4「教えて!おじいさん!」 ( 苹@泥酔 )
2015/12/06 (Sun) 01:42:37
「教えて!おじいさん!」 ( 苹@泥酔 )
2015/04/06 (Mon) 00:45:21

 把筆、用筆、執筆法。…毛筆なら単鉤法や双鉤法が一般的だが、学校教育では1920年頃までに硬筆(鉛筆)への切り替えが済んだらしく、今や実用とは無縁に近い。ならば硬筆の「正しい持ち方」はどうか。国語の成立(教科化)は1900年で、硬筆の歴史は日本の場合それより浅い。ここでは硬筆自体と同時に「持ち方の規範」もまた、欧米から輸入されたと見るのが自然だろう(ペンマンシップ=英習字)。嘗てアーネスト・サトウは日本語を学び、日本人は欧米語を学んだ。サトウは(より「高級」な)書字の規範を高斎単山に学んだが、日本人が学ぶ英習字の規範は当時どんな具合だったのか。…「教えて!おじいさん!」(←西尾先生より渡部昇一先生の方が本場物に詳しい?)
http://www.youtube.com/watch?v=h0MreS3bWak
 もし、「正しい」鉛筆の持ち方が欧文の筆記体に由来/依拠するとしたら。硬筆の規範に「普遍性」があるとしたら。日本全国の小学校低学年は全員、欧米の書字メカニズムに「支配されなさい」と国語授業で教わってきた事にならないか。百年来の教育で日本の文字は自ずと変化/変質し、「書かれる」事によるアクティヴな学習体験を経て「確信され」、いっそう昔の筆文字が読めなくなっていく。ソリャそうだろう。硬筆と毛筆とでは、筆触体験の質が根本的に違うのだから。こう書くと大袈裟に見えるかも知れないが、実際に書き比べてみると硬筆感覚で「毛筆感覚を読む」のは難しい。書字体験は「字を読む」行為に優先して、読む「場」を「読まれる字」の内側に成り立たせる。
 この「場」を読む事で文字の点画配分や草略の原型が読める様になり、結果「読まれる字」の判読を経て「字を読む」行為に帰着する。つまり「読む」対象は「読まれる対象/部分」の集合であり、文字判読の後には内容の読解がある。この段階になって初めて、多くの人は「読む」と表現するだろう。内容の誤読は云々されても、字の誤読は顧みられにくい。活字時代は一切合切が業者/編集者の「誤植」に転嫁され、読む自分が「字を誤読する」とは思いも寄らない。そこから書字の体験が、いつしかスッポリ抜け落ちる。~この件は前にも何度か書いたが、あらためて書く気になったのは先日、或るテレビ番組(歴史バラエティ?↓)を見たからでござんす。

http://toyokeizai.net/articles/-/60225
 2015.2.12放送の日テレ「くりいむしちゅーの歴史新発見 信長59通の手紙を解読せよ!」。…録画を見終えたのは3.31で、一月半かかったのは飼い犬みたいな「おあずけ」気分を存分に味わおうと、週単位の視聴中断と忘却を繰り返したから。冒頭の十五分間を見て中断し、それから2chで評判を観察して想像を巡らす。続きはどんな内容なんだろう。読めない字をベテランに尋ねるシーンがあるそうだが、何故その先生は読めなかったのか。何故ベテランには読めたのか。様々な可能性を考えてから見る。見る準備で立ち止まる。途中で映像を止め、字面をじっくり見る。自分で読んでみる。画面の釈文と照らし合わせ、何故その様な草略になるのか納得する。そして間を置き、考える。それを繰り返す。
 色々な記憶が蘇った。支那古典に出てこない和様のウネウネは唐様の菱湖流(幕末~明治)を勉強した時に見かけたのと近く、そこが却って懐かしい。教科書的には唐様と和様を別物とする傾向がある様だが、同時代性をベースに置けば、両者は意外と近いのだ。確かに巻菱湖の書いた商売往来(陰刻)はスッキリして御家流の版本とは違う。しかし明治初期の弟子筋を見ると所々、造形上(筆法上ではない)和様への傾斜が見られたりする。江戸時代の御家流にはデフォルメの顕著なものが屡々あるが、それよりは信長時代の右筆に幕末唐様と近い面があったりするから面白い。
 …ベテランおばさん、教授が惑った「敲」の字を読む。これは苹にもすぐ読めるのだが、次に教授は「水敲」という語彙の用例と実相を調べる。そこが書道畑との大きな違い。苹は先ず「字を正しく読む」事に拘り、その先までは踏み込まない。なぜ字は「正しく読める」のか、そちらの方が主たる思索/研究の対象となっているからである。平たく云えば基礎中の基礎。だから巷間、軽んじられがちなのかも知れない。しかし誰でも分かる基礎ならば読めない筈がないのに、大方は読めないらしい。そこが異常と誰もが知りながら、必要なら学べば「すぐ身に付く」のが基礎への幻像。ならばベテランおばさんも無駄な存在、「必要ない」ではないか。教授が自分で読めばよい。そこに基礎の桎梏と盲点がある。
 このベテランおばさん、名前は川口恭子(やすこ)特任教授だそうな。「ああそうか、教授なら仕方がない」と納得するのは簡単だが、しかしながら今~身分への信頼と、必要性への信頼とは「別である」事に変わりはあるまい。この点について今後、触れていく腹づもりは、ある。

http://imoshiori.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=9503117
 これまでコチラ(表向きは著作権ネタ↑)に旧稿/近稿(セレブ奥様ブログ初出)を連ねてきたが、長くなり過ぎたので場所を改める。続きは投稿ペース衰えたりと雖も半年分以上が蓄積済みで、これから小出しに転載予定。本稿の様な書き下ろし稿を出したいのは山々なれど、年々お脳が弱まりつつある苹には結構、実のところ荷が重いのでござる(泣)。そこの所を諒解の上、出来る事なら閲覧の皆様(←居たらの話)には今後ともご愛顧いただきたく願上候。苹頓首。
8言葉の「お面」(其二) ( 苹@泥酔 )
2017/03/17 (Fri) 22:54:53
●旧稿転載
 セレブ奥様ブログのコメント欄より(↓)。五分割中の二。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1776.html#comment



(備忘録)
http://www.sankei.com/life/news/150614/lif1506140005-n1.html
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>2015.6.14 09:00更新
>【赤字のお仕事】
>新政府(1) 新たな舞台と公文書の“御一新”
>(1/4ページ) .
> 私の連載では、明治初期に新聞校正などで手腕を発揮した市川清流(渡、1822~79年)を追う。岩瀬、松平両家中で外国事務に関わり、当時数少ない洋行経験者の一人として、江戸幕府の洋学機関「開成所」で翻訳された学術書や軍事書などの筆写に携わったことは前回までに述べた。
> 幕府瓦解(がかい)による開成所の閉鎖で、清流は職を失った。京都に樹立された新政府は語学を中心とした洋学研究や教育の継続を重要視し、慶応4(1868)年6月に江戸の開成所を接収。約3カ月後の9月12日(同月8日に明治改元)「開成学校」として復興した。翌年「大学南校」(後の東京大学)に改編され、清流は南校の「写字生」となった。このとき47歳。
> 旧幕以来の実務を引き継ぐことで、清流ら旧開成所のメンバーは多くが新政府に登用されたが、政府が発する公文書体の変革を通じて、全国に新しい政治体制の浸透を急ぐ目的に合致した側面も見逃せない。
> 発足したばかりの新政府は諸外国の代表に政体の変革を通告し、旧幕府の結んだ条約履行の確認を急いだ。外交文書にはそれまでの「候文」をやめ、漢字に片仮名を交えて漢文体に書き下す書式を採用。楷書は一部で用いられていたが、明治3年に条文「外務省外交書法ヲ定ム」(太政類典)で外交文書作成上の諸規定を明記し、初めて「字体ハ必ズ楷書ト認メ」と定めた。条文の「字体」は漢字一つ一つを表現するための一定の型のことであり、一般にいう楷書や行書、草書などの「書体」を示すとされる。
> 一方、国内において新政府の直接支配が及ぶのは維新直後で旧幕領700万石しかなかった。中央集権への確実な移行には、全国の大名領に通達や布告など公文書を通じて、政府の命令や指示を浸透させる必要があった。
> 明治2年5月に戊辰戦争が終結すると、翌月の版籍奉還(6月17~25日)を経て、旧大名領は大部分が法的な行政単位としての「藩」と規定された。大名家は「知藩事」に任じられ、藩庁には旧幕時代から引き継いだ文書の保存と領地の総石高や年貢収納高、戸数と人口、寺社高、行政費用、俸禄額など調査書類の作成が命じられた。
> これら江戸期の公文書には、幕府祐筆(書記)の一人である建部伝内の「御家流」が重用された。将軍の上意(命令)は御家流の書体で全国の大名領に回され筆写される。日本語の歴史に詳しい日本女子大学文学部の清水康行教授(62)は「各領地でも御家流で筆写されると考えるのが自然」と話す。御家流の書体は文書作成に関わる武士たちが習得すべき必須項目だったとの意見もある。
> 新政府は全藩の現状把握と同時に中央の命令や指示を迅速に行き渡らせるため、公文書の伝達方法を工夫した。藩を地域ごとのグループに編成し、その中の一藩を「触頭(ふれがしら)」とした。触頭に政府文書を伝え、それを各藩に順達する。受け取った藩は文書を筆写して次の藩に回した。この全国に回付する公文書の書体を旧幕府の「御家流」から、段階的に外交文書と同じ「楷書」に変更した。各藩で筆写される書体も徐々に楷書が増えていく。
> 清水教授は「幕末維新期は日本語の歴史上最大の変革期。特に語彙と文章・文体では大きな画期だった」という。同時期の公文書研究の諸資料からは、政府の公文書が諸藩の記録になるまで通常は数回筆写される。命令や指示の内容を正確に理解させ全国への浸透を図る新政府の意向が、読むのに難解で筆写の自由度が高い御家流の書体を排除し、分かりやすく簡潔な楷書体の奨励に結びついた--との記述が散見された。
> 市川清流は旧幕時代から楷書体に「慣れ親しんでいる」と言っていい。彼が開成所で手掛けた翻訳文の筆写はほとんどが楷書であった。維新後の開成学校は洋書翻訳を継続したが、業務の増大を理由に明治2年4月、教職員の増員を願い出ている。
> 「(前略)各国ノ政体及交際ノ書籍要用ノモノヲ撰ヒ口授セシメ、筆記シテ刊行セハ大ニ世ニ益有ル可シ(中略)此事ヲ行ント欲スルニハ教授及其筆記ヲ為スモノ并ニ教師ノ補助トナル可キモノヲ命ス可シ(以下略)」(公文録)--注・かっこ内は筆者。
> 同年10月、改編された大学南校に正式な「繙(ほん)訳局」が置かれ、“専門職”の写字生に清流が就く。清流の名は翌年3月の官員(職員)録に記載されている。しかし登用が増員を図った繙訳局の設置時なのか、それ以前の「大学校」の移行期なのかは分からない。
> 繙訳局は規則で「写字生版下ハ勿論中清書及ヒ草稿タリトモ字画務メテ端正ヲ主トス、草体読難キノ字ヲ書スベカラス」(東京帝国大学五十年史 上冊)とし、楷書と記さぬまでも「草書(御家流など)で難読な字を書かないこと」と定めた。南校は東京(慶応4年7月に江戸を改称)で発行される新聞や出版物を検閲・許可する行政も担っており、公文書体の楷書化という方針に沿ったと考えられそうである。
> 新政府は政権移行による行財政の機能停滞を避けるため、旧幕府の統治機能を生かし、実務にたけた幕臣たちの多くを継続雇用した。清流の登用も同じであろうけれど、視点を変えるなら、公文書の“御一新”が、身分の低い清流を再び歴史の舞台に引き上げたとはいえないだろうか。
> 清水教授は、幕末から維新にかけての日本語の表現を「西洋流の理論とじかに向き合い、短い時間で的確に理解し、新しい日本語で示した証し」とする。旧幕府を支えた人材は「新時代に適応できレベルが高かった」と話した。激動の時代を乗り切った清流もその一人だったのだろうか。(稚)
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 嘗て漢字は仮名で首を吊った。仮名の連綿に吊された漢字は干し柿の様になった。そんな御家流の和漢混淆書式では、漢字が仮名の様でもあり、仮名が漢字の様でもあり。しかし必ずしも読みにくかった訳ではない(それどころか版本は読みやすい…さもなくば売れ行きが悪くなる筈)。悪筆の手書きは「読むのに難解」でも、楷書の多くは漢籍ゆえに別の意味で難解、「分かりやすく簡潔」と云えるか疑問が残る。果たして時人が楷書の彼方に見たものは、漢籍と洋書~東西龍虎との闘いに臨む知的覚悟だったのかも知れない。
 版下については先日、高田竹山の証言を…と書いたら思い出した(↓)。

(追記)
 「えんがちょ文化」ネタと同じコメント欄の、「2015/01/02 03:53」稿で言及したアーネスト・サトウの書について。専門家筋は「敬和」と読む様だが、書道畑の苹は「敷和」の可能性が高いと見た。~諸橋大漢和では如此。「【敷和】和を布く。〔素問、氣交變大論〕其徳敷和。〔注〕敷、布也。〔柳宗元、朝散大夫永州刺史崔公墓誌銘〕布令諸夏、敷和六戎。」
http://www.kaikou.city.yokohama.jp/journal/126/02.html
 「図2」参照(↑)。千字文の「曰嚴與敬」(↓)と比較されたし。
http://www.geocities.jp/qsshc/cpoem/qianziwen/s15.jpg
 どちらも普通の草書だが、大抵は「敬」の「攵」を「く」状に書く。敢えて一歩手前(行書寄り)の草略に戻すとは考えにくい。また「苟」の草冠では二つの縦画が短い横線に連なる「フ」型となり、その痕跡があらかた筆意に残る筈。他方、「敷」は「甫」下半分の囲みを左右の点に草略する(「車」型の造字構造における点画痕跡のマッピング)。だから一歩手前に戻した場合、二つの点は元の囲む形へと近付く事になる。~これらの具体的字例は各種の書道字典で確認できる。孫過庭の書譜では『中国法書選38』(二玄社)の場合、「子敬」(王献之の字)はP.5やP.7など多数、「未敷厥旨」はP.26に見ゆ。
 草略は総て、徹底した理詰めの説明が可能な筈。それを端折る教員や書家は、単に仕事を怠けて居るだけ…と難じたいところだが、うまく言葉で説明できないのが実情だろう。或いは「読めなくて当然」「所詮お稽古」型の、反‐学問的な圧力に屈しての事か。…ただ書いてみせられて、何かを求める様な目で「な?」と言われてもねぇ。あたしゃ文章による説明工夫にネット上の十数年を費やしてきたけれど、読み手の読み方がどうなっているか、相変わらず不安で仕方がない。もっと精密な解説が出来ないものだろうか。今後も自問自答は続く。
【2015/06/17 06:11】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]



(或いは愚痴)
 読み手の読み方…聞くに聞けない話ではある。「この字はどう読むの?」と聞きたいのではない。「どの様にして」すなわち方法を、読むプロセスを根掘り葉掘り聞いてみたい。差し詰め「パッと見た文字映像を、記憶にある辞書的イメージと照合して文字認識する/同定する」とでもしてみるか。これでは全く足りないし役にも立たない。文字映像を、どの様にして記憶と照合するのか事細かな説明がないと、人それぞれの傾向や差異が分からない。例えば草書の読める人と読めない人の、読み方/見方の違いが分からない。楷書や活字を見た時でも皆、草書が読めても読めなくても差異なく、同じ方法で読むのだろうか。
 …今は昔の世紀末。質問下手な苹が質問し終わる前に、少しずつ順繰りに聞こうとしたら逃げられた事がある(つまり質問未遂)。本人にしか分からない事を聞き出すのは難しい。「何故そんな事を聞く?」と聞き返されたら、更に話が長く/クドくなる。同僚でなく生徒に聞けばよかったのか?…いや、たぶん無理だろう。きっと言葉が出てこない(語彙/表現力不足)。大学生相手でも駄目だったら大学教官なんざお手上げで、さりとて代わりに隣の研究室の扉を叩こうものなら、「忙しいのに構って居られるか!」と喧嘩になりかねない。相手が忍耐強い人ならば、黙って最後まで質問を聞き終えた途端…あんまり想像したくないナァ(穏和な人が鬼の形相…修羅場…)。
 レベルが高いとか低いとか、そんな事はどうでもよい。ありのままで(♪)どう読んでいるかは本人にしか分からない。私も私の読み方しか分からない(まだ分かりきってない)。そこが只管もどかしい。カミングアウトしてくれるなら有難いが、大抵は意識すらすまい。「ならば先ずは」と事ある毎に、自分の読み方を別の言葉で噛み締めようとする。それすらウマク出来ない様じゃ、全く先が思いやられる。今は草略体がターゲットだが、その先には難関の楷書/活字が待ち構えて居る。楷書の読めない幕末庶民が草書変体仮名交じりをスラスラ読むなんて、現代人にしてみれば想像を絶する話ではなかろうか。
 その秘密を解き明かしたい所なれど、脳機能研究に頼りたくても今は被験者が居ない(世代ごと絶滅…抑も最初の研究論文は国語教育の変体仮名廃絶と同時期の「三浦謹之助:臨床講義.医事新聞584:249-256,1901」だし)。さりとて新生児を幽閉監禁教育して幕末版本だけ読ませて楷書や活字に全く触れさせず純粋培養、十数年後には人間モルモット…てな提案を真に受ける人は居ないだろう。やったら顛狂右翼(?)のレッテル貼られて新聞沙汰、どのみち牢屋にぶち込まれるに決まっている(因みに苹は結婚すら出来てない手遅れ…理由は想像に任せてみる)。
 また~畢竟こんな具合だから苹は、あきんど様に返信したくても出来なくて、その前に先ず自省/躊躇/狼狽せざるを得なくなるんだろうなあ…たぶん。

 余談。
 しつこいのか未練がましいのか自分でも分からんが、こうしてダラダラ芋蔓式に連ねて居ると自然、各稿の間にキーワードを仕込む形となっていく(首吊りと干し柿、地図と点画マッピングなど)。どれも潜在イメージの為すが儘で、気付かぬうちに誘導されていく心地がする。コレ本当に私が書いてるんだろうか?…「中の人」なんて居ないのに。
 幻聴ではないのに限りなく近いものが、誰かの様に無言で囁きかける気がせぬでもない。ふと着目したものが十年後には無視できぬ形となっていた事はザラにある。軽々かつ中途半端に漏らして軽蔑された経験が度重なると、「あのとき黙っときゃよかった」との憎悪(?)がいつまで経っても身を苛んだりする。例えば~どんなテレビを見てるか酒場で問われて「電波少年」と答えた教職当時は、映像効果(顔が伸縮変形)や「進め」→「進ぬ」に着目していたのだろう(当然、書道絡み)。

(附録)
 前掲ネタの「敷和」について。~黄庭経の絡みだったみたい。
http://aeam.umin.ac.jp/siryouko/digitaltext/somon.htm
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◆氣交變大論篇第六十九.
帝曰.
夫子之言五氣之變.四時之應.可謂悉矣.
夫氣之動亂.觸遇而作.發無常會.卒然災合.何以期之.
岐伯曰.夫氣之動變.固不常在.而徳化政令災變.不同其候也.
帝曰.何謂也.
岐伯曰.
東方生風.風生木.其徳敷和.其化生榮.其政舒啓.其令風.其變振發.其災散落.
南方生熱.熱生火.其徳彰顯.其化蕃茂.其政明曜.其令熱.其變銷爍.其災燔焫.
中央生濕.濕生土.其徳溽蒸.其化豐備.其政安靜.其令濕.其變驟注.其災霖潰.
西方生燥.燥生金.其徳清潔.其化緊斂.其政勁切.其令燥.其變肅殺.其災蒼隕.
北方生寒.寒生水.其徳淒滄.其化清謐.其政凝肅.其令寒.其變凓冽.其災冰雪霜雹.
是以察其動也.有徳有化.有政有令.有變有災.而物由之.而人應之也.
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【2015/06/22 06:07】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]



(認識、一歩進展?)
 二十年以上前、書道の合間に明朝体活字を真似てみた事がある。會津八一(1881~1956)が昔それをやったらしく、また明朝体と云えば文字デザインの元は顔真卿の所謂「顔法」。書けない事はなさそうだと思い試したけれど、やはり作品にはなりそうにない。書道では禁忌の手口だからである(苹の思い込みでないなら「暗黙の諒解」)。アチラもコチラも既に活字の時代で、幕末の御家流は遠くなって居た。してみると~活字が書道に相応しくないのと同様、或いは御家流も当時そうだったのではないかと思えてくる。
 幕末当時、今の活字に相当するのが御家流だったのでは。「余りにも普通」であり過ぎる(流派意識の全体的蕩尽)、ただし絶妙なバランスで「過剰に普通」ではない(流派意識の個別的潜勢)が故に、これまた絶妙な無意識の下「書道趣味には当て嵌まらない」まま字面は残り、流派意識は字面から取り残される。~行書や草書を大雑把な書体概念の括りと見れば、確かに筆写の自由度は高かろう。しかしナントカ流となると様相は一変、自由に書けば即「流派からの逸脱」を意味してしまう。この違いを見落としてはならない。流派の厳密さは或る意味「フォント」概念の先蹤をなすかの様でもあり、変化の理念的形式が厳密に不自由であればあるほど、いっそう読みやすさが担保されて自由となる。
 自由と不自由を同義または同語反復の鏡像と見れば、両者を区別する方がおかしい。それよりは両者に付け加えられた夾雑物の方が、自由の主人であり、不自由の主人であり、決して交わらない事を担保する。そう考えれば「自由な奴隷」という拙稿上の概念も、あながち荒唐無稽とは云えなくなってくるのではなかろうか。
 もちろん話はそれで済まない。流派や書風には色々あるのが今は当然とされているが、御家流の頭抜けた規範性/唯一性が全的規模で極端に定着したら何が起こるか。…もしかしたら苹は、書字と活字を対比し過ぎたのではないか。活字とは異質なものとして書字を扱うべきでなかったのなら、書字規範の印刷文字は文字通り「印字」(整版)であり、それを「活字」(活版)と混同したがる無意識の誘導に苹は抗えなかった事になる。おまけに整版の版下も活版の字母も共に手書きで、どちらも明治初期は楷書への規範移行期とあらば尚更、紛らわしい事この上ない。
 それらを悲観的または自虐的に見る所から日本の「近代的自由」が始まったのかどうかは不明だが、苹らしさ満点の臭味を湛えつつ「敢えて」書道の側から定点観測するならば、自由と不自由を規定するものが文字認識の悲劇(?)と関係があるらしい事くらいはどうにか推測できてくる。
 こちら(↓)を感銘深く読んだ後、そんな事を考え始めた。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1538

(音楽ネタ)
 以下蛇足。~「レコ芸」1990年の新譜一覧によると、上掲「西尾全集」感想稿中にあるバーンスタインのは、こんな具合だったそうな(LD↓)。当時CDではバレンボイムの東独市民向けBPO無料コンサートのも出た(壁解放三日後の1989.11.12午前11時開演)。東のマズアは後にライプツィヒからニューヨークなどに活動の場を拡げた。
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●字幕スーパー付き(①②のみ)。ベルリンの壁崩壊を記念して、ユストゥス・フランツの企画で、クリスマス・シーズンに2回の「第9」祝賀コンサート(12月23日西ベルリン、25日東ベルリン)が開かれたが、これは25日のコンサートをライヴ収録したもの。冒頭にベルリンの壁崩壊にわく市民の様子が写し出されている。演奏にはバイエルン放送so.&同cho.を中心に、東西ドイツ分割の当事国のオケ、合唱、独唱者が集まっている。CDが先に出ているが、③のみの収録で、演奏後の拍手も短くフェイド・アウトされていた。当ビデオではたっぷり収められている。なお、バーンスタインは最終楽章の「歓び(Freude)」を「自由(Freiheit)」と歌詞変更している。ディジタル録音。テープはセルorレンタル商品。
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http://www.youtube.com/watch?v=IInG5nY_wrU
 ルーマニア出身ではチェリビダッケが先ず思い浮かぶが、戦後ベルリンでアレコレあったのはチャウシェスク以前だからコリャ別の話になるのかな。因みにチェリもエネスコも、ちと調べたらユダヤ地域のヤシと繋がるのが興味深い。他にはシルヴェストリの印象が強烈だった。チャイコフスキーsym.4冒頭ぶっ飛んだ(↓)。
http://www.youtube.com/watch?v=0WTJFxGywKg
 バーンスタインのは、取り敢えず冒頭まとも(1989↓)。
http://www.youtube.com/watch?v=KKlHdhf0k6g
【2015/06/27 20:27】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



 前稿本題の続き。~チョイと言い方を変えてみる。
 同語反復の罠と云うか網目と云うか、時間的な「朝三暮四」も空間的な「五十歩百歩」も、区別する側にしてみれば印象の差は大きい。それと似た事が書字規範と活字規範の間にもありそうで、人為操作の露骨な活字規範(「康煕字典」)に準拠すると、書字規範の肩身が狭くなる。例えば「旧字体より古くからある新字体」と表現すれば新旧の順序が顛倒して混乱する一方、旧字体を「篆書に遡って捏造された楷書的な擬装印字体」とでも説明すれば、字の印象が「正統的」理念と「正統的」字面との間でガラリと変わる筈。
 そうした認識変化/混乱を阻むのが、現代人には得体の知れぬ反歴史的/反進化的(?)な「くずし字」だったりするだろう。活字規範なら旧字体と新字体の違いが分かっても、「くずし字」を十把一絡げにすれば草書と御家流の違いが分からず、「筆写の自由度が高い」という印象/認識だけが「混乱なく」残る。しかし活字の場合だって、混乱なく覚えてきたつもりの漢字群からいきなり「旧字体を拾い出せ」と言われたら、新字体で育った世代は正解できるかどうか。…苹は自信がない。書道のそれが邪魔をする。
 あたしゃ教育上の多様性に於て散々「書道と云えば流派」型の認識を貶してきたが、実用上それも一面の真実ではある。有り体には「書き癖」の集団的規範だから、それ自体が判読の手懸かりになる例は多い(…どころか、或いは殆ど?)。癖の法則が分かるから読める。他の筆跡(流派)と見分けられる。ところが無手勝流だと読みにくい。規範と癖の区別が付きにくく誤読しやすい。漢字と仮名のごちゃ混ぜ文語表記が自然に流派を要請したのは、支那より切実な可読性の事情があったからとしか考えられない。なのに開国後は盲目的に支那書道(と平安朝の古筆)を祭り上げ、「完成度が高い」江戸時代の書字規範を官民一体、自己から遠ざけてしまった。
 その点、件の産経記事は気が利いている。「同時期の公文書研究の諸資料からは、--との記述が散見された」と書いてある。挟まれた部分には「読むのに難解で筆写の自由度が高い御家流の書体を排除し、分かりやすく簡潔な楷書体の奨励に結びついた」とあり、当該研究者達の「近代的に歪んだ」メンタリティが読み取れる(つまり、記者自身がそう思って居る訳ではない?)。…私は一読して舌を巻いた。記者の見識/レベルが高いのか、表現が正確で簡潔。それより何より、戦前から続く国語左翼(?)の系譜に毒されていない可能性が高そうで続稿への期待が膨らむ。
 単に草略系の書字が「難解」なだけなら、漢字だらけの支那(台湾を含む)はどうなるのやら。簡体字は「繁体字を簡略化」した字体だが、草書を楷書化した字形が日本の新字体より多い気がする。草書自体が二千年の歴史を持つ草略体=簡略体なのに、従来通りではイケナイ事情でもあったのかしら。~片や日本は草略そのままの字形で平仮名を活字化したし、稀には草書の活字も見受けられた。フォント時代の今ともなれば、様々な書体(行書や隷書や篆書もどき等々)や書風(?)のが出ているが…問題はユーザーが「読める」か否か。そこが日中共々、近代化後遺症のネックとなるのだろう。(同じ消化不良の仲間らしくても、韓国の場合は…未だ論外のまま?)

 かなり乱暴に云うと、明治以後の近代学校教育は「未開で後進的な日本文化を排斥し、高邁で先進的な西洋文化に染め上げる」タイプの洗脳を目的としてきた(文明開化)。その習俗的特徴を苹は先日「エンガチョ」と表現した。これなら戦前の愛国的復古傾向も同時に(=「ごっこ」的に)説明できる筈。戦後にエンガチョされたのは共産主義などの政治面ばかりでなく、文化面では自虐傾向が明治から一貫して続いたどころか、占領期を経て更に強化された模様。相変わらず幕末のは読めないし、それで当然と思うのが国民ほぼ全員の常識となっているかの様な。…誰だって心当たりがあるだろう。幼い頃の、学校教育が関与している事に。
 …いつごろ流布された話かしら。「悪魔の文字」と、ガイジン連中が漢字表記だか日本語表記だかを評したそうな。アーネスト・サトウの場合はどうだか知らぬが、今は日本人の感覚でも聴講者向けには「驚きの眼差し」で捉えられているらしい(こんな具合↓)。どれだけ皆が読めなくなっているか、林望氏の現状認識が垣間見える講演記録ではある。
http://www.yushodo.co.jp/pinus/53/forum/rinbou/rinb3.html
【2015/07/01 22:42】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(愚図の四方山話)
 先週いつもの雑誌二冊、2015.8号を買ってきた。大座談会の「論壇四巨頭」は『WiLL』懸賞論文の選考委員まんま揃い踏みで、一瞬どちらが「熱の籠った討議」(P.283)なのか分からなくなる。発表結果は総て佳作で、大賞該当作が~すなわち要求水準の具体例が読めないのは残念だった。企画の言い出しっぺは西尾先生だそうで、編集長さん毎年やる気で居るらしい(…てぇ事は来年も、メンバー共通の別企画と抱き合わせる気かしら?)。
 苹はカネに目が眩んだけれど、お脳はレベルに達していないし、テーマが何であれ「書道ネタになるのがオチ」では話にならぬ。また芸術新聞社には『墨』評論賞ってのがあり、普通は誰だって「そっちに出すのが正攻法」と思う筈(ただし石川九楊の単独審査…ちと左寄りの懸念あり?)。専門雑誌でなく右翼雑誌(?)に場違いなネタを持ち込むのは、きっと何か後ろ暗い事情があるからだ。そうでなくとも書道界は変な意味で筋金入りの保守なんだから、愛があれば保守の差なんて、乗り越えられるに違いない…と。
 そうした神経が戦前(読めにゃアカン保守)と戦後(読めなくてカマへん保守)を繋いできた。そもそも明治の国際化以来、愛と正義の歴代フルムーン年齢層は日本書道を遡りつつ「糺してきた」(支那に代わってお仕置きよ?)。御家流の漢字が滅び、仮名が平安朝に都落ちして百数十年、支那や欧米の芸術理念に操られる構造自体は基本なーんにも変わっていない。対立らしきものがあるとすれば、保守的/反日的な支那派と革新的/前衛的な欧米派との隔たりくらいで、どのみち開国前の識字インフラは「そっちのけ」となる。
 そう意識して観察すると、右翼界隈(?)でも保守は多かれ少なかれ明治以後の制約に搦め捕られ、文明開化以前には未開イメージの呪縛が残る。その最大原因が書字規範時代の識字力欠如にある…と見るのは的外れだろうか。素人なりに言語学を囓ると音声言語と文字言語のローカルな位置付け共々、書道畑では手に負えなくなる。さりとて言語学や国語学などの専門分野では影が薄く、マーラーの三重喪失意識(ボヘミア/オーストリア/ユダヤ)にも似た感覚が、学際性の狭間で書道畑の故郷性/帰属意識を苛む事になる。
 今回の募集テーマ「激変する国際情勢の下、日本が目指すべき国づくり」と結び付ける「筋の悪さ」は当初(昨年末)から予測できた。しかし実証的な方向を試すと結構、別の連想や発見が数珠繋ぎに楽しめる。たぶん新しい事は書いていない。忘れた事を思い出したに過ぎないが、容易にテーマと結び付かない無理を承知で書くのは面白い。いつか苹にも応募できる日が来るかしら(←冗談)。でも当面の間、結論の要る数珠(論文という形式?)については考えないで置こう。結論は元々、数珠の〈外〉にあるのかも。

 以下、取って付けた様になるけれど。
 『正論』誌での西尾先生は、久々の「近世ヨーロッパの新大陸幻想」連載再開。食人ネタとモンテーニュの取り合わせからして連想/妄想を刺戟し、例えば首級をめぐる日本(主に戦国時代?)と「イスラム国」とのローカルな比較など色々と。またユグノー戦争の話はナント勅令廃止後のプロテスタント移民、フランスからイギリスに海洋覇権の力関係が変化し始めた背景(科学技術との絡み)へと繋がりそうな気がして、今後の連載がどんな組み立てになるか楽しみでやんす。
 新大陸幻想と大規模移民との関係で云えば、ユグノー戦争とナント勅令廃止とナチス政権樹立がそこそこ系譜的に見えてくる。プロテスタント移民と並行してユダヤ/ロマ移民。後の逆行ルート(?)としては西洋へのイスラム移民。そこにシナ移民が加わって三つ巴って事になるのかしら。中国民間における拝金主義の宗教化(?)は結構リベラルかも知れないし、また政権側~ソ連崩壊後のポスト共産主義(?)自体がリベラル化するかの様なニオイにも、差し当たっては米国/金融との関わりで着目したくなってくる。

(余談)
 在特会のヘイトスピーチが問題視されてから、どれくらい経つかしら。
http://www.youtube.com/watch?v=gmekN39mnFY
 ちと発見。勘違いかも知れないが、ヘイトソング(?)ってのもあるんだなあ。ポーター作曲のミュージカル《キス・ミー・ケイト》より、「男なんて嫌い」(↑)。スピーチの方とは全くニュアンスが異なる(らしい?…苹は英語が嫌い♪)ものの、取り敢えず歌詞の通りには、見た目そのまんまヘイトかも?
【2015/07/13 05:30】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]
8言葉の「お面」(其一) ( 苹@泥酔 )
2017/02/12 (Sun) 03:45:03
●旧稿転載
 セレブ奥様ブログのコメント欄より(↓)。五分割中の一。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1776.html#comment



 あきんど様のに返信しようとしたら、脳味噌がウッカリ破綻しちまった…。先ず第一稿を鬱々と。次に全部を書き直して第二稿。その途中、西尾先生列席のBSフジ「プライムニュース」に触れたら却って収拾が付かなくなり、果ては投稿自体を断念した。~番組テーマは三島由紀夫。老人になる前、「首は胴を離れました」(徳岡孝夫の回想)。
 連休が明けて、ふと連想した。改稿を断念した理由は深夜アニメ「プラスティック・メモリーズ」の印象(第五話まで放送)に、いきなり三島ネタが割り込んできたからではないかと。アンドロイド「ギフティア」の「ワンダラー」化した立ち位置を認知症と絡めて解釈すれば、数倍は深刻な投影像となって迫ってくる。考え過ぎと云えば考え過ぎ。それと同等程度には、「仕事」をめぐる雑多な思いもまた膨らんで居たのかも。
 てな訳で気を取り直し、以下に第一稿をそのまま出しときます。

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http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1772.html#comment
 先日は突然の事にビックリ(↑)。あたしゃ物覚えは悪い方でスキルも駄目々々ですが、天バカ板に偶々あきんど様の復活ネタを記念カキコしてたので、その日付から即座に旧稿を探し出せた次第。~因みに復活歓迎意図の附録では、ハノイの幼女が大量に映ってる海外動画を出しました(↓)。共演した大人の中では主役の日本人(!)が特に興奮してたか、理性崩壊(?)寸前の状況に激しく焦ってたみたい。
http://www.youtube.com/watch?v=PDOL3ueBJpg
 物覚えは悪くとも、自分が書いたものに懐疑する責任妄想を後ろめたく思うと、それが却って「ゆっくり思い出す」契機となるから不思議です。時間に追われると、記憶の要請に追い着けなくなる。また~記憶に追われると、時間の要請に同調できなくなる。「時間を追い越すタイプ」が西尾先生なら、その傍らに「記憶に追い着くタイプ」の伴走者が居てもいい。そこに社会的同調圧力の影を見るなら、読書の同調性と非同調性は読者の双面神となって、読書行為と読者自身の双方を苛んでもおかしくない。ただし書物は予め、時間からの解放/迫害/乖離を余儀なくされる宿命にあるかの様な。そこがネットの「今」と喧嘩して、果ては「今」が理念的/書物的領分へと追いやられる羽目になる。そこでは「今」と「直近の過去」との同一性が、読書的なネット界隈で逆向きの「未来」へと浸潤するのかも(…これはあくまで、「今」を懐疑するとしたらの話)。

(愚痴)
 ところで当方(作業はともかく?)、仕事の話は苦手な面が多うござんす…。仕事に見えない仕事ってぇのは、それでも仕事と云えるのか。或いは趣味、或いは道楽。そう片付けるのが当然だった感覚から見れば、例えばボランティアや奉仕との間で、いっそう仕事それ自体がブレてくる様な。…ごく単純に区切ってみれば、給金の有無で仕事か否かを峻別する向きはある。報酬を払った者は仕事と認めた事になるだろう。ならば、払わない者にとってはどうか。先生の本を買って読む行為は、仕事に直面する読者の礼儀や秩序を表現するかも知れない。しかしながら、借りて読む行為がそれを含まないとは限らない。
 或る人は書家らしいが、作品は売らないし教える訳でもない。収入は別にあると仮定して、この人は書家だろうか。たぶん傍目にそう認知されていれば書家なのだろう。ただし、書家と呼ばれる道楽者を含めて。万国の労働者から見ればブルジョアは敵、蔑視の対象かも知れない。彼の正体が知識人なら、知識人は労働者であらねばならぬのかも。この辺は既に言い古されているのだろうが、そちらに関する書物は碌に読んだ事がないから分からない。いつだって読書は思考の後にやってくる。読書してから思考するのが大の苦手で、こちらとは肌が合わないらしい。
 たまに魘される。給金が出ない。払えないのではなく、払わない。仕事しなかったから払わない。仕事したつもりになっているのは私だけ。夢ほど極端ではないけれど、相手や周囲のニーズとイメージを裏切る行為は、果たして仕事と云えるだろうか。
 学校という職場がある。南京大虐殺や従軍慰安婦を教える事が期待され、それが仕事となって居る。これを教えないのは職務放棄。学校の構成員である校長には、学校と仕事を反対勢力から守る義務と使命がある。それと同じ事が教育委員会にも云える。文部科学省から学校を守るため、間に立って努力しなければならない。教育委員会と学校と教職員(組合)の三位一体性を破壊しようとする連中は総て(=国を含めて)野蛮な秩序破壊勢力である。それらから市民を教育的に守らねばならない。
 学問的に研究したら、慰安婦や南京の虚構性が見えてきた。だからどうだと云うのか。学問と教育は別物である。教育に相応しい学問と、そうでない学問とを峻別するのは、教育現場の側である。学問が教育を歪めようとするならば、教育が学問に抵抗するのは当然じゃないのか。そのために学校の手兵は仕事をするのだ。仕事をしない手兵は必要ない。そんな連中は教育者をやめて、学者にでもなるがいい。
 …いつも馬鹿げた夢に魘されている訳ではない。しかし苹が教職追放となった経緯には少なからず、それと近い面が確かに感じ取れた。ネット上で今やっている事は、教職時代と余り変わり映えがしない(ただし中身は遙かに濃密)。ただ相変わらず(と云うより、輪を掛けて?)学校の仕事には相応しくないらしい。…仕事の話は…苦手だなあ…。

(余談)
 西尾先生の瑞宝中綬章に驚きはしなかったが(むしろ遅過ぎたくらい)、その代わり昨年の今頃(四月末)に書いた「ヘンな妄想」を思い出し、独り興奮しては取り乱した。…その時に書いたのは傘寿賀筵の話だった。あの提案をホントにやったら、必ずや満場どよめき(?)が起こるだろう。記念品の飾り台座か裏面には、堂々たる叙勲の文字が。こんな面白…じゃなくて、絶好の機会を逃す手はないと思うんだが…坦々塾の方々どうよ?(折角なんだから、どうか先生もイヤイヤをせずに…↓)。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1599.html#comment
 …と書いたら、既に原稿用紙贈呈の動きが(コメント欄↓)。…うーん、地味。だけど大事(おおごと)とならない場合には、その方が相応しいんだろうな…。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1523
 また~傘寿に叙勲の記念が加わると、お面は却って相応しくなくなるのかも。笑顔だと不謹慎。仏頂面だと多分こわい。ビミョーな表情だと能面みたい。これは大いに議論の余地があるw…マァ、余り期待せずに此処は一応、去年の提案だけ蒸し返して置きましょ。
 でも、結構な思い出にはなると思うんだよナァ。雑誌論壇の面々や御家族様のリアクションも含めて。嫌な思い出になる可能性は低いと思う。ささやかな冒険(?)に若々しさを感じ取る人だって居るかも知れない。それよりなにより、肝腎なのは美術の感じ方。彫刻作品は「見るもの」であると同時に「触るもの」でもある。そこに最新の3Dテクノロジーが関与する訳だ。現物となった「自己の様なもの」に対するリアルな感じ方を、西尾先生ならどんなふうに咀嚼するだろうか。そこが興味深かったりする。なんか、勿体ない。
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【2015/05/09 23:34】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(余談~軽口モードで前稿顛末)
 先ず叙勲ネタ。次いで拝読後に天バカ板のハノイ幼女ネタを書いて返信の体裁とし、その間を埋め終えたのは四日の夜だった(第一稿)。この時まだ「プライムニュース」は見ていない。第二稿(↓)では叙勲ネタを削り、仕事ネタを全面改稿/短縮希釈してから録画ネタに触れた。すると様子がおかしくなり始めた。もうじき連休が明ける。
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> あきんど様に宛てて何を書いても、読み返すと駄目だ…(orz)。仕事と作業のみならず、趣味や道楽に対する価値判断の衝突が入り組んで、果てはボランティアや奉仕やブラック化を経て奴隷概念に…こりゃアカン。遂には「苹@反日実験人格」署名を試みた頃の方向に傾いて、まだ書いてないネタを考え始めると、例えば職業的詐話師の「職業的」って箇所にナーバスとなる始末。犯罪者が裁判で職業を問われて「犯罪が職業です」と答える様な、それでいて無罪を主張する様な。…したくもない仕事をする。たといそれが犯罪だと分かって居ても。背に腹は代えられない。
> 産経で日教組の記事を見る度、「左翼のふりをするのが職業」って人がどれくらい居るのか気になる。仲間を演じて無理をすると、さぞストレスが溜まるだろう。耐えられずに心を病んだり脱落したり、そうして最後に残った人々が模範的な左翼に見える。本音はどうだか知らないが、信者でないのに演じきる能力があるなら、それはそれで恐ろしい。(この辺については、十年くらい前に書いた筈。)
> …話題を変えよう。
>
>(「プライムニュース」感想)
> 録画が終わるのを待ってから倍速再生した(その方が頭に入った…発言中に余計な事を考えずに済むためか)。生放送中は丁度あきんど様宛の絡みで「仕事」について云々していた所為か、「小説はお金になるから」「戯曲は趣味みたいなもの」にはドキリとした。
> 暗い顔でゴーゴーを踊る三島に触れた西尾先生に続き、「ひとりで孤独を感じながら踊る」ストイックな…と説明した村松女史の一言は効いた。しかしながら苹は踊りがイメージできない。ゴーゴーとモンキーダンスを検索したら、当初イメージしていたのとも違うらしい(動きが速過ぎる)。
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 こんな調子で続けても仕方がないと思った。ますます愚痴に囚われる。なにしろゴーゴーどころかラジオ体操だって、苹が先頭に立つと忽ちスローテンポになって即、嫌がられてしまうのだから(太極拳みたいになるのw)。ゆっくり跳ねるとアキレス腱が悲鳴を上げる。最後の深呼吸が終わると不気味な沈黙に包まれる…(いつも気分は「ああっ、そんな目で私を見ないでぇっ!」の類)。
http://www.vietnam-sketch.com/archive/column/japanese/2003/05.html
 で…取り敢えず第一稿を出したものの、これはこれで後から読み返すと、またまた余計な読み方が出来る事に気付く。あきんど様の「2015/05/02 02:08」稿に件の海外動画を絡めて読めば、肉体の弱さと「光」云々とが「アチェンデ・ルーメン」(マーラーsym.8歌詞)と妙な所で一致する。或いはハノイの日本人指揮者(↑)に敗戦後の残留日本兵を幻視したり、韓国軍による虐殺時期と重なる読み方をすれば歌詞に霊想たなびいたり。(動画に映る、あの大量の顔…「来たれ、創造主たる聖霊よ」)
 他にも色々あるけれど、冒頭に付した一言が投稿後「あ、やっちゃった」感を増幅したのには参った。稿末妄想の「西尾お面」だけならまだしも、三島の生首にまで言及しちまった気がする。(→「僕のお面、蹴飛ばす?」→「なんて先生、悪趣味!」)

