本P.30~32に、こんな記述がある(↓)。
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> もう一通「竹島」に関連する龍馬の手紙がある。印藤肇にあてた手紙の一ヵ月後、伊藤助太夫にあてた手紙である。伊藤助太夫は下関阿弥陀町にある「本陣」で〈大年寄〉と呼ばれていた。龍馬の活動を物心両面から支えた人物である。
>  慶応三年四月六日 伊藤助太夫あて
> 今日ハ金子御入用と存候得バ、
> 小曽根英四郎みせ番頭
> 清吉を以て、六百両さし出申候。
> 残弐百両ハ此後の為ニ今シバ
> らく借用仕置候間、其御心
> 積奉願候。早々頓首ゝゝ。
>   四月六日         龍
>  伊藤九三老兄       直柔
>        足下
> この手紙は、宮地佐一郎氏によって、四行目は「残弐百両ハ此後の為ニ今志バらく」と読み下されていたが、
>「此後」―――→「竹行」
> と読み改めなければならないと分かった。(講談社学術文庫『龍馬の手紙』は第七刷から「竹行」と改めた。)
> この読み下しは、宮川禎一氏(京都国立博物館学芸員)にご教示いただき、岩下哲典氏(明海大学教授)、故横田達雄氏(土佐史談会)両氏も「竹行」と読むと指摘されている。
>「竹島行きのために今しばらく借用つかまつりおき候間」と読み、竹島行きのために借金の返済を、今しばらく待って欲しいという意味になる。
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 誤読を修正したら史実が少しだけ動いた。多角的に見れば何も変わらないが、少なくとも「この史料が竹島関連文書である」という点は新たに判明した。~つまり研究者が史料を正しく読めているとは限らない。史料が活字化されているとあらば尚更、気付く機会自体が少なくなる。そのうえ書字史料の歴史は圧倒的に長く、かつ(我々が毛筆・硬筆を捨て去らない限り)活字史料の時代とも完全に重なる。
 これまで誤読の影響が軽視されてきたのは、原本にあたる機会の乏しさゆえでもあるだろう。しかしこれからはデータベースの利用に比例して、修正を要する具体例の発見が飛躍的に増える筈。
 昨日は小美濃本の他、東京大学史料編纂所・横山伊徳・石川徹也編著『歴史知識学ことはじめ』(勉誠出版)を買ってきた。同書P.139~140の引用を以て本稿を閉じる(↓)。
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> デジタルで問題なのは、デジタル化してしまえば紙に書かれた資料は不必要で廃棄して差し支えないと思われていることです。さらに、なぜか日本ではあまり議論されていないのですが、欧米ではデジタル情報をいかに長期保存するかに、それこそ全力を挙げて取り組んでいます。デジタル記録は、利便性では紙に記した記録を量的にも検索速度でもはるかに凌駕する情報ですが、保存性という点ではまことに脆弱です。
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7330 「竹行」余談 苹 2009/03/23 07:35

 蛇足も数を重ねればムカデ並みに立派となろう。なんならいっそ、のたくるミミズの様な字に足を付けてみるか(自暴自棄)。
 …てな訳で前稿「竹行」ネタの続き。P.31の図版を見ると確かにそうなっている。ここから先は実際に本を入手して貰う方が手っ取り早い話となるが、取り敢えずムリヤリ言葉で続けてみよう(百聞もて一見に挑む!)。~先ずは「竹」の字。「此」でない理由を勝手にあれこれゴチャゴチャと。

 「此」は書写体で書くのが普通。すると筆順が一・三・四・五・二・六、もしくは三・四・五・一・二・六の順番に変わり、(活字の画数で云うところの)四画目と五画目が真一文字に繋がる。学校で習う五画目は払いの形だが、書写体では殆どが短い横画で書かれる。だから二つの横画が一本に繋がっても無理はない。この形の筆順は二つとも楷書・行書に共通だが、草書の場合は専ら後者の筆順で書かれる。草書の「此」は一・二画目に相当する部分が縦に書かれたり横に書かれたりする。横に書かれた場合は「氏」の様な形になるから、誤読を防ぐため「平たく潰れた形」にしないと不自然となる。
 図版の字を「此」と読む場合、その箇所は縦に書かれている。しかし字の全体は平たく潰れていないどころか、むしろ縦長に伸びている。だから普通は読めない。しかし六画目の曲がる部分に相当しそうな変調箇所がある以上、その点を譲れば「単なる書き癖かな」とも思えてくる。お手本じゃあるまいし、勢いで縦長になっちまう可能性はそれなりに「ある」からだ。…勢いで曲がりの後のハネまで書いちまい、そこから下の字まで一気に連綿。そう解釈すれば「下手な字だな」で事は済む。
 ところが「竹」となると話は別。草書の「竹」は「升」と似た形に書かれるため、「此」と読む場合に「曲がりの後のハネまで」と解釈した箇所が別物となる。これは補画の「点」であり、複数の縦画がある字の末画(懸針)が長く伸びる場合に散見される。また書簡では屡々「升」と書いて「ます」と読み(「あり升」「存じ升」など)、その際に補画の「点」で引き締めたりする(「升」の場合に限れば「句読点の様なもの」とも解釈できるし、極端な場合は「候」を「ゝ」の様に書いて句読点と一体化する例も少なくない)ので、そうした表現が「升」と似た形の「竹」に影響した可能性もある。
 もちろん草書の「竹」の殆どが「升」と似た形になるとは限らない。しかし行書の「竹」を更に草略するのは困難だし、そもそも書きにくいと思う。~なぜ困難かと云うと、実は先客があるからだ。「比」の草書は四つの点が平たく並ぶ形になる。「竹」もムリヤリ草略すればそれに近くなるだろう。草書で最も避けねばならぬのが誤読。だから「竹」は「升」と似た形で書かれるのかも知れない。
 ならば「竹」と「升」の区別はどうするのか。…実は解決済みです。草書の「竹」は楷書の「升」と同じ筆順で書かれるが、「升」の草書は一・三・二・四の筆順になる。すると変体仮名の「能」と似た形になるが、一画目の角度を残しつつ縦長の意識を留めれば区別は容易だし、平たくなっちまった場合は補画を付けて「能」と区別する手もある(「能」に補画の余地はない)。~昔の人はそんなこんなで、複眼的かつ相対的な言語感覚が日常生活と一体化していた訳でござんす。

 「行」の字は、どう見ても「行」。これを「後」と読むのはさぞ苦心が要る事でしょう。仮に「此行」と読んだとしても、「行」の中身が分からないのでは話にならない。
 草書の「行」は、とことん崩せば稍や横広の「り」。支那人は平仮名の「り」を使わないから無問題なれど、日本人にとってはそうもいかぬ。だから普通は「り」型の一歩手前で草略を止める。すると旁が「3」の様な形になる。だから結局、どう見ても「行」なんですな、これが。
 それをムリヤリ「後」と読む。その根拠は多分「3」型の下半分。これが「後」末尾の「夂」に相当しそうに見えぬでもない。ただし末画の右払いが欠落しているのが致命的。だから普通は「後」と読めない筈なのに、行人偏へと戻る線があるもんだから多分「もしや?」と相成った。これすなわち草略の変格活用(こんな言い回しは普通なら「しない」んだけど…汗)。
 行人偏に点を打つのは、人偏や言偏などの解釈余地から逃れる上でよく使われる手口。稀には二水と三水を区別する目的で打つ場合もあるが、大抵は俗調と見なされる筈。よって打点は行人偏の領分。これは概ね揺るぎない。そして「後」字は旁をまともに略せば充分に判別可能なのだから、わざわざ偏に戻って打点する必要がない。にもかかわらず打点したからには、何か理由がありそうでもある。そこんとこを勘繰ったら「魔が差した」。…差詰め、そんなところではないか。
 私の感覚から見ると、「竹」を「此」と読むより「行」を「後」と読む方が草略原理上のハードルは低い。筆脈の流れが自然だからである。「此」末画に伴う不自然な意識が「行」を惑わせたのかも知れない。不自然な流れに戸惑って疑心暗鬼になり、疑いを引きずったまま二つの「自然な流れ」に接すると余計に勘繰りたくなる。ウッカリ「まともな流れ」を除外して、もしかしたら別の読み方になりはしないかと複眼的に考えたくなる。
 複眼的な見方が好ましいとは限らない。言語感覚の研ぎ澄まし方には猥雑な「疑わしさ」が役立つが、そこに漂う「女色に溺れる様な気配」ばかりは厄介な事「この上ない」(苦笑)。…相対的には後々、活字の清潔さが余計に際立って見えてくる所以でもあろう。

 猥雑な御家流より、清潔な唐様の方が明治の新時代には好ましい。猥雑な書字より、清潔な活字の方が好ましい。~そんなふうにして我々は、いつも何かを執拗に切り捨ててきた。切り捨てられたものはいっそう猥雑となり、清潔な人々の進歩的自覚に反語効果を喚び起こす。猥雑さの中には「進歩的自覚の盲目性に対する免疫効果」もあった筈なのに、清潔であればあるほど彼岸の魅力は「いや増す」のであった。
 仮託された聖性による自己限定か、はたまた優性遺伝に囚われたヒトラー同様の妄想か。日本人にとっては唐様も活字も英語もグローバリズムも皆、聖堂に舞い降りた「聖なる鳩」と何ら変わらぬ様な気がしてくる。



7331 【朝令】前稿訂正【暮改】 苹@泥酔 2009/03/23 22:04

・草書の「竹」は楷書の「升」と同じ筆順
・「升」の草書は一・三・二・四の筆順
 …と朝に書いたのは、もしかしたら間違っていたのかも。「升」や「昇」は「廾」型の筆順に改悪されたと思ってたけど、どうやら今も伝統的筆順(=草書と共通の筆順)の儘みたい。~つまり「十」を最後に書くのが正しい。「升」の草略筆順が「舛」と似ている事についても想起されたし。
 草書の「竹」の筆順(払い・横・縦・縦)で「升」を書く場合は、従来の「筆順による区別」が成り立たなくなる。あたしゃ前稿でその事を危ぶんだ。でも場合によっては学校で「その」間違った筆順(「廾」型)を教わる事もあり得るだろう。仮に正しく教わったとしても、生徒の側が勝手に間違った筆順で覚える例はそれより遙かに多かろう。筆順指導を軽視すればするほど悪循環に陥り、生徒は自ずと行書・草書が読めなくなる。
 「筆順=動的フォーマット」と「文字映像=静的フォーマット」の組み合わせを発展的に指導すれば、最初に組み合わされた文字映像(例えば楷書フォーマット)が勝手に別の文字映像(例えば草書フォーマット)と結び付いてくれる。だから生徒は抗い難き自学自習の機会があればあるほど、文字映像の複眼的比較から論理的整合性を経験的に獲得できる様になる。この点を重視したのが行書先習論の立場。そこから動的フォーマットを排斥すれば活字先習方式。そして両者の中間が、かれこれ百年以上に亘り文部省の選択してきた楷書先習方式。ここに根本的な欠陥がある筈なのだが、どうした訳か国語教育界はフォーマットよりトメ・ハネなどの枝葉末節に論点を移したがる。
 古文書を読めなくする国語教育と、活字世界への「引き籠もり」姿勢を連鎖的にばらまく歴史教育。教員同士でタッグを組めば、教育界が日本人を支配できる様になるのだぁ(既に証明済みでっしゃろ…orz)。
4ブラック・スワン ( EmmanuelChanel )
2012/04/01 (Sun) 22:26:39
"ナタリー・ポートマン ガラスの仮面" で検索(Bing と Google で…)してみたら,
私の2000年のエイプリル・フール・ジョーク
http://popup.tok2.com/home/chanel/ugunewspaper/20000401.html
が出るかと思ったら,延々と映画ブログの”ブラック・スワン”の映画評ばかり並んでいた感じ.蘭さんがトラックバックしているエントリーもあったなあ…
みんな,ガラスの仮面に触れているけど,私の上のエイプリル・フール・ジョークは関係ないのか?
って,よく考えたら,私のページでは,片仮名ではなく英語綴りで, Natalie Portman と書いていたのだった…映画評を書いたみんなに上のジョークを見せたら,(スパム行為になりそうだが…)どんな反応になるのか知らん?
8すみません… ( EmmanuelChanel )
2012/04/10 (Tue) 20:45:00
> 御覧の通り遠藤先生の初投稿は苹宛でなく、蘭様宛のコメントでやんす。
蘭さん,苹さん,誤読,失礼しました.
それと,ガラスの仮面を今ハリウッド映画化するとしたら,どんな配役がいいのだろう?とか,そんな面からの蘭さんのコメントも欲しいところです.
8強引に「マーズ・アタック!」 ( 苹@泥酔 )
2012/04/10 (Tue) 01:07:50
 御覧の通り遠藤先生の初投稿は苹宛でなく、蘭様宛のコメントでやんす。その件に少し触れてあるのが当時の「日録」掲載稿(↓)。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=27
 ところで、こちらは相変わらず日録感想板に書いたのを色々と発掘再読している最中。苹以外の投稿者のも含め丸ごとワープロにコピペ保存してある分はとにかく大量で、一々まともに読み返しては居られない(当時はEmmanuelChanel様も何度か旧HNで書き込んでた様な…)。そのコピペ記録も度重なる掲示板の移転に伴い、No.3558の拙稿「 教育の否定(其三)」(2004/12/01 20:23)を最後に中断。以後は投稿日時を記録していない草稿用ファイルに拙稿(原本)を留めるのみ。
 何故こんな作業をしているかと云うと、「【再掲】投稿日時不明稿(其六)」稿の最後に予定の「援交天皇」稿が気になったからでもあります。その中で引用した「家族・国家・ポストモダン」稿の初出を調べたところ、移転後の日録感想板に書いた2005.5頃の稿と判明。投稿時期の手掛かりは直前に位置する「追憶~リトルネロ」稿で、その末尾が以下の内容。
--------------------------------------------------------------------------------
>(余談)
http://dokuhen.exblog.jp/
> 福田先生の「備忘録」ブログで、こんな記述発見。
>==============
>10日に「つくる会」の申し入れで外国特派員協会で記者会見が行はれ、そこで海外の特派員を中心に配布された。会見の内容が下記のHPで動画によつて見られるので(約45分)、是非ご覧頂きたい。「つくる会」がいかにまともな会であるかお分かり頂けよう。
http://www.videonews.com/
>==============
> ううう…涎たらたら。まだ見てないけど、どんな具合かしら。
--------------------------------------------------------------------------------

 さて。
 実は当方、「ガラスの仮面」を見た事がありません。検索したところ、安達主演ドラマを一つも見た事がないのは覚えているから「忘れた訳ではない」らしい(有名部分の数秒を除く)。ただしポートマンの出演作はテレビで五つ見てました。レオンとマーズアタックとスターウォーズ三つ。こちらの話題は蘭様でないと、どうにもならぬ様ですなあ…。
 あ…そうそう。ポートマンはNHKのBSで放送してた「アクターズ・スタジオ・インタビュー」にも出てたのかな。途中から見た記憶があります。内容は殆ど思い出せないけど、さほど老けてなかった。あの番組でイスラエル出身と知ってビックリしたんだっけ。
 爾来数年、今回の検索で(かなり好きな映画の)マーズアタックに出てた事に気付いたけど印象は薄い。あの映画では火星人の扮した不気味な女の歩き方が特に気に入っていて、あれを黒柳徹子にやって欲しいけど…無茶だろ、たぶん。(セレブ奥様ブログでは、こう書いた事あります…汗↓)
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> 空気が読めなくてゴメン。やっぱ不謹慎だよな…。うっかり「マーズ・アタック!」って映画を思い出しちまいました(なんでだろ?)。
>米大統領の友愛説得シーン(英語↓)
http://www.youtube.com/watch?v=MPMmC0UAnj0
>前宣伝(ドイツ語↓)
http://www.youtube.com/watch?v=GgwnnaeMqq4
>抜粋シーン(ドイツ語↓)
http://www.youtube.com/watch?v=sfoEyua_PXU
> 余談になるけど、美女に扮装した火星人の歩き方(↓)は、ぜひ試して貰(以下自粛)
http://www.youtube.com/watch?v=XDAaTzccCik
>【2010/11/26 01:18】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
--------------------------------------------------------------------------------
>(非表示追記)
> 意外性の前では誰もが無力となる…てな事を思い浮かべる上で、火星人との遣り取りは意外と私の参考になったかも(?)。そこんとこについて幾つか補記。
http://www.coda21.net/eiga3mai/text_review/MARS_ATTACKS.htm
> 平和、友愛にも色々な解釈がある。中身は全く違うかも知れない。例えば平和の鳩が攻撃開始の合図に見えるのは地球人側の解釈に過ぎず、火星人に通じないとは限らない様に。そもそも攻撃が平和の名の下に行われる事を地球人は忘れていた。そこを掘り下げようとすると、なにやら火星人の方が機能的かつ合理的に見えてきたりして。
> 軍人に大統領がサインを迫られ、核ミサイルが発射される。すると宇宙船から迎撃機らしからぬ変なものが出てきて、爆発を総て吸い込んでしまう(変なものが風船状に脹らむ)。それを火星人がゴックンするに至っては、地球人の無力感この上なし。
> 前稿に挙げた最後の動画で、美女の口に男が指を突っ込む。…食いちぎられる。それが水槽にドボン。ちぎれた指に魚が群がる。…そう云えば、似たシーンが別の動画に出てきたな。倒れた女レポーターに駆け寄り匍匐前進する男。女に手が届く瞬間、男の手はちぎれていた。それを女が放り出した瞬間、可愛いチワワが手を咥えてトコトコ行ってしまう。
>
> 魚と犬の行動に漁夫の利をおもう…。例えば古い話では、本土攻撃されつつある日本にいきなり参戦してきたソ連。(今も体質は相変わらず?)
> 北朝鮮が攻撃し、韓国が応戦した。双方に被害があろう。しかし北朝鮮側のは見えない。やがて見えないものは気にならなくなる。誰もが気になるのは「次に北朝鮮が何をするか」で、「する」との前提で予測した結果、何かあれば「した事になる」。~それと同様、火星人について地球人は何も知らない。火星人の「した事」に呪縛された恐怖から予め隔離されていた「ヘッドホン姿の老婆」が物語の鍵を握るのは不気味である。地球人にとってなんでもない事が、火星人にとっては致命的だった(それが「地球を救う」)。知る事と知らない事との交差点では何が起こるか分からない。
> 火星人の高度な技術で、女レポーターと愛犬は首をすげ替えられる。どちらも生きている事の凄味はどうだろうか。インテリ男の生首と「愛を囁くがごとく」あるは女の生首(胴体はチワワ)の方だが、犬の生首がくっついた女体の方には、あたしゃ異常にポルノチックな魅力を感じてしまう。肉体のクレオール化と云うか、アメリカ的な来歴の反映と云うか、ついついグローバリズムと対比的に、あらぬ幻想を描きたくなってしまう。
> 北朝鮮に宇宙人同然の未知性を感じる時、平和を語る米大統領は傍目にどう映るだろうか。映画の大統領は「涙する火星人」と固く握手した直後に殺される。地球人は従来型の軍事観念に於て無力だった。~軍事観念の変化と云えば9.11テロが印象的だが、西尾先生の提起した「経済は軍事」ってぇのも、それらと同じくらい説得力がある。
> こう書いたからと云って、あたしゃ「西尾先生って宇宙人みたい」と云いたいのではない。でも苹の方は書道絡みで昔「宇宙人みたい」と評された事がある。…昨夜は泥酔の余り、ふと宇宙人の身になって考えてみたくなったのかも?
>
>(今夜の一句)
>北朝鮮 同情するなら カネおくれ
>【2010/11/26 19:52】 | # [ 編集]
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8ナタリーももう母親だしなあ… ( EmmanuelChanel )
2012/04/07 (Sat) 15:44:11
私がエイプリル・フール・ジョークで,ガラスの仮面をナタリー・ポートマンがやると書いてからもう,10年以上たち,ナタリー・ポートマンも結婚して子供がいて,今やとても,このジョークみたいな事は考えられませんね.今,こんな企画をするとしたら,誰が主演女優になるのだろう?
蘭さんや苹さんなら,誰がいいと思います?
それにしても,苹さんへのコメント,遠藤浩一氏とは,ビッグネームですね.
8新稿、転覆。 ( 苹@血便ショック直後 )
2012/04/02 (Mon) 20:59:05
 予定の新稿、「実技なき書教育」がなかなか進まない。旧稿との重複を気にし過ぎたせいか泥沼状態で、これまで書いた記憶のない事を殊更ひねくり出そうとすると却って愚痴になる危険を伴うのは、諸稿の再掲中あらためて実感した事でもある。かと云って「過ぎた事をいつまでも」云々と腐し出せば、今度は所謂「歴史教科書問題」までもが同様に見えてくるだろう。まだ書いていない事は沢山あるが、その大半はひねりのない、書いても面白くなさそうなものばかりである(例えば、書道の辛気臭い基礎講座みたいなのを長々と連ねてもねぇ…)。
 旧稿発掘中、余計な記録がゴッソリ残っていたのを昨夜久々に思い出した。ここ数ヵ月は天バカ旧板の約半年後に消滅した支援板が気になっていたけれど、何年も前に消えた板が他にもあったんだなあ。あそこは名前や場所がコロコロ変わる板だったが、取り敢えず纏めて「日録感想板」として置こう。保存してあるのは西尾「日録」の共同管理時代から奥様管理時代にかけて(末期は支援板と同じシステムの板で、そこのは保存する前にいきなり消滅)。
 分割保存してある一太郎ファイルの一つを久々に読み返してみたら、偶々冒頭に出てくる稿の署名に先ずビックリ。どうやら初登場の際の投稿らしい。懐かしいから全文を再掲してみる…(↓)。
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>◎870 蘭君、それはよくないと思ふ。 遠藤@浩一 2004/06/26 01:43
> 男性 自由業 46歳 O型
>
> まづ、「蘭君」と呼ぶことをお許し下さい。
>
> この板に書き込むことがいいのかどうか迷ひましたが、やはり、こちらに書き込ませていただきます。
> 蘭君、かういふ消え方はよくないと思ひます。
>
> 半年以上抱へ込んでゐた仕事にやうやく目処が立つて、今夜(25日夜)数ヶ月ぶりに出席したある会合で西尾先生にお目にかかつて、帰宅後、さうだ、応援掲示板を覗いてみようと思つてクリックしてみたところ、実に面白い展開になつてゐました。
> 「面白い」などと言ふと不快に思ふ方もをられるかもしれないが、やはり、かう言ふしかない。だつて、総合文学さんが久しぶりに復帰してゐると思へば、あの桜子さんも(!)この板に書き込んでゐるではありませんか。
> 僕は、いま、この板に活気を感じてゐます。長谷川さん、頑張つてください。
>
> その上で、言ふのですが、蘭君、この退場は良くないと思ふ。
>
> 第一に、これでは、新旧管理人さんの誠実なご苦労に報いることにはならない。管理人さんの間で意見の相違があつたとしても、それは、西尾応援板を如何に有効に運営していくかといふ方法論及びその前提たるネット社会に対する現状認識の相違によるものと思はれます。とするならば、貴兄のやうな(思ひ込みは激しいけれども)真摯な発言をしてきた人が、かういふ消え方をするのはいかにも惜しい。こんな安易な退場の仕方は、苦労を重ねてきた荒間氏以下旧管理人に対しても、敢へてご苦労を引き継いでゐる長谷川さんにも失礼だと思ふ。
> ネット社会の一つの魅力は任意に出入りできることだから、行動の自由を束縛したくはないが、やはり、読み手に理解してもらふといふ謙虚な気持で文章を認め、きちんと貴兄の意を尽くした上で出処進退を決するべきだらう。
>
> 第二に、貴兄自身のために良くないと、老婆心ながら申し上げたい。
> 『男子、一生の問題』で、西尾先生は、インターネット一般について「実名で書かない自己欺瞞」、ハンドルネームについして「亡霊のような人格不在者の自己隠し」と、その弱点を論つてをられる。おそらく、旧管理人の皆さんがやや厳しい運営をしてこられたのは、自己を隠したつもりの「人格不在者」による好い加減な投稿が氾濫することによつて、西尾先生が危惧されるやうな事態になることを防がんとしてのことだと思はれる。
> 西尾先生は、実名で自分を露出させてゐる書き手だけを「プロ」と規定されてをられるが、必ずしもさういふわけではなく、活字の世界でも「プロ」による質の高い匿名記事がある。さういふ「匿名記事」の評価を左右するのは、一にも二にも「内容」、ただそれだけだ。匿名(もしくはハンドルネーム)であるかどうかそれ自体が問題なのではなく、結局は、投稿文の質の問題なのである。
> にもかかはらず、率直に言つて、僕は西尾先生同様の危惧を感じてゐる。普段はいい投稿をする人でも、突然独善的で意味不明のことを書き始めたり、感情剥き出しに罵倒し始めたり、根拠不明の「為にする批判」を展開し始めたりすることがあるからだ。活字の世界では確実に没になるやうな低劣な投稿が大手を振つてまかり通るのが、インターネットの世界である。やはりどこかに、匿名であることに対する「甘え」があるのではないか。文章の上手い下手までは問はないが、せめて、推敲くらいすべきではないか。誤字脱字は当たり前、酔つた挙げ句に感情の赴くままに書きなぐつても許されるといふのでは、それこそ「便所の落書き」と蔑まれても仕方あるまい。
>
> 気儘に「消えます」と宣言して退場するのも、同様である。
> プロの書き手には、「消える」などと言ひ放つことは、決して許されないことだ。それでは、自己の生存を否定することになる。西尾先生も書かれてゐるやうに、どんなに体調が悪くとも、時間がなくとも、自分の守備範囲からは懸け離れた依頼でも、何が何でも、商品価値のある原稿を仕上げるのがプロである。
> あるいは、蘭君は、「自分はプロではない」と言ふかもしれない。一般的にインターネットの掲示板に「プロ」の文章を求めるのはお門違ひだらう。
> しかし、西尾支援版の魅力は、他のボードに比べて質の高い議論が展開されてゐることにあつたのではなかつたか。蘭君は、その一翼を担つてゐたのではなかつたか。そんな消え方は止めてくれ。納得できる退場をしてくれ。
>
> 蘭君、貴兄の一読者として、一言申し上げました。
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 こんな上質の投稿が、当時は沢山あった。こんな板まで目を通し始めたら、ますます新稿が遠くなっちまう…(気絶)。あそこに書いた書道ネタの一部は天バカ旧板にも再掲したので、それを新板に昨年再々掲した。他にも色々と書いていたのを思い出したのは、或いは自爆型「藪蛇」の類になるかも知れぬ。
 EmmanuelChanel様の映画ジョークほど古くはないものの、じき八年は経つ。ネットの時代の「時間と忘却」、いづれにしろ初見と再見の距離は意外な伸縮と共にあるのだろう。遠藤先生の云う「内容」が時間にどれだけ堪えられるか…あ、そうだ。未読のドゥルーズ本に『シネマ』ってのがあったっけ(法政大学出版局)。これもそろそろ読んどかなきゃなあ。
4雑談スレッド(1) ( ミッドナイト・蘭 )
2012/03/01 (Thu) 18:02:04
ちょっと、苹さんの投稿が高度なので、なかなか返レスが出来ません^^;

ちょいと息抜きのスレッドを作りましょう^^

さて、昨日は東京も積雪がかなりのもので、私の住んでいるあきる野市から、職場の八王子への峠が「通行禁止」になったのをいいことに休んだのですが、
苹さんの住んでいる東北は、雪模様はどないでしょうか?
8Re: 雑談スレッド(1) ( ミッドナイト・蘭 )
2012/03/04 (Sun) 22:58:16
東京は、今、雨が降っているのですが、また雪になる可能性があります。

私は「晴れ男」なんで、バイトで街中をうろつくときには、大体が晴れで助かっております^^

>>夏場は建築に勤しむ大工さん達、今は雪下ろしの仕事で大忙しですぜ。土建業者を目の敵にした某政党(ここで例の合い言葉…ダム・ファッカー!)は、除雪の仕事をどう思っているのかしら。

小沢氏などは、震災後、地元に戻ったのは一度きりだそうですし、豪雪どころじゃ、彼の気持ちは変えられませんな・・・。

話変わりますが、この歌を聴いてください。

   《猛烈宇宙交響曲・第七楽章「無限の愛」MV》
http://www.youtube.com/watch?v=TIokp4MonxE

楽曲も強烈だし、メンバーのプロ根性と、

何よりも、声が、子供なのに頑張ってて胸がキュンキュンします。

これは、恋でしょうか?

それから、この雑談スレに構わずに苹さんの論考も発表を続けて下さい^^
8訂正追記 ( 苹@泥酔 )
2012/03/04 (Sun) 02:15:26
 蘭様のゼミ旅行ネタは記憶にありますよ。そこそこ際どくはあるものの、正しく理解できる文章になっていた事も。あの時のは嘘でなく、どちらかと云えば冗談めいた韜晦に近いかも。~他方、以下に書く拙稿の訂正追記は事実誤認の方になるのかな。
 この一週間で、見慣れた雪景がガラリと変わりつつある事に気付いた。生活道路は前述の通りでも、三日ほど晴天が続けば市街地の幹線道路は雪がかなり消える。と云っても路肩や空き地に積み上げられた雪壁は相変わらず交差点の視界を妨げているので、左右から出てくる車には進入直前まで気付かない。つまり乾いた道路と雪壁とのギャップが著しく、うっかり快適に走行しようものなら、横からいきなり車が飛び出してくる可能性をついつい忘れがちになってしまう。…通りすがりの旅行者(←幹線道路しか通らない?)なら、その気分いかばかりか。しかも間近には、お誂え向きに高速道路のインターチェンジがあるときたもんだ(苦笑)。
 尤も予報では、何日もしないうちにまたまた降雪となる模様。~実は当方、こちらは快晴なのに遙か南では雪が降ったと聞いて面白がってたのね。こちらと同時に降るならともかく。ただ、もっと南には至らなかったのが残念でもある。その頃ちょうど沖縄では、自衛隊が青森から運んだ雪に関して「放射能こわい」の一悶着があったそうな。だから「南方でもドンドン雪が降ればいいのになあ」と。南方で降雪…南こうせつ…(←ただの駄洒落ぢゃ…汗)。
http://www.youtube.com/watch?v=X_dHo47MMYI
 脱線余談。~昔、この手のフォークソング(↑)が流行ったらしいが、専ら聴くだけならクラシックの方がしつこく長く快適だし、あたしゃそもそも興味がなかった(今も)。精々が苦し紛れのカラオケで、耳にした事があるのを何曲か歌う程度。例えば~このネタは前にも書いたけど、教師(京本政樹)が女生徒(持田真樹)を強姦するシーンで話題となったドラマ「高校教師」の主題歌(森田童子「ぼくたちの失敗」)を、リアルな高校教師の飲み会で思いっきり気持ち悪く歌うとか。あれには先生方みんな、内心どん引きしてたみたい(苦笑)。
http://www.youtube.com/watch?v=91CCihO7GBk
 ところで…あのドラマでの京本政樹、そんなに気持ち悪かったかなあ。たぶん比較対象に問題があるのだろうけど、どの人も嫌いではない。ルー大柴、江頭2:50、佐野史郎…。
8Re: ③ ( ミッドナイト・蘭 )
2012/03/02 (Fri) 20:40:43
東京都下、西多摩の積雪は、昨日からの雨でおおむね溶けました。
私が、今回の雪で一番に怖かったのが、会社の駐車場でした。
気楽に入ったのですが、スキー場みたいでした。
にっちもさっちもいかなくなりながら、前日にどなたかがとめた箇所に、ヒーヒー言いながら車を収めました。

私が、ネット上でついた嘘で、もっとも恥ずかしく感じているのが、以下です。

「私が受けていた大学でのゼミは、学習院と合同で、そのゼミ旅行には紀子様も参加していました」

これ、字面ではその通りなんですけど、
ネットで活躍しだした初期の頃の私は、こんなにもネット世界に長居するとは考えても見なくて、ちゃんと書くのが億劫で、あたかも、私も、紀子様と同じゼミ旅行に参加していたようなイメージで記していたものです。
しかし、事実は、紀子様は、私の所属したゼミの、前年のゼミ旅行まで参加していたわけです。
何の気なしに書いていたのですが、後から、こうしてネット上で長くい続けると、かなりの重荷でした。

今となっては、誰も覚えていまいが・・・^^;
8只今氷結中 ( 苹@泥酔 )
2012/03/01 (Thu) 23:54:18
 この新スレ見た第一印象は、一言で云うと「その手があったか」(苦笑)。
 …例えばいったん嘘を吐くと、場を取り繕うための嘘を次々と重ねる羽目になって身動きが取れなくなり自滅するとか。この場合は嘘を作らにゃならんので、整合性が破綻した時点で即アウトになる反面、プロセスの基本は単純でもある。ところが最初から本当の事ばかり書いていると、事実に含まれるプロセス自体が最初から複雑なので、そもそも嘘を吐く余裕がない。にもかかわらず、それが嘘に見えるとしたら、嘘と事実誤認とを混同している可能性の方が高い。だから私は「誰も嘘を吐いていない」という前提で先ず読み始めるし、むしろ「それが嘘になっていく過程」という現象への興味が逆に「そこに出てくる当事者達」を透明にする。
 そんなあれこれを、感じたまま、考えたまま、なるべく忠実に書こうとすると長くしつこくクドくなる(苦笑)。つまり初めからテーマが決まっている。その点、雑談てぇのは(元々あるのかないのか不明な)テーマ自体が脱線含みの流動性をいっそうフレキシブルに内包するから…おっと、いけねぇ。こうして話はクドくなる。
 さて。
 テレビに映る東京では、積雪後の凍結で滑ったり転んだりしてましたなあ。こちら青森では久々なぜか晴れ上がって、雪の片付けには比較的好都合でした。と云っても数メートルの積雪は前々から既に手遅れの氷結状態。スコップでは手に負えず、道路工事でアスファルトを砕く様なのを手作業の鶴嘴でやったりしてます。あのガガガガガってやつが欲しいけど、氷を砕く防水仕様のはあるのかな。マアどっちみち重そうだから、庶民と老人の役には立たぬ。さりとて振り回せる程度の重さとなると…でもチェーンソーとかの連想次第では、某ホラー映画に出てくるジェイソンじゃあるまいし。(どーでもいいけど)かぶりものは、あれも悪くはないが犬神佐清(すけきよ)のが見た目は一番しっくりくる…。
 或る晴れた日に、周囲が白い雪だらけってのは困る事もある訳で。スキー場なんか日が差すと、お肌が(日焼けならぬ)雪焼けするし、ゴーグルがないと目にも悪い。だから快晴よりは曇天の方がよい。自然エネルギー云々で太陽光発電てぇのはあるけど、雪国でも使える紫外線発電はないのかな(雪そのもので発電できるなら最高だけど)。とにかく量が多い。人手不足にカネ不足、おまけに(以下略)
 夏場は建築に勤しむ大工さん達、今は雪下ろしの仕事で大忙しですぜ。土建業者を目の敵にした某政党(ここで例の合い言葉…ダム・ファッカー!)は、除雪の仕事をどう思っているのかしら。
http://blog.goo.ne.jp/midnight-run_2007/c/26d90d39c0e894f77d55eedf72d7d42a/2
4賀春(壬辰) ( 苹@泥酔 )
2011/12/31 (Sat) 23:01:25
 七月以降、今に至るまで旧板閉鎖の影響が想像以上に大きい…。新年を迎えるにあたり、どうにか元の調子に戻れる様に心懸けよう…。
 以下は十一月中に書いた稿である。もっと突っ込んだ話を続ける予定だったが、いったん機を逃すと後が宜しくない。長文にしようと気負わずに書く方がよいのかも知れない。


●備忘録(成績改竄の義務)
 投稿の間が空き、ついつい機を逃してしまった。どの稿に連ねるか迷ったのもあるし。結局は観念して新たに独立稿で仕切り直す事になるとしても、旧稿との関連は勿論、ある。
 掲出の産経記事を読み、先年来の持論を裏付けるものと得心した苹であった。教員に課せられた暗部の義務を纏めると、差し当たり思い及ぶのは三つ。
・歪曲教育の義務
・基礎指導放棄の義務
・成績改竄の義務
 件の記事は、このうち第三点に関する「事件」の詳報だった。ところが青森県では事情が違う。前々から興味深い合法化を成し遂げている(青森に限った事ではないだろうから、こんな言い回しは大袈裟かも知れない)。
 改竄が改竄になるのは成績評価システム全体から逸脱したケースであって、予めシステムに組み込まれた改竄は改竄ではない。教員全員が内規で定められた通りに成績改竄する場合、嘗て私が勤務した高校ではこれを「相対評価」と呼んでいた。念のため「絶対評価する事になっているのでは?」と教科主任に尋ねたところ、返ってきた答えは「絶対評価したものを相対評価するのだから、絶対評価は取り入れられている事になる」とする解釈だった。そこに合法的改竄の紛れ込む余地がある。
 なぜ私が疑問に思ったか。~どの地域でも大抵は、入試を指標とする学校のランクがあるだろう。これを素朴に受け止めるなら、進学校の生徒の成績は非進学校の生徒より上となる筈である。実際、大まかな傾向はそうなっているらしい。ただしそれは受験科目、主要科目に限った話であって、芸術科書道の様な非受験科目の場合は高校入試で書写の出題が充分なされる訳でもなく、また大学入試に影響する例も殆どない。それどころか非進学校の方が、大学受験目的の勉強に集中しなくて済むからだろうか、進学校の生徒より高得点となるケースすらある。
 しかし全体の傾向としては、やはり進学校の方が成績は上である。当時の校長も職員会議でそれを危惧し、絶対評価には批判的だった。相対評価すればどの高校でも成績は満遍なく分布するが、絶対評価すれば高校別のムラが出る。学校ランクを成績評価分布が裏付ける形になると思ったのだろうか。…云うまでもなく、この観点に限れば書道は論外である。であればこそ、論外の科目をなぜ一々まともに成績評価する必要があるのか、疑問に思う教員が居ても不自然ではない。
 成績改竄は「生徒のため」を思っての事である。多分そうだろう。そのためなら学問を犠牲にしても構わない。なぜなら学校は、学問教育の場ではないからである。学問がやりたければ大学に行けばよい。そこに矛盾があるのは誰もが承知の上。しかし大学入試がある以上、入試での合格それ自体を目的とした予備校型高校が「高校制度を隠れ蓑に」自ら予備校化の度合いを深めていくのは至極当然の流れと云ってもよい。その文脈に先年の未履修問題がある。一部の教員達は反発し、団結し、民主党を支持し、自民党政権の転覆という手段で文部科学省への影響力行使に期待したのかも知れない。
 私は夢想する。もしも大学入試が廃止されたなら。誰でも好きな大学で、老若男女を問わず聴講できる。その気があれば学位も取得できる。ただし大学教官は、学力の伴わない生徒を過剰に高く評価してはならない。他方、一定の年限を基準として学力不充分の学生に退学を迫る制度は、却って大学自身の首を絞める事になるだろう。一部の学生は在学中に就職し、十年か二十年か、ずっと授業料を払い続けてもよい。そんな物好きが大学生のまま、同じ学年の若手の見本となる。どこか寺子屋の風景と重なる面があるのではないか。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/111113/waf11111318000015-n1.htm
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>【衝撃事件の核心】
>男性教諭はなぜ調査書を改竄したのか 京都の名門高校
>2011.11.13 18:00 (1/4ページ)[westピックアップ]
>京都府北部の進学校として知られる京都共栄学園高校=京都府福知山市
> 国公立大学や有名私立大学に毎年多くの合格者を出している京都府福知山市の京都共栄学園高校。その名門私立高で3年生を担任する男性教諭(58)が、受験先や就職先に提出する調査書の評価を高く改竄(かいざん)するという“前代未聞”の不祥事が起こった。なかには出願基準を満たしていなかった調査書の評価を高くして、不正に出願した事例もあったという。何がベテラン男性教諭をそこまでさせたのだろうか。
>
>名門校に衝撃
> 「思いもよらない事態が起きた。教育の根幹を揺るがす不正行為をしたということで、非常に申し訳なく思っている」
> 10月25日に開かれた記者会見で、泉良正校長は苦渋の表情で頭を下げた。同校の進学コース3年生のクラスを担任する男性教諭が、調査書を作成する際に不正に高く改竄していたのだ。
> 発覚したのは、10月中旬ごろに生徒の間でささやかれていた一つの噂がきっかけだった。「クラスで(男性教諭に)成績を上げてもらった子がいる」。噂を聞いた学年担任の教諭が調査したところ、男性教諭のクラスの32人中24人の調査書に改竄があったことが判明した。
> なかには、進路指導の際に男性教諭の方から、「このままの成績では希望する大学に行けないが、何とかできるかもしれない」などと言われた生徒もいたという。
> 同校によると、男性教諭は「クラスの成績を上げたかった。いい大学に早く合格を取り、自分も楽になりたかった」と動機を述べているという。
> 改竄されていない生徒もいるが、「これ以上成績に改竄する必要がなかっただけで、特定の生徒に便宜を図る意図はなかった」とも話しているという。
> 同校は副校長と教頭ら4人からなる調査委員会を学内に設置し、他のクラスや過去に作成された調査書についても調査したが、他の改竄はなかったという。
>
>担任の裁量次第?
> 同校の調査書は、教科の担当教諭が教科ごとに10段階で評価した成績原簿をもとに作成される。調査書には、クラス担任がそれぞれの教科の3年間の成績を平均し、10段階から5段階に換算した評定の値が記入され、この値が大学受験や就職試験の際の出願基準として考慮されることが多い。
> 今回の改竄は、男性教諭が調査書に各教科の成績そのものを記入する際に実行され、この成績をもとに出される調査書の評定を上げていた。
> 改竄の度合いは生徒によって異なるが、最大で6科目11教科にわたり、評定の平均が0・4上がっているケースもあった。また、出願基準に満たない成績だったにもかかわらず、0・2~0・3上げて、不正に出願したケースもあったという。
> 調査書作成後に第三者が成績原簿と照らし合わせることはなく、泉校長は「チェック態勢が不十分だった」と述べた。
> これを受け、2学期の期末考査から成績入力を複数の教諭がチェックするシステムを導入するなど、チェック態勢の見直しを検討している。
>
>進学校ゆえのプレッシャー
> 「進学コースの担任になるのは初めてだったので、プレッシャーを感じていた」。問題発覚後、男性教諭は学校側の調査に対し、こう打ち明けたという。
> 男性教諭は同校で30年以上勤務しているベテラン教師。だが、これまでは、多くの生徒が就職か専門学校などへ進む普通コースを担当しており、今年度になって初めて近隣の有名私大を目指す進学コースを担任した。
> 同校では、進学実績で特にノルマを課してはいなかったというが、職員室内では教諭の間で、「クラスの模擬試験の成績はどうでしたか」「できのいいクラスなので、生徒の進路が楽しみですね」などという会話が交わされ、男性教諭が重圧を感じていたようだという。
> 清水智徳教頭は男性教諭について「仕事にはきちんと取り組み、生徒に尽くすタイプ」とコメントしている。
> 1年生の女子生徒も「日ごろから授業を優しく教えてくれる先生」と評価。ただ、「それだけに、こんなことをしていたのを知ったときは、悲しくて残念な部分もあります」と続け、肩を落とした。
> 男性教諭は発覚後、クラス担任から外された。今後、学園本部が処分を検討するという。
>
>広がる動揺
> 発覚から4日後、同校は保護者らに対して事件の説明会を開いた。18人が出席し、「子供の進路は大丈夫か」「今は子供の入試の合否の結果待ちだが、影響はないのか」など進学先への影響を心配する声が上がった。
> 同校は調査書を提出した大学や企業に出向いて謝罪と説明を行ったが、改竄前の調査書の評定が出願基準を満たしていなかった生徒の出願は取り下げた。さらに、改竄された調査書を作り直し、成績原簿をもとに正しく作成された調査書を提出しているという。
> だが、今回の不祥事による生徒らへの影響を心配する声もある。
> 2年生の男子生徒は「来年自分が受験するときに、あまりよく受け止められなかったり、変な見方をされるのではないかと心配です」と話す。
> また、卒業生の女性(25)は「こんなことがあっては、自分の出身校だと言えなくなる。ちゃんとしている人がいっぱいいるのでくやしい」と憤りをあらわにしている。
> 京都府文教課では「出されている調査書が信用できないという事態になると、生徒に関わる。本来あってはならないことで、非常に驚いている。生徒には不利益にならないよう対応していきたい」とコメントしている。
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8続・「近況補記」稿の補記 ( 苹 )
2012/02/27 (Mon) 07:25:42
(承前)
 セレブ奥様ブログの洗濯機ネタでは、その後も苹の脱線コメントが続いた。そろそろ別のコメント欄に話題を移す頃合い…ではある。取り敢えず、こちらに拙稿を転載して置く。
 脱線中に言及したチャンネル桜の三時間討論番組は、西尾先生の古書店ネタから始まった(苹は「日録」経由で閲覧)。それを承けて後半あれこれ書いた訳だが、他に断捨離ネタへと連ねた関連コメントが一つある(下記一稿目)。
 投稿終盤、NHK「爆問学問」最終回の再放送予定に言及した。此処=天バカ板を御覧の方々にも視聴をお勧めする。その上で興味あらば、桜番組の動画を冒頭から御覧いただきたい。苹頓首。



(以下、奥様ブログより転載)

 本を捨てるなんて!(←未練たらたら)
 西尾先生の場合は、どうしてるのかなあ。古書店関係者の書いた本には、スイス製の機械式時計を人手に渡す時の愛着めいたものと似通った記述があったと記憶してます。それはそれで、書物側にしてみれば幸運を待つ事になるのだろうけれど、売る側にしてみれば、処分した(された?)後になって後悔しても後の祭り。
 こちら本とは別に、シュランメルンやウィーナーリートのCDを処分してから後悔するまで、さほど時間はかかりませんでした。ブクステフーデのオルガン全集を処分した時なんざ、売却した店から感謝されちまったくらい(きっと即座に完売したんだろ…)。あれも売らなきゃよかったなあ。でも私が死蔵するよりはマシなのかも。本やCDなどを生かしてくれる人がどこかに居る。そんなふうに考えれば、私に買われた本は全部が不幸なのかも。…LPレコードは二十年ほど前に総て処分した。テレフンケンのメンゲルベルクなど、CD化されていない盤も色々あった。レーザーディスクは今もまだ手元にある。グールドのボックス物とかチェリビダッケとか、エストマン指揮ドロットニングホルムのモーツァルト上演とか。これらも概ね、死蔵の類ではある。
 決して待ち遠しく思う訳ではないが、西尾先生の蔵書は没後どうなるのかなあ。例えばニーチェ関係のマイクロフィルムとか。そんなの考えなくてもいいくらい、先生には長生きして欲しいなあ(他方では「僕は死にましぇん」で婆様むかつく?)。
【2012/02/07 00:51】 | # [ 編集]



 思い起こせば洗濯機のドラム式に、私は最大の魅力をサイズと形状から感じたのでした。中が斜めになっている。それに比べると、見慣れた二槽式や全自動は大体が「チビの敵」。うちの婆様は年々ちっちゃくなるし背中も丸くなる。丈の低い機種でないと踏み台を使わにゃならん。あと~世間には私より背の高い女、云うなれば巨人族ばっか増殖してるけど、あの連中だって半世紀もすれば幾分ちんまりしてくるに違いない。可愛い顔して、俺を頭ひとつ上から見下ろすな!(なんなら、ここらで猫ひろしのギャグでも披露したろーか?)
http://wakumin.seesaa.net/article/116976.html
 尤も~チビを自称する奥様にチビのネタを書くのは、怖いもの知らずと云うか何と云うか、女子サッカーの澤選手(↑)に面と向かって「プレデターそっくりですね」と話しかける様な気がせぬでもなし。エイリアンやプレデターは架空の怪物だが、女性は総て実在の怪物だ。…ともかく(汗)、ドラム式の欠点は知りませんでした。有難や~。

http://mimizun.com/log/2ch/sisou/1041170034/
 それはそうと、こんな過去ログ見つけました(↑)。まだ十年も経ってないのに、なんか妙に懐かしいぞ(苦笑)。斯くして今、当時の勢いはない。
http://jbbs.livedoor.jp/study/6914/
 あと天バカ板や支援板と同様、左欄リンクにある桃太郎掲示板も閉鎖、こちら(↑)に引っ越してたみたい。あそこは中国人投稿に釣られて何度か出入りした事があるけれど、あれこれ予防線(?)を張り過ぎた所為か、人によっては苛立つ書き方になってた模様。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/6914/1137458474/l50
http://www015.upp.so-net.ne.jp/nagatanitei/momo_J_C.htm
 当時は中国側と日本側の差異を解消しようとするのでなく、差異そのものに内在する判断根拠の歴史的推移を差異化(微分)する所から差異の起源(極限?)に向けて、「事実の誤解」よりも「誤解という事実」を尊重する立場だったのかな。誤解かどうか分からぬまま「判断した事実」を保存的に解体し、知識の蓄積を経て誤解と理解それぞれに精度を上げていく過程を三角測量に喩えたら、意味不明と受け取られたのを覚えています。
【2012/02/08 21:41】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



>いろいろほんとうに懐かしいですね
 懐かしいと云うよりは、「あたしゃ昔からクドい書き方ばかりだなあ」の方が先に立ちます。勿論、方々のを読み返すと懐かしい。しかし読む側に回ると、論理と論理の中間の線が気になって仕方がない。…そう云えばドゥルーズ本の邦訳では、平面と関わる「ミリウ」って言葉を「中間=環境」としていたけれど、私の場合どうして「線」に絡めたくなるのやら。
 たぶん漢字と仮名の重合に中間の線、イメージの平面、明治以降の日本人が失い続けてきた言葉の隙間を垣間見ているからなんだろうけど。そこに成り立った「場所=相互諒解」自体が別の言葉に置き換えられるさまを、知識人達は翻訳的先進性と捉えたのではと疑っているせいか、そこでの言語世界と言文一致世界が活字の背後で膠着してしまう。線は漢字や仮名の、それぞれ中でなく外「に」膠着し、皮膚の様な差異/平面となって折り畳まれる。にもかかわらず、仮名と草書と「を分かつ/に生成する」仮名と漢字の像は、音声へとはぐらかす近代化戦略の水面下で別の言文不一致の起源をも歴史の中に生成する。
 うちの婆様は、例えば「イトーヨーカドー」って語彙が思い出せない時「鳥の印の(看板の)~」と説明が始まる。ここでも相互諒解の組み直しが表層に浮かび上がる。或いは最初から諒解不能な言葉で覚えたりもする。大正生まれと昭和一桁だから、例えば「米櫃」というと昔のを思い浮かべるのかも。プラスチック製らしきそれとは言葉が結び付かない。私も家族同様「コメスター」って商品名(当時)で覚えてました。だから「米櫃」を思い浮かべる時は先ず木製、次に機能、それから今の形へと順次連想する癖が染み付いている。
 あたしゃ子供の頃から左右の認識に障碍があるらしく、今でも「箸を持つ方が右」とやっている。やり過ぎると「箸を持つのはどっちの手だっけ?」を挟んでからでないと頭が「右」へと繋がらなくなる。甚だしいのは時計。頭の中が完全にデジタル。針の向きが読めないのでインデックスを数えながら読む。油断すると読みが五分単位でズレる。
 …似通った錯誤が洗濯機で起こるかも知れない。さすがに洗濯板から想起し始めるほどひどくはないけれど、ドラム式にしたら脳味噌どうなるか分かりませんな、コリャ。
 最後に一言、お祈りをば。奥様が椅子から落っこちて、怪我をしませんよーに。
【2012/02/10 00:00】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



あきんど様
 とっくの昔に御令嬢は蘭様の趣味対象から遠離り、書道関係者が生徒に色気を発散し始める年頃になるんですねぇ…。それは高校入学を境目とする、良くも悪くも訣別の機会。師匠側の、芸術家や展覧会主義者などの顔がぼちぼち表面化し始める時期。尤も、それ以前の基礎教育段階では何処も大差ありませんから、この意味で平準化された習字指導を私はそこそこ高く評価しています(未履修同然の学校書写教育は除く)。
 ただし私が習字段階で最も不満なのは、それが学問(と云うか和文リテラシー)へと真っ直ぐに繋がらない事。高校では国語科書写でなく芸術科書道になるくせに、実技に対する基礎教養の裏付けが極めて脆弱。この辺については新しい天バカ板で少し再掲してあるから省略しますが、もし授業や部活が変な方向(パフォーマンスとか)に行く様なら音楽や美術を選択、習字は塾に通い続ける方がマシかも知れません(これから社中批判を展開する予定なんですが…汗)。私は国語教育の半分を古典教育でなく古典歪曲教育だと思っています。小松英雄(古文)、加地伸行(漢文)といった先生方ならともかく。
 白物家電の話は興味深いですね。都会では炊飯器(と鼻毛カッター)が中国人観光客に大人気と聞きますが、洗濯機などの重たい物は地域住民が主たる客層になるんでしょうか。昨年前半は何処でも乾電池などが入手難でした。財布の紐は締まりっぱなし。
 ふと思い出したのは冷蔵庫。三十年前と違って、冷凍室が引き出し式ばかりになったのが不思議でしてネェ(もしや輸出品と規格統一?)。豪雪の不安があると冷凍庫は大きい方がいいし、冷蔵庫みたいな扉がいいのにナァと(十年ほど前に買い換えた時の話)。これも些細な反グローバリズム思考なんだろか。それぞれ地域に見合った仕様が望まれるだろうに、企業が輸出ばかり気にする様なら、国内の老人市場はどうなってしまうのか。
 にもかかわらず、少子化による先細りが分かっているのに若者市場神話に呪縛され、駅前商業施設再開発の結果十年が大赤字。高齢化対策はスーパーマーケットが出前(御用聞き?)方式の焼き直しを始めたばかり。イトーヨーカドーもその一つだが、あの店舗の広さは老人にゃキツイ。あと、雪国では駐車場に屋根があると有難い。
 利益還元については初めから眉唾です。企業が円高を云々するのは構わないけど、あたしゃ二十年ほど前から頭の中を金本位制に切り替えてるんでセール期間を云々するまでもない。チラシを出した時点で先物ならぬ後物取引、どっちもどっちだと思ってます。
 在庫減らしの話は心当たりが少々。数年前にアナログBSブラウン管28型テレビが壊れて買い換えた折、地デジBS液晶32型くらいのにしようと思ってたら、それより激安だったのが同プラズマ42型。直後に出たチラシの同製品とは値段にさほど違いなし(その夏に愛知の親戚達が来て、値段を聞いて驚いてたから、多分あっちから見ても安かったんだろ)。うちの婆様がセールに行くのは専ら景品(お皿など)が目当てです。
 …老婆が夜な夜な、お皿を数える。いちま~い、にま~い…。
【2012/02/10 22:27】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



 大学時代に先生から「達観してる」と言われた事はあるけれど、あきんど様のも同じ流れにあるのかどうか、いづれにしろ苹は昔からそーゆー性格だったのでしょう。なにしろ当時の数少ない友人からは、「緩慢な死」と評された事もありますし。
 ただし冗談は全く遣えませんで、寅さん映画でお馴染みの台詞(口上)「持ってけ泥棒」を試したところ、後輩女子が「そんな言い方って…」と反応したのは流石に痛かった(あたしゃ密かに懸想してたもんで…苦笑)。そこで冗談を勉強するため買い込んだ教科書(?)が河盛好蔵『エスプリとユーモア』(岩波新書)。爾来、私にとって冗談とは最高水準の勉強そのものとなりますた。今も日常生活での冗談はひどく苦手ですから、言い回しや前後の文脈を推敲できる場は文章以外に存在しない次第。いつも書いた後は滅入ってます。冗談の毒は必ず自分に返ってくる。そんな所がチャイコフスキーの音楽と似ている様な気がせぬでもなし。私にとってsym.6《悲愴》の第三楽章は、最も深刻な冗談音楽でもあるのです。
 蘭様の幼女ネタはともかく、津軽海峡の防衛は大切ですなあ。あそこは特例で公海扱いの筈だから、中露の艦隊が通過しても仕方がない。危ないのは尖閣諸島周辺ばかりではない。そこに大震災が来て日米共同「トモダチ作戦」。あの意味を「東奥日報」夕刊の連載記事「日米中新時代」が興味深い視点で考えてました(2012.2.7付)。筆者は論説委員兼編集委員の斉藤光政。抄録すると、こんな具合です(↓)。
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> トモダチ作戦を通して、日米の一体化はさらに一歩進んだといえる。それを象徴する出来事が、震災から早くも6日後の3月17日に見られた。場所はむつ市の海自大湊基地。
> この日、米海軍のドック型揚陸艦「トーテュガ」(約1万7千㌧)から降り立ったのは、北海道小牧市から被災地に向かう陸自隊員ら約280人と車両約100台だった。
> 「まるで日米の上陸作戦を見てるよう」。見守る市民らはつぶやいた。米軍艦艇による部隊移動は自衛隊設立以来初めてだった。
> 「日米合同で上陸作戦訓練を行うべきだ」。知日派で知られるリチャード・アーミテージ元米国務長官が中国けん制策の一つとして提案した計画が、小さな形ながら実現した瞬間でもあった。
> つまり、トモダチ作戦は名前を変えれば、そのまま有事の日米共同作戦に転用できることを証明したのである。その意味では、壮大なシミュレーションの側面を持っていたとさえ言える。はからずも震災は日米の有事即応態勢を見事にあぶり出していたのである。
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 その後の記述の方が、重要かつ示唆的ではあるのだが。中国からの救援部隊は日本側との調整で百人規模から十五人に減らされ、着陸は三沢でなく羽田に回されたそうな。
 そう云や、蘭様はこちらセレブ奥様の御令嬢が未婚だった折、「お嫁さんに欲しい」と書いた事があった様な記憶が。私もそう書いてみたらよかったかな。縁があれば年の差なんて(爆)。でも無理だろーな。ドラマ見習ってトラックの前に飛び出せば、「僕は死にましぇん」と叫ぶ前に轢死してしまう。いや、それ以前に奥様が鬼の形相で(以下略)
 親は、子供が可愛い。
 書道と習字の話ですが、書写を含めた学校教育側の見方と一般側の見方とではズレがあります。学校側では芸術教育と国語教育の差異を念頭に置きますが、前者には教養芸術や言語芸術、後者には和文リテラシー(平たく云えば常識的可読性)の視点がない。片や一般側では書道に精神修養を期待しがち。或る意味スポ根とも似通った面がありますが、そこからは学問がスッポリ抜けがちになる。明治三十三年の小学校令以降、国語教育が正式に捨てた和文リテラシーだって立派な学問たり得る筈ですが、そちらは古文書学の方面へと押し込められた殿様みたいな状態で、書道界でも完全に無視されている(だって御家流なんだもん)。西尾先生は原発を「鬼っ子」と形容しましたが、こちらは正真正銘の「捨て子」です。歴史という親を洗脳した学者達が、子を捨てる様に唆したのが学校教育。するとやがて学校の中に、親を捨てる「姥捨て山」が成立する羽目になっちまった。
 だからかな、私は畑違いの分際で「つくる会」へと興味を寄せる事になったという…。洗濯機の話題が何故か脱線、奥様には申し訳なく思ってます(←だって、こわいんだもん)。
【2012/02/11 20:27】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



 性懲りもなく脱線話…。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1147#comments
 今夜「日録」で見つけたのが、上記うさねこ様の新稿。~冗談絡みのあれこれを思い出したばかりのタイミングで、それを読む私の側にしてみると、「愚かしさ」と「冗談」(またはユーモア/エスプリ)それぞれの在り方が、まさか予想外の所で小田実の「緻密さ」とも何か通じるかの様に感じられてくるとは。
 ちょっと間が空くとすぐ、「日録」って所はコメントの新着に気付きにくくなる。西尾先生は大丈夫なのかしら。此処=奥様ブログでの私みたいな、何ヶ月も前のネタにコメントを書き込む読者が居たらどうするんだ。…と云うのは今、まさにそれを実行する気になりかけていたから。一年くらい前、奥様の沖縄旅行ネタに色々コメントを書いたっけ。それから八重山問題が騒がれ出した時も。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-997.html#comment
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1173.html#comment
 そこら辺にまたまた連ねようとした次の冗談は沖縄独立論。冗談と云うよりは妄想か。~日本と米国は沖縄から撤退するのが筋。独立ホヤホヤ、まともな条約はこれからの話。
 沖縄人はどうするか。尖閣諸島は日本の領土でない。ならば沖縄国の領土か、それとも中国の領土か。中国は取りに来るだろう。軍隊のない沖縄国に防衛力はない。安全保障条約は結べるだろうか。米国と結べば米軍が守ってくれるかも知れないが、これまでのいきさつを考えれば無理筋。日本は駄目。自衛隊が米国を守れないのと同様、沖縄国も守れない筈。韓国は休戦中だし、台湾を国扱いすれば中国が猛反発。東南アジア諸国にも他国を守る余裕はない。
 台湾よりも早く、沖縄は中国に併合されるだろう。そうした予測の下で先手を打ち、沖縄独立を日米共同勧告すればどう反応するか。~噴飯物の冗談には、現実を突き抜けた世界がある。思考停止の道具にするのではなく、真面目に冗談(の背景や心理)を考えてみてもよい。なぜ私は不覚にも猫ひろしのギャグ「ラッセラー」「ポーツマス」に惹かれたのか、なぜ最近ネットで拾った江頭2:50の自衛隊ネタ(下品だから西尾先生は見ちゃだめ↓)に惹かれたのか…。
http://www.youtube.com/watch?v=H4aybyOKDMM
 そんなくだらぬ事を考えていた矢先、ふと気付いたのが冒頭紹介のコメントでござる。私は無知で、小田実と鳥肌実を別人と認識してからまだ三年くらいしか経っていない。支援板に出入りした頃に鳥肌の名前だけ知って、その後に小田の名前だけ知った。どちらも「実」だった。…ついでに書く。西尾幹二と西尾維新。ネットの窓に入力すれば、もれなく出てくる検索候補。幹二本なら読んでいるが、維新本は読んだ事がない。
 うさねこ様のコメントや「日録」最新記事を読む前、『天皇と原爆』を買ってきた。脱原発本が一冊だけあった時と同じ目立つ棚に、今度は二冊が置いてあった。
【2012/02/12 22:37】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



>雪はどうですか?
 雪は、降る。
http://www.youtube.com/watch?v=iDXmmCmJ9p0
(↑やっぱ冗談に見えるんだろーな。実際そうだけどw)

(余談~読後感)
 件の書店に行く時は、いつも爺様の補聴器が絡む。掃除もしくは調整。いつも付き添う婆様は、いつものボヤキを延々と続ける。~先週末は『天皇と原爆』を買ったものの、そのまま車内に放置。あれから一週、帰宅して爺婆と本をおろす。その間あれこれ妄想三昧。「どんな事が書かれてあるのだろう」と、就中「闇の宗教」からの連想が際限なく膨張していく。
 さあ読むぞ、と読んでみた。余りの読みやすさに愕然とする(精読する場合は話が別)。「闇の宗教」に期待したユダヤ絡みの妄想杞憂は概ね裏切られたらしい。帰りに別の書店に寄って、予想通り未入荷の西尾全集第一巻を諦め半分、素直に注文してきてよかったと読後に思う。
 面白くなかったのではない。西尾オムニバスの観があり、全体を貫く音楽的な流れはビーチャム卿の指揮するロリポップスみたいだ。自前で組織した楽団を振る老伯楽のごとき見識が満載。~聴衆たるもの、先ず勉強してから聴きたい。それを裏切られた瞬間の面白味にも、別の楽しみや発見が宿る。「教えられるばかりではなく、考えさせられる」妙味と言い換えてもよい。そこに読む側の「差異と反復」がある。
 「天皇から原爆まで」ではなく「天皇と原爆」。一方には天皇との差異があり、一方には原爆の反復がある。そこにアメリカと原発の交点を垣間見るならば、この一冊が今『平和主義ではない「脱原発」』と併せ読むのに相応しい。

(本題?)
 二軒目の書店に寄った後、電気屋で爺様所望の懐中電灯を買った。婆様は「雪が消えたら洗濯機を買い換えたい」との事。ここで覿面、あきんど様の稿が役立った(ありがたや~)。店員は「今月中に買えば決算セールで安くなる」と云う。取り敢えずパンフレットだけ貰ってきた。
【2012/02/17 23:22】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



 またまた脱線。~今日は、こんなのが出ていた(↓)。今は絶版らしき西尾先生の旧著『自由の恐怖』に、こう書いてあるらしい。
http://blog.livedoor.jp/bananahiroshi/archives/52121757.html
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>日本では最初から宗教は善と道徳を代表している。人は政治を恐れるが、宗教を恐れない。政治優位の東北アジア儒教文化に関係があるかもしれないが……後でもう一度触れる……、力の空白をもって自由であるとみなす戦後憲法的な感覚がさらにこの状況に拍車をかけた。欧米の歴史のおいては、宗教の力と国家の力とが対立相剋し、先に見てきた通り、一方が排除された後の空白は直ちに他方の力で埋められるので、永続的な力の真空状態は存在しない。「信教の自由」はきわどい力の均衡状態の上に成り立つ。空白は自由ではない。今でも教会のまき返しがあって、いつ市民的自由は教会に脅かされないとも限られない、とジル・ドゥルーズは警戒心も露に語っている。非宗教性の教育政策はキリスト教徒イスラム教の共同でそのうち取り消される可能性さえまだ今日残っている。(『リベラシオン』1989・10・26)と。革命時代からの緊迫した力の突っ張り合いはまだこうして消えていないのだ。それが欧米における自由の姿である。
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 …西尾先生が引用するドゥルーズと来れば、これは調べずに居られない。てな訳でドゥルーズとリベラシオンをキーワードに検索。手掛かりを見つけた(↓)。
http://ameblo.jp/philosophysells/entry-10578065499.html
 架蔵(未読)の『ドゥルーズ 没後10年、入門のために』(河出書房新社)P.59~60を経て、『狂人の二つの体制1983―1995』(同)P.311の書誌からP.253以降の「リベラシオン」記事邦訳に至る。「こんにち、諸宗教が連携して、動揺している非宗教性をまたも糾弾することはありうることです」辺りが西尾先生のそれに相当するのかしら。
 ともあれ『自由の恐怖』の内容は、一方で『天皇と原爆』へと連なるらしき事が窺える。…これも読みたいなあ。なんで西尾先生の本は、近年すぐ絶版になりがちなんだろ?
【2012/02/18 20:23】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



 おはようさーん(←鈴木宗男ならぬ坂田利夫のギャグ「あ~りが~とさ~ん」のノリで)。奥様もしかして、お出かけですか?(レレレのレ)
 こちら、ぬかるむのはまだ先の話で、今は一面が真っ白です。あまり降らない年は黒い道路が凍結してスリップしやすくなるのですが、今年その心配だけはないみたい。代わりに左右の雪壁で幅がかなり狭くなり、国道では車線が一つ減ります。生活道路は対面通行が困難になるから、対向車との距離感覚が重要。道がとっても白いから、遠廻りして帰ろう。(…ん?↓)
http://www.youtube.com/watch?v=qisXbzA5Ujk
 広島からでも南北縦断、今年は日本海側へ出ればすぐ豪雪体験できるのでしょうが、奥様は傍目にゃ右翼の重要人物(?)だから、日本海を東海と呼ぶ密航者に拉致されちまいそうな気がするなあ(…私は何を想像してるんだ…お隣「鳥取と岡山の県境」が舞台の横溝正史『八つ墓村』では、洞窟の鎧武者が小梅様を攫っていく…)。
 スタッドレスタイヤ(昔はスパイクタイヤ)なんて使う機会、そちらではあるんですかねぇ。青森県を東西横断する場合は西側(弘前方面)と違って、東側(八戸方面)ではあまり雪が降らない。それと似通った感覚になるのかな。都会の人々はチェーンを使う様ですが、これはお勧めできません。タイヤそのものを着け替えなきゃ。車も後輪駆動よりは前輪駆動、比較的無難なのは四輪駆動です。でもディープな場所だと雪が腹につかえて四輪とも空回りするから、どのみちスコップは必需品となりますぅ。
【2012/02/19 06:54】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



 では差し当たり、この手の動画をだらだらとお楽しみ下さい(↓)。例年なら大体、これくらい雪が少ないのよ。御覧の通り雪の壁と云っても、除雪の結果そうなるだけの話。
http://www.youtube.com/watch?v=kWzUE84Lf78
 除雪は雪を寄せて纏める。排雪は雪を余所に捨てる(海とか、郊外の雪捨て場とか)。毎年こちらのテレビには出る(全国版はNHKお昼の「BS列島ニュース」で流れる)、八甲田スカイライン辺りのイメージを市街地に当て嵌めて貰っては困りますぅ。
 スコップ談義は(筆の話と似て?)、傍目にゃ少しくらいは面白くなるかも。こちらでは金属製の尖ったり角張ったりしてるのがスコップ、樹脂製で幅広く大きめのが雪ハネ、本格的に引きずるのがスノーダンプになるのかな。新潟などのテレビ映像に見えるデカイやつは、こっちではあまり使いません。もっと小振りの樹脂製が大半。
 チェーンのシャンシャン音か…なんか懐かしいな。今でも大型ダンプカーからは稀に聞こえますけど、一般車両は静かなもんです。三十年ほど前まではスパイクタイヤが主流でしたが、粉塵問題が取り沙汰されてスタッドレスタイヤが開発。スパイクは道路が比較にならぬくらい傷むのよね。横断歩道の白線が見事に消えてデコボコになるの。
 何年か前に書いた記憶がありますが、こちらでは開き直って「地吹雪体験ツアー」てぇのがあります。結構な人気みたい。また青森市東郊外の浅虫水族館では、雪が降れば降るほど入館料が割引になる(笑)。だからケチな人は(←私)婆様に「ドッサリ降ったら行かない?」と誘ったりするんだけど、雪に懲りてる上に「事故がこわい」から行きたがらない。その前に、家の前の雪を片付けないと。(←疲れて行く気がなくなる。)
 雪の上の足跡…思い出したら笑ってしまった。何年か前、或る酒屋に泥棒が入ったそうな。んでもって、警察が来て捜査開始。見ると雪に足跡がある。それを素直に辿って行ったら、めでたく泥棒さん宅に到着したそうな。
【2012/02/19 22:03】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



 今は「日録」最新稿(↓)で、桜ビデオ二つ目を見終えたところ。これから寝ます。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1151
 まだ未整理の段階ではあるものの、今のうちに出して置かなければボツ稿になりそうな気がするので、ビデオ閲覧前に書いた草稿を取り敢えず提出して置きます(だってビデオ二つ目を見たら、ヴァーチャルやリアリティといった語彙が出てきてるんだもん…)。
 草稿1は、あきんど様のに触発されて思い出したネタ。その前に書いたのが草稿2。

(草稿1)
 十数年前の或る朝、私は首が攣った。どうやら寝違えたらしい。学校で何と云おうか。「うん、今朝ちょっと首つったのね。」…これでは多分、あんまりだ。そこで取り敢えず、「借金で首が回らない」とだけ言っといた。嘘ではない。学校とは授業絡みの取引もある学園堂(五所川原市)って店から二十万円以上する筆を一気に二管、月賦で買ったばかりだったのである。十五号を超える大きな筆は馬毛が殆どだが、純羊毫となると滅多に出回らない上べらぼうに高額となるのが普通。だから相対的には安い買い物だった。でも合計四十数万円の出費は痛い。しかし実際に自ら使ってみないと、いつか生徒に指導する際、碌な助言が出来ないだろう事は前々から分かっていた。~その日いくつかの授業をこなした後、廊下の向こう側から生徒に呼び止められた。微動だにせぬ首を戴く私は背筋を張り、上半身全体でくるりと振り向いてやった。生徒の間で噂となっていたらしい。
 或る日、同僚のO先生(天バカ板に実名あるよ)がアキレス腱を切ってきた。誰が見ても怪我人である。私はその手の怪我をした事がない程度に臆病である。また或る先生は~あれは別の高校に居た時だったかな~登校初日から顔に負傷してやってきた。なにやら喧嘩したらしい。あれはインパクトがある。見習う気にはなれないが、生徒の前ではそれなりの印象が残るだろう。私は怪我が大嫌いだし、なにより頭の回転に影響が出るのを恐れる。そもそも授業で自習させるほどの余裕はない。それだけ器が小さいとも云える。

(草稿2)
 西尾幹二とドゥルーズをキーワードに検索中、偶々こんなのを発見(↓)。
http://www.uedam.com/nihonjin.html
 私の場合は日本語論における過去認識そのものを「草書と仮名の区別」といった手掛かりから始めたいところ。今では誰もが漢字と仮名の峻別を前提に~つまり近現代日本語(国語)の表記システムを基準としている節が感じられるけれど、こうした文字言語の領分での区別を仮に表層言語の問題と見なすならば、深層言語に位置した筈の来歴が顧みられる機会自体はどうなってしまうのか。
 音声言語を文字言語に転写する手法は色々あって、音声に割り当てられる文字が複数であるのは、仮名が必ずしも表音文字として自律的ではなかった事を意味するだろう。来歴となる漢字を表音文字として扱うには、表語文字としての機能を停止しない限りどうしても無理が生じる。また表語文字としての機能に割り振られる音声が複数であるのは、漢文訓読に留まらぬ和語表現との並立が前提で、そこではむしろ漢字の方が自律性を揺さぶられていく。さもなくば仮名など生まれる筈がないし、そもそも漢字が固有の音声を必要とするとは限らない。
 支那大陸の多様な民族が各々の言語(方言)に漢字を割り振る以上の仕方で、日本人は(漢字に適応したのではなく)漢字を日本文化に適応させてきた。例えば「不二」は平仮名表記だが、漢字表記としての意味を兼ねた表現の重層性もまた同時に交換可能な形で担保されてある。それらを「ふじ」表記へと画一化し、かつ「富士」表記と峻別したのが明治以来の国語政策。背景には欧米文化への杜撰な盲信と模倣があった。
 明治以降の日本語がさも「昔からあった」かの様に言いくるめる国語信者の布教姿勢は醜怪である。確かに進歩的ではあるし実用的でもある。国語に都合よく歴史感覚を歪曲すれば、それに見合った誇りを捏造する事だって出来る。漢字や仮名の「存在」が大陸と列島それぞれに起源を持つ事のリアリティは、過去に追いやられた時点でヴァーチャルでもある。それに対して漢字や仮名の「機能」はポッシビリティから生まれ、アクチュアルに歴史を貫く。厄介なのはポッシビリティがリアリティを偽装できる点にあり、そこから捏造の余地が徐々に勢力範囲を~つまり領土を拡大すれば、そこから先のアクチュアルな歴史生成はいくらでも正当化できる。
【2012/02/22 02:26】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



 この際、追記。~件の桜ビデオ一つ目で、西尾先生は先ず教育ネタから切り出した。九十年代頃から、若者が古書店で本を買わなくなってきた。汚れた本が売れない。このままだと、やがて潰れてしまうのではないか。それらを承けて語り出したのが井尻千男氏。なんてこった。
 ネット世界では掲示板が次々と潰れている。昨夏は運営会社が業務撤退、他板と同様に天バカ板も消滅した。あきんど様は昔あそこの常連だった。やがて誰も来なくなり、書き込むのは長文しつこき苹ばかり。その後、管理人の蘭様が新板を作ってくれた。誠に有難い。「【再掲】「俺妹」受難曲03」稿(2011/08/15 (Mon) 21:59:33)には、旧板No.7886「二玄社の故宮複製について調べてたら…」稿(2010/12/27 18:35)を転載した。その中で、こう書いた(↓)。
http://imoshiori.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7361138
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> それより、久しぶりに昔の「出版ダイジェスト」を見てビックリしたのは、名前に見覚えのある人が「複製絵画論(その一)~(その五)」を連載していた事。なんと、若き日の井尻千男(!)。今では保守系論壇で活躍中の拓殖大学名誉教授でやんす。『WiLL』か『正論』か「チャンネル桜」で蘊蓄披露した事はあるのかしら。
>・「その一」1187号(S61.12.11付)「小林秀雄のゴッホ」
>・「その二」1199号(S62.04.01付)「マルロー“空想の美術館”と複製技術の進歩」
>・「その三」1212号(S62.06.23付)「崔白「双喜図」と近代リアリズムの精神」
>・「その五」1233号(S62.12.11付)「胸中山水の極北」
> 紛失したのか、「その四」が載っている筈の号は行方不明…(泣)。
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 だから「なんてこった」と相成った。~しかし今夜は別のネタが主。

http://www.nhk.or.jp/bakumon/
 NHKの「爆問学問」(↑)が最終回を迎えた。ゲストは中野三敏氏で、神田の古書店街を巡る。見終えた途端、無性に書き込みたくなった。…とどのつまりは、ただの番宣。しかも放送終了後の。ただし再放送予定がある。これを宣伝したかった。上記サイトを見たところ、「2月28日(火)午前1:30~<総合>再放送予定です」と書いてある。
 サイトのゲスト紹介欄に「近年は和本リテラシー向上のための啓蒙活動で知られている」と書いてあるが、放送ではそこまで踏み込んでいなかった(編集段階で削除されたか?)。要するに、「読める様になれば活字に翻訳しなくとも読める」って事である。

 桜番組での西尾先生は戦前の本を重視しているが、それが江戸時代へと繋がっている事まで想像力が及ばないとするならば、やはり活字の壁(或いは書字準拠印字の壁?)はハードルが高いのだと云わざるを得ない。この手の視聴者は初めから、「読めないのは当たり前だ」と、開国以前への理解を心のどこかで諦めている。「実技を必要としない書道」は「読める書字文化」に直結する。それを学校も初めから諦めている。学習指導要領の表層ではなく、深層にある無意識すなわち「常識」の領分で、「予め教育を諦める」という反日的使命が、総ての教員に義務付けられている。
 西から昇ったお日様が東に沈む。これでいいのか。~桜番組を見て、そう思った。

 …と書いて投稿しようとしたら、奥様からのレス発見…。(いつも脱線ばっかしてて相済みません…。番組で西尾先生が言及してた、昨年亡くなった人って誰かな…。)
【2012/02/24 01:14】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



 非表示独白。愚痴。…前日に書いたばかりの自稿を読み返して推敲不足を見つけると、読む側の気分も大体そんなものかと思いやられて何やらビミョー。「活字の壁」の後に「ハードルが高い」はないだろう。「ハードル」は余計だった。
 あたしゃ気付くのがいつも遅く、天バカ板でも同じ事を繰り返す。ワーグナーのを「四部作」と書いたら自分で自分に惑わされ、《神々の黄昏》を「第四夜」と誤記した事に気付いたのが十年後。正しくは序夜から第三夜までだった。あと「書は神術」と云った人を日下部鳴鶴と誤記した事に気付いたのも一年後くらいだったかな。正しくは高田竹山の筈。しかし~これも間違いだったなら、訂正したつもりが恥の上塗りになっちまう。
 件の桜ビデオについては、その後こんな感想を発見(↓)。
http://applepietea8.blog60.fc2.com/blog-entry-248.html
 昭和62年の井尻先生について書いたのも、一年後に読み返すと不適切だった様な気がしてくる。五十歳直前が「若き日」と云えるのか戸惑う。ビデオでは今も髪がふさふさしているが、片や西尾全集のパンフ写真(あれって何歳?)では既にきてる。ビデオに映ってるのは湯気かしら、と思ったら髪の毛だった。みんな服装は洒落てるなあ。
 アルファベット、あたしゃ手書きのは読めないゾ…(orz)。
【2012/02/25 01:40】 | # [ 編集]
8「近況補記」稿の補記 ( 苹@泥酔 )
2012/02/17 (Fri) 01:17:54
 予定の新稿、なかなか続きを書く気になれない。セレブ奥様ブログの洗濯機ネタに託けては内心「何か使えそうなネタが思い付かないかなあ」と、このところアレコレ脱線しながら書き込んでいる(↓)。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1252.html#comment
 そんな最中、此処の「近況補記」稿(2012/01/21 (Sat) 19:37:56)を読み返して気付いた事がある。あちら奥様ブログの「2009.04.20 (23:01)」稿で、私は「昨年クリスマスの拙稿で触れたフォード本の場合」云々と書いた。その時のを久々に確認したところ、非表示稿だった事が判明。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1149
 大袈裟に考えると、西尾幹二『天皇と原爆』(↑)のネタからは「苹に誑かされた西尾センセ」って構図が思い浮かばぬでもない。…同書は既に買ってある。ただし『WiLL』や『正論』共々、未だ車の中に置きっぱなし。書店では立ち読みしなかった。しかしネット上で見る目次は、ともすれば物騒と云えなくもない。なにしろ「闇の宗教」が出てくる(↓)。この表現を初めて見たのは『諸君!』2009.6号の「白熱8人ラスト大座談会」記事で、こんな遣り取りがある(P.236)。それぞれ西尾幹二、宮崎哲弥、田久保忠衛。
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> 西尾 それはわかりますが、そうしたアメリカの脈絡なき挙動の裏にいったいなにがあるのか。
> 私は、アメリカは一種の「闇の宗教」をかかえているとみています。
> 宮崎 や、闇の宗教!?
> 田久保 おいおい、そりゃ社会科学じゃないでしょう。西尾さん、いい加減にしてくださいよ(苦笑)。
> 西尾 いやいや、いいかたが悪かった(苦笑)。近代国民国家は、ヨーロッパにせよ日本にせよ、中世、つまり封建制をへて民主国家になった。しかし、アメリカは中世をへていない。ピューリタンの国で、「きれいごと」を言わないと身が持たない。それでいて中世のヒューマニズムを知らないので、古代奴隷制をそのまま受け継いだような部分がある。
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 もしユダヤ絡みのクレームが来て絶版になるとしたら、問題になりそうな部分は拙稿と若干の関わりがあるかも知れない。そこで念のため、どんな契機で話題が脱線して行ったのか、その辺の事情を明らかにして置きたい。
 まだ読みもしないうちから変な妄想をするのはどうかと思うが、西尾先生の本は上梓後十年も経たぬうちに絶版となるケース(PHPとか)が結構ある気がするので、取り敢えず買って置くに越した事はなかろう。


(以下、旧稿再掲)

 今年のイヴは羽目を外して脱線話(いつもの通り非表示ね)。~今日は焚書本の続巻を買ったついでに『WiLL』二月号も仕入れてきた。パラパラ捲ってたら目に留まったのがP.189、下記の通り焚書本への言及がある(秦郁彦)。
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> だが、一九三〇年代から四〇年代にかけて(今もそうだが)、わが国の書店にはコミンテルン、ユダヤ、秘密結社フリー・メーソンなどの陰謀を警告したり、本当に悪いのはイギリスだというたぐいの本が並んでいた。小学生だった私も、わくわくしながら何冊かを読んだ記憶がある。
> 近刊の西尾幹二『GHQ焚書図書開封』(一部は本誌一月号で紹介されている)には、この種の図書もふくまれているが、無知のゆえではなく、知りつつだまされたのでも免罪してもらえるのだろうか。
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 なんか「焚書本にはトンデモ本も紹介されてるよ」と言いたげな書きぶりだが、これを見た途端すっかり忘れていた一冊を思い出したのだから感謝感激あめあられ。…ホレ、世に「果報は寝て待て」と云うではないか(なんのこっちゃ)。

 その本の奥付を見ると1993.8.31の発行とあるから、その頃に新刊書棚で見つけたのだろう。どうやら合本構成みたい。先ずは「編・訳者前書」から引用(↓)。
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> 本書はHenry Ford Sr.;"The International Jew" 1920の翻訳である。私が所持している原書は、一九二〇年に初版が出てから二十八年後の一九四八年にイギリスで出版されたものの復刻版で、アメリカのEmissary Publications(9205 SE Clackamas Rd.,#1776 Clackamas OR 97015)から購入したものであるが、初版本と内容が大きく異なると推測されたので(重なる部分もある)入手しようとしたが果たせなかった。そこでやむをえず、昭和二年(一九二七)に日本でドイツ語訳本から邦訳された『世界猶太人網』(二松堂書店、包荒子訳)を底本とし、前記の原書を参考にしながら、現在の読者の便宜をはかって現代日本語に編集しなおした。いささか面倒な手続きを踏んだが、時代の流れに大きく棹さした本書の影響力を見たような気がする。
> 本書の著者のヘンリー・フォード(一八六三~一九四七)とは、あのT型フォードで一世を風靡した自動車王本人である。その彼が、なぜユダヤ問題にこれほどまで深く関与することになったのか――きっかけは次のような彼自身の体験にある。
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 …以前デパートの催事場で古本市を覗いた時、戦前の『わが闘争』邦訳を見つけて立ち読みした事がある。一部割愛した箇所がある旨の断り書きに「さもありなん」と思った。洋書の邦訳は古来ゴマンとあるから、秦先生が美少年時代に読んだ本にも当然それらが含まれていた事だろう。大体の中身は覚えていても、著者名まで記憶に残っているかどうか(当時の日記に書いたのが今も残っているなら話は別だが)。
 つまりねぇ、日本人のトンデモ感覚は元々が西洋のトンデモ譲りだって事。トンデモ本を輸入して、それを元にして日本人があれこれ書いた。そうでもしなきゃ、コミンテルン、ユダヤ、フリーメーソン等々について妄想を膨らませるのはキツイぜ。しかも突然に思い出した本の著者がアメリカの自動車王と来れば、権威に弱い日本人の端くれとしてはメロメロになるっしょ、普通。現に私がこの本を買った最大の理由は著者名だったもん(内容は購入当時どうでもよかった)。
 戦前どんな風説が「国際的に」流布されていたかを知らずして、ドイツ第三帝国のホロコーストを理解する事は出来ない。それと同じ事が日本にもアメリカにも云える筈。~「正しさ」にも色々ある。「風説含み」の時代理解として正しく理解する方法もあれば、時代感覚を犠牲にしてまで「本当の正しさ」を追究する方法もある。そして両者は必ずしも相容れないとは限らない。前者は後者を包含できるが、後者は前者を包含できないかも知れない。中には、「正しさ」を追究したら「生きた文化」が消化不良に陥ったケースもある(私の場合は楷行草の変遷研究事例を挙げたけど)。
 …中盤に出てくる「編・訳者序」も引用しとこうか(↓)。
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> 本編は、昭和十五年に日本で出版された『ユダヤ議定書』(エス・ニールス編/久保田栄吉訳)を底本にし、同年にアメリカで出版されたGeorge Armstrong;"The Rothschild Money Trust"(邦訳『ロスチャイルド 世界金権王朝』徳間書店)と日本で出版された『世界の猶太人網』(ヘンリー・フォード著/包荒子訳)に所収の議定文、および昭和九年にイギリスで出版されたVictor E.Marsden;"The Protocols of The Meetings of The Learned Elders of Zion"を参考に、今日の読者が読みやすいように編集し直したものである。
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 色々なのが出てたのね。…問題は次の「編・訳者後書」。先ずは御覧あれ(↓)。
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> すでに邦訳が完了して各方面に流れている文書がある。それはこの六十年間に三度も発禁になったという。一度目は一九三三年、二度目は一九八二年、三度目は一九八三年のことである。
> 私が入手したのは三度目のもので、その扉を見るとTHE FINANCIAL SOURCES OF NATIONAL SOCIALISM : HITLER'S SECRET BACKERS by Sidney Warburg(Translated by J.G.Schoup)そして出版社は、RESEARCH PUBLICATIONS,INC.PHOENIX,AZ 1983となっている。
> 日本語になおすと『国家社会主義の財源――ヒットラーの陰の支援者』シドニー・ワーバーグ著(J・G・チョープ訳)で、版元はアメリカのアリゾナ州フェニックス社から一九八三年に発行とある。
> 興味ある文書だったので、入手した段階で早速アメリカの版元に問い合わせてみたところ、「うちではそんなものは出していません」との回答を得た。三度目の発禁があったと判断したので自由に使わせていただくことにした。
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 なにやらこの本、「アメリカの銀行家達がナチス創設支援に数千万ドル提供」って内容だそうな。そりゃ発禁になるわな(苦笑)。
 気になったのは、戦前も戦後も一貫して続いてる「発禁」の流れ。西尾先生の云う「焚書」ってぇのは、GHQが日本に「発禁文化」を恒常的に(!)持ち込もうとした嚆矢だったのではなかろうかって事。そう捉えて構わないなら、日本が戦後ずーっと「発禁」を続けていてもおかしくなかった事になる。それを「焚書」と最初に呼んだのは誰だったのかな。「発禁」と「焚書」とでは明らかに言葉のインパクトが違う。
 ドイツでは1982.12.1の出版予定が潰された模様。1983年アメリカ本の編集者コメントには、1933年オランダ初版本に関するこんな内容があるそうな(↓)。
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> だが本棚に並んだのはわずか数日であった。破却されたのである。すべての本は――偶然に残った三冊以外――本屋からもち出され、本棚から姿を消した。
> そして、このことは極秘のうちに実行された。
> 生き残った三冊のうちの一冊はイギリスに落ちのび、英語に翻訳されて大英博物館に保管された。オランダ語本と英訳本はのちに閲覧図書から外され、現在では調査のためであっても“利用不可”となっている。
> また、オランダ語本の二冊目については、オーストリアのチャンセラー・シュッツニング(Chancellor Schussningg)が入手したが、現在は所在不明である。
> 三冊目はスイスに落ちのび、一九四七年にドイツ語に翻訳された。この独訳本は数年前私がチューリッヒのSchweizerichen Sozialarchivで発見したが、それにはオランダ語からドイツ語に訳した翻訳者の宣誓書と本の批評が付けられていた。私は独訳本を数部コピーし、英訳を依頼した。それが読者がこれから目にする英訳である。
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 気のせいか、このコメントからは胡散臭さが感じられるけど…実際どうなのかしら。こんなネタをシコシコ書き綴るなんて、今年はいつになく暇…じゃなくてロマンチック(?)なイヴになったみたいだなあ。…あ、そうか。いっそ悪乗りして、この際「西尾先生へのクリスマス・プレゼント」に仕立てちまえばいいんだ(爆)。
 でも上記種本は島講一の編・訳による『国際ユダヤ人』(徳間書店)だから、西尾先生ならとっくの昔に編集者経由か自前で入手済みの可能性が高いし…。まあいいや。ここは一つ丸投げって事で、奥様の采配にお任せしよう。
2008.12.25 (03:45) / / [EDIT]
8大地震ネタ ( 苹@泥酔 )
2012/01/29 (Sun) 07:23:56
 産経に、こんな記事(↓)が載っていた。御覧の通り豪雪ネタだが、地震の影響は確かにある(だって苹は青森在住だもん)。~この際、昨年の大震災に絡む一連の投稿を出してみる。おちょくり塾に出したのが地震ネタの最初で、その後は奥様ブログのコメント欄にあれこれ書いた。差し当たっては昨年三月分を全部と、豪雪ネタに関連する五月のを一つ。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120128/dst12012823230024-n1.htm
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>積もる除雪費、底つく予算 大雪に苦悩の自治体…震災派遣でダンプ不足も
>2012.1.28 23:20 (1/3ページ)[天気・気象]
>連日の豪雪で除雪車の出動回数が例年よりも多くなり、自治体財政を圧迫している=27日、新潟県津南町(松本健吾撮影)
> 記録的豪雪になる可能性もでてきた今冬の降雪。北・東日本の日本海側の自治体では、すでに今年度当初予算に計上した除雪費を使い切ってしまい、予算の増額を迫られるところも出てきた。さらに、例年なら除雪した雪を郊外へと運ぶトラックが、今冬は東日本大震災の復興工事のため被災地に派遣されており、除雪作業に遅れが生じる事態にもなっている。
> 気象庁のデータによると、毎年大量の積雪が観測される豪雪地帯の昨年11月以降の累積降雪量の平均は306センチ。「12月中旬の降雪シーズン入り以降、ほぼ連日、雪が降り続いている」(同庁)ことが、除雪回数の増加につながっている。
> 11月以降、累積降雪量が平年の378センチを大幅に上回る453センチ(27日現在)となった青森市では、当初見込んでいた除雪費20億3千万円の予算の9割以上をすでに支出してしまった。費用はシーズン終了までに総額30億円程度に上る可能性があるという。累積降雪量が10メートルを超え、最近10年では除雪費用がもっともかかった平成16~17年の支出額に匹敵する。
> 青森県弘前市では28日夕に積雪90センチを記録。今シーズンで最も深くなり、平年値(50センチ)の1・8倍となった。当初予算5億円の除雪費も底をつき、今月10日に4億円を緊急追加。このうち、すでに3億円近くを使っており、さらなる増額を余儀なくされている。
> 両市はほぼ毎年、補正予算で除雪費を増額しているが、弘前市の担当者は「雪シーズンは2月が本番。冷え込みが続けば雪が凍って除雪車の効率が下がってしまい、さらに費用がかさむ」と危惧している。
>
> ■郊外に運べない
> 東日本大震災の影響が、思わぬ形で除雪作業に遅れを及ぼしている自治体もある。被災地の復興工事で例年委託しているダンプカーが出払ってしまったためだ。このため、除雪車で雪を道路脇に積み上げても、処理するため郊外に運ぶことができない。
> 青森市では、「早く雪をどかしてくれ」「除雪はまだか」といった苦情が殺到。昨年同期よりも3千件以上多い、8600件を超えるまでになっている。市の担当者は「こんなところに地震の影響がでるとは…」と戸惑いを隠せない。ダンプカーの被災地入りは青森市に限ったことではなく、同様の悩みは他の自治体も抱えている。
> 新潟県十日町市では東日本大震災の翌日、長野県北部地震で震度6弱に見舞われ、道路の亀裂や土砂崩れが発生。昨年7月には豪雨災害にも遭った。そして、この大雪だ。市の担当者は「自然災害に振り回されっぱなしだ。まだ補修が手つかずのところがあるのに…」ともらす。
> 同市は「(民間に委託した)除雪費用の支払いができない状態に陥る」として、市長の専決処分で5億2800万円を増額補正。例年1月から除雪作業を本格化させるが、今冬は12月からフル稼働状態だ。
> 長野県北部地震で約200世帯が全半壊した長野県栄村では、仮復旧した道路に段差があるため、除雪車でスムーズに雪を取り除けない。担当者は「このまま降り続けば除雪が追いつかなくなってしまう」。
> 雪下ろしや除雪作業中の死傷者も増えている。青森県は26日夕現在、死者9人(前年同期比7人増)、重軽傷者が142人(同67人増)に達した。栄村では1月6日、自宅の屋根で雪下ろしをしようとしていた男性(41)が転落。その後死亡した。男性は長野県北部地震で被害を受け、仮設住宅に入居していた。(森本充、川畑仁志)
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(以下、東日本大震災当時の投稿)
●おちょくり塾
Re: 東日本の皆さんへ - 苹@泥酔 2011/03/12(Sat) 15:22 No.8620
 只今、停電より復旧。四十年くらい前のナショナル製ラジオも、最新型(?)の中国製ラジカセも、ぜーんぶイカレてた。中国製の数年前に買ったらしきパナソニック製ラジオは電池が長持ちするのね。光電話もネットも不通になった。携帯電話は持ってない。
 ほんと久しぶりにラジオ使った。今は原発が気になる。自衛隊では津波で戦闘機オシャカみたいだし、防衛体制が手薄になってなければいいなあ。夜は午前四時、長野と新潟の一報にビックリ。(体験した東北三連続よりも。この調子だと関東のを誘発するんじゃないかと…そうなったら東北支援どころじゃなくなるぞ。)
 天バカ板に出した地震前日稿(了)が苹の遺言にならなくてよかった。…それはそうと、たくさん死んだんだなあ…(合掌)。
 …と書いたりなんだりしてたら、もう停電復旧から三十分以上が経っちまった。これからセレブ奥様ブログに何を書こうか。コピペはヤだし、考えてるうちに自ずと夜がくるのかなあ。(考え過ぎると論文調になる…orz)
 あ。今、余震きた。



●セレブ奥様ブログ
 あの地震は確かに未経験レベルでグラグラ揺れたけど、まさか明治の初観測以来、ほんまもんの最大級だとは思わなんだ。…生きててスミマセン。(死んでりゃ書教育界には好都合だった?…てな気がしないでもないので、なんとなく気分は非表示。)
 津波の被害規模には西尾先生もガクブルだったみたいね…。こちらは程々の震度と停電で済んだけど、それとて東北全面規模の広域停電となると、ホッとしてばかりは居られない。もし、何年か前に大停電のあったNYが敵国の地理的近辺にあったとしたら。敵兵も住民も居ない津波の跡地に上陸できるとしたら、最有力候補たる敵国は差し詰め何処かいな。こちらは停電だから、碌にネットも使えない。そんなのを「危機管理上は穴だらけだな~」と思ったのは、昔の黒電話に慣れてたせい…だけかしら。
 東京方面も同じくらい揺れてたとは知らなんだ。
 光電話も携帯電話も、電力ないなら、ただの屑。
【2011/03/13 01:27】 | # [ 編集]



 追記。~昨日、こんな内容を2chに書いてみました(↓)。
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その日の朝は予定通り、婆様を青森県立病院つれてって、帰りにスーパー寄ったのよ。
いつもあるはずのチェーン店に、婆様の好きな鍋焼きうどん(冷凍)が置いてない。
何軒か回ったけど、ない。もうじき昼だし、総菜コーナーなどであれこれ買っといた。
帰宅して、2ちゃん見ようとノートパソコン立ち上げて、ネット接続直後グラリときた。
柱にとまって蝉の真似しながら数え続けた。ひとーつ、ふたーつ(略)にゃにゃーつ…
はい落ちた。停電だ。八十以上数えてもまだ揺れてた。パソコン見るとネット切れてる。
階段おりてルータ見ると落ちてる。光電話もダメ。老人家庭に携帯電話なし。さて困った。
そこにグラリ。またまたグラリ。でかいのが三回も。そこで初めて車のラジオを確認した。
日本語と外国語が混線してる。ついにきたか。いや、そうではないらしいので安心した。
ストーブだめ。道路の信号機だめ。車で外出は危険。コリャ暫く停電が続きそうな感じ。
乾電池も買っときゃよかった、と思ったのは、空がぼちぼち暗くなり始めた頃だった。
秘蔵の乾電池を探したところ、意外にも単三が少ない。単一と単四ならあるんだけれど。
携帯ラジオは一つだけ生きていた。半世紀前のは死んでいた。懐中電灯は各部屋にある。
乾電池とAC両方を使えるセンサーライトが二つある。それにはリモコンのを転用した。
婆様が戸棚から蝋燭を出してきた。やっぱ夜は蝋燭が便利だね。火事さえ出さなければ。
それで一晩を過ごした。だんだん寒くなる。AC無用のストーブは爺様が処分したそうな。
センサーライトが便所に光る。そのとき一羽のカモメが飛んだ(小便を、シャーッとね)。
買った総菜を食べる気になれない。この寒さだ。悪くはなるまい。明日の夜に食べよう。
ふと、目が覚めた。その頃、枕元のラジオ(つけっぱなし)が午前四時の地震を報じた。
これはまずいぞ。長野と新潟か。支援を頼れるか不透明になった。あちらも大変だろう。
朝に近所のスーパーを回ったら、みな行列ができている。ガソリンスタンドの前も渋滞。
信号機は幹線道路のみ正常。誰もが安全運転していて有難い。スーパーに並ぶのは諦めた。
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 ウソ一つ書きますた(汗)。「帰宅して、2ちゃん見ようと」したのではなく、その前に「西尾幹二」のキーワードでブログ検索し始めた矢先グラリときたのね。信号機の停電を教えてくれたのは新聞配達の人。あっしが車庫でラジオいじってた時、玄関先で聞いてた爺婆にそう喋ったんだと。停電が復旧したのは地震発生から丸一日後の、午後二時半を過ぎた頃でした。ストーブは暖かいねぇ。
 大体そんな感じでした。こんなの読んでも面白くないだろうから非表示としまっす。
【2011/03/14 06:51】 | # [ 編集]



 またまた追記。「日録」共々拝読。~どんなに工夫しても報道内容の画一化は免れない以上、全方位の品薄インパクトが気になります。嘗てはトイレットペーパーに偏在した興味が、今回は違う。石油危機のを軍事攻撃の「向き」に喩えるなら、全方位の今回は津波と同じで、下から突き上げて丸ごとモリッとくる。
 「向き」と「量」の違いが一度に出る。「石油から紙へ」の流れだけでなく、「紙などから石油へ」みたいな逆の流れを含むもので、しかも「紙など」も「石油」も実際どうだってよいくらい代替可能。だから紙「など」が米やカップ麺や乾電池でも、石油が電力や株価情報でも構わない。仮に(造語して)前者を物質象徴、後者をエネルギー象徴と捉えるなら、後者が前者を呑み込む流れは一時的であるがゆえの「退いて・寄せて・退く」津波効果を持つ様な気がしてます。
 こんなふうに津波に触れると無神経と思われるかも知れないけど、そう思うんだから仕方がない。心理的相似(フラクタルの?)とでも云えばいいのかしら。とにかく「何かが違う」って予感があるのよね。人は必ず模倣する。また関東大震災や阪神淡路のが局地的に見えるのは、今回のが局地的とは思えないから。その上、初めから原子力エネルギー危機とセットになっている。そうした情報の波が「量」の寄せる向きを「量」自体からはぐらかしてる様な。そこんとこが石油危機と違うけど、むしろ文明開化には似ている様な。
 そもそも西洋は開国させ植民地化したがっただけで、攻撃が目的ではない。ところが日本は勝手に文明開化を始めた。西洋の誰が望んだのでもない筈。しかし日本から見れば、「文明開化」の寄せる向きの来歴を、例えば黒船で象徴したくもなる。量的な破壊効果は確かにあった。それを質的と捉えた。~もし今後、世界が日本に質的変化を嗅ぎ取るとしたらどうなるか。
 大袈裟な思い過ごしなら、こんなの恥ずかしくて表示稿にできない。でも仮に「当たらずと雖も遠からず」なら、日本を見る世界の目がガラリと変わるかも。そこが恐ろしくて表示稿にできない。日本は挙国一致に向かう。民主党政権の支持率が上がるかも知れない。もし中国の大規模援助を取り付けて復興が加速したら、誰も復興には反対できない。そんな所から自縄自縛が始まり、やがて中国の影響から抜け出せなくなる。
【2011/03/15 00:00】 | # [ 編集]



 以下、気になる記事をピックアップします。
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2011/20110317094746.asp
 昨夏の猛暑によるホタテ全滅危機に続き、「今年秋までの大切な加工原料」が危機に。「気仙沼など(三陸沿岸の)すべての漁業が壊滅状態」となった今、辛うじて被災を免れた水産物が「まだ寒いから(冷凍品が)救われている」状態との事。
 寒さが緩むと傷み始め、ともすれば半年分の貯蔵が失われる。今後の漁獲も困難。原発リスクを抱える南東北は就中、国際的な汚染懸念やイメージがどうなるか不透明。
 被災地域を「総て津波で流された」と思い込めば、それ自体が盲点になるのかも。このところテレビを見ていると、いつの間にか津波と地震を混同しそうになる…。
 その他、この辺(牛乳絡み↓)が脳内結合。
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2011/20110318085544.asp
http://sankei.jp.msn.com/world/photos/110317/chn11031700510000-p1.htm
【2011/03/18 18:31】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]



 落ち着こうとすればするほど胸騒ぎがしてくるので追記。~復興するには貯蔵資源の有効活用を考えずには居られない。被災地だろうと何処だろうと、どうにかできる筈の資源がむざむざ無駄になるのは余りに勿体ない。一日遅れで読んだ紙面で八戸の貯蔵水産物危機を知った。あれだけ広範囲の地震だ。同様の例が各地にあるだろう。
 今にして思えば異変は前々からあった。青森県の場合、猛暑によるホタテ危機が表面化したのが十月十七日頃(←此処=奥様ブログで非表示報告した日付)。そこから地道な対策が始まったと見ると、業者達の心情いかばかりか。海面の沿岸被害に留まらず、今後は海中の漁業被害が明らかになる。半年の努力が一度に無駄となる愚は避けたい。
 事は国民や輸出先の食糧事情に関わる。世が世なら兵站だ。原発での遅れを繰り返してはならない。目先の品不足に目を奪われて半年後の食糧を忘れる様では、却って世界のお荷物になる。各国の失望は先ず原発から始まった。限度を超えた失望はやがて不信や敵意に変わる筈。シーシェパードなどの反日活動が元通りとなる前に、近海資源の再調査をなるべく早く済ませる必要がある。
【2011/03/19 01:36】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



 拝復。~苦しむと云うより相対的には、八戸が補給の最前線基地へと変化(岩手の盛岡近辺も)。そこが燃料不足では話にならない。岩手や宮城の漁港で水揚げされた水産物が何処に貯蔵されていたか、被災程度は如何か、分からないのが歯痒くもある次第。
 支援の南方ルートは途中の福島が気懸かり。北方ルートの方は自衛隊が地震後早速、営業不振で休眠中の最新鋭高速フェリーを叩き起こしてたし、北海道の貯蔵物資を本州に運ぶ上で青森港は無傷。盛岡までの高速道も大丈夫だそうですが、そこから先が難しい模様。
 以前、盛岡から沿岸に行った時は主要幹線道路の狭さが気になりました。山のど真ん中を突っ切る形が障碍となりやすく、沿岸への大量輸送は船が頼りみたい(ここ数十年は道路網が発達)。ただし気候は厳寒なれど雪が殆ど降らない筈。内陸と沿岸が豪雪で断たれるケースは主に日本海側か。
 従来の地震で最も怖いのは、内陸と太平洋側が山崩れで断たれるケースだと思っています。そこに津波が重なると、東西(山と海)の挟み撃ちになる形。宮城の方まで行くとどうだか分かりませんが、青森から岩手にかけての地理的印象は概ね上記の通りです。
 あと燃料問題の一側面についてですが、遠回りしないと怖くて通れなかったりしますからねぇ…。例えば弘前と八戸の場合、安心なのが野辺地や青森を迂回したルート。八戸から十和田を通って弘前に行こうとすると、何かあると山が命取りになる。こうした点は岩手の方が青森より遙かに切実だろうと思っています。
 以下、余計な一言。~民主党は自民八戸出身大物議員をターゲットにして断られた様だけど、チーム仙谷を復活させる胆力があるのなら、いっそ岩手出身のチーム小沢と大連立する方がポポポポーンと筋は通るんじゃまいか?(もしや既に断られた?)
【2011/03/19 17:27】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]



 続報。~福島から避難した人々が八戸に来ている。
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2011/20110320091307.asp
 本日午後六時台後半のNHKニュース(青森)によると、その一部は福島から山形方面に避難しようとしたが避難所は満杯で入れず、日本海側ルートで八戸まで来たとの事。
 同じくNHKニュースによると、八戸の津波襲来地域で死者が少なかったのは、避難するまで二時間の猶予があったためらしい。うち一人は地震後に帰宅して和装を動きやすい服装に着替え、迎えに来た夫の車で避難するまで一時間半以上かかったらしい(津波は三十分後に襲来)。二階までスッポリ浸水した家の映像が流れた。津波が大きくなった原因については八戸工業大学の専門家が推測していた。
 ほか、「八戸の油槽所が一部出荷再開」(↓)との報がある。
http://www.nhk.or.jp/aomori/lnews/6084783091.html
【2011/03/20 19:46】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]



 連日スマソ。此処に書いたって仕方がない気がせぬでもないが、見る人を通して情報が拡散して行けば案外そうとは限らないのかも。まさか議員様なんか見てないよねぇ。似た事を考える人は何処にでも居る。例えば自民党の副総裁とか(↓)。
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2011/20110320191840.asp
 宮城の漁業被害については、「冷蔵庫も壊れ、氷も電気もない。解けかけている魚をどう処理すればいいのか」との発言に心が痛む(↓)。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103210136.html
 しかし、と云う事は、あれだけ被害甚大な気仙沼漁港にも少しはストックが残っている。それが全滅の危機に瀕している。陸上がダメなら、せめて冷凍設備のある船を手配し移動できないか。~検索したところ、もうじき消えるだろう下記テレビ局サイトを見つけた。「気仙沼漁港は津波で大きな被害を受けましたが、船の接岸が可能な岸壁もあり、20日も軽油を乗せた漁船が入港していました」と書いてある。
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210320015.html
 その他。~先日シーシェパードに言及した。どうやら墓穴を掘ったらしい(↓)。
http://ninja.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1300686173/l50
【2011/03/21 20:12】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



 だって此処は、泣く子も黙る(?)奥様ブログでしょ。しかも実態は西尾「日録」管理人で、人徳と云ったらソリャもう(以下自粛)。これを利用しない手はない。此処を訪れる人達がコメント欄まで目を通してくれるなら、それだけでも充分「寄生虫=苹には本望」ってもんだ(苦笑)。
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2011/20110320231847.asp
 奥様は、たぶん青森と同じくらい(↑)ターミナルになってるんだ。そう思いたいけど、そのためにはコメントの質をもっと向上させなきゃなあ…(orz)。
【2011/03/22 00:15】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



 同じく。年寄りの冷や水(まだ早くても、なんでも。赤いチャンチャンコ思い出してちょ)。ガソリン難民になる可能性大。かと云ってヘタに積めば揮発して車が炎上するし、二日に一食で構わない苹でも食糧問題はやはり気になる。ウトウトして目が覚めたらいきなりコレで、ビックリして酒まで醒めちまったわい。どうしてくれる(苦笑)。これから飲み直して、また寝よう。別項への返信は後回しにする。

 以下は十日ほど前2chに出したやつ。ただし自慰的って意味の批判らしき反応あったけどね。そしてこれをきっかけに「云われてみれば…」ってんで、やがて視線が貯蔵水産物危機へと向いてった。
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>「いいかい、バカって言うほうがバカなんだよ。」
>…間違えた。
>「いいかい、燃料ってのは、使うから減るんだよ。」
>
>これから数週間、燃料ボイコットすれば電力は維持できる。ただし継続する必要はない。
>耐えられないなら暖房いれろ。早めに消せば、いつでも使える安心感が心の燃料になる。
>それは貯金が安心材料になるのと同源だ。いっそ、電力を貯蓄するつもりで振る舞おう。
>ただし、そのためには担保が要る。東京電力は、計画停電から緊急停電に方針を変えよ。
>緊急停電はブレーカーが落ちるようなもの。使いすぎたほうが悪い。まずは体験ありき。
>予測通りダメだったら、計画停電すればよいのだ。順序を間違えたところに安心はない。
>安心とは余裕である。余裕とは未遂である。未遂ゆえの安心がある。これを担保という。
>もちろん、そのためには非常時指針が要る。指針なき「無知の贅沢」は避けねばならぬ。
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【2011/03/24 00:30】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]



 停電未遂の地域が多い事に安堵しています。計画停電の実施が直前に通達される方式は、地震予報みたいなタイムラグを置いて緊急停電するのも同然。それによる混乱は予め織り込み済みだったのかも知れないけど、あれを2chに書いた時点で「非常時指針」と形容したものが「計画停電」だったと見るなら、それなりに納得できるのでやんす。
 そもそも、計画停電の言い出しっぺ、って誰?
 それを緻密にどうにかしたのだから大したもんだ。この点では東京電力を褒めたい。「予測通りダメになるみたいだから計画停電した」って事だと思います。しかも未遂多発。これは予測できなかった。やつら律儀で真面目な日本人だぜ。てっきり計画通りに停電するものとばかり思っていた。後は夏が勝負所かな。
 原発対応ではなんぼでも批判して構わないけど、平時の閾下で対応可能な領分で蓄積されたノウハウは流石。都民という土石流を見事に支えてくれた。もし計画通り四角四面に停電していたら、それこそ大変な事になっていたんじゃなかろうか。
【2011/03/26 23:06】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(追記)
 …と書いてはみたものの、果たしてそれでよかったのかどうか。「余裕」も見方を変えれば「無駄」となる。高コスト体質への罠か、はたまた「含み損」か。無駄に敏感なリストラ風潮を敷衍すれば、非正規雇用への転換は人件費削減に役立った。そして~これを書くと非難囂々なんだろうけど、死にかけた人にはさっさと死んで貰った方が安くつくんだよなあ(支援の必要がない)。しかしそれでは地域経済が成り立たず、いづれ自分の首を絞める事も皆よく分かっている。でも復興それ自体がどのみち巨大なコストなんだから、こればかりは誰だって頭を抱えざるを得ない上、余震も原発問題もまだまだ続いて更なるコスト増大中。そこに「余裕」なんて見方を持ち込む苹の方が、頭どうかしているのかも知れない。
 『WiLL』の震災特集では、西尾先生も何か書いてるそうですね。どの月刊誌も震災特集するだろうから、一通り出揃ってから買いに行く予定です。奥様は無事帰還の様子にて安堵。次の「日録」がどんな内容になるか、ちょっと怖い様な気もしてます。また「おちょくり塾」では北の狼様が久々の復帰、難しくてよく分かんないけど勉強になりそう。
【2011/03/27 21:33】 | # [ 編集]



 青森では太平洋側にタンカー接岸、燃料が手配できたので今日からゴミ収集が正常化した模様。四十年の昔馴染みになる石油販売所は先週、灯油の配達が今日になると教えてくれた。先々週は閉店中にもかかわらず、「ガソリン入れるならすぐに来て」とあちらから電話で教えてくれた。
 ~ここ数年、どのスタンドも見た目やサービスはたいそうよくなった。県立病院付近の国道沿いには、車列が信号機の向こう側まで続いていた。それを公平と云うならば、所謂「ご近所」とは何なのか。タイ米を緊急輸入した年に国産米を回してくれた米穀店が廃業してから何年が経つかしら。こちらは今、専ら近所のスーパーマーケットで買っている。昔は配達してくれるのが当たり前だと思って居た。(灯油、米、牛乳、ヤクルト、新聞…)
 三十年前、アニメ「サザエさん」では御用聞きとの遣り取りがあり、茶の間には東芝の家具調テレビが鎮座していた。その前はチャンネルを「ひねった」。どこかに当時のテレビの写真があった筈で、画面には洞爺丸沈没のニュースが映っていた。従姉妹の親が乗船していたそうな。先年、その旦那(元警官)達のご一行が愛知から青森まで車を運転してきたのには驚いた(考えてみれば、セレブ奥様だって充分に若いんだよなあ…汗)。
 警察時代は凄いのを見てきたらしい。あからさまな話は聞いた事がないが、うちの婆様も海軍病院では色々なのを見てきたのだろう。後妻に入る前の従姉妹は愛知の看護婦、昔から婆様とよく長電話していた。あたしゃ江戸時代のを立ち読みした時、黒ずんだり膨れたりした後に腐っていく絵はなんとなく分かったけれど、所詮それ以上の理解には及ぶべくもない。
 先日、岩手の話を書いた。盛岡から宮古の田老に行って、ひとり車の中で三十分ほどボーッと海を見つめた後、そのまま当地では何も食わず青森に帰ってきたのが十数年前。苹の観光は大体そうしたもので、宿泊や飲食や温泉には全く興味がない(むしろ苦痛)。あの風景が、今はもうないんだなあ。産経記事を見て、あらためてそう思った次第。合掌。

 以上、だらだら非表示にて苹頓首。~ところで、こちらのオツムは現在、「レンホウ」と「ホウレンソウ」の区別が次第に難しくなりつつあるのでやんす…。結構あれこれ毒されてるのかなあ。魔法の言葉で楽しい仲間がポポポポーン!(←只今被洗脳中?)
【2011/03/28 20:43】 | # [ 編集]



 産経掲載の「日録」拝読。企業が本能的に選択するだろう発想を政治指導者達が一丸となって共有する時、そこに現出する機械状無意識は日本民族の本質的傾向を丸ごと鷲掴みにし、気付いた時は再度の事故…となったりして。こうした国家総動員モデルは敗戦後も「世界で最も成功した社会主義」と云われるほど見事かつ円滑に繰り返されてきた様子。そうした意味で日本人は、今後も「火の玉」であり続けるんでしょうかねぇ…。もし日本が再びヨーロッパに近付くとしたら、今度は内側から、例えば被災者のジプシー化あたりから始まりそうな気も。(平たく云えば、避難所の盥回し。)
 国替え、改易、廃藩置県。これらはどれも上の層で行われてきたけれど、民草が根こそぎ移動する場合はこれまでどうしてきたのかしら。会津から下北半島に移ったのは武家ばかりなのかいな。もし浜通りから下北に落ち着くとしたら、近くにはまたもや核燃施設や東通原発がある(!)。そこで働く事になるのだろうか。西の百五十年後は東からの移住。~こんなの書くと、不快になる人が出るんだろうな。やはり今回も非表示にしよう(汗)。
 …と決めたからには、毒々しいのを「もう一声」。ここで交付金を思いっきり引き上げ、その代わり避難民の定住促進を条件とする(過疎化対策と雇用促進)。政治的には維新時の会津が前例で、説得に成功すれば原発への影響は絶大かつ一挙両得。ただし地元下北と福島移民の両方を雇用するには、もう何基か作らねばなるまい。三沢米軍基地や大湊自衛隊基地には迅速なバックアップが期待できる。更に国際化を目論むなら、観光は「自由の女神」(百石にあるから「ももちゃん」と呼ばれる)、そしてキリストの墓、(以下略)
 最後に、キルドンム様んとこへのお見舞いを…と書いて気付いた。読めないのでは仕方がない。ここはアッサリ、表示稿にしよう。
【2011/03/30 23:13】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



 ふと思い浮かんだ事を、忘れないうちにメモ。
 これから東北以北と日本海側は、大震災と無関係に見える季節を迎えるでしょう。それが雪の季節。地方の体力が極限まで弱まった後、駄目押しの一撃が空から降ってくる。疲弊した地方は豪雪を乗り切れない。燃料はあっても重機不足と予算不足で、除雪システムが本格的に破綻する。幹線道路と鉄道はどうにかなるかも知れないが、そこまで行くためのルートが不通になるので再び物資不足に見舞われる。もしかしたら餓死者が出るかも知れない。それくらい東北にとって豪雪とは恐ろしいものなのである。(少なからず、自衛隊が出動するケースもあった。)
 今のうちに建設業への優遇策を強化しない限り、忘れた頃に付け焼き刃では太刀打ちできぬ自然災害が顕在化するだろう。これまで地方自治体が業務委託してきた土建業者のブルドーザー配備状況を調査して豪雪対策をどうにかしないと、思いも寄らぬ場所で何かが起こる。例えば苹の印象では「岩手は雪が少ない」となるけれども、そうでない場所だって当然ある筈。この事を警告したい。もし西尾先生レベル以上の著名人が動いてくださるなら、それだけ事態予測の認知度も上がるってもんだ。
 大震災の何ヶ月か前、青森では或る土建業者が除雪に関して「次の冬は無理かも」とテレビ取材で吐露していた。その理由が民主党政権による「仕分け」余波。既に重機は耐用年数を大幅に超えており、新規購入するには千万円単位がかかる。それが無理だから上記ボヤキと相成った。…この事、(大震災や原発関連の報道津波に流されて)もう誰もが忘れちまってるのではないか。
 差し当たっては奥様から寝るケーノ議員を経由するか何かして、関西の土建関連ルートか中央政治ルートに大震災支援絡みの重機無償供与システム構築をはたらきかけてくれると嬉しいなあ…と妄想(たぶん実現するまで半年以上かかるだろ)。差し当たり青森はどうでもいいです。非常時ゆえ、先ずは以南重視って事で。非表示頓首。
【2011/05/09 02:02】 | # [ 編集]
8近況補記 ( 苹@泥酔 )
2012/01/21 (Sat) 19:37:56
●前稿中、「2011/12/24 04:03」稿内でこう書いた。
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http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-723.html#comment
> この時は2009.04.19 (20:35)、2009.04.20 (23:01)、2009.04.21 (22:39)の三稿。ただし三つ目は非表示稿だった。その後は、こんな話題(↓)を出した事もあったっけ。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-915.html#comment
> この時は【2010/04/29 16:50】稿。他にも色々と思い出す稿はあるけれど、それはともかく。
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 以下その一々を、非表示稿を含め有り体に再掲する。

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> 坦々塾ブログは礼儀正しく堅実な稿ばかりな上、私の感覚ではどれも短い。また~講演内容に踏み込んだ記事がまだ出ていないのではと訝しむが、或いは皇室関係のがそれなのかも知れない。会員の寄稿を集めている最中か…とも思われる。
> 「水曜日はこちらでぼやき~♪、木曜日は投稿通過~♪」(トゥリャトゥリャ…と歌ってみる)。記事にムリヤリこじつけて「失敗」繋がりのネタを拵えたものの、なんとなく物足りないし居心地の悪さもある。それでも土曜の午後には再び試してみた。あの初投稿は無内容に近い。
> 「本題」は週明けから練り始め(あ…物足りなかったのはそのせいか)、二つの「余談」は金曜の夜に概ね書いた。土曜に仕上げた直後から迷い始め、結局「余談Ⅰ」は出さない事に。二部構成に減らしても、坦々塾ブログには場違いの長さかも知れない。「余談Ⅱ」も本来は予定外だったが、会員様同士の遣り取りばかりなのが気になったので相槌気分で付け加えた。でもいくら同じ本に載ってるからと云って、会員でない私が岩田氏のに言及するのは余計だったかも知れない。
> 実行したらエラーが出た。どうやら長過ぎたらしい。そこで半分ずつに分けたところ、今度はエラーが出なかった…筈。コメント場所は「西尾先生からブログ開設についてのお話」の記事だった。
> 投稿済んで日が暮れて、探しに戻る心では、どうぞ載せていてくれよ…と軍歌「戦友」の替え歌気分で閲覧すると「まだ」でやんす。これはボツになったかな、それとも届いて居ないのかな…と考えてたら一夜が明けて今夜になった。「載せずに本人宛直送」って判断もあり得る。しかし誰にも届かない場合もあり得る。
> やはり奥様ブログに書く方が手っ取り早いかしら、と苹はつらつら考える。するとボツにした筈の「余談Ⅰ」が脳裏を過ぎる。…ま、いいか。どうせ非表示だし。
>
> …と書いて、この後オリジナル三部構成を転載するつもりだったけどヤメタ(非表示にするのも)。西尾先生のに触れた「本題」のみ稿末に載せる。
> あちらのコメント欄で奥様が都市鉱山と「金」の話題に触れていたので、なんとなく本を引っ張り出してたら幕末からの金流出に関する記述が目に留まった。~かてて加えて「日録」に足立様のが登場。「メキシコから奪ったテキサスからカリフォルニアにいたるまでの併合領土」云々…これが気になった。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=820
> 大判・小判の「金貨」が大量流出する代わり、日本に大量流入したのはメキシコ銀ドル貨幣。これを長谷川慶太郎氏は事実上「メキシコ銀本位制」に変わったと見なす。それが正式に法制化されたのは明治三年(1870)で、「本位一円銀貨」の品位・量目はメキシコ銀ドルと同一との事。翌年には渡米中の大蔵少輔伊藤博文が金本位制の採用を促す意見書を送ってきて、新貨条例の制定に至る(新一円金貨はメキシコ銀ドルと等価)。
> …で、その後ググってみると出るわ出るわ。メキシコ銀ドルの担っていたアジア共通通貨圏を奪取するため、イギリスが香港で銀貨鋳造を開始するが中国側に信用されず失敗、その機械を日本が引き受ける(グラバーの仲介?)。日本側もメキシコ銀ドルの地位を奪取すべく円銀の普及に精勤、マレー半島からのメキシコ銀ドル追放に成功。
> これらを読み合わせると疑問が出てくる。アメリカもメキシコ銀ドル通貨圏を狙っていたのではないかと。まだ思いつきの段階なので、或いは噴飯物、或いは常識に属する事なのかも知れないが、それでも発想自体は(下記稿も含めて)西尾先生のお耳に入れてもよいのではないかと思っている。
> ムック次号の締切がどうなっているか、私には全く分からない。しかし「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」と云うではないか。西尾先生に当たるも八卦、当たらぬも八卦。
> この点を補足した上で転載開始(↓)。
>
>--------------------------------------------------------------------------------
>(本題)
> 以下は撃論ムック所収「思想の誕生」第七回の読後感想…じゃなくて、いつも通りの連想・妄想か。夢は枯野をかけめぐる。枯野も新大陸も味噌糞一緒。
> さて。
> …あちら様も内心では「日本人ほど不気味な奴隷はいない」と思っているのではなかろうか。米本土に経済侵攻したかと思えば忽ち無様に撤退し、気持ち悪く「ご主人さまぁ♪」とすり寄るかと思えば、巷間では「俺達は奴隷じゃない」と云わんばかりのフェイント三昧。ならばさっさと改憲して日本軍を本格整備して、なんなら核武装でもいいや(そうなりゃこれはこれで話が別)、それなりの仕方があろうというものだ。場合によっては安保破棄や再占領、必要となれば新たにベトナムやイラクで会得したノウハウがそのまま使える。ところが実態は「在日米軍ごくろうさま」の大盤振る舞いだし、沖縄も尖閣諸島も竹島も相変わらずの中空状態。云うなれば「暖簾に腕押し」。…まさか日本てぇ国は無自覚に「在日米軍暖簾化戦略」を採ってるのではなかろうな、と。
> 一つ連想。ここで「打てば響く理想の奴隷」を仮構してみる。~どんな人々を指すのかしら。昔の黒人奴隷がそうだとは考えにくい。あれは家畜の延長だろうし、実際その様に白人は振る舞ってきた(動物虐待、動物愛護…)。彼らは白人文化の地平で奴隷を教化する。生まれながらの奴隷とあらば尚更の事、奴隷自身にとっての文化的母型は白人文化~と云うよりアメリカ文化のそれとなる。つまり逃れられない。だから母型文化を内側から侵蝕するしかない。さもなくば逆戻りか侵略か。
> 白人側にとって、ヨーロッパ圏外への逃走ルートは陸路と海路がある。海路の逃走先に究極を見ればどうなるか。新天地が「最後の牢獄」に見えてこないか。逆戻りは出獄を意味するだろう。ここでは「母なる新天地」という矛盾に誰もが振り回されるくせに、「新天地神話」に依存したフロンティア精神からは誰もが逃れられない。白人がヨーロッパに出獄しようと、黒人がアフリカに出獄しようと、「新天地後遺症」を抱えたトラウマ野郎が出戻る先は理想上の母=新天地しかない訳だ。どの国にアメリカ理念をばらまいたところで、どのみち必死で「新天地の再生産」に取り組まないと、もはやアメリカ人は生きていけなくなっているのではないかと疑いたくなる。そしてその新天地はアメリカしかない。一部の人々はイスラエルにアメリカを見、アメリカにイスラエルを見る。
> 私は先日「奴隷パラダイムの転換」を妄想した。~もしかしたら驚異的な「理想の奴隷」とは、奴隷らしからぬ「知的で礼儀正しいエイリアン」だったのかも知れない(黄禍論と通底?)。…黒人とて頭が回ればご同様。ただしあちらは文化的土台が一緒だからエイリアンではない。彼らは英語を母語として話し、恰も白人の様な仕方で神に祈る。食い物も土台は同じで単に貧しいだけ。どんなに分けようとしても文化まで分ける訳にはいかない。そう仕向けた張本人が白人自身なのだから、所詮は白も黒も一緒(時が至れば黄色も…と短絡すればコミンテルン型の初期グローバリズムになる?)。例えば「黒人なら槍を持ってピョンピョン跳ねてみろ」がちぐはぐな与太話である事は誰でも分かる。しかしこれはこれで根源的な何かが隠れていそうな分だけ余計に始末が悪かろう。そこには、ルーツへの遡行から成る分裂的欲望の闇に取り込まれる危険が付き纏っているからだ。彼らは人種の壁を乗り越えて「新天地を死守しなければならない」(それは必ずしも人種平等を指す訳ではない)。奴隷であろうとなかろうと理想は自ら矛盾するし、「新天地の再生産」もまた同様に、矛盾由来の自己崩壊(他人の不幸?)が経済的に連鎖・流動した途端「蜜の味はいっそう日向臭くなる」。
> …たぶん想像上の満州は違うのだろう。日本本土の排他性と、アメリカのウィルス的な宿主性のどちらでもない、別の五族協和システムが模索されたらしい。支那文化と日本文化との共通点を援用するかのごとき発想が可能だったのではないかと思う。日本は方言の克服を文語で行った(福田恆存の云うがごとく)。そうした土壌は漢字統一後の支那にもあった。しかし漢字文化圏の可能性を阻む西洋かぶれの勢力が当時から日本には存在しており、皮肉と云えば皮肉だが、そうした勢力あるがゆえに戦後復興の下地が整った面もあるのだろう。そこでは漢字と仮名のズレ以上の仕方で、日本語圏と英語圏がズレた。
> こう書くと変に思われるかも知れないが~第二次世界大戦の勝者は或る意味「奴隷制の守護者」だったのではなかろうか。中国の奴隷制は今も形を変えて継続中。ソ連は地方を奴隷的に統御した。しかしアメリカは真っ先に内側から奴隷制崩壊の危機を迎えた。満州と異なる形の「合衆国」が都市問題と重なるなら、そうなるのは必然でもあった筈。
>--------------------------------------------------------------------------------
>2009.04.19 (20:35) / URL / 苹@泥酔 [EDIT]
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>>奴隷と言えば、みんな奴隷~
> うーん、それを言われると弱いのよね…orz(それにしても、奥様はいいヒントをくれるなあ…いつも感謝してまっす。)
> だって「奴隷パラダイムの転換」なんて素っ頓狂な見方を持ち込むと、私の中で共産主義と資本主義の境界が崩壊しちゃうんだもん。そこに封建制の解体が加わると輪を掛けて分からなくなる。共産主義も資本主義も奴隷制維持のための方便に見えてくる。どちらも「自分を奴隷的認識から遠ざける」点では麻薬的で、他方~この手の二項対立を一括りにして丸ごと手玉に取る見方が嘗ては陰謀論に直結したり。だからこそ所謂「シオン長老の議定書」には相当なインパクトがあったんじゃないかと。ここでは真偽どちらであれインパクト自体が重要ですから、相対的に(ドイツと日本の差異の延長上)最近の西尾先生の視点がいっそう興味深くなってくる。
> 言語の問題については~欧米の場合、ラテン語の様な「言語としての体系」よりも、「文字の共有」の方が私にはしっくりきます(言語は違えどもアルファベットは同じ)。それに中世以降は、教養の有無が階級の在り方を下支えする面もあった様ですし(大学における自由学芸の副産物?)。もちろん東洋でも訓詁的な文字学に迷宮入りすればややこしくなりますけど、実用文字としての草略体がまともに学問扱いされた例は記憶にない(キルドンム様は見た事あるのかなあ…私はないけど)。共有対象としての文字は学問的印象が強いと人を遠ざけるし、「理屈抜きで実用優先」の方が隅々まで浸透しやすいし(職人的技術と識字率の関係も興味深い)。
> 前々からヒントはありました。例えば西尾先生の『個人主義とは何か』P.153には、「平等」について「日本ではまったく違った意味に理解され、特殊な色彩」云々とあるし。理解の仕方を司る土壌は違っても言葉の記述単位が概ね同じなら、その手の単位は包括的な通路として機能しつつ、それぞれ土壌なりの仕方で浸透する。~差詰め「保守」とか「左翼」なんて言葉はどうかしら。そして「共産主義」や「資本主義」も。
> 後は暫く様子を見ます。何か思い付いたら、また書き散らします(そんなふうに際限なく書き散らすから、私は骨の髄まで下品なんだ…orz)。
>
>(追記)
> …と書いて、念のため件の議定書を参照したら、私のと似通った奴隷観が出てきて自分でも唖然とした(今になって気付いた…汗)。もしかしたら無意識の刷り込みがあったのかも。この辺は眉に唾を付けといてちょ。
> でも今度は別の疑問が湧いてきた。なぜ議定書は再評価されないのか(単に私が知らないだけ?)。陰謀論の原典扱いなら確かにトンデモ系だけど、そこんとこを差し引けば説得力を感じたし。西尾先生の先輩世代は新刊ホヤホヤのを当時どう捉えたのかしら。因みに昨年クリスマスの拙稿で触れたフォード本の場合は原書が1920年、ライプツィヒのハンメル出版部から出たドイツ語版は1922年、その邦訳が1927年…。
>2009.04.20 (23:01) / URL / 苹@泥酔 [EDIT]
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>(本題or余談)
> 前々稿で書いたメキシコ銀ドル絡みの件、以下追記。
> 新貨条例の頃とはズレるんで「こりゃハズレかな」と懸念してたけど、一円銀貨が台湾から東南アジア広域にダダ漏れした時期はアメリカがフィリピンを植民地にした時期と重なるみたい。つまり経済圏の視点を重ねれば、日本の東南アジア進出とアメリカのフィリピン進出の重なる時期が1899~1915年頃。これをどう見るべきか。
> そこに第一次大戦とロシア革命が来て、片や日本は軍需景気。そして自動車王が所謂「国際ユダヤ人」についてインディペンデント紙で取り上げ始めたのは1920.5.22以降(新聞を買い取ったのは1918年末)。~気配はなんとなく胡散臭い。日露戦争で日本側を支援したユダヤ財閥が革命後に何を思ったか。仮に陰謀なんて大袈裟なものではなかったとしても、比較的些細な取引がデリバティブ状の破壊的効果を導く例は当時とて少なくなかった模様(規模の印象は、規模に及ぼす効果と相関する?)。
> 専門家が調べりゃ細かい情勢はそこそこ分かりそうなものだ。そっち方面なら銀行頭取経験者の十八番かと思う。にもかかわらず足立様は金融・経済方面には今のところ踏み込まない。材料が揃う時期を待っているのか、それとも何か語れない事情でもあるのか。~素人の私が疑問に思う事を今こうして書いてますけど、表示稿だとそれが傍迷惑になる場合も考えられぬではないからなあ…。
>
>(余談or本題)
> 件の議定書から、念のため「奴隷」絡みのを三節ばかり抜き出してみまっす。
> 見方次第では猛毒でござんす。…そう云や、西尾先生の本に「毒にも薬にもならぬ」云々の記述がありましたっけ。猛毒と劇薬に紙一重を見るならば、その紙の分かつ「事の重大さ」が時には読者を盲目にするのかも知れないと思いますた。
> あたしゃ実は議定書全文読了していません。今回は転載部分だけをそれなりに読んでみましたが、主語や目的語を何通りかに読み替えたら、たちどころに眩暈がしてきますた。第二次大戦が自己劇薬化の戦争だった様な気もするし、互いに相手を猛毒と読み替える事から得られるものを逆手に取る罠も予め仕掛けられていたかの様な。
>--------------------------------------------------------------------------------
>●[第二議定]より
> ダーウィン、マルクス、ニーチェの効用
> 戦争は、できるだけ領土的利益が発生しないようにすることが肝要である。そうすれば戦争は経済的領域に移されることになる。この領域では、国民を援助することによってわれわれの力を認識させることができる。
> すなわち、こうすることで交戦国はわれわれの代理人の掌中に落ちてしまう。しかも代理人は数百万の目を自由に使うので、国境によって活動を阻まれることは決してない。そのとき、われわれがつくった国際法は、法律を抹殺して国民を統治するようになるだろう。
> 非ユダヤ人は奴隷的能力の所有者である。したがってわれわれが一般国民から選んだ行政官吏は、統治の準備ができていない。それゆえ彼らは、幼時から世界支配のための教育を受けた学識と天賦の才のあるわれわれの「専門的顧問」の掌中に収まってしまうのである。
> 諸君も知っての通り、これらの専門家はその政治上必要な知識を、われわれの政治計画、歴史の経験、時事の観察等から取ったもので、非ユダヤ人は歴史を基礎とする冷静な観察を練ることを知らず、もっぱら理論上の旧弊にとらわれて批判的工作を忘却している。
> それゆえわれわれは彼らのことを意に介する必要はない。たとえ彼らが、最後の瞬間がくるまで享楽にふけろうと、新たな享楽を希望して生きようと、また過去の享楽を追憶して生きようと、そんなことは問題ではない。肝心なのは、科学の命令(理論)であるとわれわれが吹きこんでおいたものが重大な役割を演じていればよいのである。この目的のためにわれわれは絶えず新聞・雑誌を利用して、この命令に機械的に追従するよう鼓吹する。非ユダヤ人知識階級は自己の知識を誇りとして、科学から得た知識を巧妙に実現しようとするが、その知識なるものがわれわれの密使によってつくり上げられたものであることには気がつかないのである。
> われわれの主張を根拠のないものと思ってはいけない。われわれが仕組んだダーウィン、マルクス、ニーチェの学説に注意されるがよい。非ユダヤ人の心に及ぼしたこれらの学説の破壊的作用は明白ではないか。
> 政治と行政の分野で失敗を招かないようにするためには、時代の思想と諸国民の国民性とその傾向を考慮しなければならない。われわれの計画は、接触する諸国民の性格に応じて各部分を微調整せねばならない。
> 実際の運用に当たっては、現状の把握と過去の成果にその基礎を置くべきで、そのときに初めて永続的な勝利を期待することができるのである。
>--------------------------------------------------------------------------------
>●[第三議定]より
> 経済的奴隷の“民権”
> 世界各国の非ユダヤ人は、かつての奴隷制度や農奴制度よりもはるかに強く、貧困のために重労働にしっかりと縛りつけられている。彼らは奴隷制度や農奴制度からは解放されたが、貧困からは絶対脱することができないであろう。それはわれわれが、民衆のためというのは名のみの実際的でない権利を憲法に挿入したからである。それはいわゆる“民権”で、民権はただ概念として存在するだけで、決して実現することはない。実際のところ、われわれの命令や密使を選挙する投票では、下層民の憲法政治から得るものはなにもない。
> 饒舌家が気炎を吐くことや、新聞記者が事実を書くと同時に愚論を書きならべる権利を得ることは、下層労働者にとってなんの利害関係があろうか。共和制の権利は貧乏人にとっては皮肉である。なぜなら、日々の衣食に追われているために、その権利を利用することができないからである。雇主あるいは同僚たちが結託すれば、確実に収入を失うのである。
> 貴族は、国民の幸福と密接な関係のある自己の利益のために、国民の防護者となり、扶養者となった。それを彼らはわれわれの指導のもとに撲滅したのである。いまや彼らは無慈悲な成り上がり者や詐欺漢である富裕農民の圧制下に呻吟している。
> われわれが援助を与えている社会主義者、無政府主義者、共産主義者たちは、表面は人道博愛主義を掲げて、労働者を救済してくれる者であるかのように仰がれている。だがこの者たちは反対に非ユダヤ人の衰退を謀るもので、その目的は「労働者の慢性的栄養不足と体質虚弱化」にある。こうすれば、彼らをわが意思に従わせることができるからだ。彼らは自分たちの力だけでは、われわれに反攻する力も精力もないのである。
> 法によって労働者の労働を享受した貴族政治は、労働者の衣食が足り、健康であるよう配慮した。しかしわれわれは、彼らの生活難と、それから生ずる嫉妬愛憎の感情を利用して群衆を動かし、その手を借りてわが行く手をさえぎる者たちを撲滅するのである。
>--------------------------------------------------------------------------------
>●[第十四議定]より
> 新たな奴隷制への道
> われわれの主権が確立されれば、機会あるごとに論文を発表して、われわれの主権の善政と過去の虐政との比較を行ない、平和から得られる恩恵が血なまぐさい幾世紀もの戦乱によって獲得されたものであるにしても、なおわれわれの善政をいっそう深く感謝せざるをえないように仕向けるであろう。
> 同時にわれわれは、非ユダヤ人政府の悪政をできるだけ強調して指摘し、強烈な嫌悪と反感の念を起こさせるよう仕向ける。各国民には名前だけは立派な自由が与えられるが、自らの貪婪非道の罪深さも知らずに、搾取する個人主義的山師どものためにかぎりなく苦しめられ、人生の源泉までも涸らされてしまうので、むしろ平和と秩序とを与えてくれる奴隷制のほうが千倍もましだと思うようになるであろう。
> ともかく、非ユダヤ人の国家組織を根本から転覆するためにわれわれが扇動した悲惨きわまる無益な革命は、時ここに至れば、各国民には堪えきれぬほど嫌悪すべきものに感じられてくるので、われわれがどのような奴隷的虐待を彼らに加えようとも、二度と戦争と暴動の残虐さにおちいりたくないと考えるであろう。
> そこでわれわれユダヤ人は、非ユダヤ人政府の歴史的欠点を強調して、なにが人類に適するか、あるいはなにが真の幸福をもたらすかについて教えこみ、非ユダヤ為政者たちが無能のために幾世紀ものあいだ人類を苦しめてきたと指摘するであろう。
> つまり彼らは、人類社会の福祉を目標とする各種の妄想的な計画を立てたが、それによって人生の幸福の基礎となる社会各層の相互関係は改善されないばかりか、かえって悪くなる傾向を見逃したのであった。
> われわれの主義と彼らの主義を実現する方策とは、頽廃した旧社会秩序との対比のなかで明白な対照として提示され解釈されるので、いっそうわが力を発揮するであろう。
> われわれの思想家は、非ユダヤ人の信仰する宗教のあらゆる欠点と誤謬を摘発するが、非ユダヤ人は、わが宗教の真相をつかんで批判することはできない。それはわれわれの思想家以外のだれも、ユダヤ教がいかなるものであるかを知らないからである。これに対してわれわれの宗教の奥庭にまで達しているわが思想家たちは、その秘密を暴露することを極度に警戒するであろう。
> いわゆる先進国と称する文明諸国に、われわれは愚かで淫蕩卑猥な、唾棄すべき文学を植えつけておいたが、この傾向を世界支配達成後もなおしばらくは奨励するであろう。そのようにすれば、われわれの崇高な聖所から轟きわたる講演や言説や計画は、これと対照されて著しく目立ってくるからである。
> 非ユダヤ人を指導するためにわれわれの手で教育しておいた賢人たちは、講演の草案や計画書や論文や宣伝冊子を作成し、それによって人心を感化し、そして、われわれの策定した思想と知識と学問の方向へ誘導していくであろう。
>--------------------------------------------------------------------------------
>2009.04.21 (22:39) / / [EDIT]
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> おお、微笑ましい…んでしょうね。
> これは前にも書いたのかな。~うちの爺様が子供の頃、小便に起きると母親や姉達が車座になって何かを貪り食っている。余りの近寄りがたさに「食べたい」と言い出せず、用を済ませた後はそそくさと布団に潜り込む…。
> 兄弟と姉妹と異種格闘技戦(我ながら、なんちゅう言い回しぢゃ…汗)と、それぞれに特徴はあるんだろーな…。うちの爺様大正世代は、今になってお菓子をボリボリ食って居ります。子供の頃、よっぽど食いたかったんだろうな。因みに我が家では家族一同、お菓子の事を「隠匿物資」と称しています。
> 奥様んとこのお孫さんは、将来どんな老人に育つのだろう?
>
>(余談)
> 今日は『WiLL』2010.6号の巻頭拝読。~以下、つぶやいてみる…。
> 「アメリカって、ナチスと戦ったんだっけ?」…なんて書くと笑われそうだけど、なんとなく印象が薄いんだよなあ。どちらかと云うと英露の方が印象は強くて、米はユダヤの避難先みたいな。そして或る意味では、アメリカがナチスに負けた様な気もするし。つまりアメリカがナチスに勝ったのは、ユダヤがナチスに勝ったからであって、アメリカが勝ったからではない様な。(なんか変な言い回しになっとるな…汗)
> 更に妄想。~当初、アメリカはナチスみたいなものだった(なにしろ近代奴隷制の先進国だし)。そしたらナチスに追われた人達が第二の清教徒みたいにゾロゾロやってきて、戦争する前にアメリカが非ナチ化されちまった。この点でアメリカはナチスに予め負けた。つまりナチスがいったんユダヤに勝ったから、間接的に見ればユダヤはアメリカに勝った事になる(ここでのユダヤはドイツ属性)。従ってユダヤとしてのアメリカもまた「ナチスに負けた」事になる。
> 大戦の最終局面でナチスが負けたのは、ユダヤが勝ったのであって、本来のアメリカが勝ったのではない(ここでのユダヤはアメリカ属性)。対ナチスの構図を経由して「対ユダヤでも敗戦国アメリカとなった」何者かがその後ナチスに勝ったと見るなら、本当に「アメリカがナチスと戦ったのか」自体が疑わしくなってくる。…さすが合衆国だけの事はある。黙示録の怪物みたいだ。
> そうした観点から見ても、もはや国家と国家の戦争ではなくなっていたんだろーな。…問題は秩序の方。そもそも秩序って、なんだろう?
> この秩序ってのは、もしかしたら移民秩序の事なんじゃなかろうか。今後は「アメリカ的な移民秩序」と「中華的な移民秩序」の水面下戦争がいっそう露骨になってくる。どちらも強大な移民秩序であるからこそ、日本にも嘗てないレベルで移民秩序への服従が求められてくる。
>【2010/04/29 16:50】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]
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●次は「2012/01/18 21:23」稿末で触れた、産経記事の全文転載。
http://sankei.jp.msn.com/wired/news/120118/wir12011814300002-n1.htm
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>脱電子メールの4年間:IBM社員のワークスタイル
>2012.1.18 14:30 (1/2ページ)[ネット社会]
> 2008年2月以降、電子メールをほとんど出していないという米IBM社の社員を紹介する。現在各企業において見られつつある、電子メールからソーシャル・ネットワーク等に移行する動きを象徴するものだ。
> ルイス・スアレズが「電子メールの無い世界」に生きようとしたとき、同僚たちはそれは間違いだと考えた。なにしろ、同氏は米IBM社で働いているし、同社は電子メール・ソフトウェアの世界トップ企業のひとつなのだ。
> しかし、スアレズ氏にはメールを辞める決意ができていた。21世紀に生きるホワイトカラー勤務者として、彼は毎日40ほどのメールを受信していた。それは彼にとって多すぎたのだ。
> スアレズ氏は1990年代にオランダのメインフレーム・サポートセンターで働き始めた、物腰の柔らかい人物だ。同氏は4年前、IBM社のソーシャルメディア・チーム『BlueIQ』で、販売スタッフたちのソーシャルメディア理解を促進していた。その仕事の中で、同氏はソーシャルメディアの達人と評判になり、質問に答えるために電子メールに費やす時間が思っていた以上に増えていった。その結果、同氏は疲れてきた。「私は、自分の仕事ではなく他の人の仕事をすることに飽きてきたのだ」
> そして2008年2月、スアレズ氏は電子メールをほとんど出さなくなった。
> 実際には、いまも受信箱は持っていて、毎日電子メールを確認している。メッセージの大半は社内会議の通知であり、かかる時間は1日に2分ほどだ。また1対1の微妙なやり取りも、まだ電子メールを使っている。しかし多くの場合、返事が必要なメールにはソーシャルメディアで返事をして、『Twitter』『Google+』、または『Connections』(IBM社の社内ソーシャルネットワーク)で話をした方がうまくいくと提案する。コミュニケーションをオープンにするほど時間がかからなくなるというわけだ。
> IBM社で「電子メールを廃止」した者はスアレズ氏だけではない。同氏はほかに数十人を知っているという。例えば最高情報責任者オフィスのプロジェクト・マネージャーであるジュリアナ・レオンは、スアレズ氏ほど徹底してはいないが、同僚からメッセージが来た時にはConnectionsで答えるようにしている。そうすると、質問してきた人物は他の人から回答を得られる場合も多いし、その回答は公開されているので、他の人も読むことができるからだ。
> 欧州最大のITサービス企業である仏Atos社は2011年、2014年までに電子メールを廃止する(日本語版記事)意向を明らかにした。また独Volkswagen社は数週間前、職員の一部について、就業時間外はBlackBerryで電子メールにアクセスできなくすることを明らかにした。IBM社の新しいCEOは、就任時のメッセージを電子メールではなくConnectionsへの動画掲載に替えた(日本語版記事)。
> 米Facebook社は、電子メールでもインスタント・メッセージでもない独自のメッセージ・サービスへと、ユーザーを移行させようとしている。同社のモバイル部門で働くモリー・グレアムによれば、メールは遅すぎるし時代遅れだという。「メールで使うCC(同報)という言葉の意味を考えてみてほしい。カーボンコピーという意味であり、現代にはあまりに合っていない」と、グレアム氏は2011年11月にサンタクララで開催された『Enterprise 2.0 Conference』で語った。
> 「メッセージ製品について調査していたときに、人々がメールの件名をどう使うかも調べた。件名の8割は、”こんにちは”とかただのブランクだった。つまり件名は時代遅れなのだ。実際、電子メール自体が時代遅れなのだ」とグレアム氏は言う。
> スアレズ氏自身は、電子メールが完全に廃止されるとは思っていないが、4年目になる実験の結果、自分の生産性はより上がったと感じている。同氏のほとんどの仕事は現在オープンな形で行われているが、それには効率的という以上の意味があると同氏は語る。コミュニケーションがよりよい質のものになるというのだ。
> 社内電子メールの使われ方の多くには、「戦略的なBcc」や、隠蔽工作的なメッセージなど、スパイ映画『裏切りのサーカス』を思わせるような「受動的な攻撃性」がある。「会社で電子メールを使っている人は、電子メールを同僚への攻撃に使う人がたくさんいるのを知っている」とスアレズ氏は話す。「やった仕事を正当化する必要のないところで、新しい仕事のやり方が生み出されていた。コミュニケーションをより透明化しオープンにし公共化していくことで、同僚からの信頼を得ることができる」
> さらに、スアレズ氏は2008年と比べて体重が23kg減ったが、同氏はこれも電子メール削減のおかげだと話す。「電子メールにかける時間が減った結果、ほかのことをする時間ができたのだ」
>TEXT BY Robert McMillan
>TRANSLATION BY ガリレオ -緒方 亮/合原弘子
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8近況 ( 苹@泥酔 )
2012/01/18 (Wed) 22:18:08
 セレブ奥様ブログのコメント欄に、最近こんなのを書いている(↓)。