(以下、奥様宛返信)
>教職追放後の暮らしをいつも心配
 へっへっへ…。前稿では「書家」モデルの別収入に教員給与などを想定し、当方の「教職追放」とは全く関係のない第三者へと距離を置きました。強いて具体例を想起するなら雨声会の会長、青森高校書道教諭(当時)の遠藤雨山かしら。生前、社中展で観客(高校の同僚?)から「書家だか先生だか分からんな」と言われ、「先生だよ」と答えてました。
 世に「虚実皮膜」てな言葉がありますが、そちら方面も苹は苦手でやんす。嘘を書かなければ取り繕わずに済むから好都合ですけど、行動と介錯は嘘みたいに怯む事がありますからねぇ。所謂「の様なもの」としての嘘は厄介で、怯む方が正直な場合はどちらか嘘が口を噤んでしまう。嘘と嘘の喧嘩が黙ると、真実が顔を出す気がしてくる。どのみち明日はない様なものかしら。~片や介錯する友または同志が居た三島の場合、或いは自衛隊に皇軍の華を拈じようとしたのかも。
 生首は、微笑したのだろうか。
 ところで、西洋にはギロチンてぇ道具がありましたなあ。マーラーsym.6にはハンマー(という「楽器」)が出てくる。何ヶ月か前に検索してたら、餅搗きみたいに振り下ろす一般的な方式(上の方↓)の他、ギロチン方式のがあってビックリ(下は短く正味3秒↓)。
http://www.youtube.com/watch?v=6DEdq2WdFnU
http://www.youtube.com/watch?v=Xhb8UxMlW2Y
【2015/05/18 00:13】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(補記)
 またまた読み返すと、「或る人は書家らしいが、作品は売らないし教える訳でもない。」(第一稿)…この中の「教える」って箇所では意味が二重底になっている点、書いといた方がよかったかも。
 所謂「ゆとり教育」をめぐる試行錯誤の時代、学校の先生は「教えてはいけない」立場でした。その代わり生徒の自己学習力を「援助する」事が要求される。大学の教材にはコームズ&アヴィラ&パーケィ『援助関係―援助専門職のための基本概念』(ブレーン出版)てな書物もあったけれど、そんなめんどくさいのは誰も読まない(?)から、むしろスローガンめいた「教えちゃいけない」の方が脳髄をスッキリ貫いてくる。勿論そうなる前から書道界は、敗戦後ずっと「ゆとり教育」を実践してきました(「書は、読めなくてもよい」)。教える事と教えない事の両方が、教わる側の自己学習力に委ねられつつ、授業とは必ずしも一致しない「稽古の領分」を隠れ蓑に形骸化して行きました。
 だからと云って教員は、「教えなくてよい」訳ではない。それなりに「教える」、或いは「教えたつもり」になる事が要請される(=仕事)。その成果は実技を通して評価される。単純に見れば「うまけりゃいい」となりそうだが、そうすると「教える/教わる」中身が量的振幅や質的多様性を失いがちになったりもする。しかし周囲が予め「書道と云えば実技or流派」と決め付けるのであれば、それに従わないと多勢に無勢、問答無用で分が悪い。ここではニーズが「教える/教えない/教わる」中身を規定し、半ば強制的に「望まれた変質」へと誘導する。
 書道教員(が書家か否か)以外なら、より素朴な位置付けは容易い。古典の筆者を持ち出せばよい。例えば王羲之(文人)・顔真卿(軍人)・米元章(変人)…いや、そうでもないのかナ。王羲之は息子(王献之)の背後から筆をヒョイと抜こうとしたところ、筆力が強くて抜けなかったとの事。顔家は学者の家系だし、米家の息子は米友仁…尚更ありそうな話でござんす(家庭教育の領分?)。~とどのつまりは、「教える」にも色々あるってこった…。

(備忘録)
 これ(↓)も取り敢えず、前稿と前々稿に絡めて補足。
http://www.sankei.com/west/news/150524/wst1505240031-n1.html
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>2015.5.24 12:20更新
>iPS細胞研究所の9割有期雇用 山中教授「民間企業ならすごいブラック企業。何とかしないと」 奈良で講演
> 人工多能性幹細胞(iPS細胞)の研究でノーベル賞を受賞した京都大の山中伸弥教授が23日、橿原ロイヤルホテル(奈良県橿原市)で開かれた奈良県立医科大学開学70周年記念式典で講演し、約250人を前にiPS細胞の医療応用への可能性について語った。
> 山中教授は冒頭、「医学の道に導いてくれた父が肝硬変になったときに何もできなかった。研究という手段でなにか貢献したいと考えた」と研究者へと進んだきっかけなどを説明。
> iPS細胞研究の現状を「日本は間違いなく世界トップ」と強調し、iPS細胞を応用したパーキンソン病の治療や、安全な血液を作り出す研究などについて「来年には臨床を始められるのではないか」と応用研究の進歩に期待を込めた。
> 一方で、所長を務める京都大iPS細胞研究所(CiRA)については、約300人の教職員のうち9割が不安定な有期雇用であることから、「これが民間企業ならすごいブラック企業。何とかしないといけない」と指摘。
> 「CiRAの15年後の目標は、iPS細胞の再生医療と薬への応用はもちろん、新たな生命科学と医療の開拓。そのためには研究を支援する体制が必要だ」と呼びかけた。
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 学校にボランティア教育が導入された後、その世代が卒業して暫くしたらブラック企業が騒がれ出した。キリスト教の土壌ならともかく、日本でのイメージは大抵ただ働き(奴隷労働?)か丁稚奉公みたいなもんじゃろ。「奉仕義務」提唱者の曾野綾子はアチラの信者、多分どう歪んでいくか想像できなかったんだろ(想定内だったなら話は別?)。
 組織を含め、彼らは自決できない(←比喩→)。頓死の形で規則正しく屠られる。

(無駄話)
 しつこい性格が嫌味なのは扨て置いて、「西尾お面」が忘れられない…。
 肝腎の違和感を忘れていた。当然ながら顔貌認識は、狭義の「顔」だけに依拠するのではない。十数年前、「つくる会」ホームページで写真の差し違えがあった。西尾先生と藤岡先生の顔が入れ替わっていた。それを見た苹は素直に「ああ、私は間違えて覚えていたのだな」と思い、戦前漫画「のらくろ」のブル連隊長みたいなのが…と覚え直した直後、前の記憶で正しかったと判明(訂正あったのネ)。たぶん共通要素に惑わされたのだろう。つまり顔など見ていない(かもよ?)。顔より上のアレがない「お面」は、ただそれだけで簡単に顔らしさ(?)がイメージから抜け落ちる。
 例えば遠藤浩一先生の場合はネット上「ソフトモヒカン」てな語彙が散見されたし、高橋史朗先生は満面の髭に物凄いエッジが利いていた。そこに触発された苹は十年ほど欲望を抑え、満を持して無精髭を一月ばかり放置してみた。すると大変な事になった。髪は薄目なのに髭だけフサフサの斑目となった上、いざ剃り落とそうにも髭が刃物を拒む。こちとら様々な筆を取り揃えてきた身、そんな事もあろうかとは思っていたが、顔面大筆の妄想が頓挫するに及び、初めて事の厄介さに気が付いた。…で、ふと思った。女性は、いいよナア。髭はなくとも、髪があるから。(張旭みたいに書いたなら?)
 そんな私的経緯の影響かしら、「西尾お面」が忘れられない。長い髪を前に垂らした白いドレスの女が「お面」(漢字的?)を装着すれば、彼我共々どんな心地がするのやら。「髪がある」(仮名的?)だけでも一大事(?)なのに、苹の妄想は止め処なく膨らんでいく。~さりとて「髪で首を吊る気分」とでも云ったなら、却って意味不明になるのかも。
 「首を吊る」で連想するのは、下記サイトの場合ずっと下の方にあるコレ(↓)。
http://yukimaru0810.blogspot.jp/2002/09/blog-post_03.html
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>Wohn'ich ertraglich im selbigen Raum,
>hol'Geld und Frucht,
>Bleisaft und Wucht...
>Mich holt am Pranger
>der Verlanger,
>auf luft'ger Steige kaum,
>hang'ich am Baum
>同じ園になんとか、かんとか私は住まい、
>金と木の実を
>鉛汁と重りを取ってくる。
>曝し台で私を呼ぶのは
>願いを抱く人、
>風通しのいい坂道ではなく
>私は樹で、首を吊る
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 演出面妖な全曲動画(↓)では、上記ベックメッサーの歌が4:01:34以降で流れる。
http://www.youtube.com/watch?v=ExTEJYw44lc
 人は墓に似ている。顔が覚えられない。名前が覚えられない。顔と名前が一致しない。墓地に行くと、墓の場所が分からない。…そこで多分、地図が要る。せめて自分にはどうにか分かる程度の地図くらいは作って置きたいのだが、それは傍目にも読める地図となっているだろうか?
【2015/05/30 06:42】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(続・無駄話)
 ワーグナーの楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》ネタの続き。
 …それにしても哀れなのはベックメッサー、何故とことん邪険にされるのか。あの筋書きでは仕方がないのかも知れないが、前掲動画の演出ではザックスが最後に野良犬を追い払う様な仕草をするくらい徹底して居る。…でも台本上の偏見を度外視すれば、ベックメッサーのモデルはブラームス贔屓の音楽評論家ハンスリック。謂わばガチガチの保守派(?)だろ。するとザックスやワルターが革新派に見えてくるのに、あからさまにドイツ芸術を賛美するからナチ臭く映る。これは一体どうした事か。戦後日本の感覚で見れば、古臭くナチ臭い「軍国主義の野蛮人」が保守派で、国際的な「理解ある善人」が革新派と映るのではないか。そこがまるで「逆しま」になって居る。
 保守と革新。ナチスはどっちだ?(苹は書道で連想ちゅう。)
 ザックス的な明治維新により、ベックメッサー的な江戸文化が邪険にされる構図では、見立て些か杜撰に過ぎるかも知れない。しかしながら時代を戦前に囲い込めば、革新派が国粋主義/全体主義の傾向を内包してもおかしくない。その革新派を賛美する向きが本場ドイツで後々、所謂「頽廃芸術」を弾圧する事になる。革新的な一方が、別の意味で革新的な他方を退廃的と決め付ける。ソ連式に云えばブルジョア的だったり形式主義的だったりするのかどうか、いづれにしろ保守的/古典的な芸術は排斥対象でないらしい。ところが件の楽劇段階では、古典的もしくは陳腐なイメージのベックメッサーが嫌われる。すると弾圧の二重構造が疑わしくなってくる。
 古いものより新しいもの、てなだけの話なら現実/歴史そのままに割り切れる。むしろ割り切れないのは日本側で、衣替えした勧善懲悪の構図で革新贔屓を焼き直すなら、そうした姿勢の方が却って転回的な「保守性」(または「正義」?)を過剰に抱える面もあろう。そこからベックメッサー的な「いじめられ国家ニッポン」が甦る。ハンスリック的=現実的/実在的ではないメルヘン童話のごとき世界が象られ、どっちが相対的に「メルヘン保守」らしいかを競い合い/押し付け合いつつ、国民に厚かましく問い禊ぐ。こう捉えると(江藤淳のは未読なれど)「ごっこ」呼ばわりされたところで所詮は辻褄合わせの連座もどき、無理なき話かと思えてくる。

(近況)
 まだこれだけ(↑)の分量なのに、予想外の時間がかかって居る。どこか論旨に無理があるのかも知れない。あきんど様に返信する余裕がない。攘夷が開国を経て文明開化へと変質する文脈に「えんがちょ文化」(「2015/04/27 00:30」稿↓)を見て以来、どんな稿にも慎重とならざるを得なくなっている。たぶん無意識か暗黙知の領分に絡み付く思考の様式/条件に今、微細な組み換え(言語論的転回?)が必要と感じて居るのだろう。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1720.html#comment
 取り敢えず、もう少し粘ってみるつもりでやんす。
【2015/06/09 07:04】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]



>二項対立で物事を分析すると間違ってくるのかも
 そうそう、そこです。例えば「西尾は親米か反米か」の話題が喧しかった頃、なぜ先生は即座に「離米」を持ち出さなかったのか。単に語彙の相応しさを吟味していただけなら自然かつ生成的な点で強靱だけど、そうでない場合は内部(一方)の基準で外部(他方)を測定する愚に気付かせる教育的配慮など、色々な可能性が想定できてくる。~新しい言葉は、ともすれば「同じ言葉に踏み留まる」転回的な概念変成とは異質なものを提示してしまう。言葉(旧)と言葉(新)の潜勢的/歴史的な連なりが途切れてしまう。「歴史に逆らう」新たな言葉と受け止められたら、逆に従来のタームの方が硬直化してしまうかも知れない。
http://kenichinakatsu.blog.fc2.com/blog-entry-115.html
 この手の感触を踏まえて出せる契機/言葉が、差し当たっては「転回」でした。ハンスリックの場合、音楽芸術と他芸術との関係/混淆を吟味した面もあるらしい(例↑)。しかしそれでは書道ネタと合わない。書道は初めから混淆的で、概念としては元々「存在しなかった」。言葉/文字/文学から離れた純粋表現としての書道を仮構するなら、それはもはや古典的意味における「書」ではない(むしろ「画」の方が相応しい)。かと云って西洋のロマン主義に近似するのでもなく、従って「古典的に」突き詰めると却って書画一致論の視点が忘れられ、古典とは全くの別物としての「書」が跳躍/前衛化せざるを得なくなる。にもかかわらず誰が言ったか、書は「凍れる音楽」なんだそうな。
 或いは嘗ての書画混淆状態から「書」を芸術的に救済しようと目論んだ結果が、開国後の純粋偏見(?)を今なお構成し続けているのかも。しかも現代人の多くは実際、展覧会場で「それしか見ていない」。学生の一部は選択授業や部活動でアッサリ古典を受け流し、作品を書いて「古典を学んだ気になって居る」。学ぶ事と読む事の関係が「書く事」によって覆され、そうして行為自体は歴史/通史との距離に於て破綻しつつ、ただ行為の順位と権威に整序されたものだけが、品質を裏付けるかの様な履歴/記録として現代に残る。
 ハンスリックとニーチェで検索したら、こんなのが出ました(↓)。
http://heideggerforum.main.jp/ej6data/yamamoto.pdf
 書道の戦後は、王鐸/明清調に「ロマン主義」を見立てた/獲得した形。

(私事追想)
http://www.morioka-times.com/news/2015/1503/30/15033002.htm
 偶々ネット検索したところ、昔よく通った店のマスターが三月に亡くなった事を知り絶句(↑)。友人から「ウエストミンスターのレコードがあるぞ」と誘われて以来、二人ほぼ毎日ビールばかり飲んでいた。名曲酒場になっちまって、さぞ迷惑した事だろう。時には支払いの代わり(!)に旧蔵LPを持ち込んだ事もある。まともな明るい名曲喫茶になったのは郊外移転後の筈…遅くなったけど合掌。
http://www.morioka-times.com/news/2011/1105/30/11053002.htm
 嘗て中学の美術教師で、マーラー好きとは知らなんだ(↑)。そう云や苹が押し付けた数十枚も、マーラーのが多かったっけ。移転前の店舗は落ち着いた民芸調で、独特の狭さと仄暗さが好きだった。
【2015/06/15 01:59】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
8移民本、高斎単山、他(其五) ( 苹@泥酔 )
2017/01/04 (Wed) 22:45:52
●旧稿転載
 セレブ奥様ブログのコメント欄より(↓)。五分割中の五。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1720.html#comment



(「日録」連想~余談)
 続稿拝読。ぎりぎりセーフ乍らも『正論』2015.3号は買っといてよかった。十字軍とプロテスタントの話がなければトゥールーズと聞いてもプラッソン指揮のCDくらいしか思い付かないし、あたしゃ高校時代は世界史(には出てくるのかな?)未履修だから、頭の中は中学レベルで止まってる(見方を変えれば、教育上の先入観とも無縁だった事になる)。
 「アッティラ」絡みで連想するのはヴェルディの九作目。上演すれば観客が来る。体裁は娯楽や芸術に変わるけれど、日本の忠臣蔵や水戸黄門みたいに「誰もが知ってる」レパートリーなら、少なくとも忘却される事はない。あとワーグナー絡みで連想するのは《パルジファル》。第一幕では異教の女クンドリがアンフォルタス王の為にバルザム(薬草)をアラビアから持ってくるし、第二幕のクリングゾルは極悪人みたいな印象。その辺を昨年末に検索したら、出てきた名前は西尾先生のショーペンハウアー研究仲間らしき「鎌田康男」だった(どっちのサイトか忘れちまったわい↓)。
http://dekansho.de/mitleid.html
http://www.schopenhauer.org/organ/lib/kamata_yasuo/mitleid.html
 そんなふうに楽しみながら読んで居ると、お次がどうなるか/どんなネタが圧縮稿では割愛されたのか、ますます興味深くなってくる。書かれたものより、書かれなかったものに留意しながら読む視点なんて、滅多に得られるものではない。~「おかわり」末尾は如此御座候(↓)。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1513
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> 善かれ悪しかれキリスト教のヨーロッパ中世からはおそらく3つのもの、ひとつは「暴力」、ひとつは「信仰」、そしてもうひとつは、16世紀に産まれる「科学」がありますね。今日はその話は出来ませんが、自然科学は、何と言ってもポジティヴで、そして自然科学はキリスト教そのものから産まれたのであって、それは他の宗教に類例を見ない出来事、ドラマなのです。自然科学は一般的で普遍的であると思われるかもしれませんが、根っこはキリスト教にあったということは、また一つ大きな問題であります。そのテーマは、今日お見えになっているかどうか・・・?古田(博司)先生、いらしてますか?(小川揚司さん:4時ごろお見えになります。)古田先生の「ヨーロッパ思想を読み解く―なにが近代科学を生んだか」(ちくま新書)という本がありまして、これはひじょうに難しい本ですが、いろいろなことを考えさせられます。
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 斯くて妄想と記憶とが、「今日はその話は出来ませんが」辺りで唆されていく。古田先生の本は未購入だけど、たまに呪詛スレスレのネクラな表現(?)が出てくる『正論』連載「近代以後」から察するところ、なにやら面白そうで涎が垂れる。

 以下、別の本より転載。
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> 1685年10月18日、フランス国王ルイ14世は、信仰の自由を保障したナントの勅令を廃止し、カトリックのみを国教とする旨を宣言。その結果、何十万人もの新教徒たちが、新教国のイギリスやスイス、オランダなどへ亡命を余儀なくされた。
> 王権強化のためとはいえ、この決定がフランスの文化と経済に与えた損失は計り知れない。彼ら新教徒の多くは社会の中堅を担う商人や、時計師を含む熟練工たちだったからだ。4年後にイギリスとの間で始まる一連の植民地戦争にフランスが完敗した原因も、ひとつはここにあったといえる。
> 時計に関する例でいえば、今日でいう軸受石の特許は、勅令廃止後にフランスから亡命してきた数学者ニコラス・ファシオ・ド・デュイリエールと時計師デボーフル兄弟によって、1704年にイギリス議会に申請された。植民地争奪戦における精密時計の重要性を予見していた同議会が、この画期的な発明を他国に公開せぬよう要請したことはいうまでもない。
> このように、多くの貴重な才能を敵国に流出させてしまった結果、かつて栄華を誇ったフランスの時計産業は、18世紀に入るとイギリスに追い抜かれ、海洋精密時計の開発競争でも長らく後塵を拝することになる。
> だが、実は英仏が陸海の覇権を争っていた間も、両国の時計師たちの間には、驚くほど活発な交流があった。そのきっかけを作った人物の名は、ヘンリー・サリー。戦火を越えた技術交流の架け橋となった彼はしかし、「悲劇の時計師」とも呼ばれている。
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 この間、註が三つある。
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・植民地戦争
>1689年に始まったウィリアム王戦争から、アン女王戦争、ジョージ王戦争、1763年に終わるフレンチ・インディアン戦争までを通じ、フランスは北米大陸の植民地のほとんどを失った。
・デュイリエール
>1664~1753。スイスに生まれパリで活躍。英のニュートン、独のライプニッツと並ぶ天才数学者と称されたが、1687年にロンドンに亡命。狂信的新教組織カミサール派に属していたため、英国でも迫害された。
・デボーフル兄弟
>兄のピエール(英国名ピーター)は1675年にパリで時計師の親方資格を取得。ナントの勅令廃止後、弟ジャコブと共にイギリスに亡命し、ロンドンで開業。
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 冒頭こんな具合(↑)に連載の続きを書き出したのは山田五郎。『世界の腕時計』NO.36(ワールドフォトプレス)所収の「歴史を作った時計師たち」第11回より。
 私事。~当時うちの爺様が「針にしろ」とうるさかったらしく、婆様が催促の電話を毎日かけてきて困った。苹は筋金入りのデジタル頭で、子供の頃から指針式の時計が苦手…と云うより「(俄には)読めない」し興味もない。あの僅かな角度変化から瞬時に分や秒を読み取るなんて無理だろうと、今でも不思議かつ怪訝に思って居る。根負けして仕方なく時計周辺の勉強(←これが間違いの元?)を始めたところ、沢山のバックナンバーが集まった。書道出版最大手の二玄社が時計本(IWW日本版)も出していたのにはビックリ仰天。本業の客筋が高齢化/先細りするのを見越してアレコレ模索していたのかも知れないが、久々に検索したら数年前に廃刊となった模様。
 そんな頃のを今になって引っ張り出すと、これまた別の印象が。時計師は知識人で科学者で、天文学者で数学者の職人や発明家。そうしたユグノー、プロテスタントの移民がフランスから逃げてった事になるらしい。予習だか脱線だか分からぬ仕儀なれど、普通の歴史書と異なる方面は若干ゲテモノ臭くありながらも、傍目の面白さに優劣はないと見て大過ないのだろう。

 と…ここまで書いた後、「日録」を見たら続稿第三弾が出てる(↓)。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1514
 日本人は「法」の意識が根本的に違うのでは、と思ったのは「無法」との対比ゆえ。書道畑なら誰もが見かけてる筈の文句に「心外無法」てぇのがある。これを持ち出すと話があらぬ方向に脱線して戻れなくなるかも。日本では昔、無法でさえも「清らか」だったのだ。或いは新造語たる「自由」の解釈/イメージが、西洋的「放恣」と東洋的「無法」とに分かたれる。~そんな事を思い出しながらも、なるべく普通に読んだ。
 ところで…ぼちぼち何時頃になったのかしら。そもそも講演が何時に始まったのか不明なれど、旧稿を見ると講演時間は「1時間40分」だそうな。果たして古田先生は間に合ったのか、妙にドキドキしてしまう…。(←テレビの野球中継じゃあるまいしw)
【2015/03/22 21:43】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(補記)
 所謂「法」と「無法」について、「日録」での意味用法とは全く異なる方向から踏み込んで置かないと、内心どうにも落ち着きが悪い。…取り敢えず書いてみる。
 法が無法を制限し、無法が法「から」或いは法「を」解き放つ関係では、法も無法も共に秩序の双面的表現と云えなくもない。「野蛮」との距離や関係は根本から揺らぎがちとなるが、例えば無法と野蛮を強制的に同一視する場合、或る法の体系の内側と外側とでは屡々、それぞれの無法を混同する見方が可能になるだろう。例えば「A法の系から見た無法」が「B法の系から見た無法」と同一とは限らないが、両者の系から排斥される無法は混同により各々の系から二重に切り離され、無法が法へと生成する~すなわちC法の系となる様な。また当初の系(A法とB法)それぞれの関係/交流が成り立たないか断絶している場合、C法の起源に於ても当初の関係/状態は自ずと変化し暗喩化するだろう。
 ここまでなら「日録」を読む上でも差し当たり適用できそうに思える。法と無法の衝突は同一の系から見た時に生じ、それが時には法と法の衝突にも見えてくる。ならば無法と無法の場合はどうなるのか。衝突は成り立つのか、元の状態のまま「融合する」のか。~西尾先生の言い回しで気になるのが「虚しくなっている」との表現で、恰も無法の中に潜在/潜勢する「無垢な空虚」が蠢いた結果、状態の在り方(内視性)もしくは見え方(外視性)が「野蛮」へと跳躍するかの様な。因みに今「蠢き」と書いたのは、ギブソンの云う「アフォーダンス」の捉え方が気になったからで、動きの見えないものに対する感覚の鈍さは結節点(起点や終点など)の差異へと絡まる筈。その辺はいったん保留したい。
 苹は先日「イスラム国」の非「国家」化もまた、西洋とは異なるグローバル化の一類型たり得るのではないかと疑った(「2015/03/15 01:37」稿)。国家を前提する以前/以後に、「多様な」グローバリズムと自然状態とが歴史横断的に隣接/併存/埋没する可能性を懼れた。これは或る意味アナキズム(の欠陥?)への疑いでもあるが、この点も脳内なかなか整理が付かずに居る。

http://www.nishiokanji.jp/blog/?m=201503
 …てな事をグダグダ考えてたら、「日録」では「決定稿」連載が完結(↑)。英のウォルトン作曲《ベルシャザールの饗宴》でお馴染み(←クラヲタだけ?)のダニエル書まで話が及んだのには驚いたが、そこからの展開がまさかのバークレー。いくら何でも学問の府なら限度くらいあるだろうと思って居たけど、あれほど宗教臭いネタがあったとは。
 やがて話は…原文そのまま転載した方が手っ取り早い(↓)。
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> 一方ヨーロッパはどうかというと、ルールを守ろうとして、「ヨーロッパの中だけは、うまくやろうじゃないか」と。そういう理念は啓蒙主義の時代に生まれているわけですから、それは分かるわけですね。それがEUというものを創ったわけですが、でもEUというのは積極概念ではなくて、あるものに対する恐れから始まったのであって、それはアメリカと日本に対する当時の恐れだったわけです。アメリカはご承知の通り1971年にドルの垂れ流しのような、金兌換性を否定するニクソン・ショックというドラマがありましたね。ドルは垂れ流しになるわけでしょう。つまり、ドルはいくらでも刷って良いというこの恐るべきシステムにヨーロッパは吃驚するわけです。約束が違うのだから・・・。そして地球の40%まで、日米経済同盟で支配されてしまう。あれがヨーロッパを狂ったようにさせたEUのスタートなんですよ。EUは恐怖から始まっているんですね。そしてそれが湾岸戦争で、ドルの支配とユーロと争ったけど、結果としてアメリカはヨーロッパを許さなかった。そして結果として、アメリカはEUには軍事力を認めなかった。NATOがあくまで頑張れよと。
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 読後、こんな記事が目に留まった(↓)。「「沖縄通貨危機」に命をかけた政治家たち」。副題は「沖縄返還の裏で行われていた極秘作戦」。最後の頁で川平成雄『沖縄返還と通貨パニック』(吉川弘文館)の紹介記事と判明。西尾先生の文脈に沖縄を置けば、何が見えてくるかしら。
http://toyokeizai.net/articles/-/64519
 締め括りは雑誌『正論』掲載稿と大違いで、かの移民ネタが「忘れた頃にやってくる」(汗)。てな訳で再三再四、此処に書いた一連のコメント稿や更に以前のを読み返しては愚考をまさぐり直す、記憶不如意の苹でした。(そもそも拙稿の寄生場所が今「移民本ネタ」なのにねぇ…。)

 それにしても今月は、後半いきなり「日録」の充実ぶりが際立ってますなあ。~演奏会ではリハーサルの方が本番より佳かったりする例が少なくないらしい。それが細部の視点に留まるのは承知の上で、通し稽古の録音は屡々(頻繁に?)レコード編集に活用されてきた模様。差し詰め西尾先生をカラヤンに見立てるなら、坦々塾の阿由葉様は今回ヘルマンスやグロッツの役割を担った事になるのかも(「グロッツの耳は私の耳」「帝王の耳は私の耳」)。…こう書いた直後チェリビダッケのを出せば無粋と思われるかも知れないが、取り敢えずブルックナーsym.9第一楽章リハーサル風景でも(↓)。
http://www.youtube.com/watch?v=7aU0Q3NTGls
 最初じっくり聴いたら激遅でもニュアンス豊かに感じ、後日ボケーッと聴いたら意外にも普通のテンポと感じた。それと似通った事が、或いは歴史を遠目に見る感覚や思考と通底するのかも知れない。「西尾幹二を読んだらチェリビダッケが聴きたくなった」なんて感想、ここ二年ばかり五百年を遡って居る著者側には一体どんなふうに感じられるのやら。…で、この感じ。遅くとも「あげまぁす」と書いた頃(「2014/12/02 06:40」稿↓)には相当程度、溜まって居たみたい。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1721.html#comment
【2015/03/30 01:49】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(あれから五ヶ月)
 見たら店頭に移民本、すなわち件の『中国人国家ニッポンの誕生-移民栄えて国滅ぶ』が並んでいたので、注文するのをやめて早速(?)実物を買ってきた。つまり雪が降る前に出た本を、雪が消えた後に読む形となる。~ところで「雪と中国人」は相性どうなのかしら。大陸の雪に、島国の雪。あっちに「七つの雪」は、あるのかな?
http://www.youtube.com/watch?v=AhPmw6dcfOk
 イメージの種なら、あるにはある。柳宗元「江雪」五絶とか、趙幹「江行初雪圖」や董源「寒林重汀圖」とか。地域によってはドギツイ氷点下の満洲か。いづれにしろ野趣は日本より極端な気がせぬでもない。ネットでは綺麗とか空が青いとか(北海道?)、物騒な欲望を掻き立てそうな評判が気になる。青森の冬空は殆ど灰色だぞー。地吹雪で列車が止まるぞー。雪にゴミが落ちたら埋もれて春まで見つからないぞー。屋根の雪には命の危険があるぞー。だから来…とまでは云うまいが、雪との付き合い方に適応したら向こう三軒両隣、米国人より中国人の方が多い三沢基地周辺なんて想像したくもない。
 でも青森県民なら「やりかねない」(かもヨ?)。百石(おいらせ町)には「自由の女神」像があるし、先日逝去した羽柴誠三秀吉んとこは「国会議事堂」などが話題になった。そんな「モツケ」の聖地にアチラの全額負担で南京テーマパークや慰安婦像を設置すれば、良くも悪くも観光名所(?)となるには違いない。また伝統芸能には「津軽選挙」てぇのもあって、手慣れた中国人がプロデュースすれば存外どう転ぶか分からない。もし苹が中国シンパなら、日本語ペラペラの高学歴失業者を除雪ボランティア名目で大量に送り込むネ。廃屋を中国資本が買い取って棲まわせるの。長期投資の移民基地化政策アルヨ。
 ただし絶対やっちゃいけないのは、地元のカネに期待する事。これやると総スカンくらって自ずと追い出される。生活保護と除雪の二者択一を迫られたら、迷わず除雪を択んで「生活保護者は県外に出て行け=出稼ぎしろ」となる。中華料理店は地元民の経営でないと長続きしない。移民中継/監視基地としての役割以外を期待してはいけない。いったん関係が崩れ始めたら、すぐさま県民一丸の排他性が発動する。なにしろ教育方面ですら、伝統的に「勉強したい奴は青森から出て行け」で一貫しているのだから。進学率向上政策の質を更に高学歴化するには、結局そう仕向けるしかない(望ましい進学先は、今も昔も東大や京大など)。
 尤も、最近は異変あり(↓)。しかしそれとて…

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150403-03114853-webtoo-l02
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>青森の教員採用 講師3年以上で教養試験免除
>Web東奥 4月3日(金)11時48分配信
> 県教委は、今夏に実施する2016年度教員採用試験から、県内で臨時講師や臨時養護助教諭を直近の5年度以内に3年以上経験した受験者の一般・教職教養試験を免除する。1次試験を各教科の専門試験と集団討論のみにして負担を軽減することで、受験者の県外流出を食い止め、優秀な教員確保につなげたい考え。学校現場の講師らからは「仕事で多忙な中、合格に向け意欲がわく」などと、制度改革に対して歓迎の声が聞かれる。
> 県教委によると、本県の教員採用試験の過去5年間の受験者数は、2011年度の2105人から年々減少し、15年度は1878人だった。最終競争倍率は13年度の12.3倍をピークに、14年度は9.5倍、15年度は7.3倍と下がっているものの、全国的に見ると依然として高い状況が続いている。このため、退職者が多く採用枠が広い関東地方や、教員経験者の筆記試験免除制度などがある他県に本県の受験者が流出している傾向がある。
>  16年度試験からは、臨時講師のほか、3年以上の経験がある他県の国公立学校の現職教諭・養護教諭も教養試験を免除。これまで50歳以下だった受験資格の年齢制限をなくする。
>  県教委教職員課の吉川満副参事は「教養試験を免除することで専門教科の試験に集中できるようになると思う。育児などで退職した人や他県で働いている人も受験できるようになる」と受験者増に期待している。
>  津軽地域の中学校で働く30代の女性講師は、本県の採用試験に挑戦し続けており、講師歴5年目。教養試験の免除について「すごくうれしい。忙しくて勉強時間が少ない中で、専門の勉強に力を注げる。試験突破に向けてやる気が出る」と喜んでいる。上北郡内の中学校の40代男性教諭は「若い教諭よりも重い仕事を与えられ、勉強する時間もないベテランの講師も少なくなく、とても気の毒に思っていた。制度改革は歓迎したい」と話した。
>  16年度教員採用試験は、1次試験が7月、2次試験が9月に行われる予定。
>東奥日報社
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 特定科目の受験機会を減らしたままなら、行く末は見えている。確かに県内講師の他県流出は防止できるし、教諭合格(正規採用)も容易にはなるだろう。しかし所詮は囲い込み。家畜/奴隷の脱走を阻もうと新たな餌をぶら下げる、謂わば「飼い主の発想」でしかない。たぶん県外からの受験者数は増えないし(他県の問題教諭には受験機会が増えて好都合?)、これまで受験機会が剥奪されてきた科目には抑も信用がない。とどのつまりは受験機会科目の専門性向上/優遇政策であって、受験無機会科目は従来通り不信状態のまま、全体の教員採用「定数」は維持されるってこった(脱高校教育/予備校化/専門学校化まっしぐら)。

(蛇足)
 教科書検定「つくる会」合格記念に、嘗てのリライト騒動を蒸し返してみる…(↓)。
http://book.geocities.jp/nishio_nitiroku/kako15.html
 こんな事も、あったんだっけ。~垂拱平章。今後の採択戦や、如何に。
【2015/04/15 21:03】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



 …先日久々、こんなのを書いた(↓)。
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1427361532/l50
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>976 :名無しさん@1周年:2015/03/27(金) 20:42:52.09 ID:Ig/XgiYN0
>・話し言葉(音声)
>・書き言葉(書字)
>・読み言葉(印刷)
>・見てくれ言葉(身振り手振り)
>最初の二つで括ろうとするから、先入観だらけの変な話になりがちなのでは。
>書き言葉と読み言葉の間で精神分裂。特に草書や変体仮名が読めなくなった。
>見てくれ言葉の代表格は手話。外国人に日本手話は通じないとか、色々ある。
>日本は歴史的書体変遷と無縁。非草略系と草略系の漢字セットが同時に入った。
>だから簡略化は進歩と無関係。ただ機能性と適応性に応じた差異があるだけ。
>見た目は同じでも、支那語と日本語とでは漢字の生態が違って一緒にできない。
>朝鮮人の精神分裂は漢字の間引き、日本人の精神分裂は文字概念の変容が特徴。
>そのせいか日本人より朝鮮人の方が、活字依存パラノイアは少ない気がする。
>また朝鮮人より日本人の方が、言語依存の愛国パラノイアは少ない気がする。
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 嘗て日本に入ってきたのは漢字であって支那語ではない。漢字は日本語に「伝染し」「定着した」。そればかりか日本語に適応して変質/変異した。見てくれは同じでも機能や用法が違えば同文異種、もはや同じ漢字とは云えない。支那朝鮮からの移民とて同じ事、日本人と同化して初めて移民らしさが薄れていく。移民、と云うから「移民」と映る。さりとて「移民が伝染(うつ)る」と表現すれば、内心なにやら子供の苛め文句みたいな気がして途方に暮れる。(ばっちい移民菌がうつる?…えんがちょ!)
 開国以来、日本は自家中毒の「えんがちょ文化」(?)に振り回されてきた。先ず江戸文化にエンガチョし、文明開化五大国に仲間入りした後は鬼畜米英にもエンガチョした。もちろん行草変体仮名は当初からのエンガチョ対象で、遅くとも昭和中期(明治百年前後)には世間の誰もが当然のごとく「ばっちい字を書いちゃイケマセン!」式に子供を戒めた筈。既に「読める/読めない」を云々する段階ではなく、模範的/教科書的な「読める」基準としての所謂「綺麗な字」も社会的には要請されなくなりつつあった。建前では昭和末期、マンガ的なペン字~山根一眞の云う「変体少女文字」を批判する向きもあったが、ワープロが普及すると一切合切が所謂「無関心」へと収束していく。
 問答無用の文明開化信仰を前提すれば、どのみち今に未来が通り過ぎる。もう日本文化=過去は必要ない。どうにか欧米化した後は、欧米文化も当然お払い箱となる(なった?)。にもかかわらずルーツとしては両方とも必要で、それらは潜在的に「感謝の文脈」を形成する。ところが中韓は「謝罪の文脈」で斬り込んでくるから、事は些か厄介だ。と云うのも苹は内々「感謝の文脈」に、「不要となった歴史への感謝」が憑依/重合する~すなわち「歴史は不要」と踏んで居るからだ。そこが隣は気に食わないのかも知れない。ここでは感謝と謝罪が表裏反転して「衝突する=食い違う」。あちらは見捨てて欲しくない。こちらは逆に、見捨てたい。(平たく云えば、「水に流す」タイプのアレね♪)
 日本は「日本を見捨てた様に」、諸外国をも見捨てたい。敢えて喩えるなら「礼儀正しく脱糞したい」。だからこそ感謝が蠢き「肥やし」となる。しかしそれを素直に「感謝」と受け付けるほど、他国は都合良く「寛容になれる」ものだろうか。「見捨てた日本」が自他の過去を取り戻せるなら、それはそれで構わない。しかし「見捨てる日本」への警戒心には、何の効果も期待できそうにない。「糞への感謝」は「相手を糞と扱う」のが前提で、その「糞仲間」に「日本自身」も含まれているから自虐に見える。そこを隣国が阻もうとする。日本が日本を取り戻して初めて謝罪が可能になるだろうに、そうでないから欺瞞に見える。隣国の掘る対日墓穴は隣国自身の墓穴となり、いづれ一家心中の様なグローバル化へと向かうだろう。
 ここで一つ断って置く。苹は隣国への謝罪が必要だと言っているのではない。謝罪してもしなくても変わらないだろう事を踏まえて、可能か否かを問うて居る。脱亜論も自虐論も総て包括する見方が可能なら、それぞれの位相に連なるもの/関係を見据えたい。勿論たかが言葉の分際で、どれほどの切り口たり得るかは不明。なれど、読めなくなって初めて読める「読めなさ」の読解に、少なくとも苹は一つ手応えを感じて居る。…ドゥルーズ本に出てきた「包含的離接」(「離接的総合」との訳もある)。読める事と読めない事の狭間に露出する機械状無意識(と云ってよいのであれば)は多分、「読める/読めない」二者のコミュニケーションを褶曲するだろう。読めた過去は、読めない今に対して。読めない今は、読めた過去に対して。

 以下、念のため補記。~青森在住の苹は生活上、「えんがちょ」という語彙を聞いた事が一度もない。だから印象は文章語や雅語(!)に近い。ただし「バリヤー」なら聞いた事はある。いづれにしろ差別的意識濃度は極めて薄いか、もしくは観念的領分に留まる。
【2015/04/27 00:30】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
8移民本、高斎単山、他(其四) ( 苹@泥酔 )
2016/11/27 (Sun) 23:20:43
●旧稿転載
 セレブ奥様ブログのコメント欄より(↓)。五分割中の四。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1720.html#comment



(追記~社中について)
 何か書くと墓穴を掘った気がするのは習い性で、実際そうなっている事も少なくなさそうな。しかし、そうした場合に限って次に書く事のヒントとなる率が高いのだから、結局ダラダラと収拾が付かなくなる/躙り寄る様に書く羽目になる。前稿の合間に挟んだ余計な一言が、自分では今それにあたると思って居る。その中で宮川翠雨に触れたものの、苹は必ずしも翠軒流ではない。確かに師匠の前では昔それらしく書いたりもしたが、元々そればかりを書くタイプではない。~話を進める前に先ず、読み返したところ気になった稿を抄録する。以下は歿後出版の『続 翠雨雑記』(雨声会)所収、P.133「翠軒先生の思い出 書法は日本人の血で語られている」より。
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> 昼食をとったあと、「君、文検を取れよ」という。私も文検をうけて合格し、先生に正式に入門を許されたいと思っていたから、当時その模擬試験の方では神様のように思われていた木俣曲水の模試を二、三回うけていた。ところがいつもその批評に、あまりにも翠軒的だといわれて、合格点の八十点を貰えず、七十八点でした。その理由には、文検委員は、翠軒一人でなく、田代秋鶴、細田剣堂その他もいることだから、あまり翠軒的だと合格しないという理由でした。それで私はそのことを先生に申しあげ、文検を合格したいばかりに、自分の書をわざと下手に書くような練習はしたくないと正直に申しあげた。それを聞いた先生は、大きな声を出して笑ったあと、「いや俺の書いているように書いていいよ」とおっしゃったのです。私はそこで、ハッと直観のようなものが働いた。確かに審査員三人の平均点のようなものがあるだろうけれども、筆記の答案と異なり、どなたか強い推薦があると、場合によってはと思いました。しかし翌年受験したら見事落ちてしまった。
> ところが、すぐその後、翠軒先生から「君は仮名をどなたについて習っていますか、もし独学でしたら大石隆子を紹介する。」というお手紙がきました。大石隆子先生は、文検委員の仮名ではただ一人の尾上柴舟先生の高弟でした。その翌年受験して合格しました。それから上京して、翠軒先生に入門して本格的に書の勉強をするようになった。その翌年ある書道新聞の新人選抜展に選ばれた。それは翠軒先生の推薦になるものと私は思いましたが、先生はそのことで私には何もおっしゃらなかった。
> 私は文検で仮名が一番で合格したということがどこからともなく噂として流れ、私の耳にも入りました。大石隆子先生からも、尾上柴舟について仮名を勉強するように再三すすめられた。私は翠軒先生に就くために上京したことと、尾上流の仮名の世界と、翠軒先生の書の世界とはあい入れないものがあることを知っていたものだから、そのことはズルズルにしていたのです。ところが、この新人選抜展のとき、この際これを機に尾上流と訣別しようと思って、その新人展に尾上流の仮名を出品したのです。私をそれに推薦してくれた先生にして見れば、そのことを不愉快に思うことは当然です。田舎からでてきたばかりの私はそれに気づかなかったのです。それから先生は一ヶ月ぐらい私にひと言も話しかけてくれず、何となく不機嫌でした。この期間位辛いことはありませんでした。間もなく私は尾上流を一切書かず、展覧会にも勿論発表することもなかったので誤解がやっととけてホッとした。
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 前稿からの流れでは、今更ながら文検(文部省師範学校中学校高等女学校教員検定試験)習字科のが毎年もしくは少なくとも二年、連続実施されていたらしい事に驚かされる。戦後平成の長崎で約四十年ぶり、鳥取で三十八年ぶりの教員採用試験実施がニュースになったのと比べれば(その時の新聞記事↓)、GHQ傘下のCIEによる書道教育禁止政策が「まだ解除されていない」と錯覚する人が出てきてもおかしくない。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_p_333.html
 それより苹は、別の点に注目する。ここからが本題。

 翠雨の出口には翠軒があった。多様な基礎が一つの書風に向かって迸り、その先に入口としての翠軒がある。だから入門後の翠雨は翠軒流「しか」書かなかった(表向き?それともホント?)。他の書風が書けないのではなく、書かない。そう決めるまでの間に翠雨の基礎形成期がある。一通り学び、書ける様になり、それから書風が定まっていく。最初から最後まで翠軒一辺倒だったのではない。
 出口(入口)寸前には大石隆子/尾上柴舟流のエピソードがある。また生前の旧著『翠雨雑記』(北の街社)を見ると、翠雨が他にも幾つかの書風を学んだ事が分かる。「師範学校では、日下部鳴鶴が手本であった。この書風は、明治時代の、日清、日露の大勝の機運から生まれた覇(は)道的書風だと断じて、一年ばかりでよしてしまった。そして海鶴流に舟を乗り換えた」(P.141)。~翠雨は昭和七年、青森県師範学校を卒業した。大正の末に青森師範へ赴任した宮川逸仙は鳴鶴流(P.287)。丹羽海鶴は鳴鶴の弟子で、鈴木翠軒は海鶴の弟子。件の「君、文検を取れよ」は昭和十四年頃で、翠軒が函館、小樽、札幌での講習会を終えて青森行の連絡船に乗った時だそうな。
 …それはともかく、ふと思う。
 書道教員は書家を兼ねるケースが少なくない。授業は一単位か二単位と短時間で(教科書通りに?)レベルが低く、反対に部活動は書家としての書風そのまま、レベルが高かったりする。やがて生徒は真面目に学ぶほど、ごく自然に書家教員の書風へと染められていく。すると往々にして「その書風しか書けない」生徒ばかりが育ちがちになるだろう。他の書風に触れる機会が少ない所為かも知れないが、機会があっても教員側では数多ある現代書風の一々に対応/指導できない。「水は高きより低きに」云々がどこまで通用するかは不明なれど、そうした教員側の在り方が生徒に伝染する例はよくある(感化?)。
 有り体に云えば、書風は主観的な方が芸術らしく意思堅固に見えるのだろう。客観姿勢は嘘臭く他人行儀。なのに学問では客観性が重視される。ならば書道は「学問ではない」事になるのかいな。そう見る立場が教育界(門外漢の他科教員集団)の主流だろう事は観察できる。既に幕末期の「単山塾」的な総合教育性は遠く、書学/漢学/国学などの基礎なき師弟関係が煙たがれる様になった後は、学力/基礎力の問題が感情的解釈に入れ替わっていった。師匠が不機嫌だと、他流を学んではいけない気がしてくる。基礎が内包する書風と、書風が内包する基礎との間で、関係や優先順位の顛倒が基礎それぞれの性質を攪拌し始める。
 この点は若干ややこしく見えるかも知れない。~前者の基礎は書風の差異を総て呑み込むので、よほど癖が強くない限り誰もが読み書きできる。しかし後者は一つの書風を特徴付ける基礎の側から前者を取り込むので、たとい双方の基礎に差異がなくとも、意識としては書風の枠組から離れられなくなる。この段階の書風を差し当たり「流派」と呼ぶならば、社中それぞれの書風は流派の壁により遮断され、傍目にはいっそう「流派らしさ」のイメージが増幅されていく事にもなろう。これを教育現場に持ち込む是非と功罪から目を背ければ、授業はたちどころにレベル低下するか、歪曲された理解に対して無防備となる。
 「書道と云えば、流派。」~こうした理解短絡の起源は、少なからず江戸時代の芸道イメージ(時代劇イメージ?)にありそうな。皆が和様だった時代、相対的な流派の違いは概ね微々たるものだった。やがて庶民にも唐様が普及した結果、書風/流派の差異が顕著/意識可能になっていったと見るなら納得も出来よう。そうした流れを踏まえれば、明治の書道は既に近代的だった(支那近代)。ただしこれを支那蔑視/西洋礼賛の色眼鏡で見ると、「時代遅れの近代化=支那化」は自動的に「本来あるべき近代化=西洋化」と区画されてくる。この場合、現代の「流派」イメージは明治以後に生まれた倒錯的幻想と云えるかも知れない。
 多くの書家は流派を書風と言い換えたがる。どちらも規模や程度の差こそあれ「個人」的な領分に依拠し、社中を主宰する個人とその模倣者/門人の群れは一纏まりの「個人/主宰/書風」を「法人」的に表徴する。同じ書風の群れが徒党を組めば、誰が見ても普通は流派か党派か派閥。離合集散あれば内紛もある。トップは家元でなく会長だが、さすがに組長の肩書きは見た事がない。翠軒を戴く社中名は長庚会などを経て千紫会に落ち着き、歿後は千紫会と翠心会とに分裂した(後者の会長が宮川翠雨)。この頃は多くの社中が大規模化し、巨大公募展(日展・読売展・毎日展など)での勢力図が取り沙汰される様になっていた。

(蛇足)
 念のため。苹が翠軒流でないつもりなのは単に下手だからで、他の書風で書く方がずっと心地よい。しかし魅力となると話は別で、人間関係は破綻して/させても翠軒流の学び自体には今も屈託がない。当時は授業で様々な書家の臨書集や作品集を種に各派の技法を使い分け、「書風」依存の基礎から包括的基礎を解放しつつ理論化する方向に注力した。いつかは終わりの来る身、やりたい放題の姿勢に悔いはない。教職クビの送別会では突如、脳内をバッハのvc組曲6番ガヴォットが駆け巡った(↓)。その後はネットで言いたい放題。傍迷惑を顧みて(顧みず?/輪を掛けるべく?)、予め社中との関係は総て絶った。
http://www.youtube.com/watch?v=VGfykyQ0_So
【2015/02/24 06:07】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]



(借問)
「長々と書道ネタを書いているけれど、君は結局、何が言いたいんだい?」
「言表行為の集団的アレンジメントを、日本の識字文化で分裂者分析する試みだよ。」
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 …こう書くと却って訳が分からなくなるに相違ない。なにしろ用語はフランス産(哲学畑のドゥルーズとガタリ)。直接の関係がないのは抑も題材が畑違いで、ムリヤリ日本の識字文化受容史に嵌め込むのだから当然だ。「言表行為」は書字/読字行為とした方がスッキリするだろうが、逆に音声面から遠離ると困る。漢字概念のアレンジメント(アジャンスマン)は草略や仮名への変奏を含み、識字者/非識字者のスキゾ分析(スキゾアナリーズ)は「読める字」と「読めない字」との社会的/集団的な分裂状況に関与する。
 昔の字を読める様にするのは簡単かも知れない。しかしそれすら必要ないとする状況や心理が「国語という思想」を占拠する今、日本語の「変質を保守」する側に教育道徳の基準がある。すると「子供を戦場に送るな」の様に、「現代人を過去に送るな」が暗黙の共通理解となるだろう。現在の視点から過去を見れば、昔の字は読めない。皆がそう思って居るならそれでよい(←これも一種の全体主義?)。生徒を「読める人」に育ててはならない。…ばかげた自己言及の堂々巡りと雖も、先生様が声を揃えれば催眠効果を誘発する。
 これを精神病理の視点で捉えると、ガタリが精神分析畑だった事に思い至る。ややこしい邦訳と難解な思考にこちらが「寄り添う」のではなく、こちらの視点や思考の側から相手を「見つめる」姿勢ならば、誤読も苦にならなくなる…と書けば出鱈目に見えるかも。なれどここでは誤読からの創発で相手に接近するのが目的ゆえ、同一化を目指す必要はない。差異を汲み取るための条件として自己を巻き込み、折り畳む。そう居直ると気が楽になるが、今度は相手の言葉が遠離るため、自分の言葉に相手を巻き込まねばならなくなる。
 同じ言葉を別の言葉で語る事。同一の言葉に差異を保つ事。差異の中に概念を見出す事。~ここ十数年、それらの反復に書的経験の変奏/リトルネロを組み込もうとしてきた気がする。稽古の鏡像にも似た反復の彼方(時間?)が見えなくなるにつれ、鏡の此方(存在?)はいっそうリアルになっていく。…十年前の苹なら大体、そんな言い回しを使った筈(久々に書いたらスッキリしたぁ♪)。今の書き方と比べると、良し悪しや分かりやすさの按配は傍目にどう映るかしら。西洋文化に詳しい人なら、昔の方を好むかも?
 一流一派の書風では不満足な理由もまた、鍵は「差異の問題」にある。書道にだって、「違いの分かる男(女)」のゴールドブレンドはある…クラシック音楽の愛好者が様々な演奏の差異を楽しむ様に。演奏家と聴衆のどちら側であれ、模倣の在り方は過去の影そのままに記憶の新旧を混ぜ返すだろう。そこに多様性があり、好み/趣味があり、他方では学問的根拠が指標となりながら、趣味の模範は古典の影を借りて、好みをアフォリズム状に欺く(「欺きの場」では古典作品も現代作品も、同等に驚かせ戸惑わせる)。
 多様性の教育は学校にのみ可能な筈だが、今は概ね形骸化している。学校は事実上、書道教員の仕事を社中の構成員に丸投げし、鑑賞者育成より実技指導(書家育成?)を重視しがちな傾向を黙認している。一流一派の書風/古典解釈に封じ込めないと気が済まないらしい(「書道と云えば、流派」)。そこに業を煮やしたか開き直ったかは不明なれど、どうやら民間で新たな模索が始まっている模様。井茂圭洞インタビュー記事(「書道美術新聞」2015.3.1付↓)後段の小見出し「競書誌〝教科書化〟」以降が興味深かった。
http://kayahara.com/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=393

(四方山話)
 先月末『WiLL』2015.4号を見たところ、珍しく書道ネタに近いのが載っていたのには驚いた(同2015.3号は買い損ねたけど、『正論』2015.3号はぎりぎりセーフ)。加地伸行「文化・学芸面でも大誤報に頬っかむり」(P.265)のタイトルは朝日ネタで一見「またか」の類でも、内容は苹のツボ直撃で頗る面白い。その中に出てくる飯島太千雄の肩書き(?)が書道ナントカでなく比較書像学とは大仰な、と思ったのは拙の僻み根性ゆえだろう。父の春敬は昭和を代表する書家の一人で、親子三人とも(長男は太久磨)書道の研究家となるとイメージは家元みたいだが(たぶん)、これが犬神家ならぬ「宇野家の一族」なら誰もそう思わない筈(哲人や精一は東大のセンセ)。
 ともかく書道の学問レベルは、加地先生のを一読すればすぐ分かる。これが斯界の普通の姿で、苹など足元にも及ばない。ほぼ総てが実証的/実践的研究と云ってよい。その代わり専門的に過ぎる面があり、傍目には瑣末な発掘や比較考証ばかりで全体像が見えにくかったりする点、一般の書道イメージとは大きく食い違っている様な。~それにしても、あんなのを読むとコチラは忽ち劣等感に襲われる。もっと拙稿のレベルを上げなきゃアカンとは思うのに、残念な脳味噌がそれを阻む上に書くペースが遅い。網羅的知識は専門書を読めば事足りるから、なるべく書かない様に心懸けてきたつもりではあるのだけれど。
 いづれにせよ今月号では、書道方面もまた学問上の「縁の下の力持ち」たり得る事を再認識させてくれた点が有難い。漢学方面は主に活字文献の内側を読み解く模様。古文書学では原典に遡って解読するが、読む立場からの読み方に終始する傾向がある。そこを補うのが書く立場からの読み方。いっそう緻密に読み込むためには、書き手の身になって「読む様に書く」「書く様に読む」視点が要る。これら三位一体のバランスが幕末期には保たれていたし、そうした土台自体が日常的だったからこそ、西洋言語/文化の洪水に押し流されずに済んだ面(進取型)もあるのだろう。後に溢れた「西洋かぶれ」(呪縛型)とは大違いで、西洋礼賛にも色々ある。
【2015/03/06 06:28】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]



(余談~「日録」感想?)
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1511
 『正論』2015.4号を買ってきた。すぐさま西尾先生のを通読したところ、いつもの連載より少なくとも倍は面白いと感じた(失礼…本音は数倍なの…)。たぶん読む側(=苹)に予め妄想の種があったからだろう。~本欄最初のコメント冒頭こう書いた。「興味津々「奴隷制の復活」がどこから出てくるか観察していたら、露骨に打ち出したのが「イスラム国」だったのにはガックリきた。」(「2014/12/09 00:59」稿)
 古代奴隷制と近代奴隷制との間にはイスラムの触媒があり、そこに十字軍の野蛮性が伝染したと捉えれば腑に落ちる。「イスラム国」(以下「IS」表記)はキリスト教圏の近代「化」史から学んだ事を模倣/復古し、かつ非「(西洋)国家」化=グローバル化を目論んだかの様な。イスラム圏が西洋的概念における「国家」と化した今、それとは別の中世的闘争状態をヨーロッパから抽出した上で「イスラム」の再定義を企てればどうなるか。「IS」の戦闘移民精神は百歩譲って千古不易のイスラム側でも、機能や構造は依然として闘争相手としてのヨーロッパ側と共にある筈。だから彼らは歴史を遡った分だけ、却って現代のイスラム「国家」に従属「できなくなった」のでは。~読後、そんなふうに思った。
 すると奇妙な話になってくる。このところ日本の残虐イメージを宣伝してきた主役は中国なのに、なぜ「IS」から見れば日本が「十字軍に加担」となるのやら(想像は付くけれど)。中国から見れば日本はナチスに近いらしい。そのナチスはユダヤ人の天敵で、イスラムとユダヤは長らく中東で喧嘩ちゅう。中国夢を真に受けるほど間抜けではないのだろうが、ナチスと十字軍との類似性(?)には警戒した方がよさそうとも思える。日本とナチスの同一視が世界に浸透すれば、より病的かつ歴史的な形で「IS」の潜在的対中姿勢が有利になるかも知れない。すると中国は歴史を遡るほど内憂外患の気配が強まり、以下の理由から板挟みになる可能性とて「なくはない」。
 もし戦時日独同一視の根拠が残虐性にあるのなら、「IS」も国際イメージでは大差なかろう(支那自身の過去はともかく)。とどのつまりは三者お仲間、「IS」側が日本を好感してもおかしくない筈。にもかかわらず十字軍と絡めたからには、「完全にからかわれた」以上の逆説的歴史反動が出来したところで不自然ではない。「キリスト教圏に同調するな」以上のメッセージは感じられないし、否定は時に肯定への期待を内包する。残虐なメッセージを日本は裏切ったものの、抑も裏切りの歴史的属性が西洋(とイスラムとの関わり)とは違う点で、同一視の中に差異を正視せねばならなくなった面もあろう。何もしなければ何かが起こる国と、何かをしなくたって何も起こらない国と。
 残虐でないものが残虐であるかの様に仕立てられるのと、西洋的でないものが西洋的であるかの様に仕立てられるのとでは、西洋的残虐性にしろ非西洋的残虐性にしろ、どのみち差異は免れない。この点は日本のケースに限らないのかも知れないが、ともかく世界は言葉に驚く(警戒する)のでなく、むしろ態度に驚いて(戸惑って)きた様に見える。そうした「驚きの壁」が堅固なほど、世界は世界自身である事から異質であり続ける他者(世界は外より内にある)に際し、他者と自身の双方を持て余したのかも。かてて加えて日本の得意分野は幕府的な「暖簾に腕押し」の形で世界史に挨拶した。そこに苛立った(?)幕末の志士は、万国公法に目を付けたりした。
 他方、中国はどうか。こと残虐性では世界に引けを取らず、それをプロパガンダの根底にある中華史観/華夷秩序が古今一貫して蔽い隠してきた。支那に比肩するのは十字軍。秩序/法に於ても両者には、共振可能な面が感じられる。ばらばらな軍勢の群れをキリスト教で括れば所謂「十字軍」(総称)になるのと同様、支那の地方軍閥も幇も土俗的中華思想で括れば表向き、「国家」もどきの王朝へと収斂するだろう。…宗教と世界観は似ている。信仰と思想が綯い交ぜになって、互いを内側から貪る。或いは、だから残虐とならざるを得なかったのかも知れない。すると残虐にならなかった/なれなかった国の方が、むしろ国際的かつ歴史的な観点では「おかしい」事になる?

 書道ネタ(?)再開。引き続き『正論』誌の西尾先生から。
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>「教会以外には学問というものが存在しない時代が何世紀もの間つづいた」
>「カール大帝自身が父のピピン短躯王と同じように文字の書き方を知らなかった」
>「八世紀の深刻な危機が文字を書く習慣を不可避的に制限してしまった」
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 以上P.89より。これを読んで、ふと思った。日本人は明治以来、書字文化に於て上記ピレンヌ引用と似通った自己制限を模倣し始めたのではないかと。「深刻な危機」が開国ショックに相当し(国論分断)、整版から活版への大転換が起こり、書道は学問扱いされなくなった。首相や政治家自身も国民ほぼ全員も、草書や変体仮名の読み書きを知らなくなった。英語国語化論レベルを上回る「言語の交替」(P.87)ほどではないにしても、(控え目に云って)隣のハングル専用人と同じくらいには「昔の本が読めなくなった」。
 今後これが何世紀もの間、日本でも続いていくのだろうか。伝統的な筆文字の読み書きが概ね途絶えたのは昭和末期か、遅くとも平成ヒトケタ期。絶滅したとまでは「まだ」言えないものの、ワープロ/パソコン普及期に入ってから四半世紀が経つ。今から幕末レベルまで引き返すには、若干の無理があるかも知れない。明治に遡るだけでは駄目。あれは既に近代化/文明国/主権国家体制の時代で、明治三十三年生まれの「国語」もまた一種の「法」である事を免れない。
 補記。~中国絵画畑の板倉聖哲インタビュー記事に、こんな一節を見かけた(↓)。「間違えた」過去、という言葉が心に残った。
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/interview/40.html
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>―― ある作品には、その画家の、それ以前の作品についての解釈が現れているという発想はとても面白いですね!
>  イメージ自体の展開は一つの動態として扱うことができます。一つのイメージがどのように生まれ、変容していったかを見据えながら作品を見るということです。例えば、最近、特に韓国絵画に注目しているのですが、室町・江戸時代の日本人は、実は韓国絵画を中国絵画だと鑑定することがしばしばありました。そのため、今でも韓国絵画が中国絵画として多く扱われており、中国絵画調査中にしばしば韓国絵画の「発見」があります。日本人は、中国絵画として判断された韓国絵画を、韓国絵画それ自体としてよりも中国絵画に寄った形として受け入れたわけです。例えば、これは伊藤若冲の「百犬図」(個人)ですが、当時伝わっていた中国絵画の犬の画と韓国絵画の犬の画のパターンの両方を組み合わさせたものとして理解できます。この作者はおそらく、韓国絵画の方も中国絵画だと捉えていたのでしょう、韓国絵画の原図らしきもの(中国絵画)を自分なりに復元的に想定しつつ、日本で観察できる犬のイメージを併せて作り上げた。そのように考えないと、この日本絵画は説明できないんです。我々が、韓国絵画を中国絵画とした過去の鑑定が間違いだった、として片づけるのは簡単なんですけど、そうではなくて、当時の人がなぜそのように判断したのか、ということも含めて理解しないと、最終的に日本絵画さえもわからなくなってしまうということです。つまり、間違いを間違いだと笑っても、その間違えた人たちが描いたものは絶対分からないんですよ。ところが、これまでの研究では、過去に中国絵画として扱われた伝称・履歴さえ触れずに、韓国絵画というレッテルを貼り直しています。でも本当は、これは江戸時代には中国絵画でした、ということ併せて言う必要があるのです。「間違えた」過去それ自体が、日本絵画史を再構築していく上で非常に重要なデータなんです。これらも含めて歴史の記述を再構築していくと、各々の国の美術史も東アジア絵画史も全然違った形で書けると思うんです。
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【2015/03/15 01:37】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



●再掲
 先月末、こんなの(↓)を書いて同日夜十一時前に削除した。全文再掲する。

(一休み♪)
 年末稿で『WiLL』2015.2号に触れてから丸々二ヶ月、こうして書道ネタの暴走は続く。よく見ると募集のテーマは「激変する国際情勢の下、日本が目指すべき国づくり」…あたしゃスッカリ忘れてたわい(苦笑)。取り敢えず幕末から昭和にかけて書き起こしてはみたものの、「日本の激変」に影響した国際情勢の方は主役になりそうもない。変わったのはあくまで日本。変わりゆく世界に対し、「立ち後れた」のでも「変わらなかった」のでもない。変わるまいとする日本の軋む音が、実は変化の音だった。その変化に気付かないまま変化する自己とは何者なのか。「保守」とはその実、変化に気付かない危険を含意する言葉ではないのか。~書き散らしてみて、そう思った。
 今あるものを保守するにしろ、過去あったものを保守するにしろ、保守したつもりが別物になっていたら。不自然な変化なら分かりやすいのに、この手の変化は自然に忍び寄るから困る。例えば旧字旧仮名論者は活字世界の住人が多いらしく、書字へと遡る立論には滅多にお目にかかれない。予め決まった枠組の内側を礼儀正しく整序しようとする人々の勉強量には敬服するが、畑違いの苹には居心地が悪い。筋金入りの国語改良論者を2chで見かけた時は、「平仮名を楷書で書く」様な打鍵を試みた事もあった。楷書と万葉仮名、草書と平仮名といった組み合わせは、どちらも読みやすい書記様式の範囲で工夫されてきた筈なのに、「読みにくい」と感じるのは何故か。読み落とし、読み忘れた要素はないか。
 そうなる様に仕組まれた教育が続くと、「学ぶ内容」と「学ぶ感覚」の両面に影響が出る。正しい内容を学んでも、正しく理解できない。正しく理解したつもりが、正しくない内容とされる。ひどい場合は両方が水面下に潜り、無意識の中で調和の仕方を間違え合う。双方は調和しているのだから正しい。すると正しさ自体が内容や感覚の土俵外で揺らぎ、調和自体もまた揺らぐ。正しい歴史と正しい歴史観との混同を抱えたままでは議論にならない様に、「どっちが調和しているか」を競っても結局は不毛に終わる。その辺は書道で懲りた。国語とは既に和解できなくなっている可能性を、在職中に理解できた気がする。

 ところで拙稿、それなりには推敲してるつもりでも、とっくに募集の規定枚数(400字詰25~30枚)は超えてる筈。握り寿司をムリヤリ押し寿司にしても旨い訳がない。応募する人やプロの人は普段どんなふうに書いてるのかしら。応募稿は多分、政治や軍事の話が多くなるんだろうナァ。片や選考委員は高齢者、さぞ読み疲れするだろう。…てな事を書いてたら早速「日録」に新稿あり(↓)。どうやら『正論』2015.4号には「西尾幹二の押し寿司」もどき(?)が載るらしい…。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1511
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> そこで編集長がブログの80枚を35枚に圧縮して、雑誌向きにまとめ直して、「番外編」として扱えるようなスタイルにすれば連載は休載しても許してやる、といわれたので、そのアイデアに乗っかることにしたのです。
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 高齢碩学こき使う、鬼畜のごとき編集者…では、なんぼなんでも人聞きが悪かろう。そこで読者側から虫の良い(?)提案なんだけど、この際「日録」ではオリジナル講演稿を裸のまま小出しにして、それを『正論』稿と読み比べる機会にしてみてはどうか。以下、理由を述べる。
 手書き原稿と活字初出稿との違いについては、夏目漱石などのケースで研究が進んでいる。ところが元データの電子化時代に入ってからは、著者側が自ら文学研究の古典的常套を破壊するかのごとき原稿(初期稿)破壊行為に手を染めているのではないかと疑わしく思えたりもする。そこでネット(原稿)と雑誌(正規稿)との棲み分けだ。今回は原稿を圧縮して正規稿とするらしい。音楽方面ではブルックナーやリストなどの異版が研究の種になるのに、それと類似した余地/痕跡を文章側がネットで担保して何が悪い。言葉の歴史構造を自殺に向かわせるかの様な法構造的「阿り方」を、今後も出版界は幇助し続けるつもりなのかしら。活字(正規稿)に書字(原稿)を屈服させる、張本人は誰だ?
 要は、正規稿の所収雑誌が販売期間を終えるまで、ネット上で完結させなければいいんだろ。現に産経新聞サイトでは、雑誌『正論』販売中の記事が載っている(ただし冒頭部分)。その論理と整合すればよいのだし、元々が編集=「正規稿」化する以前の代物なのだから、厳密には同一物の複製とは云えない筈。そこんとこを読者としては小一時間、鬼畜な(?)編集長に問い詰めてみたいんだけど…どうよ?

(余談~セレブ奥様の胃袋誘惑)
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1760.html
 人間ドックの昼食(↑)を見て、ちょいとばかり悪魔の誘惑(?)をば。~食後の血液検査は、血糖値の変化を調べるのが目的かしら?
http://www.youtube.com/watch?v=NWpaVgZUXDE
 深夜アニメ「幸腹グラフィティ」がお勧め。ネットでは飯テロとか食事ポルノとか囁かれてて、確かに放送時間帯は極悪(太るぞw)。次回予告で流れる曲(↑)は中毒性があるとの噂。
【2015/02/27 06:13】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]

●追記御礼
 上のを再掲する気になったのは「日録」新稿(↓)を読んだから。あの日いったん削除したのは「西尾幹二の押し寿司」だの「鬼畜のごとき編集者」だの、表現どうかナァと泥酔再読中に気が咎めたからだが、まさかホントに講演草稿が「決定稿」の形で読める様になろうとは。あたしゃ仰け反って喜んだ。…たぶんアチラとは打ち合わせ済みなんだろーな。そこで一言この場を借りて、横から挨拶しときます。「編集長さん有難う。貴方いい人だったのね♪」
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1512
 寔に美味しう御座いました。感想前に、おかわり頂戴♪(「つくる?」「たべるぅ!」)
【2015/03/19 06:09】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]
8移民本、高斎単山、他(其三) ( 苹@泥酔 )
2016/10/20 (Thu) 02:00:48
●旧稿転載
 セレブ奥様ブログのコメント欄より(↓)。五分割中の三。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1720.html#comment



(補記)
 少年時代の竹山が書いた版下の三ミリを昔式に云えば一分角で、この単位は今も篆刻の印材に用いられる。半截サイズの掛軸には六分角から一寸角くらいが多く、そこに朱文なら二字、白文なら四字程度を刻る。その前に先ず、朱筆と墨筆で印稿をつくる(例↓)。この感覚で実用の書を捉えてみるのも悪くはない。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_pr_423.html
 すると字の丁寧さや趣の変化は別として、これが意外と身近なサイズに思えてくる。また、少し冷静になれば日記はともかく、自分の書いた字が「まだ手元にある」事の不自然さに思い至る筈。そもそも「出されない手紙」や「譲られない作品」に、一体どんな意味があるのやら。人に譲るのが惜しい、ずっと手元に置きたい心情なら分からぬでもないが、そのうち忘れてしまうのが普通だろう。ふと思い出した時に見直す/読み返す。ゆるゆると時間が流れ、勢いや若さなどを思い返したり。もちろん中には「思い出したくない事もある」。そこに生活と記録がある。
 やがて筆者は世を去って、他人が読めば古文書同然。まだ捨てられずに残っているなら、これはこれで異常なのかも知れない。果たして読める状態だろうか。或る意味「達筆で読めない」型の感覚は死語の世界へと通じていく。~そう云やカントが、こんなのを書き遺してたっけ(何度も引き合いに出して恐縮…↓)。『判断力批判』(岩波文庫)上巻P.122。
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>言語芸術に関しては、趣味の模範は死語或は古典語によって綴られたものでなければならない。死語でなければならない理由は、現代語にとって避けることのできない変動―即ち高雅な表現が平板になり、普通に用いられている語が時代遅れになり、或はまた新造語がほんの僅かの期間しか通用しないというような変動を蒙ってはならないからである。また古典語でなければならない理由は、古典語が流行のほしいままな変動に左右されない一定不変の規則を保持するような文法を具えているからである。
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 昭和の小楷で思い当たる書家は色々あって、中でも戦前の文検に絡む人々のが印象深い。ただし鈴木翠軒の川谷尚亭碑は小楷より一回り(二回り?)大きい中楷のため割愛。それより小さい字となると香気の松本芳翠、風格の相沢春洋などが戦後まで生きた口だった。学者では戦前の長尾雨山に惹かれるが、戦後の学者となるとすぐには思い付かない。仮名の田中親美や植村和堂の写経はどうだろうか。版下世代ほど精緻ではないが、中島司有のは俗スレスレに模範的だった。平成に入ると一色白泉の日展写経が変態的…じゃなくて(汗)、良心的かつ啓蒙的に執念深く思えた。
 いづれにしろ明治終盤以降の人に、一般的な写経サイズより小振りの細楷を見た記憶はない。稽古では手掛けるかも知れないが、細楷/細字の大元にある実用/版下指向はどう見ても展覧会には不向き。でありながら、にもかかわらず古典は大概それを前提する以前の代物が全部であった。古典は変わらずとも解釈は変わる。どちらが不自由か分からない。無前提の自由がない。
(くどくなるけど、念のため追記。~より正確には「前提内無前提」の自由を指す。前提の解釈変化に伴い前提自体がいったん無前提化するため、その内側にあった無前提/フレキシビリティまでもが無化してしまい、「無前提」本来の自由が失われる。つまり無前提は、前提を前提した場所に内在する可能性の場/空虚/無でもある。また~それとは別にドゥルーズの見方を参照すると、ヴァーチャルに対してアクチュアル、リアルに対してポッシブルが意識されるらしい。)
 開国後に生まれた「作品」の群れは、場所と中身の両面で概念自体が進歩的に「狭められていった」。これを仮にデフレ的「概念肥大」と見るならば、当時の西洋音楽がインフレ的「規模肥大」傾向にあった事と対照的に見えてくる(前衛音楽を育む前夜~後期ロマン主義)。規模それ自体が問題なのではない。拡大と縮小のどちらに向かって肥大の印象を保てるかが「作品」の変質を促すと共に、規模の性質を「肥大」の印象が行き当たりばったり規定する。

(補註)
 明治以来、学校教育には相対的「反日」が暗黙の不文律となって組み込まれている。当初の基礎は所謂「文明開化」「和魂洋才」姿勢の下で培われ、この時点ではむしろ有益な面が大きい(開国効果)。一部では廃仏毀釈などの逸脱が見られたものの、二十年後の教育勅語(1890)による軌道修正で内発的な日本文化破壊(反日)のムーヴメントは道徳的に調整される。ただし基本は西洋文化の摂取にあるためか、開国以前の伝統文化については批判的な評価姿勢が目立つ。国語の場合、肯定的批判成果としては歴史的仮名遣いの厳密化、否定的批判成果としては言文一致運動の推進などが挙げられよう。教育科目の「国語」が初めて設置された明治三十三年(1900)には事実上、草書や変体仮名の国語機能が排除された。~因みに高田竹山と中橋徳五郎は共に文久元年(1861)生まれ。前者は長じて書道畑の説文学者となり、後者の文部大臣は毛筆教育廃止論に与した。
 開国後の日本書道は、支那と同じくらい西洋から影響を受けた。支那からは文物と技法。西洋からは概念と解釈。日本は清朝崩壊に伴う火事場泥棒的な売却の場で、拓本や文房四宝などの文物が大量に持ち込まれた。それらがやがて財閥の好事家達に集まっていく。技法は書家の領分で、宮島詠士、北方心泉、中林梧竹らが支那に滞在した(鳴鶴や天来らは短期旅行組)。そうこうしているうちに日本では西洋美術の概念が在来の形式/様式を組み換え、書道でも作品(嘗ては未分離の「書画」)や展覧会(嘗ては宴会的な「書画会」)などが導入されて現在に至る。
【2015/01/21 00:39】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(雑感)
 複式簿記ならぬ複式書記…と形容すれば、的外れの度が過ぎるだろうか。例えば真草千字文は同じ文句の楷書と草書を並べて書く形式で、単に読むだけなら書体を重ねる必然性がない。それより多いのが日本では三体千字文(楷行草)で、中には五体、六体の例まである。古文、篆書(小篆)、隷書(八分隷)、楷書、行書、草書がズラリと並べば、クドさを通り越して最早(普通に)「読むものではない」事が誰の目にも明らかだろう。しかし見た目の字姿は違えども、字それ自体の同一性を総覧できる所から自ずと勘がはたらき、特段の労なく皆々「法則を読む」事ができる様になる…。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_p_468.html
 先年、三体千字文から「宮殿盤鬱」の画像を出した(↑)。活字とは異なる書写体で、点画や部首を見比べるとそれぞれの草略法則や、同字(異体字)の「盤」と「磐」に交換法則が成り立つ事などが分かる。つまりここでは「縦に読む」よりも、「横に読む」方が主たる目的と云ってよい。この一点だけで読み方が、今とはガラリと変わる筈。明治以前はそれが当たり前だった。わざわざ常識を敢えて説明する必要がない。教える必要がないとまでは云えないものの、「見れば分かる」で済むレベルゆえ、明治になってからも百年くらいは、教え方を抜本的に工夫する必要が生じなかったらしい。
 草書変体仮名交じり書記様式から活字規範書記様式への転換が進むにつれ、明治三十三年以降の初等教育(国語)では本当に「教える必要がなくなった」。しかしながら社会通念上ではそれなりの素養を求められるケースが極めて多く、実用書道でも芸術書道でも様々な書物が出版され続けた。その水準を見れば分かる通り(↓)一切合切が応用的で、千字文の様な基礎レベルでは全く話にならない。さっさと仕事に役立てねばならない。法則だの何だのと理屈で考えるよりも、先ず実務の感覚で捉えねば間に合わず、基礎は後から付いてきた。この時点では基礎が社会で「宙に浮いた」か、もしくは綺麗に「社会が学校を補完した」とも云える。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_r_390.html
 理屈抜きの基礎教育が「伝統らしさ」を纏う以上、伝統文化の教育に理屈を持ち込んではならない…と考える人が、世間には想像以上に多いらしい。それも戦後ますます非道くなっている。話の流れで昔「書の本質を教えねば…」と口にしたところ、商業科の同僚が猛烈に怒り出した。書の本質は至極単純で「読む事」と「書く事」。つまり書と字の同一性で、他は考えにくい。「本質」は誰でも分かるが、「奥義」等々はそうでない。この点を勘違いしたのでは。理屈抜きの人々に話が通じないのは、「行為から理屈を排除する」純粋性、神秘性、呪術性に魅入られているからだろうと思ってきたが、そればかりではないらしい。もっと深刻な、文化そのものの断絶がより深く影響している。
 …冒頭、複式簿記を持ち出した。門外漢の苹には分からない領分だが、ネットを見ると「全ての簿記的取引を、その二面性に着眼して記録していき、貸借平均の原理に基づいて組織的に記録・計算・整理する記帳法」云々と書いてある。そこから真草千字文を連想した。(借方と貸方ならぬ)読方と書方が文字概念上で常に一致するから、原理上は誤読も誤記もない。何が草略(増減)されているか一目で分かる。実画と虚画の合計=文字は左右で変わらない。どれくらい的外れかはともかく、似ている面はありそうに思える。商業科の先生ならば、細部まで容赦なく比較できるに相違ない。実際あれは、根拠豊富な「本質」観に基づく“激怒”だったのだろう(たぶん)。
 実務の軛を離れた現代なら、学問的に筋道立てて教えても構わない筈。ところが英語科出身の校長によると、「読めないものは教えちゃいけない」との事。今なら「(校長先生の学んだ)GHQ占領時代の教育方針ですか」と聞き返す所なれど、当時の苹は「つくる会」を知らない。伝統文化の神秘性はオウム真理教と同じくらいボルテージいかがわしく、原因の一つが社中の存在自体にあると勘付いては居たものの(日教組みたいな組織/流儀ウジャウジャ)、その社中を追い詰めつつ取り込んだのが学校側でもあるだけに、現実はいっそう複雑怪奇だった。~そこには二つの学問否定があった。一つは学校自身の予備校化で、非受験科目の非学問化に繋がる。もう一つは書道自身の学問否定。実務時代への郷愁を保守すれば当然、学問する余裕のない時代を取り戻す事になる。

(「2015/01/10 05:16」稿について)
 稿末で「読字/読書用の御家流や唐様は巷間実用の印刷技術に支えられてきた」、「真の中に贋が蠢く場合もあれば、贋中すれすれに真が宿る場合もある」と書いた。~念のため件の「学童向け」雑誌で別の号を確認したところ、以下の記述が参考になるだろうと思った。転載し、補足する。
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> 明治の初めに、木村嘉平(嘉兵衛とも書くらしい)という木版彫刻の名人がおりました。この人は、村田海石の千字文の版木も彫っていて、当時その右に出る彫り手はいないとまで言われた人です。ある時、単山が楷書と行書と草書の三書体で千字文を書きそれを出版しようと考え、書き上げた原稿を弟子の高田竹山に持たせて、その木村嘉平のところへ頼みに行かせました。名人上手といわれた嘉平のところへは、木版彫りの依頼がたくさん来ていて、案の定、断わられてしまいましたが、次の日また竹山を行かせて頼みますと、単山の強い希望がわかってくれたとみえて、請け負ってもよろしいが、いつ出来上がるか約束しかねるとの返事でした。それから数日間、毎日、それでもよろしいからと頼み続けて、ようやく木版を彫ってもらうことになりました。読ませるための本の木版彫りなら、引き受ける職人はいくらでもいる時代ですが、習字の手本となると頼む書家も神経をとがらせることになるので、一流の彫り手が引っ張りだこになるのです。まして、千字文は書家として自分の名を世間に知らせるために書かれるものとまでいわれる手本ですから、なおいっそう優秀な腕を持つ彫り手に依頼しなければなりません。嘉平との約束をとりつけて、単山も一安心したことでしょうが、さていよいよ嘉平が彫り始めますと、その校正をしなければならないことになりました。どんな名人でも時には間違いを犯すことがあり得ますから、書家の側で彫り上がった分から目を通し、間違いがあれば彫り直すか修正してもらうのです。その校正に行かされたのも弟子の竹山で、竹山は何度となく校正に嘉平の家へ通ったそうです。やがてそれも出来上がり、今度は刷り師の手でいよいよ木版刷りが始まりましたが、その出来ばえの良さに単山は大層喜んで、「原稿より数段良くなかった」と言ったといいます。彫り手が名人だと、書家の文字は肉筆のものより生気を表すといわれますが、逆に彫り手が下手だと、書家の字は全く別人の様なまずさに見えるのです。ですから、木版刷りの手本を見る時は、彫り師の腕まえを見究めた上で評価する必要があるわけです。こうしてでき上がった単山の千字文は、一冊が明治天皇に献上されたそうですが、出版された部数が少なかったとみえ、まだ目にしたことがありません。
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 文脈上「数段良くなかった」は「数段良くなった」の誤記だが、そのまま打鍵した。
【2015/01/26 22:15】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(前稿補遺~或いは愚痴)
 「本質」という言葉は日常生活上、なかなか面倒臭くて使いにくい。しかし縁遠く感じられるものに対しては、そこが却って似つかわしく思えてきたりもする。多分「自分は本質と無縁」との意識があるのだろう。ならばいっそ、元の漢語を常用語に分けて考えるとどうなるか。例えば「本」を基本、「質」を品質と見なす場合、昔の基本が今は応用に見えたり、昔の品質が今は理解困難だったりする。「本質を教える」は嫌味な印象に。「基本を教える」は低レベルな内容に。「品質を教える」はチグハグな言葉遣いに。「品質表示」は企業側の話で、消費者は専ら受け身の姿勢に回る。片や「奥義」の方は企業秘密、特許、秘伝などに相当するか隣接し、濫りに「教える」と大変な事になる。
 この手の分解は以前、石川九楊の本で見かけた様な。不細工な言葉遊びに過ぎない気もするが、放念できないなら(「本質」の代わりに)形相/実質や表現/内容などの語彙を借用してみてもよさそうではある。しかしながら畑違いの学術用語は書道(漢字/仮名)と結び付けにくく、言語学や学習指導要領での用法と紛らわしくなる面もある。とどのつまりは「恰好な言葉が見つからない」訳で、だからこうしてウジウジ何年も引きずる事になる。昔の言葉そのままで済むならいいが、常識の中には行為と体験に任された領分での、名状し難き事象/概念/空気も結構ある模様。それが言葉と言葉の隙間を埋めてきたから厄介だ。言葉なき体臭に、体臭らしさを言葉もて宛がうのが難しい。
 最も気になるのは、前述の商業科教員が嘗て文部省認定の書写検定で二級を取得していたらしい事(本人の弁)。あたしゃ前任者から引き継ぎ硬筆受験生のを取り纏めていたからよく分かるが、あれは草書や変体仮名や書写体を一通り覚えないと合格できない。ならば彼の先生も本質は承知の筈(=読める筈)。だからこそ当方は面食らい戸惑った。もしや「書写検定より上」のレベルで「激怒」してたのかしら。…そう云えば前年か前々年は、間架結構法の授業で「ジャポニカ学習帳」を使った事にも怒ってたっけ。あれは初唐三大家の古典(教科書所収)より少し小さい程度の升目で使用に最適、難点があるとすれば小学生向きの表紙くらい。そこが「高校生をバカにしている」と映ったらしい。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_r_448.html
 この図版(↑)も間架結構法の類と云える。要は字の整え方で、大体の勘所は決まっていても教本の形式までは定まっておらず、最小単位としては永字八法が有名(単純過ぎて、多くは用筆法の扱い)。三十六法や九十二法の説もあるにはあるが、明治以後の日本では概ね曖昧となっている。より古典的な言い回しの「書訣」だと辞書的意味は妙に「奥義」臭く、こと現代日本語の醸しがちな意味に傾けば、観念的で大袈裟な印象となりやすい。その辺にも混乱の一因はあるのだろう。~楷書の学習は支那に分があり、科挙では金太郎飴みたいな字がズラリと並ぶ(此処のは画像が大きくて見やすい↓)。その水準にありさえすれば、「誰でも整正に書ける」のが楷書でござる。
http://www.toyo-bunko.or.jp/museum/mablog/2012/07/post-168.html
http://kalcul.hatenablog.com/entry/2013/11/28/234500
 とは云え無論、楷書を整正/端正に書くのはそれなりに難しい。ごまかしが利く行草と違って融通が利かない。明治の書字/活字は巻菱湖の影響下にあり(楷書活字の字母を書いた小室樵山も秋巌の弟子)、書きやすさ/読みやすさは支那の館閣体に匹敵するものの、支那書道の芸術性を重んずる側の鑑識眼には通俗的と映った模様。そこで昭和七年、鈴木翠軒の出番と相成った(国定教科書甲種)。初唐三大家の漢字や藤原行成の仮名をクリティカルに調和させる工夫は画期的レベルに達したが、その一方で江戸文化の通俗的痕跡は更なる洗浄が徹底される。ところが翠軒の方では教科書執筆直後から、日本的美質への傾斜が却って顕著となっていった(所謂「翠軒流」の誕生)。
 書における日本的美質は精神性と結び付けられる事が多いが、書家と鑑賞家とでは美的基準に大きな食い違いを感じる。後者には、唐様の影響を切り離した上で日本的イメージを構築する傾向がありそうな。一つは良寛の様な飄逸。一つは幕末の三舟に見られる偉容。どちらも整正ではなく、文人や為政者/公家、僧侶、武人のが重んじられ、いづれを好むにしろ「書家の書は嫌い」なタイプが多いのでは。これでは到底、書く訳にはいかない。書けば逃げていくのが斯様な手合い(鑑る側も、鑑られる側も)で、技倆は驚くほど狭く画一的であるがゆえに却って枷がない。これでは書き手の立つ瀬がない。活字時代らしい「事の成り行き」に、書は二度とも食い逃げされた(明治の御家流と、昭和の唐様と)。
 書き手たり得る自己を伴わない時代、歴史的かつ潜在的な書き方を忘れた/失った人は、そうでない書き方の愚劣さや俗悪さにも騙されやすくなる。そこが所謂「平和ボケ」と似ている様な。狭く画一的な了見が悪いのではなく、その了見が抱える自己限定の深淵を読み落とすのが悪い/恐い。だから苹は、了見の狭い人が必ずしも嫌いではない(好きでもないw…orz)。むしろ了見の広過ぎる人に怯えおののく。時には疑心暗鬼となる事もある。もしかしたら本当は、こんなのを「人間嫌い」と云うのかも知れない。~「日録」(↓)に「私は厭世家ではない。結局、人間好きなのだと思う」とあるのを読んでから三週を過ぎて初めて、ゴチャゴチャ書くうち偶々そう思った。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1503
【2015/02/05 21:50】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(続ける…)
http://blog.k-foffice.com/?p=307
 幕末明治で人気のある書は、うねる太線や渇筆などの特徴が概ね共通している様子。~先年は石川九楊がBS番組(↑)で大久保甲東のを臨書、似たカスレが出せずに難儀していた。翠軒流の人ならすぐピンとくる。あれは薄い毛氈を通して畳の目が写った線ゆえ、強い筆圧で擦る様に書けば誰でも出せる。ただし翠軒の場合は玉川堂製「白狸毫」面相型の、筆管との付け根まで筆鋒を総て使い切る極端な手口。S.29日展の「酔客満船」(↓)が典型的で、獲物を襲う猛禽類の様な俊敏さで書く(テニスの動きに近い?)。片や幕末のは「水筆」普及前の剛毛中鋒を半分おろして書く例が多いらしく、より簡単に畳目が出せる(それだけ筆の腰が強い)。
http://www.shodo-journal.com/calligrapher/deceased/suzukisuiken.php
 世に贋作は少なくない。前稿で「驚くほど狭く画一的」と書いた通り技倆は平凡でよく、素直に書けば本物の儘なのに、真似れば却って綻びが出る。この点に無神経でないと真似は覚束ない反面、他方では思わぬ含羞が要る。つまり真似と含羞は紙一重で、それらの彼岸に無神経を追いやるのが、或いは「忘我」という事になるのかも。そこまでなら頭で分かるが、実践するのは難しい。~ふと、市川浩の云う「身分け」の構造を思い出す。真似を身から分ける所まで分節すると、実践し損ねたら真似の方が挫けそうだ。後に残るのが「無神経」だったら、どうしましょ。和魂漢才(もしくは洋才)から臨書(真似/模倣)の要諦を葬った途端、所謂「個性」と「ただの無神経」とを履き違える危険に直面する。
 書家の抱える不安は歴史的過去と未分化で、自己主張(作品?)めいたものが予め前提されてあるかの様に批評されると、忽ち「芸術」との間に筋違いの痴話喧嘩が始まる。書きたくて「作品」が書けるほど、書く自己は芸術的でも鈍感でもない。あるのは職人肌の来歴や「芸術以上の神術」(by高田竹山)らしい。経験に封じ込められた内的記憶は必ずしも宣言的な陳述可能態ではなく、そこが黙せる「神術」の所以とも解せられよう。片や西洋的「芸術」は宣言的ストラテジーが音楽的/音声的に露骨で、視覚芸術も傍目には比較的「見え過ぎた」面がある(自然模倣)。だから先人は読めた/学べたのかも知れないが、どことなく和魂が醸し出す気配とは、今も相変わらず縁遠い気がしてならない。