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> 別の番組の話だけれど、見ましたよ~。西尾先生の講義(↓)。後半が特に面白い。
http://www.youtube.com/watch?v=K8CJ-Nx3Cjk
> 資本主義と云えばバカの一つ覚えみたいにドゥルーズだの金本位制だのを連想する苹にしてみると、脱領土化とセットになるのが再領土化。アメリカが脱領土的なら、今度の略奪主体は中国の再領土化システムと関わらざるを得ず、そこにTPPとかいう訳の分からぬ話が絡んでくるのかしらと、こちら大いに訝しんで居ります。
> 正直な話、私の読み方には欠陥があります。当初から気付いては居たけれど、かれこれ十年近く前からドゥルーズを云々してるのに、主著二冊の表題「資本主義と分裂症」には殆ど注意を払わないできたのよネ。それより自前の領分にこじつけて、コードだのエクリチュールだの、差異と反復だの、とにかく書道ネタで連想できそうな方面ばかり優先してきた。ところが西尾先生の話に耳を傾けると、これが当たり前の様に歴史や資本主義の話なんですねぇ。なんだか素直になれそうな私。(←ここ、失笑するトコです。)
> おまけに番組後半、金とドルの関係や石油などの資源をめぐる話になると俄然、前に私はどんな事を考えていたかしらと旧稿を読み返したくなってくる。あの時(坦々塾ブログが出来た頃?)の私はもしや、黒人奴隷を連れてきたのをアメリカと混同していたのではないかしら。記憶では絶対そうでない筈なのに、どこか心の底では米西関係の捉え方に歴史の混同があった様な気がする。むしろ銀経済圏と米墨戦争の方に興味があった。だから勿論イギリスとの関係は意識してました。ただし先生のとは、視点の比重にも深度にも明白な格の差があった。ここ二ヶ月ほど、その事に別の予感めいたものを嗅ぎ取っています。
>
> あ、書き忘れてた。北の将軍様が代替わりの危機(?)だそうだけど、安倍元首相が小泉再々訪朝の可能性に言及するなど、なんか政治の世界ってアレだなあ。(アレって、なんだ?)
>【2011/12/22 13:43】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]
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> あれから旧稿を読み返してみました。あたしゃ二年半前、こんなのを書いてたんだなあ。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-723.html#comment
> この時は2009.04.19 (20:35)、2009.04.20 (23:01)、2009.04.21 (22:39)の三稿。ただし三つ目は非表示稿だった。その後は、こんな話題(↓)を出した事もあったっけ。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-915.html#comment
> この時は【2010/04/29 16:50】稿。他にも色々と思い出す稿はあるけれど、それはともかく。
> 西尾先生が「脱領土」なる語彙にドゥルーズを垣間見たかは知らない。左翼ポストモダン系の人なら、たぶん私と大差ない読み方へと引き寄せられるだろう。差し当たって言葉自体を見る事から始めると、ドゥルーズの云う「領土」はテリトリー。その点からして西尾先生の表現には別の意味合いが感じ取れる。だから左翼は単細胞的な西尾批判を急ぐべきでないし、私はと云えば単純に感想を書いただけ。ドゥルーズとは別の新鮮味を、先ず皺ひとつない脳味噌で味わう。最初の前提は「私はドゥルーズを理解していない」の一点に尽きる。そこから読者「に」自由「が」放り出されていくのだと思う。~以上、追記。
>【2011/12/24 04:03】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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> 古い話の続きで申し訳なく…(汗)。件の「2010/04/29 16:50」稿で、こう書きました。
>--------------------------------------------------------------------------------
>> この秩序ってのは、もしかしたら移民秩序の事なんじゃなかろうか。今後は「アメリカ的な移民秩序」と「中華的な移民秩序」の水面下戦争がいっそう露骨になってくる。どちらも強大な移民秩序であるからこそ、日本にも嘗てないレベルで移民秩序への服従が求められてくる。
>--------------------------------------------------------------------------------
> これを輸入型移民(移入民)と輸出型移民(移出民)の違いと捉えたら、どう見えてくるかしら。移民問題と云えば普通は輸入型を指してきた。その一環には近代奴隷制も含まれるかの様な。
> ハワイ併合の頃、アメリカは中国系移民の流入を妨げた。するとハワイの日系移民が米本土に渡る。あちらの感覚はどうだったろうか。中国系のイメージで日系を見たのではないかしら。戦後三十年を経たブルース・リー出演の米資本映画でも、中国系の枠組に相撲レスラーが収まっているかの様な印象が残った。
> 少数のインディアンに大量の黒人。白人は英、独、仏など様々。そんな新大陸の状況がある一方で、ヨーロッパには前々からジプシーだのユダヤ人だの、移民の元祖めいたカテゴリー(?)があった模様。新大陸での白人は一種の自己移民化(フロンティア精神への転嫁?)を或る意味では十字軍的に遂行したものの、どちらの大陸でも移民それ自体は輸入型が基本で、輸出意識がどの程度あったか今ひとつピンと来ない。ヨーロッパでの意識はむしろ遊牧的と云った方がよさそうに思える。その枠組で植民地主義が発達したと見るなら、移民意識を伴う移出民は存在しなかったのかも知れない。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0224.html
> それに対して中国系はズバリ「華僑」。片や日本は鎖国中で、移民そのものが極端に特殊。そもそも「国」の概念が違う。多くの国は地続きで同族。異人や異国は別物。そんな日本人が移民を云々するなんて、「ナントカかぶれ」の最たるものじゃないかしら。生まれながらにして移民だらけのアメリカあれば、他方には移民の溢れ出す支那がある。そこに「移民の素人」たる日本が参入。移民して行った人々に移民意識があるのは当然としても、日本の中ではどうだか。
> 西尾先生が外国人労働者問題を云々していた頃、苹は全くの無関心で、議論があった事すら知らない。あれこれ読む様になった今でも、関心があると明言するのは憚られる。骨の髄まで「ピンと来てない」儘なのでやんす(汗)。
> そりゃあ、異人さんを見た事くらいならありまっせ。でも彼らは「そのうち帰国する人」で、たとい「隣に住む人」であっても、居住の永続性までは頭が回らない。例えば米軍基地がこのまま百年を迎えるとするでしょ。でもピンカートンは帰って行く訳だ。代わりに別のピンカートンがやってくるだけ。半島出身の所謂「在日」だって今では日本人みたいなものなのに、帰化する気がない場合は「じゃ、いつか帰って行くんだろ」、と。それくらい私は「移民」に不慣れで、印象は不審者と大差ない。曲がりなりにも欧米人は「移入民対応の手練れ」達と映る。ところが「移出民の手練れ」達は、東南アジアやチベット、アフリカでの振る舞いが不気味この上ない。(vs.「手練れになれない日本」)
> そこに突然、強烈な尖閣漁船問題がきた。政府がビデオ公開を拒んだのは、韓国ヴァージョンみたいなのが映っていたなら辛うじて理解できる。あちらの刺殺事件と順番が逆ならどうにかなったのかも。しかし中国の出方がそれを不可能にした。日本にとって歴史的ショックだった。こちらは移民と侵略者の区別に慣れていないのみならず、対応自体に慣れていない。ああした中国政府の出方は日本民族にとってトラウマとなった筈。
> 年末の締め括りに、何故「手練れ」という言葉を用いたか。外国人に、分かるかなあ?
>【2011/12/25 22:07】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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> またまたしつこく、妄想話の続きで恐縮。
> 輸入型移民への対応に手慣れた植民地主義の盟主達は、戦争経験の蓄積と金融資本主義の発達に伴い遠隔操作技術の洗練に腐心してきた。わざわざ自分達が最前線に出向かなくとも済む様に、すなわち「移民する事なく」目的を達成できる様にする。それは軍事とて同じ事、無人機を飛ばして情報収集したり爆撃したりする。当初は「こちら」と「あちら」の峻別が前提にあって初めて可能になる技術でもあった。やがて「こちら」は自身(単数)から味方(複数)へと拡張。そして「あちら」は敵だったり植民地だったりする事を自ら裏切る様になっていく。すると双方に別の隙間が生まれる。
> …征服者と寄生虫の違い。
> 西洋のコンキスタドールは征服先の虫けらどもを屈服させようとしたが、後世になってみると、我が身に侵入した寄生虫を屈服させるまでには至らなかった。寄生虫は征服者自身の模像のごとく自己管理へと向かい、移出民ならではの方法で、国家の背後から病態を潜ませていく(今はヒスパニック系の影響が顕著?)。つまり移出民が移民意識を喪失した瞬間、逆に彼らが生成途上の征服者へと変貌し始める面もあるのだと。その経験をルーツとする典型国家がアメリカであるにもかかわらず、白人達の先祖は移民でなく征服者(救済者?)で、その意味に於ては寄生虫としての歴史を持たない(スペインやイギリスによる「お膳立て」に感謝?)。ワーグナーの楽劇にある歌詞「救済者に救済を」が持つ予言的神秘性に至っては或る意味、脱歴史的アメリカの保守性に対するヨーロッパ側からの客観的告発であったかの様に見えてくるくらい。どのみちアメリカは経済や軍事のバルザムを入手する事になるが、それはあくまで新天地騎士団(?)の国益を保守するためであり、遠隔操作技術の発展を阻害するものではないらしい。「ここでは時間が空間となる。」
> 果たして私は、西尾先生の焚書本を正しく理解できているのだろうか。六巻掲載の座談会に、移民の印象は薄い。しかしそれでもなお、あの座談哲学の背景には移民問題が底流していたと考えざるを得ない。当時の支那は独立国家の体裁を必ずしも具えておらず、であるがゆえに国家と移民との関係をまともに取り上げられる段階になかった。~支那移民の研究が、私には不足している。それは支那の変貌(帝国化?)に関わる眼差しでもある。昔の理想化された支那は失われた。開国で、日本が勝手にそれを失っていった。傍目の華僑は素朴な移民コロニーらしく見えるが、日本人としては精神的漂流民の立場から、そこそこ不可解に見つめられなくもない。と云うのも、我々日本人の圧倒的大多数は、断じて移民ではないからである。
>
>(余談)
> うちの爺様が補聴器を壊し、修理に出したのを一昨日に受け取ってきました。そしたら「まだ変だ」ってんで、昨日も家族揃って店に行ったところ、左右を間違えて装着したのが原因と判明。その間あたしゃ隣接書店を徘徊。初めは買う気なかったけれど、ふと見たら西尾先生の脱原発本が目立つ場所にあるではないか(珍しい!)。月刊誌共々三冊購入、帰宅後『WiLL』から先に読んだのでありますた。今日は「日録」の年末動画を見る予定。
>【2011/12/30 06:02】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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> 補記。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1130
> 先日「日録」新年稿(↑)のリンクを見て、昔その「阿修羅」ってサイトを検索中に見かけた事があったのを思い出した。それが頭に残っていたのか、偶々「ヒトラー 第二の書」で検索をかけたらヒットしたのがこれ(↓)。例えば「寄生虫」という語彙を、年末の拙稿で用いたのとは別の意味に切り離そうとしながら読むと、心中もやもやしていた得体の知れない印象への切り口が見つかった様な気がしてくるから面白い。
http://www.asyura.com/0403/dispute18/msg/233.html
> 成甲書房から出た邦訳を新刊当時に買ったものの、私は未読のまま放置し続けた。必ずしも怠惰とは云えない筈の動機(?)でもあったのだろうか。自身よく分からない。その前にもラウシュニングの本など色々と買ってあった所からすると、興味がなかった訳ではない。
> 差し当たって今、他頁を全部すっ飛ばしてP.171の「解決にならない移民政策」を読んでみると、ヒトラーのアメリカへの評価が極めて高い事に先ず驚かされる。曰く、「人種的に千層倍も疑問のあるヨーロッパ人の業績を、千層倍も人種価値の高いアメリカ人の能力と同等視することはまず不可能である」と。そんな新天地にユダヤ人は、どうした訳か雑駁には概ね時期を同じうして、アーリア人に限らぬ多くの人種と共に寄生した。そこに国家起源の異質性がある様にも思えてくる。
> 当時の日独間には人種観の齟齬があったらしい。それを私が異常と感じないのは何故だろうか。単に我々日本人が国際常識(?)に鈍感なのか、それとも過去と現代で分断された別のものが国際常識に振り回された結果、今なお目眩に酔っているのか。人種差別という常識のない日本人に、人種差別を克服する資格はない。強いて挙げるなら日本人は、支那朝鮮を相手に人種差別感覚を磨いた面もなくはないが、筋金入りとなるには余りにも時間が足りなかった。すぐさま四海兄弟だの五族協和だの、まるで日本が内々に「地方=国」から「国=国家」への転換を果たすがごとき感覚で、海外をも見つめてしまった。反省する気はないが反省の必要はある。むしろこちらの方が異常なのかも知れない。そしてそこに、いづれの観点を採るにしろ「保守」はない。
> 私にとっての「保守」は、政治的観念から程遠い。それよりは文化的観念であり、かつ中国からの浸蝕を受け続けてきた来歴にいったん距離を置こうとした歴史的ターンの自己限定でもある。だから明治時代は浸蝕の再開を意味するし、そもそも明治の精神自体、保守と云うよりは革新の側にある。強いて保守だと云うなら、それは支那文化の保守。支那の文化的品性を辺境の日本で聖杯のごとく守護する姿勢であり、この一点に於てのみ私は西洋との似つかわしさに同情できる。
>【2012/01/05 20:05】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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> 「日録」にて、柏原様の論考と西尾先生のを拝読(↓)。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1137
> ~現代フランス哲学、ことドゥルーズに関しては初期のニーチェ研究が知られるが、私は読んでいない(ただ買ってあるだけ)。読まない理由は結構ねじくれていて、どの本から先に読むか、所謂ニーチェ入門書の類も含めて選択するのが実は億劫である。精々が参照する程度。と云っても「参照」だからこそ寧ろ馬鹿にできず、準拠への道筋が予め用意された座標次第で、その恣意的意味解釈が変化する。泥酔すると舞い降りる天の声は「黙って先ず西尾幹二から読め」と命ずるのだが、これはこれでキビシイ。「ナチスからニーチェへ」と「ニーチェからナチスへ」とでは丸っきり逆向きである様な流れの全体からさえ距離を置くにしても、正しい理解より「歪曲の起源」の方に別の魅力を感じる身(←ひねくれてる!)には相応の限度がある。
> これと似通った別の限度を、私は柏原様の指摘に読み取った。ドイツとフランスの例である。同じ事象を別々に見つめるのだから、同一であるのと距離があるのとは、内包し合う関係に於て取り敢えず同体でもあろう。ニーチェを読むのではなく、ニーチェの云わんとするものを読もうとする。そうした「向こう側」を常に見据えようとすると、そこに予め「読む自分」の側があるのに不都合はない。
> そこで強引かつニーチェとは無関係に、ドゥルーズの『哲学とは何か』(河出書房新社)P.141(↓)を持ち込んでみる。…ほれ見た事か。これでまた、ニーチェが遠くなった(自嘲)。
>--------------------------------------------------------------------------------
>> 世界的資本主義の計り知れない相対的脱領土化は、近代的な民族国家のうえでおのれを再領土化する必要がある。そして近代的な民族国家のひとつの帰結は、民主主義のなかにある――すなわち、新たな「兄弟」社会、友たちの社会の資本主義版。ブローデルが指摘しているように、資本主義とは〔ギリシア的な都市国家ではない〕〈町‐都市〉に始まったものであるが、〈町‐都市〉は脱領土化をかくも徹底的に押し進めていたので、内在的な近代国家は、新たな内的限界として必要な再領土化を遂行するために、〈町‐都市〉の狂気を鎮め、〈町‐都市〉をふたたび捕らえて、それにエネルギーを備給しなければならなかったのである。資本主義は、それなりの経済的、政治的、社会的な基盤にもとづいてこそ、ギリシア的世界の復活なのである。それは新たなアテナイである。資本主義の人間は、ロビンソンではなく、オデュッセウスであり、狡猾な庶民であり、大都市に棲む任意の平均的な人間であり、無限運動――革命――のなかに身を投じる土着《プロレタリア》もしくは外国からの《移民》である。資本主義をつらぬいて、同じ失望に突進するのは、ひとつの叫びではなく、二つの叫びである――万国の《移住者》よ、団結せよ……、万国の《プロレタリア》よ……。ともかく、西洋の二つの極、アメリカとロシアで、プラグマティズムと社会主義が、オデュッセウスの帰還を、新たな〈兄弟あるいは仲間たちの社会〉を上演している――ギリシアの夢を取り戻し、「民主主義の威厳」を復活させる新たな〈兄弟あるいは仲間たちの社会〉を。
>--------------------------------------------------------------------------------
> この後「マーケティングが概念を奪取」だの「横領を可能にしている哲学観」だの、色々と書いてある。「新たな大地に、新たな民衆に訴えかけるために、資本をそれ自身に反抗させるのである」の箇所には傍点が振ってある。そんな調子が長々と続き、P.147まで頁を捲るとニーチェの名前が出てくる(「哲学地理学の地盤を固めた」)。
> 地理的観点が出たところで柏原様のドイツとフランスが思い浮かぶ。私は今、何を読んでいるのだろうか。上記の箇所はどれも読み落としていた。それだけ注意力散漫であり、何か機会があって初めて読み直す事ができる。だから今は「日録」を読んでいる事になるのだろう。ここでのドゥルーズは参考書か虎の巻であり、そこに出てくるニーチェの幽霊が「おいで、おいで」をする。
> …勝手な(いい気な?)ものだ、読書は難しい。
>【2012/01/14 02:47】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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>(ぼやきⅠ)
> もっと柏原様の指摘に引き寄せて考えたくなり、そこそこ相応しそうに見える箇所を前掲書から引用し始めた。で…ぼんやり集中しながら(=読むだけでさえ四苦八苦しながら)順調に打鍵し終えたのはいいけれど、ふと気付いたら大変な事になっていた。たったの一段落が、どうしてこんなに長いんだ!(苦笑)…まあ、非表示にすればウンザリするのは奥様だけだから構わないか(←って、あたしゃ奥様を何だと思ってるんだ?)。
> 以下はドゥルーズ&ガタリ『哲学とは何か』(河出書房新社)P.155~158。財津理訳1997、原書1991。データ送受信の都合上、傍点とルビは省略する。
>--------------------------------------------------------------------------------
>> 哲学は、概念のうえでおのれを再領土化するにしても、その条件を、民主主義国家の現在の形式のなかに、あるいは反省的コギトよりもはるかに疑わしいコミュニケーション的コギトのなかに見いだすわけではない。わたしたちはコミュニケーションを欠いてはいないのであって、反対にコミュニケーションをもちすぎている。だが、わたしたちには創造が欠けている。わたしたちには現在に対する抵抗が欠けているのである。概念創造は、それ自身において、未来の形式に助けを求める。概念創造は、ひとつの新たな大地と、まだ存在していない民衆を呼び求めるのだ。ヨーロッパ化は生成を構成していない。それが構成しているのは、ただ、隷属させられたもろもろの民衆の生成を妨げる資本主義の歴史だけである。芸術と哲学が合流するのは、まさにこの点においてである――創造の相関項としての、欠如している或る大地と或る民衆の構成。そうした未来を要求するのは、民衆主義的な著述家ではなく、もっとも貴族的な著述家である。そうした民衆とそうした大地は、わたしたちのどの民主主義のなかにも見いだされないだろう。民主主義はみなマジョリティーであり、他方、或る生徒は、本性上、つねにマジョリティーから差し引かれているものである。民主主義に対する多くの著述家の立場は、曖昧で複雑なものである。ハイデガー問題が到来して事態を紛糾させた。ひとりの大哲学者が、ナチズムのうえで実際におのれを再領土化しなければならなかった。それゆえに、一方では、彼の哲学に嫌疑をかけるために、他方では、ひとをして途方に暮れさせるほど込み入って曲がりくねった論拠によって彼を無罪放免にするために、このうえなく奇妙ないくつもの注釈が交差している。ハイデガー主義者でいることは、つねに容易であるとはかぎらないわけだ。偉大な画家や偉大な音楽家がそんなふうにして恥辱に陥る、といった事態の方が理解しやすいかもしれない(が、しかしけっして、彼らはそんなことはしなかった)。そうなるのはひとりの哲学者でなければならなかった。それは、まるで恥辱が哲学そのものに入り込こまざるをえなかったかのようである。彼は、ドイツ人の歴史の最悪の時期に、ドイツ人を経由して古代ギリシア人に復帰しようと欲したのである――「ギリシア人を待っていたのにドイツ人に出くわした、ということ以上に悪いことが何かあるだろうか」と言ったのは、ほかならぬニーチェである。地上の闘士たちがしばし見分けがつかなくなり、思考者〔思想家〕の疲労した目が闘士たちをたがいに取り違えるようになる――ドイツ人をギリシア人と取り違えるばかりでなく、かのファシストを生存と自由の創造者と取り違えるようになる――あのグレー・ゾーン、不可識別ゾーン、そのゾーンを〔ハイデガーの〕どの概念も包含していないとするならば、(ハイデガーの)諸概念は、或る唾棄すべき再領土化によって本質的に汚されているのではないかと主張することもできよう。ハイデガーは、再領土化のもろもろの道のなかで迷ったのである。なぜなら、それらの道には標識も柵もないからである。この厳格な教授は、おそらく、みかけよりもさらに発狂していたのであろう。彼は、民衆〔国民〕、大地、血を間違えたのである。なぜなら、芸術あるいは哲学が呼び求めるような人種は、純粋だと主張される人種ではなく、或る虐げられた、雑種の、劣った、アナーキーな、ノマド的な、どうしようもなくマイナーな人種だからである――カントによって新たな《批判》から閉めだされたあの者たち……。アルトーはこう言っていた――文盲の者たち「のために」書くこと――失語症の者たちのために語ること、無頭の者たちのために思考すること。それにしても、「ためにpour」とは何を意味しているのだろうか。それは、「~の意図において〔~に向けて〕」ということではなく、「~のかわりに」ということでさえもない。それは、「直面して」ということなのである。それは生成に関するひとつの問である。この思考者〔アルトー〕は、無頭であるのでも、失語症であるのでも、文盲であるのでもなく、むしろ、そうしたものに生成するのだ。彼は、《インディアン》に生成し、《インディアン》に生成してやむことがない。そうするのはおそらく、《インディアン》であるところの《インディアン》がそれ自身、他のものに生成し、おのれの断末魔から引き離されること「のために=に直面して」である。ひとは、もろもろの動物そのもの〈のために=に直面して〉思考し、そして書く。ひとは、動物もまた他のものに生成すること〈のために=に直面して〉、動物に生成する。一匹のネズミの断末魔、あるいは一頭の子牛の屠殺が、思考のなかに現前したままであるのは、憐憫の情からではない。その現前は、人間と動物のあいだの交換ゾーンとしてあるのであって、そのゾーンにおいてこそ、互いに何かが相手のなかに移行するのである。それは、哲学と非哲学との構成的関係である。生成はつねに二重であり、この二重の生成こそが、来たるべき民衆と新たな大地を構成するのである。哲学者は、非哲学が哲学の大地とその民衆に生成すること〈のために=に直面して〉、非哲学者に生成しなければならない。バークリー司教ほどの尊敬された哲学者でさえ、たえず「われわれ他のアイルランド人、下層民は……」と語ってやまないのだ。民衆は思考者の内にある――なぜならそれが「民衆への‐生成」ということだからである。同時に、思考者は民衆の内にある――なぜならそれがやはり限界なき生成だからである。芸術家あるいは哲学者はたしかに、ひとつの民衆を創造することはできないのであって、芸術家あるいは哲学者にできることは、全力でひとつの民衆を呼び求めることだけであり、ひとつの民衆は、いくつかのおぞましい受苦のなかでしか創造されえないのである。〔来たるべき〕ひとつの民衆は、それ以上には芸術あるいは哲学に関わることができないのだ。しかし、もろもろの哲学書と芸術作品はやはり、或る民衆の到来を予感させる受苦の、想像を絶した、それらの総量を含んでいる。哲学書と芸術作品には、抵抗するという共通点がある――死に対して、隷属に対して、耐えがたいものに対して、恥辱に対して、現在に対して抵抗するという共通点があるのだ。
>> 脱領土化と再領土化は、そうした二重の生成のなかで交差する。そのときもはや、土着民と外国人〔他所者〕を区別することはほとんどできない。なぜなら、外国人は、おのれではない他者のところで土着民へと生成し、同時に、土着民は、自分自身〈において=に対して〉、自分自身の階級〈において=に対して〉、自分自身の民族〈において=に対して〉、そして自分自身の言語〈において=に対して〉外国人へと生成するからである――わたしたちは同じ言語を話しながらも、わたしはあなたの言うことがわからない……。自分自身〈において=に対して〉外国人に生成すること、そして自分自身の言語と民族〈において=に対して〉外国人に生成すること、それこそが、哲学者と哲学に固有な事態、それらの「スタイル」、ひとが〈わけのわからぬ哲学言葉〉と呼んでいるもの、ではないだろうか。要するに、哲学は三度おのれを再領土化する――一度は過去においてギリシア人のうえで、もう一度は現在において民主主義国家のうえで、さらにもう一度は未来において新たな民衆と新たな大地のうえで。〔古代の〕ギリシア人と〔現在の〕民主主義者は、この未来の鏡のなかで特異なかたちでデフォルメされるのだ。
>--------------------------------------------------------------------------------
> 長い段落の後の短い段落(?)まで続けたところ、少なくとも私には、より分かりやすい文脈となった様な気がする。~誤読含みかも知れないが、例えば過去の日本人は、現代の日本人へと生成した。私は御先祖様の書いたものが読めない…。訳の分からぬ書道言葉…。国語と呼ばれる再領土化システムと、その大地であるかの様に振る舞う教育現場…。
>
>(ぼやきⅡ)
> 柏原様のに引き寄せようとする上で、差し当たってはドイツ絡みのニーチェ引用箇所が鍵になるかと思われた。とは云うものの、ドイツの自画像にギリシア精神を見られてもねぇ…(ドイツとフランスの比較なら、すぐ腑に落ちるのだが)。日本人の私にはピンと来ない。「古代日本に支那文化を見る」がごとき違和感が残る。ドイツ人の感覚では実際どうなのだろうか。
> ところで~拙稿の傾きとは関係ないかも知れないが、この日曜は取り敢えず古い「日録」を掘り返した。昭和四十六年、福田先生との対談である(↓)。ロレンスにアポカリプス云々。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?m=200411
> なぜ唐突にロレンスか。そんなの興味ないってば。しかし何故か読み返したくなった。西尾先生と福田先生の、どちらが読みたかったのかも分からない。ついつい苦し紛れの冗談を重ねてみたくなる。「たぶんニーチェの呪いだぜ」と。~すると、そんな濡れ落ち葉のごとき感覚が、今度は別の本を引き寄せる。ドゥルーズ『批評と臨床』(河出書房新社)P.77、第六章「ニーチェと聖パウロ、ロレンスとパトモスのヨハネ」。あたしゃ先生方とドゥルーズとの距離でも知りたかったのかしら。
> 前掲『哲学とは~』からの引用には、「そうした未来を要求するのは、民衆主義的な著述家ではなく、もっとも貴族的な著述家である」てな一文がある。片や西尾先生と福田先生には、貴族主義的印象をめぐる対話がある。以下は西尾先生の解説評論から。
>--------------------------------------------------------------------------------
>> ロレンスは次のように言っている。「民主主義はクリスト教時代のもつとも純粋な貴族主義者が説いたものである。ところが今ではもつとも徹底した民主主義者が絶対的貴族階級になりあがらうとしている。」「強さからくる優しさと穏和の精神――をもちうるためには偉大なる貴族主義者たらねばならぬのだ。」「ここに問題にしてゐるのは、政治的党派のころではない。人間精神の二つの型を言ふのである。」
>--------------------------------------------------------------------------------
> 貴族主義者が民主主義者へと生成したり、民主主義者が貴族主義者へと生成したりする。そんなふうに読み替えて構わないかしら。どことなく闇鍋を前にして思わずビビる気分と似ている気がせぬでもない。箸を持つ手が震えるにしろ、箸を持つのを躊躇するにしろ、いかんせん鍋の中身は具材次第で光にも闇にもなる。そもそも料理屋で闇鍋など聞いた事がないが、回転しない方の寿司屋には「おまかせ」ってぇのがあるらしい。…卓越した料理人なら、闇鍋的「おまかせ」にも芸術的信頼を集めるだろう。すると箸をのばす行動もまた、料理人への信頼に自ずと裏付けられてくる筈。こうした信頼の共有を、昨今はやや大袈裟に「絆」と呼ぶらしい。或いは必ずしもそうではなく、どちらかと云えば共有への信頼が先立つ場所に予見される、或る期待の方を指すのかも知れない。そこでは期待を強いる道徳的態度が「絆」へと忍び込む。
> 貴族主義的であるか否かはともかく、今あらためて古い「日録」を読み返すと、どうやら福田先生の知る下町生活と寄宿舎的生活との差異は失われたか、もしくは別のものを生成したらしい。徹底した妥協と付和雷同に知識人が巻き込まれる時、そこでの生活とは何なのか。例えば柏原様が指摘する「昭和史」自体、それまでの生活と共にある事で昭和を自ら体現しようとするか、或いは反芻の中心を新たに生成するだろう。ハイデガー同様の再領土化が、脱領土的だった筈の起源を見失う。そうした流れを、今度は「平成史」などの距離が歴史の前後から見つめ返す。にもかかわらず生活は記憶と一体で、しかも直面した経験を過去の領分に整理しつつ振り返る事で、もう一つの信頼を江湖に要請する。
> 私は「日録」稿の初読当時、「芸術と行動」を持ち出されて頭が混乱した。今、その事をなるべく慎重に思い出している。ところが遡ろうとすると、これがなかなか思い出せない。嫌な出来事の隠蔽作用でもあるのだろうか、記憶は美しい。そこに思わず、たじろぐ。
>【2012/01/17 07:06】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]
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> 今夜こそは、非表示雑感もて参る。
> ひっひっひ…或いは全集四巻の前に五巻が出たので余計「ニーチェ以後」を参照したくなるのかも知れませんぜ。中には当然、西尾先生も含まれるのにねぇ。するとニーチェは主役としてでなく、「ニーチェ以後」諸賢を連結する触媒として機能し始める。
> 私がなるべくニーチェを読まない様にしてきたのは、昔どこかで見たアフォリズム文体に文学作品同様の生理的嫌悪を覚えたから。大学時代に買わされた哲学史の本はつまらなかった。書道美学上の必要を感じてカント『判断力批判』やヘーゲル『美学』に手を出した頃、哲学方面ではドゥルーズ、それ以外(←ここ重要)では某氏著『教育と自由』などを読み始めた。哲学イメージと西尾先生の名前が結び付いたのは、そのまた後でやんす。だから苹は「ひねっている」のでも何でもなく(でも傍目にはどうだか?)、ただ自分の順番に従って「読みやすく読む」ための準備をしているだけなのね。
> 件のロレンス云々は、たぶん全集二巻に載るんでしょうねぇ(わくわく♪)。前稿末尾に書いた「芸術と行動」は「芸術と実行」の記憶違いだけど、細部の忠実さはオウム的な囚われに至る道筋と云えなくもない。あと、全集チラシにある「ハイデッガーは分らない」も少し気になってます。…こちらも「ニーチェは分からない」と云ってみようか。分かろうとするためにドゥルーズを必要とする読み方がある。そもそも分かろうとするのが悪いのかも。そう考えれば奥様の云う通り、ご苦労な事なのかも知れませんなあ…。
> いづれにしろ、可能な限り「すんなり読まねば」。当面の目標は読書自体の自然体。
>
>(余談)
> 今夜は琴線に触れる記事を発見…。妙に親近感を覚える…。
>「脱電子メールの4年間:IBM社員のワークスタイル」
http://sankei.jp.msn.com/wired/news/120118/wir12011814300002-n1.htm
>【2012/01/18 21:23】 | # [ 編集]
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4新しい掲示板をはじめます^^v ( ミッドナイト・蘭 )
2011/07/11 (Mon) 21:32:04
 先日、町田の古本屋で、伊藤桂一著「兵隊たちの陸軍史(昭和44年刊)」を買いました。

 これが、すこぶる面白い。

   ・・・[被服と兵器の授与]
 ・・・<巻脚絆・靴下>
 靴下は足型に合わさず、単にズンドウに作られていて、廻しながら穿けた。便利である。乗馬隊には手套が支給された。

 「巻脚絆」とは、ゲートルのことだね。

 「ゲートル」とは、まあ、レッグウォーマーのことだね。

 「レッグウォーマー」の進化系が、ルーズソックスだね^^

 ところで、この本、数年前に、ちょっとしたベストセラーになった保坂正康著の『あの戦争は何だったのか─大人のための歴史教科書(新潮新書)』の元ネタ本のような気がしている。

 でも、伊藤桂一氏の文章の方が面白く読める^^
8移転通知を忘れていました… ( EmmanuelChanel )
2012/02/25 (Sat) 12:38:00
先月末に,自宅鯖のころころ変わる IP を一つのホスト名でアクセス出来るようにしてくれる, Dynamic DNS サイトとして,私はチャット友達が趣味でやっている, DDNS.Kamyu.Net を使っているのですが,終了するという通知を受けとり,それで,新しく, MyDNS.JP というところの同じサービスに登録し,自宅鯖サイトの URI を変更していました.ですが,ここに移転通知を出すのを忘れていました.すみません.
その移転先は, emmanuelc.yuuna.org を emmanuelc.dix.asia に変えただけのものでしたが,今日, 2ch:ハングル板の”TGV より新幹線”スレの過去ログサイトを昨夜移転したので,新しい URI は現在以下の通りです.
ホームページ/英語ブログ http://www.emmanuelc.dix.asia/
日本語ブログ http://www.emmanuelc.dix.asia/ja/
掲示板 http://forums.emmanuelc.dix.asia/
リンク集 http://www.emmanuelc.dix.asia/links/
TGVより新幹線 & 台湾新幹線 過去ログ http://ktxlog.emmanuelc.dix.asia/
Yahoo! Japan 掲示板 検索 http://yarchive.emmanuelc.dix.asia/

北の狼ファンクラブ リンク集 復活版
http://www.emmanuelc.dix.asia/links/kitanoookami.html
運営 / Operation フォーラム
http://forums.emmanuelc.dix.asia/viewforum.php?f=2
P.S.
上の登録制のメイン掲示板の他に,無料スペースに予備掲示板として,以下
画像アップ機能つき 予備掲示板
http://popup.tok2.com/home/chanel/board/imgboard.cgi
8甚五郎兵衛が来週メリー殺します ( 苹@泥酔 )
2011/12/18 (Sun) 00:09:32
 御一報に、感謝。
 こちらからは、差し当たり近況をば。~このところ当方2chに入り浸って居て、半年間の不如意をどうにかする上でのリハビリ(?)には恰好かと大いに楽しんでいたところ、AA(顔文字?)絡みのネタでチョイと悪乗りしたら、思わぬ誰かが端から余人にファビョっちまった模様…(汗)。てな訳で反省中の苹でした。興味あらば、こちら(↓)でNo.392(拙稿)以降の展開でも御覧下さいましな。
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/gallery/1321664114/
 相変わらずの書道ネタ。されど、それが本筋とあらばやむなき仕儀にて、そこにこそリハビリのドッコイショたる所以あり(笑)。畢竟あれこれ昔話を蒸し返すにしても、それが単なる繰り言として看過されぬ様、そこそこ相勤める所存にて御座いまする。

 ところで、こちら天バカ板での新稿は「備忘録(成績改竄の義務)」と題する予定。されど、そのネタ元(産経記事)の出た2011.11.13以降、かれこれ一月以上は寝かし続けている状態にて御座候。そろそろ仕上げにゃならんのだろーけど、時が過ぎれば過ぎるほど、何か蘊蓄めいたものを加味しないと却ってガッカリされちまうのではと無駄に逡巡どっちらけ。まだまだ時間がかかりそうではありまする。頓首再拝。苹。
8私の掲示板の小変更… ( EmmanuelChanel )
2011/12/17 (Sat) 06:46:18
ブログに書きましたが,私の掲示板
Le Salon de Emmanuel Chanel
http://forums.emmanuelc.yuuna.org/

運営 / Operation フォーラム
http://forums.emmanuelc.yuuna.org/viewforum.php?f=2
の目的を,掲示板の管理・運営から,私のサイト管理・運営全般に変えました.
私が関わらない限り,ここやおちょくり塾,その他のサイトの喧嘩とは関係なく,リンク集のための情報やら,私のサイトに関する相談などが出来たらなあと…
潰されてこけた掲示板を再利用出来ないかな?と思いました.登録制掲示板で,海外の友達を呼び込むも考えて,登録名をラテン文字にするルールにしており,とっつきにくいですが,私と親しい仲間内で相談出来ればなあと思っています.あと,これの前の板がなくなった時に,サイト管理・相談の場所を作っても良かったのか知らん?とか…
8思い出した… ( 苹@泥酔 )
2011/11/21 (Mon) 22:47:44
>OS は Windows 7 でしたか…
 ↑これ見て思い出した…。
 ビスタ機が故障した時に先代XP機を引っ張り出したらオシャカ、更に先々代95機も昇天してたんで、新たに新鋭7機を導入したらそのままずるずる…って所になるのかしら。画像処理とメール受信は専らビスタ機。ワープロとネットは現在7機の使用頻度が多くなってます。~因みに、リカバリとか云うやつは今も昔もチンプンカンプン。
 年に一度受信(つまり削除)するかしないかのメールよりも、ビスタ機と勝手の違う7機で画像処理する方法をどうにかしないと。機械を取っ換え引っ換えするのが面倒臭くて丁度「つくる会」東京支部板への画像投稿が滞ってたところに激震が連続、六月末なんざ先代の天バカ板がいきなり消滅だもんなあ…(泣)。
 大震災の少し前、回線をISDNから光に変えました。その際の接続を7機でやって貰った訳ですが、ビスタ機に入れてたノートンは夏場か初秋に期限切れとなって以来それっきり。新しいノートンはかなり前に買ってあるけど、入れるのを怠けてたら冬になっちまった(苦笑)。回線変更以来7機の方は価格割引条件に入ってた「フレッツ・ウイルスクリア」のまま放置。そっちの方もどうにかしなきゃならんかも。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-988.html#comment
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-995.html#comment
 いつの話か調べてみたら、これって2010.10だったのね(↑)。最後の画像投稿は天バカ板ショックの半月前で、その前の一月稿が故障前の七月稿以来(↓)。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_r_718.html
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_r_675.html
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_r_530.html
 てぇ事は、あたしゃ五ヶ月くらいビスタ機を使ってないのかな。先日の「一寸先は闇」稿(2011/11/15 (Tue) 21:49:05)で触れたリハビリの件は、上記の東京支部板No.530に少し書いてあります。

 あと、蘭様へ。
 奥様ブログは閲覧対象外かも知れないから書いときます。閉鎖前の天バカ板常連、あきんど様が復活!(ここでハノイの幼女達も参加してるBGMを一つ↓)
http://www.youtube.com/watch?v=PDOL3ueBJpg
8追記 ( EmmanuelChanel )
2011/11/19 (Sat) 20:33:00
OS は Windows 7 でしたか…
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1218.html
Windows Live Mail の場合,開いても,自動では画像を表示しないようなので,そのままでは感染しないものと思われます.
開いただけで感染するメールというのは, HTML メールを開くと画像が自動で表示される機能を使っているので.
なので, Windows Live Mail の感染リスクも, MSIE 自体より低くなっているかと…
8Gmail を使いましょう! ( EmmanuelChanel )
2011/11/18 (Fri) 19:27:16
文系の先生は,あまりパソコンに気が回らないのでは?(自作をしている法学者の人もいるようですけど…)
それと,使っている Windows はなんですか?入っているメールソフトが Outlook Express であれ, Windows Live Mail であれ,開けるだけで感染する類のウイルス・メールを表示するソフトのパーツはインターネット・エクスプローラーと共用なので,感染のリスクもそれに準じます.あと,今は, Microsoft から無料で, Windows Security Essentials というのが配布されているようなので,それを入れてウイルス対策とすれば良いのではないでしょうか?
メール・クライアントを使いたくないのでしたら,プロバイダーのアドレスで Gmail のアカウントを取って,確認メールだけメール・クライアントで受信し,あとは,ブラウザから Gmail を使えば良いかと… Gmail は,迷惑メール・フィルターが発達しているので,変なメールに困る事も少ないかと存じます.
8「一寸先は闇」 ( 苹@泥酔 )
2011/11/15 (Tue) 21:49:05
 …電子メールを毛嫌いしているつもりはないんですよ。ただ、昔あたしゃネット世界へのデビュー(プロバイダ初契約)早々、大失敗をやらかしたのでやんす(詳細は支援板を参照↓)。私信のつもりが掲示板にも繋がっていたらしい上に、送信した文章量が多過ぎた結果、相手方のメーラーが破壊に至ったそうな。見方次第では「それがよかった」。あれ以来、ネットに余計な夢は見ない事にした次第。
http://f35.aaa.livedoor.jp/~masa/c-board358sp2c/c-board358sp2c/c-board.cgi?cmd=one;no=3179;id=
 その後は書道関連出版「天来書院」の比田井和子社長(でいいのかな?)と十七往復くらいのメールを遣り取りしたり、それなりにリハビリしようとはしたんですぅ(これについては「つくる会」東京支部板で少し言及)。でもパソコンぶっ壊れた場合はデータ消失がこわいのネ。通常のワープロ文書ファイルとは、バックアップの取り方の勝手が違う。ネット参入初期には青森県教育庁から貴重な返信を貰ったりもしてた。そんなのを当初からジャストシステム社のワープロソフト「一太郎」付属メールソフトで送受信してたもんだから、メールソフト別売りとなった後になって、今更メジャーなマイクロソフト社のに乗り換える…てぇのも厄介。それよりなにより耳年増の被害妄想か、噂に聞くウイルス感染がこわい。おまけに巷間ではスパムと呼ぶらしき余計なメールが増え続け、遂には匙を投げる仕儀に。加えて当方、非公開の遣り取りを必要とする訳でもなし。事務連絡なら「メールせずに電話しろ」の方が昔式ゆえ、感覚上は手っ取り早くもある。
大家「苹さん、電話ですよー」
店子「はぁい、今いきま~す」
 …これって、何十年前の話ぢゃ(汗)。
 要は、メール機能の必要を全く感じていない点に最大の壁がある。実用の必要がないから毛嫌いする必要もない。今は掲示板や他者ブログのコメント欄で充分に満たされているし、にもかかわらず敢えて自前ブログ創設ともなれば、今度は別の懸念が伴う…。

(附記)
 おちょくり板で先日、こんなのを書いた…(↓)。
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>如掲雲霧 - 苹@泥酔 2011/10/24(Mon) 02:08 No.8906
> なんと…(絶句)。天バカ板(旧板)の絶滅時、有難い事に荒間様から提供の申し出を頂戴した隠し板も今回、閉鎖対象になっちまってたのか…。これから何があるか分からんなあ。新板でない拙稿てんこ盛りの方の支援板(廃板同然)とか、そのうち閲覧できなくなっていくんだろ。
> 今は掲示板の閉鎖段階だけど、そのうち代替システムが普及すればブログも次々と閉鎖されていくんだろうな。やはりシステムに合わせた投稿様式を工夫し過ぎるのは問題があるのかも知れない。どんなシステムの時代になっても転載可能なテキストを、ユーザー自身(純粋閲覧者を含む)が各自保存するとして、…それでもデータが大量になると厄介そうだな。閉鎖以後は過去のデータがネットから隔絶され閲覧不能になる。閲覧できるのは各自保存の私家版データが再公開された場合のみ。そこに著作権問題が浮かび上がるかも知れないな。例えば「あそこの旧管理人は荒間だから、余人が複製公開するのは云々」てな具合に。そうなるのが荒間様の死後だったら。苹の死後だったなら。
> 私の血圧は上180、下100、脈拍100が普通。たぶん早死にするんだろ。仮にしぶとく生き残れたとしても、あっしのは生前から誰かが複製しまくっても構いませんぜ。どのみちネットから消えていく。忘れられていく。そこが書物と違う。ネット情報の永遠神話が崩壊する日は近い筈。余りにも分散的なため、発掘される可能性は極めて低い。仮に「つくる会の山形支部板に書き込まれた内容を閲覧したい」と望んでも、対応してくれる組織・機関は存在しないだろう…。
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8メール使えるようになって欲しい ( EmmanuelChanel )
2011/11/10 (Thu) 17:50:56
メールを使えないせいで,非公開の情報のやり取りが出来ないというのはなんだかなあと…
家が近くで行けるのなら,出向いて行って教えるなんて選択肢も出るのかも知れませんけど,そんな事をするくらいなら,実際にかかる交通費を考えても,近くのパソコン・サポート屋さん(検索した感じでは, http://apss.jp/ とか…)に頼んだ方が安いか?(貴殿にそこまでする気があるのならとっくにやっているのでしょうけど…)
ネットで貴殿に教えられれば一番安いのですが,教える技術のある人の協力を得られるか知らん?
8虚堂習聴 ( 苹@泥酔 )
2011/10/13 (Thu) 22:46:22
 いらっしゃいまし、旦那。~新板と云っても旧稿の蓄積がないと中身が皆目不明だし、新たにあれこれ書き下ろすのは旧稿再掲それぞれの初稿段階に未だ留まって居ります。それでもどうにか少しずつ形になってきたのかな。旧板には只今再掲中の2004年物の他、最も古い所では2000年の県教委宛直訴書簡からごく一部を転載した稿もありましたし、差し当たっては十年分をざっと見渡せる程度の下準備を済ませて置きたいところ。それはブログであれ何であれ大差なかろうと存居候由、構えて江湖の静観味読に資せむと具示申すべく承知仕候。(ちと書き方が変になってきた…汗)
 メアドについては公開したくないとかの問題ではなく、そもそも電子メール機能そのものを使っていないので、これを用いた遣り取りが要る場合は一切合切お手上げって事です。メールソフトがない訳ではない(パソコンに初めから入っとる)。使い方がよく分からない。携帯電話には触った事がないから電話のかけ方も分からない。固定電話の留守電機能は使った事がない。終いには部屋の電話機を撤去してしまった。二つあった回線を光電話一つに纏め(震災前)、その回線はうちの爺婆の所にある。例えば電話が要る時は、あたしゃそちらにノコノコ出かけて行く訳でやんす(笑)。此処の板って、携帯電話ではどんなふうに表示されるんでしょうかねぇ。
 正直、荒間様んとこの方が旧板と似通った使い方が出来そうではありました。しかしあちらを私は一種の最終兵器であるかの様に感じてますし、勿体なくて手が出なかった。一方、蘭様のイメージは最前線の主力部隊(と云うか海兵隊?)。これからは携帯電話を踏まえたモバイル機動部隊としての役割がますます重要になってくるかも知れないし、携帯電話以上に正体不明なスマートフォンだの何だのが続々と出現してくるご時世ならば、こちらは蘭様の選択に身を委ねても構わないのではないかと。
 今のところ相変わらずの手探り状態です。尤も余所では主にセレブ奥様んとこのコメント欄で新稿をあれこれ書いたりしてますから、慣れてみれば思ったほど不自由でもない。書道ネタでは2chの関連スレに書き込む手もある。ただし東京支部板に画像投稿する時は、画像処理ソフトのある先代パソコンを持ち出す必要がありますが。(めんどくさいから最近やってないけど。)
8挨拶でも書いておくべきでしたね ( EmmanuelChanel )
2011/10/13 (Thu) 18:02:16
でも,どこに書けば良いのかよく分からず,今までここに何も書かないできました.すみません.(タイトルや名前のサイズ制限,厳しいですね…)
新掲示板設置おめでとうございます…と普通言うべきところですが,いまでも,苹さんはブログを始めればいいのにという見方は変わりません…今持っているメアドを公開したくないのなら, Gmail を使う手もありますし…
無料レンタル掲示板で目についたものを蘭さんに見せましたが,この掲示板を選ばれるのは実は予想外でした.ウィンドウを大きくしても枠の幅が変わらず,見にくくなったなというのが率直な感想です.ケータイ用の画面デザインのようですね…パソコンからしかアクセスしない身としては,つらいです…
8【初投稿】新板開設慶賀 ( 苹@泥酔 )
2011/07/13 (Wed) 00:50:26
 投稿の仕方がよく分からない…と云うか慣れてないけど、何か書いたり覗いたりしてるうち、多分どうにかなるだろう。もう掲示板の時代ではなさそうなのに、お手数かけてスマソ(平伏)。ここ暫くは様子を見る事になるのかいな。しかしながら旧板創設の頃と違って、今では他に誰か来る下地そのものがなくなってるのは確からしい…。
 「Home」をクリックしたらブログの方の天バカ板に出た。あちらに時々出てた幼女ネタの子も、今では大きくなったんだろうなあ。
 こちら青森では東京から親戚きたる。うち一人が十歳くらいの女の子。母親があちこち役所を回ってる間、本家に預かって貰ってお留守番らしい。ちょいと顔を出したら苹が話し相手(?)になっちまった。ゲーム機を出して色々と解説してくるけど当方チンプンカンプン、最後はバッテリー切れにて終了。充電器は忘れてきたらしい。その後どうする事になるのやら。因みに学校では日常会話が総て英語だそうで、その影響が日本語の発話様式にも少しばかり垣間見られた。津軽弁が通じないので、数年前のローカル人気番組「いいでば英語塾」(こんな感じ↓)でも見せたらどうなるか興味深くはあるが、あちらが拙宅に立ち寄るとは限らない。
http://www.youtube.com/watch?v=ipLbH1PSQ6c
http://www.youtube.com/watch?v=3qihbZFtja0
http://www.youtube.com/watch?v=0TCfIoOjPGs
http://www.youtube.com/watch?v=K75FaGmo1gc
http://www.youtube.com/watch?v=cN-fwkk1YX0
 幼女の扱いは蘭様が師匠格。平素あちらを閲覧していると勉強になるなあ。
4新稿、序 ( 苹 )
2012/01/22 (Sun) 07:25:37
 数えてみれば、十三年ぶりくらいにはなるだろうか。昨日、雨声会書作展を見に行った。待ちに待った。長かった。現会長の菊池翠汀が高校を定年退職したのが昨年度末だから、青森県の教育界を潰そうと目論む苹が遠慮する理由も漸く薄れ始めた計算になる(のかな?)。併催は遠藤雨山(前会長)の遺作展。見間違えでないなら、日展会友の石澤桐雨も見に来ていた。
 孤立は思想の代償。
 こちらは今や、書道界とは完全に無縁となっている。とっくの昔に隠居した幽霊が出没しても迷惑なだけだろう。あの書展を見に行くのは今回が最後となるかも知れない。現に少数の幹部格を除き、見るべき作品はなかった。あと二十年もすれば、あの会は終わりそうな気がする。会員の高齢化だけが原因なのではなく、基礎が余りにも翠軒以後に偏り過ぎている。前会長が翠軒以前への眼差しを持っていたのは確認済みだが、それとて今後どうなるものやら。
 苹の専門分野は実技方面でなく理論面だから、お呼びがないなら何もする事はない。そもそも翠軒流の範疇を逸脱している。苹の基礎は巻菱湖と日下部鳴鶴で、そこから鈴木翠軒やら木村知石やら、独学も含めれば却ってややこしい事になる。下手をすれば翠軒流の破壊に繋がりかねない。そんな事は誰も望むまい。可能性が見出せるとするならば、差し当たっては「実技なき書教育」という事になる。それが精一杯の普遍化努力である。準備には十年かけてある。その一部が、これまで書いてきた稿でもある。
 このところ、ぼちぼち「実技なき書教育(其一)」稿を書き始めている。
8附記&旧稿目次 ( 苹@泥酔 )
2012/02/05 (Sun) 00:09:23
 かの書展を見る前から書き始めていた新稿「其一」は、早い時点で概ね仕上がっている(セレブ奥様ブログ「2012/01/23 19:49」非表示コメント附載)。今は「其二」も含めて推敲中。…と云うのは、此度の再掲を契機に当板あらかた読み返したところ、大量の旧稿と重複する内容が気懸かりとなった次第。例えば「【再掲】「俺妹」受難曲11」稿(↓)の場合、こんな表現がある。
http://imoshiori.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7361138
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> 先日NHK繋がりでNo.7861を書いた後、話はNo.7870へと脱線していった。…中には薄々勘付いている人も居るだろう。そこには「実技なき書教育は可能か」という視点が含まれている事を。
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 たぶん、出すまで相応の時間が要る。初稿のままで構わないなら、早ければ明日にでも。尤も進捗状況次第では、遅ければ一月後か、或いは。
 思い起こせば二十年以上前から、いづれ雨声会(と云うよりは鎌田先生か)と距離を置く事になるだろうと予感はしていた。「実技を必要としない書道」と「社中を必要としない書道」は表裏一体の関係にある。そこに学校がどう関わるか。~先日2chで、こんな事を書いた(原文では改行あり↓)。
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>616 :わたしはダリ?名無しさん?:2011/12/17(土) 05:02:37.02
>>書道界の間違いは、鑑賞者を書道界の中に作ったことでは?しかも作り手の側に。
>>>615はそのものズバリだなあ。学校では部活動に引っこ抜いて、卒業したら門人にする。うまく事が運ぶほど、生徒は書き手にならざるを得ない。書かない門人など考えられない。しかし授業なら話は別。書道選択者は門人でない。彼らが鑑賞者となっていくはずだった。部活そっちのけ、全力で授業やる先生いるのかね。極端な話、授業なら書道が嫌いでいい。それでも部活より高度な内容を授業で仕込む。嫌々やる生徒は多かろう。卒業でサヨナラ。後は筆を持たないかもしれない。でも古文書が読める。古典の知識がある。見方もわかる。それが鑑賞者の素養になる。学校以外に育てる場所はない。社中では書き手しか育たない。どんなに受験勉強が嫌でも後で役立ったりする。それと同じ事が学校書道で何故できない。嫌われるのがこわいから部活の生徒相手にひきこもる。確かに生徒は育つ。書き手になる。合宿で生徒いてこましてクビになるのも互いの不幸。授業の方がよほど安心安全だと思う。
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 さて。
 此度「旧板No.7240に始まるスレッド」を転載した訳だが、念のため旧板絶滅直後にグーグルのキャッシュからコピペした旧稿群を参照したところ、より大きなツリーに含まれる階層の一つに過ぎなかったらしい(因みに苹は、スレッドとツリーの区別が付かない)。
 手元に残る当該ツリーの目次は下記の通り(手作業の本文削除により作成)。投稿順序に若干の乱れがあるのは、表示順序の前後で各稿が別の階層に属するためである。(No.7278は闖入者の宣伝投稿なので無視されたし。)

(当該ツリー順番)
7285 今夜はヒマネタ… 苹@泥酔 2008/09/29 20:42
7288 Re:今夜はヒマネタ… ミッドナイト・蘭 2008/10/16 21:00
7289 Re:今夜はヒマネタ… ミッドナイト・蘭 2008/10/16 21:05
7298 久々なのにヒマネタ御免 苹@泥酔 2008/11/28 00:39
7284 散々良い思いをしてきて今更泣き言とは、もう一度良い思いをしたいのか 福田恒存をやっつける会会長 2008/09/27 11:15
7277 気が向いたから、長くしてみる… 苹 2008/09/11 21:39
7279 気が向いたから、長くしてみる…(其二) 苹@泥酔 2008/09/18 23:44
7280 追記 苹@泥酔 2008/09/21 19:29
7281 Re:追記 ミッドナイト・蘭 2008/09/22 18:05
7278 超特価四点セット3980円 Max-Xtender増 alibaba168 2008/09/15 11:40
7273 京大教授中西輝政氏のありがたいお言葉 福田恒存をやっつける会会長 2008/09/03 21:43
7275 Re:京大教授中西輝政氏のありがたいお言葉 ミッドナイト・蘭 2008/09/06 08:24
7272 いやはや、忙しい^^; ミッドナイト・蘭 2008/08/31 21:26
7271 ググれば心なごむwikiのひととき(?) 苹@泥酔 2008/08/27 00:27
7268 ちょいと忙しい^^; ミッドナイト・蘭 2008/08/25 21:13
7240 業務連絡 しおりさんへ ミッドナイト・蘭 2008/08/11 22:33
7241 取り敢えず、レス。 苹@泥酔 2008/08/13 00:21
7247 Re:書道の教科書を書いたかた 蘭@携帯 2008/08/15 09:25
7257 レス&呪い 苹@泥酔 2008/08/16 21:49
7261 Re:レス&呪い ミッドナイト・蘭 2008/08/18 22:14
7262 余談の余談 苹@泥酔 2008/08/19 00:18
7263 Re:余談の余談 ミッドナイト・蘭 2008/08/19 22:22
7264 余談の余談の続き 苹@泥酔 2008/08/21 00:49
7265 Re:余談の余談の続き ミッドナイト・蘭 2008/08/21 22:33
7266 余談の余談の続きの蛇足 苹@泥酔 2008/08/22 02:44
7317 あけおめ、ことよろ。 苹@泥酔 2009/01/02 01:11
7318 あお、こよ。(更に略^_^;) ミッドナイト・蘭@職場 2009/01/02 07:49
7584 石原都知事は非正規雇用九割を黙認? 苹@泥酔 2009/07/04 02:12
7617 「教育右翼」達の逆襲 苹@泥酔 2009/08/14 23:29
7620 恥を忍んで(其一) 苹@泥酔 2009/08/21 01:26
7623 恥を忍んで(其二) 苹@泥酔 2009/08/23 04:16
7624 恥を忍んで(其三) 苹 2009/08/24 06:57
7625 恥を忍んで(其四) 苹@泥酔 2009/08/25 01:26
7626 恥を忍んで(其五) 苹@泥酔 2009/08/25 23:31
7628 文部科学省への復讐? 苹@反日実験人格 2009/09/04 06:59
7629 「ひとへにかぜのまへの…」(!?) 苹@泥酔 2009/09/07 23:19
7631 【補記】鳩山、山川。 苹 2009/09/18 06:20
7633 「ハコモノ限界集落」への道 苹@泥酔 2009/09/19 22:21
7727 口先のパラダイム 苹 2010/02/23 23:40
7734 「書道美術新聞」雑感 苹@泥酔 2010/03/09 23:49
7738 【No.7734補記】シミュラークルの戯れ 苹@泥酔 2010/03/26 20:17
7740 高教研の思い出 苹@泥酔 2010/04/05 00:39
7789 【備忘録】教員配置と学級定員 苹@泥酔 2010/08/03 20:12
7586 班単位授業の思い出 苹@泥酔 2009/07/09 20:45
7588 No.7586の続き(改稿) 苹@泥酔 2009/07/11 21:29
7594 【No.7588補記】「夢奠帖」全文 苹@泥酔 2009/07/16 22:58
7598 「夢奠」ネタの続き 苹@泥酔 2009/07/17 21:04
7646 「夢奠」ネタから翠軒へ 苹@泥酔 2009/10/02 01:57
7648 【翠軒】追記の追記【書翰集】 苹@泥酔 2009/10/07 23:34
8【再掲】「恥を忍んで」12 ( 苹@泥酔 )
2012/02/03 (Fri) 21:58:10
7588 No.7586の続き(改稿) 苹@泥酔 2009/07/11 21:29

 これを書くと「なんぼなんでも遣り過ぎだ」と云われそうだが、取り敢えず前稿の続きって事で。~その前にいくつか、ぼんやりした疑問を。学習指導要領は指導の上限か下限か。どの程度の制約に縛られるのか。指導要領からの逸脱とはどんな状況を指すのか。そしてもう一つ、そもそも基礎とは何か。

 嘗て私は芸術科書道の授業で書道史を取り上げた。「書道Ⅰ」の最初に出てくる面々も当然その中に出てくる。…ここが他の教科と大きく違う。蓄積と反復の位相が転倒し、反復による自己言及的な蓄積が「別の蓄積」と等価な水準で盆踊りを始める。するといつしか死者が蘇り、しかも甦った死者は死者自身ではない。「私」のドッペルゲンガーの様に見つめられ(鑑賞)、頬を赤らめる瞬間に死者が微笑む(自運)。その彼方に幻のごとき知識が絡む。それはあくまで手掛かりに留まり、パズルの様な組み合わせから印象の里程標が生まれる。
 差し当たって、ゾロゾロ出てくるのは欧陽詢、虞世南、チョ(衣偏に者)遂良、顔真卿、王羲之。そうした面々が「書道Ⅱ」や「書道Ⅲ」でも繰り返し出てくる訳だ。ただの復習では面白くない。私は何か余計な事をしてみたくなる。
 中には大学の史学科や中国文学科などに進学する生徒も居るだろう。居なくたって基礎知識くらいは身に付けて置いた方がいい。あの手の支那人には名の他に、字や号などの別称がある。なにやら名前で呼ぶのは失礼にあたるらしい。そもそも跋文に「顔真卿」などと書くかね。大抵は「顔魯公」だろ。それくらい大学に行く前に覚えてろっつーの。てな訳で苹は余計な事を教えるのであった。
 例えば「信本、伯施、登善、清臣、逸少」の字グループと「率更、永興、河南、魯公、右軍」の官職呼称グループに分け、現代人の人名感覚から相応の距離を取ろうとした。「王右軍と云えば王羲之の事だな」と分かればそれでよい。ただし「漢字で書け」と出題するのはちと酷なので、定期考査では語群から選ばせるか何かする程度に留めた。
 しかしながら「わざわざ初唐三大家の字まで出す必要があるのか」と問われると返答に困る。たぶん宋の三大家なら構わないんだろうけど(これもダメだったりして?)。蘇軾と来れば子瞻に東坡に文忠。黄庭堅は魯直に山谷に文節。米フツ(草冠に市、もしくは黻)は元章に海岳(嶽)に南宮。「黄州寒食詩巻跋」を習えば東坡や魯直が出てくるし、書論をやれば「海岳名言」、「米海岳の名言集かしら」と思い至る。日本の例で云えば「福翁自伝」のタイトルを見て「福澤諭吉(雪池)晩年の自叙伝かしら」と思う様なものか(諭吉でなくても大目に見たりして…同じ「福」で始まる人なら恆存とか赳夫とか康夫とか)。
 さすがに授業で扱った事はないが、欧陽詢の書に「仲尼夢奠帖」ってのがある。そう云や中学三年の正月、面白半分に全臨した事があったっけ(遠い目…)。「仲尼」と来れば真っ先に思い付くのは孔子なのだろうが、この語彙は確か孝経にも出てきた気がするなあ。

 さて。
 そんなふうに進学先で役立つかどうかを考えると、どうしたって従来の書教育感覚には収まりきらない内容まで踏み込む事になる。強弁するなら「必ずしも教科書に載ってない訳ではない」。孫過庭の「書譜」には「逸少」が出てくるし、欧陽詢の「九成宮醴泉銘」図版の脇には、ともすれば魏徴の名前までが出てきたりして。
 そこで国語だ漢文だ。魏徴の漢詩なら大学入試に出る事もあるんじゃないかしら。もし「教科書に載ってない題材を試験に出すな」と言い募るなら、数学の応用問題はどうなってしまうのか。「丸暗記で対応できない計算問題は教科書に載ってないからダメ」とならないか。それと似通った発想で書教育を捉えれば、教科書の見方が自ずと変わってくる筈だ。「ただ書き写すだけ」と思っている人に限って、元々は国語の範疇にあった筈の言語芸術、教養芸術だという事を忘れている。GHQの占領政策を懐柔するため、さも視覚芸術であるかの様に装ったツケが、半世紀以上を経た現在も相変わらず総身に回っている。
 私にしてみりゃ、これだって立派な歪曲教育だ。殆どの大学専攻科ではまともな指導をしているらしいのに、それが下まで降りてこない。…まあ、高校以下で歪曲教育する側から見れば大学教育の方が間違っている様に見えるのだろうから、厄介な高学歴連中をそのまま受け入れる訳にはいかない事くらい大略の想像がつく。それよりは市井の「お習字」の先生を非常勤講師に雇った方が好都合なのも分かる(気に入らないなら簡単に解雇できるし)。高校教育を小学校レベルのまま高度な歪曲で包み込め。そのための方便としての「芸術」が学校教育には必要なのだ。芸術そのものを西洋文化で包んで丸ごと曲解させれば、日本や東洋の芸術に対する理解や実践の在り方そのものを根こそぎ破壊できるのだ。
 この点で私の教委批判と現場批判とが融合する。彼らは問答無用で「受験に役立たない科目」とのレッテルを貼り、潜在的な「受験後に役立つ余地」をも正面から潰しにかかる。教委は教員採用試験の実施を阻止し、そのための理由を現場から掻き集める。かてて加えて大抵の場合、どの高校でも書道担当教員は一人だけ。要するに孤立無援となりやすい。大学側としても学生の就職先を敵に回すのは得策でないのだろう。いつだって及び腰。何の力にもならなかった。それを不本意に思う大学教官が少なからず居る事は知っている。しかし「その後が続かない」。少なくとも十年前の段階ではそうだった。私の見るところ、毎年バカの一つ覚えみたいに採用試験を実施してきた岩手県を除いては。(実態はどうだか知らないけど。)

 栃木の大田原市では扶桑社教科書を継続使用するそうな。自由社のを支持する側ではガッカリした事だろうが、結局は持久戦だから「まだこれからだ」と奮起するに如くはなし。
 私は書教育界の隠忍百年を覆したいし、そのモデルケースとして歴史教育方面の運動十年を注視している。そこから何か学べるのではないかとも思っている。切磨箴規の志あれば…多分どうにかなるだろう。なる様になるだろう。まだまだ隠忍の日々は続く。それだけは当初から当たり前の様に覚悟している。
 楽観的かつ激甘に見積もって、…二十年後にはどうにかなっていればいいなあ。


(補記~余談)
 以下はNo.7586で書いた楷書古典選択制の話。
 孔子廟堂碑と九成宮醴泉銘(or皇甫誕碑)の一方だけを集中練習させたのは、平たく云えば「虻蜂取らず」になるからである。どちらも完成された間架結構法に則っており、正直に云うと「こんな高度な古典を最初に学ばせる神経を疑いたくなる」くらいなのだ。
 例えば「風」の中の部分をどう書くか。風構えの二画目を伸びやかに生かすには、中を大きくし過ぎるとマズイ。九成宮の場合は特に手が込んでいて、二画目の横画部分と三画目(活字では左払いだが書写体では横画)の間が絶妙の間合いとなっている。そうしたあれこれを観察するだけでも困難なのに、真似て書くとなるとその苦心いかばかりか。バランスは無数の部分から成る全体となって凍りつき、それを解凍しようとすれば忽ちバランスが崩れかかる。それを支える力持ちの座にいきなり据えられるのだから、私は練習時間不足の生徒達に心から同情するね。その辺の事情は(私の場合)上条信山や小暮青風、松本芳翠、柳田泰雲などの臨書集を手当たり次第に書き分けてみるとよく分かる。
 雁塔聖教序と顔真卿の書を一括りにしたのは、筆の弾力に注意を向けさせる肚。前者は剛毛なら鈴木翠軒、柔毛なら手島右卿が好ましいが、好みは人それぞれだから比田井天来や上条信山などの様になっても構わない。顔真卿のは比田井南谷の説明が勉強になった。ただし多宝塔碑の場合はむしろ「お習字」系の延長で書く方がよさそうではある。余計な事は考えない方がよいのかも知れない。そうした疑問が常に蟠っている。
 北碑の臨書では存分にひねくれてみた。日下部鳴鶴ばりの廻腕法で書いてみたり、筆管をバッタンバッタン倒して西川寧だか趙之謙だか分からぬ逆入平出を演出したり。それくらいは高校教員なら誰でも紹介くらい出来るだろう。かと云ってゲテモノ扱いされても困るが。個人的な好み(?)では、落としどころとなると上条信山か。
 どの書きぶりも、浮気すると楽しい点では天下一品の先人達だった。



7594 【No.7588補記】「夢奠帖」全文 苹@泥酔 2009/07/16 22:58

 本題とは全く関係なきカラヤン命日に供するは、以下の欧陽詢「仲尼夢奠帖」全文。~訓読の便宜上、ここでは取り敢えず『書跡名品叢刊』170(二玄社)P.88の釈文に依拠し、括弧内に返り点を付す。
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>仲尼夢奠。七十有二。周王九齢。倶不(レ)滿(レ)百。彭祖資以(二)導養(一)。樊重任(レ)性。裁過(二)盈數(一)。終歸(二)冥滅(一)。無(レ)有(下)得(二)停住(一)者(上)。未(レ)有(二)生而不(レ)老。老而不(一レ)死。形歸(二)邱墓(一)。神還(レ)所(レ)受。痛毒辛酸。何可(二)熟念(一)。善惡報應。如(二)影隨(一レ)形。必不(二)差二(一)。
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 「夢奠」で検索したところ、どうやら「禮記」檀弓上第三などがベースらしいが、その辺の事は私の専門外ゆえよく分からない。…それはそうと、検索中に張崑將(台北醫學大學醫學人文研究所)「死亡的思考」と題する論考を発見したので紹介してみる(↓)。
http://120.118.195.1/aseip_folder/96excellent/970103%E6%AD%BB%E4%BA%A1%E7%9A%84%E6%80%9D%E8%80%83%EF%BC%88%E6%AD%A3%E4%BF%AE%E7%A7%91%E6%8A%80%E5%A4%A7%E5%AD%B8%E8%AC%9B%E7%B6%B1%20%E7%B0%A1%EF%BC%89.pdf
 中にはこんな記述(↓)も出てきて、小見出しに思わずドキリとさせられた。検索結果表示の「HTMLバージョン」経由でワープロにコピペしたら文字化けがあったので(何故だ?)打鍵し直したが、正確な表示はPDFの方で見てちょ(↑)。
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>e.日本民族:櫻花與武士道的死亡精神
>大和魂並不是柔弱人工培養的植物,而是指在自然的野生物,它是日本風土中固有的。也許它偶然與其他國土的花相同性質,但它的本質則完全是在我國風土上所固有的自發產生的。然而櫻花是國產的這一點,並不是我們喜愛它的唯一理由,它以其高雅煦麗的美代表我國國民的美感,這是其他任何花所不及的。我們不能分享歐洲人對薔薇的讚美。薔薇缺乏櫻花具有的單純。再者,薔薇在甜美之下暗藏著刺,它對生命的執著,與其落花離枝,它寧肯枯萎在枝頭上。就像嫌惡和害怕死亡似的,它的豔麗的色彩、濃郁的香味,所有這些都是和櫻花有所不同的特性。我國的櫻花,在它的美麗下面並沒有藏著刀刃和毒素,任憑自然的召喚,隨時都能捐棄生命,它的顏色並不華麗,它的香味清淡,並不醉人。一般來説,色彩和型態的美只限於外表,它有固定不變的性質。反之,香味則是昇華的,有如生命的氣息一樣。因此,在一切宗教儀式上,花香和沒藥有著重要作用。在花香裡面有著某種振奮精神的東西,太陽從東方一升起,首先照亮了遠東的島嶼,櫻花的芳香使清晨朝氣蓬勃,再也沒有比吸入此時的氣息更為清新爽快的感覺了。新渡戶稻造:《武士道》,頁139-140。
>
>f.儒家士大夫死亡觀與日本武士的死亡觀之比較
>中國「死與仁」、「死與孝」vs.日本「死與忠」(獻子成忠之對照)
--------------------------------------------------------------------------------
 ううう…大雑把にしか読めない(泣)。
 副読本としては、加地伸行『儒教とは何か』(中公新書)冒頭の「はじめに」が読みやすかった(でも読了した記憶はない…あらためて読み始めて反省orz)。



7598 「夢奠」ネタの続き 苹@泥酔 2009/07/17 21:04

 私は「礼記」の本を見た事がない。昨夜のネットが初めてのチラ見。~今日は当てずっぽうに小川環樹・今鷹真・福島吉彦訳『史記世家(中)』(岩波文庫)を参照した。するとP.324にこう書いてある(孔子世家、第十七↓)。
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>孔子は子貢に向かって言った、「天下に道が失われて久しくなった。わたしを師とするひと(諸侯)はいない。夏の世の人びとは東側の階段の上で殯(かりもがり)をし、〔いま〕周の世の人びとは西側の階段の上で、かりもがりをするが、殷の人びとは両柱の間(堂の二本の柱の中間)で、それをした。昨晩わしは両柱の間にすわって供物をそなえられている夢をみた。わしはもともと殷ひと〔の子孫〕だからだろうな」。その七日後に〔孔子は〕亡くなった。孔子のとしは七十三歳で、魯の哀公十六年(前四七九年)四月己丑の日に亡くなったのである。
--------------------------------------------------------------------------------
 なおP.341の訳注には「この対話のことは『礼記』檀弓上篇に見える」とあり、また「孔子の死亡の日付は『左氏伝』に載っている」とある。
 昨夜の検索で見た「夢奠」は「供物をそなえられている夢をみた」に相当するらしい。この岩波文庫本は上記の通り翻訳であり、原文は載っていない。だから~しつこい様だが、私は原文を見た事がない。ネットで見るまでは「夢奠」との結び付きが得られなかった。後から思えば何十年か前、実用書式の習字で「御香典」を「御香奠」と練習したものだが、なにしろこちらは専ら先入観(ボロボロの紙幣を包む)に囚われているもんだから、そこから連想するのは些かキツイ。

 加地伸行『儒教とは何か』(中公新書)「はじめに」Ⅳ頁に「殯」の話が出てきた。その箇所を以下に転載する。
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> 儒教では、死者になると、それを悼んでいろいろな儀式を行なう。始めにまず北窓の下にベッドを設けてそこに遺体を安置する。これは儒教の規定である。このあと順を追って実にこまごまとした規定の下に儀式を進行する。そして出棺となり墓地に葬る。死から葬るまでのその間、遺体を家に安置しておくが、このことを殯(もがり・かりもがり)という。死後すぐに遺体を葬るわけではない。今日の葬式において、お通夜をしたり告別式がすむまで柩を安置しているのは、(遺体を葬る、あるいは焼くまで、医学上・法律上の時間制限があるが、それは別として)儒教における殯の残影なのである。もちろん、日本における古来からの習俗とも融合してはいるが。
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 …で、「なるほどなあ」と思った。
 字(あざな)の話が「仲尼」に及んで、そこから話が欧陽詢の「仲尼夢奠帖」へと移り、かくて上記の通り。しつこい様だが、~私には多分「少しだけ」しつこい面があるのだろう(ぬけぬけ)。



7646 「夢奠」ネタから翠軒へ 苹@泥酔 2009/10/02 01:57

 忘れた頃に蒸し返す。苹はそーゆー男です。(もしかしたら女かもよ?)
 欧陽詢の行書は、仲尼夢奠帖を含む所謂「史事帖」各種が最も確からしい。もちろん後世の模本を刻した可能性はある(戲鴻堂帖など)。量的には行書千字文(遼寧省博物館蔵)が学習に好都合だが、稍や堅苦しさが目立つため、そうした点では史事帖の方が学びやすいとも云える。夢奠帖の全文は先日No.7594に転載した。
 嵯峨天皇の書と伝わる宮内庁蔵本に李キョウ雑詠がある(キョウは「山喬」)。これがまた見事に欧陽詢の書きぶりと似ているので、そちらの観点からも貴重とされる。…で、これらを書き分けようとすればどうなるか。今夜のネタはズバリ、これである。

 今はどこにでもある「唐筆」仕立ての筆で書くと、普通なら欧陽詢のそれと近い筆触になるだろう。しかし開国前後の毛筆事情は今とかなり違っていたらしい。向久保健蔵『The筆』(日貿出版社)P.141にはこう書いてある。
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> 新旧の用毛・製筆法の交替は巻心筆を初め従来よりの手法もまだまだかなりな分野を占めていた用毛においてもやはり鹿、狸、馬が絶対量を保っていた。従来微々たる存在だった羊毛の占める比重が、少しずつ増大傾向をたどった。
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(この手のネタは昔どこかに書いた気がするけど…まあいいか。)
 巻筆は紙巻筆とも呼ばれ、日本では大昔からこの製法だった。それが明治維新後に今の筆(水筆、捌き筆)へと変わったため、「今日ではその製法も使用もほとんど行われていない」(P.63)そうな。籠巻筆は金網を巻いた筆。比田井天来が特注した話はそこそこ有名(?)…な筈。
 小筆には色々な種類があるが、中でも面相筆は、仮名をやる人なら半分くらいが使っているんじゃなかろうか。長く鋭い仕立ての筆で、ざっと見るところ鼬の毛が多い。日常書記の他、日本画や漆器製作などでも使われているらしい。今は筆と云えば殆どの人が半紙に書く時の大筆を思い浮かべるのだろうが、日常書記では小筆を使うケースが殆ど。だから小筆を中心に考えるのが本筋だし(支那なら白居易みたいに紫毫の絡みか…)、大筆は掲示物で使うケースを除けば概ね手習いや趣味の領分となる。そう考えるなら大筆は或る意味「小筆のバケモノ」と云えなくもない。その事について考えさせられたのが、私の場合は所謂「翠軒流」だった。
 明治以後の漢字書道は支那一辺倒で、書家が唐筆の作り方を日本の筆屋に学ばせたもんだから上記の仕儀と相成った。日下部鳴鶴は羊毫長鋒、しかも楊守敬から学んだ廻腕法で書く。中林梧竹は渡清して本場の書法を学び、あちらで特注した羊毫長々鋒の渾名が「鯰の髭」と来たかと思えば、晩年は長々鋒派から極端な短鋒派へと豹変。…実は大学時代に見習ったら温恭堂の「一掃千軍」や玉川堂の「則天」では物足りなくなって、妄想を膨らませた挙句イメージ上の「鯰の髭」を特注してみた事がある(6mm径90mm長)。そしたら見事に失敗(?)して「近代詩文書専用珍筆」みたいになっちまったけど、かと云って書けない事はない(教員時代も生徒の前で使って見せた)。本来の目的からしてみれば「一回り小さ過ぎた」って事なのかも知れない。つまり『梧竹五體法帖』(清雅堂)を演繹して所謂「立ち書きの法」で…と。そこでもサイズ指定のイメトレ時点で翠軒流が影響した。
 鈴木翠軒の使う筆は、普通サイズの玉川堂製「閑雲」以後、面相筆のバケモノみたいな「白狸毫」へと移った。それで半切五字大、尺八屏二行十四字大の行草を書いていたのだから凄まじい。普通の大筆ばかり使っている明清調の人(後輩の大学生)に初体験させたら誰もが戸惑っていた。しかしよくよく考えてみると、仮名の人って面相筆を使いこなしてるんだよなあ。~漢字と同様、翠軒の仮名は有名である。だからこそ和漢混淆文で本領発揮、翠軒の書簡は歴史の切断を超克する上で最重要の鍵となる可能性を秘めている。
 その翠軒が漢字の基礎を王羲之、空海、嵯峨天皇で鍛えた(天皇陛下の御下問にそう答えた)。中鋒用筆を漢字から抽出した上で、仮名と融合させるための手札とした。その交点に件の雑詠がある。仔細に見ると欧陽詢とは全く異なる用筆が散見され、側筆ですら「穂先が後から付いてくる」結果に過ぎないのだと諒解できる。しかし反面では筆毛自体の弾力に負う面が大きく、事によると羊毫主流の時代とは相容れない面があり過ぎるのかも知れない。そんなふうに捉えるなら、翠軒の古典主義感覚は方法論的な限界を含むがゆえに、未来志向型古典主義の手島右卿よりは比田井天来に近い立ち位置にあるかの様に思えてくる(右卿は嘗て洋画家を目指した事があるそうな)。
 漢字から仮名へと向かう歴史的文脈の中で、中国と日本との切断時代を後から日本に取り込もうとすれば必然的に摩擦が起こる。それを執拗に繰り返したのが開国後の日本だった。言い古された「脱亜入欧」なんて言葉とは無縁な世界がそこにある。戦前の日本は西洋ばかりを見ていたのではない。開国早々、支那文化の深奥にも早くから踏み込んでいたのである。そうした視点を欠くと憧憬と幻滅とのバランスが取れなくなる。保守の宿命は常に真の歴史から呪縛されている以上、「保守の自己欺瞞」は結果的に、昨今の自民党の様な疲弊状態を自ら招き寄せる事になるだろう。

(追記)
 以下は教員、愛好家、知識人、研究者その他の興味ある方々に宛てて。
 嘗て月刊『書道研究』1989.3号(萱原書房)の広告に載っていた、翠心会の自費出版らしき『翠軒書翰集』は今も在庫が何十冊かある(当時の広告には「残部僅少」とあるけれど)。そう断言する理由は、苹んとこに在庫の保管役を押しつけたきり、そのまんまになってるから(苦笑)。
 あたしゃ1999年に「学校教育フルボッコ」の覚悟を決めて以来、彼らとの関係一切を絶っている。と云うのも、翠心会の会長を含む青森市内のリーダー三人は高校書道教員だから。うち二名が既に退職、残る一名もそろそろ定年退職する筈。それを私は待っている。退職したらただの人、苹が何を書いても「迷惑だからヤメロ」は通用させない。
 注文したい人は、あちら宛に連絡どーぞ。昔の読売書法展の図録には住所など載ってるし。もし「在庫がありません」と云われたら、此処のカキコを根拠にしてみそ。「約十年前迄そちらのお世話になっていた渭苹さんが、処分に困ってるそうです」ってね。「引き取りたい」との連絡が来たら、その旨こちらで報告する予定です。…え? なぜ自分で売らないかって? 関係を断絶してても無断で売ったら着服になるでしょ。勿論ここで注文カキコされても困ります。私は関係ありません。あちらを通して下さいな。

(更に補記)
 紙巻筆ネタを昔どこに書いたか…見つけた。此処だった(汗)。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=7031&range=1



7648 【翠軒】追記の追記【書翰集】 苹@泥酔 2009/10/07 23:34

 『翠軒書翰集』ネタについて、念のため附記します。
 段ボール箱ごと車庫の階上に約二十年間放置しているため、今どんな状態になっているか未確認です(確認する気もない)。冬場の気温変化が稍や気になりますが、少なくとも車庫に雨漏りはありません。~本はかなり上質な装幀で表紙は裂地。さすが定価一万数千円するだけの事はある。細部の凝った仕様は鎌田雨溪氏(陶芸家でもある…最近は地元で新聞沙汰になった通り発明家の一面も?)が担当した筈。当時の発注先は遠藤雨山氏(今は翠心会の会長)宅。
 かれこれ十年くらい前になるかしら。本を持て余した苹が菊池翠汀氏(文筆名は五味汀子)に相談した事がありました。インターネットで再宣伝したらどうかと。その時の反応は「やめとけ」でした。そのうち朽ちるぞ(苦笑)。東京神田の飯島書店(書道関連古書店)あたりに纏めて引き取って貰う手もないではない筈なので、そちらに「なんとかならないか」と持ちかければ会長との直接交渉が成り立つかも。…とにかく苹はさっさと手を引きたい。大袈裟に云えば、いつ死ぬか分からぬ身なんだし(それにしては、ネット遺言の筈が何年も長続きしてるけどw)。また実際、そんなに冊数がある訳でもない。押しつけられた時に数えたら五十冊未満だった筈(とっくに忘れてるが、或いは二十数冊程度だったかも?)。
 そんなのテメエが連絡すればいいじゃん…と思う人が中には居るかも知れない。その人は多分、前稿で「彼らとの関係一切を絶っている」と書いた意味をよく理解していないのだろう。何処で何が繋がっているか分からない。私は青森県が組織ぐるみで行った教育偽装のネタをいくつか抱えている。~そう云や、先日は弘前市でパソコンソフトの不正使用が発覚してたっけ。何千万円か賠償するらしい。私の勤務した高校でも行われていたのになあ。教育界は市役所以上に保護されているって事なのかしら(具体的にはアドビのフォトショップとか)。

 最後にエピソードを一つ。
 ~何年か前の或る日、書店の外商部の人が本を配達しに来たそうな。いつも注文してくれるから…なのだろう。粗品を持ってきたのはいいが、それがなんと『翠軒書翰集』(笑)。そんなの十年以上前に買って持っているのは家人もよく知ってるから、怪訝に思って訳を聞いてみたそうな。…実は店でも持て余していたらしい。そこで「あそこの家は興味ありそうだから」ってんで持ってきた。帙はかなり日焼けしており、売り物になりそうもない状態だった(ただし中身は極上)。それだけ長い間、店頭で「見向きもされなかった」って事なのだろう(単に値段が高過ぎただけ…と云えば身も蓋もないが)。
 …てな訳で、件の段ボール箱(預かり物)とは別に私物の『翠軒書翰集』が二冊、書棚で位牌の様に並んでいる。(書棚は仏壇と似ている…いっそ書壇と呼んでみるか…いや、なんぼなんでもそれでは冗談の度が過ぎる…)
8【再掲】「恥を忍んで」11 ( 苹@泥酔 )
2012/02/02 (Thu) 22:10:34
7740 高教研の思い出 苹@泥酔 2010/04/05 00:39

 先日『WiLL』2010.5号を買ってきた。今回は日教組の特集。ざっと読んでみると、所々に思い当たる節がある。~例えば義家弘介「アンタッチャブル日教組」P.55。苹の在職当時、青森でも自宅研修は容認されていた。あれって問題あるのかなあ。そんなふうに考えた事なかったぞ。
 と云うのも理由がある。そもそも学校や研究会で何が研修できるのか、そこが私にはよく理解できないからだ。余所では組合の先生か誰かから、「こんなふうに教えなさい」とでも指導されるのだろうか。あたしゃ高教研で研究発表を見た事はあっても、研究授業を見た事はなかったのよね(そもそも実施されてない)。
 ~本の山は自宅にある。文房四宝など諸々の文物も同様。だから自宅でないと勉強にならない。七つの部屋で書物の海を渡るのが何より楽しい…となれば、これを教材研究に利用しない手はない。一つの教材に数十冊分のエッセンスを凝縮するのは日常茶飯事。仮に私物数百冊を学校搬入したとして、夜中に泥酔しながら教材研究して遊ぶ時はどーすりゃいいのよ(今こうしてゴチャゴチャ泥酔カキコしているのと似た様なもんだ)。
 或る夏の高教研書道部会で、翌年の研究発表が苹に回ってきた。視点ならゴマンとある。ざっと思い付くまま並行して寄せ集め、想を練って楽しんだ。…成績評価をネタにしようか。所詮は単年度評価である。やろうと思えばいくらでも形骸化できる。高校で小学生レベルの知識や実力しか身に付かなくても構わない。なにしろ翌年に繰り返せばよいのだから(今年も明日から再放送の始まるNHK教育「書道は楽しい!」を見りゃレベルの低さ丸分かりw)。
 そうした形骸化のカラクリ分析を秋の時点で考えていた。他にもあれこれ想を練っていたら、四月になる一週ほど前、目出度く唐突に教職追放の通告きたる(一ヶ月前じゃないよ♪)。…高教研では別の人に発表の役が回ったのかしら。だとすれば、その先生の準備期間は「四月から夏の本番まで」って事になった筈。
 東京ではどんな具合になってるのやら。都立高校の内訳は…想像を絶する?(↓)

(補記)
 以下はセレブ奥様(西尾日録管理人様)のブログに書いたコメント二稿の抄録。
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>(以下余談)
> 「今の高校は明日の朝鮮学校」ってネタの続きを天バカ板に書く予定だったけど、只今注文中の岩田誠編『神経文字学』(医学書院)がまだ届いてないんで躊躇してまっす。でも、なんか例の高校授業料無料化法案の可決が迫ってるみたいなんで、取り敢えずこちらで短くコメントをば。
> 苹の見方では、教育界の民主党支持は「高校教育からの離脱」が動機。他方、初手から離脱してるのが朝鮮学校。つまり朝鮮学校は高校の先輩格。これまでは高校教育から内々に離脱(=予備校化)しても構わなかった筈なのに、いきなりの未履修問題で教育界を激怒させたのが自民党政権だった。
> 高校には一条校特権があるけど朝鮮学校にはない。そこで今回、先ずはバラマキ攻略から事を始める。朝鮮学校レベルの「逸脱」ぶりでも高校並みのバラマキ支給が可能なら、高校側の「逸脱」だって平等に容認されるべきだろう。日教組も北教組も、この点では見解が一致してるんじゃなかろーか。保護者は子供を出来るだけ上等な大学に入れたい。そうした心理を味方につけて、高校の予備校化(=逸脱)を推進する。文部科学省の支配に楔を打ち込み、大学との間接的癒着関係をいっそう強化しつつ経営安定をはかる。そうでなくても統廃合圧力がキツイ時代なんだから、ここは本気になって取り組まにゃーならん正念場ってこった。
> たぶん図星だろうとは思うんだけど、産経かどこかで裏を取ってくれないかなあ。その結果次第で、こちらは更に熟考するつもりなの。
>【2010/03/16 06:23】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]
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>(以下、またまた余談)
> 国語方面を絡める場合、いくつか手はあるのでしょう。大学入試の古文・漢文を活字でなく書字画像で出題すれば、どのみち読めなきゃ「話にならなくなる」様に。ただし原典画像に拘ると時代差があり過ぎる点が問題になるけれど。そこんとこを嘗て補完したのが国定手本時代の習字教育…とは云えそう。国定の甲種や乙種が果たした役割は、江戸時代に御家流が担った規範性を概ねそのまま引き継いでいた模様。
>
> その手の話とは別に、前稿で書いた予備校化云々には、「学校が予備校化」と「予備校が学校化」の二面あります。例えば反日予備校が学校化する場合、朝鮮学校を一条校化する方向に行くでしょう。そして反日学校を予備校化する場合は、一条校を非一条校化する手が考えられるでしょう。
> ステロタイプの印象を「北教組=反日」と見なす場合、その構成員の属する学校は概ね、程度に差のある反日学校と云えるでしょう。仮にこれを人事異動でジュースみたいに濃縮(?)して、学校を丸ごと北教組100%にすればどうなるか。濃縮果汁の原液は濃過ぎて飲めない(なんか素っ頓狂な喩えになっとるな…汗)。問題は薄め方です。従来の仕方では、薄めれば「果汁20%」てな具合になる。でも市販の100%ジュースはそうでない。教員加糖液で薄めるからパーセンテージが落ちる。ならば民間水で薄めればよいではないか。なにしろ水(民間人)は果汁(公務員)ではないのだから。
> この方式は部分的ながら、既に実用段階にあります。~非常勤講師を非公務員と見る場合、都立高校では書道担当教員122名中の内訳が公務員2名で非公務員120名。それを学校全体でやると、校長と教頭が公務員で他の全員が非常勤講師でも構わない事になるでしょう。ただし教員免許は相変わらず必要ですが。
> 尤も、それなりの手はある筈。意図的に無免許の人(塾や予備校の先生が望ましい)を集めて、全員に臨時免許を交付すればよい。…法律を整備して朝鮮学校の先生にも臨時免許を出す一方、北教組の先生が朝鮮学校に出向・研修する。事実上の「北海道立朝鮮学校高校」が出現し、既存の朝鮮学校では相対的な存在意義が薄まる。嘗て大学教育学部に「ゼロ免」課程が出来た様に、高校にも「ゼロ卒」課程を設ける。すると「卒業証書」授与課程(学校教育課程準拠)と「修了証書」授与課程(非準拠)とが共立し、やがて非準拠課程に特化した学校(?)が出現する。
> …例えばこうしたシナリオを妄想する場合、どの段階で反日教員を非公務員化すればよいのか。~とどのつまり、苹はそこんとこに興味があるんですね(汗)。悪い冗談と云えばそれまでなんだろうけど、だからと云って、頭から非現実的な話と決め付ける訳にもいかない。(玉石混淆の思考実験が諸々あって初めて、選択的かつ具体的なディフェンスが可能になる筈ですから。)
>【2010/03/17 21:18】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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 上記稿で云うところの「ゼロ卒」課程で、生徒が大学受験する場合は高校卒業程度認定試験(だったかな?)を経由すればいい訳でんな。

 その後「2010/04/02 19:26」の非表示稿を書いた。これも抄録して置く(送信後に発見した誤字は修正)。
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> 以下、『WiLL』2010.4号P.103の教会ネタについて余計な妄想をば。
> ふと気付いたのは、日本にも本家に劣らぬ数の教会があって、しかも総ての国民が通っていて、また憲法でそう義務付けられているって事です。ただし外国との決定的な違いがあります。教会に通うのは子供ばかりで…と書けば誰だってピンと来る(笑)。つまり苹は今、そもそも翻訳語が間違っているとする視点で書いている訳ですナ。従って日本は「政教分離していない」。更に突っ込むなら「憲法違反が当たり前」。
> だから平気で「自衛隊は軍隊でない」などと云える。法治国家ならざる法治国家であるがゆえに、解釈改憲の柔軟性が憲法改正を阻む。それどころか憲法九条をバイブル扱いするかのごとき印象が濃厚で、「憲法教」と呼ばれるに至っては明らかにカルト宗教の扱い。…さあ、ここで話が繋がった。その宗教は何処で布教されているか。これを教会と呼ばずして何とする。世が世なら寺子屋だ。「寺」って一体なんだろね。
> 公立の教会で働く人々は公務員だ。公務員が労働者である。組合活動も政治活動もする。もちろん布教活動は当たり前。つまり彼らは聖職者。誰か文句あるか(爆)。
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7789 【備忘録】教員配置と学級定員 苹@泥酔 2010/08/03 20:12

 先ずは産経記事全文引用。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/100801/edc1008012304003-n1.htm
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>【解答乱麻】教育評論家・石井昌浩「35人学級」を論じる前に
>2010.8.1 23:03
> 中央教育審議会の分科会は、公立小中学校の学級編制基準を1学級40人から35人に引き下げる提言をした。教師の目を行き届くようにして、いじめ、校内暴力、不登校、学力低下などの教育現場の問題解決を目的としている。
> 昭和55(1980)年度以来、30年ぶりとなる学級規模の見直し提言について、新聞などの論調はおおむね好意的であり、少人数学級によるきめ細かな指導を期待する点で共通している。しかし、30年教育行政の末端にいた私の体験からすると、中教審提言は教育現場が抱える困難の本当の原因について錯覚しているように思えてならない。その理由を3つ述べたい。
> 第1は、学級定員を減らせば、行き届いた教育ができるかのように勘違いしている点である。問題の核心は、教室で授業が成立するかどうかである。教室で起きている困難は学級の人数の多少によって軽減されるほど単純ではない。原因は子供たちが「お友達先生」の言うことを聞かなくなったことにある。この原因を脇においたまま学級の人数をいじってみたところで、何も変わりはしないのだ。
> 朝日新聞の調査によれば、中途退職の教師はこの5年間に、年平均で1万2千人を超える。子供や保護者との関係に悩むことが辞める最大の原因とみられている。現場の教師たちが精神的にのっぴきならない所に追い込まれている実態を反映する数字である。教師と子供の関係を根底から見直そうとする視点を欠く少人数学級の論議は現実離れした空論である。
> 第2は、提言に政治的な背景が感じられる点である。子供手当、高校無償化、35人学級をセットとして考えると提言の政治色が浮き彫りにされてくる。それぞれ、大衆受けする、いいことずくめの理屈づけがされている。しかし、子供手当は「子育ての社会化」、高校無償化は「高校全入」、35人学級は「30人学級」の実現を意味するのだ。いずれも政権交代を契機に、これまで運動として積み上げてきたスローガンを丸(まる)呑(の)みした、人気取りのバラマキ政策でしかない。
> 第3は、35人学級論議が30年前の、ゆとり教育導入時のムードに似ている点である。いじめ、校内暴力など教育荒廃の原因を詰め込み教育と受験競争過熱に求め、すでにアメリカで失敗した進歩主義教育理論に基づく子供中心主義を導入したのがゆとり教育だった。
> 今、教育現場の抱える問題解決の切り札を学級規模の縮小に求めている。30年前と共通する懸念は、論議の過程で問題の本質がどこにあるのか曖(あい)昧(まい)にされてしまう点にある。
> わが国の教育が当面する問題の核心は、ゆとり教育の過ちを正し、行き過ぎた子供中心主義を見直すことである。根本から目をそらしたままで、40人を35人と小手先の改善をしたところで、問題は何も解決せず、「次は30人、その次は20人で」となるのは目に見えている。ことの本質は学級規模の大小ではないことを知る必要がある。
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 これを読んで、ふと思い出した事を。~義務教育段階ではなく、差し当たっては高校教育の話。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_p_416.html
 教員の配置には、結構「小回りの利かない」側面がある。見方次第では相対的でもあって、学校規模が小さくなるほど硬直しがちになるのは、それだけ少ない教員数で遣り繰りせねばならなくなるからだ。そのため理科の先生が数学を教えたり、公民の先生が地理歴史を教えるなどの兼任措置が必要となり、臨時免許を年間百人に交付するケースが出てきたりする(リンク記事参照↑)。対策としては学校統廃合が効果的と云えるが、通学区域の拡大や愛校心の複雑化など、それなりの問題はある。~昔は通学区域が広かった。それが進学率上昇やベビーブーム、学校数増加、交通機関発達などにより相対的に狭まった。愛校心云々は敗戦後の教育改革に遡る。制度そのものが根こそぎ変わったから相対的には目立たぬのだろうが、例えば旧制中学と女学校との統合は愛校心の行方を新制高校へと誘った。これがもし同じ高校制度の枠内だったなら、統合後の高校内で地域派閥化の動きが別の形で表面化した事だろう(高教研の生徒指導部会で以前、六カ所高校における当該事例報告を聞いた)。
 もし高校でも学級定員が減ると、規模に応じた教員増員が必要になる分だけ人件費がかかる。
 従来は臨時免許を他教科教諭に交付して、現実の無免許指導状態を名目上で解消した。或いは常勤講師や非常勤講師を活用して人件費を抑制した。それも既に限界で、例えば都立高校の書道教員122名(うち非常勤講師120名)をこれ以上どうにかするとしたら、思い切って芸術科目から書道そのものを取り除くしかない。この点、選択科目にはまだ淘汰の余地がある。しかし主要科目となると話は別で、無免許状態の名目的解消では受験ニーズに対応できない。そこで「選択と集中」を画策した結果、全国規模の未履修問題が「起こるべくして起こった」のだろう。

 学級定員は生徒集団の単位となる。他方、教員の担当授業数は週に15から20時間程度が普通なのかいな。
 一クラス40人の場合、五単位の授業を四クラス担当すれば20時間で160人。四単位の授業を五クラス担当すれば20時間で200人。芸術科目の場合は一単位だったり二単位だったりする。仮に二単位六クラス、一単位三クラスとするなら、担当時間数は合計15時間と他の先生方より少なくなるが、選択科目ゆえクラス25人で数えれば二単位150人と一単位75人で計225人、30人換算なら180人と90人で計270人程度にはなりそうである。
 これをクラス35人で単純計算すると、担当生徒数は五単位で140人、四単位で175人。芸術は二クラスを三分割してクラス20人換算なら120人と60人で計180人だが、三クラスを三分割する場合そのままクラス35人で数えれば210人と105人とで計315人はいける。もしくは分割後の規模をクラス40人程度に詰め込んで、二単位は四クラス160人、一単位は一クラス40人とする事が編成上可能なら九時間で計200人。~クラス単位が小さくなれば、一教室あたりの収容人数に融通が利く。科目によっては教員の負担を増加させる事が可能だし、その分だけ「担当授業時数の少ない」非常勤講師には高い処理能力が求められよう。
 教員配置の基準は担当生徒数でなく担当授業時数の方だから、どのみち生徒数格差と授業時数格差の双方が拡大する結果となるだろう。相対的に重要な科目は単位数が多いので、そちらでは担当生徒数を減らして「肌理の細かい授業」を目指す事になる。しかし相対的に重要でないか、もしくは学習内容の多様化に即した科目では、単位数の少なさが学校規模の限界と相俟って、学校経営を自家中毒状態に追い込む筈。
 このジレンマは些か厄介である。小規模校では科目の維持がそもそも困難なのに、かてて加えて大抵は「進学校ではない」。せめて多くの進学校が小規模であったなら、高校から予備校へと改組する手もあるだろうに。これなら卒業証書は得られなくとも、高校卒業程度認定試験経由の全員大学合格を目的とした「特色あるカリキュラム」が組める筈である。そして大手予備校との過当競争を避けたいなら、大規模進学校は高校のままでも構わない。…問題は「高校のままでしか居られない」側にある。どうにかして皆「ただの高校」から「進学校」へと抜け出したい(「ただの高校」からでも大学進学は可能な筈なのに?)。つまり慢性化した偏見の下、もはや月並みの高校教育は不要となっている。にもかかわらず高校全入に無償化が重なるのはこれ如何に。早急に高校から進学校を救い出さない限り、高校進学率は下がらないから高校無償化の税負担も下がらない。

 こんな事を書くと、「何を甘っちょろい事を」と思う人が少なくないのかも知れない。世間的には一人の専門職が毎週二百人を相手にするくらい、どうって事はないのかも知れない。しかも内容は大体みな同じ…と、或いは信じられているのかも。人事異動で誰がどの学校に転勤するか、その時になってみなきゃ分からない。進学校も底辺校も同じ授業内容…などと思う人はさすがに居ないだろうが、ただし同一性信仰へと駆り立てる「錦の御旗」なら学習指導要領ってぇのがある。
 進学校は教諭が多く、底辺校は講師が多い…なんて事はない。最初は低レベルの学校から始めて、熟練すれば進学校に転勤するなんて事もない。それをやったら進学校は高齢者と若手エリートの巣窟になってしまう。そうした意味では、人事異動ほど不確実なものはない。とは云え教員も結局は勤務するうち校風に染まっていく訳だから、或る意味「空気優先」の風土をベースに逐鹿へと向かう流れと矛盾する事もない。尤も、校風に合わない教員には問題があるのだろう。例えば北海道では北教組の影響力が強いそうだが、採用する側が風土を変えようと頑張っても、現場の風土に適応できなければ多くの努力は水泡に帰すだろう。
 そんなあれこれに思いを致すと、石井氏の論旨に共感できなくはないし、また反論する気もない。拙稿が何かの補強材料になるならそれでよい。産経記事で問題提起された学級定員の話を、別の方向から見ただけの話ではある。すると上記の解釈が思い出された。~所詮は備忘録、備忘録。
 他にもっと適切な場所がありそうな気はするが、取り敢えず本稿をNo.7617の属するスレッドに繋げる。



7586 班単位授業の思い出 苹@泥酔 2009/07/09 20:45

 『正論』2009.8号P.44~45の八木秀次「戦後教育とソビエト教育学」を読んで驚いた。先生は斯く指摘する。
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> 最近も各地の自治体で「子どもの権利条例」制定の動きがある。その立脚する思想はデューイ流の「子ども中心主義」だけではない。表向きはそうだが、実際にはクルプスカヤの教育思想などが背景にあると考えなくてはならないだろう。一見すると新しく思える発想も、一皮むけば、破綻したソビエトの教育理論が見えてくる。
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 様々な積み重ねを腑分けすれば、見え方はそれなりに変わってくる。歌謡曲で「盗作だぁ」と騒ぐのと似通った要素があるか否かも含めて、この辺については双方向的に警戒せねばなるまい。その事への注意を喚起してくれただけで充分に有難い。教育運動における米ソの共通点が浮き彫りになった。
 ところで、八木先生は「小学校のときに班単位で学級運営がなされていたのはマカレンコの影響だったのかと改めて気付いた次第だ」とも書いている。~これを見て、ふと自分の昔やった授業を思い出した。「子供たちによって学校が自治的に管理」云々の、所謂クルプスカヤ的な意図はない。しかし班単位の授業をした事に変わりはない。単に私が勉強不足だったため、班単位の授業方法を別の目的で使う事になった次第。これでは一部の先生方から「肝腎の中身が欠けているぞ!」と怒られてしまうんだろうな(汗)。私の班単位授業は専ら整理目的だった。取り入れたのは書道の授業だけで、国語では確か…やらなかった筈(記憶が曖昧でスマソ)。
 以下は昔時の回想。

 芸術科目の授業時数は一単位か二単位と少ない。だから大抵は基礎指導を省く。
 他の先生方に云わせれば、「苹の考える基礎は俺達にとって基礎ではない」となるのかも知れない。私の云う基礎は国語的基盤と書字表現を橋渡しするための基礎だから、そうした批判にも確かに理はある。彼らは芸術表現側の基礎を重視するのだろう。対する私は「国語との接続」を重視する立場。~ただし現代の国語教育は、変体仮名と草書を廃絶し、漢字の数そのものを制限し、仮名遣いを歴史から隔離する立場だから、そうした国語教育理念に依拠すれば「伝統的な書道を滅ぼす」のが書道教員の「あるべき姿」となる訳だが。
 あの頃、私は仮名単元で先ず「読める字」を書かせようとした。つまり「平易な古典」イコール「読める字」だと。ミミズの這い回る様な仮名連綿を「スラスラ読める様になれ」と。これで八時間ほど授業時間を潰す訳だから、その皺寄せは必然的に時数配分のバランスを直撃する。そこで当初は苦し紛れに(後に慢性化)、班単位練習を全面導入せざるを得なくなった。
 他の高校生が学ぶ内容を、私は初手からバッサリ削ぎ落とした。普通は楷書単元で唐四大家と六朝風を学ぶ。それらを最初の授業で纏めて比較練習させて片付け、後は書風選択制でごまかす事にした。~昔の事だから記憶は曖昧だが、あの時は先ず孔子廟堂碑と九成宮醴泉銘を分けたのかな。提出させた申告票に即して五、六人規模の班に分け、座席表を私が決める(独裁者!)。半切1/2サイズの画仙紙に清書させ、次の課題は雁塔聖教序と顔真卿(顔勤礼碑だか建中告身帖だか忘れた)。これも申告票を出させて席替え。つまり課題毎に私が座席表を頻繁に作り直す次第。総ては課題優先である。
 性格の合わない古典を選択すると清書の出来映えに影響するかも知れないが、にもかかわらず中には友達同士で打ち合わせて(?)、共々「同じ古典を選択する」生徒も出てくる。そんな主体性のない選択は認めたくないけれども私は基本的に親切(爆)だから、それらしき生徒を予め別々の班に分けてやる。これを春先のうちにやると怠け癖は概ね一掃されるから、私の授業に生徒同士の私語は殆どない。楷書単元だけで三度か四度の席替えがある。その後の単元でも頻繁に席替えを繰り返す。
 行書単元では蘭亭叙を全員が学ぶ。この場合は「どの部分を書くか」に応じて班が決まる。課題は半切に十四字程度で、近い箇所を選択した生徒をくっつける。それだけでは面白くないってんで、教科書に原寸掲載の八柱第三本以外からも選ばせる(B4拡大プリント配布)。私の方はこれまた親切に…かどうか定かでないが、ともかく張金界奴本、八柱第二本、第三本、定武本それぞれ書き分けた全臨の束を教室後部にぶら下げて置く(「筆路が分からない人は後ろで各自確認しろ」と指示)。どちらかと云えば人気があったのは八柱第二本だった。その後、他の行書古典をいつも通りにやる。
 問題の仮名単元では仮名字源の解説から連綿分解の訓練を経て、二学期の定期考査でスラスラ読めるか確認するが、これらは班単位授業でないので省略。具体的な読解プロセスについては旧稿を参照されたし(差し当たってはNo.7018、草書絡みではNo.7330前後の意識を交える様なものか)。

 …で、強引に八木先生の話題へと戻す。
 班単位の手口が「生徒による自治」を前提するならば、順調に行けば班の数だけ「小さな革命勢力」が胚胎する事になろう。しかし順調に進まない場合は専ら授業が「だれる」だけ。リーダーの居ない班は遅かれ早かれ淘汰されるべきなのに、班の単位が固定的な場合は忽ち内的な格差が「固定的な分だけ余計に」露呈してしまう。班が班を吸収するシステムを導入しない限り、クラス全体の統治レベルはどのみち損なわれる事になるだろう。そうした危機意識がやがて「小さなスターリン」を必要とする様になるならば、その役割を生徒と教員のどちらが担うかによって全体主義的な胚胎の質は変わってくる筈。…強い指導者としての教員と、小さな指導者としての「連合赤軍」的な分子と。そこから先の成り行きは、そもそも私には分からないし想像も出来ない。
 しかし業務上、想像しない訳にも行くまい。~当時「書道Ⅲ」の選択者が二人か三人のクラスで、主体的な学習を試してみた事がある。要するにクラスの「班」化、班の「個人」化を前提してみた訳だが、生徒は自ら課題を設定するだけで四苦八苦していた。自分を支配するだけで精一杯の人間は、支配される事の強味を前提して初めて、自分をよりいっそう支配できる様になるのかも知れない。…この場合、彼らは誰に支配されるのか。それが担当教員であるならば、支配と被支配の調和関係は~植民地主義と似通った発想を踏まえて初めて「健全なものとなる」様な気がする。
8【再掲】「恥を忍んで」10 ( 苹@泥酔 )
2012/02/01 (Wed) 21:48:32
7734 「書道美術新聞」雑感 苹@泥酔 2010/03/09 23:49

 「書道美術新聞」に、今年から始まった「備忘言志録」って連載がある。…そう云や李白の詩に「春日酔起言志」ってのがあったっけ。「處世若大夢」で始まるアレと聞けば思い出す人も居るだろう。或いはマーラー《大地の歌》第五楽章の元ネタか…と、そんな連想はどうでもよい。
http://f35.aaa.livedoor.jp/~masa/c-board358sp2c/c-board358sp2c/c-board.cgi?cmd=one;no=3179;id=
 筆者は兵庫教育大学の小竹光夫教授。前回連載の時は古巣=支援板にカキコしていた頃のが目に留まったらしく(その時の感想↑)、見方次第では「こいつ前にオレのサイト荒らした奴だろ、ゴルァ!」とも取れる説明付きで、上品な取り上げ方をしてくれた事が一度だけあってビックリ。そんな経緯があってもなくても、前回連載が終了した時は残念に思ったし、今は久々の連載再開を喜んでいる。なにしろ「おまえネットやめろ」勧告があって以来、あたしゃ律儀に研究室サイトを閲覧しない事にしてるんで、あれから十年近く紙媒体(上記新聞)でしか小竹先生のを読んでないのよね。私は小竹先生の謦咳に触れる機会を待ち望んでいたのであった。(本当よ♪…ただし今もネット以外キボン。)

http://kayahara.com/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=132
 その発行元の萱原書房では今度、千紫万紅…じゃなくて「千書万香」って情報発信企画を始めるそうな(↑)。ところがネタ元にする予定のネット界隈が冷たくて、どうやら今のところ「笛吹けど踊らず」状態になってるらしい(2010.3.1付933号↓)。
http://kayahara.com/modules/column/index.php?page=article&storyid=47
 ソリャそーだろ。ネット世界は活字媒体が母体だから、活字(印字情報)に変換できない書字文化はどうしたって画像情報に頼るしかない。そして画像掲示板は、ともすれば今の支援板みたいにエロ画像の保管庫になっちまう。おまけに気付いたら期限切れ(容量切れ?)で、画像消滅ってケースもある模様。西尾日録の死体画像がそうだったから、前稿(No.7731)では別サイトの画像を検索して補足リンクしといた。そうした意味じゃ、ネット情報を紙媒体に残す方式は大いに意義があると思う。でも、どっちみち画像が荒くなりそうではあるんだけどね。
 就中めんどくさそうなのが著作権。苹のだって、年末年始から東京支部板で始めた画像投稿なんざ、紙媒体にすりゃ忽ち問題だらけになるのは目に見えている。例えば巻菱湖ネタは幕末モノだけど、子孫の許可は取ってない(上の方↓)。粘葉本和漢朗詠集ネタは平安時代のだけど、所蔵者や出版社の許可は取ってない(下の方↓)。でも投稿内容全体か画像を消すだけなら、誰か関係者がチョイと管理者にクレーム入れれば瞬時に処分できる。…ひねくれた見方をするなら、そもそも得体の知れない投稿を放置する事に問題があるんだ。これからはネット焚書の時代になる。なんでも2chによると、ツイッターで歌詞を「つぶやけば」ジャスラックが出張ってくるそうじゃないか。ネコとアヒルが力を合わせて…あ、こっちはアフラックか。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_pr_359.html
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_pr_333.html

 十数年前、「ギャラリーフェイク」って漫画を見た。めんどくさいから何巻目だか一々確認してないけど、その中に興味深いストーリーがあった。有名画家の遺族が相続税を払えない(作品の市場価値が高いのだぁ)。美術館に寄贈しようとしても「保管できない」ってんで断られる。そこで遺族達は最後の手段に出る。それらの作品を火にくべて、総て「なかった事」にしてしまうのだ。ナチス用語では「最終解決」って云うんだってね、コレ。漫画ではそこに主人公のフジタ(元キュレーターの闇ブローカー)が出てきて、「領土問題のため政府が介入したがらない島」に登録してある私設美術館(?)が作品を丸ごと引き受ける(闇ルートで売りさばく?)。
 その点、書は市場価値が低いからいいよね。でも中国では異変が起こってる。そのうち日本人書家の作品が値上がりすれば、遺族による焚書ブームが起こる可能性なきにしもあらず。現物だって今後どうなるか知れたものではないのに、わざわざ「こんなの持ってます」の自己申告資料を残すバカが何処に居るかい。そんじょそこらに転がってる展覧会の記事程度なら水物って事で済ませられるんだろうけど、紙媒体になる頃にはとっくに賞味期限切れでしょ。まして長期的に人目を引くレベルとなると、たかがネット住人に何が出来ると?
 大袈裟に云うなら、ネットは「貧者の核兵器」みたいなものじゃなかろーか。方法次第では双方向的に、作品や作家を丸ごと殺せそう。…そう云や格好のネタがあったっけ。かの有名な武田双雲にまつわる「既存メディアとネット世界との代理戦争」。既存メディアが絡むからそうなるし、絡まなければそれなりに推移する(或いは埋もれる)。そして石川九楊の場合は書道アカデミズムの「実作系」から黙殺される一方、「論壇系」からは高い評価を受けている。嘗て『戦後日本の書をダメにした七人』を書いた大渓洗耳が生きていたら、さぞ面白い展開になったんだろーな。出版メディアの態度次第でニーズの傾向はガラリと変わる(最近ネタになってる「美人すぎる書家」なんか、明らかに賞味期限ありそう)。~片や書壇にメディアはあるのかしら。読売や毎日、朝日、産経等々は本当にメディアと云えるのか。云えるだろう事は百も承知の上で借問したい。「ネットはメディアと云えるのか」と。そこには一方通行の伝統がない。これまでメディアを用いた啓蒙活動に依存してきた書道界が、果たして双方向性に適応できるだろうか。

 …こんな事を書く予定じゃなかった。今回のは小竹先生ネタを中心にするんだった。(←と気を取り直して書く。)
 その新聞の933号は連載五回目で、小見出しに「【今回のキーワード】花マル・赤マルの効果」とある。…そう云や苹も昔は「花マル」を貰った覚えがある。ただし、学校で貰った記憶は完全に消え去っている。覚えているのは書塾の方ゆえ、マルは当然ながら朱墨である。毎週土曜の午後に通い、二時間くらいは書いたのか。時間無制限で、書きたいだけ書く。そのうちエスカレートして三時間が五時間となり、夕方になると大人がぞろぞろ集まってくる。隣は何をする人ぞ。草書だの隷書だの変体仮名を書いている。朱墨の色はどことなく夕日を思わせた。
 手本は朱墨で書いてある。印刷でなく肉筆だから、それと同じ線でマルを貰ったり直されたりすると、自分の字に師匠の朱線が乗り移ったかの様で、それだけでなんとなくウマク見える気がした。この味わいが硬筆にはない。感化される事もない。添削する側がどうにかして生徒に乗り移ろうとすると今度は添削だらけになり、マルの数がグッと減る。中には「要点がどこかハッキリ分かる様に添削しろ」との向きもあるが、どこに添削意図があるのか生徒が戸惑ったり考えたりしなくとも済む指導に何の意味があるのやら(それこそ思考の放棄ではないのか)。添削し過ぎた時は横に説明を加えてごまかそうとした事もあるが、その説明が行書や連綿含みとなると…いや、少なくとも苹の場合、読みにくいと思った事はなかったなあ。清書に朱墨のマルが乗り、その脇に流麗な行草で「最優秀賞」「秀逸」「佳作」だの「よく書けています」だの書いてあると憑依効果は覿面で、「沈黙の過剰な花マル」に埋め尽くされるよりは遙かに嬉しかった。
 そんなふうに見れば、マルがただの評価ではなくなってくる。評語の省略がマルとなり、それを更に減じたのが硬筆の添削ではないかと思えてくる。感じ方は人それぞれ違うだろうが、相手が「そんなにしつこく添削されても…」と思うくらい憑依の底意が見え見えなら、何も感じないよりはマシじゃないかと思わぬでもなし。

 小学生相手には出来そうにない事を高校生相手に試していた当時、或るクラス担任からクレームが来た。高校生にジャポニカ学習帳を使わせるのは、生徒をバカにしている様に見えるらしい。その頃の苹は添削の横に「間架結構に注意」「分間布白」「浮鵞」といった書き込みをしていた。中には篆書や隷書に遡って「なぜ結体がこうなるのか」を書き加えた字もある。特に多かったのは行書や草書との関連性の指摘(=筆脈重視)。そんなこんなでクレームを承けて、「このレベル=実用段階は高校入学以前に済ませてある領分なのかな」と反省したのを覚えているが、これはあくまで冗談である。
 と云うのも当時、高校は「高校教育からの撤退」に取り組んでいた。つまりクレームは不要教科の更なる形骸化に向かうための圧力であって、その伏線に全県規模の進学率向上施策などがある。つまり中身は予備校化へと向かい、「高校という形」を隠れ蓑にする。そうする事で受験科目に使う時間と「ゆとり」を確保しようとする。~不要科目の形骸化を徹底すれば生徒に「ゆとり」が生まれる。その「ゆとり」を受験科目の勉強に回す訳だ。従って所謂「ゆとり教育」と後の未履修問題は矛盾しないし、形骸化した領分は生涯教育で補填すればよい。
(以下はこれまで何度も触れたネタ強化。)
 その後クラス担任は推薦入試の提出資料の点数を上げるため、苹に成績改竄を要求してきた。青森県の公立高校では事実上の成績改竄マニュアルが内規で定められている。もちろん管理職は改竄推進の立場である(ただし教員は全員、改竄との認識はない事になっている)。件のクラス担任はやがて県教育庁に転出、生涯学習課の指導主事となり、現在は知事部局で活躍している。…実名を出そう。大瀬雅生先生である。私は彼らの判断が必ずしも間違っているとは思わないし、それどころか地方分権の流れと絡めて、地方教育が公教育から独立していく上では有益だとさえ思っている(北海道や山梨県は先鞭を付けるべきだ)。そうする事によって初めて、高校教育は進学率99%という異常事態を克服できる。高校進学率は三割以下でよく、公立高校の大半はそれ以外の「各種学校」へと改組すべきではないのか。そのために教職員組合がある。彼らは文部科学省の支配を超克し、高校教育の軛から解き放たれたがっている。
 問題は、高校教育からの撤退方針が教員採用方面でも着々と進んでいる事である。書道の採用試験が事実上の廃止状態なのは県内教員社会の常識だが、それでは音楽や美術とのバランスが取れない。そこで県教育庁は芸術科目全体の採用試験を事実上の廃止状態とし、七年連続で全面的に正規採用の門戸を閉ざした。今年も同様なら八年目になるが、仮に復活させるとしたら、その時は工芸の前例に倣って書道を廃絶、音楽と美術の二本立て体制への効率化が前提となるだろう。それとて所詮は暫定措置に過ぎない。後に弘前市教育長となった佐藤信隆先生は教頭時代、「教育に芸術は必要ない」と明言していた。また、後に高校長となった金澤道生先生は「書道は芸術でないもんな」と職員室で堂々と呵々大笑していた。これらの事例から、教育現場の多くの先生方が高校教育から離脱したがっているのは明々白々である。

 北教組の例を見れば分かる通り、高校教育の大半は~喩えて云うなら「明日の朝鮮学校」である。これを民主党政権は「仕分け」しなかった。ならばいっそ、逆に「まともな高校教育」の方から高校教育を見限ってしまう方がサバサバしてよい。これすなわち、「国立高校の創設」である。
 もちろん北海道や山梨などの有名地域には、地域の教育界が望むなら「なくてもよい」。人材は各都道府県ごとに応募制かスカウト制で集め、人材が集まらなかった地域では国立改組を断念すればよい。校舎は県立高校のを国が借り受ける形でよい。教員採用試験の全科目毎年実施も、国がこれを保証する(ただし「受験者全員不合格」ってのもアリ)。…この案、無茶でも無理でもないと思うんだけどなあ。



7738 【No.7734補記】シミュラークルの戯れ 苹@泥酔 2010/03/26 20:17

 半月前の、書き忘れていた事について。~その前に一言。
 No.7734稿で実名を出した方々は今、現場で授業を担当している訳ではない。当時の管理職は定年退職し、もう一人は前述の通り知事部局に在籍(地元紙の人事異動記事を見落として居なければ)。よって教育現場に直接の影響はない筈。…本来、支障がないなら現職教員名も学校名も苹の実名も正確に記す方が堂々として好もしいのだろうが、それでは話が余りに生々しくなり過ぎる。不測の事態が生じた場合はこれまで踏み込まなかった面にも言及するだろうし、そうならない様にするため基軸としてきた書道ネタからも離れ過ぎる虞がある。
 その書道ネタの絡みで昔、気になる事があった。
 ~古株の閲覧者なら「また同じ話の繰り返しか」とウンザリするんだろうけれども、苹にとって事実それ自体はさほど意味を持たないのでござる。と云うのは、所詮「へぇ、そうなの」で話が済んでしまうから。後は「長いものに巻かれろ」で総てが丸く収まる。その先には何もない。何も残らない。ところが事実から敷衍される解釈を掘り下げていくと、今度は別のものが見えてくる。つくづく反省は闘争と紙一重だと思う。
(…てな訳で、構わず話を続ける。)

 実名表記が面倒臭いのでO先生とする。当時は商業科の教諭で、社交性があり指導力も優秀、仕事をテキパキこなしていた。苹は諸々の観察を続けた。
 その先生は嘗て、文部省認定書写検定の一級だか二級を取ったそうな。つまり普通に受け止めるなら、先生は草書や変体仮名が(検定合格レベル程度には)読み書き出来る事になる。それだけならどうと云う事はないが、本人の話によると黒田正典『書の心理』(誠信書房)の様な学際的領分の書物も既読らしい。あの本には古手の心理学(欧州系ばっか)が盛り込まれてあるので、その話を聞いた時やや怪訝に思ったのを覚えている。筆跡鑑定には役立ちそうだが、「ナントカ型の性格」といった分類には説得力を感じなかった。それよりは生徒の感じ方の把握に役立ちそうな禰津和彦『書道心理学入門』(木耳社)の方が有効だろうと思ったが、何か別の意図があるのではないかと推し測り、このネタは暫く寝かせて熟考する事にした。
 その「読み書きの出来る」先生が、どうした訳かジャポニカ学習帳を拒んだ。~苹レベルの知識なら大抵の先生が持っている。むしろ苹の方が圧倒的に低レベル…つまり実際は巷間(特に都会で)バカにされるほど無教養ではない。と云う事は、北教組であれ何処であれ、実務の都合上「たまには精神が歪んでいるかの様な振る舞いに見えるだけ」の確信犯とも云えそうではあるが、少なくとも無知ゆえの反応でない事だけは確かである。「いったん出来上がった字はそれ自体が個性の発露であり、高校生になってから変奏の幅を拡げようとしても無駄だ」とでも思って居たのだろうか。この辺については確認しなかったが、歴史的変奏地図としての書表現に踏み入る前の基礎(識字の領分)は身に付いているのだろうから、その土俵でなら共通理解が期待できる筈である。
 なお、書写検定が一般的な社中の段級位検定と比べて特殊な面を持つ件については旧稿で触れてある(↓)。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=7437&range=1

 ここまで書いて、ふと蓮實重彦『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』(河出文庫)P.109~110の記述を思い出した(↓)。コピーとしての記憶が失われた上での反復が、識字なき模倣と重なってイメージされてくるからである。
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> すでに見たごとく、ドゥルーズにとっての「プラトニスム」とは「本質」と「仮象」からなる二元論ではなく、試練と選別とによる決断の原理である。では何を選び、何を決めようとするのか。まず、「モデル」とその「コピー」とを峻別すること、つまりは「コピー」に対して「モデル」を選ぶことを説いているのだ。だがここでいう「コピー」は、「モデル」としての観念と深い内的な関係を保っている以上、たんなる「仮象」とは異なるものであり、「プラトニスム」が素顔と仮面とをめぐる典型的な思考となるには、それに続いて第二のより重要な峻別が考慮されねばならない。「コピー」それ自身とその「幻影」、つまりは「コピー」の「コピー」ともいうべき正統性を著しく欠いた「シミュラクル」とが峻別されるべきなのだ。この「シミュラクル」をとりあえず「模像」と訳すならば、不実にして正当性を欠いた「コピー」としての「模像」は、一つの畸型的な怪物として抑圧され、犠牲に供され、思考の地平から追放される。この追放はたんなる虚構ではなく「プラトニスム」に必然的な現実であろう。それにもかかわらず「模像」の抑圧をまるでなかったものとして忘れたふりを装うことで、思考はその二義的で模倣的な選別を、始源的な身振りとして定着するに至ったのだ。しかも「幻影」と呼ばれる不実きわまる怪物の犠牲の上に、根源と派生、起源と反復といった幾つもの観念的な対立概念を捏造し、始まりにあったものの模倣的再現を侮蔑と軽視の対象に仕立てあげてしまったのだ。しかしその模倣的再現なるものが、「反復」の倒錯的=戦略的な衣裳にすぎないことは、あえていうまでもあるまい。不実なる「コピー」としての「幻影」が現在から過去へと伸びる時間の上から姿を消し、あってはならぬ畸型として記憶から失われたが故に、模倣的再現に還元された貧しい「反復」がかろうじて思考の対象として掬いあげられたにすぎないのだ。そんな「反復」が「差異」と遭遇すべき条件を徹底して欠いていることは、もはやいうまでもないだろう。
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 O先生の場合はどうやら、「本質」の教育を否定する立場だったらしい。或る日の職員室で、苹が書教育の話題で「本質が大事だ」と云ったところ、先生はいきなり猛反論してきた。本質ほど身近なものはないのに、巷間には敢えてそれを遠ざけて深遠な奥義であるかの様に装う風潮がある。そこが苹には全く理解できなかった。
 …字が読み書きできる。それが深奥を貫く基礎である。基礎も応用も深奥も総て本質の系譜に属するがゆえに、本質への系譜的視線を失った教育は片手間のごまかしへと陥らざるを得ない。それがいかに教育的かつ便宜的であるにしろ、こんなにアッサリ視線喪失を容認されてしまうと、こちらは二の句が継げなくなる。苹は暗澹たる気分になった。教育機構の系譜上、予め高校教育から受験教育への変質を前提するなら理解できなくもないが、それにしては余りに露骨な出来事であった。さすが商業科の先生だけあって、判断が印字的かつ実利的である。
 或いは「本質」という言葉を用いたのが拙かったのかも知れない。本質は神に似ている。誰にでも丸見えなのに、見えないかの様に見てしまう。また、そんなふうに似ているからこそフィギュールやエクリチュールが取り沙汰され、果てはシミュラークルの話題が持ち上がりもしよう。ここではコピーから本質を追放する作業こそが教育上「重要」なのかも知れない。そうとでも考えない限り、「読める」側のO先生がジャポニカ学習帳を否定する動機が私には今のところ読めない。

 しかしながら本質否定論を踏まえれば、傍証の方~すなわち横山泰久校長(英語科出身)による下記指導の理由も結構それなりに忖度できてくる。横山校長かく語りき。
「おまえ読めるか? 読めないだろ。読めないものは教えちゃいけない。」
 苹なりに素直に読めば、どうやら校長は「読めない様に指導するのが正しい」と言っているらしい。まさかと思い、当時の苹は一方で「よほど高度な読解力が求められているのかも」と受け止めた。書道は古文書学の基礎でもあるから、識字規範の側面を持つ書道以上の~つまり応用段階たる古文書読解に対応できるレベルを指して「読める」と表現していたのかも、と思った。…テレビ時代劇には時折、消息(毛筆の手紙文)をスラスラ読む場面が出てくる。そのレベルが求められていたのなら、苹の学力・実力は明らかに失格であるから納得もいく。
 苹は当時あれこれ取り沙汰されていた総合科目への対応を顧慮して、国語古文との横断を試み「奥の細道」自筆本(読みやすい字だった)を補助教材に使ったりしていた。それが問題視されていたのなら分からぬでもない。大学書道科より遙かに進学者数の多い国文学方面に行く生徒達には役立つ筈だったが、それにしては校長の様子がおかしい。
 或いは、もしや本気で書道教員を「字の読めない先生達」だと思っているのだろうか。教員採用の実態を見れば無理もなかろう。現に校長は「書道教員採用試験は実施されない事になっている」と明言していた(「~事になっている」のニュアンスに注目あれ!)。…それとも占領時代以来の日本植民地化政策に、独立から半世紀以上が経過した後も相変わらず賛同し続けているのかしら。英語教員出身なら「ありそうな話」ではある。青森には米軍基地もXバンドレーダー基地も「自由の女神」像も「キリストの墓」もある。
 書道教員採用試験のない青森では通常、国語教員採用試験(実技も古文書読解もなし)を経由した先生が書道教員として配置される。そのため実質的には国語教員が「字の読めない生徒をつくり育てる」事になる。すなわち青森の国語教育は正真正銘のシミュラークル教育であって、歪曲教育の使命感に燃えるマジメ教員達は~端的に云えば率先垂範して「歴史喪失・歪曲の義務を負う」って事になるのだろう。

 …仮に、芸術科目の教員採用試験を復活すればどうなるか。
 国語側のイデオローグとその受容状況はNo.7731稿や本稿などで概ね述べた通り。そして旧稿後半では、「誰が新任の先生を指導するのか」を問うた。…畢竟、どちらに転んでも「高校教育からの撤退」は不可避となりそうな気がする。
 以下、当該箇所再録。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=7081&range=1
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> 本県では2002年に面白い動きがありました。二十三年ぶりに教員採用試験が実施された話です。これのどこが面白いかと云うと、現職の先生方は受験していないんですね。今更試験を実施してどうするつもりでしょうか。誰が新任の先生を指導するのでしょうか。それまで試験自体が実施されなかった訳ですから、現職の先生方は専門のペーパーテストも実技も完全免除です。他の科目で受験し採用された先生が、本来の採用科目とは無関係な科目を担当する形になっている。しかも少なからぬ先生がどこかの社中に属している。喩えるなら、学校の先生が予備校で研鑽を積む様なものです。形式的には学校の先生でも、専門の立場は民間側、すなわち塾や予備校の類の先生です。
> そうした古株の先生方が、専門の試験で採用された初任者を指導する形になる。採用履歴を重視するなら、例えば国語の先生が芸術の先生を指導しても構わない。専門性を重視するなら、民間の先生が学校の先生を指導しても構わない。平たく云えば味噌も糞も一緒で、教員採用試験と教員免許が共食いしている訳ですから、今更専門の採用試験を実施しても手遅れです。
> そこにはもう一つの効果がありました。どうでもいい科目の受験機会を剥奪すれば、そのまま教科差別慣行を維持できる。仮に従来の教科差別をやめるつもりなら先ず、定年間際であろうが委細構わず、古株の先生方に専門の採用試験を受験して貰ってからにしてはどうですか。出来る筈がないでしょう。実質的には予備校や専門学校が高校教育を偽装している形ですから、どうしたって無理が生じます。早急に高校教育から進学専門教育を掬い上げ独立させないと、高校進学率ほぼ100%という異常事態は余計な歪みを抱えたまま、競争効率面でも経済効率面でも十把一絡げに疲弊し続ける事になります。
> 後は本格的に人材派遣システムを導入するしかない筈です。管理職は正規雇用、一般教員は非正規雇用という構図を確立し、自ら壊した教員採用システムの後始末をするしかないでしょう。
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8【再掲】「恥を忍んで」09 ( 苹@泥酔 )
2012/01/31 (Tue) 21:49:10
7631 【補記】鳩山、山川。 苹 2009/09/18 06:20

 前稿で「鳩山外交には先ず新聞から恫喝の予兆をちらつかせ」云々との妄想を書いたが、云うまでもなく「当初からそれが目的だった」とは考えにくい。利用価値のあるネタには便乗するのが普通だから、可能性があるとすればその口だろう。さもなくば噴飯物の陰謀論となってしまう。大抵の陰謀論が後から主体を拵え、スケープゴートに仕立て上げる様に。(その最も大袈裟な例の一つが東京裁判。)
 産経の調査報道によると、事の成り行きは大体こんな具合だったらしい(↓)。これがそのままで収束するなら事は穏便に済む。しかし米政府かマスコミのどちらかが「単なる可能性」を陰謀めいた段階に格上げする時、事は一転して「危機の脈動が始まる」のだろう。…とどのつまり、こうした一切合切は常に潜勢的である。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090915/stt0909152331026-n1.htm
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>>検証 鳩山論文はどういう経緯で掲載されたのか? (1/3ページ)
>2009.9.15 23:28
> 鳩山由紀夫民主党代表の論文「私の政治哲学」が、米国の批判的な反応を呼び起こした。月刊誌「Voice」(9月号、PHP研究所)に掲載された論文が、どのような経緯で米紙ニューヨーク・タイムズのウエブサイトなどに転載されたのか、検証した。
> 鳩山事務所によると、Voice誌に掲載された論文は、鳩山氏が政治哲学として掲げる「友愛」への理解を広げようと、鳩山氏側が7月にPHP研究所に持ち込んだもの。この論文の抄訳を、欧米メディアの中で真っ先に報じたのは、英紙フィナンシャル・タイムズだった。
> 掲載を知った同紙の東京特派員、ミュア・ディッキー氏は発売日の8月10日に9月号を購入し、「民主党代表が米国主導のグローバリゼーションを攻撃」との記事を執筆した。記事は翌11日付のアジア版などに掲載された。同氏は「次期首相と目される鳩山氏の考えを知ることは重要で、すぐに記事にした」と話す。
> 次に、フィナンシャル・タイムズ紙の記事をみて、米国の記事配信サービス会社「グローバル・ビューポイント」が動いた。同社編集局長のネイサン・ガルデル氏によると、日本での業務を委託している人物を通じVoice誌に転載の許可を求め、「民主党側も含め、転載を歓迎します」との回答を得たという。
> ガルデル氏の依頼を受けた人物は大地舜氏。英作家、グラハム・ハンコック氏の世界的ベストセラー「神々の指紋」の翻訳者としても知られる。
> 大地氏によると、Voice誌側にはまず、電話で許可を求めた。ただ、そこで出した名称は「グローバル・ビューポイント」ではない。「『ロサンゼルス・タイムズ・シンジケート』の政治コラムに転載したい」と伝えたという。
> 「ロサンゼルス・タイムズ・シンジケート」も記事を配信しており、かつては米紙「ロサンゼルス・タイムズ」の一部門だった。大地氏が依頼を受けたグローバル・ビューポイント社は、シンジケート社の政治コラム、論説記事などを扱っているという。
> 「ロサンゼルス・タイムズ・シンジケート」と「ロサンゼルス・タイムズ」-。この名称のまぎらわしさが、転載の許可にあたり“誤解”を生んだようだ。
> Voice誌編集長の中沢直樹氏は「『シンジケート』という言葉は記憶にない。依頼はあくまで『ロサンゼルス・タイムズ』紙だけへの論文転載という認識だった」と振り返る。一方、大地氏は8月12日付でVoice誌側にファクスで文書を送り「世界100の新聞に配信、15の言語に翻訳され、読者数は3千500万人になる」と説明したとしている。
> Voice誌側は「転載の際には『Voice』のクレジットを入れればオーケー」と回答した。論文は鳩山氏のホームページに英語、韓国語訳とともに掲載されており、その英文を転載にあたっては使用するとの条件を付けた。論文は長文であるため、一部を省略することは可能だとした。
> 鳩山氏側への了承とりつけはどうだったのか。
> 中沢氏は鳩山事務所の芳賀大輔秘書に連絡し「ロサンゼルス・タイムズ紙に原稿が転載される。そのままでは長すぎるので、むこうが要約のような形にする」と伝え、了承を得たという。一方、芳賀氏は「版権があるので、(転載許可を求めた社は)PHP研究所との間でやり取りしたようだが、転載にあたり事務所に事前に許可を求めることはなかった」としている。
> かくして論文は配信された。それは原文よりかなり短く、前後の順番が入れ替えられるなど手が加えられている。“加工”された「最終原稿」を、Voice誌と鳩山氏側はチェックしなかったようだ。
> 論文がニューヨーク・タイムズのウェブサイトに掲載されたのは8月27日。新聞そのものには載らなかった。また、厳密にいえば、ニューヨーク・タイムズが発行し、ウェブサイトは完全に同紙と統合されている国際紙「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」の掲載だった。
> こうした経緯をみると、鳩山氏が「寄稿した事実はない」というのは確かだ。
> 論文はインターネットに乗り、瞬く間に世界に広がった。ガルデル氏は「鳩山氏側は論文が配信、批判され驚いたようだが、それは日本の島国性を示している。われわれは『地球的なガラス張りの家』に住んでいる」と指摘している。 (ニューヨーク 松尾理也、ロンドン 木村正人、外信部 犬塚陽介、政治部 松本浩史)
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 …あ、そうそう。
 セレブ奥様のブログにも書いたけど、山川出版社が先月末に高校世界史と日本史の市販本を出した模様。コリャどう見ても扶桑社の二番煎じ、「二匹目の泥鰌」狙いだろ。ここにも一つの「便乗」がある。後はどう転ぶか分からんぞ。体力があるなら育鵬社あたり、高校教科書方面にも進出しとく方がよいのでは?…さもなくば山川の天下はいっそう盤石なものとなるぞ。



7633 「ハコモノ限界集落」への道 苹@泥酔 2009/09/19 22:21

 検索中、ちょっと興味深い記事を見つけた。
http://mainichi.jp/chubu/news/20090908ddq041010008000c.html
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>>ナゴヤ10%減税YES・NO:教育 人件費削減で対応
> ◇内部事務経費の節約も
> 名古屋市の河村たかし市長は市民税10%減税の財源を捻出(ねんしゅつ)するため、教育委員会には09年度予算比で約37億円の削減を割り当てた。市長の方針「市民サービスは低下させない」を満たすため、事務経費や人件費の削減などで対応するという。
> 市教委が最近作成した09年度予算703億円の説明文書がある。例えば学校等運営費(201億円)。予算編成が現行方式になった02年度と比較しこんな数字が並ぶ。
> ▽小中学校光熱費43億7100万円↓32億4500万円(26%削減)▽備品購入など標準運営費69億600万円↓44億3100万円(36%削減)▽スクールランチ21億6100万円↓16億3500万円(24%削減)……。
> 経費削減で市教委には「ピアノの調律ができない」「図書室の本が満足に買えない」といった声も寄せられているという。文書には「削減は困難」「これ以上の見直しは困難」などの文字も記された。
> 市教委の予算総額は、福祉など他分野への割り当てが増える中で減少が続く。02年度に828億円あった予算は、09年度には703億円。そこから37億円を生み出すのは至難の業だが、市教委の勝間実経理課長は「扶助費(40億円)や学校等運営費(201億円)に手をつければ『市民サービスは低下させない』に反する。触れることはできない」という。
> 結果、削減対象となりそうなのは、教職員の研修などに充てる数千万円の内部事務経費や非常勤を除く人件費283億円。事務経費は研修講師の内部化や表彰経費の削減などで、人件費は教職員の給与カットや職員定数見直しなどで対応することになりそうだ。
> ただし市教委は市の職員削減方針に沿って、この3年間で310人を減らし嘱託に転換している。市教委の大坪真人経理係長は「減税は市長の公約であり可能な範囲で知恵を使いたいが、現状では目標に程遠い」という。
> 名古屋大学大学院の中嶋哲彦教授(教育行政学)は「住民のため(の減税)というなら、教育には手をつけられないはずだ。それでもやるなら、内部経費の節約ぐらいしかないだろう」と指摘している。【岡崎大輔】
>==============
> ◇教育委員会09年度予算と削減額◇
>(単位・億円)
>費目     予算額 (削減対象) 削減額
>人件費    337  未定    未定
>扶助費     40  未定    未定
>学校等運営費 201  未定    未定
>その他    125  未定    未定
>………………………………………
>計      703  未定    37
> ◇主な削減検討対象◇
>教職員人件費
>内部事務経費(教職員研修など)
>施設運営費(スポーツ施設など)
>毎日新聞 2009年9月8日 中部朝刊
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 …これを見て、ふと思い出した記事が以下の毎日新聞2007年2月17日付。取り敢えず支援板の旧稿からサルベージして置く。
http://f35.aaa.livedoor.jp/~masa/c-board358sp2c/c-board358sp2c/c-board.cgi?cmd=one;no=2298;id=
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/wadai/archive/news/2007/02/20070217ddlk23040157000c.html
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>>臨時教員:不安定な地位に低給与…「待遇改善を」 有志が名古屋できょう集会 /愛知
> ◇90年度比倍増の1万人
> 民間での非正規社員の増加が社会問題となっているが、教育現場にも臨時教員と呼ばれる“非正規教員”が増加しつつある。県の場合、90年度には4000人前後だった臨時教職員が、06年度には約1万人と倍増。不安定な地位、低い給与にも負けず、教壇に立つ教師たちの有志が17日、名古屋市南区のサン笠寺で、待遇改善を求める集いを開く。【山田一晶】
> 臨時教員の経験があり、この問題に詳しい愛知教育大講師(教育学)の山口正さん(50)の調査によると、全国約110万人の公立小中高校の教師のうち、少なくとも13・8%にあたる約15万人が教員免許を持ちながら、正規採用されていない臨時教員。60年代には臨時教員の割合は約2%だったが、80年代後半から急増し始めた。
> 山口さんは「少人数学級の拡大などで、必要教員数が増えているが、予算が追いつかない。1人の正規教員の人件費で3人は雇える非常勤教員が増えている」と分析する。県内では約1万人の臨時教員中、7割が非常勤だ。
> 名古屋市で約25年にわたって臨時教員を務めてきた小原洋子さん(49)は、24校で臨時教員として教壇に立った。2年間続けて同じ学校に勤務出来たのは一度だけ。最短で8日間だけの勤務も。小原さんは「若い時は、給料は少なくても少しでも経験を積みたいと、非常勤でも受け入れてきたが、老後を考えるともう限界」と話す。
> 刈谷市の三浦奈津子さん(34)は2年前に正規教員に採用された。臨時教員時代は、名古屋、静岡、豊田、岡崎などと各地を1~3年おきに回った。「臨時時代は研修も自己負担。臨時教員の経験を重視した採用を」と訴える。
> 高橋祐介さん(28)は現在、県内の3高校を掛け持ちで教える非常勤教員。1校だけでは月給が6万円程度にしかならず、とても食べていけない。さらに、健康保険や年金は自己負担だ。高橋さんは「授業時間だけしか学校にいられないので、正規教員や常勤教員とコミュニケーションも取れない。次年度に仕事があるかどうかの不安が常にある」と話した。
(以下略)
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 人件費の削減は人材の流動性を高める。それに対して、移転しない限りサッパリ流動しないのは校舎などのハコモノ。~田舎のハコモノ(音楽ホールなど)では使用実績等々「中身の空洞化」が取り沙汰されたりするが、その仲間に学校を含めて考えると或る意味「学校の限界集落化」への見立てが可能になるのでは。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090916/acd0909160756004-n1.htm
 単に先日の産経記事(↑)にあった語彙を使ってみたくなっただけ…と種を明かせば身も蓋もなくなるけど、でも学校ってホント、どこもみな地域社会、ムラ社会みたいだよなあ。そこでは正規教員が徐々に長老格となって行き、年配になるほど人件費を食い潰す。それだけ仕事は出来るし知識も経験もあるんだけど、ソロバンの上だけ気にしてばっか居ると、やがてそう見えてくるってこった。そこで人件費削減に乗り出すと今度は「正規教員が生まれなくなる」。強引に喩えるなら教員社会の出生率低下、これまたヤバイってんで外校人参教権を強化する。毎年数百名単位でトコロテン式にズルッと卒業していく生徒達の卒業要件を満たすため、非正規教員をこれまたズルッとやる。畢竟、正規教員の高齢化は「やめられない、とまらない」となる。

 更に悪乗り。~以下は架空の物語。
 顔が河童ソックリの蝦名先生(仮名)は、あと何年かすれば定年退職です。出来れば定年まで勤めたい。でも人件費が足りません。そこで早期退職が勧奨されます。…さあ困った。晩婚ゆえ子供がまだ幼い。どうやって今後の学費を捻出しようか。教員に天下りの道があるでもなし、そもそも空いた口は既に役人で埋め尽くされているし(No.7628参照)。そこであちこち手を回し、学校に居残る事に。
 みんな同じ事を考えてるんだなあ。周りは見覚えのある顔ばかり。いったん定年退職した後も、皆どこかで引き続き臨時講師やってるんです。そうでもしないと子供が育てられない。年金を貰える年齢になるまでは、六十歳以後も働かなきゃならんわな。…そう云や先日は定年で放り出された高齢失業者がコンビニ強盗やらかしたんだってね(架空の話だよ)。聞けば元は先生やってたそうな。講師になりたくても先輩ばっかで埋まってて七十歳なんてザラだから、それなりの人脈がないと職にあぶれちまうんだそうな。もうじき定年になる現役の若手(?)が相談してくる事もよくあるらしい。
 そもそも青二才が講師になろうなんて態度が烏滸がましいんだ。まだ若いんだから浪人でもなんでもして、さっさと採用試験に合格しろ。講師の仕事は老人力が引き受けるから、若い者は余計な心配しなさんな。(←あくまで架空の話だよ、架空の。)
 そんな妄想が実際に全国で常態化する日…意外と早くやってきそうな気がする苹でござんした。



7727 口先のパラダイム 苹 2010/02/23 23:40

 巷間、言行不一致が取り沙汰される事は少なくない。例えば政治方面では沖縄米軍の海外移転、外国人参政権の導入、移民政策の推進など、政権交代に際して各方面から寄せられた期待は大きい。それと同様の期待は当然ながら教育方面にも見られる。政権交代に託けずとも昔からそうだった。生徒や保護者の期待する指導と、その具体的な成果によって満足度は測られてきた。
 話を端折ると、生徒や保護者が学校に歪んだ期待を寄せる場合、学校が正しい教育を実践する事は不当であり、到底容認できないという事になる。そして大抵の場合、主に保護者が判断基準とするのは常識や正義や夢であり、それを反映した経験的基準から常識の部分を幾らか削減、もしくは変形させたもの(「授業しない」「自習が多い」などの無理難題を含む)が生徒側の期待に相当するだろう。それらに対して学校側が適度に対応する義務を負うと仮構するなら、例えば進学校では予備校化の義務を負い、また底辺校では授業水準を落とすなどの義務が期待されたりする様に、大抵は組織的な自己抑制と法規制との間で板挟みになる。
 毎年わざわざ手探りで状況把握するムダを省く上では、判別基準としての高校入試、巷間の評判、伝統、実績などが役立つ。教育内容の操作変形プロセスに教職員組合が関与するケースも少なくないらしい。因みに青森県では、管理職や県教育庁が教員に歪曲教育するよう指導していた(苹自身が直接それを経験している)。こうした事が全国規模で行われていても全く不思議ではない。
 教育現場で円滑な歪曲教育を遂行するには、指導主事が歪曲教育の支持者である方が何かと都合がよい。中には東京都の様に、科目によっては初めから指導主事を配置しない自治体もある。これで「上から下へ」の指示系統が遮断される。他方、あまりうるさく現場側から反抗されるとマズイ。そこで「いっそ正規の教員を採用しないで置こう」とするなどの対策手段が取られたりもする。これなら「下から上へ」の流れも遮断できる。すると教育が学問から独立し、受験などのニーズに適合した教育が市場原理で生き残る。

 衆知の通り、入試は一種の「仕分け」である。試験対象外科目で資料上の記録が検証される事はなく、それらは専ら入学後の授業で処理される。つまりこれは、生徒の頭数を仕分けする観点では「未処理のままで構わない」事を意味し、また履修内容の程度を仕分けする観点でも同様となって「後から授業に丸投げ」となる。(因みに苹の奉職した某高校では、当時の横山泰久校長が「私は授業を見ない主義だ」と明言していた。授業を見て欲しいと相談した時の回答であった。)
 この場合、後者の観点では所謂「未履修」の意味が二重化する。そもそも授業を行わないという意味での未履修は禁じられているが、履修内容を形骸化したり歪曲したりする意味での未履修は現場の裁量でどうにでもなるらしい。つまり学校の管理職が教科担任を指導・監督するのであって、教科・科目の管理職が監督するのではない。従って教員が専門的見地で監督される機会は一切ないし(註:高教研ではどこかの校長が部会長となるが所詮お飾りだった)、また管理職側も自身の教養範囲を基準に監督せざるを得ない。~中には教科主任が指導する場合もあるだろう。例えば歴史の先生が地理を指導したり、音楽の先生が書道を指導したり。これを教員同士の相互監視と見るなら、その分だけ「地歴公民科における地理教育への歴史的配慮」や「芸術科における書道教育への音楽的配慮」といった影響が加わる機会は増えてくる。
 例えば歴史問題に配慮して竹島を独島、日本海を東海と教える地理授業などが想定できよう。主任手当をプールして別の活動に使うケースもあるだろう。音楽の先生は欧米言語と音符を母語とする様なものだろうから、国際的視点で書道を変質させようとしたところで何ら不自然ではない。そうした教員社会の常識(?)に適応できない教員が淘汰されるのは、評価の基準が学問的専門性に依拠しないからでもあろう。ゆえに苹は前々から「学校は学問教育の場ではない」と表現しておる。

 巷間、言行不一致が取り沙汰される事は少なくない。例えば「基礎指導の強化」が要請されたとする。言葉の解釈は現場の都合で変わる。基礎指導の成果を相対的に目立たせるには、応用の領分を縮小するか、基礎と応用の関係を顛倒させればよかろう。いづれにしろ学力低下の危険が伴う。全国規模の学力テストを実施して基礎の定着度を調査する事は可能だが、基礎のテストで優秀な生徒が応用の領分でも優秀だとは限らない。
 基礎と応用の顛倒事例はどんなふうになるか。~書道で字がうまく書けるに越した事はない。しかし「うまさ」の基準は曖昧な点が多いし、「読める」という事の位置付けも解釈に幅がある。仮に、生徒に古典臨書させたとする。芸術科主任の音楽の先生がそれを見れば、見慣れない読めない字は応用の領分に見えるだろう。そこで「基礎をやれ」となる。書道の先生は「基礎をやっている」と云う。音楽の主任先生は「云ってる事とやってる事が違う」と判断する。書道の先生は古典臨書が基礎だと思って居るから、何を言われているのかサッパリ分からない。そういう事が往々にして起こり得る。
 ペーパーテストではどうか。例えば書道史は古典を理解する上で重要な一里塚と云える。ところが「書道とは筆で書く事だ」と思い込んでいる人が書道史の出題を見れば、「書道をやっていない」「応用ばかりやっている」と判断したくなるだろう。ここにも基礎と応用の顛倒がある。その上で「応用の領分」を縮小すれば「基礎の基礎」を伴わない「基礎」ばかりが肥大する事になり、評価の面では言行一致と言行不一致が顛倒する。
 評価は或る意味、口先の領分である。内容が形骸化すれば尚更そうならざるを得ない。そこで~口先の属するパラダイムがどの場所に置かれるか、それを確認する必要がある。本稿の場合、場所は学校と決まっている。行動を必要としない口先が資料化されるに及んで、評価は公式文書としての完成を見る。改竄意思なき改竄は「改竄ではない」から、実質的な成績改竄の内規が殆どの学校で制定されていたりもする(青森県の場合)。それが当たり前だと生徒も保護者も教員自身も教育されている。他県でも実情は大差ないのではなかろうか。
 お隣さんは、でっかいどう。…海を隔てて北海道。このところ北教組が政治に巻き込まれている様だが、彼らにしてみれば「当たり前の事を当たり前にやっただけ」なのだろうから、正直なところ迷惑な話ではないのか。そっと静かに見守っていて欲しい筈だ。「余計な介入などせず、余所者は黙っとれ」と。文部科学省に北海道の何が分かる。~そうした視点を忘れずに観察を続けたい。
8【再掲】「恥を忍んで」08 ( 苹@泥酔 )
2012/01/30 (Mon) 22:36:21
7628 文部科学省への復讐? 苹@反日実験人格 2009/09/04 06:59

(前稿訂正)
 かれこれ十年近く、前稿の注釈【※115】で「第四夜《神々の黄昏》」と誤記していた事に気付かなかった。と云うより、そもそも読み直すのが面倒臭かった(汗)。正しくは「第三夜」でござんす…。

 以下は選挙結果を踏まえての雑感補記。~広告を見ると『正論』最新号の教育関連記事がなにやら面白そうなんで、この週末にでも買ってくるつもり。もしかしたら見方がガラリと変わるかも知れないので、読前読後の感想比較用に一つ覚え書きを出しときます。


(本題)
 取り敢えず、教員の身になって考えてみる(所詮は勝手な想像に過ぎないが)。
 …教員免許更新制はハッキリ云って「めんどくさい」。余計なお世話、と云ってもよい。仄聞するところ講習とは名ばかりで、何の役に立つのか分からないのに出張(?)させられる模様。とどのつまりは「無駄な仕事」と大差ない。「それが仕事だから」とアッサリ納得できる「素直な擦れ枯し野郎」でもない限り、無駄に時間を奪われるのでは総スカンを食らうのも無理はなかろう。なのに何を血迷ってか、外野がつべこべ文句を云ってくる。モンスターペアレントならぬ「モンスターガバメント」、もしくは「右翼市民」の登場である。この手の御仁は何か誤解をしているのではないか。~嘗て観察した現場感覚に依拠すると、大多数の心理は概ねそんなところだろう。毎日が訳もなく忙しい。忙し過ぎて授業する暇がない(爆)。或る分掌主任は約十年前、「忙しくて教材研究する暇がない」とこぼしていた。今は更に多忙となっているらしい。
 忙しさを共有しない人材を正規雇用しても即戦力にはなるまい。そもそも正規教員の主たる仕事は「授業ではない」からだ(相対比較)。傍目には多忙と映らなくとも、それぞれの事情に応じた忙しさがある。中には「忙しくて学校に行ってる暇がない」先生も居るだろう。そこには組合の仕事ばかりでなく、部活の引率や教研集会などの出張も含まれる。教研集会は集団指導体制による教材研究とも云えるから、これを敵視すれば「勉強する暇があるなら仕事しろ」式の批判に陥りやすい。そうでなくても「忙しくて学習指導要領など読んだ事がない」教科主任が居るくらいなのだから。そしてこれらの隙間をかいくぐる時、いくつかの対策が自ずと出てくる。例えば多忙な先生の仕事を緩和するため非正規雇用で安上がりに済ませるとか、とにかく色々と。実のところ業務上、真っ先に手を抜けるのは授業なのでござんした(校務分掌をこなして初めて授業に注力できるのだぁ)。
 どの学校にも大抵、「仕事のできる先生」と「仕事のできない先生」とが居る。多くの人はそれらを民間企業の感覚、経営の論理で捉えるだろう。…ところで、仕事とは何か。仮に「求められた課題の処理」だとしてみる。処理方法にも色々ある。そこには複数の課題の優先順位も絡む。教務なら時間割を作ったり調整したり県教育庁と連絡したり、教科書の手配やら何やら。環境保険・渉外ならPTAや後援会との連絡、自転車保険、発行物の編集や印刷の手配、県費以外の私費予算の管理、あと…ううう、思い出すのもめんどくさくなってきた(苦笑)。ともかく授業そっちのけで色々ある。そうした仕事をてきぱきこなせるのが「仕事のできる先生」であり、授業は「出来て当たり前」ゆえ余程の事がない限り「論外」となる。仕事の「できる、できない」は雑務の話であって、普通の公務員試験を通ってきた人々と大差はない。入試や行事では会場設営に受付、案内、接待…。そう云やタクシーやバスの手配(中古車輛購入時の入札や会計業務などを含む)も事務室と連携した上で、教員に様々な仕事が回ってきてたっけ。

 …やがて、どこからともなく「民間を見習え」の大号令がやってきた。教員を民間企業に派遣して「世間の常識と仕事を学んで貰う」(?)事業も始まった。そのうち学力低下が問題視され、学校の先生に予備校の教え方を学ばせる所も出てきた。…ここで疑問が出てこないか。そんじょそこらの民間企業に教員を派遣しても学力向上のノウハウが身に付く訳ではあるまい。予備校に派遣するならともかく。仮に最初からそうしていたらどうなったか。予備校教育と無縁な科目は必ずや初手から蚊帳の外となるだろう。つまりどのみち、学校の官製「予備校化」は避けられなかった。それを先ず学校側が自発的に行い、文部科学省が摘発したところ全国規模の大問題となった。未履修問題と呼ばれるマッチポンプ構造の事である。学校が率先垂範して文部行政の泥を被り、最後は必ずしも自発的と云えない泥を被る事で生徒達を守ろうとした。…と云うのは半ば詭弁に近い筈。その証拠に生徒達は補習を受けた。「補習圧力から生徒達を守る」事が出来なかったのは、彼らが同時に学校をも守ろうとしたからである。何から守ろうとしたかと云えば一目瞭然、「文部行政の横槍から」である。
 現場なら普通、これをどう受け止めるだろうか。全国規模のフラストレーションを何処に向けるだろうか。何をしても忙しくなり続ける事に変わりはない。なのに自民党は相変わらず頼りにならなかった。「官僚への指導力がない」のではなく、「官僚に指導力がない」のかも知れない。現場が文部官僚の手に負えないなら、民主党政権にどうにかできると夢想する方がどうかしているのかも知れない。いっそ開き直って文部科学省を滅ぼせばどうなるか。学校もしくは地域各々が自発的に民間教育との競争か協調を始めるか、もしくは独自の教育を始めるだろう。すると画一教育が破綻する。所謂「合成の誤謬」に生徒と保護者が巻き込まれ、転勤に伴う転校・移籍の基準が崩壊に向かい、それらの混乱と競争を進学基準に於て外から引き受けるのが大学入試となるだろう。「勉強とは入試と見つけたり」…何十年前の意識か知らぬが、ともかく進学したい誰もが一斉にその地点へと回帰していくだろう。もはや未履修どころの話ではない。
 そうした危惧を前提に教員免許更新制を否定するのは容易い。肯定する場合とてどうなるものだか。受験道徳の障壁となる科目の教員免許を更新しない方針とすれば「ゆとり科目」と「非ゆとり科目」の本格的分別が可能になる。「ゆとり教育」を否定するには先ず「ゆとり科目」、すなわち非受験科目を排除すればよい。これが夢物語でない事は旧稿で具示した通り(二名の正規教諭と百二十名の非常勤講師で事足りるタイプの「ゆとり科目」誘導が東京都では戦後一貫して継続中)。どのみち講師にゃ関係のない話でござんす。
 …そして実は教員の仕事ともさほど関係がない。免許を更新すれば接待や事務処理がうまくなるのかね。それなら事務職員にも「事務職免許更新制」か何かを課して、後々は県職員や市町村職員にも同様のリストラ突破口を貫通させればよい。

 久々に『諸君!』2008.10号の鼎談「日本の学校をモンスターだらけにしたのは誰だ!」(八木秀次・石井昌浩・義家弘介)を読み直した。その中に「教員免許更新制の盲点」って小見出しがある(P.166)。ざっと読むと、この仕組みに欠陥があるらしい。その内容は半ばNo.6575(の初出稿)で指摘した事とも重なる。~以下はP.167から。
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> 石井 見事に形骸化されたんですね。これでは現在、教育委員会が行っている研修に、屋上屋を重ねるだけのことです。教員の適性を検証、チェックする人がいないため、形ばかりの更新にすぎなくなる。
> 八木 国立大教育学部解体の道筋をつけたはずが、むしろ延命の口実をつくってしまった。教育学部はこれまで縮小傾向がつづき、気息奄々たるありさまだったのに、政府が新たなお墨付きを与えてしまったも同然です。
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 『WiLL』2009.10号P.47で土屋敬之(たかゆき)民主党都議会議員は、教員免許更新制度の「見直し」を日教組に託けながら非難めいた書きぶりで指摘している。「形骸化」と「見直し」を天秤に掛けると、どっちがどうなのか途端に分からなくなってくる。
 私の場合はどのみち高校教育の予備校化=解体に向かうだろうとする見方だから、教員云々より大学入試の方を重視する次第。~石井発言のパロディに仕立てるなら、差詰め「高校教育の成果を検証、チェックする科目がないため、形なき入試にすぎなくなる」状況が、「学生の適性」を取り巻く逃走経路に組み込まれている事になる訳でんな。それを根拠に教育学部が初等・中等教育へと適応するからこそ、教育学部に学生が集まる(中期的視点のフィードバック)。なおかつ国立大学の法人化がそうした流れを経済的に促進する。…「調和なき理念」と「理念なき調和」の二者択一を迫られたら、普通どっちを択ぶのか。前者は孤立から自滅に向かう。後者は連帯から頽廃に向かう。自滅と頽廃の生命力を比べれば後者に軍配が上がるだろう。だから前者の実質は「高校教育からの撤退」に向かわざるを得ない。そのための受け皿が予め民間などの「外部」に存在していたからこそ、「未履修問題を掘り起こした組織」が学校教育現場と自民党を効果覿面に裏切った。
 日教組が社民党や共産党から民主党へ(?)と逃走した理由、なんとなく同情できるのが返す返すも情けない(orz)。未履修問題で裏切られたのが学校の方なら、「裏切る様に仕向けたのが自民党」であるかの様に見えたとしても決して不自然ではなかろう。そんなこんなをステロタイプの日教組問題に単純化してばかり居ると必ずや判断を過つ。余所の「過激なイデオロギー」なんざどうでもよい。日教組に優しい議員が「いじめられて大変だったね」と癒すかのごとく振る舞えば、当事者の情が動くのは…巷間よくあるこった。

 なお、教育関係の上層部については産経の優れた調査報道がある(↓)。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090829/crm0908290136000-n1.htm
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>>文科省天下り、3分の1が私学…省庁再編後もルート温存 (1/2ページ)
>2009.8.29 01:32
>文科省幹部の天下り(過去5年) 文部科学省から過去5年間に天下った幹部職員OB162人のうち、3分の1を超える57人が私学(学校法人)に再就職していたことが28日、産経新聞の調べで分かった。旧科学技術庁出身者らを除いた旧文部省の生え抜きに限ると、4割を超える高率だった。この調査結果に、識者らからは「旧建設省OBがゼネコンに天下るようなもの」と批判の声もあがっている。与野党各党は総選挙のマニフェスト(政権公約)に天下り規制を盛り込んでおり、文科省は天下りへの新たな対応を迫られそうだ。
> 調査結果によると、平成15年9月~20年12月に、文科省から天下った本省課長・企画官級以上の幹部職員は計162人。うち57人(約35%)が51の学校法人に天下り、東京聖徳学園、佐藤栄学園、藍野学院、玉川学園、聖心女子学院、日本体育会の6法人では、各2人を受け入れていた。肩書は事務方トップの事務局長が21人で最も多かった。
> 51法人の中で48法人が大学(短大も含む)、2法人は高校、1法人は専門学校を主に経営する。13年の中央省庁再編で、旧文部省と合併した旧科技庁の出身者らを除いて旧文部省の生え抜きに限定すると、天下り総数は111人で、うち46人(約41%)が学校法人。旧文部省の生え抜き以外で私学に再就職した11人は、外部から教育分野の専門職に転身した学識経験者らで、旧科技庁入庁組は皆無だった。
> 文科省は、各種の補助金で学校法人の経営健全化や設備充実をはかる私学助成を行っており、予算規模は年間4500億円前後にのぼる。私大設立や学部・学科新設の許認可権ももつ。少子化で私学は経営が難しくなっており、特に私大は学生集めのため、情報システムや住環境デザインなど既存の大学とは異なる目新しいテーマの学部・学科の新設に躍起になっている。
>文科省幹部の天下り(過去5年)
> 省庁再編前には国会で取り上げられたこともある旧文部省の私学天下りルートが、再編後も事実上温存されていた実態が明らかになり、天下り問題に詳しい国際基督教大の西尾隆教授(行政学)は「再就職の是非はケースごとに判断すべきだが、この数字は大いに問題がある。旧建設省OBがゼネコンに天下るようなもの。営利企業ではないと言っても、私学も補助金獲得をめぐり競争しており、経営難もあってお金絡みの意識が働く可能性がある。許認可権限をもつ相手先に行くのは、庶民感覚からみておかしい」と指摘。一方、文科省人事課は「もともと法律に制限がなく、問題はない」としている。(調査報道班)
> ■学校法人 私学(私立学校)の設置を目的として設立された法人。放送大学を運営する放送大学学園は特殊法人改革の一環で、平成15年に特殊法人から「特別な学校法人」に移行したため、放送大学も私学となっている。学校教育法は、国と自治体と学校法人だけが学校を設置できると規定しているが、同年に成立した改正構造改革特別区域法によって、株式会社とNPO法人(特定非営利活動法人)も構造改革特区(教育特区)に限り、特例として私学の設置が認められた。国内の大学の4分の3以上は、私大が占めている。
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http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090829/crm0908290138001-n1.htm
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>>「事後チェック、重要に」…文科省天下り問題
>2009.8.29 01:37
>  文部科学省から天下った幹部職員OBの3分の1超が私学(学校法人)に再就職していた実態が28日、判明した。旧文部省生え抜きに限れば4割を超える事実のもとでは、「癒着」と指摘されても仕方がない。
> 昨年12月に改正国家公務員法が施行されるまでは、国家公務員が退職前5年間の仕事と関係ある営利企業(私企業)に、退職後2年以内に天下る場合は人事院の承認が必要だった。ただ学校法人は「営利企業ではない」との建前から制限は設けられていなかった。
> しかし、少子化で18歳人口の減少に歯止めがかからない中、私学は私企業同様、市場原理にさらされている。国は、大学の学部・学科の設置規制を緩和し、平成15年度には一部を許可制から届け出制に改めた。その結果、学生の獲得競争は激化し、定員割れの私大が続出。ハイリスクな金融商品で資産運用に失敗する私大も多く、メーンバンクの後押しで有力大学によるM&A(合併・買収)の動きも活発化するなど淘汰(とうた)が進む。
> そもそも天下りが問題視されたのは、私企業だけでなく、財団法人などの外郭団体が隠れみのになっている実態を受けたものだ。私学は経営面では私企業的側面をもち、補助金を受ける外郭団体的側面ももつ。教育機関という微妙な立場をたてに、規制のグレーゾーンとなってきたが、むしろ、最も規制の対象となるべき存在といえるだろう。
> 改正国家公務員法は在職中、利害関係のある法人への求職活動を禁じた。営利企業だけでなく、学校法人などにも対象を広げ、規制は事前承認から事後チェックとなった。だが禁止されたのは求職活動だけで、役所の看板を背負った再就職そのものではない。
> 総選挙の結果次第で天下り規制は一層強化される可能性がある。しかし、苦しい経営から国とのパイプを求める私学と、再雇用先を確保したい文科省との利害は一致したままだ。「天下り後」のチェック態勢の強化が一層、求められる。(調査報道班)
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http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090904/crm0909040048000-n1.htm
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>>【Re:社会部】堅実な調査報道、続けます
>2009.9.4 00:47
>  8月29日付本紙1面の記事「文科省天下り 3分の1が私学」に関し、大学関係者と思われる栃木県の男性から、調査報道班の地道な取材を、もったいないほどねぎらっていただくとともに、「大学自治の立場からも実態に切り込んでほしい」とするお便りをいただきました。
> 私学に天下った57人中、事務方のトップの事務局長が21人で最多でしたが、お便りは、もし正副学長に就任した文科省OBがいるなら、単なる癒着にとどまらず、学問の自由を形骸(けいがい)化しかねないと指摘しています。
> 戦前、思想問題を背景に政府が大学人事に介入した反省を踏まえ、学問の自由には大学自身による実質的な人事権の保障が含まれているとされていますが、これが監督官庁によって形骸化されるおそれがあるというわけです。実際、残る36人には副学長が1人いました。再就職を繰り返す「渡り」も追跡すると、正副学長はもっといる可能性があります。
> お便りには、文科省が副学長ポストを要求してきたとのうわさを聞いたことがある、とする一節も。また、「民主党は天下りを禁止するとしているが、他方、教育費を増やすとしており、私学との癒着はますます増える可能性もある」とのご指摘もありました。
> 今後も一層、天下りには厳しい目を向け、堅実な調査報道を心がけたいと思います。(丈)
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(余談)
 今回の総選挙では民主党が圧勝したとの事だが、青森県は東北で唯一の「自民優勢」地域。四選挙区のうち三選挙区を制覇したのが自民党で、民主党に一人だけ負けたのが引退ホヤホヤ「津島派会長」の後継(初出馬)。他の候補は比例区で当選したそうな(民主党と共産党)。
 そんな青森が昔も今も前掲「其二」の通りである事には、いつもながら~何か筋金入りの空恐ろしさを感じる。昔は「津軽選挙」と呼ばれるバラマキ体質が話題となったものだが、それをいっそう洗練させた形が全国的かつ間接的に瀰漫したかの様に捉えるなら、これは一体どういう事になるのやら。
 …とは云え、青森には青森の事情がある。どうやら本県は想像以上の「アメリカ植民地指向」らしく、例えば三沢市では昨年(だったかな?)教育上の目的で「××通り」を「××ストリート」に改称する案などを審議する際、わざわざ助言者に三沢米軍基地から司令官を招いたそうな(もちろん司令官は英語ネイティヴ…w)。片やXバンドレーダーを配備した「つがる市」近辺では北朝鮮のミサイル発射に相当ビビってた様で、その影響がまだ残っていたのかも。尤もレーダー基地の警備は米軍でなく民間軍事会社(!)が担当して居て、東奥日報の記者が近付いたら自動小銃を構えてウホウホ迫ってきたそうだけど(一部脚色…汗)。
 南部には「自由の女神」像も「キリストの墓」もある土地柄、民主党への抵抗感にはまた別の要素が関与している可能性もあり得るんだろーな。いづれにしろ「日本文化の破壊」と「青森文化の保守」が両立し得る点はそこそこ興味深い。雑駁には…むつ市、つがる市、おいらせ町といった平仮名地名を採用する感覚みたいなもんだ。日本文化としての平仮名アルファベットを本家アルファベットとの同調感覚にこじつけるかのごとき心理に、私は青森文化の図太く歪んだ野性を垣間見る。



7629 「ひとへにかぜのまへの…」(!?) 苹@泥酔 2009/09/07 23:19

(補記)
 『正論』2009.10号を買ってきたが、三編の教育ネタでは特に目新しさを感じなかった。八木先生の観点も既読のネタだったし、…と云うよりは苹の感覚が再読時に鈍磨したって事なのだろう。藤岡先生のは横浜採択に至る経緯が分かり、有難い。
 話題を変えて『WiLL』2009.10号。~二誌ともカラヤン本の話題が面白かったけど、それ以上にビビビと来たのが実は「天地無用」欄だった。P.18に「現代の漱石全集などの校定方法から遡って、江戸時代の版本を西鶴まで」云々と書いてある。これを書いた「釣り師」は誰だぁ。もしかして編集長なのかしら(「瀬尾はやまるな」で花田うるはし、釣られし苹は俎上のダボハゼ)。あたしゃ小西甚一なんて名前は知らないぞ…と思いつつ検索してみたら、ふと見覚えのあるタイトルが目に留まった。高校時代に使った参考書の『古文研究法』(洛陽社)も氏の著書だったのね。今の今まで気が付かなんだ(汗)。当時の教科書・参考書は殆どが散佚しちまったが、どうした訳か気になる本だったので今も手元にある。嗅覚ってのは結構バカにならないんだなあ。国語教科書と違って当時の歴史教科書も残してるし。あれから×十年(苹は年齢不詳なのw)、まさか私が歴史教科書運動関係のサイトに入り浸る様になるとは思わなかった。さほど興味がある訳でもないのになあ。

(妄想)
 前稿末尾で青森ネタを書いた。~あの後、更なる妄想が。
 民主党政権の出方次第では、イラクで有名な民間軍事会社あたり、先ず自衛隊駐屯地内のXバンドレーダーを「日本から守る」手だって考えられぬではないのかも。んでもって続きは日本式に対応する訳だ。「秘書がやりました」方式の効果は確認済みだし、中国には「誤射でした」が通用するから(先年は中国大使館誤爆事件があったっけ)険悪な関係にはなるまい。つまり「あれは米軍でなく民間軍事会社の仕業です」でどうにかなる。イラク規模で自衛隊員に死者が出る程度は想定の範囲内だろう。反抗したらアッサリ再占領すればよい。いつでも三沢基地から急襲できるんだし、横田からウホウホ首都制圧に向かえば事は簡単なんじゃあるまいか。そんでもって中国には沖縄から睨みをきかせる。
 物騒な妄想は傍迷惑かも知れない。しかし素人の私でも思い付くオプションを、あちらの専門家がいっそう洗練された仕方で考えない訳がない。鳩山外交には先ず新聞から恫喝の予兆をちらつかせ、自民党路線からの逸脱を自粛させる。屈伏が国民の反感を買えば忽ち自民党政権へと逆戻り。結局どう転んでも対米政策の安定性は保たれる。
 思い切って、外相には社民党の人がいいんじゃないかな。さっさと渡米させちまえ。荒療治するつもりなら、この手が一番かもよ?(ただ…そんな勇気は民主党にゃあるまい。)

(転載)
 前稿末尾で三沢に触れた。~以下に関連記事を出してみる。
 その前に民間軍事会社云々の記事を探したけど、どうやら家人が古新聞を処分しちまったらしい(2009.8.28以前数日分のどれかに載ってた)。そこで取り敢えず別の記事を「東奥日報」2009.8.29付朝刊24面から。
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>>基地内居住方針が発効
>>米軍三沢 市、見直し要請へ
> 米軍三沢基地のディビッド・スティルウェル司令官は28日までに、米軍人・家族の基地内居住を推進するとの方針を記した書類に署名し、同方針が正式に発効した。基地内居住の方針をめぐっては、基地外に米軍人向け住宅を所有する大家の家賃収入が激減し、地域経済に大きな打撃となる―などと三沢市は強く反発していた。
> 新方針は、9月1日以降、家族を伴って同基地に新たに赴任する軍人に基地内への居住を求める―との内容。基地内にある住宅の入居率を上げ、基地外に住む軍人に支払っている家賃補助費を削減するのが狙い。ただし、単身者や独身者は対象外で、現在、基地外の米軍人向け住宅に住んでいる軍人・家族に基地内への転居を求めることもしない。
> 三沢市基地渉外課によると、基地外の米軍人向け住宅は三沢市と周辺3町に計1500~1600戸ある。一方、米軍三沢基地内には2033戸の住宅があるが、入居率は約72%。基地内の住宅の整備には日本政府の「思いやり予算」が充当されているという。
> 市内の建設業者によると、基地内では約250戸の改修工事が終了したばかりで、新たに約500戸の改修工事も始まったという。基地内居住推進の方針が決まったことについて、三沢市政策財政部の澤口正義部長は「予定通り、方針見直しの要望書を基地司令官に提出する」と話した。
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 次は同2009.9.1付朝刊26面。
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>>司令官「影響最小限にする」
>>米軍三沢基地内居住方針 見直し要望の市側に
> 米軍三沢基地が米軍人・家族の基地内居住を推進する方針を決めたことについて、三沢市は31日、基地外居住を制限しないように求める要望書を同基地のディビッド・スティルウェル司令官に提出した。同司令官は、推進策は在日米軍司令部からの指示であることを説明した上で「(地域経済への)影響は最小限にとどめたい」と述べ、理解を求めた。
> 要望書は種市一正市長と馬場騎一議長の連名で、両者が三沢基地を訪れ、スティルウェル司令官に手渡した。同市議会基地対策特別委の小比類巻雅彦委員長も同行した。会談は非公開だった。
> 市基地渉外課の説明によると、市の要望に対し、スティルウェル司令官は①基地内居住推進は、日本政府から「思いやり予算」を有効に使ってほしい―との要請を受けた在日米軍司令部からの指示②基地外にある民間の米軍人向け住宅は家賃が高く、家賃補助を支出している基地の予算を圧迫している―と説明。
> その上で、老朽化した一部の基地内住宅を取り壊す予定があるため、いずれ基地外の米軍人向け住宅の需要が再び高まるとの見通しを示し理解を求めた。
> 在日米軍基地内の住宅の整備には日本政府の「思いやり予算」が充当されている。米軍側の回答について市は「軽費節減が目的ということであれば一定の配慮が必要かもしれない」(冨田哲基地渉外課長)として事態の推移を見守る構えだ。
> 米軍三沢の方針は、9月1日以降、家族を伴って同基地に新たに赴任する軍人に基地内への居住を求める―との内容。ただし、単身者や独身者は対象外で、現在、基地外の米軍人向け住宅に住んでいる軍人・家族に基地内への転居を求めることもしない。
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 その他。
 「書道美術新聞」921号(2009.9.1付)の「風信帖」欄では、政権交代で書教育の「強制は排除」って事態になるのを危惧してるらしい。珍しく政治ネタに言及していた。
8【再掲】「恥を忍んで」07 ( 苹@泥酔 )
2012/01/29 (Sun) 22:45:41
7626 恥を忍んで(其五) 苹@泥酔 2009/08/25 23:31

(結語)
・歪曲教育の義務  ・基礎指導放棄の義務  ・成績改竄の義務
 注釈の端々に見られる要素を短く三点に纏めたのは2007.05.20 (08:43)のコメントが最初だった。先ずセレブ奥様のブログに書き、それから支援板に書いた。この時点では「歪曲教育」でなく「学問歪曲の義務」としていた。どちらでもよさそうではあるが~その何年か前には既に「学校は学問の場ではない」と観念していたので、殊更に「学問」を持ち出すのは教育上「不適切」かも知れない。平たく云えば分業制。「あなた学問する人、わたし教育する人」って訳である。学問は学者に任せて置けばよい。教員に学問は要らない。
 それとて約十年前の時点では「まだ疑問の側にあった」。義務とまでは思っていなかった。だから「教員も学者の端くれ」と云わんばかりにゴチャゴチャ調べたりした。…よく考えると僭越だったのかも知れない。これも本文か注釈のどこかに書いた事だが、教員の飲み会では「大学教官は現場を知らないバカだ」と語られていた。その言葉の重みを私は咀嚼していなかった。「学問上は正しくとも、教育上は正しくない」状況が現場では成り立ち得る。
 古くはテレビの金八モデル。「人という字は支え合う形」などと云おうものなら、学者は忽ちバカ丸出しの姿をさらけ出すだろう。学問教育と道徳教育の融合を歪曲と捉えるからややこしくなる。「親という字は木の上に立って見る形」ってぇのも同様である。「辛」の来歴など、教育上はどうでもよい。一部の新聞が題字に「辛」の形を残しているのとは訳が違う。そんな字を漢字の書き取りで書けばバツになる。

 こう書けば、すぐにピンとくるだろう。そして下記の疑問に思い至る。「道徳教育の担い手が、道徳教育の押し付けに抵抗するのは何故か」と。~道徳がそのまま道徳として提示されると押しつけがましくなる。かと云って道徳が学問を偽装すれば、今度はマルクス主義の失敗(?)へと近付く。どちらでもない道徳が内部から生成された時、道徳は「それ自身」が道徳である事に対して盲目となる。…結局は内部と外部の問題ではないのか。
 学問教育と道徳教育と受験教育の三角関係は或る意味オイディプス三角形の様なものかも知れない。上記のごとく道徳で教育を支配する事は可能だが、そうした道徳で学問の場を侵略できるかと云えば必ずしもそうではない。この隔たりは学問自体が相互に育む「ちぐはぐな学際性」により担保される面もあるし、「必要とされない入試」による整序機能が道徳的学問偽装を阻む場合もあろう。ただ学問の丘を征服した者だけが、教育との交感に歩みを進める事ができる。するとここでは共通の道徳がそれぞれを円滑に接続し、道徳なき(=道徳上の対立なき)学問の演出へと学生を誘導できる様になる。
 これを仮に道徳経済と位置付けてみよう。受験教育で支払われる「貨幣状の量」は概ね「学問の量」に比例するが、このシステムを維持するための信用が受験道徳により培われるならば、道徳それ自体がグローバリズムの本拠であらねばならぬ筈。そうした信用は自明であらねばならぬ。疑問を差し挟めば道徳の全体主義が崩壊の危機に曝されてしまう。既存の内部道徳が新たな外部道徳に脅かされる事態は避けたい。当事者なら、そう思うのが当然だろう。「道徳の組織」の問題自体が学問に寄生している事を暴露されるのが恐い。下手をすれば信用破壊に直結してしまうからだ。畢竟、道徳教育の否定はリスク管理の問題であり、それは同時に学問教育や受験教育の問題でもある。受験を道徳で統御する姿勢がリスク管理の伝統と絡むなら、学問を滅ぼすオイディプスは受験システムを妻とする事により、父性としてのリスク管理システムをいっそう学問の座に近付ける事ができる様になる。
 この事を私は道徳や歴史学の側からではなく、国語それ自体の内部から抽出しようとした。国語教育の偽装は活字道徳に基づくかの様で居て、その実「達筆コンプレックス」と裏腹な既成事実に依存した「正当化の流れ」を活字に整流するための副次的道徳が要請されているらしい事にもますます目が向く様になった。どうやら道徳は「多様態の一纏まり」らしい。それをイデオロギーと呼ぶなら、組織もまた多様態の一纏まりとして全体の秩序を体現する事になろう。そこから日教組という癌(?)を切除したところで、事が改善するとは限らない。リンパ節への転移は一種の予定調和であり、そこから癌に遡ったところで、リンパ節の張り巡らされた組織体の成り行き自体は相応に怪しいものだ。
 そんな組織体が免疫機能を民主党に働かせる姿を幻視すると、なにやら私には癌の転移と似通った状態に思えてくる。生きのいい生体は栄養たっぷり。弱ったらまた別の生体に転移…と云うより「伝染」すればよい。

 …てな事を書いたら、ふと一冊の(…いや、何冊でもいいのだが)見方次第では予言的な(…大袈裟?)漫画本を読み返したくなった。舞台は学校その他。先生や生徒が出てくる。カブトムシや変な生き物も出てくる。道徳云々と密接に絡みそうなキャラは「山崎先生」だった。
 吉田戦車『伝染るんです。』
(こんな書き方で終わると…怒り出す人が居るかもなあ。)
 …閲覧者の気分を害したかも知れない頃合いを見計らって、最後のNo.7623注釈。

(注釈)
【※108】二重拘束。『精神の生態学』(新思索社)改訂第2版三七四頁にはこう書いてある。「変換形生成の規則に生じる何らかのもつれについて―そしてそれらのもつれが獲得または育成されていくプロセスについて―論じるものである。それが主張するのは、分裂病的行動パターンと、それに関係する(ユーモラスな、芸術的な、あるいは詩的な)行動パターンの決定に経験的要因があずかるということだが、そこで重要なのは、これらさまざまな行動パターン間に、この理論が何の区別も置いていないということである。つまり、ある人間が道化になるのか、詩人になるのか、それとも分裂症者になるのか、はたまたそれらの組み合わせ的存在になるのかということの決定に、この理論はまったく口を出さない。それが扱うのは、単一の症候群ではなく、(一般に「病的」とはされていないものが、そのほとんどを占める)ひとつの症候群属の全体なのだ。」
【※109】脳と錯誤との関係が示す総てのプロセスは、正確であるかの様に振る舞うコミュニケーションの錯誤が架空の相互諒解において正確に現実化する事を物語る。例えば吉岡洋が『〈思想〉の現在形』(講談社選書メチエ)四九頁で「すなわちサイバースペースは、生身の身体で対面するコミュニケーションにおいては自然に防止されていたような、暴力性や倒錯性を表に引き出すこともありうるのだ」とした在り方、すなわち~無自覚で制御不能な差異の双方向への逃走は、歴史上決して珍しい事ではない。ここでは総てが事前に諒解され、国語と日本語の同一性や時制の連続性は認知プロセスにおいて固定的ではなくなる。かつて活字が書字を虐げた様に、或いは英語が日本語の役割を今なお相対的に貶めつつある様に、実際は「そんな事はしていない」と誰もが一蹴できる程度の領分となって見過ごされ、デリバティブ取引の様に実体を背後から支える。そしていつの間にかそれと知られぬまま、全体の流れを見事に馴致してしまう。にもかかわらず我々は、サイバースペースが言語環境にもたらす変容のプロセスと脳内で意味論的に溶解する接続プロセスとの同型性や連続性―線形性を更に追い詰め、言語環境における歴史的マテリアルそれぞれの差異として、これ見よがしに分節したり中心化せざるを得なくなる。我々は畢竟、情報そのものへの収束によって直接的なものと混同可能となる自己明証性を維持し続ける限り、マテリアル本来の機能を場所の記憶と無媒介にすべり込ませ脱中心化し続けているのだから。その結果マテリアルは、従来担ってきた崇高でエディプス的な役割を盲目状態のまま演劇的に終える(役割を貶められたり、崇高なものを崇高なままの状態で「奪われる」)。~参考。「「ヴァーチャル」には「仮の」というような意味はなく、正確には「事実上同じ効果をもつ」という意味である。いいかえればヴァーチャル・リアリティという概念の背後には、「効果が同じならばそれは現実(リアル)とみなしてよい」という、徹底してプラグマティックな、哲学的決断ともいえるものが潜んでいるわけである」(三二頁)、「日常的な現実を離脱して、もうひとつの現実を呼び寄せるために、人類は長い間、身体運動、音楽、薬物などの感覚刺激を用いてきた。そして、そうしたヴァーチャル・リアリティ発生装置のなかでも、とりわけ精緻に洗練されたシステムこそ、言語にほかならないのである」(三三頁)、「言語として外部化することによって、情報は物質的に固定可能になる。と同時に、意味は直接的明証性を失って不安定になり、翻訳や解釈といった複雑なプロセスに開かれたものとなるのである。/この意味作用の不安定性こそが、文字言語の大きな可能性を開いたのである。/文字言語は、記録や伝達の目的のために、たんに音声言語を固定しただけのものではない。もしそうなら、文字言語はたんに音声言語を便宜上代行するだけの存在でしかないだろうし、それは文字記号による固定化という物質的な安定性のために、直接的な意味の明証性を犠牲にしていることになるだろう。/だが、文字言語のパワーは、実はこの直接的明証性の欠如にあるのだ。文字によって対面的コミュニケーションにおける意味作用の直接性から解放された言語は、別な意味の文脈へと移植可能な、コンパクトでポータブルなものとなる。/特定の意味連関の内部で作用する音声言語を、たとえば植物体という「表現型(フエノタイプ)」にたとえるなら、文字言語は圧縮された情報だけを含む「遺伝子型(ジエノタイプ)」である。それはつねに「突然変異」の可能性にさらされており、またそれが根づいた場所の環境に応じて、独自の発展を遂げる」(五九頁)。
【※110】国語科と芸術科書道との切断は、必ずしもカリキュラム上の根拠にばかり依存している訳ではない。切断それ自体は制度化のためのストラテジーであり、既にディベートなどの場で一般化している(半ば言葉の暴力と化している)。
【※111】笠間書院刊。「国語学は根底において国学を継承しており、事実上、現在でも鎖国状態にあるから、研究者の多くは日本語以外の言語や欧米の言語学に対する関心がきわめて薄い」(五八頁)。~言語としての自明性や同一性があらかじめ保持されてある場合、比較言語学的契機なき国語学は「国語ナショナリズム」と連なる。また書記の方でも書体間の横断性や同一性を知覚するためのシステム自体が失われた場合、活字文化の閉鎖性は自明性への過度の信頼においてひたすら言語に歩み寄ることになる。曰く、「日本語は漢字の使いかたが複雑なので難しいというのは、言語と書記との混同である。文字や書記は言語を媒体にして情報を蓄える手段であるから、言語と密接な関わりをもつが、言語そのものではない。本書の文章をアルファベットや平仮名/片仮名で書き表わしても、読み取りの効率が落ちるだけで、内容には変わりがない。したがって、漢字の導入や仮名/片仮名の発達などは日本語史の圏外にある」(一二頁)と。~同じ事が学校教育の影響にも云える。同一性信仰は常に共通感覚に収斂する様な自己言及的褶曲を繰り返し、既得権益化した制度の側から学問上の尊厳を凌駕するのだから。二七三頁には「学校教育で植え付けられた正しく美しい日本語の幻想を白紙に戻すことは絶望に近い。学生諸君の期待している講義内容は世間にそのまま通用する知識であるから、どこにも書いていないことよりも、どこにでも書いてあることのほうが素直に受け入れられる。筋道がどうあろうと、社会常識に合わない講義は歓迎されない。無名の一老人が国家機関の権威に盾ついたり、有名学者の学説に異論を差し挟んだりしても勝負は最初からついているという趣旨の、好意的でない批判を書き添えた一枚の答案が印象に残った」とあり、ここでは学問が商品の様に選択される。そしてこの選択が集団的に行われたとき、選択されなかったものは専ら政治的価値判断により論争なき学問差別と直結する場合がある。ここでは学問が学問のままの状態で内容と無媒介に放置され、「無関心的でかつ自由な唯一の適意」が学問を取り巻く趣味をも軽信―道徳的信の場において支配する様になる。
【※112】西野嘉章編『歴史の文字―記載・活字・活版』(東京大学出版会)二八八頁、坂村健「デジタル・ミュージアムと文字」などを参照。
【※113】古文書学は本来、書字の自明性を踏まえて初めて「生きた」ものとなるが、(機能的同一性の側からではなく)相対的な機能上の差異から同一性を新たに引き出す場合、機能的でなくなった方の差異は考古学上の史観や活字文化側からの見方に牽引される様になる。すると古文書学は文献学からも遠ざかり、「書かれた」内容は「書かれた」文字の向こう側に薄皮一枚分だけ隔離されることになる。~具体的な証拠は国文学資料にも沢山ある。例えば小松英雄著『仮名文の構文原理』(笠間書院)三七頁に「仮名文の伝本に少しでもなじみがあれば、この本文はたいへん読みやすい」とある通り、三八頁の図版(能因本『枕草紙』)を実際に読めば、階調の変化も具体的に分かる(活字と書字とで比較すると、書字側の「いと」は多様性や冗長性を視覚情報の水準においても具現し、「ちかく」「ちいさく」「おかし」「しろく」「さむき」などの強度を補完する)。逆に~もし違和感を感じるとしたら、そこに薄皮の絶大な効果が隠れている。
【※114】古典芸術としての「書」は言語芸術と視覚芸術との重合体であり、その上に教養や思想などの補完要素が表現内容の一部として(或いは本来同一の表現内容でありながら、見方次第でその一部であるかの様にも解釈できる方式で)組み込まれるが、こうした構造が潜在的領分で破綻した場合、後には非同一の立場から同一の幻覚に向かう一種のイデオロギー的な整序機能を司る流れ~「模倣」か「創作」しか具体的に取り込むための方法がなくなる。ここにはもう、初めから同一なのだとする自明な(歴史的かつ系譜学的な)感覚は微塵も残らない。模倣されたものは本来、模倣される以前にいったん「対象なき動機」の水準まで回帰する点で創作の変奏となるが、こうした共可能的で非線形的な理念は「器官なき身体」以前の層を形成するがゆえに、自ずから差異自体とも隔たる。例えば自分の師匠であれ日下部鳴鶴の様な近傍であれ、その書が見方次第で古典であると同時に古典でなくなる様に。~畢竟、古典的な在り方はリトルネロ(テリトリーを示す、領土性のアレンジメント)の在り方と密接に関わる。この点についてはドゥルーズ、ガタリ共著『千のプラトー』(河出書房新社)を参照されたい。「古典主義という言葉が使われるとき、それは形相―質料の関係を意味する。あるいはむしろ、形式―実質の関係を意味する。実質は形を与えられた質料にほかならないからだ。仕切られた形態がいくつも連なり、それが中心化され、相互に階層化される。そのような形態が質料を組織するのだ」(三八八頁)、「古典主義的なものの底辺でバロック的なものが轟いている。古典主義芸術家の使命は、神の使命と同じく、カオスに秩序を与えることだ」(三八九頁)、「ロマン主義は、バロック的古典主義を追い越したのではなく、古典主義とは別の地点を目指し、古典主義とは異なる所与とベクトルをもっていたのである」(三九一頁)、「古典主義、ロマン主義、そして近代(ほかに名前がないので近代と呼んでおく)という三つの「時代」を進化の過程と解釈してはならないし、意味上の断絶をともなう構造群と解釈してもならない。三つの時代はアレンジメントなのであり、その一つ一つが異なる〈機械〉を、あるいは〈機械〉に対する異なる関係を包み込んでいるのだ。ある意味で、われわれが特定の時代に属すると見なすものはすべて、すでに一つ前の時代に存在していたのである」(三九八頁)。
【※115】一九八九年。サヴァリッシュ指揮、バイエルン国立歌劇場公演の録画(EMI)。同じ《ラインの黄金》の映像で比較すると、カラヤン盤(カラヤン演出)やレヴァイン盤(シェンク演出)が自然模倣型、ブーレーズ盤(シェロー演出)が社会問題追求型であるのに対し、バレンボイム盤(クプファー演出)やサヴァリッシュ盤では宇宙神話的解釈による深読みがなされている(カラヤン盤は映画、それ以外は舞台収録)。~《ニーベルングの指環》は四部作の楽劇(序夜《ラインの黄金》、第一夜《ワルキューレ》、第二夜《ジークフリート》、第四夜《神々の黄昏》)。総合芸術としての在り方やライト・モティーフの扱いを含め、様々な意味で後世に多大な影響を及ぼした。例えばヒトラーは精神的支柱としてのゲルマン文化を象徴するものとしてプロパガンダに利用したし、構造主義哲学や構造主義人類学に大きな足跡を残したレヴィ=ストロースは、この曲の構成で『神話論理』四部作(第一巻『生のものと火を通したもの』、第二巻『蜜から灰へ』、第三巻『テーブル・マナーの起源』、第四巻『裸の人間』)を書いた。
【※116】師授伝承の方式が表現過程を統括する様な線形的書風展開は普通「流派」とか「書流」と呼ばれ、師匠と似た作品を書けるかどうかによって優劣が定まる。そのため寛容な人々はこれを模倣芸術と見なし、一般の人々は単なる「稽古事」~すなわち芸術ではないものと見なす。ところがこれまで現代書道の専門家は線形性をとことん拡張し、小泉義之が『ドゥルーズの哲学』(講談社現代新書)第四章「ツリーとリゾーム」で述べた様なプラトニズムの転倒を経験的に実現してきた。例えば鈴木翠軒の書は丹羽海鶴の模倣ではないし、手島右卿のは比田井天来や川谷尚亭の模倣ではない。ここではミメーシスとコピーとの差異も転倒するが、こうした事は否定作用を動機とするものではなく、また脱構築的な転倒作用とも関係がない。つまり表現されたものと表現されるまでの過程との切断を鑑賞の場に持ち込む方式が優先されるから、鑑賞されたものは孤立した差異そのものにおいてしか判断されなくなる。従って書の鑑賞に共通の認知システムは必要なくなり、可読性も鑑賞の前提ではなくなる。だから展覧会では「似た様な作品が並んでいる」とする認識と「よく見ると違う」とする認識とが相殺し合うのみならず、一切が「書」と呼ばれる壮大な架空の物語に収束する様になる。~富士山とエベレストは同じ「山」であると同時に「山」の差異である。しかし単に「山」として見るのと「富士山」として見るのとでは、見方の成り立ち方が異なる。「富士山」には日本の象徴などの様々な記憶が選択的に結び付くが、包括的な「山」は「山」それ自体において無垢である。従って「山」の無垢たる所以をおびやかす現実は必要ない。ゆえにここでの「富士山」は物語化された「山」となり、現実の包括的な「山」とも現実の「富士山」とも異なる水準に転位する(試しに絵本か何かを読んでみるとよい。絵本の絵それ自体は読めないから、「見る」事を「読む」事と混同して言い換えただけの読み方となる。だから読めないものは、読めると同時に読めないにもかかわらず正しく理解される)。
【※117】当方は××時代、提出物を観点別にとことん微分しようとした結果、肝心の成績評価において破綻した。顕在的な観点それぞれが相乗したり相殺し合ったりするため、評価の最終局面では美的評価の潜在的基準自体が内側から非線形性を露呈してしまい、当初予定していた評価システム自体が本来の評価目的と整合しなくなったり機能不全に陥ったりするからである。~因みに佐々木正人著『アフォーダンス―新しい認知の理論』八頁には、「おそらく「フレーム問題」の生ずる原因の一つは、「環境」を完全に表現しつくした知識表象をつくりあげ、それを、行為をガイドする「地図」として用いるという、知性のモデル化の方法にある。行為することの意味を環境から切り離し、行為と環境の接点を、事前に設計された知識と論理だけで推論する機構にゆだねる限り、フレーム問題からは逃れられないだろう」と書いてある。しかるにもし~「書」の美的環境がまだ充分に形成されていない段階で、教科書の内容に合わせようと(書道一般における)暗黙知としての環境を前提した事が破綻の原因となったのなら、ここでは環境を把握する過程の側に欠陥があることになるから、教科書それ自体に問題はない筈である。例えば「教えた内容」だけに判断基準を限定してしまえばよいとするフレーミングが成り立つ場合、そうする事で却って失われる結果となる肝心のものは、行為の拡張により創発する諸々の情動的可塑性をも道連れにする。よしんばこの様な捨象が教育上のモデルにおいて有効だとしても、「地図」に相当する部分が根本的に歪められているなら、指導内容自体はどのみち受容過程において破綻を免れなくなってしまうだろう。「地図」が「環境」そのものではない様に、文字に潜在する諸々の書体横断的システムは美的表現自体と異なる。従って当方が作品の微分を評価に持ち込まなくなったのは、微分の効果を否定したからではない。微分により引き出される潜在的なシステムを、作品そのものよりも優先すべきだと判断したからである。実態は単純。評価できないものから解を導こうとする手続きをだらだらと踏み続けてきたら、ごく自然に「読める」システムの要請が評価の潜在的指示作用と連なる様になっただけの話である。
【※118】上田桑鳩著『臨書新研究』(教育図書研究会)では冒頭から西洋と歩調を揃え、次いで芸術と実用とを相対化するに至る(三二頁以降)。要するに二元論である。しかし一方で上田は過たず書に特有の性格を述べ(四四頁)、他方では「ところで、書は文字という形の上では何等の対象を持たないものを素材にし、それを並べたり組合わしたり、変形を加えたり、形作つている線に筆意や筆勢をつけることによつて、感情や想念を感得することができたり、想像するのであるから、それは抽象的な表現であり、また感情を抒情的に単純化して表現しているので、象徴的な表現にもなつている。だから、その部属は、抽象芸術と象徴芸術の二つに籍を置くことになる」(四五頁)と述べる。~ここでの「二つの籍」は絵画などの視覚芸術側で頻繁に持ち出された一種の極限であり、言語学や詩的言語の領分まで観入するものではない。また書表現は言語表現の副産物である限りにおいて自らの冗長性を折り畳むから、もし書が抽象芸術や象徴芸術に「籍を置く」なら、これらと等しく重合する言語芸術の抽象性や象徴性への踏み込みも当然なされてあるべき筈である。ところがここではいくら重合する諸要素が的確に分析されていようと、個々の作品以前に踏まえられていた筈の教養芸術的背景が欠けている点では、どのみち片手落ちの感を免れない(対極には黒田正典に代表される様な筆跡学研究の立場があるが、結局これも筆跡心理学の一類型に過ぎなかったためか、カリグラムへの踏み込みは殆どなされていない)。
【※119】尾崎彰宏著『レンブラント工房』(講談社選書メチエ)、ハウザー著『マニエリスム』(岩崎美術社)全三巻、榊原悟著『日本絵画のあそび』(岩波新書)、三杉隆敏著『真贋ものがたり』(同)、高階秀爾著『芸術のパトロンたち』(同)などを比較参照。その他、明治期以降の芸術受容状況については佐藤道信の著書、東洋絵画の実作の立場では加山又造著『無限の空間』(小学館)、理論面ではクルターマン著『芸術論の歴史』(勁草書房)なども参照。
【※120】中村雄二郎は『講座 美学』(東京大学出版会)第五巻所収のパリ講演日本語稿「〈行為的直観〉と日本の芸術」で、バーク著『動機の文法』に触れている。ここでは《受苦せし者は学びたり》(ta pathemata mathemata)とする経験の在り方が稽古の「受苦」的作用と関わっており、更にこれを書道に援用するなら、西洋文化流入以後の書道はまさに時代との乖離において、「受苦」的環境自体が存在論的な意味での「稽古」に連なっているとも解釈できるだろう。つまり、古典的理解からの「創造的=破壊的」乖離や現代的整序の破綻はそれ自体においてあらかじめ反‐古典的であり、また一方で環境自体は全く新たな水準で反‐稽古的「受苦」と関わっている。従って古典的な在り方は二重の意味で、もはや主題ではない。本文で述べた主題性は古典的な場で文学的内容との相補関係に依存するが、もう一つの主題性は反‐古典的な動機に基づく文学性の転倒により成り立っている。すなわち、書表現は今も本来の主題ではないにもかかわらず主体としての位置を獲得しており、むしろそれゆえに書道芸術は反‐古典的な転倒として存立可能となっている。すると、ここから主語的なものと主題との交換が始まる。主題が「書かれるもの」から「書く」行為の側に移り、述語的作用の反対側にある筈の主語的作用が「書かれるもの」となって潜勢する。だから現代書は、必ずしも「書かれる」内容を必要としない。「書く」行為に適合した文学的内容が選択され、文学とは異なる美的表現として変奏され、文学的内容を「読む」のではなく行為自体を「読む」ための文法が必要となる。そのため書道教育には、指導内容の重大な分裂が生じる。「書く」行為に必要な「読む」能力と、「読む」行為に必要な「読む」能力は、それぞれ全く異なるものとなる。
【※121】補足引用。~①宇野邦一著『ドゥルーズ 流動の哲学』(講談社選書メチエ)。「ドゥルーズがベルクソンに読み取った「唯物論」は、必然的に弁証法をしりぞけ、弁証法を支える「否定」と「対立」の論理にも批判をむけることになった。弁証法とは、いうまでもなくヘーゲルの思想の原理をさしている。このような「唯物論」にとって、「否定」とはどこまでも観念の働きにすぎず、「対立」とは事物の無限の差異(ニュアンス)を、たがいに否定しあう二つの項に還元することである。事物や生命が生成し変化する過程それ自体には、ただ微細な変化や無限の差異と、それらを横断する秩序があるだけで、否定も対立もありえないからである」(三四頁)、「幾何学的論証のかたちをとったその汎神論について、ベルクソンは「氷でできた神」と言った。ヘーゲルは、スピノザの哲学を病的なものと考えていたふしがある。スピノザが肺結核で「消え去った」ことは、その体系にふさわしいというのだ。「この体系によれば、あらゆる特異性や個体性ははかなくも一つの実体のうちに消え去るのです」(『哲学史講義』)。否定性の運動を一切含まないスピノザの体系には、ヘーゲルの弁証法が作動する余地がない。しかし氷河のように無表情に見えるこの汎神論から、ドゥルーズは、たえまなく流動し触発しあう微粒子と力の世界をとりだすのである」(五六頁)、「内在平面は「思考のイメージ」とも言い換えられる(『差異と反復』には、思考のイメージという一章が含まれていたが、そこでイメージは「同一性」に近い否定的意味をおびていた)。内在平面はまたカオスの断面であって、しばしば「夢、病的なプロセス、秘教的な経験、酩酊あるいは過剰」といった手段によって発見される。内在平面は、一方では、ギリシャ的な社会の内在性と深い関係をもつとともに、思考されないもの、思考不可能なカオス、無限の運動に接しているのだ。それが「思考のイメージ」と呼ばれるのは、それは想像などとは無関係で、「存在の質料」にじかにふれているからだ。イメージとは存在の断面なのだ。/このような「内在平面」を構築することにおいて、もっとも徹底していた哲学者として、ドゥルーズはスピノザをあげている。デカルトであれ、カントであれ、ヘーゲルであれ、新たな内在平面を構築するとともに、主観性や理性や絶対者の形で、新しい形の近代的な超越性をそこに注入したけれども、超越性の批判においてもっとも徹底していたのは、汎神論的な見かけをとったスピノザの『エティカ』だというのである」(二三三頁)、「けれども、概念とは強度秩序において合成要素の共立性を確立し、出来事として合成要素を俯瞰するような運動であって、命題の間の闘争や交渉という形をとるオピニオンは、これとは似て非なるものでしかない。ヘーゲルもまた独自の概念と内在平面を構築したにしても、それをオピニオンの操作としての弁証法に収拾し、世界のあらゆる事象をおおうものとして哲学的な知を絶対化することになる。/哲学が概念を構築しそこなう理由、内在平面を作りだすことを阻害する原因は、こうして哲学の内部にも外部にもみちているのだ。宗教的な超越性、厳密性を楯にして哲学と科学を同じ論理(命題)に還元しようとする混同、オピニオンの跋扈、オピニオンの変形にほかならないコミュニケーション、弁証法、そしてもっと目立たない形で実践される超越性の再建など」(二三四頁)。~②長谷川宏著『ヘーゲル『精神現象学』入門』(同)。「ヘーゲルは、スピノザとちがって、人格神としての神の存在に大きな精神的価値を認めていたし、また、自然を神々しいまでに秩序立ったものと考えることはなかったけれども、神の世界をも自然界をもつらぬくような秩序が「実体」としてあるという思想には強く惹かれていた。神をも自然をもふくめた一切が一つの大きなまとまりをなし、そのすみずみにまで一貫した秩序が行きわたっているというイメージこそ、スピノザとヘーゲルをさしつらぬく共通の世界観であった。/が、一方、近しいがゆえの強い反発もヘーゲルにはあった」(一九頁)、「対立や分裂や否定は、世界にまとまりをあたえるというよりは、世界に不安と動揺をもたらし、世界を崩壊や破滅に追いやる可能性が大きいと考えられる。神的な理性や合理性の支配する世界は、対立や分裂や否定や死を統御し、抑止することによってなりたつ、―そう考えるのが、社会思潮としても学問的理解としても、西洋近代の合理主義思想の主流だった。『エチカ』における実体的秩序の記述は、そういう合理主義思想の一極限を示すものであった。/それにはげしく異を唱えるのがヘーゲルの「主体」の思想であり、さらにいえば、ヘーゲルの弁証法であった。対立や分裂や死や荒廃といった、一見、世界を解体し、秩序を破壊するかに見える運動のうちに、世界の秩序をうみだす原動力を見る。それがヘーゲルの弁証法であり、主体こそが真理だという思想を支える世界観であった」(二三頁)。
8【再掲】「恥を忍んで」06 ( 苹@泥酔 )
2012/01/28 (Sat) 21:17:53
7625 恥を忍んで(其四) 苹@泥酔 2009/08/25 01:26

 以下はNo.7623の注釈。

【※92】学校における身分差別は擬似的環境において整備される。また~階級は成績や生活態度の評価順に定まり、構造安定性は(先入観の影響を含めて)概ね短期的に保持される。~生徒の成績を序列化する上で数字自体を主体化しても構わないのであれば、①一方の絶対評価は能力評価と無関係でも構わない筈であり、また②もう一方の絶対評価は純然たる能力主義や学力優先主義であっても構わない筈である。この場合、「難し過ぎる」とか「簡単過ぎる」とかの判断は、①側では結果から指導内容に逆行する様な指導目的自体の褶曲を序列化の根拠とするがゆえに可能となり(数字は生徒間の関数を成り立たせるための変数となり)、指導内容は合目的的に変質する(褶曲作用は「どの様に収束するか」を数字の「意味」に連ねる)。また②側では、結果から指導内容との間で循環する様な指導目的自体の褶曲を序列化の根拠とするがゆえに最後は不可能となり(数字は見かけの定数に収束する様な振る舞いの下で極限化し)、序列の解体と流動化を自ら促進する(褶曲作用は「何に収束するか」を数字の「意味」に連ねる)。ところが実際は、(校長の言説などを観察するところ)アフォーダンスの差異がリゾーム状評価と連なる様な可塑的評価システムや大手進学塾型の数値評価システムは事実上認められていないらしい。主体はあくまで全体の側にあり、同一性信仰は自己言及的判断に裏付けられる。絶対評価は従となり、企業的意味での能力主義に包含される。
【※93】以前、××教諭から「云ってる事とやってる事が違う」と云われた事があった。どういう意味か今も不明なままだが、指導内容の同一性と指導効果の同一性との混同が原因なら、差し当たってはこう補足して置くべきだろう。~生徒の理解力が言語的基礎に裏付けられてある場合、指導内容は実技と理解とを結ぶ論理式としての役割を担い始める。従って能力主義的な見方は、実技の水準(「見えるもの」)を見る場合と構造的な論理水準(「見えないもの」)を見る場合とで判断の結果が異なってくる。例えば音楽の場合、音と言葉の相互関係は旋律に意味論的解釈を重合する(ベルリオーズやリストの標題音楽、ワーグナーの示導動機、R・シュトラウスの初期楽劇におけるシュプレヒゲザング的旋律など)。これと同様に、視覚表現としての書道における意味論的水準は言語としての本来の在り方に潜み、また~これを含めた書表現の全体は、言語表現の閾下で構造的かつ多様なバイアスの変化を芸術的に振り替える。だから書道や音楽における言語的役割は、あくまでそれぞれの対岸にある筈の相対的領分との関係においてのみ判別されたり比較されたりするべきであって、しかも具体的には比喩的領分と転倒するべきではない。もちろん音と旋律とではそれぞれの役割―内容が異なるし、書かれた(或いはやがて書かれることになる、現実的(リアル)かつ可能的(ポツシブル)な記憶の模像としての)文字と線との間でも内容は異なる。線の指導において充分となるものを文字の水準に持ち込めば、言語は自ずと忘却される。従って文字が言語の単位として最低限の意味を所有する以上、こうした指導はもはや言語的である必要はない(つまり指導の領分が異なる)。同一のものが同一の方法や理念に基づいて指導されるなら、指導された内容は常に教員自身の理念的背景を含む知的水準全体と関わるが、それだけに同一性はむしろ〈外〉からの影響を受けやすくなる。
【※94】平成十年、普通科二学年生徒の成績評価について(成績変動幅は五段階中二、三段階)。この学年は一単位の授業であり、一学期の殆どの時間を篆刻に費やした。従って毛筆による単元は必然的に、二学期以降でしか評価できない。また個々の成績は内規に適合する様に平均点や評定段階の分布を操作して初めて評定となるため、平常点を含む生点は単なる素材でしかなくなる(つまりクオリティよりも順位が優先される)。しかも公的成績は評定側の成績であるから、評価基準は学期毎に内規と合う様に操作され変動する。従って個々の生徒が自覚可能な成績は学期間の横断性を失い、生点の変動とは異なる評定の変動が相対的な比較対象となる。~具体的にはこうなる。例えば或る学期の生点の平均が低い場合、この平均点は内規の指示する水準まで底上げされる(六十点台後半)。そして分布は評定五と四を合わせて五〇%以上等々の内規に合わせて調整され、総ての条件を満たしたものが「評定」となる。当方が教わった大多数の教員と同じ調整方法は、①生点の成績順に並べる、②内規のパーセンテージや基準平均点に合う様に、点数をほぼ均等に見える様に割り振る、というものである。最低の評定段階(評定二または一)は必ず出さなければならない(評定二を出さない科目が増えたので、平成九年頃の会議でこの方針が再度徹底された)。
【※95】体育館を見回ったとき、この生徒から最初の進学相談を受けた。その後まもなく、休憩室で小論文担当教員の添削を教頭達と一緒に覗いたところ、この生徒には台湾在住の親戚がいる事が分かった。そこで加地伸行著『現代中国学』(中公新書)を貸し出した。彼はこの本を熱心に勉強していた様で、推薦入試では大東文化大学中国文学科に合格したとの事。報告に来たので、取り敢えずお祝いにベイトソンの言葉を贈って置いた(「結晶構造と社会構造とを同じタイプの法則が貫いていることを見いだし、ミミズの分節と、玄武岩の円柱とを、同様のプロセスが律していることを発見しなければならない」)。
【※96】用紙一枚に最も単純な自問自答シークェンスを二箇所設け、問答の整合性や二つのシークェンスの(転位を含む)連関に毎回コメントを加えた。中には女生徒ならではの「うっちゃり」の効いた展開や、当方のよく知らぬ(西田龍雄の著書一冊を過眼した程度)西夏文字の話題を持ち出す内向的男子生徒もあり、日々の添削は実にスリリングな体験となった。プラトン方式の「対話」や記憶媒体としての文字言語の属性を念頭に置いて、取り敢えずファイルに綴じてポート・フォリオ形式としたが、約八十名分のコメントを添えるだけで精一杯となり、実のところ評価までは手が回らなかった。本文で述べた「哲学的動機を形成した(らしき)生徒」の場合はむしろ劣っていたくらいだが、思考の契機になればそれで充分としたためか、実際はこのファクターで成績を落とさずに済んだ(進学相談を受けたのは、翌年になってからの事である)。~たぶん、思考のプロセスを授業側の時間的都合に合わせて採点―制度化するべきではない。
【※97】第一部第一章中「技術としての藝術」「美的価値の実現」から要点を抜粋。カントの分類やマッテゾン、マールプルク、テレマンからの引用部分を削除したため、記述のバランスは整った(この本は音楽美学の立場で書かれてあり、その分だけ概説的内容は他の美学一般の書物よりも短くまとまっている)。
【※98】以下は加筆版の出題詳説。~問題①「以下の説明文を読んで、」→(前提)後出の説明文を読み、内容を理解していることが前提となる。つまり、説明文に取り上げられている事実・知識や主張を指標としながら、それに対するレスポンスを期待していることになる。/②「東洋の芸術観と西洋の芸術観との違いを考えながら、」→(註釈)ここで《考える》べき焦点は、芸術観の問題に集約される。この場合は、東洋と西洋の差異について観察・発見・思考すればいいぞ、とアドヴァイスがなされているから、思考の方向が説明文の外側に拡張されることを暗に期待していると見てよろしい。(説明文は、東洋について何も触れていないからである。)/③「千二百字以内で小論文を書きなさい。」→(出題)小論文の規模を規定している。この字数内に収めればよいのだが、最低字数は所定字数の八割以上とみなすべきである。原稿用紙の体裁によっては、改段による字数の制約が変化するので、日頃から明確な論旨をなるべく短くまとめる練習をして置いた方がよい。/テーマ④「テクニクと心との関係について、」→(題材)論旨展開の題材を規定している。ここでは「テクニク(いわゆるテクニック)」と「心」との《関係》を扱っている。要するに、それらの《関係》する有様が指摘されていればよい。ここには例えば~相互補完・共同展開・相互破壊・環境再編など、絡み合う作用の性質が見方次第で様々に変化し得る。つまり、答えはひとつではない。従って、あらかじめ視点・論点が発想された理由を明確にして置かなければならない。これを怠ると、しばしば独善的な展開による論理の飛躍を招きがちになってしまうので、細心の注意が必要である。対策としては、論理構造内に複数の視点を取り込んでしまうのが手っ取り早いが、そうすると字数超過になりがちな悪弊が出てくる。だから③で述べた練習の必要が出てくるのである。/⑤「書道の芸術性においてはどのような解釈が可能か。」→(論点)論旨展開の場を規定し、結論がどこに向かえばよいかを指示している。ここでは「書道」という場に置かれた「芸術性」の問題を指示し、その方向性が「解釈」の「可能性」に向かえばよいことを意図している。つまり、説明文は単なる参考材料に過ぎない。客観的な文章となるための安全弁に過ぎない。説明文に対する批判的精神から、どのような問題意識が拡張されてくるかを~採点者は見つめるのである。
【※99】どちらの発言も、職員室で勤務時間内になされたものである。なお、平成十三年三月末の発表によると、××教諭は教頭に昇進との事。
【※100】コードを取り巻く反復作用は制度化されたエクリチュールに線形で多数の見方を取り込み、多様で偶然的な逃走のセリーと選択的で必然的な物語的収束のシークェンスとに分節可能な二つの流れ(flux)を、同一の門(phylum)に(元々の状態と同一の形式―差異のままで)折り畳む。~因みにドゥルーズは、『記号と事件』(河出書房新社)一六頁で「つまりエクリチュールを流れとしてとらえ、コードとは考えないということだね」と述べる一方、一八頁では「そして書くということは、その他もろもろの流れに組み込まれたひとつの流れにすぎないし、他の流れにたいして特権をもつわけでもないから、糞の流れ、精液の流れ、言葉の、行為の、そしてエロチシズムの流れ、また貨幣の、政治の流れなど、自分以外の流れを相手にして順流と逆流が渦を巻くところに関係づけられる。片方の手で砂浜に文字を書き、もう一方の手でオナニーをするブルームを思いうかべてみるといい。ブルームのふたつの流れはどんな関係にあるのか考えてみるといい」と毒づいてみせる。ここには「流れ」とエクリチュールとの危険な関係がある。コードを取り巻く言語と書字との距離が同一性幻想の下で収斂するとき、本来の門は逆向きのシークェンスに取り込まれつつ襞の〈外〉に「流れて」しまうのだから。~以下はガタリ著『分裂分析的地図作成法』(紀伊國屋書店)二〇八頁以降。「まずはじめに強調しておかなければならないのは、感覚的な補強と物質的な《基盤》を失うことによって消滅せざるをえないと思われるひとつの形式が、プロセス的な前方への逃走のあとにも残存しているということである。それどころかこの形式は、それが由来するモジュール的なもろもろの準拠を再生産し続け、さらにこれらの準拠を、無限に増殖する可能的なものの相空間に組み入れることによって豊かにする。具体的に言えば、ここで問題となっているのは、突然変異的・創造的な局面へと開かれた表現のあらゆる素材である。その素材とは、すなわち、遺伝コード、動物行動学的コード、記号的コード、記号論であり、また《構成主義的》な表現が―音声的、書字的、器官的な―もろもろの物質的な連鎖に結びつくあらゆる状況である。この《構成主義的》な表現は、この結びつきにおいて、次のような二重の運動を始動させる。つまり、この表現を分節するモジュール的な関係を通して表現が「自らに対すること」という運動と、記憶的・可能主義的なさまざまの提示位置(プロ・ポジシオン)(Pm)によって、別のところであとから表現が「ほかのものに対すること」という運動である。/信号的な(あるいはコードの)ゆらぎがフラクタル的な剥離を起こす瞬間から、次のような明確に異なるふたつの部分を考慮しなければならない。/―本来の意味でのフラクタル的な増殖。これは表現機能f(exp)の基盤であり、抽象的な機械状の門vmaと、それに対応して非物体的な準拠の世界とにおいて行われる。/―言説的で剰余的なもろもろの形式。この形式は、その場に留まり、衰えて弱まり、素材―形式という関係によって編まれる意味を欠いたままであるが、次の節で見るように、実存機能f(exi)の構成においては重要な役割を演じる。/脱テリトリー化されたフラクタル的なプロセスによって生じる表現機能f(exp)は、ふたつの領域に介入する。一方で表現機能は、それを支えている感覚的モジュールに固有なもろもろの対称的な定式を、果てしなく反復し反響させる(表現機能はこれらの定式を際限なく変形、歪曲、縮小しながら反復する)。他方では、この同一の定式をもろもろの準拠の集合―あるいは可能的なものの相空間|―に位置づける。この準拠の集合は、想像できるものも想像できないものも含めたもろもろの接近角度の集合を明らかにする。したがって表現的なフラクタル化は反復するだけでは満足せず、付加価値を生産し、コードの剰余価値を生み出す。それは、常に新しいものをポケットから取り出す用意がある。したがって|は、Fに隣接するもろもろの可能的なものの積分を表す。説明のために、任意の数字[225]を使って、表現機能ECを支える偶然性の点Pcの定義を示そう。いろいろな方法で数字[225]を作り出す手続きの全体(例えば整数、分数、無理数、虚数などを使って)が、この数字に関する相空間をなすだろう。/空間|は、Pcの可能なあらゆる生成を含む。しかし、この説明はまだあまりに《平板》である。それよりも、以前に述べただんだんと細かくなっていくパイこね変換をふたたび取り上げよう。偶然的なものの襞Pcを位置づけるためのもろもろの操作について、Pcに達する最後の操作をP1、最後から二番目の操作をP2という具合に名づけよう。パイこね変換のばあいと同じように、襞は《必然的》であると同時に、予測不可能なさまざまな局面を生み出す。このことから、実体的な位置Pcのあいまいな性質が生じる。一方では、この位置は、可能なあらゆる手続全体における無限に多くの例のなかのひとつにすぎない。しかし他方では、それは偶然的で必然的な留め金を構成し、それなしには前記の手続きは決して始まることも展開することもできない。/もっと質的な例を考えることもできる。窓際にあるこの植物はひとつの感覚的テリトリーを現前化しており、そのテリトリーの準拠の線のひとつは、緑という色である。内在的決定可能性のモジュール的な水準では、緑がこの植物の偶然的な現存在に何らかの仕方で被胞されていることをしっかり認めるべきである。しかし同時にこの緑は、われわれがそれに対して取りうる多数の視点に、さまざまな面をさらしている。偶然性の襞には観察者の距離に関連するものもあり、色の段階づけや対比関係もしくは補色関係に関連するものもある。さらに可能な光のもろもろの強度や温度などに応じて微妙に変化する襞もある。だんだんと無数の視点が広がっていくのだが、それらの視点すべては、その瞬間にそこにあるこの緑の存在を構成する同一の《終点》に達する。このように、これらの視点の集合|1は、未分化な寄せ集めをなしているのではなく、いくつかの制約によって組織化されている。これらの制約は、焚火の赤みがかったほのかな光が|1とは異なる相空間|2に関係するという具合に組み立てられている。つまりこの制約は、フラクタル的な折り畳みのさまざまなシークェンスによって生成されている。もちろんそれが成り立つのは、前のふたつの相空間を含む第三の相空間|3が、たとえばパステル画の構成のように、植物の緑色と火の赤色とを関連づけていない場合である。/われわれは次のような原理から出発するだろう。すなわち、もし、もろもろの形式とそれらの相互作用との認識が、《紆余曲折の末に》生命の出現とともにやがて生じるとするならば、その認識は、すでに何らかの仕方で、おそらく非常に異なった様態のもとに、別の存在論的水準において存在しているという原理である。この原認識は、実存的共立性のあらゆる獲得や、構造的テリトリーもしくは脱テリトリー化されたシステムのあらゆる形成に、内在的に属しているはずである。それ自体のうえに閉じた現存在と、世界と生命のもろもろの事象をひとつに結びつける原他者性との、このような結合の要石となるものは、分節Pc|(偶然的なものの点―表象的な相空間)である。今後われわれは、この分節に、表現―内容関係(偶然的な表現Ec、相の内容C|)という(新たな)資格を与えよう。/C|は、内在的で形式的な決定可能性の線(Di)(これらの線はテリトリー化されたもろもろのモジュールのなかで結びつけられていた)が相互に集中し、それと同時に相互に脱テリトリー化する場である。これらの線は、いまや外在的決定可能性Deと出会い、それと連結する。実際ここでは、もはやDiの線とDeの線を区別する必要はない。d+∞とd-∞のセリー状の同一の線が、次のふたつの状態で共存している。つまり、①Diのモジュール的な状態と、②さまざまな機能を持つもろもろの共立性や体制に従って、外在的決定可能性のサイクルを通して移動するDeの状態。/こうしてセリー状の同一の線―《緑》―は、モジュール的な関係mfに限定されることもあり、あるいは無限小の言説的な形式をとって《大気的》フラクタル的な状態の|のなかを循環したり、非物体的で非言説的な形式をとってUのなかを循環したりする。植物につなぎ止められたこの緑であることは、確かに大きな意味がある。しかし、色彩の潜在的な世界を迂回して緑であることや、あるいは光の流れの波長を自由に変えられる科学技術的なアルゴリズムや手続きを通して緑であることは、それとはまったく別のことである。しかし、一方がないと他方が成り立たないということは、繰り返すまでもないだろう。」
【※101】「いじめ」と呼ばずにルサンチマンの集団的形成過程と捉えるならば、似通った事例はいくらでも出てくる。例えば朝鮮の場合、近隣諸国の脅威は特に中国文化との関係において多大であり、そうした意味で官僚=文化人を中心とする中華文明への迎合姿勢は、(異民族から侵略された九六〇回の経験、特に元の支配や百年前の帝国主義の脅威と相対的に)「日帝三十六年」以前の段階で既に完成していたことになる。だから根拠をここに置いて選択的にフレーム化すれば、日本支配時代前期はハングルを満州民族に逆解放した、とする認識が生じても決して不自然ではない。もちろんここでは梨泰院(イーテウオン)(元々は「異胎院」だとする説あり)の話など、日本の盲人音楽同様に一顧だにされない。またポーランドの場合、ヨーロッパ全土を覆っていた反ユダヤ主義は「ポーランド」のフレームを民族単位に飽和させた来歴を持つから、恥部としての暗黙の諒解は(暗黙であればあるほど、つまり無自覚化への要請が強烈であればあるほど)結果的にテリトリーの在り方を防衛機制としての混同状態に導くことになる。ここから先は民族の切羽詰まった尊厳の脱テリトリー化が要請され、カトリック教徒によるユダヤ教徒虐殺はナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺との間で融合―再テリトリー化する。畢竟、こうしたタイプの防衛機制はトラウマの機能面―飽和条件に依存しており、従ってトラウマ自体が問題の中心にあるのではない。そしてまた他方では、いわゆる「血の純潔」の問題が潜在する場合も少なくない。日本の場合は既に強固な単一民族幻想が浸透しているため、もはや単なる共通理解の錯誤の段階には留まれない。思考様式の奥深くに入り込んでは遺伝的な火種となり、時には「いじめ」による同一性信仰の圧力となって現れたり、時には逆に逃走願望が若年女性と外国人との性的接触や頭脳流出などの形で現れたりもする。
【※102】主観的認識の個体性や多様性を客観的な物語認識に組み換えると、「いじめられた」側と「いじめた」側それぞれの認識上のずれや断絶は捨象され、「いじめ」行為を中心とした関係の側から両者が新たに結び付けられる(合目的的な関係中心にそれぞれの側の認識も再テリトリー化される)。例えば「八紘一宇」の理想に燃えた日本人の場合、「侵略」は所与の目的と合致しないがゆえに誤った認識となる(副産物に留まる)。だから「進出」と「侵略」はどちらも判断目的に牽引された顕在的自覚に過ぎず、従って普遍的事実ではない(客観的事実は個別に成り立つが、客観的かつ普遍的な事実は全面的に肯定可能な層であらかじめ地図化されていない限り決して成り立たない)。共同幻想を巻き込む多様なアフォーダンスの中から自覚の方向を集団的かつ共可能的に選択すると、擬人化された「目的への意志」は社会性を要請し、かつ~社会性は集団的選択への帰属慣行に収束する範囲内で感覚やイデオロギーを重合する(後述の「アイヒマン実験」参照)。そのため過程の差異は結果の差異と混同されやすくなり、整序され脱テリトリー化された事実認識は決定論的な飽和状態まで出戻っていく。また出戻った後の事実認識は合目的的コードを深層のバイアス(喩えて云うなら、テクスト理論における「ジェノ・テクスト」以前の鎖列となる様なリビドー的段階)としつつ、別々に再テリトリー化された認知システムにおいて自己制度化―主体化の対象として個別に確信される。
【※103】この生徒は定時制に編入。定時制職員室からは転入理由に関する配慮の要請がなかったため、特殊な事情の有無について当方は全く知らない。従って以下の休憩室での無駄話の中での問いは、念のためここに探りを入れる目的で発してみただけものである。当方は専ら授業での観察を材料に、予測可能な範囲内で最も顧慮すべきケースをいくつか想定してみた(生徒の性格次第では、転校先でもいじめられたりするケースがあり得るからである)。要するに、予測に基づく対処の準備と事実に基づく現実的対応との両面を顧慮して置こうとしただけの話だが、どうやらそこまでする必要はなかったらしい。
【※104】記憶違い。正しくは××××数学科教諭。
【※105】「「ポポ」が死んでから半月ばかりたった頃のことです。彼が公園の近くを歩いていると、三歳くらいの男の子がワーワー声をあげて泣いていました。思わずちょっと立ち停まって見ていたら、若い母親が公園の中から出てきて「あんたポッポどこにやったのよ! なくしたんじゃないの? 泣いてばかりじゃ分からないわよ」と言いながら、嫌な目つきで彼の方をチラと見たのでした。/あてこすりはテレビでもやられました。ポメラニアン種の犬を抱いた女優に、若いレポーターが「すごいですねえ、十五歳ですかあ。大切に飼っているから長生きしてるんですねえ」とあてつけがましく言いました。そればかりか、手を伸ばして、その犬の頭を撫でながら「この果報者!」とまで言ったのです。/彼が電車に乗ったとたんに、女子高校生たちがいっせいに「信じられなーい。残酷!」と声を上げたこともあります。彼は身を固くして屈辱に耐えているしかありませんでした。電車といえば、若いサラリーマンが同僚に向かって、ひそひそ声で話していたこともあります。「そう言われたら、もう待ってるしかないじゃない。それで待ってたら、待ちぼうけ。ひどい話だろ、な?」自分がポポとの約束を守らず、ポポを死なせてしまったことは、もう皆のうわさになっているようでした。/うわさは学校にまで拡まっていました。食堂で下級生たちがドッグ・フードの話をしていました。聞こえよがしに廊下で飼犬の自慢話をしている生徒たちもいました。彼には、どれもこれもがあてこすりだとすぐに分かったのです。/数学の授業の時でした。ひとりの生徒が風邪をひいたらしく鼻をクスンクスンと鳴らしていました。と、教師が板書の手をとめて言ったのです。「クンクンうるさい犬はどいつだ」皆がどっと笑いました。その声に追い立てられるように、彼は教室から飛び出ました。そして、気がつくと、見知らぬ街を走っていたのです。/彼が「木村先生」の病院に入院したのは、その翌日のことでした。」~常識の下で制度化された感覚は、予測しにくい〈外〉への連なりを判断から疎外する。
【※106】バタイユ著『呪われた部分』(二見書房)二五六頁では、「自覚」について「還元不可能な充実した至高性を目指しての存在の復帰」と説明し、「果たさるべき責務とは関係なく、その時々に解放される」と註釈する。
【※107】中村雄二郎著『悪の哲学ノート』(岩波書店)、『日本文化における悪と罪』(新潮社)参照。
8【再掲】「恥を忍んで」05 ( 苹 )
2012/01/28 (Sat) 05:44:33
7624 恥を忍んで(其三) 苹 2009/08/24 06:57

(雑感)
 青森ではどうだか知らないが、教育界に民主党を応援する動きがあるらしい。…そう云や在職当時に同僚から「××氏に投票してくれ」と声を掛けられた事があったっけ。さすがに「運動してくれ」との声はなかった。しかし後援会やPTAの要職(?)には地元の名士が多かったし、中には市長になった人も居るので(現職)、それなりの付き合いが水面下で培われる事はあり得るのだろう。
 学校の体質はそう簡単に変わるものではない。設備はそれなりに変わっても、人材は緩やかに動くし人脈は各学校を横断する。その一例が読み取れるかどうか、また何かの役に立つかどうかは些か心許ない。~以前ボツにした際(昨年か一昨年)、一通り読み直したところ最も無難なのが「其二」の箇所だった。無難でない箇所には別の指摘や分析をクドクド書き連ねてある。そちらの方が相応しいのかも知れぬが、とにかく長いので読み返すのが億劫でござる。
 …直訴書簡を書いた当時、もしかしたら誤読に基づく解釈があったかも知れない。或いはむしろ、今の私の方が誤読程度の甚だしさを増しているのかも知れない。それが何よりも恐い。一連のタイトルを「恥を忍んで」とした理由の過半はここにある。
 ちと紛らわしいので念のため。「其二」本文の「>>」で始まる段落はカヴァイエ本の引用箇所である。地元教育関係者の氏名や学校名は取り敢えず伏字とする。支援板では管理職を実名とした(あちらのアドレスはNo.7325を参照)。
 以下、No.7623の注釈を続ける。今のところ三分割とする予定。

(注釈)
【※79】××市に本拠を置く書道の社中「××会」事務局の食事会にて。
【※80】教員社会における勤務評定の役割との類似が部分的に入り込んでいる、と云ったら穿ち過ぎだろうか。ここでは成績本来の在り方が問題なのではなく、それが社会的にどの様な価値基準の下で連結していくか、そして成績に投影されるかの様な幻想的振る舞い―能力評価との間でどの程度ずれるか、といった事が焦点となる。~以下、参考にドゥルーズ著『記号と事件』(河出書房新社)二九四頁以降の記述を挙げて置く。「給与」と「成績」を比較するなどして、諸々の類似と差異を導出してみて貰いたい。「個人が体験するさまざまな内部滞在の機構、すなわち監禁の環境は独立変数である。そこでは環境が変わるごとにゼロからやりなおすのが当然のこととされ、すべての環境に共通する言語が存在したとしても、それは類比にもとづく言語なのである。これにたいして、さまざまな管理機構のほうは分離不可能な変移であり、そこで使われる言語は、計数型で(「計数型」とはかならずしも「二項的」を意味するのではない)可変的な幾何学をそなえたシステムを形成する。監禁は鋳型であり、個別的な鋳造作業であるわけだが、管理のほうは転調であり、刻一刻と変貌をくりかえす自己=変形型の鋳造作業に、あるいはその表面上のどの点をとるかによって網の目が変わる篩(ふるい)に似ている。これは給与の問題に、はっきりとあらわれている。工場というものは、みずからの内的諸力を平衡点にいたらせ、生産の水準を最高に、しかし給与の水準は最低にとどめる組織体だった。ところが管理社会になると、今度は企業が工場にとってかわる。そして企業は魂の気息のような、気体のような様相を呈することになる。工場でも、奨励金の制度があるにはあっただろう。しかし企業は、工場よりも深いところで個々人の給与を強制的に変動させ、滑稽きわまりない対抗や競合や討議を駆使する不断の準安定状態をつくるのだ。愚劣このうえないテレビのゲーム番組があれほどの成功を収めているのは、それが企業の状況を的確に表現しえているからにほかならない。工場は個人を組織体にまとめあげ、それが、群れにのみこまれた個々の成員を監視する雇用者にとっても、また抵抗者の群れを動員する労働組合にとっても、ともに有利にはたらいたのだった。ところが企業のほうは抑制のきかない敵対関係を導入することに余念がなく、敵対関係こそ健全な競争心だと主張するのである。しかもこの敵対関係が個人対個人の対立を産み、個々人を貫き、個々人をその内部から分断する、じつに好都合な動機づけとなっているのだ。「能力給」にあらわれた変動の原則は、文部省にとっても魅力なしとはいえない。じじつ、企業が工場にとってかわったように、生涯教育が学校にとってかわり、平常点が試験にとってかわろうとしているではないか。これこそ、学校を企業の手にゆだねるもっとも確実な手段なのである。」~その少し後で、ドゥルーズはこんな事も述べている。「逆に、管理社会で重要になるのは、もはや署名でも数でもなく、数字である。規律社会が指令の言葉によって調整されていたのにたいし、管理社会の数字は合い言葉として機能する(これは同化の見地からみても、抵抗の見地からみても成り立つことだ)。管理の計数型言語は数字でできており、その数字があらわしているのは情報へのアクセスか、アクセスの拒絶である。いま目の前にあるのは、もはや群れと個人の対ではない。分割不可能だった個人(individus)は分割によってその性質を変化させる「可分性」(dividuels)となり、群れのほうもサンプルかデータ、あるいはマーケットか「データバンク」に化けてしまう。」(二九六頁)
【※81】成績分布における評価の最低基準が「達成度」と「優秀度」を重合した水準で定まる場合、達成度―到達度の収束する地点―可能態がマキシマムになるのと比べて、指導内容に対するレスポンスとしての成績自体は、指導要領の範囲内で定着した学力自体をミニマムな現実態―最低評価基準とする限りにおいて定まる。ところが実際は、学習指導要領で示された内容よりも高度の内容が(優秀さを相対的に規定する目的の範囲内で)指導の前提となるから、この時点で建て前となった評価は(可能態としての規範を区画する逃走線の片側で)現実と幻想とを重合し始める。また一般に、到達度評価は生徒の学力が充分に定着するまでの過程で指導目標を基準に定まるから、目標が平易なものであればあるほど生徒の学力は高まり、必然的に正規分布しなくなる(例えば、全員が満点となる場合を容認せざるを得なくなる)。もし、当方がかつて××××芸術科主任から正規分布しない場合について「簡単過ぎるからだ」とか「難し過ぎるからだ」と指摘された様に、指導目標の水準が過度に(と云っても高校で指導する水準を逸脱しない程度に)やさしかったり難しかったりしてはならないのであれば、そこから先は正規分布する様に指導目標を調整するか、或いは同じ平易な内容でも分かりにくく指導する必要が出てくる筈である。そしてまた、教科内基礎以前の基礎領域がまだ定着していない生徒に指導する場合、前‐基礎の指導は(いかに難しいものであっても)顕在的な指導目的ではないがゆえに評価対象とはならない。~尤も見方を変えれば、こうした基礎なき生徒達が高度だと思う様な(指導要領に適合し教科書に準拠した)内容と前‐基礎とを分断すれば(要するに指導を放棄すれば)、むしろ事は簡単に済むとも云える。なぜなら、「優秀度」の評価に値する生徒は全体の一割程度となるため、見かけの正規分布と引き替えに学力自体の向上は殆ど期待できなくなるのだから(学力を向上させようなどと考えてはいけない。同一指導内容のアフォーダンスが全く違ったものとなってしまう)。分かりやすく基礎から指導すれば、結果的に全体の成績は上がる。ところが全体の成績が上がれば正規分布しなくなるから、指導目標はより高度な水準でなければならなくなる。正規分布する様な指導はそれ自体が学力格差を必然的に生成するタイプの規範意識―制度に収束するため、ここから先は「達成度」という観念そのものが自ら転倒し飽和してしまう。飽和した達成度は、もはや学力の達成度ではない。生徒全員が満点を取ってはならない様に(満点を取らせる様な指導をしてはならない様に)、達成度は差異の識別手段から生成手段に変容しなければならなくなる。同一シニフィアン内で分裂したシニフィエとしての達成度は「優秀度」の中に溶解しつつ飽和し、語のシニフィエ自体はシニフィアンの差異を超越しつつ横断し、やがて同一化―還帰する。従って自己目的化した「達成度」自体は「優秀度」に埋もれる点で「劇的な低さ」そのものを本体とし、低回しない方の達成度は評価目的の〈外〉であるがゆえに、もはや評価の対象ですらなくなる。
【※82】×××教諭(日本史担当)。
【※83】選択科目の多様化。書道の場合、それまで普通科では書道Ⅰを一年生二単位必修、二年生一単位必修、書道Ⅱを三年生二単位選択で履修していた。平成十一年度からは書道Ⅰを一年生二単位必修、書道Ⅱを二年生一単位必修、書道Ⅲを三年生二単位選択で履修することになったが、平成十年度末の希望調査では書道Ⅲの選択者がいなかった。普通科三年生は三つのコースに分割され、そのうち二つのコースの生徒が芸術科目を選択する。これまでは芸術科目内部で選択していたが、この年からは芸術三科目・情報処理・調理の五科目に選択肢が増えた。
【※84】幕末期の版本~中でも唐様の影響が浸透した後のものは読みやすく、国文学の演習などで用いられる『雨月物語』などの版本とはかなりの差がある。明治から昭和初期にかけての習字本は、東照公遺訓も手紙文も総じて読みやすくなっており、初学者には(今でも)ほぼ全部が最適の教材であると断じてほぼ間違いない。一葉の書簡や小説原稿は明らかにこれらの影響を受けており、管見したものはどれも実に生真面目な書きぶりだった。書風は国定手本乙種系に近い。
【※85】実際に読んでみると、仮名は取るに足らない。癖を把握すれば誰でも簡単に読める。それに比べて漢字は読みにくい。版本を読解する際、振り仮名は特に教育の場で絶大な効果を発揮しただろう。~同時代人の読み方を辿るのは難しいが、横溝正史(明治三五年―昭和五六年)の『獄門島』(角川文庫)第九章「発句屏風」には以下の様な具体例がある。「この二枚折りの屏風というのは、(……)おひなさまの屏風みたいにかわいいやつで、地紙には、昔の俳諧書をばらしたらしい、木版刷りの紙が、いちめんにはりつめてある。刷ってあるのは連句らしいが、妙にひねくれた書体だから、耕助には、「哉(かな)」だとか「や」だとかいう字のほかは、とんとちんぷんかんである。さて、この地紙のうえには、右に二枚、左に一枚と、つごう三枚の色紙がはりつけてある。色紙のうえには、いずれも一筆書きで、坊主だか茶人だかわからないような人物がかいてある。(……)さて、これらの肖像のうえには、それぞれ俳句らしいものが書いてあるが、これがまたすこぶる達筆ときているので、難解千万なこと地紙の俳諧書以上である。(……)/まず、右上のやつだが、これは上五と下五が、ともに平仮名になっているらしい。―と、そこまではわかっても、その平仮名が問題なのである。耕助はしばらく、上五と下五を交互ににらんでいたが、俳人特有のひねった文字は、さながら、五月雨の泥をのたくるみみずの跡のごとく、尾頭定かならずで、いっこうちんぷんかんぷんである。耕助はあきらめて、こんどは作者の名前へ目をやった。すると、その名前とおぼしいやつがふたつある。これは妙だと思ってよくよく見ると、ひとつのほうの名前の下には、写すという字が書いてあった。これで、はじめてわかった。その色紙は、作者みずからが書いたものではなくて、なにがし宗匠の句を、別のなにがしが書いたものにちがいない。ところで、よく見ると、この別のなにがしなる人物の名は、他の二枚の色紙にも見え、どれにも下に写すという字が見える。すなわち、この三枚の色紙は、全部同じ人物によって書かれたものらしい。そこで耕助は、三枚の色紙のなかから、できるだけわかりやすい書体のやつを探し出して、やっとそれを極門と判読した。/「なあるほど」/と、そこで耕助は満足らしく鼻を鳴らした。極門という雅号は、いうまでもなく獄門島をもじったものにちがいない。してみると、この色紙を書いたやつは、獄門島の住人にちがいない。と、そこまではわかったが、それだけではなんにもならない。そこで耕助は、いよいよほんとうの作者の名前を判読にかかる。この名前は平仮名三字になっていて、よく見ると、右の色紙二枚に、同じような字がある。してみると、宗匠頭巾に十徳という二つの肖像は、やっぱり同じ人間にちがいない。ところでその男の名前だが……と、苦心惨憺のあげく、やっと耕助が判読したのは「おきな」という三文字。/「なあんだ、芭蕉か」/地下の芭蕉翁にはお気の毒ながら、そのときの耕助の口調には、はなはだ不遜なるものがあった。といって、耕助かならずしも、一部俳人たちが神とあがめる芭蕉のおきなを、軽蔑したわけではなかったろう。苦心惨憺のあげく判読した名前が、あまりポピュラーな名前だったから、気抜けしたのかもしれぬ。/さて、それが芭蕉の句だとすると、また、判読のしようがある。耕助はあらためて上五と下五の平仮名のなかから、「お」という字、「き」という字、「な」という字はあるまいかと、蚤取りまなこで捜索したあげく、やっとその句を、つぎのごとく判読することができた。/むざんやな冑(かぶと)の下のきりぎりす/耕助はこれでやっと、肩の荷がおりたような気がした。こうして一枚のほうがわかると、あとの一枚は案外すらすらと判読できた。/一つ家に遊女も寝たり萩と月/ともに「奥の細道」に出てくる句だから、耕助も中学校の読本で習ったことがある。/こうして右の二枚は首尾よく判読できたが、さて、あとの一枚である。このほうは、肖像から見ても、芭蕉でないらしいことがわかる。芭蕉はこんなに行儀が悪くない。作者の名前を見ても、おきなでもなく、芭蕉でもなく、はせをでもないらしい。しかし、こうして右に芭蕉の句がはってあるからには、左のその句も、芭蕉に匹敵するような、昔の大家にちがいない。まさかそんじょそこらの月並宗匠の句を、もったいなくも流祖おきなと相照応するようなことはあるまい。そう思って、あれやこれやと、記憶にある昔の宗匠の名をあてはめているうちに、耕助はやっとそれを其角と判読した。/「なあんだ。其角か。ばかにまた、むずかしい字を書いたものだな」/耕助は不平らしく鼻を鳴らした。それに其角という人物は、師走の橋のうえで大高源吾と禅問答みたいなことをやらかして、あとで大恥かいたというエピソードで知っているくらいのもので、句そのものはあまりよく知らないから、それから判読してかかるのは、ちと自信のない仕事であった。/「ええ―と、あのときの発句はなんてたっけな。そうそう、年の瀬や水の流れと人の身は―か、それとはちがうな」/そこで耕助は、記憶のひきだしをさんざんひっかきまわしたあげく、やっと、其角の句とおぼしきやつを二、三ひっぱり出してみた。/「名月や畳のうへに松の影。涼しさはまづむさし野の流れ星。―どれもちがうな。角文字や伊勢の芒の―あれはどういう句だっけ、伊勢の芒の―ええと―いや、どっちにしてもこの句じゃない。いったいこれはなんと読むんだろう」/耕助がやっと読めるのは、「の」という字と「を」という字と、「に」という字だけ、それにさんざん頭をしぼったあげく、やっとおしまいの二字が「可那(かな)」であるらしいことに気がついた。すなわちその句は、/○の○を○に○○可那/となるらしいのだが、○のところの漢字らしいのが、どう考えても、わからない。「○」ので行をかえてあるところをみると、これで上五になるらしく、すると「○」一字で四音になる漢字―橘(たちばな)の―ちがうなこの字にはヘンがない。―」~このプロセスを整理すれば、当方の仮名読解授業そのままの形になる。
【※86】内容は稚拙の極み。口に出すのも恥ずかしい水準にあるが、生徒相手なら多少のごまかしがきく。~加××さんという女生徒が放課後に練習していた。彼女の友達が書道室に来て、お喋りが始まった。暫くして当方も加わり、二人の名前を横一列に板書。即興で「加××××」で始まる五言詩を戯作したところ、そこそこウケていた模様。「漢詩で遊ぼう」の意図については定かでないが、漢字文化が必ずしも教条的なものばかりではないという事だけは少なくとも伝わったらしい。~戯作は古来無数にある。例えば加地伸行著『現代中国学』(中公新書)一三八頁の『人民日報』引用には「東風拂面催桃李、鷂鷹舒翅展鵬程、玉盤照海下熱涙、遊子登台思故城、休負平生報国志、人民育我勝万金、憤起急追振華夏、且待神州遍地春」とあり、アナグラムは「李鵬下台、平民憤」となる。
【※87】校長は平成九年の夏、「私は授業は見ない」と明言している。もし「書道教員は読めない」との先入観があるなら、ここでの解釈は根底から覆る。
【※88】ここでは主に、情報処理を念頭に置いた。そもそも当方の授業は最終段階において現代的リテラシーと古典的リテラシーの比較を前提したものであり、そうした点から云えばむしろ、大多数の生徒は食物調理や書道よりも情報処理を選択する方が望ましいと云える。実際、当方はこれまでそう断言するに足る水準の(つまり低水準の)授業を展開してきたし、ここから先の書道の授業(書道Ⅲ)では後々、多くの高校で実施している水準まで教材の難度や範囲を引き上げた上で、いっそう専門的に(卒論執筆を組み入れたりするなどの方策も含め)大学教育との円滑な接続を目指す予定であった。
【※89】学問教育が大学に一本化され、高校が(普通高校と職業高校との区分とは別に)受験教育校と大衆教育校とに振り分けられる様になって以来、教育組織間の相互依存構造は事実上、学問を企業型の論理に取り込み続けてきた。例えば受講者数を量的にも質的にも採算性の変数と捉え、不人気科目の教員を低く査定する様な慣行が定着した環境下では、ソシュールの様なタイプの学者にはそもそも基本的な教育力が不足している、と判断されるのが普通である。第一、受講生の人数が少ない。しかも自分の研究成果を教えている(つまり内容が常識的でない~学ぶ前から知られている訳ではない)。まともな教員は大抵、企業が消費者の歓心を買う様な方法で生徒の能力に見合った指導を優先する。だから(たとえ最終目的において必要であっても)手段において高度な内容を扱ってはならないし、教えたところで生徒が理解するとは限らない。ここで肝心なのは、高校教育は高等教育ではないという事である(現に学問教育は禁止されている)。他方、企業には既に独自の教育システム=研修制度が存在しており、そうした点から見ても公的学校制度は、今や単なる企業教育の下請け機関でしかない(予備校や専門学校に比肩できないほど「学力低下」が進行している点では、既に本来の役割を終えている)。そして~大学(大学院)に期待されているのはただ一つ、出先研究機関としての役割だけである。そのため公教育に残された取り柄は精々、身分獲得制度としての役割くらいのものとなり、その影響は潜在的で差別主義的な価値判断の形で具体化し、期待される教育力は社会環境への適応力の陶冶に収斂する(フリー・スクールの社会的地位や不登校問題も顧慮されたい)。つまり教員には、(学問的自覚とは無媒介に)生徒の自己学習力を社会人としての自覚に向けて誘導する能力が求められる。ところが実際はこの点が法的にも倫理的にも不充分であり、生徒の方は内輪で自発的に階級制の体験学習を始める(歴史的にはガキ大将、学園闘争、校内暴力、「いじめ」など)。~教員集団も環境から影響を受ける。学問を必要としない学問の場に授業を持ち込むためには、学問的良心を飽和状態にしつつ教育的良心にすり替える様な精神力動的ストラテジーが必要となる。その結果が集団的自明性により自己言及的に裏付けられるとき、教科間の縄張り意識などに見られる相対的規範はあらかじめ、科目自体に対する暗黙の価値判断を前提した上で予定調和する様に仕組みかつ仕組まれる。それゆえ所与の価値判断は、多様性への逃走を許さない。元々ここでの多様性は階層化されており、生徒は(学問的内容を、ではなく)科目の社会的階級を選択することになる。生徒側から見れば、「A科はB科よりも難しそう、C科には興味がないからB科にしよう」となる様に。これを教員側から見れば、選択科目の授業は内容自体が商品となる。ニーズのない商品は売れない(選択されない)。だから当然、「喋り」の技術で生徒を引き込もうとするケースが出てきてもおかしくない(校長の発想には、この傾向が多分に疑われる)。ニーズに合わせて中身を形骸化してもよいのであれば、事は簡単に済む。しかしこの方策を取った場合、教員は結果的に自ら学問を放棄したことになる。
【※90】先ず手懸かりとして、手島右卿の経団連講演を挙げて置く(『書道美術新聞』七一三号所収、「手島右卿大観研究資料篇」から)。~「けれども、書の本当の美しさというものは、そういうふうに人間の視覚で判断できるものじゃないのですよ。心でこれを味わうという奥深いところに美があるし、それからまたこちらの奥深いところで、これを受け止めて鑑賞していかなければならないのでございます。ところが、今何でもわかり易いものがいいものですから、表に出してしまっておるわけですね。非常に薄っぺらなものでございますよね。/ですから、本当の書の概念、今までの概念からこの頃の展覧会の作品を見ると、びっくりするのじゃないかと思うのです。ちょっと思惑が違うのですよ。よくなってきているかということになってきますと、書の本質からいうと、本質では非常に希薄になっているわけですよね。見た目には何かこう、美術的な仕事をしているということは、いえるかもしれませんけれども、書の本当のものは、そんなものじゃないということです。」~以上の通り、手島は視覚による判断を鑑賞の中心に置いていない。それよりはむしろ「心」という一見曖昧な水準で味わう事を美と絡め、(対象との関わり自体にではなく)「こちらの奥深いところ」の側に鑑賞する主体の在処を委ねている。また~手島はこの引用箇所の少し前、「そこで大事なのは筆順ですね。筆順が狂うと、これはもうどうしても具合が悪い」とも述べている。そして「上手下手」の問題については「上手でもいけない、下手でもいけない」と述べ、かと云って「中庸」でもない両方の合体が「至巧」であると述べている所から見ると、これら個別の顕在的視点から得られる事柄はもはや中心的な問題ではなくなってくる。そこに筆順の話が加わるのだから、これは結局「見えない」システムから派生する美の潜勢的構造において、「上手・下手」の判断それ自体が表層への転位―運動を指すことになる。また~こうした運動は「こちら」を前提したコミュニケーションの問題でもある事を同時に指示していることになるから、鑑賞するために必要なデコードのシステムを観賞者の側があらかじめ保持していない場合、元々鑑賞などできる訳がない。それゆえ当方の云う「教養」は、筆順を含む応用可能な~つまり関数として整序可能なシステム全般の事を指し、その目的は認知科学における対象の扱い方と多くの点で重合する。
【※91】石川忠久を聞き手とする米寿記念対談集。三七頁以降にはこう書いてある。「小学校時代のことで特筆すべきことは、小学校の一年のお正月、だからもう二年になるときですが、親父がぼくに習字を習わせた。(……)ちょっと入ったところに先生の家がある。そこへ一週間に一遍通いました。先生がお手本を書いてくださって、一週間かかってそれを書いていく。「千字文」を四字ずつ書いていく。一枚の半紙に二字だから、二枚書くわけだ。それを一週間お稽古して、先生のところに持っていく。先生が見て、よければ「次」と言い、悪いと「もう一度」と言われる。先生の前で新しいのを書くんです。だから、筆と墨と紙を持っていかなければいけない。/それはかなり長続きしまして、中学の四年までやりましたね。さすがに中学の三年ぐらいのときに千字文も上がったんですよ。たった一週間に四字ずつだから、二百五十週かかるわけだな。一年五十週としても五年ですよね。まともにいけばそうだけれども、夏休みや冬休みは休むから、中学の二年か三年までかかったんですよ。楷書が終わってから、篆書の真似ごとをやったり、隷書の真似ごとをやったりしていましたが、中学五年になったら、習字なんかやっていられなくなった。こっちは必死で受験勉強をしなきゃならなくなってやめちゃったんだ。/高等学校に入ったら、寮に入ったでしょう。寮に入っていちゃできないわ。おまけに弓引いているから、できないというのでやめちゃったの。いまでもそれは残念ですけれどもね。」~当時も今も、学校の書教育はミニマムであり続けている。手島右卿も宇野同様、学校外でマクロな基礎を学んだ。『書道講座』(二玄社)第一巻「楷書」一一八頁には、「小学校に上がるか上がらないかの頃、安芸の街で見かけた看板の隷書の形に興味をもったのが書との機縁のはじまり。家が法律事務所だったので書生が毎朝たくさんの墨をする、その傍で隷書のかたちを書いては楽しんでいたが、小学校の三、四年の頃大人達の競書大会にとび入りで出て隷書を書き審査員の眼にとまった」と書いてある。
8【再掲】「恥を忍んで」04 ( 苹 )
2012/01/27 (Fri) 18:35:54
7623 恥を忍んで(其二) 苹@泥酔 2009/08/23 04:16

●県教委宛直訴書簡(転載第二弾)
 以下は1999年末に書いた書簡本文の一部と、その約一年後に付した注釈。~私は当時、こんな事を考えていた。

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>第三節、教職経験において解釈可能となる整合性について
> 
> 当方の奉職していた期間、××高校では義務教育同様に相対評価制を採用して居りました(現在の状況については存じません)。当方は大学で「高校の成績評価は絶対評価」と学びましたので、赴任当初は戸惑った記憶が御座います。今度は義務教育にも絶対評価制が導入されるそうで、新聞記事によると理論上、生徒全員が最高の評定を得る事も可能だとか。当方も初めはそうした意味だろうと理解して居りました。そこで念のため、この点を教科主任の××××芸術科教諭(音楽担当)に問うてみました。すると、「絶対評価したものを相対評価するのだから、絶対評価は取り入れられていることになる」との回答がありました。また~これについて××××高校の××××芸術科教諭(書道担当)は平成八年頃、「(相対評価するのは)当たり前だろ」【※79】と言及して居ります。率直に申し上げて、これらの反応は詭弁の様な気がしました。「絶対評価」が相対評価の対立項ではなく、「依怙贔屓するな」程度の意味の比喩表現だったとは、思いもよりませんでした。しかし実際、理屈はどうあれ、これはあらかじめ内規で定められてある事ですから、当方としては取り敢えず、絶対評価の特徴がなるべく成績評定に反映する様に心懸けながら従いました(つまり順位優先の評定再配分ではなく、成績分布の密度差を重視しました)。ところがこの程度の評価補正も、評価それ自体に課せられた社会的役割【※80】の側から見れば、決して望ましいものとは云えない様です。なぜなら、成績評価は事実上、生徒の能力を序列化するために存在するのであって、学習それ自体の達成度を評価するためのものではないからです。~かつて××××校長は、職員会議で凡そ次の様な意味の事を云いました。絶対評価すると、底辺校の生徒の成績は(例えば)××××高校の生徒に及ばなくなってしまう、と。要するに、こうした見方は各校ばらばらに設定可能な達成度評価の基準を前提したものではなく、序列化された学校間の成績分布を前提した相対的判断を、各校共通の絶対的かつ画一的基準の下で確定するものです。従って、いかに指導の多様化が模索されようとも、絶対評価の相対評価化はどのみち避けられなくなる分だけ、相対的に評価中心の身分制度化傾向は却って強まることにもなります。また教員の間では伝統的に、「成績は正規分布しなければならない」とする相対評価側の考え方が既に定着している様ですから、達成ラインを越えた生徒を評定段階「二」と解釈する場合などは特に、考査との整合性がひどく疑わしいものとなってしまいます(つまり~達成度評価自体が無意味となり、そこから先の優秀度とでも云うべき判断基準だけが問われる結果、達成度も優秀度も含めた全体の評価レベルが、それぞれの最低基準を劇的な低さ【※81】に抑えたまま飽和するという事です)。なお芸術の評価に関しては、カヴァイエ著『日本人の音楽教育』(新潮選書)一七八頁以降の記述で、当方の知る現実の成績評価方法とは全く異なる判断がなされている事を付け加えて置きます。
>> ところが、日本の試験のシステムはそうではありません。学生Aと学生Bとのあいだの相対評価によって、グレードがきまってしまうのです。つまり、個々の学生はグレードにたいしてでなく、他の学生にたいして挑戦するのです。だれがいちばん高い点数をとるかということに、学生も教師もたいへんな関心を示します。けれども、このような方法では、自分自身の音楽的能力について知るところがほとんどありません。せいぜい、「わたしは、六十四点もらっちゃった。A子は、七十六点だそうだ。彼女のほうが、わたしより十二点すぐれているのだ」といったことくらいでしょうね。そんな相対評価をどんなに知ったところで、音楽的になんのプラスもありません。きわめて、消極的な意義しかありません。それにたいして、英国のロイヤル・カレッジ・オブ・ミュージックにおけるグレーディング・システムの方はずっと理にかなったやり方だといえます。たとえば、試験の結果、「この学生はベートーヴェンのソナタ十二番を弾き、かなりよく弾けている。彼女のグレードは目下3であるが、この試験でグレード4をあたえることにしよう。次回はもうすこしむずかしい曲を準備して、さらに上のグレードに挑戦させよう」といった教師の側での判定を通して、個々の学生は、自分自身の進歩の程度を測ることができます。学生はそのことだけに関心をむけることができ、これはきわめて有意義です。つまり、学生は、このやり方によって、自分自身についてある種のことを学ぶことができます。もし、ある学生がたとえば、グレード3の試験に不合格であれば、「この曲を弾くのにまだじゅうぶんではない」と判定されたわけですから、もういちど練習しなおして、次回の試験で再度試みようとするでしょう。したがって、その試験は、当の学生にとって意義があったことになります。
> 重要な指導がいくつかありました。中でも、平成十一年の一月か二月頃に校長室で受けた、××××校長からの指導がその最たるものです(この場には××××教頭も同席して居りました)。この時の指導の要点は、書道Ⅲの選択者が皆無だった点についての話でした。~それより一月ほど前、当方は学年主任【※82】から忠告を受けました。このままだと書道選択者がいなくなる、何人か誘ってみたら、との事でしたから、取り敢えずやってみました。そもそも芸術科目の選択は、必ずしも入学時に取った希望調査通りに配分される訳ではなく、実際には各科目の人数がほぼ均等に分布する様、教員側であらかじめ微調整が施されます。この慣行は、二学年進級時に芸術科目の選択がある商業科でも同様に行われますから、三学年進級時の選択(この年は、選択科目改編【※83】の最初の年でした)でも似た様な解釈なのだろうと思い、「郷に入れば郷に従え」の謂そのままに誘ってみた次第。しかるに当方は、陰で工作したり生徒に強制したりする様な事でもないだろう、形式的に誘ってみたところで所詮、決めるのは生徒自身だと納得しましたから、別室に呼び出して説得するでもなく、廊下で「その気があったら友達も誘ってみたら?」とあからさまに誘いました。こうした行為が校長に伝わった様です。勧誘はやめろとの事でした。これで肩の荷が下りました。誘う手間が省けて助かりましたし、生徒の選択意思に忠実な配分方法を採るのだなと、新カリキュラムの理解が深まりました。ですからこの点に限って云えば、校長には感謝して居ります。ところが、むしろ肝心な点はその後の指導にありました。校長は「生徒が書道から逃げてる」との判断を示し、「おまえ読めるか、読めないだろ、読めないものは教えちゃいけない」としました。前者は判断の任意性に属する事ですから、なるほどそうした解釈も可能でしょうが、後者はどう考えても理解できませんでした。因みに校長は英語科担当、教頭は数学科担当の経歴を持っています。
> 前述の通り、可読性の指導は国語科で書道を受験するための基幹的研究テーマです。また歴史的に見て、書道教員に基礎的古典が「読める」のは当然です。従って仮に、念のため英語教員に対する同様の指導(「英語の先生、あんた英語が読めないだろ」)を見立てるなら、校長の指導は相当にシビアなものと云わざるを得ません。ここでは、いわゆる日常会話とは別の水準の英語で教養豊かな議論を展開したり、学術論文の二、三本くらいは英文(シェークスピアの様な古文扱いの文体を含む)ですらすら執筆できる程度の能力を意味すると考えるのが妥当でしょうから、書道の場合も同様に、最低でも古文書学一般の読解力が前提されるべきことになるでしょう。当方は幕末期の版本や、明治期の丁寧に書かれた書簡程度ならそこそこ読めますが(初見の場合、樋口一葉の書簡【※84】の様な極度に読みやすいものは九割程度、夏目漱石の書簡や振り仮名付きの幕末期版本は七割程度【※85】)、秀吉や家康の消息は調べないと読めません。そうした程度の学力から見れば、校長の要求水準は幕末期の文人とほぼ同程度の素養を必要条件とする点で正しいと思いますし、その気になって仕込めば不可能ではないだけに共感もできます。今はまだ遊びの様なもので、漢詩もどき【※86】は時々作って遊ぶ程度。候文は大仰になりがちで、達意とは云えません。趣味の『千字文』丸暗記は高校入学以降、七割止まりのまま。専門書の読書量は(在庫確認して居りませんが)たぶん、まだ千冊程度でしょう。これらの慰みがどれも中途半端なままとなっている様に、当方の能力不足は誰の目にも明らかですが、少なくとも学問的良心の基礎としては役立って居りますから、研究方向の組み替えくらいなら良心の範囲内でどうにでもなると考えて構いません。しかしながら~そう考える様に自身を仕向けていくと、納得できた部分や予測可能な構造安定性とは反対に、まだ理解できないところがいっそう拡張的なものとなって意識されて参ります。校長の指導は読解対象の難度すなわち量的微視性を捨象した二分法的な見方となっており、「できる」「できない」のどちらにも完全に収束しない中間領域については、あらかじめ判断基準自体が定義できなくなっているからです【※87】。
> また「生徒の逃走」については、これ以上学習を専門化するよりはむしろ多様な科目【※88】に興味の幅を広げたいとする、学習意欲の表れであるとも解釈できます。こう書くとこじつけの様に見えるかも知れませんが、実際これからの選択科目の多様化を見据えた場合、一定量の生徒を各科目で奪い合う局面【※89】での判断が、却って教科の縄張り意識に過剰な悪影響を及ぼしてしまう可能性も恐らく無視できなくなってくるでしょう。科目の多様化は、逃走手段であってもよい筈です。ところが、そうした判断に対して逆向きとなる判断すなわち成長指向は、所与の指導の目的において動態的なものを静態的なものであるかの様に混同するところから逆行―悪循環を始めてしまいます。~しかるに、当方の授業は専門家の養成を目的としているのではなく、鑑賞者となるために必要な最低限の応用可能な教養【※90】が前提ですから、書風の技術的多様性についての詳細な指導は書道Ⅱ以降でしか取り扱って居りません。数学に喩えるなら、書道Ⅰでは公式を導く基礎的計算過程、Ⅱ以降では練習問題を扱う様なものです。そのため書塾由来の経験的学習方法と比べるなら、当方の授業は効率重視型と云えるでしょうし、音楽教育と比較しても理論面での遜色はない筈です。因みに、大人の初心者向け教本としても利用可能な尾花輝代允著『ヴァイオリンを弾こう』(音楽之友社)二〇頁には、「大人になってからヴァイオリンをはじめた人は、特に知識から入って、練習のロスをなくすよう努力することが大切だ。なるほどこのような理屈でヴァイオリンが弾けるのだな、と思うだけで、めやすがつき、練習にも力が入り、今自分がどの辺なのかも分かる、というものだ」とあり、指導の方法論的傾向自体は当方の目指すものとかなり似通っています。それゆえ生徒が「これ以上は学ばなくともよい」と判断したとしても、また当方の不明により生徒が逃走したとしても、それは(学習環境の問題は別ですが)学習内容や学力水準の問題に帰結するものではあり得ないし、また文部省の目指す「多様化」の流れを阻害するものでもありません。尤も、学力低下を容認する方向で判断するなら、当方の授業は些か高度に過ぎたと云えるかも知れません。授業の難度は相対的な変数に過ぎず、判断はどのみち集団的恣意性を免れませんから。しかしながら明治時代の水準から見れば、当方の授業は尋常小学校高学年から旧制中学初期にかけての学力(ここでの判断は宇野精一『書香の家』(明治書院)【※91】などの単行本数種や、国定教科書類を根拠として居ります)を維持するのが精々であり、いわゆる主要教科と比較した場合、なかなか今の常識通りには考えにくい所があります。
> むしろ難しいのは技能水準に特化した場合であって、通塾経験者とそうでない生徒との格差は埋まらないまま~それどころか(実技を伴わない通常教科にしばしば見られる様な)逆転するケースが顕現しないまま、技能水準の評価は一種の身分制度的な成績判断基準となってしまうおそれがあります【※92】。実際、知的能力は高くとも人並み外れて下手な生徒の場合は、もし教養指導を導入していなかったら、最低成績のまま生徒間の相対的位置関係が固定されていたかも知れません。なぜなら、技能水準の高い生徒はますます上手くなろうとする傾向があり、それに対して下手な生徒の方は、追い越す以前に先ず、(主要教科の勉強が忙しいにもかかわらず)追いつくための練習と強い学習意欲が、授業外でも予習・復習の様に必要となるからです(当方は××芸術科主任から、「宿題は出さずに、授業内で出来る事をやれ」と指導されました。一見正しい指導の様に思われますが、能力主義と実際の授業とのバランス【※93】を考量するとどうでしょうか。××教諭の指導は正しいがゆえに、別の救済措置がないと却って困った事になるのではないでしょうか)。まともな生徒なら、他教科と比較して勉強の重点配分を決めるでしょうから、実技の練習が普通の勉強ほど効率的でない事に気付かない筈がありません。結局、諦めることになるでしょう。学習意欲を充分に引き出せない点は、疑う余地なく当方の不明によるものです。そして普通、制作における芸術的才能に関しては指導不可能な部分がありますし、そのこと自体は皮肉にも、味わったり楽しんだりする水準の指導可能性とは殆ど関係がありません。しかし制作に重点を置いた場合の成績は、どのみち固定的な結果に逢着してしまいがちになるのです。当方はここに改善の手を加えようとしたのですが、校長もやはり過度の成績変動には違和感を感じていた様です(かつて当方は、篆刻に終始した学期の成績と毛筆授業の成績との落差について、校長室で問い詰められました【※94】)。ただ、そうした成績のランク付けにおける常識を度外視すれば、教養指導それ自体についてはそもそも、見方の成り立つ場の方が根本的に異なってくる筈です。つまり、わざわざ学校の方が変わる必要はありません。教科指導の独立性と隣接する教養指導の方が学校の〈外〉を旋回するだけで充分に、教科の独立性を包含する管轄システムとしての学校は自ら静態的なまま〈内〉に閉ざされるからです(要するにここでは、〈内〉と〈外〉が相互に折り畳み合う場の共可能的差異において、動態的判断と静態的判断とのずれがありのまま同時に成り立つという訳です)。そうした場合、生徒の少なくとも一部は本能的に賢明です。中には二年普通科の授業のまとめで課した小論文などで、大学の中国文学科入学(受験科目は書道と無関係)に至る哲学的動機を形成した生徒【※95】もありましたから、(当方の授業の具体的な在り方とは別に)教養指導の導入自体はたぶん無駄ではないのでしょう。
> この時は自問自答形式の対話ノート【※96】で予備練習させ、小論文の本番では西洋芸術の在り方を国安洋著『〈藝術〉の終焉』(春秋社)から引用した補助テクスト【※97】を使用、書道と比較して自ら論点を見出す様に指示【※98】しました。当初は冬期宿題の予定でしたが、いざ出題してみたところ生徒は戸惑いがちとなりましたから、引用参照文の読解例を当方の側で追加執筆して参考に供しました。参考文の私序は以下の通り。「ここで解説する内容は、大学レヴェルの読解である。本文に対して極限まで敬意を払おうとすると、そうなる。しかしその意味において大学レヴェルではあっても、必ずしも読解とは云えない側面もある。なぜならこれは、深読みによる論理の再構成をも実験しているからだ。すなわち~本文に最も重点を置くことに間違いはないが、しかしそれはあくまでも言葉の不確定性を遮るかの様に、理解過程における固有の思考を、まさに思考の側から本文に近付ける行為でもあるからだ。真理を突き詰めようとすることが芸術の現在に至る最短距離だと判断する立場にとって、この手法は精一杯の誠意を鏡像とする。だからこそ却って、君達に無理強いする様な判断は明らかに誤りとなってしまう。これは読解の単なる一方法に過ぎない。であるとともに、むしろ要点は別の地平にある。これは真の意味で本文を理解できるのかという問題の告発であり、また方法論的な打開の試みでもあるのだ。」~蛇足を付け加えると、丸山圭三郎著『文化のフェティシズム』(勁草書房)一七二頁にも面白い記述があります。「いや仮にデリダと筆者が同じテクストを対象にした場合でさえ、その読解の真偽を論ずること自体が、(……)「作品に隠された唯一の意図」を客体化するロマン主義的解釈学、現象学、元型分析心理学、構造主義的読解に通底するロゴス中心主義の罠に陥ることになるであろう」と。同じ理由で、下手をすると生徒との関係もおかしくなる可能性が出てくるでしょう。当方は学問・学習以外の接点を見つけるのが下手ですから、これは明らかに欠点と云えます。実際、接点の希薄な生徒は大多数にのぼりました。ここから先は、学校生活における学問の位置をあらためて確認し直す必要があります(後述)。
> 他にも興味深い指導がありました。渉外部主任の××××教諭は「書道は芸術でない」としましたし、商業科の××××教諭は「講師は人間でない」としました【※99】。これらはたぶん冗談でしょうが、潜在的な部分を把握する上では、じつに興味深いものがあります。少なくとも、前者が指導要領的存在としての教科を否定し、後者が憲法に優先する校内規範の尊厳を前提する点については理解可能です。~条件は既に整っています。現実には、正規の採用試験が何十年も実施されない教科を、指導要領的存在と見なす方がむしろおかしいのですから。ここでは既成事実が法的根拠を凌駕する代わりに、実践されたものが(現勢的根拠となって)法的根拠に基づく実践の欠如を逆に補完します(自己言及構造内のシークェンスのセリー化(エンコード)、ならびに組み換えられたセリーのシークェンス化(デコード)【※100】)。また~或いは同じ根拠から、かつてフーコーが指摘した様に、学校と監獄との共通点は法的存在との間に微妙なずれを生じさせます。これについて内田隆三は、著書『ミシェル・フーコー』(講談社現代新書)の一七一頁で「刑法の言説は犯罪者をその違法行為において捉えるが、監獄の技術は囚人をその生活態度において捉える」と要約しています。法的解釈が対象を組み換えると、やがて解釈の方も対象から影響を受けるかのごとく。こうした解釈の自己言及的変容は、場合によっては講師に対しても生徒に対しても、監獄的管理技術において等しくアウシュビッツのユダヤ人と同様の存在を規定することができます。そして同じ理由から、いじめ構造を社会的人間形成の過程と捉える見方も可能になって参ります。
> 証拠はあります。いじめた側の圧倒的大多数は、少なくとも後戻りが困難となる様な或る時点までは、「遊びでやっていた」「死ぬとは思わなかった」とする認識で一致しているのですから(御存知の通り、「遊び」は社会的学習の必要条件です)。また、学校側の判断が「いじめと認識していなかった」とする認識にほぼ一致して収束する事からも分かる通り、両者の共通点は同一の認知水準で社会性が堅固に維持されている事、すなわち「いじめ」概念があらかじめ認知規範―社会通念―常識における選択可能性の範囲から除外されているところにあります。それに、防衛機制は認知された内容と相対的に発現しますから、「いじめ」概念の欠如した「悪ふざけ」、特に「遊び」の水準で識別された行為に防衛機制の有無を問うのは却って本末転倒となります。むしろ不自然かつ誘導尋問的な、判断自体の整序と見ても構わないでしょう。「いじめ」概念は常に、防衛機制の動機に先立って現れます【※101】。従って防衛機制としての自殺や不登校は、あくまでも不可逆な因果関係であって、防衛動機の形成原因が「いじめ」概念の成立を必要条件としても、所与の行為が十分条件となる訳ではありません。十分条件となるのは所与の行為が「いじめ」行為としてアフォードされた場合のみであって、どちらにしろ「いじめ」概念との接続が完了してから後の判断が行為に転嫁される過程そのものは全く変わりありません。それを一方的に、「いじめられた」側の論理で裁こうとでもしようものなら、そうしたやり方は畢竟、指導以前の判断に自ら限界を設定する行為でしかあり得ないことになります。なぜなら、こうした見方は「いじめられた」側の「いじめ」概念を加害者の意識に移植する【※102】のみならず、「いじめ」行為と「いじめ」概念の可逆的同一化を容認する~つまり、反省と事実を混同することになるのですから。~学校の監獄的パノプティコン的機能の側から見た場合、そう判断せざるを得ません。反省は道徳的動機に基づく可逆的アフォーダンスであり、事実生成過程の不可逆的アフォーダンスとは異なります。また、不可逆的アフォーダンスの理解は「いじめ」行為の予防を可能にしますが、可逆的アフォーダンスの方は結局、審判の領分に留まることになります。
> 当方は在職当時、東京から転校してきた女生徒【※103】について、「いじめ経験があるのではないか」と訊いた事がありました。その際、相手の定時制国語科教諭(姓名は失念)【※104】は「そうとは限らないだろう」と鼻で笑っていましたので、当方も必要以上に慎重な見方をしないまま済ませました。或る意味で、この定時制教諭の判断は正しいと云えるでしょう。なぜなら、「あるべき姿」(認知規範=常識)から見た場合の「いじめ」は、指導目的を逸脱した異常事態=禁忌と見なされるからです(「あるべき」と「なかるべき」の双方から規範化される二重禁忌性)。しかるに~当方は、あくまで念のため訊いてみた次第。いじめられたり病的になったりする生徒は大抵、感覚または思考において過敏となりがちな傾向がありますから。因みに、大平健著『やさしさの精神病理』(岩波新書)一一九頁には「クンクンうるさい犬はどいつだ」の事例【※105】があり、大変参考になります。学校の隠蔽体質が社会的必然を含意する点については、本音の部分で御理解いただけるでしょう。或いは、プルーストやボルヘスの世界にも通ずるライプニッツ的な可能世界の範囲で。バタイユが経済と絡めて示唆する「自覚」【※106】を欠如した「呪われた部分」とか、中村雄二郎の指摘する〈悪〉の過剰性とスピノザ的欠如との比較【※107】を通しても、校内規範と法的観念それぞれから導き出される差延や個人的事例との可塑的関係は、層の在り方次第で必ずしも判断上の交点を持たない(両立しない)とは言い切れなくなる筈です。要するに、マザー・グースの自明性と似通った話です。そして同じ事が、書道を取り巻く環境についても云えます。
> こうした環境を前提すると、ベイトソンの云うダブル・バインド【※108】は分裂分析的な層化作用において書道とも共通し、かつ整合するのかも知れません。しかし当方は正直なところ、そうした理解にはまだ充分な適応を済ませられずにいます。~書道を含む言語表現の歴史的多様性が国語の範囲内にある場合、(前述の通り)可読性の指導は芸術以前の基礎となります。両者がクリステヴァの云うテクスト連関(間テクスト性intertextualite)を含意するなら、可読性否定の根拠は崩壊しますし、また含意しないなら、国語科教員を芸術科に配置する根拠は崩壊します。どう転んでも、ここに国語的良心はありません。「言語」と「国語」の最も卑しい混同が、まるで「いじめ」の生態を本来の在処から敢えて無自覚なまま遠ざける(線形的な解釈を脳にずらし込む【※109】)様に、来歴から成る歴史性と文化的拡張性を本来の場所―文字から根こそぎ駆逐しているのです。「書道」も「文学」も共通のシーニュに包括する様な文字―襞を、「国語ナショナリズム」の原理において捨象または否定しているのです。後に残るものは架空のものだけであり、いくらか具体的に見えるものは精々、読み取られるべき書物との間に忍び込む精神力動的フレーム―予定調和的関係くらいのものです。芸術的良心から派生する記号論的歴史学または考古学への向日性―極限―微分の形に見える事はあっても、それらの建て前は決して指導されない様な仕組みになっていますし、言語的同一性に接近したり混同されたりする事はあっても、元々それ以上のものではありません。カリキュラム上あらかじめ分かたれているカテゴリーをわざわざ同一視するのは、牽強付会というものです【※110】。分かたれているものは分かたれているがゆえに、決して同一化する事はありません。むしろ国語的良心はあくまで書記を度外視した範囲内に閉ざされ、別の地層の「国語学」次第で開かれるかどうかが決まります(因みに小松英雄は、言語史研究を顧慮しない国語史研究について、著書『日本語はなぜ変化するか』【※111】の中であからさまに批判しています)。従って、そうした水準で書道の領域が空集合となる場合、いかなる指導であれ内容自体の空洞化と学力低下は元々避けられないことになります。そしてもし、この様な空集合としての場が書道教育の成り立つ場に求められているとしたら、青森県に書道の教員採用試験がない事は事実上、最先端の反‐古典思想に根ざしている事を(もはや意味するのではなく)指示していることになるばかりでなく、新たな他律的リテラシー(現段階では、TRON【※112】を顧慮しないユニコード体系)に向けて、古文書学の介入する余地を自ら捨象することになるでしょう。
> これは、先に述べた「反‐国語的解釈」の不可能性とは別の層に属する話です。国語的解釈と反‐古典的解釈とは、考古学的作用なき《パルシファル》的水準(第一幕、「ここでは時間が空間となる」)にあって初めて、同時に成り立つことが可能になるのですから。古文書学は「読む」行為においてアクチュアルですが、「書く」行為を媒介しない特徴に可読性の否定を結び付けた途端、古文書学のアクチュアルな作用は翻訳後のリテラシーから原典を排除する点で復元可能性を失います。つまり、翻訳可能性を境目に概念化する書字の「他者性」ゆえに、古文書学と書字とを横断する生態的自律性【※113】は丸ごと失われます。~こうした場合、実技指導は「芸術科書道」を「国語科書写」的向日性に取り込む様なダーウィニズム的水準においてのみ可能となり、かつ許容されるという事になります。そのため、青森的解釈が実技指導を可能にする水準の書道は、もはや古典芸術の領分ではありません【※114】(その証拠として、実技試験を含む正規の採用試験がない事実を挙げても、解釈に合理性がないとは云えないでしょう)。要するに、現勢的実技指導=「書写」の前では、そもそも古典的実技指導自体があらかじめ不可能であり、それどころかむしろ積極的に、「昔々あったとさ」式の物語化による(決してリゾーム状にはならない)樹木状の最終解決が事実上求められている、という訳です。
> 十年ほど前、演出家のレーンホフはワーグナーの《ニーベルングの指環》【※115】冒頭で、ライン川の響きの様な一つの言葉(Es war einmal……)を繰り返し書かせることで予言的に物語化しました。演出家の仕事は、リゾーム状の可塑性や多様性を独自の解釈にまとめ上げる事です。そして演出自体は、台本や音楽に対して向日性と距離を同時に自覚する行為でもあります。~書道にも同じ事が云えます。作曲家に対して演奏家、台本作家に対して演出家がある様に、過去の書人に対して線形の変奏(ヴアリエーシヨン)を物語化―再構成【※116】する現代書家が実在するのですから。演奏や演出、書作に相当する行為的自律性が多様である事は芸術にとって有益ですが、楽譜や台本、古典に相当するプログラムを単純なものに改変する事は、線形化―物語化―解釈の対象を間違えているがゆえに著しく有害です。従って書道教員は、青森の国語的良心に従う場合、書道自体を衰退させなければならなくなる点を自覚しないための方策を、反‐古典的実作に収束させる必要が出て参ります。そのため対象としての古典は、古典として「読まれる」のではなく、「見られる」ものとして扱われなければなりません。だからこそ書道教育は、本来的な文化の伝承とは異質な指導を強いられるがゆえに、生徒の方も文化の「無からの創造」を強いられる点で、いっそう過酷なものとなります。これに対して、教員にできる事はただ一つです。生徒が「独創的に」書いた絶望的な作品を、あまり真面目くさって評価しない事(本人にそのつもりはない筈ですが、当方はそれに類する発言を、少なくとも二人のベテラン書道教員から聞いて居ります)。評価できないものを無理矢理に評価【※117】するのですから、評価自体が形骸化するのは当然です。実際、評価のための理論的裏付けは極めて脆弱かつ流動的であり、現行の規範は昭和二十年代から三十年代にかけて思考された前衛的「現代書」の理論を、何の根拠もなく古典解釈に援用しただけのもの【※118】に過ぎません。しかも、現実には古典的マテリアルを否定できませんから、結果的に言語芸術としての波及性だけが文部省的「精選」の論理から切り捨てられる事で、「芸術」概念の同一性は表層のマテリアルにおいてのみ維持されます。試しに、独創性において評価される実験芸術の規範を、工房的ギルド的に制作された古典芸術の評価にも援用したらどうなるか【※119】、美術の専門家に訊いてみたらよいでしょう。東洋のキリスト的イマージュは偶像化されません。キリストの代わりに哲学や思想、意志自体が文章となり、また哲学は文人趣味の内側で自己化―咀嚼され、ひいては「書く」事自体がまさにありのままに、文章に転位したマテリアルを潜勢的テリトリーに再転位させます。つまり、こうした転位作用のリゾーム的循環が書における「動機の文法」【※120】となる点で、書それ自体はもはや形式論理学的な主題ではあり得ないことになります。主題はむしろ書かれた内容の側にあり、また一方で書それ自体は専門家の間で「書表現」と呼ばれるがごとく、述語的性格においてのみ実体化します。
> 以上の様に、教育における「書道」の概念は通時的にも共時的にもかなり錯綜しており、特に現場においては「芸術科書道」の「国語科書写」化が露骨に期待されて居ります。にもかかわらず、そうした趨勢の根拠は教科側で最大限可能な譲歩的判断とは別のところにあり、交わらないものが交わる様に強制される点では常に非‐学問的です。~ここらでいったん、付随する諸々の疑問を羅列して置きます。普通に考えれば、これらはどれも荒唐無稽に見えるでしょう。しかし本当にそう云えるかどうか、共同幻想の影響なしに否定可能なものはどれくらい含まれているか、いったん保留して置く必要があります。つまり、否定が肯定を導くヘーゲル的作用を警戒する必要があります【※121】。すると、こうした疑問を敢えて肯定するためには、先ず根本的な認識から組み換え直す必要が出てくるでしょう。次節以降ではこの点を補足して参りますが、疑問それ自体は否定的でも肯定的でもありません。ずれの程度に応じて内容は変化します。そして内容は身体の様に、疑問を元々の器官であるかの様に取り込みます。
>・基礎概念が所与のテリトリーに収束しない場合、基礎指導自体が禁止されるのはなぜか。
>・学問的良心や理屈が通じなくなる様な抑圧作用が組織的に維持されているのはなぜか。
>・否定的判断が予定されている場合、同時に超法規的解釈も許容されているのはなぜか。
>・意識されないカテゴリーにおいては事実上、あらゆる点で差別主義が奨励されているのはなぜか。
>・学校における思想統制の基準を同一性信仰に依存するのはなぜか。
>・多様性と画一性のバランスを、(現勢的統合ではなく)潜勢的統合で解決するのはなぜか。
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8【再掲】「恥を忍んで」03 ( 苹@泥酔 )
2012/01/26 (Thu) 22:29:42
7617 「教育右翼」達の逆襲 苹@泥酔 2009/08/14 23:29