(…と書いて一週後の推敲中、確か翠軒高弟の宮川翠雨が「含羞」について大切な話を書いてた筈、と競書誌『北雲』を探したが見つからない。転載するつもりだったけど残念。代わりに拙の黒歴史(?)発見。すっかり忘れてたけど、H6.10号に出てたんだなあ…誤植は嫌だなあ…。)

(続ける…)
 今、殆どの人が「筆で字を書くのが書道」「国語とは別物」と思っているのでは。イメージがそうなったのは二十世紀突入前後からで、頭が凝り固まると大半は秒殺一蹴、「今と昔は違う」で済ますタイプの思考停止を進歩的思考と認識し始める。つまり思考停止と進歩的思考との境界がなくなる。~一度、校長に参観を頼んでみた事がある。即「私は授業を見ない主義だ」と職員室で明言したのには驚いた。休憩室では「(青森県で)書道教員採用試験は実施されない事になっている」とも証言してくれた。そんな申し合わせ/申し送りが上層部内で規範化し、かつ伝統と化しているのだろう。より正確な表現は、数年後のメール回答に譲る(2001.10.26付、県教育庁県立学校課課長署名、抄録↓)。
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>書道専門の教諭がいない場合でも、他の書道免許所持者が担当しており、学校として不具合がないことから、書道専門の教員を採用して欲しいとの要望はほとんどありません。そのようなことから、書道の試験についても昭和55年度以降実施していないものです。
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 東京都では非常勤講師、青森県では国語教員が芸術科書道を担当する(=無試験採用の常態化)。国語で採用された書道教員には「国語側の規範に準拠する義務」が潜在し、元々(「国語科」成立以前)同一だった書道自体にも国語側からの影響が及ぶ。現に大学教育学部では国語科で書道免許、書道科で国語免許を取得する(例外は所謂「ゼロ免」課程)。青森県の方針を「国語科で採用するから芸術科書道の試験は不要」と取るならば、「国語科に書写/書道の出題がない以上、芸術科での書道出題は不整合」との解釈も可能だろう。国語は書道を手放したくない。書道に復古されたら国語が困る。開国/敗戦/占領と続く流れに棹さして、日本文化を殺したがっているのは今も日本人自身であり続ける。
 それを正当化する「進歩的」教育は、歴史のみならず国語古典の歪曲に於ても自ら雁字搦めとならざるを得ない。「自分は学問をしている」との盲信/狂信で自己完結する信仰は、学問信仰ではあっても学問それ自体であるとは限らない。無論、信仰が学問の対象となる事はある~学問信仰もまた学問の対象に留まる事を踏まえれば、そうした二重性が学問の環を構成しても構わないのだろう。しかしながら信仰は学問を育み、学問は信仰を馴致する(学問は信仰の触媒?)。百年以上の来歴に阿る進歩主義教育が今のグローバリズムと結合する時、ローカル文明の根幹を組み換える手段としての学問は保守されたまま、旧来の学問信仰は新たな学問信仰を装いながら転生するのだろう。
【2015/02/15 23:59】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
8移民本、高斎単山、他(其二) ( 苹@泥酔 )
2016/09/11 (Sun) 20:29:28
●旧稿転載
 セレブ奥様ブログのコメント欄より(↓)。五分割中の二。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1720.html#comment



 「2014/11/22 22:22」稿と絡みそうな話ではある。昨年、こう書いた(抄録↓)。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1679.html#comment
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>苹の場合は半世紀くらい前の実用書道本を目習いするだけで、基本的な「読む」コツは身に付きました。後から考えると松岡正剛の云う「推感編集」の手口に近かったみたい(前掲シービオク本の解説リンク参照)。頭の中で文字を解剖し、分析し、推論し、再構築し、復元結果が正解なら「読めた」事になる。その繰り返し。私にとって書字は視覚の論理学です。一言で云えばそうなる。
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 これを踏まえて新年早々、挨拶抜きで(汗)外国人の文語学習に思いを馳せる。

(備忘録)
http://www.sankei.com/premium/news/141228/prm1412280020-n1.html
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>2014.12.28 09:30更新
>【赤字のお仕事】
>日本語習得に懸けた情熱~アーネスト・サトウ
> 市川清流が書き上げた遣欧使節団の旅行記「尾蠅欧行漫録」を英訳し、国内外の外国人たちに日本人の一典型を示したのが英国人、アーネスト・サトウ(1843~1929)である。サトウは在日英国公使館で外交業務の傍ら正確な日本語を学び、正しい日本の姿を欧米諸国に紹介した。
> サトウの経歴や外交官としての事跡は、幕末・維新史を題材にした各書に数多く取り上げられており、ここでは触れない。「日本人よりも日本語に詳しい」と言われたサトウが、どのように語学を習得したのかに注目したい。
> 横浜開港資料館(横浜市中区)では企画展「チェンバレンとアーネスト・サトウ 近代日本学のパイオニア」を開催中だ。幕末から明治の激動期に来日し、日本文化に親しみながら日本と日本人を研究し理解しようと努めた2人の英国人、バジル・H・チェンバレン(1850~1935)とアーネスト・サトウの関係資料約130点を展示。サトウ直筆の墨書「敬和」や和歌に傾倒したチェンバレンが自ら筆を執ったとみられる短冊など、今回が初公開となる資料も含まれている。同館によると、10月下旬以降これまでに約8000人が来場したという。来年1月12日まで(年末年始、月曜日は休館)。
> 企画展の資料の一つに幕末の英公使館通訳生たちが日本語習得のため用いた「学習帳」がある。武士らが書いた手紙の行間に鉛筆でローマ字が書き込まれている。同館の主任調査研究員、中武香奈美さんは「外交業務をこなしつつ熱心に日本語を学んだ真摯(しんし)な姿勢が資料から伝わってくる」と話す。
> サトウは来日後、まず米人宣教師、サミュエル・ブラウン(1810~80)から口語を学んだ。ブラウンの著した「会話体日本語」(Colloquial Japanese)を教科書に本人から直接指導を受けた。サトウは「大いに役立った」と回想している。著書は外国人による本格的日本語会話書の最初の出版とされ、普通と丁寧の2種類の表現法を解説。「当時の江戸言葉と階級・身分による言葉の差をいきいきととらえている」と今日なお研究者の評価は高い。
> 文語は紀州出身の日本人医師、高岡要らから学んだ。サトウ著『一外交官の見た明治維新』(坂田精一訳、岩波書店)によると「彼は、草書で短い手紙を書き、これを楷書に書き直して、その意味を私に説明した。私はそれの英訳文を作り、数日間はそのままにしておいて、その間に原文の写しのあちこちを読む練習をした。それから、私の英訳文を取り出して、記憶をたどりながら、それを日本語に訳し直した」。書簡文を用いたこの方法が語学力を高めるのに、いかに効果的だったかを後年力説している。
> サトウの熱心な学習ぶりは、明治初期に滞在したオーストリア外交官も書き残している。「彼は出会った日本人の誰とも言葉を交わし、注目すべき新しい表現や文句にぶつかると必ずノートに書きとめる。こういうメモを丹念に付き合わせることで、日本語の言葉の意味を定義し確定することを学んできたのである。これは瞬時も休むことを知らない知的労働である。(中略)サトウ氏が実行している方法こそ、この国の言葉を発見する唯一可能な方法だと思われる」
> 学習と並行し、サトウは通訳生として日本語原文を英訳し本国に報告した。最初の仕事は、幕府が朝廷に攘夷決行を奏上(そうじょう)したことに伴う「外国人追放令」(文久3年5月9日=1863年6月24日=付)で、この文章はのちに英国議会報告書に掲載された。一方、新聞や雑誌への投稿も活発化。1865年には横浜の英字新聞ジャパン・コマーシャル・ニュース紙の1月4日号に鎌倉事件(元治元年10月、英陸軍の将校2人が鶴岡八幡宮の参道近くで攘夷浪士に斬殺された)下手人の自白記事を掲載した。通訳官に昇任した同年5月(慶応元年4月)にはロンドンの雑誌に「日本語書体の種々の様式」という記事を投稿。新井白石「読史余論」などの文例を引き、日本語原文とローマ字の書き下し文、英訳の3種類を示して日本語の文体を紹介した。
> こうした流れの中で、サトウは市川清流の「尾蠅欧行漫録」英訳文の連載をロンドンの雑誌チャイニーズ・アンド・ジャパニーズ・レポジトリー誌に開始した。初回は1865年7月1日(慶応元年閏5月1日)号に掲載。同年9月15日(同年7月26日)からは横浜の英字新聞ジャパンタイムズ紙に転載し、翌年3月(同2年1月)まで続く。清流はこのころ、松平康直の家中を離れ幕府の外国方(外国奉行)に出仕していた可能性が高く、外国方が定期的に日本語に訳す同紙の記事を読み、同僚らから何がしらの評判を聞いていたのかもしれない。
> 「適切な教科書がなく(日本語の)教師らしい教師もいなかった」状況でサトウたち英公使館員は日本語習得に多大な努力を払った。横浜開港資料館の中武香奈美さんは「英国には通訳官を育成する独自の制度があった」と話す。通訳生は中国の領事館で2年間外交業務をしながら語学を習得するシステムがあり、サトウも来日前北京に赴任した。ここで漢字を文脈で読む訓練をし、日本の漢文も文章の流れで判読することができたという。「サトウの真面目で勤勉、研究熱心な性格が日本語と日本への理解を高めることに結びついた」と中武さんは分析している。
> 清流の「漫録」英訳文は1866年3月9日(慶応2年1月23日)号の紙面で連載が打ち切られた。突然の終了だった。その7日後、同じジャパンタイムズ紙にサトウの論説記事が掲載される。有名な「英国策論」であった。(稚)
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 で…サトウ直筆とされる扁額「敬和」をネットで見たところ、解説に菱湖流の書家、高斎単山の名前が出てくる。これで書風には納得したが、どう見ても字は「敬」でなく、それよりは「敷」と読める。誤読じゃないのか?…と、それはともかく。
 遠い記憶を揺さぶられて三十年以上前の蔵書を読み返したら、確かにサトウの名前があった。それによるとサトウが単山に学んだのは明治元年(単山は満五十歳、サトウは満二十五歳)以後の年で、と云う事は単山が住居を摩利支天横丁から牛込(新小川町一丁目十二番地)へと移した後になるそうな。あと、単山の墓を守る滝沢家の話では「高斎」を「たかなり」と読むのが正しく、村松梢風『本朝画人伝』(昭和十六年二月、中央公論社発行)第二巻P.378にある奥原晴湖の伝記でも、そうルビが振ってあるとの事。
【2015/01/02 03:53】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(前稿補記、新春附録)
 話の種に、もう少し続けてみる。以下は「三十年以上前の蔵書」の巻末にある「ご家族のためのページ」より。御覧の通り連載物で、実は学童向けの雑誌記事。
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> 文政から天保年間にかけて江戸の書家として知られた巻菱湖の直門で、その歿後菱門四天王の一人萩原秋巌の門に入って技を磨いた高斎単山について、二回に分けお話をいたします。実は、先にお話を終えた萩原秋巌の事蹟をあれこれ調べているうちに、その門に高斎単山という人がいて、お墓が東京都台東区谷中の天王寺にあることを知りましたので、お寺に法名などを問合わせたところ、そのお墓を守っておられるのが、劇団「民芸」の代表者で俳優でもある滝沢修氏であることを教えていただきました。意外な方とのつながりに驚きましたが、早速手紙を差上げ、奥様から単山ならびに滝沢家とのつながりについてお教えいただいた次第です。天王寺は、菱湖のお墓のあるお寺ですから、単山の霊も師の霊の近きにあることを喜んでいることであろうと思います。
> 上の図版は、文久元年(一八六一)発行の「江戸諸家人名録」にのった単山の名で当時下谷三枚橋に住み、毎月四と九の日に家にいたことがわかります。隣りに記された石井潭香も当時知られた書家の一人です。
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 学童向けの本文も平易な書きぶり。内容は…色々あるけど一例こんな具合(↓)。

単山の書塾(高田竹山の話)
「単山の弟子には大名も五、六人おりましたが、これらの人々は毎月一日・六日・十一日・十六日・二十一日・二十六日というように一と六の日が稽古日でした。その間に、月六回ほど、清書を書いて出す日があって、その時には筆や紙などもたくさん使って練習しますが、清書を提出しない日の練習には、草紙(半紙を綴じて作った練習帳)の他は新しい紙を使いません。草紙の一枚に書いてそれが乾くとまたその上に書き、こうして真黒になった紙の上になお何回も書くというふうにして、一枚の紙を何百回となく使ったものです。当時の書家の稽古日は、一と六の日ということが多く、巌谷一六(明治時代の書家で、貴族院議員にもなっている)の雅号の一六も、この一と六の日にちなんで付けたものと聞いています。
 単山の塾は多くの弟子を集めて非常に盛んとなり、毎年半期(六ヵ月)の収入が、当時のお金で四、五百円もありました。当時の四五百円は、今(昭和七年)の金高にして二、三千円という額になりましょう(現在の金額では五、六百万円をこえる額になる)。入門料というのは普通の人で二分ぐらい(一両の半分。今の二万円ぐらい)でしたが、そのなかにお盆の頃や年の暮れの付け届けが一人二分ぐらいもありましたから、そのような大きな金高になったのです。内弟子として先生の家に住む塾生は十人ほどいましたが、そのような贈り物の砂糖や、かつおぶしが使い切れずに、よその家へやってしまうほどでした。当時の先生というものがどんなに権勢があったかは、こういう事でもおわかりになると思います。
 先生は、弟子に対してとても厳しい人でした。私達のような内弟子には、決して手を執って教えることをしません。初めて書法を教えてくれるのは三年以上たってからですし、七年以上も先生のそばに内弟子として仕えなければ、書論の講義をしてもらえませんでした。どんなに書技が早く進んでも、年数による階級の区別は厳重だったのです。そこで、年数が少ないものは、毎月五日か六日、先生が揮毫して見せる日に、そばで墨を磨ったり紙を抑えたりして、先生の揮毫の仕方を覚えたものです。私は学僕(塾に住み込んで塾の雑用をしながら学ぶ若者)でしたから、月謝も食費もいりませんでしたが、その代りに、炊事もやれば拭き掃除もやりました。それはこき使われるという感じのきつい仕事で、昼間はいろいろな用事を言いつけられ、とても落ちついて勉強などできませんし、夜は仕事がすむと漢学塾(植村蘆洲の塾)へ漢学の勉強に行きましたから、書の練習は、しばしば夜通しの修業になりました。夜も寝ずに夢中になって漢学の書物を開き、筆をとり、その場に疲れ切ってぶっ倒れるまで学んだものです。冬の夜は、他の塾生が起きているうちは火の気もありますが、他人が寝てしまえば広い稽古場は火の気がなくなります。まだ十代なかばの私は、ついうとうとと眠ったりしますが、目が覚めると手が寒気ですっかりこごえてしまい、文字を書こうにも動きません。息を吹きかけたり、もんだりするぐらいでは全く利きませんから、そういう時は庭へ下りて井戸まで走って行き、はだかになって頭から一気に水を浴びるのです。山の手の井戸はしゅろの葉の繊維で編んだ縄の十三、四ひろ(約十四、五メートル)も下る深さがありましたから、冬の水は温かく感じます。それを何度もかぶると、体や指先がポカポカしてくるので、そこでまた机に向かって稽古を続けたものでした。
 また、昔の書家は、木版の版下(印刷用に文字をきざむ版木に、はりつけてほるための文字の下書き)を書いたものですが、私も若いころによく書きました。もちろん修業を積み、先生に許されてから版下書きができるのですが、木版の版下はそれほど細かい字ではありません。細かすぎては版木に彫るのもむずかしいし、彫れたとしても刷るのがまたむずかしくなるからです。明治時代に入って木版に代わり銅版が使われ出しました。銅の板で造った印刷用の原版で、原稿を手彫りしないですみます。薬品で腐食させて作るのですが、今のような活字がない時代ですから、文字は書家が書かねばなりません。しかし、銅版は手彫りの必要がないからと、三ミリぐらいのごく小さな文字を書かされることになりました。もちろん、銅版の版下書きは値段が高いわけです。私はまだ少年のことですから、目に自信がありましたし、お金も多くもらえるので、進んで銅版の版下書きをしました。昼は学僕ですから、先生の用事も多く、時には先生の代りに子供の弟子へ稽古をつけることもしなければならなかったので、仕方なく夜の間に版下を書くことになります。今のような電灯はありません。魚油をともした行灯の薄暗いあかりで書いたのです。行灯は三方を墨で塗り、一方に光を集める工夫をしてはありますが、その暗いあかりで三ミリ以内の小さな文字を根気よく書いたわけですが、今考えると、よくあの様な仕事ができたものだと思います。
 書家になろうとする者は、大字は方一丈といって約三メートル四方、小字は方寸といって約三センチ四方に、千字は書かなければいけないと言われますが、大きな字を習うには普通の紙に書くわけにはいきません。そこで朝早く掃除をする時に、玄関の広い式台(玄関の上がり口にある土間)に、しゅろの葉で作ったほうきを水につけて書いたり、砂場へ行って竹ぼうきで書くということをよくやりました。そうすると、思い切って大きな字が習えたのです。
 また、昔の師匠は早起きの人が多く、日の出るころには起きて庭先の手水(手や顔を洗う水)を使いましたが、単山先生もその例にもれません。先生の屋敷には、差し渡し三尺(約一メートル)ぐらいの手水鉢があって、私ども学僕は毎朝、先生の起きる前に、それにいっぱい水をくみこんで用意しておかなければなりませんでしたが、それがなかなかいっぱいにならず、実につらかったものでした。冬の最も寒い朝は、手水鉢の底まで氷が張っているので、くんだばかりの井戸水をどんどんかけて、氷を井戸水の温かさで溶かさなければなりませんでした。それをどんなに寒い朝でも、はだしで、針のようにとがった霜柱をふんでしたものです。
 私が単山先生の門に入ったのは、明治二年で数え年九歳の時です。私は十二、三の時に先生について萩原秋巌の根岸の塾の新年会に行き、単山先生の揮毫の後で書いてみせましたが、その時の秋巌の顔を今も覚えています
 単山先生の代りとして、東京山の手に住む仙台の若殿(私より三つか四つぐらい歳下だった)のところへ教えに行ったことがあります。私も十代なかばで、お互い子供同志の遠慮のなさでの稽古ですから、先生が教えるより、私が教えた方がよく覚えるというので、その後たびたび代稽古をしました。単山先生も、もちろんそこへ、出稽古をすることがありました。
 こうして私は、十四、五歳まで先生のところで過ごしましたが、そのころから時勢が段段変わってきて、年二回の御礼が月謝となり揮毫料なども決まって、先生の家の収入は次第にふえてきました。ある時、先生がいつものように私に代稽古を命じて、熱海温泉へ二週間ほど遊びに行かれましたが、あいにく、私はかぜがもとで肺炎を起こし高熱を発してたおれてしまいました。心配した父母が私を実家へ引き取って看病してくれたのですが、先生が帰ってこられてそれを知り、ひどく怒って私の家へ来られ、「いやしくも師匠の代理をしておりながら、師匠の留守中に自分の家へ帰るとは何事だ」と言いました。私の父はカンカンに怒って、「伜が重病だというので連れて帰ったのがなぜ悪い」と言いましたから、とうとう二人でけんかになり、父は「そんなわからない師匠なら、もう行くに及ばん」と言い出しました。そのため私は住みこみをやめなければなりませんでしたし、父の怒りもしばらく続きましたが、その後また稽古に往き来するようになりました。
 明治五年に初めて小学校の制度ができて、これまでの私塾などがほとんどそのまま小学校になりましたが、単山先生の塾は、そのような小学校よりずっと高等なもので、普通の小学校の卒業生などに教えていました。私などは、先ず最初に草書を一字ずつ大きく書いてから、楷書を習ったものです。そうすると手がほぐれて、腕の回転が自由自在になるからです。
 私は十八歳の時に単山先生の塾をやめて、薬研堀(今の中央区東日本橋二丁目あたり)に書塾を開きましたが、やめる時は私の苦しい修業振りを理解していた植村蘆洲先生が同情して下さって、私の退塾に不機嫌な単山先生から私をかばってくれました。書家の高林五峰さん(父の高林二峰も書家で、菱湖の高弟達と親交があった)は私と同じ年齢ですが、私より三年前から蘆洲塾の門弟です」
【2015/01/04 02:44】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(承前回想)
 どうせ長くなるのなら、名のある先人のを転載する方が宜しかろう…とはただの方便。本当は劇団云々の記述を見て、福田逸「つくる会」元理事の三世代に連想が及んだ。後で検索したところ「民芸」とは無関係の様だが、祖父(幸四郎/秋湖)が書家でもあった件や、父(恆存)の稽古時期が逸先生の小学校入学と重なるらしい点も気になった(親子一緒に手習いしたのかしら?)。~秋湖は西川春洞の孫弟子で、幼少時の春洞は中沢雪城の門に学んだ。雪城と秋巌は共に菱湖の高弟で、春洞と単山はそれぞれの弟子にあたる。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_r_718.html
 明治中盤以後の「書き言葉」は楷書先習だが、それ以前は行書や草書を先に書いた。楷書は漢学塾でやる「読み言葉」の領分。楷書が読み書き双方の基礎とは限らないのに、今は先入観で過去を見る罠が教育で予め「植え付けられている」。…そんな昔時の懐疑心が後年、まさか「歴史問題」とも共振し始めるとは思わなかった。ここでは「草書の読める常識人」が非常識人となっていくプロセスが、他の歴史認識を交える上でも切り口の基準となる。その代わり「草書の読めない感覚が分からない」逆説的盲点もあるにはある。草書が読めなかった時期はどことなく余りに短く、当時の感覚/記憶はそれだけに薄い。
 苹の場合は小二の夏から書塾に通った。小四か小五の頃には半紙五十枚ほど。百枚書いて物足りず、行書に憧れたのは小六。初めて見た草書変体仮名交じり手本「東照公遺訓」がスラスラ読めた事に驚いたり、千字文の丸暗記を始めたり藤原鶴来『和漢書道史』(二玄社)等々を読んだりしたのは中二。高校入学を控えた中三の新年試筆は欧陽詢「仲尼夢奠帖」と王献之「地黄湯帖」の小字全臨だった。他の記憶は容易に出てこないが、「学童向け」の連載意義ならよく分かる。竹山には及ばずとも精緻な版下書きに感嘆、真似した後で芸術書道に手を染めるのが望ましい(高校で芸術科書道を学ぶ前に)。
 書塾の高校生は学童から一般の扱いに移る。やがて細字課題に王羲之「黄庭経」が出た。師匠は細字も懸腕法で書く人で、苹も当時それに倣った。肉筆の手本と似せて書くのは相応に難儀したが、手本が原拓から離れた「臨書の臨書」(又臨)だった所為か、相応に書きやすかった。より精緻に原拓を真似ようとする場合は話が別で、今度は懸腕法が苦痛になってくる。書きやすい提腕法や枕腕法は「怠け癖」と云えるか否か(明治期に輸入された廻腕法は趣味的なため論外)。江戸時代の史料が不足している分だけ、その辺については今も不安を抱えて居る。仮名方面で見られる懸腕の書きぶりが気になる(↓)。
http://musuidokugen.tea-nifty.com/makoto/images/2009/12/08/suikenleaf.jpg
 版下サイズの中でも特に小さな字を、支那では「蠅頭」に形容する。それを廻腕法で書いた清代書家が居たそうだが、頭から誇張と決め付ける訳にもいくまい。常人には無理だから伝説が残るのだし、同じ廻腕でも人によって差異がある(日本では日下部鳴鶴のが有名↓)。苹の師匠の懸腕法も黄庭経では臂を脇腹に付けて書いていたから、実質は提腕法に近かった。高校の師匠は臂を真横に突き出す「水平な」懸腕法だったが、小字には使わなかった。俯仰法で知られる比田井天来は先ず廻腕法で腕を鍛えた。最初から俯仰法で学ぶと悪弊が出るそうな。
http://www.shodo.co.jp/blog/hidai2010/2010/11/post-99.html
 版下は筆耕とも呼ばれるが、芸術書道から見ればかなり格下か時代錯誤と映るだろう。その筆耕に作品以上の執念を籠めると色々な問題点が見えてくる。卒業証書の仕事では点画の長さが取り沙汰された。「天」の横画は上が長いと信じている教員に古典の話は通じないので、同じ長さでごまかす様な例が沢山あった。楷書古典と比べて遜色ない出来映えを目指すと、この手の食い違いは避けて通れない。「令」の終画では欧陽詢のを少し誇張するなど、活字の形に配慮した工夫がないと文句が来る。そうした諸々を統一的に訓練できるヒントが版下にあった。活字に移行する迄の期間、細部に様々な工夫がなされてきた。
http://1000ya.isis.ne.jp/0236.html
 松岡正剛は「菱湖の書は現代に継承されてはいないのだ」と書く(↑)。この主語を「版下の書字技術は」と置き換える事も出来よう。支那の館閣体と日本の版下書法の違いは「仮名との調和」にもあり、読字/読書用の御家流や唐様は巷間実用の印刷技術に支えられてきた。この点を無視してきたのが肉筆/真蹟中心主義の唐様イメージで、他方では「御家流が顧みられなくなった」理由の一端をなしているかの様でもある。~とかく真贋の筋目は難しい。「真蹟を下るること一等」という言葉がある。真の中に贋が蠢く場合もあれば、贋中すれすれに真が宿る場合もある。
【2015/01/10 05:16】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



>できれば作品
>デジカメで写真
 「つくる会」東京支部板に画像投稿し始めた頃、迂闊に恥を曝した事ならあります。あの時は中国製の赤い便箋(原寸は天地19.6cm)に即興で書いたのをスキャナで取り込み、画像の左右を二度に分けて出しました(↓)。一応これで我慢していただきたく。挨拶か何かの機会あらば本人確認用に役立つ事もあるのではと、まだ実物は捨ててなかった筈。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_topic_pr_351.html
 これよりはずっと丁寧で数倍大きな字の、卒業証書の書き損じなら少しは手元に残ってますが総て生徒の実名(当たり前か)。またデジカメ、ケータイ、スマホの類には一度も触った事がなく、A4サイズより大きいのは出せない上、大抵すぐに反古となってます。生き残り(?)の殆どは人手に渡ってて行方不明。多分とっくに捨てられてるでしょう。
 セレブ奥様には早熟と映るかも知れませんが、昔の環境なら苹は明らかに水準以下です。幕末当時の筆記具は殆どが毛筆、識字は教養の初歩でした。生活に必要な寺子屋の草書は読めても、漢学塾の楷書は読めなかったりする。つまり「草書変体仮名交じり書記様式しか読めない」大人が存在する。そんな世代が「活字規範書記様式しか読めない」子供から字を教わると、「大人は字が読めない」と誤認する子供が大量に出現してもおかしくない。
 こうした識字史上の規範変化/断層を無視すれば、自ずと最悪の「ゆとり」書教育が出来上がる。以来百数十年間、子供の多くが「活字規範の字しか読めない」まま大人~老人になっていったのでしょう。義務教育で分数をやらなくなる時代、「分数の出来ない大学生」が昔の子供を早熟と見る様なものかしら。すると中学レベルと大学レベルの関係が顛倒し、経験上の異質性がいっそう際立って感じられるものほど過度に難しく見えてくる。

 もう一つ。~書に関しては当方内心、「作品」という外来概念に未だ納得できて居りません。「教養は作品だ」と言い切る様なもので、「文学は教養だ」の方がまだ足腰にしっくりくる。もしくは教養芸術から視覚芸術への変質が前提となるかしら。甚だしきは専ら他者の文学に寄生、あたら書の脳細胞が筋肉に近くなる(ここで連想…アニメ「寄生獣」第10話より↓)。筆を刀の様にぶんぶん振り回されたら、危なっかしくて仕方がない。
http://www.youtube.com/watch?v=qiJJg2t3YqE
 それにしても、何がどう転ぶか分からない。読者葉書を出したら届いた「出版ダイジェスト」二玄社特集号に、中高生が目を通したらどうなるか。夢中になると学校のが疎かになるけれど、後から思えば内容は(今の)大学レベルだったらしい。すると教育実習を二度やる結果になる。先ずは生徒の立場。次は実習生の立場。そこでやめときゃ教職クビにならずに済んだのかも。授業の追究は私塾/予備校の領分で、学校でやれば民間の営業妨害になる。ならばいっそ、塾が学校になればよい。…で、昔そうなったのが明治五年。
 公教育では相変わらずグローバル化が取り沙汰されてる模様。仮に拙稿を英訳すれば、専門用語などの扱いは一体どうなっていくのやら。漢字や仮名のあれこれを、横文字で説明するのはさぞ難しかろう。母語/日本語による「画像抜き」の説明工夫でさえ四苦八苦するばかりの身にしてみれば、よほど達者でないと務まるまい。書道畑にとっての英語/外国語は、変わり果てた母語世界を挟む分だけ余計に「翻訳の翻訳」の印象を強くする。

(以下、世間話)
 先週「朝生」録画を倍速で見てたら、竹中平蔵「正社員をなくしましょう」発言にビックリ。ネットでは大賑わいらしいし、こちらはこちらで2009年の書き込みを思い出したりして。~実は苹ちゃん、「WiLL」ブログのコメント欄で「正規雇用を法律で禁止する」案を出してたのねー。応対してくれたのは瀬尾友子ブログ係(?)で、今は産経で編集長やってるみたい。ただ…今回は発言したのが竹中氏って所に、なんとなく引っ掛かるものがある。あの時もしや、苹は間違った事を書いたのでは。少なからず不安になってきた(汗)。てな訳で当時のを休み休みor恐る恐る、慎重に読み返してまっす…(↓)。
http://monthly-will.cocolog-nifty.com/log/2009/01/post-3124.html
【2015/01/16 06:08】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]
8移民本、高斎単山、他(其一) ( 苹@泥酔 )
2016/08/03 (Wed) 20:49:34
●旧稿転載
 セレブ奥様ブログのコメント欄より(↓)。五分割中の一。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1720.html#comment



(愚痴の様なもの)
 アベノミクスの奏功が話題になった頃からか、それとも「すき家」の労働環境破綻が顕在化した頃だったか。巷では人手不足が問題視され始めた様子。…実際どうだろうか。人手は相変わらず余っているとしか思えない。正規雇用と非正規雇用の割合(?)を見る限りでは前者が余っており、後者はそうでない。つまり、足りないのは必ずしも「人手」ではない。必要なのは従来のそれと異質な、人手よりも下位の存在…すなわち奴隷だ。むろん正規雇用を非正規雇用と同質化する向きはあるが、この場合ともすれば正規雇用の方がいっそう奴隷らしく酷使され、非正規雇用は奴隷より自由(所謂「使い捨て」を含む)となりかねない。
 興味津々「奴隷制の復活」がどこから出てくるか観察していたら、露骨に打ち出したのが「イスラム国」だったのにはガックリきた。復活と云うより軟着陸なら、半世紀以上前~或いは戦前のアメリカで既に始まっていた筈。この辺を苹は先年「自由な奴隷」「自発的に奴隷がやってくるシステム」と表現した(「2013/09/21 20:53」稿など↓)。その前はユダヤ/シオニズム偽書(?)中の、所謂「経済的奴隷」にも言及した(「2009.04.21 (22:39)」稿など↓)。かてて加えてアメリカの反ユダヤ主義を勉強し過ぎたせいか、糞真面目かつ極端な形で実践しちまったのが第三帝国の面々だった(政権奪取前のヒトラーは自動車王フォードに魅了された)。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1520.html#comment
http://imoshiori.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7743504
 そろそろ古代奴隷制とも近代奴隷制とも異なる新たな奴隷概念を前提しないと、更なる進化形~例えば従軍慰安婦を性奴隷と言い換えるタイプの絡繰りが論理的に説明できなくなるのではないか。ここでは従軍慰安婦の有無と関係なく、先ず予感めいたスタイルの概念があって(潜在して)、それが性奴隷という「モデル」に膠着する。つまり「性」が「奴隷」状態に付随したり、「奴隷」概念を質的に特徴付けるのではない。むしろ「奴隷」概念の方が「性」を隠れ蓑にしながら、グローバルかつ「移民」状に自ら増殖/成長/進化していく。さもなくば「奴隷による支配」という新たな段階が未成熟なうちに、「移民」の正体をも無分別に暴露してしまうだろう。
 国家を根本から揺るがすものが突如、姿を変えて規模ありのままに出現したらどうなるか。反ユダヤ主義と反移民主義との歴史的相関は多分、国家と移民の双方に破壊的かつ平等なリスクを獰猛に迫るだろう。また移民が国家を内側から脅迫する時代、在米韓国人や黒人やヒスパニック系やイスラム信者達は銘々に薄氷を踏む事になる。それが一時は中国の戦略的利益となる目もあろうが、中国自身の多民族性へと倍返しされたら当然ただでは済むまい。言い換えるなら、依然「相互確証破壊」的なままであるがゆえの「より安全な冷戦」の始まり。…そんな迷惑な発想など、世界中の誰もが望むまい。「望まれない事」は「望む事」よりも純粋無垢な悪として受け容れられやすい。
 こう書くと極端かも知れないが、移民イメージがユダヤ化するためには「これから虐げられる」か、もしくは「今、虐げられている」かの様に演出する必要がある。「嘗て虐げられた」なら申し分ない。そこに「奴隷」というキーワードが役立つとする。差し詰め捕囚は強制連行。それらを中韓が日本に見立ててアメリカで宣伝する。当のアメリカでは黒人が暴動を起こしたりするが、あちらに現代の強制連行はない(らしい)からピンとこない。ただ差別だけが水面下で郷愁のごとき歴史認識と資本主義とを混ぜ返す。純然たる差別撤廃をグローバリズムの担い手達が仕組む時、「強制連行なき移民」と「自由な奴隷」は素性を超えて繋がり始める。
 もしアメリカでも本格的に、「反‐移民」の動きが中韓出身移民への牙を剥き始めたら、ユダヤ団体が今後どう出るか興味深い。ホロコーストの種は中国側にもある。にもかかわらず中国人はアメリカに逃れ、そこで中国を愛国的に代弁/擁護したりもする。ここに「自由な奴隷」のエッセンスが凝縮されている気がしてならない。勝者になりたい者が「移民の国」アメリカにやってくる。だからアメリカは「勝者の帝国」であり続けねばならない。また、敗者なき勝者は敗者を欲望する。そこが隣国と似通っているかの様でもある。日本だった韓国は大戦中、日本と戦った事がない。そこで韓国系アメリカ人は勝者の立場/国籍を後から掠め取りつつ、アメリカの特権的ユダヤ性を模倣する。
 これらの観点も含めて、新刊の移民本を読んでみたい。が、巡回先の店頭には未だ並んでいない。当方そろそろ痺れを切らしつつあるけれど、あからさまな記録が残るだろうから、なるべく注文はしたくないんだけどなあ…(泣)。
【2014/12/09 00:59】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(備忘録)
 先夜「正規雇用を非正規雇用と同質化する向き」について、かなり控え目に書いたつもりではある。それにしては後の全部が奴隷云々、見方次第では過激かも(汗)。~もっと率直な遣り取りを2chで見つけた(↓)。良くも悪くも、大いに参考となる。
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1418455572/l50
 他にも幾つか覗いたところ、三橋貴明ブログで気になる記事を見つけた。以下「先進国の問題 ~フラット化する世界~」(2014-12-07 06:42:52)より、後半を抄録する(↓)。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11961563752.html
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>『先進諸国の賃金横ばい、国際労働機関が警告
http://www.afpbb.com/articles/-/3033519
> 先進諸国で賃金が上昇せず、さらに一部先進国では賃金が低下さえしており、金融危機以後の経済成長を抑制しデフレの危険性を高めていると、国際労働機関(International Labour Organization、ILO)が5日、警告した。
> またILOは、結果として生じている格差に対する税や福祉での対策が不十分だと述べ、各国政府に対し最低賃金の導入または引き上げと、団体交渉の強化などの措置を取るべきだと提言した。
> ILOが2年に1度発行している「世界賃金報告(Global Wage Report)」によると、金融危機以前に約1.0%上昇していた先進国の実質賃金平均は、2012年にわずか0.1%の上昇で、13年も0.2%しか上昇しなかった。またギリシャ、アイルランド、イタリア、日本、スペイン、英国では、2013年の実質賃金は07年レベル以下まで低下した。
> 対照的にアジアでは賃金が上昇。その結果、世界の賃金平均は12年に2.2%上昇、13年に2.0%上昇した。金融危機以前の3.0%からは低下した。
> ユーロ加盟国に対する国際的な救済措置では、賃金カットが主要な要素となった。また欧州中央銀行(ECB)のマリオ・ドラギ(Mario Draghi)総裁は先週、ユーロの成長強化のために賃金カットを呼び掛けていた。しかしながら、ユーロ圏の物価上昇率が極めて低いことが、長期的な低成長をもたらす恐れがあると懸念する声も出ている。』
>
> すでに、日本の実質賃金はリーマンショック前の水準を下回っています。(本当にそうなのです)
>  経済学者は「実質賃金が下がれば、企業が失業者を雇用する」と主張するでしょうが、経営者の立場から言わせてもらえれば、実質賃金や「実質金利」がどうであろうとも、
「仕事が十分になければ、人材は雇用せず、設備投資も拡大しない」
>  のが真実です。
>
>  また、実質賃金が下がれば「国際競争力(グローバルな価格競争力)が高まる」と反論されるかも知れませんが、何が悲しくて日本の労働者が中国の労働者とガチで賃金切り下げ競争を繰り広げなければならないのでしょうか。日本が「底辺への競争」に巻き込まれた場合、国民の賃金水準は下がらざるを得ません。
>
>  日本国民が中国人民と「賃金切り下げ競争」をすることが、果たして本当に正しいのでしょうか。(日本国民にとって正しいのか、という意味です)
>
>  結局、問題は「国内の仕事」「国内の需要」が不十分であるという話です。国内の需要が不十分とは、「=潜在GDP-名目GDP(総需要)」で計算されるデフレギャップが拡大しているという意味で、実際に拡大しているのは昨日のエントリーの通り。
>
>  十分な仕事、十分な需要が国内に存在すれば、実質金利の低下は設備投資を活性化させるでしょうし、経営者は「少し高い賃金」であっても、人を雇用するようになるでしょう。すなわち、実質賃金が上昇に転じます。
>
>  「底辺への競争」は、先進国共通の問題です。「政府が財政出動で、十分な仕事、需要を創る」という正しい解決策を講じなければ、先進国の賃金水準が後発国に近づき、「世界はフラット化する」ことになります。そういう世界を、日本国民は望むのでしょうか。少なくとも、わたくしは真っ平御免でございます。
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【2014/12/13 20:11】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(またまた備忘録)
 先夜、「むしろ「奴隷」概念の方が「性」を隠れ蓑にしながら、グローバルかつ「移民」状に自ら増殖/成長/進化していく」と書いた。
 移民を云々する上で奴隷概念を経由すると、却って奴隷概念の方が「移民とは異なる概念」として切り離されていく面もあるだろう。例えば「性奴隷」の場合は概念分類上で隔離される特徴=強制性ゆえに、移民(性産業の出稼ぎ移民を含む)との関与/重合が原則的には否定されてくる様な。すると下記事例の場合、外国人労働者(移民を含む)の奴隷性もまた意識/常識に於ては否定される事にならないか。韓国人にとって奴隷と云えば、厳密な意味で「強制連行と性奴隷」。そのどちらにも該当しないがゆえに、外国人労働者は奴隷ではない(決め台詞は「日本人のやった事に比べれば」?)。
http://www.sankei.com/west/news/141217/wst1412170002-n1.html
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>2014.12.17 11:00更新
>【経済裏読み】
>また“不都合な真実”韓国の外国人労働者への“ブラック”ぶりに仰天…アムネスティも激怒
> 不都合な真実が、またひとつ明らかになったのだろうか。非正規雇用と正社員の待遇格差が社会問題化している韓国だが、肉体労働に就く外国人労働者に対する仕打ちの厳しさは尋常ではないようだ。国際人権団体アムネスティ・インターナショナルが、「韓国の農場で働く外国人労働者が蔓延する虐待の犠牲になっている」と警告したのだ。日本より稼げるとの期待から東南アジアの労働者を中心に人気のある韓国。その現実は決して甘くはない。
>
>殴打…理由は野菜の切り方が悪い
> アムネスティが10月下旬に公表した報告書。そのタイトルは「Bitter Harvest」(ビター・ハーベスト)。苦渋、厳しい、つらい収穫といった意味だ。韓国の農場で働く外国人労働者に対して行った聞き取り調査の結果をまとめたもので、リアルな労働現場の一端が浮き彫りとなった。
> AFP通信は、25歳のカンボジア人労働者のケースを紹介した。
> 自分が雇い主から殴られている様子を撮影した携帯電話の録画映像を持って、政府機関に飛び込んで惨状を訴えた。だが「キャベツの切り方を間違えた自分が悪い。早く帰って雇い主に謝るようにいわれた」という。
> 労働環境の改善を求めようとした労働者が韓国政府当局から妨害を受けているため、報告書は政府がある程度関与している可能性さえ疑った。
>
>虐待の連鎖、韓国人は耐えられるか
> 韓国にいる外国人労働者25万人のうち、2万人が農業に就いている。カンボジアのほか、ネパールやベトナムなど東南アジア出身者が多くを占める。
> 外国人労働者に対する暴力だけでなく、長時間労働や拘束的な扱い、脅迫まがいの対応が横行。AFPによると、アムネスティで移民人権問題を担当する調査官が「もし韓国人が同じような虐待の連鎖の中に追い込まれたならば、間違いなく激怒の声を上げる」と指摘したほどだ。
> 報告書が問題視しているのは、韓国の「雇用許可制度」(EPS)と呼ばれる制度だ。
> EPSのもとでは、外国人労働者が転職する際は、雇用主がサインした解雇証明書が必要だ。これが過酷な労働の温床になっているとみている。仕事を変えたくても簡単にはできない仕組みが韓国の雇い主を増長させる環境を生みやすいからだ。
> ちなみに日本で「強制労働」の違反に対して、労働基準法で最も重い法定刑が課せられているのも、国際社会が認める基本的人権を守るため。民法上は、労使対等とされていても、実質的には弱い立場にある労働者を保護するための特別法として労働法は整備されてきた経緯がある。
>
>「非道な扱い」韓国政府は否定
> 英紙フィナンシャル・タイムズ(FT)もアムネスティの報告書を取り上げた。
> 報告書の指摘について韓国政府が「否定」していることを伝えたうえ、高齢化により外国人労働者への依存を高めていかざるをえない国での移民問題としてとらえた。
> 韓国の雇用労働部は、労働者の権利を強化するため、これまで継続的に規制を変更してきたと主張。EPSの就労許可は特定の雇用主との「契約」に基づいているとの立場を説明したという。
> ただEPSは、2004年に、低賃金労働者の確保で苦労している小規模事業者の支援策の一環として導入された過去がある。背景にあるのは労働者不足だ。韓国の外国人労働者は貧しく、韓国人がやりたがらない仕事に就くケースが多い。
> 経済協力開発機構(OECD)によると、高齢者人口に対する生産年齢人口比率は、2010年は6倍だったが、50年には1・3倍にまで縮小する見込み。出生率が極めて低く、人口構成の変化が移民の大量に受け入れの呼び水になりえる。韓国は海外志向が強く、若くて優秀な人材が韓国を出て北米に移住したり、働きに出ることが多いことも、人材難に拍車をかけている。
> 一方で11月には韓国と中国が自由貿易協定(FTA)で実質的に合意。聯合ニュースによると、コメや牛肉など主な農水産物を開放の対象から外すことができたが、それでも、農水産物輸入額のうちFTA締結国分が占める割合は64%から80%にまで高まる。このため、韓国の農業の競争力の低下が懸念される。
> 経営が苦しくなった農家は人件費の安い労働者への依存を強めかねない。自国の労働現場を支えるために外国人労働者をもっと増やしていくなら、待遇のあり方が議論の的になるのは必至だ。
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【2014/12/19 21:13】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(続き)
 先夜さりげなく(?)「反ユダヤ主義と反移民主義との歴史的相関」に触れた。ここが勘所で、ちと大袈裟かも知れないが、ともすれば件の移民本が「反ユダヤ主義の復活」を目指すかのごとき「日本型ネオナチ」本と位置付けられる可能性もなくはない筈。そうでないだろう事は雑誌初出稿の方から汲み取れるけれど(新刊=移民本の方は未入手)、反ユダヤ主義が戦前世界のリアリティを生々しく宿していた当時とて、反移民主義が反ユダヤ主義を内包していた事に変わりはあるまい。すると対極にあるのが反差別なのは誰でも分かるのに、どうした訳か苹には今や、そこの所の印象が「不覚にも、薄い」。そればかりか従来以上に、頭の中では反移民と人種差別とがごく自然に融合してしまって居る。この点、一面では興味深くもあるが…困った。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1501.html#comment
 史料の記述を真に受ければの話だが(「2013/07/25 21:18」稿の後半参照↑)、嘗てヒトラーが問題視していたのは「民族」の方だった。これを解決するための新たな政治的/栽培的概念が「人種」らしい。それどころかヒトラーは、科学的意味における「人種」の存在を全く信じていなかった。してみると反移民は民族問題の範疇にこそあれ、人種差別とは縁もゆかりもなかった事になる。或いは「人種」概念と反移民の結合自体、差別へ向かう触媒となった可能性も考えられなくはないが、この場合アメリカ人やイギリス人やフランス人やドイツ人の中に居る「同じ人種」(!)の糾合を目指したヒトラー思想は、今の硬直的な「人種」イメージから見れば不可解な妄想でしかなかろう。意味が時代の推移に伴い歪められているのは、むしろ「人種」の方かも知れない。
 従軍慰安婦と性奴隷の同一視にも、それと似通った構図が垣間見えるのでは。民族問題に浸潤する文化や伝統の齟齬ではなく、概念や印象を操作する上での「仕組まれたジャルゴン」について。…民族と人種の何が違う?…慰安婦と性奴隷の何が違う?…そんな「理解の定型」を政治的に敷衍したプロパガンダに、術語の方が巻き込まれ振り回されているかの様な。現実は過去そのままに動かずとも、解釈の方は時分勝手に揺れ動く。そもそも「プロパガンダ」自体が長らく聞かれなかった死語もどき(?)で、その「古めかしさ」たるや戦前/戦中気分に満ち溢れている。忽ち陰謀論のニオイが漂ってくるのは致し方ないにしても、デマゴギーへの言い換えまでもが古びた昨今、更なる古色に惑わされる現実隔離/逃避の効果は流石に否めまい。
 歴史の遠さに惑乱されると、過去の移民と現在の移民との比較検討に支障が出る。此度の移民本は現在のを扱っている様なれど、いったんヒトラーの模索と失敗を省みる切り口を交えてみるのも無駄ではあるまい。~いづれにせよ本書に対する誤読や曲解、イチャモンの類は予め「願い下げ」でござんす。(←だから…大袈裟、杞憂だってば?)