 「東奥日報」2009.8.14付朝刊25面に、こんな記事が載った(↓)。
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>>あえぐ臨時教員 県内公立学校
>>常勤 試験勉強ままならず/非常勤 年収100万以下も
>>「まるで官製ワーキングプア」 「臨時」は8人に1人
>20代の非常勤講師は、「授業は週5時間で、月収は6、7万円」。30代の常勤講師は、ボーナスは正教員の3割程度なのに同じように多忙な校務をこなし、「正採用を目指しているが、試験勉強がままならない」と、不安を漏らす…。非常勤、常勤を問わず、県内の公立学校の臨時教員たちが厳しい労働条件にあえいでいる。「官製ワーキングプアだ」という、うめきにも似た声が聞かれる。
>
> ある小学校で非常勤3年目の20代男性は「授業時間に対する報酬なので、夏休みや冬休み中は収入がない。家庭教師などのアルバイト代を足して何とかやっているが、年収200万円に届かない」とつぶやく。「独身だから、まあ、なんとか。でも、来年度はどうなるか…」
> 2008年度は、授業報酬の時間単価が2800円から2790円に改定。「わずか10円だけど、『下がった』という事実がつらい」と感じている。
> 臨時教員の待遇改善を支援する「教員採用制度と臨時教職員制度の改善を求める県民の会」(会長・安藤房治弘大教授)によると、非常勤講師は複数校を掛け持ちしても月18万円ほどが限界と指摘。「年収100万円以下も少なくない。多くは生活保護水準以下」と推測する。
> 一方、正教員と同じ仕事をこなしている常勤講師も、境遇は厳しい。県教委教職員課などによると、大卒の初任給は約20万円。10年連続して勤務すれば約25万円まで上がるものの、それが上限だ。また、身分は半年ごとの契約更新のため、賞与(ボーナス)は毎年、新卒の扱いとなる。
> また、次年度も雇用される保証はない。臨時教員の多くは、正採用を目指し、年に一度の教員採用試験のチャンスに懸けている。
> ある高校で働く30代の男性常勤講師は、日々の授業と運動部の顧問の多忙な中、7月の教員採用1次試験を受けた。平均12・3倍の難関だった。「試験勉強がしたい。でも、教員だから現場に集中し、授業、部活も頑張るのは当然」と話す。ただ、今回こそ正採用を勝ち取れるのか、自信があるとは言い切れないという。
> 「教員採用制度と臨時教職員制度の改善を求める県民の会」が13日までに集計した資料によると、2008年度の県内の臨時教員は1626人で、総教員1万3314人の12・2%。およそ8人に1人に上る。2年連続で臨時教員の比率は高まっている。
> 求める会は「臨時教員の雇用は、地方公務員法で緊急の場合などに限られる」とし、「常態化や増加傾向は許されず、使い捨ての利便性ばかり追求している」と県教委を批判。臨時教員が現場で経験を積んでいることを重視し「教員採用1次試験合格者は次年度以降の1次試験免除を」と訴え、「生活安定のため、正教員に積極的に登用すべき」と主張する。
> また、県高教組の谷崎嘉治執行委員長は「大都市圏は正教員も臨時教員も不足している。本県などで生活も登用も手詰まりになった人材が、流出する恐れがある」と指摘する。
> 一方、県教委は将来の少子化を見越し、正教員の減少ペースと調整するため、臨時教員に頼る部分が多いと説明。「小中学校の統廃合が今後進むことも合わせれば、現在の正教員枠は適正」という見解だ。非常勤講師の授業時間数を生活実態や希望に沿うよう調整するなど、近年は一定の配慮を試みてもいる。
> ただ、正教員の給与は県教委予算の「人件費」として確保しているのに対し、臨時教員の給与・報酬は「事業費」で賄っている。このため、県として正教員の増員、人件費の増額を打ち出さない限り、臨時教員をそのまま正教員に登用するのは難しい事情があるという。
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 珍しいと云うか、唐突な印象。~「なぜ、今?」と思い、ググってみたところ「第40回全臨教青森集会」ってのが青森県三沢市の小牧温泉で2009.8.16~18にあるそうな。これで概ね氷解。因みに正式名称は「第40回全国臨時教職員問題学習交流集会」との事で、やたら長ったらしい。この集会については静岡市教組ブログ(↓)でも紹介してあったけど、どうやら自由社のも扶桑社のもお好きではないらしいので、どんな人々が集まるのか大いに懸念は残る。
http://shikyoso.blog.so-net.ne.jp/
 …でもねぇ。彼らとてスケープゴートくらいは要るだろう。身分の差はあれども、どっちみち教員は教員なんだから。そして学校は事実上、二重階級制の仕組みを確立している。一方には常勤とか非常勤といった身分の階級制があり、もう一方には受験科目・選択科目・非受験科目といった、分類や勢力ごとの多様性から成る階級制がある。従って理念的には階級制に反対する立場でも、現実的には「階級制の維持と階級制の廃止が同時に成り立たねばならない」。するとそうした在り方から綻び出す矛盾を排除する上で、必然的に多くの変数が操作されねばならず、必要が結果を生んで「優位の階級制が劣位の階級制を階級的でないものへと変質させる」。或いは教育偽装と言い換えてもよい。
http://shikyoso.blog.so-net.ne.jp/2009-07-29
 その傍証になりそうな言い回しを上記ブログから抜き出してみると、「この委員の方は恐らく、例えば中学校で、社会の免許のない他教科の先生が社会を教えなくてはいけないという教員配置の実態を知らないのでしょう」と書いてある。教科指導は横断的であるがゆえに、試験科目が必ずしも試験内容と合一する訳ではない。そして非専門家が専門家の仕事をこなすには先ず、「専門性の頽落」へと学問上の本質を軟着陸させる思考が要る。そのためのシステムに入試を利用すると、それぞれの試験に自ずとズレが出てくる。仮に教員採用試験を指導法f(x)自体に関する試験と形容するなら、それぞれの科目はxであり、個別には科目aや科目bや科目cの像が浮かび上がる。それを生徒が入試というf(x)の場、すなわちf(a),f(b),f(c)...の場で競う事になる訳だ。ところが教員採用試験にa(x),b(x),c(x)...の形式を持ち込むと、今度は関数それぞれが学校の実態と整合しなくなる。それを小学校の様な統合形式f(x)に変換するのが「教員の適正配置」と呼ばれる副次的(?)条件で、条件範囲は専ら教員免許で示される。
 この教員免許を握るのが各地の都道府県教委(と一般には呼ばれている教育庁)。~科目a(x)と科目b(x)を分かつ「免許の差異」は共立可能である。そこで真面目な大学生は複数の免許を取ろうと勉強し、なおかつ「虻蜂取らず」にならぬ様に採用試験へと集中する(そうでない教員への対応は大体こんな形↓)。
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2000/nto20001110.html#Anchor2
 しかしそれで報われるとは限らない。私は県教委の内側から見た事がないので実態を知らないが、こうした所有免許数には選抜過程でどの程度の配慮が払われているのだろうか。沢山の免許があればよいというものでもなかろう。…知人に国語と書道と社会の免許を取った人が居る。だからそれらの範囲内で、どの科目に彼を教員配置してもよい訳だ。現場にしてみれば実に便利な人材である。理想的ですらある。ただし中身が「広く浅く」と「広く深く」のどちらかは蓋を開けてみないと分からない。採用試験の受験科目では優秀な成績だったのだろう。それが世間のニーズと合致しているなら話は早い。
 世間は欲張りで、優秀な先生を求める。学校も欲張りで、組織に都合の良い先生を求める。…優秀さにも限度がある。専門知識が多過ぎても無駄(典型的なのは大学院を出た博士とか)。しかし進学塾・予備校の先生ならニーズにぴったり。巷間では「学校に通わせず塾にだけ通わせたい」と思っている親が多いのではなかろうか。私の育った環境だと、勉強の出来る子はよく「勉強し過ぎるな」と言われたものだ(と親から聞いた)。受験勉強は効率的な方がよい。勉強し過ぎると却って損をする。もっと「ゆとり」ある教育を。その「ゆとり」を受験勉強に回せ。やがて学校は予備校化と専門学校化を免れなくなったが、そこにも「無駄な科目」の壁がある。学校教育そのものが時代遅れなのかも知れない。現場では許容範囲だと思っていた事が、いきなり未履修問題で叩かれた結果からも分かる通り、現場がニーズに対応した事で逆に文部行政との溝が露呈した。既に受験科目が非受験科目を淘汰していた。所謂「十五の春を泣かせるな」の延長に共通一次試験の導入を幻視する場合、国内グローバリズムとしての「受験経済」が成立したかの様ではある。
 しかしながらその正体は、上限と下限を持つ一種の統制経済(?)であった。受験科目は配給制市場で、非受験科目は闇市。その両方が合法である世界を想像してみて欲しい。新たな闇市に統制的合法性と経済的違法性が同居する。敗戦後の闇市には統制的違法性と経済的合法性が同居していたと見るなら、その転倒した姿を都道府県教委がどんなふうに解釈するか、まさか誰も気付いていなかった訳ではあるまい。それが私の形容するf(x)の伝統であった。今も昔も彼ら「FX戦闘機」の乗員…もとい、教員は兵士の様に訓練され、にもかかわらず現場では自衛隊の様に見放されつつあるのだろう。それに対して逆襲しようと運動している人々の先輩達(の一部)が「自衛隊に同情の素振りを見せなかった」のは皮肉と云えば皮肉。学校で獅子奮迅の努力を続ける教育の兵士達は「普通の教員になりたい」と願う。そして他方には「正規の自衛隊員になりたい」と願う人達が居る。
 学校が自衛隊になる日(もちろん比喩ね)、塾や予備校を支持する人々は学校の教員達に同情してくれるのだろうか。恐らく歴史は繰り返す。それが正しかろうと、そうでなかろうと。

(宣伝)
 旧稿末尾も参照されたし(↓)。~都立高校には専任教諭1名、兼任教諭1名、常勤講師0名、非常勤講師120名なんてウソみたいな内訳の科目もあるそうな。ここまで来ると、当然ながら教員採用試験そのものが実施されない。となると絶望先生、もう後は笑って済ませるしかないじゃん(実質的には東京鎖国だから、地方の人材流出防止効果もあるし)。かの集会に参加する方々は、思いっきり怒り狂ってきてくださいな。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=7584&range=1
 …と書いたところで、当事者の誰もが此処は見てないんだろうけど。



7620 恥を忍んで(其一) 苹@泥酔 2009/08/21 01:26

●算数心理のバイシュン(←禁止語彙ゆえに投稿できないのは、この漢字表記が原因か?~2012.1.26補記)
 …以前、どこかで「なぜ1+1=2になるのか分からない」と書いた事がある。今も相変わらず分からぬままで居る。ただの計算に留まるとは思えない。どうにかして「分かる言葉」へと翻訳できないものか。
 以下は多分、馬鹿々々しい話になるのだろうが、例えば1と2は一見、それ自体としては別の値に見える。恰も1が2に対して「あたい、あんたとは別人よ!」とツンデレ予定調和の台詞を言い放つかの様に。…1と1と2それぞれが時には主語の様に見え、その三人の関係を述語的に示唆する「+」だの「=」だのが、様々な三角関係の中から一つの三角関係を抽出するかの様に手引きする。…しかしながら「三人」は仮の姿かも知れない(小学校レベルなら3+2=5など)。或いは関係の方が仮の結び付きかも知れない(同じく1<1+2など)。そうした入り組んだ在り方の側から見れば、時には変数として振る舞い、時には関数として振る舞うそれぞれが、ともすれば変数と関数の理解を妨げる。…誰の理解か。私の理解だ。忘却と混乱が相俟って、今や変数と関数の違いが分からなくなっている(正解を調べるのは後回し…汗)。
 …昔、小学校で足し算を習った。当時は変数や関数を習わなかった(当たり前か…汗)。1,2,3,4,5...てな具合の(十進法の)数の列びを覚え、果物か何かに見立てて数えた。そこでは1も2も3も同じ「増えゆく(減りゆく)数の流れ」の仲間であり、予め順序立った関係の中での捉え方を前提に計算を学んだ。…あれから数十年。今では無意識に淡々と数え、計算し、時にはウッカリ間違えたりもする。私の場合、計算感覚のトコトン希薄な「九九」丸暗記あたりが意外な場面で間違えやすい(すぐに気付くけど、その瞬間にいつも戦慄する)。後から変数だの関数だのをやらされた時は既に手遅れ(?)で、足し算にその手の奇妙な概念を持ち込んでよいものかどうか分からなくなる(そんなの小学校では習わなかったぞ?)。よく理解していない分だけ余計に戸惑う。と云っても、当時からそんな事を考えていた訳ではないが。
 重ねて昔を思い出してみる。林檎と林檎を足して二個の林檎。この林檎とあの林檎は違うのに、どうしてさも当たり前であるかのごとく平然と足せるのか。~そんな感覚も長続きはしない。やがて数が林檎と林檎の関係や印象を破壊した。無心に計算すると気が楽になる。てめえら学校で何を学んできたのか。余計な事を考えるとテストの残り時間がなくなるぞ。林檎は林檎だ、腐っていようが構うものか。計算には「そんなの関係ねえ」。意識さえしなければ、黴米だってポストハーベスト米だって(以下略)。
 …或る意味、こうした意識を深層で決定づけたのが別の「数」だった。分数と循環小数の出てくる単元で「0.999...=1」と教わった。経験上そうなる。皆様も覚えがあるだろう。1/3=0.333...で、それに3を掛ければ0.999...になる。これが不思議でならなかった。授業の後で先生に尋ねてみても、納得のいく答えは得られなかった。やがて機械状の数式記述が思考停止を根拠づけるための論理となって拡張して行った。そうした拡張自体に違和感を覚えたのは大学時代後半の事である。受験論理から脱落した瞬間がそこにある。

 そうした「受験系」の思考の在り方を、そのまま内包しながらアッサリ覆すのが小泉義之『ドゥルーズの哲学』(講談社現代新書)P.39~43の記述だった。ちと長くなるが、構わず引用してみよう。
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>無限級数
> 次のいささか奇怪な等式を例にとろう。
> 0.999...=1
> 留保抜きで断じておく。この等式は無意味である。0.999に続けて記号「…」を書き加えても、1に等しくなるはずがない。そもそも0.999と1は等しくないし、記号「…」には何の意味も与えられていないから、そんな無意味な記号を挿入したところで、等式が成立するはずがない。念を押すが、こんな等式は絶対に成立しない。
> それでも私たちは、この等式が成り立つと考えることがある。高校では問題なく成り立つかのように教えられて、私たちもそれを鵜呑みにする。ここで問われるべきは、そのとき何を鵜呑みにしているかということである。こう思っているはずだ。0.999に続けて9を書き加えると、それだけ1に近付く。0.999と1の間には差異(1-0.999=0.001)があり、0.9999と1の間には、別の差異(1-0.9999=0.0001)がある。0.9999に続けて9を限りなく書き加えると、限りなく1に近付く。限りなく1との差異を小さくとれるから等式は成り立つ。つまり記号「…」は、限りがないということ(可能的無限、無際限)を表すから、等式は成り立つ。
> この思い込みは間違えている。第一に、限りがないということは、終わりがないということだから、いかに多くの9を書き連ねても、さらに続けて9を書き加えられるということである。したがって、いかに小さくとも差異は消えないし、いかにしても等式は成り立たない。第二に、「近付く」という運動論的な概念が曖昧である。それを明確に定義するためには、距離(位相)を明確に定めなければならない。そのためには極限や微分や連続体を明確に定めなければならない。そのためには無限級数の意味を明確に定めなければならない。振り出しに戻るのだ。だから、この段階で運動論的な概念で納得しても、何も分かったことにはならない。結局のところ、9を限りなく書き連ねれば1に近付くと思うときには、密かに数直線を想像して、等号「=」を矢印「→」に置き換えて分かったつもりになっているだけである。9をいくら書いても1にはならないという直観を手放してはならない。
>
>極限と微分
> 先の等式が成り立つようにするには、聞こえは悪いが、デッチ上げが必要である。無意味な式に意味を賦与しようとするのだから、とてつもなく無意味な捏造が、デッチ上げの嫌疑を捻り切る捏造が必要である。
> 捏造の方法は簡明である。1が予め存在するからこそ、9を限りなく連ねても、差異は残ると考えるのだ。実際、1が予め存在しないとすると、当て所なく9を書き連ねることになる。どこに向かうのか分からぬまま書き連ねることになる。差異が限りなく小さくなるということも、距離が限りなく小さくなるということも分からなくなる。だから、1が予め存在するからこそ、限りないということに意味が賦与されると考えてしまうのである。もう一工夫必要である。当て所なく9を書き連ねているとき、限りない級数のその先に1が存在すると明確に分かるわけではない。しかし同時に、限りなく9を書き連ねられると思うとき、限りない級数のその先には、決して到達できない何ものかが存在すると、おぼろげに思うはずである。
> こんな思いを数学的に仕上げればよいのである。具体的には、無限級数に対して、当て所ない何ものかが存在するという証明を構成すればよい。無限級数を限りなく続けても絶対に到達できないもの、しかしそれが予め存在するからこそ限りなく無限級数を続けられるものを、極限と呼ぶ。いまの場合、無限級数0.999...は、極限値1に収束すると考えたい。
> では、0.999...=1が等式として成り立つと考えるとき、何を要請していることになるか。無限集合が存在すると要請して、記号「…」が無限集合を表すと要請している。無限集合とは、限りなく続くもの全体の集合である。限りがなく終わりがないにもかかわらず、その限りない進行が終わったかのように、限りなく続くものたちを統合する集合である。こんな途轍もない集合が存在すると要請しているのである。この要請を飲み込んでしまえば、後は簡単である。記号「∞」が無限集合を一意的に指示する名前であるとして、0.999...を0.999(∞)と考える。それから、無限集合を二つ持ち出して、両者の間で数が一つだけ定まると論証する。二つの無限集合による切断、すなわち、「∞|∞」における「|」が、一意的に数1を指定すると論証するのである。かくて、0.999(∞)=(∞|∞)=1となる。
> 次に微分は、極限によって定義される。正確には、無限級数の各項の差異の極限として、また、差異と差異の関係の極限として定義される。
> したがって微分は、差異と差異の関係を限りなく生産する場を表現することになる。だからこそ、放物線の微分方程式を解くことによって、相互に異なる無数の放物線を描き出すことができるのである。
> さて、ここで解釈が必要になる。極限の存在は、要請されているだけである。微分は、存在が要請された極限によって定義されているだけだから、微分の存在も要請されているだけである。さらに付け加えれば、数学的な連続体は、極限と微分によって定義されるから、連続体の存在も要請されているだけである。だから、極限、微分、連続体の存在の仕方は、理念的で潜在的である。現実的でも顕在的でもないから、理念的で潜在的でしかないのだ。となると、極限、微分、連続体については、たんなる捏造にすぎぬという嫌疑を晴らし難いことにもなる。そこで、それらのリアリティについて解釈する必要があるのだ。もちろんここで、捏造にすぎないと割り切っても構わない。しかしドゥルーズは、微分的なものは、たんに想像されたイマジナリーなものではなくて、要請されたものであるにしてもリアルなものであると解釈したいのである。それは、自然と生命を肯定的に認識するためにきわめて重要なポイントになるからである。
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 …この辺の記述(前半?)は何処かで引用した気がする。もしかしたら此処=天バカ板の過去ログにあるかも知れない。今の草稿用ファイル(一太郎)を「小泉義之」で検索しても発見できなかったが、その代わり別のボツ稿(未完)が見つかった。内容の大半は約十年前に書いた県教委宛長文書簡(?)の一部。これについては稿末で引用する。

 …先を急ぐ。
 紀元は二千六百年。あたしゃ数えた事はないけれど、天皇の代を逆算すれば古代に非現実的な寿命が出てくるらしい。数の捉え方を単純化すれば、天皇は間違いを内包する存在となる。嘘で塗り固められた国体に根拠などあるものか。科学的に見て間違ったものを維持して何になるのか。先ず改めろ。話はそれからだ。学校なら減点されるぞ。
 無謬性への信仰が一つの物語を作り出す時、無謬でない信仰は信仰するに値しない。それがいとも簡単に打ち砕かれた時、そうした現実は不条理の無謬性へと進化するだろう。不条理に包まれているからこそ、不条理の原因を破壊しなければならぬ。さあ、革命だ。改革だ。それを信仰せよ。たえず破壊し続ける事に改革の無謬性が宿る。改革してみてそれが間違っていると分かったら、また新たに改革すればよい。改革ばかり見て保守を見ない理性的な正義が理性的に陶酔する時、夢の様な幸福が陶酔の中で実現する。
 そう捉えるなら、左翼は明らかに理性的と云えよう。つまりそうした意味で「閉じている」。隠されたものを見ないまま現実に理想を持ち込み、無謬性の顕現から別の(=今の?)現実を追い出そうとするかの様に。そしてそれを教育現場に持ち込む。
 彼らが左翼かどうか定かでないが、少なくも約十年前の私は現実に不満や疑問を抱いていた。その記録を以下に披瀝する。…以前、別の箇所を此処=天バカ板に転載した(↓)。どちらも長いので、読めばさぞウンザリする事だろう。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=6538&range=1
 …てな訳で、以下蛇足。

(続く)
8【再掲】「恥を忍んで」02 ( 苹@泥酔 )
2012/01/26 (Thu) 00:31:16
7266 余談の余談の続きの蛇足 苹@泥酔 2008/08/22 02:44

 毒を食らわば何とやら、勢いで書かなきゃ書けなくなる。前稿(No.7264)は「これで一区切り」のつもりで書いたものの、書き忘れた事があったのを思い出したので「今度こそ最後」のつもりでまたまた追記(二度ある事は三…いや、なるべくなら避けたい)。

 「何でもあり」と「道一筋」はどう違うか。~今夜のネタはNo.7257とNo.7262の敷衍。
 様々な書風でしょっちゅう書き分けてるのは書道教員くらいのもので、大抵の書家は普通「自分の(属する社中の)書風」で書く。つまり異常なのは(世間的に見りゃ)書道教員の方なのだぁ。その上「どの書風でも書家並みの水準で書ける人」となると滅多に居ないし、現に私自身「出会った事は一度もない」(ここには「そもそも日展審査員クラスと出会う機会自体がない」って事情も絡むんだけど)。殆どの書家は一つの書風を極めようとするだけで手一杯。そして書道教員は「広く浅く」と「狭く深く」との間で常に板挟みとなる宿命にある。
 巷間には書道教員と書家を混同する人が少なくない。教育上「異常な宿命」の下にある書道教員が社中で活躍する…そんな姿を見れば混同するのも無理はない。と云うより「混同せざるを得ない」のかも知れない。例えば或る政治家が自民党と公明党と民主党と共産党と社民党に属していたらどうか。誰だって異常者か八方美人と思うだろう。池田大作と靖国神社と中国共産党に参拝する神経を想像できるか。出した例が不適切なのは分かっているが、不適切な捉え方には不適切な喩えが相応しい(かもよ?)。
 某先生が十数年前の正月、社中展を見に来た高校の同僚らしき人と何か喋っていた。その人は「先生だか書家だか分からんな」と言う。某先生は即座に「先生だよ」と応えていた。…私はこの遣り取りに潜む矛盾の恐ろしさがずっと気になっていた。書家にも書道教員にも「骨になる書風」が必要なのは分かる。骨抜きの「何でもあり」では困る。書家として振る舞う場所では教員としての抽斗そのものを隠すが、この抽斗なくして書家としての厚みは語れない。そうした経験があるからこそ、二足草鞋の教員は隠されたものに対して敏感となるのだろう。彼らは見えないものを見ようとする。しかしそれでもなお、展覧会では書家として振る舞わねばならない。書家として振る舞う場所にあって「先生だよ」と応える事の矛盾が、今度は逆に「骨を包み隠す」事になる。
 教員である事の皮肉が骨を包んで初めて皮肉骨適均する…と仮定するなら、剥き出しの骨を基準に教員の質を測るがごとき生体実験は残酷と云うより他なかろう。多分そこに書道教員採用試験を実施する意味がある。
 展覧会の実績は骨格標本の展示と大差あるまい。死者の骨格標本だけで評価するならまだどうにか割り切れる。書道教員を廃絶して、書教育を書家に丸投げすればよいのだから。これならわざわざ学校で書道を教える必要はない。バウチャー制か何かを導入して、生徒を学校から書塾に追い出せばよいのだ。するとそこでは学習指導要領の方が矛盾の一切合切を抱えて自爆する。書家に指導要領への準拠義務を課す方が異常となる。
 ここから逆に書道教員の在り方を剔出すると、その生々しき血肉は常に腐敗と隣り合わせになるだろう。生者の肉塊と死者の標本を天秤に掛ける場合、確かに後者は安定している。…この手の安定性は生者達の世界から孤立する。そして生者達は死者の復活を望まない。にもかかわらず指導要領上、死者はゾンビとなって復活する事になる。生者としての復活が否定されたら死者はゾンビになるしかないし、復活そのものを否定するなら学校の書道カリキュラム自体を葬るしかない。ここではナチス然とした「文化の最終解決」が問われているのではなかろうか(「反日実験人格」でない方の苹が学校と県教委を敵視するかの様に振る舞うのは、そうした事情あるがゆえである)。


(更に余談)
 鑑賞眼を重視するなら書道教員には優れた作品を書く実力が求められるし、具体的指標としては「日展入選」レベルの経歴があらまほしきもの(青森なら毎年数名入選、ただし通常は全員が高齢リピーターだから県教委は事実上正規採用不可能w)。…見る人が見れば技能水準は一目で分かる。しかしそんな鑑賞眼の持ち主が教員採用担当者の中にどれだけ居るかは心許ないし、下手をすると特定流派に偏った人材選別がなされる結果、コネ採用の最も不穏当な部分を治外法権の状態に置く事となる。
 流派とは大概そういうものなのだろう。嘗ては地域に密着した稽古事の代表格で、その名残が今も根強く定着している。幕末・明治もそうだった。しかし当時は門流の分化がさほど進んでおらず、こちらの田舎では教科書自由出版制時代の系統と国定手本時代の系統がそのまま地域密着の門流と重なっていた。そうした準‐未分化時代の地域定着傾向を書流分化時代が承け継ぎ、文検全盛期には流派側の師匠が教員を兼ね、敗戦後は書教育そのものが占領政策で廃止に至る。つまり地域文化としての流儀書道は残ったが、学校教育の書道は壊滅した訳だ。県教委は書教育復活後の正規教員採用試験実施を自粛し、その影響が半世紀以上を経た現在も残っている。ここ数十年は大学の教員養成システムを経た人材が、地域密着型流儀書道により鋳直される形となっている(見方次第では「教員教育の歪曲」となるあれこれを背後で支援してきたのが「畑違いの職場管理職達」…この手の話は昨今の教育委員会不要論の下部レイヤーに相当するのかも)。
 「これではいけない」との問題意識があったかどうか定かでないが、ともかく大学側は国語教育の傍系で流派の先生を講師に招き入れた。流派が大学教育を牛耳れば一切合切が解決する。流派による大学教育側の自己限定が地域の特徴を他の地域から切り離した後、やがて大学側が共通一次やセンター試験に寄生する形で全国規模の公平な入試選抜を偽装する様になる(この件については若干の情報を十数年前に得ているので、いつか支援板で詳しく書いてみたい)。

 てな訳で、今回はこれにて打ち止めの予定。(折を見て、支援板へのリンクも予定。)



7317 あけおめ、ことよろ。 苹@泥酔 2009/01/02 01:11

 ミーの本来なら爽やかな筈の元日の朝は、(何度もショックを受けたんでよく覚えてないけど)あれは日テレ系列の番組だったかな、ピチピチ女子高生がいっぱい出たよ♪(それにしても…書道部の印象は普通ネクラでオタっぽいブス寸前が多い筈なのに、なぜ美女ばっか出てるんだ?)
 差し当たり暴言陳謝(平伏)。…とどのつまりは全国各地の書き初めネタだが、多くの人がイメージするだろう中身とは全然趣向が違う。ここ数年あちこちで盛り上がりつつある「パフォーマンス書道」ってやつで、「躍り食い」ならぬ「躍り書き」がちょいとばかりセクシー(?)だったりするもんだから、二日酔いの私に一発かますにはそれこそ充分だった訳だ。
 そこで取り敢えず感動まんまの記念カキコ。年始の挨拶を兼ねて、セレブ奥様んとこに書いたのを転載してみる。書いた場所が場所だから結局は西尾ネタと絡めたオチになるんだけど、時系列上では前稿(No.7301)で転載したのを書いてる途中の挿話にあたる。…ま、要はありきたりの正月ネタって事でござんす。
 なお、連ねるツリーは前稿の後でなく、夏に書いた書道ネタの方にしとくわ。

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 今度こそ非表示余談(駄文の連続でセレブ奥様、ウンザリしてたらゴメン…汗)。
 禅林墨蹟を見ると、起筆の際には時折飛沫がある。中には豪勢なのもあって、大抵は大字ばっか。それらの影響あっての事か、昨今は書道パフォーマンスでバカでかい筆を用いる傾向が流行りらしい(機会あらば只今発売中の季刊『墨』195号P.132を参照されたし)。昨昼も一昨夜もBS日テレで「キズナのチカラ」第16回(↓)を流してたと思ったら、昨夜は駄目押しに「NHKよ、オマエもか」(笑)の体となっていた。こっちの再放送は来週土曜午前だそうな。番組名は「ヒミツのちからんど」(↓)。柿沼氏の模範揮毫は「力」第二画の中鋒が本格派の面目躍如。
http://www.bs4.jp/entame/kizuna/oa/thisweek/index.html
http://www.nhk.or.jp/chikaland/yotei/index.html
 ところで~産経サイトの教育欄に、見方次第では稍やトンチンカンと映る記事がある(↓)。「精神の変質」に横書きが絡む云々。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/081113/edc0811130803000-n2.htm
 分からぬではないが、それと似通ったレベルで云うなら飛沫もまた同工の筈。…大字を書く時、勢いよく起筆すると飛沫が生じる。つまり筆を「外から内に持ち込む」メカニズムに於てのみ飛沫が語られがちとなる。これは非常によくない。黒船指向、受け身の指向が、飛沫に籠められた魂の戦慄きを根本から牛耳っている。
 禅林はさにあらず。例外はあるが、抽象的に云うと抑も飛沫は筆の「しくじり」と相似たり。それを丸ごと受容するから、却って「全体が内から発する」。外から持ち込むのではない。内側からの発露に飛沫が伴う。その点を根本的に誤解させる教育が書道界でも跋扈している(それと似通った歪曲事例は自衛隊や政界の周縁でもある模様)。
 具体的に云うと、起筆の際に筆鋒が屈曲して弾力を蓄える。それが次の送筆に移る時、しくじると筆尖が余りの送筆の動きに耐えきれず跳ね返る。…地震メカニズムの説明図を見ると、プレートに引きずり込まれた岩盤が跳ね返るだろう。あれと同様に筆尖が元に戻り、その際に飛沫が「内から飛ぶ」。外から持ち込まれる時に飛ぶのではない。次の送筆動作に移るからこそ、筆尖が「逃れようとして」外へと飛ぶ。そこには先ず魂プレートの求心的作用がある。これを欠いた書は根本的な筆力を欠く。飛沫に囚われて筆の方向を失うと、却って精神の変質を招く羽目になる。
 その点、西尾先生の筆力には魂プレートを体現するかの様な強靱な戦慄きが感じられる。それが読者を自然に保守の渦へと巻き込むのだろう。禅林墨蹟の最も肯定的な「しくじり」には西尾先生の代表作と同様、淡々とした伝統と素心が一見相反したまま同居しているかの様に思える。たといそれが福田先生とは別の帰結に至るとしても、飛沫に惑わされて動きを見失う様では「読者として」の沽券に関わる(なんのこっちゃ…汗)。
 次回コメントは、『WiLL』新年号の拝読後とする予定。
2008.11.17 (00:58) / / [EDIT]
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7318 あお、こよ。(更に略^_^;) ミッドナイト・蘭@職場 2009/01/02 07:49
男性 会社員 A型 東京都
>  ミーの本来なら爽やかな筈の元日の朝は

ミーに笑いました。
私は大晦日仕事納めで、本日仕事初めです(^_^;

まっ、まあ、「甘噛み!天才バカ板」のほうで<ナカデミー賞>を発表しているのでお読み下さい(o^_^o)



7584 石原都知事は非正規雇用九割を黙認? 苹@泥酔 2009/07/04 02:12

●二つの記事から
 「学校で何を学ぶのか」が揺らいでいる。歴史と伝統を継承し発展させる…などと云えば聞こえはよいのだろうが、現実味は乏しい。そこで先ずは朝日の記事から(↓)。
http://www.asahi.com/national/update/0623/TKY200906220340.html
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>>仕事直結の授業中心、「新大学」創設へ 中教審の報告案2009年6月23日3時0分
> 中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)は22日、会議を開き、職業教育に絞った「新しい大学」を創設する方針を打ち出した。教養や研究を重視する今の大学・短大とは別の高等教育機関(新学校種)。実務の知識や経験、資格を持つ教員が職業に直結する教育を担う。実現すれば、高校卒業後の学校制度が大幅に変わることになる。
> これまでの議論では、新大学の名称は「専門大学」「職業大学」などが考えられている。報告案によると、新たな教育課程は、実験や実習など仕事に直結する授業に重点を置き、割合として4~5割を例示している。このほか関連する企業での一定期間のインターンシップを義務づけ、教育課程の編成でも企業などと連携する。修業年限を2~3年または4年以上を考えている。
> 中教審での議論は、就職しても早期に仕事をやめる若者が増えていることや、かつてと仕事内容や雇用構造が大きく変わったことから始まった。この過程で、一般(教養)教育や研究に多くの時間を割く、これまでの大学と目的が異なる新たな高等教育機関の設立が具体化してきた。
> 今後の議論を踏まえて方針が了承されると、文科省が制度設計の作業に入る。設置基準などの仕組みができれば、新大学への移行を希望する専修学校(専門課程)などが集まるとみられる。
> ただ、現状の専修学校の制度は、私学助成対象とならない代わりに設置基準が緩く、自由な運営や教育ができる。また新大学が、地域の大学や短大などと競合する場合もあり、反発が出る可能性もある。22日の会議でも「現行の大学にも多様性があり、議論は尽くされていない」との反対意見が出た。中教審は今夏をめどに報告をまとめる方針だ。(編集委員・山上浩二郎)
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 「大学」という呼称には奇妙な魅力を感じる。学問の頂点に権威を垣間見たり、受験競争を勝ち抜いてきたプライドが社会的地位と連動したり。それは「資格」以上の何かとなって、自らを枠組みもろとも差別化する。私の様に、例えば専門学校と専修学校の違いに鈍感なら尚更、この「大学」というイメージはいっそう超俗的に聳え立つのだ。大学と大学院の違いなんかどうでもよい。
 この超俗的イメージが大学から抜け落ちつつある。これを教育の劣化と結びつける向きも多い。修業に予め超俗を前提し、そこから還俗して初めて立派な社会人と云えるかのごとく見るならば、「ブランドとしての大学」と「大学のブランド」の相互補完関係により守られてきたものが大学以外の教育を吸い寄せるのは或る意味「自然な成り行き」なのだろう。
 ここでは「超俗」と「還俗」、二つのキーワードを提示して置く。中教審の議論は、専修学校と大学の地位がそれぞれ教育目的から乖離していくかのごとき有様と関わる。それを今一度の「大学化」により引き戻そうとしているかの様に見えるからだ。

 次に産経記事(↓)。
http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/090624/imp0906240843001-n1.htm
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>>【断層】大月隆寛 大学最前線の現実
>2009.6.24 08:43
> 大学もやっと世間並み、のようです。中身じゃなく、このところの淘汰(とうた)再編の顛末(てんまつ)です。
> 上から下まで、少子化に伴う構造的な経営危機が平等に襲来、「ゆとり教育」の弊害による「学士力」の低下、ロースクール以下考えなしの大学院改革から、特亜限定かのごとき大盤振る舞いな留学生政策に至るまで、文科省のやることなすこと全て裏目の自爆の連鎖、そしてここにきて、おそらくは業を煮やした財務省じきじきの大々的な経費削減の大号令…とまあ、どっちを向いても斜陽業界には断末魔の兆候だらけ。もっともらしい批判や提言は一層花盛りで、船頭多くして何とやら、ますます事態は混迷を深め、最前線は各個に孤立、補給もないまま枯れてゆくところまで、ああ、見事に昨今のニッポン社会、「戦後」の清算過程の縮図です。
> 地方の大学に身を置く余録で、それら大本営発、上から目線なもの言いとは別の風景も日々目の当たりに。学費を払えなくなる学生が静かに増え続け、奨学金を親が生活費として流用する例も珍しくない。高卒での就職が難しい分、商工業系の高校、急増したフリースクールや通信制高校からも進学希望者は当面微増の一方、これまで何とか維持されていた「大学」への期待に翳(かげ)りがありあり。いまや三年の今ごろから「就活」で、学生らしい期間はほぼ二年、かつての教養課程程度。「初年次教育の充実」てな能書きと共に「ゆとり教育」の尻ぬぐいまで全部現場にまわしていただくかたじけなさ。「豊かさ」のなれの果て、大学進学率50%超えの現実とは果たしてどのようなものか、つぶさに見聞させていただいている昨今であります。(札幌国際大学教授)
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 仙人なら霞を食って生きていけるかも知れないが、そんな超俗・脱俗の心境にはなれそうにない。…わざと曲解するなら、多分そんなものは要らない。仮に超俗を「世間知らず」、脱俗を「引き籠もり」と言い換えるなら、大学生がニートや犯罪者になるのは必ずしも不自然ではなかろう。世間はそんなに甘くない。大卒や院卒の肩書きで食っていけるなら誰も苦労しない。或いは大学もまた、変人を淘汰する段階に来ているのかも知れない。…いや、それよりは解釈の変更により「変人の再生産」に取り組む方が話は早いのかも(例えば「マルクス主義者は時代遅れの変人」とか)。大学は変人を生産しつつ、変人の生きにくい場所へと生まれ変わる。
 ちょいとばかり視線をずらして、仮に「超俗の目的は還俗」としてみよう。オウム信者の大学生が超俗に魅入られたのなら、真面目な信者ほど還俗へのアンチテーゼを抱え込む事になるだろう。「学生を取られてなるものか、いっそ大学が開き直れば~」との思いが潜んでいるかどうか定かでないが、ともかく大学が超俗への指向をかなぐり捨てれば「超俗の共犯関係」(?)を背負わずとも済む。するとやがて教育産業は下から上へと浸透し、更なる経営努力が重視されるに至って、学問は「精神の海外」に向かっていっそう超脱していくだろう。或る俗世間から別の俗世間へと超脱していくプロセスを遊牧的と形容するなら、そうした在り方の典型は私の場合、なにやら移民の様な在り方と重なって見えてくる。場所から場所への移民ではない。場所が同一でも「精神の移民」は可能である。
 例えば移民国家アメリカでは、これまで何度も国内移民を繰り返してきた。見方を変えれば奴隷貿易も西部開拓も移民だろうし、第一次世界大戦で労働力不足が起きた時は農村部の黒人が都市部に移民した。近年では台風被害の甚だしき黒人都市で人口流出が起きた様だが、これも大袈裟に云えば移民。~ここでは「移民」の概念を集団的視点から個人的視点に変換しないと多様性が量的にも質的にも宙に浮き、概念自体が言葉から逃走・分散してしまう。そうした意味では所謂「頭脳流出」もまた、或る「移民」の形と捉えるべきだろう。ここでは「移民」状の群れが貨幣の様に流通し、なおかつ場所の中身を両替する。


●公教育再生と公務員改革
 都議選が始まる時節、これもまた産経(↓)。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/090622/edc0906220256000-n1.htm
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>>【主張】教員確保策 こんな競争は歓迎したい
>2009.6.22 02:56
> 東京都教育委員会が、教員採用試験にあたって地方の教委と提携を進めるなど、意欲的な試みを進めている。授業が面白い、指導力のある先生が増えることは公教育再生のカギで、全国規模での工夫を歓迎したい。
> 東京や大阪など大都市圏はいま「団塊の世代」教員の退職期にあたり、新規採用数が増え、人材確保が大きな課題となっている。小学校教員を例にとると、昨年の競争率は東京で2・5倍など、首都圏は軒並み3倍を切り、質の確保に懸念がでているという。
> 一方、地方では東北、九州などで10倍を超える県は珍しくない。団塊の世代の退職者が少なく、民間企業も限られていることもあって、教職は狭き門だ。
> 教員採用試験は都道府県などで別々に行われている。都教委などは地方で試験会場を設け、優秀な学生の獲得に懸命だ。
> 都教委の新たな採用策は、地方の教委と協定を結んで試験問題を一部共通化し、地元の1次試験に漏れた学生でも、都教委の2次試験を受けられるようにするものだ。来年夏の採用試験から導入を目指しているという。
> 地方の高倍率の1次試験で、わずかな点差で落とされた学生の中には、教員として十分な資質をもつ学生も少なくない。人材確保策として有効といえる。
> 「教員争奪戦」という言葉も生まれている。大都市圏への人材の一極集中を危惧(きぐ)する意見もあろうが、都教委は採用後に東京で一定期間経験を積んだ後、地元に帰れる制度も検討するという。実現すれば人材交流など、教員の育成面でメリットは大きいはずだ。
> 良い先生を増やす方法は、採用だけにとどまらない。教員養成も大学だけに任せず、教職を目指す若者を対象に、自治体独自の実践的な「師範塾」などを開いて育成する教委もある。
> また優秀な教員を特別に「スーパー教師」などに認定し、待遇面も含め評価する制度を導入する教委もでてきている。教職につく魅力を高める努力が必要である。
> 大分の教員採用汚職事件が発覚して1年がたつ。各教委は試験の透明化を進めたが、力のある教員の育成にはまだ改善の余地が大きい。今年度から教員免許更新制も始まった。10年ごとに講習を受け指導力向上を図るねらいだ。国も各教委も、競い合って優秀な教員を育ててもらいたい。
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 この手の競争は観点次第で変わる。霞を食って生きる仙人教員が求められている(?)なら尚更そうだろう。嘗てそこにあった超俗の場は既に古びている。その典型が「古びているがゆえに追い出される」としたらどうか。
 東京都教育委員会の管轄…と捉えて構わないなら、都立高校の教員分布には興味深いデータが見られる。なんと、芸術科書道担当の臨時講師が一人も居ないのである。その代わり専任教諭が一名、兼任教諭が一名、非常勤講師が百二十名。これが都立高校全部を調べた結果だそうな(後述)。
 すると産経記事への見方が変わってくるだろう。一方には非常勤講師で間に合っている科目があり、一方には極端な人材不足に陥っている科目があるらしい。…この落差、余りにも極端ではないか。都立高校全部を合わせても書道教諭は二名で足りる(?)のに、猫も杓子も都会では教員不足だと騒ぎ立てる。そこにはどんな魂胆があるのだろうか。もしかしたら正規教員は、どの科目でも不足して居ないのではないか。むしろ教諭のポストが過剰なのではないか。教諭を減らして非常勤講師で間に合わせればよいではないか。しかしその非常勤講師が足りない(?)から教諭のポストを餌にする。表向きそう見えてもおかしくなかろう。
 実際、現場で不足しているのは教諭でなく講師の方らしい。偶々録画してあったNHK「クローズアップ現代」No.2655も、タイトルは「教育に穴が空く~“非正規”教員依存のひずみ~」だった(ただし番組内容は広島の事例)。通常は教員採用試験で正規採用された合格者が教諭になる。また不合格者にも実務への門戸は開かれており、講師採用の希望を出せば相応の人数が現場に入っていく。つまり~便宜上ハローワーク風の語彙を用いると、就職希望者数が求人数を下回らない限り量的な影響はない。
 すると残るは規定量の範囲内での質的区分。これをテストの評定に見立て、仮に教諭を評定5、臨時講師を4、非常勤講師を3としてみよう。相対的に「評定5」のポストが増え過ぎた分を4や3の頭数から移す場合、その分が減れば人材不足に見えるのは当たり前だし、教員の質の低下を憂慮したくなるのも分からぬではない。他の不合格者(評定で云えば2や1に相当)を頭数に入れないから「人材不足に見える」面もあろう。そして実質的には5の仕事を4もこなす。かてて加えて財政不足。この辺の事情は教員以外の公務員でも似たり寄ったりである。ならば「教員が足りない」は「公務員が足りない」キャンペーンのモデルケースともなり得る筈。現在は公務員社会にも教員社会にも、人材派遣業を含めた或る種の「垂れ流し」システムが入り込んでいる(No.7164中のリンクやNo.7410中の朝日記事を参照)。
 記事の方には「教員争奪戦」云々と書いてあるが、「公務員争奪戦」てぇのはあり得るのか。例えば夕張が全国から優秀な公務員を掻き集めるとする。給料が安く割に合わない。地元からの雇用は減り、土着民と余所者との軋轢も生じる。なんなら正規の公務員採用人数を減らして、その分を「派遣切り」の救済に回してみるか。これなら受験資格も緩和できるし、民主党あたりなら「正規の公務員でないのだから日本国籍でなくても構わない」「先ず現場に親しむ事が肝腎」などと言い出してもおかしくなさそう(なにしろ「日本は日本人だけのものではない」だもんね)。
 日本人の英語教諭を減らしてネイティヴの英語指導助手(ALT)を増やす様に、全方位的に非常勤の専門家(?)を現場投入すればどうなるか。常勤では学校や官公庁が乗っ取られかねない。そこで例えば学校では、担任や校内分掌を任せないために総て非常勤講師とし、校務分掌に関与する常勤の臨時講師を絶滅する。とどのつまりは「学校運営に携わる正規雇用者」と「下請けの非正規雇用者」との二極分化方針とする訳だ(官僚に喩えるならキャリア組とノンキャリア組)。
 たぶん都教委は、私の想像以上に物事をシビアに捉えているのだろう。犠牲になるのは専門家=請負職を中心とするインテリ底辺層であり、総合職(官僚?)が専門分野を支配する構造は何ら変わらない。ゆえに私は疑問を呈する。「石原都知事は非正規雇用九割を黙認?」と。


●拾遺
 前々から何度も書いている事だが、こちら青森では「教育に芸術は必要ない」と明言した管理職が居た(後に弘前市教育長となった)。東京にもそれと似通ったメンタリティがあるのかも知れない。国語の枠組みで書写・書道の実技試験等々を実施する手もありそうではあるが、芸術科書道と国語科書写では縄張りが違うので、高校では自ずと教員採用試験そのものが実施されなくなるのだろう。現場は現場で非正規の講師を雇うしかない。青森の場合は暗に国語経由の裏口採用方式を奨励しているが、東京では教諭になるための門戸を開かないのが都教委の方針、現場の常識、伝統である。長崎や鳥取も四十年近く実施していなかったが、どうやら鳥取は改心(?)したらしい。
 かれこれ七、八年くらい経つだろうか。天来書院サイトの付属掲示板で話題にしてみた事がある。すると斯界ではそこそこ名の知られている筒井茂徳氏が実名投稿、東京都でも採用試験を実施した事があるそうな。当時の私は2001年刊の『墨』148号(芸術新聞社)P.195を見て驚いていた。神戸大学の魚住和晃教授が「東京都が戦後一貫して高等学校の教員採用試験において、「書道」に門戸を開かなかった」云々と書いていたので真に受けた訳だが、筒井先生がそう云うからには何かあるのだろうと思わぬでもなし。~本人に迷惑がかかるかも知れないので念のため書いて置く。筒井氏と掲示板上で遣り取りしたのは、後にも先にもこの一度だけだった。
 そんな経緯があるものだから、「書道美術新聞」917号(2009.6.15付)3面全文を転載せずには居られない(↓)。記事左隣には都道府県別の一覧表がある。
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> 今夏に実施される全国の公立高校における「書道」教員採用試験(平成二十二年度採用)が、近年では稀な規模の一五府県で実施されることが話題を呼んでいるが、一方で「なぜ一五府県だけなのか」「他の都道府県はどうなっているのか」とする素朴な疑問の声も改めて高まる気配だ。
> そこで、現代の「書道教育」の主戦場ともいうべき全国の高校書道教育現場における講座開設状況や担当教員の専任化率等について、公・私立の二回に分けて全高書研(全日本高等学校書道教育研究会)調査部の実態調査資料と、美術新聞社の独自取材をもとにレポートする。
> まず、公立高校(全日制、定時制、通信制、単位制)の合計数は現在、全国で四、六〇五校。ピーク時は五、五〇〇校を超えるといわれたことからすると、近年の市町村合併や少子化の影響でこの二〇年前後の間に約一、〇〇〇校減った勘定。このうち「書道」の開講数は三、三一八校で、「書道開講率」は七二・一%となっている
> この「書道」開講数は、校数の減少ほどには減っていないとされるが、都道府県別に開講状況を見ていくと、まず規模的には全国最小ながら全国唯一、一〇〇%を保っているのが鳥取で、次いで新潟、熊本、鹿児島、大分、富山、和歌山などが九〇%以上の開講率となっている。一方、開講率が低いのは長崎、愛媛、群馬、宮城で、いずれも三〇%台という状況。
> 次に「書道」の担当教員を見てみると、専任教員は全国合計で八八七名に留まっており、この「充足率」は、わずかに一九・三%という低い数値となっている。この専任教員数の推移を見ると、平成十六年度の一、〇五一名から、十八年度一、〇一一名、二十年度八八七名と、漸減傾向に歯止めがかからない状況となっている。
> なお、都道府県別では、最も専任教員数が多いのが埼玉で、開講一九八校に対し専任一一三名、「専任化率」は五七・一%。これに大阪の四二%が続き、以下、千葉、長野、和歌山、熊本となっている。これに対し「専任化率」が低い筆頭は東京で、専任教員数はわずかに一名(〇・四%)。次いで島根の一・八%から、岐阜、長崎、沖縄、山口、石川などの順となっている。
> 特に東京は、二六二校もの都立高校を擁しながら専任教員と兼任教員が驚きの各一名というのは、まさに異常事態というほかないだろう。ほぼ全面的に非常勤講師で充当しているという現状は、芸術教科を「軽視」した人事としかいいようがないと思う。石原都知事に対して、声を揃えて公開質問状でも出してはどうだろうか。
> それにしても、こうした状況を打開するために、「書道」教員の「専任化率」の全国平均一九・三%を、仮に一〇ポイント引き上げるとすれば四六一人の新規採用が必要となり、仮に全国で埼玉の「専任化率」の水準を実現するには一、七四二人の新規採用が必要となる計算で、現状とのギャップは余りにも大きいといわねばならない。
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●全国高校書道/開講状況・担当教員数(公立編)【20年度調査】
…都…∥……………公立高校………………|…………………………公立高校………………………………|採試
…道…∥………………書道…………………|…………………………書道担当………………………………|…実
…府…∥……………開講状況………………|……………………………教員数………………………………|…施
…県…∥学校数…|開講数…|…開講率…|専任…|専任率…|兼任…|臨時…|非常勤…|…計……|…回
………∥………計|…………|…………%|………|………%|………|………|…………|…………|…数
北海道∥…三一六|…一九五|…六一.七|…四七|一四.九|…五四|……四|……四九|…一五四|…〇
青森県∥……八一|……五一|…六三.〇|……六|…七.四|……三|……二|……一五|……二六|…一
岩手県∥……八二|……六一|…七四.四|…一七|二〇.七|…一一|……〇|……三三|……六一|…九
宮城県∥……八九|……三五|…三九.三|……四|…四.五|…一三|……二|……一〇|……二九|…〇
秋田県∥……六三|……二六|…四一.三|……六|…九.五|……七|……五|………九|……二七|…〇
山形県∥……七〇|……五〇|…七一.四|…一三|一八.六|……二|……三|……一一|……二九|…二
福島県∥……七九|……三七|…四六.八|…一四|一七.七|……二|……四|……一七|……三七|…〇
茨城県∥…一〇九|……五三|…四八.六|…一八|一六.五|……八|……八|……一九|……五三|…二
栃木県∥……七四|……四二|…五六.八|…一二|一六.二|……四|……二|……三〇|……四八|…一
群馬県∥……九六|……三七|…三八.五|……八|…八.三|……五|……二|……二四|……三九|…〇
埼玉県∥…一九八|…一三八|…六九.七|一一三|五七.一|…一一|……四|……五九|…一八七|…八
千葉県∥…一八〇|…一四九|…八二.八|…七二|四〇.〇|…二二|……二|………五|…一〇一|…四
東京都∥…二六二|…二二二|…八四.七|……一|…〇.四|……一|……〇|…一二〇|…一二二|…〇
神奈川∥…一八四|…一三〇|…七〇.七|…一七|…九.二|……八|……四|……五七|……八六|…〇
新潟県∥……九七|……九四|…九六.九|…二六|二六.八|……四|……〇|……四三|……七三|…三
富山県∥……四八|……四四|…九一.七|……五|一〇.四|……四|……一|……二二|……三二|一〇
石川県∥……七六|……五五|…七二.四|……六|…七.九|…一二|……一|……二七|……四六|…〇
福井県∥……四一|……三三|…八〇.五|…一〇|二四.四|……四|……〇|……一七|……三一|…六
山梨県∥……四二|……三七|…八八.一|……七|一六.七|……一|……〇|……二八|……三六|…三
長野県∥…一〇六|……八四|…七九.二|…四二|三九.六|…二六|……九|……一四|……九一|…一
岐阜県∥……九四|……六三|…六七.〇|……五|…五.三|……六|……四|……五一|……六六|…一
静岡県∥…一二八|…一一一|…八六.七|…二一|一六.四|……五|……六|……五一|……八三|…一
愛知県∥…二〇三|…一六八|…八二.八|…一二|…五.九|……〇|……一|……九七|…一一〇|…〇
三重県∥……九一|……七三|…八〇.二|…二〇|二二.〇|……八|……三|……二九|……六〇|…〇
滋賀県∥…………|…………|……………|………|…………|………|………|…………|…………|……
京都府∥……七二|……五三|…七三.六|…一三|一八.一|……九|……二|……一八|……四二|…〇
大阪府∥…一八一|…一六〇|…八八.四|…七六|四二.〇|……一|…一四|…一〇五|…一九六|…三
兵庫県∥…一八六|…一六二|…八七.一|…四二|二二.六|…一一|……九|…一一九|…一八一|…〇
奈良県∥……三九|……三〇|…七六.九|…一七|四三.六|……〇|……五|……一三|……三五|…〇
和歌山∥……五二|……四七|…九〇.四|…一八|三四.六|……〇|……五|……二一|……四四|…五
鳥取県∥……二八|……二八|一〇〇.〇|……四|一四.三|……一|……三|……一三|……二一|…八
島根県∥……五六|……三四|…六〇.七|……一|…一.八|……一|……二|……三三|……三七|…三
岡山県∥……九二|……六二|…六七.四|…一九|二〇.七|……六|……二|……一七|……四四|…三
広島県∥…一四六|…一一三|…七七.四|…二四|一六.四|……八|……〇|……三〇|……六二|…二
山口県∥……九三|……六四|…六八.八|……六|…六.五|……五|……〇|……一六|……二七|…一
徳島県∥……六二|……四二|…六七.七|…一四|二二.六|…二八|……一|………七|……五〇|…一
香川県∥……五一|……三六|…七〇.六|…一三|二五.五|……六|……三|……一一|……三三|…二
愛媛県∥……六九|……二六|…三七.七|…一四|二〇.三|……五|……〇|………七|……二六|…四
高知県∥……五八|……四三|…七四.一|…一四|二四.一|……六|……一|……一八|……三九|…五
福岡県∥…一九四|…一一九|…六一.三|…三八|一九.六|……七|……〇|……四六|……九一|…〇
佐賀県∥……四四|……三二|…七二.七|…一一|二五.〇|……〇|……七|……一二|……三〇|…五
長崎県∥……七二|……二六|…三六.一|……四|…五.六|……一|……一|……二〇|……二六|…一
熊本県∥……五〇|……四七|…九四.〇|…一七|三四.〇|…一三|……七|……二一|……五八|…三
大分県∥……五一|……四七|…九二.二|…一二|二三.五|……四|……五|………九|……三〇|…二
宮崎県∥……四九|……二九|…五九.二|…一一|二二.四|……〇|……三|………四|……一八|…四
鹿児島∥……八二|……七六|…九二.七|…一三|一五.九|……〇|……八|………三|……二四|…三
沖縄県∥……六九|……五四|…七八.三|……四|…五.八|……一|…一一|……二一|……三七|…一
…計…∥四六〇五|三三一八|…七二.一|八八七|一九.三|三三四|一五六|一四〇一|二七七八|……
※採試実施回数は過去10年間の合計回数
(情報源/『書道美術新聞』平成21年6月15日付)

 前に何度か支援板で、高校教員採用試験の実施状況などの一覧表を同紙から引用した事がある(↓)。以下、参考まで。
http://f35.aaa.livedoor.jp/~masa/c-board358sp2c/c-board358sp2c/c-board.cgi?cmd=one;no=2078;id=
http://f35.aaa.livedoor.jp/~masa/c-board358sp2c/c-board358sp2c/c-board.cgi?cmd=one;no=2980;id=
http://f35.aaa.livedoor.jp/~masa/c-board358sp2c/c-board358sp2c/c-board.cgi?cmd=one;no=3179;id=
 同紙の発行元は萱原書房(美術新聞社)。数年ぶりに覗いてみたらサイトをリニューアルしていた(講読してみたい人は各自勝手に検索してくれぇ)。…次号には「私立編」が載る予定らしい。こちら青森の様な公立校中心の田舎と違って、たぶん都会の方々にとっては興味深い記事となるのだろう。
8【再掲】「恥を忍んで」01 ( 苹@泥酔 )
2012/01/25 (Wed) 00:55:53
 新稿が仕上がるまで暫くの間、旧板No.7240に始まるスレッドを転載する。

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7240 業務連絡 しおりさんへ ミッドナイト・蘭 2008/08/11 22:33
男性 会社員 A型 東京都
現在の、私の職場の先輩のお父さんは、書道の教科書を作っていた方だそうです。

今日、営業途中の移動の車の中で聞きました^^



7241 取り敢えず、レス。 苹@泥酔 2008/08/13 00:21

 蘭様から会長様へのレスがあった時に何か書こうかと思ったけど、一日したら森様のが出てたんで取りやめた苹であった(汗)。

>現在の、私の職場の先輩のお父さんは、書道の教科書を作っていた方だそうです。
 なんか興味深い話ですね。思い当たる年代は今井凌雪・青山杉雨などの先生方が数十あるけど、それらの方々より若い世代が父君ではないんだろな(還暦を過ぎてからの子作りは想定しないで置く)。…まだ御存命かな、それとも物故者かな。生きてたら支援板の拙稿に感想を頂戴したいが…たぶん大半がインターネットとは無縁だろ(orz)。



7247 Re:書道の教科書を書いたかた 蘭@携帯 2008/08/15 09:25
男性 会社員 A型 東京都
その方に聞いたところ、お父さん(亡くなっています)は無名だけど、その先生は有名だとのことです。
純粋に、書したものが使われているだけのようです。
あまり詳しく聞けない間柄なんですよ(^_^;



7257 レス&呪い 苹@泥酔 2008/08/16 21:49

(レス~或いは追憶)
>純粋に、書したものが使われているだけのようです。
 …て事は、載っているのは作例の見本ページかしら(高校教科書の場合)。調和体なら青木香流とか中野北瞑とか、漢字なら貞政少登とか新井光風とか、仮名なら井茂圭洞とか日比野光鳳とか(以下略…作例写真では落款を省略する例が少なくないし、中にはそれらと別に「生徒偽装」落款の作例もある)。どの教科書も監修や編集なら明記してあるけど、作例の筆者名は省略するのが普通みたい(ただし高村光太郎や会津八一などの半古典扱いは除く)。
 監修・編集に携わった人の作例が消えていったのはいつ頃からだろか。鈴木翠軒や伊東参州の教科書には監修者本人のがいくつか載ってたけど(昭和四十年代)、昭和末期以降は気のせいか分かりにくくなったなあ。(単に落款を入れてないだけの話かも知れないが。)
 尤も~中には、展覧会作品とは別人の様な字を書く人も居るわいなあ。このタイプは書写教科書に多い。翠軒や天石東村はともかく、青山杉雨あたりが典型的な類か。…と書いたら思い出した。大抵の書家は「書ける書風」の幅が広いのよね(公然と発表こそしないものの)。これは高校教員レベルでも同様。「まさかアノ先生が××流ばかりでなく××流も書けるとは思わなかった」ってケース、現場では少なくないんじゃなかろーか。斯く云う私も、在職当時は日下部鳴鶴・鈴木翠軒・木村知石・手島右卿・西川寧・上条信山など十数名分の書風を気分次第でしょっちゅう書き分けてたもん。
 ~例えば高校一年の楷書授業。張猛龍碑の臨書作例を出す時は信山や鳴鶴などの書法を例示して、撥鐙法の逆筆で刷毛状に筆鋒を開く手口とか、廻腕法の骨っぽさでカックンと肩越しに筆を下ろす手口とか(これは隷書の三節法を木簡書法と差別化した後の方がやりやすいんだけど)、他には比田井天来の俯仰法が陥りがちな軟弱さを克服するための裏技とか。指導法を工夫・拡張するのが面白くて仕方なかった当時が妙に懐かしく思い出される(専門的な事を書けば際限がなくなる…汗)。

(以下余談)
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=706
 西尾先生の「日録」を見ると三十数年前の書評が蔵出しサービスされてて、その中に「素伝」てぇのが出てくる(↑)。私には「いかつく見える」名前で、そこから連想するのは塚原卜伝に山東京伝に金地院崇伝。でも文脈では女なのよね…。そこでちょいと調べてみたら、あろう事か明治初期の殺人犯に「高橋お伝」てぇのが出てきた(愕然)。
 決定的な違いがある。「伝」を漢字式に読めば「デン」となるが、「素伝」の場合は二字とも変体仮名で「そで」。しかも幕末から明治初期にかけての話なら旧字体で「素傳」とするのがデフォでしょ。これでは余りに堅苦し過ぎる。どう見てもコリャ元々は草書表記だ。それを楷書由来の活字に直せば「いかつくなる」。見た目が印象を操作する。活字が時代を遠ざける。書物が時代を古典にする。
 たぶん半世紀前の成人にとっては常識の類ゆえ、一々細かく触れる事もない。すると時代を経るにつれて、印象がますます「いかつくなっていく」。印象が活字に固定され、思い描く像が別の影響を受けやすくなるだろう。~例えば私なら上記数名。卜伝は剣豪だから物騒だ。京伝は戯作者ゆえ、現実離れした小説の印象が出てくる。そして崇伝は僧侶。坊主にも色々あって生臭い。極めつけが殺人鬼「お伝」。これらを纏めると凶悪かつ非現実的な印象が脳内で勝手に増幅され、かなりオーバーなイメージが名前とセットになる。
 ならばいっそ漢字はお払い箱にして、現行平仮名の「そで」表記に変えちまったらどうか。しかしそれでは「活字時代にどっぷり漬かった」直木賞作品を、「同時代の分際で」敢えて改竄する事になる。そしてもう一つややこしいのは、「素伝」という名前の世に出た顛末自体が「特記すべき行状」と共依存してしまう事なんだよなー(これを因果律と云う?)。つまり歴史的に見ると、名前と行状は初めからセットなのだ。するとスッポリ抜け落ちるのが「命名した親の立場」。江戸時代の親は時代の常識に従って凡庸な名前を付けた。それが被命名者側の行状により後々「変質効果を内包する様になる」。
 もしもドイツ人のヒトラーさんが自分の子供にアドルフと名付けたらどうなるか。それ以前に総てのヒトラーさんが肩身の狭い思いをしている事だろう。しかし百年前ならどうだか。どこかのヒトラーさんが凡庸な名前を付けた。第三帝国も総統も存在しない頃にアドルフが居る。同姓同名も居るだろう。アドルフ・ヒムラーも居るだろう。私には調べようもないが、戦後のドイツに同姓同名の人はどれくらい居るのかな。戦後生まれは皆無じゃないかと思うが、もし居るなら今度は親の思想傾向が疑われる筈。結局どう転んでも時代の影響を免れない。
 日本では救いの一言(?)が流行語になった。曰く、「忘却とは忘れ去る事なり」と。

 …この手の「日録」ネタはいつも通り奥様ブログに書けばよいのだろうが、最近あそこにゴチャゴチャ書き過ぎてるから今回は遠慮しとこう。たぶんセレブ奥様は此処「天バカ板」を見てない筈。ならば折角のお盆だから(?)試しに祈ってみよう。閲覧者のどなた様か、あちらの奥様に「天バカ板の呪い」をかけてくだされ~(o ̄∇ ̄)o



7261 Re:レス&呪い ミッドナイト・蘭 2008/08/18 22:14
男性 会社員 A型 東京都
ゆっくりと聞き出すので少々お待ちを!

長谷川女史は、我がブログは見ていますよ。

アクセス解析で判明しております。

あの方は、アイラインスレッドにも、たびたび登場してます。

でも、あの人の私への批判レスは、私を利するんですよねぇ~^^;

私は、「日録」を全く見ていません。

「日録」見るなら、「東京支部板」でキチガイを見たほうが楽しいです^^



7262 余談の余談 苹@泥酔 2008/08/19 00:18

(以下はレスの続きでなく、ただの余談。専門的&ヲタ系ネタになるけど笑って許して。)

 前稿を読み直したら思い出した。…大抵の書道教員は複数の書風・流派を学んできている筈で、その中の一つが表看板になる。「死ぬまで一つの流派」って事は殆どない。大学で書道を専攻すれば必然的に複数の書風を学ぶ事になるからだ。その証が教員免許で、この点が所謂「流派の稽古」を経由した師範免状と大きく異なる。師範免状は「その流派の技能」を基準に授与されるものであって、また~私の知る範囲では総て「申請すれば授与される」仕組みを採っている(申請しなければそのまんま)。
 教員の表看板は職務に準拠する。そこが或る意味、義務教育の国語科書写と高校の芸術科書道とを分かつ事にもなる訳だが、そうなると芸術科書道の立場で国語科書写もしくは戦前国定の書風を書くのは些か躊躇われてくる(私だけかも知れないが)。~例えば或る高校に在職した時は掲示物を顔真卿後期の書風にしたり、また別の高校に居た時は六朝風をベースにしてみたり。たまには余裕がなくなって「お里が出る」事もないではない。ウッカリ気の迷いで国定乙種系統(正確には玉木愛石や西脇呉石の類)で書いちまった時は同僚が何か言っていたが(彼らは褒め言葉のつもりだったかも?)、こっちは内心、狼狽してたのよね。「こいつら、皮肉で言っているのか?」と不機嫌になる事もあった。国定の甲種や乙種くらい、戦前と戦後の書教育を比較研究した事のある書道教員なら誰でも書き分けられるからである(単に「恥ずかしいから書かないだけ」だと思う…)。

 ただし国定教科書甲種の方には乙種と別の変遷がある。日高梅谿の頃は顔真卿の多宝塔碑ベースだが、細かく見れば解釈は市川米庵のを継承していて、現代書家の臨書する多宝塔碑とは微妙に異なる。その後は芸術性の重視傾向が強まり、甲種を鈴木翠軒が書く様になった。これも基本は古典で孟法師碑などの影響が強いが、翠軒独自のキレ味や顫筆には批判的な向きも当時あったらしい。
 …あの顫筆は極端な遅筆に起因するのかも知れない。日下部鳴鶴の隷書・楷書に前兆が感じられたりもする。現代の隷書と異なり、明治時代の隷書は側筆の影響が色濃く、運筆を途中で何度か止めて僅かな瘤をつくったり運筆方向を変化させるのが当時は普通であった。その手の瘤が目立つのは中林梧竹の隷書や西川春洞の楷書など色々あるが、ともかくこうした微妙な変化が翠軒顫筆の背後環境を形成していた事は具体的に確認できる。
 技法と環境はそれぞれ不分明な統一性の下、互いの距離感覚を保守したまま~模倣と差異を呑み込み合う事がある。私から見れば筆の根っこまで擦り付けて書く翠軒流の草書は異端以外の何物でもないが、それが畳の目を浮かび上がらせるとなると事は簡単でない。カスレの畳目に明治時代の幻影が潜むのは、筆鋒を根こそぎ使って紙にダイビングした後のサルベージ効果ゆえ…ではないかと思えてくる。
 …あ、そうそう。隷書で思い出したけど、完白山人(石如の事ね)や呉譲之のを西川寧が解説すれば完全な蔵鋒になる模様。ところが側筆系の隷書はマッタリ濃厚な趣を欠く~例えば文徴明とか。…そう云や文徴明の書は江戸時代の日本にも入ってきてたっけ。巻菱湖の書いた隷書赤璧賦は曹全碑ベースだが書法は文徴明のそれ。だから薄味になる。そこに開国ショックが来る。楊守敬が清国から拓本などをゴッソリ持ち込んだ。日本は東西双方に対して文明開化を目論んだ。必ずしも西洋ばかりを向いていた訳ではない。日本の「支那かぶれ書家」達が本格的に学び始めたもんだから、仮名の方は孤立無援となった観なきにしもあらず。漢字・漢学側の書家は支那文物の摂取で手一杯。国語関係者は英語国語化論の相手をするだけで手一杯。
 そんな中で「国語が生まれる」。学制が定まり、国定教科書が編集される…。


(更に余談)
 白昼夢を見た。小学生らしき美少女が三人、テレビの中から「苹!変態!大胆!」と叫ぶ(空耳…)。こんな可憐なチルドレンに萌えるのは何故だろうか。~以前アニメの「ハヤテのごとく」に言及した手前、たまには後継番組に言及してもどうって事はあるまい。
 アニメと云えば、先日の支援板でネタにした「コードギアス」のDVD&BD発売日は今月22日だよなあ…。あたしゃ買わないよ。そんなカネも趣味もないし、偶々VHSに録画したテープが手元に残ってるだけ(そのうち別番組で上書き消去される事になる)。第二弾(R2)は放送済みの全話がまだ残ってるけど、第一弾のは最後の数話を残して総て消去済み。~ただしカレンのヌードが出てくる回はまだ生き残ってる。島流しの回が全部と、シャワー浴びてる最中ルルーシュにナイフ突き付ける回のが半分と。
http://d.hatena.ne.jp/GiGir/20080619
http://www.moonlight.vci.vc/misc/Code_Geass.html
 ところで~海外からの反応、遠藤浩一先生ならどう思うだろうか(ボソッ…)。



7263 Re:余談の余談 ミッドナイト・蘭 2008/08/19 22:22
男性 会社員 A型 東京都
短返レスですみません^^

書道教科書の話は、さりげなく聞きだすので、続報をお待ち下さい。

今、「輝け! 天才バカ板!」で転載している岡山シリーズのオタク少女は「コードギアス」ファンのようでした^^;



7264 余談の余談の続き 苹@泥酔 2008/08/21 00:49

>>No.7263
>岡山シリーズのオタク少女は「コードギアス」ファンのようでした^^;
 …て事は、「R2」でなく第一弾の方ですね。テロ絡みで物騒なアニメだ(苦笑)。因みに昨夜は初めて2chの海外反応スレを見てビックリ。真偽は定かでないが中国系の腐女子、ロリ系の「天子様」に仕える軍人キャラの美貌にメロメロだそうな…。

>書道教科書の話は、さりげなく聞きだすので、続報をお待ち下さい。
 何かあれば、よろしくどーぞ。(平伏)


 それはそれとして、…うーん。
 折角だから、これまで何年もの間「書くのを躊躇ってた」事を書いてみるか…と思ったら予想通りの脱線ばっか(汗)。取り敢えず教員免許と師範免状の違いには少しだけ触れたけど、これって見方次第では藪蛇のネタだからなあ…。
 そもそも何故これまで書けなかったんだろーか。支援板に稽古ネタを出して初めて伏線が形になり始めたとも云えるし、稽古を学校に持ち込む事の是非が曖昧なうちは確かに書きにくい。
 なにしろ再生機構側の先生方が取り組んでる道徳教育だって、ちょいと言い回しを変えれば「道徳の稽古」になるでっしゃろ。仮に稽古を行為と捉えるなら、行為の中身が道徳って事になって尚更ややこしい。見方次第では行為そのものが道徳でもあるから、道徳と稽古との一体性から「行為を抽出する」行為自体が自己言及的な破綻を内包する事にもなるし、しかも大抵の稽古は別の何かを中身として学ぶ訳だから、「書道の稽古」や「相撲の稽古」等々の全体それ自体が道徳的とも云える。従ってこれを学校教育に敷衍した場合、「数学の稽古」や「理科の稽古」などを通して道徳を涵養する事は可能な筈だから、道徳教育不要論もまた同時に提起可能となる(これって論駁しきれるのか?)。
 しかるに書道の場合。
 仮に稽古を行為の芯とするなら、その中身が学校的でも塾的でも大して変わり映えしない筈。だから塾側の稽古を学校に持ち込む事が可能になるし、実質的には教員免許を無効と見なしたって構わない。そこが音楽や美術と異なる。どちらも西洋音楽や西洋美術が中心で、三味線や尺八などの和楽器は部活でやるのが多い筈(日本画や水墨画を学校でやるケースはどうなんだろか)。文化祭で部活を覗くと、茶道だか華道だか忘れたけど~こちらで見かけるのは総て小堀遠州流ばっか(他の流派があるのかどうかも分からない)。
 或いはそれぞれを流派で括る見方が間違っているのかも知れない。しかしそれでは済まないのも確か。そこに伝統文化の厄介な側面がある。例えば今の書道の流派は全部が明治以降のもので、それ以前のは専門家筋でも殆ど語られてないもんね。文献には定家流とか青蓮院流とか大師流とか出てくるけど、それらの稽古の実際は総て閉ざされていて「今あるのかどうか」すら外からは窺い知る事ができなくなっている。この手の事情は皇室とて同様かも(御進講役の桑原翠邦は比田井天来の門下だから明治以降の筋)。尤も、仮名書道の方面はどうだか分からんが。もしかしたら和歌の方面で融合しているのかも知れないし(以前「良子親王」の落款がある和歌書幅の写真を本で見た時そう感じた)。
 こうなると教科書の話からも教員免許の話からも思いっきりズレてくるでしょ(苦笑)。そんなこんなで、脱線の必要を感じれば感じるほど書きにくくなってくる。…見てる人が居ればの話だけど、差し当たっては道徳を論じてる方々の参考か何かになるなら幸甚。


(追記)
 …まだまだ書き足りない。遺言代わりにしては往生際が悪いな(単なる愚痴とも云う)。
 んでもって話は道徳。これを突き詰めると滑稽な状況が生まれたりもするだろう。…ちょいと想像して貰いたい。例えば日本史の勉強をする前に三十分間の座禅をする。先ず日本の雰囲気を味わって、それから授業に取りかかるのだ。長崎の鐘がゴーンと鳴る。ナマンダブ、ナマンダブ。日に三度反省して「あやまちは繰り返しませんから」とお経を読む。残り時間で短く授業を済ませる。入試を度外視すればそれで充分だ。勉強したい奴は塾へ行け。学校では日本史の稽古をし、他の勉強は塾でするのだぁ。
 道徳に託ければ何でも出来る。中身を型でごまかして精神修養。そんなイメージの科目は書道が筆頭格だろ。塾より学校の授業の方がレベルは低い。そんなのが無駄な事は教員・生徒・保護者の皆が分かっているので、暗黙の諒解に基づき「書写未履修」と相成る。国語の教員採用試験に書写実技試験があるでもなし、その辺は県教委の面々も先刻承知ってこった。
 学校でも塾でも、日本史なら学ぶ内容はほぼ同じだろう(教え方は異なるが)。ところが書道の場合、塾では学べば学ぶほど流派に向かい「学校教育から乖離していく」。…教委は教委で、教員配置段階の工夫を凝らす。学校教育の専門教員を初めから採用せずに、民間の「塾の先生」で代用する。つまり「塾が学校を征服する」形になる。塾と学校が同一路線上にあると盲信する人に限って「それで学力が向上するならいいじゃないか」とアッサリ容認する。塾方式の学力向上が学校教育の不要性を裏付ける。こうしてパラドックスが完成する。
 こうした状況が既に成立している以上、塾と学校では何が異なるかを皆が経験的に納得できる形で示すのは難しい。流派それぞれの提起方法を単線型と複線型に分けて捉えれば前稿・前々稿で軽く触れた通りとなるが、複線型の流派を単線型に組み替えるプログラムが学習指導要領に組み込まれている点については当方まだ触れていない。

 経験的な構図は経験者にとって分かりやすい筈だが(前稿・前々稿の例で云うと、一つの古典が多様な顔を持ち、それが臨書の過程で顕在化する事とか)、逆に煩雑と映るなら~いっそ教条的な構図にでも仕立ててみようか…。
 従来型の学校教育は教条的手法を用いて指導効率を向上させてきた。それを経験主導型に組み替えようとしたのが総合学習のイメージに結節するタイプの曲解型「ゆとり教育」で、その失敗が学力低下を招いたと解釈するのが嘗て「つくる会」に結集した方々なのだろう。~教条型は必ずしも詰め込み型ではない。私の云う教条型にはチャートを用いる手法なども含まれる。整理された図式を最大限に活用し、伝達や応用の効率を高める事により経験の一部を補うのが私の基本的な手口だったが、主要科目では誰もがやっている筈なのに何故か現場では評判が宜しくなかった。経験・体験型のイメージに囚われた人が多いためだろうと私は思っているが、そればかりではあるまい。
 経験・体験にはヴァーチャルな側面が含まれる。例えばスポーツ観戦の場合、解説者や観客は「自分が選手でもないのに」あーだこーだと論評・分析を始めるだろう。音楽家や美術家・書家の中には「自分で出来る訳でもないのに文句を云うな」と不満を露わにする人も居る。とどのつまりは「自己実現に他者(観客・聴衆)の横槍など必要ない」という訳だ。必要なのは審査員や権威であって大衆はどうでもよい。大衆に教条的権威はない。それはそれでいい。しかし大衆には最低限の観客経験が欲しい。オリンピックのレスリング感覚で「プロレスは反則だらけだ」と難じたり、プロレス感覚で「オリンピックにも流血を」と無い物ねだりする様な真似はいただけない。ヴァーチャルな経験は観客としてのモラルに通じる。
 ところがどうした事か、それ以外の領分ではリアルな体験を経験一般から聖別する向きが少なくない。観客不要の芸術家が一例だが、それはそれで分からぬでもない。無知な観客にモラルはない。学校教育でも観客モラルの指導(所謂「鑑賞教育」)は殆ど行われず、リアルな体験としての実技指導が中心となりやすい。彼ら教員はリアルな体験とヴァーチャルな経験とを区別していない。リアルな体験の質的向上には時間がかかるから初歩的な段階に留まる事が多いが、それを補う意味でヴァーチャルな経験指導を教条的手法で行うと、今度は体験至上主義の立場(?)から「教える内容が余りに高度」「専門家にする訳ではない」などの文句が出たりする。「ゆとり教育」が本格化した初期の出来事である点はいったん差し引くとしても、こうした文句のどこに学力低下・経験力低下以外の効果があると云うのか。経験と体験についての過剰な混同と区別が悪循環に陥った結果、「ゆとり教育」は(上意の如何を問わず?)草の根で歪められてきた。

 この事について支援板中心にあれこれいじくってみた結果、「高校教育は不要」「予備校化と専門学校化による教育偽装」との解釈が出てくる。「ゆとり教育」の推進にも撤回にも未来はなかろう。複線の戦前教育やドイツの教育とは異なり、現行の単線型高校教育自体が既に飽和状態かつ「賞味期限切れ」となっているからである。
 …蘭様の立場は「反‐つくる会」らしいから、ここでは取り敢えず教育再生機構側を仮想して書こう。
 上記のあれこれについて、TOSSの方々あたりはどう思うのかしら。何かレスポンスがあれば嬉しいけど…此処を誰も見てないならそれはそれで致し方ないか…(こーゆーのも巷間「無い物ねだり」と云うらしき事くらいは承知の上だけど)。



7265 Re:余談の余談の続き ミッドナイト・蘭 2008/08/21 22:33
男性 会社員 A型 東京都
何か書こうと思ったのですが、正直、今、ソフトボール女子の金メダルで感動してます。

昨日から、凄まじい緊張感の二日間でした。

ドラマチックは不滅ですね!!!

「ゆとり教育」については、私も、あまりにもの悪玉扱いは危険だと思っています。

ゆっくり考えたいです^^
4”日本人の知らない日本語” ( EmmanuelChanel )
2011/10/20 (Thu) 23:45:08
私は,仲里依紗主演のドラマ版を見てこのコミック・エッセイを知りました.
”日本人の知らない日本語”
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E
外国人向けの日本語学校の先生の体験をネタにしていて,日本語について色々な事が書かれています.あと,ドラマのクレジットでは,上の本は原案と書かれているくらいで,本とドラマは別物です.
苹さんはご存知でしょうか?見たら興味が沸くかなとふと思い出した次第.
8禪牀夢美人 ( 苹@泥酔 )
2011/11/05 (Sat) 23:54:15
 ガラパゴスか…なるほど。別の例で云えば昔、固有名詞のトルコに日本語特有の意味を持たせたら(以下略)って騒動もありましたっけ。結局、日本政府にしては極めて珍しき敏速さで別の和製英語に言い換えたけど。そしたら今度は当方コープランドって作曲家の名前を想起する際、いつも先ずそっちを連想する癖が付いちまった(汗)。
 仮名表記の紛らわしさも時に誤読の種となる。「ひつまぶし」はせめて「櫃まぶし」と書いてくれ(「櫃塗し」では却って分かりにくい?)。「ひまつぶし」と間違いやすい。このところ愛読している2chで「ホームスレ」と書く人が居る。ホームにしているスレッドという意味らしいが、これも「ホームレス」と誤読しそうになる。何年か前、同じく2chで或る小説家(?)の名前を知った。まだ読んだ事がない。正しくは「ナオコーラ」だそうだが、そこでは確か「オナコーラ」と誤記してあった。私は昨年、記憶違いに気付いた。語感がオナホールみたい。わざわざ云う必要はないが、こちらも使った事がない。
 平仮名であれ片仮名であれ、紛らわしく感じる連なりがある。それが気になって素直に書けない。今も「連なり」と書いたが、元は「ひとつらなり」の筈だった。漢字だと「一連なり」。ウッカリ「イチレンなり」と誤読した自分が腹立たしい。漢字と仮名の配分に奇妙な規則性を求めたくなる。何々「する事になる」とは書くが、「する事甚だしい」とは書かず「すること甚だしい」と書く。好みの語法なのに遣いたくないのが腹立たしい。
 腹立ち紛れに話題をオナホールに戻す。検索したから形状は知っているが、実物は見た事がないし興味もない。それより本物の女性、若くて長い髪の女が似合う(たぶん)。~何年か前、少々血迷って若手女優の戸田恵梨香に魅了された。それが今では歯茎の目立つ痩せた人。頬がこけている。もっと肉付きが欲しいが、そうもいくまい。頬のこけた芸能人と云えば、原田知世も稍や近い。こけても美人妻。それなりに救われる。(あたしゃ結構、勝手な事を書いとるなあ…汗)
 主演映画「時をかける少女」の頃が懐かしい。どうやらリメイクされたらしいが、そちらは見ていない。テレビでの放送を待つ。ただしアニメの方ならBSで見た。バッハのゴルトベルク変奏曲が流れていた。二次元の方が好きとは云わないが、今にしてみれば原田知世の肉体は未成熟だったのね。そこが差し当たり、仲里依紗との違い…にはなるのだろうか。検索画像で見る限り、そこそこ肉感的ではある。
 うまく話が纏まらない。もう寝る。
8Re: ”日本人の知らない日本語” ( ミッドナイト・蘭 )
2011/11/01 (Tue) 21:40:38
私も、加地先生の「正論」を読みましたが、

 >>イノベーションがどうの、ガラパゴスがこうの、と。

イノベーションはいいのですが、ガラパゴスは固有名詞を日本語の中で意味を持たせたものなので、この例えはおかしいと感じました^^

仲里依紗は美人ですが、やや「大味」な美しさを感じます。

「時をかける少女」、やってましたぜ^^
8備忘録 ( 苹@泥酔 )
2011/10/31 (Mon) 21:41:27
 なんちゅうタイミングか、折も折の産経記事は加地先生でござる。…以下、取り敢えず全文引用。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111030/edc11103003100001-n1.htm
--------------------------------------------------------------------------------
>【古典個展】
>立命館大教授・加地伸行 正しい国語を使いましょう
>2011.10.30 03:09
> 投げ込みの広告チラシがあった。美容院の宣伝である。
> 大きな字で「カット専門」とある。なるほど。しかし、この「カット」のところをわざわざ英文アルファベットで印刷している。すなわち「cut」のつもりで。
> ところがなんと、「cat」となっている。catだとキャット、ネコちゃんですよ。その美容院はネコ専門なのでしょうね。
> もっとも、cutであろうと、catであろうと、現実ではそんなこと問題にもしないであろう。一般人にとっての英語とは、その程度のものである。
> にもかかわらず、偉い人たちは英語の端くれ単語を混ぜて話すことがよくある。イノベーションがどうの、ガラパゴスがこうの、と。
> けれども、ここは日本ではないのか。日本であるならば、まずはきちんとした日本語を使うのが筋であろう。さらには、日本人であるならば、正しい国語を使うべきである。
> 日本語と国語とは違う。
> 日本語と言うとき、それは、日本人が使っていることばをまねて、ともかくなんとか意志を通じさせる形のもの。例えば、店で「わたし、これ買う。おつり、いるよ…」と言えば、なんとか通じる。
> つまり、日本語とは、外国人向きの技術的なものである。当然、日本人だと日本語ペラペラ。
> けれども国語は違う。日本人でも国語のできない人はたくさんいる。国語とは、〈国〉家の歴史・文化・伝統を背景として発展してきた言〈語〉であり、略して国語と言う。だから、日本の歴史・文化・伝統の素養のない外国人に国語学習は無理なのである。例えば「もののあはれ」という国語を理解し感受できる外国人は絶無に近いことであろう。
> 当然、その逆もある。われわれ日本人が英語を学んでも、せいぜい「cut専門」に直す程度であり、英〈国語〉の理解や感受は、まず無理なのである。
> ところが、今年9月、テレビニュースがこう報道していた。東大の大学院が外国の制度に合わせて「秋入学」を行うようになったと。そして東大総長が式辞(告辞)を英語で行ったシーンが流れた。
> 驚いた。ここは日本ではないか。日本に留学したい外国人は、当然にまずは日本語を学ぶべきである。
> その昔、私が学生時代、用件で故宮崎市定(いちさだ)教授(東洋史)の研究室を訪れたところ、先客があり、待つこととなった。先客は若いフランス人で、たどたどしい日本語ながら懸命に質問していた。大宮崎の学問に対する敬意にあふれて。
> それが日本に留学する学生のあるべき姿、道理である。
> にもかかわらず、留学生に分かりやすいようになどという損得の観念で英語による式辞を行うのは筋が違う。しかも、独、仏、中など多種多様の言語の中から、なぜ英語なのか。その理由はなになのか。独、仏、中…からの留学生にしてみれば、不愉快となるだろう。
> 東大が日本を代表する大学という自負があるのならば堂々と国語で、それも伝統的な漢文脈で荘重に述べよ。古人曰(いわ)く「君子(教養人)は義(道理)に喩(さと)り、小人(知識人)は利(損得)に喩る」(『論語』里仁篇)と。(かじ のぶゆき)
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 日本語と国語。~俺のとは違うなあ(←てな台詞が、テレビ朝日のドラマ「臨場」にあったっけ)。と云っても大意はさほど違わないだろう。ただ、ちょいとばかり切り口が異なるだけ。
 日本語の限界と、国語の限界。私のは大体そちらが前提。国語を少し遡ろうとしただけで高校英語教員が「中国に行けばいい」と軽口を叩くくらい、日本人は平仮名が読めなくなっていた。変体仮名を含む平仮名と草書を交えて表記していた明治以前の文字文化は、もはや日本文化の扱いではなくなっているらしい。筆で書ければ支那語に見える♪、南京墓場の血が見える?(元ネタは1937年の流行歌↓)
http://www.youtube.com/watch?v=UH7SeT38Rts
 ところで、加地先生と接点はあるのだろうか。~当方このところ気になっているのが文化功労者の中野三敏先生で、なんでも「和文リテラシー」ってのを説いて回っているらしい。江戸時代の文献で活字化されているのは僅か1パーセントで、それ以外は現代人に読めない。ならばやたらに時間のかかる活字化を待つより、我々が読める様になる方が話は早い。古書店に行けば多くの本は二束三文で手に入る、と。
 私はコレで学校クビになりますた(苦笑)。当時の担当は高校芸術科書道で、教科書には仮名の単元がある。その最初に教える事になっている平仮名と変体仮名の単体を、単に書かせて済ますのではなくバカ丁寧に字源分析。それから古筆和歌の練習に移る訳だが、その前に連綿を分解して先ず現行平仮名を識別、次に残りの変体仮名を確認して通して読ませ、漸く本来の練習に入る。
 その頃「和文リテラシー」なんて言葉は知らなかった。校長室に呼び出された時は面食らった。「お前、読めるか。読めないだろ。読めないものは教えちゃいけない」などと云われても、どのレベルの話か分からない。基礎指導するなと指導されたのだろうが、相手はそれを基礎とは思っていないらしい。青森県では書道教員採用試験が実施されない事になっていて、大抵は国語科で採用された先生が書道を担当する慣行になっている。にもかかわらず国語の歴史的視点で指導してはいけない。
 あたしゃクビになった後、調べて初めて分かった。国語教育の内実は、書字文化を滅ぼし活字文化に完全移行するための革命教育運動でもあったのだと。それなら英語科出身校長の自信に溢れた指導が理解できる。教員には歪曲教育の義務がある。この件には旧稿で何度も触れてきた。苹がネット活動に参入した直接動機、原点である。
 だから苹は国語を全く信用していない。加地先生の論旨は分かるが、ちょいと捻れば歴史歪曲の正当化、国語革命礼賛に見えなくもない。十年前から書いてきたのと同じ事を、何度でも蒸し返したくなる。教育現場の歪曲慣行は何も変わっていない。
8補記(或いは愚痴) ( 苹@泥酔 )
2011/10/27 (Thu) 23:39:58
 以下は「2011/10/22 (Sat) 22:04:13」稿の補記。
 どうやら私がクレオール語に言及したのは、このところ大量に流入しつつある中国人達の日本社会に及ぼす影響が気懸かりだった所為らしい(前稿を書いた時点では無意識)。彼らは落下傘でなく飛行機や船舶で入国し、それぞれの仕方で入植した。その前は朝鮮人達が所謂「在日」化した。嘗て日本だった朝鮮や台湾では国語教育が行われたから、中には日本人より流暢な国語(共通語)を話す者も居た。
 それに対し本土では国語のコロニーが全域で同時多発。これを学校と云う。現地民は例外なく方言の話者であり、そこに共通語としての国語教育を徹底する事で、明治中期以降の国家言語は現在「現代文」と呼ばれる形で古典(古文・漢文)から分かたれた。より正確には、現代文からも古典からも「幕末期の日用語を排除した」事になる。これは音声言語と文字言語の両方を指す。
 詳しい経緯は安田敏朗『「国語」の近代史』(中公新書)など、その筋の本を読めば分かる。ただし私は「書字を読めなくする教育」に言及した本を見た記憶がなく、また専ら自前の頭で整理した事ばかり書いているので、傍目には学問的信頼性など全くない筈。そこが転じて「気に食わない」。この手の視点が学問の世界で無視されているかの様に見えるのは、必ずしも一私人の僻目ではあるまい。内容が重複したり食い違っていても構わない。先ず誰か「学者が本を書く事」。可能であれば書作活動と無縁な学者が書く事。それを切に期待する。大学の紀要や学会の研究発表は一般人の目に触れない。(書道と違って)国語学方面など、立派に学問扱いされている分野で話題になった事があるか否か自体、外野には全く分からない。何か書物が得られて初めて、苹は拙稿の検証へと進む事ができるのである…。
8Re: ”日本人の知らない日本語” ( 苹@泥酔 )
2011/10/22 (Sat) 22:04:13
 そう云えば、そんなドラマやってたみたいですねぇ。「たたたた太陽♪」って唄が流れる飲料CMで変な踊りする人が主演したのは覚えてるけど、ドラマは偶々途中から見たのが一度だけ。外人の生徒が突拍子もない切り口の質問してた記憶が少々、ただし内容は既に失念。
 そんな乏しい記憶から、あの時に何を感じたか引き出してみると…。日本人なら思い付きそうにない疑問ばかりで、日本語の歴史から完全に断絶してる。言葉の連なる前提や背景がない。そこに依拠するのが国語や文語だけど、別方向から踏み込むのはコリャ難物だぞ、と。もし言語学を媒介した形でアプローチするなら、生徒の母語を或る程度は知っとかないと差異や距離が分からない。そうした意味では途方もない話で、だからかな、あたしゃ続きを見なかったのは。狼狽させられる分だけ心の準備が要る。
 日常中心の「今」へと国語を定着させる仕方は、概ね外国語教育の範疇になるのでしょうなあ。そう捉えるなら国語教育の方は文献読解中心で、その仕方が日本の英語教育でも行われてきた。~昨夜あれこれ考え始めたら、ともすれば異様な切り口を転々とせざるを得なくなりそうな夢ばかりが出てきて往生。見方次第では国語そのものが古典との断絶を含む場所でコロニアルな発展を遂げてきたのに、その本丸にいきなり落下傘降下する様なものではないか。外国語教育に海兵隊的(もしくは民兵的?)性格を垣間見ると、クレオール語へと向かったり向かわなかったりする潜勢的視点(特に古典的来歴の排除をめぐって)についても顧慮する必要がありそうな。
http://homepage3.nifty.com/niji_wo_mita/text/text53.html
 一言で云えば、あれは「奇襲された国語」の物語になるのかも。(←碌に見てないのに大袈裟?…汗)

 もっと纏まったのにしてから書きたいけど、時間がかかるからパス。
 代わりに即興のポエムでも(↓)。
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伸びきった パンツのゴムに 絞められて
明日は我が身と 道を説く君
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 苹の深層心理分析には役立つかも知れんが、我ながら意味不明…orz
4七年半前の記録 ( 苹@泥酔 )
2011/09/20 (Tue) 22:01:29
 …次は、何を再掲しようか。
 あれこれ新稿をシコシコ綴っては居るけれど、此処=天バカ板の旧板と違ってタイトルに付けられる字数は少ない様だし、本来コメント欄として用意されているらしい機能を無理矢理ツリー状に仕立てるのはやはり無理がありそう。本板(此処=新板)に適応した様式で作文するには、ツリーを意識せずに済ませる工夫が要るのではないかと考えずには居られない。…事は刹那の一文に留まらない。旧稿を想起する度に頻繁な掲示板内リンクと引用を繰り返すなどの手口が今は候補に上っているが、稿と稿を結ぶ構造上の増殖感覚とどれだけ親和できるか、どうしても掲示板システム上の限界が気にかかる。なにしろ新稿執筆中に想起する旧稿が一つだけとは限らない。一纏まりの「旧稿群」を想起して初めて、稿と稿の関係や構造を引用できる様になる。この場合の引用対象は、後から顧みた「各稿の間で副次的に派生する関係」の方であって、各稿個別の内容は相対的にさほど重要でなくなるケースが少なくない。
 旧板のシステムでは投稿番号を示せば容易に移動できたし、そこからツリー表示に行って各稿の構造的関係性を一覧する事もできた。すると当方、いつの間にかシステムに適応した書きぶりが定着する。…で、それより使いやすかったのが支援板のシステム。ただし来歴には実のところ怪しい面があり、嘗て「日録感想掲示板」が幾度か変遷した折、てっく様(web engineer様?)が提供した掲示板システムを呆様(支援板の管理人)がセレブ奥様(「西尾幹二のインターネット日録」の管理人)経由で紹介して貰ってた模様。~なお怪しい面についての関連稿を奥様ブログから引くと、大体こんな事情になるらしい(↓)。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-437.html
 作文様式にそれなりの年季が入っていると、新稿の書き方を変える場合、思わぬ所で過去の見方や考え方を再検討する必要が出てくるかも知れない。今は旧稿再掲で間を保たせるのが精一杯。…てな事を書いていたら…あれれ?(汗)
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>7052 No.7045の続き。 苹@泥酔 2008/03/12 21:52
>  ↑を読み直したら、またやっちまった事に気が付いた(↓)。
>(誤)でもそれだと間が持たないので書きにくい。
>(正)でもそれだと間が保たないので書きにくい。
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 …………。(↓↓↓↓)

 産経記事に、こんなのがあった。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110915/edc11091521220003-n1.htm
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>【国語世論調査】
>「ら抜き」増加、慣用句誤用 数年後には「考えれない」?
>2011.9.15 21:20 (1/2ページ)
> 文化庁は15日、平成22年度の「国語に関する世論調査」を発表した。文法上誤りとされる「ら抜き」言葉の使用は若者を中心に増加傾向で、慣用句でも「間が持てない」を6割以上が「間が持たない」と誤って理解していることが分かった。文化庁は「ら抜き言葉は大正時代の小説にも出てくるが、確実に増えてきており今後も増加するとみられる」としている。
> 調査は今年2月に面談形式で行われ、16歳以上の2104人から回答を得た。
> 言葉の使用を聞く項目では、「食べられない」と正しく使用しているのは全体では60・2%だったが、16~19歳は58・8%が「食べれない」と間違って使用していた。「来られますか」(正)と「来れますか」(誤)についても、50代以上は正しく使えている割合が上回ったが、40代でほぼ同数、30代以下では誤った使用が上回り、16~19歳では73・8%が間違った使用をしていた。
> 「ら抜き」言葉は、字数の少ない動詞ほど誤用されるケースが多いとされる。このため「くる」「たべる」の活用では「ら抜き」が目立ったが、「かんがえる」の活用の「考えられない」では9割が正しく使用。ただ、17年の調査と比べ「食べれない」と回答した割合は約10ポイント増加、「来れない」も8ポイント増えており、文化庁は「今後『考えれない』と誤って使用をする割合も増える可能性もある」と指摘する。
> 言葉の意味の調査では、「姑息(こそく)」の本来の意味の「一時しのぎ」と答えたのは15・0%にとどまり、7割が間違った意味の「卑怯(ひきょう)な」としていた。「雨模様」の意味でも16~19歳の62・5%、60歳以上の53・3%が「雨が降りそうな様子」と正しく答えたが30~50代の半数以上が本来と違う意味で回答した。
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 心当たりに、暫し沈黙…。
 しかしよくよく考えてみると、「間が持たない」は「間が保たない」の漢字誤用と見た方がよさそうに思える(←この「思える」も本来は「思われる」なのだろうが、「おぼえる」との融合を顧慮すれば必ずしも間違いとは云えない?)。更に「保つ」を「たもつ」と読まず「もつ」と読めばコリャ、「た」抜き言葉って事になるのかいな。
 国語が生まれたのは百数十年前。学校教育に「国語」が入ったのは明治三十三年。歴史が浅いと、「正しさ」の根拠には疑念が残る。国語審議会だか何だか知らないが、革命型か付和雷同型の学者達が集まって基準を捏ねくり回しているだけではないのか。「らぬき」と「たぬき」に化かされた心地がする。

 さて。
 これから分割再掲するのは、No.7052稿の属するツリーの全容。
 手元のワープロ文書ファイルには、No.6785以降のが一連の「五年半前の記録」稿を中心に保存してある。と云っても実は単純に旧板から全文コピペしただけなので、階層の上下は投稿番号の前後関係から汲み取って貰う他ない。例えば最後に再掲予定のNo.6803稿(佐藤様の投稿)については、投稿番号が若い所から「ツリー内では上位の階層にある」と判断していただく事になる。
 今回は内容把握の都合上、拙稿だけでなく他の投稿者方々のを含め総て再掲する。また拙稿以外は短文が多いので、複数稿を一稿に纏めるケースがある事を予めお断りして置く。
 当時の拙稿では、まだ画像に手を出していなかった。「見る」のではなく「読む」だけでどこまで理解可能かと気負った面があり、却って分かりにくい表現になったかも知れない。変体仮名に言及した箇所については一応、掲載した幕末資料自体やや不充分ではあるが、後の画像投稿群を参照していただきたい(↓)。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_topic_pr_359.html
 国語成立以前の共通語は文語で書かれ、世界的にも群を抜くほど大量の書物が出版され、普通の町人なら誰もが読めた(そもそも読めない本は出版されない…当たり前だ)。それを少しずつ読めなくしていったのが明治以来の国語教育であった。言い換えるなら国語そのものについてでさえ、現代人は例外なく国語教育に洗脳されている。
8【再掲】国語問題10 ( 苹@泥酔 )
2011/10/19 (Wed) 21:28:47
7696 ひとまずNHKを応援する。 苹@泥酔 2009/11/30 23:47

 このところ、NHK教育「趣味悠々」の百人一首物(↓)を見ている。講師は高木厚人、今夜は第五回放送だった。次回からは変体仮名が出てくるらしい。当方まだテキストを買っていないが、番組の質の高さには注目している。
http://www.nhk.or.jp/syumiyuuyuu/ogurahyakunin.html
 今夜の番組では、究極の連綿における「こ」と「し」の区別を微妙な方向の違いから読み分ける箇所など、「そうだ、そんな解説が今も昔も学校教育には欠けているのだ」と溜飲の下がる思いだった。しかしこれを苹が解説すると、クドくなり過ぎて三時間はかかるだろう。楷書との比較から筆脈に籠められた意思まで包括的に解説した上で、たぶん必ずしも微妙な方向が文字を同定する訳ではない点も含めてネチネチと追い込む事になる。例えば「し」は「之」の草略だが、草書段階では「之」と「足」の区別が難しい。こうした事も含めて解説したくなるから殊更にクドくなる。物事は程々にしなくてはならぬのかも知れない。
 しかしそれでも、近視眼的になる弊だけは避けたい。勿論そのために近視眼的規範が必要となる事も分かっている。具体例の一つが御家流だった様に。とは云え、規範による可読性の保障効果が書字から活字へと完全移行した今、書字の最も根幹的な可読原理を取り戻すのは「経験の欠如」ゆえに容易い事ではない。現にそこそこ書き込んだ経験のある私の場合、むしろ書き込んだがゆえに自分の学んだ規範に囚われ、その分だけ他の時代規範を読み取りにくくなっている。そこから私が学んだのは、読めるとか読めないとかの二分法を一律に適用すべきではなく、むしろそれぞれの時代の切断を、その時代毎に認めねばならぬという事だった。~こうした視点を単純に欠いている代表格が、恐らくは英語教員であろう。彼らの多くは時代性を総て現代の実用英語で征服するかの様な態度で特徴付けられるため、戦後も戦前も「異文化としての日本」に対する単純な啓蒙感覚を共有しようと躍起になり続けているかの様に見える。
 そうした英語的視点と、その焼き直しの影を背負っている国語的視点とのどちらでもない、純然たる過去の側から読む視点を高木氏の番組は微かに含んでいた。だから私は今後の放送を楽しみにしている。ここはひとまず、素直に応援するぞ。ガンガレNHK!(…だからと云って、別の騒動=台湾ネタがチャラになる訳ではない。)



7039 >苹さんへ キルドンム 2008/03/09 16:40
男性 39歳 岐阜県
 この前、本屋で『墨』の最新号をめくったら、「よく知っている方」の写真が載っていたので仰天したり、『天皇の書』を読んでいたら378頁の記述を「おちょくり塾」で論じている最中のことと重ね合わしたり、まあ色々ありますが…あれっ、何を言おうとしていたんだったっけ?(汗)
 そうそう、音楽のことでした。少し意外に思ったのは、ドボルザークはともかく、ガーシュインやバーンスタインを北で演奏できたということ。角川から出ていた『朝鮮語大辞典』の附録に、北鮮専用語の字引があるのですが、そこで「ジャズ」の項目を引いてみると…手元にないので引用できませんが、すさまじいことが書かれてありますよ。
 北鮮音楽を中学生の自分から聴いていましたが、近頃ではYou TubeでDPRK MUSICで検索すると「愉しい」映像つきで容易に視聴できるようになり、非常に便利になりました(大抵、CD持っているのですがね)。その中には、「朝鮮よ自由の歌うたおう」「自由の鐘」「我が祖国取り戻して下さった解放の恩人」等々、異様な文句が満ち満ちていますからねえ…。「自由」「解放」そして「人権」という言葉を使っていても、まったく我々のとは意味が異なるというわけです。
 だから「独裁政権」といっても、そもそも自分のこととは考えていないので、尹氏の音楽を演奏していても何ら不思議はない(爆)。
 しかし、2.26に小生の考えでは「北鮮十大名曲」の一つである「米帝に死を」という曲をどうして演奏しなかったのか(笑)。ラジオでは時々流しているのですが、この曲、CDはないんですよね…。



7046 米帝死臭滿韓土、泡姫開股孕鬼子 苹@泥酔 2008/03/11 01:51

 変質者っぽいカキコの後はキルドンム様宛(いや、深い意味はない…)。
 どれどれ…小松茂美『天皇の書』(文春新書)P.377~378には斯くなる記述あり。
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 由来、天皇所生の皇儲(位につく皇子)の選定には歴朝こもごも、さまざまな宮廷事情の中に、権謀術数が展開された。その生母の出自なども大きく左右する。延宝九年〈一六八一〉五月一日、霊元天皇(28歳)の一宮(母、中納言典侍)は、この日、霊元天皇の異母兄たる大覚寺入道二品性真親王(43歳)に入室が定められた。当日、皇子(11歳)は皇位を望むわけではないが、出家は否と頑強に固辞する。ひとえに生母の父、権大納言小倉実起(60歳)の教唆と推断した天皇は逆鱗する(『長暦』・『基量卿記』)。
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 う…もしかして、この辺の絡みかしら。あたしゃ詳しくは知らないけど、なんとなくアブナイなあ(爆)。時には出自が外務省の国賊に絡むケースを妄想したりなんかして。
 あたしゃ朝鮮絡みの音楽は聴いた事ないのよね(CDなんざ、何処から仕入れてくるんだ?…苦笑)。因みにこちとらナクソス盤は一枚も持ってないし、カメラータ盤もシューベルトのSQ全集があるだけ。噂に聞く「ようつべ」は使い方が分からんし、うちのコンポにはチューナーがない(いつも年末の数日間だけ買いたくなるけど毎年未遂)。…壊れかけの「日立パディスコ」(ラジカセ)を繋いでみた時は丁度シノーポリの《指環》が流れてた。それから何ヶ月も経たないうちに指揮中の急逝ってんでガクッときて、そんでもって私は世捨て人になった(ちと誇張の度が過ぎるか)。
 北鮮字引の「ジャズ」項目か…なんか物騒な予感が(汗)。ガーシュインが真っ先に問題視されそうな。でもバーンスタインの方はそうでもないかな(選曲次第)。とは云え当方、ジャケットが岡本太郎の絵の「カディッシュ」交響曲をLP時代に聴いて「バンスタ嫌い」になった記憶がある。あたしゃアメリカ音楽はどうも馴染めないのよね。LDでは細切れのソ…じゃなくてコープランドとかアイヴズなどをバンスタが振ってた気がするけど、記憶は定かならず。
 それよりは北鮮音楽の方が、ソ連寄りなら少しは肌に合うかも知れないな。かと云って元気一杯でも困る。因みにチャイコ・ショスタコ・プロコのは憂鬱な曲が好きだけど、陽気なのは全然ダメ。付いて行けない。…「陽気」でなくて「元気」の方なら、軍楽調の長い曲が最高だったなあ。のめり込む時は泥酔するに限る(マーラーsym.6、ショスタコsym.11…どっちも終楽章で鼻血が出そう)。

(以下余談)
 どっちが余談だか自分でもよく分からんが(苦笑)、私が最近仰天したのは今月一日付の「書道美術新聞」(887号)。なにやら書道界の一部が「大野修作漢詩塾」ってのを計画してるそうな。
 そう云や以前、キルドンム様に添削をお願いした事があったっけ。あれでお分かりの通りこちらは「ずぶの素人」。私も含めて多くの人が「自作を書きたくても恥ずかしくて書けない」筈なのよね。あの時は本当に有難かったなあ(重ねて感謝)。
 そんなこんなで、今夜は話の種に書家の作った詩を転載。作者は国定手本乙種筆者の西脇呉石。同鴎社と龍一吟社で学んだそうな。こんなのを一千余首も作れるってのは羨ましい限り。
 神風特別攻撃隊
神風將士赤心堅。雷撃挺身南海天。一艦一機何壮烈。千秋竹帛偉勲傳。
 警報
警報頻々響碧空。敵機南北又西東。皇軍儼在神風隊。勝算無疑方寸中。
 送三男正入横須賀海兵團
正是神州興廢時。奮然應召健男児。衝天意氣前無敵。萬歳齊呼振旭旗。
 塞斑島玉砕
既爲邦家抛一身。縦横屠敵氣逾振。可嘆孤島彈丸盡。壮烈千秋泣鬼神。



7055 Re:米帝死臭滿韓土、泡姫開股孕鬼子 福田恒存をやっつける会会長 2008/03/13 10:35
男性 無職 70歳以上 海外
>  霊元天皇(28歳)の一宮(母、中納言典侍)は、この日、霊元天皇の異母兄たる大覚寺入道二品性真親王(43歳)に入室が定められた。当日、皇子(11歳)は皇位を望むわけではないが、出家は否と頑強に固辞する。ひとえに生母の父、権大納言小倉実起(60歳)の教唆と推断した天皇は逆鱗

一宮の入室決定と、皇子の出家固辞とはどのような関係にあるのでしょうか。

 入室させるためには皇子を出家させねばならない、というような事情があったのでしょうか。この文章からはそう読めますが。

 歴史に疎いものでその辺の事情がさっぱり分かりません。



7057 Re:米帝死臭滿韓土、泡姫開股孕鬼子 キルドンム 2008/03/15 01:27
男性 39歳 岐阜県
> 一宮の入室決定と、皇子の出家固辞とはどのような関係にあるのでしょうか。
>
>  入室させるためには皇子を出家させねばならない、というような事情があったのでしょうか。この文章からはそう読めますが。

 法親王の後を継がせるのだから、当然出家させなければならないのではないでしょうか。
 同書の後のくだりによれば、霊元帝は寵愛していた五宮(東山帝)に皇位を継がせたいと熱望されていたそうです。それで邪魔な一宮を追放した次第。皇室典範で継承順位を定めていない時代には、往々にしてあったことです。



6794 Re:国語問題協議会 佐藤 俊 2007/10/03 20:05
男性 会社員 A型 新潟県
なら「やっつける会」も早急に解散すべきだな。
もう1年以上活動し続けているわりには、なんの成果もあがっていない。

ああそうか、会長の座を失いたくないわけか。



6803 Re:国語問題協議会 佐藤 俊 2007/10/05 22:04
男性 会社員 A型 新潟県
なら協議会に「なぜ会員のほとんどは普段旧かなを使わないのか?」と質問すればいいではないか。
8【再掲】国語問題09 ( 苹@泥酔 )
2011/10/16 (Sun) 21:43:38
7686 あれから五年半… 苹@泥酔 2009/11/13 02:15

●調和の顛倒
 「五年半前の記録」と題して旧稿を再録し(No.7658~7661)、「其三」には二つの余談稿「書道愛好家の常識と盲点」を追記した。今、そうした流れを承けて書いている。
 仮名は現実的な文字なのだろうか。理念的な文字として出発したのではなかったか。

 仮名が理念的である理由は来歴にある。そこには先ず漢字を真名と真仮名に分ける理念的差異があるかの様でもあり、具体的には訓読との関係で「漢字を使い分ける」システムが漢字の中身を機能面からつくり変える。従って乱暴に云えば真名も真仮名も漢字である事に変わりはなく、うかうかしていると斯く云う私自身が両者の区別を忘れてしまうのだから厄介と云えば厄介(錯誤の実例↓)。
http://tantanjuku.seesaa.net/article/119727791.html#comment
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=7456&range=1
 あらためて読み直すと、坦々塾ブログで反省した私の方が間違っている様な気もする。真名そのものよりも、真名と仮名との対比がややこしい。真名と真仮名にどれだけの差異があるのか(orないのか)。あるとしたら、それはどの様な中間段階を示唆するのか。
 真仮名と万葉仮名は表層上の漢字イメージで括られる仮名グループだが、厳密には必ずしもそうではない場合がある。私はこれを「万葉仮名による仮名システムの呪縛」と見なしたい。今や狭義の漢字は楷書イメージに近い感覚で捉えられるだろう。しかしこれを、行書のみならず草書も含めて拡張すれば、草仮名から平仮名に至る仮名システムもまた、依然として漢字との間で互いに互いを脅かし合い続ける。そうした事情の方も同様に顧慮されねばなるまい。実際それに近い場面が間々あった。草書で書かれた漢字に振り仮名のある版本が江戸時代に普及したのも、実用的な平仮名の種類が減っていったのも、漢字と仮名の判別環境が整序されていく過程で自然かつ免疫的に定着した共存形態の一つと云えよう。
 この段階では漢字と仮名が調和する。調和するから読みやすい~或いは読みやすくするから調和する。つまり調和と読みやすさには相関性があり、それぞれ中身が変わっても関係の優位性は保たれるという訳だ。
 ならば敷衍するとどうなるか。例えば現代の漢字と仮名が調和しないのは、「調和しない方が読みやすい」からだろう。ここでは「調和しない状態」が読みやすさに於て「調和した状態」となり、調和の中身がガラリと変わる。すると必然的に「調和の変化」自体が書道愛好家の脅威となっていく。今では「調和しない基準」を恰も調和するかの様に顛倒させる見方を「調和体」だの「近代詩文書」だのと呼び、その猛毒性を学校教育へと行き渡らせる段階にある。調和とは何かを問い直さない限り、調和体への違和感はやがて根本的な所で、書道の自滅を国語的正当性の名に於て根拠付けていくのではなかろうか。(嘗て長条幅に明朝体活字を真似て漢字仮名交じりのを書いてみた時、奇妙な「ツマラナイ安心感」を覚え思わず狼狽した…。)


●唐様と和様
 先日、坦々塾ブログでこんなネタを持ち出した(↓)。こちら天バカ板で一連の「五年半前の記録」稿を持ち出す、直接の契機となった稿である。
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> 「売家と唐様で書く三代目」…有名な川柳だが、ググってみると「唐様で売家と~」って順番のも出てくる。ここに出てくる「唐様」とは何だろうか。「書く」のだから「字が唐様」ってのは分かる。では、どんな字を指すのか。今夜はその辺の雑感を一つ。
> 幕末期の江戸では市川米庵の書風が武家の教養と深く関わっていたが、巻菱湖のはどちらかと云えば庶民に浸透していたらしい。それが明治維新後に国定手本やら何やらの主流を占める様になっていった訳だが、中には「福沢諭吉が菱湖流を好んだ」との説もあるらしい。和様に比べれば唐様は漢字、それも楷書のが多く見られる。ところが幕末期の読み物には行草平仮名交じりが目立つ。そうした雑駁な印象からしてみれば、楷書で書かれた漢文の版本はおしなべて唐様だったのかも知れない。そもそも和様の楷書なんて見た事ないぞ。だから書き手が本来は御家流であっても楷書で書けば唐様って事になったのではないかと、私はそんな可能性を疑うのである。
> 真偽は定かでない。同じ行草の領分で和様と唐様を云々できるかどうかすら取っ付きにくいのに、まして平仮名ともなれば、そもそも仮名の唐様なんて代物を想定する方がおかしい。ところが唐様の筈の巻菱湖は、実のところ大量の仮名手本を出版しているのである。古今和歌集から実用書翰文まで、その幅はたいそう広い。そうした菱湖の仮名には版本の他にも条幅などがあって、こうなると和様と唐様の区別を書風のレベルで済ませる訳にはいかなくなってくる。
> そこでこの際、楷書を唐様の象徴と捉えてみる。すると別のものが見えてくる。当時の一般的な「漢字仮名交じり表記」に楷書は用いられない。楷書には片仮名が相応しい。つまりここでは片仮名と平仮名の差異が、唐様受容史のキーポイントとなって浮上してくる。漢字ばかり見るから仮名が度外視され、仮名と漢字の関わり方が自動的に歪曲されるのではないか。楷書と平仮名の不倫結婚(!)が明治時代の文教政策とどう関わったか、それ自体が書字から活字への劇的遷移のドサクサに紛れて隠蔽されてきたのではなかったか。それを戦後に引きずる過程で、戦前からあった仮名遣い変更の動きが更なる隠蔽効果を発揮した。だから多くの保守的国語論者は仮名遣いや新漢字の問題にばかり拘泥して、その前史を見ようともしない…かの様に見えてくる。
> 西尾先生と福田先生との違いに底流するものは、存外そうした所にもあるのでは…と、浅野様新稿の特定センテンスを拝読してビビビ、ウッカリ脱線と相成った次第(汗)。なんか場違いな話になったかも?~てな訳で、本稿は取り敢えず池田様の記事コメント欄に連ねます。
>Posted by 苹@泥酔 at 2009年10月21日 03:38
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 これまで漢字と仮名については執拗な言及を続けてきたが、唐様と和様に繋げて考えたのは今回が初めてである。その結果こうなった。楷書を「唐様の象徴」としたのはいかにも乱暴な話だが、その効果は後で「読めないとはどういう事か」の視点が纏わり付いてから現れる。
 中には、和様の楷書と云えなくもない古筆もある。あくまで書風・書流に拘れば、むしろ拙論の方が無理筋と映るだろう。しかし楷書はどこまで行っても楷書であり、仮名と調和した時代は平仮名成立以前へと遡る。もちろん一部の写本には平仮名も書き込まれている。ただし万葉仮名は万葉仮名、平仮名は平仮名と分けて書かれるか、もしくは振り仮名~それとて多くは片仮名だろう。そして平仮名と楷書がくんづほぐれつ交わるという事は、要するに「調和の幅そのもの」(つまり楷書に近い行書から、平仮名に近い草書までの幅)を省くという事である。そこでは漢字と仮名の仲違いを必要とする表記システムが要請されるのに、その上で調和させるとなると果ては仮面夫婦状態か、はたまた究極の夫婦喧嘩状態か(離婚寸前?)。
 結婚に縛られた男女の様に、漢字と仮名~楷書と平仮名が振る舞い始める(差し当たっては男女平等論や夫婦別姓論を想起されたし)。しかもなるべくなら表向き清潔に。いきなり草書なんか持ち込んで「不倫は文化だ」と嘯いたところで、そんなもん誰が認めるか。~例えば通常、漢字は男性的で仮名は女性的なイメージとされるらしい。そこには作られた性差がある。女性的な漢字はオカマさん。或いはニューハーフ。それが草書の様に佇むとしたら、書字の歴史は過酷どころか不幸な時代として「現代から洗浄されねばならなくなる」筈。それが副次的には「古典の活字化」の動機を形成するだろう。とどのつまりは保革逆転する訳だ。ここまで来れば枠組みは概ね定まったも同然。論ずれば論ずるほど、旧漢字だの歴史的仮名遣いだのと言い募る場は明治以降の相対的パラダイムへと矮小化されていく。つまり論争自体が「現代文の様に」予め調和している事になる。何たる皮肉か、歴史は既に蚊帳の外。
 「読めない」とは、どういう事か。今や漢字は「楷書でないから読めないのだ」。しかしそれだけで済まされるものだろうか。

 まだ先がある。私は「唐様受容史」云々と書いた。開国後の日本人は清国に進出し、毒と薬を同時に呑むかのごとき仕方で楷書も草書も唐様クラスターの新時代を構築し始める。~平たく云えば、漢字が日本から逃げ出した。或いは手塚マンガの「火の鳥」の様に、「あちらに逃げて、そして里帰りした」(輪廻転生?)。もはや漢字は仮名との調和を維持できない。それから暫くして、仮名は仮名で独自に急進的な遡行を遂げていった。これを古筆ブームと云う。巻菱湖の仮名は古筆的ではない。支那毒に罹った漢字から虐げられた仮名は、恰も旧態然とした「漢字との調和」から石もて追われるかのごとく、明治・大正時代から平安時代へと自ら「都落ち」していった。
 ここでは互いの不倫相手が自己そのものとなる。ルーツを遡り、漢字はより漢字らしくなっていった。ならば仮名も仮名らしく…なったかと云えば、こちらはちょいと事情が異なる。なにしろ多分、仮名は女性的なのである。巷間そう印象付けられてある以上、まさか万葉仮名まで遡る訳にもいくまい。そこまで来ると却って漢字の毒気に当てられてしまう。~ふと気付くと、ここで苹は唐突に、西尾先生の黙示録的表現を思い出していた。先生は池田俊二氏に宛てて曰く、「4)万葉仮名の「音仮名」は音符に近い。先祖返りではないか、と言っているのです」と(下記の奥様ブログ稿内「日録」リンク参照)。ただし私は下品な性格だから、先祖返りと云うよりはむしろ「間男の正体は父親」みたいな感覚の方が正直しっくりくるのだが(汗)。
 仮名の父親は、いかんせん漢字である。にもかかわらず漢字は昔から間男であった(その先は幼児虐待&近親相姦?)。…否。彼女の本当の父親は原日本語であり、日本語に呪われた漢字は仮名への変容を余儀なくされた。すなわち「日本語の養子となった漢字」に犯された娘のDNAが日本語と国語を貫く流れとしてのそれであって、そこで辛うじて近親相姦疑惑から逃れられた、と云えそうではある(たとい戸籍上はどうであろうとも!)。…すると明治維新が歴史の逆流を促したかの様に見えてくる。それも一足飛びに、所謂「鎖国時代」を無かった事にするかのごとき仕方でいきなりタイムスリップするのである。どちらがドッペルゲンガーか分からない。過去の私と、今の私。平安時代の仮名と、幕末以降の仮名。そこで急遽、精神病理面(?)の治療が施された。それが明治以降の仮名である。活字化と一音一字/一字一音化という劇薬で治療された後の姿である。ここにもう一つの罠があった。もし彼女が正気なら、多分こう証言するだろう。「私(=仮名)の体は、父親かつ間男の彼だけに抱かれたとは限らないわ。だって私を治療した先生自身、私を愛した毛唐(=音標文字)なんですもの」と。治療の正体は「毛唐色に染まれ」との暗示をかける催眠術だった。
 やがて彼女は昭和「達」を孕んだ。そもそも仮名活字自身が誰の子なのか分からない。分からないからこそ昭和に及ぶのだろう。彼女は明治の子であると同時に毛唐の子でもある。明治が昭和を孕んだ様に、毛唐は精神の昭和をも孕んだ。昭和兄弟の一人は二十歳を過ぎた頃に毛唐的発想から殺されたが、中にはまだ殺されていない兄弟も居る。そして父親達は相変わらず亡霊の様に健在である。どちらであれ父親が昭和兄弟の一人をゾンビ化する時、明治の調和感覚もまた何らかの形で甦るだろう。それが江戸時代とそれ以前との関係を二度殺す。漢字と仮名のハングル化(後述)が止まらない場合、不倫と調和の境界もまた同様に殺されるだろうからである。


●拾遺
 坦々塾ブログに書いた後、セレブ奥様ブログに続きを書いた(2009/10/24 00:32)。以下は「康煕字典体とハングルの類似性」と題する中核部分。
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> 「真」と「眞」を比べると、どちらが正しいだろうか。旧字体の方が正しいと考える人は「眞」を支持するだろうし、それと教える義務に縛られている教員にとっては当然「真」の方だろう。立場次第で正しさの中身も基準も異なる。そして斯く云う苹は明確に「真」を支持し、「眞」の過半を実用から理念の側へと排除する。
> 苹の立場は、伝統的な字形(真)を捨ててまで「新たに作られた字形」(眞)を支持する必要はない、というものである。そうした意味で「眞」とハングルは似ている。ただし厄介なのは根拠。ハングルと違って「眞」の場合は、篆書の字形を楷書化した点で遙かに歴史的正当性を有する。だから文字学者は自身どんなに嫌でも「眞」を支持せねばならぬだろうし、その代わり実用上の「真」をどうにかして容認するため、正字だの俗字だのと解釈し分ける事になる。先ずそれをやったのが支那の学者達だった。言い換えるなら~現実に書かれる文字を無視してまでも古代への理念を希求するため、彼らは康煕字典に収束する一連の流れを組み上げてきた。私に云わせれば「めんどくせー、やってられるか」となるが、それと似通った事を西尾先生も歴史的仮名遣い方面で感じていた模様。
http://book.geocities.jp/nishio_nitiroku/kako43.html
> 時は『江戸のダイナミズム』雑誌連載の終盤。「西尾幹二のインターネット日録」に、こんな記事が載った(↑)。その末尾に「なお、旧仮名が復活したら受験生がどうなるか、次回に面白い出題をみなさまに出してみたいと思います」と書いてある。当時その出題を見た記憶では、漢字熟語の正しい振り仮名の話があった筈。「やう」だの「えう」だの、今では纏めて「よう」と振るのを更に細分する類で、これが結構ややこしい。それを見た私は「書体や字体まで含めたらどうなるかナ」と思ったものだ。
> 支那の純然たる支那性を文字に宿す振る舞いが康煕字典の完成だった、という気がしてならない。西洋のグーテンベルク的な実用を一方の極と見るならば、東洋の康煕字典的な理念もまた一方の極だったのではないかと。そして、より踏み込んで仮想するならば、康煕字典的なるものの完成以前に成立したハングルを朝鮮人が受容するには、その康煕字典的な在り方の受容に成功した外部=日本を経由する方が好都合だったのではないかと。日本は中国でも朝鮮でもない他者である。他者を他者として組み入れる事は、喩えは悪いが「宿主から寄生虫を輸入する」様なものだろう。だからと云って日本が宿主となる必要はない。支那の領土から別の宿主が分裂すれば話は別だったかも知れない。が、彼らはそれを許さなかった。
> 国力そのものが文化障壁である事は、必ずしもそれが排他的である事を意味しない。排他性と免疫性を混同してはならない。
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 ここで再びハングルとの対比を扱った。「五年半前の記録(其四)」稿の最後に引用した旧稿をすっかり忘れた状態で書いたため、新旧二つの稿に自覚的な関連はない。

 以下に、その旧稿(「仮名のハングル化」)の中核部分を再三引用する。
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> 本当にハングルの話なのかと、不安を覚えるのは何故かしら。…西尾先生はハングルの事を、「いっさいの歴史から切り離された抽象的な人工言語」と仰有る。それを読む私はついうっかりと、仮名の奥底に「生成途上のハングル」を妄想する。
> …もし、仮名から歴史性を奪い去ったらどうなるか。歴史性の純化を通して抽象性を高めたらどうなるか。漢字から切り離す事によって生ずる人工性に、嘗て仮名の来歴が担っていた筈の機能を丸ごと委ねたらどうなるか。
http://kan-chan.stbbs.net/word/hentai.html
> 上記サイトを開くと、「合略仮名」の項に「被参候」合字や「こと」「より」の平仮名合字が載っている。…この形、私の目には単なる連綿としか映らない。ところが『文字』第二号(ミネルヴァ書房)P.169以降を見ると、石川九楊氏は極端に連綿プロセスを狭めた平仮名表記の「ひと」を取り上げ、合字としての性格を認めている。~引用はP.170から(「第六講 早わかり日本書史」)。
>--------------------------------------------------------------------------------
> 平仮名以前にも「仮名」はありましたが、ここでは省略します。その「仮名」は、いわば「片仮名」のようなものだと思っていただければよろしいです。片仮名というのは繋げて書くことができないのです。たとえば書道の名人が片仮名で〈ヤマ〉と流れるように続けて書く――、これは片仮名の構造からして不可能です。無理に繋げても体裁をなしません。この点はハングルも同じです。この仮名は女手以前の、一字を単位に離して書く漢字に倣った文字ですから、繋げられないのです。ところが女手(平仮名)では「*」と、〈と〉が〈ひ〉のなかにまで入り込んで繋がったような形が生じてきます。つまりこれは、「ひと(=人)」という一つの文字なのです。
>(苹註/「*」は「ひと」の合字)
>--------------------------------------------------------------------------------
> 「ひゃ」「ひゅ」「ひょ」の縦書き印字の様に、ここでは「と」が小さく書かれてある。小さく書いたからと云って、拗音か何かになる訳ではない。現代仮名遣いの、拗音と促音に限って小さく書く用法は特殊に見えるが、書字ではよくある事だから、小さく書く事それ自体は珍しくもなんともない(ルビ・註釈と混同する事もない)。
> また石川氏の記す通り、片仮名は連綿しないのが普通である。しかしハングルの方では、平易な行書程度の連続なら筆文字でそれなりに用いられているらしい(北朝鮮のテレビ番組タイトルを参照)。ここから石川説は崩れ始める。ハングル程度の連続なら、片仮名にも例がある。どこまでが連綿でどこからが連続か、連綿意識の衰退に比例して境界が崩れ始める。
> 今は平仮名ですら、連綿せずに書くのが普通となりかけている。そこに合字意識を持ち込めば、仮名のアフォーダンスはどの様に変化するか。表現としての合字的変形と文字意識とではそれぞれの属する場が異なるのに、二音連結の形を「一つの文字」と言い切ってしまえば「字」の概念が忽ち崩れてしまうではないか。合字を仮名の漢字的用法と仮定するなら、仮名のハングル的再構成の可能性に別の隙間ができる。歴史的事実として存在する片仮名合字の連続可能性は字の内部に留まるが、連綿意識なき平仮名に合字意識を持ち込めば連綿意識と連続意識とがすり替わる。その結果、片仮名のみならず平仮名に於ても一字一音の規範が崩れる。ハングル的な分解可能性が拗音に逆流しても構わなかった事になる。そうした可能性を踏まえれば、「ひと」合字はハングル的と形容できる。
> ゆえに私は、石川氏の見方では納得できない。現に合字(「コト」などの片仮名合字を含む)を排除した結果、現代の仮名が「ハングル仮名」化(?)する可能性は完全に捨てられた筈ではなかったか。仮名は活字時代になって初めて、連綿の破壊や合字の排除と引き替えに正式な「字」=日本式アルファベットとなったのではないか。~ところがここでは、漢字の来歴がじわじわと消えていく。連綿から成る構成原理が字と字の間から捨てられるのと同時に、字に内在する構成原理も変質していく。「字」としての抽象性が逆に来歴を嫌い始め、造形上のアフォーダンスは人工性に収束する。
> それを阻止するための方便としてなら、石川説の効用も分からぬではない。「ひと」タイプの合字は語を示すがゆえに、漢語の「人」との交換可能性を捨てる理由はなかった。連綿に依存するがゆえに、活字化の時点で「人」にも「ひ」「と」にもけちょんけちょんに負けた。…音はどのみち、語に勝てないのではないか。ここでは語が音や字を牽引し、それぞれの共立可能性を歴史的根拠の下に裁く。こうなれば両刃の剣。ここ百年の間は連綿システムが根こそぎ破壊され、歴史的事実の積み重ねと等しく「緩慢に」裁かれつつある。
> 「連綿を知らない世代の出現」は或る意味、「歴史の喪失」に直結するのではないかと気にかかる。仮名のハングル化は未来にいかなる機能をも必要としないだろう。しかし過去の文献に対してなら、その生成過程で独自の裁き方を提示できるかも知れない。書字文化が印字文化に敗北する時、仮名のハングル化は別の意味で避けられなくなる様な気がする。ハングル化の可能性の捨て方が深刻な副作用となって現れる一方、ハングル化を阻止された活字文化はむしろますます古典から自由になる。
> 西尾先生や田中先生は音声言語を優先する。片や石川氏は、あくまで文字言語を優先する。この点では対立せざるを得ないのだろうが、そればかりでは何やら物寂しい心地がする。
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8【再掲】国語問題08 ( 苹@泥酔 )
2011/10/12 (Wed) 21:39:40
7661 五年半前の記録(其四) 苹@泥酔 2009/10/24 21:35

 …続ける。


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>242 なるべく短く…とは思うんだけど 苹 2004/04/22 22:48
>
>
> 書体横断的な関係そのものを漢字の本体として学べば、楷書や隷書の骨格が散れば散るほど草略書体は生き生きと動き出す(空海の言い回しだと「懐抱を散ず」?)。それをゾクゾクしながら学んだのが私の中高生時代。勝手に崩せば、それが自然と正しい草書になる。正しい草書である事を字書(私の場合は千字文)で確認すれば、応用可能な行書・草書の形を一々学ぶ必要がなくなる。クイズの答え合わせの様なもの、と云うべきか。字書は所詮、正しい字を書いているかどうかを確認するための手鑑に過ぎない。~これらは総て、美的側面とは全く別の話。
> 百済の王仁による千字文伝来云々を盲信するなら、当時の書字文化の根幹は既に洗練され尽くしていた筈。意味や音声には興味がなくとも、視覚的認知に「活字的」アフォーダンスの入り込む余地がないなら、草略を前提した書体間の差異は脳の錯誤の領分に属する筈。~下條信輔『〈意識〉とは何だろうか』(講談社現代新書)P.62に曰く、「知覚・認知の錯誤は、ヒトの生理・心理過程の異常であるよりは、むしろ正常な機能の反映である。したがってまた、錯誤は、正常な精神機能と特殊な環境状況との相互作用の結果と捉えるべきである」と。
>
> …以下、冗談まじりに。
> 見知らぬ私とパンチDEデート。脳味噌をほじくり返すと、無意識(の記憶?)が背後霊の様に書物を招還する。その結果はヒントでシント、マッサージにマクルーハン。すっかり忘れていたのに、読み直したら全部がオング『声の文化と文字の文化』P.357に繋がっていた。余りの単純さに呆れてしまう。その気はなくとも、冗談にしかならない。
> 私は再三取り乱す。「思いもかけない道が開かれそうな気」の真意を疑い直す。そしてまたもや、日録に戻る。「『古事記』と本居宣長と日本古代の文字表記をめぐる本に毎日没頭していて」と書いてある。~手元に二冊の本がある。犬飼隆『上代文字言語の研究』(笠間書院)と『書道研究』1988年9月号(美術新聞社)。後者の特集記事は「「万葉集」の世界」。冒頭写真を見れば瞭然、「藤原時代書写の『万葉集』は、すべて真名の歌と仮名の歌とを並べて書写している」(P.42、春名好重)のがよく分かる。桂本も他の写本も、その美的水準は既に習字手本になるほどの完成度に達している(廉価なカラー複製を見るなら、二玄社の「日本名筆選」シリーズが便利)。
> そこで『諸君!』四月号を読み直す。「『万葉集』の写本で、完全なものが少いのは、切って掛軸にしたり、習字の手本にするなど、比較的に粗末に扱われたからのようですが」と書いてある。江戸時代の需要なら、掛軸よりは古筆手鑑としての方が多かった筈。筆跡鑑定の一級史料は(通常の意味での)習字手本にならない。掛軸もまた然り。表装の歴史は湯山美治『表装の技法』(日貿出版社)P.14~20に少しだけ書いてあった…。
>
> 古事記については興味を持った事などなかったけど…ところで宣長は当時、どんな写本を見ていたのかしら。現代人の認知機能との間に、何らかの時代差はあるのかしら。~現代人についてなら、先行研究がいくつかある模様。以下は御領謙『読むということ』(東京大学出版会、認知科学選書)P.136~138。
>--------------------------------------------------------------------------------
>漢字と仮名の認知的特徴
>(1) 刺激縮減事態では、漢字の方が仮名よりも同定されやすい。この傾向は漢字の複雑さが増すほど増大する。また仮名の方が漢字よりも速く視覚的に探索できる。これらの事実は漢字と仮名の視覚的分析過程では、その形態としての複雑さが認知の効率に影響することを示している。
>(2) ある意味カテゴリーに属する語を他の語群から視覚的に探索するという事態では漢字表記の語の方が仮名のものよりも速く探索できる。この事実は漢字の意味の把握が仮名よりも速く出来るという仮説を支持するものである。
>(3) 語を単独で提示したときの音読潜時を漢字語と仮名語間で比較すると、ほぼ例外なく漢字表記の方が潜時が長くなる。これは読みが一通りの漢字についてもいえる。
>(4) 空白のある文を読ませたあと、空白部に該当する語を与えて音読させる場合にも、やはり漢字の方が潜時が長い。
>(5) 上と同様の事態で、音読ではなく、ある語がその空白部に適切かどうかを判定することに要する時間に関しては、漢字の方が仮名よりも速い。音読に比べ、意味的処理の速度は漢字の方が速いという仮説を支持するデータである。
>(6) 漢字仮名混じり文と仮名文との音読に要する時間には差はない。前者の方が速いというデータもあるが、その場合にもその差は練習により急速に縮まる。
>(7) 黙読のばあいには漢字仮名混じり文の方が仮名文よりも速く読める。
>(8) 絵と文字との意味の照合に要する時間に関しては、漢字と仮名との間に差が認められない。
>(9) 短期記憶への記銘の際の、言語音による妨害刺激の効果は仮名に比べ、漢字や無意味図形では少ない。漢字は仮名に比べて記銘の際に音韻的符号化に頼ることが少ないためであると解釈できる。
>(10) 失語、失読の諸症状との対応関係は必ずしも明確とはいえない場合もあるが、日本人の失読症に漢字か仮名のどちらか一方が選択的に障害を受けている症例が多数報告されている。このことは控え目にみても、漢字と仮名の認知的処理が全く同じ道筋でなされているのではないことを、神経学的な事実として示す証拠といえよう。
>(11) 大脳両半球の機能差に関しては、仮名の左半球優位という事実が多数報告されている。漢字について左右差を認めないものと、右半球優位を示すもの、それに若干の左半球優位を示すデータとがある。漢字に関して、視覚的形態処理の側面の強い課題では右、言語的処理の側面の強い課題では左という説もある。しかし、これらの事実も少なくとも漢字と仮名の処理はどこかに違いがあるということを明確に示唆するものである。
>--------------------------------------------------------------------------------
> 同書P.131で気になったのは二箇所。
>・「ある特定の語を視覚的にチェックしてゆく場合にはその語の音韻的特徴は関与しない、といえる。」
>・「漢字の意味処理をする場合に、漢字の音韻的符号化過程が関与しないか、また音韻的符号化が拍数に影響されない方式で行われるものであるという可能性」
>
>i日録,オピニオン房,i日録感想房,うぇっぶ庵

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>247 仮名の「棒引き漢語」化 苹 2004/04/23 23:15
>
>
>(承前)
> そもそも漢字と仮名の区別は何を基準とするのか。『諸君!』五月号にある「余能奈可波」が仮名に見える私の目がおかしいのか、それとも頭がおかしいのか。現代人の大多数を基準とするなら、きっと「頭の方がおかしい」筈。それを脳機能研究の側で解き明かせるなら、どんなにいい事か。
> 妄想はますますひどくなる。
>「ケフ ハ、テンチョーセツデ ゴザイマス。
> オハナサン、オイハヒ ノ ショーカ ヲ ウタヒマセウ。」
> ~この中の「テンチョーセツ」や「ショーカ」が漢字である、などと言い出したら…きっと誰もが「あいつは狂った」と思うだろう。しかしたまには、そう考えてみたくなる。漢字の構成原理に従った仮名がある様に、仮名の構成原理に従った漢字―漢語があってもいいではないか。必要とあらば、漢字―漢語を意味する「それ」の脇に「天長節」「唱歌」とルビを振ればよい(似通った議論はあったけど)。活字文化の制約を度外視すれば、「漢語は連綿して、仮名は連綿しない」とする事だって考えられる筈。
> もし、雷様(「かみなりさま」でなく「いかずちさま」)の身近に失語・失読の人が居るなら、どんな具合になるのだろうか。漢字と同じ字形の「真名」を、恰も仮名であるかのごとく読むのだろうか。音訓の区別に棒引き仮名遣いの根拠を求める場合、あの仮名表記の背後に漢字・漢語が隠れる。そんな学び方が可能なのか? 漢字節減から漢字廃止への道筋に、漢字・漢語の機能そのものを取り込もうとする場合、仮名はもはや表音文字のままではいられなくなる。漢字文化の破壊が仮名文化の破壊(?)を誘発する。その中間で殆いバランスを保つところに、旧仮名遣いの淵源があったのではないか。その意味で旧仮名遣いは分相応の保守性を持ち、かつ新仮名遣いへの緩やかな移行を方向付けたと考えるならば、新仮名遣いもまた旧仮名遣いと同様に、保守的性格とのせめぎ合いを常に抱え込んでいるのが当然ではないか(もちろん、その逆も相変わらず共立する筈だけど)。
>
> キルドンム様、こんな返信でも構いませんか?
>
>
>(閑人様宛)
> ううう…ごめんなさい(泣)。鋭い話が出てきて追い詰められた様な心地になると厄介だけど、できるだけ気をつけて書きます。
>
>i日録,オピニオン房,i日録感想房,うぇっぶ庵

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>254 牽強付会? 苹 2004/04/25 16:08
>
>
> ふと思い出したので、とりとめなく疑問だけ羅列…。
> 「音」の影響が希薄になり、「訓」と複線化した結果、「音」の使用頻度が著しく低下した漢字…。例えば、こんなのはどうだろうか。杉・娘・繭・芋・咲・塚・棚・滝・潟。
> 芋・棚・滝あたりは于・朋・竜から連想できそうだが、竜=龍で「ロウ」がすぐ出てくるかどうか(「文心雕龍」は「ロウ」か「リュウ」か)。咲=笑もなんとなく縁遠い。塚・潟に至っては私の場合、連想の種不足でお手上げ…(汗)。すぐには写=寫が思い出せなかったし、そこから「シャク」を導く経路も曖昧。
> 「音」による絆がそんな状態で、「訓」の方はばらばら。これでは表音文字としての側面が、表意文字・表語文字としての側面の奥深くに隠れてもおかしくないだろう。漢字を「表語文字」と言い切って、本当に構わないのか。「表語性が極度に強い表音文字」としてのシステマティックな性格が埋もれていないか。仮名やハングルはアルファベットだが、それを綴りの領分で高度に進化させれば、表語性が表音的性格を凌ぐ場合だってあり得るのではないか。漢字の方も、部首が「字」の単位に埋もれていやしないか。アルファベットは字か、それとも語の構成要素(=部首?)か。
> 漢字を利用した仮名にとって、そもそも字とは何か。…言語学の本に書いてあったかどうか忘れちまったぃ(愚痴)。
>
>i日録,オピニオン房,i日録感想房,うぇっぶ庵

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>293 今日の反省 苹@懺悔 2004/05/01 17:22
>
>
>・ネット上で、橋本進吉「表音的假名遣は假名遣にあらず」を読んだ。
>・書店に行ってみたが、案の定『諸君!』六月号は並んでいなかった。
>・空振りが癪で、福田恆存『私の國語教室』(文春新書)を買ってきた。
>
> …福田本を初めて飛ばし読み、拙稿の多くが無駄だった事を知った。全部そこに書いてある。福田本自体が西尾説の裏付けとなっている様に見える。一歩下がれば歴史的仮名遣い自体、既に「一音一字」方式の表音化を受容しているのが分かる。また一歩進めれば「随う」べき「語」の概念自体、既に歴史的な歪みを受容しているのが分かる。
> 歴史的仮名遣いの敵は、表音的仮名遣いではない様に見える。だから永遠にちぐはぐであり続けるだろうと予想がつく。表音的仮名遣いの背後に歴史的仮名遣いが隠れる様に、歴史的仮名遣いの背後にも語の来歴が隠れる。これだと五十歩百歩ではないか。むしろ「隠れたものが忘れ去られる」事の方に、二重の問題がある。
> 一つは~「あ」の背景を忘れれば「安」も「阿」もなくなる様に、忘れられる事が欠点となり得る場合。もう一つは語としての来歴を忘れる事によって、音としての自由・柔軟性が得られる場合(これなくして仮名文化は成立し得ない)。そのバランスを問うて何が残るのか。来歴の精選が教育上の大問題なら、歴史的仮名遣いの復活と「ゆとり教育」廃止は目的を同じうするのではないか。
> 新たな仮名遣いは、下手をすると世代間の断絶を招く。その中身が何であれ、結局は同じ事。「現代仮名遣い」の後に新たな「歴史的仮名遣い」を導入すれば、嘗て「現代仮名遣い」が導入された時よりも遙かに難しい対応を迫られる筈。この場合、「歴史的」と云うより「急進的仮名遣い」と云う方が似つかわしい。「歴史」を詭弁用語に貶めるくらいなら、現代文の授業を大幅に減らして古文の授業を増やした方がいい。これなら現行の授業ノウハウがそのまま使える。
> 福田先生はP.97で、「明治以来の國語問題の歴史はほとんど門外漢の手によつて押し進められてきたのです」と述べる。ここでの「門外漢」とは、古文書読解の基礎(書の素養)のない人々の事か、それとも母語破壊を目的とする外国かぶれの確信犯の事か。もし前者を指すなら、どこかで習字教育の怠慢を糾弾している筈。何年か前に流行った「ウォーリーをさがせ」の乗りで探してみよう。
>
> それにしても…西尾先生はさぞ幻滅した事でしょう。「俺が知らないとでも思っているのか! 何たる無知! 何たる不勉強!」と。想像するたび恐懼々々。
> であるなら…次の切り口を考え直さないと、こちとら申し訳が立たないわいなぁ(汗)。
>
>(補記)
>・「江戸~」の感想を書かない蘭様は偉いっ! 今夜中に書いてくれれば、明日の書店遠征に向けてアドレナリンがしこたま分泌されるだろうに(と催促してみる)。
>・奥さん…(ハァハァ)、疲れませんでしたか(ゼェゼェ)。こちとら飯田橋は未経験です。~予約せずに上京した時、ラブホテルに一人で行って断られて、茅場町パークホテルに宿泊した事を思い出します。九段下のフェヤーモントホテルは朝の眺めがよかったなあ。
>
>i日録,オピニオン房,i日録感想房,うぇっぶ庵

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>304 仮名のハングル化 苹 2004/05/04 14:48
>
>
>「お嬢、お帰りなせぇやしっ」(組員一同、閣下に敬礼)
>「閣下とお呼びっ!」(シンポを控え、広島組は一触即発)
> …取り敢えず、『諸君!』の本題とはあまり関係のなさそうな事から書いてみます。(これなら未読でも大丈夫かも?)
>
> 本当にハングルの話なのかと、不安を覚えるのは何故かしら。…西尾先生はハングルの事を、「いっさいの歴史から切り離された抽象的な人工言語」と仰有る。それを読む私はついうっかりと、仮名の奥底に「生成途上のハングル」を妄想する。
> …もし、仮名から歴史性を奪い去ったらどうなるか。歴史性の純化を通して抽象性を高めたらどうなるか。漢字から切り離す事によって生ずる人工性に、嘗て仮名の来歴が担っていた筈の機能を丸ごと委ねたらどうなるか。
http://kan-chan.stbbs.net/word/hentai.html
> 上記サイトを開くと、「合略仮名」の項に「被参候」合字や「こと」「より」の平仮名合字が載っている。…この形、私の目には単なる連綿としか映らない。ところが『文字』第二号(ミネルヴァ書房)P.169以降を見ると、石川九楊氏は極端に連綿プロセスを狭めた平仮名表記の「ひと」を取り上げ、合字としての性格を認めている。~引用はP.170から(「第六講 早わかり日本書史」)。
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> 平仮名以前にも「仮名」はありましたが、ここでは省略します。その「仮名」は、いわば「片仮名」のようなものだと思っていただければよろしいです。片仮名というのは繋げて書くことができないのです。たとえば書道の名人が片仮名で〈ヤマ〉と流れるように続けて書く――、これは片仮名の構造からして不可能です。無理に繋げても体裁をなしません。この点はハングルも同じです。この仮名は女手以前の、一字を単位に離して書く漢字に倣った文字ですから、繋げられないのです。ところが女手(平仮名)では「*」と、〈と〉が〈ひ〉のなかにまで入り込んで繋がったような形が生じてきます。つまりこれは、「ひと(=人)」という一つの文字なのです。
>(苹註/「*」は「ひと」の合字)
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> 「ひゃ」「ひゅ」「ひょ」の縦書き印字の様に、ここでは「と」が小さく書かれてある。小さく書いたからと云って、拗音か何かになる訳ではない。現代仮名遣いの、拗音と促音に限って小さく書く用法は特殊に見えるが、書字ではよくある事だから、小さく書く事それ自体は珍しくもなんともない(ルビ・註釈と混同する事もない)。
> また石川氏の記す通り、片仮名は連綿しないのが普通である。しかしハングルの方では、平易な行書程度の連続なら筆文字でそれなりに用いられているらしい(北朝鮮のテレビ番組タイトルを参照)。ここから石川説は崩れ始める。ハングル程度の連続なら、片仮名にも例がある。どこまでが連綿でどこからが連続か、連綿意識の衰退に比例して境界が崩れ始める。
> 今は平仮名ですら、連綿せずに書くのが普通となりかけている。そこに合字意識を持ち込めば、仮名のアフォーダンスはどの様に変化するか。表現としての合字的変形と文字意識とではそれぞれの属する場が異なるのに、二音連結の形を「一つの文字」と言い切ってしまえば「字」の概念が忽ち崩れてしまうではないか。合字を仮名の漢字的用法と仮定するなら、仮名のハングル的再構成の可能性に別の隙間ができる。歴史的事実として存在する片仮名合字の連続可能性は字の内部に留まるが、連綿意識なき平仮名に合字意識を持ち込めば連綿意識と連続意識とがすり替わる。その結果、片仮名のみならず平仮名に於ても一字一音の規範が崩れる。ハングル的な分解可能性が拗音に逆流しても構わなかった事になる。そうした可能性を踏まえれば、「ひと」合字はハングル的と形容できる。
> ゆえに私は、石川氏の見方では納得できない。現に合字(「コト」などの片仮名合字を含む)を排除した結果、現代の仮名が「ハングル仮名」化(?)する可能性は完全に捨てられた筈ではなかったか。仮名は活字時代になって初めて、連綿の破壊や合字の排除と引き替えに正式な「字」=日本式アルファベットとなったのではないか。~ところがここでは、漢字の来歴がじわじわと消えていく。連綿から成る構成原理が字と字の間から捨てられるのと同時に、字に内在する構成原理も変質していく。「字」としての抽象性が逆に来歴を嫌い始め、造形上のアフォーダンスは人工性に収束する。
> それを阻止するための方便としてなら、石川説の効用も分からぬではない。「ひと」タイプの合字は語を示すがゆえに、漢語の「人」との交換可能性を捨てる理由はなかった。連綿に依存するがゆえに、活字化の時点で「人」にも「ひ」「と」にもけちょんけちょんに負けた。…音はどのみち、語に勝てないのではないか。ここでは語が音や字を牽引し、それぞれの共立可能性を歴史的根拠の下に裁く。こうなれば両刃の剣。ここ百年の間は連綿システムが根こそぎ破壊され、歴史的事実の積み重ねと等しく「緩慢に」裁かれつつある。
> 「連綿を知らない世代の出現」は或る意味、「歴史の喪失」に直結するのではないかと気にかかる。仮名のハングル化は未来にいかなる機能をも必要としないだろう。しかし過去の文献に対してなら、その生成過程で独自の裁き方を提示できるかも知れない。書字文化が印字文化に敗北する時、仮名のハングル化は別の意味で避けられなくなる様な気がする。ハングル化の可能性の捨て方が深刻な副作用となって現れる一方、ハングル化を阻止された活字文化はむしろますます古典から自由になる。
> 西尾先生や田中先生は音声言語を優先する。片や石川氏は、あくまで文字言語を優先する。この点では対立せざるを得ないのだろうが、そればかりでは何やら物寂しい心地がする。
> 石川九楊も養老孟司も、共に「死体」的な視点から解剖を始める。終焉を踏まえた上で、あらためて生を見つめ直す。肉体の死については扨て置くとして…何冊か読んだ印象では、両者とも「神は死んだ」とまでは思っていないらしい。
>
>i日録,オピニオン房,i日録感想房,うぇっぶ庵
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8【再掲】国語問題07 ( 苹@泥酔 )
2011/10/09 (Sun) 20:03:28
7666 【余談】書道愛好家の常識と盲点 苹 2009/11/05 07:14

 …旧稿を読み返すと、このところ忘れていた事が多々あるのに気付く。例えばNo.7660で再録した応援板No.236「深層構造…」稿に、嘗て私はこう書いた(↓)。
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> 草書が読めれば楷書も読める、楷書が読めれば草書も読めるのは何故か。もしかしたら、「各種の漢字書体は不完全な漢字の影に過ぎない」のではあるまいか。苹按ずるに~昔の人が三体千字文から学んだものは、楷書・行書・草書の様な書体それぞれの姿ではない。三種の書体が並列してあるところから、三つの書体の関係を「文字の本来の姿として」学んだのではないか。それを漢字の深層構造と見なすならば、実際に書かれる文字の姿は表層上の影に過ぎない。関係の優位性を学んだからこそ(草書の彼方に)平仮名の形が派生し、かつ~それとは全く別の通時的水準で、西尾先生ご執心の音韻が絡みついたのではないか。
> 私自身の漢字学習を振り返ると、内的過程は…そうなります。書道師範レベルの人なら分かっている筈なのに、どうして誰もハッキリ語らないのか摩訶不思議。これも敗戦ショックの影響かしら?
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 今にして思えば、ちと深読みし過ぎていたのかも知れない。事はもっと単純なのだろう。つまり~余りにも基礎的かつ初歩的なので「聞くのが恥ずかしい」。そして「語るのも恥ずかしい」。或いは聞く側にしてみれば、知らないから聞きようがない。語る側にしても、聞かれないから答えようがない。恥ずかしいとまでは思わなくとも、結局そうなっていくだろう。学びは自然に身に付くから、放置しても構わない。それで充分やっていけた。学校や塾の教育力を、社会環境の教育力が補っていた。そうした効果が最大限に発揮される領分を「基礎」と云う。

 今、習字を千字文から始める人はどれくらい居るだろうか。高校の授業ではやらない(やる時間自体ない)。中学では書写未履修が当たり前だった。となると部活動か書塾か独学か。~ここまで書いて、今更ながら気付いた事に私自身が驚いている(呆れている…orz)。苹の場合は事実上の独学だった。周囲の人々も千字文で学んでいた訳ではなかった。皆が千字文で学んだかの様に書かれてある本を読んだから、中学生の私はウッカリそう思い込んでいたのだろう。
 なにも千字文に拘っている訳ではない。楷行草の並んでいる手本で学べば同じ効果が得られるからだ。とは云え苹の場合、書塾の競書雑誌に千字文が載っていたのだから仕方がないし、久々に開くと解説から多大な影響を受けていた事があらためてよく分かる。以下抄録(「中学生向き」と書いてある)。
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【貴】書道では貝の字の最後の横ぼうを左につき出し、次の左払いとのバランスをとる書き方をする。この横ぼうの終筆を左払いの始筆にして一画に書くこともある。菱潭の字は古い形の貴の字。
【別】海石は第三画と左払いを一画に書いている。義務教育での筆順は口の次に折れはねの画である。菱潭のへんは唐の時代の書にある形。
【尊】第一、二画を八に書くのが旧字体。菱湖・海石の字は短い横画が一本多いが、中国の書にこの例は多い。
【和】書道では、のぎへんのたて画の終りをはねるのが普通。つくりの口は、比較的小さ目に書いているが、鳴鶴の口はやや大きい。
【夫】菱湖の右払いの長さは、虞世南の孔子廟堂碑を思わせる 鳴鶴は逆に左払いを思い切りのばしている。
【婦】ヨの中央の横画を右につき出す形が旧字体。最後のたて画の始筆をヨの最下の横画に接して書き出すのが書道では普通だが、教育漢字・当用漢字の字体ではワかんむりの形の横画から始まる。
【随】エを入れるのが旧字体だが、書道では新字体の形で昔から書いていた。鳴鶴の有の横画がかなり長い。
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 この競書雑誌は過半の頁が「検定成績」で、とにかく人数が多いので「小学生(六年・五年)の成績」といった具合に毎月分載してある。適当な号の「中学生の成績」を見ると、中学三年生は五頁半、二年生は七頁半、一年生は十七頁半、一頁十四段組で氏名が羅列してあった。この全員…てぇのは極端だとしても、少なからぬ中学生と早熟な小学生が千字文の頁を読んでいるかと思うと、これはこれでウッカリ前掲の様に思い込みたくもなる(羅列された氏名を勝手にライバル視していた事は否めない…)。
 しかしながら、件の頁は五人分の楷書を並べた「正隷千字文」で、しかも長期連載である。待ちきれないし全部が揃う訳でもないので、うち一人分のを纏めて買ったら偶々それが「三体千字文」だった。行書や草書は楷書の「おまけ」みたいなもので、わざわざ書かずともそこそこ読み書きできる様になるのは門前の小僧と大差なき瑣事だった(ただし巧拙とは別の話)。昔の人が「おまけ」付きの本でばかり千字文を習ったかと思うと、或る種の贅沢が当時は当たり前だった様な気がしてくる(この場合は楷書の方が「おまけ」?)。~少なくとも後の書家達にとってはそうだろう。当たり前の事を取り立てて論うほど恥ずかしい事はない。数学の先生が同業者に「1+1は2なんだよね」と語りかけようものなら、バカにしてると思われるのがオチだろう。そして書家は例によって展覧会の「あの書風」を書き、初歩的な書風は表向き書かない。書けないのではなく、書かない。(関連稿はNo.7262でござんす↓)
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=7262&range=1

 教える側にしてみれば、自分が何かを隠しているとは夢にも思っていないだろう。自分が知っている基礎は相手も知っている(?)がゆえに、暗黙の諒解について敢えて語る必要はない。すると世界は自ずと閉ざされる。互いの諒解の有無が「意識されざる禁忌」となって世界を分かつ。にもかかわらず、両者は分かち難き幻想で結ばれている。
 例えば今でも、「書は心である」との幻想が両者を縛る。たちの悪い宗教の様に、言葉が心を縛る。そんなふうに言い換えれば、或いは言葉と心の両方に対する冒涜と映るかも知れない。心への冒涜が許されない様に、言葉や書への冒涜も許されないとしたら、「書の素養を問う事は心の素養を疑うのと同義」と受け止められる場合も出てくるだろう。~政治家あたり、内心こう思ったりするのではなかろうか。
「俺の心を疑うのか、貴様ナニサマのつもりだ。」
 こんなふうに出られると困ってしまう。既に信仰となった言葉の前では、本来の言葉もまた無力であるからだ。元々は「書は心画なり」だったと記憶するが(柳公権?)、心画が心に昇格しちまったんじゃモウ手に負えない。書画一致論や画賛を前提すれば「心画」とてただの形容ではなくなるのだが、感情的領分では心画も心も大差なくなってしまう(半世紀くらい前までは「詩書画三絶」がまだ死語ではなかった筈)。
 腕に頼ってばかり居ると、腕でしか指導や説明が出来なくなる。言葉は貧弱となり、「スー、トン、グゥーッ、ムゥーッ」といった具合の感覚的な擬音が跋扈する。子供相手なら仕方がないのだろうが、却ってそれが仇となったか、「書家とはそういうものだ」と極めてかかる人(教員を含む)が世間には大勢いるらしい。年配の人は子供時代に通った書塾イメージと学校書写・書道教育を混同している気配が濃厚だし、今後の世代なら或いは書道パフォーマンス(今はマスゲーム化?)の印象が再び影を落とすかも知れない。
 …ここで「再び」と書いたのは、豊道春海などの前例が沢山あるからである。~幕末期は神社祭礼で使う大幟の例があるが、当然ながら昨今と同様のパフォーマンスではない。どちらかと云えば直接大書するのは例外的だったらしい。普通は小さい紙に書いて貰って、それを拡大して幟に染めたそうな。
 そうした技術を用いない昨今のパフォーマンスの方が、むしろ隠蔽された精神主義の下で「素朴に退化」しているかの様に思えてくる。



7703 【No.7666訂正】「書は心画なり」拾遺 苹@泥酔 2009/12/18 20:24

 「書道美術新聞」928号(2009.12.15付)が届いた。連載の大野修作「書学を学ぶ人のために」は、今号のテーマが「「書は人なり」を考える」。…見た瞬間ドキリとした。と云うのも苹は先日、No.7666後半でこう書いていたからである(↓)。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=7666&range=1
>元々は「書は心画なり」だったと記憶するが(柳公権?)
 …果たして、案の定となった。上記は苹の記憶違い。正しくは多分、大野先生稿(↓)にある通り。
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> ちなみに、「書は人なり」という考え方が一般化するのは、中唐の柳公権の「人正しければ、筆正し」の言葉あたりからと見られています。漢の揚雄の「書は心画なり」という言葉も有名ですが、これは書写材料としての紙が一般化していない時代の言葉ですから、ここでいう「書」は「書物」の意味であることは明らかです。
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 …しかしながら、これはこれで困った。何か違和感があった。確か昔、昇級試験で半紙に書いた記憶がある。そこで当時のを調べてみたら、あの手本は半紙四行の草書平仮名交じりでこうなっていた。「文は人なり書は心画なり、文も書も共に人格を表現する」。~これをどう読めばよいのだろうか。文と書(と書物と筆跡)の関係や如何に。時代によって言葉の意味が変わる例はいくらでもあるが、これもその口だろうか。因みに私が揚雄の名前を覚えていなかったのは、その手本が載っているテキスト集に揚子雲と表記されていたからであろう。
 書画一致論の領分では、他に王維の「画中に詩あり、詩中に画あり」てぇのがある。また張彦遠『歴代名畫記』の巻第一冒頭「敍畫之源流」に「書畫異名而同體也」とあるのも、今回のを機に久々の確認を楽しんだ。
 柳公権の語についても、念のため附記して置く。『精萃図説書法論』(西東書房)第三巻P.249には以下の解説がある。併せて参照せられたし。
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> 唐の穆宗が、柳公権に用筆法について下問した。公権は「心正なれば筆正なり」と対えた。人格が立派なら書も亦立派に書ける意に解されているがそうではない。「筆正という用筆を法とすべきです」(筆正乃可法矣)の語がつづいているからである。この答を聞くと、帝はただちに態度を改めたという。故にこれを筆諫という。心が端正であれば筆正になる。用筆は筆をまっすぐに立てることにあると解釈すべきであろう。
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 ものの見事に書論臭さが漂ってくるが、「筆諫」と来られるとさすがに参ってしまう。今のご時世には却って新鮮味さえ感じられる(ウッカリ「筆誅」と誤読しちまったのはここだけの話)。…もしも平成の天皇が、小沢一郎に国事行為について下問したら何と答えるだろうか。こちらのネタに絡みそうな脱線話は次回予定稿にて。



7671 【余談】書道愛好家の常識と盲点(補記) 苹 2009/11/08 15:02

 前稿で「常識と盲点」などど大仰に振りかぶって置きながら、楷書にチョロッと触れただけ…てぇのは個人的に稍や後味が悪い。と云うのも、楷書に触れた最大の動機は「書写体の重要性」にあるからだ。それをベースに草書との関係を把握する。~草書が傍目にワケワカンナイ字と映るのは、楷書や行書の形を想像できないからではないのか。あたしゃ子供の頃から常々そう思ってきた。
 例えば千字文に「恬筆倫紙」って句がある。これを三体千字文で見ると、中には奇妙な草書の形が出てきて面食らう事もあるだろう。どう見ても偏と旁の組み合わせではない。それもその筈、元々の楷書は糸偏に氏でなく、氏の下に巾なのだから。つまり(有名な所では)蘇東坡の黄州寒食詩巻に出てくるアレのこった。それを有り体にくずせばいいだけの話。
 王羲之の蘭亭叙を臨していると、「群賢畢至」ってのが出てくる。この「群」が偏旁の組み合わせでなく、君の下に羊。どちらもそのままくずせば二つの草書が出来上がるが、書きやすいのは後者の方だから、私は専ら冠脚構成で書く。要するに「どちらでもいい」。よく人名で、例えば長島と長嶋と長嶌の区別がややこしく見える時があるだろうが、あれも結局は同じ字の組み合わせ方が違うだけの事。草書で書けば判別しにくくなる字の場合なんざ、四の五の云わずに判別しやすい方の形で書けばよい。例えば「村」なんてのはどうだい。昔ネット検索中に松下村塾の看板を見たら、「村」は「邨」の形で書いてあった。これも草書で考えれば合点がいく。「村」をくずせば「お」になっちまってややこしい。しかし「邨」の方も、くずせば「頓」と紛らわしくなる。「お」と「頓」が使用頻度でガチンコ勝負すればどうなるか。誰が見ても「お」の圧勝だろがぁ。学があろうとなかろうと、実用の字を日常感覚で捉えれば自ずとそうなる。裏を返せば、常識が歪めば判断も歪む。漢字の楷書から書写体を一掃すれば、その影響は常用書体としての草書を直撃する。明治政府がやったのは、或る意味そういう事でもあった。
 この手の話は前にも何度か書いた。草書くらい子供でも読めるのに(現に読めた…ただし振り仮名に助けられての事ではあるが)、明治以降の硬直的な漢字教育が書字の歴史を歪曲した。「子供は草書が読めない」と強弁するのは、「子供は漢字が読めない」と決め付けるのと同じ事だ。書体を横断する関係の原理を、ボキャブラリーの量的視点と混同するから話がややこしくなる。そしてそこから漢字制限の発想が生まれる。…そもそも漢字の量的問題が起こったのは明治以降の漢語ブームが原因だろがぁ。開国後に西洋文化だけがゴッソリ入ってきたと思ったら大間違いで、それ以上に多くの支那文化が入ってきた。難しい漢語を使いたがったのは知識人だけではない。遊女や庶民の間でもハイカラ漢語が流行した。そうした背景を踏まえれば、漢字制限の発想は過剰な漢語ブームの抑制に役立った面もある。

 閑話休題。草書の話に戻す。
 殊更に千字文から引かなくてもよいのだが、ともかく「器欲難量」って句がある。この「器」って字も、考えてみれば書写体と活字体との間で振り回された口だろう。中段が「大」か「犬」かの話ではない。書写体では普通「工」か「ユ」の形で書く。それを草書で書けば、「Z」型の四隅に点のある形。筆順を追えば「点々Z点々」となる訳だ。一々正確に「口」を書く必要はなく、いっそ総てを「ヽ」に省略してしまえばよい。ここでも書写体が活字体と草書体との間を繋ぐ。書写体は歴史から紡ぎ出された智慧の集積であり、これを排除した所に支那考証学の病理があった(説文解字~康煕字典)。
 支那の考証学は、草略原理を卑俗なものとして白眼視していたのではなかろうか。この辺については専門家の御教導を給わりたい所だが、とにかく在野の書道ヲタにはそう見えるのだぁ。誰か「東洋文字言語学」とか何とか標榜して、言語哲学的に剔ってみてくれないかしら。誰か先行研究を御存知なら教えていただきたい。
 苹が高校書道の仮名単元で最初にやった事は、書写体を組み入れた上での字源分析だった。「安」と「あ」は結びつかない。繋ぐためには書写体(ワ冠を「女」が貫く形)を媒介せねばならぬと。「以」は偏旁構成の字である。だから「い」は中空になる、と。そんな具合に細かくやって、中学書写で既習の筈(実際は未履修?)の連綿原理を踏まえて噛み合わせに配慮し、そうして基礎を意識の表層に浮かび上がらせ、再び深層へと沈潜させていく。沈潜させて初めて和歌の読解に移行できる。そこからが本番。蓬莱切とか高野切とか粘葉本和漢朗詠集とか、その手の基礎的指導に入っていく。
 高校では基礎指導が求められるが、基礎以前の基礎は事実上「指導してはいけない」事になっていた。それを最も明瞭に示したのは英語教員出身の校長だったかな。曰く、「オマエ読めるか? 読めないだろ。読めないものは教えちゃいけない。」~校長室に呼び出された時の説教でござんした。
 GHQ~ひいてはCIEの占領政策たるや、どっこい今もまだまだしぶとく生きている。

 GHQやCIEについての言及がある本の中で、入手しやすいのは安田敏朗『国語審議会』(講談社現代新書)辺りか。草書からの脱却が当たり前となった時代感覚で見るなら、その後の成り行きを俯瞰する上で大いに参考となる。
 その反対に、専門書の方面で時代を遡れば三保忠夫『古文書の国語学的研究』(吉川弘文館)や沖森卓也『日本古代の文字と表記』(吉川弘文館)などが思い当たる。前者についてはどこかで言及した記憶があるから割愛するとして、些細かつ常套的ではあるが~今は後者のP.178~179をちょいとばかり引用した上で擱筆(…この語彙はネット時代でも通用するのかしら?…なんか「チャンネルをひねる」と大差ない様な気が…汗)。
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> 万葉仮名という用法は日本で創始されたものではなく、もともと漢文の内部に存在しているものである。それは許慎が『説文解字』で述べた六書(漢字の六つの構成法)のうちの「仮借」に相当する。「仮借」とは、ある語を表す漢字がなかった場合、その語とは意味が異なるが、同音である漢字を借りて表す方法をいう。たとえば、限定の意を表わす〈のみ〉(「神のみぞ知る」の類)の語はもともとそれを表す漢字がなかったため、意味は異なるが、同音である「耳」(これは身体の〈みみ〉(ear)の象形文字)を借りて表した。つまり、同音の漢字を借りるということは、漢字本来の用法に見られるものであったのである。もちろん、日本語を漢文で表す場合に万葉仮名を用いるのは、それと少し性質が異なるようにも見える。日本語においては、漢文で非漢文的な(日本固有語の)語句を表現する場合の問題となるのではあるが、結局は中国語から見て、旧来の漢字では書き表しがたい(中国語以外の)語句を、それと同音の漢字で表すことと基本的に同質である。
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 「耳」(のみ)は支那人も使っていた様な気がするが、それはともかく~こうした動機が漢字と仮名の分岐を次第に要請していっただろう事は想像に難くない。勿論この時点で既に各々の書体は出揃っていた(十把一絡げに輸入された?)。それを言語哲学的な機能面で先取りしつつ独自に構造化し、書体間の横断性は平安時代の平仮名確立へと向かって日本的進化を遂げていく。
 こうした視点を自発的に失おうとしたかのごとき近代日本の営為については、もっと批判の手を加えてもよかろう。
8【再掲】国語問題06 ( 苹@泥酔 )
2011/10/06 (Thu) 21:58:30
7660 五年半前の記録(其三) 苹@泥酔 2009/10/24 21:33

●ここで西尾先生からの伝言が来る。本人のカキコでない理由はパソコン打鍵上の問題だった。そして当時は、まだ蘭様と西尾先生の間に熱い関係があった。~ここらで蘭様の当該稿も出したいところだが、本稿は苹自身の生体解剖(?)が目的なので割愛。
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>220 お二人への感謝 西尾幹二代筆年上の長谷川 2004/04/19 09:02
> 女性 主婦 AB型
>
>苹さんへ
> 丁寧に読んでいます。たくさん学ばせていただいています。仮名遣い問題に関しては、私は勘だけを頼りに手さぐりで書きましたが、あなたの提出資料を読んでいると、思いもかけない道が開かれそうな気もします。仮名の新旧論者はどちらも〈整頓主義〉なのです。どうかもっとご教示ください。
>
>蘭さんへ
> 仰せの通り「江戸のダイナミズム」は「悲劇の誕生」につながっています。ただどうつながっているかは私にも分らないのですが。言語と文字は別です。世界の言語は約3000もあり、文字は400ほどしかありません。言語学者は音声言語を言語と考えます。拙論のモチーフを深く考えて下さり、ありがとう。
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 この後の反応が…よほど気持ち悪かったのだろう(苦笑)。それでも苹に関する三度目の言及は、数年後の「日録」に一度だけあった。有難かった。ただし私は書道家ではない。
 …続ける(汗)。


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>232 恋は野の鳥? 苹 2004/04/20 06:16
>
>
> なにやら面妖な事に…(汗)。思いがけなくも、西尾先生から過分のお言葉でしょ。~例えば私が純情な女生徒で、先生に恋をしたとする(あきんど様、吐かないで…)。そして何かの機会を利用して、先生に恋文もどきをあれこれ綴るとする。そこそこ親密になるのは構わないけど、デートなんかしたら一昨年頃に見たNHK「中学生日記」の一場面になっちまうわいなぁ。生徒は先生に接吻を求める訳です(蘭様、吐かないで…)。すると先生は困ってしまう。
> 或る授業の最中、先生が一言「俺とお前の仲じゃないか」と漏らしたらどうなるか。どんな仲なんだ? まだ「何もない」じゃないか。生徒はふと我に返り、自ら身を引くかも知れない。或いは幻滅して、淡い恋は冷めちまうかも知れない。それとも舞い上がって、猛烈なアタックを開始する?
> こんな具合だから、あきんど様は「真面目な事を書いているうちにくだけちゃう」と仰せなのでしょう(苦笑)。本人はこれでも結構、真面目に「脳内財政破綻」してます(爆)。これで「提出資料」がなかったら単なる感想破綻文=読書妄想文、何の取り柄もなくなるでしょう(汗)。
>
> 閑話休題。
> キルドンム様、『言文一致用文』の件、有難う御座います。そう云や今の書簡文例集って、どんな具合になるか気にした事はないですねぇ。昔式の語句を使うと却って嫌われたりするのも、無理はないのかも。
> あの後、山形板経由の伝統板にて「今昔文字鏡」らしき変体仮名フォントを駆使した実例発見(桜子様に感謝)。横書きのを見ると、「やや不便」どころか「実用には不向き」なのだと納得します。やはり連綿文化を破壊した影響は大きいらしい…(嘆息)。
> 「棒仮名遣い」についてはよく知りません。「新仮名の引きずっている要素は「は」「へ」「を」のみではないと考えるのですが」ってのも気になりますが、こちらの妄想があらぬ方向に行く可能性は多分にありますから…148の続きにてヒントをいただけるなら幸甚です。
> 因みに、私の教員時代の口癖は「シント!」でした(「ヒント」の訛り)。ハヒフヘホはハシフヒェホに聞こえる模様。ウムラウトは表記の背後に隠れる…(と、ここで開き直る)。
>
> 閑人様の、「30年前と殆ど考えておる事が一緒なんよ」との仰せについては、いつも影響の大きさを感じます。教育の成果はかなり後になってからでないと出てこない様にて、ソ連崩壊の影響も「まだ出尽くしていないのではないか」なんて考えてます。
> 書道でも(いつもこのネタばっかり…汗)三十年前は「読める人」がわんさか居た筈ですが、時の流れに身を任せ、彼方の色に染められていくうち、気が付いたら誰もが読めなくなっていた。しかも書道の先生自身がそれに気付かない。だからいつの間にか「読解指導を怠っても大丈夫」との風潮が自然発生的に社会全体を覆い、今では既に書教育界全体が「ゆでガエル」になっていた…のではないかと。~「書道」の箇所を「歴史的仮名遣い」や「平和ボケ」などに入れ替えると、うぇっぶ庵の荒間様の稿も射程に入ってくる様な気がしてきます(「おじ」表記の件)。
>
>(補遺)
> 前稿前半では、投稿直前までは別のを引用するつもりでした。より簡潔・適切な箇所を見つけたのであれにしましたが、元々は次の通りになる筈でした。読み方に別の要素が入ってくるでしょうから、消さずに残して置いたのを載せてみます(やっぱり気になる…)。~以下は『漢字講座11 漢字と国語問題』(明治書院)P.46の、渡辺実「常用漢字の音訓」から。
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> 敗戦後の日本語の改善施策は、まず「現代かなづかい」の制定から始まった。明治政府の課題の一つであった国民の教育水準の向上は、急速にその成果を挙げて来て、一般社会人の言語生活の拠るべき基準が求められるようになるまでに、それほどの時間はかからなかった。明治三二(1899)年の帝国教育会の国字改良部、明治三六年の文部省における国語調査委員会、大正一〇(1921)年の文部省における臨時国語調査会などの設置は、学校教育・ジャーナリズムなど、今や全国民の言語生活の一部となった方面からの要求に、公的な機関の活動が必要となったことの現れである。それらの機関の活動は、国語改善施策の面では、漢字の問題と仮名づかいの問題、すなわち国字問題にほとんどを割いている。表記は内容の衣裳にすぎないのだが、その固定性や物的性格から、それの抱える問題が、内容の問題よりも切実に感じられることが、自ら反映していると言うべきであろう。表記というものが持つ性格は変わらないのだから、国語改善策が表記の問題に偏りがちとなることは、戦後にもひきつがれて、国語審議会とは国字審議会のことかとひやかされるような状態がつづくのだが、早く示された大正一二年の「常用漢字表」や大正一四年の「改定仮名遣案」などは、十分に社会に実施されるに至らないままに終わってしまう。折からの関東大震災など、天運与せずということもあったが、表記を改めることそのものが、いざ実施の段になると、非常に大きな抵抗にあうことを示す事実でもあるだろう。したがって「現代かなづかい」を先頭とする戦後の国語改善が、教育界・報道界を中心として「実施」されるに至ったのは、全く敗戦による伝統の一旦停止・白紙再出発で機運が熟したからであった。
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> これの引用を断念した理由の一つには、大正十三年と大正十四年とのずれが煩わしい点も含まれています。あと、いつもと比べて文章量全体が長くなり過ぎる事も…(汗)。
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>i日録,オピニオン房,i日録感想房,うぇっぶ庵

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>236 深層構造… 苹 2004/04/20 22:19
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> 今夜もぐびぐび、太初にビール中毒のたわごとありき。~「言語学者は音声言語を言語と考えます」とは西尾先生の言。こんな所にヒントの魔力が棲んでいるのかも。以下つらつらと、お役に立てる事を願いつつ。
> ふと思い出して、「認知科学選書」シリーズの第Ⅱ期にある茂呂雄二『なぜ人は書くのか』(東京大学出版会)を引っ張り出してみました。こんなふうに書いてあります(P.45~46)。
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> ソシュールのこのような言明に代表される立場を、シントにならって音声中心主義(phonocentrism)と呼んでおこう。音声中心主義の主張は、①書くことをルール体系とみること、②書くことの二次性にまとめることができる。
> すでに前章で吟味したように、書くことをルール体系と等しく発生的に二次的なものとみることはできない。書くことが音をルール的に指し示すようになるのは、発達のある時期からである。それ以前は、多様な表現系が互いに癒着して一体となっていた。
> 音声中心主義とは反対に書きことばに強調点をおく立場がある。この立場も書くことが話すことよりも遅れて発生するとみるところはかわらない。しかし、この立場は遅れて発生する書きことばが、先行する話しことばでは達成できなかった進歩をもたらした、と主張する。このような立場を書中心主義(graphocentrism)と呼んでおく。
> ここで必要なことは、この書中心主義がどのような主張を何にもとづいておこなっているのかを吟味することである。そのために大分水嶺理論と呼ばれる書中心主義のもっとも極端なかたちの理論を吟味していくことにしよう。(以下、略)
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> シントは人名。文献の欄には「Scinto, L. F. M. 1986 Written language and psychological development. Academic Press.」とあります(私は未読)。これまで読んだ本の多くが、ソシュールを音声中心主義の立場と見なして居りました。丸山圭三郎式の読み方を基準とするなら、一体どういう事になるのやら。
> ソシュールの真意がどこにあったのか、私にはまだよく分かりません。確実なのは、後の言語学の主流(?)をなす音声中心主義がソシュール理論の影響下にある事だけ。ところがもう一方の書中心主義も、哲学的にソシュールを捉える場合は必ずしも無縁とは云えなくなる気配。~同書では大分水嶺理論について、フィネガン(Finnegan, 1973)、グディ(Goody, 1977)、スクリブナーとコール(Scribner & Cole, 1981)を紹介しています。その大雑把な特徴は下記の通り(P.46~47)。
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> 大分水嶺理論は、思考の歴史的な変化と、その変化のありかたについて述べるものである。歴史的変化に関しては、書きことばの導入によって、それ以前の口頭伝承文化(oral culture)の思考に劇的なしかも後戻りしないような変化が生まれたと考える。また認識能力については、識字文化と口頭伝承文化で異なっており、書きことばの発明によって論理的、抽象的な認識能力が生まれた、と考える。
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> また同書では「強調する点は異なるが」と断った上で、マクルーハン(McLuhan, 1962)、オング(Ong, 1971)、イニス(Innis, 1951)も大分水嶺理論の立場だとしています。ここでのマクルーハンは『グーテンベルグの銀河系』の事。私にとってはオングの方が魅力的で、『声の文化と文字の文化』(藤原書店)を必読書と思っています。
> この先に立ちはだかるのはチョムスキーですが…そこに用いられる語句(と云っても日本語訳)は、碌に読んでいないのに何故か魅力的に感じられます。表層構造・深層構造の考え方を漢字の可塑性把握に適用したくなって疼々します(こうなるとクリステヴァの『詩的言語の革命』『セメイオチケ』も絡んでくる?)。
> 草書が読めれば楷書も読める、楷書が読めれば草書も読めるのは何故か。もしかしたら、「各種の漢字書体は不完全な漢字の影に過ぎない」のではあるまいか。苹按ずるに~昔の人が三体千字文から学んだものは、楷書・行書・草書の様な書体それぞれの姿ではない。三種の書体が並列してあるところから、三つの書体の関係を「文字の本来の姿として」学んだのではないか。それを漢字の深層構造と見なすならば、実際に書かれる文字の姿は表層上の影に過ぎない。関係の優位性を学んだからこそ(草書の彼方に)平仮名の形が派生し、かつ~それとは全く別の通時的水準で、西尾先生ご執心の音韻が絡みついたのではないか。
> 私自身の漢字学習を振り返ると、内的過程は…そうなります。書道師範レベルの人なら分かっている筈なのに、どうして誰もハッキリ語らないのか摩訶不思議。これも敗戦ショックの影響かしら?
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> 以下は支援板の再録。
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>滅びの字学 投稿者:苹 投稿日:01/10(土) 21:20 PC No.3394
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>>学校の中だけで生き延びざるを得なくなった時点ですでに滅んでいたのでしょう。
> その引き金がGHQの占領統治。昭和二十三年、民間情報局(CIE)から小学校毛筆習字科廃止を要請された文部省が審議した結果、二十対一で全面廃止と決定。それを聞いて驚いた書道界が反発し、CIE教育部長アーサー・K・ルーミスに諒解交渉を重ね、衆参両院に請願運動を開始。
> …と云っても、実は大正八年に前例があった模様。時の文部大臣中橋徳五郎が小学校毛筆教育廃止を主張し、これに危機感を持った書道界が大正十二年、精神作興帝都復興の詔勅(九月十二日)を契機に行動開始。昭和十二年頃まで続く大同団結の過程では、政治家や軍人を巻き込む凄まじい派閥抗争があったらしい(笑)。幕末・明治を経験してきた中高年・爺様同士の派閥抗争だから、暴力を頼みとするチンピラ・ヤクザのそれとは格が違う(爆)。…で、この両方に関わっていた大立役者は、後に天台宗大僧正・文化功労者となりましたとさ。
>
> 戦後民主主義と大正デモクラシーに共通するのは、「これからは日本語でなく英語の時代」とする風潮。その牙城は表向き文部省で、実際は第一線を兼ねる「学校」各々。経験と反復により培われる伝統創出効果は名実一致を必須条件とするから、そこに対立要因としての国語や書道を持ち込む場合、文部省と学校の対処方法は自ずと限られてくる筈。
>・あからさまな排除
>・教育内容の形骸化
>・積極的な歪曲指導
> 書道では現在、これら三位一体の奇蹟が実現しています。「つくる会」への対処方法も、大体は似た様な具合になるのかも。(全部やっても~つまり「三位一体」方式でも騒動にならないなら、隠蔽システムの完成度は極めて高い?)
>・任免の時点で、「つくる会」支持者を排除(勤務評定とコネ採用を重視)
>・人事異動で、専門的指導力のない教員を配置(他科教員が歴史を教える)
>・左翼系・組合系教員で各種の教科会議を固め、教材研究の方向を一元化
>
> 「あからさまな排除」は教育庁・教委レベルの政策。…が、ここまで持ち込むのは難しい筈。契機自体が初めから県民・市民の賛同・諒解を前提していなければならないし、そのためには充分な歴史化と新伝統創出が必要。「地歴公民」各科目の場合は主要科目の扱いだから、今は「社会科」イメージ由来の包括性に依存するのが関の山かも。地理の先生が歴史を担当するなどの科目横断慣行が定着すれば、教員採用試験科目の一本化は必ずしも不可能ではない筈(「教育内容の形骸化」には様々な手段がある模様)。しかし県はまだ踏み切れない。現に国語科と芸術科書道もまだ一本化されていない(尤もこの場合は教科横断の必要があるため、制度上やむを得ない)。本格的な大学全入時代とならない限り、大学進学率をバロメータとする監視システムは形骸化の阻害要因であり続ける筈。その点、書道対策の場合はかなり楽だった筈。なにしろ入試と無関係だし、多くの学校は初めから定期考査の対象としない。
> イメージ戦略に於ても、書教育の飄揺ぶりは参考になる筈。~昭和二十三年の請願運動は本来、純然たる保守運動となる筈でした。しかしこれには書家・書教育者の他、筆・墨・紙などを扱う関連業界が関与していたし、その後は何が見込まれたのか、社会党までもが絡んできた。
> 日中国交が正常化する前の話。村岡久平(片山哲の秘書)が事務局長を務める日中文化交流協会の強味は、香港経由の非公式ルートでした。そこで彼らは社会主義に疎い有力爺様書家と接近、昭和三十九年には中国から招聘されるに至る(この頃、長崎で中国の国旗が焼かれて対中関係が悪化したらしいが、書家達の訪中は実現した)。~とどのつまり、昔も今も書教育排除の材料は色々と残っている模様。右は左翼の関与を叩けるし、左は(今の護憲姿勢と同様に)都合のよい部分だけ利用できる。
> 実のところ…民間側の変質要因にマルクス主義がどの程度まで入り込んでいるか、私にはよく分からないのよね(苦笑)。「芸術」の名目で「書芸術」を推進する方向性は、明治以来の進歩史観と密接に絡みついているんだし。だから複眼的に警戒せざるを得なくなる。これは国語・文学に於ても同じ事。変質も排除も利用も翼賛も、どれだって(どちら側だって)やろうと思えば出来ない事はないんだから。それをコントロールするためには、文部科学省に束ねて貰うのが一番かも。民間が下手に努力すると、学校から乖離した文化的テロ(もどき)の手段に利権絡みの更なる「媚び」がまとわりついてくる。そうなったら最後、民意に翻弄された歴史的イメージは地に落ちる。歴史が流行の再解釈作用に巻き込まれ、学問的だった筈の正否判断は民主的(衆愚的?)領分で簡単に誑かされる。
> 学校が学問教育を取り戻せない場合、書教育はどのみち民営化の危険に身を投ずる事になるのかな…。これはもはや、「滅びの美学」でも何でもない。見放された「滅びの字学」として、専ら国語の彼岸で黙祷される側に回るだけ。学問全体が民営化されるなら、儲からない学問がどんなふうに商売に転向していくのか、こればっかりは見逃せないなあ(苦笑)。
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>i日録,オピニオン房,i日録感想房,うぇっぶ庵
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8【再掲】国語問題05 ( 苹@泥酔 )
2011/10/03 (Mon) 22:10:39
7659 五年半前の記録(其二) 苹@泥酔 2009/10/24 21:30

 …続ける。


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>155 二題 苹 2004/04/13 02:38
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>  先ず、前稿で書いた「聾」的性格について補足します。~下記引用は『ろう文化』(青土社)P.219~220。対談「ろう演劇と言葉」(米内山明宏・多木浩二)から。
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>米内山 私としては、手話が言語として確立されたものであるのか、あるいはその途中であるのかどうか、それは問題ではないと思うのです。ろう者にとっては自分の持つコミュニケーションの方法は様々ですから、つまり日本語と比較するということは考えていません。勿論、「日本語と比べて手話はまだまだ確立していない、これから沢山作らなければならない」と比較する人もいれば、「手話は言語としてきちんと成り立っている」と考える人もいます。
> 日本語と同じように、手話も次々に移り変わってきています。ろう者の手話は、手で現す語彙の問題ではなく、顔の表情・目・顎の動き方・身体全てが言葉になるわけで、そういうことに皆気がついていない。手話は「手だけで表す言葉」と考えられ、手に集中しているようです。それで語彙数を計算してみれば少ない、ということに行き着くのですが、そうではなく、手の動きは一つであっても、顔や身体の微妙な動きによって言葉の意味に違いがあるわけです。ですから、手話として確立されたものかどうか、私としてはまだ意識していません。
> 日本語、そして声の歴史は非常に長いものです。それは十分にわかっていますが、正直言って、私は声の世界が理解できません。例えば、聴こえる人は「良い」と言ったときに、その声をそのまま「良い」という言葉で活字にする。それを見ても、どういう意味なのか理解しがたいところがいくつもあります。聴こえたことによってわかる言葉が沢山あるはずです。ろう者にとっては興味のない、というよりは、かけ離れた世界のように見えるのです。でも、それを知らなければいけないし、日本にいる以上は、日本語を理解しなければならない。とは言っても、ろう者として使う日本語ではないものは、自分の中で自然と省いていく場合もあります。ろう者としては、口話は借り物で、口話を借りて覚え、また、日本語を漢字から借りて表現する、というように、借り物の言語のような感じです。それで確立するかどうかは、今後右往左往していく中で決定づけられていくのではないかと思いますが、言語としての確立は非常に難しいですね。
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> …対談全体を読んだ印象では、口頭で行われたかの様な書きぶりに見えます。校正段階で目を通しているでしょうから、「良い」の箇所は多分その意味の通りなのでしょう。しかし~(「手話」抜きの)口頭での印象ならば尚更、他に「宵」「酔い」などの選択肢が言表作用の背後に隠れていても決しておかしくはなかった筈。そう捉えるなら、ここでの活字表現はもはや正確な口話の転写に留まる事ができず、却って口話表現の歪曲をも含意する結果になってしまう筈。
> 閑話休題。
> 視覚障害~いわゆる「盲」の側の場合、嘗ては「検校」の様な制度が要請されたりした模様。聴覚障害の場合は日本史上どうだったのか、どなたか教えていただけるなら幸甚です。
>
> ところで、キルドンム様のは…どの年齢層を対象とした書簡文例集でしょうか。
> 参考までに、こちらも一つ挙げてみます。以下は競書雑誌『文化書道 学童版』1982年8月号(代々木文化学園、文化書道出版部)所収の、中学生向けの連載記事「近世習字教育のあゆみ」から。
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> 『新撰尺牘往来』という本は、明治五年(一八七二)、樵山が満三十歳の時に書いたもので、文章字句は萩原乙彦が作っています。尺牘とは手紙のことで、往来というのは手紙形式の教訓的な文ということ、つまり、手紙用語の手本集です。二七〇ページは、右側が表紙の裏のページ、左側は手本第一ページの図版です。この手本の前に、萩原乙彦の作った漢文の前書きが、やはり樵山の筆で書かれています(先に秋巌のお話の中でご覧に入れた二四三ページ右側の図版がその終りの部分)が、それには、「夕立がやんで涼風が起こり暑さを一時忘れていた時、本屋の万鐘房の主人が訪れて、子供の学習に役立つような新しい本を書いてほしいと頼まれた。人は先ず下学(身近な所から学ぶこと)しなければ深い道理に達しない(論語にあることば)と私はよく人に言っている。それについて、文安年間(室町時代の初め)に作られ、寛文年間(江戸時代の初め)に訂正出版された『下学集』という本があり、また、正徳年間(江戸時代の中ごろ)には『新撰下学集』という小さい本も出版されて子供の学習の役に立ってきている。初めて学習する者にはなお不足なところもあるが、しかし、ほとんどの人はそういう本があることさえ知らない。ここにもう一つ『消息往来』という本が出版されていて、これは皆知っている。しかし誰が書き著わしたものか判らない。その文章の体裁は俗っぽく、字句の分け方もまちまちで、まるで文に成っていないが、寺子屋の先生は、ほとんどこの本を使って子供を教えている。しかし世の中が一変し、手紙を書くことが多くなってきた今日では、『消息往来』はやめるべきであるが、相変わらずそれを手本にして「一筆啓上」と書き出し、返事には「御華墨(手紙のこと)拝見」と書いているのは大変時代おくれでおかしいことだ。新しい本を作りたいという本屋の考えは、ここにあるのであろう。そこで、子供のための本としては、あまり難しくなく煩雑でなく、しかもその『消息往来』を参考に手紙用語をのせるようにすれば、これまでの本に慣れきっている者にも理解しやすく、もっと深い勉強にも進みやすいと思うので、そのような考えのもとにこの本を作った。幸いに、これから学ぼうとする人がこの本を選んでくれて、大いに活用してくれれば大変満足である」とあって、乙彦の本作りの自信が独特の美文調で綴られています。
> 二七〇ページの図版の左側はその第一ページで、次のページはその第二ページの原寸大その次は三ページ目の図版です。こういう手本で、明治時代初期の子供(今の小学高学年から中学生ぐらいの年齢の子供達)は手紙用語を学んだわけですが、具体的にどんな字句を習ったのか、以下その三ページについて、読み方と意味を見ていただくことにします。「大凡(およそ)尺牘者(手紙というのは)聲問(訪いおとずれ・消息)を達し、往復(ゆきかえり)餽受(賜り物を受ける)晋接(すすみまじわる)親戚(親類)故舊(古い友人)間闊せず(無沙汰)近郊(近くのすなか)遠邦(遠いくに)路程(道のり)路途(道のり)山川迢逓(山川はるか遠くにへだてること)修夐(ながくへだてる)遐邇(遠いところと近いところ)江湖上(「世の中」と読む)無量無彊(量り知れず極まるところなく)の事、貴賤(身分の高い人と低い人と)に必要の最芸(第一の技芸)なり。蓋し…
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> うーん、転載するだけで疲れた(苦笑)。まだまだ続くけど、モウやーめた。ところで…あれ? この後アタシ、何を書くつもりだったのか分からなくなりました…。とにかく昔の感覚は、今の感覚で見ると滑稽味さえ覚える。そこに罠がありそうな気がする。明治の文豪については或る意味、破壊者としての役割だけが強調されてきたのではないか。少なくとも昭和の文士達にとっては、(大正時代のフィルターを通して)その方向に行っちまうだけの理由が充分に整っていたのではないか…。そんな事を書こうとしたのかも(汗)。

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>166 「万葉仮名・藤原定家・契沖・現代仮名遣い」について(其二) 苹 2004/04/14 21:45
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>  …取り敢えず、「其一」の続きとして。
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> 「容易ならざる区別」からの脱却により、伝統に内含される精密さと複雑さはいったん神棚に祭り上げられた…と仮定してみます。伝統それ自体を放棄したのでも、破壊したのでもない。放棄したのは国民的合意としてのアクチュアリティだけだから、文化保存の観点に限ると深刻な影響は認められない。それどころか更なる漢字節減(交ぜ書きを含む)に伴い、仮名遣いの煩雑さが露呈してしまうのは当初から目に見えていた筈。来るべき漢字廃止ショックの大きさを見越して、新たな仮名対策を立案する必要に迫られていたのではないか。
> 例えば「逍遙」は、そのまま漢字で覚えれば事足りる。しかしいくら字面が難しいからと云って、そんなのをいきなり旧仮名遣いで表記し始めたらどうなるか。漢字より仮名の方が遙かに難しい。漢字には多種多様な草略体があるから、いざとなればうろ覚えでも平然と読み書きできる。昔は漢字の点画を正確に覚える必要などなかった。今の学校感覚で漢字を捉えると大きな間違いを起こす。正確な点画を強要する代わりに漢字数を減らし、そのしわ寄せを総て平仮名に押しつけただけではないのか。こう見る場合、所詮は「苦し紛れ」の瓢箪から出た駒なのだから、痕跡を博物館・文学資料館送りにしたくらいで四の五の文句をつけなさんな、となる。
>
> 多くの国語学者は論文を書き、それがやがて活字になる。明治の文豪もそうだった。活字でなら、漱石の「道草」くらい誰でも読める。しかし原稿となると話は別で、余程のマニアでない限り~例えば二玄社の複製には手が届かなくて当然だし、わざわざ手を出す必要もない(限定380部、本体価格95,000円)。紀伊国屋サイトで広告を見ると、こいつは確かに読みにくい。第1回1枚目の本文は「健三可゛遠い所可ら帰つて来て」と始まり、しかも「所」は書写体、「帰」のルビは「可へ」と振ってある。その後に出てくる同頁の変体仮名は多・奈・尓。国語学者の論文原稿の場合はどうだつたのだらうか。まあ…少なくとも活字の場合、「どう多゛つ多の多゛らう可」と中途半端に表記するよりは、新旧仮名遣いの方が明らかに読みやすい。漢字と仮名遣いの前に、文豪と国語学者の別は成り立たない。「かなのくわい」や「羅馬字會」の提唱した表記は、理念だけを残して二つとも立ち消えた。~ところで、最後に残った表記とは何か。
> そう考えるなら、活字文化の枠内で字体や表記法を統一するのは歴史の必然とも云える筈。書字文化を丸ごと捨象すれば、却って書字の痕跡が邪魔になる。だから「多」などは、もはや仮名のままではいられない。しかし~活字は本当に書字の痕跡を捨てる事ができるのか。「統一国家日本」としての最初の捨て方を模索した時に旧仮名遣いや言文一致の考え方が絡みついたと見るならば、国語の濫觴は明治時代に固定される(それまで国語は存在しなかった事になる)。文字を媒介した古代中国音の再現に至ってはナンセンスとしか思えない。日本語に場を移した途端「本末転倒になる」のではないか。それ以前に先ず(変体仮名を含む)書字文化の復活を経由してからでないと、却って拙い事になるのではないか。
> 近代化の能率主義が無味乾燥となり、やがて新たな多様性を要請し始める時、そこに絡みつく伝統は既に予め淘汰されている筈。~この流れには旧仮名遣いも含まれる。何を淘汰した結果「旧仮名遣い」が生まれたのか、その点を今月号で衝いているのではないか。
> 西尾先生の視点は明確に表明されてある。曰く、「ふと思ったのは、日本語は文字に出会って、表記の方法を確立し、初めて日本語になった、という観点が余りに強調されすぎているという印象です」と。敢えて書字には言及せず、専ら音声に焦点を絞って深奥を剔り出す。書字と活字とのずればかり気にしてきた私の様な読者にとって、以下の視線への興味は尽きない。「しかし写される前にも言語はあり、歌はあり、その基底部が文字でとらえきれない動きを示し、文字とのズレを生みます。音が動いても、文字はついて行けないからです。」
>
> 音声と文字とのズレ、文字同士のズレ、音声同士のズレ。…古今東西、三角関係はややこしい。事実上の言語革命を目的とする国語教育が亭主、その本妻を「言文一致」と見立てるなら、愛人に相当するのは差詰め「書道」あたりになるだろうか。愛人は学習指導要領により正式に「捨てられ」、今では「芸術」亭主の妻の一人に収まっている。元の亭主と密会するのは御法度。だからこそ芸術科書道担当の国語科教員は、表向き~とっくの昔に捨てられた筆文字を「読める様にしてはいけない」のだろう(書道側の学習指導要領と矛盾する点については、あくまで国語側を優先する様に複数の管理職から暗示されている)。
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> 最後までズッコケ続けて相済みません(平伏)。差し当たっては、これにて打ち止め。
> 閣下には、さぞ苦々しく思われた事でせう。お代官様、執拗な投稿をどうかお許しくだせえまし(再三ひれふして嘆願)。そろそろイラク話に戻りますぅ…。

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>219 「奴は知り過ぎた。」の図 苹 2004/04/19 01:20
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> 閑人様からのヒントを承けて、つれづれなるままに「邪魔者は消せ」の構図を。
> 方言を差異化すれば、共通語に反する地域語を消し去ろうとした明治以後の教育は或る意味「正しかった」事になるのでしょう。しかも旧仮名遣いは生成途上の国際語に属しますから、元々「やがて消え去る定め」になっていた筈。だから戦後は新仮名遣いに移行した。その動きは戦前からあった。~以下は『漢字講座11 漢字と国語問題』(明治書院)P.18~19、古田東朔「明治以降の国字問題の展開」より。
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> 仮名遣いに関しては、「当用漢字表」と同じく、昭和二一年一一月に「現代かなづかい」が内閣訓令・同告示として出された。これは、和語と漢語の両方にわたるものであり、ほぼかつての「仮名遣改定案」(大正一三年)に、以後の「仮名遣改定案の修正」(昭和六年)、「新字音仮名遣表」(昭和一七年七月)等で修正したものをもととし、なお部分的に改めたもの(エ列長音は、かつては「い」を加えることにしていたが、「え」を加えることに改める)である。
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> この経緯を見ると、「陸軍が一歩先に手をつけていたことの追認にすぎませんでした」とする西尾先生の論は、かなり複雑な状況下で組み立てられた様な気がしてきます。~旧仮名遣いとして制度化された暫定的教育方針は、教育現場では恰も不変の原理であるかのごとく受容されて行った。その結果、明治時代に自ら捨てた筈の日本語の多様性は二重の意味で捨て去られる事になった。するとやがて、捨てる主体と捨てられる客体との重合により自己完結的性格は増幅され、「国定の」仮名遣い自体が神聖不可侵の伝統を表記=言挙げ=体現する上で欠かせない霊性を帯びてくる。地域差を克服すべく、国民統合の手段として教育に導入された筈の方式が、国民から国家への重心移動に伴って別の性格を獲得し始める。
> 政治的意味で云うなら、新仮名遣いは旧仮名遣いの直系と見なして構わないでしょう。どちらも言語革命の手段で、結局は両方とも漢字廃止に至らなかった訳ですから。…しかしながら、流れ自体は国家から国民へと分散しますから、共通語と方言との差異化には、原理的に自ずと無理が生ずる筈。共通語と地域語の差異は、地域語と方言との同一性の裏側で、嘗ての在り方を転倒させる筈。
> 旧仮名遣いのままでも、結果は同じだったかも知れません。…が、ちょうど(運悪く?)転倒の時期に、二つの出来事が重なってしまった。一つは昭和二十一年九月議決答申の「現代仮名遣い」。一つは同年十一月議決答申の「当用漢字表」。転倒直前に戦前的属性を保ち得た点で、旧仮名遣いは「汚れずに済んだ」のかも。嘗ての様な崇高さと美しさを求めるなら、やはり旧仮名遣いの方が魅力的でしょうし、それを歴史的仮名遣いと呼ぶ事に違和感はないでしょう(私なら、わざとらしく「神話的仮名遣い」と呼んでみたくなります)。現代仮名遣いは神聖さの在処を失っているのではないか。少なくとも私にはそう感じられます。~これは音韻や歴史の問題ではない。価値や思想の問題ではないのか。そんな具合の疑いが、現代仮名遣いの宿命であるかのごとく付き纏って離れません。
> 私が旧仮名遣いに軍国主義の気配を感じるのは、たぶん…歴史的多様性を捨てた仮名遣いとして受け止めているからなのでしょう。美と崇高に基づく優越を旧仮名遣いに感じるだけなら構いませんが、余りにも厳密にし過ぎた点が気に食わない。漢字も厳密、仮名も厳密。その一部は戦後も承け継がれている。こうなると歴史的な融通の利かせ方くらい、有り体に認めたっていいじゃないかと文句をつけたくなります。
>
> 数年前の高校入試。~或る中学生が漢字の書き取り問題で、困った「潔」を書きました。三水が小さ過ぎて、「糸」の上に乗る部分が左にはみ出している様に見える。…私は疑いました。「奴は知り過ぎた」のではないかと。チョ遂良「雁塔聖教序」や智永「千字文」谷氏本、太宗「晋祠銘」などの古典に出てくる形だから、歴史的に見れば誤字ではない。その場で指摘したところ、採点委員の合議の結果は「(教育上の規範に従い)誤字とする」。私は暫くして、疑念を抑えきれなくなりました。学習指導要領の中核には、「邪魔者は消せ」方式の判断基準が潜在しているのではないかと。
> …日録「近況至急報告」の、「乱れ、不正確、不統一」で連想した事を一つ。
> 「達」を「幸」に之繞の形で書いたらどうなるか。国語の規範に照らし合わせれば誤字になります。ところが、中国の模範的古典(例えば太宗文皇帝製の「雁塔聖教序」)では正しい形になる。文字を取り巻く歴史観の基準を碑版法帖の側に移せば、康煕字典の方が間違っている事になる。にもかかわらず学校教育では、書写体は間違いで康煕字典体が正解となる。
> …或る日、高校の進路講話に某国立大学教育学部国語科の教授が招かれました。その講話の中に「達」の話が出てきて、私はかなり面食らいました。この教授は「幸」に之繞の形を排除しようとする訳です。昔は正しかったのに、今は正しくない。この手の判断傾向を援用するなら、変体仮名や昔の字を教える書道は疑う余地なき「国語の天敵」となりますわなぁ。
> 全県規模で基礎指導が禁止されているのは仕方のない事。学習指導要領を上手に曲解する方法が要請され、高度な解釈技術が育まれる。書道では形を教え、国語では言葉を教える。書道で言葉を捨てて、国語で形を捨てる。国語の古文に変体仮名は出てこないし、漢文も旧字体でなく新字体で教える方が好もしい。国語古典の側で書道古典の形を排除すると、国語側から書道側に向かう横断方法は使えなくなる。書道側では古典から形だけ採って、「漢字仮名交じり書」と漢字書・仮名書との間を独特の禁忌によって峻別する。
> ここでの禁忌は「読めない書」。「読める書」の指導が「読めない書」の領分に踏み込むと、国語側の厳密さを侵犯する事になる。生徒が「読めない」仮名を書いても書道教員は注意するのを躊躇わざるを得ないし、生徒が「書いてはいけない」字を書けば、国語教員は注意深く減点せざるを得ない。神聖不可侵であるかのごとく振る舞いながら、禁忌は教育から遠ざかる。ならば万葉集も幕末書簡も、「読めない」点では平等に扱われるのが当然となる。明治以降の仮名表記(活字表記)に翻訳されて初めて、我々「現代人」は古典的記述様式との接点を持てる様になる?
> 唯一の救い(?)は、学問を犠牲にする事により共同体への参画意識が培われる事。その善し悪しについては~精神状態がいつもより不安定ですので、まだ問わないで置きます。
>
>
>(補遺)
> 「某」様ご紹介の板、ざっと拝読しました。
> 助詞の指標としての役割を際立たせるために「は」「へ」「を」を残したと考える場合、その目的が漢字廃止にあったと考えるなら、西尾先生の論は寧ろ「保守的」に見えてくるのではないかと思います。歴史的仮名遣いの硬直性を明治の軛から解き放って初めて、現代仮名遣いもまた現代から解き放たれるのではないかと。その意味で喩えるなら、西尾先生は言葉のマッサージ師ではないかと…(ここではマクルーハンの云う、「メッセージ」と「マッサージ」との関係を想起)。
> それからソシュールについては、丸山圭三郎『ソシュールの思想』(岩波書店)P.131~132の記述が気になります。
>--------------------------------------------------------------------------------
> ここにソシュール思想に対する決定的な誤解の生ずる原因がある。すでに見てきたように、ソシュールの言語観は、「うつわ」と「なかみ」的な発想を拒否するところから出発した。シニフィアンは物理音でもなければ既成の意味を盛るうつわでもなく、シニフィエの方もその鋳型に流しこまれるなかみではない。したがって、語の内容、すなわち指向機能や意味を稀薄にしていくことによってその表現のもつ「物質性」を浮きぼりにし、これがあたかも事物の有する表情のごとき意味を生み出す詩的言語となるかのごとき期待は、その前提から意味を失ってしまう。ましてやソシュールは、かつて一度としてシニフィアンに対するシニフィエの優位を語ったこともなく、シニフィアンの物質性などという幻想を抱いたこともない。シニフィアンを実現するものが、音声であれ文字であれ、極端な言い方をすれば色であれ香りであれ触感であれ、それらはなべて同列に実質の次元に属し、たがいに優劣はない。ソシュールが優位性を説いたとすれば、実質に対する形相の優位性であり、言語の本質は、実質ではなく形相であるということを強調しただけである。そして、実質というのは、巷に解されているように、必ずしも物理的・物質的材料のことではない。確かに、シニフィアンを現前せしめる実質は、自然言語の場合に限って言えば物質音ということになろうが、シニフィエの網を投影させて区切られる意味の実質が、物理的・生理的なものでないことは言うまでもあるまい。シニフィアン・シニフィエともに形相であるということは、そのいずれもが「ア・プリオリに存在し、絶対的特性によって定義されるもの」ではなく、価値体系内の関係の網の目であるという事実の指摘であり、ソシュールが説いたのは、そのような「即自的実体」に対する「関係」の優位性であった。
>--------------------------------------------------------------------------------
> 漠然とした印象に過ぎませんが…ここに「表意性」がどう関わるか。その関わり方を表意性に優先すれば、表意性は相変わらず保たれたまま、「てにをは」の関係性もまた優位に立つのではありますまいか。そこにあるのは共立性。優位性は常に持続的に、関係の中に(形相を巻き込む契機となりながら)自ら溶け込むのではありますまいか…。
>
>
>苹頓首頓首。
> 山形板に投稿する気力が残って居りません。スタミナ不足と感覚鈍磨の極にて、歌の粋には言及できぬ事、何卒ご容赦を賜りたく…(泣)。
> この場を借りて、桜子様への感謝を識します。伝統板の方に、変体仮名を掲載していただき有難う御座いました。今朝方「おちょくり」板に書いた「多」は勘違い。昨夜ここに書いた意図は、桜子様が補って下さいました。
> …然るに次は閣下宛。そこの字形を西尾先生のご所望(?)と比ぶれば、その差異は如何相成るかと。山形板の私宛稿より経由可能の由、御披見被下度願上候。
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8【再掲】国語問題04 ( 苹@泥酔 )
2011/09/30 (Fri) 21:48:35
7658 五年半前の記録(其一) 苹@泥酔 2009/10/24 21:28

 前に此処でも何度か話題にした事があった歴史的仮名遣いや旧漢字の件で、ワープロに保存してあった勝手応援板(今は消滅)を部分的に読み直した。今度の契機は一月半前の坦々塾ブログで、あちらの会員様の中には西尾先生と本を出した方なども含まれる。
 当時の私が考えた事と最近の私の見方を比較したくなった。何か見落としていた事はないか。考え違いの箇所はなかったか。間違っていたら改めたい。~てな訳で、取り敢えず以下に抜き出してみる。読後感は後日。


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>93 「万葉仮名・藤原定家・契沖・現代仮名遣い」について(其一) 苹 2004/04/03 21:22
>
>  こっちの板に書いてみよう。~おちょくり板のあきんど様、ゴメン。…だって、自分のメール・アドレスを調べるのが面倒くさいんだもん(笑)。
>--------------------------------------------------------------------------------
> …旧仮名遣いにこだわる人々に、私は漠然と「軍国主義の復活」の気配を感じてきました。その理由は今でも曖昧ですが、少なくとも起点が明治にある事だけは明確に感じられました。この時の教育的規範がバイアスとなり、更に畑違いの何かが積み重なってきた事も。多分それは、多様な方言から一つの共通語に向かう道程と密接に関わっているのだろう。所謂「国語ナショナリズム」の視点から先ず国内を整序する上で、(帝国拡張の論理とは無関係な)内向きの意識の下に定められたのだろうと、そんなふうに捉えて居りました。
> 江戸時代との接続を優先するなら、旧仮名遣いも悪くはない。当初、仮名の活字は色々あった。例えば「可」「尓」の仮名活字(草書体由来)は、現行の「か」「に」より使用頻度が高かった筈(調べた訳ではなく、単なる経験上の感覚)。「志」「盤」「者」なんかも結構見慣れていたな。個人的に抵抗を感じないからだろうか。むしろ明治三十三年の、余りに便宜的な一音一字化方針が気になる。漢字活字は楷書由来の形に限定するだけで済まし、異体字の扱いは放置する。そのくせ仮名活字はさっさと統一かよ。それならそれで、仮名が漢字の補助的役割に傾くのは当然じゃないか。~この印象は今も変わって居りません。
> さて。
> 『諸君!』五月号の「万葉~」、一気に拝読しました。…なるほど、きりがない。「仮名遣いには百パーセント正しい絶対の方式はない」のがよく分かります。明治以後のどの仮名遣いであれ、古典を読む際は結局「二重基準」にならざるを得ない。両者をつなぐ機能としての書字を軽視すれば、両者の距離はますます離れてしまう。
> ここで私はズッコケる。全身全霊が書道キチガイのパロディとなり、旧仮名遣い論者と選ぶ所はなくなる。~件の冒頭に戻ると、万葉歌に目が留まる。「予備知識なしで黙読して下さい」とある。読んでみる。二、三分後…読める。漢字がないから読みにくい。漢字と間違えて、うっかり「之」を「の」と読んでしまった。ツボに填れば「いよよますます」と即座に読めるが…コンチクショウ、いぢわるぅ。高野切みたいな写真で載せてくれ、と文句をつけたくなる(出来ない相談だ)。不意打ちの一首目と違って、二首目はすらすら読める。しかし三首目でまた滞る。
> 結局、私には知識がないのだ。読めればいいじゃん…ただそれだけ。時代も八十八の区別も、一々調べてからでないと分からん(国語の授業で、そこまで教えた事はない)。とにかく「以・意・移」「呂・路・露・樓」「波・盤・者・八」といった具合に、現行四十七種別の標準的ヴァリエーション(ん=む)だけ知っていれば何とかなる。四十七に八十八を押し込める。高校生レベルならそれで充分…と、単純にそう思ってた。それが最低限度だろうと思ったら豈に図らんや、今では高校書道ですら「読める様にしてはいけない」らしい(管理職と国語教育界・書道教育界のご意向である)。国語に書字は不要なのだ。基幹種別は大学に行ってから活字で学べ。同種内の変容原理(書体横断原理)は排除せよ。~何かが捩れている。国語そのものが捩れているのか? そうだとしたら、その原因は?
> ここに、西尾先生の指摘が絡んでくるのではなかろうか。~「しかし読者の皆さんは、(中略)容易ならざる区別を学校教育に再び復活することを望んでいるでしょうか。」
>--------------------------------------------------------------------------------
> 今夜はここまで。「其二」のネタは未定(書かないかも?)。…取り敢えず、今後の身の振り方は日録の続きを読んでからにしよう(汗)。
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●…ここで異変が起こった。成立してから間もない勝手応援板に、自力のカキコを覚えてから間もない西尾先生がカキコ。この辺の成り行きは蘭様もよく御存知である(其三参照)。
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>95 草冠に平と書く方へ 西尾幹二 2004/04/04 01:09
>
>  
> お名前の文字が打ち出せないので、失礼をお許しいただいて。
> 
> 「方言から一つの共通語に向かう道程」に旧仮名採用の国家的動機が
> あったのでは、のお言葉にふときずいたのは、かって唯一の共通語
> は文語だったことです。口語は互いに通じなかった。関係があるので は?
>
> 可などの仮名活字が昔は盛んに使われた由、そういえば明治末年生ま
> れの母は私あての手紙にも変体仮名を多用したので、読むのに苦労し
> しました。明治33年制定の一字一音のとりきめについて、詳しく
> 知らないので教えてください。
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 …これには驚いた。今にして思えば「旧仮名採用の国家的動機」の箇所に気付くべきだったのかも知れない。私はそう表現していない。もっと曖昧な言い回しをしていた。この辺をもっと突き詰めて考えねばならぬのだろう。
 その後、こう続けた。


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>98 小学校令施行規則第十六条 苹 2004/04/04 18:29
>
> >明治33年制定の一字一音のとりきめについて
> …おかしい。何かある。西尾先生ほどの碩学がわざわざこうして書き込むからには、凡庸な情報など全く期待していない筈だ。~などと勘繰る前に、あっけらかんと引用してみます。先ずは『漢字講座4 漢字と仮名』(明治書院)P.262~264(佐藤宣男「草仮名・仮名の字源」)。
>--------------------------------------------------------------------------------
> 文部省は、明治三三年八月二一日の小学校令施行規則第十六条、「小学校ニ於テ教授ニ用フル仮名及其ノ字体ハ第一号表ニ、字音仮名遣ハ第二号表下欄ニヨリ、又漢字ハ成ルベク其ノ数ヲ節減シテ応用広キモノヲ選ブベシ。尋常小学校ニ於テ教授ニ用フル漢字ハ成ルベク第三号表ニ掲グル文字ノ範囲内ニ於テ之ヲ選ブベシ」により、仮名(平仮名・片仮名)字体の統一をはかり、仮名づかいを制定し、小学校教育に用いる漢字の範囲を示した。この施行規則第十六条、および、それに伴う第一、二、三号表は、明治四一年九月七日に、文部省令により、「明治三十三年文部省令第十四号小学校令施行規則中左ノ通改正ス。第十六条及第一号表乃至第三号表を削除ス。  付則  従前ノ規程ニ依リ編纂シタル教科用図書ハ其ノ改正シタルモノヲ使用スルニ至ルマデ仍之ヲ使用セシム」と、削除されたが、仮名の字体に関しては旧に復することはなかった。そして、それが今日まで引き続き行われているのである(ただし、「ゐ」「ゑ」「ヰ」「ヱ」を除く)。
> しかし、明治三三年の小学校令施行規則公布以前までは、小学校教育においても異体仮名(今日用いている仮名とは異なる字形を持つもの)が用いられていた。明治一七年九月刊行の『小学読本 初等科』(原亮策纂述)には図1のような「いろは」「五十音図」が付されている。見るとおり、片仮名は今日とあまり大きな違いはない。「ネ」は「子」を主にし、「ネ」の方がむしろ従の扱いになっていること、ワ行の「ヰ」に「井」を用いているのが目に付く。「トキ」「トモ」「コト」「シテ」の合字も見えている。これに対して、平仮名は「こと」の合字がある外に、ほとんどの文字に一種ないし二種の異体仮名が併記されている。「え」「お」「そ」は、むしろ異体仮名の方を主にしている。明治一七年の『読方入門』(文部省編輯局)の実際の姿をつぎに示してみよう。(図2)
> 小学校教育においてさえも、このような状況にあったのである。明治三三年の仮名字体統一の持つ意義の大きさが知られるところである。
>--------------------------------------------------------------------------------
> 苹註。「図1」の平仮名五十音中、三種併記例のみ補足します。
>「は・八・者」
>「に・尓(末二画残存)・尓(収筆巻き込み)」
>「ほ・本・保(筆順違い)」
>「と(第二画と第三画の間が離断)・と・登」
>「か・可(第一画省略気味)・可(「一」形と「の」形が離断)」
>「た・多(草略極限の「こ」類似形)・多(草書)」
>「曾(「そ」の草略極限、ただし「耳」と誤読する危険あり)・そ・楚」
>「ね・年・祢(草書)」
>「の・能・乃」
>「け・介・希」
>「さ・左(草書)・佐」
> 「図2」の内容は単語の羅列。「第十五課 い希、に者、こ飛、あ左が保、きんぎよ、ゆふが保。てう世き、うんどう、やう志゛やう、多す希。」「い希に、こ飛ときんぎよと阿り、に者尓、あ左が保とゆふが保と阿里。てう世きのうんどうを多す希、志んた以のやう志゛やうと奈る。」
>
> 苹勘繰るに、先生の御下問は現行平仮名の選抜基準か何かに関する事ではないかと。これについてはまだ恰好の記述が見つかりません。
> 『漢字講座11 漢字と国語問題』(明治書院)P.3(古田東朔「明治以降の国字問題の展開」)には、「これらのものについて一種である必要を説くようになったのは、帝国教育会の国字改良部での意見である。このような風潮が起こってきたことについては、当時の印刷上の事柄もかかわっていたと考えられる。」と書いてあります。
> 同書P.7~9には、「かなのとも」「いろはくわい」「いろはぶんくわい」(後に合同して「かなのくわい」)の関係者達が、「後に帝国教育会の国字改良部のほうに加わって、仮名字体の統一や仮名遣いなどについての意見を述べることになる。ただし、仮名字体の統一にあたり、どの字を採用するかについては、後に実際に決まったものとは違った点もあった。〔注6〕」と書いてあります。
> その「注6」にはこうあります。「明治三二年一〇月に帝国教育会は、国字改良部の設置を議決した。その中はさらに「仮名字調査・羅馬字取調・漢字節減調査・新字調査・歴史編纂」に分かれ、それぞれに委員がおかれた。同年末の仮名調査部(長は大槻文彦で他に委員一三名)では、「国書の仮名に数種あるを各一種に限ること(即ち変体仮名を廃すること)左の如し」として、仮名の字体をあげているが、そこでは「お・ヲ」「ゐ・ヰ」「ゑ・ヱ」を廃することとし、また「ネ」ではなく「子」の方を用いることとしている。」
> 同書P.25には参考文献が十七種列挙してありますが、そのうちどれが恰好の資料か、私には特定できません。

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>101 訂正・補遺 草平@渭苹居士 2004/04/04 20:47
>
>  前稿は…送信を急ぎ過ぎたかな(ボソッ)。
> 「苹註。「図1」の平仮名五十音中」云々と書きましたが、あれは「五十音図」の慣用に引きずられただけの事にて、実際は「ん」を含む四十八音と「こと」合字が「いろは」順に載っています。その後に片仮名が五十音順+α。次いで現行通りの濁音(点々)と次清音(丸)。
>
> 『岩波講座 日本語3 国語国字問題』(岩波書店)P.305の註。~「「帝国教育会」は一八八三(明治一六)年に「大日本教育会」として設立された民間機関であるが、一八九九(明治三二)年には前島密を部長に国字改良部を設けている。」
> 本文(武部良明「国語国字問題の由来」)ではP.271~275に色々書いてありますが、変体仮名活字をパソコン入力できないのが困りものです。が…漢字廃止論者の前島密が出てくるとなれば、これは見過ごせない。仮名の一音一字化は単なる踏み台に過ぎなかった様な気がしてきます(だから…その後は漢字節減・廃止・ローマ字化問題に論点が移り、片や「は」「へ」「ゐ」「ゑ」「を」は不充分な音韻文字(フォノグラム)化の象徴的「死角」となり続けた?)。

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>110 ひょっとして…しつこい? 苹@しおり 2004/04/06 00:41
>
>  私はとんでもない勘違いをしていたのかも? 西尾先生のは「一字一音」、私のは「一音一字」。そこで取り敢えず~御下問の趣旨を「一字の読みを一音に限定」と解釈し直してみる…。
>
> 漢字としての来歴から仮名を切り離すために、漢字の活字書体を楷書由来の形に限定した…と解釈するなら、草略原則は漢字にも仮名にも不要となる。ところが仮名の字形は多種多様なため、漢字の草書と縁を切るのはひどく難しい。そこで明治の進歩的な人々は、先ず「一音一字」化に着手した。本来なら草書のテリトリーで同一視しなければならない字形群を、敢えて分裂的に捉え直した。例えば「奈」の場合は、仮名の形を一種ではなく四種と捉える。
>・巻き込まずに末二画を残した「奈」
>・現行の「な」
>・「一」と「ふ」を組み合わせた様な形
>・「一+ふ」類似形の末画を巻き込んだ形(「な」の上半分を更に草略した形)
> これで「奈」のヴァリエーションと「な」との絆を断ち切る事ができる。「な」は「奈」でなくなり、「一音一字」化を経てリアルな同音がヴァーチャルな異音の体系に組み込まれ、揺り戻しの過程から「一字一音」化の契機が派生する。~「あ」を「アン」とは読まないし、「安」を「ア」と読む例は特殊な「過去の遺物」となる。「安倍」も「久保」も「久美」「志乃」「佐和」「比呂」も、根こそぎ〈仮名表記でなくなる〉。中には別の仮名表記が要請されて、「真利亜」とか「沙羅」「理佐」になる場合もあるが、そこに底流する意識は漢字に逆流した「安奈」の読みと似たり寄ったりだろう(「アナ」でなく「アンナ」)。平仮名表記の「えみり」式の方が素直と云えば素直。横断不可能な漢字と仮名が、漢字の再「仮名」化とローマ字化・英語国語化との狭間で揺れ動く。
>
> もう一つの仕上げは筆順破壊。「な」の点を最後に書くタイプの意識は、「ま」を「縦巻き込み→横々」の筆順で書いたり、「ら」の点を最後に書いたりする意識と同じになる。ここでは草略意識下の根拠が失われ、やがて「過去の遺物を引きずったグニャグニャ文字」と捉えられる様になる。そうなればしめたもの。視覚的に整ったローマ字活字の優位性を国民全員が認めるのは時間の問題となる(片仮名は真仮名と同様、漢字と間違われやすい欠陥を抱えているから論外)。
> 歴史には連続性がある。筆順や草略原理もまた然り。ところが屡々、「科学的」見方には画然とした分類を至上と見なす感覚~すなわち先入観が入り込む。楷書・行書・草書のごとき書体分類もその一例で、実際は無限の中間書体があるにもかかわらず、概念としての「書体」に実体としての「書跡」を割り振るのが慣例となっている。同じ「科学的」先入観の下に微分を繰り返して何か発見があるならともかく、殆どの場合は天体運行の解釈で周転円を積み重ねるのと同列の複雑さが増すだけではないのか。却ってコペルニクス的発想の障碍になる。便宜上の分類を誤解して過剰に敷衍すると、余計なものまで招き入れる事になる。
>
> 素人丸出しの妄言になるだろうか。~意味と印象との解離状態が双方向に波及すれば、漢字も仮名も「表語」「表音」の区別では済まされなくなる様な気がする(両者の混交状態で、翻訳不可能な別のイメージが先立ちつつある?)。嘗て書字が請け負っていた可塑的領分を、予め規定された印字の領分で補う。文字配列を選択した途端、言葉が文字から逃げていく。その予兆を、私はアニメーションなどの発展に感じ取っている(チョムスキーならどう感じるだろうか?)。
> 文化はいつも、予想外の方向に拓けていく。それ自体を拒絶する訳ではないが、過去を否定してまでなりふり構わず発展させようとするのはいかがなものか。クローン技術や核物理学の危険は理系の領分に留まるものではなく、同種の危険が人文科学にも底流していると思う。

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>142 「解放」待ちのインテルメッツォ 苹 2004/04/12 02:05
>
>  先日、西尾先生から「ふときずいたのは、かって唯一の共通語は文語だったことです。口語は互いに通じなかった。関係があるのでは?」との御助言を頂戴しました。今夜はこれを酒の肴に、言いたい放題やらかそう(「おちょくり板」向きの書き込みで恐縮…)。
> あれはどれくらい前になるだろう?~連続ドラマ「国語元年」の初回放送を見た時の印象が残っていたためか、その後しばらくして国語国字問題に興味を持ちました。先般のBSでの再放送もただ懐かしいだけでなく、面白いものは面白いと感じました。
> 初回放送の頃の私は確か、吉幾三が「テレビもねぇ、ラズオもねぇ…」と喚くのを聴いて居りました。「ラジオ」や「ラヂオ」ではなく、「ラズオ」か「ラヅオ」に近い発音だったと記憶しています。実際の発音に近い表記は難しく、ゲーテとかギョエテの例もさる事ながら、七年くらい前の高校英語教科書に出てきた指揮者のMitropoulosなんかは「ミタラパラス」と発音されていた様子。生地ギリシャではどんな発音になるのやら。日本のレコード雑誌では「ミトロプーロス」と表記している旨、話題を英語の先生に振ってみましたが、あまりピンと来なかった様です。
> 夢は枯野をかけ廻る。~昔、鮮魚市場に行ったら「筋子」がありました。そればかりでなく「すずこ」もあった(笑)。どうやら「筋子」は「スジコ」「スズコ」の両方で通じる様です。これには大いに感心させられました。二つの音声を一つの漢語で取り纏めるとは、なんと見事な翻訳システムだろう。方言のままの姿を包摂しながら共通語の体系に収束させる上で、漢語だらけの和文はさぞ役に立った事だろう…と。
> 当初は戸惑った「すなそば」だって、文字に起こせば「支那そば」となる。或る校長は定年退職の挨拶で、「コレカラハ、チチイヂリデモシマス」と云ったそうな。「土いじり」の単なる訛りが、色に狂って「乳いじり」するみたいに聞こえる。何年経っても忘年会の酒の肴になる。
> …ところで、文字言語には別の効用もありそうです。音声言語もまた然り。嘗て、盲人ヴァルヒャは努力して立派なオルガニストになったとか。今は日本人の盲人ピアニストも活躍中。
> これらの事例と同様に、実質的な「聾」的性格を惹起する音声言語の鏡像的差異は、間断なく~今も昔も地方も中央も飛び越えながら、文字言語を反復的・創造的・免疫的・補完的に「共通語」化し続けると思うのです…。音声言語が必ずしも文字言語を必要としない様に、文字言語だって必ずしも音声言語を必要としない。そこに私は、ロミオとジュリエットの間に生じた「憧れ」と似通った横断への動機・契機を感じ取っています。
> 具体的には~戦中・戦後のケースで云うなら、山本有三あたりが提唱したルビ廃止への動きが影響しているのかも?
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8【再掲】国語問題03 ( 苹@泥酔 )
2011/09/27 (Tue) 23:43:12
7045 偏屈男は「略」を「畧」と書く(ウソ) 苹@泥酔 2008/03/11 01:48

 先ずは会長様のに絡めて。
>表題が「旧漢字 云々」とはどういうこと。旧 という漢字は略漢字ではなかったのでは。
 ん?…文春新書の表紙は「舊」の方になってるけどなあ。それはともかく~「旧」を「臼」でなく「舊」に宛てるのは、「芸」を「芸(ウン)」でなく「藝」に宛てる様なものか。
 ざっと目次を見ると、他にも余計な事に気付く字は幾つかありますわな。例えば「円」は「圓」の中身(「員」)を更に略した形だから、本来なら国構えで書くべき(実際その形が古文書字典に載ってる)。でもそれだと間が持たないので書きにくい。そこで横画が自ずと上擦って行った。これは書字側の構成原理が印字側に影響した典型事例ね。
 他の処理方法としては逆台形にすぼめて引き締める手があるけれど(「四」とか「曰」とか)、これは「口(くち)」型に共通の極めて重要な結構法ゆえ、国構えと区別する上で明らかな反則となる。それより何より、そもそも略さない形の「圓」がある訳だから、「円」の下をすぼめれば一蓮托生で「圓」の方もすぼめなければならなくなってしまう。略体が本来の形に準拠した痕跡を残すのは草略原則にも通ずる鉄則だから(ただし構造の異なる異体字を除く)、そうした意味で総ての漢字は「雁字搦めの分かりやすさ」を内包しており、ひいてはそれが漢字の複雑さを脳内の文字識別段階で予め通分している(喩えて云うなら「十二分の九」が楷書、「八分の六」が行書、「四分の三」が草書)。
 以下~こうした感覚の下に、続けて妄想含みの感想をば。

>旧漢字のことを書いている本の標題を略漢字で書いて平然としている手合い
 これは或る意味、伝統を重視すればするほど「致し方なくなる」事だと思うんですね。そもそも「略漢字」とはなんじゃらほい。
 先ずは余談から。~例えば「僕はウナギだ」を略体と見なす時、より正しい表現としては「僕は夕食に鰻重を食べる」などの文が考えられる。しかしこれでは片手落ち。昼食かも知れないし鰻丼かも知れない状況を読者側の思い込みに委ねれば意図的な錯誤へ誘導する事も出来るし、文脈次第では「夢の中で僕はウナギになった」って状況もあり得る。正確な描写や潜勢的な意図が略体より遙かに複雑な形になるのはごく日常的な事で、そこでは意味自体が表現の省略可能性を余所から分かりやすく拘束する。~本当に「僕はウナギだ」は略体なのだろうか。「書かれている基準がそれである」と明示する作用が仕組まれている点を重視するなら、それまで略体と映っていたものは「基本」以上でも以下でもなくなる。複雑な描写の側から見れば略体と映るだけの話であって、「複雑な正しさ」の方が略体よりも正確だとは限らない。
 一方、漢字の場合はそこまで複雑だと却って困った事になる。そのため「意味に影響しない範囲で」、差し当たっては文字造形だけが省略可能な余地を抱え込む。そこでは予め「どんなに変形しても収束と環帰が保証されなければならない」し、またそうした保証の下で変形生成は相互諒解されねばならない。言い換えるなら、保証の領分を区分けしたのが「字」という意味単位で、その繋がりはエンコードの過程でどんなに極端な連綿や省略・草略を施しても、デコードのための手掛かりとなる痕跡を残している限りは相変わらず解読可能なままとなる。
 デコードの程度に焦点を当てるなら、見方次第では「漢字より仮名の方が複雑」とも云える筈。表音目的に沿った字を選択可能として置きながら、一方には「音の中に意味をも同居させる」手札だってあるからだ。この場合~略字としての性格を表音目的の下で漢字から離脱せしめるほど、相対的に仮名は見た目が仮名であろうと漢字であろうと「来歴における漢字らしさ」からも等しく遠離る(近年は人名に用いられるケースが多い)。
 ~時にはその界隈に危険な不倫関係を垣間見る事も出来るだろう。例えば青森県に「不老ふ死温泉」てぇのがある。「不老不死」で構わない筈なのに草書の「不」=「ふ」が用いられている。大した意味はないかも知れないが、むしろそうであれば尚更ややこしくなる。字が機能や意味を求めて彷徨い始めるからだ。我々は通常(特に印字の領分では)「ふ」を平仮名と認識する。既に仮名となってしまったものを母なる漢字に差し挟む…なんなら母子相姦に喩えてみてもよい。仮名が漢字から独り立ちして「一人の男になった」。その仮名が今度は漢字という「母なる肉体」を貪った挙句(以下自粛)

(追記)
 ↑このまま尻切れ蜻蛉にしといた方がいいかなとは思ったけど…やっぱ取り敢えず「仮名を危険な男にしてはならない」くらいの事は書いとこう。母との絆を失った男は何をするか分からない。或いは母を求めて幻影に襲いかかる時、彼とは無関係な「幻影」や「幻影の子」の生命を断ち切って初めて「幻影が彼の母となる」のかも。
 仮名の暴走が漢字を変質させる時、それに相応しい場が両者の脅威となる筈(「場所が脅威を育む」と云った方がいい?)。…差詰め第一段階は印刷体時代で、第二段階が今の電気的表示時代(ネット時代)って事になるのかしら。



7047 Re:偏屈男は「略」を「畧」と書く(ウソ) 福田恒存をやっつける会会長 2008/03/11 14:08
男性 学生 10歳以下 新潟県
> >表題が「旧漢字 云々」とはどういうこと。旧 という漢字は略漢字ではなかったのでは。
>  ん?…文春新書の表紙は「舊」の方になってるけどなあ。

西尾幹二のブログに記載されていた「旧漢字書いて・・・」という本の表題がそのように書かれていましたので本の表紙にもそう印刷されていると即断しましたが、添付されている写真を見たら旧という漢字は旧漢字「舊」で書かれていました。私の誤りです。

 ただし、「旧かなづかひ・・」という本の表題は表紙にも「舊かなづかひ・・・」出なくて「旧・・・」となっていました。こう言うことでは、二枚舌の卑劣漢にして徴兵逃れの卑怯者福田恒存と同様に萩野某も主張は主張として脇に置いといて、出した本は売れなきゃ損損とばかり、新仮名および略漢字を使っ恬として恥じない恥知らずです。

 要するに、萩野は旧漢字の本を略漢字で表記するほどずうずうしくはないということですか。

 そういえば、新仮名遣い批判の本を新かな表記で書いた、確か立命館大学か関西学院大学の図書館職員をやっていた愚かな手合いが居ました。野崎健秀のブログで見たことがあります。



7052 No.7045の続き。 苹@泥酔 2008/03/12 21:52

 ↑を読み直したら、またやっちまった事に気が付いた(↓)。
(誤)でもそれだと間が持たないので書きにくい。
(正)でもそれだと間が保たないので書きにくい。
 「またやっちまった」と書いた。前科については下記リンクを参照されたし(汗)。
http://f35.aaa.livedoor.jp/~masa/c-board358sp2c/c-board358sp2c/c-board.cgi?cmd=one;no=4034;id=
 最近は手書き入力装置が発達しつつある様だが、ワープロ入力の基本は今後も打鍵中心であり続けるだろう。グローバルな基準を完全掌握した西洋がタイプライター百五十年の伝統(発明以来なら三百年、キーボードのQWERTY配列なら1873年以来)をアッサリ捨てて書字に回帰するとは思えないし、そもそも打鍵方式の原型がピアノだった事を思えば、目的を度外視した上での打鍵の歴史は六百年以上前まで遡る(チェンバロ以前の鍵盤楽器はあるのかな?)。
 …同じ形のキーが並ぶ中から特定の場所のキーを選択して打つ。それを繰り返した後、漢字変換の際は「まがもたない」→「間が持たない」と来るか、もしくは「もたない」→「持たない」の次の画面に並ぶ候補の中から字を選択する。それを怠れば上記の仕儀と相成る。「もたない」の後に「保たない」が出る様に記憶させちまえばいいのだろうが、この辺の事は使用頻度との兼ね合いが難しい。

 以下本題。
 打鍵と選択は「記憶からの抽出」を省略するシステム…とも云える。つまり我々は結果的に「常に略字を打っている」事になる。わざわざ漢字を想起しなくとも音だけ想起すれば打鍵できるし、選択する際は機械が候補を提示してくれるから、ここでも脳内記憶の何割かは抽出の手間をかけずに済む。
 この手の省略を「記憶の分担制」と言い換えてみようか。書字側に見立てるなら、点画を一々ハッキリ書くのはめんどくさい。そこで省略して書く。細部は読み手の側で補ってくれ。とどのつまりは書き手と読み手との間で、「想起されない記憶」を「恰も既に想起されたかのごとく」ヴァーチャルに分担し合う訳だ。すると読む際も書く際も細部を一々想起する必要がなくなるから、当然「草書は読み書きできるが楷書の読み書きはてんでダメ」ってケースが出てくる。~これらを現代の眼差しで顧みればどうなるか。
 一方は「記憶が記憶を騙す」。もう一方は「記憶が記憶を省略する」。恰も自分が記憶していたかの様な振る舞いを予め機械任せにすれば前者となるし、初手から細部の記憶を必要としなくなれば後者となる。~先日、奥様ブログのコメント欄にこう書いた。
--------------------------------------------------------------------------------
 「草書は読めても楷書は読めない」ケースが江戸時代には結構あったそうな。草略体を基準にすれば、そこから分岐していく正体字は(楷書であれ活字体であれ)あくまで「一つで多数」のまま、深層の文字像に収斂する一方で表層の文字像への分化と共立する。そうした視点で旧字を「草略体の仮の姿」と捉えれば、萩野先生の旧漢字への視点は必ずしも「表層での収斂」を前提したものではなくなる訳ですな。あたしゃご存命のうちに気付くべきだった(…と今は思ってるけど、まさか誤読・曲解じゃなかろーな)。
--------------------------------------------------------------------------------
 いづれにしろ実用上、我々が文字に纏わる何らかの省略を免れ得ないとすれば、省略自体の位相転換と表層の文字像とを分けて考える必要が出てくる筈。そこに「仮の姿」の真骨頂があるだろう。元々の字が複雑だから省略の必要が出てくるのではなく、省略された形の記憶が「駄目押しの正確さ」に到達するまでの過程が複雑なのだ。旧漢字がどんなに正確であろうと、その正確さが思考の正確さを担保する訳ではないし、むしろ未完の段階で幻視される「正確な記録」への先走った強迫観念が記録以前の「思考の自由」を阻害するケースの方が多いのではなかろうか。思考の流れを阻む正確さは百害あって一利なし。そうなるくらいなら、文字など初めから無い方がよい。しかしそれでは情報伝達の都合にそぐわない。なればこそ、伝達システムと思考システムとの狭間で流動する文字は「文字らしさ」を思考の側に向けて溶解・消尽させねばならなくなる。
 勿論、正確さの極北を旧漢字に見出すのは一向に構わない。新字体や簡体字を金科玉条とするよりはマシな筈。それとほぼ同じ意味で、「書字/書写体」より「活字/旧漢字」の方に分がある事も認める。しかしこれはあくまで最終段階の話。生きた言葉の世界とは何かが違う。古典がゾンビの様に甦る時、ゾンビをゾンビたらしめる規範が必要となる事に我々は畏敬の念を抱くべきだろう(たぶん畏敬以前に恐怖してもいいんだろうけど)。
 この畏敬が存外厄介で、下手をすると祭り上げられた挙句の果てに、旧漢字は日常使用を目的とした書写体・草略体・新字体を滅ぼそうとし始める。そうなると居心地が悪い。旧字・旧仮名の復活を目指す人々が日常性の回復を望んでいるなら尚更の事、非日常の領分となった伝統が日常性を取り戻すには今、日常性を取り仕切っている新字体・現代仮名遣いを過剰に敵視する訳にはいかないのである(福田・渡辺両氏が云わんとしたのは、多分そーゆー意味じゃないかしら)。
8【再掲】国語問題02 ( 苹@泥酔 )
2011/09/27 (Tue) 23:35:31
7038 Re:【追悼】全文転載【No.6788補記】 福田恒存をやっつける会会長 2008/03/09 16:07
男性 主婦 70歳以上 海外
>萩野先生が亡くなられたそうな。

早速インターネット日録を見に行った。ここは、私が何年か前に「二枚舌の卑劣漢にして徴兵逃れの卑怯者福田恒存」の事について投稿したところ、たちどころに投稿禁止を食らったところである。

 萩野貞樹については、以前に、二枚舌の卑劣漢にして徴兵逃れの卑怯者福田恒存と同様に二枚舌の卑劣漢であることを知ったので、彼のブログか何かを通じてその二枚舌を非難したメールを送った事があったが、勿論本姓の卑しい卑劣漢であるから、何の返答もなかった。

 萩野のしを悼んで、西尾は萩野外貨にすばらしい人間であるかをとくとくとして書いているが、追悼記事である事を割り引いたとしても褒めすぎである。

 萩野某は旧仮名遣い・旧漢字論者であったが、他の旧かな論者と同様に萩野も言行不一致、誠実さのかけらもない下司として一生を送った人間の屑である。

 西尾の文章の横には萩野の著作本、旧かなづかひで書く日本語、ほんとうの敬語、敬語の基本教えます、ゆがめられた日本神話、旧漢字かいて、おぼえて、楽しめて、の5冊が写真入で掲げられているが、5冊のうち、旧かなづかひで書く日本語 のみが旧かな表記で、残りの4冊は新かな表記、しかもご念のいった事に 旧漢字書いて、おぼえて、楽しめてという本は旧漢字を使おうということを主題としているのに、表題が「旧漢字 云々」とはどういうこと。旧 という漢字は略漢字ではなかったのでは。萩野某の考えでは旧という漢字は旧漢字ということになっているのかなあ。

 ともかく、旧漢字のことを書いている本の標題を略漢字で書いて平然としている手合いであるから、西尾幹二のほめ言葉もそらぞらしくにしか聞こえない。

 萩野の本について、アマゾンの広告に付随している読者の批評も、萩野の人間性の唾棄すべき事を述べて極めて辛らつである。
ほんとうの敬語 についての読者の批評文

1. 著者の理論は少数意見なのかもしれませんが、持論を正当化するために他者の理論を非難する展開に不快感を覚えますし、「私の言うことだけを聞いていればよろしい」との一文は嫌悪感すら沸いてきます。悪徳商法か怪しげな宗教団体の勧誘と大差ない論法としか感じられず、理性が拒否反応を示し最後まで読むのに苦労しました。
持論を「特許ハギノ式」とか仰々しく言っていますが、著者が言うほど革命的なのか....これは読んだ方の判断におまかせします。

2. 前略 作者は他の国語関係の学会の方々を徹底的に批判していますが、自分以外の考えは全て間違っているかのように書いてあり、読んでいて不快感を覚えます。
作者の言うとおりなら、敬語の使い方はほとんどの国語学者が間違っているそうです。だからこそ、この一冊だけを鵜呑みにするのではなく、他の本も勉強してみようと思いました。

この萩野某は高校生のこ頃に、二枚舌の卑劣漢にして徴兵逃れの卑怯者福田恒存の「私の国語教室」を読んで旧かなづかいに目覚めたそうだが、 目覚めたのは旧かなばかりではなくて、なんら根拠もなしに反対論者に罵詈讒謗を浴びせて罵倒する処世術も学んだようである。

 また強欲なところも師の福田某と同様らしく、敬語の学び方について「特許ハギノ式」と書いているところから推測すると、特許を取得しているらしい。世界中で多くの女性に利用されているらしい「荻野式(オギノ式)」ではあるまいし。

 特許制度が定められているのだから特許をとるなとは言わないが、教育上の事で特許をとるとは驚きだあああ。

 萩野貞樹という手合いは、師である二枚舌の卑劣漢にして徴兵逃れの卑怯者福田恒存と同じようにまさに人間の屑以外の何者でもない。



7040 Re:【追悼】全文転載【No.6788補記】 佐藤 俊 2008/03/09 20:27
男性 会社員 A型 新潟県
会長は前に「正かな運動には反対でも賛成でもない」と言っていなかったか。

なら「正かな派」が新かなを使おうが会長が首をつっこむ筋合いはない。



7041 Re:【追悼】全文転載【No.6788補記】 福田恒存をやっつける会会長 2008/03/10 10:21
男性 学生 10歳以下 新潟県
> 会長は前に「正かな運動には反対でも賛成でもない」と言っていなかったか。
>
> なら「正かな派」が新かなを使おうが会長が首をつっこむ筋合いはない。

 あんた正気でそういうことをいってんの。

 私の先の文章に正かな運動反対・賛成について触れた部分があるのかねえええ。

 もう一度小学校国語のお勉強をしたまへ。



7042 Re:【追悼】全文転載【No.6788補記】 佐藤 俊 2008/03/10 12:41
男性 会社員 A型 新潟県
>私は現代仮名遣い支持ですが、そういう旧仮名遣い復活運動をする団体の存在を否定するものではありません。

自分が前言ったことを覚えていないとは小学生以下だな。



7043 Re:【追悼】全文転載【No.6788補記】 福田恒存をやっつける会会長 2008/03/10 13:15
男性 学生 10歳以下 新潟県
> >私は現代仮名遣い支持ですが、そういう旧仮名遣い復活運動をする団体の存在を否定するものではありません。
>
> 自分が前言ったことを覚えていないとは小学生以下だな。

バカかお前は。

 誰がどういう仮名遣いをしようが私はそんなことは最初から問題にしていない。私が問題にしているのは、新かな撲滅運動をしていながら、自らは新かな表記で本を書いている、二枚舌の卑劣漢にして徴兵逃れの卑怯者福田恒存とか、今回の萩野貞樹のような手合いの節操のなさを問題にしてきただけだ。

 その証拠に、旧かなを使っていたが、新かな批判などしていなかった井伏鱒二や倉橋由美子などについては、褒めこそすれ非難などしたことがない。

 そういうことも分からずに、お前は私のことを非難していたのかねえ。見当はずれもいいところだ。

 お前の相手はしないで、たわ事には一切無視する事に決めていたが、あまりのわからずやぶりにこれだけ書いておくことにした。

 お前が私に粘着して以来ほぼ2年になるが、二枚舌の卑劣漢にして徴兵逃れの卑怯者福田恒存に対する私の基本的立場も分からないとは、あきれてものも言えないね。



7044 Re:【追悼】全文転載【No.6788補記】 佐藤 俊 2008/03/10 23:30
男性 会社員 A型 新潟県
よく考えたら、「会員」でもないのに「会長」と呼ぶのはおかしい。今後「新井」と呼ぶことにする。

>誰がどういう仮名遣いをしようが私はそんなことは最初から問題にしていない。
>私が問題にしているのは、新かな撲滅運動をしていながら、自らは新かな表記で本を書いている
自分で何を言っているのかほんとに分かっていないようだ。「何を言っているかは興味ない。でも文句は付ける」それは「言いがかり」というのだが。
>もう一度小学校国語のお勉強をしたまへ。
新井がだな。

新井は前にこんなことも言っていた。
>「福田を愚弄するネタとして利用しているだけのことです。」というのはある意味であたっているかもしれませんなあ。
結局新井にとって「正かな」云々は「口実」でしかないのだから、矛盾していようが関係ないのだろう。



7056 Re:【追悼】全文転載【No.6788補記】 佐藤 俊 2008/03/13 22:04
男性 会社員 A型 新潟県
国語のお勉強をしましょう。
今回は
「誰がどういう仮名遣いをしようが私はそんなことは最初から問題にしていない。私が問題にしているのは、新かな撲滅運動をしていながら、自らは新かな表記で本を書いている」
この文章について考えてみましょう。
まず前半。
「誰がどういう仮名遣いをしようが私はそんなことは最初から問題にしていない。」
つまり「私はかなづかいを問題にしない」と言うことです。「AはBでない」と主張していることになります。
次に後半。
「私が問題にしているのは、新かな撲滅運動をしていながら、自らは新かな表記で本を書いている」
要約すると「私はかなづかいを問題にする」と言うことです。「AはBである」と主張していることになります。
つまりこの文章は、前半で「AはBでない」と主張し、後半で「AはBである」と主張しているわけです。「AはBでない。AはBである」と一つの文章の中で言っていることになるわけです。こんな文章を書かれると、読む人は混乱してしまい、意味が伝わりません。他人が読んで分かるような文章を書きましょう。
分かりましたか。
8【再掲】国語問題01 ( 苹@泥酔 )
2011/09/24 (Sat) 22:41:12
6785 国語問題協議会 福田恒存をやっつける会会長 2007/10/02 12:46
男性 無職 69歳 A型 愛媛県
 ある共通の目的を有する人たちが集まって、その目的を達成するための団体を結成する。団体構成員は目的遂行のために各人が持てる能力その他の資源を提供して、団体のために働く、というのが世界中どのような団体でも普通に行われているところである。

 そして、構成員の中でも他の者よりも傑出して団体に貢献したものが団体の役員その他の指導的地位に就き、団体の目的に反する行為をなした構成員は除名を含めた制裁を加えられるのが普通である。

 もちろん生まれも育ちも異なる人間の集団であるから、団体の運営や人事の面で意見が食い違うこともあり、それに伴って内部抗争が起きるし、場合によっては団体が分裂することもある。その例の1つが離合集散ただならず、ついには訴訟沙汰まで惹き起こしている つくる会 である。

 しかし、そういう事態に陥ったとしても、団体の目的を達成するという点に関しては構成員は一致しており、目的に反した行動をとるということはまず考えられないし、もしそういう事態が起きるようなことになったらそういう構成員は団体を脱けるのが普通である。

 ところがそういう普通でないことが、構成員のほとんど全てにより日常的に公然と行われ、しかも構成員の全てがそれを承知している、という不思議な団体が日本に存在している。それは 国語問題協議会 である。同会の目的は、

第一條 本會は國語國字問題及び國語教育に關心を有する者で組織し、正字・正假名遣を中心とする國語表記の復權・普及を實現して國語の正常な發展に寄與することを目的とする。

ことである。要するに、同会の会員は現代仮名遣いおよび常用略漢字を廃止して、旧仮名遣いの普及および無制限な漢字の使用を目的としている。

 したがって、同会の会員はその目的を遂行すること、すなわち、現代仮名遣いおよび常用略漢字を使用しないことを義務付けられている。もしそれらを正当な理由なしに使用すれば会の目的に違反したことになり、会員の資格はないことは明らかである。

 ところが、同会会員および役員のほとんど全ては、二枚舌の卑劣漢にして徴兵逃れの卑怯者である仮名遣い狂祖福田恒存の衣鉢を継いで、公然と日常的に新仮名遣いおよび常用略漢字を使用している。使用していないのはおそらく名誉会長宇野精一や、弁護士高池勝彦、桶谷秀昭など極めて少数の役員に限られるであろう。

 そのように会員のほとんど全てが会の目的に明らかに反する行動を日常的に公然と行っているにもかかわらず、会員や役員の間からそのことを非難したり、そのようなことにより会の目的が達成されなくなることを危惧するような声がまったくあがらないことも 国語問題協議会 の不思議なところである。

 あくまで想像であるが、会の専任事務局員つまり会から給与を頂戴して生活している人間が、もしそういうことで会が消滅すると生活に困るので、そういう声があったとしても、そういう声は全然ないと私は確信しているが、表に出さないように細工をしているのではなかろうか。何しろ、会員諸氏と同様に、信念よりも楽して金儲けすることが大事であるから。

 こう言う状況じゃあ現代仮名遣いや常用略漢字の退治は不可能だねえ。

 役員およそ100名のうちの職業や元職業を調べたら、およそ半分が教育者や宗教家である。教育者とか宗教家なら、普通なら嘘は言ってはいけないはずだが、そういう方々は国語問題協議会の目的実現に邁進すると誓って会員や役員になったはずであるのに、会を裏切るような行為を白昼公然とやっている、つまり嘘まみれの生活を送っている。

 宗教者や教育者はまず何よりも嘘を吐かないことが大切であるのに、そういう連中は嘘つきの常習犯。そうか、そういう手合いが教育者とか宗教家と名乗っているのはあくまで楽して金儲けをして、他人よりも良い生活をしたいためなんだ。情けないねえ。



6788 Re:国語問題協議会 苹 2007/10/03 06:48

> ところが、同会会員および役員のほとんど全ては
>公然と日常的に新仮名遣いおよび常用略漢字を使用
>使用していないのはおそらく名誉会長宇野精一や、
 …との記述を見て、久しぶりに宇野精一『書香の家』(明治書院)を開いてみたら「新仮名遣いおよび常用略漢字を使用」してやんの。…と云っても、この本は元々「宇野精一博士米寿記念対談集」として構成されたものだし、中身は単著でなく共著(聞き手は石川忠久先生)。オリジナルは文字原稿でなく録音テープか何かだろうから、編集者に一々ケチを付ける訳にもいくまいが、それはともかく私には別の方面で国語問題協議会への疑問がある訳で…。

 この本によると、宇野先生は小一の正月から中四まで習字に通い、千字文も一通りこなしたとの事(先生は田口米舫)。なお、著者の字はP.287の写真で見る事ができる。
 習字をやった人なら分かる筈だが、あれって基本は活字体でなく書写体なのよね。その書写体をあれこれいじって出来たのが現在「正字」だの何だのに分類されている諸々の形。それを活字に固定しちまったもんだから、「青」の「月」は「円」形でなければならぬ…などといった妄言が出てくる。書写体の方が活字体より古いのにねぇ。
 コアな旧活字翼賛派の人々は「篆書の形では~」てな反論を出したがる様だが、篆書を論拠とした楷書批判は「楷書時代の歴史」を丸ごと否定する方向に行っちまうんじゃないのかねぇ。例えば「花」は篆書の形にないから廃止して「華」に統一するべきだとか、国字は日本人が勝手に作った漢字だから廃止するべきだとか。なんなら紛らわしい平仮名も廃止してしまえばよい。「お」は「村」の草書に見えるぞ。「り」は「行」の草書に見えるぞ。それとも何かい、草書教育は事実上「絶滅状態」だから、国語問題協議会は古文書学を相手にしないとでも?

 そう云や萩野貞樹『舊漢字』(文春新書)も評判が悪いみたいね。先日は芸術新聞社刊の季刊誌『墨』188号P.109を見てビックリ、全文が「これこそ「愚書駄本」の見本」てな具合の罵倒だった(綿貫明恆)。…国語問題協議会の中では、萩野先生への批判が出てるのかなあ。もし出てないのなら、私は協議会の将来を悲観せざるを得なくなる(いや、別に「袋叩きにしろ」と煽ってる訳じゃないんだけど…汗)。
 …で、こんな事を書くと~協議会が「無制限な漢字の使用を目的としている」なら、個人的には戦後の新字体を使っても構わない事になる筈ですな。だってアレは事実上「戦後の国字」になってるんだもん。そうした意味では段々と、会長様の「こう言う状況じゃあ現代仮名遣いや常用略漢字の退治は不可能だねえ」ってカキコが二重底に見えてくる。免疫不全の「漢字AIDS」ウイルスに汚染され、それが「退治」の形で発病する。
 退治する必要が本当にあるのだろうか。「学」は「學」の草書を楷書化した形…てな具合の理解で済ます事は出来ないのか。もちろん新字体には歴史的根拠の薄弱(or皆無)な形も多々あるけれど、「戦後の国字」扱いとすればどうにか折り合いはつく筈。要は「新字体は読み書きできるが旧字体・書写体・草略体はてんでダメ」って状況が克服できればよい。
 ~極端な話、私は嘗て「大衆食堂」の看板に見た誤字(「衆」の下半分が「豕」形)を、「時代の風物詩」としての位置関係に於てのみ辛うじて容認する立場なのよね。つまり「誤字の典型的事例として」教育するのは可。にもかかわらず敢えて斯様な誤字を用いるなら、用いる理由がハッキリ読み取れる場合に限り容認。



6792 Re:国語問題協議会 福田恒存をやっつける会会長 2007/10/03 11:21
男性 自由業 65歳 O型 広島県
> >使用していないのはおそらく名誉会長宇野精一や、
>  …との記述を見て、久しぶりに宇野精一『書香の家』(明治書院)を開いてみたら「新仮名遣いおよび常用略漢字を使用」してやんの。…と云っても、この本は元々「宇野精一博士米寿記念対談集」として構成されたものだし、中身は単著でなく共著(聞き手は石川忠久先生)。

 そういう本があったのですか。共著とありますが、少なくとも宇野精一もその本が現代仮名遣い、常用略漢字を使用して編集・出版されことは明確に承知していたはず。承認の理由も、二枚舌の卑劣漢にして徴兵逃れの卑怯者福田恒存と同様に、せっかく出版した本が、旧仮名遣い・旧漢字表記ではあまり売れず、現代仮名遣い・常用略漢字にすると沢山売れるから、というまことに情けない理由に賛同したことになる。

 私は宇野精一を多少は尊敬していたが、そういうことをやっているのなら、こいつも単なる学者商人、といえば商人に悪いか、要するにかの福田恒存と同じ穴の狢、金が命の俗物に過ぎないことがわかった。まことに軽蔑すべき手合いである。



7036 【追悼】全文転載【No.6788補記】 苹@泥酔 2008/03/08 20:46

 以下は季刊誌『墨』188号(芸術新聞社)P.109所収の連載「文人閑居して文字に遊ぶ」第八回。筆者は「綿貫明恆(雑学者)」。
--------------------------------------------------------------------------------
書くことはいくらでもあるけれども、さて何を書こうかとなると、あれやこれやと考えあぐねてしまう。そのようなときには、得てして「飛んで火に入る夏の蟲」が出てくるものである。そんな者がうまく出てきた。文春新書「舊漢字」、著者は萩野貞樹。これこそ正札懸値無しの「愚書駄本」の見本。どこぞの書店で見かけたら、ちょっと手に取って、どのページでもよいから、ざっと眼を通して御覧じろ。あまりのバカバカシサ、クダラナサに呆れ返ること必定。御代は見てのお歸りなどとは以ての外。間違ってもお求めなさるまいぞ。とは言うものの、私は買ってしまった。この駄文を書くために。
さてそれでは、その愚書駄本たる所以はいかに。本書の副題に「書いて、覺えて、樂しめて」といい、各ページに手書きの舊字體を擧げているのだが、これがまあなんと、粗雜拙劣俗惡言わん方無き代物。ご丁寧に筆順となぞり書き様の薄く印刷した字を五つ載せているが、こんな字を習わせようとは、少しは恥と分際とを知れ。艸冠(++)と羊頭(┤├)とは異なると力説するが、例として擧げた藝と萬とはともに┤├に從っている。まあ、文藝春秋という雜誌の題字の藝字は、長い間艸冠ではなく、羊頭に從って作っていたが、今から三、四十年前、篆刻家の松丸東魚先生の處に當時の文春の副編集長が出入りしていたので、この人に強く申入れ、正しく艸冠に直させたということ、今の文春の編集部でも知っている人は殆どいるまいから、ちょっと書いておく。ウソと思ったら當の御本人、高齢ながらまだ御存命のはずだから、聞いてごらん。だからこの本、藝の艸冠を羊頭に書いたのは昔にもどしたつもりかしら。
次にその字を用いた例文を擧げるが、これがあらずもがなのバカバカシイもの。こんなものでも載せなければ紙面を埋められないのである。次に活字で舊字體と新字體とを擧げ、その音と訓とを示すが、これが全くのお座なり。その次に「語」として、その字を含む語をいくつか擧げるが、これまた紙面を埋めるための餘計なことで、何の役にも立たない。また次に「蘊蓄」と稱して役にも立たぬつまらぬことをいう。とても「蘊蓄」とはいえない。せいぜい「ウンチク」である。
この人、活字の舊字體が正しい字形だと思い込んでいるようで、楷書と活字との違いがわかっていない。簡單にいうと、楷書は書寫體であり、活字は印刷體である。それ故、楷書の字體には独自の體系があり、結字の美觀、運筆の順利、個人の筆癖等により、同一字であっても小異があるのが當然である。それに對して活字は一字一體であり、小異有ることさえ許容しない。だから書寫する場合、その字體は活字に拘束される必要はなく、その活字字體の基準となるのは、たかだか三、四百年前の康煕字典であるのに、楷書はその發生以来一千七百年の間に歴代の名家により、その典型が確立されたのである。だから先づは楷書を識ることが必要なのである。
音訓は漢音、呉音、唐音、慣用音の區別もなく、たとえば号・號の訓の區別もないというデタラメさ。蘊蓄は、たとえば圍に「圍ひ」は遊女の名([圍ひ女郎])。上から順に、大夫、天神、圍ひ……。いいかげんにしてくれよ、こんなこと知って何になる。それに山中共古が國學者とは、ちっとも知らなかったなあ。ついでにいうと、圍、國の囗(國構え)、この人は必ず第一、二劃、第一、四劃つまり左上と左下とを離して隙間を作る。これでは折角圍んでも逃げられてしまうし、國の隙間から北鮮や中共の不審船に入り込まれてしまうではないか。この人、つかなければいけない筆劃をあちこち離してバラバラにしている。こういうダメな所をさがすのも、この本の賣りの「樂しめて」の一つなのかしら。
この「蘊蓄」には、もっとその字に關すること、たとえば月は月でも月(つき)、月(肉月)月(舟月)の異、声・画・医・価・条・虫・糸・旧等は原字の主要な一部分を取った者である(旧は臼の異體)とか、學・勞・擧・嚴・巣・嬰等の上部は全く異なるのに、新字體でツになるのはなぜか、実・会・写・尺等は草書の形を楷書に直した為に出来たとか、書くべきことはいくらでもあろう。ただ「省略形による」「俗字による」というだけでは、近頃流行の言葉で言えば「説明責任を果たしていない」。
そもそも舊漢字なる者の字體には相互に支吾する者が少なくない。蠶と濳との相異、要と腰、覃と潭・譚、尚に從う堂、賞などはいったいどうすりゃいいのだ。そんな違いを一一字ごとに覺えろとでもいうのか。
肅字の蘊蓄に(もっとも手書きするときはもちろん略字でいい。「龜」だの「鹽」だの「蠅」だのをこのまま書くまでもあるまい。「肅」も同じ。)というのは、どういうことかいな。舊漢字を書こうというのがこの本の主旨で、そのためのナゾリ書き用の手本までつけておきながら、舊字を書くことはない、略字でよいとは。本氣で言っているなら、まさしく正氣ではない。フザケルのもいいかげんにしておけよ。
そもそも、字典體の舊字を書こうというのがマトモではない。楷書を書けばよいのである。楷書を識りなさい。楷書の楷とは法也、式也、模也と唐の張懐カンが言っている通りなのだから。
本當はこういう本を作るならこのようにすべしという見本を作ってみせるつもりだったが、そこまでゆかない中に紙數がつきたは殘念。
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 転載中、最後の追い込み部分で打鍵に支障を来した(頭クラクラ…)。
 三つ出てくる「月」はそれぞれ横画が違う。「つき」は右側が縦画に接しない。「肉月」は接する(ワープロで普通に出る形)。「舟月」は二つの横画が点々になる(古い本の「朋」字でよく見かけるわな)。~あと、「巣」の上は「巛」、「要」の上は「襾」、「尚」の上は「小」、「カン」は「灌」の偏が王偏。
 …とにかく打ちにくいったらありゃしない。そう云や張懐カンの著作に「書断」てぇのがあったなあ。『中國書論大系』(二玄社)に載ってたっけ(まだ読んでない)。んでもって「書断」だか「玉堂禁経」だか忘れたけど、そのどちらかが巻菱湖の「書法類釋」だか「十體源流」だかの種本になったんだっけ(うろ覚え)。

 ここ数日はセレブな奥様んとこで藪蛇気味。きっかけは西尾先生の「日録」(↓)。…萩野先生が亡くなられたそうな。それで前に貶してた事を思い出した訳だ。そのままでは後味が悪いってんで、此度は「叩き台としての旧漢字」の視点で考え直してみた(↓)。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=635
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-511.html
 今夜の段階で振り返ると、中身は大体こんな具合か(↓)。
 …伝統Xの構成要素に伝統Aと伝統Bがあるとする。このAとBは同じ伝統X内で相補的に共存していたが、伝統Aを廃止して代用文化Cを使う事になった。このCの構成因子となったのが伝統B。~それから何十年かが過ぎ、代用文化Cは国民に定着した。その間、「伝統Aを大切にしようよ」って運動を続けてきた人達が居たのね。
 その筋では伝統Aばかりが目立っているけど、いつの間にか伝統Bの方は歪曲されて変態Bになっちまった。だから皆が学んでるのは同じBでも変態Bの傾向が強く、それを皆が伝統Bと混同してる訳だ。つまりBは二つの顔を持つ。
 伝統Aを復活させれば代用文化Cがお払い箱になる。それが伝統Bの古傷に障る。しかし「Bは変態だぞーっ!」と従来以上に大声で叫べば、或いはBの免罪が可能になる目もある訳だ。すると今度は、変態を常態と見なす歪曲行為に伝統Aが加担する事になる。…誰が仕組んだ堂々巡り、結局AもBも下手すりゃ「伝統を守ろうとすればするほど」Xに出戻るのは困難となる。~そこで多分、必要になるのが何らかの方便。
4祝! 教育再生機構教科書採択! ( ミッドナイト・蘭@ハリポタ鑑賞 )
2011/07/15 (Fri) 20:59:46
8新板二ヶ月半の雑感 ( 苹 )
2011/09/22 (Thu) 06:05:01
 此処=天バカ板の旧板が壊滅した後、投稿番号を確認するためグーグル検索のキャッシュを頼る様になった。今は期限切れとなったのか閲覧できない。管理人たる蘭様のご厚意で新板が出来てからは、暫く様子を見るとカウンターの様子が違う。旧板では一日に数百件(多い時は千件超過)回っていたのが、新板では二十件前後(多くて六十件)と相成った。前は閲覧するたび数字が増えたが今は変わらない所を見ると、どうやらカウントのシステムが異なるらしい。いづれにしろ閲覧件数は減った。
 再掲モードで様子を見る間、冒頭稿では新稿の体裁を取ってきた。それを初めて破ったのが改題「教組再考」シリーズで、差し当たっては隔日再掲とした。次の「七年前の記録」稿(新稿)に始まるシリーズでは続きを「【再掲】国語問題」と題し、三日に一度のペースへと落として連ねる予定である。更新ペースの低下でカウンターの回り具合が落ちていくなら、それはそれで仕方がない。どのみち旧板末期はますます長文化し、更新頻度は月に一度でも精一杯となりつつあったのだから。
 閲覧頻度が皆無に近付くという事は、それだけ書きぶりの自由度が増すという事でもある。ただし、従来の書道ネタ路線で実名暴露を本格化するだけでは芸がない。もっと他の、例えば政治ネタや音楽ネタに傾斜してもよさそうではある。~今朝は差し当たり、セレブ奥様ブログで出した八重山教科書採択ネタでも。
 以下、転載二稿。後者は抄録。


> よく分からんが、もしや沖縄では「県教委が教科書の有償化を事実上容認した」って事になるのかしら。誰もが「そういう話ではない」と一蹴するんだろうけど、「そういう結果になる」のは覚悟しといた方がよさそうだな。給食は無償化されてないのに教科書が無償なのはおかしい。文部科学省はその方向で法改正を検討したらどーだろか。これも一つのコスト削減、民主党的「仕分け」指向の余波でござる。授業料は無償なんだから、教科書くらい、どうって事はないだろう。
> …てな具合にトンチンカンな妄想してたら、これがどんどん膨らんできやがる(苦笑)。春先になるとあちこちの店で制服売場が賑わうでしょ。書店には高校教科書の特設会場が出来る。それを義務教育でもやる訳だ(ただし今回は地域限定方式?)。~辛うじて私の記憶にあるのは、中学校で教科書を渡された後、先生が二・三年生用の書写教科書について「これは使いません」「授業やりません」と説明してた事くらい。あの時は書店の人が学校に来て配布したのかな。一人分ずつ予め取り纏めてあったかも。そんでもって高校に入学した時、あたしゃ初めて書店で教科書を受け取ったんだっけ。そんとき多分お金も払ったんだろーな。
> 歴史だか公民だか知らんが、気に食わないなら現場が自発的に「これは使いません」とやればいいんだ。もし現場が上を操って代理戦争させてるのなら、そっくりそのまま現場に返してやればいい。気に食わない教科書を使ったり使わなかったりするか、気に入る教科書を有償で使うかの二者択一(或いは、その逆)。法律の細かい部分を独立的に扱って拘るのではなく、法律本来の目的に沿った解釈で脱法余地を工夫できないものだろうか。
> それにしても、この手の新しい問題提起は沖縄の人達が得意なんだねぇ。米軍基地の件だってそうだ。いっそ「日本から独立して中国編入、米軍基地から人民軍基地への道」くらいの記事、あちらの地元紙で特集してみたらいいのになあ。現に中国の学界では「沖縄は中国の領土」と考える向きがあるみたいだし、その辺は「日本と別の立場から」柔軟に対処したらええじゃないか。きっと昔の朝鮮半島なんか、いい手本になるだろうよ。
>【2011/09/17 05:41】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]

(前略)
> 使わない教科書なら、無償配布する必要ないのにねぇ。それが何十年も全国規模で行われてきた(中学国語科書写)。無駄遣い以外の何物でもない。教科書無償措置法自体が、現場でのブラックボックス化を促すスーパー堤防となっている。そんな先行事例に比べりゃ、熊本の人達は偉いもんだ(↓)。教科書としてではなく、副教材として育鵬社のを採用してるんだから。(…って事は、たぶん初手から有償の扱いなんだろ。)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110906/edc11090621120002-n1.htm
>--------------------------------------------------------------------------------
>>育鵬社教科書を副教材に 熊本県、中3公民で使用
>>2011.9.6 21:10
>> 熊本県教育委員会は6日、県立の中高一貫校で、中学3年生の公民の副教材に育鵬社(東京)の教科書を使用することを決めた。同社は「新しい歴史教科書をつくる会」と協力した扶桑社の教科書を継承する子会社。
>> 県によると、主に使う教科書には教育出版のものを採択。育鵬社の教科書は発展的な学習を補助する教材と位置付け、来年度から生徒約160人が使用する。県高校教育課は「新聞各紙の社説を比較したり、身近な社会問題を取り上げたりするなど、自ら考える態度を育てるという公民の目標にかなう内容だ」としている。
>> 育鵬社の教科書をめぐっては、沖縄県竹富町が、教科書を選定する「八重山採択地区協議会」で答申された公民教科書の採択を拒否。地区内で使用教科書を統一できない事態になっている。
>--------------------------------------------------------------------------------
> こうした手札ですら、沖縄の人達には使いこなす気がないらしい。あくまで無償と教科書扱い(のプライド?)に拘る「たかり根性」を斯うも露骨に見せられると、同じ僻地レベルの住人としては辺り構わず撒き散らさぬ程度の~口内から呑み戻す程度の反吐を禁じ得ない。こちら青森には米軍三沢基地やXバンドレーダー基地があるし、実際に隣国からミサイルで狙われてもいるらしい。戦前は大湊の海軍基地あたりが国防の要衝たる津軽海峡を防衛していた。戦時中は青森大空襲があった。更に遡れば、歴史的/前史的には日本扱いされてない時代が長かった(北海道ほどではないにしても)。とは云え、それらをあくまで本土意識に託けて済ますのは容易い。
> 良くも悪くも島国としての条件に恵まれた(?)沖縄に、日本から正面切って独立するほどの気概はあるのだろうか。米国から日本に返還された後、沖縄は或る意味「朝鮮化」して行ったのではなかろうか。なんなら在日朝鮮人と沖縄人による芸能界の支配…てな話題にこじつける事も可能だが、そこまでは踏み込むまい。因みに半世紀前の在日「津軽衆」は出稼ぎ労働者の代名詞みたいなものだが、爾後の沖縄人ほど成功を収めていない点については少しばかり、こちとら嫉妬したい気分にならなくもないのである…(orz)。
> ちょいとググってみたところ、先見の明を持つ人は居るらしい(↓)。
http://mainichi.jp/life/edu/archive/news/2011/09/20110901rky00m040004000c.html
>--------------------------------------------------------------------------------
>>. 教科書再協議:会長「答申に従え」 竹富町教委に育鵬社版の採択を求める
>>【八重山】合意形成を求める県教育委員会の通知を受け、8月31日に開催された教科用図書八重山採択地区協議会(会長・玉津博克石垣市教育長)の役員会は、育鵬社版公民教科書を選定した同協議会の答申と違う教科書を採択した竹富町教育委員会を追及する場になった。「なぜ育鵬社版なのか」という本質的な議論はなく、「法律に従え」という議論が展開し、再協議は決裂。またしても多数決が行われ、竹富町教委に育鵬社版の採択を求める結果になった。
>> 「きょうの議題は『地区協議会の答申に沿った採択について』であります」。玉津会長は役員会の冒頭で竹富町教委が答申に従わないことが問題だと宣言し、議事を進めた。
>> 玉津会長は「教科書無償措置法は31日までに採択しなければならないと定めている。きょう中に竹富町教委は臨時委員会を開いて答申に沿った採択をしなければならない」と、副会長の慶田盛安三竹富町教育長に要求。同法施行令は例外で9月1日以後の採択も認めているが、玉津会長は「これには該当しない」と独自の解釈を展開した。
>> さらに「同一の教科書を採択しないと教科書が有償になる。有償でも教科書がもらえないという話もある」と迫った。
>> 慶田盛副会長は「調査員が推薦しない教科書が選定されることの客観的な説明がない」と協議会の選定方法に疑問を呈したが、与那国町教育長の崎原用能副会長は「協議会を愚弄(ぐろう)している」と反論し、議論は平行線をたどった。
>> 結局、1時間の議論で合意形成はできず多数決で竹富町に要請文を送ることになった。玉津会長は役員会終了後の石垣市教委の幹部会で同法の内容について検討し、「9月1日以後の採択も可能だ」と訂正。教科書が有料になるとの見解も撤回し、法解釈の甘さを露呈した。
>> 慶田盛副会長は「教科書の中身について話したかったが何を論じても話が通じなかった」とつぶやいた。
>>(琉球新報)
>>2011年9月1日
>--------------------------------------------------------------------------------
(後略)
>【2011/09/20 00:27】 | # [ 編集]
8Re: 祝! 教育再生機構教科書採択! ( ミッドナイト・蘭 )
2011/08/03 (Wed) 00:21:20
転載でスマソ!!

[続々! 育鵬社、歴史公民教科書、採択決定第4号!(速報)]

☆今日も今日とて残業で、いまだに『カーズ2』も見に行けず、

「さて、今日のブログ更新は何を書くべぇ」と思案し帰宅していたら、速報メールが入りましたよ!!^^

 都立中高一貫校10校に続き、神奈川県立中高一貫校の平塚中等教育学校で育鵬社の歴史教科書が採択されました^^v

   《神奈川の中高一貫校も育鵬社採択 (2011.8.2 15:18)》

 <神奈川県教委は8月2日、県立中高一貫校のうち平塚中等教育学校(平塚市)で来春から使用する歴史教科書として、教科書改善の会(屋山太郎代表世話人)のメンバーが執筆した育鵬社の教科書を採択した。育鵬社の教科書は平成14年度から発行されている扶桑社の歴史・公民教科書を継承。東京都立の中高一貫校全10校や神奈川県藤沢市などでも採択されている。(SANKEI EXPRESS)>

 非常にいい流れです!!!

 日本の国土の輪郭をハッキリさせるために、先日、(私、挨拶し、握手したことのある)新藤義孝衆院議員ら自民党議員3人が竹島絡みの視察のため韓国を訪れ、遺憾ながらも入国拒否されましたが、

 日本の精神の輪郭をはっきりさせるための教科書改善運動は、日教組や日本共産党、特定亜細亜3国の妨害を振り切り、育鵬社教科書の採択が続々と、順調に決まっております^^

 でも、まだまだ、ですよ^^

 これからが勝負です!!!

 ゴソッと、まだまだ採択を取りますよ^^

   ◇

 我々、「真の保守」が見限った、斜陽の「新しい歴史教科書をつくる会」の自由社教科書は、さて、どーでしょーか?

 情けないことを仕出かしています・・・。

   《教科書の年表、他社から流用「つくる会」主導(2011/08/01 22:00)》

 <「新しい歴史教科書をつくる会」が主導し、今春の教科書検定に合格した自由社(東京)の中学歴史教科書の2012年度版が、日本史年表のほぼ全部を東京書籍の教科書から流用していたことが1日、分かった。文部科学省が注意し、自由社は訂正申請するという。市販本は回収を始めた。
 自由社によると、10、11年度版や、今年5月に発売した市販本でも流用していた。同社は編集著作権を侵害したことを認め、
東京書籍に謝罪。横浜市立中学校など使用中の学校や教育委員会にも謝罪と経過報告を記した手紙を送った。
 基になったのは東京書籍の02年度版の年表。旧石器時代から現代まで一部の表現を変えた以外ほぼ引き写していた。
 自由社は「当時の編集長が既に退職し、詳しい経緯は分からないが、申し訳ない」と釈明し、東京書籍は「無断で流用された
ことは大変遺憾」と話している。(日本経済新聞・共同通信)>

 まあ、この記事は、私は、こちらのブログの情報で既に知っていたよ・・・。

     《★東京書籍の年表を盗用した自由社版教科書-記述検証〈6〉(2011年05月26日)》(←クリック!!)