(以下、移民本ネタの仕切り直し。)
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1488
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1489
 こちら(↑)に続き、そのうち「日録」にも載るのかしら。…取り敢えず備忘録。
http://www.sankei.com/life/news/141213/lif1412130026-n1.html
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>2014.12.13 11:52更新
>【編集者のおすすめ】
>『中国人国家ニッポンの誕生-移民栄えて国滅ぶ』 真剣に総合的に移民問題考察
> 「中国人国家」とややセンセーションなタイトルをつけたのは、政府が推進する“移民政策”の本質を、人ごとではなく自分自身の問題として真剣に考えていただきたいためである。会社や学校や近所が中国人だらけになり、日本語だけでは就職も生活もできなくなる社会を、望むひとはいないはず。
> 移民問題に対し四半世紀まえから警鐘を鳴らし続けている西尾幹二氏を中心に、移民政策の本質は中国人問題であると喝破した関岡英之氏、外国での移民の失敗事例を紹介した河添恵子氏、坂東忠信氏は外国人犯罪の実態を明らかにし、三橋貴明氏は経済政策としての矛盾点を突き、河合雅司氏は少子高齢化問題の深刻さと移民政策では人口減少が解決しないことを説く。一冊で移民問題をこれだけ総合的に論じた本はないだろう。
> 本書は上記6氏がパネリストとして登壇した産経新聞の雑誌『正論』が主催したトークライブ「日本を移民国家にしていいのか」を元に、『正論』にも一部紹介された原稿をほぼノーカットで再編集した(第一部)。各氏が用意した図表やデータや写真も盛り込み、ナショナリズムをあおるのではなく、客観性を追求している。
> また第二部の論考集では、トークライブでは言及できなかった論点にも踏み込んだ。
> 移民反対を外国人差別とする論調に惑わされることなく、反対に国民に対し冷酷に差別助長を要求するのが移民政策の正体であることを知ってほしい。(西尾幹二編/ビジネス社・1200円+税)
> ビジネス社編集部 佐藤春生
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【2014/12/24 00:18】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(承前~年末進行の独り言)
 こうして西尾本~関連の移民本について、まだ読んでも居ないのに云々するのは如何にも不作法、気が咎めなくはない。が、内容に言及しているのではないし(雑誌初出稿を除けば「抑も言及できない」)、寧ろ想像を膨らませて「読む準備を、私なら」てな切り口で敷衍しているに過ぎぬ。要は感想でなく期待。もし正真正銘の読後感想が「日録」に載ったなら、更なる期待の膨らませ方がもっと面白く試せるに違いない。いづれにしろ書店に並んで居なければ入手は年明けになるだろうが、実物を読んだからと云って感想がポンポン出てくるものでもない。何を読んでも、先ずは戸惑いを見つける事。共感してもしなくても、そこで仕舞いにしては思考停止と大差なくなる。あたしゃ戸惑う読み方こそが、書物と読者の双方を一方から自由にすると思って居る。
 …ところで、西尾先生は時に面白いキャッチフレーズを繰り出す事がある。これまで読んだ中で最高傑作と思った表現は、対談中アメリカ絡みで飛び出した「闇の宗教」発言だった。あれには宮崎哲弥氏も田久保忠衛氏も仰天してたし、『諸君!』誌の掉尾を飾るに相応しい名文句だと思った。…あれから何年経つだろう。この程度の感想ですら、書くまでには相応の時間がかかる。より正確には、「何故そう思ったのか」を自己咀嚼するための時間が要る。その一環/文脈に前掲の、アメリカにおける反ユダヤ主義なども絡んでくる。感想と解釈は紙一重なのに、どちらに偏り過ぎてもいけない。しかと両者を峻別できるだろうか。別種の角度では、主観と先入観の様に。そんな所にも戸惑いはある。曖昧で無限な意識の階調がある。だから読書は面白い。
 さりとて他方では、人によって「書いてはいけない」表現もあるだろう。例えば苹のよく遣う言い回しには色々な癖が滲み出るが、他の方々の言葉としては相性が悪かったりして。中でも「皺ひとつない脳味噌」なんてのがアブナイ。もし先生が一度でも遣おうものなら、誤解と心配と見舞いの束が瞬時に殺到するのでは。早とちりする人は認知症の介護施設紹介…畢竟「年齢ならでは」の話になるってこった。そう云や似通った筋でドキリとさせられた「日録」稿があったっけ。六年前の「私の墓」稿(↓)には「新年早々、なんて事を書くんだ!」と肝を潰したもんだ。或いは先生、アレで周囲の反応を観察したのかも。苹の場合は、いつの間にか先生を老人扱いしていた事に気が付いた。先生も「唐突に過ぎた」と思ったのかしら、あの時すぐに冒頭の数行を追記してた。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=775
 その三年後、先生は新年を斯様な具合に書き初めた(↓)。こちら今度は読む側にも免疫が出来ているから、余程の事がない限り驚いてなんかやらないゾと。当時そう身構えて読んだ訳ではないが、後から思えば…との「ささやかな時間超越」を訓練する上で、少なくとも苹にとっての「日録」は恰好の場へとスクスク育ち続けて居るのかも知れない。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1130
 以上、振り返れば謹賀新年「日録」史。次はどうなるものやらと、たまには年末から期待を寄せてみるのも一興だろう。…と書いてはみたものの、実は前々から気になってるのがセレブ奥様の旅行なのネ。あれって、事前に新年稿を準備してから出掛けてるのかなあ。だとしたら、今こう書いても既に「手遅れ」って事になる訳だ。今回は「セレブな奥様ニューヨークへ行く」んだそうな。(…ん?…四半世紀前の映画連想↓)
http://www.youtube.com/watch?v=j3A-47wG5uY
 冗談めいた悪態ひとつ。~北朝鮮の映画館テロはシャレにならないんで困るけど、地下鉄の巨大ネズミ(元ネタ↓)になら、いっそ敢然と囓られて(?)しまいなされ。…でも先年フランス旅行を西尾センセから「無謀」(「2013/09/28 23:29」稿)と評された前科のある奥様ならば、逆に大和魂で囓り返しそうな妄想こびり付いてて却って安心?
http://www.sankei.com/premium/news/141227/prm1412270009-n1.html

(以下余談)
 坊主がウチにやってきた。爺様の仏壇の魂入れ。空きのある日はクリスマス・イヴだったが他にも予定があるそうで、何も食べずに風のごとく去って行った。(…師走だなあ。)
 その後、書店で年末進行の『WiLL』2015.2号を見かけた。買うのは『正論』が出てからにする予定。ただし少しだけ立ち読みはした。すると西尾先生達が審査する懸賞論文の募集が載っている。苹は一瞬、カネに目が眩んだ。もし私が書いたらどうなるか。…で、その夜いつも通りの泥酔モードで試しに書き出してみたら、ものの見事にテーマから外れている(↓)。それを無理矢理「こじつける」のが苹の真骨頂とも、また反則技とも云える。しかしどのみち表に出せる訳がない。苹の素性がばれてしまうではないか。
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> 「さあ、書道を始めよう。」…何故じゃ。誰がじゃ。どうしてじゃ。
> 敗戦で日本は占領され、武道も書道も軒並み教育禁止となった。以来なぜか教育界は及び腰で、高校書道教員採用試験は全国どこでも滅多に実施されない。中でも東京都は徹底して居て、都立は無試験教員が担当する「しきたり」らしい。指導主事ゼロ、専任と兼任が各一名、残る百三十数名は総て非常勤講師。これが帝都の誇る「伝統文化の尊重」とは恐れ入る。義務教育の国語科書写も必修化は昭和四十六年(告示四十三年)で、つまるところ四半世紀の空白期に育った書文化音痴が後の教員を拡大再生産する訳だ。正しい筆順は教えても、正しさの根拠までは教えない。「文部省の手引きに書いてあるから」では九九の丸暗記みたいなもので、同時に足し算や引き算を筋道立ててやらなきゃ駄目。そこを出鱈目な九九同然に読み書きするから、昔の字が読めない。
> 平成二十五年の講書始で中野三敏・九州大学名誉教授が「江戸文化再考」を御進講した通り、読めない遠因は明治三十三年にある。以後、草書や変体仮名は世間から失われ続け、戦後になって途絶えた。敗戦の頃に生まれた某高校事務長は世紀末、年賀状の「元旦」が「うんこ」に見えると笑った。くずし過ぎたか翠軒流。菱湖流ならよかったと反省したが、誰でも書ける字を書くのは恥ずかしい。だから書家は書けないのではなく、書かない。相手が読めないと決めてかかるのも習い性で、実用書道と芸術書道の間を教育書道が老人の様に徘徊する。…老人文化の回春は難しい。少子高齢化の特徴を、書道界が半世紀は先取って居る。朝日新聞は日展問題を大々的に報じたが、日展トップは朝日二十人展のお歴々でもある。戦前世代から戦後世代への若返りで、日展書道は共産中国に接近できるのではと勘繰ってもみた。
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 …結局は旧稿の焼き直しになる。こりゃアカン。註の扱いも気になる所で、下手すりゃ本文より長く…いや、そこまで突っ込まなくてもいいだろ。勿論これまで書かなかった事にも触れとかないと。が、そうした事はネット上でも書ける。帰りなん、いざ。
 察するところ、学校教育の目的は日本文化の撲滅=国際化にある。かつ、それを目的と自覚しないまま進歩=国際化を追い求める。つまり日本文化撲滅と進歩は別物でありながら、国際化を目的とする点では同一となる。そこに役立つのが移民政策。嘗て日本は近代教育の黎明期に外国人教員を招聘したが、その効果は分裂的に承け継がれた。一つは教育内容の国際標準化指向(日本基準無視)。一つは教育成果の国際化指向(教育移民から労働移民への変質/進歩指向)。ここでは文明開化以来、教育条件(シニフィアン?)の英語化と教育内容(シニフィエ?)の非日本化とが夢想の中で予定調和している点に目を向けねばなるまい。
【2014/12/27 23:21】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
8じさまが、しんだ。(其四) ( 苹@泥酔 )
2016/06/27 (Mon) 20:39:03
●旧稿転載
 セレブ奥様ブログのコメント欄より(↓)。四分割中の四。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1679.html#comment



>御尊父の御逝去に際し、謹んで哀悼の意
 キルドンム様、有難う御座います。こちらは年齢で老人を爺様や婆様と呼び、続柄には触れない様にしてきたつもりだけど、さすがに今じゃ当時の「あたしゃ女子高生かもよ?」は通用しないんだろうなあ(苦笑)。九十叟の子なら単純計算で七十から四十、孫なら五十歳以下で幅が出る…マア、十年あれだけ書き続けてりゃ概ねバレバレか。それにしても、産経で見た本のタイトル『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』にはギョッとさせられた(↓)。男に廃れた日本男児(←過去の幻影?)とは場違いの感覚があるんだなあ。
http://www.sankei.com/life/news/141025/lif1410250025-n1.html
 年齢や顔や仕事で人を判断するのが世間なら、そうした余地を削ぎ落とした匿名性が却って人を裸にすると、時に相手は戸惑うかも知れない。言い訳がましく、見苦しくさえ思われるかも知れない。その危険と恐怖を内心ずっと抱えながらネットに入り浸ってきました。追放された者の遠吠えが虚空に消えていく。消すまいと藻掻き続ける(天バカ板)。見知らぬ誰かの目に留まる「無私(馬の骨?)の幻影」が仄めくさまを妄想する所に、夢の夢たる所以がある。そんな墓の中から語りかけるがごとき書きぶりを、以前キルドンム様は「痛々しい」と感じられたようでした。あれは確か、バルトークの歌劇《青ひげ公の城》に出てくる「夜になった…」との呟きを引用した時の事。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1384
 遠藤浩一先生の時、西尾先生は「葬儀は執り行われないというのでどうしてよいか判らない」と書いてましたっけ(↑)。身内だけでひっそり済ませたのかしら。だとしたら当方も同様で、まだ隣近所は知らない筈。葬儀屋のホールで全部を済ませるべく、前々から葬儀屋に積み立ててました。もう一人も積み立ての最中で、老婆は一日にしてならず。
 書道の師匠(の身内を含む)が逝去した時は、どれも沢山の人が来てました。ああなると困る。葬儀費用に圧迫される。東京から大物が来た日にゃ田舎感覚とは桁違いの金額だったりするから、金銭感覚もグローバル化(←大袈裟?)を余儀なくされる。それも高額化する方向で。安くはならない。…貧民化の可能性を、グローバリズムは無視しているのではないか。大きなグローバリズムは夢物語に近い面があるものの、極小のグローバリズムは地域破壊の形で昔から現前し、かつ別の言葉に言い換えられている(隠蔽?)。

(以下余談)
 爺様が逝く数日前、こんなのを書いてました。
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> 余計なのを書くと碌な事にならない。後で気分がドッと落ち込む所からすると、たぶん躁状態でやらかしてるのだろう。書く気分と読む気分の時差が責め苦と化すものの、文字言語の推敲機会は、ともすれば取り返しの付かぬ音声言語と決定的に異なるのも確か。ただし可能な限り文章を彫琢しようとするにも限度はあり、分相応の量より多くても少なくてもいけない。~気鬱を紛らわす魔法の呪文を見つけた時は本当に嬉しかった。冒頭(↓)こんなのが延々と続く。Es war einmal..... Es war einmal..... Es war einmal.....
http://www.youtube.com/watch?v=iJZDoaVHkhw
> ドイツ語が分からないから効果がある。日本語では無理。見慣れただけの既視感は、意味不明のままで構わない。そこが有り体「お経と似ている」。あれは音楽、声明(しょうみょう)なのだ。分かる事から切り離された世界を仮に芸術と呼ぶなら、筋違いも多分その範疇に入るのだろう。
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 無意識に、何かを予感でもしていたのかな。
【2014/10/26 13:01】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



>謹んで哀悼の意
>気が付かなくて、ごめんなさい
 いやぁ、却って恐縮。だって、気付かなくても不自然ではない書き方を工夫したかったんですもん(優しい奥様に感謝、大成功!)。月曜お骨になった爺様はホヤホヤと香ばしくて、お手々ぷるぷる振戦の婆様と一緒に拾いましたわい。

(備忘録)
 以下は「2014/10/05 03:20」稿、末尾リンクとの絡みにて。
http://www.sankei.com/column/news/141027/clm1410270001-n1.html
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>2014.10.27 05:01更新
>【正論】
>「基礎学」軽視の趨勢を憂慮する 東京大学名誉教授・小堀桂一郎
> 本年度のノーベル賞物理学部門の受賞者が三人の日本人学者であつたことは、掛値無しにめでたき事件であり国民一同で祝福を献げたい朗報であつた。只、世の如何なる慶事にも探せば必ず陰の側面は見つかるものである。仮に一点の翳(かげ)りも無い浄福の事態が実現してゐるとすれば、そこには常に、ではこの至福がいつまで続くのか、これが過ぎた後はどうなるのか、といつた不安がつきまとふのが諸行無常の此世の宿命である。
>
> ≪荒馬の様な創造の才育つか≫
> 此度日本の学問界に生じた慶事の場合にも、極めて虚心にこの栄誉に向けての祝意を表したいと思ふ感情の裏面に寄り添ふやうにして一抹の憂慮が浮び出てくる。それは右に記した連想の系ともいふべきもので、この後に続くだけの力を有する研究者は育つてゐるのだらうか、との疑ひを抑へることができない、その事である。
> 何故この様な不吉な予想を敢へて筆にするのか-。今回受賞の栄を得たお三方の研究者は、世代の点から言へば我国の大学の教育研究体制が、その基礎部分に於いてなほ十分の安定と充実を保つてゐた時代にその修業時代を卒(お)へられてゐる。中で米国在住のお一人は、企業の研究体制の在り方に強い不満、といふよりは言葉通りの怒りを抱いて海外に去つた、所謂(いわゆる)頭脳流出の悲劇を地で行つた方の様であるが、それもその人の研究能力の充溢(じゅういつ)が企業体の有(も)つ包容力を遙かに超えてゐたからである。
> この世代の人々までは、我国の大学はさうした荒馬の様な創造の才を抱いた人材を育てるだけの教育力を有してゐた。それは基礎学の充実といふ堅固な基盤があつたからである。基礎学といふ表現は自然科学のみならず、人文科学にも社会科学にも適用すべき概念であつて、人文・社会系の学問の場合には教養と呼び替へてもほぼ間違ひはない。高度の先端的研究の芽を高く伸ばしてゆくには、先づこの基礎的教養の裾を広げ、地盤を強固にしておくことが不可欠の条件なのであるが、現今の大学の教育体制の中で最も憂慮すべき弱点がこの基礎学の軽視である。
>
> ≪教育研究職の余裕のなさ≫
> この傾向は、既に20年近い昔のことにならうか、大学院の重点化といふ形での大学の制度改革が進行し始め、国立大学が独立行政法人といふ経営形態を強ひられる様になつた頃から特に顕著になつた。簡単に言ふと教育予算の計上に経済効果を要求する事で、更に乱暴に言へば実益を生じ得る学問には金を出すが、投資への見返りがいつ生じてくるかわからない様な息の長い研究には予算をつけないといふ、近視眼的教学経営が現実に幅を利かせる様になつた。
> 実を言ふと、今回のノーベル賞受賞研究が、基礎理論の部門に対してではなく、実用的な技術開発の成果に対してであつたといふ事についても、此が又基礎学軽視の風潮を助長するのではないかとの危惧を覚えるとさへ言ひたい。
> 夙(つと)に現役を離れた身ではあるが人文系の学問の分野で現在の大学の教育・研究体制がどの様な状況になつてゐるか、見聞の機会は多くある。第一に挙げなくてはならないのが教員の負担過重である。制度改革以前には事務職に任せることができた多量の事務処理が、人事面での予算の削減故に単純に労働力の不足となり、その分業務は教員の負担にかかつてくる。そこから来る時間の不足は、教育上の手抜きは許されないから、結局教員の研究時間を侵蝕し、殊に若手の研究者を阻害する。その余裕の無さは又端的に研究業績の不足となり、それが若手研究者にとつては就職や昇格への障礙(しょうがい)となつて彼等を心理的にも圧迫する。之に加へて天下周知の少子化傾向、諸大学の経営規模縮小の動きはそのまま教育研究職のポストの減少、所謂就職難として表面化する。
>
> ≪将来考え学燈絶やすな≫
> かうした現象の結果として、教育研究職といふ卒業後の進路は、学部後期課程に在籍する学生にとつて要するに定職に就ける可能性の低い、危険な選択といふことになる。自然科学系の学生の場合は大学に残らなくとも、企業等の研究所に入つて専攻の研究を続けるといふ途が開かれてゐるが、文系の研究者にはその様な融通性を望めない故に、仮令(たとい)内心に学究への道に進みたい希望はあつても、生活の必要を考へて可惜(あたら)大学に残らうとはしないといふ傾向が強い。
> 有能な人材はどの分野に於いても優にそれなりの能力を発揮できるのだから、広い社会的見地から見ればそれでよい様なものの、ここで筆者が憂慮に堪へないのが文科系基礎学の将来である。昔から文学部には学生の数よりも教授の方が多いといふ様な専攻者の稀少な学科はあつた。只国立大学といふ性格に守られてゐる故にそれらの学燈の絶える恐れはなかつた。現在の体制ではさうした学科は採算のとれない学問として容赦なく切り捨てられてゆくのが既に趨勢(すうせい)である。我国の学問の将来といふ大所高所から見て、地味な古典学の如き基礎学の軽視は実は甚大な危険である。今回の慶事に際し敢へて此事を一言しておく。(こぼり けいいちろう)
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【2014/10/28 00:17】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(補記~心残りの「日録」稿)
 睡眠中ふと思い出した、青森県で最も有名なCM(↓)。
http://www.youtube.com/watch?v=YYC0sT_PZNI
 「陸軍大将たあちゃん」については、こちら参照(↓)。
http://www.netprice.co.jp/netprice/library/goods/328768/
 所在不明で気になっていた「日録」稿が見つかった(↓)。西尾先生の葬式…じゃなくて(そうでもないか)、タイトルは客観的に「お葬式と香典」。再び読めて嬉しい。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=681
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> 私と似た仕事をしている学者の知友の場合には、葬式がなかった。遺族が身内だけで葬儀をすませ、初七日を過ぎてから訃報を伝えてきた。最近よくあるケースである。取り付く島がない。
> 友人知人にも鎮魂の機会を与えるために葬儀がある。香典だけ送る、という手もあるが、それは好ましくない。自宅にバラバラに出向いてお焼香をするというのも、遺族への遠慮がって限りがある。どうして普通の葬式をしてくれなかったのかと私は遺族に不満を持った。
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 西尾先生にとっては「普通の葬式」でも、そうある事を許されない場合が県民の大半に及ぶとしたら。…こうなると厳しい。善意や追悼意識が地域ぐるみの差異をなし、衝突する場合が往々にしてあり得る。大枠では結束可能だとしても、バラバラのそれが思想や原理でなく地域の習俗に組み込まれているなら、結束の仮面を被った偽善性(?)を「さも統一体であるかのごとく」率いる隙間に付け込む余地は、日本人ならずとも誰にだってある。要は日本人の仮面を被れば、万人が市民連帯意識を共有するかのごとき無化作用の下、日本人(地域民)でさえも敵国人と同様の振る舞いに達する事が出来る。
 わざわざ大仰に捉える必要はないかも知れない。田舎感覚では遠路はるばる贅沢な話とて、都会ならさほどでもなかったりするのだろう。例えば奥津軽地方の通夜には、陰々滅々とした無言の空気と圧迫感がある(…十数年前、学校で手配したバスに数十人が乗って行ったっけ…)。次第によっては遺族の家や旅館に宿泊する事もある。故人は学者(田舎先生など)でも遺族は違う。仄聞するところ、都会の大学教員が実家の都合で「学者をやめた」例もあるらしい。横溝正史原作の映画「犬神家の一族」とは規模こそ違えども、空気だけは大差なかったりする。
 そんな環境では学者界隈の感覚が分からなくても仕方あるまい。先生のを自分の感覚から割り引いて読むのではなく、異世界の出来事であるかの様に読む。もちろん同じ横溝でも「悪魔の手毬唄」や「獄門島」の通夜はそこそこ賑やかだし、「余所者不在が前提」の場に置かれた余所者はむしろ控え目に振る舞う。だからこそ却って「お通夜はお酒とご馳走をたくさん出して賑やかにやって欲しい」とする西尾先生の希望は、ホームグラウンドの主役として当然かつ素直ではありながらも、無い物ねだりに見えて来なくもない。陰々滅々とした沈黙を取り繕うかの様な賑やかさに馴染めないのは、「まだ私が若いから」だけであろうか。
 たぶん「普通の葬式」は、身内/内輪と余所者/会葬者との或る垣根を遠慮深く越えるのだろう。それはそれで構わないし、社交的には必要でもあろう。にもかかわらず戸惑いは残る。訝しさが眩しい。~今では通夜も葬式も明るくなった。田舎でも葬儀屋の多くが会館を持ち系列化している(都会では宿泊施設まで大規模化と親戚から聞き驚いた)。もしかしたら私は故人ばかりでなく、陰翳まで追悼したいのかも知れない。そこに暗闇への怖れと憧れ(?)が同居する。比べれば当たり前の話だが、陰翳は墨の様に意外と明るい。光でも闇でもなく、それらとは異質な場所にのみ宿る。
(葬式ネタ、今度こそ了)
【2014/11/02 20:27】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(独り言)
 読書の感想は書物が喚び起こす。と云うよりは読む前から早々と、それを時が運んでくる。こうした時の流れを妨げるのが読書ではないか、と思う事が屡々ある。西尾先生の場合は別の言い回しでニーチェを引用していたが、苹の感覚とどの程度まで重なるかはよく分からない。私の視点は「読むタイミング」に留まる。そこに文学への眼差しはない。横溝正史なら昔は大量に読んだが、あれを文学と思った事は一度もない。むしろ書物に文学は邪魔で、下手に魔が差すと素直に読めなくなる。文庫本の横溝をあらかた読み尽くした後、私は物語/小説そのものが嫌いになった。つまり横溝は物語の墓標となった。
 それでも小説は嫌いになる程度で済むからまだいい。私の場合、国語の授業で最も苦手なのは詩や俳句だった。中でも近代詩はサッパリ分からない。光太郎だか朔太郎だか忘れたが、教科書で道程がどうのと云われても困ってしまう。与謝野晶子だって一寸フレーズを抜き出せば、忽ち女権や反戦のスローガンに様変わりするのが醜怪この上ない。そんなのを読むくらいなら、クラシック音楽の歌詞対訳の方が遙かにマシだろう。これなら先ず音楽の流れに身を任せられる。ここでは音が言葉になる。その点で音と書は似ているかの様でもある(言葉以前か以後かはともかく)。
 平たく云えば、私は国語の教員に向いていない。感動なんて教えられない。実は国語と離婚した書道でも、作品に感動した事があるかよく分からない。文化の織りなす背景や構造には感動するが、そこに達するため仕方なく作品を鑑ているに過ぎない。にもかかわらず、作品には天才が宿るから始末が悪い。天才は「見える」から眩しい。或いは、これが美というものなのかも知れない。そこに感動の厄介さがある。世の中には数学や哲学の美に感動する変態も居る。その気持ちは門外漢にも少しなら想像/共鳴できる。大いに共鳴してたまるか。そこまで付き合って居られない。最後は呑まれてしまうに決まっている。

 「日録」の流れを見て、そう感じた。全集九巻「文学評論」ネタでは仕方あるめぇ。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1486
 芥川を思えば「自尊心がきわめて強く、知的虚栄心も強く、(ネット界隈の)自分に対する評価を異常なまでに気にし」云々と、まるで自分の事を糾弾されているかの様に邪推する。かと思えば未読の菊池寛『義民甚兵衛』。検索したら、ひでぇ話だ。ふと前稿での青森(もしくは横溝の岡山)に当て嵌めてみたくなる。するとお誂え向きの産経記事では、かの有名な「津軽選挙」に「常識」の一語が発せられている(遂に出たか…orz↓)。拙稿に繋げるストーカー的な無茶が、「読み」の流れを醸し出す。
http://www.sankei.com/affairs/news/141106/afr1411060040-n1.html
 次の「日録」(↓)も同じネタで別の評者。このところ更新ペースが速いと勘繰りたくなるが、たぶん拙稿とは関係あるまい(思い過ごし)…と、読み進めたら出てきたキーワード(?)は拙稿にもある「闇」でござんす。前稿でのイメージを再考したくなった。陰翳の宿る場所についてではなく、場所を度外視した途端に立ち現れる無数の闇/残像(?)について。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1487
 大学二年の秋に企てた卒論テーマ「書法の概念と人間の分裂」、断念した後も未練たらたら、今なお形を変えて書き続けて居るけれど。あたしゃ闇の中に居るのか外に居るのか、これまで考えた事はなかったなあ。
【2014/11/08 02:47】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(独り言の続き)
 それにしても推敲中、ふと感じた異様な高鳴りは何だろうか。書道畑は文字言語の世界に棲む書字キチガイだから、言語学者の音声贔屓(?)を苦々しく思っても不自然ではない(苹自身も含めて)。ところが書家は詩人の様に振る舞うくせに、書くのはいつも古典等々他人のばかり。苹に至っては噴飯物で、文学が大嫌いときたもんだ。なのに何故か音と書を、文学と対置して考える。やはり文学は分裂しているのだろうか~西尾先生とは全く別の視点でも。してみると苹は、卒論テーマを「文学の概念と人間の分裂」にしなくて幸いだったのかも知れない。さんざっぱら書道/書字に拘った挙句、今こうして遅まきながら文学評論の壁に突き当たる。
 ニーチェは古典文献学と音楽にのめり込み、結局ワーグナーとは袂を分かつにしても、R・シュトラウスやマーラー達の音楽に引き継がれる言葉を遺した。どうやら言葉は言葉自体の儘ではなしに、音声/音楽表現と文字/書字表現の双方から或る触媒性へと踏み込む領野を経由する傾向があるらしい。~これと『江戸のダイナミズム』で切り拓かれた世界とを関連付けてみたくなる。文学を知らない世界からのアプローチ(或る無知の領分)なら、苹なりの引き受け方があるにはある。しかしそうした蒙昧の像を、文学を知る世界(或る知の領分)から見れば、一体どんなふうに映るだろうか。(ただし願わくば、活字文化の古典破壊的な影響は可能な限り控え目に…)

 以下ちょいとばかり、話を横溝正史の周縁に戻す。
 横溝の前に読んだのはホームズ物だった。ただし児童文学の誂えにて。本格的な翻訳は読んだ事がない。~ああした推理物は文学の範疇に入るのかしら。その後に読んだシービオク『シャーロック・ホームズの記号論』(岩波同時代ライブラリー)みたいなアプローチもあるけれど(↓)、こうなると文学ではなさそうだし専門書に入るかも不明。差し当たっては論理と文学との関係から入れば、苹にも少しは文学が理解できる様になる?…って事ァないか、ヤッパリ。
http://1000ya.isis.ne.jp/0508.html
 推理と常識の関係も生活上、時には衝突を引き起こす。常識は恐ろしい。或る教員が教研集会で勉強してくるとする。それを授業で試してみる。すると管理職や外野から横槍が入る。「学習指導要領に準拠しろ」と。本人はそうしているつもりなのに、相手にはそう映らない。どちらにもそれぞれの世間と常識があり、本人の意思を超えた力で突き動かされている。そこに本人が口を挟めば藪蛇だ。双方の槍玉に挙がり、双方の正義らしきものが当人を「義民甚兵衛」のごとき境遇へと追い詰め始める。
 掘り下げると厄介な話が文学には鏤められている様で、そうした印象が煩わしい。話の種に留まってもよさそうなものが主役の様に言葉を牛耳る世界が文学なら、延々と続く描写に一種のサディズムを嗅ぎ取っても無理はない。あの冗長さは何だろうか。…苹の性格は傍目にゃ短気と映るらしい。小説より専門書の方が心は落ち着く所からすると、それを基準に「短気」の意味を解釈するのがひょっとしたら妥当なのかも知れない。
【2014/11/10 22:06】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



>昔の人の文字が読めないのは、とても残念
>古文でもないし、漢文でもない、国語でもない
 元来その「どれも」だったのに、活字に駆除され幾星霜。生徒が以下の問いに生々しく答えてくれるなら有難いものの、ベテランの先生方を含め、誰も答えてくれなかったのは無理なき仕儀かとも。~「なぜ、こんな簡単な問題が解けないの?」とか、「なぜ貴方は、くずした字が読めないの?」とか。
 「読める理由」が解れば「読めない理由」も分かる筈、と誰もが漠然と思うのでは。そこを「見れば分かる」(百聞不如一見)で片付けても通用したのは、読める環境が常態だったから。しかしながら視覚の情報量は膨大で「どうにでも見える」。そこを環境の側が補い、予め「読み」のバイアスを仕組む事で他の情報や発想を制限し遮断すると、不自由による自己限定の自由が創発する。ところが旧態の不自由を野放図に破壊すれば、「読み」の秩序もろとも自由までもが崩壊する(或る自由から別の自由へ…自由にも色々ある)。
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_topic_pr_359.html
http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_topic_pr_333.html
 手っ取り早くて乱暴なのは、入試の出題を活字でなく図版で載せて(こんな感じのとか?↑)、そこに問題文を添える手口かしら。どの和歌集か問うたり時代を問うたり、語釈だの文法だのと。これなら読めなきゃ話にならず、皆が必死で勉強する。でも教え方が分からないと困った事になる。そこを百年以上も放置してきたのが国語教育界だった。環境も大違いで、昔の教え方が通用するとは思えない。何を学べばよいかではなく、どう学べばよいかの問題なのでしょう。
 書道の場合は「書けば分かる」式の無茶で押し通す傾向なきにしもあらず。技術偏重で「読み」は埒外、腕でなく言葉で説明できるか甚だ心許ない。今も頭を抱え続けてます。尤も語り口(方便?)は色々ネット上で工夫してきたけれど、実際どこまで通用するものやら。苹の場合は半世紀くらい前の実用書道本を目習いするだけで、基本的な「読む」コツは身に付きました。後から考えると松岡正剛の云う「推感編集」の手口に近かったみたい(前掲シービオク本の解説リンク参照)。頭の中で文字を解剖し、分析し、推論し、再構築し、復元結果が正解なら「読めた」事になる。その繰り返し。私にとって書字は視覚の論理学です。一言で云えばそうなる。

 以下追憶。~「ふざけた野郎」の脱線暴走ネタでも。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1599.html#comment
 普通の子は半紙一帖で済ますのを、苹は五帖くらい書く。すると自然に筆脈が身に付く。そんな子供の頃の書塾ネタを「2014/02/25 20:46」稿(↑)で書きました。国語の漢字書き取りと似てるのに、なぜか硬筆では筆脈に頭が回らなかった。それだけ毛筆は情報量が多いとも云えるし、くずせば誤読の危険や記憶の曖昧さに隣接するケースも多い。そんな苹が「書かない書道」=目習いを重視するのは、「書く」弊害を喜んで体感してきたからでもある。「読む事と書く事は別」と割り切るほど、逆に共通点が見えてくる。つまり共通点が見えないと、却って差異の方が分からなくなる。
 極端なのを昔、書道の授業で試してみた。と云っても夏期/冬期休業中の宿題にて。書かずに読むだけ。それも書字でなく活字、普通の本を部分コピーして「読んでこい」と配布。たぶん生徒は面食らったに違いない。読書感想文を書かせるでもなし、採点評価するでもなし。内容も書道と無関係に近く、美学を絡めたり色々と。うち一つにはポイエーシスやミメーシス、或いはマニア四種の説明が出てきた(アポロンは予言、ディオニュソスは秘儀、ムーサイは制作、アプロディーテーとエロースは恋)。一見どれも書道とは縁遠いが、その「遠さ」から何を読み取るかは生徒任せで、そもそも採点不能な課題だった。
 だから「ふざけた野郎」の課題には違いない。生徒には読む自由も読まない自由もある。読んだり読まなかったりした場合どうなるかの手懸かりは与えていない。必要があれば、当時試みていた「思考ノート」(交換日記形式)で言及すればよい。対象は書道選択者全員で、そのものズバリの例はなかったが、別の話題でシニフィアンやシニフィエに言及した事ならある。台湾に親戚の居る生徒が進学相談してきた時は加地伸行『現代中国学』(中公新書)を貸し出した。一々評価する余裕はなく、対応するだけで目一杯。
 そうした試みの効果は不明なれど、あの時もっと明確な「推感編集」への眼差し/輪郭を持っていたら、とは思います。ドゥルーズ経由でチョムスキーの、深層構造や表層構造に目を向け始める直前の模索でした。
【2014/11/22 22:22】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
8じさまが、しんだ。(其三) ( 苹@泥酔 )
2016/05/20 (Fri) 22:02:09
じさまが、しんだ。(其三) ( 苹@泥酔 )
2015/11/28 (Sat) 20:23:14

●旧稿転載
 セレブ奥様ブログのコメント欄より(↓)。四分割中の三。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1679.html#comment



(前稿の続き)
 書道に垣間見える「河野洋平」的な何者かは、「隣国に」でなく学習指導要領に、学校を直撃した戦後の国語改革に、「達筆で読めない」とする常識に媚びる。そこでは嘗ての権威が持て余され、様々な盥回しの途中で徐々に散佚していった。~学習指導要領も河野談話も、解釈次第でどうにでもなる。オリジナルの河野洋平が自分の談話に振り回されているかどうかは知らないが、教員の場合は他人の拵えた「談話」的な指標に、と云うよりは指標に準拠する教員仲間(管理職を含む)の理解に振り回される傾向が強い。彼らには彼らの「主人」が居て、その正しさが解釈を方向付ける。また彼らの主人が河野洋平なのではなく、まさに一人々々が河野洋平のごとき善意や学問に自ら納得する。
 善意の方は悪意を捨象してかかるから、いったん悪意のごとき側に追いやられた視点は余り顧みられない。片や学問の方は元々が西洋由来のモデルと整合する様に組み立てられがちだから、あちらの文化圏に含まれない領分を解釈するには相応の操作が要る。そうした事どもが明治以来の心理に蓄積し、いつしか誰もがそれぞれ素直に現在を受益せざるを得なくなる。たとい歪曲された姿であっても、結果的に国語改革は正しく、学習指導要領の解釈も正しい。さもなくば我々は、生まれながらにして間違った世界/文化を受容している事になる。それぐらい、過去を過去の視点で見るのは難しい。今更のっぴきならない「失われた過去」を突き付けられても困るし、忙しくてまともに付き合う暇などない。
 安くて俗っぽい同情論に見えても仕方のない話なのだろうが、~かのリアルな河野洋平だって忙中それなりに熟慮した結果、あの談話で事態収拾に向かうと思った筈。その信念(未練?)は今でも枉げられまい。後続の対応が拙かった、とまでは言いにくかろうが事実それが本音だろう。「歴史家に任せる」姿勢の安倍政権に今も承け継がれている通り、政治家が学問の聖域/禁忌に踏み込めば却って藪蛇になる(現に後々「(戦前)よい事もした」や「神の国」程度の発言で大騒ぎ)。~ところで、学問が政治に踏み込むのは構わないのかしら。「つくる会」の運動に向けられた批判は結局、リアルな政治とクリティカルな学問との断絶を目指す安全装置=狂信の焦りではなかったか。
 学問は、学問であるがゆえに生活と関与してはならない。学んだ事を仕事に活かしてはならない。仕事に役立つ事は仕事場が教えるのだから、本当は学問など要らない。…いつか来た道、明治義務教育の黎明に農村で響いたエコーの様な。そのくせ指導的立場が提唱した「実学」優位思想だけは独り歩きし、学問不要論と結合するや変質を余儀なくされた。学問と生活の調和が実学だった筈なのに、排他的な棲み分けと経済の方が先に三つ巴で調和していったかの様な。「虚学」に至っては今や死語同然の観がある。これを「実学が学問を征服する」文脈と見るならば、こなれた虚学は「日本の学問」と「世界の学問」を沈黙の世界に分かつ/混同する/非学問化するだろう。皮肉な事に、世界は対比である。
 今や書道は名実ともに虚学となった模様。先に虚学となったのは「美術/芸術」一般の方で、明治の文明開化による自国文化卑下の風潮が基盤となるが、と同時にフェノロサやパリ万博を含む反動的(?)な蒸し返しもあり、西洋的文脈との兼ね合いに於て試行錯誤が続く。他方、余りにも東アジア的/民族的な書道は西洋基準の芸術から取り残されたまま「芸術を自称せずには居られなくなった」。…そんな渦中の書家自身が「芸術としての書道」にばかり目を向けると、今度は「虚学としての書道」が置いてきぼりを食らう。つまり芸術としても学問としても未消化の状態が、過去に学べば学ぶほど「過去の忘却」にしがみつく様相へと顛倒した。中でも忘却過剰に陥った対象は幕末までの六百年前後か。雑駁には御家流の勃興と爛熟をめぐる時期で、それがいきなり文明開化のギロチンにかかった。果てはゾンビか鵺のごとき姿、各方面から揶揄されたところで文句は云えまい。
 さはさりながら、「ならば河野洋平は鵺なのか?」と切り返されても言葉に詰まる。或いは比喩が突飛に過ぎたかも知れないし、書家の側とて日本の書道文化を開国後も戦後も生き残らせようと無理を重ねた点では、却って「似た顔つき」に見えてくるかも知れない(同類同士?)。…ともあれ本人、なにしろアノ魅惑的な鳳眼ぶり(?)でござる。かの中国の王毅外相に負けず劣らず瞬くさまを、可能な限り贔屓目に思い浮かべたらどう映るかと。~総身の酒毒が按ずるところ、鵺にしてはハンサム過ぎるのが稍や惜しい。

(附録)
 「尋常小學書キ方手本」、甲種と乙種の画像比較例(拡大画像アリ↓)。
http://www.bunzo.jp/archives/entry/001628.html
 …この程度の教育的実用書風なら昔は誰でも書けた。その証拠が拙宅の便所に掛けてある。半世紀は経つ宣伝用らしき寒暖計で、木製の地板に「乙種」系の毛筆小楷で「ツヂ藥局」、更に小さい字(つまり細楷)で番地無用の所在地表記と四桁の電話番号。たぶん熟練職人の手書きか、それをベースとした印刷なのだろう。青森の田舎ですらそうだった。子供時代の苹は、精緻な書きぶりに見とれるのが密室の日課となっていた。
 当時はそうしたレベルが普通だった。風呂場のペンキ絵みたいな職人仕事だから誰も芸術扱いしない。草書も「読めるのが当たり前」でないと、郵便配達夫は仕事にならない。と云う事は中卒か高卒で充分。文人だらけの都会とは違う分だけ余計に、学識とは無関係なのも田舎では「格下げ感覚」過剰の観念的常識となっていた。
 その感覚(実用書道世代)を平成の高校書教育に持ち込めば、芸術書道世代との衝突が二重に避けられなくなるのも無理はない。この分岐点は遅くて昭和末期、早いケースなら昭和三十年代初頭には到来していたらしい。都会と田舎のギャップには色々あって、論壇では都会感覚の側から過去を裁断する事例ばかりが目立つ様だが、田舎感覚の側から進歩的/予言的現実を受け止める見方が~必ずしも「後追い/受け身」型ではない脈絡があってもよい。そうした掴み方を苹は予々「保守」の原型に見て居る。