 しかし、保守を名乗る団体が、左翼教科書・東京書籍からパクるとは何事か!!!

 けしからんッッ!!

 しかも、「当時の編集長が既に退職し、詳しい経緯は分からない・・・」だとぉ?

 おい、「つくる会」ッ!! お前ら、全て「ハゲ松(松本謙一。前「つくる会」東京支部長:小林よしのり氏追放に暗躍した男。鉄道マニア)」の責任で済ますつもりかよ。

 で、だ。

 その「つくる会」教科書(自由社)の採択はいかがなものか?

 な、何と、現在のところ、都立特別支援学校で公民が80冊決まっただけです。

 歴史教科書に至っては、今のところ「ゼロ」です。

 ・・・やっとこさ、やっとこさ、「保守派内紛」が、こちらサイドの完勝で終わりを告げそうです。

 でも、左翼との戦いは、まだまだ続く!

 まーだまだ、ここはがめつく、採択を勝ち取るぞ!!!

 「頑張って、いきまっしょい!!」

 「しょい!!!」

                                                      (2011/08/02)

 PS.つくる会サイドは、現状をどう考えているのでしょうか・・・?
8余談追記 ( 苹@泥酔 )
2011/08/02 (Tue) 00:12:36
 で…その後の2chだが、一部の書道関連スレッドでは「俺なら何を書くかなあ」と、覗き見ついでに書き込み実験の最中だった訳である。スレの流れを見ると初めの方は緩やかで、やや横柄な所が面白そうなキャラのコテハン某氏が登場した頃から少しずつ活気が出てきた模様。と云っても一日に数十件の書き込み数ゆえ、千件に達するまでは暫く間がある筈。これはお誂え向きと早速便乗、私も邪魔にならぬ程度を目指して口を挟み始めた。
 短文練習と云っても苹の事、それなりの長さにはなる。書きたい中身を短く詰め込むと、どうやら傍目には難解と映るらしい。~住人方々の遣り取りを傍観するのは楽しい。拙稿への反応らしきものから話題があれこれ別方向に拡がっていくさまも興味深い。因みに下記スレの場合、三月の例外落書一件を除けばコレが拙稿の全部(↓)。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/gallery/1285312539/
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>477 :わたしはダリ?名無しさん?:2011/07/22(金) 01:23:25.63
>ざっと見ると、書道は大体こんなイメージになるのかな。
>(ここ百年は通用してる視点)芸術書道
>(うまく共存できてない視点)視覚芸術、言語芸術、教養芸術
>(蚊帳の外にある学問的視点)和文リテラシー、古文書学、東洋学、文学
>(形骸化または堕落した視点)実用書道、教育書道、習字
>(これから主導権を握る視点)パフォーマンス書道、コメンテーター兼業書家
>特に芸術書道は、文字とか余計なのを切り捨てていけば最後は前衛芸術だけが残る感じ。
>今や学者の書なんざ芸術扱いされないばかりか、巧い人ほど古臭くて見向きもされない。
>ならクラシック音楽を芸術扱いするほうがおかしい。ピンからキリまで知識だらけだし。
>となると、芸大に書道は合わない。知識も哲学も捨てた書道からは何も学べそうにない。
>もし書道を芸術扱いするなら、むしろ芸大からクラシック音楽を追放すべきじゃないか。
>すると若手音楽家が一斉に反発するだろう。ジジババの演奏を本気で尊敬してるらしい。
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>539 :わたしはダリ?名無しさん?:2011/07/27(水) 07:40:32.47
>技術(テクネー)の中で、芸術に相当するのが模倣的再現(ミメーシス)のテクネー。
>模倣や再現にとって独自性とは何か。元々「アート」概念を輸入した時点で曲解がある。
>活字依存の国語創設以降、書字を読めなくする教育の推進により模倣も再現もなくなる。
>そこに軒並み「新しい」芸術が流入、「古いものはダメ」と曲解する風潮が一般化した。
>芸術は「分からないのが当たり前」。文化の歴史的接点を捨てたのだから仕方あるまい。
>子供らしさ偏重の美術教育では、子供の天使らしさが神に繋がる宗教性を教えなかった。
>あちらでは神が創造し、人間は模倣する。ユマニスムでもルネサンスでも背景は同じ。
>そんな土壌に培われたアート、クンストから、技法を捨てて神を冒涜する方向へ行く。
>日本人がアートに踏み込む行為自体、見方次第では芸術上のテロリズムと映らないか。
>異文化交流は互いの文化が前提。その一方が「読めなくなってから」書道アートとは。
>オペラの原語上演はトスカニーニ以降で、作曲時点ではモーツァルト以降だったかな。
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>575 :わたしはダリ?名無しさん?:2011/07/28(木) 01:16:45.57
>昭和の後期、ぼちぼち老成期に入った頃の重鎮書家達による臨書集が続々と出版された。
>それまで主導権は流派側にあった。師匠の臨書を基準とした近視眼が悪弊になっていた。
>様々な人の臨書を系統的に比較できると、師匠を離れた臨書の可能性が新たに拓かれる。
>臨書の役割は昔と明らかに違う。古典は権威的シンボルから世俗的ツールへと変化した。
>平成に入ると世俗化の悪弊か、表現の恣意性が漂流し始めた。権威はどこにあるのやら。
>古典と権威は機能面で不可分ながらも、世俗以外での混同は却って世俗的実用を滅ぼす。
>
>権威は模倣に霊感を与える。再現に向かうのは霊感の方であって、権威は模倣できない。
>この権威を代行したのが開国以前の師匠。その限りで、古典が貧弱でも仕方がなかった。
>古典を鑑賞できたのはごく限られた人々。ゆえに伝承者たる師匠には古典的風格が要る。
>師匠の書を模倣するのは古典的霊感を間接的に読むためであって、模倣が目的ではない。
>霊感が古典的なのは歴史的普遍性ゆえ。現代的である事の普遍性もやがて古典的となる。
>古典的である事は言葉の古典的可読性と同様、古典そのものとは役割が異なる点に留意。
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>702 :わたしはダリ?名無しさん?:2011/07/29(金) 20:40:38.86
>芸術書道の基礎は実用書道で、その模範が教育書道。つまり基礎があれば誰でも読める。
>基礎は義務教育で学ぶ。それを補助するのが民間の書塾。中卒なら草書も仮名も読めた。
>ところが基礎レベルは劇的に低下。大多数の学校が半世紀以上前から指導放棄してきた。
>学校でやらないなら塾に行く必要もなくなる。悪循環は深刻化、塾のレベルも低下した。
>基礎なき生徒が高校でいきなり芸術書道を学ぶ必要上、教員達は芸術名目の基礎を捏造。
>学校側では現実を追認する方向で学習指導要領を再解釈し、元々の基礎を隠蔽し続けた。
>国旗国歌問題とは桁違いの学校が関わっている。既に文部省の解決できる規模ではない。
>未履修問題の露見で文科省は、世界史と違い実効性のある改善策が取れない事を認めた。
>
>実用書道を実用たらしむるには、範型たる教育書道との照合による判読幅の拡張が要る。
>教育書道は硬直的で、実用は変形が前提。ゆえに美的変形は実用に芸術書道を包含する。
>範型の書風変化は実用に大きく影響。変形の個別性を支えつつ背後で時代性を区画する。
>幕末以降は御家流、菱湖流と顔法、国定手本と古典の融合、戦後教科書の順に遷移した。
>実用書道への影響は菱湖流まで。以後は急速な芸術化が進むにつれ可読性が乱れていく。
>仮名統一と漢字節減を経て、占領期の書教育禁止以降は芸術の名目が建前へと変化した。
>実用上の基礎から切断された芸術書道は、過去の鑑賞基準を失いつつ個性の遊走に至る。
>保守的個性は古典帰依、革新的個性は国際芸術、実用的個性は「読める書」へと隠れた。
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 いつもの事ながら投稿ペースは一日一稿以下を旨とし、推敲ゆるゆる何度か書き直してから出す。…そうこうしているうち、誰に巻き込まれたか「全サーバ規制」とやらに引っ掛かって投稿できなくなった。その上あちらの書き込み数は一日数十件だったのが百数十件へと増加したりする。規制解除になる頃は既に手遅れ、投稿限度の千件に達してスレ自体が消えているだろう。
 数年前の遣り取りでは、私と某氏の一騎打ちが熱かった(そして楽しかった)。それとてスレが千件に達するまでの事。今回は下記準備稿を出せそうにないので、こちらでチョイとばかり立ち小便して置く。
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>佐藤道信東京芸大教授の著書を見ると、書画が昔から芸術である事に議論の余地はない。
>技術の伝承を重ねるうち、画風や書風は自ずと分岐する。ただし急激な変化は殆どない。
>また西洋画家の工房的印象に、諸々の社中や展覧会組織、大学などを重ねる見方も可能。
>そこには個人性と集団性の差異が絡む。音楽では独奏と合奏を指揮者が束ねる例がある。
>個々の演奏技術と指揮者の楽曲解釈は別物で、技術の統一性も解釈の個性と矛盾しない。
.>書道の工房的側面に難があるとしたら、参加以前の段階で身に付けるべき基礎の不足か。
>
>頭目は展覧会の書風しか書けないのではない。様々な学書を経た結果だけが目立つのみ。
>そこでは多様な古典や現代書が基礎に相当。長年の取捨選択を経て書風収束へと向かう。
>集団には相互錬磨の機会があり好都合。また頭目を罷免する場合、多くは会が分裂する。
>団体の集金システムには稽古謝礼の他、書人同士の供出を展覧会費用に充てる面がある。
>大抵は入場無料。有料展には媒介者が絡む。カネの問題は音楽界の方がより深刻と聞く。
>ブローカー、プロモーターなどの媒介者は、メディア露出や作品売買でマージンを取る。
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8続・採択慶賀 ( 苹 )
2011/07/29 (Fri) 06:50:33
 育鵬社の教科書が各地で続々と採択されている模様。これまでと比べれば(分裂前の「つくる会」時代を含め)、かなり調子はよいらしい。自由社の教科書にも大いに健闘して欲しい。保守には保守なりの「アゴーン」があろう。紋切り型の批判は似合わない。セレブ奥様ブログには小山先生側からの比較分析が載っていて勉強になった(↓)。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1136.html
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1140.html
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1141.html
 先日カラヤンを話の種にした。教師らしさ、という事ではバーンスタインの方がよさそうに思えるが、それは授業の観点であって、リハーサルとなると甲乙付け難い(両者のリハーサル風景はLDで、後者のハーバード大学講義はDVDで見た)。教師としての人間味に個人的感覚上の嫌味を覚えたとしても、内容と相性を混同しては目が曇る。ところが他方では、相性が内容への誘いとなる例も少なくない。その辺の工夫を誰もが凝らす事になるのだろう。…こんな記事が目に留まった(↓)。
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1311768617/-100
http://www.mindan.org/shinbun/news_view.php?page=11&category=2&newsid=14711
 国語教科書への参入にも期待している旨、これまで幾度か書いてきた。しかしよくよく考えてみると、その難しさは並大抵でないらしい。国語百年とそれ以前の歴史との接続に、所謂「和文リテラシー」の衰亡史が絡んでくる。書写教科書にも同時参入せねば筋が通るまい。そのための環境が整うまで、あと十年はかかりそうな気がする。去勢された書教育にも、日本語破壊(英語国語化?)を内包した国語教育にも、共にGHQ占領時代が影を落とすのみならず、明治維新の破壊性が問われる事になるからだ。
 NHKの朝ドラ「おひさま」は取り敢えず新獲の東芝BDレコーダに全部録画してあるが、怠けていたらアッという間に百回目を過ぎたのね…(汗)。蘭様のレスに慌てて初回から見始めたものの、これがなかなか進まない。塵も積もれば山となる。この週末、何回目まで行けるだろうか…(orz)。

(以下余談…いや、実は本題か?)
http://imoshiori.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7305730
 前稿(と云っても旧稿再掲↑)を出してから十日が経つ。…あれこれ考えぬでもない。このまま「とめはね」やら「俺妹」やら、ずるずる再掲を続けてよいものだろうかと。もうひとひねり必要なのではないか。さりとて、原発汚染水のごとく溜まり続ける脱線話がいったん溢れると、これはこれで始末が悪い(?)。
 てな訳で~何年ぶりになるだろうか、このところ久々に支流を2chに繋ぎ、覗き見ては「俺なら何を書くかなあ」てな具合に脳内堤防決壊を防いでいる。前にお邪魔した時は大いに盛り上がった。その時のを見たか否かは定かでないが、休刊号となった『篆刻』第80輯(東京堂出版)の「編輯後記」で先年、北川博邦ゴクアクニン大学教授(?)が思わせぶりな事を書いていたのを思い出す。以下抄録。
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○この編輯後記は、それこそ編輯最後記であるから、例によってふざけたことの一つも書かねば収りがつくまい。友人の某君、年来すっかりパソコンにはまって、逢う人ごとに一くさり講釋をする。2チャンネル中に書道の専欄がある。投稿のほとんどはゴミだが、その中のやや見るべき者をいくつかプリントアウトしてきて見せてくれた。いやあ、どこのどなた様か存じ上げませんが、いいこと言うのがいるねえ。思わず膝を拍ち一献さしあげたくなる。でも匿名だからどうしようもない。というわけでパソコンなる者をちと見直し、同君おすすめの古書の目録を人に頼んで出してもらった。先ず手始めに引いてみたのが、ホウジョウ、法帖である。いや驚いたのなんのって、最初に出てきたのが、なんと「月影忍法帖」。たしかに「法帖」の二字は入っているのだけれどなあ。淳化法帖なんてのは、おしまいの方にちょっと名が出てくるだけ。パソコンなんてこの程度のものさ。しょせんはガキのおもちゃ。なまじちと見直したりしただけに、大いに気勢を削がれた。別の友人、かつて歴史書出版の老舗の編集部にいた。さる編集会議の時、私に法帖史を書かせたらと提案したら、脇から声あり、あの人の専門は鎌倉時代だったの。北條氏と間違えられたのだ。いやはや、こういうのをシナ風にいうと、啼笑皆非、になるんだろうな。
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 この本、発行は平成十五年三月とある。拙稿とは無関係かも知れないが、これを見て「ゴミ扱いされる稿は書きたくないナ」と思っていたら、その後いつの間にか長々とした粗大ゴミだらけになっちまった気がせぬでもない(そんでもって過疎板化…orz)。今更2chで短文の練習をしても無駄、との思いが半ば過ぎる。あちらに書くとは限らない。
 こちら天バカ板に出すための稿を今、いくつか並行して書いている。多分ボツになるのが多かろう。次稿はやはり…予定通り「とめはね」ネタの再掲から始める事になるのかな。
8Re:苹@泥酔 ( ミッドナイト・蘭 )
2011/07/17 (Sun) 10:38:28
正直、今においては、然るべきシステムの中で、粛々と採択が決まっていくのだと思い、私は、何を記したら分からずに、ただ、教育再生機構の末端にいることしか出来ませんでした。

ホント、私は闘いの中でしか輝けない^^;

正直、再生機構の先生方は、カラヤンの如き、カラヤンとは異なる「美的平凡」の方々だと思います。

教科書も、西尾幹ニの如き挑発はありません。

だが、「美的平凡」であることが、日本を良くする秘訣だと思います^^

ところで、NHK朝のテレビ小説「おひさま」で教科書墨塗りのシーンがありまして、なかなかリアルに感じさせてもらいました。

主人公は、国民学校になった時の最初の教師で、戦後、GHQの査察を受けて、ちょいとやばい状況に陥りそうになったとき、かつての排除された英語教師が、そのGHQの通訳をしていて、ギリギリで助かったのでした。

「おひさま」は、戦時中の配給のシーンなどもあって、「配給」と言葉では理解していても、具体的にどのような様子で行なわれたのかわからないことが目で理解させてくれました。

コテコテの保守は、それでも、それらの描写に怒り狂うのでしょうが、私は、素直に、そんな描写を享受します^^
8Re: 祝! 教育再生機構教科書採択! ( 苹@泥酔 )
2011/07/16 (Sat) 21:51:55
 旧板、すなわち初代の天バカ板(掲示板)が突如消滅したのを見て愕然としてから半月が経った。そんな今日は、指揮者カラヤンの命日でもある(1989.7.16)。
 …苹はカラヤンの録音が好きだった。究極の美的平凡。一つの基軸。他の演奏と比較した途端に浮かび上がる、時には嫌味なほどの恐るべき非凡さ。非凡と平凡の同居が常に別の何かを隠すのみならず、そもそも同居自体が異常である事を発見させまいとするかのごとく洗練の限りを尽くす。そんな教科書があるとしたら、授業する側はさぞ困るだろう。授業自体が生徒の中で教科書へと変貌していくタイプと違って、教科書が既に古典となっているかの様な振る舞いは時として授業を拒む。代わりにあるのはリハーサル。そして教科書が楽譜であるとは限らない。楽譜は常にリハーサルへと寄り添うが、その時点での教科書は未だ生成途上にあり、後から予言的に「教科書となっていく」。そうした意味で、教科書はむしろ稽古に近い。肝腎なのは、稽古と授業は別物だという事である。

 授業は屡々アジテーションを要請する。だから授業者は教科書を分かりやすく噛み砕くべくして工夫する一方、噛み砕き方の拠り所を自己から教科書に責任転嫁したくなる。普通は軟着陸できる筈だが、前例を見ると~例えば敗戦に伴い顕在化した「墨塗り教科書」に正面から向き合う場合は辛い。それと似通った事が所謂「歴史教科書問題」にも云えそうではある。新たな「墨塗り教科書」が出現した以上、それを採択する「外からの自発性」に対して現場が既存の教育手法をどれだけ保守できるのか。しかも今はGHQ不在である。嘗てのGHQは「墨塗り」を強いる側にあった。
 新たな「墨塗り」を要請する採択者に、嘗てのGHQほどの強権はない。ならば教科書通りに教えるのは教員・学校側の自己責任か?…そんな解釈余地を殲滅する上で、強権的な占領政策は必要不可欠であった。それを欠いた状態で教科書を現場に丸投げするかのごとき採択者の姿勢たるや、見方次第では鬼畜にも劣る所業…と映らぬでもない。教科書次第でコロコロ言動が変わる腑抜け教員に生徒が従うとしたら、生徒に腑抜け根性が伝染する事にならないか。そうなるのを避けるため、納得できない教員には勇退の道をひらいてやるべきではないのか。
 教員に出来る自己救済の道はただ一つ、勉強のみであろう。しかし教員をいっそう多忙にしたのは誰なのか。雑務に追われ、勉強する暇がない(或いは初めから勉強する気がない)。先生の勉強する姿を見て育つ生徒の時代は終わったかの様でもある。にもかかわらず、相変わらず勉強それ自体は楽しい。リハーサルの中に勉強があり、片や生徒には稽古がある。そこに楽譜と不分明な教科書が立ちはだかる。「教科書とは何か」を、もっと掘り下げる必要と責任を感じる。と云うのも私は、私のつくるだろう教科書を愛しているからだ。誰もが心の中に自分の教科書を抱えている。これを座右の銘と云う。
 採択慶賀。
4【再掲】教組再考01 ( 苹@泥酔 )
2011/08/30 (Tue) 23:34:08
7743 「見立て」の一例 苹@泥酔 2010/04/20 22:15

 今BS11に、かの有名な寺脇研が出ている。…それはともかく。

●本論
 組合に所属しない教員は信用されない。言い換えるなら、普通は教員への信頼自体が組合への信用で担保されるので、組合に属していない教員はモグリ扱いされても仕方がない。さもなくば、傍目には胡散臭き事この上ないからだ。彼には何の裏付けもない。履歴書で喩えるなら、履歴欄そのものが空欄かつ「賞罰なし」の状態に似ている。出身大学や勤務履歴に意味はない(所詮「お前もか」で終わり)。それに比べれば「××組合」の威力は確実に名刺代わりとなる。現に多くの人が古来こんなふうに発想してきた(↓)。
「あの人、先生なんだって。」
「へえ、どこの組合?」
 組合に属し、しかも教員であるという事は、その先生がただの組合員ではなく、人脈や実力などのパラメータの中どれか一つ以上が、組合の指導者レベルと近い位置にある事を客観的に意味する。そして大抵の場合は慣行上、組合の掛け持ちはしない(できない?)。いったん組合に入ったら、その組合に死ぬまで所属し続けるのが普通である。
 地域の教育界が特定の組合と癒着するのは日常茶飯事である。だから或る地域で先生になりたい人は、その地域の教員が多く属している組合に入ればよい。組合は学校外で活動するが、学校内でも活動できる(勧誘機能の面では部活動が主で授業が従)。従って組合の活動費は生徒~ひいては保護者からも徴収できる。生徒は組合の機関誌を購読して勉強する事になるが、地域で自前の機関誌を発行するのは手間がかかるので、上部組織もしくは提携組織たる組合の発行する機関誌を使う例が少なくない。そして通常、部活動では文部科学省の検定済み教科書を使わない。
 教育の主導権が組合側にある事は日本国中どこでも昔からの常識だし、学校側もそれに配慮するのが当たり前(=伝統)である。そこで学校側は正規の授業を実施しないか、もしくは授業の形骸化や歪曲を推奨して組合教育を敬遠する。平たく云えば「組合はお荷物」なので、本気で敬意を払っている訳ではない。どちらかと云えば蔑視対象に近い。しかし学習指導要領で決められている事なので、「教えたくない側」の学校と「教えたい側」の組合との間で調和が保たれてきた。
 繰り返す。学校側の本音は「教えたくない」のである。だから組合が学校教育を代行する。…思うに、誰もが先入観に囚われているのではないかしら。例えば教職員組合が学校の枠内だとか、会社の組合が会社の枠内だとか。そんな古めかしい思い込みは通用しない。組合は別組織なのだ。…想像してみよう。例えば、フジテレビの社員がライブドアの社員を兼ねている状態を。日本の有権者が、韓国の有権者を兼ねている状態を。ここではフジテレビや日本が「学校」に相当し、ライブドアや韓国が「組合」に相当する。

●傍論
 「そんなバカな」と思う人は少なくなかろう。
 底意地悪く、何度も執拗に「組合」と言い換えてきた。中には「組合への嫌がらせか?」と思う人も居るのではなかろうか。そんな事はない。私は離脱した今でも「組合」を愛しているのだから。…と云うのは正しくないな。もしかしたら私は、その「組合」を動かしてきた思念の方を理念的かつ限定的に愛しているのかも知れない。複数の組合が存在する理由には、それぞれの「組合」が理想とする「中核的な何か」の差異が含まれる。しかし~その「差異」自体を私が愛しているのだとしたら、これは差異を挟む両者に対する裏切りを意味する事にもなろう。
 ここらでチョイと、アニメ声で一言。
「やめてーっ! 私のために争わないでーっ!」
 …閑話休題。
 「組合」が学校教育に寄生しつつ実質的な教育支配を目論むのは、その「組合」にとって健全な行為なのかも知れない。余所の「組合」に既得権益を奪われてはならない。寄生の実態とは教育上の権益の事であり、とどのつまりは「布教する上で有利な立場にある」ってこった。しかもそこには入札に相当するシステムがない。入札制度を取り入れると学校が破綻してしまう。そんな事は学校側も「組合」側も望むまい。もちろん入札の仕組みは整っている。ただ「やりたくない」から「やらない」だけの話、とも云えよう。ここでの不作為は罪ではないし、不作為と思考停止は似ている。仕組みが整っているのは、仕組みが理念的領分に留まるからだ。そしてシステムがないのは、システムが現実的領分に留まるからだ。
 …では、私も暫く思考停止する事にしよう。
 以下、思考停止の合図となる呪文を唱える。

「組合は、社中や流派に似ている!」
8【再掲】教組再考09 ( 苹@泥酔 )
2011/09/17 (Sat) 19:35:15
7830 蛇足「其二」補記、並びに備忘録 苹@泥酔 2010/09/12 16:06

 今夜は短く、No.7784(「【蛇足】相撲と稽古と書道と授業(其二)」稿↓)で書いた相撲ネタ部分について補足する。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=7784&range=1
 …読み比べると、それは拙稿よりも遙かに説得力のある内容だった。差し当たってはリンクにて紹介のみ(↓)。相撲や暴力団の歴史的背景、敗戦直後の状況等々に興味のある人は是非、御覧いただきたい。
http://www.endanji.com/?p=378
http://www.endanji.com/?p=380
 因みに此処の管理人様=蘭様は、下記見解を「天バカ板」ブログにて表明している。
http://blog.goo.ne.jp/midnight-run_2007/e/058f872b4ed0129fee5f7f8f6b5e7f94

(付録)
 これだけではやはり、余りにも短い。本題とは関係ないけど、気休めに取り敢えずフォーレのパヴァーヌでも(↓)。
http://www.youtube.com/watch?v=udwWw2AsN88
 そう云や昨日は、アメリカで起きた同時多発テロと同じ日付だったんだなあ…。合掌。

(更に追記~備忘録)
 …まだ書き足りない(苦笑)。こんなのが産経に載っていた(↓)。五分割してあるのを纏めて転載。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100911/plc1009110736004-n1.htm
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>【昭和正論座】東大教授・西義之 昭和53年6月13日掲載 (1/5ページ)
>2010.9.11 07:34
> ■政治団体なのか日教組
> ≪総評議長との兼任が原因≫
> 日教組は学校の先生の団体でもなく、労働者組織でもなく、政治団体ではなかろうかとの印象を与えたのが、今度の札幌の日教組大会だったようだ。のっけから槙枝委員長が中道政治批判をやって物議をかもしてその印象を強めた。
> それが何がわるい、公明党がヒステリックに反発するのがおかしいという意見もあろうが、場所が場所である。日教組は総評の一部であろうが、日教組大会は総評大会ではない。そしてその槙枝氏は大会後の感想として、反主流派(共産党系)の政治主義は遺憾であったと言っているのだから、なにがなんだか分からない。ご自分がはじめたことではないか。
> 共産党系の人たちは、槙枝氏の発言にすかさず食いつき徹底した公明党批判を展開したらしいが、大学や高校などでも、学校側がたとえば「学園祭も重要なる教育の一環である」などと発言すると、さっそく言葉尻をとらえられて「そう思うならもっと予算補助をしろ」と執拗(しつよう)に突き上げられるのを私は連想した。
> それはさておき、根本は槙枝氏が総評議長と日教組委員長を兼ねているところに、政治主義傾斜の度を深めていく原因があるのではないかという感がつよい。
> 昨年の社会党内の主流派・反主流派の抗争のさい総評議長は活発に動いたことが伝えられているし飛鳥田氏引き出しにも槙枝氏は大活躍したらしい。なぜ政党レベルの問題に総評議長がとびまわるのか? もし自民党の総裁選挙などに、土光経団連会長や永野日商会頭があんなに派手に介入・斡旋(あっせん)したら、総評や共産党などは待っていましたとばかり、政財界の癒着ぶりを見よと大キャンペーンをはったにちがいないと思われる。
> 私ははじめ、槙枝氏は社会党員なのか、一党員として動いているのかなと好意的(?)に考えてもみたが、たとえ一党員でも総評議長であることにはかわりはない。そして総評議長の顔が、こんどの日教組大会でもあざやかである。社会党は総評・政治部だというカゲグチがあるが、日教組も総評・政治部にならないように願いたいものである。
>
> ≪無秩序な教育現場≫
> 教育問題も政治から逃れられないことは分かるが、主任制反対の理由づけとして、主任制の導入は勤評と同じく上からの管理体制の強化であり、かえって教育現場に混乱をもたらしているから-などといわれるが、現状はまったく逆であることが多くの人の目に映じている。つまり主任制によって教育現場が混乱しているのでなく、はじめから混乱している現場であり、学校長も教頭もアタマからばかにされている無秩序な現場であるからこそ、主任制で一層いきおいづいて混乱しているのだろう。
> 教育指導のうまく行っているところほど、主任制は空気のように受けいれられているらしい。「主任にやっと手当がついただけで、前と変わりありません」という声が私などにはきこえてくる。
> 主任手当の拠出状況が報告されたことがあるが、この拠出運動には暗い側面を感じてしまう。
> むろん自発的に拠出している人もいるだろうが、もともと日教組はいったんはいると、なかなか抜けられない組合なのである。自分の考え方と運動とのあいだに違和感を感じて、やめようとした人がいかに執拗(しつよう)な引きとめ、あるいは届けの受理妨害、不受理作戦、さらにはやめる理由をみんなの前で言えとかのいやがらせにあうことはときどき聞くところである。その陰湿さからの類推であるが、この主任手当拠出運動に暗黙の圧迫はなかったのか、村八分をほのめかす「説得」が行われなかったのか、いささか気になるものがある。主任制という制度を持ちこんだほうが悪いのだというのは言いわけにならない。
> 日教組への加入率が年々低下していることも、この組合の体質とかならずしも無縁ではあるまい。テレビで札幌の大会の模様が流されたが、マイクに向かってかみつくようにしゃべっている先生方、飛びかう烈しいやじをきいていると、これでは気の小さい先生方は泣き寝入りだなという気がする。うっかりやめさせてください、拠出はどうもなどと言える雰囲気ではない。新任の先生の組合加入の少なくなったのは管理側のしめつけばかりではあるまい。大会をテレビで見るだけで怖気(おじけ)づいてしまうだろう。
>
> ≪悪循環のくり返し≫
> 加入率が低下し、組織に危機感が出ると、内部の政治主義は一層はげしくなり、対立が激化する。主任手当拠出運動などという自己破壊的な作戦に傾斜し、それが逆に、また加入率を低下させる。悪循環である。
> 突拍子もない連想だが、私は太平洋戦争を思いだした。事態が悪化すればするほど、陸海軍の対立は深まり、自己破壊的な作戦を矢つぎ早やに出すことになる。政治論争に火をつけたのは自分であるのに、政治主義がつよすぎると歎(なげ)いてみせる総指揮官である。
> 教育問題はいまないのだろうか? なるほど学級定員をへらす運動がそれらしいが、これが大会でじっくり論議されたふうもない。槙枝氏はこの運動貫徹のため、ストも辞さないと語っていたが、ストという政治戦術をとるほどのことかどうか? こんな要求でストをうてば、自壊作用を一層早めるだけであろう。学級定員削減は、先生の労力軽減のためなのか、教育効果を上げるためなのか? その双方だとしても、お金がなければどうにもならないこんな問題でストをうつ前に、すべきことはまだたくさんあるような気がする。
> 学校給食をはじめとする雑務整理、越境入学、過密・過疎地域の対策など。なぜある学校だけ定員ぎりぎりにふくれ上がるか、をもっと論ずべきだろうし、教授法の改善の問題はもっと重要だろう。私の知るかぎり、定員以下の過疎校や少人数の私学でも、かならずしも教育効果が上がっているわけではない。単に画一的にクラス定員をへらせばいいという問題ではなかろう。
> そして先生の力量を高めるために構想されている新教育大学には、逆に、現職の先生の入学拒否をきめている教組もあるらしい。今度の大会で一つ明らかになったことは、皮肉にも公明党がこれまでどういう理由か、日教組と協力関係にあったことだろう。(にし よしゆき)
>                   ◇
> 【視点】昭和53年6月の日教組大会で、総評議長も兼ねる槙枝元文委員長は主任制反対闘争などを訴える一方、一部野党の右寄り中道路線を強く批判した。日教組内部は相変わらず、主流派(社会党系)と反主流派(共産党系)が激しく対立し、教育問題は置き去りになった。
> 西氏は「日教組も総評・政治部にならないよう願いたい」と皮肉たっぷりに批判し、「学校給食をはじめとする雑務整理、越境入学、過密・過疎地域対策」「教授法の改善の問題」などを論ずべきだとした。最近も、日教組出身の輿石東・民主党参院議員会長は「教育の政治的中立はあり得ない」と述べている。日教組の政治団体としての本質は変わっていない。(石)
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8【再掲】教組再考08 ( 苹@泥酔 )
2011/09/15 (Thu) 23:51:14
7784 【蛇足】相撲と稽古と書道と授業(其二) 苹@泥酔 2010/07/19 23:02

 今夜もまたまた相撲ネタ。(ちと…しつこい?)

 地方に行く機会が、力士には沢山ある。新弟子候補を観察したり、指導したり、地域の名士や関係者と交流したり。中には所謂「暴力団関係者」も含まれるだろう。もし巷間の言い回しが、昔の侠客とヤクザと暴力団を総称する傾向にあるのなら、そこには言葉のトリックが隠れているだろう。
 先日、教育書道と実用書道と芸術書道に言及した。これらの混同と似ている面が感じられる。単純に「書は芸術」と割り切る様に「暴力団は悪」と割り切れば、「教育書道と実用書道」、「侠客とヤクザ」の画一的排除がそれぞれ可能になるだろう。~徳川最後の将軍を警備した侠客はお払い箱となった。戦後の混乱期に警察共々、不良日本人や不逞鮮人から国民を守ったヤクザ達の功績(?)も、今となっては昔の話である。そちら方面の事情に疎い苹とて、そのくらいの事なら少しは想像がつく。
 極端な話、もし「教員は暴力団と付き合うな」となったら、家庭訪問は暴力団と教員の「黒い関係」となる可能性があろう。昔の教え子が暴力団員となったのを、教員が見捨てずに居たらどうなるか。廃業した力士達を、親方や昔の仲間達が見捨てずに居たらどうなるか。力士は教育者でもある事、角界が教育者個人を超えた所で連鎖システムを担っている事を忘れると、「昔の関係」の蒸し返しは逆に総崩れの原因と化すだろう。しかし無論、だからと云って古い体質の悪しき側面をも守り続ける必要はあるまい。協会そのものに古い歴史がある訳でもなし。犯罪に目が眩んで「相撲の伝統」と「相撲界の伝統」を混同すると、ますます話がおかしくなっていく。…先日、ひょんな事(↓)から「春秋園事件」をネット検索して居て、そんなふうに苹は思い始めたのであった。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_pr_525.html

 今の相撲協会は一つ。書道に喩えるなら日展みたいなものか。しかし日展は展覧会であるから、差し詰め相当するのは所謂「本場所」になるのかいな。従って日展を牛耳る主導体制が「教育体制を含め」一本化されている訳ではない。ただし「部屋」に相当しそうな社中ならワンサカある。そしてそれらが時には日展と二股をかけるかのごとく、読売・毎日などの各新聞社主催展覧会でそれぞれ協力しつつ指導的役割を担う。(…尤も、読売系と毎日系は水と油の関係ゆえ、呉越同舟の場所は日展くらいしかなかった筈だが。)
 畢竟、相撲界と暴力団の関係を云々すれば「伝統の蒸し返し」が避けられなくなる。歴史には大抵そんな側面がある。しかも皮肉な事に、そこからは賭博などの個別事件が存外スッポリ抜け落ちやすい。暴力団でなくても賭博は出来る。ならば「きりのない話」でイタチゴッコを続けるより、さっさとスケープゴートを裁いてみせる方が宣伝効果は抜群、という事になるのかも知れない。歴史の階調なき「白は白、黒は黒」型の判断を組織に押し付けたところで、どの面下げた組織が伝統的関係を清算できると?
 組織なくして相撲は取れない。どのみち「相手のある事」である。そうでない事例を巷間では「一人相撲」と云う。対戦相手が居て観客が居る。そこが書道と違う。もし敢えて共通点を挙げるとしたら、それは観客が神である場合のみであろう。ゆえに相撲道それ自体は孤独な内面の錬磨たり得るが、おいそれと相撲道を云々する事は、逆に相撲や相撲界のリアリティを破壊しかねない危険行為ともなり得るだろう。

 ここでボヤキの一言。
 苹は書道が大好きだが、「書道」という言葉は大嫌いだ。いっそ「習字」に戻してしまえばいいのに。書道を新興の「書道界」から解き放つ手段としての可能性(方便とも云う?)を教育システムに還元する上では有効な筈だが、しかし~それをやると多分、書道を好む人々から芸術的(?)な文句が来るだろう。
 …思えば、鳩山首相は美しかった。首相になってから学んだ「軍事の基礎」にあらためて感動した経験を国民の前で披露してみせた。あの時の無様な姿を、苹はついつい「書道と習字との懸隔」に見立てたくなる。…感動が美しい。学習や発見が美しい。こうして「美」は知らず知らず丸々と太る。やがて美しき「大きな羊」は屠殺され、料理され、誰かに貪り食われるとも知らずに。

(追記)
 以下は増田孝『書は語る 書と語る』(風媒社)P.6~7より。
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> もちろん今でも、手紙などは必ず筆で書くという方もいるでしょう。それはそれで結構なことですが、だからといって日常的にノートもメモも日記も家計簿も、すべて筆で書くという人はおそらく存在しないでしょう。繰り返しますが、そこが近代と前近代との最大の差なのです。今となってはもうこの大きな溝を埋めることはできません。いま書家が作品と称して書いているような「書」や、書道塾で習う「書」は、同じような文房具を使用していながら、過去に日本の文化を形作ってきた実用目的で書かれた書とは異類のものに成り果てていると思います。
> 戦後生まれた「書」というものは、たとえば画廊やリビングルームの壁面などを飾るための「書」の作品を想起してみてください。内容としては万葉集などの古歌や、あるいは宮沢賢治の詩などや、あるいは和室の床の間などに掛けるために漢詩などを書いたとしましょう。その書からどれほど古代万葉人や近代詩人の感動が伝わってくるものでしょうか。仮に伝わってきたにせよ、それはあくまで「作品」としての厚化粧を装ったよそ行きの「書」に過ぎないのであって、その書から書いた人の素顔を見て取ることは容易ではありません。しょせん、それが書いている人の生の言葉ではないからです。それとは反対に、相手に意思を伝えるという実用に裏打ちされた手紙の書には、その実用性ゆえに「人」が表れやすいものなのです。
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 こうした側面で、苹が高く評価する最後の世代の代表格は鈴木翠軒。特に書翰が見事。
 増田氏は屡々テレビの鑑定番組に出演しているので、その担当領域が創作的でない事は皆様お分かりになるだろう。もし上記引用箇所に反感を覚えるとしたら、その時点で貴方は「書家と観客との断絶」を前提した上で既に「観客を啓蒙=籠絡する側へと回っている」のかも知れない。歴史の証言=古文書とは関係のない、全く新たな表現を模索するかの様な身振りに於て古典の「表現」を人質としながら、そのくせ「読めなくても構わない」というデザイン指向の感性に於て「前衛性と保守性との混同」に目をつむる。
 王羲之や鈴木翠軒の書翰は実用書道の領分にある筈。それを過剰に読み替えると、そこから先が芸術となる。~そんなふうに捉えると、嘗て「教育に芸術は必要ない」と明言した管理職の直観にも、或る種の信憑性を孕むべくして、好意的な解釈が可能になってくるだろう(ただし管理職本人の真意は皆目不明)。
 念のため附記。~苹の場合、元教員としての自戒余地は予め解除されてある。以下にその証拠を示す。「2001/11/15 9:44:47」の日付で貰った電子メール(↓)で、苹は既に(教員経験者としての心理的制約なき)一人の「県民」の立場で書く事を許諾されているのである。従って苹は「県民からの貴重な意見」であり続ける事を目指して、これからも屈託なく生涯あれこれ書き続ける所存である。
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> ×× ××様
>  知事への提案(高校芸術科書道採用試験)について、貴重なご意見をいただき
> ましてありがとうございました。
>  前回、教員採用試験における実施科目については、今後さらに検討していく旨
> 回答しておりますが、今回××さんからいただいた提案についても、県民からの
> 貴重な意見として、検討の参考とさせていただきます。
>
>                    青森県教育庁県立学校課  課長 水木
> 洋
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8【再掲】教組再考07 ( 苹@泥酔 )
2011/09/13 (Tue) 22:49:15
7782 【蛇足】相撲と稽古と書道と授業 苹@泥酔 2010/07/14 23:16

 相撲ネタと云えば、すぐさま連想するのは稽古。~稽古ネタについては嘗て支援板に出した「骸の微笑」連載稿の後半で言及してあり、そちらへのリンクはNo.7581で既に張ってある。
 今回のネタでは、セレブ奥様(「西尾幹二のインターネット日録」管理人様)のブログにコメントした旧稿から、三つの関連箇所を抜粋して置く。うち二つは非表示稿。どれもコメント欄への書き込みとしては長過ぎるかと思い、取り敢えず非表示とした稿である。

●「2008.06.27 (23:16)」非表示稿より
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> 皇室に書道ってのはいかがなものか。桑原翠邦が御進講役を務めたのは今上陛下か殿下か忘れたけど、今はともすれば「時代が違う」って事になりかねない。…あたしゃどうしても学校書教育を連想してしまうのよね(汗)。
> 書道と云えば流派に稽古。そこからの脱却が学校教育の目的でもあった。各派バラバラでは困るので、国民教育としての整合性を持たせつつ効率よく全国に行き渡らせねばならなかった。だから教科書は国定となったし、甲種・乙種の選択肢も揃えた。そこから先を流派各々に委ねればよい。国定教科書は単なる基礎に過ぎなかった。
> 書教育禁止の占領時代が終わると皆が正規教員採用を自粛、書教育は流派への丸投げで補った。…この半世紀間に毒が回る。CIEに示した書教育解禁の方便が「書は芸術」だったもんだから、国語との分離が学校教育の前提になっちまった。大正時代以降の日本文化軽視傾向に輪を掛けて「読めないほどヘタクソ」な字との区別がつかなくなり、十把一絡げに「達筆で読めない」と見なしても恥ずかしいとは思わなくなった。恥と鑑賞眼を同時に失えば自ずとそうなる。流派側では「書は芸術」との理屈・前衛感覚で西洋と比較したり、反動的に支那一辺倒となったりした。昭和五十年代以降は日展のボスが「読めないのは当然」と諦め、伝統書とは別の「読める書」(漢字仮名交じり書)を提唱、平成元年度版の学習指導要領で本格導入と相成る。
> そんな状態の書道を皇室に持ち込めばどうなるか。
> ~あたしゃ妄想するね。学習院の先生はどうだろか。真面目にアカデミックな前衛左翼で、しかも教育熱心なら最悪かもよ。漢字書道アカデミズムは支那偏重が当たり前でプライドも高い。理論家なら西洋の美学・芸術学に準拠するだろう(政治方面のマルクス主義導入と似た様なものか)。教育熱心なら学習指導要領に盲従するかも知れない。例えば国語科書写と芸術科書道は違うから、その違いを強調して教えるとか。…中学と高校で先生の縄張りが違うと、指導要領に明記してある「国語科と芸術科の接続」がよく抜け落ちる。この「接続」条項から抜け落ちてるのが実は「古文書学の基礎」なんだけど、そっち方面はなぜか見向きもされない。国語教員は活字中心の近現代国語に過剰適応してるし、書道教員は可読性分裂症に罹患してる。それらの相互呪縛関係にとって古文書学は傍迷惑以外の何物でもないのだろう。
> こうした事は勿論「昔の天皇家の帝王教育の仕来り」とは無縁だから、差し当たって懸念すべきは学習院の「学校性」の方なのかも知れないなー。文科省が学習院を牛耳って、外務省が宮内庁を牛耳って、あともう一つあれば傍目には「三位一体の皇室包囲網」って事になる。(ちと軽口の度が過ぎるか?…汗)
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●「2008.10.13 (00:43)」非表示稿より
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> それと似通った事が書道の授業にも云える。稽古と授業が喧嘩する。やがて誰かが稽古と授業に真贋の区別を持ち込もうとし始める(ご親切なこった…)。稽古が真で授業が贋。つまり既に勝負がついている。授業は所詮「かりそめ」に終始すべきものとなるが、カリキュラム上それでは済まされない。そこで稽古型の人材を登用するタイプの教育偽装が全国規模の常識となってくる。爾来半世紀以上が経過。
> この手の状況は三島存命時代の方が生々しかった筈。…こう云ってはなんだが、理屈の通らぬ大学紛争も別の文脈で見ればどうなる事やら。あれは授業・講義に対する「稽古の反逆」だったのではないか。稽古に理屈は要らない。ただ関係があればよい。しかしそれ自体は教養の有無や真贋と無媒介な限り「どのみち日本的なまま」で、たとい西洋的理論武装がなされていたとしても、一皮剥けば中身は稽古型の人間関係のまま底流し持続する。中には理屈で負けた腹いせ(?)に研究室を襲撃する輩も居た様だが、これも「学問抜きの稽古型」を念頭に置けば行動の説明がつきそうではある。
> 一方には芸術~例えば相撲があり、そこに至るための「かわいがり」が実行されるとする。芸術的な実行の果てに死を迎える事があったとするなら、「美しき死」は稽古の側にいかなる作用を齎すのだろうか。「秘すれば花」か。だとすれば沈黙はそれなりに美しくあらまほしき筈。
> 沈黙した自衛隊員が一方で美しく、なおかつ「秘せられなかった点で無様」な三島も、死を以てすれば忽ち美へと環る。本人の意思に反すれば反するほど、後には何も残らない。しかし既に実行は「なされた」。ここに(或いは?)美の均衡と相殺がある。
> 多くの人は「相撲の授業」が贋で「相撲の稽古」が真だと直観するかのごとく振る舞うだろう。三島先生の特攻授業が生徒=自衛隊員の沈黙により贖われ、稽古の破綻が授業へと転倒する。あくまで勝手な想像でしかないが~彼らは三島の行動が唐突であればあるほど「胡散臭い先生だナ」と直感したかも知れない。リアルタイムで現場を体験した先生方や学生達は実際どうだったのだろうか。
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●「2009.03.13 (00:05)」表示稿より
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> ところで当方、昨年は支援板にて社中と稽古の関係、人材派遣業の教育界参入などに言及してましたが、今年は組合活動と社中の共通点について考えとかないと。この点を詰めないと日教組批判に関する見解がブレるし、そもそも私に何か云えるかどうか自体が怪しいし。「なんとなく批判」の危うさは教育委員経験者の奥様がよく御存知の筈ですからね。そうした意味でも奥様ブログは好都合な筈なんだけど…ま、いいか。
> どっちみち拙稿は長文になります。ただ、四年を経ても殆ど深化していないのが痛い。組合活動の排他性に土着的伝統の影を感じると、益々『江戸のダイナミズム』続刊が待たれる。~多くの人が社中という近代的方便を無視して流派意識に還元するのも「無知ゆえ」ではない筈。日本では支那の「幇」に匹敵する社会維持システムが江戸時代に発達していた様だし、後はそれを西洋の型に見立ててイデオロギーを組み込むか、もしくは型自体を西洋のイデオロギーに見立てて文化障壁の変質を目論むか、或いはそれ以外か。…この点に深入りすると「日本人のタブー」に抵触する様な気がする。
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 この表示稿を出す必要はなかったが、こちら天バカ板で一連の「「見立て」の一例」稿を出すにあたり、構想を練り始めたのが大体この時期、という事ではある。

 前稿で出した相撲の話題は予定外だった。~仄聞するところ相撲でも落語でも、余所で稽古するケースはそれなりにあるらしい。ところが書道では必ずしもそうではない模様。系列化した社中のアレンジメント(ガタリの『分裂分析的地図作成法』邦訳では「鎖列」とも翻訳していた)に於てのみ凝り固まる組織が多く、逆に見ればそれだけ系列各々が分散的に振る舞う、とも云える。そうした意味では社中の在り方それ自体が一種の防波堤として機能しているかの様でもあり、他の社中が破綻しても書道が生き残る上では殆ど影響がない。
 ところが相撲界の場合、プロの世界はほぼ完全なピラミッド型であるらしく、なおかつ底辺層からの人材発掘は低年齢層に絞られるケースが多かった模様。大抵は中卒か高卒。大卒は珍しい。そこに割り込んだのが留学制度を利用した外国人力士の発掘余地。そしてこれらを所謂「選択と集中」の図式に重ねると、その後の~つまり引退後の在り方が些か不透明となっていくだろう。
 支えてきたのは所謂「タニマチ」、そして地元の後援会。そこには出身校を含む地域社会の支援構造も含まれるだろう。支援の層は厚い方がよい。それを弱体化させたのが青森の場合「約三十年前」からの動向だと見なすなら、その影響は概ね世代交代を経て徐々に顕在化していくと見るのが妥当だろう。力士や関係者の出身地が何処であれ、既に潜在的な環境上の毒は全国規模で慢性化しているのかも知れない。相撲界の本格的復興には、相撲界を離れた在野の方々から忌憚なき意見が寄せられねばなるまい。

(追記)
 念のため、政治家についても触れて置く。~余程の底意がない限り、政治家はバカではない。それを単純にバカ扱いする有権者の方が、逆に政治家から操られているのだろう。そうした意味で、有権者は政治家に対して最低限の畏敬と恐怖を保ち続けるべきである。そして勿論、云うまでもなく鳩山首相も菅首相もバカではない。私の場合は差し当たり、希薄な帝王学と過激な愛国心を妄想した上で、それぞれの宿すだろう双方向的意味に恭しく恐怖する。
8【再掲】教組再考06 ( 苹@泥酔 )
2011/09/11 (Sun) 19:01:09
7781 ぼくたちの失敗(?) 苹@泥酔 2010/07/11 09:59

 こんな書き出し(↓)で始めたら途中で気持ち悪くなって、先に進めなくなってしもた。へたこいたー。(orz)

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 先年、鳩山首相の言葉が美しく響いた。命を救いたい。愛のテーマ。なぜ国会で感動的なBGMを流さないのかしら。ネット選挙の解禁云々より、そっちの方が先だろう(?)。言葉に痺れて失禁する女性議員が居てもおかしくない。そこには確かに理想があった。ただし言葉が現実の裏付けを持っていたかとなると些か心許ない。もっと映画の様に美しく痺れさせてくれたなら、こんな画像(こっちの方は舞台か…↓)に或る種の白々しさを覚える事もなかったのではなかろうかと思う瞬間さえある。
http://dokuhen.exblog.jp/10309447/
 鳩山首相は美しい(たぶん)。気のふれたハイフェッツ(?)を思わせる眼差しが伝説的ヴァイオリン並みに雄弁だったなら、限界ギリギリどんな服装であれ、さぞ似合って見えた事だろう。実は海外ブランドからの痛罵があった(との報道で有名になった)数日後、あたしゃ不覚にも話題のカラフルなシャツが無性に欲しくなったのである。「あんな服なら着てみたい」と本気で血迷った。奥方趣味らしき露骨な「ハートマーク付き」よりは抵抗が少ない。つまり~大袈裟に云うと、痛罵が反語的な美を引き出したのだ。ここでは言葉と書表現との間に虐げられた「隠微な関係」のごとく、過剰もしくは異常な美へと向かう麻痺作用を言葉が辛うじて引き戻す。そうした意味に限ればの話だが、長らく日本人が忘れていたものを、ともかく鳩山首相は反語的に幻視させてくれた様な気がする。しかし残念な事に、マボロシはすぐに消えてしまった。こうした点でも鳩山首相は、素人目に映る書芸術と何かが似ている様な気がする。(…念のため断って置く。私は褒めるつもりも貶すつもりもない。ただ感じた事に忠実に描写しようと心懸けただけである。)

 コピペは美しい。(…いきなり、なんだ。素っ頓狂に。)
 言葉を殺すには、読めなくするだけでよい。書けなくする必要はない。結果は後から付いてくる。その「結果」は恐らく予想以上に効果が大きい。言葉それ自体の実用的感性を殺す事により、「読めない」状況への後方支援効果が派生する。つまり「読めない」事と「考えられない」事は相補関係にあり、より正確には「考える事」の質的差異により、それぞれの「欠点らしく見えるもの」が背後で補填される。従って或る意味、考えられないからと云って読めないとは限らないし、読めないからと云って考えられないとは限らない。そしてまた見方次第では、この壮大な実験場が学校であると云えなくもない。
 美しければ、読めなくたっていい。考えるな。感じるんだ。
 …私は「嘗て、書は政治的文化でもあった」と書いた。政治も言葉も大差なかろう。そして恐らく言葉が政治を取り戻す時、そこにもれなく信頼が付いてくるとしたら―。そうしたプレゼンテーションの場として選挙が有効活用される姿を思い浮かべる際、この国民的儀礼の肉感性が時に最大のリアリティを発揮する事がある。青森ではそうだった。一般的には「津軽選挙」と呼ばれる。その進化形が隣の岩手で胚胎し継承発展を遂げたと妄想するなら、これに勝る現実は存外なかなか想定しにくくもある。
 企業は社中に似ている。「会社だから当たり前だ」などと云わずに我慢して貰いたい。それは一つのムラ社会が背伸びしようと藻掻き苦しむ姿でもあるのだから。経営者にも首長にもリーダーシップが求められる。一面には或る種の「売り込み」を内含する場合もあろう。企業合併に取り組む経営者達を、たまには脳内で「この売国奴!」と罵ってみるがよい。国家売買の自由を保障するシステムの有無が企業との質的差異を表象していると見る場合、逆に企業売買の保障システムを破壊すれば、もしかしたら国家と企業は平等に振る舞えるかも知れない(別の見方をすれば、とどのつまりは「失業者=難民」システムの遊牧的構築ってこった)。
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 …どうしようか。このまま続けると後味が悪そうだし、するってぇとやはり「「見立て」の一例(其六)」稿は最初から書き直す事になるのだろう。どっちみち選挙前には仕上がらないので、このまんま取り敢えず出して置く。
 それにしても、小泉チルドレンの後は小沢ガールズで、今度はカンカン娘の出番かい。あたしゃ勝手にそう呼んでるけど、菅首相がカンカンになって怒るという、かの伝説の「イラ菅」姿を連想すると却って逆効果になっちまうのかな。
「やわらちゃん、がんばってー」(裏声で棒読み)

 ところで、今回は参院選と相撲とサッカーが重なるらしい。いつ何処に書くか迷ってたけど、ここらで一つネタを出しとこう。
 …相撲賭博とは懐かしいな。そう云や青森でも昔やってたっけ。あれは公務員社会「総掛かり」の恒例行事となっていたのかな。かれこれ三十年くらい前の話なんで記憶が薄れてるけど、あれをやめようって話になった時は確か地元紙「東奥日報」の一面記事に載った筈。もちろん学校でも毎回みんな楽しくやってました、ハイ。
 胴元は事務室になるのかしら。今の様なコピー機はなかったから記入用紙は青焼き。それを先生方が持って行って、誰が勝つか予想して記入するの。~まだ千代の富士は頭角を現して居なかったのかな。北の湖が腹の上にのっけて土俵外に出す。貴乃花が小兵の強さを見せつける。若三杉が若乃花になる頃だったかしら。輪島は顔も技も精悍だし、芸能人の高田みずえと結婚したのは…アレ誰だっけ(若島津?)。高見山のモミアゲは特徴的だった。丸八真綿のテレビCMで「二倍二倍」って云ってた。そのCMの流れるコント番組「欽どこ」では見栄晴人形が不気味に面白かった。場所の終わりは恒例のガイジン語「ヒョーショージョー」が派手に満場を沸かせ、学校内の賭博もまた大いに沸いていた。あれは賭博と云うより人間関係を円滑にする娯楽だから、誰も問題になるとは思っていなかった筈。今の相撲界だって、まさか本気で悪かったとは思ってないだろ。おまいらガンガレ、学校社会、公務員社会が味方になってやる(…とまで書くとさすがに大袈裟過ぎるか…今じゃ精々「惻隠の情」程度にしかなるまい)。
 舞の海を育てた高校教員(眼鏡をかけた相撲部の…)は、年齢から見る限り~たぶん賭博時代を俯瞰的かつ冷静に知っている筈。あそこの高校ではどうだったのかな。もう少し苹の演ずるキャラを抑えて、当時の事を尋ねてみりゃよかった。そこんとこが残念だぁ。苹には先見の明がなかったのね。
8No.7775は支援板の再掲 ( 苹@泥酔 )
2011/09/09 (Fri) 20:47:11
 ここでいったん註釈を加える。「【再掲】教組再考05」稿、すなわち旧板No.7778「「見立て」の一例(其五)」稿の冒頭で触れたNo.7775稿について。
 当方、殆どの旧板投稿は番号と日時を保存していない。そこで引用箇所を頼りに昔の草稿用ファイルを参照したところ、「追憶(支援板に書いた旧稿より)」稿がNo.7775に相当すると判明した。以下に全文を再掲する。(直前稿のNo.7772と直後稿のNo.7776は、どちらも本板で再掲済み。)
 因みに、支援板の初稿は今も閲読できる(↓)。
http://f35.aaa.livedoor.jp/~masa/c-board358sp2c/c-board358sp2c/c-board.cgi?cmd=one;no=1953;id=
 当時の拙稿は総て、二つのツリーに集約してある(↓)
http://f35.aaa.livedoor.jp/~masa/c-board358sp2c/c-board358sp2c/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=1838;id=
http://f35.aaa.livedoor.jp/~masa/c-board358sp2c/c-board358sp2c/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=4233;id=
 トップページはこちら(上の方↓)。ただし今は廃板状態。猥褻な荒らし画像ばかりなので、よい子は見ちゃダメ。~肝腎の支援板は三年ほど前、余所(下の方↓)に本格移転した。其所のタイトルにある「桜子系」という文言は、嘗て2chで「女臣」と呼ばれ独立スレが立つほどだった伝説の論客に因む。
http://f35.aaa.livedoor.jp/~masa/c-board358sp2c/c-board358sp2c/c-board.cgi
http://www2.ezbbs.net/02/hou/
 閑話休題。以下本題。では再掲。



追憶(支援板に書いた旧稿より)
(補記)
 先日ちょっと奇妙な動きがあったのを契機に、嘗て「板が消える前に」と保存して置いた文書ファイルを今、所々気分次第で読み返している。…あれからもう三年半が経ったのか。これ(↓)を読むのもホント久しぶりだなあ。
 …もしかしたら昔と比べて、今の方が苹の頭は劣化しているんじゃないか?
 脳内テープ早送りの回春願望と云えば身も蓋もないが、取り敢えず余計な事は考えぬまま転載して置く。なお「>>」を付けた小段落は、雑誌からの引用を除く他の箇所が、当時あった管理人様からの返信引用部分である。

(以下再掲)
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> 「嗜み」に仕掛けられた罠
> 苹@泥酔 - 06/11/10(金) 0:23 -
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>●菅原伝授手習鑑
>>芸術家庭体育は「時間」でいいと思いますよ。そもそも「嗜み」だし、寡聞にしてこれらの科目で「赤点」をとった人は見たこと無いし。
>http://dokuhen.exblog.jp/
> いきなり話題を変えて福田逸…この先生って、端から見ると少しヘンなのかも(汗)。ブログ(↑)を見ると、理事のくせに「つくる会」への言及が一切ない。ちと無責任じゃないかと思いたくなる。ところがどっこい、顔の見える場所では言うべきツボをしっかり押さえている模様(先日の内紛でも、無責任な態度を取っていた訳ではないらしい)。単にブログには書かないだけで、毅然たる姿勢は全然ブレてない。演出家が自分に余計な役を振らないのみならず、余計な演出をも遠慮してるらしい点なんか見事に抑制が効いている。「なんでもホイホイ演出する」タイプの見苦しさは微塵もないのだろう。
> その福田先生のブログを見てると、実はかなり頻繁にガクッとくるのよね。鑑賞経験の共有が前提となっている話が多いにもかかわらず、そうでない相手にも分かりやすく表現してくれるのが却って歯痒い。前に「玉男」とかなんとか云う人の話が出てきたけれど、こちらは数年前のNHKドキュメント番組でしか見た事がないし、他の話も浄瑠璃なんかとは無縁な身にはアレだし。でも他方では見た事がないからこそ、別の切り口から話をこじつけられる私が居る訳で…(汗)。
> 前置きが長くなった。以下、本題。
>
> 上記ブログを見て勝手に煽られた私は先日、衝動的に景山正隆校注『菅原伝授手習鑑』(笠間書院)を注文した。…それまで全く興味がなかった訳ではない。しかし実物を見た瞬間、「こりゃ難儀だゾ」と思ったのは確かなのよね(汗)。古文は苦手だけど読めない訳ではない。問題は「調子が分からない」点にある。そこで私は切羽詰まって、恰も変態が使用済み下着をクンクン嗅ぐ様な気持ちで別の本を引っ張り出す。…図版は鈴木翠軒の書。脇には「昭和四十一年国立劇場出陳」とある。以下に解説を転載してみよう(芸術新聞社刊、『墨』67号、P.14)。
>--------------------------------------------------------------------------------
>> 翠軒先生御夫妻の、歌舞伎や文楽への愛着は頗る深いものがあった。大の吉右衛門贔負で、又浄瑠璃の竹本春子太夫や三味線の鶴沢清六との親交もあった。吉右衛門の鏡獅子を見て帰るなり、門人が待つ二階に上って、半切横に朱線を引いて一気呵成に、良寛詩「雨晴雲晴気復晴……」と破体の作品を物されたこともある(第一回個展出品)。胸中常に書作への情熱が滾っていたのである。
>> この「寺子屋の段」作は新築の国立劇場の要請に応えたものである。漢字かな交じりの表現は日本独自の書境である。遒勁な筆致を駆使した見事な行草体は、大小、疎密、濃淡鮮かな手練を見せて流動し、日本的抒情を盛り上げている。筆を揮ってその胸中に、菅秀才に代る小太郎のいたいけな命をめぐる惨しくも悲しい劇場風景が次々と展開したのであろう。劇中劇の人となってクライマックスを完璧に演出している。
>> この作を見ていると、技術であって技術でない書の美のあり様を教えられるのである。
>--------------------------------------------------------------------------------
> 十九年前の本を読み直すと、買った当時は気付かなかった事があれこれ気に懸かる。~歌舞伎も文楽も浄瑠璃も能も見た事がない私が、仮に真似して同様に書くとする。臨書では太刀打ちできないから、なんなら自前で書いてもよい(…創作?)。すると忽ち、肝心要の「真似の対象」が見つからない事に気付く。そこには真似すべき「経験の束」がないからだ。ここでの書は舞台であり、音楽であり、顔であり、響きであり、そうしたものを束ねる台本の再現であり、にもかかわらず再現とは程遠い「今」そのものでもある。つまり書には形がない。書かれる前であれ後であれ、どのみち或る種の形を欠いている。そこには予め蓄えられた中から突如として象られる形があるだけで、形が形を象る訳ではない。臨書は多分「形を真似ぶ」様に見える筈だが、ここでは誰もが「経験の形」に変換されたものを蓄える訳だから、書き散らされた形骸を「臨書」と呼ぶ姿勢は時に甚だしき誤解を生む。
> 形を形に変換する経験は稽古によって蓄えられるが、この手の稽古がもしも「嗜み」と隣接するなら、「嗜み」とはきっと恐ろしいものなのだろう。「人生に赤点はない」では済まない。そこが恐ろしい。「貴様は俺の表現に赤点を付ける気か」と師匠に凄む生徒の姿を思い浮かべてみれば分かる。…絶縁にも「赤点はない」。絶縁そのものが赤点であるとも云えそうだが、そうした絶縁をも一つの表現と見なすなら~そもそも赤点付与システム崩壊後の赤点など成り立つ筈がない。そこで多分、こんな解釈が成り立つ。
>>寡聞にしてこれらの科目で「赤点」をとった人は見たこと無いし。
> 採点を放棄すれば「赤点は出ない」。指導放棄の結果が「採点放棄」の形で表現された「採点」なのだとすれば、採点可能な領分をも予め放棄した枠組みに絡め取られた授業は一体どの程度まで許容されるのか。~形骸化の手法は既に判明している。基礎を予め排除した上で「応用だけ徹底すればよい」。ここでは「応用する才能」と「基礎を発見する才能」との混同・転倒が赤点防止システムとなる。それを「授業と部活動の棲み分け」システムで混同・隠蔽すれば総てが「丸く収まる」。
>
>
>●ウソを教える自由
> 或る夏、私は駅ビルに立ち寄った。御無沙汰である。あそこは県内でも都会的な方ゆえ、目当てのレコード店「新星堂」がある。…着いたら驚いた。目的のテナントは消え、代わりに古本屋が入っている。店員に尋ねたところ、春が来る前に引き払ったらしい。
> 覗いてみると、或る書道絡みの本に戦前の文検過去問が載っている。それを見て合点がいった。今も昔も出題傾向は大差ないが、基礎の方は「一々問うまでもない沈黙の領分」であり続けているのだなと。…要するに、出題の水準が低下している訳ではない。だから出題の水準が問題なのではない。ならば問題は奈辺にあるか。基礎の有無を問われない教育慣行が権威たっぷりに反作用すると、基礎の有無が日本文化の底辺を断ち尽くす~つまり出題自体の意味を別のものに変えてしまうのだ。常識への信頼が時代に取り残されるうち、そこにあった筈の常識は徐々に非常識へと変わっていく。非常識が常識となる一方、元の常識は「常識のまま信頼され続ける非常識」となって自明性の隙間に潜り込む。なんなら「建前の中に本音が潜り込む」と云ってもよい。
> 元来、建前と本音は対立項ではない。本音の中の建前は時に矜持となるし、建前の中の本音は時に倫理の姿をあられもなく曝け出す(本来なら~非常識を前提せざるを得ない老子的観点に於て、儒教的にはどのみち「恥ずかしい」事となる筈)。建前は本音の前に脆弱であってよいし、本音もまた~建前の前では己が脆弱さを曝してよい。それを恰も善悪の対立であるかのごとく雁字搦めにしてしまうと、今度はそうした対立・分断戦略自体が第三の軸となって、本音と建前それぞれの拠り所を背後から支配する様になる。ほんの少し煽ってやるだけでよい。後はそれぞれが勝手に自滅してくれる。ここには如何なる古典的道徳観も存立し得ない。建前が本音の隠れ蓑になった時点で、本音は建前から追放されるべき「サタン」に仕立て上げられる(喩えがしっくり来ない…「サタン」の代わりに「恥部」と表現する場合もそう…汗)。
> それを敢えて正当化の根拠として持ち出すなら、革命的暴走を踏み止まらせる保守の精神には初手から居場所がなくなってしまうのではなかろうか。学校は常に革命の連鎖に呑み込まれ、堂々巡りを繰り返しては~事ある毎に改革や保守の双方を統べていた筈の漸近線から均等に遠離る。
>
> 「読めなくてもいいんです」てな具合の台詞を聞いた事はないだろうか。またもや書道の話である(汗)。前に書いた通り~開国前後と戦後処理期間の二度「芸術」扱いされた際、書道は他律的動機と自発的服従行動との隙間でその都度はぐらかされ、徐々に習字から切り離されて行った。なんなら「習字からの解放」と捉えてもよい。戦前の習字は軍国教育に加担した咎で教育禁止となったが、CIEへの陳情戦術を「芸能科」扱いに切り替えたところ、国語科書写よりも早く学校教育に復帰できる事になった。従って建前上、書教育はどのみち国語から芸術へと離脱せねばならない。と云うより、ここでは離脱するのが「正しい」。書に「精神修養」神話が纏わり続ける限り、その領分を追放もしくは形骸化する事が戦後教育における絶対善となるからだ。とどのつまり~国語は日本精神の伝達手段であってはならぬ。書は予め西洋芸術の論理に支配させればよいし、国語は数多ある地域言語の中の一つとしての「日本語」であらねばならぬ。建前上「主体とならない」母語選択肢の様々な言語とは見かけ上「平等」でありながら、そのくせ他方では朝鮮語や英語の優位を保障可能にする隙間そのものであらねばならぬ。そうした位置に国語を置き直す事が、ひいては日本語の歴史的可塑性を「よりいっそう柔軟なものにする」。
> 国語の中には芸術が含まれる。一つは「芸術科書道」の形で独立させ、他方では「芸術科文学」の余地を国語の側に引き留める。するとやがて、書と文学との絆は自ずと断ち切られていく。教員が自発的に断絶競争を過熱させるから、わざわざ「お上」が余計な指導力を発揮せずとも国語改革プログラムは支障なく達成される筋書きって訳だ。
> 差し当たっては二つの効果が期待できる。一つは国語の非‐文学化。一つは国語の国際化。~前者は日本語の文化的地位低下に役立つ。文学は国際的に認知された芸術であらねばならぬ(?)ので、敢えて「日本語の枠内に留めて置く」必要はない。ここに「翻訳されてなんぼ」の世界が現出する訳だが、書が絡むと事は厄介になる。書は大昔から総合芸術の屋台骨として機能してきた(支那における詩書画同源)。それを日本側で換骨奪胎した歴史が取り敢えず千年。その後、更に西洋文化をも取り込み始めてから大東亜での敗戦に至るまで、ざっと三百五十年は経過した計算になるのかな(バテレンとの接触以後と見積もった場合)。そうした「書字文化」頼みの文学史を丸ごと踏み潰すためには先ず、歴史的文献を「読めなくする」ための口実が要る。「国語を潰しても文化は残る」との信仰を植え付けるには、国語を軽視するための「日本文化信仰」が過激になればなるほどよい。
> そこで「国語の国際化」を逆手に取る。戦前のは「アジアと西洋の架け橋」を念頭に置いた国際化方針だったが、そちらの目論見は敗戦でオシャカになった。残るは「国語を他の国際語に組み替える」方式のみ。日本文化から国語を除外し、改竄された「国語」で日本文化を表現する。その試みは既に英語教育側で実践中。国語が日本語である必要はない。漢字が読めなくてもいいじゃないか。そもそも漢字は中国語が元祖だろ。欧米から見ればムチャクチャ難しい「悪魔の文字」だから、国際標準への適応を目的化するなら「英語を国語にする」のが最も手っ取り早い。
> いっそ国語教育に「読めなくてもいいんです」を持ち込んではどうか。そこまで来れば後は日本語を「芸術科文学」に組み込んで、国語の枠組みには英語を振り替えてやればよい。日本語はコアな日本文化信奉者のやる「嗜み」だから、「何年勉強しても英語を話せない」アレをそのまま導入してしまえばよい。仕上げは「芸術科書道」と同様に形骸化してオシマイ。方法次第では覿面に「赤点が出なくなる」だろう。そこに「嗜み」の罠が潜んでいると思う。
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8【再掲】教組再考05 ( 苹@泥酔 )
2011/09/07 (Wed) 20:56:50
7778 「見立て」の一例(其五) 苹 2010/07/01 19:38

●書家と書道教員の違い
 別ツリー(ツリー表示参照)のNo.7775に再掲した旧稿で、「常識への信頼が時代に取り残されるうち、そこにあった筈の常識は徐々に非常識へと変わっていく」と書いた。この点を補足して置く。
 苹が書道の基礎と見なしているものは、所謂「芸術書道」と呼ばれている領分ではない。ここを読み違えると根本的な錯誤をきたす。そもそも芸術書道は高校芸術科で「これから学ぶ領分」なのだから、とどのつまり絶対に「基礎ではあり得ない」のである。よって、嘗て教育書道とか実用書道と呼ばれていた領分を可能な限りコンパクトに纏め、なるべく分かりやすく圧縮指導する必要がある。
 今はやや曖昧になりつつある様だが、両者は昔から書店で峻別されていた。芸術書道は美術の棚、教育書道と実用書道は実用書の棚に並んでいた。実用書はペン習字の本ばかりを指すのではない。毛筆だって立派な実用書の範囲内だった。その何冊かが今も手元にある。どれも昭和三十年代から五十年代にかけて出版された本で、実際に書店の棚(古書店に非ず)で見かけたものばかりである。その中には草書や変体仮名が含まれ、毛筆による平易な書翰の手本には便箋や葉書の他に巻紙もあった。これら総てが実用書。熨斗袋や履歴書も実用書。だから芸術書道のコーナーに並ぶ訳がない。苹が最初に学んだのは皆この類であり、どれも中学時代には一通り目を通していた。ただし必ずしも「書いて学んだ」のではない。あたしゃそれほど熱心ではない。見れば読める様になる。ただそれだけの事に過ぎない。しかし基礎を振り返って考え直そうとする時は必ず参照する書物達である。例えば鈴木翠軒(国定手本甲種筆者)と西脇呉石(国定手本乙種筆者)の「芸術作品」に共通する線質が見られる点を考える時、先ずそうした基礎を振り返る所から始める。
 基礎を難しいと思うのは、芸術書道しか見た事のない人が殆どではないのか。そこに「常識への信頼」は成り立たない。常識教育を排除すれば、常識が身に付かないのは当然である。そして常識教育は大抵、家庭教育の領分であった。だからだろうか、昔は多くの子供が書塾に通っていた。かの福田恆存の父親だって東京電燈を馘になった時、子供相手の書塾を開いて生活していたそうな。恆存が浦和高校に入学した年である。
 以下は別の例。宇野精一博士米寿記念対談集『書香の家』(明治書院)P.37~38より。
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>宇野 小学校時代のことで特筆すべきことは、小学校の一年のお正月、だからもう二年になるときですが、親父がぼくに習字を習わせた。その先生というのは、田口米舫という先生です。この先生は米フツ(草冠に市)を非常に尊敬していましてね。先生のお父さんは東大の昔の医学部の教授だったらしい。ぼくが通ったのは駕籠町四十四番地というところなんだ。
>石川 つい最近まで駕籠町と言っていましたね。
>宇野 ぼくは電車で通っていたのですが、駕籠町の一つ白山寄りに「原町」という電車の停留所があった。その原町で降りて、ちょっと入ったところに先生の家がある。そこへ一週間に一遍通いました。先生がお手本を書いてくださって、一週間かかってそれを書いていく。「千字文」を四字ずつ書いていく。一枚の半紙に二字だから、二枚書くわけだ。それを一週間お稽古して、先生のところに持っていく。先生が見て、よければ「次」と言い、悪いと「もう一度」と言われる。先生の前で新しいのを書くんです。だから、筆と墨と紙を持っていかなければいけない。
> それはかなり長続きしまして、中学の四年までやりましたね。さすがに中学の三年ぐらいのときに千字文も上がったんですよ。たった一週間に四字ずつだから、二百五十週かかるわけだな。一年五十週としても五年ですよね。まともにいけばそうだけれども、夏休みや冬休みは休むから、中学の二年か三年までかかったんですよ。楷書が終わってから、篆書の真似ごとをやったり、隷書の真似ごとをやったりしていましたが、中学五年になったら、習字なんかやっていられなくなった。こっちは必死で受験勉強をしなきゃならなくなってやめちゃったんだ。
> 高等学校に入ったら、寮に入ったでしょう。寮に入っていちゃできないわ。おまけに弓引いているから、できないというのでやめちゃったの。いまでもそれは残念ですけれどもね。
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 こうした先生を何と呼べばよいのだろうか。やはり書家になるのだろうか。書道家ではピンと来ない。先生は先生である。猫も杓子も先生と呼ばれると言葉の意味がひん曲がってくるが、ここでは真っ当な意味での先生。書道家となると妙に芸術家くさくなるし、書家となると意味は少し拡がりそうだが、どのみち似たり寄ったりの印象が残る。そして書家が「作品を書く人」に限定されてくるなら、作品を書かずに指導ばかりしている人を書家と呼ぶのは似つかわしくないって事になろう。或いは「作品を書く」頻度にもよる。たまに、例えば何かの記念に作品らしきものを書く程度でも書家と呼べるなら、十年に一度のペースで書いたって構わない筈である。しかし今時そんなのは通用しないだろう。やはり先生は先生だが、しかしながらこの場合、学校で教えた訳ではないから書道教員ではない。にもかかわらず、この先生は後の碩学に基礎を教えたらしい。
 書家は作品制作に呪縛されているかの様に見える。誰もが書きたがる。書かせたがる。周囲も書家をそんな人々と頭から決め付けている節がある。すると嘗ての先生の影が薄くなる。基礎の前では流派の影が薄かった筈なのに、基礎を見ずに流派を見る様になっていく。~流派を見るには何が必要か。ここで作品の出番がやってくる。そこまでは苹にも忖度できる。

 さて。
 学校で教えれば書道教員と云えるのか。「作品を書く」事との相関関係はどうなるのか。国語教員が書道の授業を受け持てば、それだけで書道教員に「なる」のか。もし書道教員採用試験に合格した人を書道教員と呼ぶのなら、青森県や東京都には一人か二人しか居ない計算になる筈である。
 更にややこしいのは、前に何度も書いた通り「教諭は居ないが臨時講師・非常勤講師ならウジャウジャ居る」場合。例えば都立高校の書道教員122名の内訳は専任教諭1名、兼任教諭1名、非常勤講師120名と聞く。そして青森では書道担当教諭の殆どが国語教員採用試験か何かの合格者であるから、実質的には県教育庁が書道専門の実技試験やペーパーテストや面接などの一切を免除する形になっている。つまり高校芸術科書道は中学国語科書写の延長であると同時に高校国語科(など)の延長で構わないとも云えるだろうし、そこに生じる実質の穴を埋める上で、民間の社中による外部訓練(研修?)への委託を重視する形、とも云えそうではある。
 しかるに苹の場合、独学を除けば社中らしき組織との(過去の)関係は三つほど。うち二つでは殆ど「段級位」のプロセスを経ておらず、専ら作品制作ばかりであった。昔それなりの賞を貰った記憶はあるものの、一つはどうも「お情け」臭いし、一つは展覧会自体のレベルが格段に低い(苹の入賞がその証拠)。残る一つでの展覧会出品経験は殆どないが、段級位の方は高校卒業前に所謂「師範免許」の取得レベルまでは行っていた。…つまり確実なものは何もない。あるとすれば教員免許くらいだが、それも更新制導入でどうなるものやら。後は総て独学で、こんな具合に蘊蓄を垂れるのが関の山ではある。
 教職を離れて十年。そうした意味では隠居の勉強とさほど違いはあるまい。この十年間の勉強や思索があらぬ方向へと靡いているのなら、そんな勉強は県教育庁にとっても学校にとっても殆ど評価対象とはなるまい。それゆえ此処=天バカ板を閲覧する方々は、予め自前の判断や先入観を優先するに越した事はない。なにしろ苹は、必ずしも組織的判断が正しいとは思っていないのである。もし組織への準拠を前提するつもりなら、苹の勉強成果を真に受けると歴史の猛毒が閲覧者の身を滅ぼすかも知れない。(…と書いてはみたものの、さほど間違った事は書いていないと、自分では思ってるんだけどなあ。)
 以前、幕末か明治初期の木版本に「書家便覧」てぇのがあるのを雑誌で見た。それに比べれば「書道教員」という言葉は格段に新しい。まるで前衛書道の様な、得体の知れない雰囲気すら感じられる。特に戦後、そんな印象が強くなって行った。幕末期の唐様から明治へと至る「刷新された実用書」の雰囲気は皆無となり、戦前から昭和四十年代に至る帖学系の艶めかしさも徐々に希薄化して行く。どちらかと云えば元気なのは明治以来の碑学系や明清調で、そこに大字・少字数と近代詩文書が交わって、更なる戦後書道イメージが培われてきたかの様な。そのせいか屡々こんな意味の戒めを見かけた。「国語科書写教育では芸術性よりも基礎を」云々。…なんとなく分かりそうな言葉ではある。ところが「基礎とは何か」と自問すると、これが実に分かりにくい。芸術書道との対比だけは際立つが、それ以外のイメージが弱体化しているのを感じる。
 なぜだろうか。~実用書道を見た人の誰もが読みにくい、或いは読めないと語る姿を苹は学校で観察してきた。そればかりではない。他校の書道教員に宛てた些細な連絡FAXを短く済ませようと候文で書いた時…だったかな。偶々その中身を見た同僚(つまり書道教員ではない)はどうやら、苹がふざけていると思ったらしい。畢竟、それが書体であれ文体であれ、実用書が基礎を含まない訳ではない。そしてそれは予め「読める字」である筈だからこそ実用書道だった。しかし今は「読めない」実用書道と芸術書道とが混淆し、なおかつ芸術が新たな実用の領域たるデザイン性やパフォーマンス性に向かって逃走しつつあるかの様に見える。

 嘗て、書は政治的文化でもあった。
 ならば以下、必ずしも「見立て」の度が過ぎる訳ではなかろう。一々細かく、対照可能な筈の語彙を抽出するまでもない。しかしながら一つ挙げるとするならば、例えば選挙で諸々のパフォーマンスをする。マニフェストをデザイン(?)する。ただし言葉の中身は「読めない」状態で構わないかのごとく在りながらも、やはり読まれる方が望ましいらしい。また~政治的な言葉には批判が付き物だが、中には批判を嫌う政治風土もあろう。餅は餅屋と云う。
 …ここで仮に、「文化に政治を巻き込むな」とする視点を取り入れてみようか。王羲之も顔眞卿も蘇東坡も王鐸も、一面では政治家や軍人だから論外。バレンボイムがサイードと対話したり、イスラエルでワーグナーを演奏するケースはどうか。サルトルやチョムスキーが政治的に振る舞うのはいかがなものか。西ドイツのシュミット首相がピアノを弾く。皇太子殿下がヴィオラを演奏する…おっと、その前に別の例もあったっけ。嵯峨天皇は今じゃ書家みたいなものだ。
 文化を去勢する事が教育に求められていると仮定するなら、そこに旧来の基礎があってはならないのかも知れない。ドゴールのごとき教養を踏まえた、一面「鑑賞者」的でもある視点すら、今の受験教育や職業教育には邪魔となっているのかも知れない。もし巷間「基礎を基礎でなくする」教育が望まれているのだとしたら、そうした「校内政治」下の要請は内実自体が根本的に疑わしく思えてくる。
8【再掲】教組再考04 ( 苹@泥酔 )
2011/09/05 (Mon) 23:15:46
7772 「見立て」の一例(其四) 苹@泥酔 2010/06/18 20:39

(承前)

 嘘は必ずしも虚偽ではないらしい。嘘の共有により共通感覚が磨かれたり、連帯の強化に役立つ面もあろう。問題は、それを「嘘」と見なす側の方にあるのかも知れない。そこが難しい。相手側から見れば、こちらの方が「嘘」になる。そして勿論、それくらいの事は誰でも知っている。
 要は、「そう思うか否か」の組織的な違いにもよるのだろう。例えば苹は教職員の人事異動に関する業務を「ご苦労様」と労いたいが、これとて見方を変えれば「壮大な民業圧迫」と云えなくもない。~学校で教員が足りなくなる。校長が県教育庁を通して手配を頼む。すると教育庁内の所轄が人材派遣業としての姿を現す。普通なら、民間の派遣業者は関与しない。教員採用試験を実施する場合も、しない場合も。
 ただし、派遣業の役割を担う「何者か」なら居る。ただ業者の体裁を取っていないだけの話で、そうした零細な何者か(以下、便宜上「彼」と表現する)を通して人材を紹介して貰う。すると彼の知る範囲内で、彼は人材を県教育庁に紹介できる。そして彼は結構、現場のニーズを知悉した職場~すなわち学校で働いている場合が多い。…これを或る会社の求人に見立ててみる。職業安定所なんか必要ない。会社が自前で調達できる。と云うのも、社員に人材の紹介を頼めばよいのだから。つまり社員たる彼は、通常業務の他に人材派遣業務をも担当する事になる。それだけ忙しくなる。通常業務が疎かになるかも知れない。しかしその通常業務自体が「疎かであってよい」ならば、会社は平然と社員に人材派遣を頼む事ができる。その反対に「疎かであってはいけない」業務の場合、会社は職業安定所や自前の採用試験を必要とするだろう。
 「彼」とは何者だろうか。一者だけとは限らない。実際に動くのは一者でありながらも、その一者「たち」を組織が抱えているなら、「彼達」は組織内で「組織されざる集団」としての潜在的機動性を担う事になるだろう。それが学校では臨時講師採用のメカニズムとなって、自己防衛的に増殖し始める。~都会で取り沙汰されている教員不足は「必要な教員」の不足であって、学校としては恐らく自覚的でないまま、法律に定められた総ての教員を必要としている訳ではない。この時点で、必ずしも必要とされない彼らは潜在的な「組合」分子の素養を既に蓄えている。
 「其一」で纏めた構図を言い換えると大体そうなる。「学校側の本音は「教えたくない」のである」と書いたのには、そんな背景がある。しかも厄介な事に、それ自体すら組織の責任に帰結するとは限らない。責任を取れる何者かは何処にも存在せず、仮構された責任を引き受ける筈の「法人」的存在ですら、そうしたリスクを敢えて見限る事はない(これも一つの「責任の取り方」ではある)。

 …先日、奥様ブログにこう書いた(抄録↓)。
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(以下余談)
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100507/stt1005070254001-n1.htm
 今日の産経「正論」欄は、「嘘」に纏わる話題を含むアレコレ(猪木武徳↑)。このところ書き散らしてきた事を考え直すにはお誂え向きのタイミングが有難かった。暫くは投稿に間を置くつもりだったのに、これを読んだら気分がコロリと変わっちまったじゃねーか。(ついでに歪みまくった挙句の上記妄想が金魚の糞の様に付いてくる。)
 猪木先生は嘘と真理を対置する。それが真っ当に過ぎるから困る。なんだか不条理が条理へと引き戻されていくみたいだ。もっと理不尽でもよさそうな気がするのは何故だろうか。仮にその理不尽が所謂「ブルシット」の線へと逃れていくのだとすれば、嘘の分裂(ブルシットとの峻別)は「嘘そのものにとって」脅威となり得るだろう。そして仮に猪木先生の指摘を正しいと認めざるを得ないならば、逆に嘘そのものは減数分裂的な在り方を内包する事によって、「理性を約分する」可能性と共に新たな振り子運動を開始するだろう。理性と言葉との距離自体に消尽する「余計なもの」は、今や苹の脳内で反復運動を加速しながら、理性も言葉も呑み込むブラックホールへの変容を遂げつつあるみたい。するってぇと、先生の云う「余計な言葉」とは、言い換えるなら、苹の幻視する「反復運動」の総体でもある事になるのかしら。
【2010/05/08 00:11】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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 …ここで云う「反復運動」とは、どうやらプラトン的な意味で云うところの「対話」にまで遡って考える必要がありそうだ。しかしながら現職教員に、それをする余裕はない。教員を多忙にすればするほど、教員は別の民間的存在へと近似していく。ここでは教員の自己崩壊により満たされる=流動する結果自体が、教員の終末論的義務を引き受ける(ただし「学者」は、必ずしもその限りにない?)。

(以下、当該産経記事全文引用)
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>【正論】国際日本文化研究センター所長・猪木武徳
>2010.5.7 02:52
> ■「余計な言葉」があふれ出ている
> 政治家の演説、予算委員会での質疑応答、記者会見でのやり取りを聞いていると、知りたいことをなかなか率直に語ってくれないので、欲求不満に陥ることが多い。イメージのわかない抽象的な表現に終始するだけでなく、質問をはぐらかすような返答には、ときに苛立(いらだ)ちを覚える。
> 言葉の軽さは、民主制社会のひとつの特徴のようだ。このことは、独裁専制政治では、独裁者の言葉と一挙一動に(ときには咳(せき)払いや視線にさえ)人は敏感に反応するようになるのと対照的だ。
>
> ≪魂の抜けたような≫
> 権力を持つもの、権力の近くにいるものは、言葉遣いに慎重になる。かつては京都の人々の婉曲(えんきょく)的で柔らかな言葉遣いは「京都人の技巧」あるいは「京都文化の特質」だとされたものだ。しかし、近年、政治、行政、経済の中心が東京に移ってから、東京の人たちの言葉遣いに、昔の「京都人」に近いものを感じるのは筆者だけではあるまい。権力の近くでは、人は用心深くなるものだ。
> 一方、デモクラシーの下では、市場経済と同じく、いま、ここで、人々に強く訴えかけられるか否かが競争の雌雄を決する。思弁的ではなく、実際的、商業的な分野の言葉が重要になり、思想よりも感情そのものを捉まえる言葉が勝利する。そして魂の抜けたような言葉が累積して行くのだ。
> この「死んだ」言葉の横行は、一般に官僚出身議員(衆参両院83名にのぼる)の増加ゆえかと思ったが、必ずしもそうではなさそうだ。官僚出身の政治家が質問をかわす技術には驚くが、共通感覚で語る議員も少なくないからだ。
> なぜ政治家の言葉が空疎に響くのか、特に深く考えることはなかったが、最近たまたま読んだ本によって、まさに「目から鱗(うろこ)が落ちる」ような思いを味わった。
> 原題は、On Bullshit。ブルシットは直訳すれば、「牛の糞(ふん)」であるが、その意味は、たわ言、ナンセンスということになろうか。著者は米国プリンストン大学のハリー・フランクファート教授である。デカルト研究を専門とする著名な哲学者だ。
>
> ≪「嘘」よりも強力な敵≫
> 同書は小冊子であるがなかなか鋭くて面白い。まず、哲学者らしく「ブルシット」と言う概念を定義し、その応用可能性を検討する。大事な点は、「ブルシット」を「嘘(うそ)」と峻別するということだ。嘘つきは、故意に誤った発言をするが、「ブルシッター(たわ言をいう者)」は真理には全く無関心なのである。「ブルシッター」は主に聴き手に好印象を与えることに終始し、聴き手を味方につけることにのみ関心を持つ。
> 嘘つきは真実を隠すが、そのためにはその真実を知っていなければならない。しかし「ブルシッター」は自分自身の主張を押し通すことにのみ熱心なため、真理を知る必要を感じない。したがって「ブルシット」は、真理にとって、嘘よりも強力な敵となるのだ。
> 正確さ、確実さを徹底的に追求したデカルトの研究者だけあって、論理の展開は厳密だ。著者はこの本のあとに「真理について」という著作を公にしている。
> フランクファート教授の指摘で重要なことは、人が言葉として発するものの中には、嘘でも真理でもない、第三種、すなわち「ブルシット」という範疇(はんちゅう)があるということ、そして現代社会がこの「ブルシット」に満ちているということである。
>
> ≪問題の所在も自覚されず≫
> この議論は現代日本の政治にも多くの示唆を与えてくれる。最近の「普天間問題」についての首相の発言を聞いても、事態の真相を知ることはできない。「嘘」を言っているわけではないが、「真実」を語ってくれるわけでもない。あらゆる方面への配慮で塗り固められた「ブルシット」が、飛び交っているだけなのである。
> 無念なのは、首相自身が、そうした対応の何処(どこ)に問題があるのかを自覚していないことである。自分は謙虚で誠意に溢(あふ)れた人間だと思い込んではいないか。この思い込みは、「嘘」よりも始末が悪い。それはちょうど、「自分は正しい」と思い込んでいる頑固者のほうが、偽善者よりもはるかに困った存在であることに似ている。偽善者は、少なくとも、善が何かを知っており、あたかも善意の人の如く振舞うことができるからだ。
> 政治でもメディアでも、そして社会生活のあらゆる場面で、タブーや、口にしてはならない言葉が増えてきた。それは言葉を慎むことによって、心の行儀をよくしようという期待から生まれた動きであろう。だが結果としては、嘘でも真実でもない「ブルシット」の横行という事態を招いている。「ムチの一打は傷をつくらん、舌の一打は骨を砕かん」という。真実そのものを述べることは、時には残酷となる。したがって言葉を選びぬくという気持ちは常に必要だろう。しかしいまの日本の政治には、真理でも嘘でもない「余計な言葉」ばかりが溢れだしたという事なのだ。(いのき たけのり)
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8【再掲】教組再考03 ( 苹@泥酔 )
2011/09/03 (Sat) 19:41:56
7769 「見立て」の一例(其三) 苹@泥酔 2010/06/09 23:59

●嘘
 「学校に学問は必要ない。」~先生なら、きっと誰もがそう思っているだろう。にもかかわらず「そう思わない様に」、可能な限り本気で振る舞っているだろう。…学問は人生だ。しかし偶々そう呼ばれる羽目になった「かたち」の一つであるから、人生が学問である必要も、また学問が人生である必要も全くない。そんなものが学校に必要だとしたら、学校が崩壊するのは当たり前じゃないか。てめえの人生くらい、てめえで責任を取れ。
 …てな大見得を切った直後に、ここは一つ「誰も責任なんか取れませんてば」と開き直ってみよう。結構、あたしゃ本気で書いている。責任は「取らされる」ものである。勝手に「責任を取った」気になられても困るだろう。つまり責任それ自体が或る意味「排他的」である事に矛盾はない。だから責任はいつも相変わらず押し付けがましい。義務と責任が互いに何かを「なすり合う」、そんな滑稽さを仮に「責任」と呼ぶならば、そうした責任が人生のユーモアもペーソスも丸ごと引き受けるのは、傍目に見るところ~却って意外なほど自然な在り方に思えてくる。
 そこで多分、便利な仕組みが両者を仲介する事になる。寝惚けて居ようが疲れていようが「義務と責任」なめなめゴックン呑み込んで、したたか酔っ払って居ながらも実は醒めている様な、そんな仕組みが実際は相互の排他性を円滑に保守し続けるのかも知れない。敢えて偏見含みで言い募るなら、学校では所謂「日教組」がその役割を期待されているかの様に。もちろん相手が必ずしも「日教組」でなくたって構わない。そんなものは何処にでもある。むしろ肝腎な点はそうした仕組みの宿命にあり、対象よりも宿命の方に「義務と責任」が宿る。もし日教組を画一的に非難するつもりなら、学校も教員もまた画一的に、同じ非難に曝されねばなるまい。

 嘗て高橋史朗先生は、埼玉の教育委員になる際「つくる会」の副会長を辞した。教科書採択に関わる立場が教科書を作る立場を兼ねるのはモラルに反するって事らしい。…確かに問題はあるのだろう。法律上の義務と、社会的な責任と。
 拡大解釈すれば「つくる会」も「組合」的な性格を内包するだろうし、扶桑社本に猛反対する側から見れば、辞任後も依然として「特定の組合と癒着する卑劣漢」であるかの様に映った筈。現に高橋委員は教科書採択の場から退席した。そこまでする必要があったのかと、薄ら甘く構えれば~稍や疑問に思わぬでもない。
 選挙に立候補する人も大抵は、それまでの職場を辞してから出馬するらしい。よくよく考えると不思議な面はある。他国の自治体には議員が無報酬の所もあるそうな。この場合、本業の仕事をしないと干上がってしまう。抱えるスタッフやシンクタンクの問題もあろう。しかしよほど歪な風土でない限り、「仕事が忙しくて議会に出られません」とは誰も云うまい。
 ふと、或るケースを仮構したくなる。~「組合活動が忙しくて授業に出られません。」
 組合活動が授業と無関係とは限らない。授業に活用するための教材を作成するため、日々の努力を重ねている人々が少なくないらしい。先日その一例が新聞沙汰になった(↓)。さすがに授業放棄してまで組合業務にのめり込む人は居ないだろうが、ここでは組合活動の一成果が文部科学省や教育委員会の方針と衝突した形となっているらしい。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_pr_488.html
 その産経記事によると、浜教組の当事者は斯く語る。「資料集の1つとして作成した。自由社の教科書を使わせないようにしたわけではない」と。…これはこれで一理あると思う。新たに採択された教科書の内容が不充分だと思ったから、彼らは自前の資料集を作成したのだ。対抗する教科書を作成したのではない。しかし反面、事態を冷静に見ようとすればするほど、何か納得できない感覚が残るのではなかろうか。そもそも教科書と資料集の違いは何なのか。そこに独特の「嘘」が隠れているのではないか。

 先日、奥様ブログにこう書いた(抄録↓)。
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> 連休モードで『WiLL』2010.6号の感想余談。
> 前号に引き続き日教組批判が続いてますが、このところ教育は或る意味、もしかしたら「嘘との勝負」なんじゃないか、との記憶が蘇り始めています。こう書くと変な話になるけれど、とどのつまり実質的には「嘘を吐く」のが教員の仕事ではないかと。
> 過ちは正せばよい。しかし嘘となるとそうは行かない。嘘は人格そのもので、嘘を否定したら人格が嘘になる。だから嘘を教えるのは仕方がない。嘘から逃れようとする態度を覗き見られるのは恥ずかしいが、となると嘘を隠蔽しようとする態度の方はどうなのかしら。そう考えるなら、何かすると結局は「単純な日教組批判」に終始しそうではある。そこんとこが盲点めいていて何やら空恐ろしい。或いは「ありのまま」単純で構わないのかも知れない。が、そうでないのかも知れない。
> むしろ厄介なのは罪の方で、この観念を取り込んだ時から日本人が籠絡され始めた気がせぬでもない。そうした意味で、日教組の先生方から正しさのニオイが漂ってくるのは、教員として健全な姿と云えるのかも知れない。通時的かつ共時的には、人質共同体の相互自縛とでも云うべきか。
> 過ちと嘘と罪と悪。~先ず本を読む前に考えて自分を捏造し、本を読んでは自分を失い、本を忘れて自分を取り戻し、取り戻した嘘に更なる自分を観るとしたら、「本を読む時期を択ぶ」ってぇのも一つの見識ではあるんでしょうかねぇ。なんか「ただ怠けてるだけ」って気がしないでもないけど、こちとらそんなにたくさん勉強できるものかい。
> 「わたし教える人、あなた勉強する人」ってんで組合活動に没頭する状況は、授業を日雇い先生(臨時講師)に外注するシステムとどこかが似通っている様に思えます。(この辺をそこそこ発酵させてからでないと、天バカ板で予定してる続きの稿は書けない様な気がするなあ…orz)
>【2010/05/03 06:18】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
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 こうした自己懐疑から成る自問自答がやがて、その立場にあった身ならではの観察経験と重合しつつ、「他者をも振り返る」ための材料となっていく事になる。
8【再掲】教組再考02 ( 苹@泥酔 )
2011/09/01 (Thu) 20:55:00
7750 「見立て」の一例(其二) 苹@泥酔 2010/05/11 22:28

●展開
 苹の属した事のある「組合」はさほど多くない(そもそも「組合」とは呼ばれていない)。そもそも属していたと云えるかどうかすら定かではない。~例えば、A高校の生徒がB組合の先生の授業を受ければ、その生徒はB組合に属した事になるのだろうか。そうではあるまい。しかしA高校の部活動XでB組合の流儀を学んだ場合、そこから先は徐々に判断が揺らいでくる。と云うのも先生転勤後、部活動Xが後釜先生の所属するC組合の傘下となるケースは多いのだ。そしてこれを学校本位制で見る場合、BだのCだのといった「組合」はXを媒介した為替のごとき変換システムにより整序される。もしかしたら、学校における本来の「組合」はXの方なのかも知れない。組合が社中に似ているのか、それとも社中が組合に似ているのか。(或いは、似ていないのか。)

 前稿の語句を入れ替えていくと、大体こんなふうになる。
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> 流派に所属しない教員は信用されない。言い換えるなら、普通は教員への信頼自体が流派への信用で担保されるので、流派に属していない教員はモグリ扱いされても仕方がない。さもなくば、傍目には胡散臭き事この上ないからだ。彼には何の裏付けもない。履歴書で喩えるなら、履歴欄そのものが空欄かつ「賞罰なし」の状態に似ている。出身大学や勤務履歴に意味はない(所詮「お前もか」で終わり)。それに比べれば「××流」の威力は確実に名刺代わりとなる。現に多くの人が古来こんなふうに発想してきた(↓)。
>「あの人、先生なんだって。」
>「へえ、どこの流派?」
> 流派に属し、しかも教員であるという事は、その先生がただの××流ではなく、人脈や実力などのパラメータの中どれか一つ以上が、流派の指導者レベルと近い位置にある事を客観的に意味する。そして大抵の場合は慣行上、流派の掛け持ちはしない(できない?)。いったん流派に入ったら、その流派に死ぬまで所属し続けるのが普通である。
> 地域の教育界が特定の流派と癒着するのは日常茶飯事である。だから或る地域で先生になりたい人は、その地域の教員が多く属している流派に入ればよい。流派は学校外で活動するが、学校内でも活動できる(勧誘機能の面では部活動が主で授業が従)。従って流派の活動費は生徒~ひいては保護者からも徴収できる。生徒は流派の機関誌を購読して勉強する事になるが、地域で自前の機関誌を発行するのは手間がかかるので、上部組織もしくは提携組織たる流派の発行する機関誌を使う例が少なくない。そして通常、部活動では文部科学省の検定済み教科書を使わない。
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 これなら傍目にも違和感はなかろう。事によると「どこに問題が?」と思うかも知れないが、こちとら必ずしも問題だと思っている訳ではないし、強いて挙げるなら開き直って「組合に見立てる手口自体が問題」とも云える。流派と社中が違う様に、多分それらは組合とも違うのだから。
 書道方面の有名な例では「謙慎」という会派がある。どちらかと云えば(苹には)西川寧や青山杉雨の印象が強く残るが、あそこには上条信山や殿村藍田など「別の流派」の人々もまた所属していた。~雑駁には、複数の流派(社中)が「より包括的な」一つの社中を構成する例と云ってよかろう。
 その反対に、一つの流派が複数の社中に分裂(?)する例は数多い。何らかの仲違いで分裂した場合は互いの交流がなくなったりするが、そうでない場合は複数の「地域的」社中が同じ流派同士で連合して「より総合的な」社中を構成したりする。
 ここでいきなり話を飛ばして~「新しい歴史教科書をつくる会」が分裂して「日本教育再生機構」が出来たケースではどうだろうか。元々は一つの保守系団体だった。そして日教組の場合は穏健なグループから過激なグループまで、やや変な言い回しになる点は扨て置き「守備範囲が広い」。日教組と民主党が似ている様に見えるのは、そうした印象の影響もあるのだろう。
 嘗て賑やかだった文部省と日教組の対立は一見、学校の運営精神をめぐる覇権闘争だったかの様に見える。或いは労使間闘争を偽装していたかの様でもあるが、その焦点には常に子供達が居た。~時には文部省の手口がソ連の圧政に見え、日教組がアメリカ臭く見えたりもしたのだろう。或いは日教組がソ連で文部科学省がアメリカ。ならば差し詰め子供達は「朝鮮半島やベトナム」って事になるのかいな。「子供達を戦場に送るな」のスローガンで「学校を戦場にした」のは誰でしょね。(ここで空耳一声…「どこが非戦闘地域で、どこが戦闘地域か、そんなの私に聞かれたって分かる訳がないじゃないですか。」)

 こうした「組合」状と云えそうな組織諸々の「間」に、実のところ「非戦闘地域」状の空白地帯は現れる。また「組合」らしさが薄まるほど組織の役割は透明になっていき、それが偶々「非戦闘地域に見えるだけ」の空気感を醸し出していくから始末が悪い。「どこが(=場所が)」ではなく、「それが(=状態が)」戦闘地域なのか非戦闘地域なのか自体、そもそも場所をクローズアップすればするほど「分かる訳がなくなってくる」。
 判別基準は「戦闘状態」。その中には休戦状態も含まれる。すると場所が状態の幅を丸ごと呑み込み、場所それ自体が「状態の隠れ蓑」と化す。
 例えば「戦闘状態」を教員採用試験の「実施状態」に置き換えると、「平和」な状態では試験を実施する必要がない。よって廃止状態となり、そのまま続けば「今後も実施される事はない」。にもかかわらず試験を実施する場所がある。場所があるから状態も担保される。また「休戦状態」は「いつ戦闘が再開されるか分からない」という意味を含む「非戦闘状態」であるから、教員採用試験の場合も「いつ実施されるか分からない」含みを残した廃止状態であり続けて構わない。
 意図の有無は確認できないが、昨年の教員採用試験で印象深い事例があった。~岩手県は日本で唯一、高校書道のを毎年実施している県である。数年前に珍しく「実施しなかった」時は新聞紙上やや大袈裟に「岩手ショック」と呼ばれた。数ヶ月前、その岩手の試験結果記事を見た。昨年の試験では確か合格者ゼロだった。
 試験を実施しても、採用しない事ができる。そこに宿る拡張可能性は、或る意味おぞましく思えるほど大きい。~因みに青森県では、これまで総ての高校芸術科目で試験を行わなかったのが、今年どうした訳か美術の試験だけは実施するそうな。音楽や書道での試験に関する対応諸々を観察し続けない限り、これが何を意味するかは全く分からない。と云うのも、実施意思が試験の実施如何を統べるとは限らず、むしろ実施事実や採用事実により生成する様態の方が優先して、実施意思を遡行的かつ客観的に形成するからである。(これを書くのには別のジレンマが伴う…たぶん見方次第では「新しい歴史教科書をつくる会」発足時の根本動機批判とも隣接する筈。)
4「俺妹」奇譚 ( 苹@泥酔 )
2011/08/15 (Mon) 21:39:23
 事は旧板No.7861稿の音楽ネタに始まる。調子こいて書道ネタへの拡張があからさまな傍迷惑モード(?)に突入した頃から、ヲタ系アニメ「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」ネタへの仮託が本格化した。そうでもしない限り、話題の生々しさが筆者自身の動揺を抑えきれなくなる。…朝までふざけよう、ワンマンショーで。(←沢田研二のヒット曲「勝手にしやがれ」より)
http://imoshiori.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7348382
 先夜いったんNo.7857~7886の三稿を「とめはね」ネタ(↑)へと連ねたが、翌朝には削除した。こちら「俺妹」シリーズとあちら「とめはね」のどちらに連ねるか即断しにくい。また、その後に続く「批評と臨床」シリーズ(↓)を再掲してから半月以上かけて逡巡したのは、No.7857や大分ネタ新聞転載部分を転載する必要がなさそうに思えたからでもある。しかし音楽に喩えるなら、楽章と楽章を繋ぐ経過句みたいなものかとも。そう思うと今度は、不要と割り切る方が却って不自然な気もしてくる。
http://imoshiori.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7305730
 ともかく前置きの転載はこちらで済ませ、そこから先は学校側関係者にとって受難と映るかも知れない稿を続ける事になる。もちろん私は前々から時折「苹@反日実験人格」名義で投稿してきた通り「学校教育の無謬性を信頼している」ので、何を書いてもさほど影響はなかろうと安心しているし、「なぜ学校は正しいのか」を論証しようとする情熱も未だ喪っていない。だからこそ、傍目には開き直りと映るかも知れない事を堂々と(←ぬけぬけと?)実名入りで書ける。恥知らず、もしくは必要悪とする見方とも一定の距離を置く。判断以前に先ず観察が要るからだ。するとそこから読み取れたのが、暗黙のうちに教員が遅かれ早かれ自らを巻き込む事となる「三つの義務」だった。
・歪曲教育の義務
・基礎指導放棄の義務
・成績改竄の義務
 ここには所謂「あるべき論」などない。単なる観察結果を纏めたら偶々こうなった。それ自体が一つの仕掛けでもある。「あるべき論」を交えれば、これらはたちどころに歪曲でも放棄でも改竄でもなくなるからだ。要はものの見方次第で解釈や判断がガラリと変わる。巻き込まれる前の教員には別の「あるべき論」が胚胎するかも知れないが、巻き込まれた後の~つまり学校教育に適応した教員にとっては教材精選、基礎指導徹底、客観的成績評価と言い換えるのが正しい。
 共立不可能な判断それぞれ、いったん共立可能な事象に還元する所から「判断の成り立ち」を見つめ直して初めて、「判断の型」が恰も所与であるかの様に振る舞う理由までもが剔抉されてくるだろう。そうした立場で苹は下記再掲稿を書いた。恰も学校教育を愛するかのごとく…と形容すれば、逆に「ふざけるな!」と怒鳴られてしまいそうな気がせぬでもないが、それはそれで仕方あるまい。
 なお、久々に読み返して思った。No.7876稿で言及したNo.7743稿(「「見立て」の一例」シリーズ)については後々、一連の流れを全文再掲する方がよいかも知れない。

(余談)
 開設時から「西尾幹二のインターネット日録」の代理打鍵投稿を担当している管理人様が、それとは別に自前の奥様ブログを開設している。…苹は前々から入り浸っている訳だが、コメント欄に非表示投稿できるので重宝している面が少なくない。
 No.7896稿に関連する話では、以前こんな非表示投稿をした事がある(↓)。話の種に、ちょいとばかり出して置く。~因みに、こちら天バカ板(旧板)用に綴り始めた「書家と書道教員の違い」は全部ボツにした。No.7778「「見立て」の一例(其五)」(2010/07/01 19:38)を書き始めた頃の話。
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> 余談スマソ。~取り敢えず、こんなふうに書き始めてみますた(↓)。
>--------------------------------------------------------------------------------
>書家と書道教員の違い
> 今のところ、次に出す「「見立て」の一例(其五)」の副題には「そのまんまコピペ」ってのを予定しているが、これまた書道に絡むとなると大方の予想はつくだろう。臨書の事である。「臨書=コピペ」論という、たぶん傍目には素っ頓狂と映るだろう話を展開してみたい。これでもネット時代に適応しようと四苦八苦しているつもりなのである。そんな頭コチコチ伝統擁護派の書家なんて居るかい(居たら紹介してちょ♪…お友達になりたいわぁ♪)。…尤も、苹は書家ではないが。
> ここ半月ばかり、頭を悩ませていた私事がある。それについて三度目の電話があった。
>「教育庁教職員課の××ですが、校長とも相談したところ…」
>「今回の話はナシって事ですね。」
>「はい。」
> 相手方にハッキリ語らせるまでもない。通知する側の心理的負担は少ない方がいい。「苹」はネット上の匿名だが、相手方は実名も経歴も知っている。最初に接触があった時点で此処=天バカ板の事を通知したし、二度目の電話では「つくる会」や支援板やセレブ奥様ブログにも言及した。~名前を知らずに思想を読む人が居る。思想を読まずに名前を知る人が居る。ならば両方を知ったらどうなるか。知る覚悟はあるか。「四の五の言わずにクソして寝ろ」と怒りたくなる人も居るだろう。「知らぬが花」と云うではないか。
> 二度目の電話で、苹は「それでもよければ全力で取り組ませていただきます」と云った。この「全力で」が問題だ。天バカ墓場に眠る死人を叩き起こすと、何が起こるか分からない。もしかしたら生徒が発狂するかも知れない(大袈裟)。書道の字が読めるなんて、そんな戦前みたいな事があってたまるか(苦笑)。
> てな訳で、本稿のタイトルは上記の通り。以下本題。
>--------------------------------------------------------------------------------
>
> これ自体はどうでもよい。電話があったのは月曜の午後である。
> 問題はノートン。素人にはよく分からぬセキュリティ上の警告が、この十年で初めて出た。なにやらクッキーを辿ってる連中が居るらしい。それを見ると欧字表記で、ネット上では公開した事のない苹の実名の苗字が付いたのが全部(苦笑)。コリャどう見ても今回の一連の動きに関連があるとしか思えない。もしかして、あたしゃ組織を敵に回しちまったのかなあ(泣)。
> 何がどうなってるのか分からない。取り敢えず続報連絡耳。「日録」や奥様ブログについての感想は後日。頓首。
>【2010/06/29 02:57】 | # [ 編集]
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8【再掲】「俺妹」受難曲15 ( 苹@泥酔 )
2011/08/16 (Tue) 23:47:35
7934 俺の妹が書家になりたいわけがない(第10話) 苹@泥酔 2011/03/10 20:23

(承前)

 天来晩年の目論見は明らかに国語寄りである。それも英語国語化論だの活字だのに籠絡された国語ではなく、書字の伝統に即した基本の整理という意味での。そうした基礎を前提して初めて、指導法の小竹パロディ(「第9話」末尾参照)が真っ当な軌道修正へと向かい始めるだろう。そもそもあれが噴飯物なのは指導法に難があるからではなく、指導法を生かすための前提が最も深刻な形で不毛となっているからである。そうでなければ伝統的指導法(稽古とも云う)が長年、有効であり続けた筈がない。元々シンプルなものを端からゴチャゴチャいじくり回しても碌な事にはなるまい。どんなに大坂城本体の守りを固めても、二重堀を埋め立てられた後では役に立たぬ様に。書写・書道にとって国語の領分は漢字と仮名の二重堀であり、そこにこそ書風以前の同一性が宿る。しかし~だからと云って、そのまま放置する訳にもいくまい。
 今は気儘にゴチャゴチャ書いている苹だって、いつも理屈っぽく指導してきた訳ではない。或る生徒が職員室に(書道準備室じゃないよ)仮名臨書の半紙を持ってきた。あれこれ難点を指摘して、出来るだけシンプルに(笑)こう指導した。「読める様に書け」と。…周囲の先生方には、どう見えただろうか。「くずした字が読める」事それ自体が根本的に理解できなかったのではなかろうか。書道準備室で朱筆をとらずとも指導はできる。そんな事実までもが異質に見えたのなら尚更、小竹パロディの方が指導法としてはいっそう正しく見えた事だろう。指導法は変えずに、指導する中身を変える(統制する)のだ。すると中身に応じて指導法の解釈が変わる。指導内容と指導方法の衝突を回避するには、どのみち変質が避けられなくなる。
 苹の場合は実技の練習に入る前に四時間ほどかけて、先ず仮名字源を理詰めで教えた。字の形から草略過程を読み取る上で、「何故こんな字形になるのか」に至るまでをシステマティックに教えようとした。「読める理由」が分からずして「読める訳がない」。それを踏まえての「読める様に書け」である。読める字は正しい字の歴史的範疇にあるが、美しい字が正しい字であるとは限らない。その範囲を極端に狭めたのが義務教育の国語科書写。極度の自己研鑽を積んだ教育畑から見れば、国語教育の範疇を逸脱した書道は存在そのものが元来「まともな教育ではあり得ない」のである。…想像してみるがよい。或る優秀かつ模範的な教員が完璧に教育漢字や常用漢字を記憶し、かつ厳密に準拠しながら指導を徹底する姿を。書写体の許容範囲は社会的事情の領分に即しているが、必ずしも教育的事情の領分には親和しない、とも解釈できる。そんな間隙を突いたのが、長野県の高校生によるビデオ作品「漢字テストのふしぎ」であった(↓)。
http://www.jvc-victor.co.jp/tvf/archive/grandprize/tvfgrand_29a.html
 仮名字源がそもそも漢字である以上、指導される漢字字形に予め歴史的な変形生成原理が担保されていないと草略を理詰めで理解させる事は不可能である。にもかかわらず一律に「戦後教育的」イデオロギーの下で漢字を制圧すると、現場で指導する身には好都合(?)らしいが~仮名との絆を蒸し返す行為は所謂「教材の精選」、ひいては学習指導要領に反するかの様に見えてくるだろう。つまり義務教育における草略指導は行書にのみ適用される規格であって、草書や平仮名への適用は教育規格外=反則となる。
 その他、こんな例もあった。~草書の授業後、或る生徒との対話中に「器」字の草書を板書して試してみた。四隅の点が何かの草略である事をヒントとして与えたら、彼は即座に正答した。そこで苹が補足。今の活字では中の部分を「大」と書くが、書写体の楷書では「大」が草略されて「工」の形となり、更に草略して草書の「Z」型になると。この程度の事は書道教員なら誰だって指導できる。書風の差異もへったくれもない、純然たる「文字認識の同一性」の話である。しかしそんなあれこれが、管理職を含む他科教員には「難しい事をやっている」と映るらしい。なにしろ同じ畑の書道教員からでさえ、「難しい事は教えるな」との注文が来たくらいである(しかも退職後十年を経て…「第5話」参照)。
 こうした領分では、実技そのものが相対的に希薄となっていく。それではマズイらしい。希薄になってはいけない事情が国語側にも書道側にもある。よって書道教育は結局どう転ぼうと「国語的であってはいけない」様に、どこからともなく予め仕向けられていく事になる。

 見方の基準を国語から芸術に移せば国語が淘汰され、芸術扱いして構わないものを国語と見なせば芸術が淘汰される。従って国語科書写側には芸術との接続因子を衰弱させる必要が生じ、また芸術科書道側では国語との接続因子をリセットするかの様な指導がなされたりもする。~後者についてはネット上、こんな記述(PDFファイル↓)が参考になった。筆者は岩手大学の玉澤友基教授。以下、「はじめに」から引用する。
http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/bitstream/10140/3048/1/arfe-v68p71-79.pdf
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> 高等学校においては,書道専門の教員が指導している場合が多く,小・中学校とは問題を異にするが,「書写で学習したことを忘れなさい」というような指導をされたり,かつては「概念崩し」という言い方で,書写の学習の否定とも取れる指導がなされている場面も見かけた。「書写能力向上」が「漢字仮名交じり書」の必修化と共に指導要領に盛り込まれたが,実用的な読み易い文字を書くことと,個性的で多様な芸術表現の文字を書くことは矛盾と対立を持つ二つの文字の学習が含まれていると言ってもよく,問題点が整理されないままである。学習指導要領改訂に向けての論議の中でも,「書写能力の向上」「小・中学校の国語科の書写からの一層の円滑な接続を図ること」が課題として挙げられている1)。
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 「書写で学習したことを忘れなさい」は聞いた事があるが、「概念崩し」なんて言い方があるとは知らなんだ(忘れてた?)。苹の場合は先日No.7876(「第3話」扱い)でこう書いた。「…あたしゃハタと気が付いた。そう云えば義務教育では書道と書写との区別がやかましい反面、それらの陰に国語や歴史知識が埋もれていたのを。先ず埋もれた基礎を除外して、書道と書写の違いを基礎化して、そこから事を始める。」
 そして、こう続けた。
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> 思いっきり単純化すると、書道が表現芸術であるのに対して、書写は字を整えて書く事である。読む事を含まないから国語ではないし、時系列的知識を含まないから歴史でもない。かてて加えて書道は書写でもない。すると必然的に、書道では国語でも歴史でも書写でもない領分としての範囲内で基礎指導する事が期待されてくる。私が基礎と思い込んでいる内容を総て排除した上で、新たに基礎を抽出(捏造?)する必要が出てくる。
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 国語ではないが国語らしく、歴史ではないが歴史らしく、書写ではないが書写らしくもある曖昧な領分で、つまるところ二律背反的な「三竦み」状態にある。三つの否定と三つの肯定は背反関係にありながらも否定側に落ち着くかの様に見える一方、そうした否定の中に潜在する自己矛盾を三つの肯定に向けて受け流す。…よく出来たシステムだと思う。総てが内側で堂々巡りするのだから、敢えて「外」に目を向ける必要がない。しかも外来要素を取り込む手法自体が「三竦み」の文脈に呪縛されるとなれば、脳科学だろうが何だろうが「怖いものなし」である。中心にある書道は常にシンプル。それ以外の要素は非接触のまま書道の外で勝手に呪縛し合えばよい。云わば書道は、強靱な縄目の縺れに保護された「台風の目」となって自ら君臨する事になる。
 国語や歴史などの「縄目」側から見れば、書道はいつも獄中にある。ただし囚人は必ずしも脱獄したがらない。それどころか今は、娑婆で生きていかれない老人が刑務所に安住の地を求め犯罪に手を染める時代である。学校の芸術監房に投獄されて以来、「書道は芸術ではない」とする倫理的(?)な人々をも或る意味「従えてきた」気がしてならない。もし書道が本気で芸術扱いされたなら、美術や音楽と肩を並べねばならなくなってしまうではないか。実際そんなレベルが求められていないからこそ、書教育では獄中の生存権(市民権?)が逆に保障されているのに。…中には牢獄に喩えるのを不適切と思う人も居るだろう。ならば生活保護にでも喩えてみようか。生活保護を受ける公務員が給料を貰うのだ。自立してはならないから生活保護を受けさせ、また事実上「自立するな」と命じた形の管理責任あるがゆえに公務員として飼育する。生活保護を止めても公務員の身分を剥奪しても、どのみち困るのは学校である。高校なら芸術科書道を廃止すれば済む(所詮は芸術科工芸と同じ選択科目なのだぁ)。しかし義務教育の国語となると、未履修問題での手口を繰り返すには更なる熟慮が必要となろう。
 「縄目」との接触を避けたがる何かが、学校のカリキュラムには予め潜在している。教科・科目は一種の縄張りと化すがゆえに、互いの領土を侵犯せぬ空気を尊重して初めて「無関心の調和」が成り立つのだ。ただし前提はあくまで「暗黙の諒解」すなわち常識の側にあり、その常識が仮に間違っていると皆が薄々勘付いていても、「調和を乱す事なく」是正するのは難しい。同じ「書写/書道」の内部ですら「概念崩し」による分岐へと向かいがちになるのは前掲の通りである。
 ここで一言、書道畑でない読者に念のため断って置く。
 「概念崩し」とは、学習指導要領などを破壊したり歪曲したりする事を指すのではない。むしろ話は逆で、書写と書道それぞれが学習指導要領上の教育概念に束縛される事を指している。すると真面目な教員は両者の違いを強調する余り、なるべく親切に分かりやすく教えようと二項対立的に扱い始める場合がある。その結果「白か黒か」「善か悪か」といった図式で理解(誤解)した生徒は書写と書道を別物と考え、教わった通りに両者の分断を「正しい」と思い込むだろう。やがて彼らの一部が長じて学校の先生になると、(初めに理解した通りのままなら)すぐさま誤解と分断の連鎖が始まる可能性が極めて高い。…或いは「誤解が先か、連鎖が先か」といった前後関係などをも含め、いっそう拡張的または集約的なイメージの下、これらを言表作用の「鎖列」(組み込み、アレンジメント、アジャンスマン)と呼んでみる手もありそうではある。
 以下の批判はガタリ『分裂分析的地図作成法』(紀伊国屋書店)P.67~68の記述。書写/書道や国語、歴史等々と絡めて読むのは些か論旨飛躍の度が過ぎるかも知れないが、示唆的である事に変わりはなかろう…と苹は今のところ思って居る。(哲学畑の側から見て、妥当性ありや、なきや。)
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> しかし彼らは、実際どこから、社会的個人を言語という事象に還元できるという考えや、さらに言語という事象を二項化可能すなわち《デジタル化可能》なシニフィアンの連鎖に還元できるという考えを引き出すのだろうか。この点に関して、ポストモダニストは何も新しいものをもたらさなかった。彼らは構造主義のきわめてモダニズム的な伝統の中心に位置しており、その構造主義の人文科学に対する影響力は、アングロサクソンのシステム論に最悪の状態で受け継がれていかざるをえなかったように思われる。これらのすべての理論のあいだの隠れたつながりは、それらの理論が――還元主義的な概念によって特徴づけられ、情報理論とサイバネティックスの初期の研究によって戦後すぐにもたらされたものとして――潜在していたことの結果であるように見える。それらの理論がコミュニケーションと情報の新しいテクノロジーから引き出し続けてきたさまざまな準拠は、あまりに未熟で使いものにならなかったので、それらに先行していた現象学的研究よりもはるか以前にまで、われわれを引き戻してしまった。
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 そうした状況にあればこそ、書道の実技指導方法は小竹教授のパロディそのままでも充分に通用した。もはや書字はデジタル化の時代にそぐわない。文明開化以降の各時代、それぞれの「現代」から過去を隔離する必要が増大しつつあった。その沸点が活字側で~今やワープロ/パソコンを経由する一方、なべて書字側の常識は氷点に到達する。
 書字側のシニフィアンがシニフィエから見放される事に不都合はない。理解する上では差し支えも差異もない活字、すなわち別のシニフィアン体制と二股を掛ける事が可能になったからである。そうした意味で、日本語におけるシニフィエは、それぞれのシニフィアンから相応の自由を得たらしい。選択的たらざるを得ない審判、過去を裁く自由に文字言語の表層像を委ねつつ、やがてシニフィアン自体が内なる過去/来歴を浄化し始めた。云うなれば「書字の歴史の粛清」である。かてて加えて現在のシニフィアンは、過去を喪失/隠蔽した上でのニヒルな行為的復元、例えばパフォーマンス書道(揮毫行為の集団的アレンジメント)と「その鑑賞」(?)をも俄に取り込みつつある。傍目には「読めない」方がいっそう書道らしく「割り切れる」のに、中途半端に読める事が何を隠蔽するか、或る意味そちらの方が恐ろしくもある。~読めた時点で思考停止し、書との同一性を読まずに済ませてしまう自分が居るのではないか。書表現を見た時点で思考停止し、言葉との違和感を払拭できずにいる自分にむしろ開き直っているのではないか。シニフィエを求めた途端にシニフィアンの罠へと填る「書表現なき書表現」が、ここでは自ら過去/来歴としての文学的「読み方」を黙殺し始める。書道が活字側のモダニズムとポストモダニズムに幽閉された形、と云ってもよかろう。
 モダニズムは活字媒体を通して、学問的・進歩的・理性的なイメージをさんざっぱら振りまいた。その文脈を反省的に継承(批判?)したのがポストモダンの領分らしいが、どちらも(おそらくは当然ながら)輸入前=過去の書字文化を用いて語られる事はない。そんな具合の乖離因子が百年よぼよぼ言葉に関与し続けると、今度は書道の方が「シニフィエを必要としないシニフィアン」の領分でも生き残れる事を文化防衛的に自己証明せずには居られなくなってくる。するとそれまで潜勢していた絵画的要素を誰もが字面~すなわち意識の表層へと引き戻し、通俗的には「読めなくても鑑賞できる」との誘い文句を恥じらう事なく正当化し始めた。芸術書道より実用書道・教育書道の方がなんとなく格下であるかの様に思えるのは、そんな呪縛が既に伝統と化している事を示唆するのかも知れない。
 明治の開国以来、影響は学校の授業で遍く露呈し、書道は徐々に芸術へと封じ込まれていった。~なお、ここで云う「芸術」は旧来のそれ(広義には占星術・農業・漁業などを含む)でなく、西洋から輸入された翻訳概念としての「美術」(旧称)を指す。(詳細は佐藤道信『〈日本美術〉誕生』(講談社選書メチエ)P.38を参照。)
 云うまでもなく、大学進学者の殆どは書道と無縁な分野に進む。それならそれで進路拡張性なき「書道のための書道」ではなく、日本文学や中国文学、言語学や芸術学、哲学などへの拡張を前提した書教育(識字教育)を取り戻せばよい。ところが学内では高校学習指導要領上の名目が「芸術科書道」であるせいか、狭義の「芸術」からの逸脱を許さない雰囲気が瀰漫している。本稿冒頭で「指導法を生かすための前提が最も深刻な形で不毛となっているからである」と書いたのには、そうした経緯が関与している点に留意されたい。
 嘗て書道は国語と一体であった。やがて国語教育そのものがモダニズムの温床となった。国語が書道を「きたるべき無縁死」へと追い込んだ。書道側も多分それを素直に受け容れたのだろう、「国語科書写とは違う」と教える様に仕向けられたのを逆手に取ろうとしたらしい。学習指導要領にある「国語との接続」だって何の事はない、平たく解釈すれば昔話を読み聞かせる様なもので、話が「おしまい」で閉じられた後に書道の授業が始まる。そこから先の世界に書道は生存の希望を見出した。書道モダニズムは「芸術」にひきこもる。国語モダニズムは新時代を迎える。両者は離婚したのに同居した。…離婚後に出来た子供は今や高校生、つまり思春期でござる。芸術くんが国語さんに手を出すと、芸術くんは非行少年の扱いとなるのかも知れない。
 非行少女と呼ばれて。(…ん?)
 国語さんは親子共々、モダニズム教団に属する信者である。「書道くんは分派した異端者なのよ! もう交際しちゃいけません!」と文科省高校の先生から指導されていたのに、桃色の二人は十数年前、苹の授業に唆されて愛し合ってしまった。昔々の愛の妙薬…それは死の毒薬ではなかった。国語さんは「トリスタン…」と囁き、書道くんは「イゾルデ…」と応える。~ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』(河出書房新社,1994)P.153には、こんな事が書いてあった。「二つの主体の叫びは、こうして、強度のさまざまな位階をのぼりつめ、窒息する意識の頂点にまで達する。ところが、船の方は、水の、死の、無意識の、裏切りの線、途切れることのないメロディーの線を追い続ける。」
 死を前提した生存。「過去を歪曲する義務」と共にある生存。だからこそ生き残れたのだとするならば、例えば「公教育に社中は必要か」とする問いにも相応の錯視が要求されねばなるまい。それが仮に隣の黒船、中国「本土」からの圧力に屈する必要をも証し立てる結果になるとしたら、将来の日本が中国の属国になるのは致し方あるまい…と思って構わないか否かは固より知らず。
 果たして十数年後となった今、爛れた関係を結んだ生徒達はまともなモダニズム路線もしくはポストモダニズム路線へと復帰できているのだろうか。擱筆にあたり自己批判しよう。苹は多分、教育規範上の犯罪者であったのだ。~ところで、ワーグナーの楽劇《トリスタンとイゾルデ》第三幕に曰く、
「船はまだ見えず。」

(了)
8【再掲】「俺妹」受難曲14 ( 苹@泥酔 )
2011/08/16 (Tue) 23:43:20
7920 俺の妹が書家になりたいわけがない(第9話) 苹@泥酔 2011/02/19 02:14

(承前)

 「第7話」では、こうも書いた(↓)。
「ところで、なぜ苹は臆面もなく「今更まともに「書道の」採試を実施されても困る」などと言い放てるのだろうか。これでは恥知らずと思われても仕方あるまい。」
 古典ばかりでは書が保たない。古典を宿した解釈システムとしての書流を媒介しないと、古典の見方、書き方ひとつ覚束ない。その書流を地域密着型の土壌で整流する役目を、県教育庁の教員採用担当者は担っている…とも云えよう。そしてそこには「××地域は××流がベースだ、余所者は入ってくるな」といった判断や危惧が潜んでいても実務上おかしくはなかろう。ところが教員採用試験は地域の伝統を破壊してしまう。喩えるなら外国人参政権ならぬ「余所者参育権」を前提に試験するのであるから、内側からの黒船は教育既得権を持つ側から見ればコリャ確かに厄介だ。
 こちらでは中学国語科書写の未履修が実感レベルで前々から当然視されていたし、何年か前は十和田市近辺での実態調査が毎日新聞で報道された(指導要領準拠の中学校は皆無だったそうな)。見方次第では、書写指導を代行する役割が土着の民間書塾に期待されているかの様でもある(八戸方面では「日本習字」系列の塾が好感されていた)。かてて加えて全国規模の未履修問題が発覚したところ、高校世界史と違い「国語の枠内にある」事がネックとなって、「文部科学省からは地方自治体に強く指導できましぇん」とのヘタレ状況が露呈。事ここに至っては、もはや上からの義務教育改善には期待できそうにない。ならば従来通り書教育の側が独自に、塾依存型の選択的「中高連携」方式を採り続けるしかあるまい。
 複数の高校書道教員が指導する某社中には、何人かの小中学校教員が所属していた。また別の社中は主宰が元教員で(中学?)、現職の市教育長が祝賀会に招かれたりもしていた。教員経験者が塾を束ねて初めて現実的な小中高連携効果が生まれるとしたら、唐突に正規の採用試験を実施してしまった場合、こうした仕組みに属さない書風の教員が地域を浸食し調和を乱してしまう可能性がある。そうなるのを阻止すべく(?)、予め教員採用の迂回ルートを常態化して置けば、どうやら法律上はコネ採用も無試験もクリアできる事になるらしい(現に、外部からも書道教員側からも殆ど問題視されていない模様)。…あたしゃ先年こう思ったものだ。「教員採用試験汚職で一騒動とは、大分県の教育界ってぇのも結構バカなんだな。賄賂はどうだか知らないが、初めから教員採用試験を実施さえしなければ、堂々と「仕方なくコネ採用」「同情するならカネをくれ」で押し通せたのに。」
 高校書道教員採用試験が実施されない理由を「書教育側の利点」から考察すれば、苹のオツムでは概ね上記の通りとなる。~もしかすると、あたしゃ少なからぬ先生方から叱られてしまうかも知れない。ただしそれが「余計な事を暴露するな」との意味合いでないのなら、拙稿が邪推である理由をハッキリ説明していただかないと、こちとら今のところ納得できそうにない。

 それらを踏まえての「実技なき書教育は可能か」である。
 実技指導を撤廃すれば、流派の影響は根絶できるだろう。しかし苹は流派を悪しき旧弊とは捉えていないし、それどころか基礎以前の基礎と深く結び付いた必要不可欠な指導領域とさえ思っている。昔の御家流がそうだった。その後は明治の国定手本時代となり、間もなく甲種と乙種に分岐した。甲種は長三洲や日高秩父の顔法だったが学びにくいため、巻菱湖の平易な書流が乙種になったと聞く。~因みに幕末期の市河米庵が顔眞卿の多宝塔碑ベース(谷中の本行寺にある市河寛齋の墓銘や、出版物では千字文など)で書いている所を見ると、初期国定手本は江戸の唐様二大勢力に範を採った事になるのかも知れない。やがて甲種は顔法を脱して鈴木翠軒などが書く様になるが、乙種は一貫して菱湖の影響下にあった。翠軒揮毫の教科書には孟法師碑の影響が指摘されている(伸びやかさの面では伊闕仏龕碑の方が近い?)。
 当時の文部省は古典そのものをではなく、初学に相応しい古典を総合的に咀嚼した書家に手本揮毫を委ねた。孟法師碑と寸松庵色紙を単純に組み合わせただけでは調和しないし、現在だって義務教育の平仮名に古筆の影が見える訳ではない。そうした所にも漢字と仮名それぞれ限界はある。~ただし例外的なのは戦後翠軒系の小学生向け手本。義務教育レベルで「基礎以前の基礎」の書風差が顕著になると、これはこれでややこしい。現に菱湖系の小学生だった苹は、翠軒系の同級生を見て驚いていた。差異は微細であるより顕著な方が却って分かりやすいし学びやすい。日下部鳴鶴の書風が学びやすいのも同じ理由による。執筆法と絡む諸々の差異は確かに顕著だが(廻腕法の流行、水筆の製法変化など)、鳴鶴流の基礎が予め若き日の菱湖流に根差していたからこそ、その上に浮かび層をなす水準での差異はすんなりと受け容れられた。むしろ北碑の影響は副次的であって、活字に喩えるなら明朝体とゴシック体ほどの違いしかない。それと似通った差異を針小棒大に捉える高校書教育の近視眼的「芸術性」に、苹は昔から欺瞞の臭いを感じてきた。
 古典に傾倒し過ぎると盲目になり、(既に学んである筈の?)基礎をはぐらかしても教育の目的・目標は損なわれない気がしてくる。そんな感覚を百年くらい維持すると、基礎どころか「基礎以前の基礎」を忘れても表層の表現には相変わらず古典的体裁が保たれているから、教育上の問題にはならないかの様に思えてくる。言い換えるなら、この手の累次的「盲目品質」指向が古典受容過程の差異を統合する上での仮想軸となってくる。もはや芸術的でない基礎は必要なくなった(=教材の精選)。それゆえ新時代の書表現を目指した第一世代にとっては旧来の基礎が既に身に付いている故か、「捨てるべき領分」の方が優先的(?)に「芸術上の問題」たり得た。…こうした話題は余りにも多過ぎて、どの本で誰が書いていたか一々思い出せない。総じて云えば、確かこんな意味だった筈。色々なものを学ぶ。すると表現する上では、学んだうちの余計なものが邪魔になる。どんどん不要なものを切り捨てて行ってこそ、最後に本当の表現が残るのだと。これはこれで、創作表現上の要諦にはなるのだろう。しかし「色々なものを学ぶ」教育段階にもそれが通用するとは限らない。にもかかわらず、書道教員の大半は広義の書家を兼ねている。
 多くの先生方は週一、二時間の限られたカリキュラムの中で、実用書道の中核部分(熨斗袋やポスターの書き方などの表層部分ではない)を捨てざるを得なかったのではなかろうか。書表現以前の中核部分を学べば字が読める様になるのは当たり前で、それを踏まえた上での表層学習が幕末や戦前との歴史的連続を担保した筈である(元々の読める範囲で書くのではなく、新たに読める様になった古典語的書記様式/歴史的範囲まで拡張して書く)。なにも十把一絡げに「指導していない」と決め付けるつもりはない。しかしながら、基礎陶冶が部活動でなく「授業で」達成されていたかとなると些か心許ない。現に~繰り返すが青森では、例えば横山泰久校長が十数年前「読めないものは教えるな」と英語畑の立場から(?)基礎指導放棄による文盲化を奨励していた様に、個々の教員が望まなくとも「職務上」歪曲教育せざるを得なくなるケースがある。
 ここでの歪曲教育扱いは結果論に過ぎない。授業担当教員自身、歪曲それ自体を意図している訳ではあるまい。教わる側が指導内容の欠如を他の領分からの連想で補う結果「歪曲された理解」に至るのであるから、誤解も歪曲も所詮は生徒側の自己責任…と云えなくもない。例えば音楽の先生が「兎追いし、かの山♪」と教えたところ、生徒の方では「ウサギの肉って美味しいの?」と思ったとする。音楽で国語を教える必要はあるのか。書道で国語を教える必要はあるのか。そんな発想で峻別すれば、国語的領分に仮構された畑違い(?)の歪曲責任など敢えて論じるには及ばぬまま、いとも簡単に仮構性自体が蒸発してしまうに違いない。

 ここらでそろそろ、真打ちの比田井天来に言及しよう。先ずはネットから拾ってみる。筆者は比田井和子氏。
http://www.shodo.co.jp/tenrai/tenrai/tenrai_a.html
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>今はあまり語られないが、比田井天来が一生の仕事として精力を傾けていた事業がある。それは「漢字整理」である。
>天来は大正十年から、古典の全臨集「学書筌蹄」を発行したが、このシリーズの特徴は、天来みずから碑帖解題、釈文、語注、字説を書いていることにある。臨書原本には、活字と異なった字形がひんぱんに登場するが、その変遷の過程を明らかにしようとしたのが「字説」である。書体にはその書体独自の歴史がある。一般に親しまれている活字は、実は篆書の字形を機械的に直訳して作ったもので、いたずらに複雑で書きにくい。歴史の中で、ふだん書かれてきた楷書体(筆写体)こそ書きやすい形であり、それを標準にすべきだと天来は考えていた。
>その上、活字はいたずらに数が増え、複雑になってしまった。そこで、現在ほとんど使われていない漢字や、ほかの字で代用できる漢字を整理し、複雑な漢字は唐時代の書きやすい楷書体に改めようとしたのが、天来の「漢字整理」であった。漢字こそが、東洋の文化を統一する基盤となる。中国、朝鮮半島、日本の人々の文化的精神性を一つとするのは漢字である。その漢字をすべての人にとって、書きやすく美しいものに統一しようとしたのであった。
>書学院に、「愚公帖」と名づけられた書類の束がいくつか残されている。王羲之や顔真卿、鄭道昭の拓本が一字ずつ切り離され、細長い紙に、字書の順に貼り付けられている。書の古典に見られる美しく書きやすい字形を集めて、漢字整理の資料にしようとしたのである。しかし、あまりに遠大なこの計画は、完成を見ずに終わった。
>昭和十三年十月、癌が再発した天来は、死期が近いことを予感したのだろう。息子、南谷にこう言った。「おれが書家になったのは一生の不覚だ。書道のことはおれでなくてもやれる人はいくらでもあるが、漢字整理の仕事はほかの者には決してできるものではない。」また、あるときは、南谷を枕もとに呼び、完成まで生きられるように、成田山へ行ってお札をもらってくるように言いつけたという。
>天来にとって、書は文人の遊びではなかった。それは、すべての人と共有すべき財産であり、すべての人を豊かにすべき文化であった。書道史の中で、長い年月をかけて美しく、そして書きやすく発展した漢字を、現代社会に役立てることこそが、みずからの使命であると、天来は感じていたのである。
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 寺子屋から書塾に至る教育システムの系譜を、苹は社中の在り方に見取っている。片や学校教育は明治になって新たに導入されたシステムであり、その特徴をベンサムやフーコーはパノプティコン(一望監視施設)から窺った。~しかるに社中が学校教育に寄生する場合、起源を異にするだろう両者は如何にして折り合いを付けるのか。この点について少しばかり、先日の「第8話」で触れた次第。
 天来は初期の展覧会世代に属する。日下部鳴鶴達が同好会(明治27年~)や談書会で文墨の交わりをする前から幕末風の書画会は盛んに行われていたが、西洋近代の展覧会形式が導入されて以降、サロン風の交流は徐々に形を変えて技術競争含みの場へと変貌を遂げて行った。そうした中で審査システム等々の紆余曲折(…内紛?)があり、やがて天来が大日本書道院の展覧会を開催するに際し、単独審査システムの導入に至る(昭和12年)。社中それぞれの内輪ならともかく、各家各派が一堂に会する場での単独審査は珍しい。古典研究に書画会を利用したのが鳴鶴なら、所謂「包含的離接」状の可能性や毒性を展覧会の場で剔り出したのが天来、と云えそうではある。(今も合同審査が普通である所を見ると、やはり単独審査には相応の問題があるらしい。)
 上記引用で気になるのは、「書道のことはおれでなくてもやれる人はいくらでもある」という部分。見方次第では古典に依拠した審査の普遍性を信頼していたかの様で、しかも古典評価の背景には(古典に依拠した表現以前に…と云ってよいか否かは保留するとしても)「漢字整理」への眼差しがあった。古典咀嚼の多様性なら、各家に任せて置けば黙っていても勝手に発展してくれる。しかし既に活字の毒が総身に回ってしまった識字層(国民)の近視眼的誤解となると、これを解きほぐすのは一種の「思い込み」が相手となる分だけ余計に難しい。そんなふうに見ていくと「学書筌蹄」は臨書集であって臨書集でなく、一つの臨書例ではあるが「臨書手本ではなくなる」。つまり一義的に書き方を学ぶのではなく、見方を学ぶために臨書例が具示される事になる。もちろん手本として学んでも一向に構わない。しかし例示の目的は必ずしもそこに帰結する訳ではない。
 同様の、突き放した客観性を意図して書かれた臨書集は数多あるだろう。それを手本と見るのは学習する側の勝手である一方、こうした帰依傾向を逆手に取って分類し直した一つが、或いは上条信山の提唱した意識的臨書区分なのかも知れない(写実的臨書・印象的臨書・表現的臨書)。ただ~苹が見た時のそれらは紛れもない「上条信山の臨書」であり、同じ事が天来の臨書にも云えた。専ら天来の臨書だけ見ていれば「師匠の同一性」は保たれ、外部との比較による差異化・多様化・複眼化が「学書対象の同一性」を内側から解体する事はない。ここでの同一性は至純の公器であって、その内側で任意の表現へと沈潜していく努力は常に至純の持続を生書と熟書の両方に担保するからである。
 ところが苹の場合は違った。高校入学前から雑音まみれな上、授業に際しては尚更マズイ事に、雑音を雑音と有り体に認識していた。そこに至純はない。~初めて雨声会書作展を見に行った時、雪景をくぐり抜けると水波紋の様な宮川翠雨の書線が鋭く映え、門人一丸となった「翠軒流」全体が至純の空気を醸し出していた。新年そのものが至純であったと云ってもよい(会場の青森市民美術展示館は善知鳥神社の真っ正面にある)。…なんでもかんでも手当たり次第に学ぶと、至純の淡雪は掌に触れた途端に消えてしまう。雪塊を鷲掴みにするのとはワケが違う。斯く云う苹は当初から、必ずしも感覚的ではない領分に於て「鷲掴み」派だった(芸術上の領分では「鈍感」とも云う…)。そこに予め自分の限界を感じていた。卒業式が間近に迫った二月頃、高校の書道室で「私は書家になれないと思う」と呟いたのを、多分かの恩師は覚えておられない筈。
 書塾と学校との懸隔は初手から矛盾に満ちている。部活動が書塾に近いのは納得できるとしても、授業の方はいかがなものか。私事ながら~今にして思えば、大学二年の秋から書き始めた卒論予定稿(未完、破棄)のタイトルが「書法の概念と人間の分裂」だったのも、根底には同一性批判が無自覚のまま横たわっていたのだろう。様々な古典を学ぶ授業が程度の差こそあれ結局は分裂的なのに比べて、部活動や書塾では師流との同一性に依拠した臨書や「創作」の指導がなされる。ともすれば過度の授業が部活動の邪魔になる可能性だって考えられぬではない。それも授業での実技偏重傾向や多様化傾向が強いほど、同一性への凝集力は妨げられていく。ならば天来が嘗て「漢字整理」に取り組んだごとく、授業でも実技を脱して可読性や異体字の問題を優先したらどうなるか。文字表現を実技の肉体性や行為性からいったん理念性へと囲い込み、No.7837「別の十年。」稿やNo.7613「場所の喪失(其二)」稿で試みた視点を含む「深層構造と表層構造の関係」として捉えたらどうなるか。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=7837&range=1
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=7613&range=1
 しかしながら、所詮こんなものは余計なお世話だろう。わざわざ畑違いの学問分野から見慣れぬジャルゴンを持ち込まなくとも、実用書体で書かれた字が包括的文字意識の下に読めるのは昔から当たり前だった(=基礎以前の基礎)。だから国語(習字)の枠を離れた後の書道で一々取り上げる必要がないのも当たり前だった。
 二つの「当たり前」のうち前者が破綻しても、後者に属する指導法の伝統を保守しさえすれば「書道らしさ」のイメージは変わらずに済む。~師匠が手本を書き、生徒は黙々と理屈抜きに練習する。しかも今はご丁寧に、手本も古典もあらかた教科書に載っている。後は昔ながらの指導法を繰り返せばよい(それが伝統だ!)。…そう云えば先日、腹を抱えて笑った言い回しが「書道美術新聞」951号(2010.12.15付)に載っていた。以下は小竹光夫教授の連載より。
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> 「僅か二つの回答を準備しておけば…」という発言で場を去った政治家もいたが、極論すれば、書写の教師は次の三語を語れれば授業実践できる。(当然、揶揄的な言い方であるから、くれぐれも信じたり、不愉快になったりされぬよう…)
> ①はいっ、教科書の*ページを開いて!
> ②よく観察してから練習!
> ③書けたら持ってくる!
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 …と引用した直後に苹は立ち尽くす。本稿では塾だの学校だの同一性だのと長々書いてきたが、なんの事はない。最もシンプルな解決策が実は、笑うに笑えぬ上記の指導法にあったのだと。

(「第10話」に続く)
8【再掲】「俺妹」受難曲13 ( 苹@泥酔 )
2011/08/16 (Tue) 23:39:27
7913 俺の妹が書家になりたいわけがない(第8話) 苹@泥酔 2011/02/05 22:30

(以下は「第7話」末尾に追記した箇所直前の、「皺寄せが総て実技の領分へと「のしかかる」からである」を承けて。)

 苹には常に、「実技指導への懐疑」が付き纏っていた。
 書教育から、流派の影響を可能な限り排除したらどうなるか。~これも当時取り組んでいた教材研究の一環である。先ず教科書に載っている古典を授業で扱う点は、どの高校でも同じだろう。しかしながら、先生の書風や社中には相応の違いがある。その影響を古典指導から遠ざけられないものか。つまり古典自体と古典指導を峻別するのである。
 ここで諸々の臨書手本が役に立った。同じ欧陽詢による楷書碑銘の臨書でも、松本芳翠と松田雪柯と柳田泰雲と上条信山と手島右卿と青山杉雨と小暮青風と(以下略)では皆「書きぶりが異なる」様に、「古典との懸隔を前提してこその臨書」という視点を抜きにしては古典そのものの位置があやふやになる。他方、そんな或る種の避け難き「開き直り」の中にこそ、書風分岐への可能性/沃野は開かれている。そしてそれを自己滅却する点に於てのみ、古典は自己を「無」へと誘う事が可能になるのだとしたら。古典との語らいを現場に立つ教員ただ一人に背負わせて何がどうなるのやら。もちろん一者が複数の書風で臨書し分けるのには限界がある。にもかかわらず教員の技倆に於て可能な限り実在の滅却を徹底しようとする場合、教員の質的自己限定という一種の「不在環境」を前提された生徒側にしてみれば、まともに学ぼうとすればするほど「独学へと逃れ出る」しか手がなくなってしまうではないか。教師と生徒の宿命的距離を露骨に反映する根源的契機が古典臨書に宿るとしたら、古典それ自体は入口と出口の双面で「危険な誘惑」をはたらきかける神となるだろう。そして「そうなるのを媒介する」のが、生徒にとっては最初の「古典」となる教師自身に他ならない訳だ。
 ここでの古典的存在は、学ぶ場面で予め微分的になるのと同時に、学ばれなくなる瞬間を得て初めて積分的に埋もれつつ歴史へと組み込まれる。その状態を指して、通常は古典と呼ぶだろう。つまり過去の「学び」からは切り離されている。古典そのものを学ぶのではなく、古典についての解釈を教養として学ぶのだから、もはや古典そのものは「学び」の中にない筈。しかも、そんな解釈へと至る「歴史の発掘」は再発見という「学び」を前提するがゆえに、これはこれで別の微分的宿命を免れない。そこに「学ぶ側としての古典」と「学ばれる側としての古典」の違いがある。自分の書いたものが「学ばれる」という恐ろしさを手本は常に指し示すが、その手本が古典臨書である場合はどうなるのやら。そこに何か恐るべき錯誤が潜んでいるのではないか。
 百年くらい前までの古典はどうだったか。今ほど厚かましくは、書道界を跋扈していなかった筈である。古典を指し示す恐ろしさの前に、先ずそれを密かに噛み締める師匠が居ただろう。初めから軽々に古典を与える事などしなかった。自分の書いた手本を与えた。なればこそ、師匠が弟子を呪縛するという弊害もあった。その所為でもあるのだろうか、「古典があれば師匠は要らない」と思いたくなる瞬間が私にも昔から間々あるし、その度ごとに師匠の影は背後霊の様に付き纏う。「師匠が私を捨てたのではない。たぶん私が師匠を捨てたのだ。」…こんな感覚を傲慢と思う刹那、今度は古典の魔の手が伸びる。捨てた筈の師匠が既に自分にとっての古典となっている事を度外視したまま、いっそうの高みを目指して巷間に流布されてある古典にばかり目を向けていると、「師匠という基礎」を喪失した古典がやがて師匠と私の一方または両方を呪い始める。
 これを仮に、近代学校教育共々「芸術科書道の起源」に見立てると、お次はどうなるか。

 教師を最も身近でリアルな古典と見る「ヴァーチャルな姿勢」なくして、アクチュアルな歴史的感性は陶冶できまい。そんな環境を図らずも書の内外で過剰に体感してしまったのが明治時代の知識人。ここでは日本、支那、西洋それぞれの古典が恰も「書の様に」学ばれるべくして迫り来るのだから、時代に翻弄される夏目漱石達の心情たるや、たまったものではなかったろう。尤も、文学が書の内側から静謐に崩壊していく体験は次の世代へとジワジワ受け継がれていったのだろうが、そうした在り方を当時の新世代書表現(碧梧桐、蒼海、八一など)に看取るのは、ともすれば深読みの度が過ぎる事になるのかも知れない。~いづれにせよ、我々現代人の依拠する教育的系譜については今更、敢えて論じ直すまでもなかった。拙自身その手の論説を読んだ事がなかったせいか、そう思い込む事で「考えるのではなく、先ず謙虚に学ぶ」という伝統(?)に準拠しようと努力してきたからである(見方次第では単なる自己洗脳w)。
 過去の教育から古典を掬い上げ、古典から教育を再生し、結果「二重に過去を喪失する」。…こうした仕組みを苹なりに言い換えた一側面が「基礎指導放棄の義務」には内在する。既に古典は金科玉条と化しているのだから、支那や日本のそれらを「錦の御旗」であるかの様に扱う風潮には逆らえないし、また余計な事を考えてもいけない。近来百年の間に硬直した古典信仰が思考停止を常態化し、ついでにじわじわと過去の教育を形骸化しつつ、果ては古典を心像上の墓場か博物館へと送り込むのである。
 そんな教育、津々浦々の高校書道教員に心当たりはないだろうか。古典を崇め奉り過ぎていないか。自分にも書ける筈の、極端に基礎的な手本(時代によって変化するが、差し当たり戦前の例では『尋常小學書キ方手本』レベルか、もう少し上までの範囲)の示範を、それが義務教育の領分に隔離されているのを口実に、自ら放棄してはいないだろうか。古典や書道そのものに、なにものかの責任転嫁を強いてはいないか。謙虚だの審美だのといったモラルに託けて、生活に潜む伝統の痕跡を忘れるための建前としていないか。~斯く云う苹は身に覚えがある。碌に「生活の書」の指導をしてこなかった。総ての生徒が昔風の平仮名を読める様に指導法を工夫するだけで精一杯だった。その先に「生活の書」がある。熨斗袋や手紙文が初歩の「生活的」実用書道だと思ったら大間違いで、あれほど難しいものはないのかも知れない。なぜならそこには、既に「過去との訣別」が盛り込まれてあるのだから。「鬼っ子」となった実用書は毛筆から硬筆を経てワープロに遁走し、古典は実用書から芸術書作品へと憑依場所を乗り換えた。今や抜け殻となった実用書に、実技含みの半「歴史教育」を試みるとあらば、どう考えたところで「俺の鬼子が難しくないわけがない」。にもかかわらず正直なところ、実用書は平凡であればあるほど易しい。「易しい」事と「難しくない」事は、内実に於ても同一だろうか。平易と安易とではニュアンスも指示内容も異なる様に、そこにはやはり相応の「微分」があるのではないか。
 なにも殊更に難しく考えようとしているつもりはない。…小学から書塾に通っていた。中学からは独学を始めた。高校入学三月前の新年試筆(半切を横にして王献之「地黄湯帖」を中字で全臨)を捌き、最初の授業で吸い取り紙に使っていたところ、件の恩師がヒョイと取り上げ「お前が書いたのか?」と一言。その頃の記憶に遡っている(念のため説明。吸い取り紙は半紙清書に名前を書く時、手が汚れぬ様に大筆で書いた字の上に敷くのよね)。初唐三大家の楷書授業に入る前、私は何を学んできたのか。古典が基礎だと云うならそれでもよい。しかし私にとって、古典は断じて基礎なんかではない。基礎以前の基礎がある。また恩師が「古典」だったのは、恩師が古典を臨書していたからである。恩師は古典への窓だった。そこに独学との差異がある。古典は予め、二つの顔貌を持っていた(うち一つは学習指導要領上、基礎とならざるを得ない様に仕組まれていた)。
 進学塾や予備校に通う多くの学生が知る様に、今や「学び」を塾のみならず学校でも繰り返す構造が既にある(本末転倒?)。しかしながら塾、学校、独学などに付帯するリファレンス(指示対象)としての古典が媒介者(司祭や教師など)の役割を透明にしていく過程では、教える側にとっての古典もまた授業の前では希薄とならざるを得ない筈。そこでは古典「抜き」の教育、言い換えるなら「授業という名の主張」がそれぞれに独立もしくは差異化を唆し、やがて古典そのものが「創作」の名の下で形骸化へ向かうための道標となっていくだろう。古典を隠れ蓑にすれば、流儀準拠型の臨書指導が可能となっていく様に。確かに生徒は古典の図版を教科書で「見る」のだが、それが任意の流派へと収斂していくのであれば所詮、古典は単なる学習スローガンに過ぎなくなるではないか。これは「古典から基礎へ」の流れであって、「基礎から古典へ」の流れではない。つまり古典は流派の「外側」にあるのではなく、むしろ流派の「内側」を根拠づけるために存在する結果となる。
 所与の基礎、すなわち生徒にとって最初の「古典」となる諸々の基礎から見て、通常の意味で云うところの古典は元来、最も根源的な違和感を象る筈ではなかったか。古典は近寄り難き「特別の流派」としての過去に属する以上、それまで学んできたものとは違う、もっと幅の広い怪物として立ちはだかる存在ではなかったか。にもかかわらず古典を基礎であるかの様に教えるのは、それこそが歪曲教育の極みではないのか。高校で古典を教える前に、義務教育でどれだけ基礎を身に付けてきたのかを、予め審定すべきではなかったか。碌な基礎もないまま古典を学んでどうなる。初唐三大家の楷書を学び始めたばかりの生徒が懐素の自叙帖を練習する様なものだろう。そこに草書の基礎はない。基礎がないという事は規範がない。草書の字形が他の書体とどんなふうに関連するかを視覚的かつ感覚論理的に翻訳できぬまま模倣したところで、まともな応用が可能になるとは思えない。
 煎じ詰めれば、「実技の領分へとのしかかる」皺寄せ自体が基礎の空白域を直撃する。基礎をめぐる学習の、手本(古典を含む)と人間との連関。そこに体験上の空白域がある。嘗ての領分を義務教育で埋め立てるかの様でありながら、当の義務教育自体が基礎の形骸化を促進するシステムとなって体験の欠如を支えている。一方で塾を否定したかと思えば、一方では未履修問題が露見した時の様に困惑してみせ、表向きの体裁が片付いた後は概ね元の木阿弥となる。
 この手の空白域は通常、極めて見えにくい体裁で学校教育にも民間私塾にも取り込まれてあるし、そこには断絶とおぼしき要素も絡む。或る私塾、或る学校で学び続けると気付かないのが当たり前となる要素が「先生の同一性」である。同一だからこそ断絶が可能になる。~以下、その辺に触れて置く。

 或る高校で人事異動があり、他校から書道の先生が転勤してきたとする。
 地域毎のローテーションには時折、書風の同一性が概ね保たれている事がある。例えば青森方面では鈴木翠軒系、弘前方面では比田井天来(桑原翠邦)系、八戸方面では木村知石系の影響がある様に。隣県では木村知石系と広津雲仙系の影響が強く、他には石橋犀水系などもあった。地域毎に土着の書風があるのは全国どこでも普通である。取り立てて、どうと云う事はない。
 さて。~書道の先生が転勤してきた。書道部では様々な競書雑誌で学ぶケースが少なくない。青森なら『北雲』、弘前なら『北門書道』、八戸なら差し詰め『書人』といった所か。そこで一つ出題をば。それまで『北雲』を使って教えてきた先生が転勤先で『北門書道』を使う場合、この学校の書道部では何が起きるだろうか。雑誌にはそれぞれ手本の図版が載っているから練習に支障はない。問題は具体的な指導の場面で顕在化する。新しい先生に添削できるだろうか。そもそも使う筆が違う。…何十年か前、『北雲』地域の文具店に行っみた。すると玉川堂の筆が並んでいた。剛毛の面相筆が多かった。同じ頃、『北門』地域の文具店にも行ってみた。すると文宝堂の様々な筆が並んでいた。羊毫が多かった。実際に指導する場面では一々筆を指定しないが、それなりのレベルで清書するとなると筆の違いは大きい。普通の月例手本を真似るのではなく、古典臨書手本を真似る場合は些か事が面倒だ。翠軒系と天来系とでは、筆遣いの違いが明瞭になり過ぎる。生徒にしてみれば、「同じ古典を臨書しているのに、どうして指導される中身がこんなに違うの?」となるのが自然だろう。
 書塾の場合、こうした問題は起こらない。先生が同一だからである。ゆえに会派毎の断絶も見えない。そこでは他の会派の書きぶりを知らずに済む。出来上がった作品を高総文などの機会に鑑賞するのと実際に他の書流で書いてみるのとでは、「学び」のインパクト自体が根本的に異なる。有り体に云えば、社中それぞれに「古典の独占」が常態化しているのである。それを隠蔽する事により「古典としての同一性」が保たれると見るならば、学習プロセスに組み込まれた洗脳効果はやがて学習対象の独占/分裂を所謂「包含的離接」の状態へと至らしめ、これまで本稿で述べてきた構造そのものを別の場所で組織し始めるだろう。
 …註釈する。以下は宇野邦一『ドゥルーズ 流動の哲学』(講談社選書メチエ)P.149の説明。
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> ここで「包含的離接」と呼ばれているのは、ドゥルーズが他の書物でも繰り返している奇妙な論理のことである。「離接的概念」は「選言的概念」ともよばれ、概念の外延が重なることなく、全く分離していること、AかBか、生か死か、男か女か、表か裏か、といった、ふつう相いれないとみなされる概念の組み合わせをいう。それゆえ「離接」は、必然的に排他的であるしかないのだが、ドゥルーズ=ガタリは、分裂症者にとっては、「生者あるいは死者であり、同時に両者なのではない」というような状況または論理が成立していることに注目している。
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 そこに「古典」の影がある。A流かB流か、といった概念の行方が古典の名の下に統合されているにもかかわらず、同時に「流派それぞれ」の両者ではない。~論より証拠。多分そうとは意識していないのだろうけれども、一部の社中には独自に流派始祖の臨書手本を自家出版する例が見受けられる。社中内での配布だから外部には漏れない。つまり自社大御所の遺作(?)を内輪で独占する形が、対外的には一種の秘儀と化すのである。他の流派がこれを学びたいと思っても容易には手に入らない。すると鑑賞と学書機会の独占状態が公教育の書道を揺さぶる。学書の窓口としての古典は解釈者たる師匠を予め失った形で切断され、消化不良状態となったところに一人の解釈者が華々しく(?)登場、日々粛々と教壇に立つのである。
 「第5話」で少しだけ雨声会書作展に触れた。~二十年ほど前、ふらりと会場に寄ってみた。当時、遠藤先生は青森高校の書道教諭であった。そこに同僚らしき人が来て、こんな会話をしていた。
観客「書家だか先生だか分からんな。」
遠藤「先生だよ。」
 あの時、観客は何故そう思ったのだろうか。意地悪く見れば、今も昔も公教育は社中の寄生場所となっている。なにも日教組ばかりが寄生しているのではない。また作品制作は表現であるが、表現が必ずしも教育の範疇に留まるとは限らない。その事を指して観客は行方としての在り方~すなわち「書家」と対比したのかも知れないが、そればかりではない実態を踏まえると「教員の教員たる所以」が如何なる状況下にあるか、苹は思い出す度たじろぐのである。此処を御覧の方々は、気が向いたら存じ寄りの国語の先生に訊ねてみるがよい。「先生は今、どんな文学作品を書いているの?」と。
 文学作品を発表せずとも国語の指導はできるのに、書道の作品を発表しない書家は書道教員と見なされないケースが往々にしてあり得る。果たして国語教員は怠けているのだろうか?…この違和感、お分かりいただけるだろうか。演奏しない音楽学者は音楽家でないかも知れない。音楽評論家が必ずしも音楽家ではない様に。その前提が「鑑賞」する側にある。ならば書道~ひいては書教育に今、どれほどの「鑑賞」が保たれているのやら。
 先般「第6話」で書いた事を繰り返そう(↓)。
「先日NHK繋がりでNo.7861を書いた後、話はNo.7870へと脱線していった。…中には薄々勘付いている人も居るだろう。そこには「実技なき書教育は可能か」という視点が含まれている事を。」

(「第9話」に続く)
8【再掲】「俺妹」受難曲12 ( 苹@泥酔 )
2011/08/16 (Tue) 23:35:33
7908 俺の妹が書家になりたいわけがない(第7話) 苹@泥酔 2011/01/23 15:28

 …うーん、へたこいた。何を血迷ったか投稿直前の推敲で、前稿冒頭に「毎週」の一語を挿れてしもた。この場合「再放送が始まるそうな」の間に「木曜午後二時から」を挿れるか、もしくは「再放送があるそうな」とすればよかった。
 以下、「実技なき書教育は可能か」云々の続きを。

 補足する。~なぜ実技「抜き」の授業を仮構する気になったか。それはネ、実技…と云うより正規の教員採用試験自体が免除されてあるからだよ。(かてて加えて前稿に書いた通り、あたしゃ県内教育界の慣行や方針を頭から否定的に見るのではなく、より深く真っ正面から考察したいのだぁ。)
 今更まともに「書道の」採試を実施されても困る。現に苹は嘗て校長から直接「書道の教員採用試験は実施されない事になっている」と言い渡されたし、当時それなりに適応しようと努力した記憶がある(ただし空振りに終わったみたいだけど…汗)。退職後は県教育庁に問い合わせて裏を取った事もある。その時の返信メール本文全文がコレ(↓)。旧パソコンの受信履歴では日付が「2001/10/26 17:47:21」で、文末の署名には「青森県教育庁県立学校課 課長」との肩書きがある。
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> 教員採用試験に関する知事への提案について、回答します。
> 本県の教員採用試験では、昭和54年度に書道を実施して以来、書道の試験を行っておりませんが、それは次の理由からです。
> 教員の人数は、学校の規模等で決まってきますが、その限られた人数を教科ごとの開設時間数等を見ながら配置していくため、教科によっては、専任の教員を置かずに兼任させたり、非常勤の教員で対応する場合があります。
> 書道については、平成13年度において開設している全日制高校は、分校を含めて70校中51校あります。このうち、非常勤の教員で対応している学校が19校、専任の教員で担当している学校が19校、他の教科との掛持ちで対応している学校が13校という状況です。なお、これらの場合、ほとんどが書道免許所持者であり、免許教科外担任等で対応している学校は1校のみです。
> 教員採用試験で試験を実施する科目については、退職等により不足になる教科科目、各学校の教育課程編成による需用見込みを勘案して決定しておりますが、書道については、書道専門の教諭がいない場合でも、他の書道免許所持者が担当しており、学校として不具合がないことから、書道専門の教員を採用して欲しいとの要望はほとんどありません。そのようなことから、書道の試験についても昭和55年度以降実施していないものです。
> しかしながら、本県全体を見た場合、書道担当教員の高齢化が進んでいるため本県の書道教育の次代を担う人材が不足していることは否定できません。
> また、学校完全週5日制の実施、新学習指導要領への移行により全体的に授業時数が減少することから、教員配置のあり方(例えば教科によっては複数校を兼務することの可能性など)を含め、教員採用試験における実施科目を今後さらに検討していくこととしております。
> 最後に、返事が遅くなってしまいましたことについてお詫び申し上げます。今後ともよろしくお願いします。
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 その後、試験があったのは2002年の夏だけだから、実態としては「正規の教員採用試験自体が特例措置」って扱いになるのだろう。…問い合わせがあれば特例措置を検討するのだろうか。そうではあるまい。ただし木村県政から三村県政に移った2003年頃、ネット上の「知事への提案」窓口は閉鎖されたと記憶する。
 ここで興味深いのは、「免許教科外担任等で対応」する事が可能な点や、「書道専門の教員を採用して欲しいとの要望はほとんどありません」との記述から読み取れる状況~すなわち「教員が不足しても要望がない場合は試験を実施する必要がない」と考えているらしき点。しかも前提には「学校として不具合がない」との判断がある。これらを前稿の朝日記事と照合すれば、私が「教員不足の演出は如何様にでも可能」と判断する根拠がお解りいただけるだろう。
 ところで、なぜ苹は臆面もなく「今更まともに「書道の」採試を実施されても困る」などと言い放てるのだろうか。これでは恥知らずと思われても仕方あるまい。

 …先日、こんな記事があった(↓)。
http://www.daily-tohoku.co.jp/news/2011/01/18/new1101180903.htm
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>「生活態度悪い生徒は」中学校で試験問題出題(2011/01/18)
> 青森市教育委員会は17日、市立三内中学校で昨年、生活態度の悪い生徒の個人名を生徒に答えさせるなど、不適切な試験問題を出題していたと発表した。市教委は生徒、保護者らに陳謝するとともに、再発防止のため、18日に臨時の市立小・中学校長会議を開き、再発防止への指導を徹底するとしている。
> 市教委によると、不適切な問題は昨年11月から12月にかけて実施した2学年の2学期末試験の保健体育で出題。授業の準備ができていない生徒1人の名前を答えさせるなど、2題で生徒の個人名を挙げさせたという。
> 問題は学年主任の女性教諭(48)が作成。生徒名を挙げさせたことについて「生徒の態度を改めさせるため」としたものの、不適切だったとして2学年の生徒に謝罪したという。
> 市教委の月永良彦教育長は「誠に遺憾であり、名前が挙げられた生徒、そして全ての生徒の心を傷つけてしまったことに心からおわび申し上げる」と陳謝。再発防止のため指導を徹底するとしている。
> 市教委は近く県教委に報告する方針で、女性教諭の処分については県教委が検討する。
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 詳細は地元紙「東奥日報」の紙面で読んだが、めんどくさいので一々打鍵転載はしない。
 …それにしても、高校の芸術と違って中学の保健体育に定期考査があるのは一見「羨ましい」話である。そもそも苹が定期考査を実施できたのは、「専門家を育てる訳ではない」発言をした件の音楽教諭(教科主任)が「定期考査をやらないか」と発案してくれたから。これには大いに感謝している。ハッキリ実名を挙げて褒め称えたいくらいだが、たぶん今も現職なので迷惑がかかると困るだろう。~因みに「代わりはいくらでも居る」発言の大瀬先生は高校教育現場から県教育庁生涯学習課を経て知事部局へと移った(=教育現場を離れた)ので実名を挙げた。今後もし現場に戻る事があるとしたら、次は管理職としてであろう(苹は管理職を実名表記する事にしている)。また、彼らの発言に疚しい所がある訳でもあるまい。苹は彼らの考え方を尊重しているので、今後もチクチク支援する予定である事を、重ねて此処に表明する(だから「苹@反日実験人格」ってキャラも「あり」なのw)。
 「難しい事」を教えてはならず、定期考査も実施してはならない授業など、苹には全く興味がない。~在職当時、苹の趣味は教材研究だった。考査による実証研究を禁じられたら「飼い殺し」になるのは必定である。にもかかわらず定期考査を実施したらどうなるか。考査の中身を形骸化せざるを得なくなるではないか。定期考査が不要な筈の科目を担当する教員は事実上「生徒に勉強させてはいけない」。それが成り行き上、もし必要に迫られて「勉強らしくない」出題を工夫せざるを得ない羽目に陥るのだとしたら。
 どのみち見方次第ではあろうが、この女性教諭を必要以上に責めるのは少しばかり酷ではないのか。成績の底上げに無意味な出題を利用せざるを得なくなる傾向は、保健体育も芸術もさほど違いはあるまい。
 だからこそ、難しい。「難しい事」を教えて初めて定期考査が成り立つ筈なのに、何を試験したらよいのか戸惑う身にもなってみろ。…ここで苹はハタと気付く。「難しい事をやるな」と「定期考査をやるな」は、連動して初めて成り立つ「教員救済策」だったのだと。さすが恩師、苹への不気味な温情がある(?)。定期考査をやらなければ、難しい事を教えずに済むのみならず、無理な出題を工夫する心労からも解放されるのである。しかしそれでも別の疑念は残る。ここから先は、皺寄せが総て実技の領分へと「のしかかる」からである。

(追記)
 …と書いた数日後にABA(青森朝日放送)のニュースをネットで見たところ、どうやら不適切出題の比率自体は微々たるものだったらしい。この動画は暫くの間、まだ閲覧可能な状態にある。もうじき消える筈なので、興味のある人は速やかに閲覧していただきたい。(苹は動画の保存方法を知らないのである。)
http://www.aba-net.com/news/index.html
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>弘大教授が不適切出題を分析
>2011/01/21(金) 18:16
>三内中の問題用紙を弘前大学教育学部教授で保健体育科教育法が専門の清水紀人教授に見ていただきました。==詳細は動画をご覧ください==今回の試験内容について清水教授は評価の観点やバレーボールと器械運動の実技を問う45問と、ボーナス問題の5問で構成されていると分析。ボーナス問題のほとんどが保健体育の問題として不適切と指摘しました。
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(「第8話」に続く)
8【再掲】「俺妹」受難曲11 ( 苹@泥酔 )
2011/08/16 (Tue) 23:32:42
7899 俺の妹が書家になりたいわけがない(第6話) 苹@泥酔 2011/01/13 02:28

 BS-hiで毎週、ドラマ「とめはねっ!」の再放送が始まるそうな(2011.1.13~)。

 先日NHK繋がりでNo.7861を書いた後、話はNo.7870へと脱線していった。…中には薄々勘付いている人も居るだろう。そこには「実技なき書教育は可能か」という視点が含まれている事を。
 音楽教育には実技が入る。先夜偶々NHKのテレビを見たら、「スコラ 坂本龍一 音楽の学校」を纏めて再放送していた。書道の授業もこのレベルでありたいが、現実の学校ではなかなか授業させてくれないらしい。後に弘前高校で音楽を教えた先生は昔、苹の授業について「専門家を育てる訳ではない」と云っていた。とどのつまりは画餅である。実際、あの番組に出演した中高生達は楽器を上手に弾いていた。授業参加者のレベルに合わせて授業のレベルを下げるとなると、結局は底辺層に合わせねばならなくなるのだろう。~因みに当方、巷間の学力低下論争で芸術科目の話題を聞いた事がない。仮にこれを能力別クラス編成に見立てるなら、現実には選抜クラスが部活動に相当するから「授業を形骸化したところで問題はない」とも云えそうではある。
 嘗て高校書道の授業で所謂「難しい事」を教えてみたところ、興味深い事例があった。その生徒は有り体に云って実技ヘタクソ、いつも最低レベルだった。その代わり「難しい事」の定期考査ではいつもトップレベル(他教科でも成績優秀だったらしい)。だから書道の総合成績は常に中間層を維持していた。もしあの授業と定期考査をやらなかったなら、生徒の知的理解力を客観的に評価する機会は予め葬られていた事になる(さもなくば絶対評価の根拠が薄弱となってしまう)。…あたしゃNo.7870で引用した片山杜秀の文章を読んだ時、この生徒を真っ先に思い出した。
 生徒が書家になる訳でもないのに、授業で実技を優先する必要はあるのだろうか。むしろ逆ではないのか。実技は部活動でやればよいのではないか。にもかかわらず授業が実技に呪縛されるとすれば、授業の正体とは何なのだろうか。~この事は芸術科目に限った話ではない。例えばもし授業が受験に呪縛されているかの様に見えるならば、いっそ県立高校を県立予備校に改組した方が効率的ではないかと思えてきたりする(No.7081参照↓)。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=7081&range=1
 「難しい事を教えず」「定期考査をやらない」条件下で、教員が生徒の学力をしかと見定めるのは難しい。また、教えたり試験したりする必要がないのなら、正規の教員を採用する必要もない。すると逆説的に、実技の練習で「授業時間をつぶす」必要が出てくる。
 先日のテレビ番組で、理科の先生が面白い実験をして見せていた。どうしてそうなるのか、平易な説明もしてくれた。生徒達(大人のタレント達)は「授業」に集中していた。これが「世界一受けたい授業」だと云うなら或る意味それもよかろう。総ては教えっ放しである。試験もなんにもない(ゲゲゲのゲ!)。彼ら「生徒」は専門家になる訳ではないのだから、実技や実験は「見るだけでよい」のかも知れない。しかしこれでは授業時間が保たない。すぐに飽きてしまうだろう。そこで練習させるのだとしたら、練習の目的は忽ち「ただの時間潰し」を抱えてしまう。それは教員側の目的であって、必ずしも生徒側の目的ではない。(にもかかわらず教員と生徒が同じ目的を共有するとしたら、この「理想的な状態」は学校を別の目的に向けて変質させずには置かないだろう。)
 上手い生徒と下手な生徒の格差を縮小するには三つの方向がある。一つは上手い生徒が必要以上に上手くならぬ様に学習を阻む事。一つは下手な生徒が上手くなる様に仕向ける事。そしてもう一つは、生徒の学習実態がどうであれ、予め教員側で成績改竄マニュアルを構築し適用する事。私が在職していた時、学校は事実上この三つを苹に求めていた。~前稿末尾で「ならば私は、何を教えればよかったのだろうか。何を期待されたのだろうか」と書いた。期待された中身を分かっていないのではなく、咀嚼が足りないと云ったのだ。私は咀嚼した果てに納得せざるを得なくなるのが怖い。
 もう何年も前から苹は書いておる。教員の義務は、歪曲教育の義務と、基礎指導放棄の義務と、成績改竄の義務であると。…御覧の通り、多分まだ咀嚼が足りない。

 以下、参考までに朝日記事を二つ転載する。
http://www.asahi.com/national/update/0109/TKY201101090326.html
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>先生不在で自習 時間割り組み直し…混乱する教育現場(1/2ページ)2011年1月10日3時0分
>. 教員が産休・育休や介護のために休んだとき、代わりとなる教員が間に合わないケースが多発している。各地では、手当ての付かないコマを自習にするなど現場に混乱が起きている。
> 広島県呉市のある中学校は2010年5月、1年生の中間試験で理科のテストができなかった。
> 理科の教員が4月末から病気休暇に入ったが、代わりの教員が間に合わず、穴が埋まったのは6月だった。その間、空いた時間は自習や他の教科の授業をしてしのいだものの、肝心の理科の授業はできなかった。「学力向上といいながら教師がおらず、授業ができないとは信じがたい」と保護者の一人は話す。
> 中学校では教科ごとに専門の教師が教えるので、代役になれるのは同じ教科の免許を持つ教員だけだ。「特に理数、技術などは免許保有者が少なく、探すのが難しい」と呉市教委は話す。
> 代役が間に合わずに穴が開く状況が最も深刻な大阪府。
> 府南部の中学校で09年の夏休み、校長室に2年の男子生徒が相次いで入ってきた。「新しい数学の先生、まだですか」「マジ、先生、入りませんか。少人数授業でせっかくわかるようになったのに」。欠員を何とかしてほしいという訴えだった。
> この学校は1、2年生の数学で二つのクラスを三つに分けて少人数にし、習熟度別指導をしていた。ところが担当の非正規教員が体調を崩して8月末に退職。少人数指導の態勢が組めなくなっていた。
> 10月にやっと代役の20代の教員が来たが、「理想と現実が違っていた」と1週間足らずでやめ、その後任は結局来ずじまいだった。
> 大阪府東部の小学校。08年度、4、6年生のクラスを担任するベテラン教員や5年の学級担任の若手教員の計3人が、学級崩壊や女子児童グループとの関係などに悩み、次々と精神疾患や胃潰瘍(いかいよう)で病気休暇に入った。2人目までは1~2カ月で代わりが来たが、3人目が09年2月に倒れた時はもう来なかった。いずれも少人数や生徒指導担当の教員が臨時のクラス担任に入ってしのいだという。
>. 東海地方の市立小学校では08年秋、6年の学級担任がうつで休んだ。時間割りを大きく組み直し、担任を持っていなかった生徒指導主任が臨時で担任に入ったが、代役は来ず、3月までそのままだった。卒業式の日。主任は「先生、『ワンポイント・リリーフだ』と言っていたのに、9回まで登板だったね。ありがとう」と子どもにねぎらわれたという。
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http://www.asahi.com/national/update/0109/TKY201101090325.html
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>先生休むと代わりがいない 不足、昨年度は800件以上(1/2ページ)2011年1月10日3時0分
> 教員が産休・育休や病気・介護休暇に入った際、代わりの教員が間に合わないケースが、各地の公立小中学校に広がっている。朝日新聞が全都道府県・指定市の教育委員会に取材したところ、昨年度、全国で約800件に上っていたことがわかった。
> 調査したのは、2009年度に(1)教員が産休、育休に入った際、その当日に代わりの教員が着任できなかった件数と、(2)病気や介護休暇で欠員が出ても代わりの教員が1カ月以上来なかった件数。
> その結果、大阪府を除くと(1)は304件、(2)は486件に上った。
> 大阪府は1年間の合計件数ではなく、毎月1日現在ごとの件数を合算した形で回答した。産育休の代替が間に合わなかったのはのべ66件、病気・介護休暇で代わりが来なかったのはのべ258件。
> 大阪府以外で多かったのは、産育休が北海道29件、横浜市28件、栃木県22件。病気・介護休暇は静岡県78件、大阪市が49件、兵庫県が38件、福岡県が35件、栃木県が30件だった。
> こうした数字は文部科学省も把握しておらず、実数が明らかになったのは初めて。
> 代替の教員は教員免許を持つ人の中から選ばれる。人数の多い50代の教師が退職期を迎える中で、各教委が新採用を増やしたり、少人数教育などのため非正規教員を多く雇ったりした結果、代わりの教員に充てられる「予備軍」の層が薄くなっているのではないか、と文科省はみる。大阪府も「03年度以降、小中学校の新規採用が千人超と拡大したのが最大の理由とみている」と話す。
> 一方で国立大学の教員養成課程は長く入学定員が抑制されていたため、養成が採用の急増に間に合っておらず、需給のバランスが崩れているとみられる。文科省の担当者は「各地の教委は、教員免許を持つ大学院生ら、予備軍になりうる人材を発掘する努力が求められる」と話している。(編集委員・氏岡真弓)
>     ◇
> <調査の方法> 産育休は事前にわかって手当てがしやすいため、「当日間に合わなかったケース」を調べた。一方、病気・介護休暇は急な場合が多く即応が難しいため、「欠員が1カ月以上に及んだケース」を調べた。道府県の件数には指定市の件数を含まない。指定市が教員の人事権を持っているため。
> 大阪府の集計方法では、一つの事例が月をまたいだ場合は複数の件数にカウントされるが、府教委は「そうした事例は少ない」としている。高知県は病気・介護休暇で空席が1カ月以上に及んだケースはあるが、「件数などの資料はない」と回答した。
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 この手の自習に柔軟な措置を講じる場合、そもそも芸術科目は実技偏重の学力低下主義が慢性化している様なものだから、「代役になれるのは同じ教科の免許を持つ教員だけだ」といった理屈が全く通用しない。少なくとも青森の場合は、当該科目が無免許でも臨時免許を活用すればよく、後に知事部局へと移った教員の証言を借りれば「代わりはいくらでも居る」(大瀬雅生)事になる。苹の事例も同様で、県内教育界に不似合いな教育思想の持ち主を除外しても教員補充には余裕がある事を、他ならぬ県教育庁自身が半年前に実証した形と云えよう。「教員採用試験の実施概要は県教育長に委ねられている」(白石司教育次長)事実とも相俟って、何らかの形で意図的に思想選別効果を盛り込めば、教員不足の演出は如何様にでも可能である。
 そうした前提を「知らせぬまま」いきなり採用すると、「理想と現実が違っていた」となるケースとて考えられぬではない。もちろん学級崩壊などに比べれば、或いは「取るに足らぬ」見方の一つに過ぎないのかも知れない。学級崩壊は「教わる側」の崩壊インパクトであり、大方そこから受けるダメージが教員不足を招くのだろう。他方、「教える側」の崩壊インパクトが教員不足を演出したところで「そんなの生徒も保護者も知った事ではない」。崩壊自体に気付かなければ総てが丸く収まる(理想的なのは「教える側」自身が気付かないケース?)。~この事は歴史教科書問題を想起すれば分かりやすかろう。教員自身が歪曲教育に気付かぬどころか、逆に「正そうとする動き」を歴史修正主義(?)と見なし、予め否定的になる。
 苹は青森県教育界の方針を必ずしも否定していない。差し当たっては観察と分析あるのみ。望ましい教員像を明確にしないまま放置した結果、採用希望者側の希望や妄想が勝手に膨らむと、大学の教員養成システムと教育界との意思疎通がうまく行かなくなる点に着目している次第(典型的事例が昨年の家庭科教員採用試験騒動)。…この際「民主党を支持せよ」でも「予備校化を推進せよ」でも何だって構わないから、素直に本音を出しちまえば人材集めが効率化するだろうになあ。それが出来ない理由は忖度できるものの(保護者対策とか?)、もし本当に人材不足となったら…いや、むしろ不況による地元回帰傾向という追い風がある今なればこそ、却って「仕切り直し」がきくのかも知れない。県内教育界の方針に順応できない教員志望者は畢竟、「青森県から出て行けばよい」のだから。

 ところで産経記事(↓)も、読み替え次第では別の意味で興味深い。例えば「新卒切り」のくだりに「嫌がらせ」という表現が出てくるが、当事者にそんな自覚があるかどうか自体、極めて疑わしい。もし自覚があったなら、むしろ「嫌がらせ」をする側が精神的に参ってしまうだろう。彼らの多くは「逆恨みだ」と思うに違いない。そこから事の根深さが窺われる。組織には組織の風土がある。ミートホープにも雪印にも、社会保険庁にも何処にでも。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/110110/trd1101101914014-n1.htm
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>就職氷河期なのに…新入社員半数以上が「退職検討中」の理由 (1/2ページ)
>2011.1.10 19:10
>就職勝ち組でも約半数が退職を意識。一体どういうことなのか ここ数年、「就職氷河期」が続いているのはご存じの通りだが、その厳しい競争を勝ち抜いた新入社員の半数以上が、すでに退職を考えながら仕事しているという驚きの調査結果が出た。一体、どういうことなのか。(夕刊フジ)
> 《2010年度に入社した新入社員の多くが、入社半年の間に仕事に対するモチベーションを下げ、50%以上が辞職を意識しながら働いている》
> 人材育成コンサルタント会社シェイク(東京・目黒)がまとめた「10年度入社社会人の意識調査」で、就職氷河期“勝ち組”の意外な「意識」が明らかになった。
> 従業員規模200人以上の企業に勤務する入社1年目の正社員155人を対象に実施し、仕事に対するモチベーションが「高い」と「やや高い」を合わせた回答は昨年比7・1ポイント減の47・8%。対して、「退職が頭をチラつく」との回答は51・7%と過半数を占めた。難関を突破しながら、新入社員たちはすでに退職を意識し始めているというのだ。
> 「彼らは『青い鳥症候群』ですね」と語るのは、大学生向け就職対策ゼミを主宰する経済ジャーナリストの阪東恭一氏。
> 「厳しい就職戦線で、第一志望の会社に入れる学生はごくわずか。それ以外の大半の新入社員たちは常に『自分にふさわしい職場はここじゃない。もっと自分に合った場所がある』との思いにさいなまれています。常に青い鳥を探している状態なのでしょう。だから、職場で辛いことがあると踏ん張りがきかない。同僚との競争のプレッシャーにも耐えられない傾向があります」
>就職勝ち組でも約半数が退職を意識。一体どういうことなのか 実際、就職ランキングで毎年上位に食い込む超大手企業でさえ、「最初の半年で約400人中80人弱が退職、もしくは退職の意思表示をした」(人事担当者)という。ただ、その動機は「希望の部署ではない」「営業ノルマが厳しい」といったもので、理由自体は10年前と変わらない。それでも、100社以上受けてどこにも就職できなかった学生やその親たちからすれば、ぜいたく過ぎる理由に思える。
> 一方で、新入社員を巧妙に退職に追い込む「新卒切り」が退職に拍車をかけているとの指摘もある。
> 「(昨年)4月以降、新卒切りに対する相談は毎月10件程度と過去最高のペースで増え続けている」と語るのはNPO法人労働相談センター(東京)の須田光照相談員。
> 「買い手市場をいいことに大量採用したものの、業績悪化で一部の企業は新卒切りに走っています。従順で実績が出ていない新入社員をターゲットに、過度な業務の押しつけや嫌がらせで退職に追い込むのです。それが新入社員の異常な退職志向につながっている可能性もあります」
> 一難去ってまた一難というわけか。いずれにしても、日本は歴史上まれに見る“働きにくい時代”になったようだ。
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8【再掲】「俺妹」受難曲10 ( 苹@泥酔 )
2011/08/15 (Mon) 22:26:35
7912 【一部訂正】大袈裟に云えば「学閥の話」。 苹@泥酔 2011/01/31 22:42

 これでもせっせと、続きの「俺の妹が書家になりたいわけがない(第8話)」を書いているのだが、「第7話」に「追記」部分を挿入したら調子が狂ったと云うか、予定外に深入りしちまってると云うか…。話が脱線するのは今も昔も苹の悪い癖。そろそろ本線復帰せにゃー。
 そんなこんなで、余談でござる。~先ずは三年半前の古い記事。だから当然、とっくの昔にリンク切れ(↓)。
http://www.asahi.com/national/update/0524/SEB200705240012.html
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>>同窓会、仕事に選挙に「役立った」 高校モデルに分析 
>2007年05月24日17時58分
> 同窓会を、ビジネスや遊び相手探しなどのきっかけにするOBはどれくらいいるのか――。福岡県立修猷館高校(福岡市早良区)の同窓会を舞台にそんな調査をした筑波大大学院の黄順姫(ファン・スンヒー)教授(48)=教育社会学=が結果を分析し、本にまとめた。題して「同窓会の社会学」(世界思想社)。
> 黄教授は、九州大学の大学院生時代から、同校の教育や同窓会の役割に関心を持ち、92年から関係者のインタビューやアンケート調査などを繰り返してきた。
> 20~71歳の卒業生2000人を対象にしたアンケート(回答は721人)では、約6割の436人が「個人的に同窓生と集う」と答え、そのうちの4割が「半年に1回」は集まっていた。
> 音楽やゴルフなどの趣味を通じた付き合いも濃いようで、398人が同窓会関係で「一つ以上のグループ」を持っていた。インタビューでも、破産や離婚などの人生の危機を迎えた時の相談相手に「同窓生を選ぶ」と話したという。黄教授は「同窓生を裏切ることを不名誉と思う修猷館出身なら『信頼できるはずに違いない』という、過剰なまでの安心感が相互にあるようだ」とみている。
> そんな同窓意識は、仕事にも生かされているのか。
> アンケートに、「仕事で同窓会のネットワークを活用した」と答えた人が17.5%。175人は「仕事以外でも役立った」とし、そのうちの約2割が「選挙」を挙げた。一方で、「懇親を深める同窓会を利用するのはよくない」との声も目立ったという。
> 修猷館高校を通じて同窓会への思い入れの強さを知った黄教授は「日本的集団主義が揺らぐなかで退職期を迎える団塊の世代を中心に、ここ数年、同窓会の価値は見直されるのではないか」と予測している。
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http://f35.aaa.livedoor.jp/~masa/c-board358sp2c/c-board358sp2c/c-board.cgi?cmd=one;no=3136;id=
 …嘗て支援板の「地方主導の再幕府化(其二)」稿(↑)で、上記朝日記事を引用した。その事を思い出した契機が産経のコレ(↓)。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110123/stt11012307000032-n1.htm
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>長野高校卒じゃないッスけど、何か文句ありますか?
>2011.1.23 07:00 (1/4ページ)
> 「お客さん、どちらのご出身ですか?」。長野県に赴任して約1年2カ月。行きつけの飲み屋も何軒かできた。のれんを何度かくぐるうちに店のマスターや女将と顔なじみになってくると、冒頭のように出身地を尋ねられるのはどこでも同じように見られる光景だろう。
> だが、長野県の場合はちょっと事情が違う。もちろん「どちらのご出身ですか?」と聞かれるのは同じだが、長野県では、この出身という言葉は「どちらの高校の卒業生ですか?」ということを指すことが多い。
> 長野県に着任して日が浅いうちは、その辺の機敏が分からず、「生まれですか? 東北の山形ですよ」と精いっぱいの笑顔を浮かべて答えていたのだが、マスターや女将は「ふーん」とか「へぇー」とかと応じるだけで、会話がそのまま途切れてしまうことが多かった。
> 同業他社の支局長と会った機会に、このことを話すと「笠原さん、長野で『どこの出身ですか』と聞かれたら、それは『どちらの高校を卒業してますか』ということですよ。長野県人は、出身高校に異様にこだわりますからね」というアドバイスを受けた。
> 以来、飲み会などの会合では注意しているが、これまで赴任したことがある栃木県などと比べると、確かに長野県人の出身高校へのこだわりは強い。支局が長野市にあるため、会合は長野市内で開かれることが多い。このせいもあって、長野市内の高校やその近辺の高校のことが話題に上る。中でも圧倒的に多いのが県立長野高校だ。
> 長野高校は、平成21年に創立110周年を迎えた歴史を有する。高校のホームページによると、21年度の東大合格者は12人で、長野県内でも屈指の名門校として知られている。たまに顔を出す飲み屋の主人の一人が、長野高校の出身なのだが、もう60歳はとっくに過ぎているのに、母校の話題だけで延々2時間近くは店にやってきた同窓生としゃべっているときがある。
> 長野県では同じ高校の出身者だと分かると、親愛の情は増し、飲み会の会話も非常に盛り上げるようだ。知人の女性から聞いた話だが、ある飲み屋で自分の娘が長野県北の県立高校の出身だと、ふと漏らしたところ、注文をしていないおつまみがスッと出てきた。
> 不思議に思ってその訳を店の主人に尋ねると、「あちらのお客さんからです」との返答。たまたま、店に居合わせた客が娘さんと同じ高校の出身だったというのがその理由だ。
> 東京出身で今は長野県内に住んでいるこの女性は、長野県人の出身高校に対するこだわりの強さは聞いてはいたが、実際に自らが体験してしまったわけだ。この女性は「同じ高校の出身というだけで見ず知らずの人間にそんなことをするなんて。東京じゃ、あり得ない話ですよ!」と感嘆していた。
> しかし、長野県の高校とは縁もゆかりもない山形の県立高校を卒業した小生なぞは、そんな恩恵にあずかることはまったくない。長野県内の高校の出身者ではないと分かってしまうと、「ふーん」「へぇー」で終わってしまい、高校に関する話題はそこで打ち切りとなり、その店に居づらくさえなってしまう。
> 長野県人の出身高校へのこだわりは時として、県内の政治的な対立にまで発展しかねない。多くの県議や市町村長の支援を受けた元副知事を破って平成12年の知事選で長野県知事に当選した田中康夫元知事は松本市にある県立松本深志高校の出身だ。
> もともと長野県は県庁所在地の長野市と県中央部の中心都市である松本市との地域対立が激しく、この知事選でもこうした地域感情が交錯したのに加えて、田中氏が長野高校と並ぶ名門校とされる松本深志高校の出身者だったことから、対立感情が増幅されてしまったという見方がある。
> 通常、学閥というと出身大学別でできるのが普通だろうと思うのだが、長野県で学閥といった場合は出身高校のことを意味するのだという。
> どうして長野県人はそんなに出身高校にこだわるのだろうか。ある人がこんな面白い解説をしてくれた。長野県は自然に恵まれ、おいしいお米や野菜や果物が豊富に採れる。冬の寒さが身にしみるが、それさえ我慢すればこんなに過ごしやすいところはない。
> こんなにいい長野県を離れてわざわざ県外に出ていこうという人はそんなに多くはなく、東京や大阪へ出たとしても結局は長野県に戻ってくる。ずっと長野県に居続けた人も、一度は県外に出たがUターンしてきた人も自らのアイデンティティーを確認できる共通の話題が出身高校だ、というのだ。「うーん。なるほどねぇ」と思わずつぶやいてしまった。
> だが、別の見方をする人も当然いる。「要するに長野県人は排他的なんですよ。同じ高校の出身者だと分かると、強固な仲間意識を発揮するけど、そうじゃないと表面的なつきあいしかしようとしないということは、よそ者は容易に受け入れないということなんじゃないでしょうかね?」。もちろん、この人物は長野県出身ではない。どうやら彼も長野県赴任直後に小生と同じような経験をしたらしい。
> まもなく世間は春の人事異動の季節を迎える。人事異動の時期を少し過ぎた長野市内の飲み屋では、店のマスターがこうニューフェースの客に尋ねるに違いない。「お客さん、最近この店に来るようになったけど、どこの出身?」。
> でも酔った勢いで「長野高校卒じゃないッスけど、何か文句ありますか?」なんて軽口をたたいたら、その途端にデキン(出入り禁止)になる恐れはかなり強いと思う。(長野支局長 笠原健)
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 …といった具合に当初、引用記事二つでお茶を濁そうと思っていたら「灯台もと暗し」、今度は青森ネタが出てきやがった。ネタ元は「東奥日報」なので、ネット上では登録しないと冒頭部分しか読めない(↓)。いつもなら紙の方を見て、せっせと…では臨場感が伝わらないな。暗闇の中でニタニタ、光るパソコン画面を見ながらヒャッヒャ云って打鍵に精を出すところだが、そんな時間があるなら件の「第8話」を仕上げとかないと…。
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2011/20110131111712.asp
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>本県教育界人事 八戸高OBを重用?
> 本県教育界でここ数年、「八戸高校OBが重用される傾向にあるのでは」との声が教育関係者から聞かれる。具体的には(1)県教育長が前任の田村充治氏(2006~09年度)、現職の橋本都氏(10年度)と2代連続(2)08、09年度は教育次長が2人とも(3)県庁所在地の代表的な進学校・青森高校の校長が2代連続(07年度~現在)-いずれも八戸高OBとの指摘だ。取材に対し、県教委は「人事において重視しているのは、本県教育のさまざまな課題を克服するための適材適所であること。学歴は関係ない。たまたま同じ高校の出身者が多かっただけ」(白石司教育次長)と話し、八戸高OB重用を否定している。
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 …で、続きの内容はどうするか。久々の「つくる会」東京支部板に画像投稿するのが宜しかろう。
 こちらを御覧下さい(↓)。画像をクリックすると大きくなります。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_r_675.html

 肝腎な事を書き忘れていた。
 あたしゃNo.7896「第5話」で、「官公庁などの県内エリートに青森高校出身者が少なくない構造」云々と書いた。~以下の通り註釈を加える。「青森高校のも少なくないけど、教育界では八戸高校出身の管理職が目立つんだとさ。」
8【再掲】「俺妹」受難曲09 ( 苹@泥酔 )
2011/08/15 (Mon) 22:21:50
7896 俺の妹が書家になりたいわけがない(第5話) 苹@泥酔 2011/01/07 20:35

 何をねちねち、昔話ばかり書いとるんだ…と思う人が相当数にのぼるだろう事は容易に想像できる。確かに苹は十年以上前の事ばかり書いておる。それも青森という田舎の実話が少なからず、登場人物には物故者や現役引退組が大勢いる。第一「今の話は出来ないのか」と云われても苹自身が既に引退しているので、踏み込めない面は多い。
 今の話と云えば…この師走(2010.12.18)、長く青森高校で教鞭を執った遠藤雨山先生が死去したそうな。翠心会(千紫会から分派した、鈴木翠軒系の社中)や雨声会(翠心会の会長だった宮川翠雨の地元、青森の社中)の会長で、読売書法展の審査員などを務めた。この場を借りて合掌。(苹が約十年ぶりに顔を出せば迷惑となる虞があるので、お宅への弔問はしないし、例年通り雨声会書作展にも行かない。)
 云うまでもなく、過去と現在は繋がっている。年月が経過したからと云って、さほど変化がある訳ではない。宮川翠雨が去って約二十五年、今度は遠藤雨山が去ったが青森の翠軒流は残っている。代替わりはするが屋台骨は残る。~宮川翠雨が青森高校で教えていた頃、教え子の一人に寺山修司が居た。近年では秋葉原無差別殺人犯の出身校として知られたり(?)はしたものの、県内進学校御三家の地位や、官公庁などの県内エリートに青森高校出身者が少なくない構造はさして変わるまい。

 半年ほど前、苹の身辺に異変があった。某県立高校に芸術科書道の空きがあるので、臨時講師をやらないかという話だった。その顛末は念のため、「西尾幹二のインターネット日録」管理人様のブログでコメント欄に書き込んである(↓)。多くは表示稿だが、中には非表示稿もある。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-932.html#comment
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-924.html#comment
 必ずしも悪い話ではない筈だが、最初の電話があった時から、訝しむには充分な不自然さがあった。…なんでも、こんな条件があるそうな。「難しい事はやらない事。定期考査をやらない事。」(ここで~最近のではNo.7875稿やNo.7878稿を参照されたし。)
 これを聞いた瞬間、苹は警戒モード(戦闘モード?)に入った。如何にして苹の目的を達成するか。なるべく相手を怒らせない。断るとしたら苹側でなく相手側であらねば。最前線(電話相手)は苹の弱味そのもの、すなわち恩師である。その恩師が知らない筈の事を「恩師を相手に」話題としてはいけない。
 …で、当時こんなのを書いたりもした訳だ(↓)。
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> …うわっ、またスパムコメントと判定されちまった(汗)。今度は何が原因かな。取り敢えず分割投稿してみよう(↓)。
>
> 以下余談。その後の話を非表示で。
> こちらにゴチャゴチャ記録しといてよかったのかしら。なんとなく迷惑かけた気がするんで、この際、輪をかけてキッチリ書いときます。
> 先日「2010/06/11 21:00」のコメントで、支援板のカウンターについて書きました。どうやら図星の可能性が高い様です。「県教育庁教職員課のニワ」氏によると、タイムリミットが「6/28前後」の授業開始で、或いは可能なら、その前から出て来て欲しいとやら。因みに本日金曜の段階で、渦中(?)にある筈の弘前工業高校長からは予想通り音沙汰アリマセンです、ハイ。
> そもそも最初に恩師が話を持ち込んできた時からおかしかったんだよなあ。こちらの近所の高校も手配できるとか、その場合は非常勤講師になるだろうとか、臨時講師で行ける高校もあるけど「余計な希望は出すな」とか。そんなムチャクチャな柔軟性なんか、県教育庁にあるものかい。第一そんなに困ってるなら、最初から書道の教員採用試験を実施すればええじゃないか。
> 高校家庭科教員採用試験騒動の後は参院選突入。片や苹の方は、天バカ板にて組合への見立て話をダラダラ書いてる最中。あたしゃ多分、何か得体の知れぬものに巻き込まれたと見るのが妥当な所でしょう。
> 念のため、正確を期します。苹が支援板を閲覧した時のカウンターは以下の数値。東京支部板にNo.494稿を出した日付から始めます。
>【2010/06/25 21:38】 | # [ 編集]
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 東京支部板に出したNo.494稿とは、高校家庭科教員採用試験に関する新聞記事の画像投稿を指す(↓)。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_pr_490.html
 これを承けてネット対策に乗り出したのだとしたら、地方各界のディフェンス能力は青森高校の卒業生と同じくらい優秀って事になるのだろう。そうでなければ、当時既に一年以上「死に板」となっていた支援板のカウンターが一日に何百件も回る筈がない。
 なお、こちら天バカ板での「見立て話」とは、No.7743に始まるツリーを指す(↓)。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_tree?base=7743&range=1

 これが~「強いて云えば」の話にはなるものの、差し当たっては「今の話」となる。十年前と何も変わっていない。基礎指導すれば「難しいからヤメロ」となり、定期考査を実施すればワケワカラン圧力がかかる。所謂「ゆとり教育」時代だった当時の方針が、安倍政権下の教育基本法改正後の今も通用している事が明らかになった。つまり苹にとって、それなりの収穫はあった。私は必ずしも、まだ「時代遅れ」ではないらしい(苦笑)。
 …よくよく考えれば無理もない。日本語の改造を目指した明治以降、書道を内含する書字一般は「国語から追い出されゆく立場にあった」。それが今なお義務教育の国語科書写として(形骸化しつつも)生き残り、高校では芸術科書道として(伝統国語側から見た場合の)歪曲宣伝活動を義務化されているのは不自然じゃないのか。単に古典が「読めない」だけでは物足りないのか、「読める」事を念頭に置いている筈のパフォーマンス書道までもが、今では「萌える男の、赤いキャラクター」へと客体化しつつある(つまり観客が「書く」訳ではない事をも、二重に客体化するのである)。
 そもそも、教員養成系の大学教育が間違っている(以下は反語でござんす)。教員養成系であるという事は、学問教育とは無関係であるという事だ。義務教育と高校教育の現場に大学側が適応しなければなるまい。そこでは組織の論理に見合った教育が基準となるのに、大学側が勝手に真っ当な学問教育を施したらどうなってしまうのか。不適応教員が続出するだけではないか。大学卒業生の就職先たる学校が「書道は読めなくて当たり前」としているのだから、大学教育でもそれに準拠した「教員の卵」を育てるべきではないのか。つまり、大学生を「学校奴隷のバカ」に育てねばならぬのだ。さもなくば就職できないぞ。すぐクビになるぞ。その先を考えろ。勉強したい奴は所詮、自業自得なのだ。それが嫌なら勉強するな。勉強すればするほど就職できなくなるぞ。それでも勉強するほどの覚悟があるのかね。勉強させる事に躊躇を覚えないのかね。(この小段落は「苹@反日実験人格」モードでござる。学校準拠。それ以外は眼中にない。)

 「俺の妹が書家になりたいわけがない」…当たり前だ。書家でなくとも、教養が必要とされた時代があった。教養ある庶民や知識人が、書家になったり、ならなかったりした。総じて云えば、そうした庶民は畢竟、広義の「観客」なのである。その層の厚みが民度を裏付ける。わざわざ書展を見に行かずとも、手書きの百人一首をスラスラ読めたり、品位を味わう程度なら明敏な小学生にでも出来る。出来ないのは稽古の深奥のみ。そうした観客教育を歪曲する学校教育に、どれほどの意味があると?
 あれから半年を経た今日も、苹は繰り返し咀嚼する。「難しい事はやらない事。定期考査をやらない事。」~ならば私は、何を教えればよかったのだろうか。何を期待されたのだろうか。かの恩師は苹を推薦したと云う。恩師は苹の近来十年を知らなかったのかも知れない。そう思えばこそ、苹は苹なりに半年前を納得できるのであった。
8【再掲】「俺妹」受難曲08 ( 苹@泥酔 )
2011/08/15 (Mon) 22:16:21
7889 【年が明けても】訂正&改題布告【ネタは引きずる】 苹@泥酔 2011/01/03 14:54

 謹賀新年。管理人の蘭様に閲覧者の皆様、今年も宜敷お願いね。(蘭様のブログ「天才バカ板」はこちら↓)
http://blog.goo.ne.jp/midnight-run_2007/

●No.7878訂正
 以下は「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」3173号(2010.12.25付)より。
http://www.melma.com/backnumber_45206_5061904/
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> 97年、返還前の香港では人民元の交換ができる両替商は限られていた。誰も人民元をハード・カレンシーとは認定しておらず、香港ドルが主流で、ドル、ポンド、円の時代。その僅か4年前の1993年に、外貨兌換券を廃止し、つまり二重通貨制をやめて、人民元に一元化、国際的に通用できるカレンシーを目指した。(それまでは外国人は普通の人民元で買い物ができず外国人だけがつかえる「兌換券」をあてがわれた。交換レートは強制レート、だからあの時代の中国の物価は意外と高かった)。
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 …そう、昔は確かに高かった。世紀末には一万円前後で買えたレベルの新端渓宋坑硯が、昭和五十年代後半に買った時は四万円以上した。たとい間に業者のボッタクリが絡んでいたとしても、そればかりが原因ではなかったのだろう。
 先日No.7878で昭和五十年代を回想し、「紅星牌の四尺単宣は\26,000だった。昭和六十年代に同じ単宣が八千円で買える様になるとは思いも寄らなかった」と書いた。~ここで云う「昭和六十年代」の記憶には、どうやら若干のズレがあったらしい。或いは西暦で云うところの1990年代初頭を指していたのかも知れぬ。…ともかく、安くなってからは高校生に清書用の紅星牌単宣を使わせていた(練習用は国産の機械漉きだったと記憶)。また希望する生徒には、苹のポケットマネーで買い置きしてある「五紫五羊」や「写巻小楷」などの小筆(\250前後)を購入価格そのままで転売した。
 芸術新聞社の『墨』208号P.88によると、手島右卿は弟子の小林抱牛に「筆を売る行為はするな」と厳命したそうな。~因みに苹が教職にあった当時、近所の文具店に並ぶ小筆は和筆ばかりで、安いものは五百円くらいだった。高いものは千五百円程度、別の店には三千円以上する小筆もあった。高価な筆を使いたい生徒は何を使ってもよい。ただし筆は消耗品。いかれた小筆で般若心経や仮名の清書を提出するのは論外なり。成績評価上の自殺行為でござる。
 あたしゃ筆は絶対に通信販売では買わない。当時は車を飛ばして隣県の専門店に行き、現物確認した上で纏めて買った。特に中国製はそう。例えば同じ銘柄でも上海工芸のと蘇州湖筆廠のとでは、その時々で筆の出来が違う。偶々見かけた栗成筆荘「特製双料写巻」(当時\350)の出来映えに驚嘆したりするから現物確認はやめられない。大抵は榊莫山の本で学んだ通り十本以上買うが、出来のよい筆だと「あと五十本は買っときゃよかった」などと後悔する事もあった。
 …と書いてたら余計な事まで思い出しちまった。あれは昭和五十八年頃だったと思うが、通信販売で中国製の小筆を五十本か百本の単位で買ったら最悪の出来だった。これは今も手元にある。そんなもん他人に転売するのは良心が咎めるし、かと云って捨てるのも勿体ない。筆の神様(?)に叱られちまう。
 新年早々、あたしゃ何を思い出しているのやら(嘆)。

●No.7870~7878の改題について
 この際、布告する。
 予定外に長くなったので、近稿を下記タイトルの各話として扱う事にする。…と決めたところ、脳内二次元に棲まう妹が「そこまでするんなら続き書かせてあげるわよ、感謝しなさいよねっ!」と申して居ります。(なんのこっちゃ)
・No.7870「俺の妹が書家になりたいわけがない(第1話)」=「実技と鑑賞(No.7861補記)」
・No.7875「俺の妹が書家になりたいわけがない(第2話)」=「余談or愚痴。(No.7870補記)」
・No.7876「俺の妹が書家になりたいわけがない(第3話)」=「(続)余談or愚痴。」
・No.7878「俺の妹が書家になりたいわけがない(第4話)」=「(続々)余談or愚痴。」
(↑の元ネタが分からない人はこちらを参照↓)
http://www.oreimo-anime.com/
 …要するに本稿では、取り敢えず書道そのものをエロゲー並み(?)のヲタ趣味と見なしている訳である。学校内外から漂う、あの空気/偏見(?)の正体とは何だろうかと、苹は泥酔中もシャツをズボンにインしながら平生しつこく考え続けているのであった。
 ただしBS11での元ネタは元旦に放送終了。いっそ新番組をネタに、「お書家先生の~」もしくは「お爺ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!」にしようかとも考えたが、全然しっくり来なかったので半月前からの構想通りとする。
8【再掲】「俺妹」受難曲07 ( 苹@泥酔 )
2011/08/15 (Mon) 22:13:25
7878 (続々)余談or愚痴。 苹@泥酔 2010/12/08 00:22

「なんだ、精々その程度の愚痴か。」
 …そんな幻聴が予感される。前稿(No.7876)で「読めないまま、歴史を知らないまま、純粋表現としての書道を教える上での基礎とは何か」と書いた。或いはここで踏み留まって置けばよかったかも知れないのに、あたしゃ見方次第では変な方向にイッチャッテ、却って泥沼に填る事となる。その辺についても書いとかないと片手落ちになるだろう。(書く必要はなさそうにも思えるが、失敗例として受け止める余地くらいはあってもよい?)
 あらためて、前稿のそれを言い換える。~「読めなくてもよく、歴史を知らなくてもよい、純粋表現としての書道を教える上での基礎とは何か。」

 書道Ⅰの最初の単元で、先ず楷書をやった。
 墨は磨らせなかった(前にも書いたが)。授業時間が勿体ない。でも墨液そのままでは使わせたくない。そこで練墨(薄めて使う濃縮墨液の事ね)を紫紺系や茶紫系や青系など各色ズラリと並べ、生徒各々が気分や試み次第で自由選択できる様にした。因みにブツは書道選択者全員の共同購入扱いで、業者をヒイヒイ苦しめて安く仕入れた。紙も墨も使い放題である(怠けて使わないと損をする)。~この件では購買部の担当教員を含む先生方多数から反感を買ったが、売値と仕入れ値の差額が後援会の予算に組み込まれる事などの事情アレコレは取り敢えず省略しとく…(汗)。
 最初に墨は薄めて使う事を説明してから準備する訳だが、のっけから字は書かせない。少しだけ水墨画をやらせる。題材は墨竹。竹の幹の描き方と楷書との類似性を導入部で利用するのが目的であり、墨の前に先ず水を意識させた。これは昭和五十年代のNHK「書道に親しむ」で、筑波大の今井凌雪先生から学んだ手口である。あの番組で先生は筆に水した後に墨した。すると立体感が出た。淡墨表現では潤渇を意識せざるを得ない。しかも昭和五十年代と云えば当方、最新刊の榊莫山『文房四宝』四冊(角川書店)に魅了された頃である。あの本に載ったブツが手当たり次第に欲しくなった。唐筆の精品玉蘭蕊は当時\13,800、蘭蕊羊毫は\13,000、紅星牌の四尺単宣は\26,000だった。昭和六十年代に同じ単宣が八千円で買える様になるとは思いも寄らなかった(ブツの価格変動を見て先物ヘッジの手口を模索しなかったのは、単に苹が無能だったから)。
 そんなこんなで楷書の授業に入り、ちと非常識なすっ飛ばし方(古典選択制)を取り入れた後で半切1/2サイズ(すぐ後に半切サイズへ移行)に最初の清書をさせる訳だが、この頃は誰もがまだ新鮮な気分を維持しているためか、濃墨から淡墨まで様々な清書の工夫が見られる。尤も、練習前の示範では様々な書風で書き分けた。逆入平出や廻腕法で造像記の臨書をして見せた時はそれなりに驚いていた模様。(その後、行書単元を経て仮名単元に移ると一転、生徒達は途端に「読む」授業で苦吟(?)する事となる。)

 水墨画は後の授業(書道Ⅱ)でも蒸し返した。そもそもの動機は前稿で書いたアレである。絵画絡みなら字に拘らなくてもよかろうと思った。なにしろ書画一致論の裏付けもある事だし。しかしそこには西洋芸術の視点がない。文字性を顧慮しない表現で東洋的に模索しても、西洋芸術の信奉者達には通用しないのではなかろうか。
 そこから先が泥沼でござる。
 書道Ⅱの授業で補助資料として使った記憶のあるテクストの一つに、国安洋『〈藝術〉の終焉』(春秋社)がある。成績評価とは無関係の単なる読書課題だが(一冊全部じゃないよ…P.17以降数頁分のプリントだよ)、それにしては音楽や美術と同じ「芸術科目」の枠組みでの扱いが些か難儀ではある。所詮はミメーシス(模倣)やテクネー(技術)の位置付けを整理するための資料提供でしかない。単純に「書は人だから技巧など二の次」と押し切る向きの少なくない書道に於ては就中、至極アッサリと「藝術に固有の表現と日常生活での表現との違いを無視すると「藝術は難しくない。感じたことをそのまま直接表現すればよい」と言うことになってしまう」(P.22)からだ。これは双方向的意味で危険である。確かに日常書記は難しくなかった。芸術表現も難しいとは限らない。それらが共に「難しくなった」からこそ危険なのである。描写対象としての自然を有しない言語芸術の弱味が逆手に取られる。
 この本は今なら別の面でも役立つだろう。第五章の題は「「パフォーマンス」としての藝術」であり、本文には「パフォーマンスは技術社会に対する反抗の表明であると考えることも出来る」(P.260)、「ハプニングは成果を残さない。その場で演じられる行為がすべてである」(P.263)、「しかし、それ以上に重要なことは、ミニマル的なイヴェントやパフォーマンスに見られるように、意味作用の剥奪を超えて無意味が昇任されていることである」(P.271)などの記述がある。~先日は青森でも、遂に各校の書道パフォーマンスが披露されたそうな(高総文書道部門東青地区展、2010.12.04~5)。これから各地で盛んになるだろう。中には小学生を対象に、かの武田双雲氏を招いて教えて貰った所もあるそうな。
 こう書くと、「その何が悪い?」と思う人が少なからず出るだろう。書道を含め、芸術の無意味をも芸術活動の一環に取り込む事は、後に弘前市教育長となった先生が明言した「教育に芸術は必要ない」とする姿勢に直結するからだ。これを教育界のニヒリズムと見なしてよいのか苹自身は戸惑いを覚えるけれども、少なくとも学習指導要領が無効化へと向かっている事実はありのまま認識してよい。しかも今は朝鮮学校による反日教育が公的に承認(黙認?)されつつある時代である。大袈裟に云うなら、これを中国ルートで懐柔しない手はあるまい。書道を媒介した中国賛美教育を学校教育活動の一環に取り込む場合、パフォーマンスに伴う自己否定は教育活動の正当化と飽和を同時に実現する上で役立つだろう。

 東洋側の可読性や歴史を相対化した上で西洋中心の芸術について調べると、時には稍や不都合とも思える事情が浮かび上がる事もある。お次のネタは『講座 美学』全五巻(東京大学出版会)や佐々木健一『美学辞典』(同)。後者で「芸術」の項目(P.31~)を見ると、「芸術の貴賤」の段に書かれてある自由学芸と熟練的技術との落差が痛々しい。
 支那の場合、芸術は西洋で云うところの自由学芸にも似た高みから予め発展している。西洋が熟練的技術の領分を芸術的に高めていったのに比べると、初めから士大夫の高踏性に依存していた琴棊書画の在り方は日本で道徳性共々いっそう過激な高みへと向かいつつも、支那と違って民間へと円滑に降りていった。そうした意味では経路が正反対である。近代西洋文化を盲信する側から見れば、初めから高踏的だった東洋芸術は或る意味、ありのまま高踏的であり続ける事を許されなかったのかも知れない。この事はおそらく、個人主義の輸入事情とも関わりがある。支那の個人主義は西洋のそれと異なり、道徳性の枠組み自体が所々あちらとも日本側とも相容れなかったりする模様。
 さりとて当然、道徳性にも色々しがらみはある。~先日『WiLL』2011.1号を買ってきた。見るとP.214~215に、こんな事が書いてあった(渡部昇一と宮脇淳子の対談↓)。
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>渡部 戦前は「支那学」と呼んでいたんですよね。中国に阿ったのであれば、戦後の学者が腰抜けだということになります。私は定義として最初に「通史としての“中国”はありません」と断ったうえで書くようにしています。
> ところで、「シナ大陸通史」を研究している人はいないのですか。
>宮脇 通史をやると、相当の大御所でないかぎり、学界では「お前はそんなに偉いのか」と言われます。功なり名遂げた人が最後にやる仕事であって、そうでない人は手を出せないという暗黙の了解があるんです。
> たとえば、宋代史研究者であれば宋だけ。清代史研究者であれば清だけ。満洲はここに入りません。近現代史は辛亥革命以降しかやらない。割り振ったらあとはお互いの領分には口出ししないという、タテ割りになっているのです。
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 この手の「研究道徳」(?)は書道界でも色濃い。書家が学者の様に振る舞うのは僭越だと自己規制するかの様に、また書家同士の上下関係や地位・勢力関係に配慮が欠かせなくなるがごとく、傍目にはどうでもよさそうな(?)分相応の縄張り意識が関与する。それを稽古意識の延長(?)で学校に持ち込むと、今度は外野の方から「学校で教えるのは書道教員でなく書家であるべき」とするかの様な「高踏性への憧憬」がそれとなく期待されているかの様にも見えてくる。
 おそらく学校は、何処の馬の骨とも分からぬ(=書流観念に於て精神分裂的な)書道教員を排除して、書家の権威イメージを利用したい(=書流におけるアイデンティティを保守したい?)。片や書道教員は有象無象の書家と混同されたくない。そこに所謂「合成の誤謬」が生臭くも成立する。

 扨て。
「読めなくてもよく、歴史を知らなくてもよい、純粋表現としての書道を教える上での基礎とは何か。」
 そんな書道は、果たして書道と云えるのか。芸術学に手を出そうと何をしようと、「お前のやっている事は書道でなく書道史だろ」式の批判を免れない点では所詮「焼き直し」に過ぎないではないか。そもそも傍目にはステロタイプの書道イメージがあって、巷間のイメージ通りでないものは既に書道ではない。仮に「純粋表現としての書道」が無理筋もしくは無意味であるなら、残る条件はどのみち「読めなくてもよく、歴史を知らなくてもよい」去勢状態へと帰結するだろう。書道野郎の前にぶら下げた餌が罠である事に変わりはない。食い付く野郎はいったん可読性や歴史から離れる。餌が消化された後はただ一言、「それは糞だ」と突き放してやればよい。糞の身になって餌を思えば食欲はたちどころに失せる。そんなところに罠の美学があってもおかしくはあるまい。
8【再掲】「俺妹」受難曲06 ( 苹@泥酔 )
2011/08/15 (Mon) 22:09:05
7876 (続)余談or愚痴。 苹@泥酔 2010/12/04 20:54

 もう少し続けとくか…。ただし構想自体はこちら(↓)から始まるツリーの中身と重複するけど。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=7743&range=1
 書道には大概、「へえ、どこの流派?」との条件反射が付き纏う。流派バラバラなのが当たり前で、また傍目にも分からないのが当たり前だと。それが「分かる様に教えてはいけない」との感覚に繋がる。つまり現場ではNo.7861で引用した様な、「担当教諭は前にいながらも、書道塾に通っている子を次々に指名しては、「今日は**が先生役!」で過ぎていった、いいようのない六年間」の方が「まともな教員」に相応しいのであって、現場の先生すなわち「教育の専門家」から見れば、非常識な事を教える大学教官はバカなのだぁ。(教職員の忘年会か何かの飲み会では、口々に「大学教官は現場を知らないバカだ」と不満を漏らしていた。)
 大学の書道教員養成カリキュラムでは表向き、流派の壁には拘らないらしい。どの流派にも共通する基礎があるからなのだろうが、現場の他科教員から見れば、その基礎自体が不要なのだ。…考えてもみろや。例えば流派Aと流派Bに共通の基礎があったら、基礎指導した時点で流派の区別がつかなくなってしまうではないか。しかも、この基礎ってやつが書道らしくない。人名や古典名は歴史の領分だし、可読性は国語の領分だろ。あたしゃ音楽の先生から指摘された事がある。「お前のやっている事は書道でなく書道史だろ」ってね(「だからヤメロ」って意味らしい)。…あたしゃハタと気が付いた。そう云えば義務教育では書道と書写との区別がやかましい反面、それらの陰に国語や歴史知識が埋もれていたのを。先ず埋もれた基礎を除外して、書道と書写の違いを基礎化して、そこから事を始める。
 思いっきり単純化すると、書道が表現芸術であるのに対して、書写は字を整えて書く事である。読む事を含まないから国語ではないし、時系列的知識を含まないから歴史でもない。かてて加えて書道は書写でもない。すると必然的に、書道では国語でも歴史でも書写でもない領分としての範囲内で基礎指導する事が期待されてくる。私が基礎と思い込んでいる内容を総て排除した上で、新たに基礎を抽出(捏造?)する必要が出てくる。
 この理屈が分からない大学教官こそ、バカなのだ。私は教わった事がない。読めないまま、歴史を知らないまま、純粋表現としての書道を教える上での基礎とは何かを。…高教研で一度、「基礎って何ですか?」と訪ねてみた事がある。あの時の相手は宮澤正明先生だったかな(違う人かも?)、返事は「自分で考えろ」だった。これに懲りて以後、バカバカしくも今なお自分で考え続けている。
 念のため強調して置く。これは「まともな教員」になるための踏み絵なのだ。否定は許されない。そんな事をしたら「あんた、管理職に逆らうのかね」でチョン。初めから採用されないってば。中には「採用されてからものを言え」と思う向きもあるだろうが、それって果たして通用するのかね(比較例↓)。
・「社民党から出馬したら当選した。政権に参画した。そこで離党したらどうなるか。」
・「教員社会に準拠したら採用試験合格した。授業した。そこで教員社会に通用しない事を教えたらどうなるか。」
 ここで一つラヴコール。田嶋陽子さぁぁん♪、辻元清美さぁぁん♪(註/冗談です。)

 閑話休題。…少し視点をずらそう。
 見方次第では過去と未来から現在を保守防衛する責務を担う、日本最大の超越的右翼組織が教育界である。従って「現在」が変われば彼らは「変わった後の現在」を保守する事になり、また流動性を保ったままの自己変容義務が生じる結果、右も左もノンポリも思想もなくなる。つまり稍や大袈裟に言い換えると、ドゥルーズ達の云う国家装置や戦争機械などに比肩し得るレベルの純然たる遊牧的「保守機械」が教育界なのである。そして青森県が実施している様な「書家による代理教育慣行」も当然その一環にある。
 嘗て稽古システムを差配してきた師匠達は後に書家と呼ばれる様になったが、継承されたのは概ね技術的側面を中心とする競争であり、それ以外の~例えば漢学などの古めかしい要素は国語側に分岐して行った。こうした事情を踏まえて回顧していただきたい。
 スレッド表示すれば瞭然な通り、本稿は書道漫画「とめはねっ!」を中心とした話題に連ねている。…原作単行本を読むと、今のところ書道の授業場面は出てこない。或る意味では賢明な描写だと思う。授業では出来ない(?)かも知れない指導が、課外活動~部活動など~では可能になるからだ。そうした有様を念頭に置いて、No.7743では同情交々こう書いた(↓)。
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> 地域の教育界が特定の組合と癒着するのは日常茶飯事である。だから或る地域で先生になりたい人は、その地域の教員が多く属している組合に入ればよい。組合は学校外で活動するが、学校内でも活動できる(勧誘機能の面では部活動が主で授業が従)。従って組合の活動費は生徒~ひいては保護者からも徴収できる。生徒は組合の機関誌を購読して勉強する事になるが、地域で自前の機関誌を発行するのは手間がかかるので、上部組織もしくは提携組織たる組合の発行する機関誌を使う例が少なくない。そして通常、部活動では文部科学省の検定済み教科書を使わない。
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 ここでは流派を組合と言い換えてあるが、元々は免疫的補正システムとしての在り方に興味がある。巷間取り沙汰される「日教組による暴走」の類が「教育委員会の無力」と大差ない点では、どちらか一方を難詰する気が自ずと失せるのも致し方なかろう。

 …「見立て」の一例。
 今日の産経記事(↓)を読んだところ、私には学習指導要領が、だんだん学問教育上の不平等条約に思えてきた。~念のため追記する。私はあれこれ観察した結果、もはや学校を学問教育の場とは見なしていない。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101204/plc1012040242007-n1.htm
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>【土・日曜日に書く】論説委員・石川水穂 NPTに不安抱いた三島氏
>2010.12.4 02:42
>  ◆憂国忌で西尾氏が指摘
> 40年前、東京・市谷の自衛隊駐屯地で自決した作家、三島由紀夫氏を追悼する「憂国忌」が先月25日、東京・九段会館で開かれた。鎮魂祭に続いて行われたシンポジウム「日本はどこまで堕落するのか」で、三島事件と核問題の関連に言及した評論家、西尾幹二氏の発言が注目された。
> 西尾氏が着目したのは、三島氏が自決前に撒(ま)いた檄文(げきぶん)の次のくだりである。
> 「国家百年の大計にかかはる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかはらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかつた。沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年のうちに自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう」
> 「核停条約」は、三島事件の9カ月前の昭和45(1970)年2月に当時の佐藤栄作内閣が署名した核拡散防止条約(NPT)のことだ。「不平等条約」は、1922(大正11)年のワシントン会議で、日本の海軍主力艦の保有率が米国や英国の5分の3に制限された軍縮条約を指している。
> 西尾氏は「檄文には、NPT体制に対する三島さんの不安がはっきり書かれている」「NPTを不平等条約とみなした三島さんはリアリストだった」と指摘した。
>
> ◆佐藤内閣は非核を選択
> 中国が核実験を行った1964(昭和39)年以降、日本は核問題で選択を迫られた。政府・自民党の中には、「日本も核を持つべきだ」という意見もあったが、佐藤内閣は非核の道を選んだ。
> 佐藤首相は昭和42年12月の衆院予算委員会で、翌年の小笠原返還に関し、「核兵器は保有しない、製造しない、持ち込まない」と非核三原則を表明した。首相は44年3月の参院予算委員会でも、沖縄返還をめぐり「“核抜き”で米と折衝する」と答弁した。
> だが、日本と同じ敗戦国の旧西ドイツは米国の核を積極的に受け入れた。旧ソ連圏の東ドイツと国境を接し、間近でソ連の核の脅威にさらされていたためだ。
> 西尾氏は最近の北東アジア情勢にも言及し、「非核三原則の中の『核を持ち込ませず』は大きな間違いではなかったか。『今すぐ核を作れ、持て』と言わないが、米の核持ち込みは認めるべきではないか」と問題提起した。
> シンポジウムでは、他のパネリストからも有意義な提案が行われた。評論家の井尻千男氏は「古い冷戦は終わったが、北東アジアでは新しい冷戦が始まっている。自主憲法制定が必要だ」と訴えた。遠藤浩一・拓殖大教授も「憲法改正と平成の保守合同」の必要性を強調した。
> 憂国忌の後も、昭和40年代に日本で核論議が行われていたことを示す資料が相次ぎ発表された。
> 先月26日に公開された外交文書によれば、ライシャワー元駐日米国大使は昭和44年11月の日米首脳会談に先立ち、日米安保条約が破棄された場合、「日本は自衛力増強を余儀なくされ、5年以内に核武装するに至るだろう」と日本側に警告していた。
> 29日には、44年2月、日本の外務省幹部と旧西ドイツの政府高官が神奈川・箱根で、日本の将来の核保有の可能性について協議した事実が明らかにされた。
> 佐藤栄作氏は政界引退後の49年、非核三原則やNPT調印などが評価され、ノーベル平和賞を受賞した。佐藤首相の選択が本当に正しかったか否かは今後も検証が必要だろう。
>
> ◆中朝の核脅威が深刻化
> 憂国忌のシンポジウムで各パネリストが指摘したように、北東アジア情勢は40年代と様変わりしている。
> 中国の国防費は21年連続で2ケタの伸びを続け、海軍力の増強に加え、日本に照準を合わせた中距離核ミサイルを配備している。北朝鮮は弾道ミサイル発射や核実験を繰り返し、韓国・延坪(ヨンピョン)島への砲撃以降、日本全土を射程におさめたミサイルの発射準備を進めているとも伝えられる。
> 米ソ冷戦時代の昭和31年、当時の鳩山一郎首相は日本を核攻撃から守るための敵基地先制攻撃の可否について、こう答弁した。
> 「座して自滅を待つことが憲法の主旨ではない。誘導弾(ミサイル)等による攻撃を防御するのに他に手段がない場合、誘導弾等の基地をたたくことは、自衛の範囲に含まれる」
> 菅直人政権は非核三原則の見直しを含め、中国や北朝鮮の核から日本の国民と国土をいかに守るかの具体策の検討を、早急に始めるべきだ。(いしかわ みずほ)
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8【再掲】「俺妹」受難曲05 ( 苹@泥酔 )
2011/08/15 (Mon) 22:04:57
7875 余談or愚痴。(No.7870補記) 苹@泥酔 2010/12/02 01:56

(以下、追憶。)
 …臨時免許や教員採用試験については、これまで何度も言及してきた。
 無意識の司る日常には、個人レベルも社会レベルも分け隔てなく不可避に、一般には「当たり前」と呼ばれる類の盲点がある。青森県で通用する事が東京で通用しないとは考えにくいし、そのまた逆の思い込みもあるだろう。例えば青森で私立を「お受験」するとなれば、それこそ「金持ちぶりやがって、お高くとまりやがって」の謂か、もしくは余りに現実離れした話なのでピンと来ない筈。辛うじて青森に「お受験」が通用するとしたら弘前の一部地域、私立でなく国立の付属あたりになるのかしら。にもかかわらず情報は概ね都会から発信され、それが当たり前の様に津々浦々へと浸透する。
 東京で通用する事を青森に持ち込む余地はまだたっぷりと残っている。尤も「お受験」を持ち込むには莫大な費用がかかるし、そもそもニーズ自体がない。それと違って「教わる側」でなく「教える側」の、例えば「教員採用試験の廃止」なら今すぐにでも実行できる。たった一言、こう宣言すればよいのだ。「これまで本県では数十年に一度のペースで一部の教員採用試験を実施して参りましたが、いつ実施するか分からない試験に無駄な期待を持たせるのは逆に人的資源の浪費へ繋がると考え、正式に廃止を決定いたしました。」
 そもそも青森県の教員社会には、「教員採用試験を実施しなくても、教員採用試験を受験する事ができる」という面白い常識がある。私は頭がよくないため「どうやったら実施されない試験を受験できるのか」と怪訝に思うが、どうやら総ての教員が表向き納得しているらしいので問題はない模様。書道の試験が実施されないなら国語で受験すればよい。家庭の試験がないなら別の教科で受験すればよい。試験を実施しないのが悪いのではなく、受験しない方が悪い事になるらしい。平たく云うと、臨機応変な転向努力を怠る人間は「潰しが利かない」から無用なのである。教育に学問の専門家は必要ない。
 それと同じ理屈に徹すれば、国語や体育の試験を廃止しても全く問題はなかろう。
 国語が生まれたのは明治時代である。それまで日本に国語はなかった。また国語の前提には文語から口語への移行すなわち言文一致改革があり、その中には国語廃止への流れも含まれる。嘗て前島密は「漢字御廃止之議」を、森有礼は英語採用論を提唱した。そうした流れを踏まえれば、英語教員採用試験の合格者が国語の授業を担当すればよいのであって、なにもわざわざ国語専門の試験選抜を実施する必要はないのである。~他方、体育の場合は通常の教員採用試験とスポーツ特別選考がある。これも一本化するか、もしくは他教科の教員に担当させればよい。そのために臨時免許制度が活用されている。
 教員免許更新制度は今どうなっているのだろうか。正規の免許所有者が対象なのは分かるが、臨時免許には対応しているのだろうか。そもそも教員が担当科目(採用科目に非ず)の正式な教員免許を持っているとは限らない。それどころか現場には、正式の免許を持つ「うるさ型」の教員を疎ましく思う傾向がある。そこで通常は正規免許の質的低下を期待して、正規免許所有者の正規雇用を阻む方式や、他教科の教員免許を主と見なして副免許を相対的に軽視する手法が採られたりする。

 見方次第では別の解釈もできる。国語の枠組みで書道教員を採用するのは、書道の抱える古典的言語領域を国語に取り込む意図があるからではないかと(その代わり実技や専科試験は完全免除だけど)。…で、実際に授業してみたところ、その可能性はない事が判明した。青森県の教育管轄組織では当初から基本的に、書道担当教員の実技レベル維持には関知しない事になっているらしい。
 念のため、旧稿で列挙した証言例を再録して置く。「教育に芸術は必要ない」(佐藤信隆)、「書道は芸術ではない」(金澤道生)、「書道の教員採用試験は実施されない事になっている」「私は授業を見ない主義だ」(横山泰久)等々、どれも当時または後に教頭、校長、市教育長となった教育界の重鎮達から教わった事である。…先程「実技レベル維持には関知しない」と書いたが、たまには管理職らしく指導をする。低いレベルを維持するだけならそれなりに指導を黙認するが、レベルの向上となると断固、容認しない。生徒全員が平仮名を読める様にした時の「読めないものは教えるな」(横山泰久)が典型的である。また苹の作った定期考査問題は、彼らにとっては容認できないほど難しかったらしい。~試しに、当時のと似たレベルの出題を例示してみる(↓)。
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>カントの三大批判を語群から選べ。
> a.唯物論と経験批判論  b.意志と表象としての世界  c.判断力批判
> d.純粋経験批判  e.精神現象論  f.実践理性批判  g.反時代的考察
> h.デカルト的省察  i.存在と時間  j.純粋理性批判  k.イデーン
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 取り敢えず「批判」と付くのを選べば候補は半減する。初めから学んでいないものは除外すればよい。学んだものから出題すべきだと思う人は毎年、国語や英語の大学入試問題を見て「そんな文章は授業でやってない」と難詰し続けるのが宜しかろう。
 これが「王羲之の書を三つ」ならどうなるか。語群は…そう、例えば孟法師碑、蘭亭叙、九成宮醴泉銘、雁塔聖教序、黄州寒食詩巻、皇甫誕碑、集王聖教序、風信帖、十七帖、孔子廟堂碑、蜀素帖とか。そこに図版が絡み付く。時には図版の中に「そのものズバリ」の人名が出てくるケースさえある(「羲之頓首」など)。初めて見る人は難しいと思うだろうが、そもそも高校教科書に出てくる人名・古典名は「書道Ⅰ」から「書道Ⅲ」まで総て金太郎飴みたいなものなのだから、このレベルで逡巡する様では先が思いやられる。
 皇甫誕碑も九成宮醴泉銘も同じ欧陽詢の書風なのだから、それらを一括りに理解できない様では鑑賞もへったくれもない。そこには勿論、読めないまま放置する=字を認識できない状態で猿真似させる弊害もあろう。中国語や漢文として読めるレベルまでは要求しない。字を字として認識できないレベルに生徒の理解力を抑止する教育慣行を問題視しているのだ。私が書道レベルに於て「読める」と表現しているのは精々その程度なのだが、読みやすい模範的古典と読みにくい古文書を混同する連中とは話が全く通じない。中には書字の漢字と仮名を区別できないらしき英語教員も居て、その人は苹の仮名読解重視授業に当て付けての事だろうか、「中国に行けばいい」と軽口を叩いていた。
 同様の体験をした先生(非常勤講師や部活顧問を含む)は日本全国にゴマンと居るだろう。戦後だけではない。戦前から続く話である。
8【再掲】「俺妹」受難曲04 ( 苹@泥酔 )
2011/08/15 (Mon) 22:02:15
7870 実技と鑑賞(No.7861補記) 苹@泥酔 2010/11/29 23:55

 講談社『本』2010.12号のP.7~9に、片山杜秀「不器用な子供のための音楽入門」てぇのが載っている(全文転載↓)。先日No.7861で音楽ネタを絡めた所為か、洗脳とは別の方向から振り返りたくなった。
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> ヴァイオリンを習い始めた。幼稚園児だった。一九六〇年代後半のこと。
> 持ち方を教わる。楽器を左肩に載せ、顎でがっちりはさむ。左手を添えなくても落ちないように。肩も顎も痛い。辛抱する。次は弓遣い。右手で押したり引いたり角度をつけたり。そして音階や曲を弾いてみる。音符を読めなくては始まらない。四分音符、八分音符、十六分音符……。ひらがなやカタカナを満足に読み書きできないうちに西洋音楽の記号を覚えた。
> と思い起こしてみると、昔から音楽好きだったのかと自分でも錯覚しそうだ。が、事実は違っていた。音楽嫌いになった。レッスン前日になると風邪を引こうとして裸になった。
> なぜ、そこまで稽古を嫌ったか。人一倍不器用だったので上達が遅すぎ、恥ずかしくなったせいもあったろう。
> 簡単なエチュードをなかなかこなせない。ちょっと指遣いが複雑になると、すぐ挫折する。レミファソとか、レドシラとか、音階のような動きで、あまり音程がとばない曲だと楽なのに。先生は呆れる一方だった。
> しかし、嫌いだったのはやはり不器用のせいばかりでもあるまい。
> 幼稚園の帰りがけ、遊び仲間から「午後は鉄道廃線の原っぱで『コンバット』ごっこをしよう」と誘われる。「ヴァイオリンのレッスンがあるから駄目」と答える。
> そのときの空気がよろしくない。「金持ちぶりやがって、お高くとまりやがって」という感じになる。それが刺さる。
> 正直な話、うちは中産階級も中産階級だった。平凡なサラリーマン家庭である。金持ちとかお高くとまっていると思われても困る。それでも、我が家にだって先の希望はあった。もっと便利な場所の広い家に住もう。月並みな家族にとっての子供の楽器のお稽古とは、つまりは夢なのだ。将来、住むかもしれない一等地の宏壮な邸宅で、青年となった息子が、優美にヴァイオリンを奏で、家族親族、友人知己を魅了する。毎週のヴァイオリンのレッスンは、親たちの思い描く、より豊かに贅沢にという、右肩上がりの未来を先取りする行為にほかならなかった。高度経済成長期によくあった話である。
> とにかく、ありふれた中産階級の夢のおかげで友達関係が悪くなる。かといって親のいいつけには逆らえない。稽古をすればするほど、クラシック音楽への憎悪が深まる。悪循環だ。
> なら、敵でなく味方の音楽はなかったのか。あった。何しろ六〇年代後半だ。TV時代だ。戦争映画や戦記マンガのブームもあった。怪獣や妖怪が一世を風靡した。
> その種のTV番組や映画には、当然ながら主題歌や主題曲があり、BGMの音楽もある。それらこそが、私にとって味方になる、よい音楽だった。そういう音楽の話題なら、友達とのコミュニケーションにも役立つ。
> 中でも、耳について離れなくなった音楽があった。「ゴジラのテーマ」だ。伊福部昭の作曲だ。ドレミで書けば、「ドシラ・ドシラ・ドシラソラシドシラ」を二度くりかえして始まる。ソラシドという、ピアノの鍵盤で言えば四つの隣り合った白鍵だけで弾ける。ヴァイオリンやピアノの教則本の最初級に出てくる程度かと思う。私のような楽器の下手な子供にも弾けた。
> 一方、演奏するのにもっとずっと手間のかかる、七面倒くさいクラシックの名曲が、「ゴジラのテーマ」よりもつまらない。どうなっているのかしら?
> 辛抱にも限界が来た。学校の勉強と両立不能とか何とか、親をまるめこみ、やっとヴァイオリンをやめた。小学校高学年になっていた。
> 楽器からの解放感は、私をかえって音楽に近づけた。今後はただ聴いて楽しめばいい。映画とTVの音楽に取り囲まれ、録音アーカイヴの小王国を作り、満足した。クラシックなんて二度と聴くものか!
> けれど、その決心はじきに揺らいだ。小学校の音楽の授業で、十九世紀ノルウェーの作曲家、グリーグの組曲『ペール・ギュント』を鑑賞させられたときに。
> 既にグリーグは知っていた。ヴァイオリンの稽古のついでに、先生と彼のピアノ協奏曲イ短調を聴いたことがある。えらくつまらなかった。『ペール・ギュント』にもきっと退屈するだろう。が、直後に身を乗り出した。組曲だから、幾つもの小曲が並んでいる。その中に「山の魔王の宮殿にて」というのがあった。
> その曲は、ドレミで書くと「ラシドレミドミ」というメロディを、呪文のように繰り返す。しかも「ラシドレミ」まではピアノの鍵盤で言うと隣接する五つの白鍵を上がるだけだ。ただの音階だ。おまけに、悪魔の音楽だから激しくおどろおどろしいテンポとリズムと音色と音量が与えられる。伊福部昭の「ゴジラのテーマ」と似た種類の音楽に聴こえた。
> これもクラシックなのか。私は惑った。「山の魔王の宮殿にて」のような曲が、他にもあるとしたら、クラシックも捨てたものではない。
> だいたい伊福部昭とは何者なのだろう? 映画音楽家と信じてきた。けれどグリーグだって、クラシックの作曲家でありながら芝居の伴奏音楽を書いているではないか。『ペール・ギュント』はそうだという。すると、映画音楽家とクラシックの作曲家は両立しうるのでは? そういえば、伊福部の怪獣映画の音楽は、だいたいオーケストラだ。ジャズでもロックでもポップスでもなさそうである。もしかしてクラシックなのか。
> 調べ物をした。そうして、伊福部は一九一四年に生まれ、戦前・戦中に『日本狂詩曲』や『交響譚詩』といったオーケストラ作品で認められ、戦後に映画音楽も手掛けるようになったと知った。一九七〇年代半ばの話である。
> やっぱりクラシックだったのか。ヴァイオリンのレッスンを何年やっても登場せず、先生がその存在も教えてくれないマイナーなクラシック音楽の領分があって、それを怪獣映画の音楽として聴いていたのか。
> 私にとってクラシックとは、友達と私とを疎遠にする音楽で、怪獣映画の音楽はその逆のつもりだった。線引きが違っていたらしい。
> 改めてクラシックの門を叩くことにした。最初のうちは「ゴジラのテーマ」や「山の魔王の宮殿にて」と同じタイプの音楽をひたすら探し求めた。ストラヴィンスキーやプロコフィエフを気に入った。
> そうしているうちに、次第に聴き方が細かくなった。音階を上下するような単純なメロディや、簡潔なパターンの執拗な繰り返しといったようなものは、伊福部昭やストラヴィンスキーほどではなく、もっと隠れた具合だとしても、マーラーにもブルックナーにもチャイコフスキーにもベートーヴェンにもモーツァルトにもバッハにも、あちこちに見つけられると気づいた。嫌いだった大作曲家連中も、いつの間にか近しく思えてきた。
> 人には子供のうちに身につく音の好みがきっとあるのだろう。私には、不器用な子供でもすぐになぞれる、音階のような音の並びがいつまでたっても結局いいのだ。本当の趣味はそこからしか広がるまい。いくら大人になっても。
> 雀百まで踊り忘れず。
>  (かたやま・もりひで 慶應義塾大学准教授、音楽評論・政治思想史)
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 …授業は難しい(汗)。
 或る意味、教員が知識を蓄えるのは簡単だが、その知識を生かすのは難しい。生かし方の難しさは当然ある。しかしながら他方には、生かし方を敢えて殺す必要に迫られる事もあるから厄介だ。

(余談)
 先日、こんな読売記事があった(↓)。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20101119-OYT8T00602.htm
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>小学教諭、無免許で授業…都教委4年間気づかず
> 東京都教育委員会は18日、立川市立小学校の女性教諭(56)が、正規の教員免許を持たないまま授業を行っていたと発表した。教諭は同日付で失職した。
> 発表によると、女性は1990年、青森県でのみ3年間有効の臨時免許を取得したが、2006年に都教委の臨時的任用教員に応募。都教委の担当者は免許がないことに気づかず採用した。
> 女性は同年以降、世田谷区1校、国分寺市2校と立川市1校の小学校計4校で勤務し、担任もしていた。
> 今月16日、都教委に教員免許の取得方法を問い合わせ、無免許が発覚。女性は来年度の正教員の採用試験に合格しており、採用時に教員免許を提示する必要があったため、都教委では、女性が取得方法を問い合わせたとみている。
> 都教委に対し、女性は「問題ないと思った」などと話している。都教委によると、児童の授業修了の認定は各校長が行うため、授業を受けた児童への影響はないという。
>(2010年11月19日 読売新聞)
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 青森感覚で見れば奇妙な話である。なぜ無免許ではいけないのか。県教育庁では通常、無免許を承知の上で人材を募集したり、或いは臨時免許を交付して教壇に立たせるロンダリング機能を業務の一部としている。それが青森県では正常な教員採用方式なのだから、東京基準で一方的に使い捨てにされるのは「まともな教員」の方となり、青森側の教員経験者としては到底、納得できるものではない(…おっと、久々に出たぜ「苹@反日実験人格」モードw)。
 なぜ「まともな教員」と断言できるかは、青森県の教員採用試験の願書を見れば分かる。そこにはしっかり、所有免許外で担当できる科目の記入欄が設けられてあるからだ。今はどうだか知らないが、少なくとも数年前の用紙が相変わらずである事は確認した(なんならスキャナで取り込んで、「つくる会」東京支部板に画像投稿しようか?)。総ての受験者はそこに記入したり、或いは記入しなかったりする。
 つまり青森県の教員人事に携わる人々は全員、採用する側も採用される側も、「正規の免許を所有しない科目を担当する事がある」という前提で教員採用し、かつ採用通知を受諾しているのである。それが青森基準の「まともな教員」を根拠付ける。そうでない教員志願者は何らかの原因(=必ずしも当該欄への無記入が原因ではなかろう)で採用されないか、もしくは最初から受験しないからだ。従って、採用された範囲内で「まともな教員」と認知される場合、彼らの集合は(願書から当該項目が削除されていない場合)総て少なくとも一度は受験時点で踏み絵の経験がある事になる。
 よって、記事中の女性が「問題ない」と思うのは当然であろう。~なお、臨時免許の交付件数に関する十年前の新聞記事は下記リンクに掲載した通り(画像をクリックすれば拡大↓)。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_p_416.html
 参考までに、今年あった話題はコチラ(↓)。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_pr_490.html
8【再掲】「俺妹」受難曲03 ( 苹@泥酔 )
2011/08/15 (Mon) 21:59:33
7886 二玄社の故宮複製について調べてたら… 苹 2010/12/27 18:35

 ヒマネタ…になるんだろーな、コレって。~以下は産経記事の転載。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101226/acd1012260247000-n1.htm
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>【土・日曜日に書く】論説委員・清湖口敏 日本で「恋人」に会いたい
>2010.12.26 02:46
>  ボストン美術博物館館長ジョン・シルバーは、「快雪時晴帖(かいせつじせいじょう)」に思いを募らせた。「手に入るなら魂を悪魔に売り飛ばしてもいい」「私は王羲之(おうぎし)の真蹟(しんせき)にいまだ接したことはないのだ」-。
> たとえ小説(伴野朗著『流転の故宮秘宝』)の中の話とはいえ、美術館館長にそこまで惚(ほ)れさせたくらいだから、王羲之の「快雪時晴帖」はよほどの秘宝に違いなかった。もとは中国(大陸)にあったものだが、今は台北の故宮博物院に収蔵されている。
>
> ◆いざ故宮博物院へ
> 別件の取材で初めて台湾を訪れた先月下旬、合間を縫うように慌ただしく故宮博物院に足を運んだ。目的はもちろん、写真でしか見たことのない「快雪時晴帖」を実際にこの目に焼き付けることだった。それさえかなえばもう、魂を悪魔に売り飛ばし、取材のことなど忘れても構わないと…。
> 王羲之との出会いは20代の頃に遡(さかのぼ)る。まったくの初学ながら、「蘭亭序(らんていじょ)」の臨書に挑んだことがあった。「蘭亭序」は、書の愛好家なら大抵が一度はその書法に学ぶという、書聖・王羲之の傑作中の傑作である。
> 東晋時代の紀元4世紀を生きた王羲之は、紹興酒の里として知られる紹興の景勝地、蘭亭で宴を催した。その際に人々が作った詩を集め、王羲之自らが序文として書いたのが「蘭亭序」である。潤いを感じさせる伸びやかな書線と、多くの「之」や「一」をみな違った字形で書く変化の妙にいたく感心した覚えがある。
> もっとも、この「蘭亭序」は王羲之自身の真蹟ではない。王羲之の書に魅せられた唐の皇帝太宗は、阿漕(あこぎ)な手段で真蹟を手に入れると、欧陽詢(おうようじゅん)ら当代きっての書家に臨書させた。こうして模写は後世に残ることになったものの、真蹟はといえば、太宗が自らの遺体とともに陵に副葬させたためこの世から消えてしまった。ばかな皇帝もいたものである。
>
> ◆これぞ唯一の真蹟か
> ところが「快雪時晴帖」については、これぞ真蹟だと長く信じられてきた。大陸での国共内戦が激化し共産党軍に追いつめられた国民党政権が、かつては紫禁城(北京)などにあった中国五千年の秘宝を台湾に移送したのが1948~49年である。「快雪-」が模写だと言われだしたのが68年頃(故宮博物院)だから、移送当時、それはまだ真蹟として扱われていた。数十万点の移送文物の中でも特別の宝だったことは、先の小説でも描かれた通りである。
> わずか4行の手紙文にすぎない「快雪-」は多くの所蔵印や賛美の跋(ばつ)にあふれ、清の乾隆帝は「神」とまで大書している。真蹟だと強く信じていたのだろう。もちろん精緻な模写であることが判明した今でもなお、それが至宝であるのは疑いない。
> だから一目だけでも、との思いで訪ねた故宮博物院だったが、無念にも展示期間の関係で思いは果たせなかった。後日、故宮博物院に王羲之の次回の展示予定を尋ねると、来年9月下旬頃から3カ月ほどだとか。羽田空港からの国際便就航で、台北までは確かに日帰り圏とはなった。とはいえ、展観時期に合わせての台湾再訪となるといささかの面倒もなくはない。
>
> ◆法の整備を早く
> 恐らく私だけでなく日本の多くの書道愛好家、美術愛好家はもっと手軽に、日本国内で「快雪時晴帖」を含めた書画や陶磁、玉器などを鑑賞したいと思っているはずである。ただ日本で展示するためには、避けて通れない大きな課題がある。法の整備だ。
> 平成20年夏、東京の江戸東京博物館は大賑(にぎ)わいを見せていた。館内には「蘭亭序」をはじめ黄庭堅(こうていけん)、蘇軾(そしょく)らの書が展示されていた。それらは北京の故宮博物院が所蔵しているもので、それ以前にも上海博物館の書が日本で展示されたこともあった。
> 北京や上海の文物なら許されても、台北の故宮博物院の文物は日本で展示することができない。中国が展示品の所有権を主張し、差し押さえを求めてくる懸念があるからだ。フランス、ドイツなどではそのような事態を避けるための法律を制定している。
> わが国でも同趣旨の「海外美術品等公開促進法案」が先月、議員立法で提案されたが、先の国会で成立することはなかった。日本にとって台湾は、地理的にも心理的にも戦前戦後を通じて最も近しい隣人ではなかったか。日台の交流代表機関である交流協会の畠中篤理事長は今春、「(日台間の)今年最大のイベントは故宮展示を成功させることだ」と、故宮展の年内開催に意欲を見せていた。
> 残念ながら年内開催の夢はついえた。しかし来年にはきっとわが国で、いとしの「快雪時晴帖」に会えるものと信じている。わが国で…。(せこぐち さとし)
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 ちと気になったので、昭和五十七年頃の「出版ダイジェスト」を引っ張り出してみたものの、目当ての記事が見つからない。当時は二玄社が台北故宮博物院の名蹟を完全複製して、大々的に売り始めた時期。…誰かが書いてたと思うんだけどなあ。台北でも展示には通常それを使ってて、真蹟は長期保存のため「お蔵入り」してるって話を。あれはもっと後の記事だったかしら。
 その後も二玄社は着々と複製作業を進めて、第二期(?)では許道寧や李唐など色々なのが出て、暫くしたら上海博物館や遼寧省博物館のも手掛け始めて、遂には広島原爆で失われた王羲之「遊目帖」まで戦前の白黒写真からデジタル複製しやがった(ここまで来ると、死人を墓から叩き起こす様な感じが…)。平成に入った頃は複製を大陸(共産中国)に持ち込んで大々的な展覧会を開催。世界規模で販売してて、今は電子メール経由で注文できる(↓)。
http://www.nigensha.co.jp/kokyu/index.html
 清湖口氏は次回の展示予定を尋ねたそうだけど、「複製ですか本物ですか」の確認はしたのかしら。海外展なら本物が来るんだろうけど、本拠地での展示はどんなものだか。記事を見て「よーし、父ちゃんも行っちゃうぞー」ってなるケースは結構ありそうだからなあ。先ず東京神田の二玄社ショールーム(だったかな?)でゆっくり見てから台湾に行く方がいいのかも。昔はよく日本全国で複製の巡回展やってたっけ(私も第一期の巡回展を見た)。
 因みに、王羲之「快雪時晴帖」の複製はこちら(↓)。
http://www.nigensha.co.jp/kokyu/jp/c02.html

 それより、久しぶりに昔の「出版ダイジェスト」を見てビックリしたのは、名前に見覚えのある人が「複製絵画論(その一)~(その五)」を連載していた事。なんと、若き日の井尻千男(!)。今では保守系論壇で活躍中の拓殖大学名誉教授でやんす。『WiLL』か『正論』か「チャンネル桜」で蘊蓄披露した事はあるのかしら。
・「その一」1187号(S61.12.11付)「小林秀雄のゴッホ」
・「その二」1199号(S62.04.01付)「マルロー“空想の美術館”と複製技術の進歩」
・「その三」1212号(S62.06.23付)「崔白「双喜図」と近代リアリズムの精神」
・「その五」1233号(S62.12.11付)「胸中山水の極北」
 紛失したのか、「その四」が載っている筈の号は行方不明…(泣)。
8【再掲】「俺妹」受難曲02 ( 苹@泥酔 )
2011/08/15 (Mon) 21:57:03
7861 鑑賞授業…雑感 苹@泥酔 2010/11/12 00:36

 NHKの番組と云えば、「名曲探偵アマデウス」が面白い。BS-hi「アインシュタインの眼」書道ネタの初回放送直前も、BS-2ではシューマン《詩人の恋》のを再放送していた。失恋した詩人の歌詞は「僕は恨まない」なのに、伴奏の方は延々と下降する恨み節(苦笑)。こんな解説があると分かりやすさや親しみやすさを通り越して、「音楽の授業もこんな具合ならいいな」とか、「書道の授業もこれくらい言葉で筋道立てて説明できたら…」などと羨ましくなっちまう。ただ生徒の前で書いて見せるだけでは駄目だ。ざっと曲を弾いて見せて「さあ、練習しましょう」とやらかしたり、書いて見せる際の擬音「トン、スー、トン」だけで説明したつもりになるのと同じくらい…いや、もしかすると、先生が弾けるならまだマシな方なのかも。そう云や、兵庫教育大の小竹センセが「書道美術新聞」948号の連載で、「担当教諭は前にいながらも、書道塾に通っている子を次々に指名しては、「今日は**が先生役!」で過ぎていった、いいようのない六年間であった」と、昔の体験を絶望感(?)たっぷりに回想してたっけ。
 弾ける事と、書ける事。~まさか開き直って「弾けますけど、何か?」で済ませる訳にもいくまい。そもそも基礎は技術でも理念でもない。それを基礎と思う人は、実際に演奏したり制作したりする側に限られるだろう。基礎の領分では時間が停止するから、それをアクチュアルな技術や理念に結び付けるための観察や分析を踏まえないと、学ぶ側の方が技術や理念から置いてきぼりを食らってしまう。~だから鑑賞は難しい。尤も、「鑑賞に基礎は要らない」と云うなら話は別だが。
 例えば観察や分析を理念と混同すると、今度は理念の方が「愛すべき曖昧さ」や「茫洋たる霊感」の力を失ってしまう。理念はそれ自体が根源の力であって、作品に触れようとした途端、どこかに霧散してしまうくらいが丁度よい。こんな喩えで構わないかどうか心許ないが~差し詰め戦闘状態の兵士なんざ、銃を構える前に一々「我々は正しい」などと理屈をこねくり回している場合かね。目の前の敵を倒す事に集中するのが当たり前だろ。そして従軍記者もまた、戦闘現場に居合わせたら自分の仕事に集中する(撃ち殺される危険があるにもかかわらず!)。ただの傍観者ではない。傍観者になるくらいなら、さっさと逃げた方がよほど本能的にまともだろう。
 鑑賞の最中、生徒を見ると「授業から逃げている」様に感じられた事が間々ある。特にビデオを用いた時が顕著だった。~今や記憶は殆ど失せているが、あれはフランスの映像作家が書道を題材にしたビデオを見せてみた時だったかな。奥地の老婆が一心不乱に拝んでいる場面でふと振り返ると、或る男子生徒の苦虫を噛み潰した様な表情が印象に残った。…そう云や音楽の先生が出張中の自習課題を一つだけ出し忘れた時、どうするか迷った事があったっけ(この件は前にも書いたが~今にして思えば、いっそ教務部に丸投げすればよかった…orz)。あたしゃ当時まだDVD化されていなかった私物お宝AVを見せる事にした。書道の授業の後始末を指示した後、少し早めに切り上げて音楽の後片付けに向かったところ、素人課題の結果は大失敗と判明。生徒の大多数はビデオそっちのけで、他にはハアハアしながらテレビ画面かぶりつきで見てた例外的男子生徒が一名。
 その時の内容はC・クライバー指揮の歌劇《カルメン》第一幕、NHK「芸術劇場」で放映された際の録画だった(クライバーは聴衆を熱狂させる事と、滅多に録音も演奏もしない事で有名)。面白いと思う人には垂涎の的だが、そうでない人にとっては単に古臭いだけ(?)の異人文化。極端な話、よほど鈍感な指導者でもない限り「これ見て感動しろ」なんて言える訳がない。ただし唯一の例外~すなわち洗脳を除いては。逃げ道を遮断して一つの方向に心理状態を誘導する手法が有効である事は、諸々の先行研究から概ね判明している。…と書いたら、ふと大学時代を思い出した。教育実習の時、模範授業の感想を求められて正直に「アジテーションの才能を感じた」と応えたら、場の雰囲気がガラリと変わっちまったんだっけ。今となっては何故か懐かしい。(あたしゃ褒めたつもりだったのにねえ。)

 …ここらでチョイと一休み。最初2chで見た記事の引用(↓)。
http://www.news-postseven.com/archives/20101107_5045.html
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1289093994/l50
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>中国の小中学生 修学旅行の一番人気は南京大虐殺記念館
>2010.11.07 10:00
>中国の小中学生が反日を学ぶのは学校内だけではない。遠足や修学旅行では、各地の反日記念館を訪れるのが慣例だ。なかでも一番人気は南京事件の際の日本軍の蛮行の史料を展示したという南京大虐殺記念館である。2007年12月のリニューアルで、敷地面積は旧館の3倍の7万4000平方メートルに拡大された。取材で訪れたジャーナリスト・山村明義氏は語る。
>「入り口の正面にはいきなり『300000』と犠牲者数が彫られたモニュメントがある。あくまでこの数字を主張し続けるようです。それどころか、展示の説明文には34万人と記されているケースもあり、さらに水増しされていた」(「東京裁判」では被害者は20万人とされていた)。
>展示物には、明らかに合成と分かる写真などが満載で、まさに“共産党のプロパガンダ”という言葉を彷彿させたという。しかし、年端も行かない子供たちがこういった残虐な写真を見せられれば、無条件に日本に対する憎悪を膨らませることになる。
>「中国の小学校で日中戦争の歴史を教える段階になると、教師は日本軍の残虐行為を涙ながらに語り、感極まって泣き崩れる。子供たちも泣き叫んで興奮し、教科書を黒板に投げつけたり、机をひっくり返したりという集団ヒステリー状態になる。最後は教室が静まり、恍惚として日本憎しの一体感を共有する。これは私の甥が実際に受けた授業の内容です」(中国出身の評論家・石平氏)
>明星大学戦後教育史研究センターの勝岡寛次氏によれば、前述の中学校歴史教科書の教師用指導書には、教室での指導方法を解説したビデオCDが添付され、その中にはこんなシーンがあるという。
>教師「人殺しはするわ、放火はするわ、凶悪の限りだ」(生徒に復唱を促す)
>生徒「人殺しにするわ、放火をするわ、凶悪の限りだ」(生徒は全員で復唱)
>こうなるともはや“洗脳”である。勝岡氏によれば、「教科書には『南京大虐殺を勉強したら、日本の中学生に手紙を出して真実を伝えよう』というテーマ学習まで“ご丁寧”に盛り込まれている」そうだ。
>※週刊ポスト2010年11月12日号
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 これはこれで、実に立派な「鑑賞授業」だと思う。見習ってよいのかどうか、正直なところ戸惑う。
 私の場合、一心不乱に祈る老婆の映像を通して「一体感を共有」させようなどとは思わなかった。そこに授業の根本的な不徹底があったのかも知れない。授業から逃げ出したくなる気持ちはそこそこ忖度できるのに、反面どうした訳かクライバーの《カルメン》を通すと、逃げるどころか「もっと見たくなる」気持ちもすんなり納得できてしまう。ここでいきなり「南京大虐殺を楽しむ」(!)心情を仮構すれば話が倫理面でややこしくなりそうではあるものの、授業の目的達成を前提する場合、どこかに「楽しむ」要素(所謂「自虐」を含む)がないとカタルシス効果は得られまい。そして快と不快は(以下略…カントの『判断力批判』を持ち出すと長くなる…)
 話が洗脳に及ぶと事はいっそう奥深い。ここでは差し当たり、二冊を紹介するに留める。ミルグラム『服従の心理』(河出書房新社)と、苫米地英人『洗脳原論』(春秋社)と。
 …試してみよう。
「人を見たら泥棒と思え。」(復唱)
 …間違えた(汗)。
「書を見たら美しいと思え。」(復唱)

 …話を戻す。
 時間がゆっくり、今にも止まろうとするほどの動きにありありと息づく時、それを退屈と思う人は予め時間の集中から弾かれる。~先月のNHK教育「こだわり人物伝」では、指揮者の佐渡裕が師匠バーンスタインについて語っていた。引用は市販テキストP.17~18より(↓)。
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>「ユタカ、俺と握手しよう」と言われたまま手を差し出すと、彼も手を出して、「できる限り遅いスピード、目には止まって映るほどゆっくりお互いの手を近づけていこう」と言い出すのです。わずか二十センチの距離を、息を凝らし指先に全神経・全精神を集中させ、何分もかけて近づけます。「触るな、まだ触るな!」。お互いの手と手がもう接触するほどに近づいたその時、バッと私の手を握るのです。その瞬間、落雷か高圧電流を受けたかのようにビリビリと衝撃が私の体を貫きました。
> バーンスタインはみんなに向かって「いま俺たちがしたことは手と手が近づくという非常に単純で静かな動きだけだが、その手と手のわずかな空間には極限の緊張感やエネルギーや集中力が生み出されたことを感じたな。これが能で、日本人が特別に持っている才能だ」そして「マーラーの《交響曲第五番》四楽章り〈アダージェット〉も同じことだ。指揮をするというのは、腕を振り下ろしてビートを出すだけではなく、今のように緊張感を持続させて目的に向かっていくこともある。まっすぐ手を動かすという動きの美しさで、マーラーの〈アダージェット〉は指揮できるのだ」と続けます。
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 これが第一回の放送。次回放送ではマーラーsym.6終楽章45小節目以降のスローテンポでリハーサルが紛糾した話が出てくる。…遅い演奏なのだろう。カラヤン、ショルティ、レヴァイン等々、架蔵のCDでは思い当たるだけでもざっと十種類以上がみな速い。遅い演奏はバルビローリ、テンシュテット、シノーポリ。苹はテンシュテットのEMI旧盤が好きなので、バーンスタインを聴いても遅いとは思わなかった。つまり遅い演奏に慣れた耳は或る意味、鈍感なのである。
 バーンスタイン晩年の演奏はテンポ変動が極端に大きい。速い箇所は恐ろしく速かったりする(チャイコフスキーsym.4第一楽章とか)。若い頃のも、例えばCBS(現ソニークラシカル)に録音したブラームスsym.1の最後は非常識に速い。遅い演奏の筆頭格はチャイコフスキーsym.6終楽章。普通なら九分程度の所を、かのチェリビダッケよりも遅く十七分かけて演奏している。しかしそこが却って魅力的だったりする。むしろ普通の演奏の方が難しそうに思える。
 かなり迂回した書き方になったが、要するに~それと似た事をNHK「アインシュタインの眼」から感じた次第。スローモーション映像による細部の拡大は分析的な観察に役立つ一方、実際の揮毫における呼吸とは別の、更なる分析的呼吸を導き出す事にもなる。
 仄聞するところ支那人書家には、日本人書家と比べて遅く書く傾向があるらしい。私の場合は明清調を習った時に実感した。確かに速く書いていた。ただし翠軒流は例外的(?)で、半紙に臨書する際かなり遅く書く傾向があるが、条幅作品では正反対の超高速。この落差が非常に興味深かった。…スローモーションならもっと分かりやすく観察できるだろう。飛燕の様に俊敏な動きを、中にはテニスラケットの振り方などに見立てる向きもありそうではあるが、その要領を先ず超低速の臨書学習で掴み取るからこそ、本格の翠軒流では「見た目の流れに流されずに」体得できるのだろう。

 ところで~番組冒頭に筆圧の話が出てきた。あれも必要に応じて分けて捉える方がよさそう。屈曲頓挫時の筆圧と、屹立集中時の筆圧と。どちらも検査機材のセンサーにかかる筆圧自体は似たり寄ったりなのだろうが、例えば「和」字(蘭亭叙の暗書?)縦画の場合、起筆の屈曲筆圧(筆鋒の開いた状態)と収筆の屹立筆圧(筆鋒の閉じた状態)とでは、接紙面における筆圧の集中度も毫の捩れ方も異なる。各自その辺を録画から読み取るとしたら、横画収筆と縦画起筆を比較する事になるのだろう。~底面から見た捻転の動き(「収筆→起筆」の間の動き)以外にも、注目すべき点はあるという話。
 その場面を示範した先生とは十数年前に一度だけ会った事がある。と云っても、偶々紹介を得て二言三言を交わした程度に過ぎない。どんな話の流れだったか忘れたが、「鈴木敬、新藤武弘、米澤…」と羅列したところ先生は即座に「カホ」と続け、読み方に不安を覚えていた私は「ああ、カホでいいんですか」と応えた。米澤嘉圃と云えば中国絵画。あの先生はどうやら、そちら方面への造詣も深いらしい。道理で番組内、教場に掛けてあった掛軸の一つが李唐の「萬壑松風圖」二玄社複製だった訳である(見間違いでないなら多分コレ↓)。
http://www.nigensha.co.jp/kokyu/jp/p42.html
8【再掲】「俺妹」受難曲01 ( 苹@泥酔 )
2011/08/15 (Mon) 21:54:10
7857 【正月に】NHKの書道ネタ【続け】 苹@泥酔 2010/11/07 02:04

 NHK「アインシュタインの眼」の次回放送予定は下記の通り。
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『♯118 書道 達人の極意を科学する』
若い世代でブームとなり近年盛り上がりをみせている書道。日本の書道人口は400万以上とも言われている。書道は毛筆を使って字を書く東洋独特の文化。その上達のコツは、「穂先」と呼ばれる筆先のコントロールにあるという。プロの書家がみせる筆さばきのテクニックをハイスピードカメラで撮影するとともに、上手な書をかくための「筆圧」の極意を特殊な圧力センサーで解き明かす。一方、プロの書家による芸術的な作品は、どのようにして生み出されるのか。大胆なパフォーマンスと前衛的な作品で知られる柿沼康二さんに注目し、選び抜いた「文房四宝」(筆・紙・すずり・墨)を駆使して、独自の線を書き上げていく瞬間をハイスピードカメラでとらえる。さらに柿沼さんの書にミクロの眼で迫り、そこに隠された「多重構造」の秘密や、墨の中でうごめく粒子をコントロールする驚きのワザを発見する。
BS-hi
11月 7日(日) 午後 6:45~ 7:29
11月 9日(火) 午後 7:00~ 7:44
11月11日(木) 午前 8:00~ 8:44
BS-2
11月12日(金) 午後 8:00~ 8:44
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 以上、取り敢えず宣伝のみ。どんな内容になるのやら?
4「とめはね」再掲 ( 苹@泥酔 )
2011/08/09 (Tue) 23:56:02
 いつもの様に数日遅れの「書道美術新聞」が届くと、一面記事に目を通した後、毎回楽しみにしている小竹光夫「備忘言志録」連載を読む。~2011.8.1付の最新966号は書道パフォーマンスのネタだった。どうやら教え子が高校で教えているらしい。そこの生徒がやりたがったとの事で、小竹教授は当初絶句した模様。生徒達の身勝手な自己満足が一番アブナイ。これを教授は「刹那の舞」と表現するのだろう。しかしそうはならなかった模様。よかった、よかった。…でも、ほんとにそうなったのだろうか?(一寸先は闇)
 小竹先生は綴る。「大切なのは、本人たちが「良かった!」と実感するだけでなく、そのことを通じて見る者に何を与えたかであろう」と。…とんでもない。もしかしたら、そっちの方がアブナイのかも知れない。敗戦後の書道教育は「軍国主義に加担した」咎で指導禁止と相成った。その後遺症が今も残存しているからこそ、書教育が未履修レベルに至るまで堕落し続けてきたのではなかったか。この状況を却って好都合と見る向きが、教育界には~国語方面のみならず、現に、ある。

 中には「教育上不適切」やら何やらの理由で実現が難しそうな切り口もあろう。例えば「時事ネタ書道パフォーマンス」。もし岩手県立××高校書道部と早乙女ダンサーズ(仮称)が「怪しいお米セシウムさん」騒動を承けて「怒りの書道パフォーマンス」をやったらどうなるだろうか。でっかく書く字は差し詰め「抗議」辺りになるのかいな。サビの部分で早乙女達が祈る様にしずしずと歩み出ては、稲穂片手にバレエのアラベスクに近いポーズを一斉に繰り返すさまが目に浮かぶ。因みに音楽はネット上こんなの(↓)が出回っている模様。ただし出来はひどく、あたしゃ聴き過ぎたら夜中に魘された。
http://www.youtube.com/watch?v=bAZRUQJfXlU
 こんなネタを取り上げると「不謹慎だ!」「ふざけるな!」と叱られるかも知れない。或いは実行が後になればなるほど「高校生による政治批判」の色彩が濃厚に見えてきて、ともすれば教員達による阻止行動(指導名目)が起こるかも知れない。書道パフォーマンスの「学生運動」化など、色々な意味で時事ネタはこわいかも。
 あっしの場合は副作用で、初めて見た時からテレビ局のマスコット名が「セシウムさん」だと刷り込まれた。これからは誰も本名で呼ばなくなるのではないか。…ほら、見てごらん。…見れば見るほど見えてくる。…セシウムさんがいっぱい(↓)。
http://tokai-tv.com/wandaho/
 しかしこれではただの東海テレビ叩きになる。いっそ局側が件のマスコット「わんだほ」を正式に自虐キャラ「セシウムさん」へと改称して、東北応援キャンペーンに転用したらどーだろか。実際お米は今年「怪しい」のだから(再開されたコメ先物取引の結果を見よ)、一躍有名になりつつあるマスコット柄の限定パッケージでタイアップ、「局が全量検査に協力」「応募券を集めれば××プレゼント」などと宣伝費を度外視した上で大々的に売り出す手も考えられぬではない。
 そこに再び書道パフォーマンスを持ち出したなら。~これはこれで、別方面から「教育と子供の商業利用」が問題視されていくかも知れない。本気でやるなら予め、高校野球などの前例を研究して置くに越した事はない。

 …あ、ついぞウッカリ脱線しちまった。ぼちぼち本題の旧稿再掲と参ろう。
 以下に再録する「とめはね」ネタは、管理人の蘭様からのレス(No.7708)を承けて書き始めた。延々と続く大分ネタの新聞記事転載を含め、前後する補稿の扱いをどうするか暫し迷ったが総て原文通りと決めた(誤字打鍵もそのまんま)。旧板ツリーの下層投稿を優先するので時系列順の再掲とはならない。興味ある人は各自(たぶん一人も居ないだろうけど)、投稿日時に基づき順番を組み替えてから読んでいただきたい。
 No.7861の後にはNo.7870以降の「俺妹」シリーズが続き、大震災による中断後、「俺妹」最終稿No.7934で言及したモダニズム云々を承けてNo.7951以降の「批評と臨床」シリーズが始まる。
8【再掲】「とめはね」ネタ19 ( 苹@泥酔 )
2011/08/12 (Fri) 23:39:41
7828 「とめはねっ!」雑感(其八) 苹@泥酔 2010/09/04 21:28

(No.7810訂正)
 第二段の訂正。
「このところ日曜昼前のBSを見ると」→「このところ土曜昼前のBSを見ると」
 以下本題。


●「うらみ葛の葉」
 NHKドラマ「とめはねっ!」の放送を契機にダラダラ始めた一連の話題(スレッド表示参照)、漫画原作のモデル校となった大分の一件を差し挟むと、微妙に焦点がずれちまってる様な気がする。本題は書道パフォーマンスの方だったのねー(自身すっかり忘れてた?)。この辺、ちょいとばかり補足して置く。
 書道パフォーマンスと云えば、今じゃ映画化までされた「ガールズ」の集団揮毫を指すのが一般的な印象らしい。ソリャもう、どこを見ても女、女、女…。おいこら、そこの野郎ども。いっそ開き直って女装でもしてみやがれ(あくまで冗談でやんす)。とは云え勿論、前に書いた通り応援団だの何だのと、それなりに他のネタを考えられなくはない。しかしやはり女の魅力には敵わない。しかも近年では美少年の所謂「ボーイズラブ」幻想や女装が、「腐女子」達(って云うのか?)から好感されているらしいではないか。むさい中年のオッサンが女装すればただの変態だが、美少年ならまだどうにかなるのかも。
 …そうなのだ。これからは女装の時代なのだ(と敢えて強弁してみる)。昔からそうだった。三島由紀夫と交流のあった美少年なんざ、約半世紀を隔てた今もなお見事に着飾り活躍しているんだし。そしてその前は…と書けば誰でも思い当たるだろう。云わずと知れた役者でござる。差し当たっては歌舞伎の女形。しかしこれを持ち出すと、さすがに素人にゃ荷が重過ぎる。迂闊に手を出そうものなら、伝統の担い手達から「芸をなめるな」と罵られそうだ。

 歌舞伎の演目に、「葛の葉」ってぇのがあるそうな。あたしゃ見た事はないが、元々は人形浄瑠璃らしい。正しくは『蘆屋道満大内鑑』。この中に或る種の書道パフォーマンスがあり、その筋では「曲書き」と云う。~そこで検索したところ、こんなサイトを見つけた(↓)。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~freddy/watching164.htm
 その中に、こんな画像がある(↓)。「十二世仁左衛門の葛の葉」だそうな。これがまた、べらぼうにウマイ。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~freddy/photo/yakusya/12nizaemon/kuzunoha2.jpg
 そんでもって調べてみると、この仁左衛門(↓)てぇのは書の素養が重んじられていた時代末期の人らしい(明治十五年1882~昭和二十一年1946)。この頃は観客もさぞ目が肥えていた事だろう。字を見た途端に興醒めする様では総てぶち壊しである。…先に「べらぼうにウマイ」と書いたが、この程度なら誰でも書けた時代である。まともな書き方なら、古筆の苦手な苹だって書ける。その「まともな書き方」のレベルを、彼ら役者は「曲書き」で維持するから恐れ入る。これを仮に書道パフォーマンスの古典とみなすなら、今の「書道ガールズ」のそれは児戯に等しい。
http://www.kabuki-bito.jp/kabuki_column/actorofmemory/post_158.html
 ところで、この仁左衛門。他方では一家と女中の五人が殺害された件で有名らしい。みな頭を斧で割られていたとの事。なにやら横溝正史の探偵小説に出てきそうな…と云えばいかにも無粋ながら、市川崑監督の映画『獄門島』には、草笛光子が口にくわえた筆で「うらみ葛の葉」と障子に書くシーンが出てくる。あれは仁左衛門に負けず劣らず達筆だった。こうでなくてはいけない。(ただし発句屏風の方は中途半端に下手。市川監督は原作の描写をそう解釈したのだろう。因みに、書家に依頼したらしきテレビ版の方は上手いから全然ダメ。そもそも下手な字で書いてあるから「金田一探偵が読めなかった」って筋書きになるのに、あれを上手く書いちまったら辻褄が合わなくなるではないか!)