(愚痴)
 こんなふうに書き連ねるのも…ええい、まどろっこしい!(←あ、キレた。)
 ここは一枚の写真でやっつけてしまえ。全集一巻冒頭いきなり、「髪のある西尾先生」がデカデカと載っている。頁裏には「留学前(二十九歳)、わが家の座敷にて」。河野洋平とは別の意味でハンサムな被写体の左に床の間が見え、ピンボケで読みにくいが「見由類高祢尓毛(見ゆる高嶺にも)」なら、どうにか。先生は昔こんな和歌の掛軸を見て育ったんだろうなあ。~で、私が上でゴチャゴチャ書いたのは、…それが普通に読める日常感覚の事なのねっ!(←あ、またキレた。)
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1412438236/l50
http://news.livedoor.com/article/detail/9310435/
 …てな事を書いてたら、こんなの発見(↑)。記事自体は煽り半分と差し引いても、筆跡学ネタでは若干の心当たりがある(「2013/05/04 01:59」稿で引用の魚住発言を参照↓)。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1465.html#comment
【2014/10/05 03:20】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(前稿補記/或いは雑感)
>芸術としても学問としても未消化の状態が、過去に学べば学ぶほど「過去の忘却」にしがみつく様相へと顛倒
 以下、この箇所(↑)について敷衍する。
 現在と過去との差異が顕著な場合、過去の実相にしがみつく行為は「過去を正視する事」に他ならず、従って必ずしも「現在を正視する事」とは相容れない。そのため過去自体が「現在とは異質なもの」としての切断を予定され、やがて自ずと忘却理由を構成/生成する。結果「現在の視点から過去を裁く」刑場では「だから裁かれねばならぬのだ」となったりするが、過去を丸ごと忘却する流れの中では、過去にまつわる研究の蓄積も丸ごと一緒に流れてしまうか、もしくは現在の視点に適応した形への変容/歪曲を余儀なくされたりもする。…屁理屈に見えるかも知れない。が、トリビアルで珍奇な事実をいくら積み重ねたところで現代生活との齟齬は否めない。「過去に学ぶ」とは「悪しき過去を反省する」事であらねばならず、美しい過去や誇らしき過去は拡張された自己愛の投影でしかない。
 自己愛の何が悪い、と訝しむ気持ちはよく分かる。ところが反省は道徳の一環にある。反省過剰の「病理」について、つい最近も西尾先生は『正論』2014.10号で言及しているが(次号では東郷和彦メンタリティ)、そもそも日本人は戦争に負ける前/始める前から反省に慣れてきた。歴史を反省する前に言葉を反省した。小学校の「国語」科目が出来る前から反省した結果、「改良」された教育科目の「国語」がつくられた。言葉が丸ごと反省で、自分が反省し続けている事に気付かないくらい慣れてしまった後は、どんどん反省をエスカレートさせる他に「反省を意識する」手がない。とにかく反省したい。なんでもかんでも掻き集めて反省し、それでも「まだ足りぬ」とばかりに更なる反省を要求する。~こうした連鎖の行く末がどうなるか、幕末教育を受けた世代の知識人達は薄々勘付いていたのでは。齢五十を迎えた頃「国語」が成立、取り返しが付かなくなっていく。
 それでもなお反省し続けないと、まだまだ西洋文明には追い着けない。切迫した危機感が明治維新で緊張し続けた挙句の疲弊と裏腹に、表向きは軍事的帝国主義との協調を装いながらも、背面では生活上の文化に浸蝕し続けた。…フィクション心理では朝ドラ「おしん」の時代。彼女が達筆になった(←加賀屋の大奥様の薫陶!)のは或る意味、皮肉でもある。生活上では日常の礼儀を弁えた修身的素養でありながら、その交際範囲に於てはドラマ終盤、恰も「過去(文化)と過去(政治思想)との衝突」を調和させた結果の葬送対象に収斂していくかのごとき予言性を醸していた気がしてならない。「スーパー田倉」救済に手を差し伸べた転向老人(?)の苦味は、「おしん」の達筆と共にやがて滅びてゆく(のだろう…ドラマでは未描写)。中にはあれを反戦ドラマと見る向きもある様だが、苹の場合は歴史断絶ドラマと見る方が余計なイデオロギーの影響を受けずに済む。
 幕末世代の明治人は「おしん」前の書字文化世代だった(言文不一致)。やがて「現代文」の初期段階が整備され、文語文は古典(古文・漢文)の体裁に隠れつつ活字化し共存した。…文字世界は対比である。書字世界は半世紀後の忘却へと向かう反面、内容は活字世界に転移して現代文との対比形式を守った。もし古文から現代文への転換動機に反省が関与するなら、対比の動機は反省にある…とならないか。自己愛は偏在せず共に宿り、反省もまた自己愛の一形式として強度を増していく。極端な話「いっそ古典を滅ぼしてしまえば、反省せずに済んだのに」と思わぬでもないが、それの出来ない国体が日本でござる。反省は日本の宿痾かも知れない。(それに対してキリスト教道徳では、罪だの告白だの信仰だのと、もっと複雑な体裁で他者/神へと受け流す仕組みがある?)
 因みに教員の場合は自分の職場すなわち学校で、それぞれに「それぞれらしからぬ=無自覚な」教員道徳(例えば日教組の?)を守る。そこに学校道徳(主に文部科学省の?)を持ち込もうとすれば、教員側(教職員組合側?)は自動機械/お約束の様に抵抗するらしい。二つの反省道徳が衝突する時、生徒や保護者は何を反省すればよいのやら。或いは「反省」自体の意味論的な歪みを反省するもよし、先ずは「反省」以前の歴史に立ち返り/取り戻すのもよし。かと云って学校や教員と喧嘩する訳にもいかず、個々人の立場ではさぞ悩ましくもあろう。いづれにしろ道徳は敬遠され、それが各教科/科目の水面下に潜る。すると科目道徳は教員道徳や学校道徳の防波堤と化し、…ここから先は推して知るべし。或る科目では教員採用試験が事実上廃止されて形骸化が続く。また或る科目では謝罪/反省道徳の教育が情熱的に続く。

(備忘録)
http://www.sankei.com/world/news/141009/wor1410090050-n1.html
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>2014.10.9 22:13更新
>【本紙前ソウル支局長起訴】
>「行方不明」「下品」…事情聴取で浮き彫りになった日韓の言語文化の違い
> 【ソウル支局】韓国検察が産経新聞前ソウル支局長に対する一連の事情聴取で重点を置いたのは、前支局長がコラムで使った「行方不明」「下品」といった漢字語についてだった。これらの言葉は通常、韓国語では日本語より強い意味となる。「朴槿恵(パク・クネ)大統領を誹謗(ひぼう)した」と検察側が前支局長の在宅起訴に踏み切った背景には、こうした日韓の言語文化の違いもあった。
> 2日間にわたった8月の聴取で検事が時間を割いたのは、「朴槿恵大統領が旅客船沈没当日、行方不明に…」というコラムのタイトルに、なぜ「行方不明」という言葉を使ったのか-だった。
> 沈没事故当時の朴大統領の居場所について、大統領府の秘書室長は「分からない」と国会で答弁していた。日本では首相の動静が分単位で報じられるが、朴大統領は事故当日、7時間にわたって大統領府内の所在がはっきりしなかった。
> 前支局長は「国会の質問者や国民が所在を明確に知りたかったはずだ」と強調したが、検事は、大統領府内にいたのだから「行方不明ではない」と指摘し、記事は虚偽であると認めさせようとした。
> 「行方不明」は韓国語では、「行方をくらます」といった強い意味で受けとめられる。前支局長は、日本語では同じ敷地内にいて姿を見かけない程度でも使うと説明したものの、検事とのやり取りはかみ合わなかった。
> 次いで検事が追及したのは、コラムで「『下品な』ウワサ」という表現を使った意図だ。前支局長は、「品格が落ちる」という意味で漢字熟語の「下品」を使ったと説明。だが、韓国語では「下品」はほとんど使われず、「賤(いや)しい」を意味する強い言葉で訳されがちだ。検事はこの言葉を「誹謗」の一つとみなしたようだ。
> コラム中の「政権の混迷ぶり」「不穏な動きがある」という表現も問題視された。「混迷」や「不穏」は政権の不安定さを伝える用語として日本の報道でしばしば使用される。だが、韓国語の「混迷」はより強い意味となり、「不穏」は「反逆的な陰謀」を示す言葉としても用いられる。
> このため検事は、これらの単語は「大統領を誹謗するためのものではないか」と迫った。前支局長は、記事はそもそも「日本人読者が日本語で読むこと」を前提に書いたもので、誹謗の意図は一切ないと反論した。
> 日本語と韓国語には同じ漢字語が多いが、ニュアンスが異なる言葉も少なくない。さらに、韓国ではハングル表記が主で、漢字の本来の意味に疎くなっている。こうした事情も今回、誤解を生んだ背景にある。
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【2014/10/10 23:56】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(蛇足)
 前稿を出した直後、またまた書き足りなくなって一言、「恋の様に情熱的な反省は、時に盲目であればあるほど、裏を返せばストーカーのごとく攻撃的になりやすい(しかも無自覚?)」と付け加えたくなった。かと思えば一方では、ちと言語面への執着が鬱陶しくなり過ぎたかナ、と「反省したくなった」(苦笑)もんだから、コリャますます始末の悪い仕儀となる。にもかかわらず、言葉/文字について書きたい事が、まだまだ山ほど残っているとあらば。
 例えば文字言語(古典/現代文)をめぐる呪縛要因の一つ。柔軟な反省から厳密な反省への質的変化。昔は細部の記憶が曖昧なら行書や草書で書く手もあったのに、いつの間にか頭コチコチの楷書/活字原理主義が、先ず国語の採点を牛耳った(皆さん例外なく身に覚えがあるだろが?)。そこに「反省」を結び付ける切り口では、当方まだ一度も書いていない。…反省の一言で中身を十把一絡げにすると判断を誤る。これは階調の問題でもあり、質の問題でもある。日本人の言語生活は或る意味、草略のしなやかさを失って窮屈になったのではないか。歯車には「あそび」がないといけない。もちろん潤滑油も要る。なんなら前稿後半との脈絡に配慮して、他意はなくとも敢えて「下品」な喩えを出してみようかしら。アレを挿れる時は御承知の通り、相手が充分に濡れていないと痛(以下略)

(補遺~備忘録)
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1648.html#comment
 先般「2014/07/17 22:39」稿(↑)で遺品ネタに言及した。その後ちらほら新聞に載った「空き家」問題が気になったりしていたが、今度の産経記事はズバリ直球ど真ん中(↓)。…このところ拙稿は備忘録が多くて申し訳なく思って居るけれど、どうか旧稿との関連上ご容赦いただきたく。(平伏)
http://www.sankei.com/affairs/news/141011/afr1410110038-n1.html
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>2014.10.11 21:56更新
>「遺品整理業者」トラブル続出 貴重品を無断回収、見積もり4倍請求…業者見極め重要
> 故人の遺品を片付ける「遺品整理」をめぐり、貴重品の無断回収や大幅な追加料金など業者とのトラブルが相次いでいる。1人暮らしの高齢者などの「孤立死」が増加傾向にあり、今後も遺品整理業者に対する需要は高まるとみられ、国民生活センターなどは優良業者を見極めるよう呼びかけている。
> 国民生活センターや社団法人「遺品整理士認定協会」(北海道千歳市)によると、業者が無断で貴重品を回収してしまったり、料金の増額を求めたりする例が頻繁に聞かれるという。
> 南関東に住む60代の女性は平成24年9月、父親の遺品整理をリサイクル業者に依頼。業者は仏像や花瓶など高価なものを女性に無許可で次々に持ち去った。何をどれだけ持っていったのかも不明だという。
> 関東地方に住む50代の女性は今年7月末、70代の母の遺品整理を業者に依頼した。見積もりは約30万円だったが、作業後に請求されたのは約120万円。見積もりを安く提示し、作業後に大幅な増額を求める悪質業者の典型だった。
> 同協会によると、遺品整理業者は1人暮らし人口が多い関東圏を中心に増加傾向にあり、現在は全国に約9千社が存在するという。
> 利用者には、故人と疎遠になっていた遺族だけでなく、故人への思いが強いがために遺品に触れることができない遺族もいる。相場も分かりにくく、泣き寝入りすることが多い。一方の業者側も、仕事を始める際に行政機関への届け出は不要で、経験不足が目立つ。
> 国民生活センターは「見積もりを細かく出し、内容を説明できる業者を選んでほしい。作業に立ち会えば、突然見つかった貴重品についてのトラブルも防げる」と注意を呼びかけている。
> 約14年にわたって同業を営む「遺品整理の埼玉中央」の内藤久さん(54)=さいたま市中央区=は、業者を見分ける視点として「見積もりの根拠を説明できるか」「過去のトラブルを答えられるか」などを挙げる。家族間で各自の貴重品を一覧表などにまとめておくことも勧める。内藤さんは「故人との思い出をきれいなまま残すためにも、選ぶ目を養ってほしい」と話している。(佐藤祐介)
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 これって、もしや中国人マフィアを黒幕とするかのごとき新手ビジネスだったりして?(←妄想)…あんまり考えたくないけど、実際かなり現実味ありそうになってきてるよナア。他にも開拓余地がありそうなのは、跡継ぎの居ない墓の撤去仲介とか、お寺が檀家を失い困ってる所を狙って在日紹介、文字通り「穴埋め」するとか。
 …そう云や、前にも書いた事があったっけ。そのうちワンサカ増えた中国人が不可逆に高齢化するでしょ。だから次は山林や水源地や一般土地物件ばかりでなく、墓地の買い占めブームが始まるの。するってぇと西尾先生んとこも、お墓の隣近所が中国人に埋め尽くされる日は遠くない…てな与太話。チョイと調べてみたところ、アレは「2013/05/07 07:10」稿だったのネ(↓)。まったくもって苹ってやつはホント、ふざけた野郎だゼ(ヌケヌケ)。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1452.html#comment
【2014/10/13 15:55】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(Es war einmal.....)
 「日録」元記事は新刊紹介ネタなのに、コメント欄は仮名遣いネタ。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1480#comments
 すると西尾先生がやってきた(ビックリ↑)。それ見て思わず初出当時のをあれこれ発掘したくなっちまったのが「デバガメの苹」でござんす。池田様への言及稿は、こちら(↓)。
http://book.geocities.jp/nishio_nitiroku/kako43.html
 そんな十年前のを振り返ってたら、いつの間にか著者本人も上記「日録」コメント欄に登場してたんでビックリ。他方、こちら奥様ブログ(↓)には著者の御閨室様がお出ましでビックリ。それ見る苹は覗き見の気分。アチラは男湯、コチラは女湯…(汗ばむわぁ)。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1704.html
 記念にコピペ保存しといた「勝手応援板」投稿群も久々に読み返してみた。この辺(↓)などの多くが勉強になって、懐かしいやら楽しいやら。年を経るほど…有難や。
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>222 仮名のこと(番外編) キルドンム 2004/04/19 16:12
> 男性 36歳 O型 岐阜県
>
>苹様へ
>
> 148の続き、早く書こうと思っているのですが、新年度の開始とともに仕事が忙しくなり、なかなか時間がとれません。月末までには投稿しますが、先に御質問にお答えすることにします。
> 祖父の遺品(?)の『言文一致用文』のことですが、文例から察するに対象としては広い層を目指しているようですが、とりわけ商人向けの書簡が多いようです。目次から取り上げてみますと、「商家へ奉公口依頼の文」「商社設立を賀する文」「工場開業を賀する文」「塩田開きを賀する文」「養蚕所設立を賀する文」「返金延日申入の文」「引札配布依頼の文」「添書を依頼する文」などというのが並んでいたりします。勿論、農事関係のもかなりあります。
> なお、「出阪の人に買物依頼の文」(本書を出した鍾美堂――「心斎橋北詰北へ入西側」にあったそうです――の宣伝がちゃっかり例文中に収められているのはお笑いですが)「書籍の借覧を請ふ文」には、『訓蒙日本外史』『文章軌範』『十八史略』「四書」『本草綱目』『和名抄』等の書名が当然のように並んでいるのが時代を伺わせます(漢学が最後の光輝を放っていた頃。嗚呼)。今の書簡文例集なら一体どんな本が出てくるのでしょうか。
> 「今昔文字鏡」は所持しておりますが、せいぜい遊戯的に使うだけで、実用にはやや不便のようです(「クリップ・ボード」がどうたらこうたら、理解し難い作業を要する)。
> 最後に、大正時代に一時期用いられ、悪評嘖嘖だった「棒仮名遣い」(新仮名遣いより一層過激な)についての御意見を是非とも伺いたく存じ奉ります。確かに、「えい」「おう」と表記してあっても、これらを日常そのまま発音している人は尠ないのでしょうから(当地では「あい」「おえ」等でも、それこそウムラウトが欲しい位の発声をされていたりしますが)、新仮名の引きずっている要素は「は」「へ」「を」のみではないと考えるのですが、その点いかがなものでしょうか。
>
>
>223 222の訂正 キルドンム 2004/04/19 16:50
> 男性 36歳 O型 岐阜県
>
> 一部記憶違いでした(恥ずかしや)。棒引き仮名遣いは大正期ではなく、明治三十三年の小学校令施行規則で定められたのですが、四十一年に廃止されたのでしたね(現場で実際に教えられていたのはもう少し短かったのでは?)。謹んで訂正致します。
> 結局、これは片仮名のみに採用されていたのですが、推進論者たちには平仮名にまで拡張する意図があったのではないのでしょうか。歴史的仮名遣い――棒引き仮名遣い(並行)――歴史的仮名遣い――現代仮名遣い――こう通覧してみると、確かに一貫したものが感じられます。
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http://imoshiori.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7438296
 その前後に書いた拙稿部分は天バカ板に再掲済み(↑)。興味ある人には「【再掲】国語問題04」稿(2011/09/30 (Fri) 21:48:35)以降の、同07稿を除く「【再掲】国語問題08」稿(2011/10/12 (Wed) 21:39:40)まで御覧いただけるなら幸甚だが、慣れない人にはかなり長く感じられるかも知れず、変人か変態か根気強い人にしかお勧め出来ない…(汗)。
 私事追記。うちの爺様、2014.10.23でした。享年九十三歳。
【2014/10/23 21:58】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
8じさまが、しんだ。(其二) ( 苹@泥酔 )
2016/04/15 (Fri) 22:48:56
じさまが、しんだ。(其二) ( 苹@泥酔 )
2015/10/24 (Sat) 23:45:08

●旧稿転載
 セレブ奥様ブログのコメント欄より(↓)。四分割中の二。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1679.html#comment



(セレブ奥様宛)
>最近紹介した本に、韓国語について書いてある部分があります。
 こちらの件ですね(↓)。取り敢えず検索して、桜の動画も見てみました。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1685.html
http://www.youtube.com/watch?v=HsDDzE5Gao4
>韓国は漢字を禁止してしまったのですよね。
 初期を除けば(?)露骨に禁止した訳ではない様だけど、趨勢としては廃止状態かと。(付け加えるなら、漢字文化圏の旅行者に不親切な点では事実上の観光自爆かとも?)
 …そう云や、何年か前に読んだ呉善花『漢字廃止で韓国に何が起きたか』(PHP研究所)は実感こもってて面白かったなあ。先日は大阪の「正論」懇話会で「朱子学の韓国は、日本の武士道を野蛮人と見る」てな話をしてたとか(↓)。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140909/waf14090920560029-n1.htm
 因みに「書道美術新聞」(美術新聞社)では先年来、漢字だらけの「半島書芸史研究講座」を連載してます。地道に続いて既に五十回を突破、完結後の単行本化が待ち望まれる。朝鮮半島の文字文化史を俯瞰する上で史料的価値は極めて高く、かつ(←ここ重要w)愛国的なハングル専用人にも嫌韓の諸国民にも「分け隔てなく」推薦できる内容でござんす。

(備忘録)
 近代化だの「ウリナラ肥大の悪」だの自己喪失だのと書き散らかした後に同じキーワードが出てくると、全く別の視点がいっそう新鮮に見えてくる…。そんな訳で以下転載。返す刀で、中国の全体主義的傾向についても色々と考えたくなる。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140913/art14091311300001-n1.htm
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>【賢者に学ぶ】
>民主主義に内在する「悪」、新聞の役割とは… 哲学者・適菜収
>2014.9.13 11:30 (1/3ページ)
> 「民主主義をないがしろにすると独裁になる」と言う人がいる。これは完全に間違いだ。民主主義をつきつめると独裁になるのである。これは政治思想ではある種の常識だが、常識が通用しない時代に発生するのが全体主義である。
> 哲学者のハンナ・アレントは、「民主主義と独裁の親近性」は歴史的に明確に示されていたにもかかわらず、より恐ろしい形で現実化したと言う。それは近代人の「徹底した自己喪失」という現象だった(『全体主義の起原』)。
> こうした民主主義に内在する「悪」についてもっとも早い段階で正確に指摘したのが、フランスの思想家アレクシス・ド・トクヴィル(1805~1859年)だろう。彼が描いた穏やかで人々を苦しめることなく堕落させる「民主的な専制」とは、われわれの時代が全体主義と呼ぶものである。
> トクヴィルは「民主的諸国民が今日その脅威にさらされている圧政の種類は、これに先行して世界に存在したなにものとも似ていない」(『アメリカのデモクラシー』)と言う。この指摘は正しい。
> 専制と独裁は異なるものだ。専制は前近代において身分的支配層が行うものであり、独裁は近代において国民の支持を受けた組織が行うものである。つまり、トクヴィルは全体主義の到来を宣言したのだ。
> トクヴィルは、「専制はいつの時代にも危険だが、民主的な世紀には格別恐るべきものである」(同前)と言う。民主主義社会では永続的に革命が発生する。平等化が進行すると、そのこと自体により不平等が目立つようになり、羨望と嫉妬によりさらなる平等化が進められる。こうして前近代的な階層社会やギルド、村落共同体が完全に崩壊した結果、社会的紐帯(ちゅうたい)は消滅し、孤立した個人は「群集の中に姿を没し、人民全体の壮大な像のほか、何も見えなくなる」(同前)。
> これこそ、「徹底した自己喪失」という現象である。近代人は格差に耐えられなくなり、無制限に拡大した欲望は永遠に満たされなくなった。彼らは、信仰心を失い、権威を認めず、自分の殻の中に閉じこもる。そこでは、「数え切れないほど多くの似通って平等な人々が矮小(わいしょう)で俗っぽい快楽を胸いっぱいに想い描き、これを得ようと休みなく動きまわる」(同前)。彼らは同胞の運命に無関心で、自分の子供と特別の友人だけを人類のすべてと考えている。
> こうした平等社会では、個人と中央権力が直結する。それを阻害する「伝統的中間組織」はもはや存在しない。その巨大化した権力は、人々の享楽を保障し、生活の面倒をみる。そして人々が永遠に子供のままでいることを求める。
> こうして国民に迎合する独裁組織が支持を集めるようになる。これが「民主的な専制」だ。
> トクヴィルは、社会の平等化を不可逆的な現象と捉え、復古主義を退けたが、権力の濫用(らんよう)を防ぐための制度が必要だと言う。
> たとえばそれは「利己主義を抑制する」宗教であり、政治的な結社であり、新聞である。
> トクヴィルは、新聞が世論を煽(あお)る危険性を指摘した上で、それでも「社会の紐帯を維持する装置」として重要視した。もっとも、こうした社会的「緩衝材」が本来の役割を放棄し、社会および国民を裏切ったときに、全体主義は完成するのである。
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【2014/09/14 22:08】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



>B層がなんたらかんたら
 残念ながら、まだ適菜本は一冊も読んでない…ただし産経紙か月刊誌に少し出てた記憶はあるけれど。初めて検索したら、あれって小泉政権に遡る時事ネタ由来だったのネ。てっきり独創の適菜語かと思ってた(汗)。因みに実はホワイトカラーとブルーカラーの違いも、あたしゃ学習当時から今に至るまでピンと来てない次第。だからかナ。延いては所謂「××セラ」も、最初は客層をブルーカラーに特化した類かと思ってた…(orz)。
 閑話休題。
 以下、たまには短期記憶みたい(?)な草稿群への追憶でも。(BGMはミュンシュ指揮でメンデルスゾーンのスコットランド↓)
http://www.youtube.com/watch?v=dbdxomJyzAg

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>(苦情のやうなもの)
> 自著の無駄に長いタイトルを、西尾先生は苦笑しながら紹介なさいますがネェ(念のため…苦笑と自虐とでは反骨精神のグラデーションが違うと思う…)。いざ言及するとなると、これが結構な困りモノなのでありんす。例えば話題の渡辺望『日本を翻弄(以下略)』(ビジネス社)なんざ、そう書くと失礼にならないかと本気で頭を抱えたりして。他にも会社名ではムカツクCMの「損保ジャパン日本興亜ひまわり(以下略)」とか、深夜アニメ「サーバントサービス」の登場人物名では「山神ルーシー喜美子明江愛里史織(以下略)」とか色々と。慣れてしまえば気にならない例は学校かしら。「卒業証書、以下同文」。
> 因みに書道界では李思訓碑(李北海)や多宝塔碑(顔真卿)など、長いのは殆どが略称で通っている。また三蔵聖教序(集王や雁塔など)や鄭文公碑(上碑と下碑)の他、古今集や蘭亭叙などに至っては無慮数百本あり、正式名そのままだと却って区別に困る。しかしなんぼなんでも「以下略」扱いのはない…と、そんな事を真面目に考えていたら虚を衝かれた。『正論』2014.10号の目次に思わず爆笑、極端に簡潔なタイトルの西尾幹二「次は「南京」」があるぅ。それ見て笑っちまった自分に腹が立つのが心ならずも余計に滑稽と思えてきて、ナンダカ無性に八つ当たりしたくなったのであった。…ああん、もう!
> 韓国さん、中国さん、ゴメンね♪(←棒読み)
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(後記&蛇足)
 これ(↑)は前稿を書き始める何日か前に出来上がっていた保留稿。なにやら出しとかにゃならん気がして、このところ「敬老の日」を挟む日常が鬱々としていた。すると昔の刑事ドラマにありがちな台詞が思い出されては効いてくる。これすなわち天声人語~「吐いちまいナ、楽になるぜ。」
 そのまた一ヶ月前は、こんなの(↓)を書いてボツにした事もあったっけ。
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> 先ずはgerubach動画の「半音階的幻想曲とフーガ」でも(↓)。…最初の三分間だけで草略楽譜っぷり、こちらの文字言語/草書みたいに途中もろ炸裂しとるやんけw(←あたしゃ動画を発見してから半年の間、よっぽど出したくて疼々してたんだろーな?)
http://www.youtube.com/watch?v=sFn_zVOlDAo
> ゴホンと云えば龍角散。お盆と云えば…一目散!(あっ、買い忘れてた!)
> 十日が過ぎたのに雑誌2014.9号は失念してた。初の弘前ねぷた中止とか(死亡事故で県内騒然)色々あったにしろ、苹にしては珍しい。『WiLL』は大量に売れ残って山積み。『正論』は売り切れ状態だった(目立たぬ棚に最後の一冊発見)。
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 その後に書いたのが「2014/08/16 07:49」稿の原型(↓)だから、上のは「2014/08/12 02:24」稿を出した直後…と思い出せる。(今やワープロの草稿用ファイルは日記代わりか?)
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> その夜の八時を過ぎた頃、苹は文末に「頗るマニアックで」と書き足していた(最終推敲)。少し仮眠を取った後、見ると「日録」にゲストエッセイが載っている。慌てて前稿を出したものの、後日…まだまだ書き足りなかった事に気付く(汗)。~演奏は融通無碍な筈と批判されるだろう余地は予測済みだった。しかし演奏が音源として固着すると、活字出版物と何ら変わらない性格を帯びてくる事にも目を向けずには居られない。しかしそれを認めたくない自分が何処かに居て、ついつい音と言葉を分かちたくなる躊躇が三日ほど続いたのだった。その結果、ゲストエッセイに先を越された。
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 また上記「苦情のやうなもの」稿の擱筆直後は別の「お題」を書き始めたが、そちらの方は未だ纏まらぬままダラダラと蟠って居る。…そんなこんなで今月も、いつもの月刊誌は今日まで買ってなかった(平積み絶滅、棚に二冊ずつ残存)。それまでは目次が餌の「おあずけ」気分たるや宛らポチ同然で、こちら苹公は内心ワンワン「暁に吠える」のでござんした。(…ん?↓)
http://www.youtube.com/watch?v=Cek6GQjDR1I
 「嗚呼あの顔で、あの声で」…伊藤久男が歌えば背筋はシャンとなるけど、今は綾小路きみまろネタくらいしか思い浮かばない時代でござんす(あれから四十年!)。
 BS朝日が2014.9.6に映画「日輪の遺産」を放送したのは何故かしら。映画自体は面白かったけれど、ついつい朝日新聞本社の記者会見に至るスケジュールを勘繰りたくなったのは…傍目にゃ間が悪いと云うか何と云うか。
【2014/09/19 00:01】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



 …短いくせに、連投スマソ(汗)。
 スコットランド独立否決に、ふと思い浮かんだ一曲(↓)。
http://www.youtube.com/watch?v=JgSdBY7KHr0
 実際、かなり気になった。フランス指揮者がボストン振った前掲動画では物足りず、挙句の果てはマニフェスト…じゃないや。大西洋を越えた独特の「濃さ」まで持ち出さないと気が済まなくなった(嘗ての離婚相手から愛をこめて?)。…鬼畜米英の噎せ返る様な体臭に想う。やっぱり決め手は「ディスティニー」よね♪(なんのこっちゃ)

(備忘録)
 あんまり短過ぎてもアレだ…と思い直して追記。産経記事、韓国ネタ転載。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140920/kor14092007300002-n1.htm
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>【外信コラム】
>ソウルからヨボセヨ 漢字復活の悲喜
>2014.9.20 07:30 [外信コラム]
> 昔の韓国は街の看板には規制が厳しくて、英語禁止の時代があった。解禁は1990年代以降だったか、その結果、今や英語だらけだ。ハングル自慢をはじめ日頃の「わが国最高」という愛国キャンペーンはいったいどうなっているの、と嫌みをいいたいほどだ。
> そんな中で珍しくソウル都心の高層ビル街に漢字で「清進商店街」と書いたアーケードが登場し目を引いている。光化門広場近くの鍾路の大通りに面した再開発地域だ。以前は古い路地街で、昔のソウルの面影を残したその風情がよかったが最近、高層ビル街に様変わりしてしまった。
> 「清進商店街」の漢字はその罪滅ぼし(?)かもしれないが、英語全盛時代に漢字とはどうやら中国人観光客などを意識したもう一つの国際化らしい。高層ビル街での漢字復活は逆にエキゾチックでさえある。
> ちなみにこれまで漢字の看板というと中華料理屋しかなかったが、近年は行政当局がソウルの地名標示などに漢字を付けている。ところがこれが現在の中国の簡体字だから困る。
> 中国人も日本人も分かる「駅」でいいのに「站」だし、ソウルの「首●(爾)」も落ち着かない。中国人記者も昔の「漢城」や「京城」の方が首都らしいのにと首をかしげていた。その意味では「清進商店街」は伝統風で好ましい。(黒田勝弘)
>●=欠の人が小
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【2014/09/21 03:00】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(もう一つの「河野談話」?)
 「日録」連載のアフォリズム集を恣意的に読んでいると、ついぞ連想ばかりがあらぬ方向にはじけ飛ぶ。果ては「誰か流れ弾に当たる奴は居らんか」とでも言いたげに、言葉が勝手に脳内をうろつき始めるから困ったもんだ。そんなきっかけの一つをば(↓)。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1474
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>(2-34)日本列島に住む住民とその文化を愛し、日本の国の歴史を正道に戻そうとする全体的な意思というものを重んじる、その一翼を担い、その一端に列しているということは主人持ちですね。いいじゃないですか。主人持ちでけっこうではないのか。主人のいない純粋芸術派の弱さ、純粋学問の虚しさになぜ彼らは目を醒まそうとしないのか。
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 書道畑が「主人」にビビビ。~それが書道、文字文化、言語芸術、或いはより広汎な世界や領分ならよいのだが、ナントカ流や誰々先生だと些か厄介な話になりやすい。相撲や落語の出稽古とは違うらしく、書道に他流試合の様なものはあっても他流の稽古は概ね廃れている。やはり師匠は特定の方がよいのかしら。しかも多くの場合、直近のイメージと同一視しながら「遠く昔をも見る」傾向が強く感じられる。
 流儀書道の江戸時代、確かに師匠の影響は強かった。とは云え実際さほど極端でもなく、偶々近所に住んでいるとか、他に師匠が見当たらないとか、その程度の「弟子とも云えぬ」寺子レベルが多かった。そこに「暴君的」家元イメージを持ち込む方が却って非現実的なのは、誰だって分かりそうなものだろう。兄弟子と弟弟子が師匠と似た字を書くのも単に師匠が同じだからで、師匠の与える手本が違えば弟子達の字はガラリと変わる(ただし基礎の同一性からは逃れられない)。そうした手本の多様性を束ねるのが師匠と云ってもよい。もちろん多様性の幅が拡がれば分裂的になるし、そうでなければ家族的/ムラ社会的な拘束イメージは比較的/相対的に強まったりする。…初めから比較しなければ、そうした認識自体、ない。あるのは目の前の一者のみ。
 社中/書塾で学ぶと、この辺が肌で分かる。ただし義務教育の学齢段階では不充分。戦後ゆとり世代(1945~)は学校で碌に学ばないのが通例で、その分だけ書塾の「お習字」イメージは却って頑迷固陋さを増すからだ。昔式に云えば、三体千字文を一通り学んだレベル以上でないと。そこを飛び越えていきなり古典から始めるのが高校書道ゆえ、昔と今とでは基礎の在り方が異なる。つまりスタンダードな一者の草略基礎なき「多様=分裂的」な古典から始める人が多く(と云うか…全部?)、なおかつ高校では理念的(?)にも「主人」的な位置に据えられた一者の在り方が「分裂症」的となる様、予め「学習指導要領で定められている」事になる。
 以上は「お膳立て」の初期段階。指導する立場の一者が多数の権威の影を担うと、いっそう「家元」的となった「イメージの塊」は一者を霊媒師のごとく仕立て上げる。すると一者は師匠のままで居られない。権威を崇める伝道師は謂わば「権威の奴隷」であり、直接には権威そのものを有しない(=教員に権威は要らない)。そこで彼らは権威を獲得しようと(←自由を希求!)、社中や展覧会の活動に熱中し始めたりする。…あれから数十年。権威ある人々は実用書道世代から芸術書道世代に入れ替わり、初心者の群れには優しく語りかけるのが通例となっていた。曰く、「書は読めなくてよい」のですよ、と。
 これが書道の「河野談話」に相当する。偉い人の誰もが口を揃えて、「読めなくてよい」と言っているではないか。論より証拠、今は誰も読めない。だから「読める様にする」書道は間違っている事になるのだぁ(歴史修正主義?)。さあ、想像の翼をひろげよう。…書道界にも、河野洋平みたいなのがウジャウジャ。

http://blog.livedoor.jp/slapshot_seaside/archives/2010-04-02.html
 …と書いて一休み中に検索したら、こんなの(↑)が出てきて「続きを書く気が失せた」。よりによって、アノ河野洋平が田中真洲の…あああああああああああ(←錯乱中w)
 気を取り直して旧稿発掘。以下は『書を語る1』(二玄社)P.31の福田恆存。初出は昭和五十六年五月の「出版ダイジェスト」。~あたしゃ日録感想板か何処かに書いた「耳の痛い話」稿で、2005.1中旬頃に抄録したらしい(西尾全集第二巻P.395も参照あれかし)。
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> 父は一九二九年の大恐慌の煽りで、その翌年の昭和五年、東京電燈を馘になり、同年、春湖師の死に遭ひ、それからは正に「芸は身を助く」で、子供相手に習字の私塾を営むやうになつた、丁度、私が浦和高校に入学した年である。その後、正確な年は覚えてゐないが、私と小中学校を同じくする高橋義孝の発意で、二人一緒に父に入門し、週に一度、二三時間、手習ひをした、大学生の頃である事は確かだが、それも三日坊主で、二年と続かなかつたやうに思ふ。
> 私が多少本気になつて習字に身を入れ始めたのは、ロックフェラー財団の助成金を得て、昭和二十八年九月から約一年間、欧米で過し、二十九年の九月に帰国した後の事である。留守中、家内が比田井抱琴師に仮名を学んでいた事を知り、俺は仮名は苦手だから漢字が習ひたい、抱琴先生に相談して、大磯近辺に在住の信頼出来る書家を教へて貰へまいかと頼んだ、その抱琴先生が紹介してくれたのが平塚の田中真洲師である。
> それにしても、不思議な縁である。早速真洲氏を訪ねたところ、書は初めてかと問はれ、正直に言つた方がよいと思い、父に就いて多少半紙を汚した事はあるが、初めても同然だと答へた。すると、師は急に膝を乗り出し、あなたのお父上といふのは、春湖師の弟子の秋湖、福田幸四郎さんではないかと言ふ。「その通りです。でも、どうしてそれがお解りになりましたか」と反問すると、真洲氏は自分も東電に奉職し、主に辞令を書いてゐたが、お父上とは二三度、会つて書の話をした事もあるといふ、父の馘首の辞令も恐らく師の手によるものであらう。が、師は何事も合縁奇縁だと、私の弟子入りを快諾して下さり、家内も一緒に漢字を習ひたいといふ要求から、週に一回、拙宅にお越しを願ふ事になつた。大層、我が儘のやうであるが、こちらから伺ふ事にしたら、仕事に逐はれて、きつとさぼるであらうと思ひ、師を迎へるといふ事で、私は自分で自分を縛らうとしたのである。
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【2014/09/28 12:04】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
8じさまが、しんだ。(其一) ( 苹@泥酔 )
2016/03/09 (Wed) 23:12:42
じさまが、しんだ。(其一) ( 苹@泥酔 )
2015/09/19 (Sat) 23:58:07

●旧稿転載
 セレブ奥様ブログのコメント欄より(↓)。四分割中の一。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1679.html#comment



 宮崎正弘メルマガの樋泉克夫連載で、待望の宇野哲人ネタが始まった(初回二稿↓)。
http://melma.com/backnumber_45206_6077873/
http://melma.com/backnumber_45206_6078056/
 渡辺望本は買ってきたけど、旧稿(↓)で言及した佐藤栄作本は…まだ買ってない。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1648.html

(回想)
 書道畑(漢学畑)の支那イメージは大雑把な書道史(漢魏晋唐宋元明清)が中心で、伝説に近い唐土の文化を専ら書物に依拠してかかる。専ら夢想の向こう側に酔うものだから、反する現実があるとは文字通り「夢にも思わない」。そんな桃源郷(?)でさんざっぱら遊んできた身には、加地伸行『現代中国学』(中公新書)など別世界そのものだった(そもそも書道ネタ出てこないしw)。新聞は書展基準なら読売か毎日で、別格が長老サロン(二十人展)の朝日。産経や日経は読んだ事がなかった。産業経済の略なら専門紙かと。まさか中央紙とは…もっと正直に云えば「普通の日刊の新聞とは思って居なかった」。
 その当時、巷では逆説の歴史本がどうとか取り沙汰されていた。当方そっちには興味がなく、買ってみたのは同じ著者でも別筋らしき井沢元彦『言霊』(祥伝社)くらい。~或る日、職員室の日本史先生んとこに生徒が質問しに来た。その先生との仲は悪くなかった。右も左も分からぬまま、横から無邪気に「そう云や逆説の…てぇのが出てたな」と茶々を入れると先生の表情に僅かな変化が感じられたが、その理由が苹には全く分からなかった。その前の高校に居た時は、なぜか歴史の某先生と相性が悪かった。ふと(酒の場で)ヒトラーについて喋ったら怒り出した事もあったっけ。なんでだろう?
 初めて読んだ西尾本は『教育と自由』で、まだ右や左や「つくる会」や西尾幹二は出てこない…つまり書物は専ら嗅覚で読む。予備知識(著者名とか)はどうでもよいから、右や左に惑わされる事もない。その代わり桃源郷の後遺症か世界が狭いのか、現実を見ない以上に「夢想を現実に持ち込めない」のが書道畑の宿命かも。言葉自体はそのままだと「教養としての中国」を現実へと持ち込む事にもなろう。それが明治の書道畑では「学んでいいのは唐代まで」で、宋代以降は見るだけ。明清以降は格が落ちるとされた。この違いは大きい。どっちが現実か分からないのは、日本の現実に「中国の今」が存在しないからだ。
 そんな感覚で渡辺望本を読むと、書道畑や漢学畑の捩れ具合がよく分かる気がする。どう説明したらよいだろうか…戦前の書道畑から見た「中国の現実」を。或いはいっそ、ネットで見つけた「ドラえもん」のパロディ漫画に喩えれば、意外とアッサリ「一目で掴める」のかも知れない(↓)。~尤も、この感覚は戦後すぐさま壊れていった。明清調の行草が流行し始めた時期と重なる。見た目の中国は若返り、日本の感覚は二重に捩れた。
http://bokete.jp/boke/6734782
【2014/08/24 06:54】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



 宮崎メルマガの宇野哲人ネタ、樋泉連載の続き四稿(↓)。
http://melma.com/backnumber_45206_6079384/
http://melma.com/backnumber_45206_6079936/
http://melma.com/backnumber_45206_6081049/
http://melma.com/backnumber_45206_6081891/
 …てな具合に続けると際限がなくなる。ここらで打ち止め。

(回想の続き)
 思えば書道史の勉強中、たまに何か引っ掛かる事はあった。~弱年の王羲之、どちらかと云えば東晋貴族の中では軟弱な方だった様だが、心臓料理をムシャムシャ食べたらどうにか面目が立ったらしいし、一応は後の右軍将軍でござんす。董其昌んとこは貧しい娘を吊して陰毛かきむしり血だらけにして遊ぶ暴力団まがいの一族で、民衆に恨まれて夜逃げしたとか。王鐸は首相クラスなのに清に寝返って、取っ捕まった明の遺臣だか天子だかに「アンタなんか知らないヨ」とほざいたら、清でも再び首相クラスに返り咲いたとさ(以上、うろ覚え)。…どれも日本人には付いていけない別世界かと。
 この手のエピソードは普通に勉強した書家なら知っている筈だから、その上での支那文化崇拝って事になる(たぶん)。政治や民族性は別の話と割り切って、唯美世界に耽溺するのが戦後的には穏当なのかも。相手の方とて大陸各地に台湾に香港に華僑あれこれ、しかも西冷印社あたりの知識人なら十把一絡げには出来まい。それに少し前まで中国側のは文革に怯えてた口だし、日本側には嘗て出征した世代が多かった。(BS11日曜名画座「月光の夏」(2014.8.24放送)の録画冒頭「もしや?」と思ったら案の定、タイトルの字は今井凌雪…戦闘機乗りが似合い過ぎ!)
 榊莫山の本で昔、文革で龍がパンダに変わったとか、小筆の「写奏」が「写巻」に変わったとか、そんなのを読んだ記憶がある。こっちの具体的な話の方が、苹には毛沢東がどうとかよりも遙かに分かりやすかった。文革の嵐が過ぎ去った後に湖筆廠を訪れた時は、古老の職人が「年々、羊の毛質が落ちてきている」と言ってたそうな(当時から!)。文革以前は賀蓮青、邵芝巌、戴月軒など多くの名店があった。そうした少し前の時代に文物を需め、実際に使った事のある皮膚感覚の持ち主が戦前日本には少なからず居た。それが開国後の日本人を惑わせた面もあるのかナと。
 他方、むしろ政治的に支那への中途半端な憧れを持つタイプが乗せられやすい気もせぬではない。渡辺本P.24の「どしどし支那に帰化」(『大西郷遺訓』)には驚いたが、支那を教導せんとする文脈なら分からぬでもなく。差し詰め美女の色香に惑わされた「たんたんたぬき」が、相手の内なる腹黒さに気付かぬまま亭主ヅラを決め込む様なものかしら。因みに佐賀鍋島の中林梧竹も薩摩の西郷南洲も、どうした訳か「ううきんたん」(漢字表記すれば大金玉?)なのは同じでござんす(関係ない話か…汗)。
 ~そんな回想を交えながら、P.40を読み返したりして居る。
【2014/08/26 20:48】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