 …以下は単なる思い付き。
 もし「書道甲子園」の様な新興イベント(?)に本格的なパフォーマンス部門を設ける気があるのなら、放恣となるのを防ぐための里程標が要る筈。…ここらで梨園と連携して、共通課題に「葛の葉」を用いたらどうなるだろか。もし可能であれば、伝統衣裳は決勝段階(?)で歌舞伎側から借り受けるとか(高価だから無理かな?)。
 こんなの実際にやるのは無茶かも知れんが、たぶん漫画やドラマの中でならどうにでもなる筈。大分ショックを乗り越える上でのヒントになれば…と書いてて気がついた。これって一種のネタバレになっちまうのね(汗)。どのみち苹案が採用される事はないだろう。しかしながら、それはそれ。
 大字揮毫にしろ演劇的揮毫にしろ、見せ場には相応の刺激が要る。見方次第では、そこんとこが厄介となるだろう。と云うのも、所謂「芸術書道」の要請動機自体、実用書道に横溢せる俗臭を払拭しようとする心のはたらきがあるからだ。もし書道展に勘亭流を出品したらどうなるか。変な詩文を書いて出品したらどうなるか。
 いくつかの領分の間に立ち現れる距離感が、「うらみ葛の葉」の背景をなす程度で内々に収束するならまだいい。嘗て鈴木翠軒が「禅牀夢美人」と書いて日展に出品した時は、語句が不穏当との批判が出たそうな。出典が夏目漱石の漢詩と聞いて事は収まったらしい。素人目に映るところ、その意は「見賢思齊」と大差なかろう。しかし「美人」を聖賢と解するのではなく、思いっきり現代的にセクシー美女と読み替えればどうなるか。どう見たってコリャ、褥の中で右手モソモソの描写ではないか。…そう云やアタシ、十数年前に結婚祝いの掛軸にするつもりで「玉臺新詠集」から「繁華應令」ってのを書いてみた事があったんだっけ(ただし贈呈未遂)。私の記憶が正しければ、繁華と男色の縁は深い筈。それを男が男に贈ろうってんだから傍目にゃ冗談キツイわな(たぶん)。題材が「後庭花」でも同じ事が云えよう。「閨怨」の場合も露骨に過ぎて場違いなんだろーな…。(何を書いてるんだ、私は。)
 …ここまで書いた後ではもう手遅れかも知れんが(汗)、なるべく綺麗に纏めよう。
 粋の感覚には、俗臭スレスレの際どい側面があるらしい。それと書が共振する場合は尚更「扱いに困る」筈。西洋芸術が「職人的技術」から発展したのと似通った仕方(?)かどうか定かでないが、ともかく女郎と大差なき世界から這い上がってきた歌舞伎に学ぶ事は多かろう。


(余談)
 「曲書き」ってぇのは、舞台上で障子などに裏文字を書いたり、口や左手を使って書く事を指すそうな。
 それとは関係ないけれど…なんか懐かしいな。授業で昔、机間巡視していると書道選択者の一人が半紙に左手で書いていた。四の五の言わせず右手で書かせるのが手っ取り早いが、それでは指導が月並みになって、教える側としても面白くない。てな訳で、その場で取り敢えず左手で書いて見せた事がある。彼は左利き、私は右利きである。
 …で、どうやったか。先ず適当に頭の中で理屈を捏ねてみた。
 右手で書く時、双鉤法では三本指で把筆、筆管を薬指外側で挟む。その時の筆の角度を左手で擬せばどうなるか。~試しに持ってみた。左手三本指で把筆。しかし普通に薬指で筆管を挟んだのでは角度が左右逆になる。そこで筆の角度を右手把筆と同じ向きに変えてみると、今度は筆管の薬指に当たる箇所が一関節ぶん下になる(つまり、人によっては毛が生えてる箇所)。親指と筆管との接触部分も、普通の持ち方では筆管が爪側に当たり把筆が崩れてしまう。そこで親指を上向きにして把筆し直す。その際、親指と人差し指は平行になる。親指の爪を上から筆管に食い込ませる様に持つと書きやすい。
 これで把筆はどうにかなる。次は運筆の不都合を解決する。
 腕の動きは肩から下の関節運動に順う。~手首の関節は横向きに動く水平軸となる(左右対称)。西洋画をカンバスに描く様な把筆(支那での呼称はゾク管法~「ゾク」の字は手偏に族)は水平軸のままだが、書字の場合は筆管が垂直軸となる様に把筆する。しかしこれでは大きな字が書けない。そこで肩から先の動き全体に垂直軸を仮構すべく、普通は懸腕法で対処する。しかしこの腕法は右肩関節の水平軸運動に制約されるので、どのみち右手運動を左手で擬態するのにはそもそも無理がある。
 ならば提腕法ではどうか。臂の関節は下向きに垂れ下がる。つまり上腕部が垂直軸となる。~この「下向き」の動きを補う手札が昔からある。昔は右利きの人も、竹製や木製の腕枕を使っていた(日本ではどうだか知らぬが)。つまり提腕法を更に枕腕法へと変換してしまえば、肩の左右対称性による影響を臂と枕の二段構えで薄める事ができそうになる。右腕を胸先で安定させ、その上に左手を置くと、左下腕部の皮膚が右腕(=枕)の上でグニャグニャ柔らかく動いて、筆管の垂直円運動がいくぶん容易になる。
 この状態で書いてみると、右利きの私でもどうにかなる。後は生徒の選択と工夫次第(書きにくいなら右手で書いても構わない)。なにしろ彼は左利き。右利きの私より遙かに効率的に、左手の自由が利く筈である。そこがテレビで見る片岡鶴太郎の左手書と決定的に異なる。鶴太郎は左手の関節運動に素直な書き方をする。右手書きの手島右卿は嘗て「左手線」という表現手法で右手運動の自由度を高めたが、鶴太郎はそれを初めから地で行っている訳である。
 後から考えると、あの授業中に即興で工夫したのは、左利きに対する「右手線」の試みだったのかも知れない。今後もし更なる工夫を加える機会があるとしたら、私の場合は「左手線」をより本格的に観察・研究した上で、動きをそっくりそのまま左右反転する所から始める事になるだろう。
 参考書を挙げて置く。駒井鵞静『不滅の書人手島右卿と語る』(雄山閣)、P.132~147の「左手法考」。
8【再掲】「とめはね」ネタ18 ( 苹@泥酔 )
2011/08/12 (Fri) 23:35:53
7810 【雑感】集団的背後霊【追記】 苹@泥酔 2010/08/22 20:25

 前稿を読み返すと、書きぶりには若干の不満が残る。あれでは「水増し」の説明が不充分かも知れない。ならばムリヤリ仮構しよう。名前を使われた架空の人物や卒業生の本質は、教員自身ですら束になっても馭しにくい歴史的水準(?)の、とどのつまりは呪われた「書道部の背後霊」だったのだと。(なんだそりゃ?)
 ここで一句。
 「卒業生 貴方も私も 背後霊」
 ~そんな具合に伝統が象られていく。卒業生の側から見れば、逆に恩師の方が背後霊の様な気配を漂わせる事すらあるくらいだ。なんなら恩師の紹介で社中に出入りしてみー。そこには遙かに年上の背後霊がウジャウジャたむろしているし、ともすれば背後霊の間で師匠格・先輩弟子・後輩弟子の関係が成立してしまう。…これって何かに似ていないか。例えば同窓会。そこでは学校単位であれ部活動単位であれ、卒業生を含む「広義の集団」が意味拡張作用と伝統のバランスを自ら取り始める。
 このバランスの前では、現職教員など無力に近い。多勢に無勢と云えば身も蓋もなくなるが、ともかくそこに或る種の前例主義が胚胎する。もし吹奏楽部みたいに定期演奏会へのOB参加が「前例」化しているとして、それと同様の視線で書道の展覧会(特に団体参加の在り方)を見つめたらどうなるか。卒業生の参加は本当に不正行為と云えるのか。ただの「名義貸し」なら一見そうなりそうではある。しかしこれが「工房」状の視線と交わった時、名義そのものが揺らぎ始める可能性はないか。
 勿論、こうした見方には定期演奏会とコンクールの混同がある。ただの演奏会ならプロの世界じゃ余所のオケから(!)助っ人がしょっちゅう参加するけれど、そもそもオーケストラにコンクールなんてあるのかしら(「其六」稿で冗談めかした「人気投票」じゃあるまいし)。ところが今回新聞沙汰になった学生書道公募展には団体賞がある。…当方、そうした在り方が悪いと思っている訳ではない。所詮、ただの振興目的であろう。ただし扱いが大き過ぎた。もし学校側が団体の扱いを誤解していたのでないとしたら、学校や教員は性根そのものが「狡かった」か、もしくは「無知だった」って事になるのかも知れない。~書道パフォーマンス勃興の時節、音楽の先生は警告しなかったのかしら。事と次第によっては、芸術科目の連帯責任を疑われても仕方あるまい。

 世に「去者日以疎、生者日以親」と云う。(文選)
 書道自体も、思い返せばどことなく背後霊に似ている様な気がせぬでもない。それが今はどこかの社中に属し、段位を持ち、展覧会に出品してはせっせと世評の高きを望む人々により占有されているかに見える。そうでない人々との落差は大きい。
 ふと、高校時代を思い出す。~文学部らしき同期生(だったかな?)が、ひとつ「書いてくれ」と色紙を持ってきた事がある。自作の俳句か歌かは忘れた。自分で書くべきだと思ったので断った。意地悪をしたつもりはない。
 このところ日曜昼前のBSを見ると、NHKでは一週分の朝ドラを連続放送した後「俳句王国」って番組をやっている。その題字や色紙を書く裏方役が書家の野口白汀。十数年前は青森の高教研に呼ばれて講演していた。その野口先生の書いた色紙が番組内でズラリと並ぶ。書きぶりが統一されていると読みやすいからそうしているのだろうが、巷間では自作を自署するのが普通らしい。高総文の展示を見ると人それぞれ様々な書きぶりで…正直なところ一見「へたっぴい」ではある。しかし味はある。この「味」を出すのが難しい。喩えるなら作者は料理人で、そこに添削の手を加える行為が調味料って事になるのかも。そもそも代筆者に作者本人の味は出せない。そして調味料を使いこなし得るのが料理人のみであるならば、調味料の選択は料理人に任されねばなるまい。
 この意味に於て師匠は、弟子の個性を「殺す事によって生かす」という自己矛盾を抱える。生かすのは弟子本人なのに、実際は殺されたがる弟子の方が圧倒的に多いらしい。つまり自身を生かす前に「殺されっぱなし」となる訳だ。他方、まだ碌に殺されてもいないのに生きようとすれば、生き返る事はまずない。生きるのと生き返るのとでは、死に方が決定的に違う。その形式的分水嶺を「本来の死に方」(?)から外在化すれば、卒業生が全員背後霊となるのは理の当然。内在的背後霊を内に蔵した外在的背後霊ともなればもう最強、魂魄交々に師匠を呪いまくっては自己へと還る。だからと云って、師匠が取り殺されるとは限らない。ただし悩殺される事はあるだろう。弟子が「私を食べて♪」と添削を迫ったり、或いは師匠が「俺のものになれ~」とばかりに添削して迫ったり。

 中には、添削を拒む師匠も居る。生徒側にしてみれば、これはこれで困る。
 昔風の稽古では、屡々「技を盗め」てな助言が傍から寄せられるらしい。受動的に教わるのではなく、能動的に学び取る。しかしそのためには相応の環境が必要となる。
 この環境が問題で、或る種の「理想的な環境」を外界から隔絶する上で社中や学校が役に立つ。他の世界がどうであれ、師匠と弟子、先生と生徒の間に濃密な世界が展開されていく。それを制度化する手段に段級位や展覧会が組み込まれると、そこに向学精神の資本主義が育ち始める。言い換えるなら、「それ」と「そこ」との場所的同一性が、質的差異を同質化すべく呑み込んで離さない。~昔は場所そのものが適度に離散的だった。書家でなくとも皆が筆で字を書いた。その「皆」が筆を手放すと、相対的に「書家の世界」が外界から隔離されていく。畢竟、ここでは外界が隔離を要請する。
「連れて逃げてよ」
「ついておいでよ」
 ~そんな関係により、外界から駆け落ち同然に核家族化していくのは無理もなかろう。多数の一者が多数のまま、弟子を抱える一者の集合たる多数へと紛れ込む。そうした比喩での核家族。一者は必ずしも孤ならず、クラスター状に一連なりのまま、多数の中へと収斂する。その全体が隔離状態にある。これを書道界に見立てるならば、「水増し」の意味がもう一つ見えてくるのではなかろうか。
 追憶がある。連鎖と伝統がある。背後霊となり遊離して行った何かを引き戻そうとする呪いがある。彼らが外界に出て行くと、内界は「隔離された自己」とのバランスに戸惑う。~外界と内界の等価性を幻視して初めて、従来のバランスはどうにか保てていた。内界で水増しするのも、外界で水増しするのも、そうした影響なくしては起こるべくもない。どのみち総量は変わるまい。察するところ、所謂「水増し」問題はエントロピーの観点から判断する必要がありそうではある。
8【再掲】「とめはね」ネタ17 ( 苹@泥酔 )
2011/08/12 (Fri) 23:32:49
7806 【備忘録】続報と雑感【大分】 苹@泥酔 2010/08/19 23:02

●続報
http://mainichi.jp/area/oita/news/20100811ddlk44040486000c.html
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>全日本高校・大学生書道展:不正で失格の大分高、泣き崩れる生徒も /大分
> 不正な出品が判明し、第15回全日本高校・大学生書道展(読売新聞社、日本書芸院主催)に応募した全作品が失格となった私立大分高校(大分市)は10日、対応に追われた。
> 午前中には、書道部の部員約40人を学校に集め、事態を説明した。ショックで泣き崩れる生徒もいたという。同席した竹中昭憲事務長は「『みんなの頑張りはわかっている。不正はしっかり明らかにする』と生徒らと約束した」と話した。今後は個別に生徒と話すほか、要望に応じてカウンセリングもする。
> 同夜には、部員の保護者を対象に説明会を開いた。竹中事務長によると、不正にかかわった書道部の顧問教諭が謝罪。学校側が書道部の活動を当面自粛する方針を伝えると、保護者からは部活動継続を求める声が相次いだという。【田中理知】
>毎日新聞 2010年8月11日 地方版
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http://www.asahi.com/national/update/0816/TKY201008160186.html
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>「とめはねっ!」モデル 大分高校が書道展に不正出品2010年8月16日13時18分
>. 大分市の私立大分高校は16日、昨年と今年の全日本高校・大学生書道展(日本書芸院、読売新聞社主催)への出品で、在校生以外の名を借りて出品数を水増しする不正が見つかったと発表した。同校は、書道部顧問の男性教諭による不正と判断し、停職3カ月の処分にする方針。
> 小山康直校長によると、最優秀賞を受賞した昨年の篆刻(てんこく)の部の出品者名簿に同校卒業生の名前8人と同校の生徒ではない名前25人分があり、少なくとも33点の水増しがあったという。今年についても、出品は1部門につき1人1点がルールで、同校からの参加者数は273人だったのに、漢字940点、かな683点、調和体617点が出品されていたことがわかった。
> 大分高は同書道展で最優秀賞を昨年も含め過去9回獲得し、その功績で昨年、県民栄誉賞を受賞。小山校長は「信頼を裏切った。賞を返上したい気持ちだが、日本書芸院と県の指示に従いたい」とし、日本書芸院と県に同日中に不正の事実を報告するという。
> 同校は、顧問の教諭のほかに、不正を止められなかったとして副顧問を減給10分の1(2カ月)、小山校長を無給(2カ月)とする処分をする方針。今後は第三者委員会を発足させ、書道や美術品などの出展の際には第三者が審査する仕組みを作って再発防止に努めたいとしている。
> 同高書道部は、2009年には日本テレビ系番組内の全国大会、第1回書道ガールズ甲子園で優勝。漫画「とめはねっ! 鈴里高校書道部」に登場する強豪校「豊後高校」のモデルとしても有名。
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http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100816k0000e040069000c.html
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>書道不正出品:私立大分高、最優秀の昨年も
> 第15回全日本高校・大学生書道展(日本書芸院、読売新聞社主催)の篆刻(てんこく)の部で不正出品が多数あったとして全応募作が失格になった私立大分高(大分市)は16日、他の3部門及び昨年の同展でも不正があったことを明らかにした。書道部顧問の男性教諭(51)が在校生や卒業生、他校生の名前を勝手に使い応募していた。
> 同高は昨年の同展団体賞で9回目の最優秀に選ばれていた。主催者に16日、最優秀返上の意向を伝え、大分県にも、最優秀により受けた県賞詞(県民栄誉賞)返還を申し出る。
> また同高は同日、この教諭を停職3カ月、不正を黙認した副顧問の女性教諭(28)を減給(10分の1、2カ月)、小山康直校長も監督責任を問い無給2カ月とした。【田中理知】
>毎日新聞 2010年8月16日 13時36分(最終更新 8月16日 13時46分)
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http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100816-OYT1T00634.htm
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>書道展に不正出品、大分高教諭を懲戒処分
> 大分市の私立大分高校が「第15回全日本高校・大学生書道展」(日本書芸院、読売新聞社主催)に不正出品して全応募作が失格になった問題で、同校は16日、不正にかかわった書道部顧問の男性教諭を顧問から外したうえで、同日付で停職3か月の懲戒処分にすると発表した。
> また、団体賞(高校の部)の最優秀校に選ばれた昨年度の出品作品にも、不正の疑いがあることが判明したという。不正が確定した場合、受賞した県民栄誉賞(県賞詞)の返還について県の指示を仰ぐ方針。
> 同校は今年の書道展で2487点を応募したが、篆刻(てんこく)の部で、同じ印章が複数の作品に使われたことが判明。1230点を応募した昨年度も、台帳で確認したところ、篆刻の部(241点)で卒業生ら33人の名前を使って応募していたことが分かったため、主催者に報告する。
> このほか、不正を防げなかったとして書道部副顧問の女性教諭を減給10分の1(2か月)、監督責任を問い小山康直校長を無給2か月の懲戒処分にする。
>(2010年8月16日15時45分 読売新聞)
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http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100816/crm1008161623020-n1.htm
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>「とめはねっ!」登場校のモデル、実在せぬ生徒名で書道展に出品 大分高顧問教諭を処分
>2010.8.16 16:23
> 大分市の私立大分高は16日、今年と昨年の全日本高校・大学生書道展(日本書芸院など主催)に出品する際、篆刻の同じ印影を複数作品で使ったり、出品していない生徒の名を使ったりするなどの不正が多数見つかったと明らかにした。主催者は、同校が今年出品した2487作品をすべて失格とした。
> 同校によると、今年の篆刻部門に、すべて作者が違う247作品を出品したが、同じ印影を使ったものが複数あった。漢字、かななどの部門でも、書道部員らの試作品に別の生徒の名で出品。団体賞の最優秀校となった昨年の篆刻部門でも、出品者名簿に卒業生や実在しない生徒名があった。書道部顧問の男性教諭(51)が「自分の判断で、勝ちたい一心で不正をやった」と話しており、停職3カ月の処分にする方針。
> 大分高は同書道展の団体部門で9回最優秀校に選ばれ、人気漫画「とめはねっ!鈴里高校書道部」に登場する名門校「豊後高校」のモデルとされる。
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http://mainichi.jp/enta/art/news/20100817k0000m040069000c.html
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>書道不正出品:作品数を水増し 受賞を辞退 私立大分高
> 私立大分高校(大分市)は16日、昨年と今年の「全日本高校・大学生書道展」(日本書芸院、読売新聞社主催)で、在校生以外の名前を使って作品数を水増ししていたことを明らかにした。今年の出品分の一部で不正が分かって全応募分が失格となり、詳しく調べていた。同高は昨年は団体賞で最優秀を受けており、同日、主催者に返上を申し出て認められた。この功績で受けた大分県賞詞(県民栄誉賞)の返上も県に申し出た。
> 大分高は同展で昨年を含め過去9回、団体賞の最優秀に選ばれ、「書の甲子園」の愛称を持つ国際高校生選抜書展(毎日新聞社、毎日書道会主催)では07年に団体の部で優勝。今年7月の書道パフォーマンス甲子園でも初優勝した書道の名門。漫画「とめはねっ! 鈴里高校書道部」に登場する学校のモデルとしても知られる。
> 日本書芸院や同高によると、今年7月の予備審査で、篆刻(てんこく)の部で同高出品247点のうち244点で印影のダブりが見つかった。一度彫った印鑑は他の作品に使えないのに、書道部顧問の男性教諭(51)が勝手に使い回していた。このため、今年の全応募作品2487点が失格となった。
> その後の同高の調査で、今年の他の漢字、かな、調和体の3部門で、部員らが練習用に書いたものを男性教諭が他の名前で出品していたことが判明。また、昨年の篆刻の部では卒業生8人、同高関係以外の25人の名も使っていた。男性教諭が無断で実行し、副顧問の女性教諭(28)も黙認していたという。
> 同展の団体賞は、出品数10点で1ポイントが加算される。同高の出品は08年が647点だったのに09年は1230点、今年は2487点と急増していた。顧問教諭は「点数が加算され、勝ちたいがためにやった」と話しているという。日本書芸院は「現在のポイント制度についても今後(見直しを)検討したい」としている。小山康直校長は「どうおわびしていいか分からない」と話している。
> この問題で同高は16日、顧問教諭を停職3カ月、副顧問教諭を減給(10分の1、2カ月)、小山校長を無給2カ月とする方針を決定。週内に開く理事会に諮る。【田中理知】
>毎日新聞 2010年8月16日 20時49分(最終更新 8月16日 21時32分)
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http://www.asahi.com/national/update/0816/SEB201008160046.html
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>昨年の最優秀賞を自主返納 書道展に不正出品の大分高校2010年8月16日23時5分
>. 全日本高校・大学生書道展(日本書芸院、読売新聞社主催)に2年連続で不正出品をしていた大分市の私立大分高校は16日、主催者側に昨年の最優秀賞を自主返納する意向を伝え、認められた。その功績で受賞した県民栄誉賞(県賞詞)についても県に返すことを明らかにした。
> 同校は小山康直校長名で主催者側に「書道展の伝統に消し去ることのできない甚大な損害を与え、深く深く反省している。再発防止に努め、真摯(しんし)に教育活動を再構築したい」との文書を提出した。
> 県私学振興・青少年課によると、県民栄誉賞については県側は返還を認める方針だという。
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http://www.asahi.com/edu/news/TKY201008160186.html
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>「とめはねっ!」モデル 大分高校が書道展に不正出品2010年8月16日
>. 大分市の私立大分高校は16日、昨年と今年の全日本高校・大学生書道展(日本書芸院、読売新聞社主催)への出品で、在校生以外の名を借りて出品数を水増しする不正が見つかったと発表した。同校は、書道部顧問の男性教諭による不正と判断し、停職3カ月の処分にする方針。
> 小山康直校長によると、最優秀賞を受賞した昨年の篆刻(てんこく)の部の出品者名簿に同校卒業生の名前8人と同校の生徒ではない名前25人分があり、少なくとも33点の水増しがあったという。今年についても、出品は1部門につき1人1点がルールで、同校からの参加者数は273人だったのに、漢字940点、かな683点、調和体617点が出品されていたことがわかった。
> 大分高は同書道展で最優秀賞を昨年も含め過去9回獲得し、その功績で昨年、県民栄誉賞を受賞。小山校長は「信頼を裏切った。賞を返上したい気持ちだが、日本書芸院と県の指示に従いたい」とし、日本書芸院と県に同日中に不正の事実を報告するという。
> 同校は、顧問の教諭のほかに、不正を止められなかったとして副顧問を減給10分の1(2カ月)、小山校長を無給(2カ月)とする処分をする方針。今後は第三者委員会を発足させ、書道や美術品などの出展の際には第三者が審査する仕組みを作って再発防止に努めたいとしている。
> 同高書道部は、2009年には日本テレビ系番組内の全国大会、第1回書道ガールズ甲子園で優勝。漫画「とめはねっ! 鈴里高校書道部」に登場する強豪校「豊後高校」のモデルとしても有名。
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http://www.asahi.com/edu/news/SEB201008160046.html
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>昨年の最優秀賞を自主返納 書道展に不正出品の大分高校2010年8月16日
>. 全日本高校・大学生書道展(日本書芸院、読売新聞社主催)に2年連続で不正出品をしていた大分市の私立大分高校は16日、主催者側に昨年の最優秀賞を自主返納する意向を伝え、認められた。その功績で受賞した県民栄誉賞(県賞詞)についても県に返すことを明らかにした。
> 同校は小山康直校長名で主催者側に「書道展の伝統に消し去ることのできない甚大な損害を与え、深く深く反省している。再発防止に努め、真摯(しんし)に教育活動を再構築したい」との文書を提出した。
> 県私学振興・青少年課によると、県民栄誉賞については県側は返還を認める方針だという。
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http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100817ddm012040040000c.html
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>全日本高校・大学生書道展:大分高、書道展出品数水増し 在校生以外の名で
> 私立大分高校(大分市)は16日、昨年と今年の「全日本高校・大学生書道展」(日本書芸院、読売新聞社主催)で、在校生以外の名前を使って作品数を水増ししていたことを明らかにした。今年の出品分の一部で不正が分かって全応募分が失格となり、詳しく調べていた。同高は昨年は団体賞で最優秀を受けており、同日、主催者に返上を申し出て認められた。この功績で受けた大分県賞詞(県民栄誉賞)の返上も県に申し入れた。大分高は今年7月の書道パフォーマンス甲子園でも初優勝した書道の名門。漫画「とめはねっ! 鈴里高校書道部」に登場する学校のモデルとしても知られる。
> 日本書芸院や同高によると、今年7月の予備審査で、篆刻(てんこく)の部で同高出品247点のうち244点で印影のダブりが見つかった。一度彫った印鑑は他の作品に使えないのに、書道部顧問の男性教諭(51)が勝手に使い回していた。このため、今年の全応募作品2487点が失格となった。
> その後の同高の調査で、今年の他の漢字、かな、調和体の3部門で、部員らが練習用に書いたものを男性教諭が他の名前で出品していたことが判明。また、昨年の篆刻の部では卒業生8人、同高関係以外の25人の名も使っていた。男性教諭が無断で実行し、副顧問の女性教諭(28)も黙認していたという。
> 同展の団体賞は、出品数10点で1ポイントが加算される。【田中理知】
>毎日新聞 2010年8月17日 東京朝刊
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http://mainichi.jp/area/oita/news/20100817ddlk44040390000c.html
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>全日本高校・大学生書道展:大分高不正出品 顧問教諭が水増し /大分
> ◇停職中も指導容認
> 全日本高校・大学生書道展(日本書芸院、読売新聞社主催)への出品を巡って16日、私立大分高(大分市)の新たな不正が判明した。調査結果を発表した小山康直校長は、「著しく損なった信頼を作り直していきたい」と謝罪した。
> 不正は今年の同展・篆刻(てんこく)の部の出品作品でまず発覚。他の漢字、かな、調和体の部でも出品者数273人に対し、作品数が多すぎることを書芸院から指摘され、同高が調査していた。また、昨年の篆刻の部の出品者名簿を調べるうちに、不正が分かったという。いずれも書道部顧問の男性教諭(51)が、名前を勝手に使って出品数を水増ししていた。
> また、小山校長はこの教諭の処分方針(停職3カ月)や自らの処分方針(無給2カ月)も発表。再発防止策として、コンテストへの応募を部活動の顧問任せにせず、校内に設置する第三者委員会に一度持ち寄って、まとめて出品するよう応募方法を改めることを明らかにした。
> 今回の問題で、書道部は当面、コンテストへの出品を控えるほか対外的な活動を自粛し、個人的な練習にとどめる。教諭は書道部顧問から外れるが、生徒の希望があれば停職中も放課後ならボランティアで書を教えることを容認するという。【田中理知】
>毎日新聞 2010年8月17日 地方版
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http://mytown.asahi.com/areanews/oita/SEB201008160037.html
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>書道パフォーマンスは当面自粛 大分高不正、校長が謝罪
>2010年8月17日
> 全日本高校・大学生書道展に2年連続で不正出品していた大分高校(大分市)は16日、不正をした男性教諭を停職処分にするとともに書道部顧問から外す方針を明らかにした。部活動は継続する。
> 小山康直校長が同校に集まった報道陣に約1時間にわたって概要を説明。「申し訳ないの一言。県民や子どもたち、保護者の信頼を根本から裏切った」と謝罪した。
> 小山校長によると、2008年以前の同書道展については、参加者数と出品数に大きな差がなく不正は認められなかった。男性教諭は09年から同展での点数稼ぎのために不正を始めたと見られるという。小山校長は「子どもたちに全く非はなく、本当に申し訳ない。書道を学ぶ環境は引き続き整備したい」と話し、同部の部活動自体は続ける方針を示した。外部から依頼された書道パフォーマンスは当面自粛するという。
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●雑感
 苹の場合はオツムの出来が非常識らしきためか、外部評価の結果「成績が下がる」といった素っ頓狂なケースを初めから折り畳んだ。…こんなの普通、管理職なら「生徒や学校の足を引っ張る教員は要らない」と判断するのが自然だろ。つまり裏を返すと、外部評価は「成績を上げる」ための手段であらねばならない訳だ(ここまでは多分、管理職として「正しい判断」と云えるのだろう)。しかしそれが転じて「成績下降を恐れる」体質へ向かうと、いつの間にか「成績上昇を恐れる」神経が麻痺していく。成績が上がれば誰もが喜ぶかの様に思い込み、やがて時が至ると「バブル経済」状となった成績上昇圧力は一挙に崩壊し始める。
 成績の裏付けが欲しい人々には、共通一次やセンター試験をめぐる外部評価=模試システムが重宝される模様。こうした観点では所謂「ゆとり教育」が一種のデノミネーションかデフレ誘導政策への期待を勝手に誘引するかのごとく作用しつつも、それが成功し過ぎると今度は逆に学力低下だの何だのと叩かれる方向へと反作用しかねない。かと云って、ゆとり時代に詰め込み教育をすれば忽ち問答無用のルール違反となってしまう。いづれにしろ逃げ道は概ね閉ざされ、ルールがルール自身の中に粘菌のごとく逃げ道を探し始める事になるだろう。~しかるに書道では通常、模試の領分を公募展が担う模様(社中単独では段級位を活用するケースもあるが、社中間となるとそれぞれの段級位を為替状に調整する上で、評価レートが不明瞭となりやすい)。

 書道選択者全員が参加すれば、事はもっと単純だったかも知れない。ところが部活動は(相対的に見れば)一種の抽出方式で、しかも抽出対象は成績優秀者に偏る傾向が強い。
 昔、全国学力テストでは正解への「指差し」行為が問題視されたそうな。~教員が「指差し」した生徒を書道部員に見立ててみればよい。ここでの「指差し」は一種の指導であり、後は指導された通り生徒が答案に書き込むかどうか。仮に生徒が素直に書き込んだとする。しかしその人数が少ないと全体の成績は上がらない。そこで教員は熱心に、出来るだけ多くの生徒に「指差し」して回る。
 上記のごとき見立て話は荒唐無稽に見えるかも知れない。しかし、もし生徒達が碌に字の書けぬレベルだったとしたらどうか。いくら熱心に「指差し」して回っても、その通りになるとは限らない。…ふと、昔やった定期考査で枡目方式の回答欄を使ったのを思い出す(この本と稍や似通った体裁↓)。そして想像をめぐらして欲しい。もし国語のテストで、古文のテクストが手書きの原本(または写本)画像で出題されたらどうなるか。
http://www.tankosha.co.jp/cgi-bin/bookdetail.cgi?pc=0000003266-000000
 活字変換と句読点を前提した古文テクストは現代の国語規範と合致する様に仕組まれたものであり、たとい書かれたものが活字依拠の現代文であろうと、本質的には筆文字へと逆変換された時点で「活字的でない」印象を免れなくなる。そうした前提あっての「指差し」指導である。指導したからと云って、それを生徒が読めるとは限らない。だからこそ見方次第では、「指差し」行為自体が指導工作である事を免れる。そこに隙間が生じる。全員参加方式では欠陥が露呈しそうな事でも、抽出方式なら「より本来的な」指導効果が期待できる。~ここまでは質的な領分の話。
 量的な領分となると、今度は「抽出方式から全員参加方式へ」の流れが仮構可能になるだろう。従来は、喩えるところ「抽出方式を全員参加方式に見立てた」。そのリミットは在籍生徒数だった(質的領分では生徒数の下限が成績の下限を要請し、量的領分では生徒数の上限が成績の上限を抑圧する)。ここから先は「全員参加方式を何に見立てるか」。その余地が予め仮構可能でないと、従来やってきた抽出方式の足元が構造的に崩れる可能性だってある。質と量の配分が共に崩れる。量的な見立てが質的な見立てへと波及する。

 審査する側からみればどうか。~審査員は質的領分を審査する。厳密な意味で「採点する」とは云えないかも知れないが、審査員に期待される審美眼は概ね良好に機能する。そこまではあらかた問題視する必要はあるまい。しかし彼らに量的な審査能力があるかどうかとなると、正直なところ苹にはなかなか想像しにくい。
 …いったん視点を変える。
 ベートーヴェンは生涯に九つの交響曲を書いた。ブラームスは四つ。ところがモーツァルトは番号付きだけでも四十一曲だし(ホグウッドの全集録音では七十曲を超える)、ハイドンに至っては百四曲ある。モーツァルトの交響曲《ハフナー》はK.385もK.250もセレナードの改作だった。その後も弦楽四重奏曲やピアノ曲などを改作する例は後を絶たない。リストの《マゼッパ》は超絶技巧練習曲と交響詩が有名だが、交響詩の後半に出てくるリズミカルな音型はピアノの練習曲集に出て来ない。またブルックナーの版問題には弟子のシャルク達が絡む。
 …書家と同様、彼らには弟子・生徒が居た。(ここらで話を戻して、先ず書道側の立場を念頭に置いて書くが、一方では学校と宮廷の違いこそあれ、所謂「お抱え作曲家」といった立場にも視線を向ける。)
 生徒指導が作品制作の側面を持っていただろう事くらいは容易に想像がつく。先生なら誰だって、(程度の差こそあれ)「生徒を自分の色に染め上げる危険」を知っているからだ。そんな脆弱(?)な部分に余所からの圧力がかかると、書家らしくあればあるほど書道教員は、「宮廷音楽職人ハイドン」と「脱・宮廷音楽職人モーツァルト」との狭間にあるかの様な立場を甘受せざるを得ない筈。さりとて、絵画方面ほど露骨ではない模様。レンブラント工房ではどうだったか。董其昌は誰に代筆させていたか。
 こうした妄想がどの程度まで当たっているか、当事者ならどう思うのやら。~これを「××工房」と呼ばず、仮に「××高校書道部」と呼んでみよう。これこそ「団体賞」に相応しい。そう思えてこないか。そもそも団体賞の対象は何か。作品数の水増しを云々するのと、モーツァルトの交響曲の数を拡大して考えるのとでは、何がどう違うのか。
 一つの集団の作品総体と捉える見方を分解すれば、その先には生徒個人の作品が顔を出す(つまり「作品を取り巻く視線の方が変質する」)。ここでは恐らく「集団と個人の峻別」という前提があり、そうした暗黙のルールに違反したから「水増し」だの「不正行為」だのと呼ばれるのだとしたら、分割不能な作品~例えば合作や書道パフォーマンス作品~はどうなってしまうのか。
 ふと、いくつかの古い作品例が思い浮かぶ。画家が四君子や山水などを描き、書家が画賛を入れる様な。他方、「伊勢幸」の三文字を三人の書家(日下部鳴鶴、巌谷一六、中林梧竹)が書き分けた例ではどうか。中には「これは作品ではない」と云う人も居るだろうが、行為の延長上に書道パフォーマンスの来歴を感じ取る場合、江戸時代の書画会に遡って考え直す必要があるかも知れない。
8【再掲】「とめはね」ネタ16 ( 苹@泥酔 )
2011/08/12 (Fri) 23:29:20
7794 作品と成績評価(続) 苹@泥酔 2010/08/11 23:36

 前稿で書いた「外部評価」云々については誤解する向きがあるかも知れないので、念のため補記して置く。
 これを取り入れたからと云って、通信簿(五段階評定)の数値が変わるとは限らない。そもそも苹の期末考査(ペーパーテスト)は悪評紛々で、恐ろしく下手な生徒でも「知識が実技をカヴァーする」例が実際ある訳だから、そんな学者タイプの素質を持つ生徒には「巧く書くだけが能じゃない」と思って貰えれば、後々それだけ間口が拡がるのを期待しても、あながち罰は当たるまい。なにしろ、学者に嫌われたら書道はオシマイなのだぁ。反論ある奴は書道史の本でも抱えて論争を仕掛けてきやがれ。(わくわく♪)
 …それはともかく、実技の痕跡についてはどうか。
 書道とは縁遠いオッサンやオバハンに問う。昔、学校の授業や部活で作品を書いたとする。それ今、あなた持ってますか。とっくに捨ててしまった人が多いのではないですか。ところが何かの展覧会に出して、賞状を貰ったとする。そう簡単には捨てられないのではないですか。自分の子供に「昔こんなの貰ったのよ」と語ったところで、具体的にどんな作品だったか覚えてる訳がない。すると記憶は美しく嘘を吐く。「作品の美しさ」よりも「記憶の美しさ」の方が、何かと好都合な面は多い。金賞とか特選とか、そんな賞状なら捨てられる確率は更に減るだろう。つまり出品料という名のカネを払って、思い出を買った事になるのである。
 記憶を侮ってはいけない。嘘を侮ってはいけない。嘘の中に潜む一片の真実を「欠片のまま」持続させる事の尊さが、やがては神話的な痕跡へと自ら育っていく。それが如何に私的であろうと、育った領分は記憶の中で生き続ける。

(以下余談)
 …それにしても、教材研究は面白い反面ややこしい。例えば、一冊分の知識に十冊分を読み足して一冊分に纏めるがごとき場面は所謂「やっつけ仕事」となるが、百冊分の知識(その実態は所詮「漠然とした記憶」…orz)に確認目的の十冊分を読み足して一冊分に纏めるタイプの仕事は却ってムチャクチャ個性的(?)になりやすい模様。これでも本人はニュートラルになる様に心懸けているつもりなのだが、そのカヴァーする範囲が問題で、巷間では違和感を抱く向きが少なくないらしい。こちとら戦後教育の範疇に収まりきらない領分を含めて「ニュートラルを目指した」のだから、そうなるのは当然と云えば当然なのかも知れない。極端な話、新字体を基準とする領分に敢えて旧字体を持ち込むかの様な。
 そこで更に勉強してみる。…いっそ書道には収まりきらない領分、差し詰めタイポグラフィーなんかではどうだろか。てな訳で書道ディレクションとか云う本を皮切りに(だったかな?)二十年ほど前からおっぱじめたところ、最近入手した小谷充『市川崑のタイポグラフィ』(水曜社)に至るまで、それなりの蓄積がある分だけ余計に「たちが悪い」仕儀と相成った。…当時、カリグラフィーの絡みでは西洋の文献が参考になった。フーコーは『これはパイプではない』とか云う本を出してたし、クリステヴァは~そう、あの中で苹は「エングラム」って言葉を知ったんだっけ。『詩的言語の革命』(勁草書房)第一部P.331の訳注には「脳の神経細胞のうちに残された経験の痕跡をいう」とある(稍や詳しい論旨についてはNo.6538を参照↓)。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=6538&range=1
 このリンク稿を読めば食傷するかも知れない。…昔、苹はこんな文章を書いていた(汗)。

(以下冗談)
 勿論、なんでもかんでも書けばいいってもんじゃない。ふざけた野郎が授業で変な言葉を鏤める例なきにしもあらず。…でも苹とて密かには思うのだ。一度くらい「高擡玉莖、振怒而頭擧、金溝顫懾而脣開」などと書いた掛軸を、誰かの結婚式で贈呈してみたいなあ。(出典は白居易の弟、白行簡の「天地陰陽交歡大樂賦」より。)
8【再掲】「とめはね」ネタ15 ( 苹@泥酔 )
2011/08/12 (Fri) 23:26:27
7791 作品と成績評価 苹@泥酔 2010/08/10 21:41

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1281397118/
 先ず、2chで見て驚いた(↑)。何やら大分ひどい事になっているらしい…(↓)。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100810-OYT1T00046.htm
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>全日本書道展に不正出品、大分高を失格に
> 公益社団法人日本書芸院(大阪市)は9日、「第15回全日本高校・大学生書道展」(日本書芸院、読売新聞社主催)の審査の結果、私立大分高校(大分市)の全応募作を失格とすることを決めた。
> 不正な応募作が多数見つかったためで、同校も不正を認めた。
> 同校からは2487点の応募があり、今年7月の予備審査で、篆刻(てんこく)の部で同じ印章が複数の作品に使われていたことなどが判明したという。
> 同校は過去9回、団体賞の最優秀校に選ばれており、過去のケースもさらに調べる。学校側は、「伝統ある書道展を汚しておわびのしようもない」と書芸院に謝罪。不正な出品にかかわった指導教諭を厳しく処分するとともに、再発防止策の確立を急ぐという。最優秀校に選ばれた際は大分県から表彰を受けたこともあり、10日にも県に報告する。
> 同書道展は毎年、全国の高校・大学の生徒や学生を対象に、漢字・かな・調和体・篆刻の4部門で作品を募集、個人賞のほか学校単位の団体賞を選出している。
>(2010年8月10日07時28分 読売新聞)
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http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100810k0000e040052000c.html
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>書道不正出品:私立大分高の全応募作品が失格に
> 第15回全日本高校・大学生書道展(読売新聞社、日本書芸院主催)で、不正出品が多数あったとして私立大分高校(大分市)の全応募作品2487点が失格になったことが分かった。
> 大分高は同展で過去9回、団体賞の最優秀に選ばれ、「書の甲子園」の愛称を持つ国際高校生選抜書展(毎日新聞社、毎日書道会主催)では07年に団体の部で優勝。今年7月の書道パフォーマンス甲子園でも初優勝するなど書道の名門。
> 日本書芸院によると、不正が見つかったのは、同展の4部門のうち篆刻(てんこく)の部。出品した247点のほとんどを、複数の篆刻を組み合わせて一つの作品のように偽装していたという。同高によると、実際に彫ったのは40点だけだったという。
> 7月の予備審査で審査員が気付き、学校側が不正を認めたため日本書芸院は9日、同高を失格とした。同高は同日、日本書芸院に謝罪し、10日には県に事態を報告した。
> 日本書芸院によると、同展は出品作品数に応じて団体の点数が加算される。同高は前回、篆刻241点など計1230点を出品。今回は倍近い作品を出していた。過去の出品作品についても調査するという。
> 学校関係者によると、書道部の顧問教諭は「自分の責任と判断でやった。不正は今回だけ」と話しているという。竹中昭憲・同高事務長は「申し訳ない。顧問の教諭は指導熱心で結果を追い求めすぎるところがあった。任せきりだった学校側にも責任がある」と話している。
> 同高は10日午前、部員に事実関係を説明した。同日夜、部員の保護者へ説明し意見を聴いたうえで11日、顧問教諭の処分や書道部の今後の活動方針などを決める。【田中理知】
>毎日新聞 2010年8月10日 12時27分(最終更新 8月10日 13時44分)
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 この出品点数の多さ、もはや部活動レベルでないのは明らか。もしや苹と同じ手でも使ってたのか?…つまり部活動でなく授業中に書かせたのではないかってこった。
 しかしそれにしては取り組み方が尋常でない。仮に書道選択者を三学年全部で三百人と見積もると、四部門で合計千二百点の出品が限界の筈。尤もこれは音楽・美術・書道それぞれ三百人、すなわち学校規模を九百人と見た場合。六百人以上の出品(600×4=2400)となると、学校規模が千八百人以上なのか、それとも芸術科目の選択肢が少ないのか。いづれにしろ傍目の印象は「かなり無理してるなあ」に尽きる。また授業内で漢字・仮名・調和体(漢字仮名交じり書)・篆刻を仕上げるには丸々一年かかる筈だから、この点も不自然ではある。(めんどくさいから調べてないけど、一体どんな学校ぢゃ?!)

 以下、私事本題。作品と成績評価について。
 苹の場合は在職当時、差し当たっては大東文化大学主催のを標的にした。他に四国大学などの展覧会もあるが特に拘りはない。もし学校に案内が回ってきていたなら、或いは日本書芸院や成田山のに乗り換えたかも知れない。そして何より重要なのは、出品しなくとも全く構わない、一々「やる気」など求めないという事である。だから実際、出品しない生徒も居た。それどころか、出品すれば成績が下がる可能性すらあった。その選択を生徒自身に委ねた訳である。
 どれも授業で扱った漢字臨書課題の提出物である。それを苹が採点した後、展覧会へと使い回す。…やがて結果が返ってくる。中には苹のと異なる評価もある。つまり出展者は事実上、苹の評価と外部評価との平均を「自分の評価として選択した」事になる。すると苹の単独評価と比べて必然的に当該課題の実技成績が上下するが、他の課題は総て教科担任たる苹の単独採点なのだから、たまにはそうした機会があっても構わないだろう。
 無理をすれば余裕が失われる。出来る範囲でやればいい。中には放課後、書道部員でもないのに居残って練習する生徒が散見された。…練習したからと云ってウマク書ける様になるとは限らない、そんな「残酷な事実」まではさすがに教える気になれなかった(練習すれば巧くなるのは確実なのに、旨くなるとは限らないのよね…orz)。~書論には生書と熟書の話が出てきたりする。事によると、書道Ⅲでなら少しは言及できたかも知れない。ところが苹は怠け者(と云うよりは無能の方か)。教材研究が間に合わなかった面もあるから、如何なる評価であれ所詮は眉唾物と云えなくもない。
 さりとて、書道を競技の様に扱われても困ってしまう。イケイケドンドンで煽られたって、生徒は馬車馬じゃあるまいし。…私の場合、むしろ練習する暇があったら勉強してくれた方が嬉しい。自分が何を書いているのか、そこに現前する「今」を(時間的かつ拡張的に)深く知って貰う方が好もしい。その一環に実技の練習があるのであって、下手に技術力や表現力を過大評価すれば、却って近視眼的かつ集団的なナルシシズムか、又は裏返しの自虐的な「五十、六十は洟垂れ小僧」根性へと陥りがちになる。
 ~例えば古典の学習。王羲之の十七帖にも色々ある(あれを書いたのは何歳だっけ?)。それを「とどのつまりはただの手紙やんけ」と知る事から始め、古文漢文よろしく先ず内容から読み始めてもよい(興味あらば森野繁夫の著書を紹介するもよし)。或いは上野本や三井本などを比較する手もある。なんなら日本に伝来した諸本に視野を拡げてもよい(西東書房から好都合なシリーズ物が出てたっけ)。「之」と「足」の草書が紛らわしいのは何故なのか、といった視座からのアプローチは誤字に対する免疫的感覚を研ぎ澄ます。それらをひっくるめての実技。読む事を前提した在り方への反復、大袈裟に云えば永劫回帰。念仏を唱える様にひたすら書いたところで、どうにかなるものでもない(ただし偶々「悟る」事ならあり得るかも?…頓悟であれ漸悟であれ)。かてて加えて必要とあらば、実用書への頽落だって必ずしも芸術と無縁ではない。初めから芸術があったのではなく、所与の書字文化の延長上に芸術が「仮構された」(敢えて「生まれた」とは書かずに置く)のだから。
 …いっそ、展覧会の応募条件に論文審査を加えたらどうなる事やら。きっと膨大な手間がかかるんだろーな。ならば差し詰め、上位入賞者候補を絞るための「足切り」システムを導入するとか(大学入試じゃあるまいし?)。それらを先ず、下請けの審査員達が濾過する。審査員のレベルアップにも役立つ。いい事ずくめじゃんか。

 書き忘れ。~冒頭で「何やら大分ひどい事になっているらしい」と書いた件。「大分」の箇所は先ず、「だいぶ」と読んでからにしてくだちい。(願わくば、「おおいた」を連想するのは後回し。)
8【再掲】「とめはね」ネタ14 ( 苹@泥酔 )
2011/08/11 (Thu) 23:27:29
7776 【番外編】裏打雑感 苹@泥酔 2010/06/30 00:56

 さっき偶々テレビを見たら、NHK教育「あしたをつかめ~平成若者仕事図鑑」で文化財修理技術者の回をやっていた。うら若き美女(めがねっ子♪)が糊をこねていた。それを見て思い出した事をカキコして置く(↓)。

 高校の書道部では、裏打の仕方にも色々あるらしい。苹の高校時代は薄い裏打紙を机に水して、その上から本紙を落として行った。ところが大学時代は逆で、本紙を机に水してから裏打紙を落としていく。しかも私の居た頃は裏打紙がやたら分厚く、どう見てもアルミ額かパネル仕立ての大作品向け。もちろん仕上がりは全然違う。
 薄い裏打紙を用いる場合は、本紙の透け具合に独特のデリカシーが出る。細かい墨色の変化がよく出るので、淡墨作品や「紙の白味具合」を表現するには好都合。なにより掛軸で本領を発揮する。しかし学生が掛軸を表具するとなると、これはさすがに手に負えない。その筋の本を二十数年前に見た記憶によると、先ず糊への気遣い自体が尋常でない。新しい糊だと強過ぎるので、これを何年も寝かせて古糊(沈糊とか云ったかな?)をつくるのだそうだ。すると本格的な修復作業にも使える弱糊が出来上がる。老舗の表具店では大切にしているそうな(ウン十年物)。
 それに比べると、展覧会の大作品は遠目に見る墨の強さが紙とのコントラストを引き立てる。中には全紙十数枚継ぎのもあるから(東京学芸大とか新潟大とか?)、昔ながらの仕方では困る面もあるのだろう。そこで学生達はスキャナやプリンタのヘッドの様にワッサワッサと刷毛を動かす。…左右に、糊を塗った裏打紙を持つ役回りが二人。真ん中では刷毛を構えた野郎が卓球選手の様に緊張している。本紙に裏打紙を刷毛手が落とした瞬間、刷毛が上下に動き出す。時には左右の持ち手に力の入れ具合を指示しながら、左手で圧着具合を誘導しつつ右手の刷毛が上下するさまは見事なものである。これで全紙や尺八屏程度のサイズを次々とこなしていく。それより大きなサイズの作品となると、これはこれでパネルの分割やら何やら色々と。

 そう云や昨今の書道パフォーマンスについて、小竹光夫教授が「書道美術新聞」939号(2010.6.1付)の連載記事で苦言を呈していたが、「大作にも付き物」である筈の表装は今、どうなっているのだろうか。そこが少し気になった。~あのブームを煽った日テレに、番組内イベントを総括する気はあるのだろうか。例えば歴代の優秀作品(?)を集めて、十年分を一括展示するとか。
8【再掲】「とめはね」ネタ13 ( 苹@泥酔 )
2011/08/11 (Thu) 23:25:06
7741 「思い込み」の伝統美学 苹@泥酔 2010/04/16 00:46

 人は多かれ少なかれ「思い込み」で動く。自発的にそう考える場合もあれば、何らかの強要を伴う場合もある。例えば「ゆとり教育」を学力低下と結び付けると、「学力低下教育の推進」が「ゆとり教育の実践」と合致して見えてくる様に。ここでは「ゆとり教育」が先にあるのではなく、解釈の方が先に来る。もちろん解釈には色々あるが、それが必ずしも予定した方向に収束して行くとは限らない。例えば寺脇研氏の言い回しを真に受けた「学力低下させない教育」の試みが「ゆとり教育」でないかの様に判断されるのも、現場の判断の優位性を顧慮するなら強ち不自然とは云えなくなってくる。実質が形相を裏付けるのではなく、形相が実質を変質させる。
 …苹は今更、何を言い出すのか。もう済んだ話だろうに。
http://matsumitsu.exblog.jp/m2010-03-01/
 …かれこれ半年ばかり失念していたサイトがある(↑)。検索中に偶々気付いて覗いてみたら、このところ更新が活発になっているらしい。上記リンクは先月の教育ネタだが、今月は皇室絡みの西尾批判ネタがある(↓)。
http://matsumitsu.exblog.jp/m2010-04-01/
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> ともあれ、西尾氏には、皇室を敬愛してやまないという、伝統的な意味での日本人の心はない・・・と見ていいでしょう。ご本人は、「それが保守だ」と開き直っていますが、そんなものが「保守」なら、わたしは、朝日新聞も日教組も、「保守」といってよいことになるのではないか、と思っています。
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 …そうだった。よくよく考えると、日教組も負けず劣らず「保守」なのだ。筆者の松浦先生が正反対の意味で書いているのは百も承知で、にもかかわらず戦後に培ってきたものを「保守」する感覚が「そこには存在する」。こうした現実を認識するには、どうしたって避けては通れない視点がある。すると相対的に松浦先生の立ち位置も、ともすれば所謂「皇国史観」の時代区分を「保守」する側であるかの様に見えてくるだろう(これもまた「思い込み」の一つ)。狭義の区分では、少なからぬ場合~当事者の意思とは無関係に「両者の時代感覚がズレてくる」のに、歴史の方が勝手に双方を丸呑みしてしまうから、広義に見ようとすればするほど却って手に負えなくなっていく。

 …ここらで少し、話をズラしてみる。
 苹は「君が代」が歌える。(他県はどうあれ)こちらでは毎年の式典行事でやっているから、生徒も全員が歌える。
 ~あたしゃ教員時代は終始一貫、強いて云えば或る種の茶目っ気(?)のつもりで定期考査に毎年出題した。皆が知っている歌だから、素直に読めば零点なんか取れる筈がない。その時に使った画像がコレ(↓)。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_r_455.html
 難があるとすれば、冒頭が「わがきみは」であって「君が代は」ではない点くらいだろう。まさか「国歌の元ネタとなった古典は教えるな」などと言い出す教員は居ないだろうな(ただし国語イデオローグの信奉者は別)。元ネタが進化して国歌になったとするダーウィニズム的な見方を否定して、「聖書」的な古典に出戻る所から始める立場の御仁なら尚更そうだ(国語プロテスタンティズム?)。…学校は教会に似ているかも知れない。しかし必ずしも教会と学問はセットではない。にもかかわらず両方を否定するかのごとき暴挙に出れば、これまで個人的かつ風土的に若干の違和感を覚え続けてきた「マルクス主義」疑惑の方とて無傷では居られず、所謂「右翼のトンデモ言説」がじわじわと信憑性を帯びてくる。誰もが知っている歌を生徒に出題サービスして何が悪いのか。~そうした意味では、苹にとっての「君が代」は実のところ「ゆとり教育」の手札でもあった。
 しかし或る種の文盲教員に云わせれば話は別である。何が書かれてあるにしろ、読めないものは読めない。だから「読めない」とする確信に基づいて判断するなら、中身をいかに工夫したところで到底「ゆとり」への配慮とは認められないし、それどころか筆文字を持ち出す行為自体が由々しき事となる。まして中身が「君が代」ともなれば問題だらけだ。お前は右翼か。恥を知れ。…つまり国語イデオローグと政治イデオローグが脳内で握手する。しかも自明性への信頼が先に立つから「思い込み」への自覚は要らない。そこで彼らは当然ながら「保守すべきものを守る」。政治イデオローグにとって戦後民主主義の時代区分は「戦後」だが、国語イデオローグにとっての現代国語や活字古典は相変わらず戦前や開国時期の「悪しき残滓」を引き継いでいる。ゆえに時代区分を論拠とした駁論は必ずしも有効とはならないし、むしろいっそう普遍的な印象を相対的に際立たせもするだろう。それが突破口となる。戦前と戦後の連続性自体が、現代に相応しかるべき国語的純粋性の徹底を阻んでいるからだ。

 国語イデオローグ達にとって危険な材料はいくつかある。
 漢字の新字体や現代仮名遣いは戦後に制定された。つまり旧字体や歴史的仮名遣いは戦前に属する訳だが、その「戦前」イメージを保守する必要があるとしたらどうか。~所謂「戦前」が軍国主義幻想から更なる過去に向かって逃走を始めては困るのだ。すると「戦前」を日本の通史から浮かび上がらせ、近視眼的にイメージ操作=隔離する必要が生じてくる。政治面では極めて特殊な時代として「戦前」をナチス化したり、或いは侵略体質の歴史文脈として豊臣秀吉の系譜に連ねる手がある模様。
 文化面でGHQが行った工作活動は、ナチス化の手口が少なくない。例えば書道・習字は一時期、軍国主義に加担した咎により学校教育禁止と相成った。新字体や仮名遣いに関するイメージ操作も、どちらかと云えばナチス化の文脈で捉えられるケースが多いのではなかろうか。~戦前はやたらに教条的な漢語スローガンが増え、仮名遣いも基本的には昔風(歴史的/封建的/軍国的)だった。そうした「悪しき歴史言語」から脱却するため、新字体や現代仮名遣いによる国語教育がなされる様になった…と暗に教える。
 苹自身、そんな印象を持った記憶がある。そう教わった訳でもないのに、なぜか先入観を持った。何か仕組まれていた様な気がする。他の方々はどうだろうか。もし「そんな印象を持ったのはオマエだけだ」と云うなら、これはこれで単なる一例の記憶に留めよう。~ともあれ、旧字体と新字体の分類に別種の問題が伴う件はNo.7731で言及した通りだし、仮名遣い変更の経緯は共通語としての国語が成立する過程と絡む。
 六年前、「「奴は知り過ぎた。」の図」(2004/04/19 01:20)と題する稿を書いた(No.7659末尾に転載↓)。以下抄録。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=7659&range=1
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> この経緯を見ると、「陸軍が一歩先に手をつけていたことの追認にすぎませんでした」とする西尾先生の論は、かなり複雑な状況下で組み立てられた様な気がしてきます。~旧仮名遣いとして制度化された暫定的教育方針は、教育現場では恰も不変の原理であるかのごとく受容されて行った。その結果、明治時代に自ら捨てた筈の日本語の多様性は二重の意味で捨て去られる事になった。するとやがて、捨てる主体と捨てられる客体との重合により自己完結的性格は増幅され、「国定の」仮名遣い自体が神聖不可侵の伝統を表記=言挙げ=体現する上で欠かせない霊性を帯びてくる。地域差を克服すべく、国民統合の手段として教育に導入された筈の方式が、国民から国家への重心移動に伴って別の性格を獲得し始める。
> 政治的意味で云うなら、新仮名遣いは旧仮名遣いの直系と見なして構わないでしょう。どちらも言語革命の手段で、結局は両方とも漢字廃止に至らなかった訳ですから。…しかしながら、流れ自体は国家から国民へと分散しますから、共通語と方言との差異化には、原理的に自ずと無理が生ずる筈。共通語と地域語の差異は、地域語と方言との同一性の裏側で、嘗ての在り方を転倒させる筈。
> 旧仮名遣いのままでも、結果は同じだったかも知れません。…が、ちょうど(運悪く?)転倒の時期に、二つの出来事が重なってしまった。一つは昭和二十一年九月議決答申の「現代仮名遣い」。一つは同年十一月議決答申の「当用漢字表」。転倒直前に戦前的属性を保ち得た点で、旧仮名遣いは「汚れずに済んだ」のかも。嘗ての様な崇高さと美しさを求めるなら、やはり旧仮名遣いの方が魅力的でしょうし、それを歴史的仮名遣いと呼ぶ事に違和感はないでしょう(私なら、わざとらしく「神話的仮名遣い」と呼んでみたくなります)。現代仮名遣いは神聖さの在処を失っているのではないか。少なくとも私にはそう感じられます。~これは音韻や歴史の問題ではない。価値や思想の問題ではないのか。そんな具合の疑いが、現代仮名遣いの宿命であるかのごとく付き纏って離れません。
> 私が旧仮名遣いに軍国主義の気配を感じるのは、たぶん…歴史的多様性を捨てた仮名遣いとして受け止めているからなのでしょう。美と崇高に基づく優越を旧仮名遣いに感じるだけなら構いませんが、余りにも厳密にし過ぎた点が気に食わない。漢字も厳密、仮名も厳密。その一部は戦後も承け継がれている。こうなると歴史的な融通の利かせ方くらい、有り体に認めたっていいじゃないかと文句をつけたくなります。
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 先程「国語イデオローグ達にとって危険な材料はいくつかある」と書いた。国語イデオローグの現状について(と言い換えて構わないなら)、西尾先生は嘗て「整頓主義」と表現したが(No.7660参照↓)、その政治的背景には未解明の要素が他にもいくつか残されている気がしてならない。ナチス化の文脈では歴史的文脈からの抽出が前提だが、歴史文脈自体の体質問題として丸ごと再解釈する手口の方が、実のところ思考様式上のダメージは大きかろう。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=7660&range=1
 しつこくて申し訳ない。…漢字と仮名がある。
 漢字の本家と云えば中国。その中国から見れば、仮名はどんなふうに映るだろうか。昔の平仮名と今の平仮名の過半が同じに見える人は居るのだろうか。~アラビア文字と同じくらい多用される曲線が目立つものの、一音一字の切れ目はそれなりに確からしい。縦書きでも横書きでも大丈夫。それがチョイと遡ると殆どが縦書き。おまけに全部がミミズのダンスと来たもんだ。よくよく見れば、草書と似通った字面がある事に気付く人も居るだろう。しかし今では、草書が読み書きできる中国人なんて何割くらい居るのかねぇ。あちらの簡体字も日本と同様、草書を楷書化した字例が少なくない。なればこそ、いっそう仮名の異質さが際立つ。
 中国の表音システムは西洋アルファベットを借用したピンイン(1958.2公布)。そして朝鮮半島の場合は、日本の少なからぬ関与により全土で復興を遂げたハングル。どちらも仮名とは似ても似付かないし、そもそも役には立つまい。それぞれ国情に応じた表音システムとして発達した文字だし、中でも漢字との絆は日本の仮名に最も顕著な痕跡が残る。片や中国では、百年前の字がニョローンとしていて妙に印象的だった。漢字の隣に並んでいたのは満洲文字って云うそうな。首をカックンと倒して雑駁に見れば、西洋のアルファベットも雰囲気はどことなくニョローンとしている。もし学者の無意識に満洲ニョローン系の記憶/印象が刷り込まれていたとしたら…てぇのは冗談の域を出ないから余り真に受けないでネ(でも調べた人が居たら教えてちょ)。
 元の漢字を度外視すれば、昔は仮名だって充分ニョローンとしていた。それがいつしかバラバラ完了。今や漢字と縁遠い点ではハングル同然なのに、来歴は相変わらず漢字なのだ。…以前、この辺が引っかかった(No.7686参照↓)。
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=7686&range=1
 漢字からも仮名からもニョロニョロ体質を掃討して、模範としての侵略体質を自ら演じてみせた上で日本が半島にハングルを推奨したとしたら、これは一体どういう事になるのやら。そこに仮構される日本の「文字侵略体質」は、予め自虐的前提の下に文明開化と共振していた…てな事になってこないか。
 嘗ての刀狩りに何か恨みでもあるのか、近・現代における秀吉コンプレックス(?)に魅入られた民草達は、言葉狩りや文字改変にも寛容であり続けているらしい。この場合、国語イデオローグの視線は戦前・戦後を超越しており、そうした系譜的視点から歴史的日本語書記を白眼視する明治以来の伝統もまた、「思い込み」の領分で己の依拠する立場を保守する態度と共振し続けているかの様に思えてくる。

 畢竟、以上を読み返してみれば目新しい事は何もない。文中で言及した旧稿を思い出そうとした訳でもないのに、ふと気付けば別の角度から見渡し直しただけの話になっていた。いつの間にか、そんなふうに「収束しちまっていた」って事なのだろう(汗)。
 こうした「想定外」の収束作用に、苹自身もまた呪縛されているらしい。元々は「成績評価の脱構築」、もしくは「書の無縁化」の題で書くつもりだったのにぃ。~してみるとどうやら、そこにはもう一つ(一つで多数?)の「思い込み」があったらしい。意識の水面下で蠢く思い込みと、そこから逃れようとする思い込みと、それらの間に鬩ぎ合う可能的世界の領分と。
 苹はそんな公的呪縛と私的呪縛の双方に、それぞれの伝統(もしくは萌芽)を~ひいては、てんでばらばらな調和錯視の下での「胡蝶の夢」を垣間見る。
8【再掲】「とめはね」ネタ12 ( 苹@泥酔 )
2011/08/11 (Thu) 23:22:30
7737 【補記色々】滅びの示導動機 苹@泥酔 2010/03/23 19:04

●余談其一
 ヴォルフガング・ワーグナーが死去したそうな。今夜は久しぶりにLDでも見るか…。ヴォルフガング演出のビデオはシュタイン指揮の《マイスタージンガー》と《パルジファル》が市販されていた。
 S.59に音楽之友社から出たミュージック・ギャラリー写真集『バイロイト音楽祭』には、《ニーベルングの指環》(通称「リング」…Jホラーじゃないよ)の舞台写真が載っていた。下記引用は同書所収エッセイの渡辺護「バイロイト六つの「リング」」から。合掌。
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> 一九五九年には「指環」の上演はなく、一九六〇年にヴォルフガング・ワーグナーがはじめてこの作品の演出に当った。ヴィーラントの完全な抽象化とことなり、弟はいくらか新しい具象化をも試みた。兄と同様、煩雑な小道具はすべて排し、配光も節約されている。しかしヴォルフガングの大きな特徴は舞台空間を立体的に構成して、そこに個々の人物や群衆の表現を生かすことである。これはヴィーラントのむしろ絵画美をねらった舞台とは著しい対象をなした。舞台の床に凹面の大きな円盤を置く。直径約十五メートルこの円盤はいわば世界を意味し、これが五つの部分に分けられ、劇の内容に応じて、重ねられたり、離れたり、沈んだりする。指環全曲をこれで押し通したことはやや単調な印象をあたえるが、しかし個々の場面においては効果のある、優れたアイデアである。登場人物の持物、例えば剣、角笛、槍などは用いられたが、ワルキューレは盾を持たない。
> この演出は一九六〇年から六四年まで五年間つづき、十二回上演された。
(中略)
> 一九七〇年にはヴォルフガングが第二回目の「指環」演出を行ない、これは一九七五年まで全部で十五回上演された。ヴィーラントの死後、ヴォルフガングは個性的な兄の束縛から離れて、自分の信ずるところを自由に表現するようになった。
> この演出では、前回のヴィーラントの徹底した暗さに対し、ヴォルフガングの舞台は概してずっと明るく、夢幻的な美しさを持つ。ヴィーラントの冷厳で、情感を突き離すような美しさに反し、ヴォルフガングは抒情的な暖さを持つことが多い。「ワルキューレ」の幕切れで、炎の背景の下をヴォータンが大きく輪を画きながら、降りて来るところは感動的であった。
> 前回同様、舞台に中凹の円盤が置かれたが、その使用はさらに巧みとなり、この円の中心が種々の意味で強調され、劇的に働きかける力を発現する。この蟻地獄のようなくぼみの中から、エルダが浮び上って、ヴォータンに警告を発する場面はことに成功した。
> この楽劇の持つおとぎ芝居的な面白さもある程度生かされ、大蛇がのそのそと現われ、煙を吹いて斃れるところはほほえましい。ヴィーラントでは出て来なかったジークフリートの葬送行進も実際に行なわれる。「たそがれ」の最終場面のスペクタクル的な展開は正にすばらしいショウとなった。
> しかし舞台装置は極端に節約されており、ホリゾントに当てられる光が大道具の代りをする。前回の演出にくらべ著るしい進歩を示したのは群衆の扱い方である。
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●余談其二
「何もかもが消滅しているのです。途中で失せてしまっている。頼りにするものは細々としています。オリジナルのテキストも、二番手のテキストも、もう何処にもない。古代末期のヨーロッパとよく似ています。」
 これは西尾幹二『江戸のダイナミズム』(文藝春秋)P.399、第十六章「西洋古典文献学と契沖『萬葉代匠記』」中の文章。そこには写本を手懸かりとせざるを得ない宿命がある。~「写本」の実際がいかなるものかを認識する上で、じかに自分で書いてみないと分からぬ事が少なくない。なぜ誤写や誤読が起こるのか。そこに意識がどんなふうに関与するのか(=関与しないのか)。
 いくつかの仕方がある。例えば「書く様に読み」「読む様に書く」と、写し手の意識が誤写・誤読に関与する一方、正確な伝移模写を心懸ける意識もはたらく。もちろん一々読まずに「見た通り書く」手もないではないが、斜に構えれば「彼にはそう見えただけ」の話だろう。時には見間違える事もあるし、記憶は嘘を吐く。そして模写対象のアフォーダンスは人それぞれ違う。歪曲書道の字が、読む事を万人にaffordするとは限らない。~この辺に関する事は、下條伸輔『〈意識〉とは何だろうか』(講談社現代新書)や佐々木正人『アフォーダンス――新しい認知の理論』(岩波科学ライブラリー)などを参照していただきたい。

●余談其三
 次は中国の活字ネタでも。
 以下は中野三敏監修『江戸の出版』(ぺりかん社)P.354~355の記述。云うまでもない事ながら、引用末尾に出てくる「今世紀」とは二十世紀を指す。
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> 最後に印刷形態の違いについて簡単に触れておこう。明清両代は刊本(木版製版)の時代といえるが、そればかりではなく、活字本、刊本、鈔本の三種類が並行して行われていた。
> 中国における活字印刷は、宋代にすでに発明されていたとする資料があって、それがグーテンベルグより早い、ということで大きく取り上げられてきたが、二十六文字のアルファベットで事が済むヨーロッパとはちがって、相当多くの漢字を準備しなければならない中国の場合、活字印刷というのは、実は相当効率の悪い印刷方法なのであった(活字の場合、増し刷りができないという不便もある)。それがため、活字印刷は、官府(たとえば清代の武英殿聚珍版書)や大金持ちが行った印刷手段であった。活字版のことを聚珍版とも呼ぶが、珍をあつめるというのが、いかにも特殊でかわった印刷形態であることを物語っているようである。
> 日本でも江戸時代の初期に活字版のブームがあったが、これも主として朝廷や幕府による、よほど高級な出版物であった。こうした活字本が、やがてより多くの読者を意識し、書物のより広い需要に応えなければならないという状況の到来とともに、刊本中心へと移って行く江戸時代のケースは、この活字本の位置をよく示しているといえよう。鉛活字による印刷ができる以前には、大量出版の切り札になっているのが、木版印刷なのであった。
> ところが、中国にあっては、刊本よりもさらに安価な書物が鈔本であったというケースもある。東京大学東洋文化研究所双紅堂文庫(長澤規矩也氏旧蔵)に、数十種に及ぶ「百本張鈔本」が蔵されている。これは芝居を見るために歌詞を書き記したパンフレットであって、だいたいが三四丁ほどの簡単なものである。おそらく芝居が終われば捨てられてしまうようなものなのだが、ある程度の部数が作成されたと思われるこうしたパンフレットが、刊本ではなく手書きの鈔本なのである(表紙には「百本張」のハンコが捺されている)。鈔本にも片や四庫全書のようなきわめて豪華なものもあるが、片や工賃の安さを反映して、版木を彫って印刷するよりも、手で書いた鈔本の方がより安上がりだったという場合もあったのである。
> 一般に、鈔本というものにあまり重きが置かれないのが中国の状況であった。今世紀になって奇跡的に発見された敦煌文書などは別にして、唐代から伝わって現在まで残っていたという書物は中国にはほとんどない。刊本が出たと同時に鈔本は滅んでしまったのである。日本では、刊本があったとしても、昔からの鈔本はそのまま残るし、またその価値は絶対ともされるようだが、鈔本と刊本とに対する価値観は、日本と中国とでかなり違っているのである。
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 代わりに…と云ってよいかどうか定かでないが、ともかく中国では拓本文化が発達した。そこには、書道とはまた別の視座がある。碑版法帖もまた印刷物である事を、時折あたしゃ忘れちまうのでありんした(汗)。
 そう云や昔、中国絵画史の本を見てたら見覚えのある石碑名が出てきたんだっけ。何かと思ったら李北海の書いた李思訓碑だった(この碑は江戸時代の巻菱湖も学んだそうな)。…ソリャそうだよな。李思訓と云えば絵画史に出てきた名前だし。そんでもって学生に興味あらば、そこから芋蔓式に手を伸ばして歴代名畫記だの何だのを読み漁ったりするのも一興(以下略)
8【再掲】「とめはね」ネタ11 ( 苹@泥酔 )
2011/08/11 (Thu) 23:20:05
7736 【No.7731補記】牽強付会の試み 苹@泥酔 2010/03/20 18:40

 No.7731稿の末尾で、「脳機能方面では漢字と仮名の認知が現代人を基準に研究されているらしい。それらの知見は「草書や変体仮名の読める世代」にも通用するのだろうか」と書いた。この件について補足して置く。
 杉下守弘『言語と脳』(講談社学術文庫)を参照したところ、P.143~145に以下の記述がある。
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> 日本語の失語症例の中には、漢字が仮名より障害されにくいという症例があり、大脳と言語のメカニズムの解明にとって、大きな手がかりとなると考えられてきた。
> 楢崎氏が見出したこの現象はすでに明治三四年、日露戦争のはじまる前に、三浦氏によって報告されている(医事新聞、五八四号)。したがって、楢崎氏の報告中の「漢字が仮名より障害されにくい」という点は新しい知見ではない。しかし、仮名の学習実験という新しい試みをしており、また、次に述べる第二報告では、漢字、仮名問題について、二、三の有意義な知見を得ている。
> 第二報告は、昭和六年五月と六月、昭和八年四月に検査されたものである。
> 注目すべき結果の一つは、平仮名四八文字を一字ずつ発音して、その音に対応する平仮名の文字を指摘させると二七字しか指摘できず、しかも、その指摘時間は五~八秒であった。一方、漢字では指摘時間は一・二~二・五秒であって、平仮名の約三分の一であることである。これによって、平仮名の聴覚像と視覚像の融合は、漢字の場合よりいちじるしく弱いことが知れる。
> さらに第二の注目すべき結果がある。平仮名の文字から、これに対応する漢字の文字を指摘させる検査を行っており、平仮名四一文字については、その指摘が可能であった。たとえば、平仮名の「め」に対して漢字の「目」を、平仮名の「つ」に対して漢字の「津」を指摘することができた。また逆に、漢字からこれに対応する平仮名を指摘させる検査も三六字が可能であった。
> したがって、平仮名の大部分は漢字との連合を脳内に温存していることになる。この事実は楢崎氏によってはじめて指摘されたと考えられる。
> この平仮名と漢字の対応検査は、重度の失語症患者でも、かなり保たれていることが多い。そこで、この平仮名と漢字の対応を練習し、九〇パーセント以上できるようにし、ついで、漢字の仮名ふりを行うというリハビリテーション技法は、失語症患者の書字障害を改善するうえで有効であることを筆者は経験している。
> 楢崎氏の報告は、症例の損傷部位が十分に明らかにされていないので、その検査結果と大脳の部位を関連づけるところまで論をすすめることはできない。しかし、失語症の漢字・仮名問題を考えるうえで、言及に値する論文と思う。日本の失語症研究では、漢字・仮名問題が大きな位置を占めてきた。ただ、従来の研究のほとんどはいくつかの問題点をもっており、楢崎氏の研究も例外ではない。これについては、第十五章でふれる。
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 第十五章の指摘はP.233以降に書いてある。問題点が三つあるとの事。漢字・仮名の検査の不備、データの表現、症例報告の限界。

 久々に読み直して、ふと気になった。敢えて紋切り型に括るとすれば、日露戦争の前は書字時代と活字時代のどちらに属するのかと。そこで思い出したのが諭吉でござる。明治の開国と云えば、最も印象的な啓蒙書の一つがコレ(拡大図版も御覧あれ↓)。
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_title.php?id=42
 印刷史研究会編『本と活字の歴史事典』(柏書房)P.485には『学問のすゝめ』初版本文の図版、P.483~484には牧治三郎「活版印刷伝来考=九」所収「鉛活字鋳造の揺籃時代(続)」(『印刷界』156号、S.41)からの引用がある。以下抄録。
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>志貴はいまの銀座風月堂の前、京橋南鍋町に店舗をかまえ、30~40人の職工を使って、水牛の角に字父を彫り、これを鉛に打ち込んで字母を作っていた。
>こういう字母製作方法だったから精々一日で20~30個を打ち込むに過ぎなかった。鉛錫の合金だと熱度が高くなって、作業上困難だったのか、生鉛一本で錫を入れなかったので、字母は永く保たなかった。
>志貴は他に販売所がないことを知っているからお高く止まり、百個以下の注文は引受けないという商きない振りだった。従って需要者の反感を買ったことはもちろんだったが、正院印書局とか新聞社関係の大口需要者に販売していた。いま志貴製の活字をみることの出来る印刷物としては、日就社の英和字彙の一部(本誌第144号参照)東京日日新聞の第2号から12号迄の五号活字、福沢輸吉の学問ノススメ(図版参照)『天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト言ヘリ……』有名なこの書は全19冊59万846部を売りつくしたと称する4編から11編までが志貴製の三号活字である。
>明治5年、平野が東京に進出して、五号1本1銭で販売するようになってから、1年と過ぎぬうちに志貴は閉店して終った。(以下略)
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 …してみると、三浦報告を三十年ほど遡る明治初年には既に、活字の書物がそれなりに普及していたらしい。鋳造活字が普及する前は木活字や彫刻活字が用いられたし、明朝体については上海の印刷所「美華書館」の影響もある。ならば日露戦争前後における従軍者の識字環境も当然、活字対応型の教育訓練を踏まえて理解さるべきだろう。
 杉下本に言及のある楢崎報告とは、『心理学論文集Ⅲ』(1931)所収の楢崎淺太郎「前頭骨より後頭骨に貫通銃創を受けたる一負傷者の精神機能に就いての第一報告」などを指す。当時の軍事訓練と最先端の翻訳的国語環境とを勘案すれば、読字環境における漢字と仮名の峻別は既に常識と化していた筈。つまり教育国語に先立つ学問国語(実学国語?)の領分は、云わば「大人の識字環境」としての機能を充分に果たしていた事になろう。もちろん手書きの領分では(欧文表記などの比較的特殊な例を除き)相変わらず毛筆を用いるのが普通だったし、斯くあればこそ尚更、書字と読字の乖離状況には把握し難き面が少なくない。さりとて、書字と読字を貫く当時の認知メカニズムが全くの別物=分裂状態にあったとは考えにくい。この辺に関する苹の理解は浅薄らしく、アレンジメントに若干の飛躍がありそうではある。
 たぶん何かが隠されている。~私には岩田誠氏の発言が示唆的と映った(↓)。
http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02757_01
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> 日本語の読み書きで西洋人と違うことが起こっているという指摘は多く,立派な論文もたくさんあります。でも,どうして違うのかという点までは追究されてこなかった。私は,しつこく追究したので,逆に共通点が出てきたんです。「違う」ということだけではなくて,「どこが共通しているのか」と考えることのほうが大事だと思うんですよ。だって,脳は同じなんですから。
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 その編著『神経文字学』(医学書院)については差し当たり、こちら(↓)を参照されたし。
http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=31206
 なお、三浦や楢崎の名は第一章「漢字仮名問題の歴史的展開」(山鳥重)P.24以降に出てくる。

 漢字と仮名の差異は、視覚に訴える形態上の差異では必ずしもない。この事は幕末以前に普及していた木版印刷物を見れば概ね想像できよう。しかしそれはあくまで草書に不慣れな現代人の感覚に依拠した上での錯視に他ならず、或いは寧ろ「字の認知」と「語の解読」との差異に近い領野の話ではないか、とも疑われてくる。そう捉えるなら、日本語の識字環境は後から「活字に惑わされる様になった」のではないかとも。惑わされたのは斯く云う苹の方かも知れない。
 ここではどうしたって、漢字と仮名の定義が曖昧になる(たぶん)。…苹は名前一つで忽ちお手上げになる。例えば「万里」も「理香」も、どう見たって変体仮名の活字表記だが、どう見ても漢字なのが厄介と云えば厄介。うち一人が結婚して小田さんになったら「おだまり!」って呼ばれるんだろうな。でも実は昔の名前が海江田万里だったりなんかして。こちらの発音が「バンリ」なら、それは明らかに漢字の読みだろう。「里」が同じ発音でも、漢字と仮名のどちらに属するかは語の連なりによって変わる筈。…まさか、漢字と仮名の間を跨いだ「重箱読み」状の扱いって事にはならんだろ(苦笑)。
 そんな所が共通理解の通時性を遠ざける。読み書きの共時性に歴史が介入する事の困難を想う度、「歴史に騙される」事は「現在に騙される」事をも折り畳んでしまうからだ。そこには時間的位相と空間的位相の混濁があり、片や我々は大抵の場合、選択的態度を忘却しようと「必然的に」時間的位相の方を切り捨てる。と云うのも「必然たるべき振る舞い」は自ずと、空間の側に位相の優位性を認める様に仕組むからなのだろう。
(以下、いつもの牽強付会ぶりが炸裂?)
 「草書をゆっくり書く」という逆説が書論にあるごとく、時間的位相への憧憬が支那人には強いらしい。そこには更なる逆説が待ち構えている。悠久の歴史の中に国家が続かない支那と、悠久の国体の中に歴史が連なる日本とでは、懸隔もまた逆説たり得るだけの条件を「まさに間のなかに」備えているからだ。ここでは日本的語彙としての「間(ま)」が歴史の雛型となるだろう。日本人が草書を喪失するのは、おそらく「間」の中から歴史を喪失するに等しい。王朝交替という歴史を持たない日本にとって、歴史そのものが意識の脅威たり得るからである。
 たぶん日本人には、差異のない歴史を差異化するという困難がある。それは必ずしも我々のものではない。我々の前で彷徨い続ける「他者の様な歴史」を獲得した途端、差異化と差異は互いに危険な関係を結んでしまいかねない。そうした環境下で、時間を距離と認識するかのごとき美徳(?)が言語の影となって付き纏ってきた以上、今も昔も言語によって思考する身が抱えるものは予想以上に大きかったのかも知れない。
8【再掲】「とめはね」ネタ10 ( 苹@泥酔 )
2011/08/11 (Thu) 23:17:32
7731 国語の領分 苹@泥酔 2010/03/05 23:29

 掛軸ってぇのは、平板な死体が隣で首を縊っている様なものだ。だから苹は人物画が大嫌い。ゲゲゲに出てくる「こなきじじい」をいっそう生々しく描いた様な羅漢図なんて誰が掛けるものか。仏閣ならともかく。この感覚は洋画でも変わらない。自分の寝室に、例えば以前「日録」に出ていたイエスの骸を飾る勇気(?)はない(↓)。
http://www.salvastyle.org/menu_renaissance/view.cgi?file=holbein_grabe00&picture=%95%E6%82%CC%92%86%82%CC%8E%80%82%B9%82%E9%83L%83%8A%83X%83g&person=%83n%83%93%83X%81E%83z%83%8B%83o%83C%83%93%81i%8Eq%81j&back=holbein_grabe
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=427
 ~こう書いて、ふと思い出すのが白隠。誰の本だか忘れたが、白隠は強過ぎて神経が滅入るんだそうな。しかし仙厓なら大丈夫、見られる。
 自分の字をぶら下げるのも抵抗がある。字の中に自分を見てしまうからだ。あたしゃそこまで図太くはない筈。まだ顔写真の方がマシである。所詮は顔だ、ナルシシズムに溺れたって構わない。それとて他人、特に異性のには及ぶまい。何十年か前は若者の部屋によくアイドルのポスターが飾ってあった。今ならアニメっぽいキャラのフィギュアかな(綾波レイとか初音ミクとか)。因みに私が部屋にポスターを貼ったのは後にも先にも一度きり。LP十枚を揃えて応募すれば貰える、指揮者メンゲルベルクのそれだった。後はグラモフォンのカレンダーだが、今世紀に入った頃にはどのレコード屋もくれなくなった(そして潰れていった)。
 昔、友人のカメラマンが撮った顔写真を大きく引き延ばして貰い、独り悦に入った事がある。苹の葬式用にはエグいかも知れないが、いい出来だった。彼の腕がいい。左右反転して加工したのを見た人は「わあ、きれい」と云ったそうな。そしてオリジナルの方を見て一言、「わあ、きもちわるーい」。…悦に入るのは苹だけでよい。彼には毛穴までクッキリ表現する腕がある。私はこれでカレンダーを作りたくなった(未遂)。
 当時、彼の自宅で一つ実験をした。定着液(って云うのかな?)で字を書いた。それをグループ展の会場で見た師匠(今は亡き大学助教授)は、「字の写真だか写真の字だか分からんな」って意味の感想を漏らしながら苦笑していた。~あの時は他に淡墨で大きく「恍惚」と書いたパネル作品も出したっけ。パネルの上下に多数の釘を打ち込むと、だんだん「惚」の字が「恤」に見えてくる。そうした内なる落差の実験作でもあった。言葉に錯覚のためのアンカーを打ち込むと、言葉がやがて分裂していく。大学二年の秋、苹は卒論にする予定で「書法の概念と人間の分裂」稿を書き始めていた(未完)。
 自前の掛軸は、自分の死体が自分の隣で首を吊っている様なものだ。云うなれば幽体離脱。度重なれば百鬼夜行。そんな言葉の渦に自分を巻き込む時、「言葉」は鬼の様に言葉か書のどちらかを貪り始める。

 先日ネット検索中、偶々こんなブログ記事が目に留まった(↓)。以下、国語側の身になって考えてみる。
http://www.m-kiuchi.com/2010/02/24/japaneseandforeignlanguages/
 国語教育を律する根本原理は嘗て「国語の改造」にあった。その段階は遅くとも大正時代に過ぎ去り、戦後の「国語改革」による改造方法の微調整を経た後、今は「改造された国語」の根幹部分を古今不易の絶対原理として信じさせ続けるのが大前提となっている。~教員自身がどう思って居ようが、たぶん彼らは嘘を教えていない。ただ生徒が誤解する様に教えているだけであって、教わった通り「真っ当に誤解した」生徒の一部がやがて教員になっていく。その連鎖を守る事が国語教育では現実に求められており、そうした国語絶対主義に合致しない古典的実態は総て黙殺されなければならない。従って、国語信仰の側から見て「異端」に相当する領分を学ぶ態度は(表向き禁止こそされていないものの)自粛するか蔑視するのが教員として当然である。そんな国語イデオローグに独占されているのが国語教育なのである。
 こんな事を書けば、殆どの人が「まさか」と思うだろう。この苹という奴は頭がおかしいのではないかと。

 先程「たぶん彼らは嘘を教えていない」と書いた。例えば、日本で昔から使われている文字には漢字と仮名がある。これは正しい。そう教わった生徒は何をイメージするか。漢字なら楷書、仮名なら現行の平仮名と片仮名だろう。それ以外は教わっていない筈だから、楷書以外の漢字書体や変体仮名は予め想定外となり、この時点で最初の誤解が完成する。そしてこの誤解をより確実なものとするために書写指導が行われる。特に毛筆指導が重要。「昔の人は筆で字を書いていた」と教えるのは差し当たり正しい。ただしそこでイメージされるのは実際に書かれていた昔の文字ではなく、あくまで楷書の漢字と現行の仮名である。ここでも明治以前の書字文化は埒外に置かれる。
 或いは「ないものねだり」に見えるかも知れない。子供にそんな高度な話が分かるものかと。そうかも知れない。まだ平仮名が現行平仮名と変体仮名に分けられていなかった時代、子供は平仮名が読めなかったのかも知れない。石井式漢字教育でスラスラ漢字を理解する子供は「存在してはいけない」のかも知れない。しかし実際は子供でも変体仮名や漢字の草書が読めた。漢字が読めたのは、漢字と仮名を貫く草略原理が身に付いていた事と、なにより振仮名の効果が大きかったからである。にもかかわらず、そんな事はどうでもよい。昔式の「前国語教育」は、近代的国語教育の信仰に反するからである。今は国語で草書を教えてはいけない。だから漢字と仮名が共通のシステムで変形生成する事実も隠蔽されなければならない。この基本的指令すら守れない様では到底、まともな国語教員としてやっていける訳がない。
 そこには書写体の問題も絡む。私が子供の頃、最初に興味を持ったのが「学校で習う漢字」と毛筆書写体との差異だった。なぜ活字の之繞にはウネウネがないのか。なぜ手書きではウネウネさせるのか。これを説明してくれた先生は一人も居なかった。だから勝手に考え、勝手に独学から学んだ。気付いた時は中学生になっていた。今にして思えば、書道に興味があったのではない。それ以前の、根底を司る理念的かつ現実的な世界の「重合するさま」に興味があったのである。
 先年、未履修問題の余波で中学国語科書写までもが槍玉に挙げられた。学習指導要領に何が書かれていようと、現実には国語で書写指導しないのが当たり前である。中学生にもなって学校お習字とは情けない。行書が既に「読めない」「読みにくい」領分に属している社会的事実を尊重すれば、書教育の形骸化は畢竟「社会的要請への配慮」って事になる。従って学校教育は文部科学省の不当な支配に屈するべきではない。そもそも学校は学問教育の場でも伝統文化教育の場でもない。歪曲教育の場である。
 今は活字の時代であり、もはや書字の出る幕はない。にもかかわらず仕方なく字を書いているのは、単に印字手段が手元になかったからだ。…これからは電子黒板の時代になる。仕方なく書いた字が即座に活字化し、読みやすく画一的な「正しい字」に置き換わる。その「正しさ」の基準が辞書であり、教育的かつ社会的な配慮を加えたものが常用漢字など。そして辞書の字が正しいのは、辞書が間違っていないからである。

 新字体が制定された時、旧字体は辞書から一掃されなかった。従って旧字体は誤字ではない。正しいか否かよりも、むしろ新字体と旧字体の分類自体に意味がある。ここに至って「漢字の神話化」が完成した。名称を相対化して新だの旧だのと呼べば、それだけで印象がガラリと変わる。
 例えば今は「萬」が旧く「万」が新しい。ところが高校授業で変体仮名を学ぶと大昔から「万」の用いられた事実が知れ、国語の認識を根底から覆してしまいかねなくなる。つまり書道は国語にとって不倶戴天の敵であるので、書写教育には予め防波堤としての機能が期待される。書写の本質が歪曲教育であるのはそのためであり、ひいては高校書道でも「読めるように教えてはならない」って事になる。美しさに目が眩めば「深層が読めなくなり」、国語にとっては却って好都合。書道は美術と並ぶ視覚芸術もしくは非芸術であり、言語芸術を意識してはならない。物事には考えて良い事と悪い事がある。
 辞書が正しいのは、辞書が予め活字化されている事による。そこには文字学の研究歪曲成果が盛り込まれている。楷書を正しく歪曲するために篆書の楷書化=創作が施された。それを基準に楷書を正しく書けば、楷書が或る種の草略書体である事までが「いつしか忘れられていく」。
 こう書くと奇異に思われるかも知れない。~例えば之繞。点が一つとか二つとか取り沙汰されるが、それは単に連綿草略されない点の数を論っているだけの話であって、誰もが手書きするウネウネ部分の連綿を切り離して書けば忽ち、隷書や篆書と同様の三本線が現れる。「学」や「実」などの字も、草書を知る者なら草略の度合いが誰だって分かる。「海」の乳房点々や「為」の上部も草略連綿の類だろう。「弘」の旁はなぜ「口」の形で書かないのか。「以」は隷書を見れば偏旁構成の字だ。草略と省略に厳密な垣根を設けず緩やかな変容・変奏と捉えるなら、楷書は紛れもなく隷・行・草の併用時代から大きな影響を受けている。
 漢字と仮名の峻別も国語歪曲の重要な手口と云えよう。漢字といえば誰もが楷書や活字漢字を思い浮かべる。平仮名の仲間に変体仮名や草書を連想する世代は概ね死に絶えているだろう。朝鮮半島で漢字が廃れていったのと同様、国語教育で漢字と仮名のシステマティックな草略の絆を教えようものなら、すぐさま国語への反逆行為が大多数の国民から袋叩きに遭うだろう。

 『左の脳と右の脳』第二版(医学書院)P.92前後を見ると、脳機能方面では漢字と仮名の認知が現代人を基準に研究されているらしい。それらの知見は「草書や変体仮名の読める世代」にも通用するのだろうか。月本洋『日本人の脳に主語はいらない』(講談社選書メチエ)P.233に「日本語は、明治以降に大きく変わった」との小見出しで始まる項があるごとく、研究者側の姿勢は相応の距離に於て慎重である。また~月本氏にこちら方面への興味があればの話だが、同『日本語は論理的である』(同)P.202に被験者募集の旨がメールアドレス入りで載っている(旧稿で言及済みのネタだけど)。なにやら「左右脳に関する脳波とMEGによる実験」だそうなので、季刊誌『墨』の編集部あたり参加者募集企画でも立ち上げていただければ、「書道ガールズ」とは全く異質の老人力ブームが…いや、さすがにそれはないのかもなー。
 ともかく、古文書レベルで読み書きできる「生きた化石」が国語の抑圧で滅び去った今となっては既に手遅れかも知れないが、少なくとも研究者をガッカリさせる程度には、国語蕩尽過程を検証する上での価値があろう。シーラカンス級の被験者がまだ生きているとは信じられないものの、世間には「万が一」という事もある。
8【再掲】「とめはね」ネタ09 ( 苹@泥酔 )
2011/08/11 (Thu) 01:21:12
7724 「とめはねっ!」雑感(其七) 苹@泥酔 2010/02/13 20:39

 全回放送終了。やはり寄せ書き方式では限界があるらしく、「轍」云々の所謂「パフォーマンス作品」は裏方が総て一人で書き上げた模様。そこに二人の生徒役が青汁と云うか潮汁と云うか、ともかくバケツぶちまけて後から完成させたって訳だ。片やライバル校はナマの寄せ書き方式で書いた様だが、演劇臭さ丸出しで、冒頭なんざ機関銃のオモチャの脇で死んだふり。あれを見たら苹ちゃんガクッと来ちまって、思わず「誰か熊の着ぐるみ着て出て来い!」と野次を飛ばしたくなったのねー。完成度を高めようとすればするほど却って墓穴を掘っちまうのがよく分かる展開だった。高校生パフォーマンスのレベルは所詮「寄せ書きの域を出ない」からこそ良さが素直に出るのだろう。
 オレ、なんかグダグダ文句ばっか言ってるなー。要するに「予想通りでツマンナーイ」ってこった。意外性がないって事を云いたいのではなく、ツマンナイ結果が予想できて、その通りになったから二重にツマンナイのであった。ウマイとかヘタとかの問題ではない。そんなものはパフォーマンス仕立てにせずとも評価できる。書かれたものを見るのではなく、書く行為を見るという事そのものが珍しく思えるからパフォーマンスが成り立つのだとしたら、それは日常行為としての書が衰退して初めて成り立つ領分と云える筈。これが何を意味するか。そこにどんな危険が潜んでいるか。この辺を「伝統喪失者としての立場から」噛み締める必要がある。

 …この際、物騒な喩えを持ち出してみようか。
 昔の日本人が当たり前の様に筆で字を書いていた様に、昔は今より旬の味覚に触れる機会が多かった、と仮定してみよう。…例えば鯨肉。あれはウマイのだろうか(あたしゃ食った事ないのよね)。冷凍保存技術の発達していない時代はかなり臭味があったと聞く。むしろ食用以外の用途が豊富だったとも。鯨肉が美味となったのは近代化以後らしい。しかしいづれにしろ、鯨にまつわる伝統文化が豊富である事は確かである。
 鯨肉を食いたい人が食えるなら、それはそれで豊かなのだろう。こちとら捕鯨に興味を持つほど酔狂ではない。ところが「捕っちゃいけねえよ」となると、だんだん話は焦臭くなってくる。捕鯨文化は伝統文化なんだから、細々とやるくらいは別に構わないだろ。それでどうにか通用してきた。反捕鯨国がうるさくなってきても、まだ全面禁止には至っていない。捕鯨船の寄港が話題になる事もない。そもそも捕鯨は通常の意味で期待されるところの「パフォーマンス」ではない。
 しかしこれを反捕鯨の側から見ると話はガラリと変わる。…先ず反捕鯨パフォーマンスが出てきた。それがエスカレートして、今では過激な反捕鯨団体が捕鯨船に挑む。そこが傍目には面白く見えてくる。テレビや新聞でニュースになる。捕鯨パフォーマンスだか反捕鯨パフォーマンスだか分からなくなり、衝突大破するに至っては世界的な人気番組へと成長していく。ここまで来ると、「お前達は鯨食文化の本質が分かっとらん!」とジジイが叱り付けたってもうダメ。もはや鯨食の問題ではない。捕鯨にまつわるガチンコ勝負の問題なのだ。
 この手のパフォーマンスは今後も成長を続ける。今後はマグロ漁船に挑むつもりだそうな。これからはテロ自体が文化となっていくだろう。誰も傷付けないテロ。自然保護を目的とした献身的なテロ。テロは正義なり。みんな募金してネ。~そしたらホントに献金が集まった。そのカネで船を買う。衝突映像や曲解映像が世界中のテレビや映画で繰り返し流れる(一例↓)。「保護の対象を食うなんてトンデモナイ」と云わんばかりに。
http://blog.goo.ne.jp/midnight-run_2007/e/00eb89f5d3aa8b6826eada245ef4289c
 ガチンコ勝負がパフォーマンスである以上、捕鯨パフォーマンスがあるから反捕鯨パフォーマンスが成り立つのだ。同じ事が捕鮪パフォーマンスにも云える。そこに現代的な市場価値がある。

 …嘗て、美術にパフォーマンスがあった。
 今はどれくらい行われているのか知らないが、アクションペインティングだの何だのと、その程度なら近視眼的な書道ヲタでも聞いた事がある。今はもっと様々なパフォーマンスが出現しているのだろう。中には傍迷惑な落書き(もどき?)もあるらしく、青森出身の奈良美智(芸術家)は先年それらしいのをアメリカでやらかして逮捕された。それくらいパフォーマンスには危険な何かが内在している。この事は書道パフォーマンスを志す側も心に留めて置いてよい。
 パフォーマンスの一部には、意味や内容が後から付いてくるケースもある。初めから具体的な何かが予定されている訳ではない。それどころか予め空白域を残して置き、そこを後から埋めて貰うのだ。誰かに空白をそれぞれの意味で埋めて貰って初めてパフォーマンスが完成する。つまり作品が完成する。
 これは音楽でも同じ事。協奏曲のカデンツァを作曲家が書く様になったのはベートーヴェン以後と聞く。通常は演奏者がカデンツァを作曲もしくは即興演奏していた。クライスラーやレーガー、果てはシュニトケのカデンツァを用いて物議を醸した演奏家も居る(クレーメルの事ね)。演奏それ自体がパフォーマンスなのだから、これはこれで立派な正統性が認められても居る。ただし成功するかどうかは話が別。最後は先ずクオリティ、それに霊感や調和、聴衆との交歓など、様々な要素が絡み合う。たとい失敗した演奏でも、歴史的価値が残る事さえある。こうした側面で才能を存分に発揮した一人がクナッパーツブッシュ。計算を上回る霊感ならバーンスタイン。ナチスの威信が懸かった演奏という事では、シューマンのvn協奏曲を初演したクーレンカンプがテレフンケンに遺した同曲録音が有名。その他ベートーヴェンの第九なら、バイロイト祝祭劇場再開記念のフルトヴェングラーとか、「ベルリンの壁」崩壊記念のバーンスタインとか。ここまで来ると「生涯に一度の運」がものをいうので、パフォーマンスの一言では片付けられなくなってくる。
 パフォーマンスには下積み経験が含まれる。しかしそれはパフォーマンスを常態とする領分の話であって、書道は通常その範疇にない。そこにパフォーマンスを持ち込めば自家中毒の危険に見舞われる。しかし一方で、書道パフォーマンスの精華は王羲之の蘭亭叙などに結実しているのもまた確かである。ただし王羲之はその後に何度も書き直した結果、どれも最初に書いたのには及ばないと判断した。つまり書の場合、パフォーマンスは「後から想起される領分」としての過去に属するのが当たり前だった。
 ゆえに苹は、書道パフォーマンスを必ずしも否定しない。しかしながら、パフォーマンスの生々しさが危険である事に、もっと敏感であって欲しい、との思いもまた一方では去来するのである。
8【再掲】「とめはね」ネタ08 ( 苹@泥酔 )
2011/08/11 (Thu) 01:13:36
7723 【其六補記】サロメ余話 苹@泥酔 2010/02/09 22:29

 別に拘っている訳ではないが、「なにこれ、キモーい!」と思う人に愛をこめて。(と書けば藪蛇になるのか。)
 日夏耿之助の邦訳は兵士ナラボートの一声「今宵のサロメ公主(ひめ)の嬋媚(あでやか)さはなふ!」で始まるそうな。そんな《サロメ》の原作はオスカー・ワイルドの戯曲。元々はオペラじゃなく演劇で、日本では嘗て松井須磨子が演じて評判になったとか。

 ところで、この物語ではヘロデ王が娘のサロメに情欲の眼差しを向けている(少なくともヘロデの妻ヘロディアスは、そう疑っているらしい)。そしてサロメは囚人ヨカナーン(預言者)にただならぬ興味、もしくは思慕を抱いている。誘惑すれどもその都度ヨカナーンから拒絶され、サロメは怒ってヨカナーンを罵倒する。先ずはその繰り返し。
 ヘロデはサロメに踊ってくれるよう懇願する。片やサロメはヨカナーンに夢中で、「なに、このキモいオヤジ。そんなに私で興奮したいの?」てな感じで取り合わない。ヘロデはなんでもくれてやるからと歓心を買おうとする。…ここから先はSM女王様と奴隷オヤジの関係まっしぐら。サロメは踊りながら一枚ずつヴェールを脱ぎ捨て、ついに頂点で全裸となる。オヤジの懇願は叶えられた。するとサロメは「あんた約束したでしょ!」と詰め寄る。サロメが欲しがったのは、銀の盆に載った「ヨカナーンの生首」だった(!)。ヘロデは嫌がる。サロメは追い詰める。ついにヘロデはサロメの欲しがるものを与えよと命を下す。(この後サロメは生首相手にさんざっぱら歪んだ愛をぶちまけるんで全員ビビりまくり。ついに生首接吻と相成る。恐怖の余りヘロデは「この女を殺せ!」と命令し、槍を構えた兵士達がサロメに突進して幕。)
 大体そんな筋書き。要するに「サロメ→ヨカナーン」と「ヘロデ→サロメ」の情欲を満たすため、「サロメ→ヘロデ」「ヘロデ→ヨカナーン」の取引が行われる訳だ。ヘロディアスは夫の不埒な情欲に気付いているから娘に踊って欲しくない。しかし娘はストリップまがいの踊りを披露してしまった。娘が夫に生首を要求すると、困り果てる夫を見て妻は「娘よ、よくぞ言ってくれた!」とヒャッヒャ云って喜ぶ。
 ここでの妻は劇中の観客である。演者はヘロデとサロメ。~ところでもう一人、忘れられた観客が居る。冒頭に出てきた兵士ナラボートである。劇中では彼の事なんか誰も気にしていない。そうした意味では、劇を見る我々に近い立ち位置にある。ナラボートはヘロディアスと同様に観客でありながら、恰も劇から外れた観客であるかの様に、いつしか客席へと忍び込むのである。

 ここからが本題。
 ナラボートは物陰からサロメを見つめる。ヘロデ王の姫様と下っ端の兵士とでは言葉を交わす事も出来ぬ。そうした意味では堂々たる人畜無害のストーカー。言葉を交わそうとする所から悲劇が始まるのが本来は理に適っている(手紙を出したり、尾行に気付かれたり)。ところが相手は姫様だ。視線という「沈黙の言葉」さえ交わせない。~視線が言葉たり得るのは、遡ればゴルゴン三姉妹のメドゥーサの例で明らかだ。見つめたつもりが見つめられていた。斯くして彼は石になる。だからこそ見つめられる事よりも、それに気付く視線の方がいっそう毒々しい。ゆえに神話は繰り返される。現代のメドゥーサは彼の視線に気付き、被害者の様に振る舞いながら彼を警察の警戒・捜査対象とする。(念のため断って置く。ストーカー被害者を貶める気は毛頭ない。)
 ここには二つの過剰がある。余りにも両者は近い。サロメはナラボートに気付かない。ナラボートがサロメを見る機会も限られている。なのに現代のストーカーは、その気になれば相手の自宅を覗く事だって出来るのだ。これが第一の過剰である。そして相手は視線に気付き、逆に相手を睨み付けたり怯えたりする事ができる。これが第二の過剰である。そうした私的空間の接近を公共の場に持ち込む可能性が、AKB48などのアイドルや書道パフォーマンスする女学生達には予め用意されている。昔のジジイなら精々、テレビで全国放送されたり皇族の方々の御臨席を賜るのが関の山だった(「其二」リンクの豊道春海画像参照)。
 …ジジイは真っ当な意味でナラボートだったかも知れない。そして皇族の姫様方はサロメだったかも知れない。もしかしたら、そこには原初的視線すら存在しなかったのかも知れない。元々ストーカー行為自体がなく、ただ「そうなる手前の可能性」だけが、筆の動きを追うかの様に漂っていた。すると筆が彼の純然たる分身(演じられるドラマ)となる。なぜなら書き手にとっては、自身が演者であると同時に観客でもあるのだから。
 書道パフォーマンスは先ず分身(これから書かれる文字)の側から始まるかの様で居て、そこに後から肉体(書き手のパフォーマンス)が割り込むかの様でもある。つまりナラボート状の外的視線が肉体(パフォーマンス)を追うという事は、とりもなおさず「分身が肉体に強姦される」事を視線優位の構造下で自己限定的に意味する。ここ(=舞台外)ではジジイがサロメとなり、皇族方や観客がナラボートとなっても決して不自然ではない。この手の関係性は常に、転位可能な状態での鏡像性を「鏡の内側から」覗き込むからだ。
 ゆえに書道パフォーマンスは、重層的な意味に於て「強姦のドラマ」となる。演者と観客が寄って集って分身たる筆を強姦する構造は、強姦される筆から観客の視線を逸らす構造でもあり、畢竟そうした現場で筆を見つめるのは演者=揮毫者だけとなる(ただしそれは他者疎外的な一者間とは限らず、むしろ「多即一」の中の自己限定に於て一者となる)。~ここでは演者と筆との交歓と、演者と観客との交歓とが分かたれる。そこに二つの「交歓が強姦へと顛倒する構造」が現れる。行為自体は何も変わらない。変わるのは行為に付与される意味や視線の方だ。

 …ここで一瞬、テレビドラマ「とめはねっ!」の側へと戻る。
 何度か出てきた「お前達は書道の本質が分かっておらん!」型の台詞は、なぜか繰り返される度に色褪せてくる様な気がする。…強姦から頽廃へ。その一例をオペラの例から抽出してみよう。以下は旧稿でも出した、シェトレ『舞台裏の神々』(音楽之友社)P.21~22掲載の逸話(アネクドート)。
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> ともあれ、いたずらというといつも目のないクンツと双璧をなすのが、テノールのレオ・スレザークだった。彼は自分が舞台にいなくても、ウィーン国立歌劇場の観客を笑わせることができると仲間たちに豪語した。彼のアイデアを実行できる唯一のオペラは、よりにもよって悲劇《サロメ》だった。当日のヨカナーン役は、ウィーン子にはよく知られている奇癖のあるバリトン。彼は極度の潔癖性で、黴菌を恐れるあまり、夏でもマントと襟巻きを身にまきつけて外出し、その上耳と鼻を脱脂綿で詰めていた。スレザークはメーキャップ係を籠絡し、ヨカナーンが首を切られた後、それを盆に載せて出す首に襟巻きをつけ、耳と鼻に脱脂綿を詰めさせた。それを見たサロメは吹き出してしまった。観客も腹をかかえて笑う始末で、悲劇が喜劇となってしまい、とても演奏などつづけられる状態になく、即幕とせざるを得なくなった。
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 そこに悲劇はない。しかし悲劇がないからと云って、そのまま悲劇が消失した訳ではない。悲劇は裏側に隠れた。だからこそ「喜劇となってしまった」。ここでの悲劇は喜劇の構成要素である。そうした悲劇的本質を見失うと、逆に喜劇の方もまた成り立たなくなる。オペラ(歌劇)とオペレッタ(喜歌劇)の相補性を見据える上でロッシーニの果たした役割が示唆する様に、オペレッタはJ・シュトラウスやブラームスが活躍していた頃、オペラの発展に伴い虐げられゆく定めにあったのかも知れぬ。現にオペレッタは衰退し、やがてミュージカルへと転生していった。そんなミュージカルが悲劇を喪失していないのは、喜劇が喜劇として成り立つための構成要素を大切にしているからであろう。
 私は今のところ、テレビの「とめはねっ!」にミュージカル状の桎梏を予期している。そこでは歌の代わりに書があるかの様でもある。しかし現実の書道パフォーマンスでは今後どうなるか分からない。テレビにおける観客概念が、劇場型の観客体験にそのまま適用できるとは限らないからである。
8【再掲】「とめはね」ネタ07 ( 苹@泥酔 )
2011/08/11 (Thu) 01:10:12
7721 「とめはねっ!」雑感(其六) 苹@泥酔 2010/02/07 03:06

 放送は最終回を残すのみ。後半の放送分は原作から離れ、書道の豆知識も貧弱になり、期待したほどには面白くない。実在の女子高生による書道パフォーマンスも初めて見る人には新鮮に映るだろうが、書く過程もしくは書かれた結果のどちらかで相応の差異や深度が保たれない限り早晩飽きられる筈。そしてなにより致命的なのは、あの手のパフォーマンスが所謂「書道甲子園」の場で競技化の危険に曝される設定。何をどんな基準で審査するのか、よく考えると不明な点が多い。誰が審査員になるのか。ダンスの分かる書家に頼む手もないではないし、観客による人気投票が組み込まれるなら積極的に大衆受けを狙う方が得点しやすかろう。コスプレによるマニア受け、露出度の高さによる性的興奮、「美人過ぎる××」といった具合の下馬評、そして全く個人的な好みで大方が決まる傾向(「あそこの子が好みだから応援しる」)。
 …羞恥心をかなぐり捨ててハッキリ書こう。苹の好みなら選曲はズバリ、R・シュトラウスの楽劇《サロメ》だ。候補の一つはご想像通り「七枚のヴェールの踊り」。選りすぐりの美人女子高生が蠱惑的に書きまくり、最後は恍惚の表情を浮かべながら全裸になる。もう一つの候補はクライマックスの生首接吻。ホラー映画「リング」に出てくる貞子の扮装をするもよし、マイケル・ジャクソンの「スリラー」の様にダンスを工夫するもよし。ただしこちらは実際に歌わないとサマにならない。口パクは必ず失敗する。
 いづれにしろ書道そっちのけになるのは必定だが、そこまでするほど落ちぶれては居ないだろう。そもそも学校が許可するとは思えない。ただし大学なら話は別かも知れない。「愛のコリーダ」みたいに芸術性が問われる。~この際もっとマニアックに、シェーンベルクの歌劇《モーゼとアロン》を持ち出してみるか。音楽はいかにも現代音楽のそれだが第二幕には「性的な狂宴」がある。聴きやすいのはワーグナーの方か。《タンホイザー》なら「ヴェーヌスベルクの音楽」。《パルジファル》なら第二幕の「花の乙女」が見所で、バレンボイムが指揮したベルリン国立歌劇場のビデオではヴァルトラウト・マイアーの美乳が拝めた。現実的に考えると、上演できそうなのはバルトークの《中国の不思議な役人》辺りが(以下略)

 …ごめん、つい興奮して話が脱線した(反省)。もっとマジメに書きます。
 とにかく「其五」で書いた通り、「書が他の領分に食われてしまいかねない」のはお分かりだろう。芸術を意識すれば上記の様に(それ以外でも)演出がネックとなる。
 話題を番組に戻そう。~第五回放送。パフュームの曲に合わせて練習したらヒデキが一喝。どんなオチかと思ったら、結局は「心をこめて書く」って話になるらしい。
 実際は、そんな心など存在しない。ただの幻想だ。あるとしたら調和のみ。しかし心が調和する様に、それも複数の人が書く。…これが何を意味するか。皆が心を一つにし、一致団結して取り組む。こう書くと聞こえはいいが、全体主義、社会主義、共産主義を思い浮かべる事もできる。もちろん曲解ではある。ここで恣意的に「心」と形容したものは共通言語的性格における伝統や諸法則や書風の側面を持ち、それらのコモンセンスを分有すれば自ずと調和は保たれる。ナントカ主義の出る幕はない。しかしそれでも問題は残る。
 敢えて「心」と形容したのは、番組のそれが私的な恋心と交錯するからである。私的な領分を分有できるのは当事者間に限られ、二人の間ならまだしも三角関係以上になるとややこしい事この上ない。むろん世代間の共鳴へと拡げる(留める)事もできよう。しかしそれはあくまで私的領分の分有であって、公的領分の分有とは若干の距離がある。
 ダンカン扮する縁の父親がエボシライン云々を書くシーンは石飛博光の字とすぐ分かる。一人で全文を書いている。そこに心の分有はない。分有不可能な心を敢えて分有するとしたら、公的領分に依存するか、もしくは私的交錯のカルト的な度合いを深めるしかあるまい。~「どんなにヤな奴でも俺達は兄弟だ」と形容してみよう。これが実際の血縁関係なら逃れられない。しかし元々が逃れられる関係なら、そこでの「兄弟」は偽装である。男女の間に子供が(以下自粛)ならまだ分かる。血縁の創成により、或る意味「轍」が生まれるからだ。偶然か意図的か、朝倉あきちゃん扮する柔道娘が次回でっかい「轍」を書くのは当初の予想以上に興味深い。
 轍が伝統や自然の痕跡を暗示するならば、伝統の面では無私への視線がネックとなり、自然の面では「見えない自然」へと向かう感性が要求されるだろう。~ここでいきなりデュフレンヌ『眼と耳』(みすず書房)を持ち出せば込み入った話になる。この本の副題には「見えるものと聞こえるものの現象学」とある。パフォーマンス書道の参考になりそうなネタが含まれているので、興味あらば参照されたい。例えばP.214には、こんな事が書いてある(↓)。
「あくまでも詩であろうとする詩が私に期待するのは、まず読むことである。そして逆に、私が中国の水墨画を味わうように、日本の歌絵を味わうことができるのは、単に私がそれを読むことができないからであり、また作品を意識的に歪曲することができないからである。言葉が言葉として機能するかぎり、読むことのできる者にとって、詩的なものは元来絵画ではないのだから、そこにおいて見えるものが読みとれるものよりも優位に立つことはなく、それが読みとれるものを解体するように見えても、それは依然として読みとれるものを理解するように促すのである。」
 第五回放送の書道豆知識は金子鴎亭であった。漢字書と仮名書の古典性に問題を感じた面は確かにあろうが、それはあくまで明治以降の国語改革(「国語」創成)を土台とするものであり、「読み取れなくなったものを理解するように促す」視線はむしろ弱体化に向かっている。戦後に試みられかけた「伝統の回復」を近代詩文書の表現が阻んだ面もある事を、心の奥のどこかに留めて置いていただきたい。
8【再掲】「とめはね」ネタ06 ( 苹@泥酔 )
2011/08/11 (Thu) 01:05:33
7719 「とめはねっ!」雑感(其五) 苹@泥酔 2010/02/03 01:46

 続きのイチャモンは、パフォーマンスについて。
 ダンスでは大抵、音楽に合わせて踊る模様。フィギュアスケートやシンクロナイズドスイミングも大体それらしい。他にも色々あるだろう。…あれらは実際、どうなっているのやら。音楽に合わせているのか、それとも音楽が合わせているのか。
 つまりパフォーマンスの主役が既存の音源に合わせて踊るのか、それとも踊りに合わせて演奏したり録音したりするのかという事だ。前者なら音源は変化しないから、演者は予めテンポなどの記憶に自身のパフォーマンスを隷属させる事ができる。それに対して後者では、踊りにくい部分のテンポなどを踊りやすい様に微調整できる。事前に調整して録音する場合もあれば、その場で咄嗟に合わせる場合もある。
 オペラやバレエは生演奏に合わせるのが普通である。そして指揮者は歌手が歌いやすい様に配慮したり、ミスを補正しようと機転を利かせたりする。それが出来るのがプロなんだそうな。演奏中に各楽器が揃わなくなる事がある。例えばワーグナーの楽劇は四時間くらいかかるから、或る程度は日常茶飯事と云ってよいのだろう。キャストの急病で代役を立てる時は練習時間が取れない場合も多いらしい。そうした一発勝負が思わぬ結果を生んだりする。
 パフォーマンス書道では、複数の書者が互いの動きを合わせる。それ自体が前代未聞の出来事である。見方次第では恐ろしい事でもある。ちょいとばかり想像して欲しい。もし王羲之と顔眞卿と黄庭堅と張旭と王鐸がアレをやったらどうなるか。書くリズムを揃えられるのか。それで何がどうなると云うのか。てんでばらばらの書風を合わせるのはひどく難しそうだ。書かれた書風の調和ばかりでなく、リズムや時間配分をも合わせるのだから、差し当たっては「皆が同じ書風で書く」のが無難な落とし所と云えよう。そう考えると、総合監督は誰になるのやら。差し詰め書流の師匠は指揮者で、部長か誰かが舞台監督って所か。
 オペラの場合は指揮者と演出家の衝突が屡々あるらしい。ヴィーラント・ワーグナーの演出が気に入らなかったハンス・クナッパーツブッシュは、舞台を見ずに指揮をした事もあったそうな。二人の衝突を恐れた関係者が、クナの要求をヴィーラントが呑んだかの様に装ったらしい。バイロイト祝祭劇場のオーケストラ・ピットの上には屋根がかかっているため、指揮者から見えない死角が結構あるそうな。尤もバイロイトはワーグナーの楽劇だけのために建てられた個人劇場の性格を持つから、代々の演出家たるワーグナーの子孫が優位に立ったのは仕方がないとも云える(ただし後年は運営体制が変わった)。~片やカラヤンの場合は、指揮も演出も総て支配した。典型的なのがザルツブルク音楽祭。他にウィーンの総監督を務めた時代もあったが、プロンプター騒動だか組合騒動だかで相当に揉めたらしい。
 そんなこんなを思い浮かべるにつけ、苹は「なんとも恐ろしい事を始めたもんだ」と戦慄するのである。漫画やドラマに出てきた○×式クイズやピンクレディーの口パクは児戯に隣るからどうでもよいが、水戸黄門の物語性を踏まえた演出となると話は別。あれを掘り下げたらとんでもない事になる。実際に行われている日テレのそれは、幸いまだ単純な集団揮毫に収まっている様だが、いっそう演劇的に踏み込み始めたら書が他の領分に食われてしまいかねない。
 書は心象風景の表現でもある。元々が象形文字なのだから、出自としてはそれなりに真っ当だ。~よくドラマで台詞ならぬ台詞が流れる。例えばテレ朝の人気ドラマ「相棒」では、水谷豊の扮する警部殿を監視するために送り込まれたミッチーがパソコンの前で独白する場面がある。その内容はパソコンに打ち込まれた文章(監視記録)を読んでいるだけなのだが、あのパソコン画面が書に置き換えられたさまを想像すればどうなるだろうか。あの独白は、文字という肉体性の消失に支えられて初めて語られ得る秘事なのに、カメラの視線がほんの一瞬パソコン画面へと向かうだけで、すぐさま強烈な遡行性が際立ってしまう。本来あれは記録された文字なのだ。にもかかわらず、台本と演技の間にある途方もない懸隔を、敢えて台本をありのまま露呈するかの様な方法で臆面もなく「ひねる」。見方次第では反則かも知れない。純然たる肉体として「言葉から切り離された」演者が言葉を発する時の衝撃が、ともすれば文字の活字化から電子情報化に至る消失の流れを踏み越えて、嘗てそこにあった「書く瞬間」の肉体性により代行されてしまいかねないのだから。
 つまり今度は、もう一つの肉体性が消失状態から復帰するのである。文字それ自体が肉体であるのみならず、それを書く者が今度は肉体のままゾンビの様に復帰するのである(ここでの肉体は、言語に憑依する「肉体性=文字性」とは別物の「人=個」である)。大袈裟に云うなら、書道パフォーマンスによる「演劇への宣戦布告」が当初の意図とは無関係に既成事実化するかも知れない。…或いは、そうならねばならぬのかも知れない。さもなくば、「書道パフォーマンスは所詮、演劇には太刀打ちできない」という二級芸術性を自己証明する結果となってしまう虞があるからである。芸術としての定着を目論むつもりだった筈の芸術科書道が、それを前提した筈の部活動側から碌な意識も自覚もないまま水の流れの様に否定されていく。~こうした些か古めかしい予測が大袈裟に過ぎるとしたら、或いは「今や芸術論の時代ではない」てな具合の判断へと、従来以上に収束していくのかも知れない。
 苹は多分、相応に意地悪である。なにしろここで、或る先生を連想したくなって居るのだから。~一人は福田幸四郎。雅号を「秋湖」と云う。明治時代の代表的書家・西川春洞の七大弟子の一人である安本春湖の弟子にあたる。その御子息が福田恆存。保守論壇では説明不要の重鎮であるらしい。その御子息が福田逸。御尊父様と同様、劇団の演出を手懸けているそうな。三代にわたって書から演出へ。何か運命的なものを感じるのは、ただの「気のせい」だけだろうか。ここでの茫漠たる予感は終始一貫して不穏なままである。
8【再掲】「とめはね」ネタ05 ( 苹@泥酔 )
2011/08/11 (Thu) 01:02:44
7717 「とめはねっ!」雑感(其四) 苹@泥酔 2010/01/31 22:19

 「其三」までは三稿で一続きの流れだが、今回からはそんな辛気臭い構成ではなく、ただの思い付きで書いていく。…どうせ全六回の放送だもん。残りの放送分にダラダラいちゃもん付けるくらい、どうって事はないだろう。
 第四回ではヒデキが書いた。所謂「少字数」の作品だった。字は「桃」かと思ったら「跳」だった。別に「桃」でもいいじゃん(嘗て印象深き台詞あり→「三つ醜い浮世の鬼よ、退治てくれよう桃太郎」)。私生活で書が趣味なら、何度か書いた事くらいあるだろうに。…とは云え、せめて書いた後に「フウ~ッ」と息を吐いて欲しかったなあ。去年の朝ドラに出てた方のヒデキだって、スタッフが悪乗りして事務所のセットにブーメランとか星条旗のとか、昔のヒット曲に因む小物をあれこれ飾ってたし。
 あと、篆刻についてはチョットなあ。これは原作の描写がそもそも簡易式だから仕方ないと云えばそれまでなんだけど、普通は墨と朱墨で印稿を作って、それを鏡に映して、印材にこれまた墨と朱墨で書いていく。本来は印稿を丹念に仕上げてこそ、印の完成度が高まるのである(画像は印稿の添削例↓)。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_pr_423.html
 昔…篆刻の授業に際して、ふと「こんなケースが出てきたらどうするか」と考えあぐねた事がある。もし生徒が印稿に熱中する余り、印影提出に至らなかったら。評価の期限に間に合わない。そこで印影は未提出となる。その代わり印稿を提出…どのみち減点にはなるだろうが、墨と朱墨の盛り上がりで推敲努力の程度が如実に分かる。それを見て、誰がたじろがずに居られようか。篆刻は方寸の芸術であり、神は細部に宿る。

 趙子昂の書に蘭亭十三跋ってのがある。原本は火事に遭い、上下ともかなり焼損している。しかし幸い事前に石刻され、全貌を拓本で見る事ができる(快雪堂帖など)。~「真蹟を下ること一等」って言葉がある。精緻に刻られた碑版法帖や双鉤填墨本を指す評語だが、それでもやはり真蹟には及ばないとする前提あっての事ではある。
 あれは確か今井凌雪だったと思うが、昔こんな意味の事を書いていた。趙子昂の字はとてつもなくウマイ。そこが却って学びづらい。だから真蹟よりも拓本の方が学びやすい、と。そう云われればそんな気もするが、学びやすさは所詮どう転んでも真蹟に近付くための手段でしかなく、本人も承知の上でそう書いている。だからこそ、そこが気になるのである。
 刻られたものが真蹟に及ばないとすれば、篆刻の場合はどうなのか。そこに或る種の開き直りがあるのではないか。どんなに出来映えが精妙でも、刻られざる印稿は印ではない。そこには印の印たる機能が前提にあり、機能を失った印は印ではないのである。そして無論、こう書けば同工の批判はたちどころに書そのものへと返ってくる。読めない書は書ではない、と。書かれた字が元々「読めないもの」なら論外とする事もできよう。しかし単に書き手が「読めないまま書いた」、或いは読み手が「読めないまま見た」場合はどうなるのか。
 現代ならそれでも構わないのかも知れない。すると今度はそれが印稿の評価に跳ね返ってくる。捺印されない印でも印らしさが印稿に於て保たれるとするならば、印稿はまさしく唯一無二の真蹟である。…高校生と大学生の諸君、この疑問を身近な先生にぶつけてみやがれ。そこから自前の対話が生まれ、東洋ならではの言語哲学が醸成されていくのだぁ。

 篆刻授業で印影の提出には至らなくとも、次の提出作品に捺印するまでの間にはどうにか刻り上げられるだろう。そうなって初めて本来の機能は保たれる。保たれないのは評価だ。ここでは評価が時間に制約され、大袈裟に云えば「歴史が時間に滅ぼされる」。つまり評価は歴史の問題を左右する。時間のズレ一つで評価が変わる。しかも現実には、それをひっくるめて歴史と呼ぶのであるから、評価も時間も共に歴史の中に溶解せざるを得ない。その手懸かりを複製芸術としての篆刻から学ぶ視点があってもよい。興味があれば予め、マクルーハンやベンヤミンの著述を高校時代に読んで置く手もあろう。勧める訳ではないが(他に読むべき本はいくらでもある)、その分だけ大学時代がいっそう有意義かつ余裕あるものとなるのは確実である。
 蛇足に、朱墨を使う場合の注意点を一つ。~安物の墨汁(墨液)と同様、朱墨にも朱墨液がある。これの使用は薄過ぎるため厳禁。固型墨を磨るべし。ただし安物の朱墨は液体であれ固型であれ粉っぽい代用朱なので、水銀を原料とする本朱(銀朱)でないと墨の上にうまく載らない。
 苹の場合は当時、生徒全員分のを総て自前の墨磨機で磨っていた(県費で購入できるとは初めから思っていない)。墨運堂の本朱はサイズが小さ過ぎて役に立たないから、照僊堂の大型のをかけてトロトロになるまで終日稼働、翌朝それを瓶詰めにして生徒にスプーン一杯ずつ配給した。それでも足りないので授業の合間は職員室で鬼の様に磨墨(苦笑)。傍目にはさぞ滑稽な光景だった事だろう。銀朱の練墨があればいいんだけど、たぶんチューブ一本で一万円はする筈。だからどっちみち配給制にせざるを得ないのね(orz)。
 銀朱とは「丹」の事である。朱色に塗られた由緒ある神社のそれは大抵コレ。結構カネかかってるんだぞー。苹にとっての書教育とは、半ば歴史教育でもあるのである。
8【再掲】「とめはね」ネタ04 ( 苹@泥酔 )
2011/08/10 (Wed) 00:36:04
7715 「とめはねっ!」雑感(其三) 苹@泥酔 2010/01/27 23:09

(続ける)
 実際、受験絡みの見立てを度外視すれば、授業と部活動とでは中身が別である。だから棲み分けているとも云えるのだろうが、厳密には「棲み分けを強要されている」ケースが圧倒的に多い。そこに部活動のレゾンデートルがあるとも云えよう。授業では出来ない事をやる。もしくは授業とさほど関係のなさそうな事をやる。授業と部活動との癒着を防ぐため…とまで書けば別の意味で角が立つかも知れないが、ともかく両者のニアミスは双方にとって潜在的な脅威となり得る。
 中には「部活動でやればよいから授業は不要」とするかのごとき意見の管理職も居る。後に弘前市教育長となった先生が教頭だった時、氏は苹の面前で「教育に芸術は必要ない」と断言していた。芸術科目は学習指導要領で実施しなければならぬ事になっているから、とどのつまりは管理職が率先垂範して高校教育を否定している訳である。しかし本人は多分そうは思っていないのだろう。部活動は立派な教育活動であり、それが仮に授業レベルで形骸化したとしても、包括的に見た場合の教育活動は表向き健全に行われている事になる筈だ。そもそも評価の問題と内容の問題をすり替えるのは「ゆとり教育」の趣旨に反するし、ともすれば形骸化だの学力低下だのと「誤解されやすい」面もある。そうした点も引っくるめれば、現場から見て「未履修問題をでっち上げた文部科学省の方が悪い」となるのは理の当然だろう。教育現場は「国の不当な介入を許すべきではない」。
 そう解釈するなら私にも分かりやすい。学校の方針に納得できない奴は学校から出て行けばよい。或いは初めから教員採用しなければよい。その高校で嘗て商業科教諭だった人(県教育庁生涯学習課指導主事を経て現在は知事部局)の発言を借りれば、「代わりはいくらでも居る」のである(私の記憶が正しければ、あれは確か1998年頃の発言だった)。正規の教員でなくとも学校で指導できる。それが部活動である。人材は民間にいくらでも居る。そうした見方の傍証となるのが「東奥日報」2000.11.10付記事(画像参照↓)。取材への回答に「芸術教科の場合、地域の人材活用という面もある」との文言がある。見方次第では予言的とも思える。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_p_416.html
 臨時講師の場合は常勤より非常勤の方が人件費は安く付くが、県費支出のムダ(?)を切り詰めるには更なる工夫が要る。そこで部活動の出番…と考えてみる。ただし正規の授業ではないから単位認定は不可能。それを承知の上でやるなら、部活動の教育力もまんざらではあるまい。謝礼が出るとしたら私費支出になるのかな。必ずしも顧問が指導する訳ではなく(教員の名義貸し)、具体的な指導はコーチに委嘱するケースが多かった筈。
 件の高校では最近、部活動中に生徒が急死して全国紙でも記事になったが、どう事後処理したのか外野の身には全く分からない。しかしどうあろうとも心配は御無用。何か問題があればコーチを代えればいいし、いざとなれば部活そのものを潰す手もある。~ここで漫画原作やドラマ第一話を思い起こしてみるがよい。原作第一巻P.17の台詞(日野ひろみ)に続き、P.19に「1か月以内に部員が5人以上にならないと廃部だあっ!?」(加茂杏子)とある。つまり廃部の土壌は予め年中行事のごとく受け継がれている。そこが正規の授業と大きく異なる。問題のある授業を廃する学校がどこにあるのかね。あるとしたら精々、選択科目くらいのものだろう(芸術科目の場合、書道の代わりは音楽や美術が担えばよい)。
 こんなふうに考えると、選択科目が生成途上の部活動であるかの様に思えてくる。部活動が授業を補完したり、部活動がやがて選択科目へと昇格していくのではない。むしろ逆である。高校の予備校化を既定路線とする一方で、硬直的な選択科目をよりフレキシブルな部活動へと発展=縮小させるのが、「高校教育からの逃走」すなわち「公教育から民間教育へ」と向かう、大局的見地における微視的領分の洗練なのである(そこでのスローガンは相変わらず、「民間を見習え」のヴァリエーションであり続けるだろう)。

 …高橋英樹は時代劇のヒーローだった。「三匹の侍」なども印象深いが、「桃太郎侍」の極め台詞に至っては、映画時代に扮した先達の誰もがヒデキの前に霞んでしまった(たぶん)。そのヒデキが書道の巨匠役を演じるのだから、こればかりは見過ごせない。原作第六巻を見ると木村知石系(劉蒼居系?)の書風っぽいが、ドラマの方は違う設定になるらしい。どんな具合になるのか、放送が今から楽しみである。
 そのヒデキ…じゃなくて三浦清風先生ってキャラは所詮、学校側から見れば外部の人である。書道部顧問はあくまで影山先生の方。~ただし原作第一巻P.116には以下の台詞がある。「影山先生ね、書道部の顧問なの。でも、加茂ちゃんたちにイジメられるから、部活を見てくれなくなっちゃったのよ。」(日野部長)
 これでは教育上よくないと判断したのか、NHKのドラマでは普通におとなしい独身先生の枠に収まっちまった。それはそれで構わない。気になるのは、漫画でもドラマでも「肝腎な事に触れていない」方。第一巻P.108には「ユカリや望月たち1年3組の担任」との説明があるし、また同P.103やP.156にある通り、影山先生は世界史の先生である(それもよりによって中国史ヲタらしい)。…これを書くと「所詮は漫画だ、細かい事を気にするな」と思われるのかも知れないな。ふと思い出したのは「書道美術新聞」928号(2009.12.15付)の大野修作連載で、そこにはこう書いてある。「ところが最近の学界では、「私は書がヘタで、よく分かりません」などと平気で口にする人も多く、東洋史や中国文学等のいわゆる「東洋学」関連の分野を研究している学者たちの間でさえもそうした態度が許容されているような空気ですが」云々。どうやら影山先生は「その口」ではないらしい。しかし芸術科書道を兼任している訳でもないらしい。
 …いつも思う事だが、この手の部活動漫画に授業シーンは殆ど出てこない。基礎の領分を部活動・校外活動(書塾など)・独学に依存する体質は、あからさまに高校教育の形骸化を表徴しているからだ。その実態は予備校か専門学校か託児所であって、「高校という在り方」は単なる隠れ蓑としての手続きに於てのみ巷間の互換性幻想を保つ。
 予備校的実態に関しては、先ずセンター試験が基準となるだろう。高校を経由せずに予備校から直接大学受験するには、高校卒業程度の認定試験が差し当たっての障壁となる。その部分を高校が代行する訳だ。車の運転免許は自動車学校(教習所)を経由せずとも取得できる。それと同様、高校や自動車学校は書類上の代行業を兼ねている。そこから先がセンター試験会場や運転免許試験場の出番。予備校側から見れば、高校は顧客であると同時に参入障壁でもある事になろう。試験対象外科目への予算を削れば、自ずと高校は予備校へと近付く。だからこそ高校はムダでなければならない。そのムダの部分を担保するのが部活動であるとするならば、部活動と授業との関係に於ては「必要な領分で癒着し、不要な領分で敵対する」かの様に予め校内談合せねばなるまい。
 部活動の宿主は学校である。時に学校は免疫的な振る舞いを見せるが、部活動が何らかの宣伝効果を発揮する場合、それは学校側にとって大いなるセールスポイントとなる。~私立高校が公立高校より熱心に取り組む所以であろう。興味あらば両者を比較されたし。私立側の調査資料を挙げて置く(↓)。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_r_418.html
8【再掲】「とめはね」ネタ03 ( 苹@泥酔 )
2011/08/10 (Wed) 00:32:44
7713 「とめはねっ!」雑感(其二) 苹@泥酔 2010/01/24 19:55

(続ける)
 パフォーマンスとしての書はそれなりに古くからあるらしい。文人墨客の間で交歓し、時には酒を交えて揮毫した。尤も、例えば曲水の宴をパフォーマンス扱いするのはなんぼなんでも度が過ぎるだろうし、大幟の揮毫は神社祭礼での必要あっての事。特大の字と云えば中林梧竹の「卓々」辺りが思い浮かぶものの、いかなる場面で書かれたか固より知らぬ。それに対して揮毫中の写真が残っているのは豊道春海(画像参照↓)。最近は「一年を表す字」が師走の話題となるが、あれも多分パフォーマンスに含めて構わないのだろう。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_r_412.html
 音楽や舞台演出が加わる例はいつ頃から出てきたか知らぬが、戦後の前衛書道(森田子龍や比田井南谷など)との関わりならそれなりにある模様。当時はフランスの映像作家がフィルム撮影していたと記憶する。しかしこれらは必ずしも一般的意味での可読性を前提したものではないし、「読める書」への指向は平成に入ってから本格化し始める。よってパフォーマンスの歴史と「読める書」の歴史が交差したのは、ここ十数年の所謂「ストリート書道」辺りから、という事になるのだろう。やがて学校の文化祭パフォーマンスを経て、現在の「書道ガールズ甲子園」に至る。
 テレビ版の「とめはねっ!」第四回放送では、書道甲子園にパフォーマンス部門が出来る設定となる模様。…そう云や青森でも、あの類に出品してる高校があったっけ(こちらはオーソドックスな部門)。高総文の書道部門だけでは規模に物足りなさが残るだろうから勿論やり方としてはアリだけど、肉食系かつ体育系の展覧会に費やす時間があるなら、もっと教養芸術の側面に光を当てる方が後々役立つのではないかと思えてくる。ただ、そうすると見方次第では「部活動らしさに欠ける」のかも知れない。

 授業と部活動とでは、それぞれイメージにかなりの落差があるだろう。例えば授業と云えば受験勉強、部活と云えば合宿や大会が連想されたり。~因みに第三回放送の合宿場面に出てきた黒シャツ背中の筆文字は、季刊誌『墨』(芸術新聞社)のロゴでお馴染みの米元章だった(原本の画像はコレ↓)。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_pr_409.html
 …以下追憶。
 私も昔は高校で書道部をやっていた。ただしどこから見ても紛う事なき文化部系の文化部で、体育会系のフェロモンは皆無。当初の部員は女子ばかり。そこに猛毒仕込みの苹が入部した。…苹にも一応、部活の掛け持ちに近い経験はある。卒業する先輩女子の人数分を埋めようと掛け持ち仲間を増やしたところ、今度は忽ち女子ゼロのむさ苦しさが漂っちまった。
 あたしゃ実は応援団の副団長を兼ねていたのである。この際「団長も副団長も太鼓も書道部」って状況を想像してみていただきたい。例えば弊衣破帽の野郎どもが大音声を張り上げ、太鼓の三三七拍子や応援歌に乗って空手演舞の様に書きまくる…。当時は書道パフォーマンスなんてなかった。その代わり(?)応援パフォーマンスしていたと見方をこじつける事も出来ようが、さすがに二つをミックスする気は起きなかった。
 …静と動。
 どちらかと云えばパフォーマンスは「動」の領分ゆえ、どこかに「静」が欲しい。そんなこんなを思い出すと、書道には内向ヲタがよく似合うと感じられて仕方がない。それも筋金入りのマニアに限る。「静」の領分と強弁すればそれらしく見えぬでもないが、平たく云えば「蘭亭叙のここがいいよねヒヒヒ」の類である。~例えば、昼休みになると苹が図書室の暗い片隅にいつも居る。だから生徒会新聞に図書室図解が載った時、「ここに××君がいつもいる」と矢印付きの解説が書いてあったのだろう。多分どこかの可憐な乙女が、平凡社の書道全集を読む美少年に熱い眼差しを向けていた…てな具合に妄想すると照れるなあ。(長い黒髪のシークレット貞子とか。)
 或る日、文化祭の準備で揮毫を頼みにきた人が居た。私は快く引き受けた。指示された通り担任の名前を、石に直接「××先生之墓」と書いた。お化け屋敷をやるらしい。~因みに私は高校の三年間、他の展示を一度も見た事がない。書道展示の受付名目(?)で地縛霊のごとく棲み着き、専ら至福の時を楽しんでいた(読書&臨書)。そんな居心地のよさが書道部から失われていくかと思うと、なにやら勿体ない気がしてくる。
 漫画原作は流石である。しっかり大江縁ってキャラを残してる(砂の城でヲタ趣味は合格点)。だから救われているのではなかろうか。その上ビミョーに多様な肉食女のヴァリエーションが鏤められている(ヤンキー系&参謀系&武道系)。女ばっかの書道部なんてのは、その実ひょっとしたら「ただ恐ろしいだけ」なんじゃなかろーか。応援団よ相撲部よ。弓道部に文学部に詩吟部よ。キモ…じゃなくて、君達も書道部の救世主になれるのだ。掛け持ち上等じゃん。パフォーマンスも展覧会も、エスカレートし過ぎると碌な事はない。逆説的に云うと、「筆を持つばかりが書道ではあるまい」。にもかかわらず過度の練習が正当化されるとしたら、それはやはり自ずと部活の領分に限定されてくる。

 …話を戻そう。授業と部活動とでは、イメージに相応の落差がある筈だ。書道の授業で水墨画をやるとは思うまい。漢詩や和歌を自作させるとは思うまい。そもそも書道のイメージ自体が狭隘となっているのだから、自前の経験的イメージに縛られた各々がここでは内側から空中分解していく。部活には部活のイメージがあろう。授業のイメージが欠落している例もあろう。遠い昔に書塾に通い、そこで習った小学生レベルの習字を高校の授業に当て嵌めたくなる感覚に襲われたりもするだろう。「習字と書写と書道は違う」などと強弁したところで、そうした理屈が必ずしも世間に通用する訳ではない。この手の理屈は主に授業を前提する側で組み立てられたからだ。言い換えるなら、授業を前提しない領分~つまり学校生活の辺境で組み直された理屈が逆に授業を支配するケースもあり得る。見立て方によっては実際、既にそうなっていると断言してもよい。
 学校で授業を受ける。放課後に進学者講習がある。或いは塾や予備校がある。これら講習や塾を部活動に見立てた時、その内容は学校の授業より高度だったり濃密だったりする。そこから二つの方向性が組み立てられる。一つは「授業が部活動より高度であってはならない」。一つは「授業でも部活動と互角な指導をしろ」。どうした訳か「内容そのものを棲み分けろ」てな方向性は似つかわしくないらしい。この場合は多分、それぞれが別物と捉えられるからなのだろう。
(続く…たぶん)
8【再掲】「とめはね」ネタ02 ( 苹@泥酔 )
2011/08/10 (Wed) 00:29:42
7711 「とめはねっ!」雑感(其一) 苹@泥酔 2010/01/18 23:35

 NHKのドラマ「とめはねっ!」が契機となって、取り敢えず原作漫画の方にも一通り目を通してみた。今のところ既刊六冊、話は所謂「書道甲子園」から仮名へと進む。
 …いつも思う事だが、この手の部活動漫画に授業シーンは出てこないんだよなあ。部活動と授業は無関係なのかしら。そうではあるまいに。勿論「授業がないから部活動で補う」って見方はあるだろう。現に芸術科目で書道を開講していない高校は少なくない(新聞画像は公立校の場合↓)。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_r_356.html
 しかしそうでない場合、授業では何をやっているのだろうか。また授業向きの先生と部活向きの先生(?)とで何か違いはあるのか。「授業が基礎で、部活が応用」って見方もあるにはある。~ならば単行本初巻第一話に出てくる台詞の後はどうなったのか。猛女ヒロイン(?)の望月結希が、新入生歓迎会のクラブ活動説明会にて曰く。「…なんて書いてあるのか、読める?」と。
 第六巻を見ると、こんな台詞がP.52にある。「でも、これはさっぱり読めません。読めないんだから、字が間違っててもわかりません。本当にこれって、上手いんですか?」と(望月)。~設定は一年生の三学期。授業で読み方を習っていないのなら、どうやら望月は芸術科目で書道を選択しなかったって事らしい(つまり音楽か美術か工芸か…まさか未履修ではないよな)。それを耳にした大臣賞受賞の京都娘がキレて言い放つ。「「かなの書」は、平安朝の日本人がキレイな書をとことん追求して出来たんや。それを、読めるか読めへんかでしか判断できないゆうのは、あまりにも浅はかなモノの見方やと思わへん?」と。
 すると或る疑惑が出てくる。その「キレイな字」の基準が元々は「読める字」ではないのかと。そして当時の「読める」基準を教えるのが古典的な「授業」だったのではないかと。学習指導要領に定められた「国語との接続」はどうなっているのか。国語が読めなくとも構わないのならそれはそれ、勝手に学力低下すればよい。実利中心の世俗欲から見れば古文も漢文も必要ない。学力低下容認の隠れ蓑として書道が逆手に取られているのなら、「読める」という過去の常識に近付こうとする姿勢を第一義と考える必要はあるまい。表現の細部を見てさえ居れば、言語としての全体を見なくとも構わない。どちらが浅はかなのか、ここは判断基準が分かれる所だろう。

 漢字だらけの中国古典と違い、日本の仮名古典は母語書記のオーソドックスな体系(文語)に属する。そうした点では仮名の方が明らかに読みやすい筈。使用される字類も数少ない。そもそも読めない状態でも「読める字」が書けるかの様に強弁する方が不自然かつ不可思議である。仮名はそれほどまでに模倣の容易な草略体系なのだろうか。草書と平仮名(変体仮名)が交錯する和文は時代が下がるにつれて増え、明治の漢文訓読調に至って更なる不調をきたした。それを解決する手段として楷書片仮名交じり表現が台頭する様になったと見る事も出来ようが、基本的な和語表現は相変わらずの草略体であった。
 それが昭和まで続く。学校教育における習字/書写が明治後半から昭和戦前にかけて維持され、敗戦後の空白期を経て急速に芸術表現へと傾いて行った。当時は写実的絵画と対比的なピカソ、モンドリアンなどが前衛的な芸術イメージを構成しつつあり、そうした牽引傾向に「芸術」の枠組みが引き寄せられるにつれて、却って訳の分からない高尚さが「分かる」事を聖別する様になって行ったかの様に思われる。そうした場所では「日常の美」の気配が希薄化し、相対的には「何か特別なもの」であるかの様に持ち上げられそうな表現が自ずと求められていく。
 にもかかわらず、仮名は古典の影響から逃れられない。それに対して逃れた領分は漢字と交ざり合って調和体だの近代詩文書だのと呼ばれ、ひいては教育上「漢字仮名交じり書」となって平成元年度版学習指導要領の頃から本格的に漢字や仮名から離脱して行く。そうした前史を承けての書道パフォーマンスなのであろう。漢字や仮名の個別表現より「漢字仮名交じり」を誇張しようと躍起になってきた書教育の精華が結実した姿と見るならば、書道パフォーマンスはすぐれて平成的な表現をあからさまに表徴する事となろう。
(続く…たぶん)
8【再掲】「とめはね」ネタ01 ( 苹@泥酔 )
2011/08/10 (Wed) 00:26:15
7709 【瑠璃色】ほんのり染まれ…【桜色】 苹@泥酔 2010/01/09 20:13

 初回放送の「とめはね」見たけど、なんかピンと来ない。指導は石飛博光だからそれなりのクオリティはあるんだけど、あの着替えシーン(覗きシーンとも云う)どうにかならんかったのか。まあ背中からの方が萌えるのかも知れんが、それはそれとしてストーリー展開が心配(原作漫画は未読)。永字八法の解説シーン(めがねっ子♪)は仕草が可愛かった。顔のアップよりは余程よい。しかも双子キャラとは萌えるぜ。あの手の解説の盛り込み方には期待できそう。
 ところでもうじき、ヒロイン役の子の写真集が出るらしい(↓)。水着姿ならいまどき珍しくもなんともないけど、今度のはナント書道姿の写真まであるそうな。そうなると話は別で、「写真集の宣伝をドラマ仕立てにするNHK」って疑惑が脳裏をかすめる。あのドラマって、もしや通販番組の進化形なのかしら。そうした意味でも今後の放送が楽しみだ。
http://www.wani.co.jp/article.php?article=126282699298
 それより今夜は璃子だよ璃子。土曜時代劇「咲くやこの花」が百人一首ネタ。でも札の字はピンと来なかった。たぶん「あれで読めるのかよ」と突っ込まれない様に苦労したんだろーな。素直に昔風に書けばいいのに。そして天バカ板で百人一首ネタと来れば…おっと、そう云や先日、璃子の顔をウッカリ某和服姿と脳内合成したら凄い事になっちまったんだっけ。ちょっとだけ後遺症が心配。なんとなく少しキャラかぶってる様な気もするし(汗)。俺ってMじゃない筈なんだけどなあ。(o ̄∇ ̄)o

(近況)
 ここんとこ巻菱湖『假名字源』の画像を連載してます(↓)。一晩あれば準備は完了、後はちんたら小出しに。その間ゴチャゴチャ気分次第で追記したり削ったり。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_pr_359.html
4苹@泥酔さんへ♪ ( ミッドナイト・蘭 )
2011/07/13 (Wed) 22:38:49
ただ、こうして、改めて掲示板を作って、返レスしてみると、なんか、妙な高揚感が起こってきます^^

久しく、忘れていた感覚です^^

はじめは二人で、でも、次第に仲間も増えてくるんじゃないですか^^

親戚の子、10歳くらいだったら、まだまだ屈託ないですね。

是非、充電器を購入してあげてください。

私の大きな姪っ子ですが、もう高二です。

来年は大学受験で、なんと、○○大学を受験するそうです(今は大学名は伏せる。電気大学と同じく、地名が校名ではありません)。

>>因みに学校では日常会話が総て英語だそうで

これは不思議な学校ですね。

どういった教育方針なんでしょうか?

あまり良くは思えませんでしょう?

さて、この板のキャッチフレーズは、

  「文学・歴史の40!」

で、いきましょう!

文学には、もちろん、書道込みです。

まあ、学問がテーマなので、それを教える教育にも力を入れるってことです。
8Re: 苹@泥酔さんへ♪ ( ミッドナイト・蘭 )
2011/07/17 (Sun) 10:41:44
折り紙って、女の子の趣味のスタンダードとなっていますよね。

私の小さいほうの姪も、折り紙が大好きで、将来は折り紙の先生になりたいとのたまっています^^

公民館での折り紙教室などにも行ってます。

折り紙、かなり進化していて、古くて新しいホビーですね^^
8男と女…(紙一重?) ( 苹@泥酔 )
2011/07/16 (Sat) 01:06:12
>>>因みに学校では日常会話が総て英語だそうで
>これは不思議な学校ですね。
 仰せの通り、普通の学校には通わせてないんですね。なんでも理由は母親(医学畑で博士)が英語で苦労したから…らしい。父親は三つの病院を統括する法人の理事長みたいだけど(ネットで見た)、宣伝は取り敢えずやめとくわ。
 子供の話を真に受けると、なんでも「はるな愛」だか「ほしのあき」だか、有名人が通院してるんだとさ。後者なら是非お近づきになりたいわぁ(慾情悶々、ここだけの話)。
 ゲーム機(任天堂)の充電器は別のリュックサックに入ってたみたい。代わりに百円ショップで折り紙を買ってやった。もう帰京したけど、あっちではまた地震あったのね…。
8Re: 苹@泥酔さんへ♪ ( ミッドナイト・蘭 )
2011/07/14 (Thu) 21:54:52
ありゃ、ツリー返信の仕方が分からなかったので、別に書いてしまっていましたが、こうして、理解しました^^

「文学・歴史の40!」ってのは、もちろん、クイズダービーの真似ですが、四十代も意味しています^^

本日は、映画「もしドラ」を見てきました。

口さがない映評ブロガーには不評でしたが、私は素直に感動しました。

で、帰りに大きな本屋に寄ったら、5月の「歴史街道」誌に続いて、8月は「歴史群像」誌でノモンハン特集です。

迷わず、購入しちゃいました^^