>そうかそうか、中国礼賛には、「書」も大いに関係しているのか
 うーん…関係の有無か仕方か不明なれど、「隣の変な国」に近寄り過ぎない程度には鎖国名目の距離感が保たれてきた筈。その箍が外れて開国と相成った。「書」と云っても今のイメージではなく、日本文化と一体化した知の集積ツールがあちらと概ね共通していただけの話で、要は「書道」でなく「書物」。楊守敬が明治13年(1880)に来日して支那書道の起爆剤となるまでは、むしろ書道「抜き」に近い。また著者の云う「教養としての中国」は「日本の教養」の話で、対象の話ではない(「教養としてのフランス」は「現実のフランス」でなく「おフランス」)。現に「まえがき」末尾を見ると、「中国を非難するよりもまず、自分たちの中にある「中国」なるものを自戒しなければならないのだ」とある。
 にもかかわらず、書の話を持ち出すと何か特別な気持ちになってくる。南洲のを好むコレクターは数多いけれど、幕末当時は筆記具ほぼ全部が毛筆で、印刷された書物の字まで毛筆調の「草書変体仮名交じり」なのが全国どこでも普通だった。それより特別だったのは活字の方で、この頃から知識人が活字信仰に傾斜していったらしい(活字を読むのは知識人の証拠?)。~漢字の活字は上海経由(=西欧勢力下)で日本に入ってきた。新たに漢字と仮名の活字を拵えた築地の業者が大繁盛、活版印刷が明治ヒトケタ期に急速普及する。もちろん受け容れ土壌は頗る高い識字率あっての事で、ご親切にルビまで振るのは江戸期の伝統そのまんま。
 爾後、支那書道のブームが起きる。それまでは「日本の唐様書道」だった。江戸時代の唐様ベースは王羲之から顔真卿、米元章、文徴明、董其昌などの帖学マトモ系列で、明治の支那書道は碑学すなわち剛直峻険な六朝風の楷書や方勁古拙の漢隷が中心。つまり書道に託ければ馬賊的イメージの覇道を支那から学んだかのごとき形で、今の中国が日本にイチャモン付けてる様な西洋帝国主義の模倣に起因するのではない。日本は野蛮文明(?)の支那に学び適応(調和/親善?)しようとした面もあったのに、とことん野蛮には成りきれなかった。支那(華夷秩序)と西洋(植民地主義)はどちらも同じ帝国主義的な覇道の分水嶺。それらと一線を画した所に、日本の美意識を内包する武士道が引き立った。
 そんなふうに書道を中心軸として見れば、中国礼賛と西洋礼賛は共々「質的に同格」な他者同士の呼び込み合い(?)に過ぎず、畢竟どちらに転んでも日本の安寧は得られないかの様に映ってくる。しかし他方では、このジレンマが日本を背面から近代化したかの様でもあり、その事を含意するか否かは知らねども、ともかく著者はP.40で「明治維新の「立ち後れ」の受け止め先として現れた大いなる可能性の場」としての中国大陸に言及した。どのみち立ち後れていたのなら、そこにこそ日本の夢想もて四海を超越する余地が出てくるだろう。これは或る意味「危険な賭け」でもあり、ともすれば明治維新の精神自体が巨大なルサンチマン文化の勃興をも意味してしまう。
 軍国主義の右翼イメージがそれに近いかも知れない。伝統を意識しているにもかかわらず伝統文化の破壊なしには維持できない進歩的強迫観念が近代化を表徴するのに、実は近代の在処が分からない(場所と中身の乖離?)。西洋ばかりが近代ではない。日本では日本なりの近代が「それぞれの今」を自己に内在/同定し続けてきたのと同様、質はどうあれ支那にも支那なりの近代があった。してみると日本の近代化とは、海外の近代を日本基準で選別し輸入する行為に他ならない。仮に支那の近代が劣っていたとするならば、支那が列強に負けたという史実以前に先ず、日本の近代性が西欧の近代性に近かったという実質を示唆する事になるのだろう。
【2014/08/29 22:13】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



 妄想は、更なる脱線へと続く(汗)。…お題が「朝鮮半島の近代化」では、どうか。元々そこに歴史区分としての近代は当て嵌まらないかも知れない。むしろ「近代化」の方が「近代」を破門(?)する所に、朝鮮ならではの特徴があったかの様な。この場合「近代化」と云わず「進歩」と云った方がよさそうだが、通時的には「近代化」のままでも構うまい。そこに却って朝鮮半島のややこしさを感じる。
 朝鮮半島の近代化は支那化に始まる。それを支那への従属と見なしたものだから、支那化が近代化だとは誰も思わない。この意味では日本の近代化も支那化であって、時代は遣隋使以前にまで遡るから近代とは無関係。しかしそれでは言葉の辻褄が合わないし、近代化と欧米化の類義性を乱す訳にもいくまい。少なくとも日本や欧米の基準ではそうなるだろう。しかし韓国ではどうだか。あの国は先進国なのか。そもそも先進国とは何か。
 第一の近代化を支那化、第二の近代化を欧米化と捉え直せばどうなるか。朝鮮は近代的な国で、日本は遅れた国だった。朝鮮は日本に先進的な支那文化を「教えてあげた」。やがて朝鮮は第二の近代化に迫られるが、同様の清末中国は失敗して崩壊。片や日本は明治維新に成功し、日清日露の戦勝を踏まえて朝鮮を中国から引き剥がす。しかしあちらにしてみれば近代化とは中国化なのだから、中国が先に欧米化すれば朝鮮も後に続いて欧米化できた筈。ところが「独立」させられると、朝鮮は自前で近代化を進めねばならなくなる。つまり「近代化の源泉」たる中国との縁が切れる結果(←これも近代化の一面なのに)、近代化が阻止された形になる。
 保護国から日韓併合へ…これも一つの近代化ではあろう。しかし日本化は「正しい支那化の文脈」でなく、あちらから見れば伝統/華夷秩序を無視した欧米列強の植民地主義に近い立場と映った筈。どんなに生活が向上しても植民地は植民地、かと云って独立したい訳でもなさそうな点で「独立そのものの中身が歪んでいる」。…もしや鮮人にとっての独立とは、その実「ウリナラ肥大の悪」を道徳的に表徴するのかも。抑制主体と支配主体の同一性がないから、抑制するには支配される必要がある。それを理想的(?)な形で実現したのが同族間の両班支配体制だと見るならば、支配し支配され合う同族意識の濃密さに「余所者は要らない」。
 そこに中朝関係と日韓関係の類似性が感じ取れる。日中関係が他国同士、南北関係が同族同士なのとは別に、中朝関係や日韓関係はツンデレ型(?)の依存体質をそれぞれ別の形で示しているかの様な。北朝鮮の将軍様は国民を支配してくれるが、韓国の大統領は国民に支配される点で取り敢えずは異質。ところが対外関係となると中国は近代化幻想の模範であり続け、日本は侵略者としての近代性に於て常に他者/余所者であらねばならない。…何故か。日本は「右翼的」「欧米的」であればあるほど、朝鮮半島に「古来の近代性」を認めたがらないかの様に見えるからではないか。
 誰だって、自分の国に「近代がない」なんて思う訳がない。ただし「野蛮な近代」などの体質的な客観性に圧し潰される事はある。他者優位の自己喪失が反動への内圧になるのは珍しくなく、判断自体の体質が双方向的に民族的特質を形成するに至っては、例えば北朝鮮も韓国も、同じ朝鮮民族としての一体性に包まれるのは当然と云えよう。そうした前提に立つ対外関係が、分裂した自己との間それぞれに共通の民族的「ニオイ」を漂わせる。それらも含めて丸ごと「キムチ臭いんだよ!」と罵られたら、果たして彼らは(罵る側に対してよりも)自前のキムチに対してさえ冷静で居られるだろうか。
 それだけ「近代化」の根は深い(←分裂的意味!)と忖度するなら、分裂国家の一方が中国に回帰し、また一方が距離を取るかの様に振る舞う政治的状況には、奇妙な民族的因縁/感応を疑わざるを得ない。南北朝鮮は今も暗黙のうちにバランスを取り合っているのではないかと。もしかしたら彼らの民族的意思は、欧米的な「近代化」の文脈から脱却する方向に中国を折り畳もうとしているのかも知れない。(それが中国にとって迷惑か好都合かは皆目不明。)
【2014/09/05 02:58】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(続き)
 苹らしくもなく、書道ネタの筈が政治的脱線。~支那化に伴う「(漢学)教養主義」を朝鮮支配層の一端に置けば、もう一端には文盲の被支配層が対照的な陰翳をなした筈。と同時に彼らは朝鮮語を話す朝鮮民族。如何に近代化=支那化の要請が苛烈で、また現に遂行中だったとしても、そこには応分の軋轢や内なる抵抗があった筈。しかしいづれにしろ支那/漢字文化圏の周縁民族たる朝鮮人や日本人は、それぞれ自前の言語に即した漢字の活用を成し遂げてきた。この事は両者とも応分に誇るべきだし、そこに質の上下はない。ただ、どこまで行っても差異があるだけだろう。
 それにしても面妖ではある。なぜ朝鮮独自の文字が「全く漢字らしくない」ハングルだったのか。それほどまでに朝鮮人は支那人、或いは支那文化を嫌っていたのだろうか。素直に漢字を駆使しつつ、活用の質そのものを根本から日本語に従属させていった側にしてみれば、同気連枝の大陸兄弟(?)らしからぬ仕儀ではないか。みっともない野蛮支那人と一緒にして欲しくない底意が歴史的に引き継がれてきたのなら分からぬでもないが、もしそうなら日本の地理的条件は、支那文化を理想郷へと仕立て上げられるくらい好都合な「距離」に恵まれていた事になる。灼熱の太陽に焼かれるでもなく、余りの遠さに凍て付くでもなく。
 そのハングルは朝鮮で廃れた後、日本の施政下で育まれた。すると「支那化の純血」(?)に穢らわしき日本の血が混じったからサア大変、さりとてハングルに恨み辛みをぶつける訳にもいくまい。日本の「漢字仮名交じり」みたいな「漢字ハングル交じり」書記様式から「ハングルの純血」だけを取り戻したかったのか、果ては「漢字の支那」も「書記様式の日本」も丸ごと洗い流すかのごとく血迷った。こと南鮮では漢字廃止の他、キリスト教化などの「近代化」に勤しんだ。片や中国では簡体字にピンイン導入。これも中国なりの近代化ではあるのだろう(そのピークで野蛮の極致~文革がやってくる)。
 中国では近年、繁体字の復活や書教育の強化を模索し始めた様子。本家本元が保守化に動いた形…と見るのは差し支えあるまいが、隣の半島は話が別で、漢字復活の必要を説くのはごく一部の学者だけらしい。実際、支那化/属国化のツールを「ウリナラの伝統」と見なしたり、保守化の文脈にこじつける訳にもいくまい(孔子が韓国人だったり、漢字が韓国の発明ならともかく)。おまけに漢字は日本の字でもあり、論理としては既に詰んでいる。反日は反中に連鎖する筈ゆえ、漢字復活は絶望的と云う他あるまい。そこが中国と決定的に異なる、自己喪失/文化複製半島の弱味なのだろう。

(いったん中断)
 …↑ここまで書いて一休み中、念のため草稿用ファイルを検索したら、初代の天バカ板に書いた「気の向くままにつれづれと…」稿が出てきた(↓)。投稿日時は記録してないが、稿中のリンクから察するところ七年前の、宮澤元首相が逝去した直後らしい。以下その後半の、書物引用部分のみ転載する。

>●W-J・オング『声の文化と文字の文化』(藤原書店)P.192~193
>--------------------------------------------------------------------------------
>> アルファベットの歴史においておそらくもっとも注目すべき、たぐいのない成果は、朝鮮で、一四四三年に李朝の王世宗〔セジョン〕が、朝鮮人のためにアルファベットを考案せよとの勅令を発したときになしとげられた。そのときまで朝鮮語は漢字だけで書かれていた。朝鮮語はシナ語とはまったく類縁関係がないにもかかわらず、朝鮮語の語彙に漢字を苦労して適合させ(そして、組み合わせ)てきたのである(朝鮮語には、シナ語からの多くの借用があるが、かなり朝鮮語化されているため、そのほとんどは、どのシナ人にも理解できない)。代々の何千人もの朝鮮人、つまり、書くことのできたすべての朝鮮人は、人生のかなりの時間を、複雑なシナ・朝鮮式書字法を身につけるために費やしてきた。かれらが苦労して習得した技能を時代おくれのものとしかねない新しい書体系を、かれらは、ほとんど歓迎しようとはしなかった。しかし、李朝の権力は強大だったし、多くの抵抗を予想しながら発せられた世宗の勅令は、かれが比較的強靱な自我構造をもっていたことをうかがわせる。ある言語へのアルファベットの適用には、一般に、何年も何世代もかかる。世宗の集めた学者たちは、(先行する準備期間はあったものの)朝鮮語の音韻体系にほぼ完全に適合し、漢字で書かれたテクストとおなじような外観でアルファベットのスクリプトを書けるように、美しく図案化されていた。しかし、この注目すべき成果も、その受容という点に関しては、予想どおりだった。そのアルファベットは、学問以外の、実際的で卑俗な目的にしか用いられなかった。「まっとうなserious」書き手は、労苦にみちた訓練のすえ自分が身につけた漢字の書体系を使いつづけた。まっとうな文学〔文献〕は、エリート主義的であったし、エリート主義的と見られることを望んでもいた。二十世紀になってはじめて、朝鮮のいっそうの民主化とともに、アルファベットは、現在の優位(まだ全面的ではないが)を達成したのである。
>--------------------------------------------------------------------------------
>
>(朝鮮の話題になったから以下蛇足)
>●尾形裕康『我が国における千字文の教育史的研究(本編)』(大空社)P.332~334
>--------------------------------------------------------------------------------
>> 外国において出版された千字文を総覧してみると、中国には周系千字文・異系千字文の刊行・書写があり、さらに燉煌から発見の千字文を加えることができる。朝鮮においても周系千字文・異系千字文が刊行・書写されている。一方、西洋人編集のものにも、周系千字文・異系千字文があった。
>> 以上、外国で刊行された千字文を種類別にみるならば、周系千字文八三部に比して異系千字文は三二部となり、周系千字文二・六部に対し、異系千字文が一部の割合で刊行されている。この周系対異系が二・六対一という割合は、日本の三・九対一(周系千字文八三二部、異系千字文二一四部)と比較すると、外国における異系千字文出版の比率がかなり高いことを示している点で注目される。ただし、これはあくまで著者が現在までに収集した資料に基づいての立論である。
>> 次に千字文個々について特性を考察すると、中国周系千字文は、装丁において袋大が多く、楷書と共に草書体がかなりの数に及び、陰刻本が比較的目立っている。これらから、中国周系千字文は法帖形式の習字手本としての役割が強かったことを推知し得られる。これに反し、中国異系千字文の編集様式は、内容の実用性と共に形式も実用性を帯び、書体は全く楷書からなり、注釈や挿絵を付したものがとくに顕著となって、読書中心主義の特徴が歴然としている。内容上については、中国の歴史、とくに古代の天子・聖賢を叙述したものが多く、次いで道徳倫理を説いている。さらに周興嗣千字文の形式をふんで、天・地・人一般について叙述しているのは、日本における異系千字文の内容と類似しているところであった。
>> 朝鮮周系千字文に諺文を多く付しているのは、習字用と共に読書用としての役割もあるからである。かつ小倉博士が述べているシーボルトの諺文付き千字文は西洋人が朝鮮語研究の口火を切ったものとして注目される。朝鮮異系千字文では、ほとんどが諺文・注釈・挿絵つきで、朝鮮版全体としては周系・異系千字文を問わず、大要、大版(袋大・折大)の装丁によるものが多い。朝鮮異系千字文の内容に関しては、日本や中国で比較的よく取扱われていた歴史関係のものがわずか一部をとどめているのみで、その外は一般事物の内容を載録したものであった。
>> 西洋人編著にかかる周系・異系千字文は、西洋人が中国語を学習するための手ほどきの書として、おおかた編集されている。さらに周系千字文の翻訳の場合、その内容分類上の節の区切り場所・仕方が酷似していたこと、千字文の学習を、三字経等と関連させながら、教科課程の中で正確に把えていることなどが括目される点であった。
>--------------------------------------------------------------------------------
【2014/09/08 22:26】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
8読めない通、読める野暮(其三) ( 苹@泥酔 )
2016/01/25 (Mon) 07:05:40
読めない通、読める野暮(其三) ( 苹@泥酔 )
2015/08/15 (Sat) 21:02:11

●旧稿転載
 セレブ奥様ブログのコメント欄より(↓)。三分割中の三。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1648.html#comment



(補記)
 神経文字学の視点で書道脳/古文書脳は仮構可能か?…話を急ぐ。(急いでどうなる?)
 昔ながらの筆文字を読める相手に余計な説明は要らないが、読めない相手に「なぜ読めるのか」を説明するのは難しい。当方ネットでは駄文を長々と十年少々、それ以前は生身の高校生相手にガチで肉体接触を挑んだりしてきたものの(←ヤラシイ意味じゃなくて、ただの手取り指導ね)、あれでまともに通じたとは思えない。それどころか年々歳々、言葉と体験との交換原理が構造的に違うらしい事への不安は否応なく増すばかり。義務教育時代に自前の読み方が定着し終えた生徒達に全く別の読み方を教えるのは、それまでの読み方(言葉は人格を映す鑑…)を全否定する事になりかねないからだ。
 この点、不慣れな古文や漢文を題材とするのは却って都合がよい。そこを上手に軟着陸させてきたのが戦前の習字教科書だった。先ずは生身の父祖(世代)と文字感覚を同じうするギリギリの所での、全国規模で共有可能な書字規範から始める。言い換えるなら現代文と古典との、書字マテリアルにおける漸近。ゆえに国定手本筆者の責務は、後から思えば途方もなく重大だった。そこが今の、いきなり拓本図版の過剰投与(有り体に云えば古典ドーピング!)から始める高校書道とは決定的に違う。もちろん題材/文章としての古典と、書道の規範としての古典とは異なる。そこを混同されては困る。
 …ふと世紀末のアブナイ本を思い出した。女子高生が仲間連れで「援」をする。客と接触したら、なんと相手はヤクザだった。連れ込まれて複数で始める。友達は薬物どんどん打たれてて、「もっと、もっと」と喘ぐ姿はまるで別人(後で調べたら出所は黒沼克史著、文藝春秋刊1996のP.178前後だった)。…どこか書道の「古典ドーピング」と似てやしないか。過剰投与で死ぬタイプを芸術科書道選択者の大半に見立てるならば、「もっと、もっと」が書道部員のタイプ…と書くと現場の先生から怒られちまうかもナァ(汗)。熱心な学校では合宿や錬成会がある。大抵は実技練習ばかりで、座学の方は聞いた事がない。
 それは扨て置き、あらためて考えると面妖な話ではある。小三から中学卒業まで七年間、高卒までなら十年は書写・書道に「親しんでいる」筈なのに、碌すっぽ読み書きが出来ない。これが別方面なら、読み書き中心の受験英語と実用の英会話を対比させたり、或いは所謂「英語脳」といった形容で議論を組み立てる向きもある。芸術書道と実用書道の場合は視覚情報の処理プロセスが言語意識に直結しない限り「読めない」のは当然だろうが、それとて結局は程度の問題で、可読性が絵画的構造知覚を破壊する訳ではない。ただし「時期尚早」の「過剰投与」で、英語や書道が嫌いになる事はある。
 理詰めの説明や理解の仕方が問題とも、或いは「慣れ」の問題かとも。前者は書教育で欠陥が目立ち、後者への執着は英語環境の「楽天」的な対策に垣間見える。どっぷり浸かる環境があれば誰でも適応できるがごとき発想は、健常者なら欧米人にも通用するのだろう。とは云え彼の方、すぐれた文盲は数多いらしい。綴りを記憶できなくとも音声言語で間に合ったりする。日本語なら「漢字でどう書くの?」となりやすいのに比べて、英語に紛れ込んだ特殊な語彙(専門用語)は一々知らずとも意味を綴りから類推できずとも、さほど日常生活には障りないらしい(←本当かしら?)。仮に音声言語もて文字言語を呪ったところで、あちらでは果たして文字言語が音声を掴み返すのかどうか。
 この辺になると苹の手には負えない。やはりバイリンガルの方々でなければ。~掴む現実味が自然消滅するにつれて駆使できなくなった書字/文字言語と、掴みたくても駆使できないまま右往左往する英語/音声言語との間に、何か関係がありそうな気がしてこないか。一方は廃棄した結果の喪失状態で、一方は掴み損ねた結果の喪失状態。予め失う対象がある/あったから喪失なのではなく、「こんな筈ではなかった」とする理念的で欲動的な対象もまた、獲得以前に喪失を予定されたかのごとき喪失たり得る筈。なぜ幕末明治の人々が読み書きだけではなしに英語をペラペラ話せたのか、その原因を現代人は余りにも、努力や動機や方法のみに還元し過ぎてきたのではないか。
 英語を語る人の多くは英語しか見ない。西欧諸語は参照しても支那語は遠く、日本語は当たり前に過ぎて論外。その日本語とて「国語ナショナリズム」の文脈で語られる事なら多いものの、あれだって本当は生まれてから百年少々の現代文が政治的に巻き込まれただけで、ほんの少し前まで現代文だった「古文/漢文」の対概念に仕立てられただけ…と、見方次第では云えなくもない。その両者を包含するマテリアルが活字で、こちら苹は書字文語が活字文語に逐次翻訳された後で新たな「古文/漢文」イメージが捏造され定着したと見ている次第。すると英語も日本語も、日本に導入されたのはほぼ同時期(誤差は四半世紀前後?)と見て構わない事になるのでは?~議題が英語であろうとなかろうと、日本語については予め盲目となるべく仕向けられているかの様な。
 言語の普遍性についてはチョムスキーに関する本を読んだ際、霊的な胡散臭さを感じた事がある。当時の私は専ら「変形生成」の語を書道頭で勝手に援用/拡大解釈する方向だったが、もし上記の「喪失状態」にチョムスキーの云う意味での「深層構造」が関わるとしたら、あらためて読み返さないと話が先に進まなくなるかも知れない。その場合は当然ながら音声中心主義の見方でなく文字中心主義、差し当たっては大分水嶺理論と絡めて考える事になるだろう。手持ちの参考書/入門書では茂呂雄二、認知科学選書16『なぜ人は書くのか』(東京大学出版会)P.46辺りに関連記述がある。また漢字と仮名については御領謙、認知科学選書5『読むということ』(同上)P.121に第5章「日本語読語過程の実験心理学的分析」がある。

(備忘録)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140801/trd14080114300017-n1.htm
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>【教育再生考 現場からの報告(4)】
>英語教育 進む早期学習 渦巻く賛否 
>2014.8.1 14:30 (1/3ページ)
> 「90-30=?(ナインティー マイナス サーティー イコール?)」
> 小学1年生の算数の授業。外国人教師の問いかけに、子供たちが競うように手を上げる。
> 「I know, I know(アイ、ノウ アイ、ノウ)」
> 廊下と教室を隔てる壁のない開放的な校舎から聞こえてきたのは、子供たちが話す流(ちゅう)暢(ちょう)(りゅうちょう)な英語だった。
> 群馬県太田市などが平成17年に開校した「ぐんま国際アカデミー(GKA)」は、国語と社会科を除く全教科を英語で教える「公設民営」の私立小中高一貫校だ。日本語を話さない外国人教師が教壇に立ち、英訳された教科書で学ぶ「イマージョン教育」を実践している。
> GKA初等部の井上春樹副校長(69)は「日本で暮らしながらバイリンガルに育てるなら、日常的に英語を使うイマージョン教育以上の方法はない。これからの英語教育の方向性を示しているのではないか」と胸を張る。
> 実際、成果も出ている。平成23年度のTOEICで、同校の中学3年生の得点は平均572点。大学生平均の450点前後を大きく上回り、うち2人は900点の大台に乗った。
> 一方、英語以外では課題もあるようだ。同校は今春、高等部から初の卒業生を出した。しかし開校時4年生として入学した1期生60人のうち、卒業まで残ったのは17人。大学入試を意識し、数学などほかの教科の指導に対する不安から、高校進学を機に転校する生徒が相次いだという。
>
> ■子供たちに負担?
> 「私立だけでなく、公立でもイマージョン教育をやってみてはどうか」
> 今年2月に開かれた文部科学省の「英語教育の在り方に関する有識者会議」の初会合で、社内公用語を英語とする楽天の三木谷浩史会長兼社長(49)が、こう提案した。
> 企業活動が急速にグローバル化する中、英語のできる人材の育成・確保を経済界は強く求めている。日本ではこれまで、中学から大学まで10年近くも英語を学ぶのに、まるで使えない人が少なくない。ならば、日常的に英語を使う習慣を、小学生のうちから増やしたらどうか-というわけだ。
> しかし、英語教育改革の先駆例として注目を集めるイマージョン教育は、子供たちにかかる負担が小さくない。英語が分からなければ、あらゆる教科で行き詰まる。母語に触れる時間が少なくなるため、漢字の書き取りや読書など家庭学習で補う努力も必要になる。
>
> ■小中接続に課題も
> 英語教育の充実を目指し、小学校で外国語活動(英語)が必修化されて今年で3年。文科省が昨年実施した英語学習に関する調査では、小学6年生の約76%が「英語が好き」と回答したのに対し、中学3年生では約53%にとどまった。
> ベネッセ教育総合研究所の加藤由美子主任研究員(49)は「小学校の英語活動は聞く、話すが中心で、英語の音声に慣れ親しむことを目標としているが、中学では読む、書くも加わり一気に学習の負担感が増す」と指摘する。
> 同研究所が23年秋に中学1年生を対象に実施した英語に関する調査でも「小学校卒業までにやっておきたかったこと」として「英単語を書くこと」が最も多く33%を占めた。英語教育のちぐはぐさが、浮き彫りになった格好だ。
> 教育関係者からは、「英語教育の必要性は認めるが、早いうちからやればいいというわけではない。教師が一方的に知識を伝える授業スタイルを改めるなど、量より質の向上が重要だ」との声が上がる。
> 国が小学校英語の検討に着手したのは昭和61年にまでさかのぼる。当時の臨時教育審議会が「現在の英語の教育は長期間の学習にもかかわらず極めて非効率であり、改善する必要がある」とした答申は、30年近くたった今も、そのまま当てはまると言っていい。
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【2014/08/04 23:41】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



>日本って国は英語が必要に迫られていないから、
>上達しないらしいですね。
 相手も居ないのに英会話ブツブツ→独り言が薄気味悪い→変質者じゃないかしら→(!)…てな具合に連鎖するのが、コロニーを含む同質社会では自然な感覚だとするならば、「いま勉強中なんだな」と傍目に映る環境自体が異常だったり、そこに「駅前留学」みたいな商機が生まれたり。学ぶ側にとっては駅前の「出島」化に近く、教える側は「入植者」的な立場か。いづれにしろ箱庭的(自閉的?)とならざるを得ない点では、「別の島国根性を相対的に意識化する土壌になって逆効果」と見る事も可能な筈。いっそ学問的ツールと開き直り、読み書きに徹して構わないのならまだしも。
 ただ、幼少時から外国語の発音に耳を慣れさせる意義はあるんでしょうな。しかしこれとて所詮は外側が中心の見方。内側から「方言も聞き取れない奴に外国語が聞き取れるか?」と混ぜっ返せばどうなる事やら。~最近見た再放送録画では、小泉孝太郎主演ドラマ「名もなき毒」第三回が思い浮かぶ。編集長役の室井滋が、講演録音のディープな栃木弁に困り果てていた。また数年前の2chネタでは裁判記録の津軽弁が懐かしい。「うんでもいでまるど」で検索すればすぐ見つかる。
 「共通語」的な視点を国語(日本語)と英語それぞれに中心化/規範化した上で相対化すれば、双方から方言が捨象されてフォーマルなモデルしか通用しなくなってくる。そこにブロークンな英会話を持ち込んでもビジネス英会話に徹しても、どのみち日本語と同水準かそれ以上の社会階層的TPOがいっそう微視的に要請されてくるのは仕方のない事かと。そこを学校みたいに「綺麗な言葉遣いで礼儀正しく」とやり出したら、今度は「教わらなくとも自然に覚える」暗黙知の領分が牙を剥いてくるに違いない。
 外国語の分からない苹にも、それくらいの予測はつく。厳密には日本語も方言も不得手な身だから尚更だ。…これって、ちと考え過ぎかなあ。印象上なんとなく、訥々とした高級語/雅語と流暢な幼児語/俗語くらいの落差はありそうな気がするんだけど。

(またまた備忘録)
 先夜いつもの「考え事をする」夢に、珍しく「思い出せない夢」が出てきた。夢を思い出せないのではなく、夢の中で思い出そうとする…それは「拠」の旧字体「據」であった。千字文の何処に出てたかなあ(→思い出す前に話題が飛ぶ→)。瞼に浮かぶのは楷書なのに胡散臭い。虎構えの下部が「豕」なのはオカシイ。あれは普通なら「處」の書写体で書かれる筈なのに、納得が行かない。篆隷からいったん草略体を経て楷書にフィードバックする間、草略段階での似通った字形は字源が違っても整理統合される傾向にあった筈だし、実際そう書かれてきた。虎構えは書写体なのに下部が「豕」なのもチグハグだろ…と、そんな事を執念深く、目が覚めるまで考え続けた。
 すると翌朝、「書け~書け~」と呪った訳でもないのに産経記事が(↓)。「書写体」は一般的な語彙でない、とでも判断したのかしら。ならば今度は赤字の人を呪ってやろーかw…てな冗談はともかく、これが「ご時世」って事ならテレビでも画仙紙を「大きな半紙」と言い換えてた事だし、半紙/半截あれば全紙あり。その範囲内なら許せなくもない。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140806/art14080608500004-n1.htm
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>【国語逍遥(49)】
>「漢字を創る」 国字にみる大胆な「省略」 
>2014.8.6 08:50 (1/3ページ)
> およそ作家、文学者などと呼ばれるような人は漢字もよく知っていて、誤字を書くはずがない。ましてや明治の大文豪、夏目漱石ともなれば-。
> と思いきや、何だ、かの漱石大先生もわれら凡愚とたいして変わらないではないかと、妙にうれしい気持ちにさせてくれる一書が『直筆で読む「坊っちやん」』(集英社)である。帯には「漱石先生『漢字検定』不合格ぞなもし!」の愉快なコピーが躍っている。
> 「坊っちやん」の直筆原稿を読むと、いきなり表の(1)~(4)(左は漱石の筆跡を本欄筆者が模写したもの、右は通用字体)のごとき見慣れない文字が続出する。もっとも、これらがどれも誤字かといえばそうとも断言できないようで、古い時代には俗字体として多くの人が使っていたものもあるらしい。正誤の判断は一筋縄ではいかない。漱石は筆名の「漱」も(5)のように書くことがあった。
> 『見えない文字と見える文字』(三省堂)の著者、佐藤栄作氏は、中国・清の康煕帝の勅命で編纂(へんさん)された『康煕字典』が日本に伝わって以降、康煕字典体と合わない伝統的な字体の地位が急落したと指摘する。一字に複数の字体が存在し得ることが漢字の特徴だと捉える氏は、「一つの漢字には一つの字体」が浸透したことで、「漢字の漢字らしさを、この200年で失っていった」と残念がる。
> そこであらためて漱石の自由奔放にも見える筆跡を眺めやると、漱石こそは漢字の漢字らしさを存分に楽しんだ作家ではないかと思えてくる。
> 「漢字らしさ」といえば、容易に新しい字を創りだせることもまた、漢字の大きな特徴だろう。古代中国で発明されてから今日まで、漢字は限りなく“増殖”を続け、5万とも10万ともいわれる数にまでなった。
> わが国でも漢字(国字)が量産された。複数の漢字のパーツ(部品)を結合させればどんな漢字でも創ることが可能で、そのような結合によって「働」や「峠」などの国字が創られた。結合に際し、筆画が大幅に省略されることもあった。
> (6)~(8)はいずれも『国字の字典』(東京堂出版)に載る国字を模写したものである。(6)はシャカ(釈迦)、(7)はボサツ(菩薩)、(8)はコンゴウ(金剛)と読ませているが、よくもまあ、ここまで大胆に省略したものだと感心せずにはいられない。
> 私も実際に卒塔婆に(7)の文字を見かけ、その字をササボトケと通称する人たちがいるのも知っている。草冠をカタカナのサに見立てたものだろう。
> どんなに難しい漢字でも情報機器が瞬時に打ち出してくれる当今とは違って手書きの昔は、人は少しでも書く面倒を省こうと工夫を重ねたに違いない。経文などに頻出する「釈迦」「菩薩」「金剛」も、右の国字を使えば随分と省力化される。もちろん元の字を忘れてしまっては困るのだが、古人は案外、漢字を創り出すことに楽しみを覚えていたのではなかろうか。
> 弊紙などが主催する「創作漢字コンテスト」にも省略を用いた作品が毎回、数多く寄せられる。写真は前回の選考結果を伝える紙面(昨年12月24日付)の一部だが、Z会優秀賞に輝いた「●」(よてい)もやはり「予」と「定」の一部省略による合字である。
> 審査を手伝うなかでこの字が特に気に入った私は紙面でも、漢字には生活に即して使いやすいように変化したものがあるかもしれないと評した。手帳に予定を書き込む際、「●」を速記文字のように使ってみるのも面白いと感じられたのだった。
> さて現在は、第5回「創作漢字コンテスト」の作品を募集中である(9月19日到着分で締め切り)。コンテスト事務局(電)03・3275・8134)などで詳細をご確認のうえ、奮ってご応募ください。(清湖口敏)
>●=マの下に疋
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http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/v-006/
 附表の四字は同書P.63「異体字について」の模写。この類の多くが所謂「書写体」で、狭義の異体字は造字構造がガラリと変わったり別字の要素が共用されたりする。多くの字例を見るなら書道字典が便利だが、たぶん使いにくい筈。その点、水野栗原『千字文異体字類』(近藤出版社)は楷書限定ゆえ分かりやすい。読み物と割り切るなら江守賢治『解説字体辞典』(三省堂)が必携の一冊。
http://www.sanseido-publ.co.jp/publ/gen/gen2lang/invisi_visimoj/
 それより興味深かったのは、この記事で初めて存在を知った「佐藤栄作」本。ネットであれこれ調べたところ、核心部分が苹の見方と近似しているらしい。そう捉えてよいなら、「見えない文字」は深層構造に潜む包括的文字概念。「見える文字」は表層構造で分化した具体的書字/文字像。~まだ読んでいないのに胡乱な奴と思われそうだが、過去十年余りの拙稿を裏付ける(?)書物がやっと読めるのかと思うと嬉しくならない訳がない…。

(更に脱線~附録)
http://youtu.be/DCawA6r9biQ
 原稿を楽譜、活字出版物を演奏に見立てると、gerubach動画群(例↑)がすぐさま思い浮かぶ。半年ほど前に発見した時の強烈な印象は終始一貫、どれも常習性や眩暈などの危険な中毒作用に満ち溢れていた。音楽(特にバッハ)を愛好する方々は要注意。お初には取り敢えず無難そうな(?)フランス風序曲を出しとくけれど、無伴奏vcでは自筆譜と出版譜が同時に流れるなど、やたら手の込んでいる所が頗るマニアックで面白い。
【2014/08/12 02:24】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(念のため…補記)
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1455
 前稿の細部を推敲してたら「日録」更新が(↑)。それ見た直後に慌てて投稿したけれど、あっちに言及すればもっと時間がかかるし、「更に長くなる」のは避けたい。そもそも「佐藤栄作」ネタの一部だって、短縮する前は内容こんなだったし(寝惚け気味で書いたボツ稿↓)。
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> 著者の云う「見えない文字」は、苹の言い回しだと「深層構造」に相当するらしい。苹は書かれた文字を表層構造上に捉え、それが文字認識を司る深層構造へと理念的に到達した時点で文字認識されるとした。喩えるなら~理念的な深層の鵜匠が、表層にある鵜のごとき様々な書体を操るイメージ。鵜は様々な文字/言葉を飲み込むが、それらは消化されぬまま脳内鵜匠にエンコードされると同時にデコードされる。これが変形生成であり、その文法(識字アルゴリズム)は変形自体(多様性)とも生成自体(解釈性)とも異なる場所で、両者を理念的なままオリジナルに司る。そこには書風も書体も字体もなく、これらはなべて対象の次元に属し、つまるところ識字アルゴリズムとは関係がない。だから漢字と仮名は万葉的対象次元で互いに突き抜け合う共立可能性を有する所から始められたのであって、むしろ漢字と仮名がそれぞれ共立不可能な次元へと分化したのは、漢字と仮名それぞれが概念としての輪郭を表層への移行過程で獲得した後になる。
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 これでは言い回しに若干のフライングが感じられる(元々のクドさとは別)。また基準文字像にも留保が残る。今でこそ漢字の基準は楷書(と云うより活字)だが、幕末以前は行草の比重が大きい。つまり基準に「細部は含まれない」。曖昧な骨格としての深層から表層へと具体化される時に細部が付加されるので、異体字に見られるタイプの差異は深層の基準と関係がない。(←この感覚は今でも平仮名に生きているのだろう。「そ」の上部に「ソ」型と「フ」型の基準がない様に。)
 「楷書がくずれて行書、更にくずれて草書になる」ストーリーも今では間違いとされているが、昔そうではなかった。さもなくば「国(國)」や「衞(衛)」などの日本式「草書」(筆順が違うのネ)は生まれない。現行の「正しいストーリー」が普及・定着したのは敦煌発掘以後の二十世紀で、史料の大半は大英博物館やフランス国立図書館にある。それはあくまで支那の文字史。日本伝来後の識字史ではない。

(以下、奥様宛)
>ふろくが面白かったです。
 毎度々々、ともすれば専門的なクドさが出て相済みません…(平伏)。あの附録を出し渋った理由は自身の眩暈にありますが、その後マタイ冒頭の児童合唱「ご開帳」に大笑いしたり、ゴルトベルク各変奏の一部冒頭で現れる三段譜にハッとさせられたり、見れば見るほど味があって疼々してました。また~演奏は本来なら融通無碍な筈なのに、音源として固着すると活字出版物と何ら変わらない性格を帯びてくる事にも目を向けずには居られない。
 ところで…装飾音は音符の草略なのか、それとも敷衍なのか。音楽の専門家なら基本、そこんトコどう捉えてるんでしょうかねぇ。素人の愛好家には縁遠い世界ながらも、何かヒントが隠れているには違いない…。
【2014/08/16 07:49】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]
8読めない通、読める野暮(其二) ( 苹@泥酔 )
2015/12/30 (Wed) 21:22:10
読めない通、読める野暮(其二) ( 苹@泥酔 )
2015/06/24 (Wed) 23:55:33

●旧稿転載
 セレブ奥様ブログのコメント欄より(↓)。三分割中の二。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1648.html#comment



 中野三敏と云えば、今じゃイメージは和本リテラシーの宣伝マン(?)。その名と「徂徠」で検索したら稍や専門的なのが見つかったけど(ajih.jp/event/A中野三敏「提言」.pdf…リンクすると長くなる)、苹の頭では理解が充分な所まで及ばない(汗)。前稿後半でアレ出したのは、「伝手を探して神田の古書店を案内して貰ったらどーだろか」ってのが本意なの。まだ活字になってないのが結構ありそうで。…ところで巷間「餅は餅屋」と云うけれど、そっち方面の在野研究者にも「週刊誌を読むタイプ」って居るのかなあ?

(独り言)
 私は普通に手紙を書いた事がない。筆まめでない、と云うよりは筆そのもの(肉筆…印字…文章…)を…でもないか。それより自身を含め、言葉そのものを信用していないのかも知れない。だから誰かに信用して貰いたいと思った事はないし、所詮そんなものは相手の勝手次第。こちらはこちらで勝手に書く(可能な限り正確かつ真摯に)。それで駄目なら仕方がない。「勝手」の中には「ままならぬ」状態も含まれるものと、初めから観念していた面もある。小学校時代の作文が既にして「そうだった」。書けないものは書けないから、「書きたい様に(=素直に?)書け」と言われても困る。~数十年後の今にして思えば、最大公約数的な言い回しの「書きたい事がない」にも幾種類かあって、そこを無理矢理ひとつの言い回しに纏めるしか出来なかったのが遺憾と云えば遺憾ではある。「事=言葉」と代入した場合も、「書きたい言葉が出てこない」となるのはニュアンスとして当然そればかりでない。
 後に私は「輪郭」という言葉を見つけた。それ以前に「書いたところで、相手が読めるとは限らない」と…つまり、ひねくれていた。先ず書記様式の断絶があった。「読めないものは読めない」と前提する国語の常識が(教えるのではなく)教えない事により確立されると、「読めない文学」と「読める文学」との対立様式もまた自ずと方向が定まっていく。教わっていない「読めない文字」は教育規範上「存在しない」から論外。それより「読める文字」の組み合わせの方が現代文と古文を分かち、両者を繋ぐ翻訳の仕方が訓練されていく。そこに書字文語(主に草書変体仮名交じり)の出る幕はなく、専ら活字文語が「輪郭」の統一性と差異の在り方を担う。にもかかわらず昭和末期頃までの書店では、実用書コーナーと芸術書コーナーとで書道本が明確に区別されていた。実用書道と芸術書道の狭間で宙に浮いていたのは教育書道の本だった。
 もしや、教育と文学は相性が悪いのでは。~そんなふうに考える小学生(←苹)が中学以降どうなったか。育ったのか育ち損ねたのか、国語の土俵では判断いたしかねる(苦笑)。文学とは活字文学の事であり、近代文学も古典文学も印刷すれば字面はみな一緒。そこに新旧仮名遣いの問題が絡むとややこしく、くだらなく見えてくる。例えば変体仮名「尓」を「耳」や「二」と書くのも平仮名「仁」(に)と書くのも同じ事で、表音的仮名遣いの場合は「不」(ふ)を「宇」(う)と書けば「変体仮名が一つ増えただけ」と見る事も可能な筈。つまり一方では歴史的変体仮名を廃し、一方では表音的変体仮名を加えたのが明治と戦後の国語政策だった事になる。…そんな見方が何故できない。歴史と伝統に即した筆文字を読み書きできるなら、この方がよほど自然な発想と云えまいか。きっと昔は同じ考えの人が居た筈だ。旧字旧仮名論者の活字臭にウンザリしたら、多分この手の話を持ち出すに限る。
 ところで本稿、何故こうなった?~実は、手紙の書ける人達が羨ましくてネェ…。
【2014/07/06 21:55】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(余談)
 前掲の「ajih」を調べたら日本思想史学会のサイトだった。そっち繋がり&中野三敏で更に検索すると、本格的な研究者らしいのがぞろぞろと。あたしゃ思わず怖気付く…あなたの…じゃなくて「わたしの知らない世界」(キャーッ!)。おそらくミステリアスな陰翳が真夏の怪談話の様に…と書けばミスリードになるけれど、正直あんまり近付きたくないわいナァ。なにしろ心の準備が要る。苹なら十中八九、頭の中がパンクする。
 そんな最中こちらの爺様、2014.7.7朝9:30に転院するとの連絡きたる。7.5の発熱39度が下がらないそうで、一同すっ飛んでったら医者が恐い事を云う(年が年だから云々)。それを聞いた婆様フルスロットル、泣き喚くでもなく早速いそいそ、「万が一」の支度に取り掛かっちまった。冷静に聞けば三週間の目途で治療予定との話だし、7.9と7.15の見舞いでも医者から特段の説明はなかった。とは云え年寄りの肺炎が油断ならぬのは確かなれば、他の事になかなか手が着かない。
 それでも夜は相変わらず飲んで居る。飲むと何か書いて居る。いったん書道ネタが暴走し始めると、やめられない、とまらない。…臨書について想像は膨らむ。古典は対象。臨書は方法。師匠から学べるのは方法であって対象の深奥ではない、等々。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1438
 例えば「日録」(↑)で渡辺様のを読むと、書道のみならず文学でも似た事があるのだなあと説得された気になったりもする。そこではプルーストやサルトルの例が出てきたが、あたしゃ両方とも読んだ事がないし興味も薄い。しかし対象とは全く別に、類似や模倣をめぐる方法面には好奇心を擽られる。変態趣味に近いのか「中身より下着」式の玩物喪志に心奪われると、書道言語学(?)やら何やら造語して煙に巻きたくなる。書家が「眼高手低」のマゾならば、苹のは差し詰めガラガラポンのサドおけさ。アリャアリャサとばかり外面を捨象しにかかるが、実際それぞれ人によって臨書の出来映えは異なるため、臨書の外面から学ぶ手口は~内発的な方法面から出発するのと逆向きである以上に、臨書対象と臨書作品との混同や顛倒に結び付きやすい。そこに模倣の難しさがある(臨模、翻刻、伝来の仮託など)。臨書の臨書を双臨(再臨?)とか云った筈だが、それが時には作品となるのが~たぶん西洋的感覚では不思議と云えば不思議。
 …あ、そうそう。変態と云えば指揮者かな。下世話では「変態マゼール」との評判が高かった(?)けど、肺炎こじらせて死んじまったそうで残念。メータや小澤と同世代。

(おまけ動画)
 小澤征爾、ボストン監督時代の指揮姿。独唱はプラシド・フラミンゴ(!)。
http://www.youtube.com/watch?v=NHLQjrNPPME
【2014/07/15 20:57】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



 前稿訂正。~確認したらマゼール(2014.7.13歿)はクライバーと同い年で、小澤や西尾先生より五歳年上だった。気にする人は気になるのかも知れないが、女性の年齢に比べれば(←ここから先は別方向に脱線しそうなので以下自粛)
 …それより気懸かりなのは、遺品の行方になるのかな。苹の場合は蔵書も文房四宝も総てゴミ扱いになる筈で、どの程度の価値があるか誰も知らない。たぶん田舎の高齢化インパクトは、文化面の打撃がかなり大きくなるに違いない。闇から闇に葬られるのは自治体でも同様で、教育委員会所管の寄贈品紛失は巷間「よくある事」とガッテン承知の助でござんす。そもそも、まともな保管場所がない。部屋割りの都合で各部署が引っ越しするたび、邪魔な物は次々と「処分」されていく。そうしてずっと後になってから、調査で初めて「紛失」が発覚する。
 名のある先生方の遺品は幸福な方だろう。遺族に見る目がなくたって、運か準備がよければ編集者や専門家が後片付けを手伝ってくれるのでは。…ちと楽観的に過ぎるだろうか。それでも売り飛ばされ散佚するならまだマシだ。数年前にテレビで見た孤独死報道の場合、処理業者は総てゴミとして処分していた。それでも都会は業者がいる分マシかも知れない。田舎にそんな業者はない(たぶん)。孤独死する前に住人が居なくなるから事情が違うのかも知れない。後に残るのは廃屋で、冬になると雪の重みで潰れていく。つい先年は青森駅の近く、国道(県内最大規模の幹線道路)沿いの大きな廃屋が派手に潰れてニュースになった。あれも真冬の出来事だった。
 それとて、もうじき限界がくる。…若手が都会に出て行った後、ひとりの老人と遺品の山が残る。やがて遺品がゴミになる。そうなっていないのは高齢化の最中だからで、今のところ「まだ生きて居る」から「次の出来事」に至らぬまま済んでいる。もちろん昔は老人も若かった。中には知識人も居た。本人が死んだ後、遺品は家族がファフナーの様に蜷局まきまき守ってきた。その家族が高齢化している状態とあらば、最後の一人は大変だ。…そう云や昔、高齢化と少子化の「追いかけっこ」みたいな関係を学校か書物で学んだ様な気が。あれは確か「アキレスと亀」の話だった。当時は別に悲愴感たっぷりの拡大解釈などしなかったが、数十年後の今では具体的な中身がガラリと変わって映る。
 こんなの算数か数学の授業でやったら、生々し過ぎて物議を醸すどころでは済まなくなるんだろうな(汗)。あたしゃ苦手な方面だから、誰か数学や論理学に通暁した人、産経紙上か何かで思いっきり展開してみてくれないかしら。掘り下げれば何か出てきそうな気がする(例:「処分」に疾走するアキレスと、「紛失」を歩む亀との距離は?)。尤も発想自体に欠陥があるなら、それはそれで笑い飛ばしておくんなまし…。

(おばけ?動画)
 クライバーは2004.7.13歿。カラヤンは1989.7.16歿。
http://www.youtube.com/watch?v=UNxFm7_XTyA
http://www.youtube.com/watch?v=2zRxi-6bkzw
 さあ…皆さん。毎年7.20~7.24の恐山大祭に、ようこそ。
http://simokita.org/sight/osore/taisai.html
【2014/07/17 22:39】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(備忘録)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140718/trd14071815000014-n1.htm
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>【ネットろんだん】
>ネット「終活」 死後のデータ削除サービス、歓迎と要望と
>2014.7.18 15:00 (1/3ページ)[ネットろんだん]
> インターネット検索大手のヤフーは14日、終活サービス「Yahoo! エンディング」を開始した。利用者の死亡が確認されると、ネット上に保存した文書や画像などのデータが自動的に削除されるのが売り。「人に見られたくないデータってあるよな」と好意的な声の一方で、「自宅パソコンのデータこそ削除して」といった“要望”も出ている。
> 同サービスは、利用者の死亡を遺族からの火葬許可証の提示で確認。確認されると、事前に登録しておいた最大200人の知人にお別れメッセージを自動送信する。また、本人が利用していたヤフーの有料サービスを停止し、ネット上のクラウドに保存していたデータの削除も行う。
>
>草創期ユーザーが高齢化
> 1995年にネットの本格普及が始まってから、まもなく20年。ヤフーによると「草創期を支えたネットユーザーたちが、人生の終末を考えなくてはならない年齢に近づいてきたため、今回の終活サービスの提供を開始した」という。
> 掲示板やブログなどでは、「やっぱり、保存してあるデータは消去してから死にたい」「違法なものじゃなくても、人に見られたら恥ずかしいものとかある」と、好意的に受け止める書き込みが目立った。
> ただ、中には「自分が死んだ後のことなんて、そんなに気になるもんかな?」「死んじゃったら、見られて恥ずかしいもなにもないと思うんだが」と、達観派の声もあった。
> また、最大200人に送れるお別れメッセージについては、「俺が死んでも、死んだことを伝える相手がいない…」という寂しい感想も。
> ヤフーによると、データ削除については現在、ブログやメールも対象にすることを検討中。一方、データを削除せず、遺族に移管するサービスも考えているという。
> これについては、「自分が生きた証拠として残してもらえるのはうれしいような気がする」「家族に関わるデータは、ちゃんと保存しておきたいよね」などの声が多かったが、「家族だからこそ、なおさら見てほしくない情報があるんだよ」「なまじ親しい人のデータだけに、裏切られたと思うような内容だったらどうするんだ」という声も少なくない。
> データ削除サービスは、あくまでヤフーが運営するネット上のサービスのみが対象だ。そのため、「自宅のパソコンに保存されているデータを破壊してくれるサービスをぜひやってほしい」といった要望がかなり目立った。
>
>真に“大事”なデータは…
> その理由は、「パソコン内には、クラウドに置いておけるような生やさしいもんじゃないデータがいっぱい」「死んだ後に消さなくてはならない自分の全人格が否定されるようなデータは、クラウドに上げたりしないよ」など。
> 自宅のパソコン内のハードディスクに他人に見られたくないデータが入っている人が多いようで、「火葬の時にハードディスクを棺おけに入れてくれるサービスがあればいい」と“斬新”な提案をする人も。
> 一部には、「ごく親しい友だちと死んだときは互いのパソコンのデータを消去する約束をしている」と明かす人もいた。だが、多くの人にとって、そんな信頼できる相手を見つけるのは至難の業。やはり、生きているうちの常日頃から、身辺をきれいにしておくことこそが、何よりも効果的な終活のようだ。(壽)
>◇
>【用語解説】終活
> 自分の死をどのように迎えるか、元気なうちに考えて準備をする活動の総称。注目される背景には、ライフスタイルや価値観の多様化がある。希望する葬式のあり方や、倒れた際の延命についての選択、遺族が行う手続きのための情報整理、財産分与など対象は多岐にわたる。死に備えて自身の希望を書き留めておく「エンディングノート」の活用も重要視されている。
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(雑感)
 書道ネタから遺品ネタに脱線した矢先、産経を見たらコレだ…(↑)。言われてみればその通り、パソコンもデータも遺品なんだよナァ。他者との隔絶が前提の秘匿データについてはともかく、コミュニケーションでは苹の場合、上手に終わらせる自信がない(それが自前サイト開設に及び腰な理由の一つではある)。他方、まだ廃屋と化していなくとも運営会社がさっさと掲示板事業から撤退したりするのを見ると、いづれ「なる様になる」点、実のところ過度に心配する必要はないのかも知れない。しかし埋もれたデータの理不尽な発掘を危惧する向きにとっては、相応に不都合なケースもあるのだろう。
 むしろ心配すべきは「言葉の生命」の方かも知れない。本人の意思とは無関係に「遺言となってしまう」言葉がある。言葉が場所を失うのか、場所が言葉を失うのか。はみ出た記憶の在処/機能は或る意味「脳ヘルニア」みたいなもので、しかも読まれた途端に少しずつ形(?)を変えながら伝染する。中身=記憶は必ずしも場所を選ばないが、場所の方は中身の在り方を選ぶ(最適化したり歪曲したり)。だから場所のオリジナリティは軽視できない。文献学や書誌学の片鱗に少しでも触れた事があるなら、所謂「終活」に秘められた野蛮の微睡みに気付かぬ筈がないだろう。そこでは誰もが眠る様に夢を見るが、夢の中身は匿されたままで、却って覚醒した後がこわい。
 野蛮を知らぬ者が野蛮な自己を純粋無垢に焚書するのも、自己焚書という野蛮への一歩を踏み出す破壊衝動に魅入られるのも、「野蛮が誰のものか」を各自の立場で所有する点では包括的に、どのみち累積的エゴイズムの遡及を相互追認せざるを得なくなる筈。そこが他者による一方的な焚書(理不尽)と決定的に違う。焚書の野蛮を去勢する上で、コミュニケーションから自己を回収しようとする振る舞いがどの程度まで可能か、稍や大袈裟に見えるくらいには疑わしく見える。
 ここまで書いて、ふと思った。~模倣と破壊は、自己や社会を任意に対立軸とする場合の「生成」に於て、同一の相を反射するのではなかろうか。言い換えるなら、模倣は光であり、破壊もまた光であると。
【2014/07/19 21:28】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



 書いてる本人は真面目なつもりでも、傍目にゃ野暮だったり無粋だったり…(汗)。そう思うと気分転換ネタもて紛らわし、ひとまず懺悔してみたくなる。~先夜たまさか絶句した。或る界隈で「ふなっしーvsくまモン」等々、ゆるキャラ達が変わり果てた姿になってるそうな…(↓ひこにゃん、せんとくん他の面々も居るよ♪)。
http://gori.me/wp-content/uploads/2014/01/game-character-action-game.jpg
http://mogumogunews.com/2014/04/topic_6195/
 閑話休題。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1451
 「日録」(↑)で見て早速、買うか否か迷い始める前に全集14巻を注文してきた。殆どが既読だと買い方も変態じみてくるらしい。先ず目次を見てヒッヒッヒ。比べると「人生の価値~」ワック刊の85と86が抜けている(ただの「日録」記載漏れか?)。次に内容を見てヒッヒッヒ…と、書物は時に読者の人格を賤しくする事があるらしい。仮に「貴方は買う必要ありません」と窘められたとしても後の祭り、もう注文しちまったわい。~こんな場合、読むべき箇所と読み返すべき箇所との自律的峻別が試されるのだろう。或る意味この全集は、読者(全集魔?)に仕掛けられた観照の罠と云えるのかも知れない。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=57
 …そう云や初出当時、ゆるキャラ然(?)とした読者が豹変すると著者が戸惑ったりする例(↑)もあったっけ。その事を私は嘗て日録感想板で学んだ気がする。読者側にしてみれば、あの試みは決して無意味ではなかった。それだけに今、かの掲示板に脈動した生々しき息吹を読み返せないのは残念でもある。

(近況)
 「海の日」迄の連休期間、岡山から親戚が来た。青森在住の親戚の娘(今や熟女)で、結婚後に旦那の転勤で岡山へ行った。男女二人いる子供のうち女の子と二人連れで、青森勢では娘の妹(これまた熟女)と熟女姉妹の母(つまり老女)も付いてきたから〆て四人連れとなる。~女の子は看護師になったそうな。コレと云った話題のない苹は手持ち無沙汰(←大嘘w)の書道ネタで、「医学畑なら少しは話が通じるのでは」と脳機能関連の四方山話を少々。取り敢えず漢字と仮名に絡む所謂「神経文字学」方面へと話を振ってみた。その時は詳しく踏み込まなかったが、掻い摘めば前提は以下の様になる。
 変体仮名は小学校令(1900)で廃止が決定済み。また同年は漢字仮名の乖離症状が最初に報告された年でもある(三浦勤之助)。活字本が普及してから二十年以上が経過してなお過渡期と云えるかは不分明なれど、手書きの混淆書記様式(草書変体仮名交じり)に漢字活字と仮名活字の乖離や硬直が影響していただろう事は想像に難くない。また漢字書記の多様性を踏まえて報告を読めば、「以ふに仮名は所謂音標にして一の符号に止まり一の綴りに他ならざるも」の直後に続く記述の解釈が些か微妙になってくる→。…「文字は形象にして畫の如く物の如く又音もあり訓もありて所謂Association即関聯に富めるを以て然るならむ」とは実際どう云う事なのか。音と訓が具わる特性は今ならいっそう漢字らしさを纏って視覚に密接/膠着/硬直するが、なにしろ当時は過渡期の末期(?)、「漢字の音」は「仮名の音」でもあった(広義では宛字もネ♪)。まして草略体で書かれたならば、うち一体に限定した仮名概念(音標文字)を活字基準で凝集する向きと相対的に、漢字はまさしく視覚上「富める」文字として平仮名を絶え間なく包含してきた筈である。
(↑こんなふうに、ホントは整理してから喋りたかったのネw)
 そんな前提で話を進めると、今度は臨床的ニーズの欠如が焦点となる。爾後の医学は時代を遡らない。江戸時代を生きた患者が、既にして居ない。みな墓の中だから、ニーズもないのは当然。しかし「読める人」が相手なら、今でも話は別かも知れない。古文書が読めるのと読めないのとで、脳機能に差異はあるのだろうか。中野三敏の推測では読める人が国民の1%未満(0.004%だそうな)。と云う事は、被験者も患者も圧倒的に不足してるってこった。これでは誰だって、さぞ研究しにくかろう。
 さて。
 「…それが、やりたい事なの?」と妹氏。「うん、5%くらいは」と苹。すると怪訝そうに「後の95%は?」と云うから、「全部つながってるの」と苹が続ける。どうやら相手は、話の全部が書道ネタだとは思って居なかったらしい…あたしゃ後になって気が付いた(汗)。~書道全体の約5%が脳味噌ネタに絡むなら、実技の割合はどれくらいになるだろうか。三割か四割程度じゃないかしら。他には言語学、歴史、美術的な諸々に東洋哲学。そこに文献学や書誌学、文字学なども絡んでくる。少なくとも大学レベルでは、上に行くほどそうなっている。他方、小中高は学問教育の場ではない。むしろ学問を偽装した受験教育の場で、イデオロギー道徳や戦後常識への信仰レベルを審判する大伽藍に近い。
 片や妹氏の姉は、「認められる」事に意義があると(もしくは苹の分別がそうだと)思って居るらしい。…馬鹿々々しい。どの会派にも属さぬ馬の骨を、誰が認めるものかい。考えてもみよ、もし極右傾向の西尾読者(←喩えは悪いが?)が左翼の賞賛を浴びたら、さぞ当人は頭が惑乱するに相違あるまい。それと同じくらい書道畑の過半(?)は芸術頭で、苹とは相容れないだろうからコチラ十数年前に書道界を見限ったのだ。ただし「愛を見限った」のではなく、「見限る愛」を籠めたつもりではあるのだけれど…。
【2014/07/24 23:38】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



 前稿の引用箇所に誤記があった。孫引きネタ元の本文にある「三浦勤之助」は、文献欄の「三浦謹之助:臨床講義.医事新聞584:249-256,1901」が正しい模様。東京帝国大学医科大学付属第一医院内科教室にて、1900年10月講との事。
 真面目な人なら図書館で原本を確認するかも知れない。専門的な生真面目さと縁の薄い読者なら、内容を盲信するか半信半疑で読むだろう。重箱の隅をほじくる様なしつこい読み方を楽しめる場合は専門家に近いか変態的か(?)…だから苹は紙一重の変態属性に同情的だし、ともすれば羨ましく思う事だってある。他方、膨大な資料を渉猟しながら書く著者にとっては苦々しき面もあるだろう。慎重に読まざるを得ない心地になると、今度は自他双方向に猜疑心が乱反射して、ますます感想が書きにくくなる。
 するとこちらは感想以前に、視点を別枠に転写するなどの手法で頭の固さをほぐしつつ、多角的に模索したくなる。…話の全部が書道ネタという事は、見立ての全部が別枠に絡む事でもある。例えば近代医学以後の視点で近代医学以前の生態を解釈した際は、言語生活のみならず食生活などにも「不健康」な面がワンサカ出てきた筈。しかしながら一日三食が定着したのは明治の富国強兵が契機だったと聞くし、栄養価の高過ぎる今では一日二食(鎌倉時代の様な?)を見直す動きもあるとやら。にもかかわらず~長らく生活習慣に定着した非迷信的/科学的常識は全体との繋がりやバランスと無関係に判断の基盤をなす上、新たに組み立てられた文明開化モラルをも歴史修正(?)的な視点が脅かすとあらば、誰だって子供に「朝昼晩、規則正しく食べなさい」と教育するのをやめる訳にはいくまい。ここでは「科学の理屈」(上記例では「規則正しく」の優位)が「モラルの屁理屈」(「朝昼晩」の優位)へと裏返る。げに解釈は恐ろしい。
 他方、過去を正しく読めて居るか問い返す歴史問題の大枠が魅力的なのは、それ自体が過去を丸ごと呑み込む所に成り立つからでもあろう。呑み込まれた側にしてみれば枠は大きい方が、自前の枠をつくるに何かと都合がよい。悪く云えば隠れ蓑、虎の威を借る狐の所業。そうした受け皿、ニーズの沸点に偶々「つくる会」の運動が達したとしても、こちらとしては同情こそすれ、過度の批判を加える気にはなれない。また「言論は無力」といった言葉の場合も、あれは発したのが重鎮中の重鎮たる西尾先生だから「さまになる」のであって、有象無象(専門家を含む!)なら一蹴されるのがオチだろう。おまけに模倣や剽窃は、時に「価値を洗浄する」事がある。説得と似ている様で実は共感を逆流し、それが更なる説得の価値を増幅する。もちろん中には行き過ぎもあるけれど。如何に自分が保守的か、愛国的か、革新的か、柔軟か…数え上げたらきりがない。
 そうした「つくる会」の運動効果を挟む前後に、異色の人生論が相次いで出版された。西尾先生の嗅覚を「別枠で」読まされた気分と云ったらよいのだろうか、会長でなく名誉会長でなければ(?)書けない立場/言葉が、会長就任以前から着々と積み重ねられてきた気がしてならない。どの頁にもストレスの影がある(単行本三冊と「日録」掲載稿)。しかも解毒剤の製法まで仄めかしてあるかの様な。~著者の体験、経験から湧き出る泉を浴びた読者は、西尾柄のタオルで身を拭ったりするかも知れない。或いは夜な夜な西尾ヲタ特製の抱き枕(オエーッ!)…いや、喩えは何でもいいけれど、とにかく真似たり縛られたりする必要はない。そんな苦み走った自由(?)に屠られた記憶/各冊が、今回配本の全集巻には纏めてあるらしい。(その本2014.7.28現在、未だ届かず。)
 …てな事を、取り敢えず今夜の「TVタックル」録画中に書いてみる。
【2014/07/28 23:26】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
8読めない通、読める野暮(其一) ( 苹@泥酔 )
2015/12/06 (Sun) 20:52:18
読めない通、読める野暮(其一) ( 苹@泥酔 )
2015/05/22 (Fri) 22:40:53

●旧稿転載
 セレブ奥様ブログのコメント欄より(↓)。三分割中の一。
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1648.html#comment



 「八紘一宇」碑を揮毫したのは当時の東京市長だった様ですね。肝腎の「つくる会」総会については、こちら(↓)で概要を見ました。
http://www.tsukurukai.com/News/index.html#26soukai

(以下、視点を変えて余談追記)
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1426
 「日録」(↑)拝読後に全集を捲ると、下記の箇所に目が留まる。西尾幹二「人生批評としての戯作」、全集九巻P.129~130。
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> 江戸の戯作家たちはなぜいくつもの名前をもっていたのだろうか。他人の作品を自由に模倣したり、あるいは弟子に書かせて平気でいられたのはなぜだろうか。文学者の個性とかモチーフの独創性とか、われわれが文学に関して平生にいだいている近代的な固定観念を一度こわしてかからないとよくわからないことが余りにも多い。江戸の泰平の文化が、もう二度と戻ってはこない一回的な、密儀的な閉鎖空間であったと以前に述べたのはその意味からである。
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http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1599.html#comment
 …これまで脱線話の成り行き上(↑)、あたしゃ書道の側から著作権を云々してきた。しかも視点が予め文学「抜き」だと、前提となる模倣が「写本から文学へ」突き抜ける所まで届かない。もしかしたら発想自体が元々こちらでは「非」または「前」文学的か、或いは文学という近代概念(?)を掴み損ねた所から出発している所為なのかも。だから苹は個性にも無個性にも頓着する必要がなく、結局どちらの側にも立てずに居るのが却って自然と腑に落ちる。
 読み方の流れ次第で同じ字形が漢字にも仮名にもなる様な、存在の同一と機能の非同一が共存するタイプの起源が先ずそこにある。やがて「読み」の共立不可能性に向かって言葉/文字が輪郭を獲得すると、音声が文字を搦め捕るのではなく、文字が音声を掴む所に仮名の成立を見る事も出来そうな。そこでは一つの音声が複数の文字を欲張ったのではない。初めは輸入文字それぞれ個別に一つの音声で間に合わせようとしたのに、大陸の音が日本の音の邪魔をした結果、漢字は複数の音声で読まれる羽目になったのではないか。そう考えると仮名の成立以前に、別の意味で「一字一音」と「一音一字」の違いが息を吹き返してくる。(因みに、仮名の側での発想は日録感想板(勝手応援板)の「ひょっとして…しつこい?」(2004/04/06 00:41)稿が初出。今の天バカ板↓では「【再掲】国語問題04」(2011/09/30 (Fri) 21:48:35)稿中で再々掲。)
http://imoshiori.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7438296
 西洋アルファベットの場合、同じ文字が別の文字として読まれるケースはあるのだろうか。嘗て音楽雑誌で指揮者サヴァリッシュが元々VとUは同一だったと述べていたのを見かけた記憶ならあるが、平たく不可逆に綴られていく音声的な文字表記に対して可逆的なアナグラムを交えると、あちらの文字世界にも相応の豊饒さが汲み取られそうではある。しかしながら漢字文化の場合、表意/表語的な文字から音声へと向かう仮名化の流れにはまた別の事情が絡むだろうから、単一の音声転写文化に見えるアルファベット受容の歴史は苹にしてみれば相対的に縁遠い。かてて加えて更なる別の絵画的遡行~例えば榊原悟『江戸の絵を愉しむ』(岩波新書)P.123図版みたいなのもある(こちらは本文↓)。
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> その「絵文字」、いうまでもなくその名のとおり、さまざまの「絵」を寄せ集め、組み合わせて「文字」にしたもので、出来上がったものは「文字」だが、その着想と手法は「寄せ絵」となんら変わらない。そして国芳が、この「絵文字」にも強い関心をもっていたことは、猫のしなやかな身体と、「なまづ」「かつを」「うなぎ」「ふぐ」の魚体とを組み合わせて、それぞれ当該文字を合成した「猫の当字」シリーズがあることからも疑いないだろう(図Ⅱ‐15)。しかもこれに先行する東西庵南北(?~一八二七)戯作、勝川春扇画『身振いろは芸』(文化八年〈一八一一〉)には、早くも猫や魚ならぬ人体で、「いろは」四十八文字が見事に合成されているのだ。これじたいもまた、おそらく宴席での人体パフォーマンスをヒントに着想されたにちがいないが、人体を合成して別のものを形成する手法は、まさしく国芳の顔の「寄せ絵」と軌を一にする。
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 こうした背景を踏まえて所謂「通」との関わりに踏み込もうとすると、なにやらハイカルチャーの方がむしろ単純に野暮で、サブカルチャーの方が文化面の生きた変奏的「粋人」性(?)を担保していたかの様に思えてくる。この場合のハイカルチャーは教養と云うより常識か空気の世界で、それを当たり前に呼吸していればこそ、次なる相互諒解の行為/行動へと踏み込めたかの様な。…ところがどっこい残念ながら、苹には致命的な欠陥がある。「通」の世界が分からないだけならまだしも、「野暮」の感覚が分からない。多分これは大いに深刻なのだろう。そもそも基準や判断が表向き「ない」のだから。
 他者に対する無関心と云えばそれらしくもあるが他者「を」嫌いではないし、好きでないかと云えば「それも好きのうち」に入ってしまうから厄介だ。そこに野暮の入り込む余地はない。こちらの存在そのものが野暮だとすれば、もはや自然体と云うより他はない。通も野暮も半可通も所詮は他者の感覚で、自分の感覚ではない。都会には都会なりの、田舎には田舎なりの(←ちと脱線気味?)空気/教養/迷信がある事なら想像できるが、そこに溶け込んだ覚えはないし楽しんだ記憶もない。「通」とされている世界への興味ならあるが、どのみち楽しめないと「通」にはなれないのだろう。
 ここまで書いて、ふと思う。~「野暮の、野暮知らず」と。
【2014/06/11 23:10】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(補記~傍目のあれこれ)
http://www.youtube.com/watch?v=5w3SWA9WbPY
 BSジャパン2014.6.6放送の映画「舟を編む」三時間録画を翌々週、倍速再生二時間で見た。…どうも感覚がズレているらしい。こちらにしてみれば恋文を毛筆で書くのは普通。具体的に映像化された巻紙の字も、たぶん読めないほどでは…と書いて念のため確認したが、草書交じりのアレではマァ仕方ないのかも知れない(↓)。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/0f/ed1d60eb5be1b339365b3e20addbcdbf.jpg
 とは云え実際、読めないほどではない。ざっと見ると「天高く馬肥ゆる秋/ますゝゝご清栄のことと/存じます。正直このよう/な手紙を書くのは初/めてになりますのでお見/苦しい箇所も多いと思/(い)ますがどうぞ最後迄/(読)んで頂ける」云々。こうした小道具のクオリティは高い。編集部のホワイトボードに掲示の「大渡海」三字貼紙など地味かつ平凡な書きぶりで、程々のウマサに留めたリアリティが好もしい。
 この映画は辞書編集現場をめぐる真面目な作品で、自分の辞書的頭脳(ただし誰もが劣化版w)と先ず向き合わねば、辞書を引く前後に気付く言葉のズレが引き立ってこない。それでも恋文は筆に向いた言葉で書くのが当然と思いたい。すると結局なんの解決にもなっていない事が分かる。感覚の問題に辞書が要るのかも不分明で、理屈抜きの領分=常識に思いを馳せると、そこが却って怪訝に思えなくもない。
 「通」には「通」同士の共有辞書が要る。しかし通じるべき筈のものが遮断された環境に、果たして「通」は要るのかどうか。コミュニケーション自体が不通状態なら、そもそも「通」という言葉通りの存在自体が成り立たない。…いつからだろう。「通」の世界が高踏的になり、「不通」が「普通」になったのは。

 「通」にも色々ある様で、ほっときゃ際限なく膨張したり収縮したりするらしい。専門家と似た面は職人的主体に傾くが、どちらかと云えば好事家の審美的批評が目立つ世界なのだろう。こうなると付いていけない。事(技術)と物(作品)とでは継承の仕方が異なる一方、どこか重複して居ないとバランスが取れなくなる。そうした意味で示唆的な記述を先日偶々「ヤフー知恵袋」で見つけた。日本刀について、「メモ:以前、知り合いの刀匠と研磨師と3人で話した事があり、2人が口を揃えて「刀を打ちもせず、研ぎもせず、目利きするなんて出来る訳がない」言っていた事が印象的でした」と書いてあった(↓)。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1022377650
 この点、書道は嘗て「国民の芸術」だったので審美水準はそれなりに高い筈。ところが実際は余りに高踏的なため、却って理解し難い事が多々ある。批評の血圧が高い例では中林梧竹コレクターの海老塚的傳(四郎兵衛)があり、昭和十一年の「「梧竹の解剖」を読む」で西川寧と論争になった。これは対象が書家の書だからまだいい。技術面から「教育的に」アプローチできる。しかし精神論や他芸術との絡みが出てくると扱いに困る。

 …この際、「通」の世界の閉鎖性にも目を向けといた方がよさそうな。噂に聞く「一見さんお断り」の場を経験するには相応の伝手が要るだろうし、誰もが自由に出入りできる環境ではない。よしんば入り込めたとしても、紹介した側の責任が問われる形で「迷惑をかける」場合もあるだろう。その点、独学できる環境があると大いに助かるし、敢えて他者と交わる必要もない。しかしそれでは家元制度や社中が成り立たなくなる。つまり「狭い世界」へのニーズがある。逆らうと干されたり、破門されたり、陰湿な苛めに遭う事もあるだろう。ボスが全国に回状を出してターゲットの医者や研究者を働けなくするドラマや映画なんざ、どれも素人目には「本当にありそうな話」と映ってくる。
 だから「通」の印象は広義も狭義も、共に権威たっぷり胡散臭い。大学も研究所も企業なども、ありとあらゆる職人的世界がそう見える。男芸者になれない社会的落伍者は古今東西どんどん切り捨てられ、最後に生き残るのは少数のボスと大多数のイエスマン。ここまで来ると「通」そのものを自ら切り捨てた事にも気付かない。近年は「通」の末裔(?)を「オタク」と呼ぶ方が似つかわしく感じられるほどで、とどのつまり若者は要らず、老人でないと「通」たる資格はないかの様な。今や老人階級は暴君的イメージの下、家父長制の後釜システムを立派に歪曲しつつ引き継いでいる気がせぬでもない。
 もしかしたら、私は「通」の概念や世界や周縁や経験などを丸ごと憎んでいるのかも知れない。どの組織も全部が全部カルト的に見える。自虐精神の修行を喜ぶファナティシズムの仲間が要るとはどうしても思えない。尤も、危険な誘惑が待ち構えているのは入信前(?)から百も承知の筈ゆえ、傍目には総てが自業自得となるのだろう。

(以上、三つの大段落を一週間かけて、下から順に書きました。その前に書いたのがコチラ↓)
>「超通」「超野暮」
>つきぬけているから
 うへっ(汗)…なんたる想定外の反応!w
 あの後、未読のまま何年も死蔵状態だった小谷野敦『夏目漱石を江戸から読む』(中公新書)をトイレに持ち込んだら「坊ちゃん=野暮」論が出てました。続きを読む前に先ず西尾全集を読んだらどうなるかと、またもや途中で放り出した次第。読書にも心の準備が要るみたい。予め程良く考えてから読み始めるパターンはいつもの事だけど、さりとて全集をトイレ配備するのは抵抗があるしなあ(汁…じゃなくて汗)。
【2014/06/23 20:19】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(雑感)
 野暮より出でて野暮に還る…(上から読んでも下から読んでも)。そんな構成を初めから意図していた訳ではないけれど、結果そうなった前稿にも「見えざる手」は無意識に潜み働いているらしい。野暮になるまいとすれば黙る以外に手はないのだろう。野暮を懼れず、野暮に羈せず。空気の読めない理由がそこに根差しているのなら、沈黙の嫌らしさにもまた「出口はない」んだろーな。
 あれこれ勘繰ってみたところ、どうやら「通」とはコミュニケーションの達人を指すらしい。それをどの世界が包むか次第で「通」の質が決まる。世界/環境の質が個人を育む。よい環境に人が集まる。「類は友を呼ぶ」では言い過ぎかも知れないけれど、ともかく友であろうとなかろうと何らかの魅力があるには違いない。でも多分、二重惑星みたいなイスカンダル奥様とガミラス西翁(?)んとこに宇宙戦艦ヤマトが飛んでくる様なイメージでは台無しだ。しかしいったん見立ててみると、存外これが面白い。例えば「皇統保守」艦ヤマト(?)の末裔が飛んできて西尾先生と共著を出すに至ったのは、そこに予め「通」の世界が共有されているからではなかったか。(採択戦が終わったら、ぼちぼち八木先生達も飛んできたらいいのになあ…と書いてみる。)
http://www.nhk.or.jp/bakumon/prevtime/20140312.html
 …途中から見たNHK「探検バクモン」(↑)で先夜、新橋の花柳界が紹介されていた。これも「通」の遊びではあるのだろうが、はなから田舎者の苹は願い下げ。誘われたって誰が行くものか。こちとら身の丈に合ってないと落ち着かないし、いかに野暮偏屈だろうとビールぐびぐび、毎日の読み書き等々が最高の「遊び」である事は疑う余地がない。そうした場所に、余人は~特に異性はお呼びでない。あたしゃ時々、異星人を異性人と書き間違えたくなる。
 この手の気分なら、たぶん多くの人が理解できるだろう(特に女性は?)。…昨今は女同士で盛り上がるのをガールズ・トークとか女子会とか云うそうな。そこに男(最悪なのは亭主?)がのこのこ出てきたら?…斯う云う場面を苹は「野暮」の一例と観念して居る。ところが更に妄想を膨らませて「料亭で女子会」となると、もはや男の遊びではなくなり場所が忽ち中性化する。そこにセクハラの出る幕はない筈。しかし国際的には同性同士でもセクハラ扱いの行為認定がなされつつある様で、ならばロシア式の挨拶(こんな感じ♪↓)はどうなる事かと逆にハラハラ(?)させられたりもする。
http://s3.amazonaws.com/imgly_production/1944375/large.jpg
 話のついでに「美人」。これも美女とは限らない。赤壁賦の「望美人兮天一方」然り、離騒の「恐美人之遅暮」然り。どちらかと云えば、お騒がせモードに近いのは「傾城」の方になるのかな。しかしこれでは文字通り、城(所属政党?)が傾きそうなイメージになっちまい、畢竟どう見ても物騒だ。そこで言葉を撰んでみると…悲来乎、悲来乎。こころ離るれば騒がしきは長広舌。斯くて已に沈黙の機を逸せり。(要するに、こちらの話題へと絡む訳でござんす…↓)
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1657.html
 そんなふうに考えると、通と野暮は紙一重なのかも。どちらも彼岸の現世で、かつ現世の彼岸を禅牀に夢むがごとき仮託を美人に重ぬるも、不二の高嶺に花をもとめたとて場所が岩山ではコミュニケーション(通?)だかサバイバル(野暮?)だか知れたものではない。…難しいのは、どちらにも宿り得る「執念」。こればかりはストーカー同様、自他ともにさぞ度し難かろう。
【2014/06/27 02:12】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]



(余談Ⅰ)
 ふと思い出した一冊に、今橋理子『江戸絵画と文学 〈描写〉と〈ことば〉の江戸文化史』(東京大学出版会)がある。以下、「はじめに」から引用。
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> 〈絵画と文学〉あるいは〈文学と絵画〉という研究テーマは、西欧では少なくともすでに十六世紀半ばぐらいから、人文研究においては意識されてきた。古代ローマの抒情詩人ホラティウスの「詩は絵の如く」の言は、つとに有名だが、ほかにも「絵は黙せる詩、詩は語る絵」(プルタルコスが古代ギリシアの詩人シモニデスの言葉と伝える)という言説など、両者の親密な関係を理想とする理念は、二つの分野を〈姉妹芸術〉と位置づけてきたのである。絵画や図像(=イメージ)と、ことばや文学(=テキスト)を対立させつつ、つねに両者の底流に〈姉妹〉関係を想定する考え方は、西洋の美術ではおなじみである。そして例えばキリスト教社会では、あらかじめ存在するテキスト(→聖書)をイメージ(→キリスト教主題の図像)に変換することが積極的に奨励されたため、テキストはイメージの〈姉〉として、その優位性が強調されることもあった。
> では一方こうした関係を、日本の美術では歴史的にどのように考えてきたのだろうか――。結論的に言えば、そのような関係を問う試みはほとんど無かったと言ってよい。というより、日本美術を含む東洋の芸術においては、そもそも「書画」という語や、あるいは「詩画一致」とか「詩書画三絶」という理想が、芸術上において延々と掲げられてきたことからも明らかなように、本来的に絵画(=「画」)は「書」(=文字または漢詩などの文学)と切り離されて思考されること自体が少なかったのである。そのために〈絵画〉と〈文学〉は、必然的に二項対立のものとされることがなかった。ちなみに「絵画」という用語が「書画」のことばから転じて作られ、明治政府の官立機構や事業の中で使用され始めたのは、明治十五(一八八二)年のことだったが、同様に西欧語のLiteratureが「文学」の翻訳語とされ、辞書に表記されたのは、そのわずか一年前の明治十四年のことだった。
> 近年、〈日本美術史〉の成立の経緯を「ことば」の問題から明らかにした佐藤道信氏は、日本の歴史上における「絵画」の用語の成立を、「絵画の自立をめざした文学と絵画の分離」であったと明快に位置づけている。私は本書で、東アジアの視覚芸術が、元来文字芸術と切り離すことができなかったという伝統を充分に意識し、踏まえた上で、あえて〈絵画〉と〈文学〉という「近代日本語」の概念を導入することで、江戸絵画の複雑な様相を改めて照射したいと思うのである。
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 …西洋の文献に疎い苹は、先ず支那古典(こっち方面も疎いのにw)の記憶を辿る事になる。いつもの絡みで詩書画一致(例えば王維や張彦遠)。一方が一方を部分的に内包/重合しつつ互いに顛倒し合う関係は両者の融合/統合を意味せぬまま、次々と他を取り込みながら共立するのに、今で云う「総合芸術」型の纏まったカテゴライズ/自己保存へ向かう訳でもない。対比の対象はことごとく〈内〉であって(六芸とか琴棊書画とか)、ともすれば分裂しがちな契機をはらむ〈外〉ではないかの様な。敢えて喩えるなら、ちょうど日本が支那の一部である様に。
 勿論こうした表現には問題がある。こちらから見れば日本は支那の一部でないし、むしろ日本文明の方が他者としての支那文化(後には西洋文化)を取り入れてきた。それでもなお「支那の一部」たり得るのは、支那文化が疫病の様に伝染してきた歴史的事実と、癒える必要なき無害かつ有用な免疫的事実とが、ここで云う「支那」を漢字文化圏に「した」からなのだろう。政治的国家的「支那」が大陸内々どれだけ興廃を繰り返そうと、民族が入れ替わろうと一向に構わない。こちらにはこちらの単一な日本民族、万世一系の皇統が文明的かつ伝説的に引き継がれていればそれでよい。言い換えるなら、呪いが実体を搦め捕るのではなく、実体が呪いを掴む所に物語の成立を見る事も出来そうな。呪いは免疫的リアリズムを経て、実体のダイナミズムを至極主体的に支那との距離へと組み替える。主体意識をめぐる錯覚は常に本態的で、支那にも日本にも従属できないまま~或いは政治とも文化とも無媒介に、最も肯定的なアナキズム文化圏を準備する。(旧稿参照↓)
http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1580.html#comment
 お気楽な非政治性をアナキズムに結び付けると冒涜めいて見えるだろうか(アナキストに失礼?)。しかしこれが苹にとっては自然な感覚で、そうとでも捉えない限り日本の殻は構築できなくなる。殻には内壁と外壁があり、隔てられたまま虚構と実体が入れ替わる触媒性によって「殻」自体が生きているかの様に振る舞う。殻の内側を見れば「空虚な中心」と映る面もあろう。外側を見れば「日本文化は外真似だらけ」と映ったりもするだろう。これらはどれも真っ当で素直な見え方(「見方」ではない)だと思うし、他者/外国人の眼差しに自己仮託した客観の試みと受け取るなら、見え方と見方を隔てる壁/意識の方が邪魔に見えても不自然ではあるまい(だから易々とグローバリズムの罠にも寛容になれる?)。…もし壁が意識的な振る舞いを表徴するとしたら、殻の方はどうなのか。ここでの壁は直接「大地に屹立」しているのではない。ぽっかり海に浮かんだ殻そのものが壁と不可分で、しかも殻そのものが大地のごとく島やら山やら抱え込む。あくまで殻の方が先にあり、壁は押し寄せてくる前後になってから、或いは津波の様に「気付かれる」のかも知れない。
 大陸の大地~こと内陸部には、通常の意味で云う「津波」が来襲しない。その代わり時たま異民族が「津波の様に」来襲するので似たり寄ったりと云えなくもないが、相手が人と自然とでは格が違い過ぎて戸惑いが残るのか、異民族は人ではない。動物であるらしい。だから屈服させ、支配しなければならない。そこが自然相手の場合と決定的に異なる。~按ずるに、大陸の人々は「身の丈に合った」防衛力/攻撃力を信頼していたのだろう。しかし生者の知る限りでは多くの場合、進撃の異人に対し神風は吹かなかった。吹いたところで海がない。砂嵐なら期待も出来ようが、どのみち敗者/死者の視点ではどうだか。ここに生者(勝者?)の限界があるのかも。苹が子供の頃に読んだ竜巻の話は、既にアメリカの夢物語で糞塗れとなっていた記憶がある。

(余談Ⅱ)
http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1436
 「日録」(↑)に、「(二)江戸の朝鮮通信使は朱子学の優位で日本人に教える立場であったのに荻生徂徠の出現で日本の学問が動いて立場が逆転した。この転換に詳しい適確な本を教えて欲しい」とある。
 浅学の身からは、勿論なーんにも出てこない(←素直に開き直ってますぅw)。ただし「中野三敏」のキーワードで検索すると、この手の記述が引っ掛かる(↓)。
http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20130814/1376407060
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>……朱子学は宋代の学問ですけれども、禅宗辺りからの影響で心の学に目覚める。しかし心の弱さに着目して、心の外にある天の道理とつながった本然の性というような考えに立ったので客観唯心論と言われます。そこからさらに何百年も下った明代では、宋代の学問をそのまま受け入れるわけではなくて、宋代の学問をもう一つ発展させたかたち、その、唯心論をさらに発展させる。そういう客観から主観へという流れの中で、もう一つ朱子学を発展させたのが陽明学だというふうに考えた。それを取り入れるんであれば、何も遠慮する必要も何もなくて、そういうふうに考えられたのが、おそらく江戸時代の学者にとっての陽明学であったと思います。そして、その結果、朱子学を乗り越えた陽明学をベースとして非常に豊かな発展というものが、江戸の儒学の中で考えられる。それを、これまでは、仁斎学や徂徠学は日本独特の発展だというふうに考えてきて、朱子学から見ればかなり儒学の領域を逸脱するものであるというふうに考えられてきたんですけれども、私は仁斎学も徂徠学も、いずれも朱子学の発展系としての陽明学をヒントにして、そこからもう一度朱子学を批判しようとした。その流れとしてあるんだと考えるのが、一番簡単な、また分かり易い立場なのではなかろうかと思っております。
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 上は著者の記述の引用らしい(あたしゃ買い忘れてた)。下は別のサイトで、感想。
http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2013/05/2012-2ca1.html
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> ポイントは、《現代日本人は、徳川日本のことについて、ほとんど何も知らないに等しい》ということ。
> 詳らかにいうと、衝撃の事実とは、
>現代日本人が図書館、書店等でアクセス可能な、活字に翻刻された徳川期の古典(文学や思想書など)は、徳川期に成立した書物のたかだか1%に過ぎない。
>それも
>《明治維新の大業》が成し遂げた素晴らしい事跡を前提として、そこから過去に遡及し系譜として認定できそうなことなら《褒めてやろう》という観点から、ピックアップされた書物だけが翻刻され活字化されてきた。
>ということなのだ。
> 現代日本で、多少ともインテリの自負のある者なら、例えば、岩波古典大系やら岩波思想大系やらを折にふれた読むことで、少なくとも自分は《日本の古典》に触れてると自惚れているいるわけ。私も含め。ところが、そんなものは徳川期に生み出された文書の氷山の一角であり、そのなかに《近代》を異化し、《近代の価値観》にけたたましい不協和音を起こすものなど、明治以降の《エピステーメーによる無意識の検閲》によって、ほとんど含まれていなかった可能性が極めて高い、ということな訳ね。
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 以上、余談でござんした。
【2014/07/01 23:34】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]